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湧くわく本心塾は互師互弟で、志を高め合おうとする集まりです。


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湧くわく本心塾は、互師互弟で、志を高め合おうとする集まりです。
儒教や天風哲学などの教えをベースに、さまざまな先哲の叡智に共通する真理を学び、また実生活で実践することで、塾生一人ひとりが自らの人間力を向上させていきます。
そして、各自がそれぞれの持ち場で「一隅を照らす人」となることを目的としています。

トピックス

  • 湧くわく通信第4号発刊
  • 照隅ライブラリー第4弾『ブッダの言葉~最古の原始仏典「アッタカヴァッガ」を読む~』 発刊
  • 照隅ライブラリー第3弾『禅の言葉~随処に主と作(な)れ!』発刊
  • 照隅ライブラリー第2弾『論語 人間を磨く言葉』発刊
  • 照隅ライブラリー第1弾『天風哲学の基本と実践 わが師中村天風に学んだ心身統一法』発刊
  • CD『中村天風から教わったお鈴・ブザーを使う瞑想法』制作

わくわくブログ新着情報

【担当】月曜…池田光、水曜…冨樫功、木曜…西端努斗夢、土曜…佐々木秀彦、日曜…八木正典


 9月22日(土)
修理   土曜担当…佐々木秀彦
『良識ある人は間違いがないということを重んじるのではなく、間違いに気付いたならば、その間違いを改めることを重んじるのである。』(佐久間象山)

三条木屋町と言えば、僕が何年か前まで、散発しに通っていた場所です。三条木屋町の交差点を眺められる空間で、大阪で暮らす日常をリセットするような心地よさがあったので、電車で1時間かけて髪を切りに行くことを楽しんでいた時期がありました。

佐久間象山は1864年にその三条木屋町で殺されました。禁裏守衛総督・摂海防禦指揮に就任した一橋慶喜に請われて「海陸御備掛手附御雇」に任ぜられ上洛していたということです。坂本龍馬、吉田松陰、勝海舟、河井継之助、等々は佐久間象山の弟子と言っても良いのでしょう。山田方谷と共に「左門の2傑」と呼ばれることもあるようです。殺された後には象山起草の「開国の詔勅(案)」が残されていたのは僕の今注目しているところです。

佐久間象山の威風堂々さは、同世代の人々からかなり異端扱いされたようです。自分の正しいと思うことを常に発信し続ければ、結果的に誰かに殺されてしまうのが、人間社会なのかもしれません。そこは悠久の歴史を誇る京都で、本音を簡単に表に出さないという伝統が育まれたのは、まさしく京都人の命を守る知恵というべきことなのでしょう。

三条木屋町界隈は高瀬川に面していて、柳と桜の並木になっています。春には誰もがカメラを構える美しい風景となります。暗殺されたのは154年前ですので、当時のままの樹々は現存してはいないのでしょうが、高瀬川の緩やかな流れは同じで、ちょろちょろと言う水音は同じなのかなと推測します。

近いうちに三条木屋町へ行って、高瀬川のせせらぎを聴いてこようかと思います。通称、「修理(しゅり)」と呼ばれた、佐久間象山の謦咳に触れていることを意識しながら…。

土曜担当…佐々木秀彦


 9月17日(月)
無題   月曜担当…池田光



仕事部屋に掲げているホワイトボードです。
右端に、2018年になすべきことを書いています。
大分類で、6項目。
10月下旬にはすべてが終わる予定です。(もう、ほとんど終わっています。)

ふりかえると、残念なのは、川井さんの個展に行けなかったことです。
遅れ気味になるのを取り返そうと、遊びや旅行をすべて取りやめてしまいました。
また、夜のお付き合いは、潜学講座だけにしました。

7月に思わぬ仕事が入って、これに時間が取られ、8~9月は追い込み状態でした。
締切り前の数週間は、集中力を欠くようになり、日に何度が風呂に入ったり、仮眠したりして、集中力を取り戻しました。
ラスト5日間は、毎日、喫茶店で原稿を推敲しました。さすがに喫茶店では、数時間ほど集中力が続きました。

13日の午後2時半に、出版社に原稿を納品すると、そのまま寝てしまい、二回トイレに起ったものの、翌日の昼ごろまで眠り続けておりました。

予定していたものがほぼ終わりましたので、これから数か月で身辺整理をします。
何度目かの身辺整理になるのですが、今回の目標は、本を2000冊以上処分することです。
ほかにも、趣味で集めたものを処分するつもりです。
身辺整理していると、これからの方針のようなものを、考えるともなく考えているものです。これが、なんとも良いのです。

また、歩こうと思います。
ずっと、部屋にこもっていましたので、足腰が弱くなりました。
涼しくなったので、散歩に出かけ、これからのことを考えてみようと思います。

月曜担当…池田光


 9月16日(日)
「言葉」   日曜担当…八木正典
初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。
万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。(ヨハネ福音書)


仕事をしている時は、なかなか言葉にできないプロセスや言葉にならない思考をいかに言葉にするかで悩んでいます。また、自分の思いをどのようなメッセージに変えて伝えれば、より理解してもらえるのかを必死になって考えています。
一方で、仕事を離れると、言葉に残されている思想や言葉で表現されている思考からいかに言葉でない世界をとらえるのか悩み、どうにかして言葉の世界を超えられるように突き詰めようとしております。
相反することを実現しようとしている状況を考えると、なんだか不思議な気持ちがする一方でそれを楽しんでいる自分がいるのです。

日曜担当…八木正典


 9月15日(土)
種蒔   土曜担当…佐々木秀彦
『遠きをはかる者は富み、近くをはかる者は貧す。それ遠きをはかる者は百年のために杉苗を植う。まして春まきて秋実る物においておや。故に富有なり。
近くをはかる者は春植えて秋実る物を尚遠しとして植えず。唯眼前の利に迷うてまかずして取り、植えずして刈り取る事のみ眼につく。故に貧窮す』(二宮尊徳)


僕の裸眼視力は右0.03左0.08です。もしメガネやコンタクトレンズが無い時代にうまれていれば「メクラ」と呼ばれていたのだろうと推測できます。実際裸眼で外を歩くなんてことは恐ろしくてできません。メガネやコンタクトレンズを発明し普及させてくれた方々には感謝しかありません。

一般的に営業職は結果を求められます。今日の成果、今月の成績、年間の数字、、、毎日何かを刈り取って、必ず持ち帰らなくてはいけない役割です。種をまく、植える、育てるのは仕入れや開発の部署という役割分担も確かに成立しているでしょう。

二宮尊徳は薪を背負って「大学」を読んでいる像で有名です。小田原藩で彼を登用したのは大久保忠真。松平定信が推挙して老中となり在位20年で幕府の財政改革に尽力した大名で、大久保彦左衛門の末裔という徳川家に忠誠を尽くした家柄でもありますが、下級藩士からの人材登用を目的とした藩校集成館も開設しました。その大久保忠真が登用して藩を任せていたのが「二宮尊徳」で、期待通りに藩の財政改革に大きな実績を残しました。何か備前松山藩の「山田方谷」と重なる気がするのは僕だけではないと思います。子供時代に「大学」を読んでいて、さらに大久保忠真の家臣だった環境から推測しても、二宮尊徳が青年期までに陽明学に触れていないと考える方が無理があります。

僕の不動産の経歴は営業からスタートしました。意識も刈り取ることばかりでした。そして肉体的にも「メクラ」同然の近視でもあります、物理的に遠くのものはボヤケて全く見えません。1年後のために、100年後のために、植えていく作業は全くしてこなかったことを深く反省しております。だから今、100年後のためにすることを強く意識して取り組んでいこうと思っております。それがメガネやコンタクトレンズの普及に尽力した方々への細やかな御礼になるのだろうと思います。

土曜担当…佐々木秀彦


 9月13日(木)
才能の財布   木曜担当…西端努斗夢
この春から「立花大敬オーディオライブラリーシリーズ」の音声編集をさせていただいています。

先日も編集のためにじっくりとお話を聴いていると、「才能の財布」と題したお話をされていました。

財布の中に30円しか入っていない人が1000円の商品を買うことはできるか?

大敬さんが言うには、買えるのです。
その方法と買える仕組みを聞いて私は、「なるほど!」とひとり唸ってしまいました。

財布に入っているお金を自分の才能に置き換えると、自分の中に秘められた才能を引き出すことも可能なのです。

音声データの配信は1~2か月後になると思いますが、興味のある方は、聴いてみてください。

木曜担当…西端努斗夢


 9月10日(月)
無題   月曜担当…池田光
環境を変えると、気づけなかったものに、気づけます。
ちょっと、大げさですね。
なんのことはない、原稿のことです。

現在、原稿の追い込みをやっています。
9月13日に、出版社に原稿を納品します。
あと、数日です。

土曜日から最終日まで、喫茶店に出かけて原稿を推敲するつもりです。
こうして環境を変えて、追い込みをやっているわけです。

誰かが、原稿を読んでくれたらいいのですが、それはなかなか叶いません。
編集者と、校正者のお二人が見てくれるのが、出版までの他者の目です。
しかし、これでは目が少ないので、環境を変えるわけです。
環境が変わると、自分自身の見方が少し変わります。
こうしてやって、同一人がなるべく別人の目で見るようにしています。
では、あと、数日。
ぎりぎりまで頑張ります。

月曜担当…池田光


 9月9日(日)
「不思善不思悪」   日曜担当…八木正典
最近読んだ本で気になった言葉に「不思善不思悪(善をも思わず、悪をも思わず、無我になってそのままの心になる)」があります。
六祖慧能が五祖弘忍(こうにん)から禅法を継承したとき、慧能を後継者にさせたくない門下の者たちは継承を認めようとせず追ってきました。そして継承の証である衣鉢を取り返そうとしたのです。その時に追い付いてきた門下の慧明(明上座)に六祖恵能が言ったものだそうです。

「不思善、不思悪、正にその時、いかなるか是、明上座が本来の面目」

六祖慧能は、是非・善悪といった二元性の相対的な考えや認識を超越した時に本来の面目は何だと問いかけることによって慧明の悟りを開かせたのです。
無我になったそのままの心であるがままに見、それを超えていくために、主体性をもって依りかからない自分を突き詰めていきたいと感じております。

日曜担当…八木正典


 9月8日(土)
声明   土曜担当…佐々木秀彦
『古代、インドでは「五明」と呼ばれる五つの学問があり、それぞれ「工巧明」は理学、「医方明」は医学、「因明」は論理学、「内明」は哲学、そして「声明」は音韻学を指しています。古代インドの声明はCabdra(音声) Vidya(明あるいは智)といい、発音や発声を中心とした学問でしたが、現在のような声楽としての声明が存在したことも古く経典の中にみることができます。』(高野山真言宗総本山金剛峰寺HP・声明解説)

今西最高顧問に「心を整える高野山のお経」のCDを頂きました。なんせ「お経」なので車の運転中に流すのは若干抵抗はありましたが、思い切って流してみました…これは「音楽」だと感じました。

東京に住んでいた20代の頃「京都で生でしょうみょう(声明)を聴きたいから連れってって!」と友人に誘われ大原の「勝林院」を訪れたことがありました。そこで初めて石琴や他の石でできた調音楽器を自分の手で弾いてみて、美しい音色に驚いたことがありました。この友人は黒人霊歌や讃美歌のようなものが、日本の仏教にもあって、「声明」という名称で現存しているらしいと噂に聞いて、これは京都へ行って確かめなければという強い衝動に駆られたということでした。携帯ナビの無い平成初期です、京都出身の僕なら当然知っていて案内できるだろうと思ったようですが、大原のある左京区で幼少期を過ごした僕でも、「勝林院」も「声明」も初耳でした。

その記憶もあったので少し調べてみました。大きく分けて平安時代初期から伝わる大きな基が「真言声明」と「天台声明(魚山声明)」。勝林院は比叡山麓ですから最澄の声明、車で流したCDは高野山のお経だったので空海の声明でした。

僕は「仏教伝来」を誤解していたと気づきました。上記引用文に解説されております「声明」は冷静に読めば「言語学」です。音楽も言語学の一部だと読み取れます。いわゆる「仏教」は「内明」の一部でしょう。空海、最澄が「内明」と「声明」だけを持ち帰ったと考える方が無理があります。「五明」全部を日本に伝えたのだと考えると、朝廷の近くに優秀な僧侶を配したのも、江戸時代の寺子屋が学校だったことも理解できます。教科書では「仏教伝来」と宗教伝播がメインで、他はオマケ的についてきたような記述です。最澄・空海が学んできたのは「仏教」という「宗教」ではなく、古代インドの「五明」という「学問」だったと認識を改めます。隋の学問とはまた別に古代インドの学問もしっかり持ち帰ったのはなんと凄いことでしょうか…表記は同じ文字にもかかわらず、梵語と漢語の違いをしっかり認識できていた凄さ…言葉が見つからないほど、空想が拡がります。

「心を整えるお経」という名のCDを車で流した訳ですが…こういうふうな「心を整える」に繋がることは想定外でした。何事も体験しなければ…今西会長いつもありがとうございます。

土曜担当…佐々木秀彦


 9月6日(木)
勉学と修行   木曜担当…西端努斗夢
先日、近畿地方に接近した台風21号は、これまで私が経験してきた台風の中でも最大級ではないかと思うほどのものでした。
我が家は幸い、テレビのアンテナが風で向きが変わった程度でしたが、カーポートや看板、屋根瓦が飛ばされたり樹が倒れるなど、あちこちで被害が出ていました。お昼ごろから停電し、ローソクの灯りで一夜を過ごしました。
台風が去ったと思ったら今朝は北海道で大地震、天から見れば私たち人間なんていかに無力かを思い知ることができます。
台風や地震で被害に遭った皆さまには、謹んでお見舞いを申し上げます
先週のブログで「自分の命は自分の判断で守るものではないでしょうか?」と書きましたが、もちろん、自分の判断とは言うまでもなく自分の薄っぺらい知識や経験ではなく、本心から発せられる声です。
命は、自分の本心に委ねるもので、御上(おかみ)に委ねる生き方だけはしたくないと私は思っています。そして、本心の声をしっかりと聴くために勉学と修行はあると思っています。

木曜担当…西端努斗夢


 9月3日(月)
無題   月曜担当…池田光
少し涼しくなってきました。
久しぶりに外に出て、9月1日の潜学講座に参加しました。

塾頭の加藤さんから、「台湾に残る武士道精神」という講座があり、
①台湾からの「日本」評がわかる
②「武士道精神とは何か」がわかる
という、二倍お得なお話でした。
そして、武士道精神が残る台湾から、
かつての日本から、
現在の日本に失われた精神を学ばなければならないという気になりました。

そんな講座をいただいたので、
10月6日の特別講座が楽しみになってきました。
「日本における陽明学のルーツを訪ねる」
というテーマで、バス旅行をするそうです。
近々案内があると思いますが、楽しみなことです。

また、潜学講座の第三講座では、「漢文読解『大学章句』を読む」として、
毎回、漢文を読んでいます。
こんなマニアックな試みは、ほかの勉強会ではやってないだろうと思います。
ちなみに、ぼくは一回分の予習をするのに、4時間ほどかかっています。
ほかにも予習している方が何人かいらっしゃっていて、
漢文読解のための議論をしています。
(お忙しいなか、予習するお時間のない方は、オブザーブしていていいので、
安心してご参加ください。
というか、ふつうは、予習などしませんよね。
予習して参加するほうが、変人ですので、ご安心ください。
ちなみに、写真は、ぼくの予習ノートです。)



昔、江戸時代に「会業」という共同学習会があって、
経書を十人くらいの武士たちで議論し合っていました。
進め方は、輪番制で当番になった人が発表し、
その後、質疑と討論をするわけですが、
弊塾の潜学講座でも、そんな要領でやっています。

もし、拙著『安岡正篤 運命を思いどおりに変える言葉』をお持ちでしたら、
109番目の言葉をご覧ください。
ここに、「会業」のことを簡単に書いております。

もう少し突っ込んで勉強したい方は、
辻本雅史『「学び」の復権 ~模倣と習熟』(岩波現代文庫)か、
前田勉『江戸の読書会 ~会読の思想史』(平凡社)をお薦めします。
読みやすいのは、前者でしょう。ぼくには、とても面白い本でした。



月曜担当…池田光


 9月2日(日)
「潜学講座」   日曜担当…八木正典
9月の潜学講座に参加してきました。
8月休みのため約2か月ぶりの会でしたが、非常に興味深いものでした。

池田塾長の塾長講座は、「漢文の読み方」を、加藤先生の講座は「台湾の人々に今も受け継がれている日本の武士道」を教えていただきました。

「漢文の読み方」では、漢文の訓読や複文(中国語本来の語順に改める)をいくつか行い、漢文の基礎を教えていただきました。
高校時代の漢文の授業を聞いているようで、当時はあまり興味を持てなかったものが、時代が変わると新たな気分でとらえることができ楽しいものでした。
池田先生の教えていただいた書籍等で少しずつ学びを深めていきたいと思います。

