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 わくわくブログ 2015年4月1日~2016年3月31日

【担当】 月曜…池田光、火曜…柿原まゆみ、水曜…冨樫功、木曜…西端努斗夢、金曜…小笹正洋、土曜…佐々木秀彦、日曜…八木正典


2014年4月1日~2015年3月31日

2012年7月2日~2014年3月31日

    

2016年3月31日(木)
ご縁                            木曜担当…西端努斗夢

昨日と今日の2日間、福岡に行き、先ほど帰宅しました。

幸か不幸か、2日目の予定がキャンセルになり、そのおかげで福岡市早良区藤崎にある、うつわとカフェのお店「Te+Te(てとて)」に行くことができました。


この店のオーナーTさんは、私と池田塾長の共通の知人で、立花大敬さんの「心はゴムひも」という本を介してご縁を繋いでくれた方です。


Tさんが私に池田塾長を紹介してくれていなければ、独立する勇気もなく、今もサラリーマンを続けていたかもしれません。ましてや、湧くわく本心塾の皆様と出会いうことも、こうしてブログを書いていることもなかったと思います。

そう考えると、人のご縁というものは本当に絶妙です。

もしかしたら、明日、誰かと出会い、それによって人生が思いもかけない展開になるかもしれません。
そう考えると、毎日、毎日が緊張とワクワクの連続です。


ちなみに、このお店、内装はもちろん、メニューも展示販売している器もとてもおしゃれで、Tさんの人柄そのままのホッとする場が店内に広がっています。



何度かお店にはうかがったことはあるのですが、今回、初めてランチをいただきました。ホッとする場にピッタリの、ホッとする美味しさでした。

木曜担当…西端努斗夢



2016年3月30日(水)
沖縄に                             水曜担当…冨樫功

沖縄旅行に行ってきました。

言葉になりません。

今日は写真のみとさせていただきたいと思います。



水曜担当…冨樫功



2016年3月29日(火)
笑うから楽しくなる。笑うから運も開けてくる       火曜担当…柿原まゆみ

笑うから楽しくなる。笑うから運も開けてくる
                   働く君に贈る中村天風45の言葉より


あと数日で4月。その頃は桜が満開でお花見に最適です。
GPS機能の発達により簡単にお弁当やピザ、オードブル、お酒までデリバリーしてくれるようになりました。また最近ではお花見パーティケータリングの需要も伸びているとの
事です。花見がメインなのか宴会がメインなのか、わからなくなっていますね。

古来、日本で“花”と言えば“梅”。奈良時代桜は農作物の吉凶を占う為の花で、
早く散れば凶作となり、散る花をおしんだと言われています。
桜が花見の主役となったのは平安時代。公家の間で大ブームになりました。
時代とともに武家へ広がり、庶民の暮らしの中に入ってきたのは江戸時代になってからです。

「お花見は本来桜に宿った穀物の神様を前に、秋の豊作を先にお祝いし、神様に感謝する予祝(あらかじめ期待する結果を模擬的に表現するとその通りの結果が得られるという考え)だったそうです。」(中村天風打たれ強く生きる100の言葉より引用)

花見は花のエネルギーから活力を頂く為にめでる作法。
満開の桜を見上げていた時に一緒にお花見をしていた先輩が
「花はみな上を見て咲いているけど桜は下を向いて咲いているでしょ。
それは沢山の人に観てもらいたいからだよ」と教えてくれました。
目線を下げ姿勢が悪いと積極的な考えや発想は起こりません。

辛い時こそ「笑う」と書かれている書物を読んだときに共感できず
「辛く悲しい時に笑うなんで・・・」と思っていました。
天風先生の「先に笑うから楽しいことが後からついてくる」の考えはすっと腹に落ちました。
とは言えなかなか「笑えない」と思われる方は花のエネルギーをお借りしましょう。
桜の咲く時期は仕事帰りに少し遠回りして花をめでるようにすると自然に笑顔になり
幸せな気分になります。
「笑うから楽しくなる。笑うから運も開けてくる」

火曜担当…柿原まゆみ



2016年3月28日(月)
訂正                              月曜担当…池田光

3月14日のブログの続きであり、訂正です。

かつて、筑摩書房から『禅の語録』全20冊という叢書が刊行されました。
そして、35年ぶりに出版される小川隆『禅の語録20 導読』の発売をもって、この叢書が完結すると書きました。
が、記述に誤りがありました。

正しくは、叢書の新版が出るようです。
もちろん、既刊の『禅の語録』がベースになっています。
しかしこの叢書は未完でしたので、その後に刊行された『馬祖の語録』(現在品切れ)、『玄沙広録』全3巻などといった語録を含め、再編纂されて一気に出版になるようです。

ちなみに、新しく加わる、禅の語録5『馬祖の語録』の定価は、税込7020円です。
この価格を高いと思われるかもしれませんが、ぼくが購入した旧版の『馬祖の語録』(禅文化研究所)にはプレミアがつき、はるかに高値でした。今回の新版の発売によって、とても求めやすくなっています。

また、新しく加わる『玄沙広録』全3巻(禅文化研究所)などは現在も流通していて、この全集では高くなっています(ただし上巻は品切れ)。現行の『玄沙広録』は、この全集の出版によって旧版となり、古書店では価格が低下することも考えられ、うまくいけばお買い得になるかもしれません。

さて、書き下ろしの新作は、小川隆『禅の語録20 導読』の一冊だけであることには、間違いはありません。
以下に新版のリストを掲げて、訂正といたします。

【参考】新版のリスト
禅の語録1『達摩の語録』柳田聖山著 
禅の語録2『初期の禅史1』柳田聖山著 
禅の語録3『初期の禅史2』柳田聖山著 
禅の語録4『六祖壇経』中川孝著 
禅の語録5『馬祖の語録』入矢義高編集
禅の語録6『頓悟要門』平野宗浄著 
禅の語録7『■居士語録』入矢義高著 
禅の語録8『伝心法要・宛陵録』入矢義高著 
禅の語録9『禅源諸詮集都序』鎌田茂雄著 
禅の語録10『臨済録』秋月龍ミン(王へんに民) 著 
禅の語録11『趙州録』秋月龍ミン(王へんに民) 著 
禅の語録12a『玄沙広録 上』入矢義高監修、唐代語録研究班編集 
禅の語録12b『玄沙広録 中』矢義高監修、唐代語録研究班編集
禅の語録12c『玄沙広録 下』矢義高監修、唐代語録研究班編集 
禅の語録13『寒山詩』入谷仙介著、松村昂著 
禅の語録14『輔教編』荒木見悟著 
禅の語録15『雪竇頌古』入矢義高著、梶谷宋忍著、柳田聖山著 
禅の語録16『十牛図』梶谷宋忍著、柳田聖山著、辻村公一著 
禅の語録17『大慧書』荒木見悟著 
禅の語録18『無門関』平田高士著 
禅の語録19『禅関策進』藤吉慈海著 
禅の語録20『導読』小川隆著

月曜担当…池田光



2016年3月27日(日)
「学を志す者」                         日曜担当…八木正典

学を志す者、規模を宏大にせずばあるべからず。さりとて唯ここにのみ偏猗すれば、或は身を修するに疎に成り行くゆえ、終始己れに克ちて身を修する也。規模を宏大にして己れに克ち、男子は人を容れ、人に容れられては済まぬものと思えよと、古語を書いて授けらる。
恢宏其志気者 人之患 莫大乎自私自吝 安於卑俗 而不以古人自期
古人を期するの意を請問せしに、堯舜を以て手本とし、孔夫子を教師とせよぞ。(南洲翁遺訓)


年度末で業務が集中してくると、実務的な知識やスキルを増やすことに偏ってしまっている自分に気づきます。目先の喫急なことにどうしても時間を割かざるを得ないのです。それはそれで必要なことながらバランスを欠くとなんだか自分に物足りなさを感じてしまいます。
どんな環境下におかれても昔の人を手本とし理想に向かって日々少しづつでも自己を修める努力を続けていきたいと思います。

日曜担当…八木正典



2016年3月26日(土)
青銅                              土曜担当…佐々木秀彦

オリンピックのメダルの色の印象が強いのですが、ブロンズは銅だと決めつけていました。しかし、ブロンズは青銅だったのですね。けっこうこういう思い込みは多いのだろうと常々思ってはおりますが、メダルの色も勘違いしていた僕ですから、今後はそのメダルを勝ち取った選手がそのメダルをかじることも大目に見ようと思います。

石器時代、鉄器時代、青銅器時代…と先史時代は通常区分されるということですが、我が日本は弥生時代に鉄器と青銅器が同時に伝わったため、この鉄器時代、青銅器時代という部分は存在しない地域に分類されているそうです。なるほど、小学校では習わなかった気がします。

メソポタミア文明・エジプト文明では紀元前3500年頃から紀元前前1500年頃までの約2000年間が青銅器時代に相当するそうです。そして中国では紀元前3000年頃から春秋時代の紀元前400年頃までがこれにあたります。約2500年ほどですね。日本では縄文時代で新石器時代に分類されている時代です。そして弥生時代の紀元前100年あたりに鉄器青銅器が大陸から伝来したということになっているそうです。


出雲西部に荒神谷遺跡や加茂岩遺跡という古代出雲に分類される遺跡があるそうですが、そこから大量の銅鐸や銅剣が出土しているのですが、その根拠は現在のところまだ明確ではないそうです。


青銅はスズを混ぜて精錬するとそのスズの含有量に応じて、鏡のようになったり、黄金色になったり、10円硬貨のようになったりするそうです。出土した青銅色の銅鐸の写真を見て何故宝物か理解できなかった小学生時代だったのですが、これが鏡面反射したり、黄金色に輝いていたのならそれだけで目が釘付けになったことは男の子でも容易に推測できます。

縄文時代紀元前3000年頃、日本は中国から水稲作が伝わったということになっているそうです。水稲作が伝わって、青銅器は伝わらなかったのは何か不自然ではないでしょうか?弥生時代の紀元前100年ごろまで約3000年もの間、鉄も青銅器も伝わってない???
土偶が出土してるいので、創作意欲はあったはずです。勾玉も出土しているので、美しいものにも興味はあったでしょう。何か釈然としません。

日本は江戸時代銅の産出量では世界屈指でした。世界遺産の石見銀山が近くにある出雲です。出雲の国は先史時代、青銅の産出量が世界屈指だったかもしれない可能性の否定は誰もできないでしょう。鎌倉時代にモンゴルのクビライ・ハンが意固地なくらいに日本征服に執着したのも、マルコポーロが黄金の国ジパングと欧州に紹介したのも、縄文時代から青銅器をふんだんに遣っていた実績があっての話なら理解しやすくなります。

いえいえ、実は黄金週間に出雲大社への参拝を計画しているのですが、古代出雲遺跡では青銅器が大量に出土しているのにもかかわらず、青銅器時代が無いと言われていることに若干悔しい思いを感じまして、話を黄金色に装飾してみました。深いメッセージではありませんが、旅行前のイメージ創りの1例と楽しんでいただければ幸いです。

土曜担当…佐々木秀彦



2016年3月25日(金)
東京見物                           金曜担当…小笹正洋

 大将は知恵を持って肝要とす。
 知恵なき者は万事に惑いあるものなり。
 知恵には大小あり。
 知恵大なれば天下を治めて不足なく、
 知恵小さきなれば一国一城も治まりかねるものなり。
 ~楠木正成



 先日東京に行った際に、どうしてもこの目で観たかった楠木正成像を観に、皇居
 (旧江戸城)外苑に立ち寄りました。
 楠木正成像は、上野公園の西郷隆盛像、靖国神社の大村益次郎像と並び、「東京
の三大銅像」と呼称しています。
 期待通り、皇居をお護りするに相応しい威風堂々とした迫力ある銅像でした。
そして、銅像の台座の部分に、以下のような碑文を目にしました。



 <碑文原文>
 自(臣)祖先友信開伊豫別子山銅坑、
 子孫継業二百年。
 亡兄友忠深感國恩、
 欲用其銅鋳造楠公正成像、
 献之闕下、蒙允未果。
 (臣)継其志、薫工事、及功竣、謹献。
 明治三十年一月
 従五位(臣)住友吉左衛門謹識


 <読み下し>
 臣の祖先・友信、伊豫・別子山銅坑を開きてより、
 子孫、業を継ぎ二百年、
 亡兄・友忠、深く国恩を感じ、
 其の銅を用いて楠公正成の像を鋳造し、
 之を闕下に献ぜんと欲するも、允(ゆる)しを蒙むりて未だ果たさず。
 臣、其の志を継ぎ、工事を薫し、功竣に及び、謹しみて献ず。
 明治三十年一月
 従五位 臣住友吉左衛門、謹みて識す


<現代語訳>
 私の祖先・友信が伊予国・別子銅山を開いて以来、
 子孫は代々二百年の間その業を継ぎました。
 私の亡くなった兄・友忠は、深くその国恩を感じ、
その銅を用いて楠木正成公の像を鋳造し、
 朝廷の城下に献上しようと思い、その許可はいただきましたが未だ果たさずにい
 ました。
 私はその亡き兄の志を継ぎ、工事を監督し、竣功に及んだので、ここに謹んで献
 上します。
 明治三十年一月
 従五位 私、住友吉左衛門が、謹んで記します。

 (註)
 住友友信(1647 - 1706)住友家3代当主
 住友友忠(  ?   - 1890)住友家13代当主



 楠木正成の銅像の制作を依頼されたのは東京美術学校(現、東京藝術大学)で、
 同校木彫科の主任教授の高村光雲(高村光太郎の父)をはじめ、複数の教授・学
 生が6年の歳月を費やし、明治29(1896)年に完成しました。
その後台座部分が完成し、現在の位置に据付が完了したのは明治33(1900)
 年の事でしたが、台座部分の碑文には銅像が完成した直後の明治30(1897)
 年1月の日付が記されています。



 今回のブログで、私の担当は最終回となりました。
これまでご覧頂きました皆様には心より感謝申し上げます。


また、Facebookやアメブロで見つけられましたら、お声かけ頂けると嬉しく思っ
 ております。

金曜担当…小笹正洋



2016年3月24日(木)
国際人                             木曜担当…西端努斗夢

国際化、グローバル化という言葉が使われ始めた頃のことです。ある高校で国際科を新たに設置することになりました。取材に訪れた記者たちを前に校長は、英語の授業時間を増やすなど、英語教育に重点を置くことで国際化社会に通用する人材を育成することができると、新しい学科を自慢げに説明していたのです。

それに対して私は、英語を話せるだけで国際化社会に通用する人間にはなれない。国際人になるには、自国の歴史や文化を学ぶのはもちろん、人間性を高めないといけないのではと反論し、校長や教育委員会の関係者から煙たがられたのを覚えています。

今では、国際と名の付く学部や学科、コースが数多くの大学や高校に設置されていますが、はたして、これまでにどれだけの国際人が育ったでしょうか?
私は、幕末から明治維新にかけての方が、今よりも確かに外国語を話せる人は少ないものの、国際人としての資質を備えた人は多かったような気がします。

素晴らしい建築物は、しっかりとした土台の上に建てられているのと同じように、優れた知識や能力は、高い人格の上で発揮されるものです。
ただ単に学びを通して知識や能力を高めていくだけでなく、その知識や能力を有効に活用できるだけの人格を高める努力を忘れてはいけないと思います。

木曜担当…西端努斗夢



2016年3月23日(水)
お金が香る                          水曜担当…冨樫功

最近やたらと眠いです。

春眠暁を覚えずというやつなのか。
まあでも、夜早く寝て、朝早く起きてるので睡眠時間は変わってないか。

眠くてずっとボーっとしてるのが何ともアレです。
シャキッとなりたいんですけどね。


さて、話は変わりますが、今お金を使うたびに「ウッ」となります。

財布を出して、お金を出そうとしますよね。
そのたびに「ウッ」となるのです。


なぜか。



どうも今サイフに入っているお札にお香の香りがついているようなのです。
サイフからあふれだすほど強力です。


実は自分は線香とかお香の匂いがわりと苦手なんです。
特に線香の匂いがなぜか苦手。

理由はわかりませんが、できるなら関わりたくない匂い。


今、財布を開くたびにその匂いなのです。
いや、開かないでもなぜかその香りに包まれる瞬間まであるのです。


その匂いを嗅ぐたびに「ウッ」となる。


それなら、匂いがついてるお札から優先的に使えばよかったのですが、
だったら、また匂い嗅がないとだめですし、それはツラいw。



ということで、途中からそれを逆手に取ることにしました。

「ウッ」となるたびに感謝。

財布を使う、お金を使うたびに心から感謝にこころを振り替えます。


今、本当に使うたびに気づかされるので、いかに自分が何の気なしにお金を使っていたかがわかります。

水曜担当…冨樫功



2016年3月22日(火)
「積極的なシナリオ」を選んで主人公を演じる      火曜担当…柿原まゆみ

心の態度が積極的だと、お互いの命の全体が積極的に運営される。
反対に消極的だと、またそのとおりに全体命の力が消極的に萎縮(いしゅく)せしめられてしまう。

積極的なシナリオを演じると、健康で長寿で、運命がよくなり、成功が得られる。
宇宙のエネルギーがどんどん受け入れられ、舞台のあなたは輝きを増すことでしょう。
人生のすべてのよい結果は、そんなシナリオを演じ切ることによって生まれるのです。

          中村天風「打たれ強く生きる100の言葉」天風に学ぶ39より


3月20日の春分の日を中心に前後3日ずつ合わせて7日間を「春の彼岸」といいます。
昼と夜の長さが同じで太陽が真西に沈むため、仏教で西方遥かかなたにある極楽浄土に
ちなんでこの日に仏事をするようになったそうです。

お彼岸は祖先を供養し、故人をしのぶ大切な行事です。
「お墓参りに行けない時はご先祖様に感謝し、話題にして会話をすることも
ご供養ですよ」と尼さんにお教え頂きました。
仏前にお供えするのは、ぼたもち。春は牡丹の花にちなんでぼたもち、秋は萩の花にちなんでおはぎといいます。同じおもちを時期によって呼び方を変える日本人の感性は素晴らしいですね。

「暑さ寒さも彼岸まで」と言われる通りだんだん過ごしやすい季節になってきました。
街のショーウィンドウもすっかり春色です。
「今年の流行色」は?と話題になりますが毎年その年を代表する色
「カラー・オブ・ザ・イヤー」を決めているのは世界中で利用されている色見本帳で
知られる会社Pantone社です。

Pantone社は2016年のカラーとして
"ローズ・クォーツ&セレニティ"を発表しました。
毎年カラーは1色発表されますが今年は珍しく2色発表されました。
ローズ・クォーツは優しいピンク、セレニティはやわらかいブルーです。

どちらも春に適したカラーなのでいつもの装いに少し取り入れたいですね。
明るい色の服を着るだけで気分があがり積極精神になります。
男性のビジネススタイルにトレンドを入れる場合
ネクタイやポケットチーフの色を春らしい色に変えると明るくなります。

女性誌をみる“とろみシャツ”や“とろみパンツ”などやわらかくて、とろんとした
素材でゆったり着るものが流行っていますね。
またレースやシフォン地など透け感のある素材が多いです。

いつもの装いを少し変えることもチャレンジになります。
先日、自分で選ばないような洋服をプロの方にコーディネートして頂きました。
「お似合いですよ」と褒められると嬉しくなり、自信がつきます。
また、おしゃれの幅が広がり気分が上ります。
装いが変えることは自分が主人公になる舞台に立てます。
良いことがきっと起こりますよ。

火曜担当…柿原まゆみ



2016年3月21日(月)
『無門関』と岡田正三                    月曜担当…池田光

中国宋代にできた公案集に、無門慧開が著わした『無門関』があります。
その解説書は無数にあります。
が最近、面白い解説書を見つけて、読みました。
岡田正三著『無門関の構造研究』(第一書房、昭和11年刊)です。

どこが面白いのかを説明しましょう。
『無門関』には、48則の公案が掲載されています。
第1則は、「犬に仏性があるかどうかを尋ねたもの」です。
現代語訳はあとで示すとして、まず白文に句読点をつけたものを掲げておきます。

「趙州和尚、因僧問、狗子還有佛性也無。州云、無。」

この文章の5文字目に、「因」という字があります。面白いのは、この「因」をどう解釈するかなのです。

岡田正三氏は、
・漢文として「因」をどう解釈するか
・公案として「因」をどう解釈するか
という視点から、この一冊を書かれました。
「因」をキーワードにして、一貫した解釈を行っているところに面白味があります。

■「因」の漢文解釈
 


漢文として、「因」をどう解釈したらいいのでしょうか。
写真の二冊の本で比べてみたいと思います。
ちなみに、どちらも学問的に漢文を学んでいる人の著作です。

・「因」を「ある時」という限定語に解釈する……というのが、岡田正三『無門関の構造研究』(第一書房)の解釈です。
この場合、「因」は、「ちなみに」と訓読します。
岡田正三氏によると、第1則はこんな現代語訳になります。
「趙州(じょうしゅう)和尚のはなしだが、ある時(因)にある僧が、犬に佛性があるか又ないかと質問したら、趙州はないと言った。」

・「因」を原因を表わす接続詞として解釈する……というのが、秋月龍珉、秋月眞人『禅宗語録漢文の読み方』(春秋社)の解釈です。
この場合、「因」は、「~によって」と訓読します。
すると、第1則は、次のような現代語訳になります。
「僧が『犬にも仏性がありますか』と尋ねたので(因)、趙州和尚は『無』と答えた。」

ところで、漢和辞典を開くと、「因」を「ある時」とする語釈は見当たりません。
どうも、当時の俗語らしいのです。
実際にぼくの持っている『無門関』の解説書を見てみると、かなりの書籍において、「ある時」という解釈を施しています。
が、秋月氏は、これは「漢文を勘で読んだものであり、語録漢文を語学的に正確に読もうとしていない」ときっぱり否定しています。

漢文については門前の小僧であるぼくには、どちらが正しいのか、あるいはどちらも正しくないのか、そんなことはわかりません。

が、岡田正三氏は、「因」を「ある時」という限定語に解釈することで、これをキーワードにして『無門関』のすべての公案を解釈できると言い、それなりに筋が通っています。
そして、このことから、彼は坐禅をしなくても悟れるとして、「活字禅」を唱えました。

■「因」の公案解釈
「因」を「ある時」と解釈することが、公案を解くキーワードになるというのは、どういうことでしょうか。
まず、「因」が入っている公案と、入っていない公案という、二つに分かれます。

・「因」が入っている公案は、「ある時」という特殊な状況下において、公案として成立している。そのため、この特殊な状況下を前提にしないと、公案は解けない。

・「因」が入っていない公案は、特殊な場合でなく、一般的な状況下で成立した公案であり、その公案だけで解くことができる。

この糸口から得られる解釈は一貫していて、興味深く読みました。
 




■他書の「因」解釈
すると、ほかの解説書では「因」をどう解釈しているのでしょうか。
このあたりが、とても気になります。
書庫を探すと、写真の本が見つかりました。



これらは折にふれて買っていたもので、ぼくは禅学(「禅」ではなりません。念のため)をよく知りませんので、何が必須の文献なのかわかりません。
そのため、不用なものを買ったり、欠けているものが多々あると思いますが、とりあえず手持ちの本で調べてみました。
いや、そもそも禅に解説書など必要がないのでしょうが、それを言い出すときりがないので話を進めます。

さて、第1則だけをざっと見ました。
煩雑になるので、このあたりのことは省略しますが、数パターンの解釈があるように感じました。

それはそれとして、「因」をめぐる横串読書(横串を刺すように、ワンテーマで各文献を比較読書すること)を楽しませていただけたことは、ありがたいことです。
尻切れトンボですが、以上でおしまいです。

■最後に
それにしても、「因」をキーワードにして『無門関』を読み解くという発想の持主・田中正三氏とは、いったいどういう人物なのだろう……。
そんな興味が湧き、ウィキペディアで調べてみると、次のように簡単な記述が掲載されていました。

岡田正三(おかだ しょうぞう、1902年-1980年)は、ギリシア哲学などの研究者、神戸大学教授。
戦前から漢文古典に関する著書を著し、戦後夕刊京都新聞編集責任者、のち神戸大学教授を務めた。
・著書[編集]
漢文音読論 政経書院 1932
詩経 国風篇 第一書房 1933
論語講義 第一書房 1934
音読漢文自習書 第一書房 1935
孟子講義 第一書房 1935
無門関の構造研究 第一書房 1936
大学・中庸・孝経講義 第一書房 1936
老子心解 第一書房 1937
・翻訳[編集]
プラトン全集 第1-5 第一書房 1933-1934
プラトン全集 第6巻 河出書房 1944
プラトン全集 第1-9巻 全国書房 1946-1949

岡田正三氏の専門は、古代のギリシア哲学のようです。
なんと『プラトン全集』を、個人によって全訳しています。
『プラトン全集』第1-9巻(全国書房)とありますが、実際は、最終的には全12巻になったようです。これは大業です。
(ちなみに、ぼくは岩波書店版の『プラトン全集』を二十代の頃に買っていて、少し読んだ程度なのですが、岡田正三訳と比べてみようと思いたちました。
そして、すぐに全国書房版の岡田正三訳『プラトン全集』の第一巻だけを注文しました。いずれ、読み比べしてみます。
高校三年の冬に、ぼくは中央公論社の『世界の名著』で『プラトン』Ⅰを何日もかけて読んだのですが、多感な時期でもあり、とても影響を受けました。この本とも読み比べてみます)

さて、ウィキペディアの記事から、岡田正三氏は『無門関の構造研究』を34歳のときに出版したことがわかり、こんなに若い頃に書かれていたのかと知って、ちょっと驚きました。
漢文については、『漢文音読論』、および『音読漢文自習書』という著作があります。
漢文をそのまま音読することを主張し、伝統的な返り点による訓読を時代遅れとしているようです。
また、『漢文の哲学的性格』という本を出す予定もあったようですが、これはたぶん刊行されていません。
どちらにしても、漢文には一家言あった方のようです。

こうした漢文力をもとにして、『詩経』『論語』『孟子』『大学』『中庸』『孝経』といった漢籍を訳されています。
さっそく、ぼくは『詩経 国風篇』『論語講義』『老子心解』を古書店に注文しました。
このうち、二冊が届きましたので、さっそく全体的に見渡しましたが、『詩経』の訳にみずみずしさを感じました。

ところで、なぜ、プラトンと禅なのでしょうか。
岡田正三氏がこんな言葉を書いています。
「言葉には論文と対話とある。
そうして、思想生活はその人を次第に論文的ならしめ、また禅は論文的から対話的にひきもどすものである」(『無門関の構造研究』116ページ)
と。
プラトンの書物は、すべて論文ではなく、対話編です。
ここに、禅があるのではないでしょうか。
禅とは、思想ではなく、生活です。
生きることです。
両者とも、良く生きる次元にひきもどすものなのでありましょう。

月曜担当…池田光



2016年3月20日(日)
「血誠」                             日曜担当…八木正典

「書に曰く
若し薬瞑眩(めんげん)せずんば、その疾(やまい)?(つい)えず」

薬というものは飲んでめまいのするようなものでなければ、飲んでも効果がなく、その病気は治らないと言うように、全力を尽くし大発奮し、先王に及ぼうという努力がなければいけない。

孟子の滕文公章句に出てくる一節ですが、自分の持つ志に対して非常な覚悟をもって当たらなければ何も変わらないし、変えられないというものです。
安岡正篤先生の言葉でも、「“誠”は大事である。しかし、抽象的な誠や元気のない誠は無力だ。あくまでも血の通った熱情ある誠、“血誠”でなければならない。」と言われています。
強い言葉です。自分の弱気に流れようとする心持ちを反省させられます。
自分の目標をかなえるために、どこまでの高い思い、強い思いを以って過ごせているのかを日々改めて考えていきたいと思います。

日曜担当…八木正典



2016年3月19日(土)
大阪                              土曜担当…佐々木秀彦

大阪のシンボルツリーは???

はい、大阪人なら銀杏と答えるのが普通ではないかと思います。御堂筋の銀杏並木の印象が強いので僕もさっきまでそう思っていました。はい、正解です。大阪府のシンボルツリーは銀杏です。ちなみに大阪府のシンボルフラワーは梅ということです。そして、大阪市のシンボルツリーは桜です…何か誤魔化されている気がするのは僕だけでしょうか???府と市で梅と桜と銀杏とをシンボルに制定しているなんて…

大阪城の森ノ宮口の桜は満開です。毎年毎年気が早く、この時期にはすでに満開なのです。
この満開の桜を見たので、今回のブログは桜にしようと思い少し調べたら、大阪市のシンボルツリーだと知りました。大阪市民の僕ですが桜がシンボルだと夢にも思いませんでした。

灯台下暗し…確かにそんな言葉があります。あまりに悔しいので、大阪市をもっと調べてみました。僕が住む上町台地という場所も12万年前は上町海という海でした…え?12万年前に上町海という名称はホントに正しいのでしょうか???10万年前ぐらいにはナウマンゾウがウロウロしていた…象ですか???7万年前の氷河期に上町海は退いて古大阪平野が広がり象の臼歯の化石が1つ出土している…凄い浪漫です!宇宙を探求するのも、古代を探求するのも、これはまったく同じですね。文字が残されて以降はここまで突飛ではないですが、それでも同様な憶測がまるで正しいように教科書に記載されていたりもするのでしょう…

シンボル、イメージ、常識、、、冷静に考えれば、どれもこれもこの程度であるのは理解すべきことです。でも現代情報化社会に生活しているからこそ、自分の取り寄せ可能な情報範囲が世の中の通常であると大きく錯覚しているんだと、大阪府と大阪市が、桜と梅と銀杏で僕に警鐘を鳴らしてくれたような気がしました。

ちなみに大阪府のホームページでは、大阪の木は銀杏、大阪の花は梅…という記載です。大阪市のホームページでは大阪市の花は桜…という記載です。行政として大阪を名乗っていいのは大阪府なのですね、府市合わせはこんなところにも垣間見られます。

もうすぐ春分の日。太陽の輝く時間が長くなる季節がやってきます。大阪のシンボルキャラクターが桜でも梅でも銀杏でも関係なく、僕自身のキャラクターを大活躍させる舞台としての大阪を、これから益々大切にしていこうと思いました。

土曜担当…佐々木秀彦



2016年3月18日(金)
よく生きること、よく学ぶこと                 金曜担当…小笹正洋

私たちはこの世で知っていることと、
知らないこととでは
どちらが多いでしょうか?

私たちがこの世で出来ることと
出来ないこととでは
どちらが多いでしょうか?

私たちは今持っているものと
不足しているものとでは
どちらが多いでしょうか?



1982年オーストラリア生まれの、ニック・ブイチチ氏が語る映像をご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=oOHD8OqBVYs

そして約7分後に、自分自身に問いかけてみて下さい。



私たちは、与えられた役割に気付いていますか?

全力を出し切っていますか?

機会を脅威と勘違いしていませんか?

たった一回の失敗で、全てを諦めていませんか?

金曜担当…小笹正洋



2016年3月17日(木)
月の明かり                           木曜担当…西端努斗夢

写真は、「明」の古代文字で、ご近所に住む書道の先生に書いていただきました。

漢字では、左が「日」、右が「月」ですが、古代文字は、左は「日」ではなく窓で、そこから月明かりが入ってくる様子を表したものだそうです。

当時は、月明かりのさす窓辺こそが神聖な場所とされ、祭壇が設けられていたということです。

また、古代中国では、最もパワーのある文字と言われていたそうで、私の部屋にも月のエネルギーが満ちてきそうです。

木曜担当…西端努斗夢



2016年3月16日(水)
奈良の奥地の神社へ                    水曜担当…冨樫功

週末に、奈良の龍泉寺、天河神社と玉置神社に行ってきました。


どちらの神社も神様に呼ばれないといけないと言われています。

不思議なご縁で今回行くことができました。


龍泉寺は水が豊かで、とてもきれいなお寺でした。
まさに龍がいるかのような。


天河神社は、あの小林正観さんも愛した神社だそうで、
弁財天が祀られています。


芸能の才能を伸ばしてくれるといわれているそうです。

温泉街のそばにあり、ぜひゆっくり泊りできてみたいなあと思いました。


ここまでも大阪からは2時間ほどなのですが、
玉置神社はさらに2時間半ほど奥地になります。


一般人がいける限界の聖地ともいわれる玉置神社。

玉置山の頂上付近にある神社には、
樹齢3000年を超える神代杉をはじめみどころがたくさん。


熊野三社の奥の院にあたり、世界遺産なのもうなずける凄さでした。


山の頂上にまで登ってみる風景はまさに最高でした。

水曜担当…冨樫功



2016年3月15日(火)
先に声をかける                        火曜担当…柿原まゆみ

「あなた方は喜びを感じると感謝する。ああ、ありがとうと。天風のほうは
違うんだ。感謝のほうを何ものにも先に支払っておきゃ、自然と喜びはくるというんだ」
普通の順序では「喜びを感じるから、感謝する」となります。天風は、これを逆転
しました。「感謝するという結果を先にやってしまうと、その原因である喜びがあとから
やってくる」ということです。
                中村天風 打たれ強く生きる100の言葉78より

“先に声をかけると喜びがあとからやってくる”まさに「笑う門には福来る」ですね。
福が来るから笑うのではなく、笑うから福がくるのです。
先にすることで喜びがあとでくることのひとつにあいさつがあります。
ビジネスでも日常でも人と人との出逢いはすべてあいさつから始まります。
あいさつの仕方によってその人のことが一瞬でよくわかります。

人を大切にするひとか
人間関係を大切にする人か
体調や精神状態
エネルギー
性格や社交性
教養 など

その人の本質が見えるあいさつを感じよく先にできれば、喜びがあとでやってきます。
今回は感じの良いあいさつの仕方をご紹介します。

①笑顔
どんなに美しい方でも、笑顔がないと「この人とまた会いたい」とは思いません。
綺麗な方ほど笑顔が無いと余計に冷たく感じられます。お美しい方は損をするので
笑顔を振りまきましょう。
この瞬間出逢えたことに感謝の気持ちがあれば自然に笑顔になれます。

しかし笑顔が苦手な方がいます。それは普段から笑っていないから表情筋が動かないのですぐに笑えないのです。笑顔が苦手な方におすすめなことは
①楽しい人や好きな方に逢って話す
②お笑い番組や落語・コメディ映画などを観る
③赤ちゃんや小猫、わんこなどかわいい子を観ると自然に笑顔になれます
④過去の嬉しかったことを想いだしニタニタする。
ここで注意することは外でニタニタしないこと。気味悪がって人が近づいてきません(笑)

普段意識することは、口角を上げること。口角が下がると自分ではそんなつもりは
なくても人から見ると「機嫌が悪そう」と見えてしまいます。
重力がかかっているので筋肉も下に下へと下がっていきます。
重力に負けない筋力をつけることです。

自分の笑顔は自分で見ることは出来ません(鏡があれば別ですが・・・)
ということは人のためにするのです。
笑顔には人のためだけでなく自分にも様々ないいことがあります。

●笑い”が発端となって作られた”善玉”の神経ペプチドは、血液やリンパ液を通じて体中に流れ出し、NK細胞の表面に付着し、NK細胞を活性化します。その結果、がん細胞やウイルスなどの病気のもとを次々と攻撃するので、免疫力が高まると言われています。

●笑うと副交感神経が優位になり、ストレスホルモンの分泌が減少し、脳の温度が下がります。笑っている時は、この2つの神経がバランス良く働いている状態になります。
ストレス解消が出来るということですね。

●楽しく笑うことで糖尿病患者の血糖値が下がるということが明らかになり話題を集めています。

●笑うことで表情筋がつき、顔のリンパの流れが良くなり、むくみが取れて
小顔効果が期待できます。ちなみに柿原は笑顔のお陰でかなり顔が小さくなりました。

②声のトーンを上げる
場所や雰囲気、逢う方によって声の大きさを変えます。
落ち着いた洗練された雰囲気を演出したければ、声の大きさはやや小さめ。
元気で明るいイメージを与えたいときは少しだけ大きな声ではっきりと。
トーンは高めが良いです。
語尾を上げ過ぎると知的な感じはしません。語尾を上げても感じが良いのは
サザエさんくらいです。山をつくるように「こんにちは」「おはようございます」と
発すると品が良いです。ドレミの「ファ」や「ソ」くらいがいいでしょう。


③アイコンタク
話す時は「相手目を見て話す」と言われますが
相手の目をじぃ~と目線を外さずに話していると残念ながら怖がられてしまします。
ライオンやトラに遭遇した際に目をじっと見ると襲われます。
松島トモ子さんはあの大きな目でライオンやヒョウの目を見てしまったんでしょうね。

目と鼻を結すぶと三角形が出来ます。この辺りを見ると優しい目線になり感じが良いです。アイコンタクト+笑顔であいさつすると相手の方を大切にしていることが伝わります。

家族や恋人・職場の方、友人、知人はもちろん、買い物に行った時やタクシー、バスなどを利用した際にもアイコンタクトであいさつすると笑顔で「ありがとうございます」と言って頂き気持ちがいいです。
まさに先にすると喜びがあとにやってきます。

火曜担当…柿原まゆみ



2016年3月14日(月)
無題                               月曜担当…池田光

びっくりしたので、そのお話をします。

かつて、筑摩書房から『禅の語録』全20冊という叢書が発売されました。
現在、17冊が刊行され、3冊がいまだ世に出ていません。
しかも既刊書は品切れで、プレミアがついている本もあります。

発行年を調べると、この叢書が出たのは、1972~1981年のようです。
もう35年も前の本なのです。

ぼくは、禅についてはまったくの門外漢で何も知らないのですが、この叢書が出ていることくらいは知っていて何冊か所持しています。

ところが、なんと、最終巻の「第20巻」が35年ぶりとなる、今年4月に刊行されるというのです。
2冊は未発売のまま、最終巻が出版され、堂々の完結となる……。
そのことがわかり、びっくりしたわけです。
このことを知った発端はこうでした。

■「無心」を調べる
一昨日の土曜日の深夜、ふと「無念」ということが気になりました。
天風先生は、安定打坐によって「無我無念」に到る境地を教えていますが、その「無念」ということが気になり、少し調べることにしました。

調べていくと、中国唐代の禅師である、無住(むじゅう、714-774)と、神会(じんね、684-758)に、「無念」についての詳細な記述があることがわかりました。

そこで、
『歴代法宝記』(『禅の語録3 初期の禅史Ⅱ』筑摩書房に所収)……無住禅師の記述がまとまっている、
『神会語録』(禅文化研究所)……荷沢神会の言葉がまとまっている、
という二冊を取り出し、索引を頼りにパラパラめくっておりました。

後者の本でみた、神会の「無念」についての言葉に惹かれ、さらに解説を読んでみようと、小川隆氏の『唐代の禅僧2 神会』(臨川書店)を取り出しました。
そして読み始めると、これが面白い。
深夜なので、寝床で第一章だけを読むことにしました。

 

昨年、ぼくは小川隆氏の『書物誕生 臨済録』(岩波書店)と、『禅思想史講義』(春秋社)の2冊を興味深く読んだのですが、とても啓発されたので、その楽しかったことを思いだしながら、文字をたどっておりました。



■アマゾンを検索すると……
ふと、小川隆氏の新しい本は出てないかなと気になり、寝床から起き出して、ネット書店のアマゾンをのぞいてみました。
すると、なんと、
小川隆『禅の語録20 導読』(筑摩書房)
という本が、4月7日の発売予定で、予約受付をしているではありませんか。

商品説明には、
「なんの予備知識も前提せず、体当たりで読んでみる。『禅の語録』には、そんな読み方もあってよい。最終巻は『禅の語録』を読むための入門的な手引きを提供。待望の完結」
とありました。
これは、あの35年前の『禅の語録』が完結するということですよね。



当初の最終巻の予定は、入矢義高・柳田聖山『語録の歴史(総説)』でした。
が、両人とも鬼籍の人となっています。
そして、代わりに、次世代のホープである小川隆氏が最終巻を担当されるのです。

35年前というと、小川隆氏は、20歳の学生です。
それが35年の後に、最終巻を担当されるというのは、なんとも驚きです。
このことは、この叢書にまだ命があることの証ですし、新しい命が吹きこまれることでもありそうです。
さっそく、予約して眠ることにしました。

月曜担当…池田光



2016年3月12日(土)
玉酒                              土曜担当…佐々木秀彦

『酒は何処で飲むかより誰と飲むかです!』
…なるほど名言です!

酒の文字はもともと水の意味のさんずいのない『酉』の文字だけで酒を意味したということです。その証明にもなりますが酉の部首を遣う漢字のほとんどは酒に関連する文字です。酔、酵、酌、醸、等々は明瞭ですし、醍醐味なんていう言葉も、醍は乳酒の中で特に味の良いお酒で、醐は味が濃いお酒のことだから、希少でさらに味が良くさらに深い酒の味を醍醐味と言うところからきているそうです。

「酉」の文字の起源を調べると酒壺の象形文字だそうです。それなら当然「酒」を意味するのは理解できます。それでは何故「とり」なのでしょうか???

