わくわくブログ 2016年4月1日~2017年3月31日

【担当】 月曜…池田光、火曜…柿原まゆみ、水曜…冨樫功、木曜…西端努斗夢、土曜…佐々木秀彦、日曜…八木正典

  

2017年3月31日(金)
かも? カモ? 鴨?                木曜担当…西端努斗夢

人生の中で遭遇する人、モノ、出来事は、すべてその人にとって必要なもの。それを良ことか悪いことか、良し悪しを勝手に決めているのは自分。
自分にとって都合の良いものだけを引き寄せようと欲を出したら痛い目にあうかも?
「願望達成法」や「引き寄せの法則」などといったテクニックに走りたくなるのは、自分に自信が無いからカモ?
今宵、食卓に上がるお鍋は鴨? 
私、鳥肉はダメなんですが、好き嫌いを勝手に決めているものも私です。

木曜担当…西端努斗夢



2017年3月31日(金)
本を読みこなす5か条               水曜担当…冨樫功

池田塾長による、ビジネス書や人間学の本を読みこなす5か条を、
産業新潮二月号から引用させていただきたいと思います。


1、すぐれた入門書で全体を見渡したうえで、原典を読む。
 いちばん良くないのは、解説書で納得してしまうこと。

2、掘り下げるには、テーマを絞って比較読書する。
 いちばんよくないのは、一人の著者の見解を信じてしまうこと。

3、読書の達人になるには、ある時期に、集中的に、選び抜いた一人の著者の作品をすべて読む。
 いちばんよくないのは、つまみ読みすること。

4、読んで気になったところは、小さな付箋をつけておく。
 いちばんよくないのは、本を無傷のままにすること。

5、文章にして、発信してみる。
 いちばん良くないのは、わかった気になること。


池田塾長から教えていただいたことはたくさんありますが、
この本に対する姿勢にも大きな影響を受けました。


1、原典を重視する。原典を持つ。
2、同じテーマで比較読書する。
3、一人の著者の本をコンプリートする。
4、本にはふせんを付ける。
5、文章にして発信する。


池田塾長の影響で、論語に関しては10冊以上関連書を持つようになりましたし、
最近は易経について比較読書をし ています。


4の付箋をつけることは、
シンプルながら読書生活に大きな革命となりました。

本を無傷で終わらさない。
とはいえ、書き込みやアンダーラインは本がかわいそう。

そこでふせんを活用しきる。


上記5か条を守れば、
読書生活がさらに充実することは間違いありません。

水曜担当…冨樫功



2017年3月28日(火)
「好きな食べ物は何ですか?」           火曜担当…柿原まゆみ

「好きな食べ物は何ですか?」と聞かれたら
皆さんは何と答えますか?

私は研修業を営んでおりますが
いきなり本題に入らずに
雰囲気を和らげるために
この質問をよくします。
そして、その理由も伺っています。

聴いていると高級食材や有名店の
〇〇という回答はほぼなく、
いたってシンプルな食品や料理
おっしゃる方が多いです。

「白ごはん」「焼き魚」「ふき」
「フライドポテト」「豆腐」等


例えば
「白ごはん」
白ごはんと答える方は実家が農家だったり
炊飯器にこだわる方が多くかなり語りが長くなります。

子供の頃から美味しいお米を食べているので
美味しくないお米を食べた時に差が分かそうです。
共通して白ごはんと答える方は
炊き込みごはんが好きとは言いません。


一番よくきく答えは
「母のつくった料理」です。

カレーや唐揚げなどどなたが
つくっても変わらないと
思われるものですが
お母さんがつくる料理は
別ものと言われます。

料理は材料や調理料でなく
作る方が食べる方の事を大切に想い気持ちが入り
それが食べる方へ届くのだと感じました。                                                                      
そしてお母さんの料理が
一番好きと答える方は
必ず「美味しい」「嬉しい」
「ありがとう」と作ってくれた人に
感謝を伝えています。

料理の美味しさの決め手はお互いの「愛情」なんですね。

火曜担当…柿原まゆみ



2017年3月27日(月)
無題                          月曜担当…池田光

ぼくが安岡正篤の本を読み始めたのは、28歳の頃です。
経営コンサルタントのE先生から薦められて読みました。
二十代半ばのとき、ぼくが勤めていた会社で経営レベルのプロジェクトを発足ました。
コンサルタントチームは5名から成っていて、そのリーダーがE先生で、まだ40歳くらいでした。
とてもハンサムで、いつもダンヒルの黒のスーツを着ていました。

26歳のぼくは、事務局チームのいちばん下っ端でした。
そのプロジェクトは、ぼくが28歳になるまで続きました。
E先生は28歳のぼくに、
「四柱推命をやっているんだって。なら、宿命観じゃなく、立命観に立った占いを目指したらどう?」
とおっしゃい、一枚の手書きのチャート図をくださいました。
そして、「安岡正篤の本を読んだらいいよ」とアドバイスしてくれたのです。
こうしてぼくは、プレジデント社から発行されている本を5冊ほどまとめて読みました。

現在、ぼくは立命観に立って、いろんな本を書いていますが、ここに原点があります。
E先生が、まだ学生っぽさが残っていたぼくを一人前の大人扱いをしてくださったおかげで、今日のぼくがあると感謝しています。

話は変わります。
32歳で社員教育の担当に還り咲いたぼくは、二人の部下をもらい、教育部門のチーフとなりました。
そこで、かつてお付き合いのあった先生方にご挨拶に回りました。
N先生の大阪の事務所にお伺いしたときのことです。先生は、60代後半で、とても温厚な方で、
「この事務所で、夜は、勉強会もしているんですよ」
とおっしゃいました。
「どんな勉強会ですか?」
とお訊きすると、
「安岡正篤先生という人を、あなたはご存じないと思いますが、それなりの方々が集まって、安岡先生の本を輪読しています」
と。
ぼくは少し興味がありますと申し上げたのですが、
「安岡先生というのはね、経営のことを書いていません。生き方の勉強ですよ」
と断ち切られました。
このとき、ぼくは、一人前の大人として認めてもらっていないという悔しさみたいなものを感じました。
人の師となるには、若輩の人にも礼をもって対応すべきだ、と深く学んだ一コマです。

月曜担当…池田光



2017年3月26日(日)
「善いこと」                      日曜担当…八木正典

「なぜ善いことをしなければならないのか」という問いに対する動機、原因について陽明学の研究者である吉田公平先生は、①超越的な審判神救済神、②性善説、③功利主義の3つがあると言っています。
言い換えると他律、自力、利益の三つの要素が微妙に混在しているのが実情だと。
陽明学を含む新儒教は孟子の性善説に立脚して展開されており、その上で「修己」則ち自力による自己実現、自己救済を説く原理が示されているとのことです。
吉田先生の論理展開を丁寧に見ていくと儒教を学んでいながら自身の理解の中に有る知識がバラバラで全く統一されていなことに気づき愕然とします。
全体の流れを十分に理解したうえで根底にある思想、考えを一つずつ理解していく努力を続けていくしかないのだと考えております。

日曜担当…八木正典



2017年3月25日(土)
正直                         土曜担当…佐々木秀彦

小学生だったか、中学生だったかという頃、僕は星新一の文庫本を読むのが趣味でした。ショートショートと表現されるように、1話1話が短いことと、宇宙人がよく出てきたので、僕はかなりの作品を読んだと思います。今でも唐突にその内容を思い出すことがあったりします。今回少し思うところがあって、ある意味僕の原点とも言える星新一の本が読みたくなりました。どの作品でもよかったのですが新潮社刊『明治の人物誌』という星新一のイメージとは違う作品を見つけたので、これを読むことにしました。

最初に登場するのが『中村正直』です。サミュエル・スマイルズの『自助論』を訳して明治時代に100万部を売り上げて大ベストセラーになったことで有名な方だということです。『Self-Help』という題なので『自助論』なのですが、『中村正直』は『西国立志編』という題に訳にして本にしました。この中村正直が躍動的に表現されて本当に魅力的な記述になっているのですが、そこに僕は、3月に池田塾長に講義していただいた心力歌の『中村春二』とかなり共通するものを感じて調べてみました。すぐに繋がりました。明治時代実際に学校の教科書として採用されたこの『西国立志編』の原訳中村正直・和解中村秋香という表記。『中村秋香』は『中村春二』の父親です。

『中村正直』は昌平坂学問所で佐藤一斎に学んでおります。星新一は「やむなく働かせられる形の中で育った日本人の勤勉性を、自発的な勤勉性へと切り換える役目をも果たしたようである。明治以後の歩みの引き金になったのがこの『西国立志編』だと言っていいと思う。これがなかったら、産業がつぎつぎに興ったかどうか。」とまで断定しております。明治維新時代の有名な志士に陽明学の影響をうけた人物が多くいたことは学習しておりましたが、明治時代の教科書に採用されていた『西国立志編』の翻訳に陽明学的な解釈がちりばめられていたとすれば、現代に生きる僕にとっても陽明学が心になんとなくしっくりくるのが妙に納得できる話となります。

『星新一』を読む気になったのは、子供の頃の僕の心に響いた何かを『今』確認してみたかったからなのですが、全く違う意味で、『今』の僕を確認さしてくれた『星新一』という作家はやはり僕にとって大きな縁のある人だったのだなと、何か大きな大きなモノに包み込まれているような感覚を憶えました。『中村正直』と『西国立志編』も今後の勉強課題に追加しておきます。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年3月23日(木)
おかげさまの人生                 木曜担当…西端努斗夢

私は子供の頃から、たいした能力や体力がないのにほぼ思い通りの人生を歩んでくることができました。
それができたのは、友人、知人、恩師など多くの方々や偶然としか思えない出来事に出会えたおかげによるもので、決して、自分で目標を立てて、自分の力で人生を切り拓いてきたのではありません。

今思えば、これまでの私の人生は、「おかげさまの人生」です。これからも「おかげさまの人生」を歩んで行くのだと思います。

木曜担当…西端努斗夢



2017年3月22日(木)
十津川村へ                      水曜担当…冨樫功

3月20日、春分の日に天河大弁財天社と玉置神社に行ってきました。

どちらも奈良の山奥にある神社で、
特に玉置神社は、大阪から車で4時間かかる距離になります。


簡単には行くことのできない場所になります。
何の因果か、僕はこの約一年で三度目の訪問となりました。


今回は、司馬遼太郎の街道をゆくシリーズの十津川街道を読んでからの初訪問。


玉置神社のあるの歴史を知って、
通る山道の意味をしみじみと感じることが出来ました。


十津川村には、昭和三十年代まで道路がなく、
まさに陸の孤島と しての歴史が刻まれてきました。


その道路は、計画されてから完成まで、
実に半世紀以上の時間がかかったそうです。


今でも、ところどころがとても狭く、
またガードレールすらない箇所もあります。


十津川は、山奥深くにあるために、
ほとんど田畑も作ることができませんでした。

つまり、とても貧しかったのです。
そのため、古来からこの地は無税とされてきました。


江戸時代には徳川預かりの天領として、
ある種一つの藩のような扱いもあったとか。


全員が農民だった村民は、
明治維新 の際、御所の護衛にかけつけた労をねぎらわれ、
全員が士族に位上げしたそうです。


土地が険しいために貧しかった十津川ですが、
さらに厄介なことに、
十津川には時に大洪水が起こります。


明治に大洪水が起きたときは壊滅的な被害となり、
村人の四分の一が移住を決意しました。

そうしてできたのが、北海道の新十津川村ということです。
新十津川村は、まわりの町より抜きんでた発達を遂げたと書いてありました。


こんな歴史を知ってから行くと、
また違った味わいがあります。


また、行くことになりそう な予感がします。

水曜担当…冨樫功



2017年3月21日(火)
幸せとは「心の安定」である            火曜担当…柿原まゆみ

本当の幸福とは自分の心が感じている、
平安の状態をいうのだ
どんなときでも心の安定していることを
天風は本当の幸福の状態にあると考えました。


多少の逆境にも、ビクともしないほど
心を安定できたら、それは幸せなことでしょう。


些細なことでビクッとしたり、くよくよしたりすること、
誰かに一言二言ほどいわれただけで右往左往していたら
決して幸福とは言えません。
自分に信念がないからであり、感謝と
満足の人生ではないからです。

         中村天風『打たれ強く生きる100の言葉』より

3月20日の国際幸福ディに
世界幸福度ランキングが発表されました。


世界155ヶ国中 日本の順位は51位。


GDP,健康寿命、自由度、等により
ランキングされているようです。
日本は100歳を超える方が多い長寿国、
安全性も高く、自由度あるように感じますが
結果は残念ながらG7の中で最下位。
51位になっている要因は
『他者への寛容性』が低いとのことです。

寛容性を高めるためには
・他人を自分の思い通りにしようとしない。
・他人に振り回されない。(イライラしない)
どんなときにも安定していれば、幸福の状態にあると
天風先生はおっしゃっています。
「怒らず」「恐れず」「悲しまず」
安定させて幸福度を上げていきたいと思います。

火曜担当…柿原まゆみ



2017年3月20日(月)
無題                          月曜担当…池田光

安岡正篤先生の「生誕120年の式典」(関西師友協会主催、2月25日)での懇親会で、人に紹介されてNさんと出会った。
名刺交換をしたとき、Nさんは名刺を持っていらっしゃらなくて、その場で住所を走り書きされた。
さて後日、Nさんはぼくの名刺をじっくり見られたようで、お電話がかかった。
色々とお話をし、資料をお送りすると、返信として二冊のA4の冊子を送ってくださった。

一冊は、Nさんがまとめられた『安岡正篤先生の思い出』で、150ページほど。
安岡先生の写真が満載で、それも構えた写真ではなく、安岡先生の何気ない一瞬をとらえたものが多々あり、その写真から先生の人となりが伺える。
こういうものは今となればたいへん貴重なもので、大いに楽しめただけでなく、参考になった。

もう一冊は、『写経仏画家 山本珍石実録』(東奥日報社出版部)の復刻版であった。
伊與田覺先生の『仮名論語』(論語普及会)の扉に、口絵として「孔子像」が掲げられているのは、ご存じの通りである。
この写経画を描いたのが、山本珍石さんである。
ぼくはかねてより、山本珍石さん(大正10年生~昭和62年没)がどんな人なのか興味があったのだが、この一冊でよく分かった。
Nさんは、この『写経仏画家 山本珍石実録』に長文を寄稿しておられ、それを読むと、山本珍石さんの作品十数点、手紙七冊、はがき六十一枚を手許に置いておられるという。
すぐにぼくは、その作品を拝見したいと連絡した。
同時に、二冊のお礼として、拙著『安岡正篤 運命を思いどおりに変える言葉』をお送りした。

すると、後日のお電話で、拙著をお褒めくださるとともに、ありがたくも珍石さんの複製の色紙を一枚送ってくださるという。
「毎日、かざって眺めていたもので、いい作品です」
と。
ぼくは、
「山本珍石さんの写経画には、祈りが込められていますね」
と感じたままを話すと、その言葉がNさんの琴線にふれたようで、珍石さんは戦争から復員して、仲間の慰霊のために仏画を書かれるようになったと話してくれた。

複製の色紙は、もうしばらくしたら届くであろう。
ぼくは今年の初めに、3月末までは眠る(完全休息する)と決めていたのに、またも、ここ二か月ほど睡眠を減らして頑張ってしまった。
そんな過労気味のところへ、木曜日(3/16)にちょっとしたアクシデントが重なって、どっと疲れが吹き出した。
その夜から、腹痛などの症状が出て数日間、必要最低限のことをやりながら寝込んでいた。
山本珍石さんの写経画が、ぼくの疲れを吸いとってくれるように思えてならない。
「早く珍石さんの写経画が見たいなあ」
と願っている。
この連休が明ければ、届くであろう。
楽しみにしているところである。

月曜担当…池田光



2017年3月18日(土)
零時                          土曜担当…佐々木秀彦

流れが停滞した1日がありました。
いつものように前向きに一所懸命に動いているはずなのに、結果が伴わない、過程にハプニングが起こる、悪い連絡が入る、そんな1日の帰りの車で考えました…

『家に帰ったら、チビスケとなにがなんでも仲良く過ごす!お風呂でいつもより丁寧に身体を洗う!』この2つを決意して実践しました。

実はこの停滞した1日の前日、チビスケが駄々をこねたことに本気で怒りました。朝になっても怒りは収まっていませんでした。『怒らず、怖れず、悲しまず、正直、親切、愉快に…』中村天風師の誦句の最初に登場する『怒り』の感情のまま朝を迎えてはその1日が停滞の1日になっても当然のことです。

『なにがなんでもチビスケと仲良く』と強く意識して家へ帰ると、不思議なことにチビスケの方からも仲良くしようと関わってきます。やはり親子は気が繋がっているのかもしれません、ここは大成功でした。そしてお風呂で時間をかけて丁寧に身体を洗います。当たり前ですが風呂上りにはすっきり気持ちが良くなりました。そして布団に入って気が付きました!

『1日のスタートは零時からだよ!!!』

僕は50年以上も1日のスタートは朝『目が覚めた時』と思い込んで暮らしていました。夜明け前に目を覚ましたところで、もうすでに5時間程度は経過している訳です。『今日は最高の1日』とするために日が昇る頃にそう思っても、すでに1日の1/4程度は経過しています。もちろん朝日に向かって気持ちを宣誓するのは良い事には間違いないのですが、その前に自分自身の1日の区切りとしての切り替えは午前零時にするのが正しいのではないかと初めて気が付いたのです。零時スタートの意識なら、今までの夜の過ごし方が根本的に違ってきます。僕の人生に革命を起こせそうです。

毎年毎年大晦日のカウントダウンで午前零時になって新年を始めていたのに…何故僕は1日のスタートが午前零時とは思わなかったのでしょうか???ここに気づくのに50年以上かかるなんて…

流れが停滞した1日は、零時が1日のスタートと気づくことができたことで、結果的に最高の1日とすることができました。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年3月16日(木)
たいへんな時代                   木曜担当…西端努斗夢

この歳(といってもまだまだ若造ですが……)になると、何を話すかより、どんな生き方をしているかが問われるようになってきました。
本を読んだり、偉い人の話を聴けば、こんな私でもそれなりに立派な話はできます。
しかし、いくら立派な言葉を並べても、いい加減な生き方をしていたのでは、説得力がありませんし、誰も耳を傾けてくれません。
これまでに何を学んできたかが問われるたいへんな時代を迎えそうです。

木曜担当…西端努斗夢



2017年3月14日(火)
「幸せのスイッチ」をオンにする          火曜担当…柿原まゆみ

自分の生きているあいだ
何ともいえない楽しさ、朗らかさ、
おもしろさの絶えざる

連続だといえるような生き方をしなきゃあ

「楽しさ」「朗らかさ」「おもしろさ」と
いう喜びの感情が宇宙エネルギーを
受け入れる秘訣だと前置きして
おきましょう。


喜びの感情は、
幸せになるためのスイッチです。
このスイッチをさっそくオンにしませんか。

「中村天風打たれ強く生きる100の言葉」より



先日、ニューヨークに旅行に行き
「喜びの感情スイッチをオン」
にしてきました。


個人旅行なので旅行会社のツアーではできない
様々な経験をしました。

1つは

UBer初体験。

Uberアプリを使って
専業のタクシードライバーではない
一般人が自家用車をタクシーとして
提供するサービスです。
現在、日本では白タクは原則として
禁止されています。
(一部特例で許可されている地域有)


事前にアプリをダウンロードし
個人情報を登録します。



行きたい場所を入力すると
おおよその価格が出るので、
ダマされて遠回りや、
別の場所に連れて行かれる
心配がないので安心です。


Uberの配車で迎えに来て
くれた車はとてもきれいに清掃されていて
ドライバーさんも丁寧でした。

私たちが乗った車は全て日本車でした。


決済はクレジットカードなのでチップを
計算して渡すこともありません。


難点は、

英語力が無いとかなり厳しいです。


GPSで待っている場所を探してくれますが
見当たらない場合はドライバーさんから
電話がかかってきます。


英語ができる方が一緒だったので
今回は問題ありませんでしたが
私一人だと
大阪弁オンリーなので苦戦すること間違いなしです。





2つ目は

「日本語を学ぶワークショップ」に参加。


ニューヨークに住んでいる様々な国の方が
日本語を学ぶワークショップに参加させて頂きました。

「お好み焼き食べたいわ~」「吉牛~食べたいわ~」と
流暢な関西弁で連発する方から
日本語がほとんど話せないが、
なんとなく日本語を理解しようと
されている方まで語学力レベルも様々。