加藤先生の講座は、台湾に残っている武士道精神の実例や歴史的背景、現在の日本と台湾の関係性、武士道精神とは何かを教えていただきました。
これまでの加藤先生の話に刺激を受けて今年台湾に行ってみたのですが、昔の日本人が建築した施設(大学や博物館)を回ると日本の近代の歴史が本当にそこに残っていることを感じます。
今回も加藤先生の話を聞いているうちに台湾の人の温かみや礼儀正しさを思い出し、そこに残る日本精神を感じるためにまた台湾に行ってみたいと思った次第です。

今回学んだことや感じたことを周りの人にも伝えていき、少しでも思いが広がっていくとうれしいと感じております。

日曜担当…八木正典


 9月1日(土)
本体   土曜担当…佐々木秀彦
『自然は造化である。絶えざる創造変化である。淮南子にあるように、孔子も非常に褒めた蘧伯玉は「当年五十にして四十九年の非を知り、六十にして六十化した」人間五十になって四十九年の非を知るということは、これはどうも痛切なことだ。(中略)五十年にして四十九年の非を知る。今まで、いわばこの半生、一生は悪かった。これからまた新たにやり出す。こう考えるのが本当の学問だ。本当の人物だという。そうして六十になっても六十になっただけの自己を変化創造してゆく。六十にして六十化し、七十にして七十化し、八十にして八十化す。生きている限りは創造変化してやまない。これが自然の本体であり、人生の本体である』(安岡正篤・活眼活学)

暦が長月になりました。収穫の秋です。今年も五穀豊穣、実りの秋がやってきました。僕も多くの収穫に感謝する秋にしたいと思います。

上記引用文では『自然は造化である、絶えざる創造変化である』と断言しております。創造変化をするということは、極端に言えば昨日までを否定する気概で臨むべきということでしょうか…。夏が終わったのにいつまでも夏のままの意識ではたしかに進化はできないです。もう熱中症を心配しないで太陽の下元気いっぱい走り回っても大丈夫なのが秋です。

平成最後の秋の始まり、今年は僕にとっても大きな節目の年に成るということは間違いないです。新しい月の始まり、新しい秋の始まり…その新しい今日に、潜学講座で加藤さんからどんなお話しが聞けるのか、大学から何を学ぶのか、池田塾長はどんなお話をされるのか、懇親会ではどれだけ笑顔になるのか…
造化は増価、創造は想像、人生は尽誠…本体である創造変化を楽しんでいきたいと思います。

土曜担当…佐々木秀彦


 8月30日(木)
“民”から“人”に   木曜担当…西端努斗夢
最近は、自治体も親切になって台風が接近すると「避難勧告」や「避難指示」なるものを出して避難する時期まで指導してくれますが、私は大きなお世話だと思います。本来、自分の命は自分の判断で守るものではないでしょうか?
御上(おかみ)に命まで委ねるのは怖いことです。
戦時中の大本営発表に始まり「国が大丈夫だと言っているから……」と御上を妄信してどれだけ痛い目にあってきたか、そろそろ冷静になって見直す時代が来たような気がします。
私も“民”から脱皮し、自立・自律した一人の“人間”になろうと思います。

木曜担当…西端努斗夢


 8月27日(月)
無題   月曜担当…池田光
夏の間、ずっと家に閉じこもっていましたので、
かなり足が萎えてきました。
秋になったら、歩こうと思います。

晩秋には、『中村天風 折れないこころをつくる言葉』が出版されます。
ぎりぎりまで推敲を重ねています。

9月が近づいてきましたので、
そろそろ、いろんな活動をしなければなりません。

9月1日は、潜学講座です。
みなさまとお会いできるのを楽しみにしています。

月曜担当…池田光


 8月26日(日)
「無功徳」   日曜担当…八木正典
禅宗を開いた達磨太師が中国に教えを伝えたときの話です。
当時の中国で権勢を誇っていた武帝は深く仏教に帰依していた皇帝で、多くの寺院を建立し、自ら仏教の学びを深め講義ができるほどの人でした。
その武帝が達磨太師と出会った際にこう問いかけたのです。
「私はこれまでに仏教のためになる行いを数多く行ってきたが、この行為にはどのような功徳があるだろうか。」
この問いに対する達磨太師の答えは、「無功徳」という言葉でした。
達磨太師は武帝が行っていることは果報を期待して行っていることであり、それには「何の功徳もない」と言い切ったのです。

クリシュナムルティも、次のように言っています。
あなたが瞑想しようとこころみるなら それは瞑想ではなくなってしまうでしょう
あなたが善良であろうとするなら 善はけっして花ひらくことはないでしょう
あなたが謙虚さを身につけようとするなら それはなくなってしまうでしょう

わかっていても日々の生活の中ではすぐに見返りや私欲を考えて行動しがちになってしまします。
どうすれば「果報を期待せず、無心で行為を行う」ように自分を変えていけるか、見つめていけるかを意識していきたいと思います。

日曜担当…八木正典


 8月25日(土)
夏祭   土曜担当…佐々木秀彦
『伊邪那岐(イザナギ)・伊邪那美(イザナミ)の二柱の神は、別天津神(ことあまつがみ)たちに漂っていた大地を完成させるよう命じられる。別天津神たちは天沼矛(あめのぬぼこ)を二神に与えた。伊邪那岐・伊邪那美は天浮橋(あめのうきはし)に立ち、天沼矛で渾沌とした大地をかき混ぜる。このとき、矛から滴り落ちたものが積もって淤能碁呂島(おのごろじま)となった』(古事記・国生み・現代語訳)

塾生の冨樫功さんが主催した「関西・夏のスピリチュアル祭り2018」に参加してきました。僕は何も役を拝命したわけではなくただの観客ではあったので、通常なら「行って来ました」と表現すべき立場ではありますが、それでも「参加しました」と表現したくなる素晴らしいお祭りでした。

お祭りでは千秋さんはもちろん、潜学講座に参加された久しぶりのお顔がスタッフのTシャツを着られてまして何人かご挨拶をすることができました「佐々木さんですよね!ここにいらっしゃる方じゃないと思ってました!」潜学講座では見せなかった親近感溢れる笑顔でそう言われるとなんとも言えないコッパズカシイ気持ちにはなりましたが、4人の登壇者の講演を聴けば、そこには陽明学や天風哲学を踏まえた日常の生活理念の基本と完全に一致していると言って良いかと感じるそれぞれの素敵なお話しでした。それぞれの方が25万部以上という本を売り上げているのは納得できる深さと面白さでした。イメージや概念の世界と認識していた僕の「スピリチュアル」という言葉の印象を吹き飛ばして、実生活に即した人間として活きる上での基本的な心掛けみたいなものを敢えて言葉にするのが、今の「スピリチュアル」なのかもしれないなと感じました。

皆様はすでにご認識されていらっしゃることとは存じますが、冨樫さんはやっぱり凄い人です。僕も演劇という空間創造の世界で生きてきましたが、1000人以上の参加者の心をここまで一つにした空間を創造できる方だったとは…凄かったです。1クラス40人で1学年10クラスの高校の全校集会が1200人です。皆様の出身高校の規模で増減して推測していただきたいかと思いますが、その規模の全校生徒の心を一つにするイベントを冨樫さんはいつものひょうひょうとした表情でやってのけました。凄い方です…

演劇を主宰して良かった悪かったの一つの判断基準に、打ち上げの飲み会の雰囲気があります。打ち上げの雰囲気が全てと言っても過言ではないくらい、結果が凝縮されている時間です。この打ち上げに相当する懇親会がまた凄かった…スタッフTシャツを着た方々の満面の笑みが懇親会会場を包み込んで、笑顔と笑顔が永遠に拡がっていくような空間でした。冨樫さんをはじめ音楽に長けた方々も登壇されていらっしゃったので、ギターの即興生演奏でそんじょそこらのライブハウスなんて比較にならないくらい盛り上がる空間も凄かったです…そのキッカケを作ったのが千秋さんだったというのも僕的には心底面白かったです。千秋さんも凄い…

「関西・夏のスピリチュアル祭り2018」は「六甲アイランド」で開催されました。冒頭の引用の「淤能碁呂島」が何処なのかは特定されておりません。沼島や絵島ではないかという説が有力らしいですが、現在の六甲アイランドのある所に当時「淤能碁呂島」があったとしても不思議ではありません。主宰された冨樫さんの名前が「功」さらに一緒に主宰された、いでの幸恵さんの名前にも「幸」の文字。「淤能呂コウ愛ランド」=「淤能碁呂島」…というふうにシンクロさせた解説にすれば「スピリチュアル」的なのでしょうか???日本の国生みの伝説の島に例えたくなるくらい、「スピリチュアル」が「神話」と「日常世界」との垣根を無くす「新時代の創造」を予感させるような素晴らしいお祭りでした。

冨樫さん、そしてスタッフの皆様、ありがとうございました。あまりに多くの気づきをいただけたので、そこは徐々にまたそれぞれ御礼させていただきます。イベントは参加しなければ面白くないと僕は常々言ってはおりますが、今回もやはりそうでした。参加して本当に良かったと感じます。具体的にどんな様子だったかは、冨樫さんのアメーバブログ「水ブロ」をご参照願います。

土曜担当…佐々木秀彦


 8月23日(木)
私が行こう   木曜担当…西端努斗夢
イスラム教を説いた預言者ムハンマド(マホメット)は「山をこちらに引き寄せる」と言って大勢の人の前で色々なことを試みましたが山はこちらにやって来ませんでした。(ある意味、当然です)それで、「来ないのなら私が行こう」と言って山に向かって歩いて行ったそうです。
「来ないのなら私が行こう」と言って山に向かって歩いて行ったムハンマドの行動がすごいと思います。やはり一流の上に超が付く人です。

引き寄せの法則というのがあって、恋人やお金など欲しいものを引き寄せて手に入れる方法があるそうです。
詳しいことは私にはわかりませんが、実際にそれで恋人やお金を手にした人もいるとか?
けれど、恋人が欲しければ、好きな人に恋人になってもらえるように必死で口説く。お金が欲しければ、一所懸命働く。
自分から動いて自らの手で掴んだ方がシンプルだし、手っ取り早いと私は思うのですが……。

決心したら動いて、あとはお任せ。その時に必要ならば手に入るし、必要でなければ手に入らない。ただそれだけのこと。

木曜担当…西端努斗夢


 8月20日(月)
無題   月曜担当…池田光
形山睡峰『禅と哲学のあいだ』という新刊があるのですが、この書名に惹かれて、読もうかどうか、迷っていました。

試しに、安価で売っていた、同じ著者の『「無心」という生き方』を取り寄せて、少し読んでみました。
すると、次の文章があり、ぼくは大変びっくりしました。

「我が家の庭の小さな水溜りの中でも、毎年、オタマジャクシが数えきれない量の卵を生む。しかし、その大半が他の生物の餌食になって、ちゃんと蛙に育つのは一割もいないのである。」(形山睡峰『「無心」という生き方』22ページ)

思わず、ぼくは付箋を貼り、「オタマジャクシが卵を生むか調べる」と書き込みました。
ぼくはこれまで、蛙が卵を生む、と思い込んでいたのです。
しかし、成熟してからでなく、子供のころのオタマシャクシの段階で卵を生むという生物だったのか、と心底びっくりしました。

生物は種を残して死にますから、オタマジャクシが卵を生めば、オタマジャクシの段階で完結していることになります。
蛙になる必然性は、まったくないわけです。
にもかかわらず、蛙になるというのは、いったい蛙とはどういう位置づけになるのか?
「生む」という使命もなく、次の進化段階に進める「蛙」とは、新たな役割を担っている生物なのだろうか、といろいろ想像しました。

さて、後で付箋に書き込んだことを調べてみると、著者の間違いであり、蛙が卵を生むということでした。
がっかりしました。
こんな奇妙な生物がいたのかと、内心、興奮していたのですが……。

月曜担当…池田光


 8月19日(日)
「瞑想」   日曜担当…八木正典
見るためにはあなたは一切の権威や伝統や恐怖、あるいは狡猾な言葉に満ちた思考から自由でなければならない。真理はどこか遠くにあるのではなくあるがままの現実を見極めることにある。あるがままの己の姿を曇りなく、あれこれの判断をさしはさむことなく見ることこそは、一切の探求の始まりであり同時に終わりである。(クリシュナムルティ)

クリシュナムルティは、瞑想を過去に惑わされることなくあるがままの現実を見るような精神から生まれる、全的な無行為であると言います。
それは一日のうちのある時期に限って行われるものではなく、朝から夜まで、見るものによらずに絶えずひたすら見ることによるもので、瞑想を行おうと意識したり、形式ばったりすると、見たいものを見るという思考の働きが現れ、真の瞑想を阻害してしまうというのです。
あるがままにひたすら見ることによって言葉や時間や思考を超えたところにたどり着くのかはわかりませんが、トライしてみたいと思うのです。

日曜担当…八木正典


 8月18日(土)
飛瀧   土曜担当…佐々木秀彦
『水は生命の母と申し、那智山信仰の根元であります。古来、延命長寿の信仰が篤く、数多の滝修行者や参拝の人々が詣で、今日もこの御瀧の水は延命長寿の水として尊ばれています』(熊野那智大社公式HP・「那智御瀧」の由緒より引用)

那智の滝へ行って来ました。滝そのものが「飛瀧神社」の御祭神です。従って飛瀧神社には本殿がありません。もし本殿を造営しようとするなら「御瀧」すべてを本殿に納める規模の建物になることでしょう。出雲大社の遺構から推測しますと、その規模の本殿の建造も十分に可能ではあったとは思いますが、那智の御瀧に屋根をかぶせることはしなかったようです。実際訪れてみますと、瀧の周りに立ちめぐる樹齢数百年はゆうにありそうな樹々達が厳かに、参道を含めて本殿に参詣しているような空間を形成してくれております。

豪快に飛流する御瀧前の鳥居に書かれている『飛瀧神社』という文字を見てとても清々しい気持ちになりました。漢和辞典では「飛」は「とぶ、空をかける、速い、こえる」。「瀧」は「水と龍から成り立つ文字で、雨が降り込める意」ということでした。

お盆にはお休みもありますが、法事もあります。嫁の実家でお経をあげていただく住職は素晴らしい方だと常々思っております。今回お経について解説をしていただきました。要約するとお釈迦様の仰ったことが書かれたのが「お経」、最澄や空海や親鸞等々がそれに補足や解説を加筆したものをお坊さんは唱えている、だから「お経」だけを唱えているのではないということでした。さらに日本人が加筆、補足したものは当然に日本語である。文面が漢字だけが並んでいるので、漢語みたいな印象だけど、加筆、補足は間違いなく日本語です。「お経」は元々インド語なのが、中国に伝わって漢字に置き換えられたので、漢字だけを見ても意味不明な文言もけっこう多いというお話しでした。そういえば現代でも「カラオケ」を音だけで中国語表記に翻訳して使用していますが、仏教伝来当時からそういう気質は同様なのだなと僕は可笑しくなりました。

自然界の神羅万象を神様として崇拝する原点のような「飛瀧神社」。法事での「お経」の解説。今年は日本人として正しいお盆休みが過ごせた充実感がありました。

土曜担当…佐々木秀彦


 8月16日(木)
お墓参り   木曜担当…西端努斗夢
子供の頃からおばあちゃんと一緒によくお墓参りに行ったものです。お墓参りの意味も分からず、帰りにお菓子を買ってもらえるのが楽しみで喜んでおばあちゃんについて行っていました。

最近は、「忙しい」というのを言い訳にしてお彼岸とお盆、年末ぐらいしかお墓参りに行っていません。

そんな私が今年のお盆、お墓参りに行って、ふと思ったことは、「この墓石にご先祖様の魂は本当に宿っているのか?」ということです。

「私のお墓の前で泣かないでください。そこに私はいません。眠ってなんかいません」という『千の風になって』の歌が何年か前に話題になりましたが、この歌の通り墓石にご先祖様はいないのかもしれません。

墓石にご先祖様がいないのならどこにいるのか?
ご先祖様の居場所は、自分の肉体・Bodyではないでしょうか?
「先祖代々の記録など全ての情報がDNAに刻まれているとすれば、魂を宿らせていただいているこの肉体こそ、ご先祖様そのものなのでは?」というイメージが墓前で手を合わす私の脳裏に浮かんできたのです。

荒っぽい言い方をさせていただけば、お墓はスーパーやドラッグストアがお客をつなぎとめるために配布しているポイントカードのようなものだと思います。

ついでに言わせてもらえば、世の宗教は釈迦やキリストら教えを開いた人の言葉をどれだけ正しく伝えているか疑問です。時の宗教者や権力者らが自分たちに都合のいいように手を加えているような気がして信用していません。

こんなことを書けば宗教者や敬虔な信者の方々からお叱りを受けると思いますが、私は決して無神論者などではありません。ご先祖様への感謝を忘れたことはありませんし、誰よりも神様(仏さまも含めて)を信じ、敬っている者だと自負しています。