十二支の文字を見れば簡単ですが、子がねずみ、丑が牛、寅が虎、卯が兎というふうに、読み方は動物でも文字は違います。これは子丑寅卯という文字が最初にあったものに、後から覚えやすいように動物を無理くりに配したと考えられているということです。つまり酉と鳥とは関係ないと言っても過言ではないということらしいです。

「酉」がそのまま「酒」の意味だとすると…西の方角というのはなんとなくしっくりいきます。酒は太陽が沈む頃からが似合います。易学的にも陰気の熟するところというのは、酒の発酵と解釈することもできる気がします。さらに酉が10月を意味することも収穫祭と見事に重なります。他の十二支ではなく酉の日に市を開くのも、酒の意味があるなら、賑やかに市を開催するにはふさわしいという感じではないでしょうか。

日本酒を「清酒」と表現します。御酒であり、清酒である。なんとも厳かな飲み物ではないでしょうか。このお酒を楽しく飲むのに場所や肴はあくまで添え物。究極誰と一緒にこのお酒を酌み交わすのかが、玉酒を味わう一番のポイントなのだろうなということです。

日本では最初に「乾杯」と言います。これは酉の部首は使われない言葉です。つまりジュースでもウーロン茶でも乾杯は成立します。さらに「宴席」にも酉の部首は使われないところに日本の奥ゆかしさというか、すべての人を受け入れる寛容さを深く感じます。

そして再度、なぜ酉がとりなのかですが、これは酔った人は千鳥足で帰っていくから飛べない「鶏」を当てたのではないかと僕は推測しています。

土曜担当…佐々木秀彦



2016年3月11日(金)
ありのままで・・・                       金曜担当…小笹正洋

人間の身体には盲腸という器官がありますが、一般的には小腸から大腸への入り口にある盲腸にぶら下がる直径1cm未満で長さ5~10cm程の「虫垂」のことを示します。

これが炎症を起こすと虫垂炎、さらに盲腸まで広がると盲腸炎と呼ばれます。

そんなことから、盲腸というものは不要なものや役に立たないものの代名詞のように扱われています。

時に、開腹手術の際に、一緒に盲腸を除去することを希望される人もいるようです。

では虫垂は本当に不要なものなのでしょうか。

昨今では、この虫垂が非常に発達したリンパ組織を持つとされており、腸内細菌のバランスコントロールや、免疫機能の維持に一役買っているとも言われています。 

最近の医療では、よほど症状が深刻でない限りは切除せず、投薬によって炎症を抑える(いわゆる「薬で散らす」)治療方法が選択されるようです。

長い間、人間の体にとって明確な必要性を認められる組織とは考えられていなかった虫垂。

実は、隠れたるヒーローだったんですね。


やっぱり人間の器官には無駄なモノなんて何も無いのですね。

大自然の営みに、あらためて畏敬の念を表します。

そして、ありのままを活かすことこそが、究極の合理主義かなと。

金曜担当…小笹正洋



2016年3月10日(木)
時空を超えて                         木曜担当…西端努斗夢

見るだけで、声が聞こえてくるような、写真があります。

耳にするだけで、その時の光景が浮かんでくるような、フレーズがあります。

時空を超えて過去や未来と今を、遠く離れた場所と目の前を、一瞬にして結びつける、そんな作品をつくり続けるのが私の永遠の夢です。

木曜担当…西端努斗夢



2016年3月9日(水)
第四期を終えて                       水曜担当…冨樫功

3月の潜学講座は、池田塾長が二講座担当されました。


一講座目は、杉山彦一先生に学んだ天風哲学ということで、
4代目天風会会長の杉山先生と、
中村天風師の教えの違いについて教えていただきました。


二講座目は、カラータイプカードを使って、自分を分析したり、
他人のイメージを考えたり、とても楽しい時間を過ごさせていただきました。


今回で湧くわく本心塾第4期は終了し、
4月からは第五期が始まります。


前期も今期も皆勤で講座に出ることができました。


塾で学んだことが、人生の意外なところで糧になっていることを感じます。
この塾に参加していることが、他の大勢の方との違いをもたらす違いになっているのを感じます。



来期はどうなるかはわかりませんが、
引き続きできるだけ参加していきたいと思います。





4月の講座でも、このカラータイプカードを使うということで、
今から楽しみでたまりません。


カラータイプカードまでいただけて、
お値段以上にお得な会になります。



参加を迷われている方も、
この機会にぜひお試しからのご参加をオススメ致します!

水曜担当…冨樫功



2016年3月8日(火)
『二十四の節気と七十二候』                火曜担当…柿原まゆみ

今日もまた「目覚めたこと」に感謝

日本には美しい四季があります。
春・夏・秋・冬のそれぞれの季節には毎日に彩と豊かさを与えてくれています。
日本人は季節感を大切にし、暮らしの中に上手に取り入れてきました。
しかし、最近では空調システムの発達、いつの時期でも食することの出来る食材、
流通や冷凍の技術の高さにより季節や旬を感じることが難しくなっています。

先人は四季だけでなく二十四の気という季節、七十二もの候を取り入れ
季節の移ろいを感じながら生活をしていました。
朝目覚めた時に生きていることを感謝し、季節を感じられれば、
一層豊かにその日一日を過ごせるのではないでしょうか。
そこで二十四節気と旬をご紹介します。

今の時期は啓蟄(けいちつ)3月5日~3月9日頃
 蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく)
啓蟄とは土の中の虫が姿を現し出す頃。虫に限らず様々な生き物が目覚め始める。
一雨ごとに春になっていきます。

●旬の魚貝・・・鰆(さわら)・赤貝・ひじき
* 漢方ではひじきはむくみを取り、血流を良くする働きがあります

●旬の草花・・・すみれ

●旬の野菜・・・わさび、わらび、ぜんまい
* わさびは消化を助け、毒を消すといわれ平安時代から香辛料として珍重されていました。 
  すった生わさびを焼酎の水割りに入れて出していただいたことがあります。
  とても香りがよく辛さが無く美味しくいただけます。

●旬の日・・・事始めで祭事や農事を始める時期。何か始めるにはいい時期です。

今日もまた生きていることを心から感謝することを、今日一日の生命への出発の第一歩とする(働く君に贈る 中村天風45の言葉より)

火曜担当…柿原まゆみ



2016年3月7日(月)
無題                              月曜担当…池田光

どうも近頃、携帯電話を持たずに出かけてしまいます。
先週末も忘れて、大事なメールを見そこない、人と会えなくなりました。

それはそれとして、携帯電話を忘れる理由を、
・老化が進んだため?
・自宅にいることが多くなって持ち忘れるようになったため?
と考えてみました。

すると、ふと、「携帯電話を忘れる」と思っていたのですが、
そうではなく、逆に「ぼくが携帯電話に忘れ去られているのではないか」と気づきました。
そこに、老化による物忘れが追い打ちをかけているわけです。

どういうことかというと、
携帯電話の向こうにいる人々から、ぼくに電話やメールをされることが減少して、
その結果として、携帯電話を忘れるのだろうと。

これは社会との結びつきが希薄になりつつあるということで、淋しい反面、ぼくにはなにやら嬉しいことでもあります。

わが国で「隠者」というと、人里離れた山奥でひっそり庵を組んで過ごすようなイメージですが、中国ではそうではないようです。
どうも、社会的な役割を離れた田舎に隠れて、ふつうに生活することが隠者として生活することのようです。

そのような、中国的な隠者になりたいと願っておりましたが、いまがその状況ではないかと思えております。

月曜担当…池田光



2016年3月6日(日)
「拡充する」                          日曜担当…八木正典

満腔子是れ惻隠の心なるを知れば、則ち満世界都(すべ)て惻隠の心たるを知る。
宇宙間只だ是れ一実にして、更に虧欠(きけん)無し。(言志後録)

人の体が思いやりの心で一杯になっていることが分かると世界がすべて思いやりの心で一杯になっていることが分かる。宇宙の間にこれだけが真実であって少しも欠け目はないものである。


仕事が多忙になってくると心の余裕を失って自己中心的な考えをしてしまうことがあります。
後から考えたら何でだろうと思うのですが、不思議なものです。
人はそれぞれのフィルターを通してすべてのものを見るために、自分の中にないものに気付くことはできない。そもそもの資質を持っていたとしても大事に育んでおかなければ、心を一杯にすることはできない。
孟子も「四端有る者、皆拡めて之を大にすることを知らば、火の始めて燃え、泉の始めて達するが若くならん」と言っていますが、常日頃から自分の心の動きを丁寧に確認して、気付ける心を磨いていきたい、拡充していきたいと感じています。

日曜担当…八木正典



2016年3月5日(土)
春風                              土曜担当…佐々木秀彦

暦というのは正直です。あんなに寒かったのに、やっぱり今年も春が来ました!
英語で言うとspring。春のウキウキ感はバネがボヨンボヨンするようなイメージなのでしょうか?日本語の場合、万物が発る、芽が張る、天候が晴る、田畑を墾る等々の「はる」の意味を指す場合もあるということです。啓蟄で土の中から這い出して活動を始めたくなる季節という意味では、ボヨンボヨンも同じ感覚なのかもしれません。

春風というのは南風でも正解なのではありますが、東風というほうがより正しいそうです。
大阪市内でいうなら、生駒山からの風ということでしょうか?桜前線は南から開花していきます。東側の生駒山は大阪市内より桜の開花は遅いのではありますが、和歌山から吹く南風ではなく、生駒山からの風が春風なのもなかなか侘び寂がきいていて素敵です。

「頭の中が春」という悪口があります。僕は昔からどうしてもこれを悪いふうには結び付けられません。柔らかい日差しで暖かく、花が美しく咲き、みんなが笑顔になるような頭脳の状態が、何故に悪口として定着したのでしょうか???

春画という意味の春の遣われ方は好きです。そういう意味の気持ちの高揚感は、まさに春の感覚と通じるものがあると思います。新たな生命の息吹を予感させるという意味でも秀逸な表現だなと感心します。


今年もそういう春がやってきました!もうすぐ桜も咲きます!新しい春だからこそ、何か新しいことに挑戦しなくては面白くないです!三月は日本の歴史での縄文・弥生時代の「弥生」です。草木がいよいよ生い茂る月という弥生。春という季節に、歴史の春という弥生の名称を毎年遣えるというのも、日本人ならではの特権なのではないでしょうか!

今年の春風が、みんなにとってキラキラ輝く春風でありますように!心を張って、両手を広げて、頭の中までしっかり春風を感じて、爛漫していきたいと思います!

土曜担当…佐々木秀彦



2016年3月4日(金)
ココロとカタチ・・・                       金曜担当…小笹正洋

飛ぶ鳥とめる 絵にしてとめる
あの音とめる 譜にしてとめる
思いをとめる 形にしてとめる


陶芸家、詩人の河井寛次郎さんの「火の誓い」という
エッセイの中の作品です。


何かをあらわす時には、有形のものに置き換えてあらわしています。
心地よい思いや気分を言葉や絵で表現できたときの清々しさは
言いようのない素晴らしい気持ちにさせてくれます。
本当の極上の気分というものは、もしかしたら言葉や絵では
あらわせないものなのかも知れません。


河合寛次郎記念館
http://www.kanjiro.jp/


京都市内の五条坂にあるので、行ってみようと思います。

金曜担当…小笹正洋



2016年3月3日(木)
いつも通り                            木曜担当…西端努斗夢

朝、いつも通りに目覚め、いつも通りに仕事を始める。特に変わったことのない、いつもの朝。

昼、いつも通りに昼食を食べ、気分転換に家の周りを散歩する。昨日と変わらない、いつもの午後。

夜、いつも通りにお酒を飲み、ほろ酔い気分で眠りにつく。ここ何年と変わらない、いつもの夜。

何か良いことがあった時は、もちろん神様に感謝するけれど、いつも通りの1日を無事に過ごせた時こそ、もっと神様に感謝しようと思います。

木曜担当…西端努斗夢



2016年3月2日(水)
社会貢献してみたが                     水曜担当…冨樫功

先日、10年ぶりに献血に行きました。


行ってないなあとは思っていましたが、
行ってはじめて10年ぶりとわかったのです。


たまには何か社会貢献しようと、
時間もあったので行ってみました。


いろいろシステムは変わっていましたが、
時代に乗り遅れてるなあと思うことも。


テレビを強制的に見せられるのです。
それよりは、スマホの充電器を設置してほしいなあと思った次第です。


献血自体は快適にできたんですが、
その翌日からなんかおかしい。

もう一つ調子がでないのです。

単なる思い込みなのか、
命に直結する血を体外に出したからなのか。

わかりませんが、自分のリズムとか調子とかがすっかり狂ってしまいました。


そのせいか、久しぶりにカゼをひいております。
水垢離開始以来めったにカゼもひかないのに。

おかげさまでひどくはなっていませんが、

カゼをひいてようやく調子が戻ってきました。


もう一回献血してみて、また調子が悪くなるようなら
自分には向いてないと思って他の社会貢献を考えたいと思います。


なんか消極的なブログになってしまいましたが、
たまにはこんなのも許してください。

水曜担当…冨樫功



2016年2月29日(月)
忘れる                             月曜担当…池田光

ぼくの好きな詩に、

天の父さま
どのような不幸を吸っても
はくいきは感謝でありますように
一刻一刻が恵みの呼吸ですから

というのがあります。
この詩の題名は「呼吸」と言い、
作者は、牧師の河野進さん(1904~1990年)です。

ぼくが三十歳くらいのときに読んだ、池見酉次郎著『人間回復の医学』(創元社)という本のなかで、上記の詩を見つけました。
あまりに素晴らしいので、ぼくの本『中村天風 怒らない 恐れない 悲しまない』にも引用しました。
天風先生の教えと通じるものを感じたからです。



つい先日、河野進著『ぞうきん』(幻冬舎)という詩集を読んでいたら、
「忘れる」という詩と出会いました。

「あっ、これだ!」
と思いました。
「これこそ、天風哲学の極意だ」
と。
紹介しましょう。

愛して  すぐ忘れますように
施して  すぐ忘れますように
怒って  すぐ忘れますように
ゆるして  すぐ忘れますように
裏切られて  すぐ忘れますように
苦しんで  すぐ忘れますように
悲しんで  すぐ忘れますように
夜ねむるときは  なにも持ちませんように

弊塾のメンバーは、みんな天風哲学をよくわかっていますので、誰でもこの詩を解説できることでしょう。
だから、ぼくの解説は必要ではありませんね。
それに、詩を解説するというのは、野暮ですし。

野暮ついでに、ちょっと追記すると、
「忘れる」というこの詩を、
いずれぼくが書く天風哲学の本に引用したいと思っています。

月曜担当…池田光



2016年2月28日(日)
「勢い」                             日曜担当…八木正典

故に善く戦う者は、これを勢に求めて人に責(もと)めず、
故に能く人を択びて勢に任ぜしむ。
故に善く人を戦わしむるの勢い、
円石を千仞(せんじん)の山に転ずるが如くなる者は、勢なり。(孫子)


素晴らしい指導者は個人個人の動きによりどころを求めるのではなく、全体の勢いをつけることに力を注ぐ。勢いがつくと大きな流れが生じ、周りを巻き込んで予想以上のことが出来るようになるのです。
孫子を読んでいて1月の小林先生の「アインシュタインと般若心経」の講義を思い出しました。E=MC2(エネルギー=質量×光速の二乗)というアインシュタインの世界一有名な公式で計算すると、たった1グラムの物質の持つエネルギーは8万3千世帯分の月間平均電力消費量に当たるのだそうです。
我々が持つエネルギーはどれだけすごいのだろう。それを善なる方向に全員で勢いをつけていけばどうなるのだろう。改めて考えながらわくわくしたわけです。

日曜担当…八木正典



2016年2月27日(土)
書斎                              土曜担当…佐々木秀彦

高度経済成長の時期まではお家に書斎がありました。
父親の部屋のイメージですが、呼び方は「書斎」で、父親しか入ってはいけないというものでもなかったのではないかと推測します。来客があっても書斎が応接間と兼用されている場合も多かったようなので、お母さんやお兄ちゃんが使っても善く、誰が使うかというよりはどう使うかには厳しかったようなイメージがあります。


「斎」には清浄なとか神聖なという意味があり、忌み清めるという神に仕えることを指している文字だそうです。
本を読んだり、何かを書いたりするだけでなく、心を清めるような立ち居振る舞いをする場所を自宅に構えるという発想はさすが大和魂ここにあり!という印象です。


田中角栄は学歴を問題にしないかわりに、学問にはこだわったというような話を聞いたことがあります。この場合の学問とは、勉強することを今も継続しつづけているという意味で、学歴はすでに過去のことだという話だったような気がします。

そういえば、不動産業界におりまして、物件を案内したときに、子供部屋や寝室やリビングを想定して話はされますが、「書斎」を想定しているご家族には会った記憶がありません。
学問は家族が協力して初めて環境が整う気がしますが、日々の衣食住を展開するする分しかスペースがないのが日本の都会の現実です。


僕は「書斎」を作りたいなと強く思います。ただ単に「勉強部屋」ではなく、神聖なイメージを大切にできる場所。実質的にはおそらく娘の「勉強部屋」になるのではあるのですが、せめて呼び名を「書斎」にするだけでも全然違う気がするのです。
「子供部屋」ではないからこそ、僕や嫁が当然に使用します。逆にダラダラする時はリビングでしなくてはいけないような雰囲気を今から創っていくことで叶うのかなと思います。
お勉強ではなく学問を伝えられればいいなという野望はもっています。そして僕も一緒にその同じ「書斎」で娘と一緒に学問していきたいなと思います。

土曜担当…佐々木秀彦



2016年2月26日(金)
道を求める・・・                        金曜担当…小笹正洋

中国古典「荘子」の養生主という中の教えが興味深かったのでご紹介致します。

守屋洋さんの著書「荘子の人間学」が分かりやすい訳・解説だったので、それを引用します。


料理人の庖丁(ほうてい)が、主君の文恵君の御前で牛を解体した。
牛を手で押さえ、肩を当て、足をふんばり、膝を曲げて刀を入れると、肉は骨からすっと離れて下に落ちて行く。
刀が進むたびにさくさくと音がして、そのさまはリズムに乗り、いにしえの名曲「桑林の舞」や「経首の調べ」もかくやと思わせる。


文恵君は感嘆した。

「みごとだ。ここまで深く技を極めるとは」


庖丁は刀を傍らに置きながらこう語った。

「わたしの求めているのは道でございます。それは技を超えたもの、と申せましょう。
牛の解体に手を染めたばかりのころは、牛の姿しか目に入りませんでした。
ところが三年もたちますと、骨や筋が見えるようになり、今では心眼で牛を捕らえられるようになり、目など使いません。
五感が働きをやめて、心が働くのです。
そこで牛の体の筋目に刀を入れ、骨と肉の隙間や窪みを切り割いていきます。
ですから、大きな骨のかたまりはむろんのこと、筋や肉が骨と微妙にからみあっているところでも、刃こぼれひとつ起こしません。
腕の立つ料理人は刃こぼれで一年ごとに刀を替えますが、並の料理人は一ヶ月で刀を折ってしまいます。
ところがわたしのこの刀は、十九年使い続け、解体した牛も数千頭にのぼりますが、今研ぎあげたばかりのような切れ味です。
といいますのも、骨筋には隙間がありますが、刀には厚みがありません。
厚みのないものを隙間に入れるのですから、それだけゆとりがあります。
十九年使い続けても切れ味が変わらないのは、そのためです。
そうは申しましても、筋や骨の固まったところに来ますと、さすがのわたしも恐ろしくなって気持ちを引き締めます。
目は一点に据えられ、手のはこびも鈍く、刀さばきはいやがうえにも慎重にならざるをえません。
やがて土くれが地面に落ちるようなばさっという音がしたかと思うと、肉が骨から離れまています。
私は刀を手に立ち上がり、誇らしげにあたりを見回すと、立ち去り難い思いで少したたずみ、刀をぬぐって大切に仕舞い込むのです」


文恵君は言った。

「素晴らしいことだ。庖丁の話を聞いて、人生を全うする術を学んだ」



庖丁の心・技・体の熟練度も見事なものですが、その教えを聞いて、
直ぐに自身の修身・天寿の全うに思いを寄せた文恵君も流石です。


何かを上達し極めようと努力することは尊いものですが、自分と対象が一体、
即ち、主客未分の境地となる状態まで集中できることを目指したいですね。

金曜担当…小笹正洋



2016年2月25日(木)
言葉の響き                           木曜担当…西端努斗夢

先日、大和言葉について知人と話す機会がありました。

「ウォーキング」より「そぞろ歩き」
「標識、看板」よりも「道しるべ」
「好きな人」より「心を寄せる人」

大和言葉にはしっとりとした潤いと艶があるような気がします。

私は、日本語しか知りませんし、大和言葉について詳しくはありませんが、私がカラオケで「蘇州夜曲」「夢一夜」を好んで歌うのは、言葉の響きに潤いがあり、きれいだからです。

木曜担当…西端努斗夢



2016年2月24日(水)
夢を書く習慣                          水曜担当…冨樫功

やっぱり夢や願いを書くこと、思い描くことって技術なんです。
やればやるほどうまくなるんですよ。

はじめは書けない。
でも、毎日、毎週、毎月、新月、満月、新年、なんでもいい。
きっかけがあるごとに、書きまくると、夢や目標の立て方が本当にうまくなっていくんです。


一度書くと、結晶化がはじまります。
実現の方向に向かうのです。


もちろん書くだけでは絵に描いた餅。


人生は、毎日何をやっているかで決まります。


夢を日々のタスクに落とし込むことも重要。
タスクにして行動して成果をみるのです。


夜に夢を10個書き記す。
これで日々のタスクにも変化が生まれました。
朝に、日々のタスクを手帳に書き込んでいくのですが、
その質が全然変わりました。

これはヤバそうです。



ちなみに、ワタミの渡辺美樹さんは、タスクが完了すると赤えんぴつで塗りつぶすらしいですね。

それもいいと思うのですが、個人的には塗りつぶすと見にくいと思うので、チェックボックスを頭につけるようにしています。

たとえば、

□戸棚を掃除する

こんな感じです。
終わったら□に☑を入れます。


一日5,6個くらい。
全部チェックできなくてもいいんです。

努力目標だから。



ノート類も数冊は使い分けます。

まず手帳。予定を書き込みます。また日々のタスクを書き込みます。
成果もチェックします。

夢ノート。ここに夢を書き込みます。
抄録ノート。本を読んだダイジェストを書き込みます。

あとは感謝ノートも作ろうかと考え中。
尊敬する方がやられてるそうなので。

お店の日報なんかもありますね。


これからも書きまくりたいと思います!

ノートは安い!
それなのに、自分がどこに向かっているのかを知ることができるすごいツールです。


もちろん、ブログもいい。
これはこれで欠かせません。

でも、毎日やる習慣は多いほどいいのです。

習慣はチェーンのようにつながって力を持つからです。
水垢離、ブログ、夢ノート、お参り、瞑想。

これからも誰でもできることを誰にもできないくらい愚直にやっていこうと思います!!

水曜担当…冨樫功



2016年2月22日(月)
大凡(たいぼん)                       月曜担当…池田光

偉大なる教育家・中村春二(なかむら はるじ)――。
先週のブログに引き続き、春二のことをもう少し書かせていただきます。

■二人の禅師の境地とは
小林一郎が編集した『中村春二選集』という、五百ページを越える本があります。
これを読んでいたら、春二が同時時代の二人の禅僧をくらべている文章がありました。
それがとても面白かったので、紹介します。

二人の禅僧とは、
永平寺六十六世・日置黙仙禅師(1847~1920)と、
永平寺六十七世・北野元峰禅師(1842~1933)
です。
永平寺というのは、曹洞宗の本山です。福井にあります。
曹洞宗にはもうひとつ本山があり、それは横浜鶴見の総持寺です。
つまり、二人の禅僧は、曹洞宗のトップなのです。年代を見てわかるように、二人は五歳違いという、同年代の禅僧です。

さて、六十六世の日置禅師は、地方をまわっては、教えを広めておられました。そして、そのとき、寄付金を集められたそうです。

これに対して、六十七世の北野禅師は、
「おれは地方をまわって、寄付金を集めるような乞食のマネはできぬ」
と言われたそうです。

春二は、両禅師とも超俗的人格ではあるけれども、
・日置禅師は、世俗に交じりながらも、その清浄を保っている
・北野禅師は、我が身を独り清くして、超然として世俗と隔絶している
と評しています。

みなさまは、日置禅師と北野禅師のどちらの境地がより高い=進んでいると思いますか?

春二は、次のように二人の境地を解釈しています。
読みやすくするため、咀嚼して紹介しますと、こうです。
「日置禅師が寄付を受けられる態度から考えるに、どうも北野禅師の超俗的人格よりも、一段進んだ境地にあるように見える。
では、それぞれの境地はどうであるのか。
禅に十牛図というのがあるが、これに照らし合せると、北野禅師は、第九図の返本還源(へんぽんげんげん)の境地であろうか。
これに対して、日置禅師は、第十図の入?垂手(にってんすいしゅ)の境地であられる」
と。

第十図(入?垂手)をご覧になったことがあるでしょうか?
この第十図のイメージを描写しておきましょう。



十牛図のプロセスを経て悟りを得た禅師が、着物がはだけ太鼓腹を出しただらしない阿呆な布袋さんのような姿で町に出ています。
そして、人生に迷っているような(かつての自分のような)童子と話している姿が描かれ、それでいて、なんとなく人を導いているような感じなのです。
あまり高尚さが感じられないのですね。
ですが、この境地こそ、最高位で、究極の境地なのです。
そして、春二は、この境地に日置禅師がいるというのです。

その一歩手前の、なんとも言えない高尚な悟りの境地が、第九図の返本還源に描かれています。



この世俗から隔絶した境地にいるのが、北野禅師です。

そのうえで、春二はこんなことを書いています。
これも咀嚼して紹介しましょう。
「超然として、自らを清くして威厳があって近づきにくい人格の方(北野禅師)も必要である。
けれども、さらに一転化して、その温かな人格に接して偉大な感化を及ぼすような人格(日置禅師)こそを、世俗にまみれた私たちはさらに必要としているのである」
そして、
「日置禅師は、俗に下られ、しかも人を遥かに超越しておられた」
と。

■凡俗のなかの「大凡」――ぼくの理想像
ぼくは、この春二の意見に、まったく賛成です。
ぼくの言葉で言えば、北野禅師は「聖(せい)」であり、日置禅師は「大凡(たいぼん)」です。



大凡というのを辞書で引くと「おおよそ」と読ませ、「たいぼん」という読み方はありません。これは当然のことで、ぼくの造語であり、ぼくの言葉だからです。

大凡というのは、「凡→聖→大凡」という弁証法を思い浮かべていただくとイメージできます。
つまり、大凡とはこういう人です。
「世俗のなかで、なんらエラそぶることなく、みんなと共にいるが、それでいて我執がストンと落ちた本心で生きている人」(ぼくの定義)
なのです。
たったそれだけの人です。
ですが、そんな人はみんなと共にいながら、教えるでなく、しかも良き感化をまわりに及ぼします。

教える人は「聖」の人です。
教師を「聖職」と呼ぶことからも分かります。
大凡の人は、教えるのではなく、自然にまわりの人の我執を薄くしたり、ふつうに話していて自らの我執に気づかせるような感化を及ぼします。

ぼくは、エラそうにしている人があまり好きではありません。
人格的にエラい人が、エラそうにしているのは、まだ許せます。(しかし、そんな人はエラそうにしませんが)

ですが、エラい地位にいてエラそぶったり、エラい財産があるからエラそぶったり、エラい家柄に生まれたからエラそぶったり、エラい学歴があるからエラそぶったり、エラそうに見える理論や理屈をふりまいてエラそぶったり。

さらには、人からエラいと思われたいためにエラそぶったり、人からちやほやされたいからエラそぶったり、お金儲けするためにエラそぶったり。
そんなのは、とってもカッコ悪いと思うのです。

大凡は、エラそぶっていい人が、エラそぶらないばかりか、世俗のなかでみんなと共にいます。
というより、自分で自分をエラいとは思っていません。
自分の足りなさをよく自覚しているからです。

――世俗のなかの「大凡」になりたい。
これがぼくの理想像ですが、いつも、ことあるごとに、「自分はその正反対の人間だなあ」と思い知らされます。

それは、それとして、春二はほんとうに見るべきところを見ている教育者だと思います。
教育者の心得として『悟り方図解』を書いているのですが、この冊子に世の教育者を批判している箇所があります。
紹介しておきます。

我執に満ちた紳士ふうの人物が、
「自分一個人でさえ持ち扱いかねてイライラしているのに、大胆にも他人の子弟を導かんと企てている人がいる。これを世の人は教育者と呼ぶ」(『悟り方図解』)

春二は、教育者に必要なのは「自分の本心を知る」ことだと教えています。この本心を知る道順を示したのが、『悟り方図解』です。
わずか、46歳という若さで亡くなっているのに、すでに大家です。
春二の書かれたものは、ほんとうに心に沁みます。

月曜担当…池田光



2016年2月21日(日)
「二つの矢」                          日曜担当…八木正典

ある人、弓射ることを習ふに、諸矢をたばさみて的に向ふ。
師のいわく、
「初心の人、二つの矢を持つことなかれ。
後の矢を頼みて、始めての矢に等閑(なおざり)の心あり。
毎度、ただ、得失なく、この一矢に定むべしと思へ」
といふ。
わづかに二つの矢、師の前にて一つをおろかにせんと思はんや。
懈怠の心、みづから知らずといえども師これを知る。
この戒め、万事にわたるべし。

徒然草の一節です。
二つの矢を持った瞬間、一つ目の矢にいい加減な心、甘えの心が生じてくるという鋭いところを指摘しています。
一瞬一瞬に念を込める。このことが必要なことが分かっていても、自分の思考の甘えを取り去ることはなかなか難しいものです。甘えの思考に気付いて意識を向けること、そして一つでもそれを撲滅すること、ここから始めていきたいと思っています。

日曜担当…八木正典



2016年2月20日(土)
愛魂                              土曜担当…佐々木秀彦

塾生の小林清二さんから保江邦夫著「神様につながった電話」という本をお借りして読みました。

合気道の流派を主宰されている方で、合気ではなく愛魂(アイキ)と表現されている方だそうですが、理学博士でありノートルダム清心女子大学の教授を務めてらっしゃるだけありまして、理論的のうえにさらに理論的に宇宙と神と愛の構成の仮説をたて、実体験により証明に代えて表現している内容に、エンターテーメント的娯楽作品的印象を抱かせながら、真理を語る手法は大変おもしろく、一気に読破してしまいました。

本はやっぱり凄いです。普通に生活していたら会う機会がないはずの方の話を読むことができる。さらに例えばこの著者の講演会に参加して直接お話を伺う機会があったにしても、この本を読むほど理論的な部分までは理解しきれないような気がします。

合気道という武道があることは知っておりました。保江邦夫さんの流派が特異なのか主流なのかはわかりませんが、相手を敵としてやっつけるのではなく、愛で包み込む包容力が大きいほうが相手を投げ飛ばすことができるというような真理は、かなり興味をそそられます。「合気」を「愛魂」と表現されることにこそその真意が込められているかと感じましたが、さらにそこから、今また保江邦夫さん自ら「合気」に戻していらっしゃるところにも、さらに深い境地に進化されつづけていることだろうと推測します。

気概、気合、気力等々で遣う「気」。この「気」を合わすという武道が「合気道」。合わせるということは、相手のあることですので、その相手に「愛」をもって接することから始まり、その「愛」の強いほうが、勝つということでしょうか?「あい」があちこちに出てきて禅問答的にもおもしろい話もできそうですが、武道としては素人でも、その意識付けという部分では、保江邦夫さんの「愛魂」の心は大変興味深く読むことができました。

50歳になって、宇宙を意識する機会が増えてきております。「魂」「宇宙」そして「愛」。こういうことを考える機会をいただける「湧くわく本心塾」の皆様には本当に感謝しております。いつもありがとうございます。

土曜担当…佐々木秀彦



2016年2月19日(金)
今日は、何の日?                      金曜担当…小笹正洋

1837年(天保8年)2月19日は、大塩平八郎が大坂で、
大塩平八郎の乱を起こした日です。

大塩平八郎は、元々は大坂町奉行所に与力を勤めていました。
与力とは、現代の行政・司法・警察の役割を担っていました。

与力を辞し、養子の大塩格之助に跡目を譲ってからは、
陽明学者でもあった平八郎は洗心洞という私塾で門人達を
指導していました。

天保の大飢饉の際に、貧民の救済を奉行所・幕府に働きかけたが
受諾されず、蔵書や資財を換金して救済資金にあてたが、これも
売名行為と罵られる事となり、一方では大坂の商人や奉行所は
窮乏している庶民を尻目に幕府に米を送っていたということを
知った平八郎は、「救民」の旗を掲げて奉行所・幕府に武装決起し
豪商人の家々に焼き討ちを行い、大坂の町の5分の1を焼失させた
と言われています。

しかし、事前に門人の密告があったこと等により、この乱は僅か半日
という早期に鎮圧されてしまいました。

大塩平八郎のことについては、色んな意見や見方があると思います。

何が正義であり、何処に大義があるのかも、後の世がどうなったか、
それを人々によってどのように語られるかで決まってくるのでは
ないでしょうか。

だから、その人の考えや志をだれがどのように引き継がれていたか
ということを考察することも非常に大切なことではないでしょうか。
                                                               
大塩平八郎は著書として「洗心洞箚記」、「儒門空虚聚語」などを
遺されてますが、なかでも禁書扱いとされていた「洗心洞箚記」は、
吉田松陰も評価し、西郷隆盛もこの書物を蔵書していました。
後に、中村天風の師である玄洋社の頭山満の手に渡ることとなりました。

金曜担当…小笹正洋



2016年2月18日(木)
天道を行く                           木曜担当…西端努斗夢

元松下電送社長木野親之氏の講演録を読む機会がありました。そのなかで印象に残ったのは、「経営には邪道の経営、王道の経営、天道の経営がある。王道の経営とは正義の経営である。正義だと思うと元気が出る。それにプラス人間に光を当てる経営でないといけない。人に光を当てる経営は愛情の経営である。これをきちっとやっていれば、いざというときに天が放っておかない。宇宙根源の法則に則ったとき、自分の中にある無限大の可能性が開かれる」という言葉です。

私は、人生にも邪道、王道、天道があり、天道を歩いている人にしか天道の経営はできないと思います。
そして、天道を歩いていると、自然と宇宙根源の法則に則った生き方ができ、自分の中にある無限大の可能性が開かれるのですから、私は安心して、ゆっくりと天道を歩いていきます。

木曜担当…西端努斗夢



2016年2月15日(月)
心の力                             月曜担当…池田光

明治末期から大正期にかけて活躍した、中村春二(なかむら はるじ、1877年~1924年)という教育者がいます。
春二は、惜しくも46歳という若さでこの世を去りました。
が、彼が創始した成蹊学園は、その後、大学を擁するまでの学び舎となりました。

春二は、<現在の教育は自我の開発であり、それは真の教育ではない。真の教育とは、真我(本心)の開発でなければならない>と考えました。
そして、「凝念法」を教育に取入れ、さらに「心力歌」を唱えさせたりしています。

凝念法は、一種の坐禅だとイメージしてください。
その目的は、
① 生徒の注意力集中
② 生徒の自発的精神の涵養
③ 心身一致の実地研究と指導
です。
禅では半眼で坐りますが、凝念法では眼を閉じるそうです。子どもには、やはり眼を閉じさせるほうが静かに坐りやすいのでしょう。
眼を閉じるというのは、天風先生の教えた安定打坐法とも通じます。

ぼくは、この中村春二の教育思想を知り、とても感動しました。そして、いくつか文献を求め、少しずつ読んでいるところです。



写真左は、春二が教師のために書いた『悟り方図解』です。
禅の十牛図を用いて、教師のあり方を教えたユニークな一冊です。とても面白く読みました。

さて、春二には「心力歌」なるものがあり、なんと春二自身がレコードに吹き込んでいます。
8章から成るもので、聞くのに26分かかります。
以下で実際に聞き、読むことができます。

http://www.seikei.ac.jp/gakuen/feature/thought.html

http://www.seikei-alumnet.jp/popup/shinryokuka.html

ぼくは何度も聞き、『「心力歌」抄録版』を作成しました。
そして、各章に「見出し」をつけました。
今、この『抄録版』を、現代語訳しているところです。

そんな作業をしていたこともあり、「心力歌」の素晴らしさがとてもよく分かるようになりました。
じつは、天風先生の教えそのものなのです。
「潜学講座」第5期では、ぼくが担当する講座で、中村天風との関連で中村春二の「心力歌」を取り上げて解釈するつもりでいます。

ちなみに、中村天風と中村春二との関連をすぐにでも知りたい方は、森本節躬『中村天風先生に教わった心の力』(南雲堂フェニックス)の第五章をご覧ください。
杉山彦一先生が、安定打坐のつど、一章ずつを読んで聞かせていたというエピソードも出てきます。
(『中村天風先生に教わった心の力』は上の写真右。ぼくは写真中の昭和44年発行の私家版『心の力』で読みましたが、右の流通本では少し言い回しを修正しているようです)

さて、ぼくが「心力歌」に注目しているのは、「肉体の力」が強調され、「心の力」が置き去りにされていると思うからです。
そして、偉大なる「心の力」を、わずかな「肉体の力」で制限してしまっているように見えるからです。

たとえば肉体では、手の届く範囲のものを取ることができます。少し遠くにあると、走って行って、それを掴むことができます。
これが、肉体の力というものです。
が、心の力は、そんなものではありません。
もっとすごいです。
どうすごいのかというと、心は「夢」を掴むことができるのですから。

心の力を発揮するには「本心(真我)」を顕現することが必要です。
中村春二、および「心力歌」には、弊塾の考え方と通じるものが多々あります。
ぼくには、第五期の講座で話す楽しみが一つ増えました。


2016年2月14日(日)
「善く戦う者」                         日曜担当…八木正典

マーケットが大きく変動しています。
世界的な悲観論が市場の大勢を占め、年始からの株価下落、急速な円高方向への動きにつながっております。
すさまじいスピードでの市場調整、グローバルレベルでの悲観論の織り込みが進んでおり、個人的にはもうそろそろ市場の反転は近いのではないかと思っているのですが、しばらくは多面的な情報を集めつつ、更なるマーケットの収縮となるのか、反転の芽が現れるのか慎重に判断していくべきかと考えております。

こういう時には次の孫子の言葉を留めておくといいのではないかと思います。

孫子曰く、昔の善く戦う者は、先ず勝つべからざるを為して、以て敵の勝つべきを待つ。勝つべからざるは己に在るも、勝つべきは敵に在り。故に善く戦う者は、能く勝つべからざるを為すも敵をして勝つべからしむること能わず。故に曰く、勝は知るべし、而して為すべからずと。
(孫子第四章形編)

(昔の巧みに戦う者は、自軍の不敗の態勢を維持しながら、敵軍が敗北を招く態勢になるのを待った。それは、自軍が敵に負けない体制を作るのは自分のコントロールできることであるが、自軍が敵に勝てる態勢になるかは、敵に属することであるからだ。だから、勝利は予測することはできても必ず成し遂げるわけにいかない。)

周りの大きな変化に浮足立つことなく、確実に自分のコントロールできることを行って備えを盤石にする、この意識が必要な時なのではないかと思うのです。

日曜担当…八木正典



2016年2月13日(土)
誕生                              土曜担当…佐々木秀彦

2月13日は安岡正篤師の誕生日です。118回目ということですが、人間には寿命があるにもかかわらず、この世を去ってもさらに活き続ける魂というものがあるということが、人間の凄さなのかもしれません。

誕生の「誕」の文字。中国語では「でたらめな」「根も葉もない」という意味があります。日本語では「おおげさなウソを言う」「いつわり」「気まま」「大きい」という意味があります。

人生四苦八苦が逃れられない、この世に生まれるということは、諸行無常という観点から、この世に生をうけることを誕生・生誕と表記することこそ、お釈迦様の解かれた最も根本であるという解釈もあるということです。

「誕生」という言葉を調べれば調べるほど、おめでたくない話になってくるから、言葉は深いというか、侘びさびが効いているというか、先人の教えにはただただ敬服するばかりです。

シェイクスピアのリア王のセリフに「人は泣きながら生まれてくるものだ」とあります。
そしてその後も赤ちゃんは泣くのが仕事と言われるくらいたくさん泣きます。産まれてすぐたくさんたくさん泣きだめをしたからこそ、その後の人生が笑顔で溢れるものなのかもしれません。

「でたらめ」の意味は双六ゲームで出た目を進むということです。計画的に進むという意味ではないので、「でたらめ」には悪い印象がありますが、本来人生とはそういうものです。「根も葉もない」という言葉も同様でただ単に根拠が無いというだけの意味です。人が成長することに根拠あることのみにしか対応できなければ芸術性には心を動かされません。

「大げさなウソを言う」「いつわり」は前向きな夢を言葉にする作業!「気まま」に!「大きく」!「でたらめ」という自然体で「根も葉もない」ところでも大きな花を咲かせつつ、この世に生まれて大きな声で泣きながら前に向いて歩きだした記念日が「誕生日」!やっぱり誕生しなくてはその先はありません。これは本当におめでたいということでしょう!

