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湧くわく本心塾は互師互弟で、志を高め合おうとする集まりです。


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湧くわく本心塾は、互師互弟で、志を高め合おうとする集まりです。
儒教や天風哲学などの教えをベースに、さまざまな先哲の叡智に共通する真理を学び、また実生活で実践することで、塾生一人ひとりが自らの人間力を向上させていきます。
そして、各自がそれぞれの持ち場で「一隅を照らす人」となることを目的としています。

トピックス

  • 潜学講座第7期スタート
  • 照隅ライブラリー第4弾『ブッダの言葉~最古の原始仏典「アッタカヴァッガ」を読む~』 発刊
  • 照隅ライブラリー第3弾『禅の言葉~随処に主と作(な)れ!』発刊
  • 照隅ライブラリー第2弾『論語 人間を磨く言葉』発刊
  • 照隅ライブラリー第1弾『天風哲学の基本と実践 わが師中村天風に学んだ心身統一法』発刊
  • CD『中村天風から教わったお鈴・ブザーを使う瞑想法』制作

わくわくブログ新着情報

【担当】月曜…池田光、水曜…冨樫功、金曜…佐藤成亮、土曜…佐々木秀彦、日曜…八木正典

 10月11日(金)
「蚊」   金曜担当…佐藤成亮

『 蚊のたかってくるように、
用のたかってくる人にならなければいかんよ。
役に立つものは用に追いかけられるが、
役に立たん者は用のほうで逃げてゆく。』
 「渋沢栄一 逆境を生き抜く言葉」より)

「蚊がたかるように用のたかる人になれ」
というのは、渋沢栄一の口ぐせで、
やがてその口ぐせと共に、自らを世の中の役に立てようとします。

『はた』(傍)を『らく』(楽)にさせる。それが働くということ。

働くからには、やはり人の役に立つことをしていかねばと思います。

独りよがりで働いて、後で振り返って、何が楽しいのだろうかと。

人の役に立てるようになり、相手との信頼関係を築け「頼まれごと」が多くなる働き方をする。

そして、その循環で、頼まれたからには、また自分も頑張ろうというプラスの成長のサイクルができる。

そう考えると、改めて、人と人との間である、人間として、多くの人に役に立って行かねばと思いました。

「蚊がたかるように用のたかる人になれ」
を合言葉に、

『力と勇気と信念をもって』過ごしてまいりたいと思います。


金曜担当…佐藤成亮



 10月6日(日)
「百聞」   日曜担当…八木正典

百聞は一見に如かず  (いくら聞いても自分で見ることには及ばない)
百見は一考に如かず  (いくら自分でたくさん見ても考えることには及ばない)
百考は一行に如かず  (いくらたくさん考えても、それを実行に移すことには及ばない)
百行は一果に如かず  (いくら実行に移しても成果をあげることには及ばない)
百果は一幸に如かず  (いくら成果を上げても幸せであることには及ばない)
百幸は一皇に如かず  (いくら個人が幸せでも、みんなが幸せであることには及ばない)


百聞は一見に如かずといいますが、続きがあるのを知りました。
後半は後世に付け加えられたものらしいですが、なるほどと思わせる内容になっています。
人から聞いたり、実際に見たりすると、それだけで自分でも知っている気持になったり、できるような気持になったりすることが起こります。
また、いいアイデアを考え付くと人に話してそれだけで満足してしまい、その先への本当に大事な「行動」に移っていかないことも多くあります。
孔子も、「始め吾れ人に於けるや、其の言を聴きてその行を信ず。今吾れ人に於けるやその言を聴きてその行を観る。予に於いてか是れを改む。」と言っております。
日々あふれかえる膨大な情報を取捨選択する中で、いかに行動に、そして成果に、そして多くの人の幸せに結び付けていけるのか工夫をしていきたいと思います。

日曜担当…八木正典



10月5日(土)
「一癖」   土曜担当…佐々木秀彦
『「人は、必ず一癖あるものの中に撰ぶべし…(今の世は)十人好きの人は用に立つものにあらず」「上・下ともに一癖あるものこそ用立つ者多し、頭立つ人はその心得あるべし」』(島津斉彬)

明治維新の直前の頃の島津藩当主島津斉彬。彼の功績は凄いものがあります、日本の明治維新は島津斉彬が成し遂げたと言っても過言でないくらい、重要な人物だと思います。

本日開催の第4回潜学講座では『薩摩藩郷中制度』を取り上げますが、薩摩藩は陽明学を郷中制度で教えておりました。いえこれは僕の飛躍した表現ですが、島津斉彬の時代には山崎闇斎、荻生徂徠の流れの人物が教育現場に携わっております。特に水戸学に関しては大日本史を皆が読み込むぐらい、大切に学習していたようでした。
島津氏は源頼朝の実子の島津忠久が薩摩の島津荘の下司に任命されて島津家の祖となりました。徳川将軍家にも綱吉、家斉の正室は島津氏の姫を出しております。

島津斉彬は日本国家より先に、薩摩藩が開国し、実績を作ることで、やがて日本国が開国できるよう先鞭になろうと考えていたように思われます。アヘン戦争で清が攻略されたことで、危機感が強まり、鉄砲や戦艦、大砲の製造はすぐに取り組んでおります。薩英戦争で世界最強レベルのイギリス艦隊を叩きのめしたのには、それ相応の欧米列強と戦う準備をしていたからです。フランスもイギリスも琉球に黒船で入り込み開国を迫りました、ペリー来航以前の話です。島津斉彬は話の運び方によっては武力攻撃になることをしっかり認識しながら、武力行使させずに断固拒否の交渉を成し得て引き上げさせました。

薩摩はそんな素晴らしい人物が、歴代当主に幾人も名を連ねています。島津中興の祖と評される戦国時代の島津忠良もとても素晴らしい人物でした。その忠良が織田信長が世に出ようとする時期に、藩の繁栄のためには何よりも人材の育成と考え、子供の教育用に作ったのが『いろは歌』です。徳川300年の歴史と同じだけ、薩摩郷中制度の歴史はあります。

いろは歌の「い」…
『いにしえの 道を聞きても 唱えても わが行いに せずばかひなし』

平成の時代はなんでも無難にこなし、誰からも嫌われないような人が出世しました。そういう時代もあって良いと思います。ただ令和でこの閉塞感を打ち破るためには、一灯照隅・萬燈照國の精神なら、僕たちからまず、一癖ある人物と大切に、しっかり、お付き合いしていくべきかと考えます。


土曜担当…佐々木秀彦



 10月4日(金)
「孝行」   金曜担当…佐藤成亮
子が考をするのではなく、親が子に考をさせるのである。 (「渋沢栄一 逆境を生き抜く言葉」 より)

親が「こどものため」と思って行うことも、本当に「こどものため」というよりも、実は、言っている親の自己満足であったりすることがあります。

親が何でも代わりにやってあげようと、こどもを小さい枠の中にとどめようとすることは、逆に親元から飛び出さざるを得ない状況になり、親不孝にしてしまうとのことです。

逆に言えば、親不孝でなく親孝行の子にするには、とどめるのではなく、こどもの意志と人格を尊重して親が折れるしかないということになります。

仕事でもそうですが、何でも相手に任せておけないからと自分ばかりで仕事をやっている人がいます。そうすると、仕事を任せようとする相手も考えることをやめ、成長する機会を奪ってしまうことになります。

そして、仕事の最盛期になると相手が十分成長できておらず、自身の負担が極端に増えてしまう、という負のスパイラルになりかねません。『なんでこんなに仕事できないの?』と思ったとしても、いやいや自分で芽をつぶしていた結果であるのです。

家族も仕事もそれぞれ場を共有している上では、チームであり仲間であるので、お互いが成長をしていける配慮ができるようになっていきたいと思います。

渋沢栄一を少しづつ読んでおりますが、実践的な内容なので、ふと、立ち止まって自身の身の回りに置き換えてながら読むと非常に面白いです。

金曜担当…佐藤成亮



 9月30日(月)
「近況報告」   月曜担当…池田光

かつて消費税が導入されたとき、「5%→8%→10%」と段階をふんでアップするだろうという予測が語られたものですが、ついに10%時代に突入しますね。
ヨーロッパの国々では、消費税20%を超えているところも多いですが、それはそれ。
マスコミはすぐに各国と比較して、消費税の感覚を麻痺させますが、わが国はわが国です。
わが国では10%をマックスにしないと、いろんなところに歪みが発生してくるように感じます。
さて、少し近況を話そうと思います。

■新聞をやめたこと
7月末で新聞をやめました。
生れてからずっと新聞が配達される生活をしていたのですが、ある新聞社の姿勢に疑問を感じて購読をやめました。
別の新聞を購読しようと検討を始めたものの、今では「新聞をとらないほうがいいのではないか」と思うようになりました。

新聞をやめてから、ネットで新聞を読み始めました。海外の新聞の日本語版もあって、広い観点から読めるようになりました。
比較してみると、これまで信頼していた新聞記事の取り上げ方が、かなり偏ったものであること、フェイクニュースすら含まれていることが分かってきました。
ネットには、一つのテーマを二時間、三時間かけて深堀している番組があることを知りました。
中東情勢、東アジア情勢などに関心をもっています。

■読書
ここ半年ほど読み続けているのは、仏教学や日本宗教史がご専門の末木文美士(すえきふみひこ)氏の本です。
以前から『碧巌録』の現代語訳や解説書に興味をもっていたのですが、集中的に読んでみようと、新たに十冊ほど買い求めました。
最初に読んだのは、『思想としての仏教入門』ですが、これが刺激的で、次に『仏典を読む』へと進み、ゆっくりながら次々に読み進めています。
考えさせてくれる本ばかりです。
良い本に巡り合いました。

■嬉しかったこと
7月末に、健康診断の結果が届きました。
見ると、腫瘍マーカーの値が異常値でした。
さっそく調べてみると、「70~80%くらいの確率で癌だ」ということでした。
そこで覚悟を決めて身の回りの整理をしつつ、再検査に臨みました。
医者からも、癌についての説明がありました。
が、9月上旬に、癌ではないことが判明しました。
今後は経過をみていくことになり、四半期ごとに診断します。

さて、嬉しかったことというのは、7月末に悪い健康診断が届いた日の夜に、ぐっすり眠れたことです。
翌日からも、いらぬ心配をすることなく、平常心で暮すことができました。
ぼくは、天風哲学を学ぶことによって平常心を身につけたいと願っていました。何かあっても、なくても、安定した心理状態で暮すことを目標にしていました。
今回、それが証明できました。
このことがとても嬉しかったのです。
これで、心の安定について語ることができる。自信をもって、天風哲学を語ることができると思いました。

■年金生活について
まもなく年金生活者になろうとしています。
もらう側になって思うのは、「現役世代に迷惑をかけないようにしよう」ということ。
ぼくの場合、現役世代に迷惑をかけないというのは、身近では息子や娘に迷惑をかけないことでもあります。
ぼくは国民年金なので、社会的には年金弱者です。
年金だけではまったく生活できません。
そこで、数年前から具体的に準備しつつあります。

ぼくの考えを一般化するとこうです。
年金生活世代は、現役世代の年収の70%以下の生活にする。
つまり、30%以上のダウンサイジングを図る。
そして、現役世代に迷惑をかけないよう、年金で現役世代の年収の45%を保証。
足りない25%は、働いて稼ぎ続ける。
しかし25%を稼ぎ続けるというのは、大変です。
そこで施策として、第一に「稼ぐスキルを現役時代から身につける」こと、第二に「定年退職後の労働環境をつくる」こと。
現在は、国が上記の「第二の施策」を企業に押しつけています。ある程度は、退職後の労働環境づくりを企業の責任においてやることは必要でしょう。
しかし、過度に押しつけるとコスト高となって、企業は競争力を失います。
年金者になっても、基本は自力でなんとかするという「第一の施策」を組み込むことが必要だと思います。

しかし、25%を稼ぎ出せない人もいます。
そんな人は、みんなで集まって畑をつくるなどして、自給自足の工夫をし、若い世代になるべく迷惑をかけないで生きていくべきです。
最初に「現役世代の年収の70%以下の生活にする」と言いましたが、稼げない人は自給自足度を高めて、「60%以下の生活」さらには「50%以下の生活にする」ことが大切なのではないでしょうか。
これが第三で、「ダウンサイジングのスキルを身につける」こと。
あるいは、「ダウンサイジングのインフラをつくる」こと。
ダウンサイジングしたらしたで、新しい楽しみを発見できます。

ただし、深刻な病気などになると、稼ぐことはできません。肉体的にどうしようもない方には、逆に年金支給を増やしていただきたいと思います。
こう考えると、第四として、「健康年齢を高め、病気などの期間を短くする」ことが大切です。
さらに付け加えると、「現役時代に貯蓄しておく」こと。

まとめると、
1.稼ぐスキルを現役時代から身につける。
2.定年退職後の労働環境をつくる。
3.ダウンサイジングのスキルを身につけるとともに、インフラを整備する。
4.健康年齢を高め、病気などの期間を短くする。
5.現役時代に貯蓄しておく。
となります。

年金者の基本は、「現役世代に迷惑をかけない」という一点に尽きます。
そうでなくても、国の借金は多くて現役世代に頼る(次世代にツケを回す)という社会構造になっているのですから。
ぼくは、上記の5を怠っていたので大変です。
ですが、エゴを捨て、現役世代に迷惑をかけないことを念頭にやっていきたいと思います。

■秋は動きます
暑い日々も終わろうとしています。
夏は家にこもっていたので、すっかり体力が落ちてしまいました。
10月からは外にどんどん出かける予定です。
美術館や文学館めぐりをはじめ、「庖丁を研ぐ講座」「車イス体験講座」「ダーツなどを体験する講座」「絵本を読み聞かせる講座」など、体を動かすものを選んで申込みました。

季節は秋になりますが、ぼくの人生においては壮年期の夏を過ぎ、実りの秋も終わりか、初冬を迎えようとしています。
秋や冬には、壮年期とは違った「味わい」を見つけることができるものではないでしょうか。
童謡にも「小さい秋見つけた」というのがありますが、小さい秋=味わいと見立てて、世の中を楽しみたいと思います。

さて、湧くわく本心塾の潜学講座も、これから秋の講座、冬の講座へと入っていきます。
ぜひ、10月の講座にもお出かけください。
また、11月には「秋の研修遠足」が用意されています。
楽しみですね。
みなさま、盛り上がっていきましょう。

月曜担当…池田光



 9月29日(日)
「三国志」   日曜担当…八木正典

身を屈して、分を守り、天の時を待つ。蛟龍の淵に潜むは昇らんがためである。

久々に空いた時間を利用して吉川英治さんの三国志を読んでおります。
前回読んだのはもう10年以上も前なのですが、読み直していると新たな気づきがあって面白いです。
前回の時は気づかなかったであろう論語を始めとする四書五経や孫子等の中国古典の引用等が多くちりばめられており、原典のイメージを持ちながら読み進めていくと深い理解に結びついていくように思われます。
上記の文章も、本心塾で冨樫さんの易経講座で学ばせていただき少し原典をかじっていたおかげでこんなところに易経が書かれていると主人公の思いにより深く気づき、嬉しく感じております。

また、多くの人間模様やいろいろな立場の登場人物の行動と決断に人間の本質が表れており、今の自分の置かれている立場や環境に照らし合わせてすぐに手本にしたいような判断が多くあります。
まだまだ序盤でこれから多くの出来事が起こっていきますが、読み進む中で、新たな視点に気付くともに今の実生活の中で一つでも実践に応用できるものを得ることが出来きれば有難いと思っております。


日曜担当…八木正典



 9月28日(土)
「国軸」   土曜担当…佐々木秀彦
『吉野山から大峯山山上ケ岳にかけての一帯は古くは金峯山(きんぷせん)と称し、古代より世に広く知られた聖域でした。この金峯山に役行者神変大菩薩が白鳳年間(7世紀後半)に修行に入り、修験道独特の本尊・金剛蔵王大権現を感得されます。金峯山寺は、山号は国軸山、宇宙の中心の山という意味を号しています』(奈良県吉野・金峯山寺HPより抜粋)

桜で有名な吉野に行って来ました。修験僧の修行する聖域だけあって、舗装されている現代の道だけしか通ってはいませんが、険しい山岳だったであろうことは山の雰囲気からヒシヒシと伝わってきます。

吉野の大峯山は金が採掘されていたという説があります。金が吉野の山から採掘されていたとすれば、金峯山寺の名称、金剛蔵王大権現の感得というのも辻褄が合います。
役行者は僧坊を建立して、修験道者の入山を許可制にしました、飛鳥時代のことです。そして江戸時代までその許可制度は続いています。他の修験道者の山も入山許可証が必要という話はあるのでしょうか???