木曜担当…西端努斗夢


 8月13日(月)
無題   月曜担当…池田光


湘南内科医院の院長である橋本敦生先生が、新刊『よなげる』を出版されました。
橋本先生は、わが国に、NLPを紹介した先駆者でもあります。

ぼくが橋本先生にお会いしたのは、46歳のときでした。
あれから、ずいぶんと時が流れました。
現在、橋本先生は、88歳だそうです。
非常に誠実な方で、先生の湘南のご自宅で何時間もお話し、いろんな資料(特に、橋本先生の師・大逸守一氏の会報をまとめたものは貴重でした)をいただいたことが思い出されます。

橋本先生は、NLPをご研究されている一方で、淘宮術の研究をされています。
そして、「テンゲングラム」という診断を開発されました。
2014年に『テンゲングラム』(春秋社)を出版されたとき、先生から送られてきた本とともに、「『テンゲングラム』を日本の常識にしたいと思っています」という言葉が添えられていました。

ぼくは、現在、中村天風の本を書いていますが、これが終わったら、淘宮術の小さな本を一冊まとめるつもりでいます。
これについては、一般社団法人日本淘道会とタイアップする企画を進めています。
その後は、「テンゲングラム」をどう普及したらいいかを考えてみたいと思っています。
わずかながらも、ぼくの使命は残っているようです。

月曜担当…池田光


 8月12日(日)
「思考すること」   日曜担当…八木正典
思考は、それ自身を、コントロールする者とコントロールされるものに分断しました。しかし、あるのは「思考すること」だけです。コントロールする者もコントロールされるものもなく、「思考する」という行為だけがあります。(クリシュナムルティ)

休みを利用してクリシュナムルティの本を読んでおります。
クリシュナムルティの本はこれまで何度か読もうとして言葉が頭の中に全く入ってこず断念した経験があるのですが、今回は興味深く読めております。
見る者の見られるものがあるという二元論とその状態を超えたところにある一元論の展開は非常に面白く驚いております。
自分自身を理解するためには観察が大事である、しかも「あるがまま」に観察を行うことが大事だと語っております。自分でこうだと考える自分ででもなければ、こうあるべきだと考える自分でもなく、ただあるがままに自分が思考することに気づくことが必要なのだそうです。

常識や権威やあるべき論に縛られることなく、自分で縛ることもない。
思考をただありのまま観察することによって、そんな感性も取り入れてみたい気がしております。

日曜担当…八木正典


 8月9日(木)
夕日   木曜担当…西端努斗夢
先日、フェイスブックに以下のような文章を投稿しました。


きょうは、夕日がきれいでした。きれいだなと思って車を走らせていたら知人から「今日は綺麗です 夕日が。。」というメールが届きました。
このきれいな夕日を大自然は、少なくとも私が住んでいる地域のすべての人に平等に見せてくれていたはずです。
しかし、この夕日に気付く人、気付かない人、きれいと思う人、なんとも思わない人、反応は人それぞれ千差万別です。
たかが夕日、ほんの些細などうでもいいことですが、大自然からの贈り物にどう反応するかによって人生が大きく違ってくると、私は信じています



「運がよくない」「思いが実現しない」「幸せになれない」と言っている人って、もしかしたら夕日に気付かない人と同じなのかも? 心に余裕があったとしても何かが足りない……。

木曜担当…西端努斗夢


 8月6日(月)
無題   月曜担当…池田光
うちの玄関に、ネムノキがあるのですが、
前に水をやり忘れて、枯れた状態になりました。

が、水をやると息を吹き返し、
なんと、これまで見たことがないほど、
花を咲かせるようになりました。
危機感を感じて、子孫を増やそうとしているのだと思います。



天風先生は、
生命とは、生きて、生きて、ひたすら生き抜く強いものだと言います。
ネムノキのようすを見ていて、本当にそうだなあと。
そんなことを思いながら、現在、天風の本を執筆中です。

月曜担当…池田光


 8月5日(日)
「心を養う」   日曜担当…八木正典
一学者の目を病む有り。寂寂として甚だ憂う。先生曰わく、爾乃ち目を貴んで心を賎しむ、と。
(伝習録)



今年の夏は本当に暑いですね。
各地で40度超えの気温となっており、テレビでは熱中症のリスクを連日のように報じております。

私も暑さで体調を崩しがちになっていますが、弱くなりそうな心の在りかたを切り替えるために天風先生の誦句や中村春治の「心の力」を読むことにより、自分の心を叱咤激励しています。
そうすることによってあれこれ取り越し苦労で悩まないようにしたいと考えているのです。
正しい心を作り上げ、自分で自分の心を賎しむような真似だけはしないように、意識を集中ししっかりと習慣づけしていきたいと思います。

心に力ありといへども、養わざれば日に泯ぶ。心に霊ありといへども、磨かざれば日に昏む。
(中村春治「心の力」)


日曜担当…八木正典


 8月4日(土)
交響   土曜担当…佐々木秀彦
『子曰く、古者民に三疾有り。今や或は是れ亡きなり。古の狂や肆、今の狂や蕩。古の矜や廉、今の矜や忿戻。古の愚や直、今の愚や詐のみ。(論語・陽貨第十七)
―現代語訳―
昔は、民に憂うべき三つのことがあったが、今はどうやらそれさえなくなった。昔の狂(志が大きくて足元を見ない)は肆(おおまかでこせこせしない)であったが、今の狂は蕩(きままほうだい)。昔の矜(自分をかたく守る)は廉(節目を正して潔い)であったが、今の矜は忿戻(怒って争う)。昔の愚(おろか)は直であったが、今の愚は詐(ごまかし)ばかりだ。』(伊與田覺著・仮名論語)


僕は新人類と呼ばれた世代です。少し先輩の共通一次世代まではヒトに含まれていたのですが、旧態依然の常識を突き抜けた理解不能な言動をする僕たちはもはやヒトではなく「新人類」というヒトとは別の生命体だと当時の大人たちに呼称されました。その僕も昭和世代やバブル世代と気づけば進化から取り残された旧式日本人と呼称されるようになりました。新人類がヒトという種類に含有されてしまったのはいつ頃だったのか記憶にありません。

先日、民間資格試験を受けてきました。驚きました。パソコンに直接回答します。筆記用具は使用しません。試験終了と同時に採点結果が画面に表示されました。自分の得点が合格圏にあるかどうか試験終了時に知ることができるシステムに感動すら覚えました。この試験システムは普及すると感じました。道具は日々目まぐるしく進化しております。

論語は紀元前200年辺りに書かれたのではないかということですが、上記引用の文言です。最近の風潮を憂う先輩の気持ちは2200年前も今も同じというのが凄く面白いです。またその憂う具体的内容も現代とほとんど同じというのが、ヒトは進化しているのかいないのかという根本的な部分の疑問に繋がります。

先哲の教えを勉強することで、その先哲の教えを学んだことのある民それぞれすべてが仲間なのだなと思うと何か元気になれます。この2200年間に論語を読んだ人は何人ぐらいいるのでしょうか???論語を直接は読まなくてもその内容を誰かから教示されて心に良い影響を受けた人は2200年間でいったい何人になるのでしょうか???描かれている先哲は間違いなく凄いのですが、各々の時代にこれを良い話だなと感じて実践したり伝えたりしていた無量大数的の人々と心が通じ合うのが、先哲の書を学ぶ一番の醍醐味なのかもしれません。宇宙と繋がるというのはこういうことだと感じます。

土曜担当…佐々木秀彦


 8月2日(木)
お客様は神様?   木曜担当…西端努斗夢
「お客様は神様です」という言葉を時々耳にしますが、本来、客と売り手は対等だと思います。売買は、互いの利害が一致して成立するものです。
そんな言葉に踊らされて自分は神様だと思っているお客様がいるとしたら、私はその人の人格を疑います。
「お客様は神様です」という言葉は、商人にとって大切な心構えの一つを言ったものではないでしょうか?
客であろうと売り手であろうと関係なく、どんな人でも今、目の前にいる人を神様だと思って大切に接しなければいけないと、あらためて自分に言い聞かせています。

木曜担当…西端努斗夢


 7月30日(月)
無題   月曜担当…池田光
ブログを拝見していると、
佐々木さんが、川井信一さんの「石の彫刻展」を訪ねられたとか。
それをお読みし、良かったと思いました。

石彫というのは、彫るのも、搬出入もおおがかりで、
毎年実施できるものではありません。
数年に一度ですから、とても希少です。

また、西端さんも訪ねられたそうで、
川井さんも嬉しかったろうと思います。

「石の彫刻展」は明日までです。
そこには、異次元の空間がつくられています。
ご都合のつく方は、ぜひ、行かれてはいかがでしょう。

ぼくもゆっくり訪ねるつもりで、ホテルを予約していたのですが、
仕事が押してしまい、とても残念に思っております。
「石の彫刻展」の期間中は、何度も川井さんのことを浮かべながら、
遅遅としか進んでくれない執筆に明け暮れております。

月曜担当…池田光


 7月28日(土)
意志   土曜担当…佐々木秀彦
『夕やけぐもは ことばにならぬ わたしのおもい』(川井信一著・雲悠々)

名古屋で開催されております川井信一さんの「石の彫刻展」に行ってきました。17年間会っていない東京時代の友人が、金沢から名古屋に引っ越して、近くなったのでそのうち会おうと言いだけで実現しないまま半年が経過したところに、川井さんの彫刻展の開催でした。友人に連絡すると予想以上に興味をもってくれたので、それじゃこの機会だろうと一緒に行こうとなった経緯もありました。

友人と川井さんは「自分のお墓を自分で彫って作る」という話でかなり盛り上がっておりました。今は現役を退いた純粋な江戸っ子畳職人の実父に、石を彫らせれば素晴らしいお墓を創り上げるに違いないと友人は直感したようでした。最近の日本人の没個性は、画一的に造成された個性の欠片も感じられないお墓に埋葬されるという現実が大きな要因なのではないかという一つの結論を導き出したようです。「最後があんなお墓ばかりになったから、生きている最中もやっぱりそうなるんだよね…」

僕は川井さんの彫った石に直接手で触れてみます「石って温かい…」。小さな作品を抱き上げてみます「目線が変わると表情が全然違う…」。川井さんから「この子は…」とその場で解説を聞かせていただけます。僕は少し大きめの作品も抱き上げてみます「重い…石は見た目よりはるかに重いものなんだ…」

「石」と「意志」は同じ音です。漢和辞典を繰ってみました。「意」は「こころ・こころばせ・のぞみ・私利私欲…」。「意志」は「かんがえ・こころ・知、情に対するもの…哲学や心理学では意志といい、法学では意思という」

石が石に成るのは千年かかるのでしょうか?一万年かかるのでしょうか???百年程度じゃ石に成り切れない気はします。人間の意志も創り上げるのに数年数十年かけるべきなのかもしれないと感じました。

「御影石」はキラキラ輝く雲母が入っています。本来は花崗岩という名称なのではありますが、石材として扱う時に日本では御影石と呼びます。さまざまな有色鉱物も含まれてその割合からさまざまな色や輝きになるそうです。鳥居、橋梁、石垣、、、そしてもちろん川井さんの作品にも御影石はポピュラーな石材です。緻密で堅く、色も微妙な風合いがありキラキラ輝く花崗岩。陶器の原料も真っ白な砂浜も花崗岩が元となっているということです。この花崗岩を「御影石」と呼ぶことは日本の「お蔭様」の心が入っていると僕は思います。

「御影石」のような「御影意志」を僕の心に形成していかなくてはいけません。川井さんありがとうございました。

土曜担当…佐々木秀彦


 7月26日(木)
異常気象   木曜担当…西端努斗夢
暑い日が続いています。
あまりの暑さに一部のマスコミでは「異常気象」という言葉を使っています。
しかし、考えてみれば、何と比べての異常なのでしょうか?
たかが数十年の気象データと比較しているだけに過ぎません。
むしろ変化して当たり前、人間ごときが大自然の変化に対して異常と言うのは、おこがましいことだと思います。

木曜担当…西端努斗夢


 7月23日(月)
無題   月曜担当…池田光
これまで、漢文の参考書を何冊か求めましたが、
辛抱が足らず、最後まで読み通すことができた本は稀です。

そんななかにあって、
前野直彬氏の『漢文入門』は面白かったです。
機械的な漢文読解法ではなく、
いちばん読みたかったことを書いてくれています。
しかも入門者のために。



この本は良く売れているらしく、
出版社は気を良くしたのか、
同じちくま学芸文庫として、
前野直彬氏の『精講 漢文』が8月上旬に刊行されるようです。
もともとは絶版になっていた参考書で、これが文庫に収まります。

前に、加地伸行氏の『漢文法基礎』(講談社学術文庫)が出ましたが、
この本も参考書で、古書としてプレミアムがついていました。
ライバル文庫である講談社学術文庫と、ちくま学芸文庫に、
名参考書の二冊が収まることになります。

これらの本は、漢文を読むための道具本です。
道具だけが売れるということはなく、
道具が売れる背景には、漢文を読みたいというニーズがあるわけです。

どんな分野にも道具を揃えるという人がいます。
たとえば、料理をするなら、料理道具を始めるところから入る。
大工仕事をするときには、大工道具を揃える。
本を読むにも、道具本があるわけで、辞書などはその基本中の基本です。

道具には、美があります。
庖丁とか、鋏とか、美しい道具を見ていると惚れ惚れとします。
ぼくは道具が大好きで、使わない道具が増えてしまうのですが、
漢文の道具本として、前野直彬氏の『漢文入門』は損しません。

月曜担当…池田光


 7月15日(日)
「行為の結果」   日曜担当…八木正典
志を立てて功を用うるは、樹を種うるがごとく然り、その根芽するに方りては、猶ほ未だ幹あらず。その幹あるに及ぶも、猶ほ未だ枝あらず。枝ありて後に葉あり。葉ありて後に花実あり。初め根を種うる時は只管栽培灌漑して、枝の想を作すことなかれ。葉の想を作すことなかれ。花の想を作すことなかれ。実の想を作すことなかれ。懸想するも何の益かあらん。ただ栽培の功を忘れざれば、枝葉花実のある没きをおそれんや。(伝習録)


王陽明は、志を立て実現していくことは樹を植えることと同じだと言います。樹を植えた際にはひたすらに根本の培養に力を注いで努力すべきであり、根本を培養している段階で枝葉や花実のことを想像してはならないと言っています。ひたすら根本を培養することに努めていけば自然と枝葉花実はついてくるというのです。
これは、バガヴァット・ギーターで説かれているカルマ・ヨーガ(我執なく、行為の結果に執着することなく行為する)と似ていると思います。

君には定められた義務を行う権利はあるが、その結果についてどうこうする権利はない。君は何らかの結果を求めて行為してはならず、また何もせぬという怠惰に陥ってもならぬ。(バガヴァット・ギーター2-47)

自分が目標とすることに対してすぐに行為の結果を期待するのではなく、行為そのものに徹底的に打ち込んでいく。そんな努力を続けたいと思います。

日曜担当…八木正典


 7月21日(土)
英才   土曜担当…佐々木秀彦
『絶大の豪傑と称せらるるものといえども、おおむねは卓越の才性ある人にあらず、ただ資質平等なる人の、久しきに耐えて、大業を成就せるものなり。ある人曰く「英才といいて、別に一種の才あるにあらず。常人の憤発切至せるものを英才というなり」ある有名学士の説には「英才といえるものは他なし。勉励の力の別名なり」といえり。ジョン・フォスターの説に「英才は心火の光を発する力なり」といえり。ビュッフォンは「英才は、すなわち忍耐なり」といいしなり』(中村正直訳・西国立志編・第四編「勤勉して心を用うること、および恒久に耐えて業をなすことを論ず」)

昭和の頃「英才教育」という言葉をよく耳にしました。平成に変わった頃からは「帝王学」という言葉になっていたように思いますが、現在はどちらもあまり聞かない気がします。池田塾長から中村春二の「心力歌」を教えていただき、解説いただくたびに、この「英才教育」というのは「心の力教育」だなと強く感じます。

今西最高顧問より毎月配布していただく暦の上部には今までの中村春二の「心力歌」が引用されておりましたが、今月は坂村真民という方の詩となっております。

『…のぼる日、しずむ日、まるい月、かけてゆく月、四季それぞれの星の光にふれて…』(坂村真民・二度とない人生だからより1部抜粋)

月の輝きも、灼熱の太陽も「星の光」だということ忘れておりました。僕の心はまだまだ雑念妄念で満ち溢れているようです。

『湧くわく本心塾』という名称の塾で学ばせていただいておりますが、「本心」を磨きつづけていくという学びは昭和の言葉で言う「英才教育」だということに気づきました。今年は僕にとっても何かの「節目」になる予感がします。