デスクに座って学ぶスタイルではなく
動きを入れながら学ぶスタイルでした。


最初は挨拶から。


日本語で「〇〇です。どうぞよろしくお願いします」
「〇〇さんですね。私は■■です。
どうぞよろしくお願いします」
とほぼ全員と挨拶をしました。


ゲームをしながら楽しく参加しました。



おもしろかったワークは
漢字を「人」で表現する。


「国」「話」「曲」「雲」などかなり難度の高い漢字を6~7人で
身体で表現して、お代を見てない人に当ててもらう
モジモジくんの漢字ヴァージョン。

私も回答する側に入りましたが、皆さんの熱い想いで
漢字を当てることができ嬉しかったです。

最初は「ひらがなやカタカナでなく漢字?? 
出来るのかなぁ」と半信半疑でしたが
やってみると伝わることが分かり驚きました。



指導されているM先生は
「みんな日本語を話すときは
言葉が丁寧になるんですよ」と
おっしゃったことが印象的でした。



異国の方々が丁寧に日本語を学んでいます。
日本人としてもっと
丁寧に言葉を使っていかなければならないと
強く感じました。

日常と違う体験や場所に行くことで様々な気付きや
学びがあり、「幸せスイッチがオン」になりました。

火曜担当…柿原まゆみ



2017年3月13日(月)
無題                          月曜担当…池田光

若宮幾馬先生の自伝を編集して、ほぼ一カ月。
「幾馬回想録1」が、ほぼ形になってきました。
次の段階として、先生に初校をお送りし校正していただかねばなりません。

先生は中学三年生まで、久島(宇和島市)の半漁・半農の生家で暮します。
その記憶が美しい文章で書きとめられ、一篇の詩を読むようでした。
なかでも、父を手伝って夕刻から漁船で宇和海に繰り出し、その甲板から眺める漆黒の夜空に輝く星の綺麗なこと。
アミを曳くまでの静かなひとときです。
今すぐにでも、この部分をみなさまに読んで聞かせたいくらいです。
ぼくは、心を打たれました。
こんなに素晴らしい原稿をぼくの手で出版できるのは幸せです。

楽しみにしておいてください、みなさま。
出版は5月頃になると思います。
できれば、六然講座の前に納品になればと思うのですが。
ほんとうに、心が洗われます。

月曜担当…池田光



2017年3月12日(日)
「一燈」                        日曜担当…八木正典

唯天下の至誠のみ、能く其の性を盡くすことを為す。
能く其の性を盡くせば、則ち能く人の性を盡くす。
能く人の性を盡くせば、則ち能く物の性を盡くす。
能く物の性を盡くせば、則ち以って天地の化育を贊すべし。
以て天地の化育を贊す可ければ、則ち以って天地と参す可し。

瞑想を続けています。
朝晩と少しでも時間をとって、天風式座禅法のCDを聞きながら一人ただ座るということを行っているのですが、少しづつ雑念を感じる時間が少なくなったように思います。
絶対積極の境地に達するためどれだけ自分の心を磨くことが出来ているのかわからないですが、
なんとなく自分の心に変化は出てきているような気がして、一日の始まりと締めくくりになくてはならない時間となっています。
心をより良いものに作り替えていく、そのことによって一燈を照らせればと思っております。

日曜担当…八木正典



2017年3月11日(土)
誘惑                         土曜担当…佐々木秀彦

予定が変更になって午後が空きました。通常は違う仕事に振り替えるところではあるのですが、何故か美術館に行きたいと思いつきまして、行ってきました。

僕が美術館に行くのはたぶん1999年以来ではないかと思います。子供時代も東京に住んでいた頃も、時々は訪れてはいたのですが、大阪に暮らし始めてからは間違いなく初めてです。大阪の何処に美術館があるのか調べると、国立国際美術館というのが中之島にあり、とりあえずそこに向かいました。

『クラーナハ展~500年後の誘惑』と『ピエール・アレシンスキー展』が開催されていました。エロスやら誘惑を大きく打ち出したキャッチコピーとテレビ局協賛の『クラーナハ展~500年後の誘惑』だけにしようかとも思いましたが、とりあうず初めて訪れる場所だということもあって、両方を観ることにしました。

『ピエール・アレシンスキー』はベルギーで活動する90歳を超えても現役で活躍中の方らしいのですが、日本の禅や書に深く共感した経緯があるらしく1955年『日本の書』という短編映画を作っていて、その映像に当時の小学校の書道の授業がありました。生徒全員で一緒に右手を上げて文字の書き順どおりに動かしている風景は間違いなく芸術と表現していい光景でした。彼は当時の書道家から贈られた筆は、今でも彼の創作活動に使われていて、「贈られた当時はこの筆がいかに素晴らしいか気づいていなかったが、今だにこれを遣い続けている」と表現していました。彼が絵を描いている様子は、川井信一先生を思い出させる雰囲気が確かにありました。

『クラーナハ』は宗教革命あたりの画家らしいのですが、宗教革命が始まって今年はちょうど500年だということです。「アダムとイブ」や「サロメ」等々神話の女性を描いたことで有名らしく、その絵が展示されておりました。

書道・禅・神話・宗教革命・・・やはり繋がりは精神意識ということでしょうか。表現は十人十色でしかるべきですが、古今東西心に響くことは共通の何かを実感させてもらえる空間でした。誘惑にのって訪れてみて、大正解でした。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年3月9日(木)
どうぞお好きに!                  木曜担当…西端努斗夢

人生を大河をゆっくり下っていくことに例えると、川上に向かって必死に泳いでいる人。
川下に向かって泳ぎ、他人を追い越していく人。
移り変わる風景を楽しみながら流れに任せている人。


どんな人生を送っても、誰もが最後にたどり着くのは一つの大海。
どうぞお好きに!

木曜担当…西端努斗夢



2017年3月8日(水)
街道をゆくを読む                  水曜担当…冨樫功

■最近はまっているのが、司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズです。

日本で最も有名と言っていい歴史小説家の旅行記。

文章の美しさもさることながら、
自分が生まれた頃、
つまり40年ほど前の日本の姿が民俗学的にも保存されているのです。

司馬遼太郎が何をみて、
何を感じたかが知れるというのは、
本当に楽しい。

全43冊中、今読んだのは4冊くらいでしょうか。

もちろん気になるところや、
行ったことがあるところから読んでいるのですが、
まだまだこれからたくさん読めるのがうれしくてたまりません。


読んだ分ですが、たとえば20日に行く予定の玉置神社がある十津川村。



大阪から今でも片道四時間という僻地。
現代的な道ができるのは昭和30年代まで待たなければならなかったそうです。

司馬遼太郎も、日本でここまでの辺境は他にはないと言っています。
十津川の語源は「遠つ川」であろうとも。

そして、おもしろいことに、歴史が動くたびに、
十津川の人たちは表舞台に出てきていた。

鎌倉、室町、江戸、そして幕末。
中央に異変があるとき、十津川村の人々はなぜか中央に躍り出ます。

三重県、和歌山県、奈良県の境の山奥の十津川村は、
その貧しさゆえに、歴史的にずっと無税だったそうです。

貧しいながらも、無税の天領として、
十津川の人々は誇りを持って生きてきました。

幕末の貢献が評価され、
明治には村民がまとめて農民から士族になったとか。


古来より、貧しさは豊かさよりも守りやすい。

貧しい土地をわざわざ攻めに行くもの好きはいません。
貧しい辺境だったために、十津川は独自の文化を守り続けました。


また、洪水との闘いもあります。
かつての洪水で、住民の多くが十津川の地をあきらめ、
北海道へ移住し、新十津川村を作ったとか。

その北海道の新十津川村は、まわりの集落より豊かになっているそうです。


こういった事実を踏まえてから行く玉置神社はまた格別です。

本を読むことで、自分が行った記憶をもう一度読むことができるのです。

水曜担当…冨樫功



2017年3月6日(月)
心の力                        月曜担当…池田光




「心の力(心力歌)」は、百年以上も前につくられた名篇です。
大正二年のことでした。
当時は、中村天風がカンチェンジュンガのヨーガの里から帰国したばかりでした。
まだ心身統一法は体系化されておらず、ただ、天風にはヨーガの地での悟りがあったのです。
そんなとき、成蹊学園を創始して間がない中村春二から、「心の力」を依頼されました。
天風はおそらく、ヨーガの修行のなかで悟得した内容を書いたのでしょう。
この原案を、中村春二は盟友の小林一郎に託して、名文に仕立て上げました。
ですから、「心の力」には天風の悟りがなまなましく息づいています。

そう信じたぼくは、天風哲学の観点から「心の力」を読み解きました。
そして、『天風哲学で読み解く中村春二の「心の力」』(本心庵)を一気にまとめ上げました。
3月末に本書を刊行します。

さて、ぼくは書き上げたあと、丸一日こんこんと眠り続けました。
思索し続けたことで疲弊したのです。
が、これをまとめ上げたことは、なんとも爽快でした。
ぜひ、拙著『中村天風 心が強くなる坐禅法CDブック』とあわせてご一読ください。

月曜担当…池田光



2017年3月5日(日)
「理入と行入」                    日曜担当…八木正典

昨日の潜学講座は池田塾長による中村天風の「理入」と「行入」をテーマとした講義でした。
自分で天風先生の安定打坐考抄を読んでいてもなかなか理解が進まない内容であり、どのように説明いただけるのか非常に楽しみにしていた講義でしたが、自分の理解の誤りを正してくれる素晴らしいものでした。
「理入」は理論から入る、「行入」は実践から入るという考え方をしておりましたが、そのような2つの入り口があるという考え方ではなく、「理入」は真理になりきる、「行入」は日々の修業を通じて真理に向かうことであるとの考え方であるとの解説は新鮮でした。
加えて、神秀と六祖恵能を原典で対比し、鏡仮説とスクリーン仮説と表現したのは非常に理解が進むものでした。
王陽明は伝習録で「聖人の心は明鏡の如し。只だ是れ一箇明らかなれば則ち感に随って応じ、物として照らさざる無し。」と明鏡説を示していますし、インドの聖者ラマナ・マハルシは、「映画館の中のスクリーンの上に映像が投影されています。しかし、映像の動きがスクリーンに変化や影響を与えることはありません。見るものは映像に注意を与えますが、スクリーンは無視しています。それと同じように、真我とはその上に映像つまり活動が投影されたスクリーンなのです。人は活動に注意を与えますが、真我には気づいていません。」とスクリーン説を述べています。
教えていただいた理入と行入二面(鏡仮説とスクリーン仮説)を合わせて総体となるという捉え方をしてみたいと思います。
また、陽明学の核心ともいわれる四句教での王汝中と銭徳洪の論争に対する王陽明の見解はこれまで何度読んでもよく分からずなかなか理解が出来ていなかったのですが、今回教えていただいた理入と行入の考えを当てはめて考えることが出来るのではないかと思いわくわくしています。

日曜担当…八木正典



2017年3月4日(土)
塾生                         土曜担当…佐々木秀彦

塾の意味は「門の脇に設けられた部屋」という意味だそうです。漢字から考察すれば、塾という文字は「享」の部分が南北に城門を示す象形らしく、良い意味での受け入れるという意味、「丸」は刃で加工する象形、「土」は見たそのまま土塁という頑丈な基礎の部分の形容だと考えていいかと思います。ここからひも解くと「然るべきその道の第一人者の門をくぐって磨き込んで自分の基礎を作る場所」というような印象です。「孰」という漢字の近い将来という意味に堅い基礎の「土」という形として考察してみても、「根拠のある孰れ」ですからやはり同様の印象です。


『湧くわく本心塾六然講座』が開講します。


昨今の学習塾的な印象の強い「塾」という言葉ではありますが、本来は「教室に通って教えてもらう場所」に使用することはなんとなく間違いのように感じます。現代で一番近いのは落語家や噺家の弟子が師匠に稽古をつけてもらう場所であったり、武道の道場なんかも似た感じなのかなという印象です。
この場合は、師匠の元に教えを乞うために門下に入るので、当然ながら師匠と弟子という関係と立場が成立します。それではこれが『互師互弟』の場合ならどうなのでしょうか???


安岡正篤師の「六然」の説明をそのまま引用します
『自ら處すること超然。
自分自身を取扱うのには、一向物に捕われないようにする。
人に處すること藹然。
藹然は草木のよく延びるさま。それよりして人に対してなごやかにのびのび感じさせること。
有事斬然。
斬然、斬新味斬新は唐代の俗語。いきいきした新鮮味。
得意澹然。
澹然はあっさりすること。一に?然とす。何やら自ら足りなく思う謙虚な気持。
これができたら、それこそ真の自由人である。
我われはとかく、自處紛然、處人冷然、有事茫然、無事漫然、得意傲然、
失意悄然とでもいうことになって、ここにいうように、
自分には一切捕らわれずに脱けきっており、
人に対しては、いつもなごやかに好意を持ち、
何か事があれば活気に充ち、
事がなければ水のように澄んでおり、
得意の時はあっさりして、
失意のときもゆったりしているということは、
よほどの修練を要する。
「随処に主なれば、立処皆眞」こうあらねばならぬ。』


『互師互弟』であれば、塾生全員が『師』であるべきです。組織ですので役職は純然なものとして存在します。そこは当然に踏まえたうえで、さらにそこを超越して『師』であるべきことも湧くわく本心塾生として自覚するべきではないかと今、感じております。


安岡正篤師は「…こうあらねばならぬ。」と締めていらっしゃいますが、とりあえず「六然」を「目指す」という感じでいけば、肩に力が入らなくて良いのではないでしょうか…


湧くわく本心塾塾則第4条②の条項に『互師互弟の精神で、さまざまな勉強会や修練会を実施する』とあります。『六然講座』はこの活動の実践の一つとなります。塾生それぞれがが『師』であることを感じる機会を創造することで、さらに第4条④の『一隅を照らす人づくりを行い、支援する』の条項に役立ちますように、2017年も皆さんと一緒に『湧くわく本心塾』塾生としてお会いできる機会が継続されますことに深く感謝いたします。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年3月2日(木)
大本営発表                     木曜担当…西端努斗夢

「大本営発表」といえば、今では「真実を隠蔽した虚飾的な公式発表」の代名詞になっています。
大本営は、日清戦争から太平洋戦争までの戦時中に設置された日本軍(陸海軍)の最高統帥機関。太平洋戦争末期には、戦況が悪化しているのにもかかわらず、優勢であるかのような虚偽の発表をくり返し、当時のメディアは、大本営発表をそのまま報道し続けました。その結果、国民は見事に騙され、戦争による悲劇を増幅させたと言えます。
それから70年、メディアも国民も、このことをどれだけ教訓とし、学習しているでしょうか?
日本人は、そこまでアホではないと信じていますが、今のメディアを見ていると「大本営発表」らしき報道があまりにも多いような気がしてなりません。

木曜担当…西端努斗夢



2017年2月28日(火)
心からほほえみをして起床するのがよい 火曜担当…柿原まゆみ

「きょうも目覚めることができた。ありがたいことだ」

①生きていることを感謝する
②寝具を自分で整理整頓する
③深呼吸して、朝の新鮮な空気から活力を得る
④洗顔は皮膚を強くするために上半身裸でやる

生きていることに感謝し、軽い笑顔をつくつてみることです。
すると、最高のスタートを切ることができます。

             中村天風 『打たれ強く生きる100の言葉』


中村天風『打たれ強く生きる100の言葉』の中で
実践していることの1つに

朝起きたら


「生きてる~!!ありがとう」
言っています。


1年半前に胃を3分の1切除する
手術を受けた後、
痛みがひどく、そして沢山の管や
器具の線が身体について
いたのでまったく動くことが
できませんでした。


食べること・水を飲むこと・
深く寝ることもできない毎日を過ごしていた時に
心の支えになっていたのが中村天風先生の言葉でした。


朝、覚めた時に「生きてる!!ありがたいな」
と思って過ごしていたお陰で
回復が早く、今では本当に
元気に過ごせるようになりました。


あの日の事を忘れず、
健康で睡眠がとれ、
すっきり目覚められることは
当たり前でなく、ありがたいことだと
思って言葉に出すようにしています。


そして
朝起きたてすぐに寝具を整えます。
寝具を整えると「起きた」スイッチONになります。


曹洞宗徳雄山建功寺 住職 桝野俊明先生のご著書の中に

朝、一番にすべきことは「感謝」以外ありません。

今日も命を頂いてありがとうございます。
この命を
少しでも世の中のため
人のために役立つよう、
精いっぱい使わせていただきます。

朝は本来、そうした“誓い”を
自らに言い聞かせる時間である


と書かれていました。

明日も最高のスタートがきれるように
笑顔で朝を迎えたいと思います。

火曜担当…柿原まゆみ



2017年2月27日(月)
無題                         月曜担当…池田光

ある雑誌のインタビューで、ぼくは、ビジネス書や人間学の本を読みこなす5か条を話しました。
先ず、5か条を掲げておきます。

1.すぐれた入門書で全体を見渡したうえで、原典を読む。
 いちばん良くないのは、解説書で納得してしまうこと。

2.掘り下げるには、テーマを絞って比較読書する。
 いちばん良くないのは、一人の著者の見解を信じてしまうこと。

3.読書の達人になるには、ある時期に、集中的に、選び抜いた一人の著者の作品をすべて読む。
 いちばん良くないのは、つまみ読みすること。

4.読んで気になったとところは、小さな付箋をつけておく。
 いちばん良くないのは、本を無傷のままにすること。

5.文章にして、発信してみる。
 いちばん良くないのは、わかった気になること。

以上のなかで、1は、「古典の読書」によく当てはまります。
いかに、解説書があてにならないか。
原典を読むと、こんなこと、著者は言ってないだろうと思うことが多い。
また、正しくても、ニュアンスが違うのです。
漢文で柳宗元と韓愈の書簡を読んでいても、柳宗元はここまで厳しく相手を非難するのか、それなのに解説書では二人の友情物語を書いているが、ニュアンスが違うと不思議に思う。
古典を学ぶときは、絶対に解説書だけで終わってはならない。
入門書で大筋を掴んだら、すぐに原典に当たるべきです。

さて、3月4日の潜学講座をもって、来期はいったん休講となります。
当日は、ぼくの担当なのですが、テーマは「中村天風の理入と行入」についてなのですが、この準備を明日(2月28日に)やるつもりで、どうやろうか考えていたのですが、原典を読んでみようと思います。
受講者には少々きついかもしれませんが、あるいは面白くないかもしれませんが、
・まず、『安定打坐考抄』などの原典を読む(一時間くらい)
・次に、原典をもとに考えてみる
という感じでやってみようかと思います。

こんな実験的なことをやっていると、有終の美を飾れないかもしれませんが、まあ、お許しください。

月曜担当…池田光



2017年2月26日(日)
「順境と逆境」                     日曜担当…八木正典

順境は春の如し。出遊して花を観る。逆境は冬の如し。堅く臥して雪を看る。春は固と楽しむ可し。冬も亦悪しからず。(言志後録)


最近散歩をしていますと、寒い冬を乗り越え芽吹きを待つ春の息吹が感じられるようになってきました。
夜明け前が一番暗いと言いますが、寒さも厳しさに堪えるからこそ次の世界が開けます。
最近読んだ本に、「一芸に達した人でも何から何までよくできたわけではない、ただ失敗するからダメなのではなく、失敗してダメだと絶望する心構えがダメなのだ。」と、心を強く持つことの大切さが記されています。
逆境や失敗を自分自身を鍛える試練として考え、それもまた良しとして考えていける強さを追求していきたいものです。

日曜担当…八木正典



2017年2月25日(土)
加減                         土曜担当…佐々木秀彦

「昔の聖賢が人を教えるのは、医者が病人に薬を与えるように、いつも病気に応じて処方を立て身体の実情や熱の有無、或いは陰陽内外の症状をよく調べてその都度加減をする。要は病気を直すにあるのであって、初めから一定の処方があるわけではない。もし一つの処方にこだわれば、患者を殺すことも少なくない。今私と諸君との場合も、各自の偏向や蒙昧をなおすにすぎない。もしそれをどこまでも守って、できあがった訓とするならば、他日自他を誤るだろう。私の罪過もどうにもならないものになるであろう。」

安岡正篤師の『伝習録』を読んでおります。読み始めると昭和48年初版とは思えない難解な本だという印象でした。しかしそれはそれ、理解できなくても、謦咳に触れるだけで充分意義有、理解しようなんておこがましい気持ちは捨てて、肩ひじを張らず読み進んでいきます。

途中で『本文』と表記のページがでてきました。目次を確認すると、『解説』から始まり、次が『本文』です。解説が約100ページ、本文が約140ページ。僕が難しく感じていたのは、解説の項だったのだと、この時初めて気が付きました。