安岡正篤師お誕生日おめでとうございます。そして2月19日は僕の誕生日がきます。
活き続ける魂を磨くべく、今後ともよろしくお願いいたします。

土曜担当…佐々木秀彦



2016年2月12日(金)
ものの見方・・・                        金曜担当…小笹正洋

先日、DVDで「アポロ13号」を観ていたときに、2月の潜学講座での
西端事務局長の「ものの見方、考え方2」の講義の「頭を使うトレーニング」
というカリキュラムの中で、

「ボトルの中にコインを入れて、コルクでボトルの口に栓をします。
コルクを抜いたりボトルを壊したりせずに、コインを取り出せるか?」

という問題等を使い、色んな角度から解を追及していく面白い体験を振り返りました。


「華麗なる失敗」と呼ばれた「アポロ13号」は、月に向かった宇宙船が液体酸素を
撹拌しようとスイッチを入れた途端に爆発をし、絶体絶命の窮地に立たされます。
パイロットの的確な判断と、NASAのスタッフ総出での歴史的なバックアップにより、
無事地球に生還できたというあらすじです。


正解への道筋が一本道であったり、過去の延長線上に未来を予想して、思考を働かせて
しまいがちであるということを振り返らせて頂きました。


兎角私たちは既知の問題については、積極的に解決していこうとしますが、
未知・未体験の問題については、解決に向けての思考が停滞しがちではないかと
思います。

これはおそらく、今までの学び方が正解を是として、失敗を非とするという環境で
学んできたことに影響されているのだと思います。

その例が、学校でのテストの○・×や採点、順位付け。。。                          


今年は京阪神地域では、雪景色を見る機会が殆ど無かったのですが、

雪が解けたら何になる?

という問いに対して、

「春になる」

という回答に、花丸をあげる。


こんな環境やゆとりもあっても良いのではないでしょうか。

金曜担当…小笹正洋



2016年2月11日(木)
褒め言葉                           木曜担当…西端努斗夢

皆さんは、他人から何と言って褒められるのが最も嬉しいでしょうか?

「すごいね!」
「影響力があるね!」
「おもしろいね!」
「センスが良いね!」
「やさしいね!」
「気が付くね!」
「隙がないね!」
「信頼できるね!」

どれも褒め言葉ですが、人によって、嬉しさが違うそうです。

私は、「おもしろい」と言われると嬉しくなるタイプで、「おもしろい」「楽しい」をキーワードにした生き方を追求しています。

木曜担当…西端努斗夢



2016年2月10日(水)
吉田松陰の読書法                      水曜担当…冨樫功

先日、潜学講座で小笹さんに吉田松陰の読書法を教えていただきました。


吉田松陰の読書はその精力の半分が書くことで費やされていたとのこと。


読書なのに、書くことが半ばを占めたのです。

どういうことか、と思いますよね。


吉田松陰は、本を読むときには、要所に紙を小さく裂き、
上のほうに唾ではりつけていき、読み終わった後、
紙を張ったところすべてを抄録したとのことです。


抄録とは原文から内容の要点をぬき出して、短くまとめることです。


これが書くことが半分という意味です。


今で言う付箋やポストイットをすでに使っていたのにも驚きです!!!


さらに、全編の抄録が終わってはじめて、

の本を読み終わることになると言っています。

松下村塾の門下はみんながこれに習い、読書をしたとのことです。


この方法、吉田松陰を知らずとも、
自分が気合を入れて読書をするときと全く同じでした。

ただ、吉田松陰はすべての読書でこの方法をしていたのでした。
                                                               

「野山獄の獄中で足掛け4年にわたる読書記録は
『野山獄読書記』に詳細に記録されています。


それによれば、松陰は投獄された1854年には106冊、
55年には493冊、56年には505冊、57年には356冊と、
足掛け4年の時間で、合計1460冊を読破しています。 」

※書籍『あらゆる本が面白く読める方法~万能の読書術』
一条 真也 著より





この読書量で抄録していく!
30才であれだけの影響力を持つわけです。




自分も、せっかく本を読むなら、できるだけ抄録していきたい思います。

水曜担当…冨樫功



2016年2月8日(月)
「師古」と「師心」                       月曜担当…池田光

「心を師とする」
という言葉があります。
文字通り、「自分の心を先生としよう」
あるいは「自分の心こそを主(あるじ)として振る舞っていこう」ということですが、
古くは、このことは良くないこととされてきました。

ちなみに、「心を師とする」というのは読み下しであり、原文は「師心」です。
師心について、少し考えてみましょう。

■古代中国で尊ばれたのは……
昔の中国で尊ばれたのは、「師古」です。
たとえば、孔子などの時代においては、「古(いにしえ)を師とする」ということが良いこととされてきました。
古(いにしえ)とは、古典であり、古道です。
あるいは、先王や聖賢の教えです。

その証拠に、
『論語』には、
「述べて作らず、信じて古を好む」
と孔子は語っています。
この言葉の意味は、自分勝手なことを創作せず、聖賢を信じて古典や古道を好んでいる、ということです。
文中の「古を好む」の原文は、「好古」です。
この言葉は「師古」に通じます。
さらに、「稽古(けいこ)」や「温古」や「復古」などとも通じ合います。

稽古というのは、私たちのよく使う日常語ですね。
「古(いにしえ)=聖賢の手本」をもとに習うということです。
私たちは、自己流=「自分の心」の思うままには練習しません。
我流に陥るからです。
そうではなく、その道の達人に就いて学んでいきます。
これが「古(いにしえ)を師とする」ことです。
そんな学び方は、今も連綿と続いています。

■矛盾に陥っていないか?
『論語』を読んで、「好古」という言葉になるほどと思い、
「古きを温めて新しきを知る」の「温古」に感心している一方で、
正反対の「心を師とする」ということにも納得している人は、
明かに矛盾しています。

実際、AとBは正反対の言葉なのに、どちらの言葉にも「なるほど」と受け止めている人をよく見かけます。
たとえば、「人の自発性を尊重する」ということに深く共感している人が、
説得術に凝って他人をマインドコントロールしようとしたり。
自発性とコントロールは、AとBですよね。

同様に、「師古」と「師心」は、AとBなのです。
自分はどちらを是とするのか、徹底的に考えてみることが必要です。
言葉の雰囲気や一面の真理に踊らされてはいけません。

■湧くわく本心塾では……
弊塾では、
「本心を知る」
ことを理念に掲げています。

心とは多様なものです。
心は、コロコロ変わるからです。

しかし、変わらない心があります。
それが「本心」です。
ここに透徹すれば、心が普遍性の次元へと開けます。
つまり、古の道に通じ、聖賢の心に通じるのです。

「本心」に達する前は、心は個の次元にあり、
個の特殊性(=我執)から出ませんでした。
だから、この次元で「心を師とする」と、我流に陥ったのです。

しかし、「本心」に透徹すると、
その心は、古道や聖賢に通じて普遍性をもち、
「師古=師心」となります。
この段階に至って、はじめて「本心に聞く」ことができます。

それまでは、「本心に聞く」と言っても、
我執がまとわりついた心では、
真の意味で、本心に聞くことはできませんでした。

ただ、坐禅をすると、
無我無念に到達することもあり、
一瞬ながら我執が消えて、本心に聞くことは可能になることがあります。
判断を誤らないためにも、
「本心を知る」という学びを続けていきたいものだと思います。

月曜担当…池田光



2016年2月7日(日)
「2月潜学講座」                       日曜担当…八木正典

2月の潜学講座に参加してきました。
今回は、西端先生の「ものの見方、考え方2」、小笹先生の「吉田松陰」の2本立ての素晴らしい講義でした。
西端先生の「ものの見方、考え方」ではピンチをチャンスに変えるトレーニングを行いました。
いくつかの問題をチームでディスカッションし、自分では思いつかないようないろいろな見方、考え方が出てきて刺激的な内容でした。立花大敬さんの詩も教えていただき、「見方を味方」にできるよう自身の見方を意識していきたいです。
小笹先生の「吉田松陰」では、吉田松陰の教育観、死生観、国家観について整理立てて教えていただきました。吉田松陰の強い意志に裏付けられた行動力、実践のすごさを改めて認識することが出来ました。特に心に残ったのが次の文章です。
「抑々人の最も重しとする所のものは、君臣(父子)の義なり。国の最も大なりとする所のものは、華夷(かい)の弁なり。」
華夷の弁という言葉は初めて聞きましたが、自分の置かれた場で励めばそこが天下の中心であるという考え方です。自国の置かれている状況をしっかりと認識し、そのうえでその場その場での最善を目指していく、そんな思いを持った先人の考えをもっと学び、自分の行動に生かしていきたいと感じさせられました。

日曜担当…八木正典



2016年2月6日(土)
潤色                              土曜担当…佐々木秀彦

僕は絵を描くと個性的な絵となります。小学校の頃友達の顔を描く時も、輪郭、鼻、目、眉毛とはっきりくっきり線を描きました。そしてその画枠にそれぞれ単色の絵の具で塗りつぶします。出来上がりはギャグ漫画のようになります。何度描いても、誰を描いても、どうやったってギャグ漫画にしか出来上らない絵をシリアスな心で真面目に描いていました。

海で水平線を眺めると、空と海の境目がわからないことがあります。曇った日に遠くの山を見ても、山と空の境界がなくなっていることもよくあります。でも近くにあるものは、机とパソコン、食器とおかず、公園の木と地面、どれでもはっきり明確に境界線が存在するから、僕には曖昧な絵は描けなかったのです。近くにある物質に濃淡をつけるなんてまったく想像しない頭の固い幼少時でした。
それは思春期の性格もそのままでした。白か黒か、善か悪か、敵か味方か、すべてが2択しかない少年でした。デジタル社会と言われてもう随分経ちます。コンピューターの基本は2進法なのでイエスかノーの選択の積み重ねで構成されます。そういう意味では僕は幼少期からデジタル人間だったのかもしれません。


商売ではお客様にとっての不都合をしっかり告知しなければならない責務があります。これははっきり明確に言うのではありますが、その前後にやはりそれなりに気を遣った言葉を伝えて、前振りと後述をしっかり構成しなくては商談は決裂してしまいます。この事前確認作業や事後対応提案を付け加えることが潤色してモノを言うことではないかと僕は考えています。
イエスとノーの選択権は常に相手方にあります。僕がはっきり境界線を明確に引くことは越権行為となるのです。そこで、そのモノゴトの正しい色、形はしっかり伝えますが、境界線の部分だけは潤色させておかなければいけないと最近常に意識するようにしております。最後の境界線を引くのは絶対に僕ではなくお客様であるからこそ、商売なのです。

自分の都合の良いようにストーリー展開をすると脚色することです。好都合の部分だけに照明を当てたり、あることないことを尾ひれはひれ付けることは、絶対にやってはいけないことです。でも正確に明確に伝えてさらにそこに潤色する作業を加えることこそが、僕の立場での正しい伝え方だと考えています。
そのモノの輪郭をぼやけさせるのではなく、そのモノを正確に提示してさらにその周りを潤色することで、さらにそのモノが明瞭に見えやすくなると思うのです。

「三つ子の魂百までも」と申しますが、気をつけてはいるのですが、未だにギャグ漫画にしてしまいそうになることがあります。カッコイイ作品を仕上げるためにも、僕は線を描かないように気をつけなければいけません。

土曜担当…佐々木秀彦



2016年2月5日(金)
「いただきます」と「ごちそうさま」              金曜担当…小笹正洋

食事の前には「いただきます」。
食事の後には「ごちそうさま」。

という挨拶をするのが礼儀となっていますが、頻繁に使う言葉にもかかわらず、
その由来や語源・意味については、あまりはっきりとしていないようです。

「いただきます」は、料理を作ってくれた人に対しての礼儀として、
「作ってくれた料理をいただきます」という意味であることは察しがつきますが、
食材に対して「命をいただく」という説や、「いただき=頂」で頭上を示し、
神様にお供えした食事を頭上に持ち上げて礼を尽くしているのではないか
という説もあります。

もう一方の「ごちそうさま」は、「御馳走様」と書きます。
料理の準備をするために走り回ってもてなしてくれた人に感謝の意を表すという
説が一般的に知られています。

二つの言葉に共通するのは、食事ができることへの感謝の意。


こういった相手を労い、感謝の意を表す言葉を日常で何気なくでも使っている
ということって、素晴らしい習慣の中で日々過ごしていると思いませんか。
                                                               
そういう言葉が潜在意識の中に染み入って、大きな力となって発動されるのを
今か今かと待ち望んでいるのかもしれません。

金曜担当…小笹正洋



2016年2月4日(木)
エキストラ体験                        木曜担当…西端努斗夢

中村勘九郎主演で2014年に大ヒットした舞台『真田十勇士』が、演出を手がけた堤幸彦監督により映画化され、秋に公開されます。その撮影が自宅の近所で行われていて、昨日、エキストラとして参加してきました。
映像関係の仕事をしていながら、映画の世界は未知だったため、どんな機材を使ってどんな撮り方をしているのか興味があったからです。

撮影中に見聞したことをブログ、SNS、その他あらゆる媒体で公表することは禁じられているため、詳しくは書けませんが、私にとっては有意義な一日でした。

映画のような綿密に創り込まれた映像も面白いのですが、私は、一瞬の表情や本心から絞り出された一言など、臨場感あふれる生の映像で勝負したいです。

木曜担当…西端努斗夢



2016年2月3日(水)
パワースポットめぐり                     水曜担当…冨樫功

日曜日に、岡山の神社めぐりツアーをしました。

まず訪れたのは、岡山にあるサムハラ神社奥の宮。
今西最高顧問が昨年末に行かれたところです。

自分もぜひ行きたいと思いツアーを計画しました。

これまで、パワースポットってよくわかりませんでした。
わざわざ行かれる方は、物好きだなあと思う程度だったのです。


しかし、今回、目が覚めました。
目からウロコがポロポロ落ちました。


気持ちよかったのです。
神社というより、やはりその場所。
山や自然の空気が、とても清浄でした。


心のそこから元気があふれ出る感じでした。


一日トータルで8時間近く車に乗っていたと思うのですが。
まったく疲れを感じないほどでした。


他に訪れた、石上布都魂神社も、吉備津彦神社もすばらしかったです。


参加者全員が同じ気持ちだったようで、
すぐにまたお礼参りに来ようと決めました。

                                                               

4月、春のころ、また訪れるつもりです。

水曜担当…冨樫功



2016年2月1日(月)
際(きわ)について                      月曜担当…池田光

物事が極まったぎりぎりのところ、それが「際(きわ)」です。際は、果てであり、そこから先はありません。
人生では幾度か、際に立ったり、立たされたりすることがあります。

ひとかどの人物になると、そんな「際」を自らの主体性で作り出さなければなりません。
そのひとつが「退き際(ひきぎわ)」です。
組織のトップは、どのタイミングで退くかという「際」を自分で決することが、最後の仕事となります。
つまり、出処進退をあきらかにすることです。

ぼくは、二十代後半から三十代前半の頃に、この種の本をよく読みました。
なかでも、安岡正篤さん、その弟子である伊藤肇さん、わかりやすく中国古典を説いた守屋洋さんの本などを好んで読みました。
思えば、この種のものを読んだことが、『論語』や『孫子』などを読むきっかけになったのでした。

話題を戻して、
「退き際(ひきぎわ)」というのは、
それまでの地位や立場などから退くときに、
・時機をどうするか(時機を誤っていないか)
・どう身を処するか、
・誰に後を託すか、
・退くことによってまわりに迷惑をかけないか(起こりうる問題を事前に解決しているか)
という「際」で起こるさまざまな影響を見据えて、自らを退かせることです。
そのためには、十全に準備しておかなくてはなりません。

また、「際」は自分の問題であると同時に、関係するまわりの人々の問題でもあります。
自分勝手な人は、「や~めた!」と、子どものように突然何かを放り出すようなまねをします。
これは精神的な未熟さの現われです。
そんな人は、小人です。
『論語』で「君子(立派な人)」の反対の人物像として描かれる「小人(つまらない人)」です。

成熟した人物(君子)は、まわりの関係者のことを配慮して、自分の出処進退を決めます。
つまり、自分勝手には決めらないということです。関係する方々とともに「際」を決めるというプロセスが避けられません。
もちろん、最後に決するのは、自分です。
しかし、そのときの自分とは、まわりのことを配慮した自己超越した自分です。社会的責任という視点が具わっているのです。
そして、「際」を決めたら、淡々と「際」までの責務を果し、「際」ののちを過ごしていきます。
「際」をみごとに生きるとき、まわりはその人物を評価します。
退き際を惜しまれるのは、そういう人です。
そういう人物はまた、老荘的な生き方もわかっている人だと思います。
奇妙に聞こえるかもしれませんが、儒教的な生き方と老荘的な生き方との、自己内における統合がなされているのだと思います。

さて、地位や立場からの「退き際」だけでなく、
人間である以上、いつかは亡くなりますが、その「死に際」まで、
「際」をどうみごとに生きるかというが大切なことになります。
生き方に「責任」を持とうしている人は、
どんな状況におかれても「際」をおろそかにしません。
ここに、これまでの生き方が凝縮して顕われてくるからです。

湧くわく本心塾での学びは、ぎりぎりのところでどう生きるかを学ぶところにあります。
それは、「際」をどう生きるかということです。
際の生き方をみごとにすることが、東洋の学問です。

私ごとですが、還暦を迎えて「際」を考えることがたまにあり、若い頃に読んだ本のエピソードを思い起こしたりしております。
ポイントのひとつは、
「際」の線の引くときに、「余力を残す」ということです。
たとえば、ボケてきてから組織のトップを辞めるのではなく、少し早めに退くこと。
また、延命措置でわずか数日の寿命を延ばすのではなく、命が絶えるとわかったら、無用な延命措置をしないこと。

いくつかの「退き際」を経験しつつ、最後に迎える「死に際」をどう生きるか。
このことを念頭に置くと、すこしは学び方も変わっていくように思います。

月曜担当…池田光



2016年1月31日(日)
「幸福な戦士」                        日曜担当…八木正典

彼は自分の望むところを知り
一つの目標を信じて疑わない
富や名誉や世俗の地位を求めて
膝を屈し身をかがめようとはしない
これらの徳はおのずと彼にもたらされる
まるで恵みの雨が頭上に降りそそぐように (ワーズワース)

前に進んでいるかと思っていたが、全く前に進めていない、逆に思ってもいない方向に進んでしまっているのを感じたりします。
特に自分の目標がしっかり見据えられておらず、ふらふらするとその傾向が強まります。
自分の定める道をいかに進んでいけるのかはわかりませんが、目標を定めて恵みの雨が降りそそぐのを受けられるようにしていきたいものです。

日曜担当…八木正典



2016年1月30日(土)
風邪                              土曜担当…佐々木秀彦

3歳の娘が風邪をひきました。今まで多少具合が悪くても2~3日でケロッとしていたのではありますが、今回は1週間経ってもまだグズグズしている状態です。

風邪はどうして風邪なのでしょうか?
インフルエンザやノロウィルスと昨今は明確に違う扱いですが、僕が子供の頃はそれもこれも『風邪ひいたー』と表現していた気がします。

『風邪は万病のもと…』
日本に現存する最古の医学書『医心方』(国宝・東京博物館蔵書)に「風者百病之長也」という記述があるということです。全30巻のうち27巻は平安時代(984年)に中国の多くの医書を引用して病気の原因や治療法を述べた内容の中に、すでにこう記述されていることに驚きました。(e国宝→医心方 検索すれば原本の写真でこの記述も確認ができます。当然ながら漢文での記述ですので、読める方にはかなり面白いのではないかと推測します)
この『医心方』各巻が現代の小児科や耳鼻咽喉科のように分類されており、小児・婦人・産婦・延年と性別・年齢でもしっかり区分けしていることにも驚きました。その3巻中風部の最初に「風者百病之長也」の記述があるわけです。

『風邪』は直訳すると、「よこしまな強い気」でしょうか。風邪をひくと表現しますが、邪な気を引き寄せると、悪寒がしたり、うなされたり、冷や汗をかいたりというのもなんか納得してしまう表現です。風邪を引き寄せない為には、健全な気を引き込むための日常を送るということが大切ということでしょう。

そんなこんなを考えてみればみるほど、娘が風邪をひいたのは、娘の心に何かしらの無理な負担がかかった為だろうと反省します。普段機嫌よく保育園へ通ってくれているようでいても、そこはうら若き乙女です。50歳の僕が慣れて当たり前になった世の中の理不尽を、彼女には僕が強制しているということも多々あるのでしょう。もう少しキチンと、彼女の心を見つめていないと、風邪程度じゃすまなくなります。「風者百病之長也」先人の教えをしっかり受け止めて、家族に邪な気が入り込まないようにすることは、間違いなく僕の責務です。もっと頑張らなくては!

土曜担当…佐々木秀彦



2016年1月29日(金)
トットちゃん                          金曜担当…小笹正洋

心を打たれた書籍のご紹介です。


『窓ぎわのトットちゃん』/黒柳徹子(講談社)


主人公のトットちゃんは小学校の授業中に机のふたをパタパタ開け閉めしたり、
教室の窓際でチンドン屋さんが通りかかると呼び止めたり、日本の国旗を画用紙に
描くときには日の丸ではなく、旭日旗を描き、黄色い房をクレヨンで描いて、
はみ出した部分が机に残してしまったりと好奇心の強さが高じたいう奇行が先生の
目にあまり、1年生のときに事実上の退学となってしまいます。
そうして再入学した先が、ユニークな教育をしている小学校「トモエ学園」でした。
そこでトットちゃんは校長先生はじめ先生たちの大きな愛情の中で自分の居場所を
確立し、特に校長先生からの「君は、本当は、いい子なんだよ」という言葉は、
これからの彼女の人生の中でいつも元気づけてくれる言葉となりました。                  


ご存知の方も多数おられ、懐かしいと言われる書籍かも知れませんが、
日本を代表する芸能人(女優・司会等)黒柳徹子さんの小学時代の自伝で、
1981年に出版された書籍です。

当時僕は中学生で、中学生たちが校内暴力や授業放棄、喫煙に荒れた時代でした。
そんな最中にこういった書籍が出版されたというのも何かの因果でしょうか。


老若男女を問わず、人はいつも自分の「居場所」というものを求め続けて止まない
ものなのではないでしょうか。

自分の居場所が確保出来ること程に充実感を得られるものはないのだと、久しぶりに
そういう思いに浸ることが出来ました。

同時に今の世の中で行なわれている教育や育成のあり方についても考えさせられる
ことが平易簡単に子どもの純粋な視点で語られており、折に触れて思い出したい
大切なことが語られています。


元々は、このことをブログに掲載するつもりで読んだ訳ではなかったのですが、
是非、より多くの方にこの感動に触れて頂きたいと思い、ご紹介させて頂きます。

金曜担当…小笹正洋



2016年1月28日(木)
互師互弟                            木曜担当…西端努斗夢

湧くわく本心塾は互師互弟で学ぶことが最も大きな特徴です。
塾生同士、互いに師であり弟子であるという考え方を私はとても気に入っています。

ただ、師匠と弟子の関係は、学校での教師と生徒、会社での上司と部下とは似て非なるものです。

誰かの師匠になるにしても、弟子になるにしても、それなりの覚悟と決意が必要だと思います。
そのことをしっかりと心に留めてこれからも学び続けるつもりです。

木曜担当…西端努斗夢



2016年1月25日(月)
弊塾のあり方                         月曜担当…池田光

自分の立場でしか物事が見えないことを「我見」と言います。
そして、自分の思いを押し通すことを「我意」と言います。
この我見と我意を合せて、「我執」と言っていいでしょう。
我執がストンと落ちたときに、本心が顕われます。

本塾では、ここを学ぼうとしています。
が、誰かえらい人がいて、上から教えようとするのではなく、
「本心」を理念としてかかげて、
そのもとに「互師互弟」で学ぼうという方針でやっています。

そもそも、私は「えらい人」をあまり信じておりません。
もちろん歴史上、えらい人はいるのですが、
それは時代の波を超えて現代に残っている人なので、すでに亡くなっており、
その精神だけが書物などの形で残っているのです。
が、書物の形になっていても、
その人にアクセスすることができます。
本心に至れば、それができます。
個の本心に透徹すれば、その本心は普遍的であり、普遍の地平のなかで書物の世界からすでに亡くなったはずの生命体が立ち現われ、対話することができます。

それはそれとして、どんなに正論であっても、正論に見えても「これが正しい!」と思い込んでいる人は、我執の人です。
その人が、自分の本心に聞いてみたとしても、それは我見のホンネに聞いているだけ。
本心とはそんなものではありません。
本心に透徹した人は、誰の立場にも立ち、同時に誰の立場にも立っていません。
ここを自得できるかどうかです。

自得する方法として、本塾では「互師互弟」を貫いて行きたいと思います。
自分が講師となって語ってみて、自分で自分の境位を自得すればいいと思います。
そのためには、謙虚さが必要です。
自分のえらさをひけらかすために話すのではなく、自分が学んだことを、ただ話す。
冷や汗を流しながら講師をやってみることが尊いのです。
そんな塾のあり方でやっていこうと思います。

たとえば、
「塾の進め方はこうあるべきだ」
「こういう塾の姿が正しいのだ」
と正論を述べたとき、それは誰にも納得がいくかもしれません。
だって、正しいのですから。

ですが、あえてそれを捨ててみることです。
これは、正しいことに守られている砦だからです。
そして、これが我執の最後の砦なのです。
正しくないことは、心のどこかでやましいものがあるので、それが本心だとは思っていません。
しかし、頭から正しいと思っていることは、何が何でも正しいので、我執の最後の砦となるのです。

この自分で正しいと思っていることを、あえて捨ててみるのです。
すると、我執が落ちます。本心が立ち現われてきます。
本心は本物です。
自分が信じ込んでいた正しいはずの意見は、確かに正しいのですが、こんなものだったのかと思えてきます。
そして、誰の立場にも立ち、同時に誰の立場にも立っていない地平が現われてきます。
ここを自得できるかどうか。

そんなことを思いつつも、まあ、今年もゆっくり、ゆったり、のんびり、ときにはくねくねしながらも、そして個人的にはたまに冷や汗をかきながら、息切れしないようにしつつ、わいわいと、楽しくやっていきたいと思います。

月曜担当…池田光



2016年1月24日(日)
「日間の工夫」                        日曜担当…八木正典

日間の工夫は、紛擾を覚えば、則ち静坐し、書を看るに懶きを覚えば、則ち且お書を看よ。是れ亦病に因って薬するなり。(伝収録)

日中の修行にあっては、心が乱れて落ち着かないと思ったら静坐し、本を読むに疲れたと思ったら更に本を読むことを努めるとよい。これは病気に応じて薬を調合することであって、修行にも順法と逆法とがあるのである。


仕事が思うように進まない時に、毎日日課にしている本を読むことも億劫になります。
先日もそうでした。なんとなく気乗りがしない、意識がそぞろになっており、自分が自分でないような不思議な感覚でした。
そんな中、本文章を思い出し、気乗りしないままに年始から日課にしている本を従来以上の時間をかけてじっくりと精読していきました。そうすると、これまで気付かなかった文章の機微が目に入ってきたり、他の文章との連動性による新たな気づきが生まれたり、気が付いたらすっかり夢中になっていました。修行にも逆法があることを認める瞬間でした。

日曜担当…八木正典



2016年1月23日(土)
気概                              土曜担当…佐々木秀彦

今西最高顧問の『国を愛し国を守る国民的気概を』という題の新年随想を読ませていただきました。そしてその題にもあります『気概』が僕にはとても特に気になりました。


現代では『概』という文字はだいたいとか、おおむねといった意味に使用される場合が多く僕もそういう印象をもっていました。しかし、『気概』という言葉に関しては、おおむねという意味では解釈しきれなくなったので調べてみました。

『概』の文字には、風格・おもむきという意味がありました。なるほどそれなら納得できます。
ついでですので、『気概』を調べると、困難にくじけない強い意志、不屈の精神と決断力。という意味だそうで、類義語としては胆力、度胸、気骨等々が出てきました。

概は桝の面を平らにする道具ということだそうですが、もしかしてこの道具、刀や茶器のように精巧な匠の技によって概そのものが芸術の域に達する道具でもあったのでしょうか?
この1文字で風格・趣きという意を表せるとは肝っ玉の据わった隅におけない文字です。


この『概』にさらに『気』を加えて『気概』です。趣きと風格をそなえた胆力というようなイメージなのでしょうか!
胆力を鍛えることも一つの目的として水垢離を遂行していますが、明日からは単に胆力というのではなく気概を鍛えるという意識ももって遂行します。

水垢離をするきっかけは今西名誉顧問のお言葉だったのですが、多くの方に向けて書かれた新年随想から、あくまで自分が主人公としてこんな受け止め方をする僕のこういう思い込みの強い部分は決して嫌いではありません。


そしてさらに…
自己の意に気概を持って生きていくことを、『いきがい』という気さえしてきました。

土曜担当…佐々木秀彦



2016年1月22日(金)
古典的名作に触れて                    金曜担当…小笹正洋洋

お正月にシェイクスピアの映画「ヴェニスの商人」のを観ました。

ポーシャという女性にバッサニオは一目惚れし、求婚したいのだが先立つものがない。
親友のアントニオに借りに行くが、彼もまとまったお金がない。
アントニオはバッサニオのために金貸しシャイロックというユダヤ人の金貸しのところへ向かう。
常日頃何からアントニオの事を商売の邪魔をする人物と見ていたので、シャイロックはすんなりとは貸さなかった。
返済不能の場合は胸の肉1ポンド切り取るという条件でアントニオは金を借りた。
扨、ポーシャのところには、金、銀、鉛の3つの箱のうち正しい箱を選べば求婚が叶うということで求婚者が引っ切りなしに押しかけて来たが、何人もの名のある求婚者が失敗し去って行った。
バッサニオはもっとも地味な鉛の箱を選び、ポーシャを娶る事となる。
喜びに沸き立つ時に、アントニオの不幸を告げる手紙が届けられる。
アントニオの船がすべて沈没し、借金の返済ができなくなり、シャイロックから訴えられた。
シャイロックは娘のジェシカに大金と貴重な宝石を持ち逃げされ、その上、駆け落ちした恋人のロレンゾーと旅先で浪費の限りを尽くしているという知らせを受け苛立っていた。しかし、シャイロックは憎きアントニオをやっつける千載一遇のチャンスが訪れ小躍りしてた。
ポーシャは知り合いの裁判官と相談し、夫の親友の危機を救うため、裁判官に変装して法廷に乗り込む。
シャイロックの証文を盾にとった法廷闘争には一点のスキもなく、アントニオの命は危ういかに見えた。
だが、ポーシャは切り札を隠していた。
証文を盾に主張を曲げないシャイロックに対して、ポーシャも証文を盾に攻め立てた。
「肉を切り取るのはよいが、血は一滴も流してはならぬ。この証文には肉1ポンドとのみ書いてある。血を流してよいとはどこにも書いてない」と。
こうして、逆転勝訴したアントニオのもとに、船の難破はすべて間違いだったという知らせが入り、ハッピーエンド。
この他に、夫婦の約束と友情や宗教的信条について考えさせる設定もありと、重層的なストーリーには天晴れの一言でした。

もっと早くこういった名作と出会いたかったと思えるひと時でした。

洋の東西を問わず、古典的名作が何故今も残っているかということを考えさせられる機会となりました。

金曜担当…小笹正洋



2016年1月21日(木)
幸福の七ヶ条                         木曜担当…西端努斗夢

『ゲゲゲの鬼太郎』で知られる漫画家、故・水木しげるさんの著書『水木サンの幸福論』に水木さんご自身が実践してきた「幸福の七ヶ条」が紹介されています。


第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。

第二条 しないではいられないことをし続けなさい。

第三条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。

第四条 好きの力を信じる。

第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。

第六条 怠け者になりなさい。

第七条 目に見えない世界を信じる。


この七ヶ条、水木さんだからこそ、多くの人から共感を得ことができるのであって、今の私が同じことを言っても何の説得力もありません。
しかし、いつか私も、私なりの「幸福の七ヶ条」を説得力を持って言い切ることができるようになるため、これからも学び続けます。

木曜担当…西端努斗夢



2016年1月20日(水)
台湾に行ってきました                    水曜担当…冨樫功

1月16日から19日まで台湾旅行に行ってきました。


偶然、1月16日は台湾総統選挙。

大陸寄りの国民党から民進党に8年ぶりに政権が交代しました。
また、初の女性総統誕生と、歴史的瞬間に居合わせることができました。


孔子廟は定休日で中に入れませんでしたが、
たくさん観光スポットを回り、台湾グルメも堪能しました。
そして、大陸で二年間住んだ自分にとっては、
外国の気がしませんでした。


飛行機代も東京への新幹線代より安いし、
物価も安い。
距離も遠くありません。
こだまで大阪から東京に行くよりは早い のです。


湧くわく本心塾でも、いつか海外研修の候補地として
台湾、面白いんじゃないでしょうか。

水曜担当…冨樫功



2016年1月18日(月)
無題                               月曜担当…池田光

昨年後半は『広辞苑』を引くことが多かったのですが、
不十分な説明だと思うことが幾度かありました。

父は『広辞苑』の信奉者で、
その影響で私は子どもの頃からこの重い辞書を引いていました。
また、版が新しくなるたびに揃えておりました。
写真は第五版と、第六版(いちばん新しい版)です。

ここ数日の読書で、『広辞苑』に関するこんな記述を見つけました。

■「念のために、昭和十年版の『辞苑』を引いてみると(私は『広辞苑』を持っていない。この古い版で十分にまにあうから)」(『入矢義高先生追悼文集』汲古書院より)

この記述は、ほかでもない碩学の入矢義高氏です。
「私は『広辞苑』を持っていない。この古い版で十分にまにあうから」
という一文に、どのような意味を含ませているのかわかりませんが、眼が釘付けになりました。

■「このごろ、若い人の発表物において、こういう文によく出会う。『広辞苑』に拠ればとか、漢和辞典に拠ればとかいった文である。
五、六十年前、私の学生時代、もしこういう発言をしたとしたならば、先生方から即座にこっぴどく叱られたものだ。
それはそうである。辞書というものは、さしあたりのことを、手っ取り早く、一応知るための手引きにすぎない……」(加地伸行『中国学の散歩道』研文出版)

加地氏は、冒頭に、
「『広辞苑』に拠ればとか、漢和辞典に拠ればとかいった文である」
とさりげなく書かれています。
ところで、『広辞苑』は固有名詞、漢和辞典は普通名詞です。
論理学的には概念のレベルが違い、同列では論じられません。そこを、あえて同列に述べているところに何らかの意図が感じられます。

『広辞苑』とは、それだけの権威であり、だからこそ、これらのような少し屈折した文章が書かれているのではないでしょうか。
上記の両先生とも、漢文を極められた方ですが、そういう方の何気ない文章には、見過ごしてしまいそうになるなかに、じつはある種の意味が含められている。
こういうことを『広辞苑』を思うなかで発見できたことは、なんとも面白味のあることでした。

月曜担当…池田光



2016年1月17日(日)
「一佳書」                           日曜担当…八木正典

先日行われた1月の潜学講座に参加した際に、今西最高顧問から安岡正篤先生の年頭自警をいただきました。
その中に「年頭新たに一佳書を読む始むべし」という言葉があります。
私は今年孟子と講孟箚記を読破したいと取り組んでおります。
講孟箚記はこれまで何度か読もうとしてページを開くも何故か読み進められず、本棚に置かれたままになっていたのです。今年はぼちぼちと着実に読み進めていきたいと思っています。
そして、孟子と吉田松陰という素晴らしい思想家に触れることができる機会をありがたいものとして受け止めたいと思います。
今年の終わりにどんな学びができているのか考えただけでも今から楽しみで沸くわくしています。


道は則ち高し、美し、約なり、近なり。人徒其の高く且つ美しきを見て以て及ぶ可からずと為し、而も其の約にして且つ近、甚だ親しむ可きことを知らざるなり。(講孟箚記)

日曜担当…八木正典



2016年1月16日(土)
吃驚                              土曜担当…佐々木秀彦

1月3日に神戸の王子動物園へ行き、パンダやコアラを観てきました。
パンダはいつも寝ていると思っていた僕でしたが、お正月だから気を遣ったのかパンダはウロウロ活発に歩き回っていました。コートのいらないほど暖かいお正月だったのでシロクマは人工雪の山に顔を突っ込んで雪を食べるのに夢中でした。


今、小さな子供を動物園へ連れていき、猛獣の発する菌のようなモノを浴びさせることで、免疫力が高まるというという話が若いお母さん方には通説になっていてパンダもゴリラもまだわからないくらいの赤ちゃんを動物園に連れて行くことを実践している親はけっこう多くいます。僕も嫁に強く要望されて、娘が0歳児の頃からもう何度も動物園やヤギや羊がいる場所へ付き合いました。

子供が生まれてから3年。僕が当然にそうだと思い込んでいたことが、実は自分だけの小さな小さな視野の話でしかなかったことに気づくことが多々あります。吃驚したりすることも少なくありません。幼児がパンダやライオンを見て喜ぶのは理解していましたが、乳児をご利益のある神社に参拝させるような気持ちで猛獣参拝する親心なんていうのは想像すらできなかったことです。


さてさて、『吃驚』なのですが、『びっくり』と読みます。僕はこの吃驚は自分にとって目が覚めるとか、善い意味で衝撃をうけた時に使う言葉ではないかと思っています。

『驚』の文字は敬うという文字が冠です。驚くという動きを馬で表現しているならその動きには敬が伴っている場合にのみ使う言葉ではないかと感じます。だから本来、善い意味でないと驚くという表現は使うべきではないと思ったりもします。さらに息を呑むという意味の吃がついて『吃驚』なので、善い意味で驚き過ぎて息をのむことを指す場合のみ使うべき言葉ではないかと思うのです。唖然としっかり区別して使いたい言葉です。
知らないことを知ると、嬉しくなります。自分にとって嬉しい大発見をした時に使う言葉が『吃驚』だと思うわけです。


凍てつく寒さに心まで清楚に磨かれる気持ちになるのがお正月の良いところと思い込んでいた僕に、新春3日に動物園でゴザを広げて暖かい気持ちでお弁当を食べても清楚な気持ちになれるお正月を51回目にして初めて過ごしたことも吃驚でした。そしてこれからもたくさん吃驚できるように、感性を磨いていきたいと思います。

土曜担当…佐々木秀彦



2016年1月15日(金)
言葉の力                           金曜担当…小笹正洋

先ずは映像をご覧下さい。

the POWER of Words~『ことばの力』 
http://youtu.be/7nAa1L6epHs


アンドレ・ブルトン(フランス・詩人)がニューヨークに住んでいたころのお話がベースとなっています。

ブルトンの家からさほど遠くない街角で、いつも物乞いとすれちがいました。
通行人はぼんやりとその首にかかった看板「私は目が見えません」を見ていました。
彼のお椀のなかにコインを入れようと足を止める人はめったにいませんでした。
ある朝、その姿に心を動かされたブルトンは、彼にその看板の文句を変えてはどうかと勧めました。
それからというもの、お椀にコインの雨が降りそそぎ、人びとは同情の言葉をかけていきます。
不思議に思った物乞いは、ブルトンに「なんと書いてくれたのですか」と尋ねました。
詩人は答えました。

「春はまもなくやってくる。でも、私はそれを見ることができません」


意味は同じでも、表現を変えれば人の心を動かし、行動も変える事ができる。

だからこそ、言葉は大切にし、しっかりと心を乗せていきたいですね。

金曜担当…小笹正洋



2016年1月14日(木)
言うたもん勝ち!                      木曜担当…西端努斗夢

実は、前々からやってみたいことがあって、それを今年はいよいよ実行しようと思います。それは、VOCALOID(ボーカロイド)を使ったオリジナル曲づくりです。
まず、「夢」「卒業」「桜」「結婚」をテーマに決め、構想を練っています。
今まで誰にも見せたことのない「西端努斗夢の世界」を曲にして、今の自分とのギャップを、こっそりと一人で楽しもうという魂胆です。
オリジナル曲を動画サイトにアップし、あわよくば広告収入や著作権収入を得ることができればと、「捕らぬ狸の皮算用」をしているだけで、ワクワクしてきます。
まぁ、「言うたもん勝ち!」ですからね。人生は……

木曜担当…西端努斗夢



2016年1月13日(水)
来期は通して天風哲学を学べます。           水曜担当…冨樫功

来年4月からの五期潜学講座の概要が決まりつつあります。


来期は、毎回二講座のうち一講座は天風哲学となります。
つまり、一年を通じて潜学講座に来れば、
必ず天風哲学の講義が聞けるのです。


講師は回ごとに変わりますが、
教科書も決まっています。


それが「運命を拓く」中村天風著の文庫版です。


自分はこの本が一番好きなので、
とてもうれしく思っています。


そんな中、来期は自分も天風哲学で一講座を担当することになりました。


この道の先輩方の集う中、どんなこ とを話せばいいのか途方にくれましたが、
一つひらめきました。


そのテーマが、「中村天風と願望実現」です。

願望実現とか、今、はやりの引き寄せの観点から、
天風哲学を捉えなおしてみるという試みです。


中村天風さんは願望が実現することについて、
当たり前という感じで、それだけについて語ったりしない感じですが、                    
「運命を拓く」の本文だけでもエッセンスはいっぱいです。


新しい切り口にならないかなーと思っています。

水曜担当…冨樫功



2016年1月12日(火)
「聖人の道」                          火曜担当…坂本欣也

「聖人之道、吾性自足、不仮外求。」
「聖人の道は、吾が性に自足しており、これまで理を事物に求めていたのは、誤りであった」

王陽明が「龍場の大悟」として放った、「心即理」の境地を表す言葉。

その時、王陽明、37歳。

この文章を読んで・・・・

「色即是空、空即是色」
が頭にふと浮かびました。

「色」とは仮相、現象、目に見える顕在意識の世界。

「空」とは心
しかし単なる心ではなく、「本心」(実我、仏心、霊性心・・・)、
そして、もっとその奥に広がる「大いなるもの」

この「本心」を目覚めさせるために、本心に気付くために、
私たちは、生活、仕事、人間関係の中で、喜びと共に困難苦難を含めた様々なプレゼントを、
大いなるものから「色」として常に与えてもらっているとも言える。

それなら、「色」と「空」を区別する必要もない。
だから、「色即是空、空即是色」なのか。

全ては、この本心を渙発し、本心に気付くための道。

天風先生の仰る、「我とは何ぞや?!」「汝を知れ!」の答えを探すための道。

それが、「聖人の道」なのか・・・・?!