土曜担当…佐々木秀彦


 7月19日(木)
そう思うだけ   木曜担当…西端努斗夢
幸せになる方法はたったひとつ
不幸になるのも
原因はひとつしかない

ただ、そう思うだけ

幸せか不幸かは自分が決めるもの

木曜担当…西端努斗夢


 7月16日(月)
無題   月曜担当…池田光
7月14日の潜学講座では、みなさまにお会いでき、とても楽しかったです。
日頃は、どなたともお会いすることがありません。
家内と話す以外は、執筆と読書と睡眠が占めているなかで、こんなにたくさんの方々とお会いできるのは潜学講座を置いてほかにありません。
懇親会では、16日間アルコールを口にしておらず、17日ぶりのお酒に酔いました。

さて、八木正典さんの講座では『バガヴァッドギーター』を要領よく紹介され、お聞きしているうちに読んでみたいという気になりました。確か、書庫のどこかに『バガヴァッドギーター』があるはずですので、探してみようと思います。
『ウパニシャッド』は少し読んだ記憶があるのですが、この分野はあまり手をつけていませんでした。楽しむ読書をしたいと思います。
ぼくが興味深くお聞きしたのは、八木さんの主軸であろう陽明学とは別に、今は天風哲学を学ぼうとされていて、その基底にあるヨーガ哲学という視点から『バガヴァッドギーター』を講座に選ばれたといった動機でした。

『大学』の漢文読解では、佐々木秀彦さんが訓読と現代語訳を披露してくれました。彼の長所は、想像力でしょうか。
かたっぱしから漢和辞典を引くことで出来あがった語意空間のなかで、彼は想像力の翼を広げられたのかもしれません。佐々木さんの現代語訳は収まるところに収まっていました。どうやら、漢和辞典は彼の良き武器になりそうですね。

ぼくは、2013年来、問題意識をもっていた「理入と行入」の最終報告をいたしました。
6月に出版した『中村天風 「心の力」瞑想録』で披露した「理入と行入」の理解を第一章とすると、紙幅の関係で書けなかった最終定義を「第二章」と位置づけて、この度の講座で発表しました。
これにて、「理入と行入」の探究はゴールに達しました。
ぼくは愚鈍であります。5年強もの歳月がかかったわけですから。
最初は出口が見えなかったのですが、トンネルを掘り続けているうちに、どこを掘ればいいかという方向性が定まり、ようやく出口に突き抜けた感があります。
しかし、突き抜けてみれば、天風哲学の様相はずいぶん違ったものになっていました。
それは、杉山彦一先生に教えていただいた天風哲学が、自分のものになったということなのかもしれません。
今回の講座でお話したことが、ぼくが辿りついた天風哲学の骨です。
この骨を、参加していただいた方々と共有できたことが、ぼくの喜びであります。

月曜担当…池田光


 7月15日(日)
「理入と行入」   日曜担当…八木正典
7月の潜学講座で池田先生から中村天風の「理入と行入」に関しての講義を聞かせていただきました。
これまでの池田先生の天風哲学を突き詰めた結果が表現されており素晴らしいものでした。
「理入は理論から入って覚ることで、行入は行から入って覚ることである」という一般的な見解の誤りを指摘し、「理入は真理を瞬時に覚ること(頓悟する)、行入はたえざる修行により徐々に悟る(漸悟する)ことだ」との内容を山登りに例えた解説が秀逸で、聞かせていただいて有難い限りです。

また、池田先生が新たに出版された『中村天風 「心の力」瞑想録』に、先生が本テーマを深く掘り下げた経緯や背景、たどり着いた考え方が詳しく書かれております。
講義で先生から教えていただいたことを振り返りながら、理解を深めようとしている天風哲学の学びに本書籍をしっかりと活用していきたいと思います。

日曜担当…八木正典


 7月14日(土)
本末   土曜担当…佐々木秀彦
『物に本末有り。事に終始有り。先後する所を知れば、則ち道に近し。(現代語訳)物事には必ず本と末、終わりと始めがあるものである。そこで常に何を先にし、何を後にすべきかを知って行動すれば人の道に大きくはずれることはない。』(伊與田覺著・仮名大学・大学を素読する)

勉強には時間をいくらかけても全然足りません。今年の潜学講座では「漢文読解」の講義が年間通して行われますが、僕にとってこの予習はなかなかの難敵です。特に漢和辞典というものは非常に厄介な存在で、時間の効率化を頗る妨げます。

僕は漢字が好きです。文字の成り立ち、音、さらには複数の語意があって、文字の順列組み合わせと前後の流れで様々な色彩に変化することができる日本語に大きな誇りを感じています。古文を現代語に訳すためにこの漢和辞典があるわけですが、この漢和辞典には、文字の成り立ち、現代では遣われなくなった意味、熟語、等々、僕の知っている漢字の、僕の知らなかった表情が溢れるほどに記載されております。これを眺め始めると、すぐに時間が経過してしまって…これにはほとほと困っております。

そんなこんなで四苦八苦していながら訳している處に、上記引用文が登場します。「本末」を理解してない勉強方法を実践している僕へ、先哲の温かいご指導なのでしょうか???

潜学講座で「漢文読解」が始まったので、漢和辞典を中学生の時以来に繰る作業となる僕もどうなのかとは反省もしておりますが、そこにこういう機会があるということは本当に有難いなと苦しみながら感じております。

「本」=根幹、「木」の幹に一本筋が入っています。
「末」=枝葉、「木」の葉が繁るように一本筋を入れています。

そんな「枝葉」のところに、いちいち「おっーー!」と感じているので、「根幹」の現代語訳の作業は遅々として進みません…

花も果実も枝葉末節です。新緑や紅葉もやはり枝葉末節の旬の変化です。何を先にし、何を後にするのかをしっかり理解して取り組むのが肝要なら、僕の勉強は、「大学」を現代語訳するのは枝葉末節で、根幹はこの漢和辞典を繰り繰り読むことだろうと感じております。そういう観点ですので、現代語訳は遅々として進みませんが、そこも含めて楽しんでいる僕がいます。

土曜担当…佐々木秀彦


 7月12日(木)
流れ   木曜担当…西端努斗夢
昨日から高校野球の地方大会が開幕しました。私は今年も地元のテレビ局とラジオ局で高校野球関連の番組づくりをお手伝いさせていただいています。
テレビ局での仕事は、一試合を映像と原稿で3分15秒にまとめること。初日、2日目はカンが戻らず戸惑うことが多いです。
難しいのは、ただ単に誰が打って何点取ったかではなく、試合の流れを見て勝敗の分かれ目となったポイントをさりげなく盛り込むこと。
初日の昨日、私が担当した試合は、リードされる中、リリーフに立った1年生の投手が中盤、相手打線を無得点に抑えたことで流れを引き寄せて逆転勝ちにつながりました。
2日目の今日は、序盤、何度もピンチを招きながらそれに耐えて無得点で切り抜けたことによって流れを引き寄せたことが勝利につながりました。逆に負けたチームは、序盤のチャンスを生かして流れを一気に引き寄せられなかったのが敗因です。
ゲームも人生も流れを読んで引き寄せることが大事だと思います。じっとしていても流れはやってきません。

木曜担当…西端努斗夢


 7月9日(月)
無題   月曜担当…池田光
気がつけばこの12日間、一滴もアルコールを口にしていません。
6月下旬に、お腹の調子がよくなかった結果です。

さて、お話はアルコールを抜いたことではなく、ぼくの昼寝のことです。
お昼ご飯を食べると、どうしたわけか眠くなり、毎日昼寝をしています。
なぜ、こんなにも昼寝がしたくなるのだろうと思い、きっとお昼に呑むアルコールのせいではないかと思っていたわけです。

ところが、ここ何日かアルコールを抜いているかもかかわらず、依然としてお昼ご飯を食べると眠くなり、昼寝をしています。
原因は、アルコールのせいではありませんでした。
このことが、アルコールを抜いたことでわかったのです。

すると、原因は夜の睡眠が浅いせいではないかとも思ったのですが、そうでもなさそうで、どうもぼくの精神状態がたるんでいるせいだとしか思えません。
しかし、眠いものはしかたがありません。
気にせずに、寝たいだけ寝ています。

本多静六は、寝るときは何もかも天に預けた気になって、①短い時間の睡眠を、②深く眠る。すると、5時間の睡眠で充分。あとは、お昼に10分ほど仮眠したらいいと言っていたように記憶しますが、耳に痛い言葉です。

さて、上記のように、ぼくは昼間に眠くなり、夜の睡眠を合計すると長時間寝ているわけですが、ここでぼくなりの対処法を記しておきます。
それは、集中する時間を一日に5時間だけつくるということ。
そしてこの時間を、その日における一番創造的な仕事に充てる、というものです。
あとの時間は、だらーんと本を読んで過ごしたり、ぞろぞろと動いたりしています。

「集中した5時間を確保する」ことさえやれば、あとはどんなに寝ていてもいいと、自分の怠惰な精神を肯定することにしています。

月曜担当…池田光


 7月8日(日)
「精金」   日曜担当…八木正典
正に人の万鎰の精金有るを見て、成色を鍛錬して彼の精金に愧ずる無からんことを求むるを務めずして、乃ち妄りに分量を希み、彼の万鎰に同じからんことを務め、錫鉛銅鉄をば、雑然として投ずれば、分量愈増して、成色愈下り、既に其の梢末は復た金有ること無きが如し。(伝習録上)

精金のたとえで、王陽明は自分の日頃の努力は減らすことを求めるばかりであり、日々増やすことを求めるべきではないと言っております。人間は本来完全を固有するので、現実に自己の発現に阻害要因となっているものを一つ一つ取り除いていけばいいとの考えなのです。
必要な知識や能力は必死に学んで全力で習得していかないといけませんが、最近自分が必要と感じているものや習得しようとしているものが自己の本質を輝かすためのものではなく、単に分量を増やすだけのものになっていないかをしっかりと振り返りながら自分を磨いていきたいと感じております。

日曜担当…八木正典


 7月7日(土)
気性   土曜担当…佐々木秀彦
『この身、この仏、衆生、身仏衆生、是ら無差別である。この三者は差別が無い。この衆生の中に、わが身の中に、この心の中に、その煩悩の中に如来がある。これをよく体現すれば煩悩即菩薩であり、即身即仏である。仏を求めようと思ったら吾に徹せよ。心に徹せよ、衆生に徹せよ、煩悩に徹せよ。これを離れて仏を求めてはならない。これを離れて知識や理論に走ってはならない』(安岡正篤・禅と陽明学(六十))

ロマンチックな七夕なのに大雨です。雨が降るというのは、気圧の低いところと高いところがぶつかっているということです。冷たい気温と暖かい気温がぶつかっているということです。

前回のブログで「僕は怒っぽい性格です」と表記しました。会うのが2~3度目の付き合いの浅い人によく怒ってしまうと書きました。1週間経って気づきました。「気」の「圧や温度」が違う場合、そこに雨が降るのが宇宙法則です。名刺交換しただけでは相手の「気」の「圧や温度」をなかなか見抜けません。また薄々は感じとってはいても、「仕事」という理論武装した関係性においては、個人の「圧や温度」より業務的な思惑を優先させていこうとお互いが努力します。その結果、お互いの間に雨が降るのは当然のことです。この雨が降ること、さらに時々は台風にまで発展することで、次の穏やかな晴天が広がる展開も見込める訳です。ですからやはり「怒りっぽい」という僕の感情の動きは、宇宙エネルギーを進化させる過程として必然性のあるものなのではないかと感じたりしております。

地球を眺めれば、大気の気圧や気温は常に変化しております。湿度や、風の流れの方向や強弱で刻一刻同じ状態はではありません。人間の「気」も同様でしょう。そう考えると、相手と接することで僕の心が動き出すことは正しい反応であり、またそうあるべきだと思うようになってきたということです。

仏を求めているわけではありませんが、何か今の僕に響く「気圧」を感じたので、冒頭の言葉を引用してみました。

土曜担当…佐々木秀彦


 7月5日(木)
この世の仕組みとサッカー   木曜担当…西端努斗夢
サッカーのワールドカップで日本は残念ながらベストエイト進出を逃しましたが、多くの人を熱狂させ大いに盛り上がりました。
このブログで何度か書きましたが、この世の仕組みとサッカーは共通点が多いと思います。
限られた空間、限られた時間、肉体的制約の中でのプレー、一人一人にポジションや役割が与えられていること等々、サッカーはこの世の仕組みをゲーム化したようにしか思えません。
だからこそ、国や民族、地域を問わず世界中の人に支持され、熱狂するのかもしれません。
もしかしたら八百万の神々やご先祖様は、あの世という観客席から私たちのプレーを見て声援を送ってくれているのかもしれません。

木曜担当…西端努斗夢


 7月2日(月)
無題   月曜担当…池田光
上半期が終わりました。
今年は、ぼくにとって集大成の年。
のつもり……。
例年よりも、少し飛ばしぎみでやっております。

下半期の作業に入る前に、少し事業の立て直しをしています。
これから10年先を考えて、いろいろとリニューアル。
この作業を7月半ばで終えて、
その後は、11月下旬に発売予定の中村天風の言葉集に取り組みます。

アルコールを少々控えるようにしました。
名古屋にも行きたいと思っていましたが、
どうも時間的に許されない感じです。

8月が過ぎれば、暇になるという明るい見通しです。
いま、しばらく頑張ります。

月曜担当…池田光


 7月1日(日)
「水垢離」   日曜担当…八木正典
気が付いたら5年目に突入している水垢離が1,500日を超えておりました。
本塾で水垢離について教わり日課としたものがすっかり習慣になり、今は何かを考えるわけでも淡々と行っております。
振り返ってみれば、それだけの日数を経る間における水垢離ができる社会や環境の安寧、そして自分と家族の健康は感謝してもしきれない本当に有難いことです。
感謝の気持ちを縁のある人に何かの形でお返しすべく、思いをもって過ごしていきたいと考えております。

日曜担当…八木正典


 6月30日(土)
三勿   土曜担当…佐々木秀彦
『「おんにこにこ 腹立つまいぞや そわか」常に積極的であるための三つの戒めがある。
●怒らず●恐れず●悲しまず である。これを「三勿(三つの勿れ)」という。ところで三勿とは、感情を抑えなさいという教えではない。感情が湧くのは自然の摂理だ。ただ、感情に溺れるなということだ。過ぎることを戒めたのである。』(池田光著・働く君に贈る中村天風45の言葉)


今、同業者となるべく多くの初めて人と積極的に出会うように動いております。僕の仕事の幅を拡げていくことが狙いです。現状日本の宅建業者は少しづつ減ってきております。大阪でも協会に新入会する数と廃業退会する数では、廃業が上回っております。しかしながらその中で大阪市中央区だけは新入会企業がはるかに多い現象が起こっています。これは実は人口の増減と比例しています。日本全体では少子化で人口減です。しかし東京圏の人口は増えております。大阪府でも府下の人口減は切実な問題ですが、大阪市中心部は保育園をいくら新設しても追いつけないほど凄まじい勢いでの人口増なのです。

初めての出会いは楽しいものです。これはけっこうわくわくします。最初はそれなりに気を遣っているので問題はないのですが、同じ人と2度目3度目になると…ここにけっこう僕の弱点があることに気がつきました。僕はけっこう怒りっぽいのです。すぐに怒りの感情が湧くのです。怒りの感情に溺れるほどの強い怒りならそれはそれとも思えるのでしょうが、些細なことで、普通に普通の全く問題の無いようなやり取りで、気づけば熱く成り過ぎている僕がいます。

池田塾長の解説では上記引用文の後、中村天風の「誓いの詞」の誦句が紹介されます。この誓いの詞の冒頭が『今日一日 怒らず恐れず悲しまず…』です。「怒らず」が最初の一歩で登場します。

何でも同じだと思います。最初の1歩が正しく踏み出せなければ、その後どれだけ歩いても目的地にはたどり着けないことでしょう…ここ凄く大切なことだと今さらではありますが四苦八苦している今日この頃です。しかし同時にそういう思春期の悩みのような心の葛藤に立ち向かっている僕を、「なんなんだかなぁ~」っと楽しんでる僕がいるのも事実だったりします…

「三勿」の「勿」の文字…心が入るのは割、分、厘、毛、糸、その次の位の「忽」なのですね…そしてさらに心が入れば「惚れる」ですね…文字的に見ると妙に説得力を感じます。

土曜担当…佐々木秀彦


 6月28日(木)
私流芸術作品鑑賞法   木曜担当…西端努斗夢
絵画や彫刻、陶芸など、芸術作品と呼ばれる作品の良し悪しは私にはわかりません。だから、作品とその奥にある作者の人柄や思想・哲学、生きざまを重ねて鑑賞するようにしています。
これが私流の芸術作品鑑賞法で、作品を見る前にまず作者を見るようにしています。作者を知っているのと知らないのでは、味わいの深さが全然違ってくるからです。
手元に置いていつも目にしていたいと私が思う作品は、その作品よりもむしろその作者の人柄や思想・哲学、生きざまが私の琴線にふれるかどうかで決まります。

池田塾長もブログで書かれていましたが、川井信一さんの作品展が来月、名古屋で開催されます。私もぜひ行かせていただこうと思っています。川井さんは、毎日、在廊されているそうなのでお目にかかれるのが楽しみです。