そして『本文』、『徐愛の序』としての冒頭に書き写した文章に出会いました。王陽明が自身の語を筆録している門人を戒めて言った言葉だそうです。

人が人と話すときに、相手に応じて一生懸命言葉を選んで話をします。この「相手に応じて」という部分を、「医者が病人に」という比喩に気持ちが奪われてしましました。難しい本だったのが嘘のように、とても面白い本に一瞬で変わりました。徐愛はこの話を序の項に置いたのは当然に深い深い意味があるはずですが、そこは僕には計り知れません。ただ「言霊」をこんなに端的に表現されていらっしゃる王陽明師に僕はもう夢中になりそうです。残り約130ページが凄く楽しみになってきております。これは解説を先に据えた安岡正篤師の術中に僕がまんまとハマったということなのかもしれません。そんなことは読み終わった後にゆっくり反芻するということにして、じっくりこの『伝習録』を味わいたいなと感じております。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年2月23日(木)
痛み                          木曜担当…西端努斗夢

身体のどこかに痛みがあると、辛いものです。
痛みを受け入れ、痛みと共生されている方もおられるようですが、私にはなかなかできません。
身体が痛むには、何か無理があるためで、痛みは無理があることをを知らせてくれているのです。
もし人間の身体が痛みを感じるようになっていなければ、無理に気づかずたいへんなことになると思います。
そう考えると、痛みもありがたいものなのですが、そういう境地にはまだまだ、ほど遠い私です。

木曜担当…西端努斗夢



2017年2月22日(水)
文化は周辺に残る                 水曜担当…冨樫功

3月4日をもって潜学講座は休止になることが決まっています。


来期は、代わりに隔月で「六然講座」を開催していくことになりそうです。


5月からスタートの予定なのですが、
そのトップバッターの講座を頼まれてしまいました。


何を話したらいいかと考えたところ、
「神道」についてはどうかなと思いました。


神道の理想は、儒教や仏教とあまり矛盾しません。
ヒンズー教の神様も、
キリスト教の神様も、
包括していくようなおおらかさがあります。


これまで湧くわく本心塾では、
神道からのアプローチはあまりなかったように思います。


本心・良心について、神道の視点からアプローチしていったら面白いのではないか。
そんな風に思い、図書館で神道の本を何冊か借りてきました。



すると、たまたま行き当たったのが、
日本の島に残った素朴な信仰のすがたです。


今でも沖縄の久高島や新城島、
東京の青ヶ島といった小さな島では、
神社はなくとも、
小さな祈りの場がたくさんあります。


そこには、磐座とはいえない小さな石が置いてあるだけであったり、
木が生えているだけであったりします。

しかし、そんな島の素朴な信仰こそが日本の神道の源泉である気がするのです。


司馬遼太郎は、「文化は周辺に残る」と言いました。

周辺とは、「中心から離れた、まわりの方」という意味です。


たとえば、古代中国において、
孔子が憧れた周の古い文化は、
中華という文化の中心ではどんどん滅びていきました。

しかし、中心から離れた、
田舎の秦という国で、
実は多くが保たれていました。



同じように、中国の唐の文化は中国大陸では早く滅んでしまいました。
しかし、周辺の日本にその文化は多く残ったと中国人は見ています。



日本古来の神道の文化も、
周辺である、孤島にこそ残っている気がします。



3月に再び、久高島と新城島に行く予定です。

良いインスピレーションがあればよいなあと願います。

水曜担当…冨樫功



2017年2月21日(火)
笑ってごらん。運が向いてくるからは「アズイフの法則」 火曜担当…柿原まゆみ

笑ってごらん。運が向いてくるから
おかしくもないときに嘘でもいいから笑ってごらん
笑顔こそ「運を開く」一番の方法


「笑うから、楽しくなる。運もやってくる。」
笑いは無上の強壮剤。また開運剤である。

                働く君に贈る中村天風45の言葉より


『働く君に贈る中村天風45の言葉』の中
笑うことで道が開けると書かれています。


嬉しいとき、楽しいとき、幸せを感じる時は
自然に笑顔になります。


しかし


天風先生は
『笑う』と『楽しくなる』と
おっしゃっています。


辛いときに笑うのは難しいと
思っていましたが・・・


「アズイフの法則」のことを知り
天風先生のお言葉がスト~ンと腹に落ちました。

それは英国の心理学者
リチャード・ワイズマン博士の研究理論
「考え方を変える前に行動を変えることで
自分が変わる」という説です。


服装や持ち物、環境で人の行動や
考え方が変わります。

スーツを着るとON、
スーツを脱いでリラックスウエア―を着ると
OFFに切り替わるのも行動が先です。


スタンフォード大学心理学部 
ジンバルドー氏が
大学生の集団を2つのグループに分け
1つのグループは看守役となり、
看守のユニフォームを着せ

もう1つのグループは囚人役になり
囚人の服を着せました。

服装・肩書きを与えたことによる
行動の変化について調べた
実験をしました。


日が経つにつれ
看守役は看守らしい行動を
とるようになり

囚人は囚人らしい
行動を取るようになりました。
看守役からの厳しい圧力に
苦痛を感じた囚人役から
「耐えられない」
との事でこの実験は途中で
終了しました。

着るもので考え方と
行動が変わったのです。


メンタリストDaigo氏の
「あなたを変える52の心理ルール」の中で
鏡の前で笑顔を20秒間作ると
幸せになれると書かれていました。


これは「アズイフの法則」


笑うことを続けることで
「不幸な人が毎日笑顔で
いれるはずがないから
私は幸せなのだ」と無意識に考え
行動に見合うように
心を変えていくそうです。


そのことで対人行動や価値観が変わり
本当に幸せになると書かれていました。

『おかしくもないときに
嘘でもいいから笑ってごらん
笑顔こそ「運を開く」一番の方法』

このことから
とにかく笑うことを
実践してみます。


2017年2月20日(月)
無題                         月曜担当…池田光

きょうは、日常の雑感を書いておきます。
還暦からほぼ二年。
「選択と集中」の方針のもと、多くを整理し、集中すべきことに力を注いできた。

会社を解散して一年余。
事務所の備品と、ビジネス書二、三千冊と、不良在庫数千冊を処分した。
その後は、自宅で仕事をすることにしたが、当初は部屋に閉じ込められているようで居心地が悪かったものの、今ではすっかり馴れてすこぶる良い。

仕事も選択して、多くの仕事を捨てた。
すると、逆にやるべきことが見えてきた。
そのおかげで考えたり書いたりすることに時間を取られるようになり、いつも時間が足りないと感じている。
つまり、これまでの人生では、ほんとうにやるべきことを棚上げしてきたのだ。
「いつか、やろう」と思っていただけ。
実際に着手してみると、まったく時間が足りない。

さて、ここ十日間ほどは、中村春二の『心の力』に夢中になった。
『心の力』を天風哲学から読み解こうとしているうちに、昼と夜の区別が次第につかなくなっていき、夜中に思いついては書き始め、疲れると昼でも睡眠をとる。
48ページの小さな本なので、すべての着想を盛り込めないが、いちおうは深堀りできたと思う。
こうして昨日、脱稿した。
同時に、アマゾンにもアップする用意を始めた。
この本は、私家版として少部数を発行するにとどめたい。
ほんとうに天風哲学を深めたいという人に読んでもらえばいい、との考えからである。
少部数の発行にもかかわらず、実は自信作なのである。
自分のためにも、この本を書いて良かったと思う。

明日からは打合せや会合などがあって自宅から出かけなければならず、とにかく三月四日の潜学講座が終わるまでは、人さまの本作りや、読書や、倉庫と部屋の整理をすることにしよう。
そして、四月からは「多く」から逃れて、ライフワークの一冊に絞りたい。
今年の指針をつくっているわけではないが、もし指針を述べるとしたら、
「やるべきことを棚上げしない」
とでもなるだろうか。
自分に強く言い聞かさないと、易きに流れる自分がいるので。

月曜担当…池田光



2017年2月19日(日)
「為善最楽」                      日曜担当…八木正典

君子の善をなすがごときは、すなわち仰いで愧じず、俯して?じず、明にして人に非(そし)るなく、幽にして鬼の責むるなし。
(君子が善をなす場合は、仰いでは天にはじることなく、俯しては人にはじることなく、この世においても、人々からそしられることなく、あの世においても、鬼神から責められることはない。)

王陽明に関する本を読んでいて、「為善最楽」の言葉に出会いました。
後漢書に出てくる言葉らしいのですが、陽明の義弟が自宅に掲げ、その言葉をモットーとして暮らしていたのです。そういう生き方を貫いていたある日、畑で見つかった鏡には偶然にも「為善最楽」の文字が書かれていて、その偶然に周囲の人が驚き陽明に文章を依頼したとの話です。
「善を為すことは最も楽し」、いかなる境遇にいようとも、いかなる環境であろうとも常に心の声に耳を傾けて善きこと行い、それを心の楽しみとし続ける。
こんな気持ちになれれば生きていて最高だと思います。少しでもその次元に近づけるように日々活動していきたいと思います。

日曜担当…八木正典



2017年2月18日(土)
声明                          土曜担当…佐々木秀彦

誦句とは誦する句、つまり唱えるための文言です。

先日塾生の小林さんから「祝詞」を文字にした資料を頂きまして、自宅の神棚に向かって奏上してみました。資料の注釈に「腰骨を立てて…、歯切れよく朗唱すること…」とありました。意味を理解してから唱えるのではなく、唱えているうちに意味は理解できるということでしょうか…

池田塾長の講座で教えていただいた中村春二の心力歌も、成蹊学園同窓会のHPによりますと実際に唱和していた頃の卒業生は、当時意味は理解せず義務的に暗唱していただけだったが、今考えてみると大なり小なり人生の指針になっているという記述もありました。

京都大原に宝泉院というお寺があります。「大原聲明」という言葉をご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、お経もリズムと音階を明確にすれば、みんなで唱和することができます。いわばその「お経の歌」を「聲明(声明)」と表現するのですが、これはインドから中国経由で仏教伝来とともに日本の伝わったということです。京都の大原はこの「聲明」が直接聞ける場所です。僕が訪れたことのある宝泉院は水琴窟もあり、実際に「石盤」(石でできた木琴・鉄琴のような楽器)を鳴らすこともできるお庭のきれいなお寺です。来迎院・勝林院を含めて、「大原聲明」を体感しに大原へ行くのはお勧めです。

キリスト教でも讃美歌を唱和します。阪神ファンは「六甲おろし」を唱和すると甲子園を感じます。

お経や祝詞を誦すると、たしかにその誦している時はある意味「無」になっているような気がします。中村天風師の座禅前のブザーの音を、自分自身の声で出しているような感じでしょうか、誦することに自然と意識が集中してしまう不思議な力を感じます。

ヤマトタケルの時代から「言挙げ」することは大きな意味がありました。高度経済成長時代には「社是・社訓」を毎朝朝礼で全社員が唱和することは普通に行われておりました。現代においても、国家を担う元首は「声明」を発表します。結婚する時には「宣誓」します。

誦すること、唱和することをもっともっとたくさんすれば、僕の人生は磨かれるような気がしております。52歳は毎日を誦していきます!2月19日が52歳の誕生日である僕の、2月18日の声明でした。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年2月16日(木)
理想の生き方                    木曜担当…西端努斗夢

江戸時代、中所凡極(なかどころ ぼんぎょく)という絵師が大阪に暮らしていました。
凡極は、絵を描くのが大好きで、絵筆を手離すのは、友と酒を呑んで人生について語る時くらいのものでした。
決して有名ではありませんが、絵師としての腕は確かで、贔屓筋も少なくありません。絵が売れると、玄関先に吊るしたザルに代金を入れてもらい、生活に必要な米や味噌、酒などの代金は、ザルの中のお金から支払っていました。
こんな生活が何十年も続きますが、このザルが空っぽになることは一度もなかったそうです。

ある朝、凡極は眠るように息を引き取り、友人や贔屓筋に見送られました。残された絵は、形見分けとしてみんなが持ち帰り、葬儀屋に最後の支払いを終えた時、それまで決してお金が無くなることのなかったザルが空っぽになったそうです。

凡極の生き方が私の理想の生き方です。

木曜担当…西端努斗夢



2017年2月15日(水)
宇宙に徳を積んだかつての日本人        水曜担当…冨樫功

先日の潜学講座では加藤健治先生に
「台湾人と日本精神」について教えていただきました。

台湾の概況から、歴史、
そしてなぜ台湾人は親日なのか?
ということがとてもよくわかる内容でした。


なかでも、
「1895年に九州ほどの面積の島と300万人の外国人をもらったら、
あなたはこの島をどのように統治するか?」
という問いにかつての日本人がどう応えたのか。

その答えがわかり、
思わず目頭を熱くする方もたくさんおられました。


それまでの西洋人のフレームワークでみたら、
台湾は日本の植民地でしかなかったかもしれません。

また台湾における日本の統治は50年にすぎませんでした。


しかし、当時の日本人がどのように台湾に対していたか。
それは歴史に刻まれています。

そして、台湾が親日であるという事実が
それを何より説明しているのです。


衛生状態も悪く(特に水が)、
民心も定まっていない台湾に、
日本 は常に一等級の人材を送り、
自国と劣らないか、それ以上の予算を使って統治を試みました。


たとえば台湾帝国大学の設立は、
大阪大学の設立よりも早く、
台湾最大のダムを作った八田 與一の名は、
日本では無名ながらも台湾では知らない人はいないレベルだそうです。


終戦前の1944年の児童就学率は92.5%にも達していました。


日本人は、
その統治の果実の実りを刈り取ることなく、
ひたすら耕し、育てたといえそうです。

育てている過程で、敗戦を迎え、
手放すことになったのですから。


日本人による50年間の台湾の統治、経営は、
短期的な利益を重視する今の観点すれば、
大失敗でした。

赤字も赤字、大赤字で、
収支でみれば目も当てられません。


しかし、それは目に見える形の資 産だけの話です。


かつての日本人が成したすばらしい所業の成果は
消えてなくなったわけではありません。

台湾の人々は、
その恩恵を忘れてはいません。

今も、心の奥底に、
そのことへの感謝の気持ちが残っているのです。


陰徳を積むということは、
儒教にかかわらず、様々な宗教でいわれていることです。


しかし、かつての日本では、
それを国家レベルで、
しかも100年の大計をもって実行していたのです。


それは、まるで目に見えない宇宙への預金をしていたかの如くです。


命を超えて、今も生き続けるその恩恵を、
わたしたち現代日本人は受け続けているのです。


そんな立派な生き方をしていた
先人がいた国があった。


日本という国に生まれたことへの感謝と誇り。
それで思わず涙があふれそうになりました。

水曜担当…冨樫功



2017年2月14日(火)
信念を具現化させた人               火曜担当…柿原まゆみ

 『信念』は必ず具現化する

同じことを絶え間なく、はっきりした映像にして
心に思考させれば、
言い方を変えれば
心のスクリーンに想像というありがたい力を
応用して描けば、
それは期せずして強固な信念となって
その信念がいつかは具現化する

潜在意識に透徹するほど「強い願望」を抱く
  
                  働く君に贈る中村天風45の言葉より


潜在意識に透徹するほど強い願望を
具現化した人で
一番に
思い浮かべる人物は・・・


源氏物語に登場する

『明石の入道』です。
光源氏の妻である明石の君の父親。
兵庫県の国司で出家された方です。


明石の入道は強い願望を叶えた方です。



入道の願望は
『天皇家と親戚になること』


普通なら絶対に叶うことがない願望を
入道は叶えます。
田舎だからムリムリ、格が違い過ぎる!!
とあきらめることなく
想い続けていたのだと思います。
                                                    
  
なんとありえないことが現実になります。
孫が天皇の奥さんである中宮になります。
(明石の中宮)

源氏が須磨に流されたことが
入道が強運であることを感じます。


その上
娘さんが年頃で美しく、教養があり
控え目な源氏のタイプだったのです。


明石の君が
小さな子供や年齢が源氏よりもかなり上だとしたら
入道の願望は叶わなかったはずです。


夢で源氏を迎えに行くと良いというお告げを
入道は受けます。

これは

潜在意識が映像化したのだと思います。


そして、即実行して源氏を娘に逢わすことに成功。


源氏と明石の君のDNAを持った
美しいお孫さんは天皇家に嫁いでいきます。
そして、明石の君も天皇家に仕え、大出世!!


紫式部は『引き寄せの法則』を
知っていたのかと
思うくらいです。

稲盛和夫会長は

現実がどうであれ、まず
「思わなかったら現実しない」とおっしゃっています。


まずはイメージトレーニングから始めてみたいと
思います。

火曜担当…柿原まゆみ



2017年2月13日(月)
無題                         月曜担当…池田光

中村春二の『心力歌』のあらましを、
2月の講座でお話しました。
このとき、拙い現代語訳を付したものの、
後で読み返すと誤訳があり気になっていました。

他方で、講座ではみなさまが一様に、
「これまで『心力歌』を知らなかったが、実に素晴らしい」
とおっしゃっていました。

そこでぼくは、誤訳を正した簡単な冊子を作ることにしました。
冊子には、
『天風哲学で読み解く中村春二の「心の力」』
という名称を付けようと考えています。
本文は48ページで、次の構成案で進めています。

・はじめに――中村天風が悟った「心の力」とは何か
・天風哲学で読み解く「心の力」
・『心力歌』全文

なにぶん、ぼくは中村春二の思想にはド素人なので、
天風哲学の立場から解説を書くことにしたわけです。

この企画を思いついたのは、2月9日です。
翌日10日から着手し、2月28日には印刷・製本にまわしたいと思います。
そして、3月中~下旬には発売できる予定です。
広く求めていただけるように、アマゾンで購入できるようにします。

ぼくには予定外の一冊になりますが、
この埋もれた宝(ほんとうに日本の宝です)を掘り起こすとこによって、
きっと社会貢献できることと思っています。

月曜担当…池田光



2017年2月12日(日)
「水垢離」                       日曜担当…八木正典

本心塾に参加し縁あって続けてきた水垢離が1000日を超えました。
今西会長、坂本さん、富樫さんという先導してくれる方を目標にし、またその後スタートされた佐々木さんともお互いに刺激し合いここまで続けてくることが出来ました。
目標となる方や一緒に歩んでくれる方がいることは幸せなことです。
今西会長からはお祝いと2000日までの通過点だという激励の言葉をいただき本当に有難いことです。

「早く行きたければ一人で行きなさい、遠くに行きたければみんなで行きなさい。」
とありますが、これからもスピードを上げて一人で突き進む道と合わせて縁のある多くの仲間と遠くの遠くまで到達できる道を歩んでいきたいと思うのです。

日曜担当…八木正典



2017年2月11日(土)
継続                          土曜担当…佐々木秀彦

『継続は力なり』
出典は定かではないということですが、平松折次が大正13年に開設した大分の夜間学校の校則にこの言葉があり、その出典は不明ということまでは確認できました。アメリカにも「継続は成功の父」という意味の諺があるそうですが、万国共通での人間の価値ということだということでしょう。

僕たちは毎日継続してやり続けていることがたくさんあります。呼吸をする、寝る、食べる、寝る、目を開け、手を動かす、歩く、、、数え上げればきりがありません。当たり前に毎日継続していること、これは冷静に考えると凄いことを毎日やり続けているんだと気づくと、これは感謝せずにはいられなくなります。

ホンダの開発した2足歩行ロボットがあちこちに出現しておりますが、人間のように走るという行為はとてもじゃいけどできません。目は脳に直結していて、見たものが危険な雰囲気なら身体が避ける反応に直結します。口は空気と食物の判別を瞬時におこない振り分けます。手はあまりに複雑な運動をこなすので形容の言葉すらみあたりません。

お風呂に入る、日記を書く、朝掃除をする、ランニングをする、瞑想をする、水垢離をする、、、こういう意志をもって継続する作業もあります。意思をもって継続することは、表現を変えると止めなければ結果的には続けることができます。しかし身体それぞれの生理的な継続はある日突然に止める気はまったく無いのにその機能が麻痺する可能性があるのです。原因は事故だったり病気だったり不注意だったり不明だったり様々な場合があります。

中村天風師も安岡正篤師も、日本神話も仏教経典も西洋宗教でも『感謝』の大切さは繰り返し繰り返し教示されております。身体が機能していることに対する感謝はどこまで感謝してもおそらく足りることはないでしょう。

この当たり前を一つ一つ気づくことから感謝は始まります。今西会長に「自分の車にもよろしくお願いします、ありがとうございましたと毎日ちゃんと言っていれば事故なんかに巻き込まれないんだよ」と教えていただいて車に言葉をかけるようにしたから、毎日走っていても事故には巻き込まれません。水垢離の時に今日も水垢離ができますありがとうございますと身体に言うから、風邪などひきません。目、耳、喉、、、それぞれにもっと細かく謝辞を述べればもっといいのかもしれませんが、「身体」という言葉で全部にしている都合良さは若干ズルいとも思わないわけではないのですが、まあ良しということにしてもらっています。

目に見える幸運や嬉しいことに感謝するのは誰でもすることです。人に何かをしてもらった時に、ほとんどの人はありがとうと声を発します。さらに僕は自分の身体と心にありがとうという言葉を毎日かけ続けることも継続してやっていきたいことだと強く感じました。自分の心に感謝して初めて、人に対してもきちんと感謝できるわけですから…