ふとそんなことを思いました。
まだまだ、浅い考察だと思います。



写真は、私の好きな蓮の写真。蕾の中に大事なものが全て包含されています。
しかし、外部環境との交流つながりがなければ、大事なものも花咲かないし、活かされない。

火曜担当…坂本欣也



2016年1月11日(月)
無題                              月曜担当…池田光

年始なので、
ちょっと大きなことを……。

■本心に照らして、
真実だと思えることは、
万人にとっても真実でしょう。
そこに、
普遍性への道があると思います。
本心にかなった一冊を書くことを、
究極の目的にしたいと思います。

■本心を顕わせば、
万人の心は一つになることでしょう。
とすれば、
本心からの一冊を書けば、
次の世にも通じると思います。
そんな一冊を書きたいと思います。
                                                              
■本塾の始まりにおいて、
一年間の精進を期しつつ、
執筆して参ります。

月曜担当…池田光


                                                              

2016年1月10日(日)
「ある農夫の一日」                      日曜担当…八木正典

ある農夫が、朝早く起きて畑を耕そうとした。ところがトラクターの燃料が切れていたので、近くまで買いに行ってきた。途中でブタに餌をやっていないことを思い出して、納屋に餌をとりに行った。すると、ジャガイモが発芽しているのを発見した。これはいけないと思い、ジャガイモの芽を取っているうちに、暖炉の薪が無くなっていることを思い出して薪小屋へ足を運んだ。薪をもって母屋に向かっていると、ニワトリの様子が変である。どうも病気にかかったらしい。とりあえず応急処置をほどこして、薪を持って母屋にたどり着いた頃には、日がトップリと暮れていた。
農夫は、ヤレヤレなんとせわしい一日であったと思いながら、いちばん大切な畑を耕すことができなかったことに気付いたのは、床に入ってからであった。


年始に出会った文章です。
新たな一年を迎えるにあたって、一年の目標を立てたわけですが、目標をしっかりと心に定めておかないといつの間にか目先の多くの出来事に流されて、当初の目標に対する歩みがあいまいなものになってしまうことが起こります。
常に目標は何なのか、その目標につながる動きができているのかを日々振り返り、やるべきことに心に描きながら今年も進んでいきたいと思います。

日曜担当…八木正典



2016年1月9日(土)
原子                              土曜担当…佐々木秀彦

「113番元素の命名権を日本の理化学研究所が獲得」と大晦日に報じられました。
すいへーりーべ…と何の意味かわからず丸暗記した元素記号が118まで増えていることも、名前がまだ決まってないのがあるのも、何もかもが僕の理解の範疇を超えているのが物理の世界であるようです。

『人間の身体も原子からできている…』たしか中学の化学先生がそう言っていた気がします。原子に陽子がいくつかくっついて元素になって、それが集まって六角形や八角形の形になってそれが組み合わさって細胞になって、骨になって、筋肉になって、、、今でもこういう話になると頭が硬直してしまう僕ではあるのですが、この原子がヒトを飛び越えて、宇宙のすべてを形成しているという着眼点から見るとけっこう興味が湧いてきます。

人間の身体は炭素・水素・窒素・カルシウム・硫黄…原子的には哺乳類はほぼ同じ?鳥や虫も魚も原子的な形成は似たようなもの???植物も土も原子は同じで形成が違うだけ???3次元的な順列組み合わせで考えても、ヒトという存在は奇跡としか言いようがないくらい緻密で精巧で繊細な原子の組み合わせ作品なのに、なぜその奇跡が地球上には何十億人も存在するのか???

宇宙のすべてが118種類の元素から成り立っているという話が物理的に正しいのなら、水垢離で心が磨かれることも、座禅で不治の病が治癒することも、善い言葉を使うことで運気が好転することも化学的には正しい理屈ではないでしょうか!

空気もやはりこの原子から形成されております。息を吐くと二酸化炭素が人体から排出され、その発散された二酸化炭素は自由に飛んでいる空気中の他の原子や陽子と手を繋ぎ変えて他の物質へ変化する。植物に吸収されて光合成するのか、違う生命体へ帰着するのか、空気中を浮遊しつづけるのか、岩石となるのかはさておいて、逆にそういう自由になった原子・陽子をヒトは一息を吸うたびに大量に身体に取り込む。この入ってきた原子・陽子は身体にある細胞に多種多様な働きかけをし、排出されるまで化学反応を起こし続けるのだから、善い取り込み方をした原子は、終始善い化学反応を起こすことは化学としては自然の流れのような気がするのです。

綺麗な景色に出会ったり、美味しいお酒を飲んだり、善い話を聞いたりしたときに吸い込んだ原子が身体に善い化学反応をするから、心地良い気分になる!

地球も宇宙も、そして僕自身も、同じ118種類の原子からできています。
『宇宙と自分は繋がっている!』『自分は宇宙の一部である!』
一見科学的ではないこの教えも、化学的には当たり前過ぎるぐらい当たり前だと中学生の頃気づければ、理科は苦手ではなかったかもしれませんが、今やっと50歳になってこれが面白いと思えてきたのは、湧くわく本心塾によって僕に引き起こされた化学反応の証明なのかもしれません。

土曜担当…佐々木秀彦



2016年1月8日(金)
1月8日はあの日でした・・・                金曜担当…小笹正洋

1989(昭和64)年1月7日の朝、昭和天皇の崩御を受け、
1月7日午後の臨時閣議で次の元号を「平成」と決定し、
小渕恵三内閣官房長官(当時)が記者会見で発表されました。
そして翌日1月8日の0時到来を以て新しい元号がスタートしたのでした。

「平成」の由来は、「史記」(五帝本紀)の「内平外成(内平かに外成る)」、
「書経」(大禹謨)の「地平天成(地平かに天成る)」からによるもので、
「内外、天地とも平和が達成される」という思いが込められています。

この元号の発案者は、安岡正篤先生とされています。
                                                              
「平成」は最初の年号「大化」以来247番目の元号で、
元号法によって改元された最初の元号になります。

金曜担当…小笹正洋


                                                              

2016年1月7日(木)
悪魔の手口                          木曜担当…西端努斗夢

あけましておめでとうございます。
新年早々から悪魔の話で「縁起でもない」とお叱りを受けそうですが、お許しください。
既にご存知の話かもしれませんが、今年、大きく飛躍をされる方には、聞いておいて損はないかと思います。

本当の悪魔は、決して私たちに危害を加えたりしません。恐怖も与えないそうです。
それどころか、世の中のためになりたいという志の高い人には、最初は応援までしてくれます。情報を与えてくれたり、まわりで奇跡を起こしてくれるのです。そして、その人の信奉者が増え、影響力が大きくなると、耳元でこう囁くのです。
「もう、これだけやってきたのだから、もっとお金を儲けても良いんじゃない? もっと地位や名誉を与えられても良いんじゃない? もっと異性と仲良くしても良いんじゃない?」と。
その囁きで多くの人は、地獄に落ちてしまうそうです。
確かに悪魔の手口にはまって、金銭や地位・名誉、異性がらみで問題を起こし、消えていった人を私は何人も知っています。
私は、ある人から10年以上前に「いつか君も悪魔に狙われるようになるかもしれないから、その時のために教えておいてあげる」と言ってこの話を聞かせていただいたのですが、残念ながら、まだ悪魔さんから相手にもしてもらえません。

木曜担当…西端努斗夢



2016年1月7日(木)
素読の威力                          水曜担当…冨樫功

江戸時代の教育法は素読でした。

大学、論語と言った漢文を読み下し分でとにかく読んでいく。

意味は考えない。
ただただ読み方を教わって、何回も声に出して読む。

素読とはそういう学習法でした。


現代からみると、意味を解釈しないということが理解不可能なように思えます。
しかし、意味を解釈するというのが逆に特殊なのかもしれません。



もともと私たちは母国語を何も考えないで話すことができます。
しかし、国語の時間では、文法というものを習います。
すると、はじめて普段しゃべっている言葉に法則や特殊な解釈があることに気づきます。

外国語の学習もそうです。
英語の授業では意味や解釈を教えていますが、
それでは身につかないようです。


意味を考えないで、とにかく読んでみる。
口に出して発声してみる。

これが最も身になる学習法のような気がしてなりません。


たとえば、お経なんかもそうですね。
あれも、意味がはあるのに、ただただ字面を追っていきます。

10年以上前に、般若心経を覚えました。
ただただ、発声を覚えたのです。
ことあるごとに口ずさんできたのですが、
最近、なぜか意味がわかるようになってきました。


面白いです。


今週の小林さんの般若心経の講座も楽しみです。

水曜担当…冨樫功



2016年1月5日(火)
「元気生活」                          火曜担当…坂本欣也

私の平成27年のテーマは、「梵我一如」でした。

大それたテーマを持ったものですが、常にそれを頭と肚に意識して置いていたことで、前回のブログで書いたように、少し体感できたような気分になりました。

天風先生の仰る、「自己暗示」の効果だと思います。

今年は、「元気生活」としたいと思います。

言葉的には平易ですが、意味としては、これも大それています。

元気:元の気、生まれた瞬間の気、先天の一気、本心良心、本然の性、実我、霊性心

生活:自他の人生に活かす、人生を活かす

つまり、「常に元気を以て、学びを自他の人生に活かし、人生を活かすように生きる」の意味です。

これを今年のテーマとして、平成28年を「元気生活」したいと思います。

本年も宜しくお願いいたします。

火曜担当…坂本欣也



2016年1月4日(月)
無題                              月曜担当…池田光

新年あけましておめでとうございます。
今年4月から「潜学講座」第5期がスタートします。
新しい方が毎回参加されていますので、安心してご参加ください。
きっと、あなたの人生に良い刺激がもたらされると思います。

さて、今年は中村天風生誕140年に当ります。
また、本多静六生誕150年でもあります。
ぼくは中村天風の解説本を4冊、本多静六の解説本を2冊書きました。
そんな関係で、ぼくにとって意味ある一年になりそうな気がします。

また、私ごとに近いのですが、今年は立花大敬先生の<しあわせ通信>発信20周年となります。
何か動きがあるかもしれません。
さらに来年は、ぼくが主宰する出版社<本心庵>設立20周年を迎えます。
<本心庵>設立20周年には、『しあわせ通信』第10集を出版したいと思っています。
そして、再来年は安岡正篤生誕120年となるそうです。

「外」に節目の出来事が続いているときは、じつは、「内」においても変化が起きているものです。
昨年、ぼくは還暦を迎え、そのあたりから「内」なる変化が続いています。
この変化は「外」の変化と同調しつつ、ぼくの節目を形成しつつあるような気がします。

変化のなかに、チャンスがあります。
ということは、ぼくは大きなチャンスのなかに居るのでしょう。
こんなときは、「外」の動きに翻弄されることなく自分をしっかり保つことです。
自分を保ちながら、柔軟に環境に対応していきたいと思います。

では、どうぞ、本年も宜しくお願いします。

月曜担当…池田光



2016年1月3日(日)
「洗心」                             日曜担当…八木正典

新年あけましておめでとうございます。

昨年の自身のテーマは「常識のデリート」でした。
自分が当然と思って疑わない常識を新たなものに置き換えていきたいと思っていたのです。一年を振り返ってみると、本塾での学びもあり少しは先入観にとらわれず素直な心で物事が見えるようになってきたのではないかと感じています。
多面的な見方を教えていただき意識することで、自分のこだわりが着実にほどけてきている気がするのです。
そこで一段の高みを目指すべく今年のテーマは、「洗心、磨心、従心」にします。
心を洗い、心を磨き、その上でその心に従っていく。
「心の欲する所に従えども矩を踰えず」と理想とする境地ははるか遠くにありますが、本塾での学びを続けながら、自分の心を大事にしていく一年にしていきたいと思います。

皆様と引き続き同じ時間を共有させていただけることを嬉しく感じております。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

日曜担当…八木正典



2016年1月2日(土)
活溌                              土曜担当…佐々木秀彦

陽春。干支で丙申の今年は昨年の陽気が一層発展することを示しているなら、賀詞は陽春を遣うのが最も適しているのかもしれません。


僕としましては今年『活溌』という姿勢を意識して物事に取り組んでいきたいと思います。実は今まで自分の『活発』は、とにかくアクティブに、とにかく元気にというような表面的なアクションに囚われていたのですが、今回の『活溌』では、僕のやるべきことや、僕の周りの人や、環境の為にすべきことに対して、とにかくできる限りの『活溌』にと、アクションだけに固執しない本当の意味の『活溌』な行動をしたいなと思っております。


僕の今年の年越しは、鳥取県の三朝温泉でしたが、この三朝町には三徳山三佛寺というお寺があります。このお寺 日本一危険な除夜の鐘 というキャッチコピーで毎年鐘を打つ参加者を募集しているお寺です。投入堂が有名なようで、様々な修行体験や研修もおこなっているようです。今回の旅行前にはこの三徳山三佛寺の名前も知らなかったのですが、JR倉吉駅に貼ってあったポスターに『一隅を照らす・・・』という文字があったので調べてみたら面白そうなお寺でした。やはり入山するにはそれなりの覚悟を決めていかなければいけないということです。

『一隅を照らす』ことも、『活溌』に生きることも、それなりの覚悟を決めて臨めというメッセージをしっかり頂いた今年の元日でした。


今年一年が皆様にとって善い年となりますように。今年もよろしくお願いいたします。

土曜担当…佐々木秀彦



2016年1月1日(金)
新しい年を迎えて                      金曜担当…小笹正洋

新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


2016年の干支は、丙申(ひのえ・さる)です。
丙は、陽気が盛んで形があきらかになっていく様を意味しています。
申は、新しい力の伸展、成熟し固まっていく姿を意味しています。
これまでの頑張りが結実していく年ですが、盛んな陽気も過ぎてしまうと
こんどは陰気が強くなってくるということにもなるようです。


同じ干支は10干と12支の組み合わせで、60年に1度巡ってきます。


前回の丙申の1956年(昭和31)は、「神武景気」と呼ばれる
投機ブームにも沸いた年で、経済白書にも「もはや戦後ではない」
と記された時代でした。


そして歴史を遡ってみますと、


996年(長徳2)は藤原道長の台頭。
1716年(享保元)は徳川吉宗が将軍職を継ぎ、享保の改革に着手。


海外では、

1776年はアメリカ独立宣言が発布されました。
1836年はテキサス独立戦争が起き、テキサスがメキシコから独立を宣言。
1896年にカナダ・クロンダイクで金脈が発見され、クロンダイク・ゴールドラッシュの幕開けとなりました。
1956年にはスーダンがイギリスから独立、モロッコやチュニジアがフランスから独立。

といったことが結実していきました。



新しい年を迎えると、今年の目標をどうしようかということになるのですが、
この目標そのものについて考えてみたいと思います。


目標というと何かを手に入れるとか何かを増やしたり減らしたりという
視覚化して成果を確認できるものを掲げていこうとします。


自分自身としましては、少し角度を変えて捕まえてみて、


・所有よりも使用。

・欲望よりも意志。

・頑固ではなく信念。


こういったことを念頭に置いて、今まで手をつけられずにいたことに
着手していく1年にしていきたいと思います。

金曜担当…小笹正洋



2015年12月31日(木)
流れに任せる                         木曜担当…西端努斗夢

人生という河に私は身を浮かせ、流れに任せて大海へと向かうだけ。

頑張って、流れに逆らって泳いだりはしません。

生き急いで、下流に向かって泳いだりもしません。

力んで、岸から何かを引っ張ってこようとも思いません。

ただただ流れに任せる。


力を抜いてじっとしていれば浮かんでいられるのに、ついついもがいて溺れそうになる。

まだまだ修行が足りません。


2015年も今日が最後です。この一年、ありがとうございました。

なお、私事ですが、思うところあって10年近く年賀状を書いていません。ご無礼をお許しください。

木曜担当…西端努斗夢



2015年12月30日(水)
よいお年を!!                        水曜担当…冨樫功

今年もあと二日ですね。

本年度も湧くわく本心塾での学びは大きかったです。


月に一度の潜学講座が、
自分にとってはかけがえのない時間です。


僕は個人でもブログをやっています。
今年は、著者や有名ブロガーの集まる人気ランキングで1位を取ることができました。


他と一味違ったニュアンスの文章が書けるのは、
湧くわく本心塾での学びのおかげだと感じています。


塾での学びの分がおおきなアドバンテージになっていると感じるのです。


来年度は、中村天風が継続的に学べるとい うことで、
これまた期待に胸を膨らませております。


来年こそは、もっともっと絶対積極となり、
人の世に貢献できる自分になれるように努力したいと思います。

水曜担当…冨樫功



2015年12月29日(火)
「今年のテーマの区切り」                  火曜担当…坂本欣也

私の今年のテーマは、「梵我一如」でした。

先週のブログに記した心持ちが、そのテーマの区切りを示しているなと、読み返して改めて思いました。

その心持ちになった大きな要因は、母との最期の時間であり、感謝の気持ちで包まれた人生の最期を見せてくれたことでした。

さて、来年のテーマは・・・・

それは、年末年始じっくりワクワク考えたいと思います。

2016年も皆さまにとりまして、素晴らしい年となりますように!

ありがとうございました。



火曜担当…坂本欣也



2015年12月28日(月)
無題                              月曜担当…池田光

今年を振り返ると、
① 絞る
② 託す
③ 捨てる
というのが、ぼくの一年でした。

■「絞る」については――
・ライフワークに絞る。
・仕事を家でする。

その成果は、『中村天風 心が強くなる坐禅法 CDブック』の出版に結実しました。
この本は、これからのぼくのスタートになる原点です。

■「託す」については――
・湧くわく本心塾を託す道筋をつける。
・みてじま論語講座を閉じ、清水裕一氏の「潤身読書会」に託す。

■「捨てる」については――
・過去の仕事の資料や記録を捨てる。
・会社を解散する。

物理的なモノを捨てる作業は、ちょっと大きなものになりました。
朝から晩まで、二十日間くらい捨てる作業を続けました。
トラック二台分ほどになりました。
今もまだ捨てる作業は続いており、来年も「捨てる」ことを継続していきます。

さて、来年は「ひきこもり準備期」と位置づけています。
再来年あたりから本格的にひきこもりたいのですが、来年はそのための助走をしたいと思っています。
これが、ぼくが考える、いちばん積極的な生き方です。
捨てて、託して、ひきこもって、ライフワークに絞って何かを成し遂げるというのは、残り少なくなった時間のなかでできる前向きな姿勢だと思います。
と言っても、必死にはなるつもりはありません。
マイペースでやります。
そんな生き方を来年はしたいと思います。

■賀状について
大変失礼ながら、年賀状を出すのをやめてから三、四年になります。
頂いた年賀状には遅ればせながら賀状を出させていただいたりしているのですが、
もし、いただきましたら誠に申し訳なく、前もって謝らせていただきます。

月曜担当…池田光



2015年12月27日(日)
「なすべきことは」                       日曜担当…八木正典

なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。
(フィリピの使徒への手紙)

今年も残り5日となりました。年内最後のブログとなります。
今年一年を振り返ってどれだけの成長を遂げることができたのか、どれだけ進化、向上に向かうことができたのか考えれば考えるほど悩ましいです。
ただ一歩一歩を大事にし、今年も前を向いて全力で進んでこれたことは、いろいろな縁で出会った方々のお陰だとしみじみと感じております。本当に感謝です。ありがとうございました。

来年も、なすべきものはただ一つと思いを定め、更なる自らの維新に努めていきたいと思います。
多くの縁ある方々には引き続き宜しくお願い申し上げます。

来年も皆さまにとって素晴らしく輝かしい良い年になりますようお祈りいたします。

日曜担当…八木正典



2015年12月26日(土)
綺麗                              土曜担当…佐々木秀彦

綺麗も奇麗も同じ意味だそうです。綺は絹織物の沙綾の意らしいですが、常用漢字に無いため奇麗と書くのが文科省的には正解ということです。

奇麗と書くと、稀の印象が強くなるので、確かに意味としては的確なのではありますが、奇という文字からうける印象がどうもきれいではないのも日本人の感性の素敵なところではないでしょうか。きれいというと、純粋や純潔の意味もどこかに感じるので奇ではやっぱり腑に落ちないというのは僕もまったく同感です。

今の時期、街はライトアップされてキラキラ幻想的な夜景があちらこちらで楽しめます。冬の夜は寒いにもかかわらず、多くの人が繰り出しているのを見ると、人は綺麗なものが大好きなんだと当たり前のことを実感します。大昔から宝石の奪い合いで戦争が繰り返されてきたのも納得はできませんが、それが人類の歴史でもあります。


湧くわく本心塾の3つの実践項目に『善い言葉を語る』というのがあります。
善い言葉というのは、きれいな言葉でもあるのでしょうが、「きれい」ではなく「善い」と表現されているところが僕は大好きです。


「きれい」という言葉には何か、儚さが付いてくる気がするのは僕だけでしょうか?星空にしても、花にしても、女性の場合でも、「きれい」というのはどこか永遠でなく、その瞬間の輝きというのを含んでいるような感じがします。だからこそ「きれい」に大きな大きな価値があるのではありますが、その変幻してしまうことを含めた前提での「きれい」なら、やはり『奇麗』という表記が正しいのでしょう。
『奇麗』なのはわかっていても、やはり『綺麗』や『きれい』を選択してしまう僕がいます。


僕にとっての2015年納めのブログなので、綺麗に締め括ろうと思ったのではありますが、題名だけが綺麗というところに僕の来年の課題をみつけたような気がしました。今年は有難うございました。そして来年もよろしくお願いいたします。

土曜担当…佐々木秀彦



2015年12月25日(金)
言葉に込められたもの・・・                 金曜担当…小笹正洋

以下少し長い引用となります。


京都の嵯峨に住む染織家志村ふくみさんの仕事場で話していた折、志村さんがなんとも美しい桜色に染まった糸で織った着物を見せてくれた。
そのピンクは淡いようでいて、しかも燃えるような強さを内に秘め、はなやかでしかも深く落ち着いている色だった。
その美しさは目と心を吸い込むように感じられた。

「この色は何から取り出したんですか」。

「桜からです」。

と志村さんは答えた。素人の気安さで、私はすぐに桜の花びらを煮詰めて色を取り出したものだろうと思った。
実際はこれは桜の皮から取り出した色なのだった。
あの黒っぽいゴツゴツした桜の皮からこの美しいピンクの色が取れるのだという。
志村さんは続いてこう教えてくれた。
この桜色は、一年中どの季節でもとれるわけではない。
桜の花が咲く直前のころ、山の桜の皮をもらってきて染めると、こんな上気したような、えもいわれぬ色が取り出せるのだ、と。

私はその話を聞いて、体が一瞬ゆらぐような不思議な感じにおそわれた。
春先、もうまもなく花となって咲き出ようとしている桜の木が、花びらだけでなく、木全体で懸命になって最上のピンクの色になろうとしている姿が、私の脳裡にゆらめいたからである。
花びらのピンクは、幹のピンクであり、樹皮のピンクであり、樹液のピンクであった。
桜は全身で春のピンクに色づいていて、花びらはいわばそれらのピンクが、ほんの先端だけ姿を出したものにすぎなかった。

考えてみればこれはまさに真実その通りで、樹全体の活動のエッセンスが、春という時節に桜の花びらという一つの現象になるにすぎないのだった。
しかしわれわれの限られた視野の中では、桜の花びらに現れ出たピンクしか見えない。
たまたま志村さんのような人がそれを樹木全身の色として見せてくれると、はっと驚く。

このように見てくれば、これは言葉の世界での出来事と同じことではないかという気がする。
言葉の一語一語は桜の花びら一枚一枚だと言っていい。
一見したところぜんぜん別の色をしているが、しかしほんとうは全身でその花びらの色を生み出している大きな幹、それを、その一語一語の花びらが背後に背負っているのである。
そういうことを念頭におきながら、言葉というものを考える必要があるのではなかろうか。
そういう態度をもって言葉の中で生きていこうとするとき、一語一語のささやかな言葉の、ささやかさそのものの大きな意味が実感されてくるのではなかろうか。
それが「言葉の力」の端的な証明であろうと私には思われる。


「言葉の力」/大岡信(著)より



縁あってベストなタイミングで出会う事になった書物ですが、言葉は言霊だと云われることが上記の文書から改めて確信しました。
また、言葉は発する人の分身であるということも決して大袈裟ではないとも思いました。
今まで以上に、言葉というものを大切にしていきたいと思います。

金曜担当…小笹正洋



2015年12月24日(木)
出まかせ                             木曜担当…西端努斗夢

私は時々、口から出まかせを言うことがあります。頭に浮かんだ言葉を何も考えず、そのまま口に出してしまうのです。
ところが、後で振り返ると、この出まかせの言葉が妙に核心をついているのです。何でこんなことが言えたのか、自分でも不思議に思うことがあります。

最近、読んだ本の中にその答えを見つけました。
「出まかせ」は「出任せ」で、「神様の口から出る言葉に任せること」が本来の意味だそうです。

出まかせは、優しい気持ちにならないと出てきません。

木曜担当…西端努斗夢



2015年12月23日(水)
師走にて                           水曜担当…冨樫功

もう、12月23日なんですね。

10日前にめずらしく東京に出張してたのが昨日のようです。


今年もあとわずかです。
今月も怒涛の勢いで日々が過ぎていきました。


12月22日には冬至を迎え、
これから日に日に日は長くなっていきます。


それなのに、寒さの本番はこれから。
これからの二月が一番寒くなります。


この微妙な時差。
これが興味深く感じます。


夏も、日が長いのは6月なのに、
暑いのは8月。


なんか納得がいきません。


一月を新春というのも謎です。
春の気配などみじんも感じないのに。


新暦、旧暦のずれを考慮しても、
本当の季節感とは一か月半くらいは後ろにずれてきている気がしています。                


そろそろ来年の計画をきっちり練りたいと思います!

水曜担当…冨樫功



2015年12月22日(火)
「最近の楽しみ」                        火曜担当…坂本欣也




最近は静岡での仕事が増えました。


来るたびに富士山と逢えるのがとっても楽しみです。

青天に映える富士山は、やはりどこから見ても絵になる「真善美」そのものです。

このような「真善美」に出逢うと、「自分は見守られている」と、とても安心した気持ちになります。

また、人との嬉しい楽しい時間を持っているときも、「自分はつながっている」と幸福な気持ちになります。

先日出張から帰宅すると、見知らぬ名前の方から私宛に、立派な柿の詰め合わせが届いていました。

同封の手紙の内容を読んで、「あー」っと、その送り主を思い出しました。

この夏に近所の小さな居酒屋で出会った、西吉野の柿農園主の方からの贈り物でした。

最近は、こんな想定外の身近な「真善美」との出逢いが、幸福で楽しくてしようがありません。

誰から見守られているのか、誰とつながっているのか、、、。

「不孤~孤ならず」ですね。

火曜担当…坂本欣也



2015年12月21日(月)
『中村天風 心が強くなる坐禅法 CDブック』      月曜担当…池田光




先週末に、『中村天風 心が強くなる坐禅法 CDブック』の見本が届きました。
山田博之氏が描く坐禅のイラストで、独特な雰囲気がでました。
また、福田和雄氏のデザイン力でインパクトのある本にしていただけました。
さらに、弊塾の西端努斗夢事務局長にはCDを制作していただくなど、
素晴らしいスタッフたちの力で、期待以上の一冊に仕上げていただけました。

25歳で天風先生の教えに出会って、35年。
中間決算となる一冊です。

中間決算というのは、これまでの歩みの締めくくりであり、
これからライフワークを始めるにあたってのスタートとなる一冊だということです。

たぶん、天風哲学を学んだ多くの方が抱いている「安定打坐法」のイメージとは、
次の点で違ったものになっているのではないでしょうか。

■多くの方は、ブザーやおりんの音が消えた瞬間の「無我無念」の境地に最大の価値を置いて、この境地を追い求めていると思います。
しかし、本書では、これを追い求めているだけでは「×」としました。

■本書では、「無我無念」を経ることによって得られる日常の心境に、最大の価値があると説きました。
日常の心境を練ることを「○」としました。
これがぼくの中間決算となる答えです。

そして、これを図解したのが、下の写真です。
さて、みなさまはどのような感想を持たれるでしょうか。
来年1月9日の潜学講座では、
「中村天風著『安定打坐考抄』を読む」
と題して、このあたりのことを軽くふれたいと思います。



月曜担当…池田光



2015年12月20日(日)
「静処より」                          日曜担当…八木正典

忙裡に閒(かん)を偸(ぬす)まん事を要せば、すべからくまず閒事に向って個の?柄(はへい)を討(たず)ぬべし。閙中(とうちゅう)に静を取らんことを要せば、すべからくまず静処より個の主宰を立つべし。然らざれば、いまだ境に因って遷り、事に随って靡(なび)かざるものあらず。(菜根譚)

忙しい中でも悠々としたければ、暇な時から揺るがぬ自己を確立すべきだ。
騒がしい中でも澄切った気分でいたければ、静かな時から確固たる主体性をつくるべきだ。
そうしなければ、環境や事象に振り回され全く主体性を失ってしまうだろう。



先週に続き忙しい状態が続いています。
なぜ時間がある時にもっと準備しておかなかったのか、もっと余裕がある時に手が打てなかったのかと自分の先見性の無さと実力の足りなさに愕然としてしまいます。
「何も咲かない冬の日は下へ下へと根を下ろせ。」という言葉の通り、時間がある時に絶え間なく自己を磨き続ける努力の大切さを今更ながら痛感しています。

日曜担当…八木正典



2015年12月19日(土)
鬼笑                              土曜担当…佐々木秀彦

鬼はいつも怒っています。そして恐ろしいのです。
『鬼』を調べてみますと、中国では幽霊のような意味であるようです。そして日本書紀では、「邪しき鬼(モノ)」という表記があったり、源氏物語でも「モノ」という読み方をしていたということでした。オニという読み方は平安時代末期ということらしいです。

Wikipediaでは…
「おに」の語はおぬ(隠)が転じたもので、元来は姿の見えないもの、この世ならざるものであることを意味した[3]。そこから人の力を超えたものの意となり、後に、人に災いをもたらす伝説上のヒューマノイドのイメージが定着した。さらに、陰陽思想や浄土思想と習合し、地獄における閻魔大王配下の獄卒であるとされた。
…と記載されております。


『来年の話をすると鬼が笑う!』
よく耳にする言葉で、この場合の笑うは「嘲笑」の意味で解釈されるのが普通です。
しかし!しかしです!!!怖くていつも怒ってる鬼を笑顔にするんです!!!
『笑う門には福来る』『笑う顔に矢立たず』こんな言葉に頼らなくても、笑顔が成功の近道だったり、幸福の道しるべだったりすることは誰もが実感するところです。

普通の人を笑顔にするだけで幸運に近づくなら…
常に怒った顔の怖い鬼を笑わせればどんなに大きな幸運となるのでしょうか?

過去への執着や、狭い了見での言葉ではなく、来年もしくはそれ以上の大きな未来の話を真剣に具体的に言葉にすることが、幸運への近道であるのは天風哲学でも理に適っていると感じます。


昨年まではそんなことを考えることはなかったのですが、今年は鬼が笑顔になってくれるなら、とにかく来年の話をたくさんしようとけっこうムキになっている自分がいます。それだけですでに楽しくなっている今年の歳末です。きっと来年も再来年も、こうやって来年の話を強引に話しはじめる僕の姿を見て、鬼は絶対に大爆笑をするはずです。鬼に笑い過ぎて涙が出てきたと笑い泣きさせて、鬼と一緒に笑顔で洗濯みたいな爽快な鬼笑いの実現のため、来年の話をみんなでどんどんやっていきましょう。

土曜担当…佐々木秀彦



2015年12月18日(金)
お誕生日を機に・・・                     金曜担当…小笹正洋

街はクリマスの飾りで賑わうと、今年もいよいよあと僅かだなという
気持ちになってきます。

その前に、「冬至」を迎えることになります。

毎年12月21日頃が冬至となるのですが、この日に陰の氣が最も極まり、
陰が極まった末に陽の氣があらわれてくる日でもあります。

「一陽来復」ともいわれ、お天道様が最初の一歩を踏み出すお誕生日です。


先日、手帳サイズのノートを購入しました。
読書メモとして使用するのが目的です。

このお天道様のお誕生日を機に、読んだ書籍の抜き書きを読書メモに残し、
悩みの種であった書籍の処分を思い切って断行していこうと考えています。

金曜担当…小笹正洋



2015年12月17日(木)
ハードルをくぐる                       木曜担当…西端努斗夢

私にはへそ曲りなところがって、「ハードルはなぜ跳び越えなければいけないのか?」と思うことがあります。ハードルを蹴り倒しても、下をくぐっても前に進むことが可能なのです。

生きていく中で現れるハードルもそうかなと思います。
そんなことを言うと、一所懸命頑張っておられる方にお叱りを受けるかもしれませんが……

地道な努力が苦手で、いい加減な私ですが、そのいい加減さも嫌いではありません。

木曜担当…西端努斗夢



2015年12月15日(火)
「共育」                             火曜担当…坂本欣也

「教授は能はざるも、君等と共に講究せん」

教えることはできないが、皆さんと一緒に学んでいくことはできます。

吉田松陰の言葉です。

互師互弟

謙虚で優しく、驕らず対等

教育ではなく、「共育」

「知恵によったり、戒めや務めによったりして、〔正しい見解はこれだ、トいうような〕物の見方〔の体系〕を構えてはいけません。自分を他人と比べて、「同じだ」といったり、または、「劣っている」「勝れている」と思ったりしてはいけません」
「スッタニパータ」第4章「アッタカヴァッガ」799番 『禅の言葉』(佐々木奘堂 編著)より 

私もこの姿勢にあやかりたいと思います。



写真:天川の淵

火曜担当…坂本欣也



2015年12月14日(月)
須磨の整理                          月曜担当…池田光

12月の初めに、大阪の事務所を整理しました。
ぼくの40代から50代の資料が大量にあり、
そのほとんどを捨てました。
すっきりしました。

引続いて、須磨の事務所を整理しています。
現在、整理を始めて5日目です。
写真は、この5日目の状態で、整理の目途がついた段階です。

こちらの事務所には、
ぼくの20代から40代の資料が詰め込んであり、
一仕事ごとに、丁寧にファイリングしてあります。
大阪の事務所の三倍以上の量があります。
これらのほとんどを捨てつつあります。

これまでは、資料に執着しておりました。
が、いまはそんな気持ちはなくなりました。
年内に須磨の事務所の整理を終わりたいと思っています。

月曜担当…池田光



2015年12月13日(日)
「忙」                              日曜担当…八木正典

12月に入り慌ただしい毎日を過ごしております。
忙しくなると余裕を失い効率ばかり求めるようになったり、出来るだけ安易な道をたどろうとしたりしている自分に気づきます。
忙しいという字は心を亡くすと書くと安岡正篤先生が話しておられます。
事上磨錬、こんな時こそゆったりと自分を振り返る時間を持ち、事を行いながら心を静めていく工夫をしていきたいと思います。

人は須らく忙裏に閒を占め、苦中に楽を存する工夫を著くべし。(言志耋録)

日曜担当…八木正典



2015年12月12日(土)
余韻                               土曜担当…佐々木秀彦

僕は映画が好きです。子供の頃ゴジラを見て本当に怖かった。子供向けの映画なはずなのに、画面が暗い印象で、映画の内容はあまり覚えていませんが、ゴジラを観た後しばらくは夜道が怖かったことだけはしっかり憶えています。

映画に関しては持論があります。前売り券を買って観に行くことです。映画の前売り券を買って財布に入れておくと、誰といつ観に行って、その後何処で何をするというというイメージを誰もが膨らませることでしょう!これも映画の価格の一部です。そして自由奔放にイメージを拡げて実際に映画を観た場合、やっぱりある部分は期待を裏切り、しかしある部分それ以上の感動を与えてくれるでしょう!これも価格の一部です。そしてさらに観終わった後、一緒に観た人と余韻に浸りながら会話する時間!これも価格の一部です。さらにその映画から受けた何かをその後の人生に活かすことも価格の一部です。前売り券を買って財布に入れておくことで映画は自分のものになるんです!
当日、金券屋で格安前売り券を買って映画館へすぐに行ったとしても、金券屋から映画館までの道程だけでも財布に入れてイメージするのと、映画館入口で当日券を買うのとは絶対違うような気がします。


先週の潜学講座の後、御堂筋を歩いて帰りました。黄金色に輝く銀杏がライトアップされてなんとも爽やかな風景でした。道行く人もみなさん思い思いに夜景を楽しんでいる雰囲気もいい感じでした。いい時間を過ごすといい余韻があるとしみじみ感じました。

冬の風吹く御堂筋 露の輝く並木道
イルミネーションキラキラと
インスピレーションさらさらと
歩みはしっかり一歩づつ
望みはでっかく闊歩する

押韻を踏みたくなったので、即興で作成してみたのですが、そんな気持ちになるぐらい余韻の心地良い夜でした。(韻を踏みたかっただけで、内容には大意はありません)

映画も、酒も、仕事でも、余韻を楽しめる時間の過ごし方をしていかなきゃいけないよと御堂筋のイルミネーションが囁きかけてくれている気がしました!それも勿論湧くわく本心塾の潜学講座の一部です。

土曜担当…佐々木秀彦



2015年12月11日(金)
探し物は何ですか?                     金曜担当…小笹正洋

今から約250年前の1768年12月11日は「白隠禅師坐禅和讃」
でも有名な白隠慧鶴禅師の命日です。


白隠禅師坐禅和讃

【原文書き下し】
衆生本来仏なり
水と氷の如くにて
水を離れて氷なく
衆生の外に仏なし
衆生近きを知らずして
遠く求むるはかなさよ
譬えば水の中に居て
渇を叫ぶが如くなり
長者の家の子となりて
貧里に迷うに異ならず
六趣輪廻の因縁は 
己が愚痴の闇路なり 
闇路に闇路を踏みそえて 
いつか生死を離るべき


【現代訳】
私たちは本来仏なのである。 
それは水と氷の関係のようなもので 
水がないと氷ができないように 
私たち以外に仏はないのである。 
しかし、私たちが仏であるにもかかわらず 
自分の外に仏があると思いあちこち探しまわっている。 
それは例えば水の中にいながら 
のどが渇いたと叫んでいるようなものである。 
また、裕福な家の子として生まれたのに 
貧しい里をさまよい歩いているのと同じようなものある。 
いつまでも迷いの世界から抜け出せずにいるのは
真実を知らないでいるからである。
迷いに迷っていて
いつ苦しみから離れることができるだろうか。



人の心と行動の流れは概ね、
【出来事】⇒【受け取り方】⇒【感情】⇒【行動】⇒【結果】
となると思います。

結果を変えようと思ったら、出来事は変えられないけれども
受け取り方なら変えられそうですし、そうすることで感情・行動も
自ずと変わってくるでしょう。

そのためにも、先ずはのぞむ結果を明確にしておきたいですね。

金曜担当…小笹正洋



2015年12月10日(木)
無題                              木曜担当…西端努斗夢

高校時代に野球部のマネージャーだった女性が他界しました。

練習で肉体も神経も極限まで追いつめられると、時には人に見られたくない弱さや醜さをさらけ出すことがあります。恥ずかしながら私は練習中にそんな恥ずかしい姿をさらけ出すことが度々ありました。
そういう姿を見られているからこそ、女子マネージャーは恋人や妻よりも無防備で接することができる存在でした。

通夜から帰ってお酒を飲んでいると、いろいろなことを思い出して……


心より冥福をお祈りいたします。

木曜担当…西端努斗夢



2015年12月9日(水)
魔術師に会った                       水曜担当…冨樫功
先日、魔術師を名乗る方が店に来られました。


手品の魔術師ではない、本当の魔術師だそうです。


魔術師といえば、思い浮かぶのが池田塾長です。

自伝の冊子によると、池田塾長が新入社員のころ、
上司に将来どうなりたいのかと聞かれたそうです。

そこで答えられたのが、
「魔術師になりたい。」


その真意をまだお聞きしてないのですが、
魔術師さんにもらった著書にその答えが書かれていました。

魔術の定義です。

「魔術とは、主体の意志のままに変化を引き起こす科学、技術である」
「魔術とは、意志のままに意識に変化を起こす術である」


これを読む限り、普通私たちが考えているおどろおどろしい魔術と、
実際の魔術はかなり異なっているようです。


本には、魔術の修行の方法も載っているのですが、
それが、天風師の心身統一法と同じものがたくさん!