『川井信一 石の彫刻展』
2018年7月25日(水)~31日(火)
JR名古屋タカシマヤ10階美術画廊

木曜担当…西端努斗夢


 6月25日(月)
無題   月曜担当…池田光
まず、ぼくの好きな言葉を紹介します。
この言葉は、ぼくをとても安らかな気持ちにさせてくれます。
と同時に、とても勇気を与えてくれます。
こんな言葉です。

生と死を深く考え、
死を肯定する境地に達した人は、
たとえ死に直面した一瞬において、
生物として、死への拒否反応を起こすことはありましても、
やがて普断の心構えを再び取り戻し、
静かに死を迎えることが出来るようであります。(森三樹三郎)


この言葉は、ぼくが深く敬愛する森三樹三郎氏(1909~1986年)が、68歳のときに、ある講演で語られたものです。

短くまとめると、
「死を肯定する境地に達した人は、静かに死を迎えることが出来る」
ということです。

この「死を肯定する境地」というのが、とても大切です。
生と死をあまり考えない人は、ただただ死を忌み嫌うという傾向があるようです。
そんな人は、「死」を口にすることをはばかるばかりか、まじめに死を考えようとしている人に対して「そんな縁起でもないことを考えたらダメだよ」と忠告したりします。

「死を肯定する境地」とは、死にまつわる恐怖や不安を直視したうえで、それでも死を肯定しようという立場に立つことです。
これは頭で考えるだけでなく、心の鍛錬が必要なものです。
そのためには、よほど生と死を深く考えることが必要でしょう。

もう一つ、ぼくを安心させてくれる言葉があります。
三木清が『人生論』の「死について」の冒頭あたりに書かれている言葉ですが、これは何年も前に本ブログでふれたことがありますので、割愛します。

ぼくは、いたって普通の子どもでしたが、一つだけ変わっていたところがありました。
それはずっと死について考えていたことでした。
幼稚園に入る前から「死」の観念が頭から離れてくれず、小学生のときにも死のことを友だちに話していたようで、友だちからの返答を今でもおぼえています。
高三の春休みには、死に関する哲学書だけをまとめて読みました。
そのときに、三木清の言葉にも出会ったのでした。

社会人になると、次第に考えなくなっていきました。
それは、「本という形で、ぼくよりも少し長生きしてくれる分身を作っておきたい」という課題に問題意識がすり替わっていったからです。
ですが、老年期を迎え、老病死の問題が間近に迫っている今、子ども時代とは違った角度で見直しつつあります。
「死を肯定する境地」を作り得るかどうかが、大きなテーマであります。

最近読んだ森三樹三郎氏の本に、面白い話がありました。
アメリカのテレビ番組「逃亡者」のある回を見ていた森氏は、その番組にあったエピソードに興味を示します。
こんな話です。
逃亡者の医者が、一人の主婦から相談を受けます。
その主婦には、七、八歳の男の子がいるのですが、ある日、川釣りに誘われた男の子は、魚が釣りあげられるのを見て震え上がり、一目散に逃げて帰ったのです。
このことに母は悩んで、医者に相談したのです。
森氏は、こう書いています。
「普通の子共ならば、魚が死ぬくらいのことは平気なはずですが、宗教的に敏感な素質を持って生まれた子供にとりましては、それは身ぶるいするほどに恐ろしいのであります」
と。

ぼくは、さほど宗教的な素質はありませんが、じつは同じ体験をしています。
小学生のとき、叔父が池に釣りに連れて行ってくれました。ぼくは、魚が釣りあげられることに恐怖を感じて怯えたので、叔父は釣りを諦めて帰りました。
以来、父も叔父も釣りには連れて行ってくれず、ぼくも一度も釣りをしたことがありません。

子ども時代のぼくは、肉も魚も口にしませんでした。
小学校の給食でも野菜などしか食べないので、先生から親に注意が届き、困った父は、ぼくが小学二年のときに牛肉を食べるまで納屋に入れました。
そのときに、ようやく少量だけ食べられるようになりました。
そんなことを思い出したわけですが、これらはすべて、死の観念とつながっています。

そういえば、最近は肉をあまり食べていません。
カレンダーで振り返ってみると、6月7日にハンバーグを半分食べたのと、5月22日に餃子を食べたのと、4月28日に本心塾の懇親会で食べたのが最近の記憶です。
魚はもう少し食べております。
別に肉を避けているわけではありませんが、人とのお付き合いがほとんどなくなったので、性に合っていない肉食が減っただけのことです。

月曜担当…池田光


 6月24日(日)
「コミュニケーション」   日曜担当…八木正典
これまでの経験やバックグラウンドが違うと、相手に気持ちをしっかりと伝えているようでも、ミスコミュニケーションが起こることが発生します。
常識とされてきた文化、信条によって思考スタイルが異なることにより、伝えたい思いが伝わらず思わぬ誤解を生んでしまうのです。
論語に「子曰わく、吾知ること有らんや。知ること無きなり。鄙夫ありて我に問うに空空如たり。吾其の両端を叩いて竭くす。」とあります。
孔子はいろいろと質問を受けた時に、質問してきた人から物事のすみずみまでをよく聞いて、丁寧にねんごろに教えていたようです。
常識と思われていたものが変化する不連続な時代だからこそ、相手の言葉を傾聴し言葉の表面にとらわれず本質的なものを受け取るとともに、これくらいわかるだろうと安易に考えることなく十二分に言葉を尽くし発信していく努力を続けたいものです。

日曜担当…八木正典


 6月23日(土)
畏敬   土曜担当…佐々木秀彦
『孔子曰く、君子に三畏あり、天命を畏れ、大人を畏れ、聖人の言を畏る。小人は天命を知らずして畏れず、大人に狎れ、聖人の言を侮る』(季子第十六)

18日の朝に大阪で地震が起こりました。僕はチビスケを保育園へ送る途中でした。携帯の緊急アラームが鳴ったので地震だと知りましたが。歩いている僕には正直揺れは全く感じずいたって呑気な感覚でした。しかし震源に近い顧客の事務所などは壁に亀裂が入り、玄関ドアのサッシは歪んでしまっておりました。ネットやテレビでの情報は偏って同じ光景ばかりがクローズアップされますが、甚大な被害とは言えない程度の壁の亀裂や、建具の歪みに地震の怖さと凄まじさを感じました。

「畏れる」という言葉があります。おそれうやまう(畏敬)おそれつつしむ(戒慎)という意味の畏れです。地震を怖れる、幽霊を恐れるの「おそれ」と同じ音であることが非常に面白いと感じます。

「平澤興講録・論語を楽しむ」の中では『天命とは宇宙大の法則に沿った道のことであり、大人も聖人の言も、この天命を具体的に知らせてくれている言葉であるから、畏れ慎まなければならぬ』と解説していらっしゃいます。

宇宙の大法則として、惑星地球が現状へ進化する過程において、火山の爆発、地震、洪水は無くてはならない有意義な生命の躍動とも言える出来事です。その結果人類が誕生し現代へ進化したわけですから、そういう意味では地震に関して人間は「畏れる」べきことなのでしょう。それと同時にヒトという一つの生命体として考えるなら地震は怖いだけの現象です。

『小人は天命を知らないから畏れない。徳の高い大人を畏れない。狎れる、狎れている。狎れるとはどういいますか、子供が玩具にあそびなれるように、狎れ狎れしくしているということでしょう。また偉い聖人の話も畏れない』(同書)

「おそろしい」という感情に、キチンと「畏敬」が含まれているなら、地震の「恐怖」にも打ち勝つことのできる人間となれるのかもしれません。それでもヒトとしてはやはり「怖れる」という漢字を遣うのが正しい本能だと感じます。そして「地震」と「自身」が同じ音であることに気がつきました。

土曜担当…佐々木秀彦


 6月21日(木)
えこひいき   木曜担当…西端努斗夢
神様がえこひいきするのは当然のことです。
どんな人にも平等に接するなら、それこそ不公平ではないでしょうか?
えこひいきは悪いことなのでしょうか?
学校の先生が真面目で正直で学びたいと思っている子どもと、不真面目で嘘つきで、学ぼうとする気のない子どもを平等に扱おうとしているから平等を勘違いする人が多いのだと思います。
私は、いつも神様にえこひいきをしてもらっています。
ありがたいことです。

木曜担当…西端努斗夢


 6月18日(月)
川井信一 石の彫刻展   月曜担当…池田光
石彫家の川井信一さんとは、
四十代の初めに知り合い、
もう二十年以上のお付き合いになります。

ぼくの家にある川井信一さんの石彫を
幾点かご紹介します。

1つめは、玄関のつくばいです。
「いつもたのし」と彫られています。
川井さんが設置してくれました。



2つめは、床の間の女性像です。
右の軸は、中村天風先生のもので、ぼくが40代の前半に求めたものです。
今のようにネットオークションもなく、探し出したときは興奮しました。



真ん中の女性像は、両面とも彫られています。
反対にすると、そっと幼子をまもる母の像になります。



3つめは、書斎のサイドボードにうえに座る女性像です。
隣のランプは、河上知明さんの作品です。



最後は、裏の塀のところに置かれた石彫です。
おさななじみの像と、赤い寝そべった婦人の像です。



川井さんの作品といると、ホッとします。

さて、朗報です。
川井さんの3年ぶりとなる本格的な「石の彫刻展」が開催されます。
■『川井信一 石の彫刻展』
■2018年7月25日(水)~31日(火)。
■JR名古屋タカシマヤ10階美術画廊
■川井さんは、毎日、在廊されていると思います。

行かれたら、きっと、感動されることでしょう。
というのは、3年前に開催されたJR名古屋タカシマヤの美術画廊に、
ぼくは西端さんとお伺いしました。
素晴らしい展示会でした。
あの印象が強くあり、今回もお勧めできます。

そして、ぼくは今回も行かせていただきます。
もう、外にはあまり出かけなくなったのですが、
川井だけは特別です。

個展という特別な場で川井さんとお会いし、
ゆっくり話せることの幸せは各別です。



月曜担当…池田光


 6月17日(日)
「力を尽くす」   日曜担当…八木正典
事の成否も大事だけれど、その成否を越えてなお大事なことは、力を尽くすというみずからの心のうちにあるのである。(松下幸之助)

最近自分の仕事をうまくやろう、うまくやろうと意識して、仕事の成否ばかり追求することにこだわった結果、思っていたほど集中できず、望んでいた成果が得られていないケースが起こっております。
自分で自分にプレッシャーをかけすぎて普段通りの動きができていないのです。
「君には定められた義務を行う権利はあるが、その結果をついてどうこうする権利はない。君は何らかの結果を求めて行為してはならず、また何もせぬという怠惰に陥ってはならね。」とギーターにあります。
結果にとらわれず、行為自体に全力を尽くす、行為を楽しんでやることに意識を集中していきたいと思います。

日曜担当…八木正典


 6月16日(土)
言霊   土曜担当…佐々木秀彦
『書道家は言葉を書くお仕事ですが、技術だけが高くてもその書は良くなりません。書く時の心がとても大切なのです。心が整うと魂が良い状態になり、言霊のエネルギーが高くなります。逆もまた然りで、エネルギーの高い言霊を自分自身に投げかけていると心は整います。』(武田双雲・書道家)

親と子がしあわせになる応援誌『PHPのびのび子育て』7月号大特集「お母さんの口ぐせで子どもは変わる!」の中の『\家族みんなが笑顔になる/幸せの呪文』と題して書道家の武田双雲氏の6ページの手記の中からの引用です。

この大特集には大まかに6名の寄稿と、子育て中の歌手へのインタビューと、読者の体験手記7編で成り立っています。その中で武田氏は「いいよ、いいよ/ありがとう/だからこそできる/しあわせ」の4つの言葉、さらに「感動を言葉にする」という言霊を発することで磁石のようにしあわせな現実が引き寄せられると、実に平たく優しい目線で寄稿されていらっしゃり、印象に残りました。

言霊を活かす方法としては中村天風師の誦句の効用と全く同じです。これを子育て奮戦中の親に優しく語りかけているのがこのPHP7月号でした。

この雑誌を読んで、新入社員を直接担当している先輩社員にまず読んでほしいなと感じました。子育てする覚悟を持った先輩なら新入社員は大きく育つでしょう。逆に育児ノイローゼのような先輩に当たってしまったら、新入社員は悲しみの社会人生活になるのかもしれません。もちろん僕の立場では顧客に接する覚悟が同様です。良い言霊でお客様を包んでいければ、顧客としてすくすく成長しお互いしあわせな関係を育んでいけることでしょう!

チビスケが5歳になって初めて手に取った育児雑誌です。時間調整で寄ったコンビニでなんとなく買ってしまったのはやはり何かのメッセージなのかと感じます。今、松下幸之助が僕の中でブームでなければ、コンビニの棚に子育て雑誌も並んでることすら知らなかったことです。「お母さんの口ぐせで子どもは変わる」という特集ではありましたが、通読してこれは間違いなく「自分の発する言葉で自分は変わる」という特集でした。それを「お母さんの~」と表記するだけで読み手が柔らかく素直に受け入れ易いというのも言霊の摩訶不思議な魅力なのかもしれません。

土曜担当…佐々木秀彦


 6月14日(木)
根拠のない自信   木曜担当…西端努斗夢
「根拠のない自信」という言葉を最近よく耳にします。あのAKB48をプロデュースした秋元康氏も口にしていました。
今、『立花大敬オーディオライブラリー』用に立花大敬先生の講演を編集させていただいていますが、先日、講演のテープを聴いていると「根拠のない自信」という言葉が出てきてビックリしました。その講演が2010年9月だったのでさらにビックリしました。
「根拠のない自信」という言葉は、最近使われるようになったものだと思っていたのですが、以前から使われていたのですね。
根拠や裏付けとなるデータがないと持てない自信は、本物の自信ではないと、最近特に実感しています。
なぜなら、宇宙はいつだって私たちの味方なのですから……

木曜担当…西端努斗夢


 6月11日(月)
無題   月曜担当…池田光
つくづく、文章を書くのは難しいと思います。
次回作は、単純な言葉で一冊を仕上げたいと思っているのですが、ついつい難しい言葉を使ったり、書き込んでしまうのです。

後で読み返すとまったくダメで、どうするかというと、
「これは文章の問題以上に、ぼくの心が難しくなっているからだ」
と受けとめ、単純な気持ちになるよう、息を整えてから修正していきます。

ただし、単純に書くことで平板になると、その文章は商品になりません。
やさしく、単純な言葉で、どれだけ本質を掘り起こしていくか。
何十年も文章を書いているのですが、何度も堂々巡りに陥っています。

月曜担当…池田光


 6月9日(土)
素直   土曜担当…佐々木秀彦
『人間はダイヤモンドの原石のように、光り輝く本質をもっている。しかし、このすぐれた本質も、磨くことなしには発揮されない』(松下幸之助著・人生心得帖)

今週はパナソニックの社員の方に会う機会が2度ありました。この2度の機会は全く繋がりが無く、そもそも普段の生活の中でパナソニック社員と直接話すことすら全くありません。これはと感じて松下幸之助の本を棚から引っ張り出して、ブログのネタにしようと思いついた次第です。

ダイヤモンドはダイヤモンドでしか磨くことはできません。だから人間は人間でしか磨くことができないというのが僕の考えです。以前は光り輝く人間と触れ合うことで、自分も初めて光り輝けるというような気持ちでしたが、そこは間違いだと今は思います。ダイヤモンドを磨くダイヤモンドに良いも悪いもないはずです。人間にも良いも悪いもありません。要は僕の他の方々に対する位置、角度、時間、回数等々が重要だということでしょう。人間は光り輝く本質をもっているのです、触れ合うことでお互い磨き合えるような距離と熱さをしっかり意識しながら、人様とは接していかなくてはいけないと感じました。


『成功とは成功するまで続けること。辛抱して根気よく努力を続けているうちに、周囲の情勢も変わって、成功の道がひらけてくる』(同書)

志を立てたら途中で簡単にあきらめるなという主旨ですが、この章に4行だけ「何かにとらわれて、いわゆる頑迷に陥るということではありせん…道にはずれた、自然の理に反すような方向への努力は…」という釘はしっかり打っていらっしゃいます。実はここが一番大切なところだと感じました。つまり立てた「志」を達成するためには、常に自然の「理」を確認しながら歩んでいかなければ、油断するとすぐ道を間違える危険がありますから細心の注意をはらいつづければ道が自ずと拓けるというような教えなのかなと今は感じます。

この本の最終章で、松下幸之助氏は130歳まで生きる目標を述べられております。「中国では160才が人間の寿命なので、80才を半寿という。リスクを取り除けば人間は150年~200年生きられるという科学者もいる」という根拠から「150才ぐらいとも思うが、日本の最長齢記録が124才なので、それを超えてとりあえず日本一にはなっておきたいので130才ぐらいを目標にしよう」という主旨の記述がされております。1989年、94才で永眠されていらっしゃいますが、130才達成なら2025年です。おそらく「130年生きる」は「理」に適ってなかったのかもしれませんが、130年どころかそれ以上はるか未来永劫まで「活きる」存在でいらっしゃる方であることは間違いなさそうです。