土曜担当…佐々木秀彦



2017年2月9日(木)
私たちはプレーヤー                木曜担当…西端努斗夢

太陽系は、太陽の周りを8つの惑星がまわっています。
酸素を形成している元素は、原子核の周りを8つの電子がまわっています。
太陽系と酸素元素のようにこの世は、相似形をなしているものが数多くあります。
私は、私たちが生きていることとJリーガーがプレーすることが相似形をなしているように思えてなりません。
一生の寿命と45分ハーフという時間的制約、地球に生きることとコート内でゲームが行われるという空間的制約、法とルールに縛られる物理的制約。
こうした制約の中で私たちは懸命に生き、Jリーガーは懸命にプレーしています。
 スタンドから私たちの生き様を観戦して感動し、声援を送っているサポーターが神様で、どれだけ多くのサポーターに感動を与えることができるかで私たちの評価が決まります。
そう考えれば、今に生きる私たちはプレーヤーとしてもっともっと、体力を鍛え、技術を磨いてサポーター(神様)を魅了する生き方をしなければいけないと思います。

木曜担当…西端努斗夢



2017年2月8日(水)
こころのちからのうた                水曜担当…冨樫功

先日の潜学講座で、池田先生に中村春二と心力歌について教えていただきました。



中村春二といっても誰かわからないと思います。

東京にある学校法人成蹊学園の創立者だそうです。

明治~大正期にかけての教育者で、「我が国の教育史上で特筆すべき偉大な教育者の一人は吉田松陰、一人は中村春二である」といわれるほどの人だったとのこと。

中村春二は、「人間はいかに生きるべきか」を問いかけ、
「真我」の開発こそがその根幹であるとしました。

そして、その哲学を「心力歌」という8章の歌にまとめあげたのです。
真我、というのは、本心、良心とも言い換えられると思います。

真我の説明が「心力歌」にあるのですが、
その現代語訳(意訳)を引用させていただきたいと思います。

「人間の心は肉体の中に限られるものではなく、
大自然と融合して交通しているものである。
心から物欲、煩悩、妄想を取り去れば、
小さな人間界に限られていた境地から脱却し、
宇宙の自然をありのままに映す霊妙な存在、
大いなるものに通じている『我々の心の奥底にある尊い心』という
偉大な存在があることを知ることが出来る」


ここで尊い心と言われているものが、
真我というものに当たると思います。

この考え方は、儒教や安岡正篤、中村天風の哲学に通ずるところがあり、
その方面をかじったことがある方なら感銘を得ずにはいられないと思います。

池田光先生が抜粋した心力歌を少し紹介します。

--------------
人の心の霊なるや、もって鬼神を動かすべし。
人の心の妙なるや、もって天地に参ずべし。
---------------
わが心の遠く翔るや、よく山河を包むべし。
ただ六尺の肉身に限らるる、わが心ならず。
ただ五十年の生涯に、つきぬべきわが心ならず。
-----------------
至大至剛はこれ心力、至玄至妙はこれ心霊。
ただこの心あるがゆえに、われ人は至上至尊なる。
------------
心に力ありといへども、養わざれば日にほろぶ。
心に霊ありといへども、磨かざれば日に盲(くら)む。
------------

漢文調のその文章は、今読むと難解なところもありますが、
リズムがあって、その意味は深遠です。

こういうものは、現代語訳にすると、
意味も雰囲気も何か違ったものになってしまいます。

漢文調の格式高い言葉は何か特別な力があると思うんですよね。


こうなると、原文を全文読んでみたい衝動に駆られるのが人情。

幸い今は、ネットで無料で閲覧&ダウンロードができる環境にありますので、
さっそく読んでみました。

すると・・・想像以上に難しいのです。

ベストセラー作家である池田先生の抜粋、編集、解説があるからこそ、
光って見えるということがわかりましたw。


そして、個人的には一番感動したのが、
中村春二自身による心力歌の歌唱がレコードに吹き込まれて残っているということです。

歌唱といっても、伴奏があるわけではありません。
最初と最後にお鈴がなり、
はじめはただの朗読かと思います。

しかし、その声には節とメロディがあり、
やはりこれは歌なのだ、ということがわかるのです。

西洋音楽的な、現代歌謡的な洗練されたメロディとは違います。
素朴な、原始的な音楽がここにはあります。

かつて、歌はこうして誰もが歌えたものだったに違いありません。

和歌や短歌といったものには、
みなそれぞれメロディがあったことでしょう。

しかし、レコードなどで商品として完成された音楽が出回ることで衰退していったのではないでしょうか。

ヒット曲を人々が歌うようになって、
それぞれ人々が歌っていた素朴な歌は駆逐されていったようなのです。

普通の文章も、お経も、祝詞も、
メロディを付けて歌っていいんです。

かつてはみんなそうしてたんです。

中村春二の歌は、
ただの朗読より、ずっと心に残ります。

こういうのがもっと広まればいいなあ。

今こそ人々に歌を!
と思いました。

一度以下のリンクから聞いてみてください。
朗々と歌われるその調べを。

心力歌

水曜担当…冨樫功



2017年2月7日(火)
「本が嫌い」                     火曜担当…柿原まゆみ

産業新潮の池田塾長が特集で紹介されていた記事を拝読しました。
池田先生の本への想いや愛をとても感じました。

『ビジネス書籍や人間学の本のよみこなす5カ条』は
大変参考になり、学ばさせていただきました。

産業新潮の記事の冒頭に『子どものころから本が好きだった』と書かれていました。
その一文を読んだ瞬間に
私の子供の頃を思い出しました。

私は本が嫌いでした。

理由は2つ。

1つは誕生日とクリスマスのプレゼントが本だったのです。

世界の名作・・・
偉人伝記作品集・・・
○○大図鑑・・・
など親が期待した人物になってほしいと願う重たい
本ばかりでした。

私が欲しかった誕生日やクリスマスプレゼントは
りかちゃんやクマやウサギのかわいい人形や
キレイなカバンが欲しかったのです。

きちんと包装された包は長方形。『えっ。今年も本!!』


内向的だった少女時代の柿原は『本より人形が欲しい』と言えず
「ありがとう」と受けとりました。
もらった本は読むことなく本棚にたまっていきました。


そもそも母が本を読んでいる姿を見たことがないのです。
コミックの大人買いをして読んでいた姿しか覚えていません。
蛙の子は蛙。私が文学少女になることはありませんでした。

2つ目は

子供の頃からハスキーボイス。
かわいい女の子の声とはほど遠い声でした。

小学1年生の国語の時間に先生から本の朗読をあてられました。


読みだすと
クラスメイトから

「ヘンな声~」と大きな声で言われ、
クラス中が大爆笑。

少女時代の柿原はショックで本を声に出して
読むことが怖くて、怖くてたまりませんでした。

大人になるにつれ、私の考え方や行動は大きく変わったと思います。
本嫌いだった私は、今では『本が好きです』

沢山の体験から良い書籍に出逢い、学び、感性を磨くことができました。
本は人と同じで出会いや縁があると思っています。
これからどんな本との出会いがあるか
とても楽しみです。

火曜担当…柿原まゆみ



2017年2月6日(月)
無題                          月曜担当…池田光

『ヤマテポリタンミュージアム公式ガイドブック』を、昨年12月に発行しました。
この本を作り終えたとき、大げさに聞こえるかもしれませんが、「これでいつこの世とおさらばしても悔いはない」と、深いところからホッとするものがありました。
どうしてもぼくは、ぼくの奥さんの本を作っておきたかったのです。

家内は幼い頃から小さなものを集めており、この歳になると、まずまずの量となっていました。
ストレートな自分史を作ることには抵抗感があるぼくは、
「君のコレクションのガイドブックを作ってみませんか」
と話を持ちかけたのが、2年前です。
「ガイドブックなら……」
と家内がオッケーした理由は、いつでも自分のコレクションをこの本で眺められるから、というものでした。

さっそく家内は集めたものを小さなビニール袋に入れて分類し、構成を練り始めました。
と書くと簡単ですが、ビニール袋に入れて分類する作業を、家事や遊びの合間にやっていたので一年以上かかりました。
そしてこの作業が終わると、昨年の夏の終りから秋の天気の良い日に撮影しつつ、ページデザインを行ないました。
家内がざっと鉛筆でページを描き、これをぼくがパワーポイントで作成し直し、デザイナーにお願いして最終の版下にしていただきました。
わずか64ページの小さな本ですが、いちばん気にかかっていた家内の本をつくれたことで、ぼくの心に余裕が生まれました。

あとは自分の本を書くだけ。
これは自分でできることなので、数年かけてこつこつとやるだけのことです。
万一、仮に途中で倒れて完成しなかったとしても、家内の本を出せたので、さほどの悔いはありません。

■『心力歌』の現代語訳について
2月4日の潜学講座で、ご参加のみなさまに『心力歌』の現代語訳をお配りいたしましたが、どうもこの現代語訳には納得がいかないところがあります。
本日も、少し朱を入れて書き直しました。
また今後とも、推敲するつもりでおります。
ということで、お渡ししたものは未定稿として、みなさまの御手許に留めておいていただければ助かります。
自分なりの決定版は、後日、いつの日か発表できるようにしたいと思っております。
どうか、よろしくお願いいたします。

月曜担当…池田光



2017年2月5日(日)
「潜学講座」                     日曜担当…八木正典

2月の潜学講座に参加してきました。2講座とも大変素晴らしい講義でした。
第一講は池田先生の「教育者・中村春二の『心力歌』をめぐって」をテーマでお話しいただきました。
中村春二は全く存じ上げてなかったのですが、1877年生まれ、成蹊学園を創設した方で、偉大な教育者です。
中村さんが作った「心力歌」には心の力の偉大さが込められており、心を磨いて物欲、煩悩、妄想を取り去れば、大いなるものと通じている「我々の心の奥底にある尊い心」という偉大な存在があることを知ることが出来るということが表現されています。
「人間の精神というものは、それが低い場合には何かに衝突する。(安岡正篤/運命を思い通りに変える言葉)」とありますが、自分の意識の持ち方をいかに高めるべきなのか、高めたときにどんな世界が開けてくるのか、この歌は多くの事を語ってくれているような気がします。
紹介されたものは池田先生の抜粋でそれでも十分な素晴らしさを感じましたが、興味が非常に湧いて全文を読んでみたい気持ちにかられました。

第二講は加藤先生の「台湾人と日本精神」の講義でした。
加藤先生のこれまでの台湾の方々との交流を通じて、台湾人からみた日本を詳細に教えていただきました。台湾の概要から始まり、日台の絆、台湾の歴史、台湾人から見た日本精神まで踏み込んだ内容で、台湾に対する見方が一新されたような気がします。
日台の絆で紹介されていたワールドベースボール日台戦のお辞儀シーンは、講義の後で見ましたが感動することしきりでした。また、歴史観の中で教育の充実が商業の発展につながっていった事実は教育の重要性を示す非常に興味深いものでした。
加藤先生の見方を通じて、思考の3原則である長期的、多面的、根本的に物事を見る重要性を改めて示していただいた気がします。

第一講、第二講とも、自分の矮小な見方を少し拡げてくれる充実の講義でした。新たな見方を与えてくれたお二方に感謝するとともに、自分の見方が限定的でないか常に見直しながら学びを深めていきたいと思います。

日曜担当…八木正典



2017年2月4日(土)
立春                          土曜担当…佐々木秀彦

『春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。』

今年も春が来ました、立春の朝です。たしかに気温も体感もまだまだ寒い時期なのではありますが、お正月の頃より「あけぼの」がだいぶ早くなって、陽光は眩しく活気漲るオーラで揚々としております。

立春の前日が節分なのですが、その残骸として僕の家には今たくさんの鬼が転がっております。チビスケ自作の鬼の面、雑誌の付録の鬼の面、スーパーで配っている鬼の面、、、
我が家の今年の豆まきは全員が鬼の面を被って挙行しました。僕が鬼の役だと早々からチビスケに指名されてはいたのですが、僕が鬼の面を被ると、チビスケが対抗して自作の面を被って、さらに嫁にも鬼の面を強制しました。結果全員が鬼となって「鬼は外、福は内―!」。51回目の節分で初めて全員が鬼での豆まきでしたが、これはけっこう盛り上がります。今まで鬼の役を誰かに特定していたことがそもそも間違いだったのではないかと感じるぐらいです。

外界の邪気の進入を防ぐことも大切なことかもしれませんが、自分が鬼の役で「鬼は外―っ!」と叫んでみて、鬼の面を脱ぐ時に、「心の中の鬼を出すことのほうが大切だよ!」と気づきました!また鬼の面を家族みんなで脱ぐときの空気感…これはいいです!その後部屋に散らかった豆を素顔に戻ったみんなで一緒に掻き集めて、年の数をちまちま数える…小さな豆を数えるのには集中力が不可欠です。でも大丈夫、鬼はすでに退散しているので安心してゆっくり数えることができます。


そんな節分を過ごして、立春を迎えました。外は紫式部が詠んだような「あけぼの」です。誰もがワクワクする春!日本中が鬼の面を脱ぎ捨てて春を迎える!日本の伝統文化は本当に素敵です。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年2月2日(木)
すべては本心を磨くため              木曜担当…西端努斗夢

新聞やテレビなどのメディアは「国民、市民」と呼ばれる私達のために情報を流しているのではなく、私達を「民」と呼ぶ権力を握った方たちのために情報を流しているのです。
歴史もそうです。私達が決して知ることのない時の権力者にとって都合の悪くないことしか教えてもらえません。
だから私は、メディアの言うことを信じ、鵜呑みにすることはありません。
どこまで本当か、何が真実か、自分の目で確かめるようにしています。それが叶わない時は、本心に聞くようにしています。本心に問いかけると必ず答えが返ってくるのです。
ただ、本心が曇っていると間違った答えが返ってきません。
だからこそ私は、この曇りを取るために本心を磨くのです。
湧くわく本心塾での学びはもちろん、読書や坐禅、トイレ掃除もすべては本心を磨くため。

木曜担当…西端努斗夢



2017年2月1日(水)
有恒                          水曜担当…冨樫功担当

ここ数年、毎月第一土曜日は、
潜学講座に出席するというのが習慣になっています。

大阪倶楽部という由緒正しい場所で講座を受けて、
懇親会でお酒を飲むという流れが最高で
いつも楽しい時間でした。


今期、3月の講座をもって潜学講座が休講となるのは
まったくもって寂しいかぎりです。


これまで集まっていた人と場がなくなるのは残念で仕方ありません。



まだどうなるかはわかりませんが、先日、
ややスケールダウンしてでも、
なんらかの形で講座を開催していきたいという有志で打ち合わせをしました。


隔月開催になるかもしれませんが、
オリンピックの聖火のように火を絶やさずに、
続いて行けたらなあと願っています。



また、2月の講座と懇親会で話が進むことと思います。



講師をしてくださる方をはじめ、
ご協力いただける方、
そして良いアイデアを大募集中です。


進展がありましたら、
このブログでいち早く報告させていただければと思います。。

水曜担当…冨樫功



2017年1月31日(火)
『なぜ気分転換にお茶を飲むのか』       火曜担当…柿原まゆみ

ホッとした時、人間は何かつまみたくなる。
それが点心。その意味は、つまり「心境を転開する。」
少しくたびれたような時、ちょっとお茶を飲んで、お菓子をつまむと、また気分が変る。

                『安岡正篤 運命を思いどおりに変える言葉』より


中国料理の点心。
シューマイ、小籠包、春巻き、饅頭、杏仁豆腐、ゴマ団子は
しっかりした食事としてとらえていました。
池田先生のご著書の中で安岡先生の説が
書かれていて、点心とは
「空心に小食を点ずる」という禅語からきていると
いう説が有力とのこと。


「心境を転開(店開)する」とう「点開心境」の
意味だとされています。ようは気分を変えること。

何か根をつめてやり、くたびれた時などに
お茶を飲み、おやつをつまむことが気分を
変えてくれる点心の効果だと書かれていました。


江戸時代に午後2時から4時までの時間
「八つ時」(やつどき)に食事と食事の間の
空腹感を抑えるためにとっていた軽い間食
(お団子やおせんべえ)で食べていました。


八つ時に食べていたことから「御八つ」と書き
おやつとなったと言われています。
 当時は1日2食だったので、途中のエネルギー補給をしていたのでしょうね。


“おやつを取ることでダイエットを成功させる”と
いう記事を見ました。
『ダイエットを成功させ、維持できるのは、
“心と身体のバランスを上手にとれる人”』


 大好きなおやつを我慢し過ぎるとストレスが
原因で代謝が下がったり、「我慢の限界」になった時に
『ドカ食』をしてしまう恐れがあります。


1日100?200kcal を目安に “食べ過ぎない” ように取り入れること
望ましいと書かれていました。


フルーツやヨーグルト、ドライフルーツ、ビターチョコレート
はちみつドリンク、ゆでた卵や大豆などが良いとのこと。

またおやつはコミュニケーションを円滑にする
役目もあります。
職場の会議の途中でおやつタイムを
入れたことがありましたが、
気分転換になりスムーズに会議が進みました。



安岡先生の言葉から学んだことは
①根を詰め過ぎても良いものは生まれない
②ほっとリラックスすることが気分転換となり新しい発想が生まれる
ということでした。

食べ過ぎなければ、身体や精神や仕事も良いティータイムを
上手に取り入れていきたいです。

火曜担当…柿原まゆみ



2017年1月30日(月)
無題                          月曜担当…池田光

近況報告します。
① 数日前から読み始めたのは、新田次郎賞を受けた見延典子の『頼山陽』。徳間文庫で三冊です。
見延典子と言えば、『もう頬づえはつかない』の著者ということ以外はあまり知らなかったのですが、『頼山陽』はよく出来た小説という予感がします。見延さんの最高傑作でしょうね。

② 漢文では、柳宗元の天の考え方を軸に、韓愈の天についての考え方や、劉兎錫の「天論」などを比較しながら読み進めています。
どんな作品を読んでいるかというと、昨年10月から柳宗元「天の説」を読み、次に12月から柳宗元「劉兎錫の天論に答える書」(あわせて劉兎錫の「天論」)へと移り、この作品をほぼ読了しつつあります。
このあたりで、もう少し韓愈の天についての考え方を探ろうということで、2~3月にかけて柳宗元「韓愈に与えて史官を論ずる書」に進もうということになっています。ということで、この半年間、唐代の「天(あるいは天人相関説)」についての思想を見てきたことになります。
テキストは、江戸期初期の和刻本です。講師は若き中国文学者ですが、漢文を読んでは議論(ほとんど講師とぼくの議論)しています。漢文の醍醐味がなんとなく味わえてきました。

③ 2月の潜学講座でお話する中村春二の「心力歌」の一部をひととおり現代語訳してみました。が、まだ得心がいきません。もう少し検討する予定です。数段の国語力がほしいといったところです。

④ あいかわらず、ぼくは自宅にこもっていることが多くあまり出かけませんが、カラオケをする頻度は、わずかながら高まっています。
歌い方を少しだけ模索しています。うまく歌おうとは思っておらず(もともと下手ですのでうまく歌えないのですが)、その歌その歌ごとに、ぼくなりに世界観をどう描くかを考えていたら、カラオケしたくなります。
なるべく抑えた声で歌わないと、うまく描けないと思うようになりました。

⑤ 気持的には、暖かな蒲団のなかでぐずぐずしている感じでいます。起きてバリバリやっているのは正反対のぐうたら生活です。4月には起きようと思っています。

月曜担当…池田光



2017年1月29日(日)
「浩然の気」                     日曜担当…八木正典

もの静かなふうであっても、事に当ると、ねばり強い、迫力や実行力に富んだ人がいる。
潜在エネルギーの問題である。
孟子で名高い「浩然の気」がそれである。
この気力が養われておらねば事に堪えない。

池田先生が今年出版された「安岡正篤 運命を思いどおりに変える言葉」に載っていた言葉です。
「浩然の気」とは孟子にある言葉ですが、きわめて広大、剛健、正しいもので、養うと天地に充満するのだそうです。
それを養うには正義と人道にともなわれることが必要で、気だけを目的に養ってはならないし、気を養うことを忘れてもならないものなのです。
また、自ら省みて心に恥ずかしいと思うところがあると気を損ない、浩然の気はしぼんでいくといいます。
今年のテーマである「絶対積極」につながる不動心を養成し天地に気を充満させられるように、日々正義と道理に則して生きているのかを反省しつつ、心の工夫を続けていきたいものです。