『国軸山』上記引用の金峯山HPには『宇宙の中心』という意味と記載されています。役行者が吉野に僧坊を建立した白鳳年間は伝来した仏教を聖徳太子が保護して、法隆寺、東大寺等々白鳳文化と呼ばれる素晴らしい建築物が建立された時期と重なります。日本地図を広げて日本列島の中心だから国軸なんて解釈は幼稚すぎだと思います。国軸が経済的な意味であるほうがより納得できませんか???吉野は豊臣秀吉も息子の秀次を連れて陣を張って逗留しています。金の権利を握ったから天下統一を成し得たのならこれもすんなり辻褄が合います。

上記内容はすべて妄想に近い僕の空論です。金峯山の名称・国軸・白鳳時代の役行者の僧坊建立と入山許可制・吉野のこの僧坊を実際に訪れた偉人の数々…この4つの情報を、吉野の山の風に吹かれながら繋ぎ合わせて楽しんでいた完全なるフィクションです。白鳳浪漫はまだまだ拡げて楽しめそうです。


土曜担当…佐々木秀彦



 9月27日(金)
「進歩」   金曜担当…佐藤成亮
「私は青年時代において攘夷を唱えたのであったが、後にこれを改めて通商貿易論者となった。これなども止まるに非ずしてやはり進歩である。」 (渋沢栄一 逆境を生き抜く言葉より)


渋沢栄一は、もともとは攘夷派の考えでしたが、外国に留学して視野が広がり通商貿易を支持するようになったとのことです。情報を貪欲に吸収でき、その情報から最良の選択するという進歩論者でもあったとのことです。

人として、人本来の習性は、変化を好まず、決まりきった考えの中で物事を見る傾向にあると思います。それはそれで、自己防衛本能とでもいうのでしょうか、自分自身を守る上では、間違いはないことだと思います。

ただ、常に決まった考えで物事を見るのではなくて、時として、意識して、いろいろな角度から物事をみることをクセづけることにより、判断する情報量が増え最良の選択ができるようになっていくと思います。

自分自身の行動のクセを少しづつでもよい方向へ変えて行けるように、意志力に頼り切るのではなく、付き合う人や環境など外面からの刺激を変化させて成長していきたいと思います。

金曜担当…佐藤成亮



 9月22日(日)
「カルティベーション」   日曜担当…八木正典

三菱ケミカルHDの会長である小林善光さんの講演を聞かせていただきました。

日本は新しいことにトライせず、殻に閉じこもっていないか。デジタル、個、グローバリゼーションという世界の大きな3つの潮流に乗り遅れている。」という話でした。

その話の中で、若者の満足度が高いのは、難しいことにトライしてフラストレーションを感じることが無いからではないかとの問題意識を提するとともに、自分自身への戦い、自分自身のカルティベーション(育成、修練)に対してエネルギーを持つことが必要だと訴えられていました。

松下幸之助さんも、
今が最善だと思っても、それは今日の最善であり、明日の最善ではない。物事は日々進歩している」と言われております。

現状維持は後退であると意識し、より良いものに向かって、より良いものを求めて、日々に新たな気持ちを持ち続けていきたいと感じております。



日曜担当…八木正典



 9月20日(金)
「空理空論」   金曜担当…佐藤成亮
「私は決して空理空論をお話は致しはせぬ。すべて実地に行ってきて、処世上に益を得た点のみにつき申し述べるのである。」 (渋沢栄一 逆境を生き抜く言葉より)

今年は、論語と大学を中心として古典を読んでおり、合わせて古典の理解がより進む副読本を探し、並行して読んでおります。

論語読みの論語知らずにならないように、より実践的な論語を、と思い手に取った本が、渋沢栄一の「論語と算盤」でした。

そして、そこから渋沢栄一についてもう少し知りたくなり、書店にて「この本読みやすい!」と偶然、手にとりましたの本がなんと、名誉塾長のご著書(渋沢栄一 逆境を生き抜く言葉)でした。

本の構成は、見開き1ページの右側に渋沢栄一の言葉が書かれており、左側に言葉の解説が非常にわかりやすく整理され、まとめて書かれているので内容がスッと頭に入ってきます。

学びは、自己の本性に気づくことと、活学であることが大事であり、自己の本性に気づく本の読み方は、自分に問いかけるように、真摯に本と向かい合って、著者との対話を行っていくと良いと、以前、読んだ本の中で学びました。

真摯に向かい合うには、可能であれば瞑想をして気持ちを落ち着けてから本を読むと良いと思います。

瞑想してから本を読むのは毎度毎度は、難しいかもしれませんが、そういった心を落ち着ける時間を日々の生活の中で持つことを習慣化していくことは大事なことだと思うので、習慣化していきたいです。

学びが趣味にならぬよう、「仕事と人生」につながる実践的に生きた学びにしていかねばと改めて思いました。

金曜担当…佐藤成亮



 9月15日(日)
「見」   日曜担当…八木正典
尊敬する先輩と話をしていたところ、次のような話になりました。

人間の本質は「見」だ。
だから、見ているだけで行動をしたがらない。
慣れた環境の不変を求めるものであり、それを変えようと思うと本当に多大な労力がいる。

確かに現状維持はそれ自体が快適であり、未経験のことに一歩踏み出すのは、何であってもストレスフルで思い切りと覚悟が必要となります。
稲盛和夫さんはその書籍の中で、安逸を求める心との葛藤に打ち勝つ克己心こそが人をして並を超えさせていくのだといいます。

自ら反みて縮からずんば、褐寛博と雖も吾惴れざらんや。自ら反りみて縮くんば、千万人と雖も吾往かん。

自らを振り返りながら強い気持ちを持って心の葛藤を超えて行動に変えていく努力とそれを全体の勢いにつなげていく工夫を行っていきたいと思います。



日曜担当…八木正典



 9月14日(土)
「一灯」   土曜担当…佐々木秀彦
『いかに自分たちがもろい基盤の上に暮らしていたかを思い知らされました。危険はほんの紙一枚隔てたようなところで、身を隠していただけなのです』(林修)

「いつやるか?今でしょ!」CMでのこの言葉が流行語になり、この本のタイトルにもなりました。後書きで語ってらっしゃるのが、東日本大震災を東京で体験されて、この本が出来上った心の経緯です。上記引用文の後ポールシーラーの「幸せを増やす唯一の方法は、それを分け与えること」という言葉を引用して、「一燈照隅・萬燈照國」の精神とまったく同じ意味のことを、林修氏は語っていらっしゃいます。

東日本大震災の丁度一年後にこの本は出版されています。予備校の先生という職業柄、常に10代の子供達に接している中で、元気が無くなった若者を『「自分だけが幸せであることの不幸」の悲しみがわかっているのです』と表現されていらっしゃいます。震災から一年しか経っていない教育現場での、「一灯照隅・萬燈照國」を実践されたのがこの「いつやるか?今でしょ!」の出版だっということです。

池田光先生が「湧くわく本心塾」を立ち上げたのも、東日本大震災がきっかけだったとお話されていらっしゃったことと、この林修さんの後書きに通じるものを感じました。
人間は自然の威力を知っているからこそ、現代の発展を手に入れました。自然の猛威に勝てないまでも、押し潰されないように知恵を重ね、実行してきたからこそ、現代があるのです。

「いつやるの?今でしょ!」は簡易な表現で読み易い本でした。ただ書いてあることは、完全に天風哲学と全く同じ内容です。林修さんが中村天風をご存知かどうかは知りませんが、予備校の先生の表現する天風哲学に似たお話は、10代の若者に十分に理解できるよう噛み砕いた表現なので余計に面白いと思いました。



土曜担当…佐々木秀彦



 9月13日(金)
「第7期 第3回 潜学講座を終えて」   金曜担当…佐藤成亮
先日の本心塾では、佐々木講師の古事記をはじめ、富樫講師の孟子の講座、池田名誉塾長の陽明学のまとめの講座、そして今西会長の元気なお姿を見ることができ、とても嬉しく有意義な時間を過ごすことができました。

古事記では、佐々木講師の愛がある広義の解釈で古事記の面白さを教えていただきました。天地初発の話に始まり、黄泉の国は、一般的には、出雲説だが、佐々木講師は、滋賀説ではないかと言っておられ、ユニークな切り口が面白かったです。なかでも、古事記は日本最古のエロ本であると言っておられたのがなぜか印象に残りました。

富樫講師は、孟子についての講座で、孟子の書物は話が長いというのを非常にコンパクトにまとめておられ、浩然の気や性善説など、孟子の教えをわかりやすく解説頂けました。天風哲学にもつながる部分も垣間見え非常に興味深かったです。

程子曰く「孟子の性善と養氣の論はすべての聖人もまだ言語化できていなかったことだ」
とあるように、孟子は言語化できていなかったことを言語化するにあたっての、気づきや悟ったことは奥が深いと思うので、これからの学ぶテーマとしては面白いと思いました。

最後に池田名誉塾長の講座がありました。先日の陽明学の特別講座について体系立てて分かりやすくまとめて頂き、特別講座の話が立体的に理解できました。

中でも、伝習録の和訳に関して、いろんな先生方が出されておられるが、先生方によって訳し方が端的なものと、より攻めた訳し方になっている違いを比較して紹介して頂き、こうも訳し方が違うのでは、大意はつかめたとしても、原文から大きくかい離してしまうのではないかと思いました。

そこで、池田名誉塾長が常々おっしゃっている原点主義を大事にして、徐々に力をつけて、原文から自身で読み解いていくようにしていきたいと思いました。

また、王陽明の基本思想にある、自己の本性が本来的に完全である。発揮する力自体も本来的に完備している。というところは、孟子とはまた切り口を変えた形で天風哲学に通ずるものがあると思いました。

悟った方々の登った山の景色は皆同じように見えているのかが非常に気になるところです。自分自身の中で気づき、悟っていけるように、自己の本性は本来的に完全であると自信をもち、腰を据えて艱難辛苦嘗め尽くしていきたいと思います。

金曜担当…佐藤成亮



 9月7日(土)
「分福」   土曜担当…佐々木秀彦
『恵まれた福を分かつことは、春風の和らぎ、春の日の暖かみのようなものである。と露伴はいう。春風はものを長ずる力である。暖かさでは夏の風にかなわないが、冬を和らげ、みんなを懐かしい気持ちに誘う。それと同じように、福を分かつ心を抱いていると、それが小さなものであっても受けた者はいい感情を抱くものである』(今西恭晟・ネクストチャンス)

幸田露伴の「惜福・分福・植福」のお話は八木さんが8月18日のブログで紹介されていらっしゃいました。おそらくこのお話は、3つ全部を同時にやっていくべきで、3つをバランスよく遂行するからこそ幸福を得る人になるという教えかと思います。そこは理解した上で、僕は今日その中の「分福」に絞って書いてみたいと思います。「分福」が特に重要だと思っているわけではありません。上記引用文があまりに素敵な文章なので、この文章を紹介したかっただけというのが真意です。

『「しあわせ」は目的地ではなく、その道のり…』
全然別のところから、この言葉に先日出会い、目から鱗が落ちた気がしたばかりです。僕はいつの間にか「しあわせ」は点のイメージに囚われていました…。幸福と思った瞬間に、その幸福は頂点から下り坂に下りだすような気がして、自分の幸福から目を逸らす癖がいつの間にか身についていたようです。

自分の幸福を認めないと、「惜福・分福・植福」は絶対にできません。幸福から目を逸らすということは、結果的に「福を使い尽くし、取り尽くす」ことになってしまって、次の幸運が逃げてしまう人ということです。

上記引用文…春風の和らぎ…この「分福」から始めようと強く思います。「分福」をするためには、「しあわせ」をしっかり掴まなくてはいけません。この「しあわせ」が「道のり」なら、「しあわせ」を掴まえたまま歩いていけるわけです。「道のり」に一緒に歩く仲間がいたら、仲間みんなで「しあわせ」を掴まえたまま、益々楽しい「道のり」になるわけです。「春風の和らぎ」というのはそういう雰囲気なのですね…今西会長、いつもありがとうございます。そして一緒に「道のり」を歩いていただいている、湧くわく本心塾の皆様、いつもありがとうございます!

土曜担当…佐々木秀彦



 9月6日(金)
「不惑」   金曜担当…佐藤成亮
四十にして惑わず

「論語・為政第二」より

「あれこれ迷うことがなくなった」という意味。
これは「何が起きても動じることなく、それを受け入れる自由さを持ちなさい」ということ。


先日はおかげさまで無事に2回目の成人式である不惑を迎えました。

ふり返ってみると、いつの間にか実家で過ごした時間よりも京都で過ごした時間の方が多くなりました。

何が起きても動じることなく、それを受け入れる
自由さをもつ。多様性を受け入れるということでしょうか。

自分の中にしか答えがないのに、相手に依存して相手の中に自分の答えを見つけようとすることは
本当の答えにはたどりつけないと思います。

もの、ひと、ことに依存するのではなく、自立して多様性を受け入れ成長の糧として生かしていきたいと思います。

ひとの役に立つ役年から、さらにもう一歩進んで飛躍の躍年にして参りたいと思います。

さて、40代を『正直、親切、愉快に』スタートさせて頂きたいと思います。



金曜担当…佐藤成亮


 9月1日(日)
「与えれば」   日曜担当…八木正典
手で自分の方へかき寄せれば、湯はこっちの方へ来るようだけれども、みんな向こうの方へ流れ帰ってしまう。(二宮尊徳、魂に響く108の言葉より)


1991年にラグビーの平尾誠二さんと将棋の羽生善治さんが初めて会った時、ラグビー日本代表のチームにそのころ圧倒的な強さを誇った所属する社会人チームの戦術やノウハウを投入すべきか悩んでいた平尾さんに対して羽生さんは「与えれば、与えられるんです。」と話したそうです。

実際に羽生さんはその当時、「島研」という研究会に参加し、手の内を惜しみなく公開することにより全体で前に進んだほうがいいと考えていたのだそうです。
その後、羽生さんは将棋界で史上初の七冠王を達成し、平尾さんも日本選手権7連覇を達成させています。

論語にも、「仁者は、己(おのれ)立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す」とあります。
全体のレベルアップ、ステージアップのために、人に与えるべく主体的に発信をして、人と共有する。
自分の意識の置き場を変えて、少しでもそんなことが出来れば有難いと考えております。

日曜担当…八木正典



 8月31日(土)
「行間」   土曜担当…佐々木秀彦
『八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を』(古事記・須佐之男命)

この歌が古事記に登場する最初の歌です。古今和歌集の序章で、紀貫之が「日本最初の和歌」と述べているということです。古事記を少し勉強して強く感じるのが、僕の時空レベルの要領がかなり拡がったということです。

つい昨日までは、54歳という年齢分ぐらいしかリアリティがありませんでした。湧くわく本心塾でここ数年、明治維新期の人物を取り上げたので、明治維新以降はなんとなくボヤけながらも見えるようになっていたかとは思います。それが、古事記を学習することで、神世の時代がまだまだボヤけてはいますが、なんとなくわかるようになってくると…不思議なことに勉強していない、鎌倉時代、室町時代あたりも同じようにボヤけたままですがわかってきたような気がします。

空に虹が架かることがあります。「虹」という文字は漢字です。虹は蛇が大きく大きくなった蛇の仲間だからという発想なので、蛇と同じ虫へんの漢字なのだということでした。それで龍は蛇の仲間ではないのだと気づきます…。昨日までは、「空中に描くのは虫が工作したということ…」程度にしか発想がなかったのが、若干変化してきたのかなと感じます。

将棋の世界では「定石」があるそうです。「定石」をある程度頭に入れているから、応用ができるようになるのは理解できます。古事記というのは人生の「定石」が書いてあるのではないでしょうか…。日本人は言霊文化とよく言われます。相手の気持ちを察するというのは、文章の行間を読む作業と似ています。和歌の31文字で自分の心を詠む訓練、和歌の31文字で作者の意図を読み取る訓練。これは人間の日常生活で、相手の心を推し量る訓練でもあるのではないかとやっと今感じることができるようになりました。

もし、僕が初めて湧くわく本心塾に参加した頃、古事記に出会っていたなら、おそらく何も興味が湧かなかっただろうなと推測できます。でも今だから、古事記が面白くて面白くてという状態です。そんな気持ちを真っ直ぐ講座に乗せてみようかなと、今、考えております。来週よろしくお願いいたします。


土曜担当…佐々木秀彦



 8月25日(日)
「順逆」   日曜担当…八木正典
余意う、「天下の事もと順逆無く、我が心に順逆有り」と。我が順とする所を以て之れを視れば、逆も皆順なり。我が逆とする所を以て之れを視れば、順も皆逆なり。果して一定有らんや。達者に在りては、一理を以て権衡と為し。以て其の軽重を定むるのみ。(言志耋録)



ハーバードビジネスレビューの9月号に、「幸福感を高める週末の過ごし方」が載っておりました。
それは、なんと「週末を休暇とみなす。」ことだそうです。
単なる週末と考えるのではなく、休暇が取れたのだとみなすと、目の前の出来事に対する集中度が変わり、月曜日の幸福度が高まるそうなのです。
休暇として考えることで、少しゆったりして目の前のことに注意を向けもっと積極的に楽しむことが出来るそうなのです
ただ、それをルーティン化してしまうと効果が薄れるらしいので要注意です。