土曜担当…佐々木秀彦


 6月7日(木)
毎日いい天気   木曜担当…西端努斗夢
 近畿地方も梅雨に入りました。これからしばらくは雨の日が多くなりそうです。
 多くの人は、晴れると「いい天気」、雨が降ると「天気が悪い」と言いますが、天気に良し悪しがあるのでしょうか?
 それはただ単に自分にとって都合が良いか悪いかだけではないでしょうか?
 私にとっては、降ろうが晴れようが、毎日いい天気です。

木曜担当…西端努斗夢


 6月4日(月)
『中村天風 「心の力」瞑想録』   月曜担当…池田光
明日、発売です。
ネット書店のAmazonでは、多くの方がご予約くださっているようで、ありがたく思います。



この本のベースになったのは、湧くわく本心塾での講座です。
塾生のレベルに合わせたので、高度な内容になりました。
読みにくい方は、序章を飛ばして、第一部からお読みください。

さて、真理へのいたり方である「理入と行入」を追っていくうちに、
漸悟の認識論と、頓悟の認識論が背景にあることに気づきました。
何か、大きな鉱脈を掘り当てたような気がします。

この本を書くことができたのは、塾生のみなさまのおかげです。
この場をかりて、御礼申し上げます。
7月14日の潜学講座でこの本のことを少し話したいと思います。

月曜担当…池田光


 6月3日(日)
「乱気流」   日曜担当…八木正典
喜んで人びとの教えを受け、みずから新しいものを吸収し、勉強する。そういう態度を持ち続ける人には、進歩はあっても停滞はない。一歩一歩、年を経るにつれて着実に伸びていく。
(松下幸之助)


マーケティングの大家であるコトラーは、グローバリゼーションとテクノロジーの進化の中で、今は乱気流という新たな時代に入っているとのことです。
乱気流ことが新しい通常の状態であるのです。
想像もしていなかった予想外の事態がこれまでよりも高い頻度で出現する状況なのです。
そのような状況であればこそ、一足飛びの何かを求めるのではなく、着実な歩みを求めて行きたいと考えております。
確りと目を開き新たなものを取り入れる勇気を日々発揮していきたいと思うのです。

日曜担当…八木正典


 6月2日(土)
公文   土曜担当…佐々木秀彦
『公文式は、当時高校の数学教師であった公文公(くもんとおる)が、「我が子が高校数学で困らないようにするには、家庭で何をすればよいか」と将来を見据えた大切な我が子への想いから始まりました』(公文式・入会のご案内)

5歳の生意気盛りのチビスケが何かの刺激になればと、公文式教室の無料体験教室を受講しました。最初に先生と面談があって、「お勉強そのもの好きだとは思うけれど、僕の言うことには反発しかしないので、正直家庭では学習らしきことは最近やっておりません」と正直に告げました。すると先生は「私の子も私の言うことは全く聞こうとしません、子供とはそういうものです」と仰いました。

上記引用文は1954年公文公氏が大阪市立桜宮高校教諭時代のお話しで、そのアイデアを翌1955年公文禎子夫人が守口市に教室を開いたことが始まりだそうです。テレビの黎明期で、「明る~いナショナ~ル~♪」というCM曲が出きた年です。東京オリンピックの10年前、大阪万博の15年前です。当時の桜宮高校は北区天満にあり、大塩平八郎が同心生活を営んだ場所です。当時の守口市は松下電器が世界にやがて飛躍する企業となるにふさわしい活気に満ちた場所です。公文式も現在は世界49の国と地域に広がっているそうですが、これは日本ブランドの一つと言っても良いのではないでしょうか。

こうやって公文式が世界に飛躍した背景に、大塩平八郎の活躍した天満で教鞭を取って、その大塩平八郎をずっと支えて応援しつづけた人々が住んでいた守口の地が発祥であり、それは松下幸之助と時期を同じくしたことは僕には何か大きな繋がりがあるような気がします。そもそも日本の幼児教育は寺子屋から始まります。暗殺者を言葉で追い返したという話も伝わるくらい聡明な中村敬宇の母も我が子の教育は、学問所に通わせるという手法でした。そう考えると親が直接学問を手解きすることは、おそらく理に適ってはいないのでしょう。

以前に池田塾長からご紹介いただいた七田眞氏の著書からも、七田氏の陽明学的な息吹を十分に感じました。公文式も同様に陽明学的な発想から成り立っているのではないかという直感が正しいかどうかは、今後正式入会したチビスケの成長を見守りながら確認していきたいと思います。

土曜担当…佐々木秀彦


 5月31日(木)
人生はサッカー?   木曜担当…西端努斗夢
 この世で生きることとサッカー選手がスタジアムでプレーしていることがダブって見える時があります。
 手を使ってはいけないなど、ルールという制約の中でのプレー
 コートという限られた空間でのプレー
 試合時間という時間的制約の中でのプレー
 どれも、私たちの人生にも当てはまることです。
 もしかしたらこの世はサッカースタジアムで、サポーターの八百万の神々がスタンドから私たちのプレーを観て一喜一憂しているのかもしれません。

木曜担当…西端努斗夢


 5月30日(水)
本を買いました   水曜担当…冨樫 功
久々の更新です。


最近、本を買いました。

冨山房の漢文大系第十六巻です。


今期の潜学講座は、
冨山房の漢文大系第一巻から「大学章句」を読んでいますね。


この本の特徴は、
分厚い。


そして、注釈も漢文、
ということになります。


つまり、読むのにとても骨が折れるのです。


現代の普通の感覚での読書はできません。


十六巻には「周易」と「伝習録」が収録されています。


占いと陽明学って・・・とも思いますが、

このペアリングも僕にとっては魅力的でした。


考えてみれば、安岡正篤先生は易も陽明学もどちらも修めておられましたし、
こうやって一冊に収まる何かがあるのかもしれません。


この冨山房の「周易」は、
中国の三国時代の王弼と、
日本の江戸時代の伊藤東涯の二つの註が付いています。


王弼は23才で亡くなった天才。

それまで占いの本でしかなかった易経を、
老荘思想で読み解き、はじめて哲学的な意味合いをもたせた人です。


その註が読めるの は大いなる喜び!
と思って買いましたが、
王弼は1800年ほど前の中国人。

これを読むのは超大変でした・・・。


分厚さも相当なものですし、
さっそく枕となりそうな予感です。

水曜担当…冨樫 功


 5月28日(月)
無題   月曜担当…池田光
5月下旬に読んだ本を紹介します。
川合康三『生と死のことば』岩波新書。
森三樹三郎『無為自然の思想』人文書院。
どちらの本も、軽い読みものですが、深い感動がありました。



川合康三『生と死のことば』は、生死に関する中国の言葉を集めたもので、解説はとても簡潔ながら本質をえぐりだしています。
忘れられない言葉と解説がいくつかあり、中国の死生観入門の好著といえます。

森三樹三郎『無為自然の思想』は、老荘・道教・仏教の無為自然を語ったもので、1992年、氏の七回忌の出版です。
そのまえに、次の二冊が出ています。
『中国文化と日本文化』1989年、氏の三回忌の出版。
『無為自然の思想』1990年の出版。
これら三冊は、森三樹三郎の逝去後の出版であり、生前の講演をテーマにそって集めたものですが、死後にもこのように出版されるというのは根強い支持者が居てのことです。
ぼくは氏の『中国思想史』上下巻、レグルス文庫を読んで以来のファンです。

こういう文章を書きたいものだと思いました。
正確にいうと、次の本を執筆するにあたって、目標とする文章を選んで目を通していたのです。いわば文章修業をさせていただいたわけです。

月曜担当…池田光


 5月27日(日)
「変化」   日曜担当…八木正典
だから自分、我というものは一つの天であり、命であり、一つの數である。だから我自体その本源にたてば、寸時も固定することのない変化已まざるもので、我をよく徹見すれば、処に応じ時に従っていくらでも自分を易えていくことが出来る。(安岡正篤)

取り巻く環境が刻一刻と変化している中で、変えるべきものと変えてはいけないものとのバランスに悩んでおります。
本当に変えないといけないものほど、そんなに簡単に変えられないと思っていたところ安岡先生の言葉に出会いました。
変われないと自己を限定するのではなく、無限の造化という天の摂理を信じて寸時も固定することなく進んでいくしかなさそうです。

日曜担当…八木正典


 5月24日(木)
勝ちや一等賞を目指すのは   木曜担当…西端努斗夢
 日大アメリカンフットボール部の話題が連日マスコミを賑わせています。私はこれまで様々な競技の指導者を数多く取材してきた経験から内田正人前監督の言動には驚きません。勝つために手段を択ばない人、スポーツというものを根本的に勘違いしている人、人間として問題のある人が指導者になっているケースはそれほど珍しいことではないからです。
 ただ、ショッッキングだったのは、内田前監督のような人が教育現場のしかも日本大学という大組織でナンバー2のポストにまで登ることができていたという点です。
 しかし、大学広報の対応を見ているとそれも不思議ではないような気はしますが……
 日本大学と日本相撲協会がダブって見えるのは私だけでしょうか?
 小中高校や大学の指導者は、競技技術や勝つための駆け引きを教えることも必要ですが、人間としての生き方、考え方を教えることが最も重要なことだと私は思います。
 にもかかわらず、優れた指導者が、勝ちや一等賞を目指して選手たちの尻を叩き、猛練習を課すのは、その過程でしか学べないことがあるからです。

木曜担当…西端努斗夢


 5月21日(月)
無題   月曜担当…池田光



5年前に発売された、拙著『中村天風 打たれ強く生きる100の言葉』。
この本をもとに、言葉を増やして内容を一新し、決定版にしたいと思うのですが、ハテ、どのようにすればいいか?

そう考えていて、フト思いつき、一冊をバラバラにしました。
つまり、バラバラの「言葉カード」にして、ここに新たな50枚を足して、再構成しようと思ったのです。

やってみれば、なかなか楽しい作業であります。
遊び道具をつくるのと同じですから。
これから一か月ほどは、このカードをいろいろ繰りながら、ベストな構成を求めたいと思います。
同時に天風先生の本を読んで、新たな50の言葉を見つけたいと思います。

正直なところ、
「まあ、手を動かしているうちに、なんとかなるだろう」
と思っているわけです。
つまり、今回の執筆とは手仕事なわけです。

月曜担当…池田光


 5月20日(日)
「現在」   日曜担当…八木正典
換言すれば、曰く我の存在は常に現在以外にはないのである。従って、厳格に評論すると、過去も又未来も全然一の空劫に過ぎないもので、只あるものは終始現在のみであるといえる。(安定打坐考抄)

心は現在なるを要す。事未だ来らざるに、邀う可からず。事已に往けるに、追う可からず。纔かに追い、纔かに邀うとも、便ち是れ放心なり。(言志晩録)



仕事で決断を迫られることが起こりますが、あれこれ先の事を考え、取り越し苦労をして動けなくなる時は得てしていい結果につながっていないような気がします。思考が散漫になって判断の軸がぶれてしまうのです。
その時にできる最大限の情報収集と分析をした上で、最善の選択を行うため現在に集中することによって後悔と反省を減らしていきたいものです。

日曜担当…八木正典


 5月19日(土)
神氣   土曜担当…佐々木秀彦
奈良県吉野の吉水神社へ参拝してきました。今年の1月に宮司の佐藤秦心氏と名刺を交換する機会がありましたが、ただそれだけではありました。しかし昨日夕刻まで特段の予定が無かったので、さてどうするかと考えて、朝起きてふと思いついて行ってみたというのが経緯です。

『吉水神社は元吉水院として、今からおよそ千三百年前に役行者が創立した、格式の高い修験宗の僧坊でした。吉水院は大峯山への入山許可書を発行する場所でした、書院内の庭園北側奥に「北闕門」があり、古来より山伏達はここで無事平穏を祈り九字による邪気祓いを行ったと言われています』(案内書参照)

場所の持つオーラというものは、間違いなくあると強く感じました。源義経、弁慶、空海、最澄、一休和尚、小野篁、水戸光圀、豊臣秀吉、徳川家康、伊達政宗、後醍醐天皇、楠木正成、、、日本の歴史の教科書に載る偉人がこんなに見事に足跡を残している場所が他にあるのかと感じるほど凄いところです。『謦咳に触れる』という言葉がありますが、僕は一機に実に凄い先輩方の謦咳に触れてしまったものだと畏れ多い気持ちにすらなってしまいました。『邪気祓い』の聖地で『謦咳に触れる』というのは矛盾しているような、正しいような…???

佐藤宮司にはご自身の体験から、不動産屋は人間力だよという貴重なお言葉をいただきました。この人が言うなら信じようと相手が感じる人になれということです。『神氣』という言葉を書いて御朱印を押してお土産にいただきました。

時間が空いた時の過ごし方として、普段は仕事の雑務に充てることがほとんどです。僕の場合せいぜいがんばって図書館や、美術館、映画ぐらいです。今回は珍しく吉野まで遠出しましたが、遠出した分だけ、普段と違う意義深い時間になった気がします。

桜の季節の以外の吉野は静かな雰囲気で、新緑が映える今の時期は空の青と山の緑のコントラストがもしかしたら桜のピンク以上に美しいのではないかと感じさせてくれます。吉水神社と吉野山の大自然からの『神氣』を吸収して、また新しい朝に臨んでいきたいと思います。

土曜担当…佐々木秀彦


 5月17日(木)
神様にお願い   木曜担当…西端努斗夢
 神社に行くとお参りに来た人たちが願いを叶えてくれるよう、神様にお願いしています。
 私は、神様にお願いをするのもそれなりの覚悟と準備が必要だと思います。
 ろくに練習もせず、実力のない選手に勝利の女神が微笑むことはあり得ないように……

木曜担当…西端努斗夢


 5月14日(月)
無題   月曜担当…池田光
本日、印刷会社に本のデータを納品します。
6月初めには、新しい本ができる予定です。
ところで今回、ぼくは新しい試みをしました。

①今のぼくに書けるものを、まずざっと書きあげました。そして版下を作成して校正を終えると、いつでも印刷にかけられる状態にしました。

②いつもなら、ここで印刷会社に納品して終了ですが、新しい試みというのは、ここから思索を積み上げたのです。

③完成した版下をもとに、一つずつ天風先生の著述や参考文献に当たりながら修正を加えました。
毎日、原稿のあちらをさわり、こちらをさわりしました。この作業を一か月半続けました。

④その結果、次のようになりました。
・原稿をジグソーパズルに見立てると、一つずつピースを置き換えるようにして修正を加え、最初とはかなり違う原稿が仕上がりました。
・新しい何かを発見するたびに、限りある誌面のなかで表現するので、注釈が増えました。
・ぼくの到達点を示す一冊となりました。

⑤この一か月半は、発見の日々で、とても楽しかったです。今から思えば、ぼくがこれまで掴んでいた天風哲学は、まだ霧がかかって霞んでいました。

⑥今回の新しい試みができたのは、ぼくに書くことの余裕が生まれたからだと思います。
とりあえず、少し休憩することにします。

⑦おまけ
新しい本の帯に、こんな問題を入れておきました。
みなさまのお答えは?