日曜担当…八木正典




bjnbb v
2017年1月28日(土)
中斎                          土曜担当…佐々木秀彦

大塩平八郎の名前は歴史の教科書で習いました。正直僕にとっては試験に出るから覚えた名前でしかなかったのではありますが、大人になっても忘れず覚えているということは、もしかしたら子供心にも何か気になった人物だったのかもしれません。そして今、大阪に暮らして、陽明学という言葉に接する機会が増えてきたからには、当然気になる程度では気が済まなくなってきました。そこで読んでみましたのが、朝日新聞社刊、宮城公子「大塩平八郎」です。

「心太虚に帰す」という言葉が有名ではありますが、大塩平八郎は宇宙に魅せられていたようです。「試みに看よ、我一人の身は便ち宇宙億兆の身にして、宇宙億兆の身は我一人の身」(古本大学刮目)と表現しているそうです。わかり易く訳すと「全人類は我の分身、我は全世界の人類と生命の一体性において結ばれる」ということらしいです。

宇宙億兆…江戸時代に随分科学的な表現だと感じて調べてみました。『億』は、漢書律歴志にはすでに普通に使われていたということで、これは紀元前です。さらにインドの華厳経では『不可説不可説転』という単位まで記載されており、日本の小学校で習う『不可思議』『無量大数』からまだまだずっとずっと大きな大きな数字単位までも記載されているということで、これが3世紀頃です。今でこそ日本にはスーパーコンピューターがありますが、当時のインドにはいったい何があったのでしょうか?とにかく『宇宙』に関しての科学的な距離感は、王陽明も大塩平八郎も現代科学と大差ないイメージを常識として持っていた上での、この話であることだけは理解できました。

「謹んで按ずるに太虚の絪縕息吹は気なり。此の気は千変万化の根本となるなり」(劄記)簡単に言えば「気と宇宙は同一」と結論付けているところは面白かったです。確かに宇宙ロケットは地上を飛び立って何処にもぶつからずに宇宙へ到達します。「心の大きさは宇宙の大きさ」の意味がやっと科学的に解明できました。酸素や2酸化炭素は大気圏までしか飛来できなくても、「気」は宇宙全体まで行き渡っていて然るべきです。

「孝は天地万物一体の理なり」というところは印象に残っています。「孝は愛敬の象有り、上から見れば老の子を抱く象、下から見れば子の老者に従える象」(孝経)。太虚を大父母と呼び、天地・宇宙への孝という意識は真似してみたいところです。

大塩平八郎の乱が天保8(1837)年2月19日。この128年後の同じ2月19日に僕が生まれていることも、万物一体の理にきっと適っているのでしょうが、今の僕にはまだまだその実感はありません。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年1月26日(木)
自己実現から自己超越へ             木曜担当…西端努斗夢

昨年末は、時間をたっぷりといただくことができ、ベッドの中でいろんなことを考えたり、妄想に耽っていました。
そんな時に思い出したのが「自己実現から自己超越へ」という池田塾長の言葉でした。
自己実現法を説いた本の著者やセミナーの講師、さらにはそれに飛び付く人は少なくありませんが、自己超越を見据えた自己実現であるかどうかがポイントになってくると思います。
中村天風先生の話を少し聞きかじって感じるのは、天風先生が説いている「神人冥合」や「絶対積極」の根底にあるものは、自己実現法や願望達成法といった程度の次元ではなく自己超越法のような気がします。

木曜担当…西端努斗夢



2017年1月25日(水)
君子は占わずの本当の意味           水曜担当…冨樫功

君子は占わず、という言葉があります。
 
よくできた人はことの道理がわかっているので、
占なう必要がないのだそうです。
 
「よく易を修める者は占わず」と荀子は言いました。
 
易とは変化のことともいわれ、
ものごとがどう変化していくということがわかっていれば、
占う必要はないのかもしれません。
 
 
この世はサインに満ちています。
 
何かをしようとしたときに、
出るサインを見逃さず見つけることができれば、
占う必要はないわけです。
 
超意識とつながっているような人は、
スイスイ、スイスイとこの世を渡っていきます。
 
サイン通りにドンドン進んでいくのです。
 
 
でも、それはあくまで自分のことかもしれません。
他の人の相談に応えるとなると、
そうはいかないようです。
 
自分以外のことなら、
すべての事情を聞いて把握することは
時間的にも物理的にも不可能でしょう。
 
だから、それを卜で読み解くというのは、
面白いアプローチといえそうです。
 
 
三国志を読んでいても、
あの天才軍師諸葛孔明が易を立てている場面があります。
 
自分の君主である劉備の結婚を占ったりしています。
 
大吉出たということで、
劉備は敵国に嫁を貰いに行きます。
 
 
 
 
ところで、日本では古来占いのことを何と言っていたかご存知でしょうか?
 
 
うけひ(うけい)、といいました。
 
古事記や日本書紀に出てきます。
 
 
これが一番シンプルで、かつパワフルな占いの方法です。
 
これは、
ある事柄について、
『そうならばこうなる、そうでないならば、こうなる』
とあらかじめ宣言を行い、
そのどちらが起こるかによって、
吉凶、正邪、成否などを判断する、というものです。
 
例えば、古事記にはこんなエピソードが載っています。
 
ニニギはコノハナノサクヤヒメが一夜で身篭ったことを怪しみました。
他の国津神の子供ではないかと怪しんだのです。
そこでコノハナサクヤヒメは、「ニニギの子なら無事に生まれる。ニニギの子でないなら無事に産まれない」とうけひして、産屋に火を放ちます。
 火の中でお産をするのです。
 
無事に子供を産んだコノハナサクヤヒメは、
このうけひによって身の潔白を証明したのです。
 
そして、今は安産の神様になっているのはご存知の通り。
 
 
この、うけひ、ですが、あらゆる行動をするときに使えます。
 
 
実は、私たちは、誰もが生まれる前に、神様とうけひをしてきたのです。
 
それはこんな内容です。
 
『神様の、宇宙の意志にかなっている行動をすればうまくいく。
神様の、宇宙の意志にかなっていなければ、うまくいかない。』
 
 
なんでも、行動をしてみればいいんです。
そうすれば、それが占っていることになります。
 
成功すれば、宇宙の意志にかなっています。
そうでなければ、なにかが間違っているのです。
 
 
人生をかけて、占っているのが私たちのすがたなのです。
 
 
人生そのものがゲームなのに、
コンピューターゲームをやるように、
人生そのものも占いなのに、
いろんな占いをやってみる。
 
 
人間って面白いですね。
 
 
君子は占わず、というのは、こういうことなんだと思います。
 
宇宙の法則がわかっているから、
占う必要がない。
 
私は自分の信じた道を行くし、
その道を行けば、上手くいくに決まっているのだ、と。
 
 
さてさて、今あなたが占っているのはなんでしょうか?

水曜担当…冨樫功



2017年1月24日(火)
『人間が一生にできる仕事の量は決まっている』 火曜担当…柿原まゆみ

『人間が一生にできる仕事の量は決まっている』 
世の中のしくみはものすごく簡単にできている。若くして猛烈な量の仕事を残した人は『短命』になっている傾向があるように思うと小林正観先生はおっしゃっています。

モーツァルト・・・35歳で永眠
      作曲した曲の数700曲

美空ひばり・・・52歳で永眠  
     1500曲レコーデュング

坂本竜馬・・・31歳で永眠  
     日本再創造の偉業をなしとげる


一生に打つ心臓の鼓動の数は決まっています。   なので人間が一生にできる仕事の量は決まっているのでしょうね。

先日、池田塾長が”ずっと寝ていた”とブログに書かれていましたが、先生はバランスをとっているのだと思いました。
集中して作品を書き続けるということは命を削っているので休むことで、次に集中する力をためているのだと感じました。


日本人は『休む』ことに対して
なんとなく罪悪感を感じる方
は少なくないように思います
私もそんなところがありました。

 ”休む”ことを積極的にし、次の集中に備えることが大切なのだと感じます。

火曜担当…柿原まゆみ



2017年1月23日(月)
無題                          月曜担当…池田光

気に入っている言葉集(文庫本で全11巻)がありまして、
『創造の言葉』(vol.6)の巻に、
お笑いタレントの松本人志の言葉が引かれていました。

「僕の耳を、
世界で一番笑いを聞いた
耳にしたいんですよ」(松本人志)

うまい言い方をするなあと感心しました。
この言葉は、自分が繰り出す笑いで観客をゲラゲラ笑わせる、という意味ですよね。
そして、そのゲラゲラを世界で一番たくさん聞く、ということでしょう。
つまり、世界で一番笑わせるタレントになるという、いわば宣言でしょう。
そんな強い言葉を気負いなく言い切れる言い回しが、みごとだなあと。
ぼくは、そんなふうに松本人志の言葉を味わいました。

ところが、この言葉の解説を読んだとき、ぼくは解説者が何を言いたいのか分かりませんでした。
解説者がおこなった説明は、こうです。
「研ぎ澄まされた松本の『笑い』の背景には、世界一の耳があったのだ」
と。この一言だけです。
「世界一の耳」とは、何なんだ?
世界一良く聞こえる耳のことか?
世界一大きな耳か?
世界一かっこいい耳か?
世界一いろんな笑いを聞いた耳か?
世界一笑いの質を聞き分ける耳か?

松本人志の言葉の前後の文脈がないので、断言はできませんが、この解説者ふうに一文でまとめるとこうでしょう。
「世界一笑いを聞いた耳にしたいという背景には、観客をゲラゲラ笑わせる松本の『笑い』への熱い思いがあったのだ」
と。
自らの笑いで目の前の人々を思いっきり笑わせて、それを自分の耳で聞くという、なんともすごい言葉ですが、僕もこんなすごい表現をしたいものだなあと思うのです。

月曜担当…池田光



2017年1月22日(日)
「徳は本なり」                     日曜担当…八木正典

君子は先ず徳を慎む。徳有れば此れ人有り。人有れば此れ土有り。土有れば此れ財有り。財有れば此れ用有り。徳は本なり。財は末なり。
本を外にして末を内にすれば、民を争わしめて奪うことを施す。(大学)

世界はトランプ大統領就任で揺れております。
自国第一主義での保護主義台頭、明確なイデオロギーなしでの自国利益優先の発言が続いており、
これから政治、経済ともどのような変化が起こっていくのか不透明感が増しております。
特に自国の財や利のみを強調する考えに危いものを感じます。
そうはいっても、こんな時は自分自身でできることを行うと考え、先ずは自身の身を修める、ここからスタートするしかないのではと考えております。

日曜担当…八木正典



2017年1月21日(土)
防人                          土曜担当…佐々木秀彦

『ちはやふる 神の御坂に 幣(ぬさ)奉(まつ)り
斎(いは)ふ命は 母父(おもちち)がため』

天武天皇による律令制度を命ずる詔から、689年飛鳥浄御原令、そして有名な701年大宝律令、757年養老律令と繋がるのが、日本国の律令法制確立の流れです。現在の日本国憲法では戦争放棄を謳っておりますが、そもそも国が国として成立するのにその領土の確定は必要不可欠な事項であり、その領土を侵略される危険のある場合、平和的な話し合いで解決することは理想ではありますが、現実的にはいかがなものでしょうか…

『防人』という言葉は646年の孝徳天皇による『改新の詔』の主文第2条の中に出てきます。「初めて京師(首都)を定め、畿内・国司・郡司・関塞・斥候・防人・駅馬・伝馬の制度を設置し、駅鈴・契を作成し、国郡の境界を設定することとする」という現代語訳だそうです。

『神のいますこの御坂に幣を捧げ奉ります。どうぞ無事に国境をお通し下さい。
ほかでもない母父のためにも大切な私の命なのです』
書き出しの詩は、万葉集にある防人の詩の1編で上記が現代語訳です。万葉集の防人の詩を眺めてみますと、そのほとんどが任地に赴く兵士の悲哀が詩になっています。現人神の天皇に仕える意気や高貴な決意などは全然ありません。父母、妻、子供、故郷に対する思いだけが切々と語られております。

日本人の伝統として、戦争放棄の精神は最初の律令法が施行された頃からすでに明確に表現されている気がします。その強い意志が律令法整備をした役割の人々が『防人』であり『衛士』という言葉を選んだことで明らかであると僕は感じます。

万葉集の語源としては、『古事記』の序文に「後葉(のちのよ)に流(つた)へむと欲ふ」とあるように、「葉」を「世」の意味にとり、「万世にまで末永く伝えられるべき歌集」ととる考え方があるということですが、「葉」を「世」と繋げて感じるこの心の持ち方が僕は好きです。そんな日本の伝統だからこそ「防人」という言葉の深みをもっと考えてみたいと思いました。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年1月19日(木)
天から見れば                    木曜担当…西端努斗夢

「天から見れば」という言葉に出会いました。天からの視点を大切にしようと思います。

そうすれば、自分に都合の良いことが起きたからと浮かれたり、不都合なことに遭遇したからと嘆くこともなくなるような気がします。

人生の結末は、誰でもハッピーエンドに決まっているのです。
天から見れば……

木曜担当…西端努斗夢



2017年1月18日(水)
自分もまわりも満たされる             水曜担当…冨樫功

最近の自己啓発業界で流行っているのが、
「自分を満たせばうまくいく」という考え方です。


とにかく自分と向き合って、
自分を愛して、
自分を楽しませることができれば、
すべてはうまくいくのだそうです。


それはそうかもなーと思う自分もいるのですが、
一方で強烈な違和感もあるのです。


と、いうのは、その考えの影響を受けてる方々が、
あまりに独善的だからです。


自分を満たすためなら、
周りの迷惑など全く考えなくてよい。


これは一定の人には
福音となるでしょう。


しかし、そもそもわたしたちはみんながつながっているのです。


人に嫌な思いをさせれば、
自分も嫌な思いがめぐりめぐってまわってくる。


自分だけを満たす行動ですべてがうまくいく。

そんな事象はこの世で観察できないと思うのです。


増えすぎた種は、食べ物がなくなって、
減らざるを得なくなるのが自然の摂理です。


人間は思考を持っています。


だからこそ、どこまでも独善的にもなれるし、
利他的にもなれます。

地獄から天国まで作り出せるのはヒトだけです 。


自分も、みんなも満たされる。


そんな、第三の道を意図的に、
思考を使って探れるのが人間です。


自分もまわりも満たされる。

この視点こそが、
宇宙を生きる大前提だと、個人的には思っています。

水曜担当…冨樫功



2017年1月17日(火)
相手を喜ばせる                   火曜担当…柿原まゆみ

「人を喜ばせて、自分がまた、その人とともに喜ぶということが
いちばん尊いことなんだ」という天風の言葉は企業経営に置き換えると
お客様の喜んでいる顔を見るのが嬉しいということでしょう。

渋沢栄一は仁義を据えた経営をすれば結果として利益は上がると考えました。

現在の経営論であるCS(顧客満足)経営にも通じ合います。

                 中村天風打たれ強く生きる100の言葉

お客様に喜んで頂かなければ、再びご利用いただく事は困難です。
お客様が気に入って何度も利用下さるようになれば、お客様のご家族、友人や知人に
ご紹介下さいます。また最近ではSNSで書き込んで拡散して下さいます。

お喜び頂くには何かプレゼントをすることや値引きをすることだけではなく
“笑顔で対応したり”、“誉めたり”、“お客様の話に関心を持って聴くこと”など
お客様を大切にしていることを伝える言葉や行動が喜ばれることになります。

小林正観先生のご著書「ありがとうの奇跡」の中に
「人から喜ばれる存在に」になるには「頼まれごと」を引き受ければいい。
自分で汗をかいて「相手の要望」に応えていればいい。
そして、相手から「あの人は頼んだことを一所懸命やってくれるから
また、次も頼もう」「あの人に頼んでよかった。ありがとう」と思ってもらえたら、
それこそが「喜ばれている」ということですと書かれていました。

人から何かを頼まれる時はできないことは頼まれません。私に
「トリプルアクセルをして下さい」「落語をして下さい」など
依頼されたことがありません。私にできる事しか頼まれません。しかし
頼まれたことがどうしてもできない時は早めに返事をすることです。

返事を先延ばしして「やはりできません」と応えると頼んだ人が困られます。
返事を早くすることで相手の方に喜ばれます。

誰かにお願いをしてそのことをしてもらったら
「申し訳ないです」「ご迷惑をお掛けします」より
「ありがとうございます」「嬉しいです」の方が相手の方が喜んでくれます。

先日、ホテルのエレベーターを待っている時に85歳前後の年配の女性が
とても品がよく素敵だったので「奥さん、とても素敵です!」と声を掛けました。
相手の方が喜んで微笑んで下さり「ありがとう。あなたも素敵よ」と言って下さいました。

日本人は「いえいえ、そんなことはありませんよ」と謙遜しますが
「ありがとう」と言われると嬉しいですし、自分も素敵な方から褒められると
いい気分になります。

アンパンマンの作者のやなせたかしさんも
「人生はよろこばせごっこ」ひとはひとをよろこばすことが一番うれしいと
言われていました。
「ごっこ」なので楽しんで喜ばれることをしていきたいです。

火曜担当…柿原まゆみ



2017年1月16日(月)
無題                          月曜担当…池田光

ここ数日、寝てばかりいます。
眠いからではなく、自分の心と体が生産的なことをしなくなったのです。
ぼくは本を読むのが好きですが、こんな状態になると本も読みません。
生活の最低限のことをこなして、あとはただ、寝ているのみです。
こんな状態になるときが、これまでにも訪れたことがあります。
たいていは一カ月もしないうちに復活するのですが、今年は、あえて自分を甘やかしています。
「三月末までは、寝ていろ」
と。

昨年の六月から十一月の半年間は、基本的な生活を送るのに必要なこと(睡眠と食事と長風呂と多少の休憩)を取る以外は、ずっとパソコンに向かっていた印象があります。

特に、七月二十六日から八月十一日の十七日間はひどかった。……部屋に閉じこもって、ぎりぎりまで睡眠を削り、食事をしながら原稿を書き続けていました。
気がつくと、二十時間以上もワープロを打ち続けていました。
肩と腕に痛みが発生するので、湿布薬をぺたぺたと五、六枚貼りつけていました。
そして、もうこれ以上動けないというところまで仕事をし続けたら、ころりと眠り、起きるとすぐに仕事をしました。
時間に関係なく、調子がいいときは明け方まで仕事をし、動けなくなるとお昼でも睡眠をとりました。
この十七日間が終わると、突然、右肩が動かなくなり、腕が上がらなくなりました。
このまま放置すると肩の可動域が狭まったまま固まってしまうと思ったので、痛みをこらえながらリハビリをしました。
今もまだ、右腕をまっすぐ上に伸ばすことはできません。
が、一冊の本と引き換えだと思うと、安いものです。
(※ちなみに、なぜ十七日間をこんなふうにやり続けたのかというと、健康診断の数値に悪いものがあったからです。
もしかして入院となれば安岡正篤の本を出せなくなると考え、次の診断結果が出るまでに書き上げてしまおうと無謀な決意をしたためです)

こうして十一月末には、すべての仕事を終えたはずでした。
が、弊社で出版したある本のカバーと帯の寸法にミスが発生していて、急いでカバーと帯を刷り直し、一人で一千冊以上のカバーを掛け変えました。
「カバーの掛け替えなど、数日でできるわい」と思っていたのですが、甘かったです。
年末年始もこの作業をしていて、作業を終えたのは今年の一月五日でした。
両腕の筋がおかしくなっていました。
そして、一月七日の潜学講座を終えたら、いわゆる無気力状態となり、ここ数日間は寝てばかりいます。

しかし、おかげで自分なりの総仕上げの見通しがつきました。
山の頂上に登った感じがします。
あとは、ゆっくりと数年かけてこの山を降りるだけだという感触を持っています。
てっぺん(折り返し点)に達したのですから、
「三月末までは、寝ていろ」
と自分を甘やかしております。

しばらくは、みなさま、無気力な状態が続くかもしれませんがお許しください。
じつは、これからの下り坂が正念場なのですが、六十五歳にはきっちり自分なりの集大成をしてご覧に入れたく思います。
その後は、ノープランです。
人生初のノープラン状態に自分を置くつもりです。

月曜担当…池田光



2017年1月15日(日)
「絶対積極」                     日曜担当…八木正典

2017年となり初のブログとなります。
縁のある皆さま、今年もよろしくお願い申し上げます。

昨年の自身のテーマは、「洗心、磨心、従心」でした。
心を洗い、心を磨き、その上でその心に従っていく。思えば大それたテーマでした。
振り返ってみると、惑い迷っている心は相変わらずなのですが、縁のある方からいろいろとヒントやアドバイスをいただくことによりこれまで続かなかった瞑想が8月から続いております。
次から次への迫りくる日々の中でも、少し心の平安を感じることが出来るようになりました。
ありがたいことです。
今年のテーマは、更に進んで「絶対積極」としております。
心を洗い、心を磨くことは則ち「事あるも事なき時も、常にその心が泰然不動の状態である」ことを目指しているのだと思うのです。
何物にもとらわれず平常心を保つ。超然とした心を持つ。それが絶対積極。
新たなテーマで今年一年どのように自分が変わっていけるのかを楽しみながら取組していきたいと思います。

日曜担当…八木正典



2017年1月14日(土)
太虚                          土曜担当…佐々木秀彦

寒い冬は夜空の星が美しい季節でもあります。最近空を見上げる機会が増えました。4歳のチビスケが雲や月や飛行機を指さして何か言うことがけっこうあるからです。目の位置が地面に近いチビスケだからこそ常に上を向いて生活しているということでしょうか…いつの間にか地面を見ながら俯いて生活をしている大人になってしまっていた僕自身を気づかせてくれたチビスケに感謝しております。


「天地のために心を立て、生民のために道を立て、去聖のために絶学を継ぎ、万世のために太平を開く」という語の残る、張載は人間性を「気質の性」と「天地の性」の両面があるとし、道徳の淵源は太虚=天地の性にあると説き、気を浄化して天地の性に帰ることを勧めました。

インドでは神を宇宙霊と呼び、中国宋の時代でも道徳感は宇宙の根本と繋がっていると言っていて、日本でも大宇宙を天地開闢で高天原と表現しております。そういう歴史の裏付けもあるのですが、何より僕自身も心と宇宙は繋がっていることは間違いないような感覚はもっております。


夜空を眺めればオリオン座が輝いています。ギリシャ神話ではオリオンは海の神ポセイドンの子供で本当に強かったのですが驕った態度を示したため神様の怒りに触れサソリによって殺されたというお話しでした。古代4大文明それぞれにオリオン座のお話は残っていますが、これはこれでそれぞれの民族性のようなものが感じられて面白いです。


現在日本では、夜の摩天楼や大気汚染の影響で星空の輝きが霞んでしまっておりますが、古代では地球上どこでも降り注ぐような満天の星空につつまれていたでしょうから、大宇宙と心の繋がりは眺めるだけで実感できたのかもしれません。そんな星空の下では『心太虚に帰す』も特別な発想でも特別な哲学でもなかったような気もします。心の大きさは宇宙の大きさだと池田塾長もおっしゃっておりましたが、心の輝きは本来ある満天の星空のようなキラキラしたものだと、冷たい空気に包まれて冬の夜空を眺めながら、もっと感じてみたいと思います。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年1月12日(木)
汝の神を試すなかれ                木曜担当…西端努斗夢

長い人生を生きていれば、人間が持つ本心(=霊性意識)や潜在能力、さらには、神とも言えるサムシンググレートの存在を信じていればいるほど、その存在を試したくなる時があるものです。
しかし、それはやってはいけないことだと思います。信じ切っていればその力を試す必要はありません。
『汝の神を試すなかれ』という言葉があるように、神様に対してそんな実験をすると「気ぃ悪いなぁ! ワシを疑ってんのかいな」という神様の声が聞こえてきそうです。

書いていて気がついたのですが、なぜか神様の声はいつも大阪弁。そう言えば古い話ですが、『帰って来た酔っぱらい』に登場する神様も大阪弁だったような?