ちょっと見方を変えるだけで、幸福感が変わるのなんて不思議な話です。
道元禅師の言葉で「眼横鼻直」(目は横に、鼻は縦にある)とありますが、自分はこれまでの経験によって、是非善悪で多くの偏った見方をしていると思います。
心の傾向が定まり、ありのまま、順逆をつけない見方が難しくなっているのではないかと感じます。
ため込んできた経験に起因する自分の視点を是正してみるいい機会だと思い、少し自分の意識や物の見方を変える努力をしてみたいと思っております。

日曜担当…八木正典



 8月24日(土)
「真実」   土曜担当…佐々木秀彦
『神武天皇が実在したかどうか、ということについて戦後多くの議論がありました。私はこれについては、“真実”と“事実”の違いだと思っています。神話の価値は“事実”であるかどうかにっかっているのではない。神話にはすべて“真実”が書かれているのだということです。』(竹田恒泰・古事記完全講義)

真実と事実の違いは、今僕たちが一番気にしなくてはいけないことだと強く感じます。僕はあまりテレビを見る方ではありませんが、テレビの報道は事実だけを追いかけて、真実には全く興味が無いような印象を受けます。ネットニュースはもはや論外で、事実を曲げたフィクションをニュースのように発信しているのも多々ある状況です。

上記引用文は、戦後の日本国憲法の記述がちょっと違えば、天皇後継者第何位かに序列されるであろう、竹田恒泰さんの、古事記に関してのお考えです。

中国4000年の歴史と言いますが、中華自民共和国は戦後にできた国ですから、70年位でしょ!…竹田さんはいつもそう仰います。国の侵略・滅亡・成立等々を無視するのなら、地球上すべての地域が、人類誕生の時期から同じ年月の歴史が存在します。もし中国が4000年の歴史というなら、イギリスもアメリカも日本もみんな4000年の歴史です。人が暮らしていたわけです。真実はおそらくこちらでしょう。事実は中国70数年の歴史です。

日本は皇紀2679年です…これは事実です。今後天皇家の後継者がいなくなるかもしれません…これは予測です。昭和天皇が太平洋戦争を始めました…最高責任者という立場上は事実です、しかし真実ではないでしょう。

次回の潜学講座で『古事記』の講義を担当しますが、『古事記』を読むと、現代が見えてくるような気がします。四書五経のように具体的に何かを啓示している文章ではないのですが、神話の中に、人々が気づくようなことが織り込まれているような気がします。先月位までは、話すことはほぼ決まっていたのですが、今また、あれもこれもと、おかしくなってきている自分を、可笑しく思います。

古事記は神話にカテゴリーされます。約3000年前の事実より、今につながる真実の部分をお伝え出来ますように、頑張ってみたいと思います。




土曜担当…佐々木秀彦



 8月23日(金)
「手を動かして学ぶ」   金曜担当…佐藤成亮
『ただ聴いているだけでは、何事もおぼえられるものではなく、
どんなことでも自分自身でやろうと努力しないなら、
物事は表面的に、半分ほどもわからない』
(ゲーテとの対話 中巻303ページ)

先日から、『ゲーテとの対話』という本と水木しげる氏のゲーテに対する想いをつづった本をすこしづつ読んでおります。書き方は平易ではありますが、内容に関しては考えるところがあります。

『ただ聴いているだけ』というのは、人ごとのように、自分には関係ないというような感じでの聴き方だと思います。自分に関係ないというとらえ方になると、関心が薄れ、まず覚えようとはしなくなると思います。

さらに、自分自身でやろうと行動に起こさなければ、結局のところ何事も変わっていかないと思います。

臨済宗の開祖の言葉で「随処に主となれば立処(りっしょ)皆真なり」とあります。いつどこにあっても、何ものにも束縛されず、主体性をもって行動することで、いつ如何なるところにおいても、外界の渦に巻き込まれるようなことは無い。とあります。

やはり、ただ聴くのではなく、自分自身でやることを前提に主体性をもって聴いて、そして行動することではじめて理解が深まっていくと思います。

何事にも周りの事象に振り回されないように興味を持ち主体性をもって取り組んで参りたいと思います。


金曜担当…佐藤成亮



 8月18日(日)
「幸福三説」   日曜担当…八木正典

世に福を有せんことを希う人は甚だ多い。しかし福を有する人は少ない。福を得て福を惜しむことを知る人は少ない。福を惜しむことを知っても福を分つ人は少ない。福を分つことを知っても福を植うることを知る人は少ない。けだし、稲を得んとすれば稲を植うるに若くはない。葡萄を得んとすれば葡萄を植うるに若くはない。この道理を以て福を得んとすれば福を植うるに若くはない。しかるに人多くは福を植うるを以て迂闊の事として顧みない傾きがあるのは甚だ遺憾のことである。(努力論)

先日、当塾の冨樫さんから今西会長の書籍、「ネクスト・チャンス」をお借りしたのですが、そこで幸田露伴の努力論の中の幸福三説が紹介されていました。
そこで努力論を読み始めたのですが、視点が新鮮で面白いですね。

どうしたら幸福を招き寄せることが出来るのか、露伴はそれを惜福、分福、植福の3つだといいます。
惜福というのは、幸運なことがあってもそれを全部享受したり取りつくしたりせず、少し残しておくというものです。
次に、分福ですが、いいことがあったら自分だけのものにしないで、他人とその幸運を分かち合うというものです。
そして、植福ですが、自分の持つ力や能力を、社会の進化向上につながるものに注ぐことにより、将来的に社会に役立つものを作り出すことに寄与するというものです。
そして今これほど社会が豊かになっているのは、過去の先人が植福の工夫をし続けたためだというのです。

ある本に書かれていたのですが、リスは手に入れたドングリを将来の自分の食料として地中深くに埋めるが、すぐにどこに埋めたか忘れてしまう。でもそのドングリが芽を出して成長することにより結果として森が広がり、多くの動物のためになっているというのです。

植福をしようと意識して活動することは難しい気がしますが、今の置かれている状況に感謝をしつつ、自分として良かれと思う行動を一つでも増やし、結果として社会にとっていいことにつながるのを祈りながら進みたいと思います。

日曜担当…八木正典



 8月17日(土)
「原典」   土曜担当…佐々木秀彦
古事記は原典がありません。湧くわく本心塾で学ばせていただいたことの中に「原典を確認する」ということがあります。池田先生はこの原典確認のために漢文を深く学習されたお話も伺いました。実際に中村天風の「影印版心身統一哲医学~人生を甦らせる方法~」を読んで、当時のままの文体に触れて、衝撃的に躍動感があったことは記憶に新たらしい出来事です。

9月の潜学講座で「古事記」を取り上げる予定ですが、僕はこの「原典」のない「古事記」だからこそ「自由」なんだと思い、今年の講座に選びました。

「小野篁」という百人一首に選ばれている平安時代の歌人がいます。彼には夜は閻魔大王の横で書記官をしながら、昼間は朝廷の官僚をしていたという伝説があります。すごく興味をもって、小野篁について調べてみた時期がありました。小野篁について書かれた本が3冊程度あるそうですが、どれも不完全なものということでした、その不完全な部分はどうしているのかというと、結果「推測」しているということでした。「空想」している、もしくは「創作」しているという方が正しいかもしれません。

つまり…平安時代のお話のほとんどは、作者の原典から、時代時代で「空想」「創作」を繰り返して現在に伝わっているのが基本だということに気づきました。当時は印刷というと写本です。この段階で写し間違いは頻繁に起こります。まず写し間違いがあることが前提となります。さらに誰かが自分の解釈を入れた本を書きます。これが写本と伝わっている場合も否定できません…

小野篁を勉強して、古典に関しては、「どれだけ自由に読み解くかを楽しむもの」と認識ができました。どれが正しいかなどと言っていることほど野暮な話はありません。そもそも作者直筆の原典が完ぺきな形で残っているなんてことは無いから古典なのです。「原典」が無いのなら、正解はありません。正解がないのなら、確認できる内容から、どれだけ自由に羽を広げられるか…大きく羽を広げれば、広げるほど、高く速く飛翔できるというものです!

古事記に関しましては、江戸時代の国学者「本居宣長」の解釈が「現代古事記」の原典なので、この原典が有難くもあり、逆に羽を広げにくいことにもなっています。当然ながら今回は本居宣長の解釈を原典として講義に臨みますが、その先には太安万侶の「原典古事記」があるので、間違っても「古事記はこうです!」なんて決めつけた話だけはしないようにしたいと思います。



土曜担当…佐々木秀彦



 8月16日(金)
「げげげっ!?」   金曜担当…佐藤成亮
『大事な事は、すぐれた意思を持っているかどうか、そしてそれを成就するだけの技能と忍耐力をもってるかどうかだよ。』
[成功について]ゲーテとの対話 下巻386ページ

エッケルマンという著者が『ゲーテとの対話』という本を書き、日本では和訳された本が岩波文庫から上中下巻と3冊の本が出ています。

その本の中から、ドイツの文豪ゲーテを敬愛する水木しげる氏が珠玉の格言93選を選び解説を加えた本に『ゲゲゲのゲーテ』という本があります。

水木氏によれば、世の中には、運ばかりを期待して、本当の努力をしないで幸せにありつこうという人間が意外と多いと。漫画で言えば、たくさん描くことが大事で、才能と収入はまた別の話。とにかく、絵を描くことを面白がり、熱烈に絵を描くことが好きだったから、貧乏も苦しい生活も我慢できたんじゃないかと。運はかなり努力せにゃ、やってこない。いいことは、向こうからやってくるわけではない、と。


よって、運ばかりを期待せず、本当の努力をして、幸せになること。量をこなせばある一定量から質に変わる、量質転換ではないが、数こなすことは非常に成功へ向けて大事なことだと思います。

自分で努力と言っているうちは本当の努力ではなく、人からがんばってるなと見られて初めて努力してたんだなと気付くのがホンモノだと思います。(幸せはなるものではなく気づくもの、というように努力もするものではなくしてたんだなと振り返って気づくものが努力なのかなと思います。)

自分で、オレがんばってんねんと自分自身をほめて自己肯定感を上げることは良いと思うが、オレがんばってんねんと人にアピールすることはただの頑張り自慢に過ぎないと思う。頑張り自慢は目指すゴールではない。かまってほしい人であれば話しは別だが。

努力を努力と思わずにやれるというものは、好きだけではなく、好きな上で面白がって打ち込める物事だと思う。やっているうち、続けているうちにそれが好きになり、面白くなり、続けていくものが見つかったら最高である。仕事しかり、趣味しかり。

いいことは、向こうからやってくるわけではないので、『見つかる』に『いつか』を基準にしていたら『いつか』という日はおそらく来ない。自分を軸として『見つけていく』姿勢でなければ見つからないと思う。

またいつかのいつかは五日後ではなく、うやむやにした様な言い方にも見える。よって、『いつかという日はなく、今しかないと。』明日という日は、来てしまえば、今日であり、また生きているのは今日の中でもとりわけ今である。明日と言いう日もあるようにみえておそらく来ない。ずっと明日のままである。

本当の努力は、どんな努力なのか。

自分の中では、今のところ、自分自身の中で、がんばってると力が入ったものではなく(力みのない自然体)、好きで面白く取り組んでいけ、気づけば相当な量をこなしていても苦痛ではなく、それなりに結果を残せていけるものであり、あとで気づけば努力していたんだなと気づくものだと思います。

そんなものが自分の中のどれにあたるのか、どれを育てて行けばいいのか、今一度、自分の胸に問いかけてみたいと思います。

金曜担当…佐藤成亮



 8月10日(土)
孝経」   土曜担当…佐々木秀彦
『造化の発展は同時に本源に返ることでなければならぬ。本に返ることを知らぬ発展は散漫である。破滅である。手近な我々の生活を考へてみると、三本がある。天地である、父母である、良心である、我々は始終此れに返ってこそ能く健やかに生長することができる。父母は我々にとって直接の造化である。天地である。我々は本原に返るところに感謝報謝の心が湧く…』(安岡正篤・孝経入門)

性善説を説いた、孟子によりますと、『本心』というのは、「心に本づく」「天に本づく」という意味であり、人格や体力などすべてを含めた「本当の私」という意味だそうです。その「本心」を中心に「湧くわく」と「塾」とを合わせたネーミングを、吉田公平氏は絶賛されていらっしゃいました。ありがたいことだと思います。

吉田浩平氏の陽明学講座に参加して一番感じたことが、「学び」ということに視野が狭くなっていたことです。何かを深く追求するのは素晴らしいことです。しかし深く追求すれば追及するほど、視野がミクロになる危険性はあらかじめ気をつけておきべきことです。僕はそんなに深く追求する方ではないと思ってはいましたが、やはりミクロな視野になっていたなとご教示いただいたような気がしました。

上記は、安岡正篤師の孝経入門の序文の抜粋です。上記本文の「造化の発展」は花をイメージするのがわかり易いです。最後は種に戻らない花なんて、「散漫」「破滅」。日本人は初詣等で神社へ行く機会も多いので、基本的に天地には感謝する習慣が身についています。しかし昨今のご時世で、父母への感謝は昭和期より薄くなっているような気もします。『直接の造化』という表現は、とても斬新に感じてしまう僕自身は父母に感謝報謝が薄いことを実感しない訳にはいきません。

陽明学をしっかり自分のものにするためには、孝経、大学、論語等々、もう一度読み直すことが近道のような気がしまして、今、少し読んでみたりしています。まだ手を出してない『孟子』はこの後、じっくり読んでみたいと思います。


土曜担当…佐々木秀彦



 8月9日(金)
「熱冷めやらぬ。」   金曜担当…佐藤成亮
先日の本心塾主催の吉田公平先生の特別講演におきましては、陽明学を中心に据えた内容で、中国古典や根本的な学びについての話をお聞きでき、自分自身にとても刺激となり気づきを多く頂けました。

気づいたことや気になった面を振り返りますと、

・もともとは人は満ち足りている状態で生まれてきた。

・私にとって私の人生が大事である。

・自分で自分を見限らない。

・土曜日に新聞を買うのがオススメ
(書評欄があるから)

情報はあくまでも情報だけ。生かすのは人間。生かす人間が『考えて求め』なければ情報自体は
何も教えてくれない。


・ただ学ぶだけではなく、『学んで問う』ことが大事。学んで決断をするのではなく、一旦、ペンディング
状態において、本当にこれでいいのかと問い直し決断をする。

・人生老いてこそ楽しい。年をとっていく自分に寄り添うこと(アンチエイジングどころではない)若いというのは未熟であり、年をとるということは成熟して豊かになることである。

生涯とは生の崖っぷちのこと。生きているのは今。
生の果て。今がまさに生涯である。

『よく生きる』違う考えの人の話をきく。お互いの自由を尊重する。学びながらともに生きることが楽しいんだ(刺激しあえる仲間をみつけること。)

講義中の吉田先生は、終始穏やかであり、優しい語りで、学ぶということの楽しさがひしひしと伝わってきました。

「学び」は、よりよく生きる、より心豊かに生きていくために必要であり、この世に頂いた生を楽しむ上で、生涯求め続けていくものなのだなと思いました。

また、本心塾という学びの場で同志と学びを深め、交游を慎む機会を頂け、非常にありがたいことであるとあらためて思いました。

引き続き、学び成長して参りたいと思います。

金曜担当…佐藤成亮



 8月5日(月)
「陽明学講座」に参加して   月曜担当…池田光

久しぶりにブログをアップします。
8月3日に開催された、「吉田公平先生 特別講演「陽明学講義」に参加しました。
この講義は、八木さんをはじめとする新執行部の尽力によって実現したもので、
私にとってはまたとない機会となりました。
執行部のみなさまに、深く感謝申し上げます。

以前、私は、吉田先生の『伝習録』(たちばな文庫)を読んだとき、解説の次の言葉に驚いたことがあります。

「『伝習録』を平心に読むかぎり、そこで王陽明が、伝統的な術語・構造を用いながら、くりかえしのべているのは、ただ一つのことである。
性善説、つまり人間の本質は本来完全であるから根源的に悪からすでに救われているという確信に根ざした、自力による自己実現・自己救済にほかならない」(吉田公平『伝習録』たちばな文庫の解説より)

この言葉は、私の心に刺さりました。
・平心に読むということ。
・性善説=人間の本質は本来完全であるから根源的に悪からすでに救われているという確信。
・王陽明が述べたことは、性善説という確信に根差した、自力による自己実現・自己救済にほかならない。

今回の講義でも吉田先生は、自身の『洗心洞剳記』にふれて、「平心に読めば……」という言い方をされました。
「平心に読む」というのが、先生の読み方の核心なのでしょう。