月曜担当…池田光


 5月13日(日)
「純一無雑」   日曜担当…八木正典
いかにすればいつまでも進歩向上していくことができるか。
第一に絶えず精神を仕事に打ち込んでいくということです。純一無雑の工夫をする。
(安岡正篤)

忙しい日々が続いております。やらなければいけない仕事とやりたい仕事が次々と出てきており、優先順位の付け方を考えながら、一つ一つ全力でこなしています。
ヨーガスートラでは「ヨーガとは心の働きを止滅することである。心のはたらきが止滅された時には、純粋観照者たる真我は自己本来の態にとどまることになる」とあります。
王陽明も伝習録で「良知は心の本体にして、即ち前のいわゆる恒に照らすものなり。心の本体は起こることなく起こらざることなし。」と言っています。
忙しくなればなるほど、心を落ち着ける毎日の瞑想の時間が大切なものとなっています。
雑念妄念を取り去る努力を行い精神集中していく工夫を続けて行きたいと思います。

日曜担当…八木正典


 5月12日(土)
磨煉   土曜担当…佐々木秀彦
『子曰く、之を如何、之を如何と曰わざる者は、吾之を如何ともする末きのみ』(伊與田覺著「仮名論語」現代語訳:これはどうしよう、これはどうしようと常に自分に問いかけないようなものは、私にもどうしようもない)

今週は仕事で失敗の連続でした。失敗と言っても何かヘマをしたと言う意味では無く、お客様との面談で重要なキーワードに対しての即時の応対が間違っていたなと面談後になってから気付くことが多かったということです。面談中の何処でキーワードが出てくるのか台本があれば失敗は無いかと思いますが、人が真意の言葉を発する時は唐突にサラッと言うものです。ここで即座に凛とした反応ができるか否かが、営業力の真価だと思っているのですが、今週の僕はダメダメ営業マンでした。

『子曰く、吾嘗て終日食わず、終夜寝ねず、以って思う。益無し。學ぶに如かざるなり』
(同 現代語訳:私はかって一日中食べず、又一晩中寝ずに考えたが、得るところがなかった。やはり、書を読み、師について学ぶのには及ばなかった)

不動産は「買う」というのも大きな仕事です。僕も最初は家を「売る」のが仕事でした。数千万円単位の価格で、買う人は数十年のローンを組んで支払うという商品を売るのにそれなりに勉強もし、成果も挙げた実績を踏んで、次にその事業用地を「買う」という役に就きました。「売る」より「買う」ほうが簡単な印象を当時の僕はもっていたのですが、「買う」のは「売る」より数十倍、数百倍難しいのが現実でした。

『子曰く、道同じからざれば、相為に謀らず』(同 現代語訳:志す道が同じでなければ、お互いに相談しないほうがよい)

面談は一瞬をしっかり捕まえれば商談へと進化します。しかしその一瞬を見逃せば面談のまま終了します。もちろん面談には当然に目的があるので、その目的は達せられる訳ですが、やはりチャンスはしっかり捕まえなければ面白い人生には成りません。進化したから人間となったわけで、進化しなければ類人猿や恐竜のまま停まっていたはずというのは歴史が証明しております。宇宙は進化し続けるのです。話もしっかり進化させるからこそ人間なのです。

上記引用はすべて「衛靈公第十五」の中にある文言ですが、それぞれ別々の箇所に各々記載されております。でも僕は何か大きく繋がっている気がします。人との会話も、勉強も、すべてが繋がっているのは間違いないと思います。ただそれをどう繋げるかは僕自身の力量が全てだとも思います。

土曜担当…佐々木秀彦


 5月10日(木)
不自由を満喫   木曜担当…西端努斗夢
 病に倒れて以来、ここ数年は少しばかり不自由な生活を強いられています。
 最初の頃はこの不自由から何とか逃れたいと悪足掻きしましたが、最近はどうでもよくなりました。
 この世に偶然はなく、遭遇することはすべて自分が進化するためのものだと考えれば、これも悪くはありません。むしろ、無理をしてまで今の状態から抜けだしてはいけないとさえ思えてきます。
 自分がこの先、どんな進化を遂げることができるのか、楽しみにして不自由を満喫していこうと思います。

木曜担当…西端努斗夢


 5月7日(月)
無題   月曜担当…池田光



20年ほど前、ぼくは鎌倉のかさぎ画廊さんを訪ねたことがあります。
石彫家の川井信一さんの個展が開催されていたからです。
この画廊には庭園があり、室内と庭園に川井さんの作品が展示されていました。
お客はぼく以外にいなかったようで、画廊主の笠木和子さんはとても歓待してくださいました。
二人で一時間ほど話したでしょうか。
以来、年賀状を欠かさずにくださいます。
ほんとうにお心の温かい方です。

先日、『絵筆のバトン』が送られてきました。
笠木和子さんの一代記でした。
写真も豊富でとても楽しい一冊です。
笠木さんは90歳になるのに、カクシャクとされています。

著者の細井聖さんは、笠木和子さんの義理の息子さん。
ぼくと同い年で、広告会社に長年勤められ、
現在はフリーランスで、編集や執筆をされているそうです。

カバーの絵は、笠木治郎吉さんの「農婦」。
このエピソードも面白いです。(208ページ以降)

また、161~162ページには、川井信一さんのことが書かれていました。
やはり川井さんはすごい石彫家だなあと改めて思いました。
かさぎ画廊の庭に川井さんの作品がある写真を見ていると、
訪ねた当時のことが思い出されてきました。

【参考までに……Amazonの内容紹介より】
神奈川県横須賀市と鎌倉市で45年間、画廊を経営してきた女性がいる。
90歳になる現在も、バリバリの現役だ。
終戦直後に画家の家に嫁ぎ、3児の母となるが31歳で夫と死別。
その後、横須賀基地前の肖像画描きからはじめて、女手ひとつで画廊をおこし、
名物画廊主として“横須賀のトットちゃん"と呼ばれるようになる。
その90年の歩みを描いた、波乱万丈の女の一代記。

無題   月曜担当…池田光


 5月5日(土)
能所   土曜担当…佐々木秀彦
『日に其の亡き所を知り、月に其の能くする所を忘るること無し。學を好むと謂うべきのみ』(伊與田覺著「仮名論語」現代語訳:日々まだ自分の知らないことを知り、月々にすでに知り得たことを忘れないように努める。これを学問が好きだと言えるだろう)


僕は忘れることが得意です。この忘れる能力のお蔭で今まで多くの困難を乗り越えてこられました。しかしこの忘れる能力には弱点もありまして、各種試験勉強の時はほとほと難儀しました。大意は間違えず理解していても、日本の試験の解答は正確さを重視します。英単語の綴り、歴史の年号、登場人物の正確な漢字表記…特に自動車運転免許を筆頭にした資格取得試験は選択肢を選ぶ形式なので、詳細を正確に暗記していなければ必ずひっかかる選択肢が周到に準備されておりますので、手古摺りました。

今年は四書五経に少しづつ触れていこうと思っております。一つ一つを深くしっかりではなく、さらっと軽く触れる時間を取るという程度の意識ですが、それでもやっぱり面白いと感じる文言と必ず出会います。

学習とは知らないことを勉強することだと僕は思い込んでおりました。しかし、知り得た知識を忘れないように努めるまでを含めるものだったのですね…

先日、2018年11月25日開催の大阪マラソンに出場申込みをしました。3月に始めたダイエット計画の集大成に面白いかなと臨んでみることにしました。かなり競争率が高いということなので、当選して出場権を得るかどうかはまだわかりませんが、こういう時のクジ運は強いほうなので、きっと走れると思います。高校のマラソン大会が17㎞、野球部の20Kmランニングの経験はありますが、フルマラソンは人生初めてです。申し込んだだけですが、わくわくします。こういう新たな挑戦に向かっていくわくわくを忘れないように身体を張って努めることも、広い意味で「学問が好き」の表現に含まれているのかもしれません。

土曜担当…佐々木秀彦


 5月3日(木)
漢文読解   木曜担当…西端努斗夢
 湧くわく本心塾の潜学講座が28日に開催されました。第3講の“漢文読解『大学章句』を読む”にむけて漢文の読解にチャレンジしていた私は、池田塾長より漢文読解の面白さを教えていただくことができました。
 ただ単に漢字の意味を調べ現在文に訳するのではなく、作者の思いや作者の生きた時代背景などから作者の言いたかったことを推し量りながら読み込んでいくのです。
 高校時代にこの面白さを知っていたら古典の授業は私にとって休息の時間にはなっていなかったと思います。先生の説明を私が聞き逃していただけかもしれませんが……

木曜担当…西端努斗夢


 4月30日(月)
 無題   月曜担当…池田光
28日の潜学講座、第6期第1回では、みなさまとお会いでき、楽しいひとときを過ごさせていただきました。
第6期を実り豊かなものにしたいと思います。

さて、近ごろ、四十代初めに出会った開運術である「淘宮術」のことが気になり始めました。
かなりのめり込んだ時期があり、美術商に頼んで、淘宮術の開祖・横山丸三の書を精力的に集めた時期があります。

書籍は手に入る限り集めました。
二十年前は神田の古書店によく出かけて物色しました。
横山丸三の高弟で、江戸幕府の旗本であった飯田勝美が、徳川慶喜に御進講した手書きの本を入手しました。
和綴じ本で、帙(ちつ。和本を包んで保存する装具)の題字は徳川慶喜が書いているという珍しいものです。

五十歳ころに出版した『成功哲学ノート』には、横山丸三のことを書きました。
が、深く探究できておらず、一度集中的に取り組んでみたいと思っていたのですが、その時期がそろそろやって来つつあるという感じです。

掘り下げれば、いろいろな鉱脈が発見できそうだという期待感があります。
朱子学に近いところがあり、神道的なものがあり、占術的な側面があり、なんとも言えない独特な雰囲気があります。
術語もたいへん面白く、「よなげる」「なにもない腹」「陽発」など。
ご興味がある方は、日本淘道会のサイトを覗いてみてください。

http://www.toudoukai.or.jp/toiawase.html

月曜担当…池田光


 4月29日(日)
「不易流行」   日曜担当…八木正典
湧くわく本心塾潜学講座が復活し最初の講義でした。
池田先生の「天風先生の『自助』を考える」、富樫さんの「易経入門」、西端さんの「漢文読解『大学章句』を読む」というそれぞれの特色を生かした講義で知的好奇心がくすぐられ、非常に充実したものでした。改めて潜学講座の素晴らしさを感じた次第です。

「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」

松尾芭蕉が旅の中で見出した理念に「不易流行」があります。時を超えた普遍の真理の上に、時代や環境によって新たなものを取り入れて変化していくというものです。
潜学講座第6期での学びを不易の部分としていかに自分の中に吸収していくのか、そして自分の中でいかなる変化を付け加えていくことが出来るのかを確りと追求していきたいと思うのです。

日曜担当…八木正典


 4月28日(土)
勉強   土曜担当…佐々木秀彦
『人の一生はやはり運だと思う。実力があってもダメなものはダメ。努力と根気、勉強、こういうものが運をとらえるきっかけになる』(田中角栄

最近時間の遣い方が変わってきました。意識的に変えているというよりも、僕にとって必要なことにより気持ちを傾けると、変えないと対応できなくなったという感じです。

『田中角栄100の言葉』(宝島社)という本を読みました。田中角栄という人は「聖徳太子」を目指していたのではないかなと感じました。人に対しての計算し尽くした応対をなさっていたようです。官僚、選挙民、陳情者に対して、常に相手の尺度に合わせて仕草も言葉も慎重に選んでいらっしゃっていた方なのだろうという印象です。豪快な方というのは、逆に繊細な心をしているものなのかもしれません。

上記の言葉。田中角栄と言えば「学歴は要らない、学問は必要」という有名な言葉と全く同意なような気がしました。

人間24時間集中し続けることができれば問題はないのですが、そうはいきません。その限られた時間で為す勉強は、やはり時間をコントロールすることから始まります。人間には感情がありますから、コントロールしようと努力してもなかなか成果には直結しませんが、時間は感情的になりませんから、その分だけコントロールは容易です。

「運」をとらえるきっかけが、「努力と根気」「勉強」。そういう視点も面白いと思いました。

土曜担当…佐々木秀彦


 4月26日(木)
世襲   木曜担当…西端努斗夢
 昨日は東大阪市に本社のある日本石材センター株式会社を見学させていただき、創業者で現名誉会長の明石恒重様からお話をうかがう機会に恵まれました。
 最も印象に残ったのは、明石会長が社長時代に起草されたという社内憲章です。その中には、「会社は社長個人のものではなく社員全員のものであり、決して企業を私物化させない。また公平性を保ち上下の関係なく健全に会社を発展させる」という考えから社長、取締役を2年毎に社員による選挙で選ぶことを明記しています。
 経営の世襲については、賛否がありますが、創業者にとっては、苦労して産み育てた会社を子や孫に譲りたいと思うのが人情です。あの経営の神様と言われた松下幸之助さんや流通業界に旋風を巻き起こした中内功さんでさえ、悩みや葛藤の末に社長の座を我が子に譲っています。
 社長の公選制など、社内憲章で謳われていることは明石会長の哲学で貫かれていて、そのためかどうかはわかりませんが、社員の皆さんがイキイキと働いているように私の目には映りました。

木曜担当…西端努斗夢


 4月23日(月)
無題   月曜担当…池田光



天風先生の『安定打坐考抄』には「理入」が説かれた文章があるのですが、
この文章から「理入」を定義するのは、とても難しいのです。
漢字を一部ひらがなに置き換え、句点を加えて掲げます。
いかがでしょう。この文章から、理入の何たるかが読み解けるでしょうか。

【天風先生が「理入」を説明した言葉】
理入の方を「一切衆生は、本来如来の智慧徳相を具有する」と説かれた。
この意味をひっくるめていうと、
「人は各自の本分に安着せよ」
という事で、人間元来生れると同時に、本分なるものを先天的に有しているのだから、他を探すにも、また求むるにも及ばないというのである。(中村天風『安定打坐考抄』天風会)


仮に、この文章から「理入」の定義を導き出してみましょう。

■第一段階として、次のように書き換えます。
①「理入」とは、「一切衆生は、本来如来の智慧徳相を具有する」ということで、言い換えれば「人は各自の本分に安着せよ」ということである。

②「人は各自の本分に安着せよ」というのは、人間は「本分なるものを先天的に有している」からで、したがって「他を探す」必要も「他に求める」必要もない。

■第二段階として、さらに書き換えます。
①理入とは、もともと具わっている「如来の智慧徳相」=「各自の本分」に落ち着くことである。

②「如来の智慧徳相」=「各自の本分」は生得的に具わっているから、これらを自分以外に探したり求めたりする必要はない。

■第三段階として、次の仮説を立ててみます。
「如来の智慧徳相」=「各自の本分」とは何かというと、これが「理」である。
すると、理入とは、理に入るということで、「各自の本分(理)に安着する(入)こと」となる。
ところで、本分とは、生得的に具わった根本の性質であり、「本性」と言い換えうる。

■理入の定義
理入とは、本性に落ち着くこと=本性を自覚すること=本性になり切ることである。

以上は、ひとつの思索遊びです。
さて、あなたなら、「天風先生が『理入』を説明した言葉」をどう解釈されるでしょうか。
『中村天風 「心の力」瞑想録』では、この文章をぼくなりに解釈しました。
校了するまで、いまも考え続けています。

月曜担当…池田光


 4月22日(日)
「具備すべき資性」   日曜担当…八木正典
大橋武夫さんの統帥綱領を入手しぼつぼつと読み始めております。
日本の参謀本部や陸軍大学校の英才によって東洋、西洋の兵書を含有した日本独自の指導書です。敗戦時にいったんすべて焼却されたものの、その後多くの方の記憶を持ちよってまとめ上げたものだということです。
その中にある文章で次のようなものがあります。
「将帥の具備すべき資性としては、堅確強烈なる意志及びその実行力を第一とし、至誠高邁なる品性、全責任を担当する勇気、熟慮ある大胆、先見洞察の機眼、人を見る明識、他人より優越しありとの自信、非凡なる戦略的識見、卓越せる創造力、適切なる総合力を必要とす。」
力強い言葉です。今でも十分に通用するどころか、今だからこそ必要とされているものかもしれません。
具備すべき資性を自分がどれを持ち得ているのかを振り返るととともに、少しずつでも高いレベルに向けて日々意識していきたいと思っています。

日曜担当…八木正典


 4月21日(土)
大学   土曜担当…佐々木秀彦
『心焉に在らざれば、視て見えず、聴きて聞こえず、食いて其の味を知らず。此れを身を修むるには、其の心を正しうするに在りと謂う』

今期の潜学講座は池田塾長の『大学章句を読む』の講義があるということで、大学を素読してみますと上記誰もが知っている文言に出合いました。ここで僕は「見て視えず、聞きて聴こえず」と思い込んでいた自分に気づきました。これは頗る大きな勘違いだと感じます。恥ずかしながら『大学』も『論語』も素読どころか、本を開いたこともないというのが正直な僕でした。『伝習録』や『西国立志編』は読んでいて、四書五経は全く手をつけていないのも可笑しな話だなというのが、僕が初めて『大学』を素読した後の率直な感想でした。

先日、仕事でたまたま近くを通ったので、四條畷神社へ参拝してきました。どっしりと迫力のある由緒ある神社ですが、ここには『有源招魂社』も御鎮座されています。内外古今の先哲先人の御霊が合祀されて平成19年に建立されたということですが、ここに若宮幾馬顧問の名前が刻まれた石碑を発見しました。論語普及協会や伊與田覺という碑と一緒に並んでこの祠を囲んでおりました。話としては若宮顧問と有源招魂社のつながりは存じておりましたが、澄んだ空気に凛とした祠の前に立って『若宮幾馬』というお名前を発見した時の清々しさは本当に心地よいものでした。「湧くわく本心塾」も、「安岡正篤」も、「神社」も、「大学」も、全部が見事に繋がりました。

『視て見える、聴きて聞こえる』ように…この間違いの修正こそが、僕の場合の『心を正しうするに在り』に繋がる大きなきっかけになるのかもしれません。

土曜担当…佐々木秀彦


 4月19日(木)
比重の大きな人間   木曜担当…西端努斗夢
昨日は、毎月恒例の勉強会に参加させていただきました。そこで印象に残ったのは、中里スプリング製作所・中里良一社長の「私は、小さくても比重の大きい会社作りを普遍のテーマにしています」という言葉でした。
中里スプリング製作所は、群馬県高崎市にある社員数21人のバネメーカーです。比重とは、単位体積あたり質量で、比重の大きい会社と聞いて私は、単に社員一人当たりの売り上げや利益の多い会社かと思いましたが、目指していたのはそれだけではありませんでした。品質やサービス、地域社会に対する貢献度など、比重の大きさを追求する部分は、幅広いのです。
そんな話を聞いていて思ったことは、人間も同じだということ。大きな人間になれればいいのですが、なれなければせめて比重の大きな人間になろうと思いました。
もちろん私の場合、大きくするのは比重だけで、体重はこれ以上増やさないように気を付けます。