木曜担当…西端努斗夢



2017年1月9日(月)
安岡正篤生誕一二〇年記念出版        月曜担当…池田光




■安岡正篤生誕一二〇年を記念して
今年は、安岡正篤の生誕一二〇年に当たります。
関西師友協会では、2月25日に「安岡正篤生誕一二〇年。関西師友協会創立60周年記念大会」が開かれるようです。

http://www.siyukai.org/?p=10387

人は六十年で還暦を迎えるわけですが、一二〇年というと還暦を二回迎えるわけで、これを「大還暦」と呼ぶそうです。
安岡正篤生誕一二〇年とは、大還暦記念ということでもあります。
なんとしても、この特別な年の記念と出版したのが、安岡正篤〔著〕池田光〔解説〕『安岡正篤 運命を思いどおりに変える言葉』イースト・プレスです。

■内容紹介
本書は、「人物を創る」「活学のすすめ」「古典に学ぶ」という三つのテーマで、百五十の安岡の言葉を掲載しました。
たとえば、こんな言葉です。
「大抵我々は物事が心をわずらわすのではなく、わが心が心をわずらわすのである」
「後ろを向いて前を見ておる。過去を通して未来を考えておる」
そして、安岡の言葉の一つひとつに、池田が解説を付しました、

また、もくじは次のようです。
◎第一部 人物を創る
第一章 品格をつくる
第二章 新しい自分に生まれ変わる
第三章 こころを磨く
第四章 人とのつきあい方

◎第二部 活学のすすめ
第五章 人間学を学ぶ
第六章 ものの見方、考え方
第七章 運命を変える
第八章 人を動かす、世の中を動かす

◎第三部 古典に学ぶ
第九章 本の読み方
第十章 儒学に学ぶ
第十一章 老荘に学ぶ
第十二章 日本の先哲に学ぶ

安岡学の全体像がわかる構成になっていると思います。
ぜひ、ご高覧いただきたく念願しています。

月曜担当…池田光



2016年10月24日(月)
無題                        月曜担当…池田光
■トン・リーヤーさんの舞
トン・リーヤーさんの踊っているのを、youtubeで数回見てしまいました。



彼女は、新疆ウイグル自治区伊犁(イリ)の錫伯(シボ)族の出身の女優だそうですが、だからでしょうか、中国人の美貌とはちょっと違う気がします。
目の使い方と、首を巧みに振るところに惹かれました。

■ヤン・リーピンさんの舞
ヤン・リーピンさんの孔雀の舞ですが、影絵となると、また素晴らしい。



現在は、お弟子さんが「孔雀の舞」を引き継がれて、最近も黄檗宗のお寺で舞っていらっしゃるのをテレビで見ましたが、「芸術的だ!」の一言です。

月曜担当…池田光


2016年10月23日(日)
「変えることができるもの」          日曜担当…八木正典

ここ何日かあまり気持ちが乗らなくて気分を変えるために乱読をしております。そこで、アメリカの神学者ラインホルド・ニーバーが作者とされる「ニーバーの祈り」に出会いました。

神よ、変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。

自分の考え方や意識の持ち方は変えられる。
頭ではそれを分かっていても、いざ事が起これば、誰かのせいにしたり、自分を守ろうとしてしまうことがおこります。
他責ではなく、自責で物をとらえることは可能だ。変えることのできるものを確りと見定めて、より良いものに変えていく努力を続けたいと思います。

子曰く、過ちて改めざる、是を過ちと謂う。(衛霊公第十五)

日曜担当…八木正典



2016年10月18日(火)
今に集中する                    火曜担当…柿原まゆみ

自分の心の中に何かの悩みがあるならば
先づそれは「取越苦労」か或は「消極的思考」かのいずれかである。
故に入念に省察
(自分自身をかえりみて、そのよしあしを考えること)しべし。

過ぎたことをくよくよ思い煩ってもどうにもなるものではない。
また、これから先の事をあれこれ想像しても知れたものではない。
そうではなく
今、しなければならないことに集中することです。


人生は今世1ページ限り。人生を楽しく、価値の高いものにするためにも
10個の消極的感情にとらわれないことだ。

もちろん人間ですから、誰にだってこれらの感情が湧いてきます。
が、湧いた瞬間にはフッと気分を転換してプラスに切り替えるのです。
どんなものでも、見方を変えれば、福の神になる。

               中村天風打たれ強く生きる100の言葉より

               
  書籍の中に10個の消極的思考について以下の事が書かれていました。
①怒る
②怖れる
③悲しむ
④憎む
⑤嫉妬する
⑥恨む
⑦悩む
⑧苦労する
⑨煩悶(はんもん)する・・・いろいろ悩み苦しむこと。苦しみもだえること。
⑩迷う

消極的な感情をプラスの受け止め方をして自分の気分をよくすることで
好転すると書かれています。

マイナスの思考からプラスの思考に切り替えたい時には
「せっかくだから、○○しよう」と考えるようにしています。
例えば
「せっかく病気になって健康の有り難さが分かったから食事に気をつけよう」

突然の仕事の約束がキャンセルになったら
「せっかく時間が出来たから好きなことに使おう」

難しいことを頼まれたら「頼まれごとは試されごと。
分からないことは調べてやってみよう」

「せっかくだから〇〇しよう」は気分を転換してプラスに変える力があります。
まさにどんなものでも見方を変えれば「福の神」になるのですね。


メンタルトレーナーである森川陽太郎氏が(横峯さくらプロのパートナー)
ネガティブな感情を持っている自分を否定するのではなく、まずは
ありのままの自分と向き合い「OK」を出す自己肯定感を持つことが大事。
周りが求めている300点ではなく、低くても自分ができるOKラインを
設定する。今の実力が100点であれが120点取れたらOKを出す。
小さな成功体験を増やすことで成長していけると書かれていました。


このことから、他人と比べず、今の自分と向き合いコツコツ小さな成功体験を
積み重ねことが消極的思考から積極的思考に変わることも学ぶことが出来ました。

火曜担当…柿原まゆみ



2016年10月17日(月)
無題                          月曜担当…池田光




今年七月に、神戸三宮の古書市で買った壁飾り。

感覚的に、90~100年くらい前のものかなと思い、とりあえず買った。

材質は、木である。ドーナツ状の額の枠に、
「KOBE JAPAN」とあり、土産物だと推測できる。
左の大日本帝国の国旗と、右の国旗は、はて、台湾だろうか。
とすると、台湾が日本に併合された頃のものか。
とすると、1895(明治28)年から1945年までのものである。

真ん中の写真は、絵はがきで、この絵はがきに、こんな歌を手書きしている。

あけていわれぬ
妾の心
苦労障子に
うつる影

いったい、こんな歌を誰に出したのだろう。
裏の木のフタを開いてみると、こんなハガキの宛先が出てきた。



名前は消したが、同じ牲の男性から、男性に宛てたものである。
おそらく、親族で、たぶんご兄弟であろう。

その人は、大阪に住んでいて、神戸の舞子で遊び、愛知県碧南市の兄に宛ててハガキを出したのであろう。
「三河の国」とあり、すでにそのような地名は明治の早い頃に消えているはずだが、
① ハガキの主は、新しい地名でなく、昔の三河という地名に愛着を抱いていることから、江戸期末期に物心がついた人物と推測できる。
② また、「三河の国」と書いて投函しても、ちゃんと届くような時代背景である。
以上から推測して、明治の終り頃かと思われる。

また、切手は、一銭五厘であるが、ハガキをこの切手で出せたのは、明治32年1月から、昭和12年4月までである。

ここから、おそらく明治終盤から、大正期にかけてのものだと推測できる。
ぼくは、買ったときは、大正の終りから昭和の始めと推測したが、それよりも20年くらい前のものであろう。

こんな時代考証をした後、もう一度、ぼくは絵はがきに書かれていた歌を観賞する。
「妾」とは誰のことなのか。
一般論で歌ったものではあるまい。
もし宛先の兄の妾なら、この歌は、ハガキを出した弟のせめてもの訴えかもしれない。
とすると、弟は、妾に心情を寄せていたのであろうか。

そんなことを想像しながら、酒を飲んでいた。

ところで、不思議なのは、なぜこのハガキがこの額に入っているのかということ。
ハガキは、ハガキだけで、投函されていた。
この投函されたハガキを額に入れるなら、この神戸の土産の品であろうはずはない。
とすると、ハガキを投函した後、ハガキの出し主は神戸で買った額を、後日、土産物として碧南市の兄を訪ねたのでろうか。

いやあ、ぼくはこの額を充分に楽しんだ。
いずれ、ヤフーオークションにでも出して処分することにしよう。

月曜担当…池田光



2016年10月15日(土)
孔球                         土曜担当…佐々木秀彦

月が美しく輝く夜です。秋は空気が爽やかで、読書の秋・スポーツの秋と称されます。ノーベル賞発表やプロ野球の日本シリーズ、秋の叙勲等々、芸術、文化、スポーツイベントも多種多様に開催されます。

ゴルフは漢字で『孔球』と書き、『だきゅう』と読むそうです。スコットランド発祥の英国貴族のスポーツということらしいのですが、中国発祥だと強く主張する中国人学者も多いということです。

僕はバブル時代を過ごしたので、ゴルフのお誘いは数限りなくありました。しかしお腹の出っ張ったオジサンが、へりくだった接待しているイメージが強烈にあったので、トコトン敬遠しておりました。しかし今年の春、懇意にしている業者さんが主催するコンペに話の流れで参加しました。スコアは『176』。ハンデを換算して女性も含め参加者70人で後ろから3番目の順位。紳士のスポーツですので人様に迷惑をかけてはいけません。『176』というスコアは迷惑と同時にあきれ返られるくらい珍しい成績だそうです。しかしその極端な下手さが仕事の人間関係を潤すというのもゴルフというスポーツの懐深いところです。

僕を誘った主催者も期待以上の大活躍がおもしろかったということと、僕は当然に強烈に悔しい気持ちがあったので、この秋も引き続き参加しました。それなりに練習して臨んでスコアは『144』。数字を『32』も縮めて僕は上機嫌でした。しかし順位は後ろから4番目。自分だけで見ると確かに大きく進化したことは事実ではあるのですが、『珍しいぐらい下手くそ』から『普通の下手くそ』になっただけ…。ゲーム直後に満足感があった分、今は前回以上に悔しい気持ちでいっぱいです。

孔球…孔子の『孔』の文字です。

都会の喧騒から離れて、人工的に整備された環境ではあるものの、視界には野山の美しい風景が広がります。耳に聞こえるのは鳥の声と虫の声。座禅をし瞑想するには最高の環境でもあります。球を打つ前、深呼吸をして軽く目を閉じます。数秒間だけではあるのですが瞑想します。これがけっこう楽しい瞬間なのです。そんなことを18ホール、144回繰り返していたのですから、贅沢な時間を過ごしたと思います。2回目ですのでこの瞑想がまだまだ浅かったのでこのスコアでしたが、次回はこの一瞬の瞑想を深くすることで、スコアの向上が果たせると僕は確信します。『孔球は禅の心持ちで精進すべし!』僕はこの気づきを実践してシングルプレーヤーになります!乞うご期待!!!

土曜担当…佐々木秀彦



2016年10月13日(木)
ブッダの言葉と絶対積極             木曜担当…西端努斗夢

 ゆっくり坐ってみたくなって、昨日、大阪の天正寺で開かれている坐禅会に参加させていただきました。
 天正寺の住職は、湧くわく本心塾の顧問にもなっていただいている佐々木奘堂先生。池田塾長のブログにも書かれていましたが、今月25日に『ブッダの言葉』が発刊されます。そして、来月5日の潜学講座では、この本を教材に佐々木奘堂先生の特別講座を開催させていただくことになっています。

 後世の仏教者がつくり上げた理屈ではなく、ブッダが本当に伝えたかったことは何なのかを知ることができ、とても楽しみです。
 私がほんの少し聞きかじった感じでは、ブッダが伝えたかったことと中村天風先生が説く絶対積極とは根っこの部分でつながっているような気がします。

木曜担当…西端努斗夢



2016年10月12日(水)
マナイナス言葉にプラス言葉、強いのどっち?  水曜担当…冨樫功

前回の潜学講座で、「プラス思考はマイナス思考の100倍パワーがある」
という説に疑問を呈させていただきました。


ある本に、科学的に証明されていると書いてあったのですが、
科学的に証明されている事実を探すことができなかったのです。


僕が見つけられたのは、まったく逆で、
マイナス言葉はプラス言葉の5倍威力があるという実験結果でした。


「その科学が成功を決める」 (文春文庫)/文藝春秋
という本に載っています。


心理学者のジョン・グッドマンは、
夫婦関係が長続きする要素を30年以上調べました。

彼は、プラスの表現(たとえば共感、理解、許しなどをあらわす言葉)と
マイナスの表現(敵意、批判、軽蔑などをあらわす言葉)の頻度を綿密に記録し、
夫婦の関係を調査しました。

すると、円満な夫婦関係を続けるためには、
プラスの言葉がマイナス言葉の5倍必要なことがわかりました。

言い換えると、批判めいた一言が生む亀裂を埋めるには、
相手に5回賛成し、理解を示さなければならないのです。

そこまでやって、ようやく元に戻るのです。


つまり、マイナス言葉は、プラス言葉の5倍の破壊力を持っているのです。


例えば、「センスがない」とか「また太って」とか「老けたね」とか
「気が利かないね」とか「頭悪いな」とか、
そんなマイナスの発言を一つ吐いてしまうと、
それを取り戻すためには、五つのほめ言葉がいるのです。

一つほめ、一つけなす、
アメとムチくらいの感覚で人間関係をとらえていると、
大変なことになります。


そして、これは、自分自身との関係にも適用されます。

マイナス言葉は威力があるのです!!


この恐ろしさ。
うかつにマイナス言葉を吐けませんよね。


思考という目に見えない段階では、
プラス思考もマイナス思考も同じくらいの強さでもって働きます。

しかし、言葉というのは、
音であり、波動であり、振動であり、
より強くこの世界に影響を及ぼします。


そして、マイナス言葉はプラス言葉の5倍の力を持っているのです。


これはなぜか。


中村天風さんはこんな風に言っています。

「神仏と名づけられている宇宙霊なるものの心の中には、
真善美以外に、心配や悲観というような消極的な心持ちは、夢にもない。」【不幸福撃退の誦句】


神様、仏さまなどというようなものの心には、真善美しかないのです。

真善美以外の思考、発言、行動は、宇宙の進化と発展、
平和、大調和に寄与しないばかりか、
破壊的な作用をもたらします。


真善美が宇宙にとっては普通であり、
それ以外の行動には全宇宙が違和感を持って態度で示すようです。



まあ、みなさんすでにご存じとは思いますが、
やっぱり言葉って大切にしないとダメですねえ。


自戒をこめて。

最後に中村天風さんの言葉の誦句を紹介しておきます。

「言葉の誦句」

私は今後かりそめにも、
我が舌に悪を語らせまい。
否、一一我が言葉に注意しよう。

同時に今後私はもはや自分の境遇や仕事を
消極的な言語や悲観的な言語で、
批判するような言葉を使うまい。

始終、楽観と歓喜と、
輝く希望と溌剌たる勇気と、
平和に満ちた言葉でのみ活きよう。

そして、宇宙霊の有する無限の力を
我が生命に受け入れて、
その無限の力で自分の人生を建設しよう。

だから、誠と愛と調和した気持ちと、
安心と勇気とで、
ますます宇宙霊との結び目を堅固にしよう。

水曜担当…冨樫功



2016年10月11日(火)
無題                          火曜担当…柿原まゆみ

湧くわく本心塾の12月3日(土)の浸学講座の講師をお任せいただきます。
浸学とは「学に潜む」と読み、世に活躍するまで学びを蓄積して実力をつけることです。
実力がつけて一隅を照らす人になるように、互いに成長するための場が「潜学講座」です。

この日、お話をさせて頂くことは
天風哲学「今日から積極人間になろう」中村天風45の言葉の実践です。
中村天風先生の研究や学問の評論家ではありませんから
天風先生の事を話すことは出来ません。

書籍を読み、それをどのように解釈して行動するか、また
自分のものとするかが、大切だと考えています。

本心塾では『互いに学び合う』事を大切にしていますので
皆さんの解釈や行動を共有し、そのことを参考に次に活かしていけるようなことを
考えています。平素ブログに書いていることをお伝えし、皆さんの
積極精神で生きる人になる習慣を伺う予定です。

苦しいとき、つらいとき、腹が立つときは誰にでもあります。しかしそのことを
ずっと考え続けていても何の解決にもなりません。
プラスの発想をする人の話には良い氣があり、この波動を感じるだけで
解決に近づきます。プラスの言葉を話して一番聞いている人は自分です。
おそらく話している本人が一番元気になれると思っています。

最後の池田塾長の総評をお伺いするのが楽しみです。
池田塾長は絶対に悪いところの指摘や「こうしたらいいよ」などもおっしゃいません。
池田塾長の総評で講師の方が話されたことが、一層輝きを増し、余韻を楽しめます。
このような総評が話をされた講師に「準備は大変だったけどやってよかった」と思わせるのではないかと感じていました。

もちろんゲストの方も大歓迎です。ご参加頂ければ幸いです。

■2016年12月3日(土)
■14:00~17:00
■参加費 1500円(塾生 1000円)
■場所 大阪倶楽部 (大阪市中央区今橋4-4-11)
http://www.chuokokaido-wedding.com/oc_access.html
■塾生以外の方で参加ご希望の方は 柿原までご一報下さい。
■懇親会 3000円 (神宮にお納めしている美味しい日本酒が飲めますよ)