例えば、机にものを並べて一瞬見て覚えるとか、
呼吸法、瞑想・・。


人間の修養法もいきつくところは同じなのかもしれません。


自分の思い通りに生きる。
それが、魔術と解釈できるのです。


そして、塾長は見事、魔術師になられたんだなあと思いました。                                 


12月5日には、潜学講座の講師を勤めさせていただく光栄にあずかりました。
拙い講義を聴いていただきありがとうございました!
懇親会もとても楽しく、この塾生でよかったと心から感謝です。

水曜担当…冨樫功



2015年12月8日(火)
継承                               火曜担当…坂本欣也

先日の日曜日、母の四十九日(満中陰)の法要が終了しました。
 

人の魂は亡くなってからも家族のもとに居続け、四十九日目で昇天する。

四十九日とは、単に亡くなった人のための儀式だと思ってきました。 

しかしながら、これまでは母が全てを取り仕切っていたこれらの一連の法要を、今回初めて自分でやってみて、その法要の意味がやっと分かってきた気がします。 

残された家族の悲しみが、愛別離苦から段階を経て解き放たれていくように、 

時間をかけて魂を天に見送り、また決意を新たに、それぞれの人生を進めるように、 

支えてくださる方々とのつながりを強く感じられるように、 

これらの法要が昔から存在するのだと。 

古来より伝わる仕来りには、それぞれに奥深い意味が存在することを実感しました。 

このような礼や儀も守っていくことも、恩返しになるのだと思います。

火曜担当…坂本欣也


2015年12月7日(月)
こころの添え木                        月曜担当…池田光




ぼくが45歳のときの話。

拙著の『自分の夢を実現できる人、できない人』(経済界)を読んで、感動してくれたという越智さんは、愛媛県松山市からぼくの事務所にやってこられました。

越智さんは、ぼくより年配の経営コンサルタント。
平成8年から、ミニ月刊新聞「こころの添え木」を発行されています。
知り合って以来、律儀に毎月2部ずつ送ってこられました。
何度か、ぼくのことも「こころの添え木」で取り上げてくださいました。
キーウィの季節には、彼が育てた段ボール箱いっぱいのキーウィを毎年送ってくださったり。

ところが、2年前のあるとき、彼から一通のメールが届きました。
「筋萎縮性側索硬化症」
という難病を発症したというのです。
この病は、全身の筋肉が委縮していき、物を飲み込む咽喉の筋肉や、呼吸する肺の筋肉が萎縮すると命が保てないという……。
「発病して、2年から5年の寿命だ」
ということが、メールに書かれていました。
また、
「左手がほとんど動かなくなった」
とも記されていました。
それでも、完全にダメになるまで、「こころの添え木」を発行し続けるという決意が添えられていました。
ぼくは、どう返事を返せばいいかわからないながらも、天風先生ならどう返事をするのだろうと考え、結局はぼくなりの思いを返しました。

先月も無事に「こころの添え木」は届きました。
が、最終頁に、
「疾病によりパソコン操作ができなくなり、来月12月で『こころの添え木』を廃刊する事になりました。長年のご愛読を心からお礼申し上げます」
と添えられていました。

最終号ではきっとご自身の病気のことに詳しく触れられるのだろうと思っていましたが、12月1日に届いた「こころの添え木」には、淡々と客観的な記事が書かれていただけでした。
そのことで、ぼくはよけいに寂しくなりました。
そして昨日、越智さんからいつものようにキーウィが届きました。
最終号であろうと、ふつうに時間が進んでいく……。
「ふつう」ということが、いちばんです。
大事なことを教えていただきました。

月曜担当…池田光



2015年12月6日(日)
「教うるは学ぶの半ば」                   日曜担当…八木正典

12月の潜学講座に参加してきました。

今回は何と初めて本心塾で講師をさせていただきました。
テーマは「陽明学と朱子学」で自分なりに分かる範囲でお話しさせていただいたつもりです。
終わった後、多くの人から多面的な感想や的確なアドバイスをいただき、自分自身にとって本当に大きな刺激となりました。自分では気付けない新たな着眼点が心に浮かび、更なる学びにつなげていけるとありがたい気持ちで一杯です。

後半は、冨樫先生の講義では、「奇跡の水垢離」とのテーマで水垢離を幅広い観点でお話しいただきました。
古事記の神々の話、水をエネルギーとして捉える話、水垢離のやり方から六方拝まで非常に興味が尽きない内容でした。その場で今日からスタートする方がいるぐらいで冨樫先生の強い思いが伝わってきました。
一緒に水垢離を行っているメンバーとして新たな知識を得て、気持ちも新たに水垢離を続けていきたいと感じました。

今回参加して多くの方から大きな刺激とエネルギーをもらうことができました。改めて本心塾の素晴らしさと縁に感謝です。

日曜担当…八木正典



2015年12月5日(土)
妖怪                               土曜担当…佐々木秀彦

僕はゲゲゲの鬼太郎は怖くて好きではないアニメでした。主題歌が流れると怖いので逃げたくなるのですが、結局最後まで見てしまうというのを毎週繰り返していたような思い出があります。

妖怪を調べてみますと、続日本記に『大祓、宮中にしきりに、妖怪あるためなり』という記述があり、紫式部や清少納言は『御もののけ』という言葉を遣っていたということでした。

『御もののけ』漢字で書くと物の怪、物の気。『物の気』と書くと実に分かり易いです。確かに野球部出身の僕は、スパイクやグローブをこれでもかというほど丁寧に磨いて試合に臨みました。どうやら日本での妖怪は人間以外のモノの気を敏感に感じ取って愛敬する心が根本にあって擬人化したということでしょう。
天狗、天邪鬼、海坊主、河童、座敷童子、等々間違いなく怖いのではありますが、その中に一本筋が通った感は確かにあります。

先日今西最高顧問が「車にも毎日お礼を言っているんだヨ」というお話をされていらっしゃいました。僕は車にはそんなに言葉をかけたことがなかったので、それからは車にも毎日言葉を掛けるようにして、さらにそこから今住んでいるマンションや冷蔵庫やお風呂や洗濯機らにも意識的に感謝の言葉を掛け始めていたことは、ある意味やっと妖怪達と仲良くできる第一歩を歩みはじめたということでしょうか。

宇宙の一部として人間が存在していて、他の人間すべてに愛敬の心をもって接していくとすれば、木や鉄等で作ったすべての道具も同じように宇宙の一部なのだから当然に気があり、それもまた愛敬すべきであると平安時代にはすでにみんなが知っていたからこそ『御もののけ』として妖怪は日本を守ってくれていて、さらにその心があったからこそモノづくり日本の現代の評価にまで繋がっているんだなと感じました。

これから年末恒例の大掃除を我が家でもやりますが、今年は『御もののけ』に対する感謝も込めてより積極的にがんばろうと思います。

土曜担当…佐々木秀彦



2015年12月4日(金)
思いどおりにいかないなら・・・               金曜担当…小笹正洋

“世の中は月にむら雲花に風
おもふにわかれ思はぬに逢ふ”


世の中そうは自分の思い通りには動いてくれないものでして、
こんなはずではなかったのにという期待外れが、待っているもの。

同様に、心配事も自分の中にため込んでいても、取り越し苦労なんてことも
多々あるものです。


人事を尽くして天命を待つ。


自分に出来ることを目一杯出し切れば、あとは最善の結果がツイてくる。                   

お金は使えば減っていきますが、能力は使うほどにツイてくる。


いつもそう信じています。

金曜担当…小笹正洋



2015年12月3日(木)
カン、コツ、ツボ                       木曜担当…西端努斗夢

『松下幸之助の経営問答(PHP文庫)』で「経営にはコツがあると述べられておられる松下さんに、ぜひともそのコツをお教えいただきたいのですが」という問いに対して松下幸之助さんは次のように答えています。
「これはね、教えて悟れるもんやないんですよ。私は経営は自得するもんやと思うな。自得するために、あるいは人の教えを聞くとか、あるいは自分で体験してみるということは必要ですよ。しかし、これは教えられるもんやないんですよ。これはもう自得せなしょうがないですな。(後略)」

経営に限らず、どの世界にも体得しなければわからない、言葉や文字にはできないカンやコツ、ツボがあると思います。
それを体得するために学びや実践があると、あらためて痛感しました。

木曜担当…西端努斗夢



2015年12月2日(水)
読書は瞑想である                      水曜担当…冨樫功

最近本を読む時間がありません。

物理的には、時間はあるにはあると思います。

でも、心がざわついていて、
静かに本を読む気分になれないのです。


自分にとっては本を読むことは瞑想と同じです。

文章を読んでいくごとに、
自分との対話が自然と起こります。


自分の中にあって、
まだ言語化できてない考えが浮かび上がってきます。


その発見は、人生の喜びの中でも最上位のものです。
僕にとっては、ですけど。


これを書いていて、改めて
意識的に時間をとって本を読む必要性を感じました。


からだに食べ物という栄養が必要なように、
こころには本という栄養が必要です。


毎日、1時間くらい時間をとりたいと思います。

水曜担当…冨樫功



2015年12月1日(火)
「父の一言」                          火曜担当…坂本欣也

「人間は大自然とつながり、そして宇宙とつながっている。みんな一つの塊だ。」

先日、父と二人で飲みながら話をしていたら、父がこの言葉を言いました。

私は、頭を何かで叩かれたような衝撃をもって、驚きました。

これまで、一度もそんな言葉を父から聞いたことがなかったからです。

えっ!!この人、天風先生を知っているの?!と一瞬思いました。

「それは、どこかで読んだの?」「誰かが言っていたの?」と尋ねると。

「そんな事、当たり前のことだ」
「いつの間にか自分の中に備わっていた信念だ」
と。

元国鉄マンの電気技術者で、生真面目で、大人しく控え目。
誰にでも優しく親しく接する性格。
真面目なように見えて、どこかトボケタところもある。

母が亡くなってから、より一層そのようにも見え、どこか達観したようにも感じる。

そして、本を一切読まない。

そんな父の一言で、酔いが一気に冷めました。

「人間は大自然とつながり、そして宇宙とつながっている。みんな一つの塊だ。」



写真:大峰山麓の洞川の役行者像

火曜担当…坂本欣也



2015年11月30日(月)
整理について                         月曜担当…池田光

早いもので、11月も本日かぎり。
明日から12月です。
ということは、今年もあと一カ月。
ぼくにとって、今年は転機の年でした。

還暦を迎えた4月以来、仕事部屋を完全に自宅に移しました。
その半年後の10月末に会社を解散しました。
いまは、大阪の事務所を整理しているところです。

まず、10月初めに、事務所の備品を親しい先生に差し上げました。
臓器移植というのがありますが、あの思いに少し通じるかもしれません。
大切にしてきたテーブルや机や書棚などを、次の方に生かしてほしいと。

次に、2000冊余りの本をブックオフに引き取っていただきました。
段ボール箱にして40箱弱。引越し代の足しになりました。
これらの本がどなたかの手に渡って行くと思うと嬉しいことです。

あとは、残った備品類や、多くの書類と書籍在庫と食器類ですが、
大半は処分することにしました。
残ったものを段ボール箱40箱くらいに詰めて神戸の事務所に移転します。
とにかく機密書類が多くて、シュレッダーにかけるだけで、数日を要しました。
ここ一週間ほど、泊まったり通ったりして片付けました。
本棚、机、イスなどと合わせて大量の廃棄処分品ができました。
12月2日に、引越し業者さんに移転と廃棄をしていただく予定です。

そして、何もなくなった部屋で、その翌日に税理士さんと経理処理をする予定です。
これでようやく、会社の処分がほぼ完了します。

整理する過程では、懐かしいものが出てきて胸がつまる思いがしました。
40代の働き盛りの頃に、徹夜して作成したコンサルティングの報告書や資料。
これらをすべてシュレッダーにかけて無くしました。
中には誰かに自慢したいようなものもありましたが、
すべては機密書類で誰にもお見せすることはできないので、
ただただシュレッダーにかけ続けました。

自分でも圧巻だと思ったのは、数年にわたったプロジェクトの報告書・資料で、
計ったのではありませんが、積み上げると2メートルを超えていたと思います。
このプロジェクトは、マーケティング・マネジメントに関するもので、
その過程で、独自の経営ノウハウが生まれました。
いつかその理論的な部分だけを抜き出して一冊の経営書を出版したいと思っていましたが、
忙しさにかまけてできませんでした。

その思い出を少し記すと、
かつて一部上場企業のMBOの監査を半年かけてやったことがあり、
MBOにまつわる普遍的な問題点を分析しておりました。
その知見を活かして、このマーケティング・マネジメントのプロジェクトでは、
MBOの問題点を克服するために「固定MBO+移動MBO」という概念を案出し、
数年にわたる経営実験をしました。
何千人という方々を巻き込んでの実験でした。
・固定MBO……トップダウンの、中期&年度という時間軸によるMBO
・移動MBO……ボトムアップの、三か月先行のローリングMBO
と位置づけることで、
ビジョンを核にしたダイナミックなモチベーション・マネジメントが形成されます。
これはまた、ビジョンによる求心力と、
ビジョンを核にした遠心力との微妙なバランスをとる経営で、
遠心力の先には、ターゲット層やカスタマーとの接点があり、
その情報を感度高く吸収し、応えていくというマネジメントでした。
これなどは、世に問いたい経営ノウハウでしたが、
「あの頃は徹夜の連続で頑張ったものだ」と懐かしみつつ、シュレッダーにかけました。

また、30代から40代にかけて、
月刊誌などに連載した経営に関する記事も大量にありましたが、
もはや何十年も前の古い記事なので捨てることにしました。
いろんな企業や人物などの取材に出かけたものでした。
また、小売店の売り場の理想を描いたぼくの妄想を、図解入りの原稿にしたら、
すぐに取り入れているお店があったりしました。
こうして、たくさんの文章を書き綴ってきました。
が、これらも一部ずつを残してシュレッダーにかけました。

ぼくが生産してきたもので残ったものは、書籍の形になっているものだけです。
結局、書籍しか残らないのかと、改めて思いを深くしました。
その書籍すら何年残るかわかりませんが、
すくなくとも、40歳のときに書いた中村天風の文庫本の2冊は、
20年経った現在も形を変えて書店に流通しています。
そう考えると、数十年は生き続けるかもしれません。

もし、「会社」というものを一代で終わらせることなく、
後継者に引き継いでもらえるなら、社会に残せる有形物はあるでしょう。
また、広い意味での教育活動を通して、人材を残すということもあるでしょう。
しかし、ぼくのような凡人には書籍くらいしかありません。

このような社会的に残すのとは別に、家族のなかで残すものはいろいろあるでしょう。
それが一番大切なものかもしれません。
が、何十年も社会のなかで活動してきて、社会に足跡を残せないのは淋しいものだと。
そんな気持ちもあります。

整理する作業は淡々としたものです。
しかし、整理する過程で湧き上がる思いは時空を超えています。
自分を見つめるには一番いい時間かもしれません。
写真は、廃棄処分品の一部です。
このあと、シュレッダーにかけたものが大量に加わって行きました。



月曜担当…池田光



2015年11月29日(日)
「忘るべからず」                       日曜担当…八木正典

われ、人の功あるも念うべからず、而して過ちはすなわち念わざるべからず。
人、われに恩あらば忘るべからず、而して怨みはすなわち忘れざるべからず。(菜根譚)

自分が人のために行ったことは心にとどめる必要はないが、迷惑をかけたことはずっと心にとどめていこう。人から受けた恩は忘れてはならないが、人に対する恨みはすっかり忘れてしまおう。


今週は非常に多忙な週でした。
仕事で多くの人の協力を得て、当初予定していた計画を何とか進めることができました。
一緒に働く仲間の大切さやありがたさを改めて感じた週でした。
助けていただいた人に対しての恩義をどこかでしっかりと返していく。
来週以降はその気持ちを忘れずに自分でできる最大の感謝を示していきたいと思っています。

日曜担当…八木正典



2015年11月28日(土)
大安                              土曜担当…佐々木秀彦

僕の従事する不動産の世界では、暦をかなり重視している業界だと思います。
契約や棟上げや引き渡しに大安を根拠に日付け設定することは日常茶飯事で、『先負』『先勝』だからと時間設定にもよく使います。

不動産業界に入ってすぐの頃調べたのですが、六曜の暦が流行したのは江戸時代末期で、明治政府は禁止令を出していたので、今のように暦が使われだしたのは実は昭和高度経済成長期あたりからということでした。僕も大古の昔から伝わる暦だからきっと深い意味があるはずと自分勝手に思い込んでいたので、今の暦はけっこう軽い風習だと知って愕然とした覚えがあります。

武田信玄は桔梗が原の戦で『先負』だったので相手方が油断しているだろうと早朝から攻撃を仕掛けて勝利したという有名なお話もあるくらいですから、確かに昔からそれなりに活用はされていたのでしょうが、解釈や運用は今とは違っていたのかもしれません。暦の発案は諸葛孔明だともいわれていますが、これも否定的な説があるということらしいです。

たしかに暦が正しければ、決勝戦が『大安』の日なら、両チームが優勝するでしょうし、大学入試日が『大安』なら全員が合格ということになるはずですが、現実はどちらかが準優勝で、やはり桜散るの報告も伝えられる訳です。

しかし不動産業界ということにおいては、家を購入するという千万円単位の買い物の決断を促すのに、暦は有効なアイテムとなります。また風水等々で表現される方位学ネタも、僕はけっこう活用することは正直かなり多くありました。
武田信玄や諸葛孔明が攻撃を仕掛けるタイミングとして、兵士に「今日は『先勝』じゃー誰より早く進めー!」っと鼓舞するのは有効だったのではと推測できます。
でもそこは頭脳明晰な明治政府です、『仏滅』に生産性が止まってしまう非効率的な悪習なんかは富国強兵の邪魔でしかないと禁止することにしたのも道理にかなう話です。


そんなこんなと偉そうな解釈を述べている僕ではありますが、ジューンブライドの6月でさらに『大安』を選んで婚姻届けを提出して結婚式をしたり、今年の11月15日は『先勝』だからと朝からはりきって七五三詣りをしたりするという僕のそういう部分はこれからもきっと変わらないだろうなと思います。

土曜担当…佐々木秀彦



2015年11月27日(金)
死後の評価とは・・・                     金曜担当…小笹正洋

もし自分が著名人であって、死んだときの新聞の書き出しに、

「死の商人、死す」

と載せられたとしたら、どうでしょうか?


死んだ後のことだから、そのことを確認できるかどうか分からない。

という人もいるでしょう。


しかし、実際にこんなとんでもない事件が起りました。


1888年にカンヌを訪れていた兄のリュドビックが死去しました。
この時、本人と取り違えて死亡記事を載せた新聞の見出しに書かれたのが
冒頭の書き出しです。

そして、本文には、

「アルフレッド・ノーベル博士:可能な限りの最短時間でかつてないほど
大勢の人間を殺害する方法を発見し、富を築いた人物が昨日、死亡した」

と載せられていました。


この出来事により、ノーベルは非常にショックを受け、死後の評価を
気にするようになったようです。


ノーベル博士といえば、ダイナマイトの発明で有名なスェーデンの発明家・
化学者・実業家でありますが、同時に物理学、化学、生理学又は医学、
文学、平和、+経済学の5+1分野で顕著な功績を残した人に賞される
ノーベル賞の創設者としても有名です。



1895年の今日(11月27日)、巨万の財産の大部分を投じて、
国籍に関係なく毎年授与するノーベル賞を創設するとした遺言状に
署名したのでした。

金曜担当…小笹正洋



2015年11月26日(木)
根拠のない自信                       木曜担当…西端努斗夢

立花大敬さんが以前、根拠のない自信を持つことが大切だというお話をされていました。
混迷を極め、先の読めない今の時代だからこそ、根拠のない自信を持つことが大切ではないでしょうか。

経験や体験、データなどの根拠に基づいた自信は誰でも簡単に持つことができます。しかし、何の根拠もなしに自信を持つことは簡単ではありません。

どこまで自分を信じ、宇宙霊を信じ切れるか?
根拠のない自信を持つカギは、そこにあると思います。

木曜担当…西端努斗夢



2015年11月25日(水)
おかげさまで                         水曜担当…冨樫功

自分の営む小さなお店が、
11月23日に一周年を迎えることができました。


去年のオープンの日には池田塾長が来てくださいました。

あれはかなり前のことのようでもあり、
昨日のようでもあります。

すべてが夢のようなそんな一年でした。


今西最高顧問をはじめ、
他の塾生の方々にもたくさん顔を出していただきました。
改めてお礼を申し上げます。


まだまだ大成功とはいい難い現状ですが、
次の一年、気持ちを新たにがんばっていきたいと思います。


そして気がつけば、来月の講座が目の前に迫ってきています。

開店後一年あれば準備ができるだろうと思っていたのですが、
学生時代から、ギリギリにならないと行動できないのが悪いくせです。


残り2週間を切ってしまいました。

八木さんと共に初めての講座を飾れるよう追い込んでいきます!                      

水曜担当…冨樫功



2015年11月24日(火)
「多国籍・多文化研修」                   火曜担当…坂本欣也

本日は、大手総合電機メーカーで、コロンビア、中国、マレーシア、ドイツ、韓国、アメリカからの参加者と研修の仕事です。

中国語、英語、日本語などが飛び交っています。

今の日本人や日本が、外からどのように観られているのか?を再確認できるので、私の好きな仕事の一つです。

最近日本社会や職場に外国人が増えてきていますが、それと共に異文化摩擦の問題も増加しています。

彼らと共に、日本が国として、企業として、個人として、より良い多文化社会を創っていく上で、何をしていくべきかを話し合う、良い機会になっています。

母国を離れ、日本の社会に貢献してくれている彼らに感謝です。

私の本心がワクワクしています。

火曜担当…坂本欣也



2015年11月23日(月)
『中村天風 心を強くする坐禅法CDブック』       月曜担当…池田光

天風先生が説かれた最高のノウハウである「安定打坐法」にテーマを絞って、原稿を書き始めて7か月。
何度も書いては没にし、無駄を削いだコンパクトな「入門編」をまとめました。

■『中村天風 心を強くする坐禅法CDブック』
■出版社 イースト・プレス
■もくじ 
・付録CD 「天風式坐禅法」の使い方
・第1章 「天風式坐禅法」の驚きの効果
・第2章  CDを活用した「天風式坐禅法」の実践 
・第3章 「天風式坐禅法」で心が強くなるメカニズム
■付録 天風式坐禅法CD(80分)付
■ページ数 一時間でマスターできる80ページの本
■2色刷り。イラストや図解などが入った読みやすい本
■発売日 2016年1月7日(年始から喝を入れることができます)
■定価 本体1400円+税
★すでに、アマゾンで予約受付中です。

入門編ではあるけれども、本格的な内容です。
世には、多くの中村天風に関する本が出版されていますが、
安定打坐法(天風式坐禅法)の解説書としては、初めての本です。
これまで、このテーマの本格的な本がなかったのは、
坐禅の体験を経、その体験を見つめることなしには書けないからです。
最後は自分の体験だけが頼りなのです。
だから、敬遠されてきたのでしょう。

■本書は、これまでどうすれば安定打坐法をうまく行えるのかと悩んできた人には、救いの書になると思います。

■安定打坐法に精通している人には、大胆な解説に驚きを感じることでしょう。

とはいえ、紙幅80ページという制約のなかでの解説であり、
言いたいことを詳細には書き尽せていません。

そこで、言いたいことを全部書き尽した「専門編」を出版しようと準備を進めています。

現在、執筆前の基礎を固めている段階で、天風先生の『安定打坐考抄』の現代語訳を行っているところです。
若い読者にはこの本を読むことは困難だろうし、文語体の原文を読めというは酷でしょう。
さらに、残念なことに『安定打坐考抄』には誤植が見られます。そこで、違う版を突き合わせて比較し、誤植を正すところからスタートしています。
(なお、現代語訳して得られた成果は、来年1月の潜学講座でお話します。)

ただ、書きたいことをすべて書くと、一般受けはしにくいでしょう。
しかし、誰に遠慮することなく、書きたいことをすべて書きたいので、
「専門編」は、ぼくの出版社からいずれ出す予定です。

まずは、もうすぐ発売される『中村天風 心を強くする坐禅法CDブック』で驚きを味わってください。
そして、もっと深く知りたいという探究心が湧いてこられたら、いつか発表する「安定打坐法」の専門編をじっくり味わっていただけたら幸いです。

【付記】故・杉山彦一先生に捧ぐ
今回の本を書きながら、ぼくはやはり天風会第四代会長の杉山彦一先生に影響を受けていると、はっきり確認できました。
ぼくは若いころ、二泊三日の天風会修練会を三十回担当させていただきました。
毎回、杉山先生に主任講師をお願いしました。
一時間から二時間の講義を、5講座受け持っていただくのです。
ぼくは事務局席で一所懸命にノートをとりました。
そして、夕食後や、その日の修練が終わった夜に、たまに杉山先生のお部屋に伺い、分からないところを質問させていただいたものです。
杉山先生はお部屋で、たいてい天風会の機関誌『志るべ』の原稿を書かれていました。

何度か、杉山先生からお部屋にお呼びがありました。
『志るべ』に掲載された杉山先生の原稿をすべて読み、これを編集して、230ページの本を作ったことがあります。
ぼくの28歳のころです。
この本を杉山先生は大変評価してくださり、お部屋に呼んでくださって、過分なお褒めの言葉をいただいたものでした。

あるとき、杉山先生から呼ばれて、安定坐打法について教えを個人的に受けたことがありました。
ぼくがあまりに「無我無念」の境地に達することに一所懸命になっていたので、これをあぶなかしく思われた杉山先生が、安定打坐法のほんとうの目的を分かりやすく教えてくださったのです。
その教えは、最近になって明確に分かるようになりました。
そういうことだったのかと、今では理論的な背景も含めてすべてが分かります。
その教えのポイントを、『中村天風 心を強くする坐禅法CDブック』に書かせていただきました。
多くの方は、ここを理解されていないようです。
杉山先生の教えがなければ、今回の本を書くことはできませんでした。
そして、おそらく杉山彦一先生を正しく引き継いでいる弟子は、ぼくだろうと思います。
この本を、杉山先生の御霊に捧げたいと思います。

月曜担当…池田光



2015年11月22日(日)
「自己」                            日曜担当…八木正典

今の世に処して何らかの不安焦燥を感ぜぬ者はないが、自己を棚上げしている限りは絶対に救われません。もっと真剣に自己に対しなければならぬ。

安岡正篤さんの言葉です。
「自己に対する」ということは分かっていてもなかなか難しいものです。
自分では自己責任を意識しているつもりでも、どこかで甘えが出てきたり、人に依存したりしてしまい、後から自分に言い訳をしていることに気付くのです。
そのたびに反省、やり直しの繰り返しです。
少しでも改善していくことを考えながら、今日もまた一歩踏み出していきます。


おのれあしきを作さば
おのれけがる
おのれあしきを作さざれば
おのれ清し
けがれと清浄とは
すなわちおのれにあり
いかなるひとも
人をば清むる能わず  (法句教)

日曜担当…八木正典



2015年11月21日(土)
読書                              土曜担当…佐々木秀彦

50歳になった今年、気が付けば本に接する時間が増えました。
僕は子供の頃、本が好きな子供でした。幼児期の絵本から始まり、小学校低学年の頃はシートン動物記やら日本昔話やらドリトル先生航海記やらニルスの不思議な旅やら次から次へと題名がすらすら出てくるから不思議です。

中学生の頃は学校の図書館で多くの本を借りました。授業中に先生の話を聞かないで自分勝手に本を読んでいる子だったのです。学校の先生を全く信用しない屈折した反抗期を過ごしただけなのですが、星新一やら集英社のコバルトシリーズやらテレビドラマの原作やらなんでも拘りなく読んでいました。

そして19歳の頃役者を目指して上京して、ホン(台本です)を読むのが本業になりました。劇団文学座という劇団に所属していたこともあり、三島由紀夫やシェークスピア等々、与えられた台本を読むだけでは到底理解できない深さをもった作品に数多く触れる機会があったため、関連するという話を訊けばとりあえず読んでみることで役作りをしていました。
時代も国も違う作品の登場人物の発するセリフを理解するには、その時代のその国の他の小説や戯曲を読むことで何とかその行間の意味を推し量って作っていくしか僕には術がなかったのです。

しかし、38歳で役者を辞めて京都へ戻ってサラリーマンになってからは読書を全くしない生活となっていました。

そして今年50歳になって湧くわく本心塾の皆様に出会ったのが機会となって、再び本が身近になりました。
『禅の言葉』はいきなり書き下し文・原文という表記法であったため、学生以来の漢文だったことに目がクラクラして、とりあえず音読するという読書をしました。
『働く君に贈る中村天風の45の言葉』は今千葉に住んでいて人生の壁を一所懸命に乗り越えようと頑張りすぎている従姉妹に贈ることを想定して読み始めました。
『運命と立命』は50歳の知命の意識を深めたくて読み始めました。
『中村天風の生きる手本』は池田塾長のお話を伺うことによって、他の方の視点から表現される中村天風はどうなのかと好奇心が湧いて、宇野千代女史を選びました。
『ネクスト・チャンス』は読んですぐ内容に紹介されていた建物を確認しに走りました。
その他にも会社設立に沿って、中之島図書館で目に付いた本を数冊借りて、結果的にイメージを膨らませるのに役に立ったり、準備のヒントになった本もありました。

さらにこの先、出会う本によって僕がいったいどんなアクションを起こすのか?今、楽しみが大きく大きく拡がっております。

土曜担当…佐々木秀彦



2015年11月20日(金)
地球さん、もう少しの辛抱です・・・            金曜担当…小笹正洋

今、自分たちが生活している世の中は、どんな世の中なんでしょうか。
政治が支配している世の中、経済が支配している世の中。。。

本来は、大自然の下に生活していて、政治や経済は生活を円滑にするための
手段だったのではなかったでしょうか。


そんな事を考えさせてくれる映像に出会いました。

南米ウルグアイのムヒカ大統領のスピーチとインタビューです。
(2本合計で30分程度です)


【世界で最も貧乏な大統領の世界一素晴らしいスピーチ】
https://www.youtube.com/watch?v=heXus7A7Q_Y

「貧乏な人とは、少ししかものを持っていない人ではなく
無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」



【ムヒカ大統領インタビュー】
https://www.youtube.com/watch?v=GIJk2R9Wsog

「本当のリーダーとは自分を超える人材を残すこと」」



発展よりも、幸福を。
膨張ではなく、成長を。


自分たちの次の世代にこの地球を残していくには、地球の住民一人一人が
少しずつ考え方を変えていく必要があると思います。

金曜担当…小笹正洋



2015年11月19日(木)
好きの力                           木曜担当…西端努斗夢

『損得よりも「好き嫌い」の方が、生み出すパワーが大きいんです。人間だから損得勘定は考えるよ。でも自分もそうだったけど、やはり好きの力が損得に勝る。』

これは、プロサッカー選手・三浦知良さんの言葉で、日本経済新聞に掲載されていました。
私も同感です。独立して15年、ここまでやってこれたのは「好きの力」によるものです。
当時勤めていた会社に残リ、その気になればそれなりに出世していた自信はあります。損得勘定だけで考えれば、残っていた方が得だったのかもしれません。しかし、仮に過去に戻ることができたとしても同じ選択をしていたと思います。

木曜担当…西端努斗夢



2015年11月17日(火)
「ナマステー」                         火曜担当…坂本欣也

今週は宇部新川で仕事でした。
(ちなみに、宇部新川は、ユニクロの発祥の地とも言われています)

前泊し、新しく開店したインド料理店で美味しいカレーを夕食にいただきました。

そして、私も訪れたことのあるオールドデリーの出身だという店員さん達と仲良くなりました。

今まで、「こんにちは」という意味で使っていた「ナマステー」について、「『ナマステー』とは本来どんな意味ですか?」と、素朴な質問をしてみました。

すると、サンスクリット語の「ナマス」と「テ」という二つの言葉で成り立っていると教えてくれました。

「ナマス」は、尊敬するという意味
「テ」=尊敬するあなたという意味

その後、「ナマス」という言葉を調べてみると、「ナモ」や「ナマハ」という言葉に変化すると分かりました。

意味は、放棄する、全託する、仏教では帰依するという意味になるそうです。

私(の家)は浄土真宗ですが、小さいころから唱えていた「南無阿弥陀仏」の「南無」の漢訳の語源もここから来ていたのだと分かり、嬉しくなりました。

「大いなるもの・神仏を信じ、お任せする」

そして、「ナマステー」と言う時にする、「合掌」の意味も分かりました。

右手は、ブラウマン(パラマートマ)、つまり「梵」=宇宙の真理・根源、神
左手は、アートマン=我の中に宿る大いなるもの、神
を意味し、その二つを合わせるという表現。

つまり、「梵我一如」「神人冥合」です。

天風先生が仰られた、「私たちは宇宙霊の直接分派」にも通じます。

これにも、嬉しくなりました。

そして、思い出したのが、蓮の花です。
手と手を合わせて、合唱しているように見えませんか?

ナマステ―



火曜担当…坂本欣也



2015年11月16日(月)
無題                              月曜担当…池田光

超能力信仰のようなものがある。
何度か、
「池田さんは超能力があるのですか」
と訊かれたことがある。
そのたびに、まったくありません、と答えている。
ぼくは、できるかぎり超能力の議論を排斥しようとしてきた。

ところで、ぼくに超能力があると言えば、あると言える。
十代の頃から、意識の拡大を求めてきたぼくは、不思議な体験を何度もしている。
いちばん苦しい状況では、必ず救いの手があり、神様がいらっしゃるとしか思えない。
意味ある偶然の一致という現象は、頻繁に起こる。日々起こっている。
なので、ぼくのまわりは常に超常現象で満ちているとも言える。
が、「ぼくには超能力はないし、超常現象もありません」と言ってきた。

ところが、「悟り」という現象についてだけは特別で、
若い頃から僕は懼れのようなものを感じていて、
悟った人は超能力があるのではないかとさえ思った。
「悟り」という文字がついた本をずいぶんと読んできた。

悟り……なんだ、こういうことか、と思ったのは最近のことだ。
これでぼくは「とらわれ」から解放された。
この一点がなれければ、安定打坐法についての著作をこれから出すことができなかった。
2016年はこのテーマで2冊出したい。

月曜担当…池田光



2015年11月15日(日)
「水の結晶」                          日曜担当…八木正典

先日、何となく図書館をぶらついていて、何故か引き寄せられてある本を手に取りました。
江本勝さんの「水は答えを知っている」です。

これまでいろいろ人の書籍や話で、水に言葉をかけると結晶の形が変わるという話を聞いてました。特に「ありがとう」と「バカヤロウ」で結晶の形がまったく違うと。
今考えれば、皆さんは江本さんの研究のことを言っていたのだと思いますが、今さらながら
本を手に取り、写真を見たのです。

実際の写真で形を見るとかなり衝撃的です。全然違います。百聞は一見に如かずです。
「愛・感謝」、「ありがとう」の言葉を見せたものや、クラシック音楽を聞かせたものは本当にきれいな結晶をしています。
その中でも驚いたのは、天照大神を見せたとされる結晶です。美しく反射するような形は荘厳で気高いものを感じさせます。

言葉は言霊と言いますが、改めて自分が発する言葉や思考に高い意識を持つ必要があると感じた瞬間でした。

日曜担当…八木正典



2015年11月14日(土)
愛敬                              土曜担当…佐々木秀彦

『男は度胸!女は愛嬌!』

物心ついた頃から頻繁に聞かされた言葉です。この愛嬌という言葉、室町時代頃は愛敬と表記し、あいぎょうと読んでいたのが、あいきょうと清音化していく中で、徐々に敬の意味が薄れて嬌の文字を用いられることが多くなった言葉だそうです。


さて、それでは君子に大切な仁と礼とはどういうものであるか。仁者は人を愛し、礼を知る者は人を敬する。だから常に人を愛し、人を敬する心を失わぬを仁礼というのである。(中略)万人万様それぞれ違うけれども、考えてみればみなわが同胞であり、われと一体なるものである。だから誰を愛さなくてよい、敬さなくてよいというものではない、みな愛し敬すべきものである。思うに衆生を愛敬するということは、そのまま聖賢を愛敬することに外ならない。(中略)要するにわれわれは常に、日常経験するところに従って、愛敬の心を存してゆけばよいということになります。
――安岡正篤師講録 『運命と立命』より抜粋――


愛敬とはそういう真意の言葉だったのですか?なるほど大和撫子がそこを価値として生きてきたなら、日本文化の奥ゆかしさは当然のように納得できます、凄いです。愛嬌があるというのは、いつも笑顔で柔らかい雰囲気と表面的にだけ捉えていましたが、本来の愛敬の心として、常に人を愛して、人を敬する心をもってすれば、自然に本物の笑顔でどんな時にもあたたかく接することができるでしょうから、結果的には僕たちがイメージしていた状況にはなるわけです。

愛敬が源氏物語では、夫婦の和合という意味で使われていたということも、なんとも素敵な表現だと、うれしくなってきます。


度胸も当然ながら隅に置く気は毛頭ありませんが、同時に愛敬は度胸以上に大きく存していきたいと思います。

土曜担当…佐々木秀彦



2015年11月13日(金)
門と道・・・                          金曜担当…小笹正洋

・みんなと同じことはしたくない。
・自分ひとりでもやる。

付和雷同的でない点では似ているようですが、
まったく意味が違います。

前者は行動しない人で、後者は実行する人です。



狭い門から入りなさい。
滅びに至る道は大きく、かつ広く、
ここから入る者が多いのだから。
(7章13節)

命にいたる門はなんと狭く、道は細く、
それを見つける者の少ないことであろう!
(7章14節)


イエス・キリストの教えで、新約聖書マタイ福音書の中に
記載されています。


寄らば大樹の陰などという有り難くもお気楽な諺もありますが、
大樹の下(大きな組織の中)だからと安穏としているとしたら、
非常に危険なことだと思います。

特に、昨今起こっている事件や事故を見聞きしていると尚の事です。

拠って立つべき場所は大切ではありますが、あくまでも自分自身の足で
立ち歩いていくことです。


今こそ呼び覚ましたい、「独立自尊」の精神を!

金曜担当…小笹正洋



2015年11月12日(木)
太陽の恵み                          木曜担当…西端努斗夢

岩の上に座っている私に紫の光。

兵庫県高砂市の生石神社にお参りした後、裏山で座っていたところを知人が撮影してくれていました。気に入ってフェイスブックのプロフィール写真にも使わせていただいています。

写真を見ていると、太陽の光が絶え間なく降り注いでくれています。
日頃当たり前のように思っていますが、私たちは計り知れないくらいたくさんの恵みをお日様から受けているのだと、気づかせてくれます。


あらためてお日様に感謝!

木曜担当…西端努斗夢



2015年11月11日(水)
高揚と反動                           水曜担当…冨樫功

最近とてもうれしいことがありました。

久々に興奮状態が持続して、
まさに絶頂を味わいました。


人生、なんでも来い。
どんと来い。

俺はどんなことでもできる。
力の結晶だ!