「王陽明が述べたことは、性善説という確信に根差した、自力による自己実現・自己救済にほかならない」
という言葉は、中村天風に通じます。

「中村天風が述べたことは、性善説という確信に根差した、自力による自己実現・自己救済にほかならない」
と置き換えても、おおきな間違いはありません。

また、今回の講座で、「第一義」という言葉が出てきました。
この用語は、中村天風がよく用いたものでもあります。

……講義では、じつに多くのことを感じました。が、それは、個人的に深めていく素材にしたいと思います。

ところで、8月4日夕刻に宮城県などに地震が発生しました。
吉田先生は宮城県にお住まいで、震度を調べましたら、先生が住んでおられる市では震度4ということでした。
お見舞い申し上げます。

私の近況については、いずれブログにあげさせていただきたく思います。

月曜担当…池田光



 8月4日(日)
「陽明学特別講演」   日曜担当…八木正典

昨日本心塾主催の吉田公平先生特別講演に参加してきました。
日本の陽明学研究に関する第一人者でもある吉田先生にお会いして直接教えを請いたいと考えて失礼を承知で手紙を書かせていただいてから2年超、また今年の初詣で代表幹事の佐々木さんに先生の特別講演を行いたいと相談して8カ月。願っていた吉田先生の講演を実現することが出来ました。

講演の内容はとても素晴らしいものでした。
陽明学の中心思想である心即理や知行合一、致良知の解説はすっと頭の中に入ってきて、これまでの自身の理解がいかに誤っているのかに気づきました。早速伝習録を読み直してみたいと思います
また、王陽明の悟りである「吾が性、自ら足れり」については、人間は本来完全で、私は私のままでいいのだという、自ら信じ自力主義で生きることの重要性を語っていただき、その思想の熱量の高さを感じることが出来ました。

本心塾執行部の皆様や関西師友協会の方々に多大なご協力をいただくことにより、希望していた本講演を開催することが出来て感謝の気持ちでいっぱいです。
ご協力いただいた皆さま、本当にありがとうございました。

また、講演を行わせていただくにあたり、多くの方とご縁をいただけたことは非常に有難いです。
吉田先生の話でもありましたがあらゆる場面が自分の成長につながると考えて仲間との学びを大切にしつつ、陽明学への理解を深めるとともに自身を高めていきたいと感じております。


日曜担当…八木正典



 8月3日(土)
玄徳」   土曜担当…佐々木秀彦
『われわれの徳には種々の相があるが、その一つに意識というものがある。われわれの意識される分野は極く少しで、例えば光といっても赤・橙・黄・緑・青・藍・紫の七閾しか受け取れない。然し光そのものは無限である。われわれのこの意識の世界が所詮明徳でありますが、その根底には自覚されない無限の分野がある。老子はこれを玄徳といっている。』(安岡正篤・政教の原理・大学新講)

人間には必ず親が2人います。これは育ての親を含めない、純粋に生物としての父母という意味です。2代遡って祖父祖母は4人、これが20代遡ると100万人を超えて、30代遡ると10億人を超えるそうです。30代、各世代を仮に20年として600年、25年だとしても750年。もし鎌倉時代のある日にポンといければ、その世界には約1万人のご先祖様が暮らしていらっしゃるということです。

たかが30代遡っただけでも、10億人分の遺伝子情報がわれわれの身体には活きているといことです。光に例えて虹の七色しか受け取れないというのは、さすが安岡正篤師、素敵な表現ですが、受け取れない無限の光と同じくらい、受け取れない無限の遺伝子情報がわれわれの中に眠っているというのは凄い話ですが、かなり納得できる話でもあります。

通常使う「無意識」という意味の「無」の世界、儒教では「無・虚」を使うと違う意味と誤解をまねきやすいので、道家では「玄」という字を遣うそうです。

僕らが「明徳」と呼んでいるのは所詮この虹の七色のような、意識できる世界の話です。そして、意識できない「玄」を含むんで「明明徳」ということになるというお話です。

無意識・幻想・妄想・幻影・直感・閃き…こういうのは10億人分(しつこいですが30台限定で本当は無限大のご先祖様の数)の遺伝子情報の導きだとすると、「なんとなく」という根拠には深い深い意味が隠れていると考えるべきことなのだと、あらためて思います。

玄徳を含んだ『明明徳』。陽明学はやはり凄いです。


土曜担当…佐々木秀彦



 7月28日(日)
良知」   日曜担当…八木正典

先生曰く、人孰(たれ)か根なからん。良知は即ち是れ天の植えたる霊なる根にして、自ら生生して息まず。但だ私の累(わずら)いに着了して、この根を把りて戕賊蔽塞(しょうぞくへいそく)せば、発生するを得ざるのみと。(伝習録 下)


「良知」という言葉は、孟子の尽心章句上にある「人の学ばずして能くする所の者は、其の良能なり。慮らずして知る所の者は其の良知なり。」から出てきているものだと言われます。
王陽明は、良知は人間が誰でも持って生まれたものであり、「私欲」に隠されている良知を発現することが出来れば聖人になることが出来ると説いています。
良知を発揮すること即ち「致良知」が陽明学の中心思想となのです。

日本精神に脈々と流れる思想の一つに中国明時代に王陽明が唱えたこの陽明学があると考えられています。中江藤樹を祖とし、熊沢蕃山、佐藤一斎、山田方谷、西郷隆盛、そして安岡正篤といった陽明学者を通じ多くの日本人に影響を与え続けてきたのです。

もっと陽明学を学びたいと感じていたところ多くの方のお力添えやご縁をいただいて、現在の陽明学の第一者である吉田公平先生に本塾主催の特別講演として講演をいただけることになりました。
吉田先生がこれまでの陽明学研究の中でどのように陽明学の思想をとらえ、それを実践生活の中に取り入れ活用してきたのかを学ぶことで、自身の今後の学びの目標とするものを見つけ出せれば有難いと感じております



日曜担当…八木正典


 7月27日(土)
期待」   土曜担当…佐々木秀彦
『自分が居るその場を照らす。これは絶対に必要なことで、また出来ることだ。真実なことだ。片隅を照らす!この一燈が萬燈になると「萬燈遍照」になる。こういう同士が、十万、百万となれば、優に日本の環境もかわりましょう』(安岡正篤)

「一燈照隅・萬燈照國」は湧くわく本心塾の指針でもあります。元々は最澄の「山家学生式」に出てくる言葉ということです。

一隅を照らす人は国の宝だと、中国古典にはあるそうですが、現代中国にそういう考え方は継承されているようには思えません。また韓国も日本と同様で儒教に強い影響を受けた国家としてカテゴリーされますが、僕が学んでいる大きな意味の儒教とは全く違うもののように最近は感じます。

「陽明学」と小さな括りにすると難しくなりますが、日本の道徳は、四書五経であり、仏教であり、儒教であり、神道であり、、、さらには、キリスト教も秀吉がわざわざ禁止する必要があったくらいは、当時すでに入ってきていたと解釈しても良いかと思います。

何でも、どんなことでも、受け入れて、自分のものとして消化・吸収する能力は、日本人の最大の優良な感性だと僕は思います。

学校の勉強がそうであったように…いくら勉強しても、覚えられないことは覚えられません。人間というものは、嫌いなことを自分自身に取り入れるなんてことは、本能的に出来ないようになっているのだと思います。だから、なんでも安心してかじってみて、美味しいなら食べれば良いし、苦ければ吐き出せばよいのでしょう…

僕は武士道の原点は陽明学だと思っていますが、これも来年は違うことを言っているのかもしれません。今現在は、水戸学が現代にも伝わる武士道の源流のように感じていますが、ここは興味のある部分なので、これから勉強をすすめていくと、全く違うことを発見する可能性は多分にあります。そういう意味でも、来週の陽明学講座で、吉田先生がどんなお話をされるのか…興味津々です。


土曜担当…佐々木秀彦



 7月26日(金)
「伝習録」   金曜担当…佐藤成亮
 
【伝習録』は中国の明時代の学術思想界に新風を巻き起こした王陽明の語録であり、王陽明の思想を最も鮮明に伝える書物である。体験から生まれた「知行合一」「致良知」「心即理」など大いなる道が生き生きと語られ、陽明の息吹と魅力に満ち溢れ、現代に活きる珠玉の古典であります。】

8/3(土)の夏期特別講座である陽明学講義を間近に控え、自身の中でも吉田先生の著書にふれさせて頂いた上で、参加させて頂きたいと思っております。

そんな折に、吉田先生の著書である、タチバナ教養文庫「伝習録」を手に入れることができ、読み進めさせて頂いております。

明治維新においても根幹となった思想であり、日本人の行動哲学ともなっている考え方で、取り入れ方によっては毒にも薬にもなる思想であると思っております。

どういった取り入れ方をしていくのが一番よいのかとても気になるところです。

常日頃の学びを実践し、活学していくために、陽明学を契機として、学び深めて参りたいと思います。


金曜担当…佐藤成亮



 7月21日(日)
徳を積む」   日曜担当…八木正典

百日の稽古を鍛と云い
万日の稽古を錬と云う
我れ事において後悔せず(宮本武蔵)



先日の潜学講座の際に、本塾の今西会長が書かれた「ネクストチャンス」をお借りしました。
今西会長がご自身の生き様や思想をわかりやすく語っておられます。
自分にロマンと志を掲げ、いかに人との出会いと縁を大事にして、徳を積むことに心を配ってきたかがよく分かります。

その中で、徳について次のように説明されています。

徳というのは、オブラートみたいなものである。
なめればすぐ溶けてしまい、吹けば飛ぶようなものである。
だが三枚ぐらい重ねれば、簡単には溶けないし、それが十枚、二十枚と重ねると、相当に丈夫になる。このように、徳を積むとは、薄いものを何枚も重ねて少しずつ丈夫に強くしていくような行為ではないかと思う。

今西会長のにじみ出る雰囲気は、徳を積むことを日々続けられたことから出てきているのでしょう。
本に記されている多くのヒントを自分自身の行動の中に取り入れて続けていきたいと思っております。


日曜担当…八木正典



 7月20日(土)
愛敬」   土曜担当…佐々木秀彦
  五事を正す
・貌…顔つき
 愛敬の心をこめてやさしく和かな顔つきで人と接しましょう
・言…言葉遣い
 相手に気持ちよく受け入れられるような話し方をしましょう
・視…まなざし
 愛敬の心をこめて暖かく人を見、物を見るようにしましょう
・聴…よく聞く
 話す人の気持ちに立って
(近江聖人中江藤樹の教え)


日本の陽明学の祖と呼ばれる中江藤樹の五事を正すです。
他者と接する時の心構えを、端的に、しかも全てを網羅した見事な言葉です。

人は第一印象で、その人の判断を決めてしまうという話もあります。第一に自身の容貌それも表情をしっかり意識してから人に会うのは、わかっていてもついつい自分の感情が勝ってしまうことは往々にあります、気をつけたいものです。

人の喧嘩は、言った、言わないの行き違いがそもそもの発端の場合が多いです。「言った」と「伝えた」とは違います、さらに正しく伝わったかどうかは、伝言ゲームという遊びがありますが、10人ぐらいいれば、最初の言葉と全然違う言葉になっているのは常です。相手が気持ちよく受け入れるように話すことは、現代人が最も気をつけなければいけないことかもしれません。

眼は口ほどにモノを言うという格言もあります。「まなざし」に「愛敬の心」を込める。これも強く意識しなければできないことです。

話を聞くのは、相手の気持ちに立って聞く。ここが最も大切なことだと感じます。

愛敬の心で相手を理解する。この理解ができれば、どんなことも一緒に話し合って、解決に進むことができるでしょう。

機会あるごとに何度も目にする言葉ですが、改めて確認する度に、また新たな発見があるのが、先哲の教えの素晴らしいところです。この「五事を正す」を「事上磨煉」することで、「心太虚に帰す」境地が見えてくるのかもしれません。これをあえて一言に要約すると「敬天愛人」に行着くように今は思っています。


土曜担当…佐々木秀彦



 7月19日(金)
「すいみん」   金曜担当…佐藤成亮
 
人間は寝ることによって かなりの病が治る。
私は”睡眠力”によって 傷とか病気をひそかに治し
今日まで”無病”である。私は”睡眠力”は
”幸福力”ではないか、と思っている。
水木しげる


1886年のシカゴのメーデーでは、約35万人が「8時間労働」を要求してストライキに突入。1日14時間労働が
当たり前の時代に、「第1の8時間は仕事のために、第2の8時間は休息のために、そして残りの8時間は、
自分たちの好きなことのために」を目標に行われた。

その名残で生産性の高い8時間労働制が今に至ると思われます。

8時間仕事して、あれやって、これやってと好きなことのために時間を使っていたら、気づいたらもう寝る時間となっている毎日。もう少し、好きなことやって、とないがしろに削られがちなのが睡眠だと思います。

人生をマラソンとして、短距離走ではないので、健康であってこそ、仕事も学びもいきてくると思います。
そのためにはしっかりと健康に気遣っておかねばならないと思います。病気になってから病院に行って治すのではなくて、病気にならない体づくりを意識してつくっていくことが大事だと思います。

人生のマラソンも自身の健康に気遣って走っていたら、いつのまにか一緒に走っていた仲間が健康を崩して途中棄権していくケースを今までに何度か見てきました。出世競争よりも、自身の健康管理を意識した自身との競争だと思います。修身競争とでもいうのか。

睡眠時間は、余暇の娯楽の種類の多さや情報化社会の影響で気づいて律していかねば、惰性ではどんどん振り回され、どんどん削られて、翌日意識が不明瞭な事態にもなりかねません。不明瞭な状態で、思考能力が低下
している状態では、考えることもままならないので余計に振り回されかねません。

今一度、身体が資本といわれるように健康を維持、向上していくべく、睡眠時間を振り返り確保していきたいと思います。


金曜担当…佐藤成亮



 7月14日(日)
消化」   日曜担当…八木正典

凡そ飲食は、只是れ我が身を養うことを要す。食べ了(お)われば、消化せんことを要す。若し徒らに蓄積して肚裏に在れば、便ち痞(ひ)を成せり。如何ぞ肌膚を長じ得ん。後世の学者は、博聞多識、胸中に留滞す。皆食を傷なうの病なり。(伝習録)


王陽明の言葉です。
飲食は体を養うためにあるのだから、食べたらそれを消化する必要がある。消化できないほど食べることは、体を壊すもととなる。博聞多識も同じで、知識をため込むことだけに意識が行きそれが目的となってしまうと、せっかくの知識が実践に活かされず、かえって消化不良をおこしてしまうことになるというのです。

先日池田名誉塾長から教えていただいた渋沢栄一も、道理に関して、「道理とは人間の踏み行うべき筋道」と説明し、道理を識別する際には、平素の心掛けを善良にし、博く学んで事の是非を知り、七情の発動に対して一方に偏せぬように努めることが一番大切であろうといわれております。
そして「智情意」の三者のバランスをとることが大事であり、智の力が勝ちすぎることについて注意をするよう述べておられます。

多くの人に教えていただいたことや過去の聖典から学んだことが学んだだけになっていないか、単なる知の蓄積のみになっていないか、きちんと消化できているのかを振り返りながら、実践を意識して前進していきたいと思っております。


日曜担当…八木正典



 7月13日(土)
時間」   土曜担当…佐々木秀彦
  『気づく』『気づき』というような言葉は、勉強会で頻繁に用いられますが、けっこう都合よく遣われているような気がします。しかし、第2回の潜学講座はそういう意味で凄かったと感じます。

廣瀬先生の講座で「楽しむ」時間の遣い方を体験しました。たかがお茶です。されどお茶なのです。茶葉を栽培する歴史、発見、開発、そして実際に栽培する環境を意識にしっかり捉えて、茶器、お湯の温度、お茶を味わう空間を計算し、香りを味わう…『香り』は匂いです、つまり空間を味わう、これは中村天風師の言葉を借りると、『宇宙霊』つまり神を感じる作業だと思いました。千利休が『茶道』として今に伝えておりますが、潜学講座で『茶道』というものの片鱗を体感させていただいたことは凄いと思いました。それも『茶道』というキーワードが一切無く、原点を真っ直ぐ伝えることで、僕達にそう感じさせる見事な計算された空間を創造された、廣瀬先生には感謝いたします。

次に池田名誉塾長は渋沢栄一の掛け軸をかけられました。『人を助けることも読書も、時間が出来てからなんて言っている人は結局できない』物事を何かする前に、「時間」なんて概念は不要である、とっととやれ!…ということでしょう。

僕の最大の弱点なのかもしれません、時間に関する考え方。多くの人も同様で、僕もいつの間にか影響されていただけなのかもしれませんが、とにかく、この「時間」に関しての僕の概念だけは、今すぐぶっ潰さないといけないと強く感じました。池田先生には常に「絶対積極」という言葉を僕らに提示していただいております。

時間の概念をしっかりもたなければいけません。出会ったこと、すべてに歴史、状況、多くの人の開発、叡智が組み込まれて、今僕らの前に現れます。僕らはその上にどう積み重ねるかの作業です。今日の24時間は、宇宙開闢以来積み上げてきた時間のさらなる上の24時間なのです、僕だけの24時間と考えると経過するだけの24時間ですが、それは絶対に違うのです。そこをしっかり意識して、僕も人類の責務として積み上げていく24時間を過ごす意識だけは持たなきゃいけないかと思います。