火曜担当…柿原まゆみ



2016年10月10日(月)
無題                          月曜担当…池田光

自宅での生活が主となり、それなりに楽しんでおります。
いまの楽しみは、①超訳することと、②ジャズを聞くこと。

現在進めているのは、「超訳アッタカヴァッガ」です。
佐々木奘堂先生の『ブッダの言葉』の編集を終え、数種の現代語訳アッタカヴァッガにざっと目を通したのですが、その訳し方の違いに驚きました。
トンデモ訳は、講談社学塾文庫の『スッタニパータ』に含まれている「アッタカヴァッガ」です。
まさか、こんなに整然とした仏教語をブッダが語るわけがないだろうと違和感がありました。
それはそれとして、どの訳で読んでも、ぼくには意味が取れないところが多々ありました。
そこで超訳をして、あえて誤訳をすることで意味の整合性を合せてやろうと思ったわけです。
これは遊びでやっているので、何でもありです。

ジャズについては、ここ一週間ほどで、CDを大人買いしました。
どれも安価なものばかりです。
一枚に十数曲ほど入っているので、買い求めた90枚のうち、まだ十枚ちょっとしか聞けていないものの、ボサノヴァは好きですね。
ジョアン・ジルベルト、その奥さんだったアストラッド・ジルベルト、アントニオ・カルロス・ジョビン、ルイス・ボンファ、シルヴィア・テリス……、どれもいい。
小野リサは昔から聞いていましたが、創始者たちのものをまとめて聞いたのは、最近です。
やはり、アストラッド・ジルベルトを流すと、夜のアルコールがうまい。
ちなみに、サンバにジャズの要素を加えて都会的に洗練させたのが、ボサノヴァです。

ほかに、ぼくが好きなのは、女性が低くかすれた声でせつせつと歌うもの。たとえば、ヘレン・メリルとか。
主に聞いているのは、往年のジャズの巨人たち。たとえば、ビリー・ホリディ、チャリー・パーカー、マイルス・ディヴィス、ジョン・コルトレーン、ソニー・ロリンズ、デューク・エリントン、もちろんルイ・アームストロングも。

学生の頃、ある時期にいちばん仲が良かった友人が、
お酒を飲む場でジャズピアノを弾くというアルバイトをやっていて、
ぼくは友人だということで何度かカクテルをいただいたことがあります。
グランドピアノを置いているガラス張りのお洒落な店でした。
何度目かに、ぼくは占い師にしたてられ、数組のカップルの手相を看たことがあります。
半分ウソの占いですが、チップをもらったので、少しだけ小遣いができました。

ジャズに興味を持ったのは、その友人の影響です。
彼は、歌謡曲をクラシック調で弾いたり、ジャズ調で弾いたりして、
「指をはじくようにするだけで、ほら、ジャズになる」
とかなんとか言いながら、弾き分けて見せました。
その頃にジャズの本を何冊か読み、「A列車で行こう」みたいな名曲が入ったレコードを聞いたりしていました。
まとめて聞いたのは、それ以来です。
こうしてジャズを聞いていると、まだ二十歳になったばかりのあの頃のことを思い出せます。

彼と親友になったきっかけなんかも、思い出していました。
彼は十七歳のとき、「認識論について」という題名で原稿用紙に五十枚ほどの哲学エッセイを書いて、高校の文芸誌に発表していたのです。
ぼくはそれを読んで、ひそかに感動していたのですが、彼は旅館の娘と結婚して、高三の三学期に退学していきました。
十九歳になって、偶然から彼と面識ができたとき、彼の哲学エッセイの話をしたのです。
そして意気投合して、親友になったのでした。
彼は資産家の家に生まれたのですが、親から勘当されて、ジャズピアノのアルバイトなどで飯を食べていました。
親からもらった家の壁や階段などを、何を思ったか、突然ペンキで真赤に塗っていましたが、途中でペンキが無くなったらしく、中途半端な家に住んでいました。
まわりの人たちは、彼のことを変人だと敬遠していて、ぼくしか友人はいませんでした。
そのため、彼は淋しくなると夜の十二時頃にぼくに電話をかけ、哲学的な議論を一人で延々とするのです。
電話の向こうから、「お~い、お~い」と大きな声がして、ぼくはよく起されました。
寝転んで電話から流れる彼の議論を聞いているうちに、ぼくは眠ってしまうようで、時計は午前二時とか、三時を指しており、彼は一人で二三時間話し続けていたのです。
ほかにも、いろいろ思い出しましたが、いらぬことを書いてしまいました。
この辺で……。

月曜担当…池田光



2016年10月9日(日)
「瞑想②」                       日曜担当…八木正典

ある時、王陽明の弟子である孟源が「静坐中に雑念が生じてこれを絶つことが出来ない。」と質問したところ、王陽明は次のように答えたと言います。
「強いてそれを禁絶しようとしてはならぬ。思慮の萌動があれば、よく省察し、欲念があればこれを克知せよ。そうして天理が精明となったら、万事はみな天理にしたがうようになって心の雑念が無くなる。これが『大学』の『止まるを知って始めて心定まる』という意味である。」

瞑想を少し続けていますが、相も変わらず雑念だらけです。それでも、明朝時代から同じような質問を師にしていた人物がいるというだけでなんとなく仲間が出来たような、やっぱり前向きに続けるしか無いような、そんな気がしてここに披露させていただきました。
省察克治というと難しそうですが、思考を丁寧に見守り、禁絶せずそのままにしておくことぐらいはできそうです。

日曜担当…八木正典



2016年10月8日(土)
感激                         土曜担当…佐々木秀彦

安岡正篤著「陽明学十講」を先週に引き続き読んでおります。第1講は昭和35年の文章だったので非常に難しい印象から始まったのではありますが、読み進めていくと昭和40代
・50年代の文章になるとさすがに読み易くなってきます。やはり時代に応じた読む人に理解しやすい記述に変えていらっしゃるのだなと、ある意味普通の事柄ではありますが、そういう部分に親しみやすさを感じてしまいます。

第6講の昭和41年9月の文章では「中江藤樹・三輪執斎の学風」と題した内容の中で英国のビートルズの熱狂を現代社会の具体的一例としてお話されております。日本武道館の公演が6月だったので、導入としてはそういう展開になったのでしょうが『いささか物好きながら文献を渉猟してみた』ということで『ビートルズの語源はビーティフィックすなわちキリスト教で神の祝福にあずかるから楽しい誇らかなという意味』からはじまりビクトリア女王の時代と比較しての若者文化の返還を解説されております。

中江藤樹も17歳の時に『論語』に接して大きな感激をし、20歳の時には有志を集めて『大学』を講じて、21歳の時に『大学啓蒙』という著述をしました。人間の一番エネルギーの盛んな16歳から20歳頃までに『藤樹は幸いにして「大学」「論語」「孟子」「中庸」などの学問にしびれたのである』と安岡師は表現されております。エレキギターやモンキーダンスにしびれるのと、学問にしびれるという対比をこんなに自然にすべてを肯定的に解説されていらっしゃることに僕はしびれてしまします。

昭和41年に『彼らの純粋な生命力や内面的要求に応ずるものが現代にないいうことだけは間違いない。これを救う道は、純真な少年少女たちに、いかにして正しい感激を与えてやるかということであって、これはいいかえれば彼らに精神生活を与えてやるかということになる』と仰っていらっしゃいます。ちょうど50年前です。僕はその感激を与えてやろうという意志がある大人に出会ったこともあったのかもしれませんが、結果的にはエレキやモンキーダンスの方向へ向かった少年となりました。

そして現代、純粋な少年少女はやはり学問からの感激を与えられない社会は継続しております。しかしせめて僕は、正しい『感激』を与えやるというキーワードにて少年少女に接していくように強い意志をもっていきたいなと感じました。『一燈照隅・萬燈照國』


―人間のあらゆる生活・思想・行動の一番大事なことは、外物を追うということではなくて、まず己自身に反るということにある。―

土曜担当…佐々木秀彦



2016年10月6日(木)
晴れてよし 曇りてもよし 富士の山      木曜担当…西端努斗夢

今月1日の潜学講座で、中村天風先生が言う「絶対積極」とは、山岡鉄舟が残した「晴れてよし 曇りてもよし 富士の山」の心境だと聞いて、私の中に一つのイメージが浮かんできました。

まだ、そのイメージを完全に言葉や文章に変換していませんが、私の目指していたものが、絶対積極の生き方だったということを確認することができ、安心しました。

積極と絶対積極、言葉は似ていますが、似て非なるもののような気がします。

これから、じっくりと時間をかけて、イメージを解きほぐしていきますが、大切なのは、信じ切ることと実践し続けること!

木曜担当…西端努斗夢



2016年10月5日(水)
人生は、心一つの置きどころ            水曜担当…冨樫功

10月の潜学講座の講師を務めさせていただきました。


抽象的な話になってしまい、
伝わっているかどうかがかなり不安になりましたが、
みなさんの温かい雰囲気のおかげでなんとか、
やりきることができました。


一番問いたかったのが、
「人生は、心一つの置きどころ」なのかというところで、
みなさんにも意見を聞きながら進めさせていただきました。


この話をしてからますますそのことが頭にへばりついて、
自分が今考えてることは積極的か?消極的か?を監視するようになりました。



講師が一番勉強になるという言葉をかみしめております。


今となると、
もう少しうまくできただろうなあとも思うのですが・・。

水曜担当…冨樫功



2016年10月4日(火)
無題                          火曜担当…柿原まゆみ

10月1日の本心塾に参加し、安田憲生さんと富樫功さんから学ばせて頂きました。
「理想を追い求める」のテーマで安田さんの心に残る名言からご自身の想いや
目標とされている事をお話になりました。

沢山の名言の中から私の心に残った項目は
「教育勅語」です。教育勅語は明治天皇が教育の方針を明らかにしたもので、
人間が生きていく上で心がけるべき美徳・徳目が述べられています。


「あたえられた物事での、ただ一つの答えしか導きだせない詰め込み式教育でなく、
人物を創り上げる徳育の振興が必要であり、教育勅語を復活させるべき」と安田さんは
話されていました。


勅語とは「天皇が直に語ってくださったこと」という意味があるので、語りかけるような文体になっています。
【教育勅語 意訳】
私が思うには、我が皇室の先祖が国を始められたのは、はるかに遠い昔のことで、代々築かれてきた徳は深く厚いものでした。我が国民は忠義と孝行を尽 くし、全国民が心を一つにして、世々にわたって立派な行いをしてきたことは、わが国のすぐれたところであり、教育の根源もまたそこにあります。
あなたたち国民は、父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦は仲むつまじく、友達とは互いに信じあい、行動は慎み深く、他人に博愛の手を差し伸べ、学問を 修め、仕事を習い、それによって知能をさらに開き起こし、徳と才能を磨き上げ、進んで公共の利益や世間の務めに尽力し、いつも憲法を重んじ、法律に従いな さい。そしてもし危急の事態が生じたら、正義心から勇気を持って公のために奉仕し、それによって永遠に続く皇室の運命を助けるようにしなさい。
これらのことは、単にあなた方が忠義心あつく善良な国民であるということだけではなく、あなた方の祖先が残した良い風習を褒め称えることでもあります。
このような道は、実にわが皇室の祖先が残された教訓であり、その子孫と国民が共に守っていかねばならぬことで、昔も今も変わらず、国の内外をも問わず、
間違いのない道理です。私はあなた方国民と共にこの教えを胸中に銘記して守り、皆一致して立派な行いをしてゆくことを切に願っています。

【教育勅語を箇条にした12項目】
孝行・・・親に孝養(親に孝行を尽くすこと)をつくしましょう
友愛・・・兄弟・姉妹は仲良くしましょう
夫婦の和・・・夫婦はいつも仲むつまじくしましょう
朋友の信・・・友達は互いに信じ合って付き合いましょう
謙遜・・・自分の言動につつしみましょう
博愛・・・広く全ての人に愛の手を差しのべましょう
修学習業・・・勉学に励み職業を身につけましょう
智能啓発・・・知識を養い才能を伸ばしましょう
徳器成就・・・人格の向上につとめましょう
公益世務・・・広く世の人々や社会のためになる仕事にはげみましょう
遵法・・・法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう
義勇・・・正しい勇気をもって国の為真心を尽くしましょう


どの項目も大切な事ばかりです。
項目の最初には「家族円満」について記されています。
マザー・テレサは「世界平和のために何をしたらいいのか?」と聞かれて時に答えたことは「帰って家族を大切にしてあげて下さい」でした。世界の平和はまず、自分の周りの人を大切にすることなのですね。

親に孝行を尽くすことは親が喜んでくれることをすること。
ある本にこう書かれていました。
親は「育ててくるのに沢山お金や時間を使ったので、老後の面倒をみてほしい」と願っている人いないはず。「人に迷惑を書けない」「世の中の為になるようなことをしてほしい」「健康で元気でいてほしい」と思っています。


「親孝行したいときには親はなし」ということを言われますが、そんなことはありません。
親を亡くした後も親の喜ぶことをしていると天国でみてくれていると書かれていました。
とても共感できました。


親が元気でいるのであれば、逢って、話を聴き、一緒に食事をして
感謝の言葉を伝える事など、特別なことではありませんが喜ばれます。

母が習慣にしていたことを私もマネをしています。
実家に戻り、帰宅したらすぐに母に電話を入れ
「今、家に戻りました。今日はありがとう」と無事に戻れたことと、あらためて
感謝の言葉を伝えています。

この日の講習後に久しぶりに母に電話を入れ、手紙を書きました。
とても喜んでくれました。
今週末、実家に行く予定です。

火曜担当…柿原まゆみ



2016年10月3日(月)
無題                          月曜担当…池田光




10月25日に、『禅の言葉』の姉妹本となる、
『ブッダの言葉』を発刊します。
ネット書店「アマゾン」では予約受付を開始しています。
著者は、大阪の天正寺で坐禅会などを主宰されている、佐々木奘堂先生です。
ぼくは、編集と出版を担当しました。

これで「湧くわく本心塾 照隅ライブラリー」も四冊目。
構想から二年半。
着手してから一年半。
集中的にやって、数か月。

この本で、佐々木奘堂先生が現代語訳されたのは、「アッタカヴァッガ」です。
「アッタカヴァッガ」のお経は、最古の仏典であり、ブッダの生の言葉が記録されています。
また、このお経は、『スッタニパータ』の第四章として知られ、『スッタニパータ』はすでに何点もの邦訳があります。
なのに、なぜ、新しく訳すのか。
その意義は、次の通りです。

■「アッタカヴァッガ」を新訳する意義 
ブッダの滅後にできた「仏教」というフィルターに染まっていることから
できる限りフリーになって訳したところに、本書の意義があります。
ブッダは、当時の日常語だけを用いて目の前の相手に語りました。
そのブッダの生の言葉を、現代日本語の日常語で訳出するようにしたのが本書です。 

ですから、この『ブッダの言葉』は、ブッダの思想の本であって、
いわゆる仏教書ではありません。
まだ、ブッダの時代には、仏教は無かったのですから。

なんと、衝撃的な翻訳なのでしょうか。
この衝撃が伝わるように、
本書では、詳細な「注釈」を付けています。
この注釈の助けを借りることで、「仏教」というフィルターを払いながら読んでいただけます。
さらに、「解説」では、徹底的に「フィルター」の存在に気づいていただけるようになっています。
より突っ込んで学びたい方のためには、「索引」を付し、重要な語句から訳文を検索できるようになっています。

湧くわく本心塾として、こうした意義がある本を出版していけることが大きな喜びです。
さて、本日3日が印刷会社への出稿日です。
そして、出来立てのこの本を使って、11月5日(土曜日)の「潜学講座」では、佐々木奘堂先生に講座をお願いしています。
懇親会もあります。
場所は、由緒ある大阪倶楽部です。
どなたでも参加していただけますが、予約が必要です。
お楽しみに。

月曜担当…池田光



2016年10月2日(日)
「心に求める」                    日曜担当…八木正典

其れ学は之を心に得るを貴ぶ。
之を心に求めて非なるや、その言の孔子に出づと雖も、敢て以って是と為さざるなり。而るを況や其の未だ孔子に及ばざる者をや。
之を心に求めて是なるや、その言の庸常に出づと雖も、敢て以って非と為さざるなり。而るを況や其の孔子に出づる者をや。(伝習録)


最近、中村天風先生の書かれた本を読んでおります。
いくつかの本に接していて、何度か読んでいるはずなのですが、自分の中にすっと入ってくるものもあれば、なんとなく咀嚼が必要でいつまでたっても簡単に理解できないものもあります。
そんな時は、時間をおいて再度読み返してみたり、他の方が書かれている本を参考にしてみたりするのですが、最後はやはり自分の心に問うてみることが必要なのかと感じております。
心を落ち着かせ、自分の心に響くものを取り入れていく。そうしていくうちに、少しでも真理に近づくことができるとありがたいと思います。

日曜担当…八木正典



2016年10月1日(土)
予習                          土曜担当…佐々木秀彦

安岡正篤著『陽明学十講』を読み始めました。僕の生まれる前(昭和35年)に書かれたものから始まりますので、読み初めてすぐ『難しい…』と感じましたが、それはそれ、謦咳に接するだけで充分、理解はできなくても問題なしと考え直して読み進めていっているところです。

今回この本を選んだのは、池田塾長が安岡正篤の原稿を書いているとブログに書いていらっしゃたので、その本が出版される前に予習をしておかなくてはいけないと感じたからです。本を読むにも、仕事の商談をするにも、女性をエスコートするにも、予習しておいて損はありません。最近はこの予習する時間そのものがけっこう楽しくなってきているから不思議です。

今日は仕事で1880万円で売りに出ている物件に1700万円で購入希望する購入申し込み書を売主側の仲介業者へ持参しました。事前に問い合わせて、値引きは厳しいという回答を得ていたにもかかわらず、この値交渉です。ここは腕の見せ所と綿密に戦略を講じて、会話の流れを想定して臨んだのではありますが、売主側の仲介業者の反応は薄く、想定していた一番希薄な対応にて第1回の交渉は終了しました。それでも短時間にもかかわらず、伝えることはすべて伝えられたのはやはり予習があってこそだと感じます。結果がどうなるかはこれからではありますが、そんな感じで仕事は進めていったほうが楽しいものです。

仕事でも、実生活でも、予習ができない突発的なことはたくさん起こります。突発的なことの方が多いくらいです。だからこそ、予習のできることはなるべく時間を遣って予習しておきたいなというのが僕の最近の気持ちです。

気が付けばこのブログを担当して1年が経過しました。つまり地球が太陽を1周したということです。実際に書くようになって自分に何か変化があったような自覚は無いのですが、軽く感想などを言っていただくと嬉しいものだということだけはわかりました。このブログだけは事前に予習はしてないのではありますが、これはその時の気持ちを文章に起こす作業が楽しいので、あえて予習はしないようにしております。その分提出が毎度毎度ギリギリになってしまって、西端事務局長には申し訳なく思っております。これからもその時その時の自分の興味を表現していけるように、読んでいただける環境に感謝しながら、予習はせずに臨んでいきますので、引き続きご指導ご鞭撻賜りますようよろしくお願い申し上げます。

土曜担当…佐々木秀彦



2016年9月30日(金)
一寸先は光                      本当は木曜担当…西端努斗夢

毎週木曜担当のブログをあえて遅らせて金曜日にアップすることはあっても、忘れたことはなかったのに、今回はすっかり忘れていました。
気がつけば金曜日。しかも、あと2時間足らずで、その金曜日も終わってしまうところです。

9月も今日で終わり。振り返れば、川井信一さんの作品展をきっかけにした新たな出会い、長期にわたって抱えてきた仕事の仕上げ、新たな仕事の着手など、今月は濃厚な1ヶ月でした。
これまでOFFになっていたスイッチの一つがONになったような気がします。

明日から始まる10月は、どんなことが待ち受けているのか、「一寸先は光」と、湧くわくしながら今宵も酔っぱらっています。

本当は木曜担当…西端努斗夢



2016年9月27日(火)
無題                          火曜担当…柿原まゆみ

鹿児島に4年ぶりに来ました。
鹿児島と言えば

さつまあげ
黒豚
そして芋焼酎です。

森伊蔵、魔王、村尾などはブランド化し、
高値で並び、なかなか手に入りません。
鹿児島県の方も入手困難だとおっしゃっていました。

芋焼酎ファンの方に朗報です。
芋焼酎には、「ウロキナーゼ」という
成分が豊富に含まれています。


このウロキナーゼには血栓を溶かす
作用がある酵素を増やしてくれるので、
血圧が安定してコレステロール値が下がり
動脈硬化、脳梗塞、心筋梗塞、糖尿病などの
生活習慣病を予防する効果が期待できるとの事。