木曜担当…西端努斗夢


 4月16日(月)
『中村天風 「心の力」瞑想録』   月曜担当…池田光



拙著『中村天風 「心の力」瞑想録』の予約ページを、Amazonに開きました。
詳しくは、Amazonをご覧ください。
6月5日の発売予定です。

この本は、わずか百ページにも満たない小さな本ですが、ぼくの中間決算の書です。
いちばん書きたいことを書きました。
ぼくの個人史において、「これが書ければ悔いは残らない」というレベルまで達していると思います。

この本は、数年にわたる「湧くわく本心塾」での講座がベースとなっています。
「理入と行入」という学びの問題や、「心の力」の解釈については、講座で何度か取り上げてきたことです。
とくに、「理入と行入」については、まともに取り組んでから5年以上が経過し、この間にある程度の原稿を書いては没にしたりと、一貫して考え続けてきたテーマです。
ようやく「これで良い」というレベルに達しました。
塾生のみなさまには、この場をおかりして、御礼申し上げます。
もし、本塾がなければ、この本を出すことはできませんでした。

7月14日の潜学講座では、この本をベースにしたお話をさせていただきたいと思います。
もっとも、ぼくのほうは、その頃には次の本に取り掛かっていることでしょうが。
次の本も、やはり中村天風の本で、言葉集の決定版を書きます。

ほんとうにありがたいと思うのは、天風先生の帰霊50年となる節目の今年に、ぼく自身の集大成の時期を迎えることができそうだということです。
天風哲学に出会った頃の二十代のぼくには、まったく夢のような出来事です。
10冊ほども天風哲学の本を発表することになるとは、思ってもいませんでした。
また、たまに、天風先生と通じあえたと思えることもあるのです。

月曜担当…池田光


 4月15日(日)
「いま、ここ、自分」   日曜担当…八木正典
最近読んだ本の中に自分自身でコントロールできるのは、いま、ここ、自分だと書かれていました。
安岡正篤先生も「東洋学発掘」で、現在我々が喪失されているものを次のように語っています。
「尊い喪失とは何か。個人です、自己です、魂です、自己の主体性です、真の自由です。現代の我々は、主人公、すなわち自己自身主体性を失っておるのです。」
自分に振り返ってみると、膨大な情報が溢れる状況の中で周りに影響をされて、主体的な動きが取れていないことがあまりも多く発生しています。
自分の今の境遇、今の立場で出来る最大限の力を注いでいく。それが周りに広がって、回りまわって社会の何かしらに役立つ。そんな形を少しでも目指していきたいと思うのです。

日曜担当…八木正典


 4月14日(土)
青眼   土曜担当…佐々木秀彦
『竹林の七聖人の一人に、阮籍という人物がいる。この阮籍は気に入らない客には、眼を剥き白眼で対したが、気に入った客には青眼で応対したという故事がある。しかしお前につけた「青眼」は、そのような気性狷介なものではない。剣道に青眼の構えというものがある。切先は相手に冷たく向けられている。この青眼を中段の構えともいう。大上段に振りかぶった威圧的な構えに比べて、極めて静かであるが、湖水の如き底の知れぬ怖ろしさを秘めておる。迫られれば、退き、退けば、迫る。融通無碍の自然体のなかに、裂帛の気合が剣にある』

『さむはら(文字はサムハラ神社のお守りに書かれている難しい字)』という本を図書館で見つけて読んでいます。飯尾憲士という人の書いた5編の短編小説から成る本の、最終編がこの「さむはら(難しい字)」で、その主人公に名前の由来を父親が晩酌しながら説明しているのが上記引用文です。剣道は「正眼の構え」と普通は表記しますが、そこを「青眼の構え」としているところに作者の思いを垣間見れるような気がします。

人間には生まれてから死ぬまで、さまざまなシーンの積み重ねだと思いますが、この作家は死を覚悟した人間心理を深く掘り下げることで、命の凄さを表現されていらっしゃる方という印象を持ちました。確かに健康体で暮らしていると、その健康が当たり前になって、健康に関しての感謝がついつい薄くなりがちなのは誰しも同じかと思います。僕も昨年ヘルニアで歩けなくなった時期があったので、今はまだ普通に歩けることをありがたいことだと思い、腰に毎朝の水垢離で感謝を伝えておりますが、水垢離をしていなければ、毎日の感謝を腰に伝えるなどということはおそらく無かっただろうと断言できます。

この作家の登場人物は結核病棟に暮らしていても、極貧で介護と仕事を余儀なくされていても、戦時中という状況の中でも、自分の世界を精悍に澱みなく命を全うする姿勢は貫かれております。「青眼」さんは、大正14年生まれで戦争時点では士官学校の生徒でしたが、結果戦地に行かず、その後も廻りは波乱万丈であったのに青眼さんは地味に、しかし力強くしっかりご長寿となっています。士官学校の寮に入る前に母親から贈られた手書きの「さむはら(難しい字)」と書かれたお守りは、娘がアメリカで暮らすと旅立つ時に手渡したという内容になっておりました。

本は意識的に読むようにしておりますが、小説を読むのはかなり久しぶりです。この作者の描く世界は色が暗いので正直読むのはこれで最後になるだろうと思いますが、偶然今、手に取ったのも、きっと今、読まなければならない何かがきっと隠されているのだろうと、この本だけは5編しっかり読了する予定です。

土曜担当…佐々木秀彦


 4月12日(木)
 あたり前の奇跡   木曜担当…西端努斗夢
奇跡には、不思議な奇跡とあたり前の奇跡の2種類があるそうです。
事故に遭って奇跡的に助かる人は確かに凄い。けれど、事故に遭わない人の方が本当はもっと凄いのかも知れない。
不思議な奇跡を引き起こす何か訳のわからない力を求めるより、日々を無事・安心して過ごすことができる自身の内に秘めた本心の力を私は求めていきたい。

木曜担当…西端努斗夢


 4月9日(月)
 無題   月曜担当…池田光
六月の初旬に、『中村天風 「心の力」瞑想録』(本心庵)を出版する予定です。
書き始めて、ほぼ一か月。
昨日、ようやく書き終わりました。

最後の一週間ほどは、かなり覚醒してしまい、睡眠が少なくても平気になっていました。
数時間ほど寝ると、起きだして執筆するという状況になっていたのです。

これでは身体がもたないと思って、寝る前に強めのアルコールを飲むのですが、覚醒してしまうと効果なしです。
また、身体をゆるめようとして、自律訓練法で四肢末端の力を抜いていくのですが、スイッチが入ってしまうと、この方法も効果がありませんでした。
脱稿したので、これでようやくゆっくり眠れます。

この本は、ぼくが書きたいと思っていた悲願の一冊です。
涌くわく本心塾での、数年間にわたる講座をベースにしています。この準備があったから、一か月で書けたのです。
天風道四十年近くになる中間決算の書でもあります。

さて、これから四月いっぱいをかけて、じっくり校正します。
そして、五月の連休が明けたら、印刷・製本にかける予定です。
その後は、天風先生の著述書を再読すると同時に、次の本をイメージしていきます。
昨年、『安岡正篤 運命を思いどおりに変える方法』(イースト・プレス)を出版しました。
次の本はその姉妹本で、ぼくは何冊か中村天風の言葉集を出しましたが、その決定版にしたいと思います。

月曜担当…池田光


 4月8日(日)
「潜学講座」   日曜担当…八木正典
4月の潜学講座に参加してきました。
今回は、適塾見学会with桜花舞の宴で、適塾の見学と大阪城公園での花見でした。

適塾はこれまで恥ずかしながら見学をしたことが無く、学びのいい機会を与えていただきました。
適塾は日本近代医学の祖と言われる緒方洪庵が開設した蘭学の私塾で、大阪大学医学部や慶応義塾大学のルーツです。
大村益次郎、橋本左内、福澤諭吉等のそうそうたる塾生を輩出しています。
適塾の大広間にゆっくりと座って昔の時代に思いをはせると、限られた情報しかない環境で西洋医学の吸収に全力を注ぎ、塾生同士がお互いに学びを深めている光景が目に浮かんでくるようで感動でした。

花見は桜も大部分散ってしまっておりましたので、伸び行く葉桜を楽しみながらの宴です。
予想外の気温で寒さに耐えながらも、お互いがそれぞれ思いやる中で、気持ちよく楽しむことが出来ました。「何をするか」よりも「誰とするか」が大事といいますが、本心塾のメンバーと時間を共有することの楽しさと有難さを改めて感じた次第です。

今年から潜学講座が復活し毎月の開催となります。
引き続き出来る限り本心塾に協力しながら、新たな学びを追求していきたいと思います。

日曜担当…八木正典


 4月7日(土)
 息遊   土曜担当…佐々木秀彦
『陰徳ある者は、必ず陽報あり、陰行ある者は、必ず昭名あり。』(淮南子)

「陰徳陽報」と四字熟語で言われる言葉です。元号「昭和」の出典「百姓昭明、協和萬邦」で示される「昭明」どちらも同じ明るいという意味だそうです。陰徳陽報、陰行昭名。何か救われる気がする言葉です。

安岡正篤師の「人生をひらく活学」の最終稿で熊沢蕃山が登場します。中江藤樹同様に、僕の中でこれから勉強したい人物の一人でもあります。この熊沢蕃山の雅号が「息遊軒」です。礼記の中の学記の「君子の学に於けるや、焉を蔵し、焉を脩し、焉に息し、焉に遊ぶ」という「四焉」からとったもので、学に於ける最後の2つということだそうです。学問というのはまず蔵する、そのままでは何の役にも立たないので脩めて整え磨く。脩するのはいわば勤労なので勤労ばかりでは苦になるから息する、つまり休む。息するように学問するようになると、さらには遊ぶ。学問に遊ぶという境地というところまであるそうです。安岡正篤師は「この遊というのが、東洋のあらゆる学問・芸術の一つの特徴であり、精神であります」と仰っています。

この「四焉」の学を、商売に変えると確かに成り立つ気がします。息するのが生活することで、さらに遊ぶ感覚になれれば、商売に成功したと言っても良いかと思います。おそらくここで一番大切なのは、脩ではないかと感じます。整える、そしてさらに磨く…この作業の繊細さが勝負の分かれ目になるような気がします。商売には修行期間と表現される時期は必ずありますが、この修行に対する認識が間違っていると、修行そのものが無駄な徒労となるのは明白です。修行を整える、磨くという認識をもってすれば大丈夫な人になる訳です。何も解らない…つまり蔵する前に修行してもあまり意味は無さそうです。蔵が先、この順番は絶対間違えてはいけないと、この本を読んで初めて知ったことでした。

この本を読んで、僕は今凄く刺激されているのですが、これも以前に安岡正篤師の伝習録を読んでいる下地がある、さらに潜学講座で陽明学、天風哲学、四書五経等々、各回講師の方の熱意ある講義で、蔵したものがあるからこそ初めてこの本もやっと僕の蔵となる読み方ができるようになったような気がします。この蔵があるからこそ、初めて僕は商売の修行をする権利を得ることができたのでしょう。商売として息はかろうじてしてはいますが、この場合の息というのはおそらく有我無念を指してると思います、そういう意味では僕はまだまだ有我有念で商売をやっています、まだ息の領域には到達しておりません…無我無念までは追及してないとは思いますが、そこまで到達していないのでそこは不明です。遊はどんな感じなのか???今からとても楽しみです。

土曜担当…佐々木秀彦


 4月5日(木)
 花より団子?   木曜担当…西端努斗夢
先週、お花見に行ってきました。桜が満開で最高の気分でした。
その時に私は、「花より団子」という言葉があるけれど「花より人間」だと感じました。
心をワクワクさせるのにロケーションはもちろん重要なのですが、それよりも、誰と一緒に満開の桜を見て「綺麗だね!」と話せるかということの方が私にとっては重要なのです。
湧くわく本心塾では、今週末に『適塾見学会with桜花舞の宴』と題して、江戸時代後期に医者で蘭学者の緒方洪庵が大坂・船場に開いた私塾・「適塾」跡を見学した後、大阪城公園でお花見を計画しています。
もしかしたら、桜の花は散っているかもしれません。しかし、高い向上心を持った仲間や人生の師と思える方々と杯を傾け、心を開いて語り合うことは、優れた書物を読み解くことに匹敵すると私は思っています。

木曜担当…西端努斗夢


 4月2日(月)
 無題   月曜担当…池田光
4月に入りました。
例年ならこのあたりで何か成果物があるのですが、今年は出遅れています。
がんばらねば。

さて、3月下旬に、弊塾顧問の佐々木奘堂先生がイギリスに旅されました。
丸5日間、昼間はずっとブリティッシュミュージアムの「パルテノンの間(ディオニュソス等、パルテノン神殿にあった本物がある)」で過ごし、ひたすら、ディオニュソスからの声に耳を傾けられるのだそうです。

ところで奘堂先生は、関空でスーツケースの鍵を落とされたそうです。
スーツケースが開けられず、無用の長物たなってしまったとして、夏目漱石が亡くなる前の月くらいに作った漢詩を、うろ覚えだとして思い出されていました。

「いろいろ多くの物を持っていた。
だんだんと物を捨てていった。
行き行きて、長物、尽きたり。
いずくにか、我が愚を捨てん。」
漱石らしい、実に味わい深い漢詩です。
長物、余計な物は、どんどん捨てていったけど、最後に残ったものは、
愚かさだけの自分。(この長物は、捨てようもない)
というような意味の漢詩です、と。

ぼくは、さっそく原文を当たりました。
『吉川幸次郎全集』第十八巻にありました。(『漱石全集』を持っていないので。ちなみに、『吉川幸次郎全集』と同じ十八巻に乗っているようです。)
その後、奘堂先生が原文や現代語訳をフェイスブックにアップされていましたので、これを引用します。

■以下、奘堂先生の文章から。
大正5年10月21日に漱石の作った漢詩。

元是一城主
焚城行廣衢
行行長物尽
何処捨吾愚

【書き下し文】
元(もと)これ一城(いちじょう)の主(あるじ)。
城を焚(や)き、広衢(こうく)に行く。
行き行きて、長物(ちょうぶつ)尽きたり。
いずれの処(ところ)にか、わが愚(ぐ)を捨てん。
※吉川幸次郎氏の訓読とは少し違います。

【おおよその意味】
元々、一国一城の主(あるじ)として生まれた。(何不自由なく過ごせる身であった。)
ところが、城が火事で焼けてしまった。一城の主という立場を失い、広い衢(ちまた)、世の中に投げ出された。
世の中を行くうちに、持ち物を売ったりして、長物(余計な物、持っていた物)は、すべて尽きて(無くなって)しまった。
残った、たった一つのもの、それはこの自分の愚かさのみ。これだけは、捨てようにも、どうにもならない。

この漢詩を作った、ちょうど1ヶ月後に、漱石は倒れ、そのまま意識は戻らないまま亡くなります。
(以上が、奘堂先生の文章です。)

ぼくは、この詩をずいぶん昔に教えてもらったことがあります。
おそらく、高校生の頃。
が、いま、奘堂先生の体験を通して、この詩に出会って思うところが多々あります。
それにしても、奘堂先生の体験は説得力がありました。
忘れられない奘堂先生からの説法となりました。

月曜担当…池田光


 4月1日(日)
 「切磋琢磨」   日曜担当…八木正典
子貢曰く、貧しくして諂うこと無く、富みて驕ること無きは如何。
子曰く、可なり。未だ貧しくして道を楽しみ、富みて礼を好む者には如かざるなり。
子貢曰く、詩に云う、切するが如く磋するが如く、琢するが如く磨するが如しと。其れ斯れを謂うか。
子曰く、賜や、始めて与に詩を言うべきのみ。諸に往を告げて来を知る者なり。(学而第一)

組織強化を考えていた時に、相手だけに成長を望むのではなく、自分のみが成長するのでもなく、双方にバランスの取れた成長が必要であると考えているとある言葉が浮かびました。
それが「切磋琢磨」です。切は骨、磋は象牙などを切り出し削ることで、琢は玉、磨は石を磨くことだと言われています。修養によって自らを向上させるのみならず、同じ志を持つ者同士が互いに刺激し合い向上し合うことです。
下村湖人先生の論語物語では、切磋琢磨を人格陶冶の苦心を謡ったものだけではなく、工匠の仕事を楽しむ心、則ち労苦の内に、否、労苦することその事に生命の躍動と歓喜を見出す心が大切な点だと説明しておられます。
お互いを高め合う動きの中に、仕事を楽しむ要素をどこまで組み合わせていくことが出来るのかを意識していきたいと感じております。

日曜担当…八木正典



2017年6月9日~2018年3月31日

2017年4月1日~2017年6月8日

2016年4月1日~2017年3月31日

2015年4月1日~2016年3月31日

2014年4月1日~2015年3月31日

2012年7月2日~2014年3月31日