今、僕は時間の概念、仕事の概念を、矯正すべき時期なのだと強く思いました。これを「気づき」と表現するのかどうかは知りませんが、時間の概念に関しては、すぐに色々始めてみています。湧くわく本心塾にはいつも感謝の気持ちでいっぱいです。


土曜担当…佐々木秀彦


 7月12日(金)
「立ち止まる」   金曜担当…佐藤成亮
 
たとえ、世界が全体として、いくら進歩したところで、若者は、やはりいつの時代にも
、最初の地点から出発し、個人として世界文化の進化の過程を順を追って経験していく以外にないのだ「ゲーテとの対話」


世界がいくら進歩したところで、個人としては、最初の地点からスタートするわけであって、世界がどう進化してきたか古典に触れて過去を振り返り世界を再解釈するところから始めないと未来はないと。

いかに情報化社会と言えども、スピードに振り回されるのではなく、立ち止まること。
立ち止まって、答えを出すのではなく考え続けること。

日々学び、知識だけの頭でっかちにはならずに、立ち止まって考え、思考を整理し
実践に基づいた学びや考えを行ってまいりたいと思います。

金曜担当…佐藤成亮



 7月7日(日)
潜学講座」   日曜担当…八木正典

7月の潜学講座に参加してきました。
今回は、廣瀬先生の「台湾烏龍茶を楽しむ」と池田名誉塾長の「『渋沢栄一』閑話」の豪華2本立ての講義でした。

まず、廣瀬先生の台湾烏龍茶の講義ですが、茶葉や茶器の特徴を説明いただきながら、茶葉の香りを楽しんだ上で、実際にお茶を味わうという、五感をフル活用して烏龍茶を堪能できる講義でした。
爽やかな白毫銀針(はくごうぎんしん)からスタートして、甘くやさしい味わいの阿里山金萱茶(ありさんきんせんちゃ)、そして貴重な茶葉を用いて作られたうまみの深い香檳烏龍茶(しゃんぴんうーろんちゃ)と3種類のお茶をいただきます。
茶器もそれぞれの特性に合わせた蓋碗や紫砂の茶器を準備してもらい、歴史ある大阪倶楽部で非常に贅沢な時間を体感することが出来ました。

池田名誉塾長は、3ヵ月ぶりの講義で、渋沢栄一についてお話をいただきました。
相変わらずの切れ味抜群の切り口で、渋沢栄一の人となりや活躍ぶりが非常によくわかるように解説いただきました。
渋沢栄一の指導精神を①道徳経済合一(道義に合致した企業経営)、②合本主義(株式会社制度)、③官尊民卑の打破(民主主義)と分析したり、偉い人の見るポイントを高さ(偉業軸)、深さ(超越軸)、広さ(志向軸)で整理づけたりすることは池田名誉塾長ならではの切り口で、すっと理解できるような見方を与えていただきました。
渋沢栄一について更に学びを深めたいと感じさせられる講義でした。


潜学講座の講義で自分では気づきえないヒントを多く与えていただけるのは本当に有難いことです。
また、池田名誉塾長が本心塾の強みは互師互弟の精神だと話されていましたが、主体的に講座に関与することによりこれまで全く知識のない多くのことが学べるのは素晴らしいことです。
引き続きご縁を大事にしながら新たな学びを深めていきたいと思っています。



日曜担当…八木正典



 7月6日(土)
論語」   土曜担当…佐々木秀彦
 
『子曰はく、学びて時に之を習ふ、亦た説ばしからずや。朋有り、遠方より来たる、亦楽しからずや。人知らずして慍らず、亦君子ならずや。』(論語・学而第一)

論語は孔子が書いたものではなく、孔子の没後に弟子たちが書いたものです。この「弟子達」が寄ってたかって書いたので論語には間違いが少ないのではないと平澤興さんは書いてらっしゃいます。上記引用は有名な論語の冒頭の一文です。これが冒頭に書かれていることには意味があるということです。

学びて時に之を習う…
基本は自習なのでしょう、「学ぶ」は座学で本を読んだりするだけの意味とは思えません。当然日常の人との関わり、森羅万象、日常業務、あらゆることから「学ぶ」のであろうと思います。そして「時に之を習う」。やはり師に解説や受け止め方を教示いただくことで、自身だけではどうしても狭くなる視野を拡げることこそ大切です。

朋有り遠方より来たる…
この部分は今でもよくこのまま慣用句のように用いられることが多い言葉です。遠方に住んでいるということは、自身の生活環境と全く違う暮らしをしてる友ということだと思います。異業種交流会という名目の勉強会や懇親会によくお誘いいただくことがある現況を踏まえると、孔子は紀元前500年ぐらいの人なので、異業種交流会は紀元前500年ぐらいの頃から流行っていたのかもしれません。

人知らずして慍らず…
人が自分の存在を認めていなくても、怨むことなく自ら為すべきことを努めてやまない人。
ここにいきなりこの文言が来てることに深さを感じます。「説しい、楽しい、君子」の並び…論語らしいと言えばそこで完結しますが、個人の嬉しい感情2つの後、急に達人の域です、それも冒頭からです、ここは完全に哲学ですね…

最近やっと、日常様々な場面で「学び」の意識を持ちながら、取り組める場面も出て来ました。だからこそ余計に、月一回の湧くわく本心塾の講座が「習う」希少な機会で、生活のリズムにもなっていることに気づきます。

「学んで習ってがんばって、異業種の仲間とも交流して志をドンドン高めていることを、人に気づかれないように、寡黙にコツコツやりつづける…ここが大事なんだよ!」
そんな感じに今は解釈しております。

土曜担当…佐々木秀彦


 7月5日(金)
「論語と算盤」   金曜担当…佐藤成亮
 
先週に続き、論語と算盤を味読しておりまして、
気付きや学びがいろいろとある本だと思いました。

効果があるという人格を養成するにあたって、
「仁」という物事を健やかにはぐくむ最高の道徳を身につけるためには、

①「忠」良心的であること
②「信」信頼されること
③「孝弟」親、年長者を敬うこと

が大事であると、孔子は常に言ってこられました。

人格とは、
①独立した個人としてのその人の人間性。その人固有の、人間としてのありかた。
②すぐれた人間性。また、人間性がすぐれていること。

人間性とは、
人間特有の本性。人間として生まれつきそなえている性質。人間らしさ。
とあります。

現代の社会は、利益重視の物事で考え自分が自分がと
考えの中心が自分中心で盲目的になりがちだと思います。
見方を変えたら利益重視ということに振り回されていると思います。
常に心ここにあらずと言った感じでしょうか。

人格を養成する→すぐれた人間性を養成する→すぐれた人間として生まれつき
備えている性質を養成する。

よって、最高の道徳を身につけるためには、生まれつき持っている性質を
養成していくことだと思います。そうするためにはどうするか?といった場合に、
「仁」という最高の道徳を身につけるべく忠、信、孝弟に基づいた行動
をとっていくことだと思います。

心ここにあらずの状態であれば、養成していくというよりも、生まれつき持っている性質
にあらためて気づいて行動していくことなのかとも思いました。

この孔子が常に言ってこられたことを頭において、日常生活の中でテーマとして行動に取り入れて
いきたいと思います。


金曜担当…佐藤成亮



 6月30日(日)
」   日曜担当…八木正典

JR九州の会長であり、JR九州の経営悪化を立て直した唐池氏は、その書籍の中で「氣」の大事さを述べておられます。

「氣」に満ちあふれた人は、勝利を手にすることができる。
「氣」に満ちあふれた職場は、元気になる。
「氣」に満ちあふれたお店は、繁盛する。
「氣」に満ちあふれた組織は、組織の中に活力がみなぎる。

ここで、気ではなく、氣であることが大事で、「米」の部分は八方に広がることを示していると述べておられます。

興味深い話だと思いながら気に留めていたところ、本心塾の小林代表幹事から以前いただいた神拜詞の大祓詞を唱えておりましたらこの中にもありました。
大祓詞の後半に氣吹度主という神が出てくるのです。
祓戸4神の一つで、強い風(氣吹き・いぶき)を起こして罪穢れを根の國底の國という暗闇の世界に吹き放ち罪穢れを払ってくれる神なのです。

日本人の根底に流れる「氣」の考えに触れたような有難い気分です。
普段の活動や朋友の交わりの中で、少しでも「氣」の広がりをイメージしていきたいと感じております。

日曜担当…八木正典



 6月29日(土)
個性」   土曜担当…佐々木秀彦
 
『日本民族の特性の良いところは、何といっても「純」であること。言い換えれば「生」であることである。だから、日本民族は生を尊ぶ。それゆえに、光明・清潔・靜謐・明るさ、清さ、静けさを重んじる。これが神道の大眼目であり、日本民族の本質・個性をなしている』(安岡正篤・三国志と人間学)

G20で大規模な規制が敷かれている大阪市内です。お蔭で僕の家にも静かな環境となって、普段どれだけ喧噪の中で暮らしているのかを身に染みて理解したという良い事がありました。

安岡正篤師も日本人の特性として、「静謐」を重んじると説いていらっしゃいます。今回のG20開催で、僕は警察官の気概というものを強く感じております。まさに光明・清潔・静謐の立ち居振る舞いで、警備という任務を黙々と遂行している多くの警察官の方々を、街中いたるところで目の当たりにしまして、日本の凄さを感じております。

車は規制されている道路で、歩行者は通行できました。要人の車列が入ってくるということで、横断を規制されて待ちました。しばらく待っても車列が来る気配がないので、横断を一時解除してくれました。その時、メガホンで「ご協力ありがとうございました」「お急ぎのところ申し訳ありませんでした」という言葉が複数の警察官から幾度か発せられました。毅然と任務を遂行されている姿はやはり凛々しく映りました。

最近、「我がままな立ち居振る舞い」を「個性」と表現する風潮になっているように感じます。各個人々々の個性を大切にしなければいけないと僕も当然そう思います。それでは大切な「個性」とは何ぞやというと、各個人々々の「美しい特性」みたいなモノを指して遣う言葉なのではないかと、安岡正篤師の文章で、初めて気づいたしだいです。

G20は僕にとっても、有意義で成果のあったイベントになったようです。


土曜担当…佐々木秀彦



 6月28日(金)
「論語と算盤」   金曜担当…佐藤成亮
 
今年は、四書五経のひとつである論語を中心に中国古典を読み進めております。そして、論語をテーマとした渋沢栄一氏の『論語と算盤』の守屋淳氏の現代語訳版を読み進めておりますが、論語の背景を少し学んだうえで読むと、こんなにも面白く気づきの多い読みものであったと気づかされました。

その本の「争いはよいのか、悪いのか」という見出しの中に孟子の「敵国や外患がないと、国は必ず滅んでしまう」とあり、健全な発達を遂げていくためにはこれに勝っていく意気込みや気概がなくては成長も進歩もないとありました。

ここで、自身を成長させていくためには、適度な緊張感、ストレスをもち打ち勝とうとする姿勢を持つことが大事だと改めて思いました。

日頃のストレスも自身を成長させていくための自動的にお尻を叩いてくれる装置だと前向きにとらえて打ち勝って参りたいと思います。

金曜担当…佐藤成亮



 6月23日(日)
世界平和」   日曜担当…八木正典

「世界平和のために私たちはどんなことをしたらよいですか?」
「家に帰って家族を大切にしてあげてください。」

1979年にノーベル平和賞受賞後のインタビューで質問を受けた時に、マザーテレサはそのように答えました。

家に帰って家族を大切にする。
これは何か同じようなものがあったなと思っていたら、「大学」でした。

古えの明徳を天下に明らかにせんと欲するものは先ずその国を治む。
その国を治めんと欲するものは先ずその家を斉う。
その家を斉えんと欲するものは先ずその身を修む。

聖人が自分の理想を突き詰めた結果、見える世界は同じなのかもしれません。
高い理想の実現に悩むのなら、まずはおろそかにしがちな足元の、最も身近なところを大事にすることを意識してみたいと感じた瞬間でした。

日曜担当…八木正典



 6月22日(土)
継続」   土曜担当…佐々木秀彦
 
『心に力ありといへども、養はざれば日に滅ぶ。心に靈ありといへども、磨かざれば日に昏む』(中村春二・心力歌)

冨樫師長がオンラインサロンを主宰されています。さらにその中で「100日ブログの会」という会を発足されて、僕も運良くそのメンバー171人の中の1人として参加することができました。(新規メンバーの受付はすでに終了しています)ブログを書きたくても続かないという人が続けられるように、みんなでがんばろうというコンセプトです。初心者またはそれに近い方が対象に結成された会です。

とにかく100日やってみる…この言葉は今西最高顧問から水垢離を勧められた時に言われた言葉です。おそらく僕と同様に冨樫さんも今西最高顧問の100日という言葉でその気になって水垢離を始められたのではないかなと推測します。水垢離を30日くらい継続した頃、今西最高顧問は100日という約束を、しれっと1000日と言い換えました。まるで最初から1000日を僕が約束したかのように、とりあえず1000日頑張ったら何かを掴めると、約束は100日だったと絶対に言い返せないようにコントロールされたお蔭で、気がつけば現在1500日以上継続できております。

冨樫さんもおそらくこのブログ100日継続という会の約束をどこかの段階で、1000日に変えてしまうのだろうなと僕は予想しています。まず間違いないと断言します。

今日現在6日目継続中ですが、これが面白いです。イベントは参加しなければ意味がないと常々言葉にはしておりますが、171人のパワーって凄いです。インターネットの世界の場合、心が合わさると、響鳴度が実世界以上に綿密になるような感覚を味わっています。この拡がりは無限大と感じます。まだまだ所詮1週間なのでこの感覚はぼんやりふわふわしてるのですが、100日経過した頃もっとしっかり見えてくるものなんだろうと楽しみにしています。

池田名誉塾長から読書、今西最高顧問から水垢離、冨樫師長からブログ、この塾をきっかけに始めたことがどんどんライフワークなり、自分の血と成り、肉と成る、そんなキッカケを常に与えていただける「湧くわく本心塾」には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。


土曜担当…佐々木秀彦


 6月21日(金)
「重職心得箇条」   金曜担当…佐藤成亮
 
最近、『安岡正篤氏の佐藤一斎「重職心得箇条」を読む』
を読む機会(ご縁)があり、また、周りでも結構読んでいる方が増えてきました。
以降、毎日繰り返し一条づつ読むように心がけております。
読む際には極力、実際の現実ではどのように置き換えられるか
と考えながらゆっくりと理解を深めながら読み進めております。

『重職心得箇条(じゅうしょくこころえかじょう)とは、
幕末の天保・弘化の頃、幕府教学の大宗であった佐藤一斎が、
その出身地である岩村藩の為に作った重役の心構えを書き記
したものであり、聖徳太子の十七条憲法に擬して十七箇条に
説かれてある。』(wikipedia参照)

先日、お聞きしたのが、『言志四録』の4書である、
・言志録:全246条
・言志後録:全255条
・言志晩録:全292条
・言志耋(てつ)録:全340条 
合計1133条からの至極の17条が重職心得箇条であるという話。

内容としては、難しいことを書いているわけではなく、
重職者としての心構えの核心を突いた心得が書かれております。

別に私が重役というわけではありませんが、いつでも重役に
成れるように、また重役の視点をもち合わせて物事に
取り組むと先を見据えた視点で取り組め、次第に素養も備わってくるのでは
という試みでもあります。

第八条:『重職たるもの、勤向繁多と云う口上は恥べき事なり。・・・』
→仕事が忙しいと言うことを恥じなさい とあります。

忙しいということは重職としては言ってはならないことです。
というのは、『心に有余あるに非れば、大事に心付かぬもの也』とあり、
こころに余裕がないと、小さな物事に心を奪われて
大事に(大問題に)気付かなくなってしまうとのことです。

確かにこころに余裕をもって物事に対峙する大事なことだと思います。
忙しいと本領が発揮される、自身が試されていると感じ力が出る、いう見方もありますが、
忙しい時こそ、こころに余裕をもってものごとに取り組めるようにしたいと思います。
余裕をもつことで、忙しい自分から一歩離れた自分というものが俯瞰して見え、
忙しいながらも気づきが得られるのだろうと思います。忙しい時こそが、たくさんの経験を
得られる大きなチャンスなので、繁多に振り回されることなく繁多から気づきを得て経験に
変えていきたいと思います。