そんな思いの中にいました。



しかし、今はその高揚も落ち着きました。


落ち着くと、
不思議とむしろ普段より低いテンションになってしまいます。



度を超えた高揚は、反動も大きい。



孔子の理想の境地、心の欲する所に従えども矩を踰えず。


その言葉の味わいがまた少しわかったような気がします。

水曜担当…冨樫功



2015年11月10日(火)
「引き寄せ」                          火曜担当…坂本欣也

今年4月、埼玉の熊谷を仕事で訪れました。
小料理屋で一人夕食を取っていたら、常連客の方とお友達になりました。

その方から、奈良を訪れられるという連絡があり、私が談山神社と三輪神社を案内しました。

埼玉で知り合った方と私の故郷で再会。
なんという幸運、ご縁でしょう。

そして、ちょうど一年前の紅葉の時期に、父母との最後の小旅行の地となった談山神社。
その足跡を、感慨深く歩きました。

引き寄せ、引き寄せられている感じがありました。


火曜担当…坂本欣也



2015年11月9日(月)
無題                               月曜担当…池田光

先週の金曜日に、
三宮の古書店「A書房」に立ち寄りました。

年配のご婦人が本を売りに来られていました。
大型の本らしく、店主から、
「大きな本は売れないんです。こちらの本は、売れなくて、ぼくらもお客さんに無料でさしあげたりしているんですよ」
と言われ、ご婦人は残念そうに、
「重いので、こちらで処分していただけませんか」
と。
すると、店主は、
「そうですか。それなら、この本をなんとか役立たせていただきましょうか」
と。

そこまでの会話を聞いた時、ぼくはどんな本だろうと、カウンターを見ました。
すると、なんと、ぼくが欲しいもののリストに入れていて、高価なためにまだ買っていない学術的にも評価が高い貴重本がパッと目に入りました。
厚さ7センチくらいある本で、しかも状態がとても良く、これなら2~3万円で売れます。すでに絶版で、状態が悪いものなら1万五千円ほどで古書店で並んいる本です。とはいえ、珍しい本なのでなかなか出会えませんが。
ちなみに、アマゾンマーケットプレイスを調べると、2冊出品されていて、35,000円と、39,880円でした。
ほかの本はこの本より薄くて、背文字が見えませんでしたが、5冊ほどありました。もしかしたら、貴重な本があったかも知れません。

引続き店主は、
「電車賃程度ですが」
とレジから200円ほどを取り出して、そのご婦人に渡していました。
内心は、しめしめ、といったところでしょう。
これでは詐欺商法です。

一瞬、ご婦人にアドバイスをしようという衝動が起こったのですが、
すでに古書店にはぼくの名前を知られていて、そのまま見過ごしてしまいました。
その罪悪感のようなものもあり、ぼくの耳には、
「それなら、この本をなんとか役立たせていただきましょうか」
という店主の空々しい言葉が響き続けました。

月曜担当…池田光



2015年11月8日(日)
「潜学講座」                          日曜担当…八木正典

少にして学べば、則ち壮にして為すことあり。
壮にして学べば、則ち老いて衰えず。
老いて学べば、則ち死して朽ちず。


11月の潜学講座に参加してきました。非常に楽しく魅力的なものでした。
今月は小笹先生の「呻吟語」と坂本先生の「日本の外交史①」の二本立てで素晴らしい講義でした。
「呻吟語」については呂新語の思いをさまざまな角度から分析して重要なエッセンスを分かりやすく教えていただきました。特に第一級の人物の説明で「治まる」と「治める」との話をいただき「治まる」ことの重要性になるほどと感じ入りました。
また、充実した人生を過ごすための項目では
「老ゆるは嘆くに足らず。嘆くべきはこれ老いて虚しく生きるなり。
死するは悲しむに足らず。悲しむべきはこれ死して聞こゆるなきなり。」
と今後生きていく上で考えるべきことを学ばせていただきました。

坂本先生の日本の外交史については中国、韓国、日本のつながりをBCからの流れを教えていただき、世界の歴史を改めて学ぶことが出来ました。歴史上のいろいろな点でつながりがあり、それによって今があるという歴史上の大きな流れをつかむことが出来ました。歴史の大局を?みながら今をとらえるという思考を身につけたいと感じました。

今回学んだことを大切に生かしこれからの世界情勢の見方に活かしたいと思います。
自分では気づかない多くの見方を教えていただき本当に感謝です。

日曜担当…八木正典



2015年11月7日(土)
白鳥                               土曜担当…佐々木秀彦

日本武尊が能褒野の陵墓に葬られたあと白鳥となり、大和琴弾原、河内古市を経由して天に昇って行ったという記載が日本書紀にあるということなのですが、この記載によらずとも河内古市という場所のある大阪の羽曳野市というところは御陵の多いところです。

僕は不動産関係の仕事をしているのですが、土地を売買するときには埋蔵文化財包蔵地であるかどうかは必ず調査しなければいけない事項です。そしてそこが埋蔵文化財包蔵地に指定されていた場合、自治体の教育委員会によって試掘調査を強制される場合もあります。この試掘調査は形だけの調査をされている自治体も多々あるのですが、羽曳野市は勢いが違います。町興しという言葉はどこでも頻繁に使いますが、羽曳野市の遺跡発掘にかける姿勢は凄いです。通常は埋蔵文化財包蔵地に指定された地域だけを試掘しますが、羽曳野市は市内全域300㎡以上の土地開発の場合はすべてが試掘の対象となります。日本武尊時代の痕跡を何かしら見つけたいという意識が存分に伝わってくるのです。文字通り町の埋もれた資産を掘り起こしているということです。

土地には歴史があります。今自分が住んでいる場所はその前は何が建っていて、その前はどうで、100年前はどんなところで、500年前はどんな場所だったか、誰でも多少は興味あるでしょう。それが2000年前のモノまで出土するかもしれないロマンなのですから、これが本来の姿勢だと感じました。

大阪市の場合は中之島図書館(現在は閉館中)に行けば1959年以降の住宅地図ならいつでも見ることができます。仕事柄、埋蔵文化財包蔵地ではなくても土の中から何か出てくる可能性があるかないかの調査でそういう過去の土地の状態はできうる限りの調査はするので、それはけっこう大変ではありますが、同時に非常に面白いところでもあります。

日本武尊の白鳥が何故に直接天に昇らず、大和琴弾原、河内古市を経由したという記述になったかはわかりませんが、白鳥が寄り道したくなっても不思議ではない意味がきっとそこにはあったのでしょう。土地のそういう魅力をなるべく発見できるように、今後も精進してまいります。

土曜担当…佐々木秀彦

2015年11月6日(金)
ゆたかさ                            金曜担当…小笹正洋

“貧乏の元手となるは色と酒
   家業不精に慾とおごりと”


お金に苦労しているときや、財布の中身が寂しいときは、
上記の一首の中のどの句かが当てはまってきたのでは
ないでしょうか。

貧困からは逃れたいし、豊かな生活を手に入れたいと
誰しもが願うものでしょう。

そのために必要なものは、物質的な豊かさそのものではなく、
豊かさを作り出せる心、今の自分は恵まれていると感じられる心
なのではないでしょうか。

金曜担当…小笹正洋



2015年11月5日(木)
酒は静かに飲むべかりけり                 木曜担当…西端努斗夢

歌人・若山牧水の「白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の 酒は静かに 飲むべかりけり」という短歌に出会ったのは高校生の時で、私がお酒を飲むきっかけになりました。

気の合う仲間と騒ぎながら飲むお酒や、心ときめく人と語り合いながら飲むお酒も幸せな気分にしてくれますが、たまにはひとり静かにお酒を飲むのもいいものです。

今宵は芋焼酎のお湯割りをいただいています。

木曜担当…西端努斗夢



2015年11月4日(水)
この世で生きる目的                     水曜担当…冨樫功

「あなたは今まで、じっと立ち止まって、
自分はこの地上に何をしに来たのだろう、
と考えてみたことがありますか?
人間として生きる目的とはなんでしょうか?

答えはとてもシンプルです。
私たちはみんな同じ目的を持っています。
つまり、〈成長・進化する〉ことが人生の目的なのです。

あらゆる〈生命〉は、大きくなることを目指しています。
少しのあいだ、まわりを眺めてみてください。

花や木が大きくなるのをやめる時、それらは死ぬでしょう。
それは人間にとっても同じことです。

すべての人間は成長し、進化し続けなければなりません。」

『〈からだ〉の声を聞きなさい』リズ・ブルボー P10


いきなり、引用させていただきました。
最近読んでとてもよかった本です。


リズ・ブルボーさんはカナダ人の女性なのですが、
女版中村天風とでもいえるような豪傑。


そして、この本は、女性版『運命を拓く』とも言えるような本です。

引用した部分もそうですが、全体の考え方、構成も似ています。
本文があって、章の終わりにアファメーションの言葉が載っています。


〈からだ〉に関する本かと思って手にしたのですが、
からだの話は三分の一程度で、あとは心の持ち方や哲学になっています。



一番感銘を受けたのが「愛の三角形」という考え方です。

・私が自分自身を受け入れる
・私が他の人たちを受け入れる
・他の人たちが私を受け入れる

三つの辺はどれも同じレベルであり、
どれか一つが突出しているということはない、とのことです。


どの一辺をみても、そのひとの三角形の大きさがわかります。




日々精進して、少しでも大きな三角形になれるよう心がけたいと思います。 

水曜担当…冨樫功



2015年11月3日(火)
「富士の山」                          火曜担当…坂本欣也




晴れてよし、曇りてもよし、富士の山

もとの姿は変わらざりけり

天風先生が好まれた歌ですね。

頭山満翁が尊敬された幕末三舟の一人、山岡鉄舟が残した詩とか。

周囲がどんな状況環境であっても、あるがままの姿は変わらない
心は常に静かで、明鏡止水の状態でなければならない
真理は微動だとせず普遍である

という意味だと解釈しますが、

「富士の山」自体も、万物流転の一部分
「富士の山」そのものもにも、囚われてはいけない
その奥底に存在する、目には見えない本質を捉えなければならない

という意味もあろうかとも、、、

家族にとって「富士の山」だった母が旅立って一週間、
そんなことをぼんやりと思いました。


写真
天風先生直筆の富士の山
先週、新幹線の中から撮影できた、富士川の鉄橋越しの富士の山

火曜担当…坂本欣也



2015年11月2日(月)
無題                              月曜担当…池田光

整理を始めてから6、7年になりますが、
これまで、どれだけ、いろんなものを積み上げてきたか、
つくづく感じます。
整理しても、整理しても、床が見えない荒れた部屋のようで……。
一人の人間がここまで散らかして申し訳ない気持ちになります。
が、床が少し見えてきました。

ぼくにとって整理することは、
・モノの整理
・未整理なままの知識の集大成
の二つです。

後者については、
まずは天風哲学をここ数年で集大成しようと進めています。
来年初旬に、「安定打坐法」についての小さな本を発表します。
読むのに一時間もかからないと思いますが、
まとめるのに半年かかりました。
ぼくにとって天風哲学の新たな一歩を踏みだす特別な本です。
来年、この本が出版されたら、
みなさまとコミュニケーションしたいと考えています。

月曜担当…池田光



2015年11月1日(日)
「仮己と真己」                         日曜担当…八木正典

仮己を去って真己を成し、客我を逐うて主我を存す。是をその身に獲われずという。
                             言志後録87

久々に中村天風先生の神人冥合のCDを聞きました。
神人冥合とは、「大自然の持つ神秘の力を、十分に自分のものとして、人間の心の働きを超特的に向上して、自己の人生を万物の霊長として遺憾なく確保しようというのが目的」とのことです。
そのために常に積極的な心を保持し、雑念妄念を除き去ることが大事だと言います。雑念妄念を取り除いた時に、実我境が表れ、心が進歩し向上していくのだそうです。
簡単にできることではないですが、あらゆる機会を通して、その身に獲われず真の自己を発揮できるように努めていきたいと感じました。

日曜担当…八木正典



2015年10月31日(土)
海輝                              土曜担当…佐々木秀彦

昨夜も美しい月が輝いておりました。
さて、最近宇宙ばかりに最近目が行っていたので、今日は海を感じてみようと月を眺めながら思いつきました。

僕の父は長崎県五島列島、母は熊本県天草上島の生まれで、海の遺伝子は身体に脈々と生きている感覚は常にあります。物心ついたあたりから泳げなかった記憶はなく、特に練習しなくても水の中ならけっこう思い通りに動けました。中学校の水泳大会では野球部の僕でしたが水泳部の選手より泳ぐのは早かったです。

そしてそんな僕の心に響いたものにアニメの『海のトリトン』があります。
手塚治が原作で、主役の正義の少年トリトンが悪役ポセイドン一族を征伐するストーリーのはずが、最終回に結果的に真面目にひっそり深海に生きるポセイドン一族を全滅させた悪役となってしまっていたという現実を突きつけられるシーンが印象的に残っております。

ギリシャ神話ではトリトンは海の神様で、有名なポセイドンの息子です。
全日空の青い機体の色はトリトンブルーと言って、海の波を自在にコントロールする能力をもつトリトンが海の安全航行の神様ということに由来して採用されたということです。

地上から見る海と、海の中から見た地上・・・

地球の海と陸の割合は7:3です。水中から空を見上げると、陸上で暮らす僕たちにとっては湾曲して見えてしまうのですが、3割の陸上の通常を、地球全体の通常と定義することには理論的には正しいのでしょうか?まあそれは陸上に生きる人類の通常としては正しいことは十分認識しておりますが、海目線という見方もあるということは忘れてはいけないのかなとも思います。

月も常にゆらゆら揺れながらキラキラ輝く海中から見た風景。流れや圧力の波動の形は風も波も同じなら、大気中に生きていても空気の波動は海にいるのと同じように敏感に感じるように意識したいと思います。

土曜担当…佐々木秀彦



2015年10月30日(金)
教育勅語                           金曜担当…小笹正洋

人間の言葉には、その風土で歴史に育まれた強い意志と豊かな感性が込められています。
そして、母国のすぐれた言葉は人々の心の拠り所になります。


そのひとつが、明治23(1890)年の今日(10月30日)発布された「教育勅語」です。

昭和23(1948)年6月19日に国会の各議院による決議で廃止されるまで、精神的支柱に
なってきました。


主要箇所の引用と解釈を記載します。


父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ
學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ
常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ


「教育勅語」12の徳目の解釈
 1.父母ニ孝ニ(親に感謝し孝行しましょう)
 2.兄弟ニ友ニ(きょうだいは仲良くしましょう)
 3.夫婦相和シ(夫婦は協力し助け合いましょう)
 4.朋友相信シ(友達は信じ合いましょう)
 5.恭儉己レヲ持シ(自分の言動を慎み謙虚でありましょう)
 6.博愛衆ニ及ホシ(広く全ての人に思いやりの心をもって博愛の輪を広げましょう)
 7.學ヲ修メ業ヲ習ヒ(勉学に励み職業を身につけましょう)
 8.以テ智能ヲ啓發シ(知識を養い才能を伸ばしましょう)
 9.德器ヲ成就シ(人格の向上に努めましょう)
10.進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ(進んで広く世の人々や社会のために仕事に励みましょう)
11.常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ(法律や規則を尊重し社会の秩序に従いましょう)
12.一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ(もし国家に危機があったなら祖国や同胞を守るために、勇気を出して覚悟を決めて力を尽くしましょう)


この教育勅語は、1852年11月3日(現在は、文化の日)に生まれられた明治天皇が
日本人にとって何が大切なのかを後世のためにまとめお手本を示されたものです。

明治維新により新しい日本として150年近くになろうとしておりますが、今一度、
温故知新(故きを温ね、新しきを知る)ということが必要なご時世ではないでしょうか。

金曜担当…小笹正洋



2015年10月29日(木)
ミツバチ                            木曜担当…西端努斗夢

今朝、撮影現場に予定より早く着いたため、ボーっと海を眺めていたら、なぜかミツバチの話を思い出しました。

ミツバチは羽根の面積が小さく、航空力学の計算式では、どんなに早く羽ばたいても飛ぶことができないそうです。にもかかわらず、飛んでいるのは、ミツバチが自分は飛ぶことができると思い込んでいるからだというのです。

本当かどうかわかりませんが、“思い”の力はそれくらい大きいような気がします。特に私たち人間の“思い”は。
それをどこまで信じ切れるか……

木曜担当…西端努斗夢



2015年10月28日(水)
孤ならずの意味                        水曜担当…冨樫功

池田塾長の新刊「働く君に贈る中村天風45の言葉」を拝読しました。


久しぶりに天風哲学の本。
フォントも読みやすく、一気に読了しました。


個人的には、第三章の信念のテーマの部分が一番感銘を受けました。


そして、全体を読み終わったあと、
これまでと違う感覚に包まれました。


「孤ならず」


この言葉は知っていました。
いつでも私たちは、宇宙霊の中にいるということだと思います。

しかし、なぜか、これまでは困難なとき、つらいとき、かなしいときに
自分一人ではないというイメージしかありませんでした。
この言葉には、どんなときでも、
神は私たちを見放さないという感じのイメージしかなかったのです。


でも、それがとても一面的な捉え方でしかなかったことがわかりました。


「孤ならず」はもっと力強いイメージだったのです。

むしろ、大きな働きが必要な積極的な場面でこそ、
「孤ならず」なのです。


これから、どんな仕事をするときも、「孤ならず」と想いたいと思います。

そうすれば、宇宙のエネルギーが体中にみなぎる気がするのです。


この本で、とても大きな力をいただきました。
感謝致します。

水曜担当…冨樫功



2015年10月27日(火)
「人生の師」                          火曜担当…坂本欣也

10月24日未明、母が天国に旅立ちました。

悲しみと寂しさは尽きないですが、母があの眠れない程の痛みからようやく解放されたことが、私の心の安らぎを取り戻したとも言え、なんとも言えない複雑な心境です。

お通夜には、西端さん、小笹さん、宇田さんがわざわざ遠いところ橿原まで駆けつけていただきました。
見慣れた同志の顔を見た瞬間、張っていた気が緩み、緊張し続けていた心がフワっとほどけた感動を味わい、熱いものがこみ上げてきました。

ひっそりとした式になると思っていましたが、
お通夜、告別式とも、私の予想を超える多数の皆さんにお越しいただきました。

特に、ご近所の皆さんが多かったです。

そして、母に助けられたこと、母が地域の清掃を一人でしていたこと、いつも元気に何かしら動いていたことなど、私を呼び止め、お悔やみと共に口々に母との思い出を私に語っていただけるのでした。

評論よりも、実践。
言葉より、行動の人、だったことを改めて認識しました。

社会的に目立った仕事や功績を残したわけではない、名もなき一人の主婦。

陰日なた関係なく、困った人、迷い込んだ動物、枯れかけた植物、荒れ果てた空き地などを、放っておけなくて面倒をみていた母。

人生の師を、これまで必死に外に探し求めて来ましたが、
こんな身近にこんなに偉大な師がいたとは、これまで全く気づきませんでした。

灯台下暗し。
母は、命の最後の最後まで生きる意味を教えてくれた、
最高の「人生の師」でした。



写真:お通夜の日、母の旅たちを祝福してくれていた飛鳥の秋桜

火曜担当…坂本欣也



2015年10月26日(月)
手作りシート                          月曜担当…池田光

変な写真を掲げましたが、これは漢文勉強のための手作りワークシートです。
韓愈の文章を読み始めて、一年七か月。
「最後に、いかにも韓愈という文章を読みたい」
と要望しました。
そして、「十二郎を祭る文」を読んでいただくことになりました。

このプリント(テキスト)をコピーして、
A4の白紙に切り貼りして手作りワークシートを作ります。
もう三年以上、このやり方を続けていて、
プリントを頂くたびに作業しています。

漢字ばかりで、句読点がありませんので、
どこで文章が区切れるのか、
変な所で切ってしまうと後で訳せなくなりますので、
およその感じで読みながら、
切り抜くのですね。

最初の頃は、変なところで切ってしまったものですが、
最近は失敗していません。

今回の「十二郎を祭る文」は長い文章で、
A4のシートが25枚になりました。
読み切るのに、二か月はかかると思います。
ちょうど年内で終わる感じですかね。

先生曰く、
「韓愈の文章をこれだけ読んだ勉強会は、おそらく全国的にないんじゃないですか。
大学や院の授業でも『十二郎を祭る文』は長いので、教材にされることはありません。
意義あるユニークな学びになると思います」
と。

ぼくの予習は、勉強会でやる時間の五~八倍ほどかかるので、
これを読むのに、三十~四十八時間かかる計算です。
気合を入れて楽しみたいと思います。

■昨日のブログで、八木さんがあげておられた岡田武彦先生の随筆集というのは、
『現代の陽明学』でしょうか?
(3分類についてまとめて書かれているのは、『東洋の道』ですが、こちらは随筆集ではないので、『現在の陽明学』かと……。ちなみに、両書とも、読んだのは2011年です)
さて、『現代の陽明学』は、とても刺激的な書で、ぼくはどれも面白く読んだのですが、特に気に入ったものをあげておきます。
「孔子の根本精神」
「格物致知と儒教精神」
「静坐の意義」
「貝原益軒の生涯と学問」
「楠本文庫雑感」
「王陽明と現在」
「陽明学雑感」
「中国哲学の課題と簡古の精神」
八木さんは、どれが気にいられたのでしょう?

月曜担当…池田光



2015年10月25日(日)
「自他共存」                          日曜担当…八木正典

尊敬する岡田武彦先生の随筆集を入手し少しずつ読んでおります。

先生は、人間に対する基本的な見方を3つの分類をして理解しています。
第一が人間を功利主義なものとして捉える現実主義、第二が人間以上の絶対者に帰依しようとする超越主義、第三が道徳的な人間観を根本とし自他共存の社会を建設しようとする理想主義です。
第三が儒学の位置づけになるのですが、孔子の「吾、斯の人と徒と与にするに非ずして、誰と与にかせん。」の言葉通り自他共存、自他共生の心が儒学の根本思想だと述べられています。

儒学の道を学ぶ者として、思いて学ぶ、学びて思うを繰り返しながら、自分の意識をおし広げていく努力を続けていきたいと思います。

日曜担当…八木正典



2015年10月24日(土)
同根                              土曜担当…佐々木秀彦

僕は中国山東省の4級厨師の免許を持っています。
20代後半にふとしたきっかけで出会った日本人女性で当時唯一特級厨師に認定されていた方と出会って、そこの料理教室に通って、登録認定されただけではあるのですが、その師匠は医食同源ということを常におっしゃっていました。
『人の栄養は口から入るものがすべてである。筋肉も骨も脳も血もすべて食べ物から作られるのだから、不適当なものを食べると当然に病気になる』という趣旨で、骨格体力はもちろん、頭の回転の良さや、気配りの能力や、感受性、忍耐力、包容力等々までも、そこを意識して食材や調理法を選ぶことで、能力を高めることが当然にできるというお話はいつも聴いていて妙に納得させられるものがありました。


『天人合一・天地同根』
天・人を通じて道は変わらない、人間の法則と自然の法則とは一如である。
今、安岡正篤師講録の『運命と立命』を読んでいて、その1章の部分に『地球が太陽と分かたれた草創の時代の天地の区別もあきらかでない状態から、最後に人間がでてきたのだから、人間の霊妙な機能も、なんらかの形、程度に於いて、自然の中に含まっておるのです。』というような記載を読んで、先の料理の師匠が常々お話しされていたことを何故か思い出しました。


幼少期から、10代、20代、30代、40代、そして今と、それぞれ印象深い別々の方々と出会ってはおりますが、実はそれぞれ別人格であることは当たり前ではあるのですが、それと同時に何か繋がっているような気もします。
未来の僕の課題を解くヒントは、意外にも過去の僕が知っているのかもしれません。

土曜担当…佐々木秀彦



2015年10月23日(金)
人間関係!!                        金曜担当…小笹正洋

似たるこそ 友としよけれ 交わらば
われにます人 おとなしき人


「日新公いろは歌」と呼ばれるいろは順に選んだ47首の人生訓の中の1首です。
九州薩摩藩の島津家中興の祖、島津忠良(日新公)が1540年頃に編纂されたようです。
以来、薩摩藩の「郷中(ごちゅう)教育」の基本精神として受け継がれていきました。


扨、上記1首の意味は、


似たもの同士はすぐに仲良くなれますが、
自分にないものを持った人と友だちになると、
あなたの世界はもっと広がっていきます。


ということですが、私たちが学んでおります、潜学講座には毎回様々なステージで
活躍されている方々が参加下さり、まさに上記1首の意味する境地です。

人とのご縁は、血縁・地縁・道縁とありますが、血縁は親子・親類のご縁。
地縁は共通の地域・生活圏が育むご縁。同じ道を求める者同士が結び付くのが道縁。
道縁は自らの本心が呼び寄せるものだと思います。

これからもよき道縁を引き寄せて参りたいです。

金曜担当…小笹正洋



2015年10月22日(木)
自分を極める                         木曜担当…西端努斗夢

尊敬する人。
目標としたい人。
あこがれる人。
手本とする人。

いろいろありますが、結局、自分は自分になるしかない。
西端努斗夢を極めたいと思います。

木曜担当…西端努斗夢



2015年10月21日(水)
社会的成功は当たり前だったのか            水曜担当…冨樫功

最近、塩谷信男さんの本を読みました。

今西最高顧問の「魂に響く108の言葉」で取り上げてあり興味を持ったのです。


なんと105才の長寿を全うされたとのことです。
また氏の提唱する正心調息法を実践すれば、万事が思い通りとの触れ込み。
90代から著作活動が始まったというのも驚きです。
とても楽しい読書になりました。


若い人にはあまり知名度が高くないように思います。

もっと広まればいいのになあと思います。



でも、今は広まりにくいかもなあという実感も持ちました。

と、いうのは社会的成功にはあまり力点が置かれていないように感じるのです。
そして、健康の話が多い。
中村天風さんの話もそう感じることがあります。


40才を越えると、体の故障がはじまるといわれますが、
まだそこに至ってない世代からすると、
ちょっと健康の話題が多いなあと思ってしまいます。


若い人には、もっとお金とか出世とかの話のほうが受けるかなあと。

明治~昭和の日本では、そういった世俗的なものは得られて当然だったのでしょうか。

外国には成功哲学の古典が多数ありますが、
日本には少ないように感じます。
それは国民性なのか。
すこし疑問です。

お金の話をしていたのは、しいていえば、
本田静六さんくらいじゃないでしょうか。


現代日本では、山のように発行されていますけどね。


とりあえず、正心調息法をしっかりものにしたいと思います!

水曜担当…冨樫功



2015年10月20日(火)
「学ぶとは?」                        火曜担当…坂本欣也

「大道廃、有仁義。智慧出、有大偽」

学ぶとは、成長とは、何でしょうか?(素朴な疑問)
それは、本当に必要か、否か?(極論)
有効とするために、その前提として必要なものは?(そもそも論)

私の最近のテーマです。

真善美は「いつもココ」にありますね。
「常に真善美に感謝できる心」に感謝です。

そんな心の持ち主、身近に沢山いらっしゃいます。

写真は、飛鳥の今です。



火曜担当…坂本欣也



2015年10月19日(月)
天風先生における「力」                   月曜担当…池田光

天風先生の原点は、どこにあるのでしょうか。
明日あたりから書店に並ぶ、拙著『働く君に贈る45の言葉』(三笠書房知的生きかた文庫)を執筆しながら考えたことは、このことでした。

そして、ぼくは、
「力→積極→信念→運命」
という図式を描きました。

『働く君に贈る45の言葉』は、四章から構成されています。
第1章「強く生きる」言葉 →テーマは「力」。
第2章「壁をぶち破る」言葉 →テーマは「積極」。
第3章「思いが実現する」言葉 →テーマは「信念」。
第4章「道が開ける」言葉 →テーマは「運命」。
このように、「力→積極→信念→運命」の順で言葉を選び、解説しました。

「力」こそ、天風先生の原点だと思います。
「力の誦句」はその原点を示すものでしょう。

だから、ぼくは今回の本の第1章で、「力」について徹底的に解説したのです。
そして、その「力」をベースにして「積極→信念→運命」と解説していきました。

戦前に天風先生が語られた言葉が、記録されています。
この記録は、中村天風先生述、楠見守概記『心身統一哲医学(一名人生甦生法)』(昭和17年発行)という私家版の本に収められています。



まだ、天風先生の著書が出される前に書かれた本です。
その頃の天風先生は、まだまだ無名の人でした。
そんな頃の、とても貴重な言葉です。
こんな言葉です。

「天は自ら助くるものを助く。
自分の生命は自分で保護すべきが当然だ。
しかも、わずかな理解とわずかな自覚さえできれば、
この自己生命擁護の力は、いつでも任意に出るようになる。
そして世界観も人生観も円満・健全になり、
病も貧乏も知らぬ幸福なものになるのだ。
ところが、現代人士の多くは自ら助けんとする本然の自覚に活きずして、
つねに他力本位で生きようとする。
そこで、思わぬ撞着や矛盾、または端しない葛藤が人生に起こるのだ。
もちろん、力の出し方を知らぬ間は、他力に頼るのも一つの方法である。
しかし、いったん(力の出し方を)覚えこんだら、
それから後は、自助自立だ。」(『心身統一哲医学』より)

天風先生の立場は、「自力」であり「自助自立」です。
しかし、単なる自力ではありません。
「力」の出し方を知ったあとの自力です。
そんな自力のことを、天風先生は「本然の自覚」と表現しています。
また、力の出し方を知らない間は、「他力」でいいとも言っています。

天風先生は、肺結核にかかったとき、その病を「肉体の力」で治そうとしました。
いや、その時代の医学そのものが、肉体の力で病を治そうという考え方でした。
この考え方は、「力」の出し方を知らないという次元です。
これでは、他力にならざるを得ません。

天風先生がヨーガの里で身をもって悟ったのは、肉体の力以上の力があり、人はそれを獲得することができるということでした。
その、大いなる力によって、天風先生は肺結核を治癒しました。

人は大いなる力と結ぶことができる。
一体となることができる。
その大いなる力の出し方を、天風先生は「心身統一法」として体系化しました。
なかでも核心は、「安定打坐法」にあります。

人は「孤ならず」で、ひとりではありません。
宇宙の根源主体が守ってくださいます。
その宇宙の根源主体の力と結ぶことによって、人は、自助自立して生きていけます。
この自覚的立場が、自力です。

つまり、自力とは、小さな自分(肉体の自分)に留まっていては、到達できない境地です。
自力とは、大いなる存在と結ぶことによってでしか、真に到達できない大いなる境地なのです。

もし、小さな自分に留まったまま、「自力」で生きていこうとしたら、この世は地獄です。
荒れ狂う大海に、小舟でくりだすようなものです。

だから天風先生は、小さな自分で生きている間は、「他力」で生きなさいと言っているのです。
実際、宇宙の根源主体と結びついた「大いなる境地」に達しない間は、他力で生きるのが無難でありましょう。
他力とは、小さな自分に生き、その小ささゆえに、何かにすがるという立場です。
他力の人は、よく「神さま」という言葉を使いますが、いまだ神(宇宙の根源主体)とは一体ではありません。
観念では「神」を浮かべていたとしても、肉体次元に生きています。
もしかしたら、神と結ぶ技術を知らないのかもしれません。
また、自分の小ささや弱さを知って、その自覚に甘んじようという諦念が他力かもしれません。

自力とは、自分しか信じないというのは、正反対の立場です。
大いなるものに開かれた心なくして、真の自力には達しません。
神(宇宙の根源主体)と結ぶには、深い技術と、絶え間ない努力がいります。
天風先生が教えた技術が「心身統一法」です。
さらには、「安定打坐法」です。
自力で生きるとは、たとえば安定打坐法を行うことからできます。
そのとき、神(宇宙の根源主体)とつながっているために、自力で生きることに必死さはありません。
大いなる力と結びついた自力は、楽しい境地です。

天風先生の立場は、「自力-他力」を超えます。
両者を超えた「本然の自覚」なのです。
その自覚とは、たとえば日々坐禅をして霊的境地に達し、神と結ぶことを事実として体験して、この事実に生きるという自覚です。
この自覚なくして、自力では生きていけないし、この自覚ができたら、他力という生き方とは自然と「さよなら」することになるでしょう。
これが「悟る」ということです。
悟るとは、本然の自覚です。
このことを、天風先生は「力」の観点からつかまれたのだと思います。

月曜担当…池田光



2015年10月18日(日)
「いつの間にか」                       日曜担当…八木正典

本日で水垢離が530日目を迎えております。

昨年からスタートしていつの間にかという感じがします。
本心塾で坂本さんから教えていただきスタートをし、今西最高顧問が1000日間の水垢離を行ったと聞いてせめて半分まではたどり着きたいと思っていたのですが、気が付いたら自分の想像を超えるすごいことになっていました。

特段意識しなくても習慣づけすることで日数、回数が増えている。
日々の習慣の大切さと恐ろしさを知った瞬間でした。

少し水が冷たくなってきて、また真冬の息の出来ない水垢離の思い出が甦ってきますが、確りと本塾の水垢離メンバーと一緒に続けていきたいと.思います。

日曜担当…八木正典



2015年10月17日(土)
契約                              土曜担当…佐々木秀彦

僕の場合、嫁のお腹に子供がいるとわかって最初にやったことは会社を辞めることでした。
48歳で生まれれば、60歳で小学校卒業、68歳でやっと成人式を迎えるのです、もう会社員という契約のままでは到底無理と最初に思いました。

正社員と契約社員と日本では大きく違う立場です。端的に表現すると正社員は終身雇用、契約社員は期限付き雇用ということでしょうか。しかし、平均寿命83歳ぐらいの現代社会において、60歳や65歳で雇用契約終了は、終身雇用といえるのでしょうか?僕は正社員でしたが、契約として定年は65歳と明記されていたわけです。決して終身雇用契約ではない正社員よりさらに不安定な印象の強い契約社員。
国民の本幹の勤労の部分で、契約社員という『契約』の軽薄な使用が極論日本経済に大きなマイナスに繋がっているような気さえします。

契約の『契』の字は単体で使われることが少ない希少な文字です。
調べてみると、人の心にかない、法の理に合するという意味もあるようです。李氏朝鮮時代の契というシステムでも加入者の平等互恵の契約精神は徹底していたというような意味を踏まえても、文字通り刻み込むという深い解釈ができます。
そして、『約』は紐で結び目を作り、取り決めの目印とするという明確な取り決めを表現する文字です。
これを調べただけでも、契約というのはキッチリとした公明正大でかつ明確な約束事であることは一目瞭然でした。

僕の仕事の場合、この契約をするのは僕自身ではなく、他者と他者との契約締結のアシストすることです。要望と願望と理想の入り混じった希望に、損得や好悪や見栄等の糸で複雑に絡まった本音を解いて手繰って整理する作業は難しいです。しかし難しいからこそ面白いのが世の中の常なのかもしれません。
現在取り組んでいる案件も、売主は売りたい、買主は買いたいという意志は問題なく共通しているのですが、お互いが自分にとって少しでも良い条件にしたいという綱引きが佳境に入ってきておりますので、魂が磨かれるぐらいの緊迫感にも思えます。

仕事ではアシストに徹しておりますが、湧くわく本心塾には僕自身が入塾申し込みをいたしました。そして塾生証と塾則をいただきました。これはまぎれもなく契約締結です。
湧くわく本心塾も不動産取引と同様に、契約した後どう対峙していくのかが大切となります。

『――3つの実践によって本心を煥発し、次代を担う人づくりをする』

本心を煥発するだけが目的ではなかったこの契約遂行のため、腰椎を立て、瞑想をし、善い言葉を語ります。

土曜担当…佐々木秀彦



2015年10月16日(金)
口は災いの元の意味・・・                  金曜担当…小笹正洋

スポーツの秋、読書の秋、食欲の秋。。。

人それぞれに楽しみの多い季節です。


同時に、


古人、わざわいは口より出でて、病は口より入ると言えり。口の出し入れ常に慎むべし。


貝原益軒が中国の諺から引用されていた教えですが、口に入るものや、口から出す言葉には改めて気を配って行きたいところです。

そうでなければ、本当に困ったことになってしまいます。

金曜担当…小笹正洋



2015年10月15日(木)
信じて待つ                          木曜担当…西端努斗夢

「人為的努力(人間としてのあれこれの努力)を廃して、ただ、ありのままでいるのがよい」

「ありのままに安住せず、決定的な悟り(大悟徹底)の体験を得なければならない。大悟徹底の体験を得たうえではじめて、本来ありのままで円成(円満に仏の心を成就する)しているのだとわかる」

2つの言葉は相矛盾しているように見えますが、どちらも禅の特徴について説明したものだそうです。そして、前者は唐の時代の考え方、後者は宋の時代の考え方だということを、10月の潜学講座で学ばせていただきました。

私は禅のことはよくわかりません。ただ、円成するための方法として2つの考え方を比較した場合、何もしないでただ自分を信じてありのままでいる方が難しいと思います。

上手く表現できませんが、いずれにしても信じて待つというのは、なかなか辛いものです。必ずやって来るとわかっていても時々不安が脳裏をよぎります。
待つくらいならいっそ自分から行動した方がどれほど楽か……

木曜担当…西端努斗夢



2015年10月14日(水)
教え子さんたち                        水曜担当…冨樫功

7、8年前に、中国で日本語教師をしていました。


とはいっても、資格などは持ち合わせていない、もぐりの教師。
毎日が綱渡りの危なっかしい授業をしていました。

2年間でしたが、毎日人前で話をするという貴重な経験ができたと思っています。


もう、随分前のことで、その感覚も忘れかけていたのですが、
先日たまたま中国のその町のことを思い出していました。


そしたら、まさにその数時間後、当時の教え子さんが自分の店に、
現地のおみやげを持って遊びに来てくれたのです。


そして、その街がいかに変わったかを聞いて、
ますます懐かしさを感じました。


そうこうしていたら、その夜、さらに、
インターネットで別の教え子さんも自分を見つけてコンタクトを取ってくれました。


そして、その教え子さんつながりで、また新たに二人つながり直すことができてしまいました。


みんな、日本に来て6~7年。
日本語はペラペラになっています。

そして、日本のことが大好きになってくれています。

でも、20代終盤にさしかかる頃なので、
両親も心配しそろそろ帰国が近いようです。

一人の子はすでに中国に帰って、来年の6月に結婚するそうです。


たった二年間でしたが、教師のマネごとをしたおかげで、
今でもこうして教え子さんとつながれるのは、望外の幸せです。


この後も、どこかでまたつながれたら楽しいなと思っています。

水曜担当…冨樫功



2015年10月13日(火)
「母」                              火曜担当…坂本欣也

先週水曜日より、母をホスピスでお世話してもらっています。
背中と胸の痛みがひどくなり、自宅では眠れない状態続いていました。

到着早々強めの鎮痛剤が投与され、しばらく眠ったかと思うと、
強い吐き気とせん妄(幻覚症状)が出始めました。

いつも明るく朗らかで誰とでも話し、じっとしていることがない働き者、
文学や歴史が好きな読書家、そして困っている人も動物も植物も放っておけない人

学んだこともないのに、天風哲学を実践しているような人です。笑

そんな母が、今こんな状態になっていることがショックですが、
彼女の生命力を信じて、傍らで看ています。

「生きるとは何か」を、母が身をもって教えてくれているのだと思っています。

ホスピスのスタッフの皆さんの行き届いたケア、優しい雰囲気に、心から感謝です。

ふと見上げた空に、今の私の心境が映し出されているようでした。



火曜担当…坂本欣也



2015年10月12日(月)
感謝しかありません                     月曜担当…池田光




■『働く君に贈る中村天風45の言葉』について

著者見本が届きました。
この本は、働いている現役世代へのメッセージです。
文章を短文にしてアップテンポにしました。
そうすることで、元気が伝染すると思ったからです。
この本は以前の本を大幅に編集し、徹底的に書き改めたものです。
ほとんど、まったく新しい本にまで仕上げました。
文庫本なので、多くの方々に気軽に読んでいただけたら嬉しい。

■天風道40周年を目指して
天風先生の教えに出会ってから、35年になります。
これからの5年間は、天風道一筋に本を書きます。

年内に、天風哲学の本をもう一冊出す予定です。
次の本は、とっても小さな本ですが、
ここ数年考えてきたことを実らせたものです。
天風道40周年には、さらに数冊くらい天風哲学の本を
出版していたいと思います。
同じようなことを書いてもしかたがありません。
少しは違うものを書いていきたいと思います。

月曜担当…池田光



2015年10月11日(日)
「向上心」                           日曜担当…八木正典

最近、気持ちいい秋晴れが続いています。
こんな中で自分の好きな本をゆったりした気持ちで読んでいると心が洗われて本当に幸せな気持ちがします。
そんな中でいくつかの本を読んでいる時に目についたのが、自己責任でどこまで自分の周りに起こる事象をとらえられるかということです。

子曰わく、譬えば山を為るが如し。
未だ一簀を成さずして、止むは吾が止むなり。
譬えば地を平らかにするが如し。
一簀を覆すと雖も、進むは吾が往くなり。(論語)

転んだからといってがっかりするな。
あきらめるな。
向上心を持っているかぎり、誰でも、必ず目的地に到達できるのだ。(ラーマ・クリシュナ)

読書を楽しみながらも、自分を高めていく意識は強く持ち続けていきたいものです。

日曜担当…八木正典



2015年10月10日(土)
空色                              土曜担当…佐々木秀彦

10月10日は晴れの特異日だという噂もあるので、ちょっと空を眺めてみることにしました。
『天高く馬肥ゆる秋』…なるほど空が高く感じる青空です。

そういえば、僕は子供の頃まったくわからなかったことがありました。空色と水色ってどこが違うのか???最近は水色に統一されているのか空色という言葉自体もあまり耳にしなくなったような気もするのですが、僕が子供の頃には間違いなく普通にみんな空色という言葉を使っていました。

空色は、青・白・黒・藍・碧はもちろん夕焼けのオレンジや朝焼けの紫・金も全部が空の色で、スカイブルー色が空色というのも突き詰めればおかしいのですが、とりあえずスカイブルーなのでしょう。
水色は水道水を見る限り無色透明ではありますが、湖面・沼面・海面等々ではやはりアクアブルー色なのでしょうか???水面に空が映っているので、基本空の色に大きく影響をうけて変化するので、やはり日本語では薄青色を水色というよりも空色というべきなのではないかと思ったりもします。


空…この文字は何もないということを表現する文字です。
色即是空の『空』でもあります。

でも確かに、大空には色がついて見えます。
虹の七色に無彩色の黒白と太陽の金色と月の銀色とを気まぐれに混ぜ合わせた色に濃淡とうグラデーションを織り込んで僕たちの目に映ります。
空気は透明なはずなのですが、大空には色がついていることが摩訶不思議です。

『空』の場合、対義語は『有』でしょう。
『無』の対義語も『有』です。
無色は透明そのままですが、空色は透明ではなくスカイブルー色…
(『空』の対義語が『色』なら…『空色』の言葉の意味も大きく変わりすぎるので、今回はここは気づかないということで…)

大空は宇宙です。空色から膨らませて、宇宙色をイメージしながら、水垢離すれば無色の我や無色の念に出会えるのかもしれません。
とりあえず身体に弾ける水しぶきだけでも、『空』色の水色に輝くように意識したいと思います!