こういった形で十七条の記載があり、難しい内容ではなく、読んでいて
やっぱりこういう事が大事なんだとあらためて気づかされることが多々あります。

学ぶということは当たり前を改めて気付いていく事だと思います。

重職心得箇条を繰り返し読むことで自身の中に言葉を浸透させて、
考える指針、行動する指針として自身からにじみ出てくるようにしていきたいと思います。

金曜担当…佐藤成亮


 6月16日(日)
時間の感覚」   日曜担当…八木正典
 
ジャネーの法則をご存知でしょうか。
ある本を読んでいて出会ったのですが、年を取るほど時間の経過が早く感じられることを説明した法則なのです。

19世紀にフランスの哲学者であるポール・アレクサンドル・ジャネは、主観的に記憶される年月の長さは年少者にはより長く、年長者にはより短く評価されるという現象を説明しました。それは、生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢の逆数に比例するという法則です。
その法則だと、10才子供の1年は1才の子供が感じる10分の1であり、30才の1年は30分の1、50才の1年は50分の1と時間の感覚が短くなっていくのです。
ジャネーの法則にしたがった感覚年齢では100歳の折り返しは何と20才。驚きです。

「少年老い易く、学成り難し。一寸の光陰軽んずべからず。」

これから時間の感覚がどんどん短くなっていく中で、いかに新しい経験にチャレンジしていくのか、自分の好きなことを突き詰めるのか、そして一瞬一瞬を大切にしていくかを考えつつ日々の工夫をしていきたいと思います。

日曜担当…八木正典



 6月15日(土)
心像」   土曜担当…佐々木秀彦
 
『日本の戦前・戦中・戦後を通じて代表的な精神的指導者であった「中村天風」師が『鞍馬天狗』、「安岡正篤」師が『宮本武蔵』というヒーローのモデルだったとは、二大哲人が急に身近に感ぜられて実に愉快なことではないか』(竹下和男・天才と本質)

坂本龍馬のイメージは司馬遼太郎の「龍馬がゆく」の影響です。司馬遼太郎の「坂本龍馬」に実在の人物の誰かがモデルになっていたかどうかは不明ですが、武田鉄矢が独自の解釈でイメージし、台本を書き、主演した映画を観て「こんなの龍馬じゃねー!龍馬に失礼だ!」と自称坂本龍馬ファンから相当のバッシングを受けていた記憶があります。ただ今の僕が抱いている坂本龍馬のイメージは司馬遼太郎と比較すれば、武田鉄矢の龍馬像に近いような気がします。

鞍馬天狗のイメージは大佛次郎の「鞍馬天狗」です。そしてその鞍馬天狗は中村天風がモデルだったと、中村天風師も大佛次郎も公言しています。このブログをご覧の方々は、中村天風師の経歴・人物等に関しては相当に詳しくご存知なので、大佛次郎の「鞍馬天狗」はかなり楽しめるのだろうと推測いたします。

宮本武蔵のイメージは吉川英治の「宮本武蔵」だろうということです。そしてこの吉川英治は安岡正篤を「宮本武蔵」のモデルにしたのだろうと、関西師友協会や松下政経塾で活動された新井正明氏の記述や、その他具体的な根拠を元に、竹下和男はこの本に記述しております。安岡正篤は四條畷中学で剣道部の主将でした。

陽明学の教えと、宮本武蔵の「五輪書」はかなり通じるものがあります。安岡正篤師は「日本武道と宮本武蔵」という本も刊行しておりますし「宮本武蔵」を題材にして講演した記録も多数残っています。安岡正篤師が宮本武蔵に相当な興味があり、かなり研究したことは間違いないことと思います。

中村天風師のお話として「鞍馬天狗」を、安岡正篤師のお話として「宮本武蔵」を読むと、きっと楽しめるのだろうなと、僕は次に読みたい本のリストにこの2冊を加えてみようかと思います。

土曜担当…佐々木秀彦



 6月14日(金)
論語読みの論語知らず」   金曜担当…佐藤成亮
 
論語読みの論語知らずの意味は、『表面上の言葉は理解できても、それを実行に移せないことのたとえ。』

頭で理解できてるだけでとどまっているような状態のことだと思います。

なぜ学ぶのか、ということを改めて自分の中で考えると、
①知的好奇心、新しいことを知る(気づく)とわくわくする。
②生活を豊かにしたい。精神的な面のゆとり、余裕をもつこと。
③自分を戒めるため。思いあがらないために修身としての意味合いをもたせること。
だと思っております。

この学ぶという範疇がまだまだ自分の中にとどまっているので、
内にも外にも発信して学び、刺激しあえる仲間を増やしていきたいと思います。

学ぶことを目的とすれば、論語読みの論語知らずでも問題ないとは思いますが、学び自体に終わりはないので、しっかりと自身の中で問を立てて、目的意識をもって学ぶことだと思います。(学び自体が目的になってしまうとゴールのない迷路に入ってしまうようにも思います。)

結果的には目指したものに行きつくかもしれないし行きつかないかもしれない。しかし、ゴールを決めるのと決めないのでは成長の仕方が全く違ってくると思います。

まもなく『不惑』に突入。

学びをより実践に活かせるように問を立てて行動し、さらに精進して参りたいと思います。

金曜担当…佐藤成亮


 6月8日(土)
自由」   土曜担当…佐々木秀彦
 
『世において、知恵によったり、戒めや務め(戒律や修行法)によったりして、「正しい見解はこれだ、というような」物の見方を構えてはいけません。自分を他人と比べて、「同じだ」といったり、または「劣っている」「勝れている」と思ってはいけません。』(佐々木奘堂・ブッダの言葉)

6月2日の天正寺座禅会で「膝や腰を固めてしまうのは自傷行為」と何度も何度も仰っていらっしゃいました。座禅というと固まってしまう人が実に多い、殆どの人は膝も腰も手も足もガチガチに固めて、その痺れや苦痛と戦っていて、瞑想どころじゃなくなっているとのことでした。

「ブッダの言葉」の本文には、これを「知恵、戒め、務め」で自分自身をガチガチに固めて、それを他人と比べることは、修行どころでなく、愚かなことだと書かれています。

座るという肉体的な作業も、修行という心の作業も、固まってしまってはダメということでしょう。諸行無常、自然は常に動いています。水も空気も流れています。心も静止することは自然の摂理に反するということでしょうか。

「お釈迦様には仏教という新たな宗教を説く意図はおそらくなかった…」というのが、奘堂顧問のお考えです。キリストはキリスト教を布教する気があったのでしょうか、王陽明は陽明学というものを伝えたかったのでしょうか、おそらく哲人聖人と現代にまで語り継がれている人の全ては、自分が教祖となる目的はなかったのだろうと思います。

最初のライオンも、虎も、イルカも、人間も、自分が新しい生物だと意識して生まれたわけではないという理屈でしょう。気がつけば自分はライオンだった、虎だった、イルカだった、人間だった。そこにはもっと強くなりたい、海を泳ぎたい、自由に動きたいという願望だけが強くあって、肉体の限界を決めつけないで、思いっきり自由に腕をふったり、地面を蹴ったり、海に潜ったり、歩く足と違う動きで物を掴んだりしたことで、進化したのかもしれません…

『「座る」のは「お尻」と「もも」が地面についていて、そこは動けない。しかし、それ以外の手も膝も腰も完全に自由なんです、自由じゃなきゃいけないんです』奘堂顧問のお言葉を聞いて、心も体も宇宙も、「主人公」として、どこも固めてはいけないのだなと感じました。


土曜担当…佐々木秀彦



 6月7日(金)
コミュニケーション」   金曜担当…佐藤成亮
 
いろんな人と話していて大事なことは「何を言ったかというよりも、どう伝わったか?」
ということであると思います。

誰々にこう言ったから理解してもらってる。分かってないのは相手が理解できない頭だからだなど、
思い込むのはすごく独善的な解釈であると思います。

コミュニケーションは相手がいて成り立つものなのに、自分自身の言葉が伝わらないのは相手のせいにする。

これではいつまでたっても何も伝わらないと思います。

「相手と過去は変えられない。自分と未来は変えられる。」
というスタンスにたって考えると、相手に伝わりやすい話の仕方をすることが重要になってきます。

たいていは話がうまく伝わっていないときは、自分の頭の中のイメージを相手も共有しくれてて、断片的にかいつまんで伝えただけで理解してくれてるやろうという自分の勝手な一体感的な考えの上で話していることが多いです。

やはり自分と相手とは違うのだという離別感を意識して、正確に伝えようとすることは常に大事な事だなと改めて思います。

身内だから、いつも自分のことを見ててわかってくれてるやろのわかってくれてるやろは勝手な自己解釈でフタを開けたら何も分かってもらえていない、伝わっていないと思います。

「どう伝わったか?」を意識することはクセづいてないと難しいもので、今日は相手にこのような話をしたけど、振り返ってどうやったやろ、と思い直す習慣を意識的に作っていくと良いのかなとも思います。
(感情は紙に書き出すことで客観的に見ることができ気持ちがすっきりします。)

伝えるための大前提として常日頃の相手との距離感と環境づくり、時折、自分はこう考えている、思っていると相手に伝え自分のことをよく理解してもらい双方の良い空気感を維持しつつ相手に伝わるコミュニケーションを図っていきたいと思います。


金曜担当…佐藤成亮



 6月2日(日)
大事と小事」   日曜担当…八木正典
 
事の大小といったとて、表面から観察してただちに決するわけにはいかぬ。小事かえって大事となり、大事案外小事となる場合もあるから、大小にかかわらず、その性質をよく考慮して、しかる後に、相応の処置に心掛くるのがよいのである。(中略)世の中に大事とか小事とかいうものはない道理、大事小事の別を立ててとやかくいうのは、畢竟君子の道であるまいと余は判断するのである。ゆえに大事たると小事たるとの別なく、およそ事に当たっては同一の態度、同一の思慮をもって、これを処理するようにしたいものである。
(渋沢栄一)


仕事が忙しくなってきて仕事それぞれの重要度に合わせて優先順位をつけて効率よく仕事をこなしていくことに注力しております。
限られた時間の中でチームや個人のパフォーマンスを高めるために必要だと思うのです。
ただ後で振り返ってみると、重要度が高いと思っていたものがそれほどでもなかったり、大した仕事でないと思っていたものが後から大きな影響を及ぼし多くの時間が必要となったりと難しいものです。
今ではゆっくりと自分の判断を振り返る時間をもつことにより、なるべく物事を俯瞰的に見るようにして、その上で目の前の仕事に全力を注ぐことに集中をするようにしております。
渋沢栄一が話しておられる大事でも小事でも同一の態度、同一の思慮で物事に当たるという考えも採り入れながら意識して過ごしていきたいものです。

日曜担当…八木正典



 6月1日(土)
「八紘」   土曜担当…佐々木秀彦

『八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を(多くの雲が立っている。その雲が多くの垣根のように、わたしの家を取り巻いている。その中に、わたしは妻を取り籠める。ああ、雲が垣根をつくっている。多くの多くの垣根をつくっている)』(古事記・梅原猛・第1章国生み)

僕達は3次元空間で暮らしています。前後左右上下、つまり平面ではなく立体空間に暮らしているのです。しかし、通常はどうやら平面だけに意識があるようです。宇宙の果てまでを含めた上の空間、地獄やマントルまでも突き抜けて地球の裏側に拡がる宇宙は下の空間、まぁまぁ前後左右の平面も突き抜ければやっぱり宇宙にたどり着くのではありますが…普通はせいぜい目に見える範囲の3次元しか意識しません。

古事記は日本の有史以前の言い伝えを書き記したものです。奈良時代に編纂されたということですが、編纂されて書いてあるそれぞれのお話そのものがいつ頃作られたお話なのかは全く想像すらつかない大昔のことと推測します。上記引用文は、須佐之男命が櫛名田比売と宮を造って結婚されたときに作った詩です。雲が重なる様子を「八重垣」と生け垣が何重にも取り囲んでいるのと同様な印象を歌っていらっしゃいます。須佐之男命は神様なので当然だと言えばまぁそうなのですが、少なくても日本の神代の時代は、雲の上も地の底もしっかり含めて日常生活を送っていたんだということが古事記には書いてあります。

日本の神様は名前がいくつもあります。有名な大国主神なら、大穴牟遅神・葦原色許男神・八千矛神・宇都志国玉神、これは全部大国主神の名前です。名前が多々あるというとかなり怪しい雰囲気なのですが、実は簡単なことでした。現代でも歌舞伎役者・落語家等々、出世する度に新しい名前を襲名します。ブリ・スズキ・ボラ等の魚も出世して新しい名前を襲名していきます。日本の神様も出世して新しい名前を襲名していくのですが、親切に以前の名前も羅列される場合が多いので、ややこしい印象となっている訳です。

江戸時代までは日本人は出世して名前が変わるものでした。木下藤吉郎・豊臣秀吉、竹千代・徳川家康、というふうに武士はがそうだったことは誰もが知っています。また絵や詩を描く時に「雅号」を名乗るのは今でも普通にあることです。生まれてから死ぬまで同じ名前のままというは日本の場合つい最近に始まったかなり斬新かつ柔軟に世界に対応したルールなのです。唯一正式に残っている出世の機会というのが結婚で、両性どちらかの名前に決めるルールとなっていて、苗字を変えた方だけが、唯一日本古来からの伝統である出世を体感できる機会に恵まれることとなります。

雲の形を見るのは実はすごく大切です。雨や風が見えてきます。地震雲という言葉も有ります。本来の人間生活に宇宙がもっともっと身近だったと古事記から感じます。文明が進化したから忘れて良い本能もきっとあるのでしょう、しかし、文明の発展や技術の進化がどれだけ進んでも忘れてはいけない本能もあるはずです。大先輩達が書物として残してくれた大きな財産を、現代に生きる僕達はしっかり次代へ繋ぐ義務は担っているのかなと最近思うようになりました。

土曜担当…佐々木秀彦



 5月31日(金) 
ボルダリング」   金曜担当…佐藤成亮
 

いつもは頭の筋トレ、柔軟として本を読んでますが、心身を鍛える上で、頭だけでなく体も鍛えようとボルダリングを始めました。トレーニングジムで単調な動きの繰り返しよりも、見る景色が変わり、実践的で楽しめるやり込み要素が深いところにひかれました。

きっかけは、今住んでいるところのお隣さんがすでにボルダリングをされており(私のひと回り年上の方です。)、日増しに体が引き締まっていく姿を見て、どのように引き締めるかをお聞きしておりましたらボルダリングという答えに行き着きました。

道具は、シューズとチョークバックのみ。だいたいトレーニング場にレンタルがあります。怪我をしないための諸注意はあるものの、経験を必要とせず、すぐ始められるところが魅力的です。

運動としては全身を使う運動になります。自重トレーニング(自分の体重の負荷だけのトレーニング)になり、やることは『ただ登る』だけですが、『ただ登る』作業はひたすら上のゴールを目指すことに無心になれて心がリラックスできます。

トレーニングジムの様な器材を使わないので、筋肉が肥大してマッチョになることは無いので、身体のラインをシャープに細マッチョを目指すならもってこいだと思います。

実際に挑戦してみて、基礎コースは一通りクリアできましたが、チャレンジでひとつレベルを上げてみたところ、段違いに登るのが難しくなりました。時間の経過に連れ最初は動いていた腕も途中から笑い出して全く力がでなくなりました。そこでその日は終了。筋肉痛が5日間続きましたが、筋肉痛をキッカケにまた継続的に筋トレに励もうとやる気が湧いてきました。

ダイエットや体を引き締めるためには、カロリーコントロールと合わせて、基礎代謝が上がる体を作るために少し筋トレがあるとなお痩せやすくなります。基礎代謝が上がると平常時でもカロリー消費してくれるので痩せる体になっていきます。

簡単に楽にとダイエットアイテムに頼るのは、何がダイエットしてるか今一度考えてみると、実は、体重ではなくお財布の中身のダイエットだったと後で気づくかもしれません。

しばらくは無理のないペースで頭だけでなく体も動かしてボルダリングと自宅での自重トレーニングで体を鍛えようと思います。

金曜担当…佐藤成亮



 5月26日(日)
歴史の活力」   日曜担当…八木正典
 

平時においても、けっして無為にすごすことなく、たゆまず時間を利用して変事にそなえ、獲得した知識を利用できるようにしておくべきである。運命の変転があったときには、すみやかにその打撃に対抗できるようにしなければならない。 (マキャベリ)


先日の潜学講座で冨樫さんからご紹介いただいた宮城谷さんの「歴史の活力」を読ませていただきました。
この本は、令和の出典の解説の一助として、昭和、大正の元号の起源で紹介されていたものです。
宮城谷さんは中国古典にお詳しいと聞いていたので、中国古典の説明が中心なのかと思いきや、なかなかどうして、多彩な切り口で非常に楽しめる本になっています。

才能篇で紹介されている、マキャベリの君主論に関して、その断定的な文章とその根底に流れる陽気さはドラッカーの文体と似通っているというものは面白い視点でとらえられており、そこからの君主論を覇道論として説明する流れは興味深いものです。
また、最後の観察篇では、私の大好きな王陽明の「一摑一掌血、一棒一条痕」を引用し、志の大切さを語りながら、そこで紹介される財界人のもつ志が生き生きと描かれているのに非常に魅力を感じることが出来ました。

潜学講座でご紹介いただいたことで、これまで触れることのなかった作者やその方の持つ新たな視点に出会えることは本当に幸せなことです。
引き続き変事に備えて新たな知識の獲得とそれを利用できる体制を整えていきたいと思います。

日曜担当…八木正典



 5月19日(日)
水垢離」   日曜担当…八木正典
 

今月で毎朝行っている水垢離が5年を経過しました。
振り返ってみれば2014年本心塾に参加し始めた時に諸先輩方に水垢離の良さを教えていただきスタートを切ったのです。
ただ毎朝シャワーで水を浴びるというそれだけのことなのですが、一年目は冬の寒い中で息もできないような状況になり、大変なことを始めてしまったと後悔したのを思いだします。

ただ習慣というのは不思議なものですね。
毎日行っているうちに完全に生活の一部となり、今では水垢離を行わないことが想像もできなくなっています。日々の穢れを洗い流してくれているようなすっきりした気分になるのです。また毎日続けられるというのは健康な印であり本当に有難いことです。

今年のうちには2000日に到達する予定です。これからも、これまでの本心塾での出会いや多くの人からアドバイスいただいたことに日々感謝をしながら、水垢離を続けていきたいと思っております。

日曜担当…八木正典



 5月17日(金)
「読んだら書かねば思考の便秘」   金曜担当…佐藤成亮
 

日頃から本を読む機会があるのですが、読むだけでなく、本を傍らに置いて、考える時間を取ること、または、考えたことを行動の一歩手前の段階として、考えを整理する意味で文字にすることは大事なことだと最近よく思います。

読むだけでは、読む行為自体は能動的だとは思いますが、まだまだ情報に対しては受け身であると思います。頭の中で考えているだけというのは、思考のアイドリング状態のような感じで、同じところで同じように、形にならない考えを行ったり来たりしているだけだと思います。

今年は、大変ありがたいことに本塾の金曜日のブログの担当や講座を担当させて頂ける機会に預かり、自分の考えをまとめ、発信していくことでより深い学びにつなげていけるよう精進させて頂きたいと思います。

金曜担当…佐藤成亮



 5月12日(日)
「潜学講座」   日曜担当…八木正典
 

5月の潜学講座に参加してきました。

まずは「大学」の素読からスタート。伊與田先生の本に従って、参加者全員が声を出す。読み進めていくと全員のリズムが合ってきて気持ちがいいものです。

第一講は、佐藤先生の『大塩平八郎「シオイズム」を紐解く』の講義です。
大塩平八郎の生きた時代背景や人物像、大塩平八郎の乱までの生涯を丁寧に整理してもらい、説明いただきました。
大塩平八郎と学問、書物との出会いが人生の転機を与えたとの話は興味がつきません。
次回に続く後半の講義も楽しみにしながら、理解を深めるために自分なりにもう少し勉強してみたいと感じております。

第二講は、冨樫先生の「令和の出典から時代を占う」です。
元号の歴史や明治以降の元号の出典や元号が与えた影響、令和の出典を万葉集、帰田賦、礼記の原典を踏まえてご説明いただきました。
以前から本塾ではいろいろな方がおっしゃっていますが原典にあたるのはいいですね。内容の理解が進むのに加え、前後の文章から多くの受け止め方や考え方を導くことが出来て勉強になりました。
令和を「人の集まる」時代と表現したのも面白く受け止めさせていただきました。
令和の時代を生き抜くヒントとして今日の講義を生かしていきたいと感じております。

いよいよ第7潜学講座がスタートしましたが、刺激を受ける魅力的な講座でうれしく感じております。
引き続き本塾での人が集まるエネルギーを感じ、出会いを大事にしながら、自分を高める努力を行っていきたいと気持ちを新たにしております。

日曜担当…八木正典


 5月11日(土)
「改革」   土曜担当…佐々木秀彦
 
「社会の習慣や制度は、生物と同様で相応の理由と必要性から発生したものであり、無理に変更すれば当然大きな反発を招く。よって現地を知悉し、状況に合わせた施政をおこなっていくべきである」 (後藤新平)

大阪都構想が現実味を帯びてきました。来年の秋に住民投票の計画だそうです。今秋だと堺を巻き込むことは不可能でしょうが、来秋なら堺も含めた計画になるのかもしれません。

明治大正時代に後藤新平という人がいました。上記引用文は日清戦争で割譲された台湾の民政局長に就任した頃の言葉です。後藤新平は医者です。彼の業績を確認していけば、ことこん医者の発想だなと感じることが多々あります。医食同源を国家形成、地域形成、組織形成に見事に応用している気がします。

大阪が良くなるためには…血液がしっかり流れて、栄養が身体全体に行き渡って、健康的に活動しつづなくてはいけません。経済・流通・人間が血なのでしょう。

関東大震災が起こりました。後藤新平は東京の震災復興計画を作成しました。計画では当時の国家予算1年分ぐらいの13億円を計上しました。議会に承認されたのた5億7500万円でした。それでも今の東京の街の基本はこの計画の賜物です。

大阪も大胆な都市改造計画をぜひ施行していただきたいと願います。平成31年度の国家予算が300兆円ぐらいとして、大阪復興計画に300兆円ぐらい算出する政治家が欲しいなと僕は思います。そうすると100兆ぐらいを持ってこれる期待もできます。

「人物や実力をみないで、学歴や、親分子分の関係では、我が国の将来は危うい」と後藤新平は明治時代に喝破していました。日本に大学ができてまだ20~30年程度の頃の学歴偏重否定は面白いです。令和の普通社会ではかなり親分子分は解消されてきましたが、政治家の世界はまだまだ親分子分が成り立っているようにみえます。

医者の目線…健康体とは如何なることかは、組織運営、経済活動等々の日常生活でも強く意識していきたいことだと、あらためて感じます。

土曜担当…佐々木秀彦



 5月5日(日)
ティール組織」   日曜担当…八木正典
 

人類の意識が新しいステージに入ると、人々の協力体制にも大変革が起こり、新たな組織モデルが生まれてくる。これまで、人類は4段階にわたる組織の発達を経験し、今まさに進化型組織(ティール組織)という新たな組織が生まれている。

これまでの変遷は次の通り。
衝動型組織(レッド)             :集団をまとめるために組織のトップは常に暴力を行使。
順応型組織(アンバー)        :トップダウンでの秩序維持と前例踏襲での安定を重視。
達成型組織(オレンジ)         :イノベーション、目標管理、実力主義が特徴的。目標は競争に勝つこと。
多元型組織(グリーン)         :権限移譲や価値観、多数のステークホルダーの視点を生かす。 

今生まれているティール組織は、①自主経営(セルフ・マネジメント)、②全体性(ホールネス)、③存在目的を特徴として組織運営される。

達成型組織が「機械」に、多元型組織が「家族」に喩えられるのに対して、ティール組織では「生命体」、「生物」に喩えられ、それぞれの担当が自分の責任においてあらゆる知恵を絞りつづけて組織として進化し続ける。組織は独自の存在目的を追求する一つのエネルギーが集まる場としてとらえられる。
これは、フレデリック・ラルーの「ティール組織」という本に書かれている新たな組織論の考えです。

新しい時代、令和を迎える中で、自分として所属する組織の中で、何ができるのか、いかにあるべきなのかを考えるいい機会をいただいた気がします。自分がいいと信じられることを諸先輩や新たな視点を持った方々と相談し、ブラッシュアップしながら一つ一つ着実に行動に移していきたいと思っております。

日曜担当…八木正典




 5月5日(土)
「建国」   土曜担当…佐々木秀彦
 
【日本の建国】皇紀元(神武天皇元〈前660〉)年辛酉1月1日、橿原の地で即位される。初代天皇・神武天皇の誕生であり、日本の建国でもあり、この年を皇紀元年と定める。正妃・媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)を尊んで皇后とされる。媛蹈鞴五十鈴媛命は大神大物主神(三輪大明神)、素戔鳴尊、大国主神の子孫であるから、ここで天津神系と国津神系に分かれた系譜がまた一つに統合されることになった。媛蹈鞴五十鈴媛命との間に、神八井耳命、彦八井耳命、神渟名川耳命の三皇子が誕生される(吉重丈夫著・歴代天皇で読む日本の正史)

御代替わりが僕の中でこんなに大事なイベントだったことに若干驚いています。まず氏神様である生國魂神社へ参詣しまして、初めて御朱印をいただきました。この御朱印帳はチビスケの御朱印帳ということにします。そしてサムハラ神社へ参詣しました。御朱印は締め切り時間が過ぎていましたのでいただけませんでしたが、偶然同じ時刻に正式参拝されていらっしゃった方のお蔭様で鈴の音を聴くことはできました。宮内庁へ奉納する記名帳にもしっかり記帳いたしました。

昭和初期まで日本人は歴代天皇をすべて言えたということを知らない平成育ちの方々もかなり多くなってきたのではないでしょうか。僕も戦後高度経済成長期生まれなので、歴代天皇は言えませんが、戦争を知っている先輩方々が当然のように歴代天皇を暗誦していたことは知っています。歴代天皇を暗誦できるということは、世界に誇る126代続く天皇家を追うことで、日本の歴史を確認している作業です。これは小学校で教えるべきなのではないかと思います。

上記引用文では、初代神武天皇の皇后が天津神の子孫ということで、神様と天皇家をしっかり結びつけています。西洋では神様と現代人との間に大きな大きな壁がありますが、日本では日本国民はみんな神様の子孫であるということになっています。西洋のように神様という特別の生命体が天地創造された瞬間があるのではなく、日本では宇宙空間があったところに天之御中主神が突然現れました。それ以後は一度も現れませんが…。神様の子孫が天皇及び日本人という説を「非科学的」と笑う人がいます。人間がどこからきたのか全く解ってない程度の方々が、日本の国史を「非科学的」と決めつける鷹揚さはどうなんだろうなと感じます。

非科学的上等!2600年前から続く歴史はアナログに決まっています。僕たち日本人は、地球で一番アナログを大切にする民族で、令和は駆け抜けていきたいと思います。

土曜担当…佐々木秀彦



 5月3日(金)
「アルカイックスマイル」   金曜担当…佐藤成亮
 
『サイレント映画の時代に、ダグラスフェアバンクスという活劇役者がおり、この人の言葉に『朝10時まで笑顔を顔に止めれば、後は自動的に、夜遅くまでつづく』という名言があります。
笑顔はアルカイックスマイルで、ほんのちょっと口角を上げて、笑顔を意識するだけで良いと。この笑顔が自分をあたため、まわりをあたためていくと。』(無能唱元サトリシリーズ第2弾より)

「アルカイックスマイル」とは、表情の1つであり、 無表情にも拘らず口元に笑みをたたえたような表情のこと。 古代ギリシャのアルカイック期に製作された人物の彫像に表現された表情からきているようです。自分流の解釈では「口元に笑みを」というとらえかたではなく、「口元から笑みを」という発信していくスタイルでいきたいと思います。

行動療法のうちのひとつに入るのかはわかりませんが、心身が相関しているように、顔に笑顔を止めておくと、終日気分が陽気で、気持ちの余裕を持って過ごせるように思います。

毎朝服を着替えてボタンを掛けるように、メンタルな面でも、良い言葉を発したり、笑顔を止めて自己肯定感を少しでも高めていくことを毎日心がけることで、ちょっとした変化が現れます。

大きな変化もちょっとした変化の集まりからだと思います。

まずは自分から良い流れの一灯を点して周りに伝播していきたいと思います。

金曜担当…佐藤成亮


 4月27日(土)
「龍神」   土曜担当…佐々木秀彦
 

『惟神魂幸えませ(かむんながらたまちはえませ) 惟神魂幸えませ(かむんながらたまちはえませ)』(龍神祝詞)

時代の変換は昭和から平成の時に体験はしております。ただ前回は昭和天皇のご逝去に伴っての改元でしたので、何事も自粛モード、日本国全体が喪に服す状態だったので、今回のようなお祝いムードとは全然違いました。そういう意味では、素直にお祝いと感謝としての御代替わりを体験できることは幸せなことだなと感じます。

元号を廃止して西暦表記を公式にすべきと大きな声で主張する方々もいらっしゃいます。西暦はご存知のようにキリスト教基準です。宗教の自由を憲法で保証する日本の国で、西暦を遣うのは当然に自由ですが、国民の大多数が死後仏教方式にてお葬式を執り行う現実があるにもかかわらず、キリスト教の暦を公式にせよと叫ばれても、どうなんだろなぁと感じます。それよりせっかく2679年もつづいている皇紀があるのだから、こちらをもっと活用して公式にすべきという主張なら、賛否はともかくとして、もっと納得し易いと思います。

僕は京都出身です。京都はご存知のように平安の都、平城京の奈良と共に、歴史的価値は大阪より優れていると思っていました。そして今大阪に暮らして10年以上が経過すると、不思議なもので大阪の歴史的価値も京都以上に素晴らしいと感じるようになってきました。

僕の住む地域の氏神様は生國魂神社です。この生國魂神社に祀られている神様は日本の国家全体を守護してくださる神様です。初代神武天皇が難波の地で神事をおこなったという記述が古事記あり、その場所が生國魂神社であると伝えられています。2650年ぐらい生國魂神社は鎮座されていらっしゃるとうことです。平安京遷都からは1225年です。平城京遷都でも1309年です。倍以上長い歴史が生國魂神社にはあります。

歴史的価値がという表現をあえてしましたが、大阪、京都、奈良等々そんな小さな地域で価値を比較することがクダラナイことと皇紀を勉強すると気がつきます。生國魂神社の歴史は日本人の歴史です。京都や九州や北海道もみんな含めた日本の歴史です。京都が奈良が大阪がという細かい価値比較はあまりに近視的です。皇紀は2679年続いているのです。

皇紀が2679年つづいて、令和天皇が第126代です。この歴史の一番の価値は、僕達日本人それぞれみんなに126代先のご先祖様がいらっしゃった証明です。それぞれのみんなの個人の家系図は残ってはいなくても、皇紀は国民の代表としての天皇家の家系図です。詳細には世代の数の前後はあるでしょうが、神武天皇と同時期に日本には国民も一緒に生活していました。

国家が攻め滅ぼされり滅亡していたなら、同時にご先祖さまも絶えていたかもしれません。しかし日本は2679年存続している国家です。僕達それぞれみんなのご先祖さまも皇紀と同じだけは必ずつづいて現在の僕らに繋がっている…この壮大な浪漫と魂の継承に感謝しながら、新しい時代を迎えたいと思います。

冒頭引用文は「龍神祝詞 天之叢雲九鬼サムハラ龍王神様」の最後の結びです。

土曜担当…佐々木秀彦



 4月26日(金)
「ブルーエッジ」   金曜担当…佐藤成亮
 


先日、佐々木さんのブログのタイトルが青淵でした。
気づけば私は、今週は渋沢栄一さんの本を読んでおりました。

読んでいる本の原書は渋沢栄一さんの『青淵百話』というタイトルで、竹内均さんが解説を入れられ 「人生の急所を誤るな!」というタイトルで1996年に出版された本になります。

そして、先日の佐々木さんのブログにも記載がありました『青淵』という意味は渋沢栄一さんの屋号、つまりは、ペンネームであると本の中にも書いてありました。

他にも本の中には、
『真の楽しみは心の持ち方を第一とし、物質的満足を得ることを第二とし、結局、精神と物質との中和を得たものが、すなわち人生の目指す楽しみというものであろう。』
とありました。

心の持ち方として、足るを知るという自分自身の欲望を充足させることはなかなか難しいことですが、『ないない尽くしの人生』よりも、『あるある気づく人生』の方がはるかに幸せだと思います。

この『あるある気づく』というのは、今ある状態をどんなに小さいことでも感謝することから『あるある』と気づいていくのだと思います。そんなに大層なことでなく、大小さまざま、身近に幸せはたくさんあると思います。

例えば、「今日もごはんが食べられてありがたい。」「好きな本が読めてありがたい。」「お酒が飲めてありがたい。」「学ぶ仲間が周りにいて刺激を受けられてありがたい。」「仕事ができてありがたい。」などなど、少し思い返すだけでもありがたいことはたくさんあり、幸せであることに気づいていきます。

このように、感謝することで心の持ち方を整え、物質的満足を第二としバランスをとり充足させていこうと思います。

金曜担当…佐藤成亮



 4月21日(日)
「マインドフルネス」   日曜担当…八木正典
 

ハーバードビジネスレビューのマインドフルネスを読んでおります。

研究によれば人は起きている時間のうち、約47%を実際に取り組んでいること以外の何かについて考えながら過ごしているそうです。多くの人は、「自動操縦」状態で動いているのです。

マインドフルネスは、集中と感知によって「今、この瞬間を」を意識することによって、必要性の高いものを選択し、より集中し、それによって長期的充足感を持つことが出来るということです。

本にはマインドフルネスの様々な効用が書かれていて、なぜ多くの企業や多くの方が取り組まれているのかがよくわかります。

私も2016年に本心塾の縁で、尊敬する方から毎日瞑想を行うといいよと教えられて、それから朝と寝る前に10分程度の瞑想を行っております。考えてみれば2年半ぐらいになります。