土曜担当…佐々木秀彦



2015年10月9日(金)
ものの価値とは・・・                     金曜担当…小笹正洋

アメリカ・ニューメキシコ州のリンゴ農園でのお話です。

ニューメキシコ州の高原地帯は涼しい高地なのでリンゴ栽培には向いているのですが
気候の変化が激しくて収穫が台無しにされることもあるそうです。
ある年の収穫直前に、リンゴ園のある高原は豆粒大の雹(ひょう)が降った。
雹に打たれたリンゴの表面は、アバタのように黒いシミだらけようになった。
商品にならなくなった無残なリンゴの山を前に、農民は大きなため息とともに天を仰いだ。

やけくそになりそのうちの一つのリンゴを手に取り、かじった。
すると、汁気がたっぷりあって甘く、じつに舌触りが良い。

気温の急降下が果実によく、実が締まって甘味と香りが増したのです。

そして、農民はふとアイデアを思いついた。


大急ぎで農夫たちに全部のリンゴをもぎ取って荷造りするように指示を出した。

そして、自らは町の印刷屋へ駆けつけて、出荷するリンゴ箱に入れる手紙を頼んだ。

その農園から出荷されたリンゴは、なんと五割高で一つ残らず売りさばけたという実話です。


その手紙の内容には、

「お送りしたリンゴの表面の黒いシミにご注目ください。
 これは雹に打たれたあとです。
 この雹をもたらす激変しやすい気候によって、
 ニューメキシコのリンゴには
 まろやかな甘さと、爽やかな歯ざわりが備わるのです。
 まぎれもなく高原で栽培された証拠のシミが残る素晴らしいリンゴを、
 どうぞご賞味下さい」

と書かれていました。


科学の力で品質管理されものによって物心共に満たされようとすることから、
改めて大自然の恩恵を上手く享受して資源を無駄なく循環していける知恵を
持っていきたいですね。

金曜担当…小笹正洋



2015年10月8日(木)
免疫力を信じる                        木曜担当…西端努斗夢

医学の進歩は目覚ましいものがありますが、それは外科的治療など特定の分野に限られるようです。
考えてみると、私たちのごく身近にある風邪すら、今の医療で治すことはできません。薬は熱や咳、鼻水などの症状を抑えるだで、風邪を治すのは私たちの免疫力に他なりません。

これから冬にかけて今年も風邪が流行しそうですが、医療に過度な依存をするのではなく、自分自身の免疫力をもっと信じていきたいと思います。

木曜担当…西端努斗夢



2015年10月7日(水)
禅の入り口に立つ                      水曜担当…冨樫功

10月3日に潜学講座が行われました。

今回は普段のレギュラーメンバーがごっそりお休みでしたが、
新しい参加者もおられ、とてもよい勉強になりました。


 池田塾長が「中国思想史の巨人たち②「臨済を学ぶ」と
 ショート講座 「中村天風の坐禅法の真実」を講義してくださいました。


臨済宗にはじまる禅と、天風式坐禅法という、禅の真髄に迫る内容でした。


個人的に禅は難しく、特に禅問答などは一問すら解ける気がしません。
とっつきにくくて難しい禅の世界を探る羅針盤をいただいたと思います。

唐の時代の禅と、宋の時代の禅では、まったく考え方が違っていたということを知りました。
これから学びを深めていきたいところです。


また、後半では中村天風さんの教えの中でも最もわかりにくい「安定打坐」について、
ポイントをしっかり押さえることができました。

天風師も、言語化していなかったところに踏み込んでいくという、
前人未踏の領域を皆で共有するという知的興奮を味わえました。



これから、池田塾長は2~3冊、天風哲学について本が出るということで、
とても楽しみです!

わかりやすくて深い、決定版がでることになると思います。

水曜担当…冨樫功



2015年10月6日(火)
「近くにある天国」                      火曜担当…坂本欣也




藤原京の本薬師寺


天武天皇が、持統天皇の病気快復を祈願して建立したお寺。

その跡地に、近隣のボランティアの方々と小学校の児童が協力して、ホテイアオイを毎年植え付けてくれています。

その風景は驚嘆の一言です。

この美しい風景との出会いに、感謝です。

天武天皇の持統天皇に対する深い愛情が、ホテイアオイとなって現代に蘇っているようにも思えます。

そのボランティアの中心人物が、私の母の介護ヘルパーさんとして、毎日お世話に来てくださっています。

感謝です。

火曜担当…坂本欣也



2015年10月5日(月)
ぼくの社会人半生                      月曜担当…池田光

ここ一か月半で大きく変化したことがあります。

発端は、ある先生の一言でした。
「事務所をつくろうかと、物件を当たっている……」

その翌日、
「大阪のぼくの事務所のテーブルやイスなどをお譲りしましょうか?」
と先生にメールしました。
事務所をたたむ好機だ、と感じたのです。

それまでは、事務所をたたもうと思っていなかったのですが、
どこかで事務所が生まれるのだったら、
ぼくの事務所を閉じてもいいだろうと……。
そして、昨日、ぼくの事務所からテーブル、イス、冷蔵庫、パーテーション、書棚などを先生の事務所に移転しました。

長期にわたって少しずつ捨てて行くと、縮小傾向のような気持ちになりそうなので、
ここは一気に捨てて、
捨てきったところで反転して、攻めに転じていこうと思っています。

いろんなものを整理していて、ついでにぼくの社会人人生も振り返って、整理してみようかと……。
そんな気持ちになり、ここまでを振り返ると、次のように7期に分かれそうです。
(以下、長くなります。また、独白みたいな感じなので、よろしければお読みください。また、読まれた方には、ながながとお付き合いさせてしまい、すみません……)

■1期.会社入社~33歳(ビジネスの基本を学んだ時期)
……学生生活が終わったとき、これから始まる長い社会人生活で「安定」だけは求めるまいと決意しました。
会社は倒産するものである、年金は信じない。だから、自分の力で世を渡っていけるだけの力をつけたいと考えていました。
人が作った制度は、いずれ歪みがくるものだ。義務として年金はかけ続けるけど、期待はしない。自分の力で老後を生きていけるようになりたいものだ。そう考えていましたが、それから三十数年、ついに老後がやってきました。
さて、話を戻します。
入社して10か月目に、ぼくは社会人になってはじめての企画書をつくりました。そして夜、職場の仲間たちが退社し、上司と二人っきりになる機会を狙っていました。
そんな機会が訪れました。ぼくは、上司の課長に提案しました。話し終わると、なんと課長が泣き出しました。「この企画、やるんやな。そしたら、オレも応援する」と言ってくれました。感激したらしいのです。
そして、課長を通じて会社の承認を得、経費を使ってぼく独自の企画をやりました。成功して、社内報でも取り上げられ、常務がわざわざ職場に来られて「あんたが池田くんか」と言われました。本社では、変な新入社員がいると認識されていたのだそうです。
職場の先輩たちから「ふつうは会社から命令されてやるんや。自分から企画書を出すやつはおらんのや」と忠告とも褒め言葉ともつかないことを言われました。
それでも企画を出していると、あいつはそんなヤツだと、当たり前のようになっていました。
人がやらないことをやるので、一年目は新人賞をいただき、二年目は優秀社員賞をいただきました。会社は連続して賞を出すことをさけていましたが、異例の連続受賞となりました。
あるとき、大手企業に勤められているお客様から、「あんたとこには、すごいことをやる新人がいる。うちにはこんな社員はいない。ぜひ、彼から購入したい」と大きな商談がまとまったことがありました。そのお客様をはじめ、何人かのお客様から、ぼくを褒める手紙が本社宛に届いていました。お客様が味方してくれたのです。そして、ぼくが認められるように会社に働きかけてくれたのです。あのときは、さほど、たいしたことだと思っていませんでした。いまは、ただ、感謝しかありません。

入社1年になる前に、人事の仕事を打診されました。が、断りました。すると、翌年、会社から教育担当か、販促担当。外部から経営コンサルタントの卵ような仕事の三つの仕事の打診があり、迷わず教育担当を選びました。
(※営業職は有無を言わせず人事異動させられるのですが、スタッフの仕事は本人の要望を聞いてくれる会社でした)
こうして入社3年目から、教育担当となりました。早々に、新入社員の二か月間研修を任されました。従来は、10日間ほどの研修であり、二か月というのは、会社始まって以来の長期研修でした。
実施は翌年ですから、許される準備期間はたっぷりとあります。ぼくは、200名もの新入社員をどう教育するのか、数か月かかって企画を立て、講師や会場を手配しました。
そして、総仕上げに一週間の営業研修をしたのですが、ここでふつうの社員があげるほどの大きな売り上げを新入社員たちがあげてしまったのです。
やったのは、(1)一人ひとりの自発性を尊重する、(2)商品知識を徹底的に活用できるようになる、(3)営業の基本をロールプレイングで学ぶ、(4)チーム制で販売計画を立てさせる、(5)モチベーションを高めるよう競争原理を持ち込むことでした。
新入社員が実績をあげたので、メーカーの幹部の方からもびっくりされ、「慰労会をさせてください」とのお誘いがあったのですが、癒着関係になってはいけないと思い、丁重にお断りしました。しかし、ぼくはこの功績などで会社から表彰されました。入社4年目に、二度目の優秀社員賞をいただきました。スタッフが表彰されるのは異例でした。
(※後年、独立してから、このやり方である大手印刷会社の新人営業研修を担当したのですが、ここでも新人が何人も実際に売り上げをあげました。しかし、教育スタッフからは、「売れない厳しさを教えることが裏目的だったのですが」と言われました)

入社してから三十代前半までは、仕事と睡眠時間以外は、経営学書を精読し続けました。かたときも本を手放さず、食事しながらも本を読んでいました。気に入っていたのは、野中郁次郎氏、伊丹敬之氏らの本で、経営学はまったく初めての領域だったので、すべてを吸い込み、飲み込むように吸収しました。今から思えば、よくあれだけ活字を追えたものだと思います。
とにかく、カバンに毎日、10数冊ほどの本を詰め込むので、重いのです。ある朝、出かけようとしたら、本の重みでカバンの底がストンと抜けました。母からの入社祝いで気に入っていた革のカバンであり、ショックで、その日から本を5冊くらいに減らして持ち運ぶようにしました。
職場でも休憩時間は本を読んでいるので、何人かの上司から、「昼休みは仲間とお茶を飲んだり話しないと職場でやっていけないよ」とか、「オンオフを切り替えて家に帰ったらリフレッシュしないと仕事にさしつかえるよ」とアドバイスをいただきました。もっともだと思いましたが、若気のいたりですべて無視し、昼休みも帰宅後も、経営学書を読んではノートにまとめ、勉強し続けました。
結果的に、これが評価されたのか、29歳で中長期経営計画を策定する仕事に就かせていただけ、学んだ経営学を会社経営に応用する難しさを知りました。31歳で教育担当に復帰し、部下3名をもらって、教育部門のチーフとなりました。
ある上司から、「出た杭は打たれるというけど、出過ぎた杭は打たれることがないんやな」と感心されました。

■2期.34歳~38歳(世に出るための予行演習期)
……社長からの指名で、企業内企業として、経営コンサルタント会社を経営。6名の会社の社長業をやり、外部企業の指導を行いました。サラリーマンなのに、自由にやらせてもらいました。
「企業内企業」という経営活性化手法が流行り出した時期でした。
会社での位置づけは、課長レベルの部門長ですが、権限は社長なので、最初は「社長」とあだ名がつけられ、皮肉られていたようです。しかし、そのうちに当たり前になり、評価も逆転しました。よく、「知らない親戚が増える」といいますが、一度ほど会った社員が、ぼくの部下に「池田さんをよく知っている」「友だちだ」などと言ってくるらしく、また、若手社員が「カッコよさ」を感じるらしく、異動したい部門となっていました。
34歳から業界雑誌に連載をはじめ、この時期にビジネス書を2冊出版。雑誌への連載は、8年間続けました。
あるとき、会社の幹部社員の集まりからの講演依頼がありました。35歳で初めて出した本を専務が読んで感心してくれ、依頼してくれたのです。もちろん、同じ会社ではあっても企業内企業なので講師料をいただきます。社内なのに、外部講師のような感じで不思議な気分にもなりました。

■3期.38歳~41歳(転換期 ~苦難とチャンス)
……退社・独立し、経営コンサルタント業を開始しました。いきさつは、経営企画担当時代の部門長であった当時の副社長が、社長に就任することになり、本体に戻ってこいという話があったからです。
僕は悩みました。その当時のメモ帳には、副社長から自宅に来てほしいと言われ、そのまま泊まれと言われて、一晩かけて説得されたことが書かれています。「このまま、池田が辞めてしまうような気がする。ぼくを支えてほしい」と感極まったらしく泣き出されたのには驚いた、という様子が記されています。
さらに、メモ帳には、「もし、いま辞めなかったら、ぼくは生涯、副社長を支えなければならなくなるだろう」とも書いています。残るか、辞めるか、この機会しか退社のチャンスがないことに、とても悩んでいました。
副社長からは、「部長レベルで、三桁の部下を持つ仕事に就いてもらいたい」というオファがありました。たぶん、副社長が社長になるにあたって、業績を上げることが急務で、ぼくを営業部長の一人として業績を上げることを託されようとしたのだと推測しています。ちなみに、営業本部長のもとで、営業部長が6名ほどいて、トップの営業部長は取締役でした。
しかし、ぼくは辞めることを告げました。副社長は、「あと半年間、なにもしなくていいから、横におれ」と言い、副社長の執務デスクの横にぼくのデスクを並べました。そこでぼくは、毎日、辞めてから出版するビジネス書などを書いていました。
(※副社長室というのが別にあり、副社長はそこによくいましたので、ぼくは気楽にやっていました。また、辞めてからも、一年近く、毎月、副社長に報告に行っていました。副社長から、退社したぼくに「経営研究会」に行くことを命じられ、出席した後で、報告するのです。たまにそのまま食事に連れていっていただき、「いつでも会社に戻ってこい」と声をかけていただきました)
さて、まもなく阪神大震災に遭います。そのため、仕事の多くがなくなりました。その苦境を打破するために、『中村天風 君だって、ここまでやれる!』を執筆。三笠書房の常務であった編集本部長の指導を得ました。
その方からのお電話がなければ、いまのぼくはなかっただろうと思います。感謝してもしきれません。この本は、一年後に出した『中村天風 自分に「奇跡」を起こせ!』とともにロングセラーとなりました。また、この二冊の出版は、後々のぼくの人生に大きな影響をおよぼすこととなりました。
(※二冊とも書名を変更し再編集されて、現在も流通しています)

■4期.41歳~48歳(躍動期 ~自分でも信じられないくらいの展開)
……東京で、6人の仲間とともに経営コンサルタント会社を起業。順調に業績を伸ばしました。数年にわたるプロジェクトなどのリーダーを務めました。年収もサラリーマン時代の8倍になっていました。ホテルで缶詰めになって分厚い報告書をまとめるなど、とにかく激務でしたが、この間に本心庵をつくり、趣味として出版を始めました。
また、このころに、各界のいろんな人物たちと出会い、引き立ててもらったり、仕事の依頼を受けたり、一緒に仕事をするなど面識を得ました。
このうち出版に絞ると、船井幸雄さんとは執筆の約束をし、経済界の佐藤正忠さんからは、経済界からの出版依頼をいただきました。船井さんとの約束を10年後に果たしたのは嬉しかったです。
また、本心庵の出版物を扱ってくれたのが、トータルヘルスデザインの近藤洋一さんと、読書のすすめの清水克衛さん。湧くわく本心塾の今西最高顧問と出会ったのも、このころでした。
本業の経営コンサルティングでは大手企業の社長さんなどをはじめ数知れない方々と出会いました。家で夜の御飯を食べるのが、月に三日程度で、社長さん方やコンサルタント仲間と会食ばかりしていました。月の半分は東京でのホテル暮らしなので、当然そうなるのですが、これが原因で成人病に悩まされることになりました。
(※ぼくを引き立ててくれた人物たちの何人かは物故されました。なんといっても、ぼくの父親のような年齢の方が多かったので当然かもしれませんが、ほんとうに淋しいことです)

■5期.48歳~55歳(自己実現期 ~本を集中的に出した)
……東京でのコンサルタント会社を退社。コンサルタントの仕事があまりにも激務で、執筆の時間がとれないというのが理由でした。収入的にも順調だっただけに、まわりからは、なぜ辞めるの?と言われました。
退社後は、数年にわたって精力的に執筆しました。そのかたわらで、(株)プロセスコンサルティングを仲間とともに、3名で起業。

■6期.55歳~60歳(生涯ビジネスの基盤づくり)
……25歳から一貫して歩んできた社員教育・経営コンサルタントを引退し、出版業を主業務とすることとなりました。元気な間はこれからも出版業を続けていくつもりです。
また、湧くわく本心塾をスタートしたのもこのころです。さらに、漢文読解の勉強を始め、中国古典を学ぶことを決意。あわせて坐禅を始めました。執筆活動をいったん停止し、インプットに専念しました。

■7期.60歳~(原点に返り、本当に書きたいこと、書くべきことを書く)
……還暦を迎え、「捨てる」ことを始めました。処分し切ったうえで、いずれ反転して人生最大の攻撃に転じ、大勝利を得るという予定です。執筆も再開しました。

以上のような区分なのですが、
そうなると、60歳からはラッキーセブンを迎えるわけです。

ラッキーセブンと位置づけると、
どうも野球をイメージします。
となると、9回(9期)まであるわけで、野球でも7~9回がクライマックスですが、
ぼくの人生でも7期以降のいちばんいい時を迎えるのだと思うと、
これからが楽しみです。
それに延長戦もあるわけで、ぼくは大きな目標達成するまでやり続けます。

月曜担当…池田光



2015年10月4日(日)
「やめてはならない」                     日曜担当…八木正典

男子たるものは、1度戦って負けてもやめてはならない。
2度目、3度目の戦いのあとでもやめてはならない。
刀折れ矢尽きてもなお、やめてはならない。
骨が砕け、最後の血の一滴まで流して、初めてやめるのだ。  (新島襄)

同志社大学の創設者である新島襄の言葉です。
とてもとても力強い言葉です。
自己を頼る気持ちがビンビンと響いてきて自分の思いに強さを与えてくれます。
新島襄は21歳で死罪を覚悟の上で国禁を犯して単身で函館からアメリカに脱国、西洋の教育に強い関心を持ち、日本を背負うリーダーを育てることを使命として生きました。
激動の時代を生き抜いてきた人物の肝の据わり方が表れている言葉で、確りと胸にとどめておきたいと感じました。

日曜担当…八木正典



2015年10月3日(土)
知命                              土曜担当…佐々木秀彦

50歳になって7カ月が経過しましたが、僕は知命の境地にまだまだ至っていません。
孔子自身の生涯の実感なのか、そうあるべきという理想なのかはあまり気にはなりませんが、50歳で知命なのか、50歳代で知命なのかは若干気になるところではあります。

この『命』というもの、最近すごく意識します。安岡正篤師は『運命』を肯定的に、『宿命』は否定的に遣っていらっしゃったようです。『運命』は運んでいる、つまり自分自身も共鳴して動かしている。対して『宿命』は止まっている、つまり自分自身は受け入れているだけで何も積み重ねてないイメージなのでしょうか?
たしかに、運命は変えられるとういう言葉はよく耳にしますが、宿命を変えられるという表現を聞いたことはありません。


僕は日本語の同音異義語に非常に興味をもっています。全く違う意味の言葉が、発音すれば同じ意味だということに、その2つまたはそれ以上の全く異なる言葉も実は何かの繋がりや根拠をもっているのではないかと思えてなりません。
『命』メイと読めば、『名』と同音異義語です。名誉・名声という意味の『名』なら見事に反対語です。しかしどちらもメイだから難しいです。
『命』ミコトと読めば、『御子と』や『神子と』と同音異義語ですが、これはなんとなく同義を感じさせます。WITH神子、WITH御子なら、供に生きるような印象がします。


『志学』は至極自然にしたような気がしますが、今は表面的には違う方向に進んでいます。
『而立』の例えの結婚という事実は、40歳4か月の時でした。
『不惑』というには疑惑の残る40代を経て、
『知命』をどう過ごしていくのか???
70歳には『心の欲する所に従えども、矩を踰えず』というところを目指して、この50歳代を歩んで行きたいと思います。

土曜担当…佐々木秀彦



2015年10月2日(金)
茶香炉(ちゃこうろ)                     金曜担当…小笹正洋

部屋に大量の書物をストックするようになってから、古書独特の
紙の古びた臭いが気になるようになりました。

色々思案した結果、数年前に友人のお母さんに教えて貰った
茶香炉(ちゃこうろ)を取り出して、使用してみました。


茶香炉は、茶葉を熱してその香りを楽しむための小さな香炉で、
上部にある茶葉を載せた受け皿をろうそく等で焙って香り立たせます。

茶香炉には部屋のいやな臭いを消して、お茶の香ばしい芳香で、
さわやかな空間を作る消臭・芳香効果があります。
茶香炉でお茶を加熱する事によって、生じる「焙焼香気成分」
(ピラジン・フラン・ピロール系)は、気持ちを落ち着かせる効果と共に、
不快なにおいの成分を抑えてくれます。
また、緑茶には「青葉アルコール成分」という香り成分も含まれており、
これはストレスの緩和、血行促進などのリラックス効果があります。

焙じ茶として知られているお茶の香りがこれです。
また、焙じ茶特有の香りはアロマテラピーとしても効果的との事です。

自分自身、部屋に香水の匂いをさせる事はあまり好まないので、
丁度良い具合になってくれました。

一般的に茶香炉は、アロマポットより高い温度で茶葉を焚き、
使用済みの茶葉は焙じ茶として飲むこともできるようです。
また、茶葉の代わりにコーヒー豆を挽いたものなどを用いて
香りを楽しむこともできるようです。

日本茶の香りを堪能したら、次に試してみようと思います。


ちなみに、この茶香炉は伝統的に存在していたものでなく、
全国で一般的に知られるようになってからまだ10数年です。

金曜担当…小笹正洋



2015年10月1日(木)
招き猫の日                          木曜担当…西端努斗夢

先月29日は「来る福」ということから「招き猫の日」だったそうです。
そしてこの日は、日本の暦では大安よりも縁起がいいとされる「天赦日」。しかも、何かを仕込むと何倍にもなって還ってくるという「一粒万倍日」が重なった、もしかしたら今年最も縁起の良い日で、何か事を起こすには最良の日だったのかもしれません。

そんな縁起の良い日でしたが、私は特に何かをするわけでもなく、いつもと変わらぬ1日を過ごしました。「だから、お前はダメなんだ」と言われるかもしれませんが、こんな自分を嫌いではありません。

考えてみたら、招き猫は福を手にするために行動を起こすことはしません。じっと座っているだけで福の方からやって来るのです。

木曜担当…西端努斗夢



2015年9月30日(水)
ようやく読めてきた                      水曜担当…冨樫功

最近、立花大敬さんの著作を読み返しています。

もともと斎藤一人さんがオススメしていたので読み始め、
そのおかげでこの湧くわく本心塾との縁もつながりました。


しかし、最近、内容を全然理解していなかったことがわかってきたのです。



ひとつひとつの話を以前はなんとなく楽しんではいました。
表面の字面を楽しんでいました。
中の深い意味はあまり追わずに。


でも、今読むと軽やかでやさしいタッチの文章のなかに、
ブレがなく統一された価値観があることが見えてきました。



こうなると、以前は何を読んでいたんだろうと不思議になります。


実は、しあわせ通信シリーズをまだ半分も読めていないので、
楽しみがいっぱい残っています!


また文章の中にたくさんの参考文献について言及されるのもありがたいのです。

自分の読むペースでは全部を追えそうにはないですが、
読みたい本が増えるのも楽しみです。


本を読むのは、自分にとっては最高の娯楽のひとつです。

水曜担当…冨樫功



2015年9月29日(火)
「無限の宇宙」                        火曜担当…坂本欣也

27日は中秋の名月、29日はスーパームーン。
いつも以上にパワーのある月が、飛鳥の空にも輝きました。

意識が宇宙に拡がりました。

宇宙の起源を解き明かすために50年以上研究を続けているスティーブン・ホーキング博士の言葉。

「そもそも天職はなるものじゃない、
気が付いたらなっているものだ。」

「宇宙に始まりがある限り、
宇宙には創造主がいると想定することができる」

「私は幸運だ。
なぜなら脳は筋肉でてきていないからだ。」

発症後3~5年で呼吸筋麻痺により死亡するとされる筋萎縮性側素硬化症(ALS)に、ケンブリッジ大学大学院在学中の21歳にかかり、どん底を味わった。

しかし、「宇宙解明」に闘志を燃やし、
不治の病を背負いながらも、
73歳に至る現在まで宇宙に挑み続けている。

ホーキング博士の不屈の精神と生き様そのものが、
無限の宇宙、人智を越えた宇宙の魅力を表していると思いました。

火曜担当…坂本欣也



2015年9月28日(月)
無題                               月曜担当…池田光

『2万人の人生を変えた23通の手紙』というアンソロジーを出版したのは、
今年の4月のことでした。

『立花大敬先生ノート』と題する、僕のメモ帳があります。
パラパラ見ていたら、アンソロジーに関する最初のメモ書きが出てきました。
2007年の3月には大敬先生から、
「アンソロジーの件ですが、大敬著ではなく、池田光選・解説という形で出して下さるならOKです」
という手紙を頂いたようで、そのコピーがノートに貼り付けてありました。
実際の出版は、2015年だから、企画から8年後です。
出版社さんともその頃からお話をしていました。

『大敬詩集』も、原稿をいただいてから、出版したのは10年後でした。
あれこれ企画が浮かぶけれども、実現にはどうも時間がかかるようです。

いま、『しあわせ通信 第10集』のための原稿整理をしています。
来年の半ば頃に出版する予定です。
その過程で読み返した一つの原稿があります。
ある人の話だとして、他人事のように書いてあるけれども、
実際は大敬先生ご自身の体験ではないかと思える文章でした。

異例ですが、10集にはこの原稿を入れず、別の形で出版しようと思います。
別の形……と書いたけれど、いつ出版できるか分かりません。
すでに準備を進めていて、原形はできています。
もし出版するとしたら、2025年以降になるでしょう。
あるいは、あらかじめ100部ほど作っておいて、
倉庫にしまっておこうかと……。
有限の時間であることを念頭において、浮かんでくる企画を吟味しています。

月曜担当…池田光



2015年9月27日(日)
「雑用」                             日曜担当…八木正典

イエローハットの創業者である鍵山秀三郎さんの次の言葉に出会いました。
「もともと、世の中に雑用というものはありません。雑な心でするから、雑用になるだけのことです。」
その人の意識で物事の見え方や物事の捉え方が変わる。
鍵山さんは意識を変えるために掃除をものすごく大事なものと考え、徹底的に掃除をすることにこだわりを持ち、掃除運動をライフワークとして続けておられます。
一所懸命に掃除を行うことにより、周りに気付くこと、気遣いができるようになるのだそうです。
また、経営コンサルタントの武蔵野/小山昇さんも「環境整備」という言葉で職場を徹底的にきれいにすることが経営改善の重要な要素として指導されています。
自分に沸き起こる雑な心を取り除くために、場を清めることを意識していきたいものです。

日曜担当…八木正典



2015年9月26日(土)
愛宕                               土曜担当…佐々木秀彦

愛宕と言っても戦艦のことではなく、その名前の由来になった京都の愛宕山。
京都では比叡山と並んで高い山なのですが、この山頂には愛宕神社が鎮座されております。
その起源は1300年以上前、標高は924?。大昔、比叡山と愛宕山がどっちが背が高いか喧嘩になって、血の気の多い比叡山が拳骨で愛宕山を殴ってコブが出来た分だけ愛宕山の背が高くなったという噂話もあるほど、創祀は古く、鞍馬山はじめ全国で有名な天狗達の長男の太郎坊が祀られていたり、明智光秀の愛宕百韻であったり、その由緒も流石の霊峰です。

僕も京都生まれの人間ですので、この愛宕さんを地元民として敬愛しているわけなのですが、この愛宕さん、火伏・防火の神様として京都人には絶大なる信頼があります。
そしてこの愛宕さんに、3歳までに参拝すれば、一生火事に遭わないというお話は、京都市民誰もが疑うことはないくらい神妙な言い伝えとなっております。

僕の娘は今、2歳9ヶ月。そんな話を知っていながら、連れて行かないでいられるほど、僕は肝が据わっていません。火事に遭わない方がいいに決まっているし、何より親としての自覚と責任感を試されているような強迫観念のようなものにも駆られまして、ついに愛宕さん参詣を決行いたしました。

登山口から片道約4?mの行程、通常片道約2時間、往復、参拝、休憩を含めて約5~6時間の参詣となります。この愛宕神社、参詣はすべて徒歩です。他の手段はありません。京都最高峰に鎮座するのです。その参道はハイキング気分では追い返されてしまいます。本格登山とまでは言いませんが、気持ちは登山をするとして臨まなくては通用しない参道なのです。

3歳未満の幼児では、この参道を自分の脚だけで踏破するにはあまりに難しいです。当然ながらそのほとんどを父親である僕が背負って登るはずです。自分一人でも厳しい行程にもかかわらず、愛娘を背負って参拝して安全に山を降りてくるのは、行く前にはかなり気合を込めて臨みました。

そしていざ登り始めて、まず驚きました。最初娘には山を登るからたくさん歩こうねと言い聞かせてはいたのですが、最初急激な上り坂にもかかわらず、30分位はしっかり歩きました。普段はすぐ抱っこ抱っことせがむ子です。このがんばりだけで充分連れてきて良かったと感じるぐらいでした。

そして、一緒に行った、嫁、嫁の母、嫁の妹ともども頂上の愛宕神社へ参拝、昼食の後、下山ですが、ここで娘は背負われるのは嫌だ、自分で歩くと言い出します。がんばれるだけ歩いてみて!と一緒に歩き始めます。これが霊峰の持つオーラなのでしょうか?帰路は約半分ほど歩きました。時間にすれば2時間ぐらい、大人でも油断できない傾斜の下り山道を、しっかり1歩1歩、力強く、滑って転んでも笑顔でまた起きて歩きます。僕はその姿に胸が熱くなりました。

約半分ほど来たところで、ついに抱っこと言うので、僕が背負い続きを歩きます。娘は全力を出し切った証拠にすぐに眠りました。愛宕山参道は麓側半分が特に急な傾斜になっていて、危険です。この下り坂を(往きの上り坂の時も同様ですが)一歩一歩、こんなに慎重に滑らないように気を遣って歩いたことは無いくらいの勢いで歩みます。この1歩1歩が何か親として人生を歩む時に大切なことを教えてくれているような気がしました。

京都人の俗習慣恐るべし!大昔からこうやって親の自覚を促してくれるということでしょうか?火伏の大義名分にかこつけながら、安全とは何かをもっとしっかり認識させてくれる。登山を人生に例えるお話は多々耳にしたことはありますが、やはり自分の脚で娘を背負って歩いてこそ気づいたり、感じたりすることが確かにありました。

今回の愛宕さん参詣でも、同じように子供を背負って歩いている方を多く見ました。自分もがんばったけれど、そうやって考えれば、平成の現代でも相当多くの親が普通にこの程度のことは踏破していることもまぎれもない事実です。

普段完全に運動不足の僕が娘を背負って参詣できたこと、普段抱っこ抱っこの娘が自分で歩くんだとがんばって歩いたこと、70才の義母が厳しい登山道を孫と娘と親子3代そろって踏破できたこと、それをサポートした嫁と嫁の妹のがんばりも、全部全部が霊峰愛宕山の与えてくれた今後の家族の大きな財産になるような気がしました。


愛宕…直訳すると愛の石窟ですか???
火伏・防火にしても、登山にしても、日頃の事業の遂行という意味にしても、安全に遂行するには石のような強固な愛をもってして臨まなくては拓けないということなのかもしれません。しかしその実践としてまず脚の筋肉が強固に張ってしまっていることで、まだまだ修行が足らないことをまさしく痛感させられています。

土曜担当…佐々木秀彦



2015年9月25日(金)
潜学講座                           金曜担当…小笹正洋

春日潜庵(幕末から明治初期の儒学者・陽明学者)は、明治新政府になってから
初代奈良県知事を勤めた人でした。
潜庵は号(雅号)で、20才そこそこから名乗っていました。(本名は仲襄)
維新の志士西郷隆盛らとも交流を持ち、国事にも奔走されていました。

潜庵の6歳年長で生涯の畏友であった幕末から明治の儒学者・陽明学者で、
備中聖人と言われていた山田方谷は、潜庵の「潜」に志す所以を賛同して、
「潜」に務めることが他日必ず「顕」ならしめる所以であるあることを
潜庵記の中で力説しています。

潜は顕の反なり、しかしてまた常に相寄るなり。
潜に非ずんば以て顕の美を致す無し。
顕に非ずんば以て潜の実を験するなし。
潜は顕の本なり。
顕は潜の効なり。

私たち湧くわく本心塾のメイン講座である「潜学講座」という名前に改めて
重荷を感じる次第です。

金曜担当…小笹正洋



2015年9月24日(木)
月光                               木曜担当…西端努斗夢

眩しい太陽の光よりも、どちらかといえば、ほのかな月の光の方が私は好きです。
日の光では眩しすぎて岩陰や穴に隠れている虫たちにまで優しく降り注ぐ月の光のような人間になれたらいいなと思っています。

今月27日は中秋の名月、そして28日は、今年もっとも大きく見える満月「スーパームーン」。部屋の灯りを落とし、月の光に照らされながら、ひとり静かにお酒を飲みたいものです。

木曜担当…西端努斗夢



2015年9月23日(水)
インドも行ってみたいなあ                  水曜担当…冨樫功

久しぶりに「あるヨギの自叙伝」という本を読みました。
パラマハンサ・ヨガナンダという、
西洋にヨガを広めた方の自叙伝です。



初めて読んだのはたぶん10年ほど前だと思います。
船井幸雄さんがオススメされていたのです。


当時も面白くてむさぼるように読んだ記憶がありますが、
今回もまた至福の読書タイムになりました。


10年の時を経て、この本に帰ってくると、
この本がきっかけでこう考えるようになったんだな、
という箇所がたくさんありました。


単純に読み物、ストーリーとして最高に面白いのです。
小説も顔負けの驚くような登場人物が次々と出てきます(多くは写真付きで!)。
約1世紀ほど前にこんな人たちが生きていたとは!


そして、それと同時にその思想体系の深さは天風哲学にも引けをとりません。
それもそのはず。天風さんもヨガの聖者に命を救われたのでしたね。

聖人の境地がどういったものか、
垣間見ることができます。


あの、スティーブ・ジョブズがアイパッドに唯一入れていた本がこの本だったそうです。


そろそろインドの聖典も読んでみようかな、と思いました。
聖書に次いで読まれているといわれている本を。


しかし、読みたい本ばかりが増えて、
読む時間が足りません。


まだまだ時間はありますが、
この人生でどこまで読み進めることができるかなあ、と思います。

水曜担当…冨樫功



2015年9月22日(火)
「宇宙恵」                           火曜担当…坂本欣也




真善美に囲まれて生きている。


この幸福を感じられる「今ここ」が、幸福です。

真善美は在るものではなく、本心の波動から生まれてくるものと観じます。

ありがとうございます。

火曜担当…坂本欣也



2015年9月21日(月)
無題                              月曜担当…池田光

欲しいものを好きなだけ買い、
読みたい本を思いっきり読み、
見たい映画をシニア料金で鑑賞し、
混雑を避けて美術館や博物館を楽しみ、
旅したいと思い立てばふらっと出かけ、
気軽に美味しい料理を予約しては舌鼓をうち、
山海の珍味を取り寄せ、
好みの食器類に少量ずつ盛っては目でも楽しみ、
今聞きたい音楽を流し、
三昧燭という柔らかな燭台に灯りをともし、
その陰翳で立体感が増した空間に浮かぶテーブルに独り向かい、
気が向けば秘蔵の中国宋代や初期李朝の酒器類を取り出し、
朝でも昼でもかまわずに旨い酒を注ぎ、
朝でも昼でも好きな時間に寝たいだけ寝て、
夜中でも明け方でも好きな時間に起きて、
入りたい時間に風呂に入って瞑想し、
ぼーっと何時間でも好きな場所で好きなだけ物思いにふけり、
古書を通じて孔子や老子といった聖賢とアクセスし、
好きな人といつでも遊べる、
会いたくない人とはいっさい会わない、
そんな自由が欲しいと思っていた。

今は何の拘束もなく、
時間だけはまったく自由になったので、
上記の半分くらいは満たせるようになった。

それなのに、今でも「勉強しなさい」という声が僕を駆り立てる。
母は、子どもの僕に、顔をあわせば学校の勉強を強要し続けた。
僕は常に反抗し続けたが、
母の声が知らず知らず潜在意識に沁み込んだためであろうか、
今でも、
「勉強しなさい」
という潜在意識からの働きかけがある。
三日ほど勉強しないでいると、
罪悪感が湧いてくる。

この声が僕の主人で、
僕はその声から自由ではないのではないか、と考えたりする。

自由とは何か――。
「自分の人生の主人が『自分』であることが自由である」
と定義している。

たとえば、感情に振り回されている人がいるとする。
そんな人は、
「自分の人生の主人が『感情』である」
だから、自由ではない。

「自分」が主人であるとは、どういうことか。
そもそも、「主人である自分」とは、何者なのか。
主人である自分とは、本心が顕現した自分である、と答えたい。

このことが今の僕のテーマで、
「本心」に焦点を絞り、
この観点から、中村天風の教えを考え続けている。
すると、安定打坐法こそが探求すべき最大の対象となる。

ブザーが切れた瞬間の「無我無念」の境地を味わう。
そして、有我無念で生きる。
今、僕は、自由なのか――。
そう問い続けている。

ここ数年、このことをずっと問題にし続けていて、
ようやく執筆の段階にきた。
が、書きながら、ああでもない、こうでもない、とまだ思索している。
完成した原稿を、数か月寝かしては、最初から手を入れようとする。
なかなか完成には至らず、出版を延期し続けている。

月曜担当…池田光



2015年9月20日(日)
「秘訣」                             日曜担当…八木正典

ある経営者の方と話をしていて経営の秘訣という話になりました。
その方がこれまで心がけてきたことは次の2つです。
一つ目は、社員に一旦任せた以上は思っていること、言いたいことがあっても我慢するということです。
待つのも仕事、待つのも仕事と自分に言い聞かせ、ヒントは与えるけど自分の満足する目線に這い上がってくるまで期待をかけて待ち続けることを意識しているという事でした。時間がかかるように見えてもその方が結果的に会社の足腰は強まると感じているということです。
二つ目は、継続し続けるということです。
自分で決めたことを毎日毎日周りがあきれるぐらい愚直にやっていく。それによってゆっくりでも着実な成長を遂げていくことが出来てきたのだそうです。

ともすれば効率性を重視し近視眼的な結果ばかり追い求めてしまいがちですが、中長期的な視点を忘れずに持続的な努力を続けていきたいと感じた瞬間でした。

日曜担当…八木正典



2015年9月19日(土)
遺失                              土曜担当…佐々木秀彦

僕は2つの手帳を持っています。
1つは日記的な感覚で、一日の主な行動や成果や失敗を行動欄に記入して、3~5行ほどの思ったことや感じたことを毎日記入する自分記録のようなモノ。完全に押入れの肥やしと化してはいるのですが、もう20年以上は続けている習慣です。
もう1つは仕事の予定や行動結果、成果、情報、等々仕事に関してはこれが無いと不安になるくらいのスケジュール管理主体の手帳です。

この大切な手帳を遺失してしまいました。はい1つだけ仕事用の手帳の方なのですが、仕事専用の手帳を使うようになってもう10年近くになるのですが、初めての遺失です。当たり前に身近にあるものが突然無くなることは、通常想定内ではあるのでしょうけど、モノが手帳だけに情けないやら、恥ずかしいやらの別の感情も起こり、当然に先のスケジュールに関しての不安や、記録していた内容の遺失にこれから度々困ることが起こるのは避けられない現実があります。

今、携帯電話でスケジュール管理してる方々が多いのも、この手帳の遺失に対する防衛も根拠の大きな要素だとは認識してはいるのですが、自分で書くということと、1年毎に新しい手帳に変えていく気分転換の魅力は僕にとって大きな意味ですので、今でも手帳を愛用してるのですが…遺失しました。

そこでこの機会に、僕もスケジュールをデジタル管理することにしましょうか…
今年は残り約100日お試しするにはいい期間でもありますね…
しかし、人様とお話しする機会に携帯やパソコンを出してメモを取るより、手帳に書き留めながら話を進めるほうが美しくないですか?
手帳の魅力はやはり完成された魅力です…
ん?…とすれば、両方使えばいいだけのことではないのでしょうか?
はい、今、決めました!僕は携帯電話でスケジュール管理を始めます!
しかしながら、仕事情報の記録として手帳もやっぱり新しく買います!