最初のころは、仕事につかえるとか、自分の生産性が上がっていいという邪心もあったものの、最近は毎日落ち着いて一定の時間坐り、頭の中を空っぽにすることが気持ちいいからやっているという状況になっています。

引き続きゆったりした気持ちで瞑想の良さを味わいつつ、事上磨錬で日々の一瞬を大事にし、多くの方と喜びを分ちあえるよう意識していきたいと思います。

日曜担当…八木正典



 4月20日(土)
「常識」   土曜担当…佐々木秀彦

『ムリだと思ったら、3日間限定で頑張ってみる。もしそれでも結果が出なければ、計画そのものを見なおす必要がある。感情的になりすぎたときは、その3日間を冷却期間にして、3日後に改めて考える』(矢吹紘子・99歳ユダヤのスーパー実業家が孫に伝えた無一文から大きなお金と成功を手に入れる習慣)

平成もまもなく終了します。新しい時代に生きるためには、過去の常識は捨て去るのが正しい道です。

特に何という思いも無く、引用文の書籍を図書館で借りました。15冊ぐらい借りた中の1冊です。ぶっちゃけ勢いというか、ついでというか、…特に思い入れは無く借りたのですが読んでみました。かなり面白かったです。この99歳のスーパーユダヤ人が孫に伝えたのは、けっこう儒教的なお話でした。そういえば、日本人のルーツはユダヤ系だとバブル時代に誰かから聞いたことがありました。僕個人的には日本人の根源がユダヤ人だという説には、お腹でお茶を沸かすくらい否定的ではありますが、この本のスーパー実業家が孫に伝えたことはすべて納得できて、儒教と価値観が繋がるお話ばかりでした。

この本を読んで初めて、ユダヤ人に関してネットで調べてみました。こういうのが差別意識と言われれば否定はできませんが、ユダヤ教・ユダヤ人に関して僕は完全に見ないようにして避けて通っていました。インターネットで検索したのもこれが初めてでした。結果…よくわかりませんでした。ネットで調べると、それが間違ったことでも正しいように決めつけた記述があり、それに追随する常識がどんどん出てきて、結果そういうイメージを植え付けられます。しかしユダヤ人に関しては軽く検索した程度ではチンプンカンプンになってしまいします。このチンプンカンプンな印象こそ、ユダヤ人の現代の正しい立ち位置のような気もしました…

この本の中で『常識』というのを99歳のスーパー実業家は孫に丁寧にかつ100%否定して伝えておりました。人間は3次元世界で生きています。平面しか見てないような社会通念に縛られているから、何も生み出すことないのではないか???360度の角度すべてからそのモノゴトを精査することがまず第1のスタートだよというのが99歳のスーパー実業家のお話でした。

日本人とはこの日本に住んでいるというのが基本です。ユダヤ人というのはユダヤ教という宗教に生きているというのが基本です。極論日本に住んでいる、もしくはそれなりに日本に関係していれば、いかなる宗教に信心していても日本人です。同様に極論ユダヤ人は地球上どこに暮らしていて、どこの言語を遣っていても、ユダヤ教を信心していればユダヤ人です。

僕が日本人という自覚と誇りをもつなら…ユダヤ人というカテゴリーとは違うことをまず認識しておく必要はあるかと思います。祖先・地域が当然に同一なのは、世界常識として特異である。皇紀2679年は世界最長であること、その特殊な価値観は、日本では常識でも、他国ではありえない非常識であるという現実を認識おくことはとても重要と感じました。明治時代の45年間で日本が世界の列強国に進化した現実。第2次世界大戦での敗戦にもかかわらず、戦後数十年で世界トップクラスの経済大国に躍り出た現実。詳細を突き詰めれば日本は宗教の自由が憲法で保証されています、しかしながらお正月の初詣や、お葬式や、初節句や、お彼岸やお盆等々、別宗教でもまぁまぁそこそこは容認していただける文化でもあります。

日本には世界中から多くの外国観光客が訪れます。しかし隣国の政治家は日本を誹謗中傷します。さらにしかしその隣国からも多くの観光客が訪れています。国家、思想、宗教、、、人間の根源は突き詰めれば裸の人間です。

土曜担当…佐々木秀彦



 4月19日(金)
「一歩進んで二歩振り返る。」   金曜担当…佐藤成亮

先日から月二回の新月と満月は意図的に食を抜いてみようと思い、ファスティングしてみて感じたことを書いてみたいと思います。

・そもそも誰がご飯を三食食べるって決めたの?と思ってしまった。

→気になったのでこれをネットで検索すると、『一日二食の慣習が崩れ、一日三食が一般に行われるようになったのは、元禄年間(1688~1704)の時といわれている。』や、『エジソンが、パンを焼くトースターの発明をした事をきっかけとし、トースターを売る為と、電気の需要を高める為に、「1日3食」を宣伝したとされている』という陰謀論なのか、と思うようなものまで出てきました。
何食(何回)たべねばならない、と自分の中での過去の習慣から来る「ねばらない」と思い込みで食べる事はどうなのかと思いました。
ここはあえて『何を食べるかより誰と食べるか?』と食事の回数の斜め上をいくロマンチックな路線を目指すのも良いかと思えてきました。

・ご飯食べた後に消化のために、頭にある血が、お腹にいかないので、眠気が抑えられる。

→眠たくなるのは血が消化の手助けをするために、頭の中の血までが積極的にお腹に行き、なかば頭が貧血状態となるから眠くなる、と健康関連の本で読んだことがあります。食べないことでお腹に血が集中しないので頭がクリアな状態を保てます。
(余談ですが、昼間の眠気は、我慢するよりコーヒーを飲んでの15分寝るに限ります。コーヒーのカフェインが10~20分くらいで効いてくるので割合にすっきり起きられます。)

・集中力が増す。

→血流が安定するからだと思いました。

・疲れにくい。

→これも血流が安定するからだと思いました。

・お腹が軽い

→お腹に何も入っていないのでお腹周りがすごく軽くスッキリしたように感じられます。

・ふだんいろいろなものを不自由なく食べられていることへの感謝の念がわく。

→意図的に食べないことで当たり前に食べていることがいかに恵まれたことなのかと思いに至り、感謝の念が自然にわいてきました。

・効率だけで考えると、食への一連の流れは、お腹がすく、何を食べるようかと考え、準備し、食べて、片付けして、消化して、排泄して、と結構時間をついやしているものなんだと気がつきました。
だからといって、食べないでおこう。とは全く思いませんが、もう少し考えて食べるようにしたほうが環境にも体にもお財布にも優しくなれると思いました。

~まとめ~

食について、食事の内容や食べ方に対して、食べることをやめてみることで、立ち止まり、ふと考えるきっかけを持つ時間ができることは良いことだと思いました。食だけではなく、日々の学びにおいても、なんでも取り入れるだけでは消化不良になるので、立ち止まって、振り返る時間やきっかけを意図的にもつようにしていこうとも思いました。惰性ではなく、自分の立ち位置やどこに向かっているのかを考える時間をもつことはとても大事なことなのだと。こういった一歩進んで二歩下がる、ではなく一歩進んで二歩振り返ることで、気づきを得て、成長につなげていきたいと思います。

引き続き無理なく月二回ファスティングを楽しく続けてみたいと思います。

金曜担当…佐藤成亮



 4月13日(土)
「青淵」   土曜担当…佐々木秀彦

『子温やかにして厲し、威あって猛からず、恭しくして安し』(論語・述而第七)

孔子の人格を弟子が表現している文言ですが「温やかにして、而も厲しい、威あって而も猛からず、恭しく而も安し」と「而」をあえて「しかも」という読み方で入れる方がより理解し易いと平澤興先生は解説されていらっしゃいます。

渋沢栄一が一万円札の肖像画になるということです。僕は渋沢栄一という人は徳川慶喜の戦略を実行しつづけた方だと思い込んでいます。

渋沢栄一は幼少期より学業・剣術に優れた子だったようで、江戸幕府の名門一橋家へ士官が叶いました。しかし勝手番に配置されたため武士として認められるチャンスすら無い。そこで渋沢栄一は、慶喜が毎朝乗馬の訓練することをチャンスと捉え、自身も毎朝馬と一緒に走って、慶喜へ自分の考えや思いを話す、毎朝それをやる。そういう栄一を慶喜は見どころがあると感じて、渋沢栄一の人生は拓けていったといいます。

渋沢栄一は実に多くの会社を起業しました。ありとあらゆる業界の事業です。その全ては国家の発展と国力の充実を目的にしていました。社会貢献に関しても相当に尽力しました。この発想力と実践力は、今で言うなら天皇家的価値観です。当時でこの発想があったのは開国のために大政奉還をした徳川慶喜です。そして渋沢栄一はこの徳川慶喜の信頼する家臣でした。大政奉還後の徳川慶喜は表に出て活動することはありませんでした。渋沢栄一が事業者としてすべてを実践したからではないでしょうか…。もちろん僕の勝手な空想の結論で、そんな証拠はどこにもありませんが、政治家になることを拒否しつづけ、私的財産を築きあげて財閥になるということも拒絶した渋沢栄一の気概は、普通の人のそれとは思えないほどあまりに高尚な境地です。薩長土肥の志士の気概も相当に凄かったとは思います。ただ渋沢栄一の裏には常に徳川慶喜がいたとすると、僕にはすべてが納得できるのです。

渋沢栄一は陽明学者でした。山田方谷の愛弟子三島中州とはかなり懇意にしていました。幼少期には四書五経と同様に頼山陽の「日本外史」も熱心に学んだということでした。そして、渋沢栄一は3つの魔を持っていたということです。「吸収魔」「建白魔」「結合魔」。学んだことを見たことを吸収しつづけ、物事を企画、立案、建白しつづけ、人材を発掘し、それを結び付けつづける。すべてをトコトン徹底し、事が成るまでやめない、その情熱は狂気に近く「魔」としか言えないということでした。

「青淵」とは渋沢栄一の「号」です。渋沢栄一と言えば「論語」です。「論語」も含め、これからもっと渋沢栄一を勉強してみたいと思います。そしてさらに徳川慶喜に繋げていければ楽しいなと思います。

土曜担当…佐々木秀彦



 4月12日(金)
「ホームページ」   金曜担当…佐藤成亮

先日の大阪城公園でのお花見は気候も良く、満開の桜の中、本心塾のメンバーと語り合う
ひと時がもて、有意義な時間を過ごすことができました。

昨年のお花見を思い返すと、桜が散っており、非常に寒い日に当たり、
これはこれで思い出になって良かったのですが笑、今年もものすごく寒いんだろうなと
予想して暖かめの格好で参加しましたが、よい意味で裏切られました。

さて、来月から潜学講座第7期の講義がはじまります。はじめて、講座を担当させて頂くにあたって、
人物は大塩中斎をテーマに掲げております。

最近の読書は、大塩中斎の洗心洞箚記やいろんな方が書かれた大塩氏の解釈本、はたまた大塩氏の漫画本
などあり、それぞれ目を通して行っております。

近々に学びを深めるため、大塩氏のお墓や資料館に足を運び謦咳に触れていきたいと思います。

また、4月からホームページの管理を任せて頂くこととなりました。至らぬところもあるかと思いますが、
少しずつ更新を行っていくことで流れをつかみたいと思います。

ブログに関しても、みなさまの意見を参考に、湧くわくの要素に一灯ともして参りたいと思います。



金曜担当…佐藤成亮



 4月7日(日)
「花見」   日曜担当…八木正典
4月の潜学講座は昨年に引き続き大阪城公園での花見でした。

満開の桜を見ながら、本心塾のメンバーと語り合うことのできる楽しい時間でした。
寒くて大変だった昨年と違って春の陽気の中でゆったりとした時間を過ごせて、本当に日本で生まれてよかったと感じる時間です。
持ち込まれたフードやドリンクも素晴らしいもので、堺で40年以上続く鰻の名店「う玄武」さんの鰻や皇居でしか買えないという「大吟醸 御苑(みその)」、ルアイのバターとバゲットをはじめとしてコロッケあり、ケーキあり、フルーツありと五感が刺激されるものばかりでした。
一緒に過ごす時間を充実したものにしようと参加者の思いがあふれていて、有難く、豊かな時間を過ごすことが出来ました。

来月からいよいよ潜学講座第7期の講義がはじまります。
「朋あり、遠方より来たる、亦楽しからずや」とありますが、本心塾を通じて出会うことの出来た同じ思いを持った人と多くのことを学び、語り合うことの喜びを感じていきたいと思います。

日曜担当…八木正典


 4月6日(土)
令和   土曜担当…佐々木秀彦



土曜担当…佐々木秀彦


 4月5日(金)
ファスティング   金曜担当…佐藤成亮
四月に入り、行く先々で桜を楽しめ、改めて日本に生まれてよかったなぁと感じます。

三月の繁忙期をのたうち回っているうちに、いつの間にか四月になっておりました。

次から次に、振りかかってくる仕事に、思ったようにいかないことがたて続きに続くので、途中から反対に面白くなってきて、状況がコントロールできないのなら少しでも楽しめる要素見つけて楽しもうと考えを変えて取り組むようにしました。

最近、読んだ本の中の言葉に、

『タフでなければ生きて行けない。
やさしくなければ生きている資格はない』
レイモンド・チャンドラー(アメリカの小説家、脚本家)


とありました。

打たれ強くタフさがなければ生きていけない。しかし、タフに生き抜くために人間的な繊細さを犠牲にしてもいけない。もともと人生とは未解決の問題を背負って生き抜いて行くと二律背反をいかにこなすかが大事である、と。

タフに生き、繊細さをも大事にするには、今のおかれた状況に腰を据えて楽しんで取り組んでいくことで達成できるのでは、と思います。

四月から新しい習慣として、新月と満月の月二回、胃を休める日にしようと考えております。この習慣は体に何かあったから、ではなく、この飽食の時代、小腹が空いたら何かを食べることがクセづいており、ひどいときはお腹がすいてなくても食べるということもたまにあります。

自身の胃を休めることと普段あたり前に食べている食べ物に対して感謝する一日として、習慣化して取り組んでいこうと思います。

金曜担当…佐藤成亮


 4月1日(月)
無題   月曜担当…池田光
お久しぶりですが、みなさま、お元気のことと思います。
いよいよ、4月。
新体制での「潜学講座」のスタートですね。
さらなる発展を祈念しております。

さて、ぼくの近況をお話しします。
いつもと同じように、本づくりをしています。
■5月中旬に発売予定の「中村天風」本の校正。
■淘宮術ガイドブックづくり。

まず、天風本ですが、2月に執筆。
そして、3月には、へとへとになるくらい校正を頑張りました。
「この本を、ぼくにとっての天風本入門書の決定版にしたいな」という思いがあります。

最近、出版されている天風本の解説本を見ると、その内容は面白くないのですね。
数十年前の解説書は、けっこう面白かったのです。
そこで、なによりも、面白い本にしようと思いました。
しかも、役に立つ本であること。
つまり、「面白い×役に立つ」という掛け算で、初心者をぐんぐん惹き込んでいける本を書きたいと考え、そんな思いで作り込んでいきました。

担当してくださったのが、ぼくにとっては初めての女性編集者で、きめ細かな編集をしてくれました。
斬新なタイトルをつけてくれました。
また、手軽に手に取れるサイズの本で、気持ちがいい装丁にしてくれました。
紙面のレイアウトも分かりやすくしてくれました。
細部にまで神経を届かせてくれました。
5月中旬の発売ですが、納得できる一冊になりそうです。

淘宮術のほうは、2色刷りのガイドブックにしようと決めました。
デザイナーさんと徹底的に本文のレイアウトを作っています。
フリータイムでカラオケルームを予約し、その部屋にパソコンを持ち込んで作業しました。
隣から、大音量の女子高生らしき歌声が聞こえて、なかなか集中できなかったのですが、進みだすと気にならなくなり、昼前から始めて夕刻までぶっ通しでやりました。

フリータイムの終了まで、2時間余り時間が残ったので、デザイナーさんと二人で久しぶりのカラオケをしました。
翌日は疲れて、二回昼寝をしてしまいました。

こうして3月が終わり、4月を迎えました。
4月は、淘宮術についての執筆が山場を迎えます。
これまで蒐集してきた淘宮術関連の本が百冊以上ありますので、主なものを読みたいと思います。
中には、手書きの本や、明治時代の写本などもかなりあり、どこまで読めるかわかりませんが、頑張ります。
手書きの本の頂点に立つのは、淘祖の直弟子の飯田勝美が、徳川慶喜に献上した手書きの本です。
15代将軍に献上しただけあって、立派な装丁で、しかも題字を徳川慶喜が書かれているものです。
神田の老舗古書店で、ガラスケースの中に特別展示されていたものです。
「高いなあ」
と思いながらも、将来のために購入しました。
その将来が、いま、やってきたわけです。
ひたすら、淘宮術に立ち向かっていきたいと思います。

では、みなさま、今回はここまで。
また、お会いいたしましょう。

月曜担当…池田光



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2012年7月2日~2014年3月31日
 




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