遺失の対義語は、拾得です。
大切なモノを遺失したからには、大切になるかもしれない新しいモノをしっかり拾って得たいと思います。

土曜担当…佐々木秀彦



2015年9月18日(金)
歴史を見る                          金曜担当…小笹正洋

「無私の日本人」/磯田道史(著)

9月の潜学講座のときに塾生の安田さんも紹介されていましたが、
江戸時代の無名有力の傑人たちにスポットを当てた書物です。


その中でも、大田垣蓮月の巻が特に印象深い。

時は幕末、舞台は京都。私生児として生まれたおのぶ(お誠)は、
文武芸術の才に秀で、美貌も兼ね備えた女性として育ちましたが、
娶わせられた夫やその間にできた子にも先立たれてしまう等、
家族に恵まれない境遇を経て出家剃髪の道を選んだおのぶは、
蓮月尼となりました。

薙刀、鎖鎌、剣術、舞、歌、裁縫ということなら人に教えて生計を
立てられるレベルであった蓮月尼でしたが、縁あって埴細工の職と
巡り合い、埴細工に自分の歌を彫ったものをつくり生計を立てる。

やがて、戊辰戦争で官軍と旧幕府軍が京都で戦い、官軍の西郷隆盛が
旧幕府軍を追いかけて東上していこうとする中で蓮月尼は、


“あだ味方 勝つも負くるも 哀れなり 同じ御国の 人と思へば”


この歌を西郷隆盛の手に渡らせる。

そして、「この国を焦土にする。そこから新しい日本をつくる」
という西郷隆盛の考えを覆らせたのです。

江戸城総攻撃を回避させた西郷隆盛や勝海舟、山岡鉄舟の功績が
歴史の表舞台を飾っていますが、こういうお話を知ると、歴史も
より奥行きが深まります。

金曜担当…小笹正洋



2015年9月17日(木)
アウトプット                          木曜担当…西端努斗夢

毎月参加させていただいている勉強会、今月のテーマは「人の成長は、インプットでなくアウトプットで決まる」でした。
その通りだと思います。いくら勉強しても、ただ単に知らなかったことを知っただけで、それを日常生活の中で行動に移してこそ、学んだことが血肉となるのではないでしょうか。
ブログなどの文章に書くことや他人に教えることもアウトプットのひとつです。湧くわく本心塾の潜学講座では、塾生が交代で講師を務めていますが、自身がこれまでに学んできたことをアウトプットできる貴重な場だとあらためて実感しました。

木曜担当…西端努斗夢



2015年9月16日(水)
瞑想の習慣                          水曜担当…冨樫功

最近ようやく瞑想が習慣づきました。

朝の始業前と、夜の仕事終わりに一日2回。
時間は一回15分ほど行っています。


以前は気がついたときにする程度でしたが、
する時間を決めてしまえば習慣づくものですね。


今は、仕事場でしているので、
イスに座って行っています。


はじめに般若心経か、延命観音十句経をしばらく唱えます。
息が続く限り吐きながら、声を出し続けます。

一拍一拍規則正しいリズムで音に没入します。

唱え終わってから、瞑想に入る瞬間がたまりません。
お鈴や、ブザーを使った瞑想以上に静寂を味わうことができます。



このとき、とても気持ちがいいのです。
そして、静寂をしばし味わいます。


味わいながら、時によって丹田に意識を集めたり、
眉間を開いたり、脳天から気が入ってくるのをイメージしたり。

だいたい15分があっという間です。
終わった後は、スッキリ。


瞑想、座禅にもいろいろな方法があると思いますが、
今はこの方法が気に入っています。

昔は、座っているのがツラくて5分でやめたりもしましたが、
今は確実に気持ちよくなれるのでうれしくてたまりません。


水垢離と同じように続けていきたいと思います。

水曜担当…冨樫功



2015年9月15日(火)
「白鳳文化展」                        火曜担当…坂本欣也




「白鳳文化展」を観に、奈良国立博物館に行ってきました。


天武・持統天皇夫妻がつくった藤原京の時代、飛鳥京から平城京に遷都するまでの7世紀後半の約30年間という、短い期間に花開いた文化です。

この「白鳳文化展」を見て、この時代は日本文化の重要な転換期だと思いました。

まず驚いたのはその技術レベルの高さ。
1350年前に、これほどの仏像や工芸品を作る技術があったとは。

そして、その技術の裏付けとなる精神性の高さ。
また、当時のグローバル交流の多彩さ。
朝鮮と中国だけでなく、インドやギリシャ文化などからの影響。

今のような交通手段もインターネットも無い、あの時代に。
好奇心、探求心、行動力、吸収力、想像力、創造力という人間力に驚きました。

観ているだけで、心がドラムを叩き始めました。
これは私の奥底に潜むサムシングが、その波動に共鳴している証拠です。

仏像が動いているような気配を感じました。
武家支配の鎌倉時代から江戸時代のどっしりと構えた仏像にはない、小躍りしているような躍動感を感じます。1350年の時差を全く感じず、当時の仏師たちの思い、息遣いが乗り移ったかのような仏たちでした。

圧巻は、薬師寺の月光菩薩。
3メートル近い、巨大な立像。
人間の本物の肌のような艶、筋肉の張り。
展示用に、光背の無い姿なので、微細な背中の筋肉まで見ることができます。
彼(女)も時空を超えて、生きていました。

白鳳のエネルギー。
日本が国家として姿を現し始めた、人間で言うと小学校の高学年の頃のような、花のつぼみが開き始めた、純粋で無垢な若々しいエネルギーを感じました。
(奈良時代になると仏教界は政治勢力化していきます)

私自身が生まれ育った飛鳥・藤原の地を、当時の風景と重なり合わせ、
自分がなぜこの地で生まれ、ここを拠点にグローバルな仕事・活動をしているのか?
仏像たちに尋ね、彼らとの対話を楽しみました。
本当に楽しいひと時でした。

今週も月曜日から金曜日まで全国行脚ですが、今回戴いた白鳳の若々しいパワーのお蔭で元気に仕事ができます。日々感謝です。

白鳳文化展は、9月23日までです。お勧めです。

火曜担当…坂本欣也



2015年9月14日(月)
「そのままでいいんだよ」                  月曜担当…池田光

■「還る」ということ
60歳。
還暦を迎えたからかどうかわかりませんが、
「還る」ということがずっと意識にあります。

湧くわく本心塾をやっていて、
「本心」ということを柱にしているというベースのうえに、
還暦を迎えたせいか「本心に還る」ということが頭を離れないのです。

還るというのは、360度ということで、
円周を一周して、もとの地点に戻ることです。
それがとういうことかというと、
「本心に還る」ということであり、
「そのままでいいんだよ」
ということだと思うのです。

赤ちゃんは「本心」だけです。(そう見えます)
それがさまざまな社会経験を経て、
本来持って生まれた本心のうえに、いろんな心が覆いかぶさり、
本心が見えなくなっています。
「そのままでいいんだよ」とは、
本来具わっている「本心」を発現することだと思います。

■「そのままでいいんだよ」は恐い言葉
ところで、人生に悩んだり、
自分を変えようともがいている人に、
「そのままでいいんだよ」
と、エライ人が言ってあげたら、どうなるでしょうか?

50度や、60度くらい進んだところで、もがいているその人が、
「なんだ、そのままでいいんだ」
と真に受けると、その地点に止まってしまうのではないでしょうか。

就職しようともがいている人が、
「そのままでいいんだよ」という言葉を真に受けたら、
そのまま就職できないのではないだろうか……。

成功しようとしている人が、
「そのままでいいんだよ」という言葉を真に受けたら、
そのまま成功できないのではないだろうか……。

それとも、「そのままでいいんだ」と、
その地点に止まった瞬間、
すっと就職できたり、成功したりするような
魔法のような逆転現象が起こるのだろうか?

僕は「そのままでいいんだよ」という言葉をずっと疑っています。
疑うとは、否定しているということではありません、念のため。
ただ、ここのところが僕には納得がいかないんです。

■十牛図で教えているのは、360度の「そのまま」
十牛図は、「そのままでいいんだよ」ということを教えています。
が、十牛図が教えているのは、
そのまま(0度)→悟り=本当の自分に出会う(180度)→そのまま(360度)
ということで、180度を経たうえでの「そのまま(360度)」です。

0度のときは牧童でしたが、360度のときは大黒様みたいに変身しています。
が、どちらも「そのまま」の姿です。
牧童……無自覚な「そのまま」
大黒様……悟ったうえでの「そのまま」
「そのまま」のためには、「そのままじゃいけない」という180度の転換を経ないといけません。
180度を体験しない人は、鍛えられていません。
180度とは、一度は自分を否定することです。
否定して否定して否定したときに、360度の地点に立てるのです。
これが、
「そのままでいいんだ」
なのです。
360度の人とは、180度の悟りを経て、その悟り臭さを脱した人です。
僕には、0度→180度→360度の「そのまま」が、「そのままでいいんだよ」という真意だと思えてなりません。

■「そのままでいいんだよ」の魔法
十牛図を例にしたので、
難しく思えたかもしれませんが、
こういうことです。

50度や、60度くらい進んだところで、もがいているその人が、
「そのままでいいんだよ」
という言葉を聞いて、
ハッと悟り、
50度や、60度くらいの地点を、するっと「180度」にしてしまい、
そこから元の地点=本心に還るのです。
つまり、小さな円運動にしてしまうのです。
これが、「そのままでいいんだよ」の秘密であり、魔法ではないかと思うのです。

■こんなときも普通でいられるか?
よほど悟っていないと、そのままで居続けることはできせん。
「そのままでいいんだよ」という言葉を、
自分への甘い言葉として聞いている人が、
もし、宝くじを買って7億円が当たったら、
「そのまま」で居続けることができるでしょうか?

僕は、360度の「そのままでいいんだよ」を悟った人は、
7億円をもらっても、そのままで居続けることができると思います。

宝くじは滅多に当たりませんが、
死は平等に訪れます。
余命3か月だと宣告されたら、どうでしょう?
360度の「そのままでいいんだよ」を悟った人は、
宣告を受けても、「そのまま」で居続けることができると思うのですが。
どうなんでしょうね?

月曜担当…池田光



2015年9月13日(日)
「固定概念」                          日曜担当…八木正典

司馬遼太郎先生の「坂の上の雲」を読み直しておりますが、日露戦争での日本陸軍の悪い習慣として司馬先生は固定概念への固執を何度も書いておられます。

固定概念が出来上がるとなかなか変えられない。
さまざまな情報がその概念の間違えを指摘しても、自分の持つ固定概念に反する情報を無視し更に持論に固執するようになる。

自分の考えを振り返って見ると、同じような思考パターンで判断していることに気づきます。固定概念にまみれていると言ってもいいかもしれません。
より高い視点でのものの見方を心がけ、自分の固定概念を打ち崩す努力を続けたいものです。


着眼高ければ、則ち理を見て岐せず。(言志録88)

日曜担当…八木正典



2015年9月12日(土)
初歩                              土曜担当…佐々木秀彦

『祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり』
平家物語の冒頭で、学校で暗唱を課せられるので、日本人なら誰でも知っている部分です。ただこの意味の解釈は僕なりの独断があります。

平安京は唐の長安の街を模して碁盤の目に整備されたため、北東から南西へ流れていた鴨川を南北一直線に無理やりに曲げてしまったため京の都は常に鴨川の氾濫の脅威と隣り合わせの生活でした。
『祇園精舎』つまり東山界隈の寺院の鐘は、鴨川氾濫で多くの死者が出る度に当然ながら鳴り響くわけです。そして『諸行無常』というのも、川の水が氾濫を起こすと、生活のため造成したすべてのものが命まで含めて一瞬のうちに流されるのですから、諸行無常という示唆にふさわしい迫力だというのが僕の解釈です。


突然平家物語でスタートしましたが。先日の潜学講座の親睦会にて、西端事務局長とのお話から流れの中で、池田塾長にも、今西名誉顧問にも、先輩皆様どなたのご意見を拝聴することもなく、まさしく勝手に、本日こうして初歩を踏み出してこのブログの担当を引き受けてしまった佐々木秀彦でございます。
これも湧くわく本心塾に出会えたからこそ、皆様に読んでいただける機会をいただけた幸運と考えて、このチャンスをしっかり活かしていけますよう僕なりに何かを発信できればいいなと肩に力を入れております。どうぞよろしくお願いいたします。


『賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの』
同じく平家物語の中で白河法王がこう嘆いたといういわゆる『天下三不如意』です。

ここでも再び出てきます鴨川の水。自然の力というか、さらに深めますと、人間が自分都合で自然の形に背くと必ず氾濫を起こす。自然に背かなくても起きるのですが…。そして数字の確率、そして社会の大きな流れ(山法師には諸説ありますが、僕は民意というか民衆の力と僕は捉えております)


今回の災害も、日々起こる事件事故も、決して僕とは関係ない話とはとてもじゃないけど思うことはできません。一瞬のほんの僅かな差で僕がその当事者になることはあまりに簡単に起こる確率です。今の世界の中の日本で、そしてその中の大阪で、こうして今日も湧く湧く本心塾の皆様にかかわれること、そして家が在り、電気が使え、食事も仕事もあることにまずは大きな感謝をして、次に僕が被害にあった方々に何かできることはあるのかを考えたいと思います。

土曜担当…佐々木秀彦



2015年9月11日(金)
積もり積もって・・・                      金曜担当…小笹正洋

ここ1ヶ月間は空いた時間を見つけては
ひたすら書物の処分をしています。


寝具の両脇に積まれた書物の山。

その横の本棚も満員御礼。


部屋の中が書庫と化してきています。

この先は、減らしていく事を考えるのみと
なって参りました。


処分する書物を選別しながら本棚を眺めていると、
以前は何に関心を持ち、何を大切にしていたかを
懐かしく感じる次第です。

今となっては読まなくなった書物であっても、
入手したときの苦労を思い出すと、
何となく微笑ましくなったりもします。


あと500冊位は処分しようとしています。

かなり思い切った決断もすることになると思いますが、
自分にとって本当に必要なものは何かということを
じっくりと考えてみるよい機会にもなるのではないかと
思っています。

金曜担当…小笹正洋



2015年9月10日(木)
行動する                            木曜担当…西端努斗夢

インターネットに接続する光回線を電力会社系から別会社に変えました。
回線を変えるとなると手続きや設定の変更など、色々と面倒です。それに、これまで使っていた回線は価格も安価だったのですが、思うところあって変えることにしました。
解約の際は、「原子力発電所再稼動反対の意思を表明するため、回線の使用をやめさせていただきます」と応対に出た職員の方に理由を伝えました。
私ごときが一人、回線を解約したところで電力会社は、痛くも痒くも無いのは百も承知です。しかし、私のこれからの人生は「実践の10年」、思ったことや学んだことは行動に移す。今回のこともその一環です。

木曜担当…西端努斗夢



2015年9月9日(水)
Heart of gold                         水曜担当…冨樫功

1972年の全米ナンバーワンヒットに、
ニールヤングの「Heart of gold」という曲があります。

自分が生まれる前の曲です。

以前から知ってはいたのですが、
最近、なぜかこの曲の意味が気になって調べたのです。


「Heart of gold」は直訳すれば「黄金の心」ですが、
実際には「優しい心」「寛大な心」「親切な心」といった意味だそうです。


「He has heart of gold.」と言えば、
「彼は人間味のある、親切で、寛大で、寛容な性格です。」といった意味になります。


これは孔子のいう「仁」や孟子のいう「惻隠の情」の、
別のいいかたといえるのではないでしょうか。


湧くわく本心塾でいう「本心」のことかもしれません。



「本心を探しながら年を重ねていこう」と淡々と歌われるこの曲は、
派手ではありませんが、静かな感動が広がる名曲です。


これから、いつも口ずさんで年を重ねていこうと思います。

水曜担当…冨樫功



2015年9月8日(火)
「いのちの力」                         火曜担当…坂本欣也




富山への出張の折、途中下車して金沢を訪れました。


金沢城の本丸跡で、この巨木たちに出会いました。

その姿、迫力に圧倒され、しばし呆然としました。

内から湧き出る「いのちの力」を感じました。

この本丸跡は、こうした巨木の宝庫です。

それぞれにユニークな個性があり、自己を主張し、お互いが語り合っているようでした。

静かだが巖としたエネルギー。

また必ず会いたい魅力ある巨木たちでした。

火曜担当…坂本欣也



2015年9月7日(月)
無題                              月曜担当…池田光

先週の土曜日までは何かと忙しかった。
僕は還暦になってから、
・隠居
・引退
を強く意識するようになった。

隠居と引退は、僕にとっては同じではない。
隠居……文字通り、居に隠れること
引退……現役から退き、仕事などを辞めること
であり、まずは、隠居しようと考えた。
そして、自宅を中心に行動半径を縮め、大阪の事務所はなくす方向で進めている。

ところが、まだ完全に引退をしていないので、
仕事が追いかけてくる。
原稿の校正などがあり、土曜日までは忙しかった。
新しい仕事を獲得するような働きかけはせず、
これまでお付き合いがある方々の範囲で細々とやっていくつもりにしているが、
それでも何かと忙しい。

そんななか、昨日の日曜日は何もしなくていい時間ができ、
勉強部屋で音楽をかけ、
お茶を飲んだり、
ソファに寝転んで本を見たりしておった。
土曜日に大阪の古書市で買った『中国の文人』という本の最終章に、
「隠遁を願う風潮について」という論文があって、
パラパラと見ていたが、なかなかに興味深い。

話は変わる。
人は、どうも45歳くらいから55歳くらいで大きく変わっていくように思える。
あるいは、もう少し広げて、40歳くらいから60歳くらいと言ってもいい。
どう変わるかと言うと、これまで生きられなかった側面を生きようとするのだ。

たとえば、外向的で社会でバリバリやっていた人が、
内面的な深さを求め出し、
これまであまり読まなかった本を読みだして、
考え事をしたりする。

また、コンピュータのように思考一辺倒で考え、
血も涙もない判断をしてきた人が、
ちょっとした景色にも心を揺り動かされ、
強い感情が心の奥から込みあげてきたりする。
そして、情で判断し始めたりする。

さらには、強い正義感で生き、判断基準を「正しさ」に求めていた人が、
その判断基準だけではなんとなく虚しくなり、
「楽しさ」に目を向け、そんな判断基準もあったことに気づき、
今まで見向きもしなかった価値の多様さに気づいたりする。

このように、これまで生きてこなかった側面が
その人の深いところからの要請であるかのように湧き上がってくる。

人は、中年期に、このように変わるのだけれども、
なかには心の強い人がいて、
そんな強い人は変わろうとする心の要請を長年抑えつけてしまうので、
抑えつけられた変革への心的エネルギーは、その人を精神的な危機に追い込むことさえある。
そこまで行かなくても、変革期には、やはり危機がある。
変革することは必要なんだけれども、ここをうまく生きるのは難しい。

年をとれば人間は丸くなるというが、
ある一面だけで生きてきた人が、
まったく正反対の別の一面が湧いてきて、
それらが統合されて丸くなるのかもしれない。
丸くなれたら、幸せかもしれない。

かく言う僕は、
子どもの頃から「ダメな僕」で、
社会的な成功とはもっとも遠い存在であった。
(そんなことをかつて書いた小さな冊子『ダメなぼくの話』を
最近なって欲しいという方が現われ、
在庫が残っていたのを差し上げているが、
こんなものを求めてくれるとは、不思議な縁である)

それはそれとして、
僕は二十代半ばになった頃、
社会的な成功をするという側面を生きることにした。
どうすれば成功するのかを模索しつつ、少しは頑張った。
まあ、僕のことだから、たいして成功はしなかったものの、
昔の僕からは驚くほどの転身ぶりである。

こうして、還暦を迎え、
・隠居
・引退
を意識しつつ、少しずつ社会から身を引こうと考えている。
が、昔の僕のような「ダメな僕」には戻れない。

ダメな僕と、少しは社会で頑張ってきた僕が統合されて、
新しい僕が生まれるのだと信じている。
還暦には赤いちゃんちゃんこを着るが、
これは赤子のスタート地点に再度立つからであって、
まさに新しい人間が生まれるのだ。
そして、前の60年間を前世として生きて行く。
もしも、過去に栄光があったとしても、それは前世の話。
新しい生き方がおのずから創造されるのだ、と信じている。

月曜担当…池田光



2015年9月6日(日)
「9月潜学講座」                        日曜担当…八木正典

子曰く、
学びて思わざれば則ち罔(くら)く、
思うて学ばざれば則ち殆(あやう)し。(為政第二)


湧くわく本心塾の9月の潜学講座に参加しました。
6月の参加以来、久々の参加となりましたが、素晴らしい講義で多くの刺激を受けました。

前半の中尾先生の講義では、中尾先生のこれまでの歩みを通じて、人類社会の永続的な進歩を支援したいとの熱い思いを感じることができました。
自己実現を越えたところにある「意味実現」ということを深く考えさせる講義でした。

後半の今西最高顧問の講義では、老子について学ばせていただきました。
願望実現の観点、陰の観点、孔子との比較の観点、経営・実業の観点からの多面的な切り口で、老子を分析、解説いただきました。
これまで自分でとらえていた老子とは全く違う新鮮で、新しい老子像のイメージができました。
老子を再度読んでみたいという気持ちが強く湧いてきました。


今回も本塾の縁を通じて自分にはない多くの考え方に触れさせていただくと共に新たな視点を与えていただき本当に感謝です。
学んだことを自分の思考の中で十分に昇華させ、日々の行動に取り入れ活用していきたいと思います。

日曜担当…八木正典



2015年9月4日(金)
ひょんな事から・・・                     金曜担当…小笹正洋

ボクシング、BOXING。
漢字で表すと、拳闘。

その歴史は、記録上では紀元前4000年からの歴史を有する格闘技です。

オリンピック競技として成立したり、プロ格闘技の興行として確立したり、サクセスストーリーの題材となったりしています。

ひょんな事から、古本のセット本を廉価で見つけ、久しぶりに漫画を読む機会を得ました。

「あしたのジョー」は、梶原一騎・ちばてつや両氏の作品で、小学生の頃にテレビで観ていた頃は、そんなに心に響くものではなかったのですが、今漫画で読んでみると、グイグイ引き込まれていって、寝不足の日々を過ごす事になってしまいました(笑)

人が何のために生まれてきたかという事を知った時には、目の前に障壁が立ちはだかっても、強烈な願望のエネルギーが湧いてきて、全細胞に働きかけて突き抜けていく様が強烈なインパクトで心に突き刺さってきます。

この歳にして、人生観を変えられると言っても過言でない体験をさせて貰っています。

金曜担当…小笹正洋



2015年9月3日(木)
本日休業                            木曜担当…西端努斗夢

本日のブログは、書くことが思いつかないので勝手ながらお休みさせていただきます。

午前中のインタビュー取材はとりあえず無事終了させたのですが、その後は何をする気も起らずボーっとして過ごしていました。
片付けなければいけない仕事は山ほどあるのですが、「まっ、何とかなるさ」という都合の良い言葉を呟き、本日は休業とさせていただきました。

木曜担当…西端努斗夢



2015年9月2日(水)
お医者さんもすすめる水垢離               水曜担当…冨樫功

いよいよ9月ですね。

夏休みが終わり、朝、通学路を行く子たちがたくさんでした。


昼は30℃くらいまで温度が上がりますが、
朝晩はずいぶん過ごしやすくなってきました。


そうなると、水垢離の水も冷たくなってきます。
まだまだ冷たいというほどではありませんが、
これから冷たくなる気配を日に日に感じています。


去年の4月から始めたので、冬は2回目です。
よくぞ去年は耐えれたなあ、と思います。


去年は、仕事が激務で休みがほとんどない中、
水垢離で意識を整えていました。


心身ともに張りつめて、ギリギリのところで過ごしていました。
あの生活と、真冬の水垢離がとてもリンクしていたのです。


今年は少し緩んでいるので、耐えられるかどうか少し心配になります。


東大医学部卒の故小山内博先生は、健康の4原則を提唱されました。

そのうちのひとつが「水かぶり」。
つまり、水垢離になります。

体に冷水の刺激を与えてると、副腎が活性化するとのこと。


副腎は体を守る免疫力の要である副腎皮質ホルモンを分泌する臓器です。
天然のクスリ副腎皮質ホルモンの分泌が、水垢離によって活発になります。

副腎皮質ホルモンを出すには、
水シャワーを約1分以上、頭から浴びる。
または手桶で10~20杯の水を頭からかぶると良いそうです。

冷たさを感じなくなるまで、というのがコツのようです。

ぜんそくや、花粉症などのアレルギーにも効くということです。
まだ、夏の終わりの今のうちに、水垢離習慣をはじめてみてはいかがでしょうか。

水曜担当…冨樫功



2015年9月1日(火)
「比べない」                          火曜担当…坂本欣也

どっちが正しくて、どっちが間違っているか?
どっちが、優れているか?劣っているか?
だれが、大人か小人か?
成長しているか?していないか?
成功か失敗か?

生活や仕事の中で、私たちは常に比べ判断しています。
それをせざるを得ませんし、することが習慣になっています。

本心は進むべき方向、やるべきことを知って、そちらに進もうとしているのですが、思いと思いの現実化にはタイムラグがあり、その隙に、自我心が横槍を入れて、自分勝手な基準で比べ判断しようとする。

自我心の基準は、どうしても一人よがりのものになりがち。
自分の偏った経験と知識に頼る不安定なものがその基準になります。
時代の流行によっても変わります。その時の気分によっても変わります。

そんなあやふやなもの、自我心の幻や暗示に踊らされ、
AかBかの間に挟まれて葛藤、煩悶する。
後悔に、取り越し苦労をしてしまう。

特に、異文化の人々との関わりでは、自文化の基準で、相手のことを評価してしまいがち。
それが異文化の摩擦や衝突が起こる原因となります。

なので、比べない、評価しない、判断しない、
そして、ありのままを観、受け入れる。
本心に耳を澄ませ、本心に従う。

それを、本当にできるのかどうか、を今試しています。
しかし、それがなんと難しいこと!
気がつけば、無意識に比べて、評価してしまっています。

「自他不二」「万物一体」という境地、
理性心を越えた霊性心、有意実我の境地に至れば、
比べなくなるのでしょう、か?

こんなことを考えるのも、比べている証ですね。
私にはまだまだ修行が必要です。



写真は、大和三山の一つ、畝傍山の向うに沈む夕陽です。

火曜担当…坂本欣也



2015年8月31日(月)
大敬先生セミナーで考えたこと              月曜担当…池田光




すごい人数でした。

さすが大敬先生。
8月30日の「しあわせ人生へのご招待」と題した、大阪での立花大敬先生のセミナーは超満員。

僕が感心した話を一つ。
会場からの質問をうけて大敬先生は、
「ブッダは今も成長中なんです」
と答えられました。

――ブッダは今も成長中である
という言葉に、いたく感動させられました。

■ここからは、大敬先生のお答えを聞いて、僕が考えたことです。
禅は、ほかの仏教の宗派とちがって、経典をもっていません。
なぜかというと、自分のなかに「ブッダ」の心が具わっているからです。
だから、経典を唱えて悟る必要はないのです。
ところが、いろんなチリやホコリにまみれて、
もともと具わっている「ブッダ」が見えなくなっています。
そのチリやホコリを払って、
自分に具わっている「ブッダ」に直入したとき、
悟ったと言います。

大敬先生の「ブッダは今も成長中なんです」という言葉は、
ブッダである僕たち人類が、今も成長中なんだということです。

また、ブッダは成長中だということは、
みんながもっているブッダはまだ完全ではないということです。
これは、どういうことなのでしょうか。
ブッダを「神」だと置き換えると、神は完全ですから、
ブッダは神ではないということになります。
キリスト教とは決定的にちがうということでしょうか。

大敬先生にとって、ブッダとは、<ひとついのち>なのでしょう。
ひとついのちは成長中で、みんなでゴールインするときが、
大いなる悟りなのでしょう。

それと、改めて大敬先生のエキスは、
『2万人の人生を変えた23通の手紙』
にすべてあると実感しました。
みんなでゴ―ルインの話は、第三部にあります。
セミナー当日、灘校の先生が質問されていましたが、
その答えもこの本の第二部の中にあります。

また、大敬先生がセミナーで薦められていた、
宮里藍さんの『アイ アム ヒア』も、
『カラッポ財布』の話も、
みんなこの本にあります。
長年、大敬先生の本を出し続けた僕が、
決定版をつくろうと、
半年かかって編集し、
やり終えたとき、過労から病気になったほど頑張りました。
絶対にこの本はすごいと思います。
みなさまの座右の書になればと思います。

月曜担当…池田光



2015年8月30日(日)
「受け入れる」                        日曜担当…八木正典

森信三先生の言葉で次のようなものがあります。

「コップを伏せたままですと、いくら上から水を注いでも、少しも内に溜まらないのです。
ところがいったんコップが仰向きにされると、注いだだけの水は、一滴もあまさず全部そこに溜まるのです。
これはまさに天地の差と言うべきでしょう。
伏せたコップを仰向けに直す。
これが、広い意味での「礼」というものです。」

どんなに素晴らしい言葉でも、素晴らしい考えでも受け入れる人の体制ができていなければ、それを吸収することはできない。
すべて溢れてこぼれてしまう。
受け入れるためにまずは心のありようを変える必要があるのです。

また、中村天風先生もカリアッパ師からの教えを受ける際に、一杯の水が入った壺に、もう一つの壺に入った湯を入れるように言われて、今までの自分の考えを全部捨てる必要を感じたらしいです。そしてカリアッパ師の教えを着実に吸収していったのです。

まずは正しい形でいい教えを受けられるように礼をただす。
その上で今までの知識を一旦捨てさって、大きなスペースを空けて素直な気持ちで受け入れる。
そんな考え方で真理を追究していきたいものです。

日曜担当…八木正典



2015年8月28日(金)
奮い立つ・・・                         金曜担当…小笹正洋

生ける者 遂にも死ぬる ものにあれば
この世にある間は 楽しくをあらな
(大伴旅人)

わが国最古の歌集である「万葉集」の中から見つけた句です。


生きている者は必ず死を迎えるのだから、
生きている間は楽しくいたい。

という意味になります。


松下幸之助翁(パナソニック創業者)は「道をひらく」
という著書の中で、

“人間はえらいものである。
たいしたものである。
動物ではとてもできないことを考えだして、
思想も生みだせば物もつくりだす。
まさに万物の王者である。”

と述べられている節があります。


「万物の王者」である人として生を受けるという幸運に恵まれた
私たちは、より一層価値ある命の使い方をしないといけないと
奮い立たされる一句を見つけられました。

金曜担当…小笹正洋



2015年8月27日(木)
時間をこじ開ける                       木曜担当…西端努斗夢

スケジュール帳を見ると予定が詰まっていても、時々、強引に新たな予定を入れる時があります。
すると不思議なことに、時間がギュっと凝縮されて、新たな予定の入る余地ができるものです。
たまには時間をこじ開けみるのも良いものだなと思います。
それによってほんの少し人生が濃厚になるかも?

木曜担当…西端努斗夢



2015年8月26日(水)
世界屈指の出世頭に学ぶ                 水曜担当…冨樫功

久しぶりに司馬遼太郎さんの「新史太閤記」を読み直しました。

世界でもまれな出世頭であった豊臣秀吉の歴史小説です。

どうして、庶民から日本で最高の位置まで上りつめることができたのか。

そういう視点で物語を追っていきました。


一言でいえば、運が良かったといえるのかもしれません。
しかし、運が良かったで済ますには、あまりにも凄まじい。


秀吉は、生死を賭けた勝負を何回もしています。
そして、文字通り、負けていれば死んでいる勝負で奇跡的に全勝しているのです。
普通の人なら何回死んでいるかわかりません。

ここまで人生で勝負をする人はいないのではないでしょうか。
もともと身分が低く、死なばもろともという気持ちはあったのでしょうが、
それでも飽くなき向上心と不屈の精神には驚嘆するしかありません。


これだけの出世頭なのに、戦国三傑では一番人気がないのが謎です。
先駆者の信長と、300年の江戸幕府を作り神格化された家康と比べると、

秀吉は分が悪いようです。


しかし、運の強さは、世界でも最高クラスでしょう。
そんな秀吉の人物像をいくつか箇条書きにしてみます。

・いつも陽気だった
秀吉は、出征のときも明るく振舞い、陰気なところは人に見せませんでした。

・向上心が高かった
どこまでも成長していきました。

・よくへりくだった
もともと士分でなかったのもあり、謙虚で人に好かれるようにいつも気を使いました。

・声が大きかった
日本三大音声といわれるほど声が大きかったと言われます。
声って波動なんですね。大きい声は元気の象徴です。

・リアクションがでかかった
大きい声で笑い、泣きました。
感激するときは、相手までうれしくなるくらいのリアクションをみせました。

感情表現が誰より豊かでした。



この五つがいつも実行できたら、人にも好かれ、運もよくなるのかもしれません。

少しでもあやかりたいところです。

水曜担当…冨樫功



2015年8月25日(火)
「飛鳥めぐり」                         火曜担当…坂本欣也

今週末は、大学時代の先輩とその息子さんが飛鳥に来られることとなり、私がご案内いたしました。

滞在時間5時間という、短時間の中の強行軍で、
都塚古墳→石舞台→談山神社→飛鳥寺→入鹿の首塚→飛鳥京・飛鳥板蓋宮跡→天武・持統天皇御陵→高松塚古墳→橿原神宮と、時代を下る順番でご案内しました。

都塚古墳は蘇我稲目、石舞台は権勢を誇った蘇我馬子の墓と言われています。
渡来系で仏教推進派の蘇我馬子が物部氏を滅ぼし、飛鳥寺を建立しました。

談山神社の蹴鞠で出逢ったとされる中大兄皇子と藤原鎌足が、馬子の孫の入鹿を飛鳥板蓋宮で討った(大化改新)とされます。その後、女帝の斉明天皇から天智天皇(斉明天皇の子)、天武天皇(天智天皇の弟)、持統天皇(天武天皇の后)と引き継がれ、飛鳥京~藤原京~平城京と受け継がれていきます。

橿原神宮は初代神武天皇を祀る神宮ですが、創建は最近で明治23年です。

案内をするということで、改めて歴史を調べたりして、大変勉強になりました。
そして、改めて、飛鳥時代の日本が海を越えて、朝鮮~中国~東洋とつながっていたと実感しました。

この飛鳥を発ち、長安の都まで遣隋使、遣唐使として旅をした1400年前の若者たち。
故郷を離れ、この飛鳥に移り住んだ朝鮮からの渡来人たち。

どんな思いで、どんな状況で、旅をしたのかを想像するだけで、ワクワクします。

写真は、高松塚古墳と飛鳥大仏です。
飛鳥大仏は、渡来系の鞍作止利の作で、当時の朝鮮の作風。
顔の部分は、向かって左半分は優しい表情、右半分は厳しい表情で作られています。

火曜担当…坂本欣也



2015年8月24日(月)
『池田光 マイナスだって、ここまでやれる!』     月曜担当…池田光

■結論
「楽観的な準備をする人は、失敗する」
また、
「『気づき的分析』をする人は、失敗を繰り返す」
というのが僕の結論です。

そして、
「成功したいなら悲観的準備をしろ」
と言いたく思います。
その理由をこれから解説していきます。

■フレームワーク
振り返ると、僕は次の6つのことを押さえて、いろんな仕事をやってきました。
・目的
・目標
・準備
・行動
・結末
・評価

このフレームワークに当てはめたのが、
下欄の成功する人、失敗する人のやり方です。
二つを見比べておきましょう。

【成功する人のやり方】
・目的……社会的意義
・目標……大きい
・準備……悲観的
・行動……楽観的
・結末……成功
・評価……現実的分析

【失敗する人のやり方】
・目的……社会的意義
・目標……大きい
・準備……楽観的
・行動……楽観的
・結末……失敗
・評価……気づき的分析

■目的と目標について
まず、目的と目標では、両者とも「社会的意義」としました。
社会的意義というのは、世のため人のため、というところに大きなウエイトを置くということです。
たとえば、「社会の発展に寄与する」とか、「お客様の満足を高める」という目的を持つということです。

ここでもし、「目的……大金持ちになる」というように、目的を「利己(エゴ)」としたらどうなるかというと、これは一時的な成功をおさめるかもしれませんが、長期的には必ず失敗すると思います。
しっぺ返しがくるからです。
こんなものは、論外です。
目的を「社会的意義」というまともなところからスタートして考えましょう。

そして、「目標……大きい」とは、現在の自分の可能範囲において「大きい」ということで、多少背伸びするくらいの目標でないとやる気が出ません。

■準備と行動について
ここが大きく違います。

【成功する人のやり方】
・準備……悲観的
・行動……楽観的

【失敗する人のやり方】
・準備……楽観的
・行動……楽観的

両者とも、行動面では「楽観的」なので、
まわりから、
「プラス発想の人ですね」
と言われると思います。
ちなみに、悲観的な行動をする人は論外であり、最初から除外することにします。

問題は、準備段階です。
準備を「バラ色のシナリオ」しか描かない人は、失敗します。
これは、「準備……楽観的」に過ぎます。

準備を「バラ色のシナリオ」と「灰色のシナリオ」を描いて、灰色の最悪のシナリオになった場合にどうするか、を徹底的に検討し回避策を作っておく。
同時に、「バラ色のシナリオ」を実現するためにどうするか、を徹底的に検討することです。
そんな人が「準備……悲観的」と言えます。

準備段階において楽観論で進んでしまうと、徹底的な検討はされないまま、見切り発車でスタートしてしまいます。
「まあ、なんとかなるだろう」
みたいなところでお茶を濁してしまうのがオチです。
あえて準備段階は悲観的になり、徹底的に検討することです。
この部分だけを取り出してみると、「マイナス思考」にさえ見えます。

公共事業などではよく、無責任体制のためなのか、徹底的な検討をされていないような気がいたします。
「どうせ、失敗しても、そのときは人事異動して自分の責任ではないだろうし、あとは税金を投入してなんとかすればいいんだ」という楽観論的な気分があるのではないでしょうか。
だから、失敗する確率が高いのだと思います。

それはそれとして、
僕が経営コンサルタントだった時代の顧客企業に、
「悲観的準備、楽観的行動」
という行動指針を貫いて、一代で一部上場企業にした経営者がいました。
そんな大成功をおさめた経営者は、マイナス思考に裏打ちされたプラス発想の人でした。

■結末と評価について
最後の段階ではどうでしょうか。
【成功する人のやり方】
・結末……成功
・評価……現実的分析
で、
評価は極めて客観的です。

ところが、失敗する人は、おめでたい人が多いのです。
【失敗する人のやり方】
・結末……失敗
・評価……気づき的分析
です。

失敗する人は、こんなことをよく口にします。
失敗したにもかかわらず、
「神様が、この道を進んだらいけないと教えてくれたんだ」
「まだ、自分には早すぎるということだったんだ」
と、まるで失敗を合理化するように、気づきを得ようとするのです。
これが「気づき的分析」です。

なんと、おめでたいことでしょう。
そんな、バカなことはありません。
目的を「社会的意義」に置いているかぎり、
神様はつねに応援しています。
問題は、準備の甘さです。
徹底的に準備段階で検討していたら、
進んではいけない道だったら進みませんし、
自分に早すぎるのだったら、好機を待つはずです。

要は、自分の準備の甘さが結果につながっただけです。
それに後で気づいて合理化して終りというのは、
「おめでたい」としか言いようがありません。

これが公共事業だったら、許されるでしょうか。
「2500億もかけて、建築したらいけないということだったんだ」
「各種目の意見を聞いて部分最適化を積み上げたら2500億になってしまったけど、そうではなく、そのうえで何に絞るかを検討しないと経費は絞れないんだ」
「『いちばん』という目標をかかげたけど、何でいちばんか、はっきりさせなさいということを教えてくれたんだ」
みたいな気づき的分析をしたのでは遅すぎるでしょう。

僕は、すぐに「気づいた」と口にする人を、「?」で対応しています。
その人は、準備が甘いので、また失敗を繰り返すからです。
だから、信用したくても、恐くてできません。
彼らは懲りないのでしょう。
失敗を繰り返すだけの「甘さ」を捨てなければ、成功できません。

その人が成功するには、「気づき的分析」ではなく、きっちりと現実をふまえた徹底的な反省をすべきなのです。
そうしたら、次は成功するかもしれません。

■『池田光 マイナスだって、ここまでやれる!』 
僕は38歳で独立して、その後、起業したのですが、どうすれば成功するかを考え、
「悲観的準備、楽観的行動」
で行こうと結論を出しました。
上述の一部上場企業のお手伝いを始めたのが、40過ぎのときで、
その創業者から教えていただいたのを参考にしたのです。

僕の「悲観的準備」についての方針を一つ書きますと、
「投資したコストは、失敗でも、かならず回収できるようにしておく」
ということです。
たとえば、現在やっている出版業で、
100万円のコストで本を出すと、売れなくても100万円を回収するという策を徹底的に講じたうえで出版するようにしています。

そんな「悲観的準備」は内々で行ないますので、外にはあまり見えません。
しかし、見えないところでは、最悪を想定した検討作業をやっており、
知らぬ間に、眉をひそめたりしていたのでしょう。
そのようすを見ていた、当時小学生だった子供たちが、
僕の本のパロディーで、
『池田光 マイナスだって、ここまでやれる!』
とよく冷やかしてくれました。
そのたびに、「悲観的準備、楽観的行動」を教えましたが、
どこまで伝わっているか……。

月曜担当…池田光



2015