勿論、飲み過ぎは逆効果なので十分注意が必要です。

どんな名医や名薬といえども、
「楽しい」「面白い」「嬉しい」というものに勝る効果は絶対にないと中村天風先生は、おっしゃっていました。

適量は身体に良い芋焼酎ですが愚痴や
不満を言いながらのお酒は身体に毒。
楽しい仲間と前向きな会話で楽しく飲んで
健康な身体を維持、向上させたいですね。

火曜担当…柿原まゆみ



2016年9月26日(月)
無題                          月曜担当…池田光

今年中にやりたいと思っていた仕事も、残るのはあと三つ。
このうち二つは、ほぼ終わりかけています。
残る一つも、あと一カ月で目途がつきそうです。

そこで、次の目標を具体的に考えたいと思っています。
これまでは自分の本を自分の出版社から出さなかったのですが、
来年四月に向けて一冊書いてみるつもりでいます。
この本を核に、目標をつくってみます。

そのあとは、数か月ほど充電をして、
ここ数年の念願だった仕事に取り組みたいと思います。
その仕上げは、2019年1月。
ここまでやったら、ぼくの使命はいちおう果たせると思います。
あとは、ノープランです。

ちょっと先走りましたが、
還暦から一年半。
この一年半の仕事で、なんとか思い描いていたゴールが見えてきました。

もう少しです。
頑張りたいと思います。

月曜担当…池田光



2016年9月25日(日)
「歴史を感じる」                   日曜担当…八木正典

先週、尊敬する方のご自宅にお伺いし、しばしの時間をご一緒させていただきました。
その方の趣味で収集されているものや歴史的なこだわりの逸品を拝見しそれだけでも感動しているのに、その流れで宋の時代の陶器でお酒をいただいたのです。白磁の趣のある素晴らしい陶器でした。
少しばかり儒学を学んでいる者にとって、宋時代の儒学者である周敦頤、二程子、そして朱子学を大成した朱熹の生きた時代に思いをはせながら、歴史を感じることが出来て非常に恵まれた、幸せな時間でした。いろいろな縁の中で、有難い時間をいただけたことに感謝です。
歴史を肌で体感しながら、改めて自分の道を見出していきたいと感じた瞬間でした。


陽気の発する処金石も亦透る。精神一到何事か成らざらん。(朱熹)

日曜担当…八木正典



2016年9月24日(土)
未来                          土曜担当…佐々木秀彦

中村天風師の神人冥合の講話CDを運転しながら聞き始めてもう半年ほどになります。2枚組の1つのものですが、繰り返し同じものを聴き続けています。どちらかというと聞き流しているという感じではあるのですが、それでも毎回気になるというか、自分が引っかかる部分が違うので面白いです。

『現象界で目に見える物はすべて仮の姿である』という一言が僕の今注目している部分です。僕は不動産屋ではありますが、建物が新築の場合と築30年の場合とで当然ですが価格は変わります。ではその建物の真の姿というのはどの時点の姿なのでしょうか?…新築時?築30年時?それとも築100年時???僕自身の真の姿とは?赤ちゃん時?今?それとも死ぬ時点???
真の姿を表現する時、普通は水のように温度で気化したり固形化するものを例に挙げるのでしょうが、僕は今、時間軸による変化と、変化しない真の姿に注目しているわけです。

星の光は何百年も何千年も前の輝きが見えております。つまり光が到達するには光のスピードという時間がかかるということです。それを突き詰めてみれば、目の前で会話している人の顔の表情の変化を僕が気づくのにも、その人が表情を変えた瞬間と僕の目に届く瞬間に緻密な時差が生じているわけです。理論的ではありますが、目に触れるもののすべてがすでに過去であるとこは間違いのない現実でもあります。

ドラえもんや星新一で育った僕にとって『未来』というのは時間軸だけ表現のイメージだったのですが、今、心の備わった姿かたちこそ『未来』としてイメージするべきではないかと感じております。地球の姿、日本の姿、僕自身の姿、、、もちろん外見的と言う意味ではありません。過去に遡ることは学問上でしかできません。この世の中『未来』しか無いわけなのですから、生きるということを普通に考えると『未来』という方向しか無い。そういう視点から考えても人生は『絶対積極』という働きかけしか無いのだなということを、車のアクセルやブレーキ踏みながら、考えたりしております。

土曜担当…佐々木秀彦



2016年9月22日(木)
イメージ通信                     木曜担当…西端努斗夢

心というアンテナでイメージを受信しても、それを他人に伝えるためには、声帯を使った言葉や文字、図形を使った文章に頭の中で変換しなければいけません。私にとって、この変換作業がけっこうたいへんです。なんて面倒な作業をしなければならないのだろうかといつも思います。

イメージをそのまま相手に送ることができたら、一瞬にして膨大な情報を正確に伝えることができるのに、残念ながら今の私には、受信はできても送信はできません。

もしかしたら、なまじ言葉や文字が使えるようになったために、イメージを送信する機能が退化してしまったのではないか?

今宵も酔っぱらって、そんな妄想をしています。

木曜担当…西端努斗夢



2016年9月21日(水)
台風一過                       水曜担当…冨樫功

昨日は台風が来ていました。

今年は台風の当たり年だそうで、
すでに6つの台風が日本に上陸しているそうです。

強い風が吹き、たくさんの雨も降って、
停電や床下浸水など様々な被害がでます。

あと、決まって野菜が高騰したりして、
その後の家計にまで影響がでてくる台風。


普通に、人間の視点で考えると、
台風はまったく邪魔者でしかありません。


しかし、沖縄のサンゴ礁などは、
もし一年のうちに台風が一つも来なければ、
すべて死滅してしまうそうです。


台風が来るたび、夏の気配は去り、
秋を運んできてくれますが、
そんな季節感以上の大きな仕事が台風にはあるようです。


地震などの大きな災害にも、
人間には計り知れない大きな意味があるのかもしれません。


もしくは、何も意味はないかもしれません。


人生は心一つの置きどころ。

晴れてよし、曇りてよしの富士の山。


何が起きても、中村天風さんのように、
明るく、勇ましく、颯爽とした気持ちでいたいものです。

水曜担当…冨樫功



2016年9月20日(火)
言葉遣い                       火曜担当…柿原まゆみ

今回は「言葉遣い」についてお伝えいたします。
文化庁が16歳以上の全国の男女2000名を対象にした調査で
「普段、他の人の言葉遣いが気になりますか?」の問いに対して
「非常に気になる」「ある程度気になる」を合わせた
「気になる」は全体の71%でした。

また
自分の話す敬語について「自信がない」「正しい使い方が分からない」は72%を超えていました。

直接「あなたの言葉づかいは間違っています」「言葉づかいに気をつけて」とは
言いにくく、言われることもありません。
特に年齢を重ねてから言葉づかいを改めていくことはかなりの努力が必要です。

時代とともに変化する日本語。自分のことを「拙者は〇〇でござる」、
何かお願いした時に「御意」と言う方はいません。

数十年前まで使っていた言葉が死語になっていることも沢山あります。
例えば
アベックはカップル。背広はスーツ。トックリセーターはハイネック。
ハンサムはイケメン。出来ちゃった婚は授かり婚など。
変化している日本語ですが基礎はきちんとおさえておきたいですね。

以下の言葉はよく使われていますが、実は間違った日本語です。
①とんでもございません
②こちらはご利用できません
③つまらない物ですが皆様でお召し上がり下さい
④役不足でご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした。

正しい表現は以下の通りです。

①「とんでもない」でひと続きの言葉です。それを途中で切って丁寧語にしています。
 「とんでもないことでございます」「とんでもないことです」が正しい表現です。

②「こちらはご利用になれません」または「こちらはご利用頂けません」が正しいです。
「ご」や「お」で始まる尊敬語は「~頂く」か「~なる」などに続きます。
③「召し上げる」はそれだけで尊敬語になっているので「お召し上がりください」(2重敬語)を「召し上がり下さい」に置き換えます。

そして「つまらないもの」という表現は間違いではありませんが、過度の謙遜さに違和感がある方が増えているので「気持ちばかりですが・・・」「お口にあえばいいのですが・・・」と言い換えるようになっています。
何故「つまらないもの」と言うのか調べると「あなた様のような素晴らしい方には
このようなものはつまらないものです」と相手をたてた表現のようです。
その言葉の深さはなかなか伝わらず
「つまらないものをなんで持ってきたの???」と誤解されます。

中村天風先生のおっしゃるようにプラスの言葉でお伝えすると喜ばれます。
「今、人気があるお店の美味しいお菓子です」
「とても美味しそうなので、○○さんにお持ちしました」などのひと言が良いと思います。

⑤役不足ではなく「力不足」が正しいです。役不足とは自分の能力に対して与えられた役目が軽すぎるという意味の言葉。語感が似ているので間違いやすいのですが逆の意味に
なるので注意が必要です。

言葉は敬語だけでなく伝える速さと間も重要です。
早口や間のない話し方は聞き取りにくいだけでなく「落ち着きがない」「気忙しい」と
良い印象とは言えません。また話のトーンも大切です。
トーンが低いと明るさに欠け、トーンが高すぎると相手を疲れさせてしまいます。

敬語をすべて覚えることは困難ですから平素よく使う言葉を敬語で正しく覚え、
意識して使い慣れることです。相手の方を尊重し、大切に想う気持ちで丁寧な言葉づかいをすれば気持ちの良い人間関係を創れ、印象が良くなります。

火曜担当…柿原まゆみ



2016年9月19日(月)
無題                          月曜担当…池田光

一昨日のこと、読者から一通のメールが届きました。
メールには、ぼくの本を何冊か読んでくださり、最近は『中村天風 心が強くなる「坐禅法」CDブック』を実践してくださっていると書かれていました。
メールを二三交わしたとき、彼(Aさん)からこんな体験が寄せられました。
以下、少し文面を変更しつつ、ご紹介します。
なお、ご本人には匿名での公開を了承していただいています。

■Aさんの体験
Aさんは、バスの運転手をされています。
天風式坐禅法をやり始めて、数か月。こんなことがあったそうです。
三月、バスの運転中に、センターラインを超えてきた自動車と正面衝突するという交通事故に遭われたのでした。
幸いにもお客様にけがはなかったものの、Aさんはあばら骨と肋骨を折り、骨折は治りましたが、首のむち打ち症状が治らず、今も通院し休養されています。
そんな状況で、気持ちも沈みがちでしたが、天風式坐禅法を曲りなりにも続け、観念要素の更改法だけはきっちりやっていらっしゃいました。
こうして日々を過ごしていたところ、六月頃に夢の中で頭を叩かれ、「目覚めよ、資格を取れ」と声がしたそうです。
ハッと起きて、「夢だったのか?」と自問し、「資格かなんか、俺の仕事に関係する資格はあるか?」とパソコンで調べると、運行管理者の試験が八月にありました。
申し込みや講習もぎりぎり間に合い、試験の日を迎えましたが、自己採点では合格基準を満たしているそうです。
「これも、天風式坐禅法を日常生活において実践したおかげです。
また坐禅をしていると投げやりのところがなくなってきます。
池田先生、これからもいい仕事を続けてください。
私も、先生の本を読み心を磨きながら日々成長していきます」
と結んでいらっしゃいしました。

天風式坐禅法をやっていると、いろんな効果が現われます。
その効果のひとつに、インスピレーションの能力が高まって、閃いたり、天から報せがあるというものがあります。
Aさんも、そんな体験をされたのでしょう。
そして、ありがたいことに、このインスピレーションには「答え」や「ヒント」が含まれていることが多々あります。
ぼくには、こういうことは不思議でもなんでもありません。
また、不思議な現象だとも思いません。
人間は五感だけで生きているのではなく、六感を持った存在です。
六感を働かせて生きるのは当然のことでしょう。

さて、ここ数か月、ぼくは安岡正篤の原稿を書き続けていましたが、明日20日の脱稿予定です。次には、再び、中村天風のことに取り組みます。
いくつか、新しいアイデアがあります。
頑張ります。

月曜担当…池田光



2016年9月18日(日)
「瞑想」                        日曜担当…八木正典

8月に瞑想についての話を聞いたのをきっかけに、朝起きた直後と夜寝る前に瞑想を行っております。
毎日短い時間ですが、やり始めて1か月以上が過ぎました。
当初は気分が悪いくらい頭の中に仕事や家庭で気になることや悩んでいることが浮かんできて頭から離れない状況でした。
あまりにも次々と様々な思考が浮かんでくるので、雑念とはこれなんだと妙に納得してしまうほどでした。
思考がぐるぐる廻る時間だけが過ぎていき、しばしば心が落ち着かないままでいる状況でしたが、最近は少し頭が空っぽで何も考えずに座っている時間が増えた気がしています。
瞑想した後、頭の中がすっきりしたような気分になれるのです。
少しづつ思考が変化していくことが非常に新鮮です。これからも、時間があるかぎり続けたいと思っています。

日曜担当…八木正典



2016年9月17日(土)
将軍                          土曜担当…佐々木秀彦

先週に引き続き、松浦玲著『幕末・京大坂歴史の旅』をゆっくり読んでいます。
まだ大政奉還まで進んでいませんがその半年前まで来ました。

明治維新のことは義務教育で一通り習いましたし、それなりに流れは理解しているつもりだったのですが、僕の知識はまるでピント外れで受験勉強的な意義しかなかったのだなと、歴史好きを公言していた自分が恥ずかしくなるくらい新鮮な内容ばかりで、本の題名どおり知らない世界を旅しているような感覚です。

黒船襲来で慌てふためいてアメリカの驚異に怯えて幕府が不平等条約締結…中学校の日本史ではそう習った気がします。でも1842年のアヘン戦争で欧米列強の戦力を知り、10年間の準備をし、1853年のペリー来航の1年前にはアメリカの来航計画の詳細な情報をオランダから入手してかつその対策まで論じていた幕府だったのです。だからこそ最初はペリーの親書を受け取るだけで回答保留のまま帰らせることができました。さらにペリーが帰った7日後には、オランダへの艦船発注、各藩への軍艦建造の奨励、幕府の造船所の起工、台場の造営等々、見事なスピードで対応策を次々実行している幕府は凄いです。歴史の教科書から醸し出される虚けなイメージはいったい何だったのでしょうか?

1863年の薩英戦争では当時世界最強の英国艦隊が、薩摩藩相手に負けたかのように帰還せざるをえない状況となりました。1863年と1864年の下関戦争では英仏蘭米の四国連合艦隊が長州藩相手に結束しなければならないと英国が判断して合計17艦を集結して長州藩に砲撃を仕掛けました。幕府は開国の条約にすでに調印しております。その状態の日本国内の反乱分子である薩摩藩・長州藩が世界最強の兵力を誇る英国をここまで追い詰めていた事実があるからこそ、第2次世界大戦後70年経った今でも日本軍だけは復活させてはならないという強い主張を持つ国が多々あることは、大日本帝国だけの印象ではないということを僕は感じました。

将軍の話に戻ります…
1867年3月から5月まで、大政奉還は11月ですからその半年ぐらい前、15代将軍徳川慶喜は大阪城を迎賓館として活用し仏・英・蘭・米の各国公使や総領事を招待し欧米風で『おもてなし』しております。当時の大阪城の天守閣は落雷で焼失して再建されず、壮麗な本丸御殿があったということです。内装に贅が尽くされ日本で一番美しい建物だったと、各国の記録にしるされていたということでした。江戸時代に欧米列強を驚嘆させる欄間の透かし彫りや虎の絵や障壁画のある本丸御殿を作っていたということももちろん、西洋式のイス・テーブルに大坂城で賄ったフランス料理で賓客をもてなしたというのは面白いです。またこの時の慶喜が武器や軍艦について専門的な知識をもち、強大な軍事力を創ろうとする意気込みを感じ、会話の中の知性と決断力にも公使・総領事それぞれが、征夷大将軍徳川慶喜に心よりの敬意を払うようになったとも各国の記録に残っているということです。

この徳川慶喜将軍と会うために、英国公使パークスはロンドン警視庁から選抜された槍騎兵騎を伴って師団全体が正装で臨み、アメリカ提督は馬車を慶喜に献上したということですから、明治時代に鹿鳴館が開館するのも将軍慶喜の真似と言ってもいいぐらいだったということも僕の『将軍』イメージとまったく違うことでした。しかし将軍と直接面談するのですから、各国の公使・総領事の気合は今風に考えると至極当然のことだと理解できます。

朝廷への申し伺い、討幕派への対処、攘夷派への対策、諸外国其々への対応、その中での庶民の風紀の牽制、経済への配慮、幕臣の統制、諸大名への気配り、等々将軍はやっぱり凄かったのだなと、そして明治維新は決して志士達の活躍中心で成された訳ではないのだなと、この本を読んで当たり前のことに気づいている今日この頃です。

土曜担当…佐々木秀彦



2016年9月15日(木)
人の情                         木曜担当…西端努斗夢

 民進党の新しい代表に蓮舫さんが選ばれたみたいです。蓮舫さんは、かつて事業仕分けで世間から喝采を浴びました。
 しかし、あの時の「仕分け人」たちは、ただ単に役人を大衆の面前に引っ張り出し、さらし者にして目立ちたい、関西で言う「ええかっこしい」としか、私の目には映りませんでした。
 その後の、民主党、民進党の凋落ぶりを見たら、それが間違いではなかったような気がします。

 「褒める時は人の前でもいいが、責める時、叱る時は誰もいないところで」というのが、人の情。情だけでこの世はおさまりませんが、情がないのは、もっと下だと思います。

 話は変わって、今宵は仲秋の名月。外に出ると、月光が降り注いでいます。以前もブログに書きましたが、私は暗闇をほのかに照らす月の光が好きです。心に傷をいくつも持つ私にとって、日の光は眩しすぎます。

木曜担当…西端努斗夢



2016年9月12日(月)
無題                          月曜担当…池田光

先週の金曜日に、天正寺の住職をされている佐々木奘堂先生を訪ねた。
蔵書を何冊か見た。
中村元『ブッダのことば―スッタニパータ』(岩波文庫)には驚いた。
本の弾力性が失われて、ペタンとしている。
どうも、本を閉じている「のど」の部分の弾力性が失われているらしいのだ。
たとえば、どこかのページで開くと、その開いたところで、本は水平になる。
紙の一枚一枚に若々しさがなくなっているのは、手の油を吸ったためであろうか。
余白の上部には、書込みがある。
この本は、奘堂先生にどれくらい読まれたのであろうか。
きっと長い年月にわたって読まれ続けたのであろうが、奇妙にもこの本はボロボロになることなく、美しいままだ。
丁寧に扱われたその本は、美しいまま、奘堂先生に生気を吸い尽くされたのだ。
もっと正しい表現をすると、「本の死体だ」と思った。
読むにあたっての独特な作法でもあるのだろうか。
この本だけではない。
死体になった本は、ほかにも、小林秀雄の文庫本などがあった。
おそらく、奘堂先生が読む価値があると思った本は、死体化するのではあるまいか。
そう思ったら、戦慄を覚えた。
瞑想を続けて、そのままミイラになった「即身仏」というのがあるが、これは本の即身仏ではあるまいか。

月曜担当…池田光



2016年9月11日(日)
「出会い」                        日曜担当…八木正典

朝出勤している時に、犬の散歩をしている方と挨拶をしているうちに、なんとなくその方のいい雰囲気に惹かれ簡単な立ち話をするようになりました。
会社をとうの昔に退職されている結構なお年の方です。
いつもテリアを連れて散歩しており、連れている犬がまたその方に似て愛嬌があってものすごくかわいらしいのです。
私の出勤時間がしばらく変わっていたので、しばらくお会いできていなかったのですが、今日たまたま私が行っていた図書館でお会いすることが出来ました。
少し話をさせていただくと、6~7年そこに通っていて、当初は3時間ぐらい自分の興味、関心のある書物を読めていたのに、最近は2時間ぐらいしか目が持たなくて少しさぼっているんだなんて笑いながらおっしゃいました。
いつまでも貪欲に自分の知的好奇心を求め続ける姿勢に驚くとともに、なんとなくいい雰囲気を感じていたのはそういう裏に隠されていた継続的に何かを求める部分が滲み出してきているのではないかと思わされました。
日々継続的に学ぶ、そんな姿勢を見習うべく私も襟を正したいと感じております。
本当に素晴らしい出会いに感謝です。

日曜担当…八木正典



2016年9月10日(土)
重陽                          土曜担当…佐々木秀彦

このブログを書いている9月9日は五節句の重陽、菊の節句です。京都の上賀茂神社では烏相撲、城南宮では菊の巫女神楽が行われるので、なんとなくそういうものかと感じてはいましたが、七草・ひな祭り・こどもの日・七夕の他の節句と比べるとやっぱり地味な印象をうけます。僕が子供の頃にはひらかたパークで毎年菊人形が飾られていましたが、子供心にどこか不気味で、鯉のぼりのように素直には受け入れられなかった印象があります。
中国では重陽が、菊酒を飲み長寿を祈るという習慣から敬老の日になっています。日本では高度経済成長時に他の節句は商魂逞しい業者によって、確固たる商機として根付いてきましたが、菊の節句だけが取り残されているのは考えようによっては不思議な現象です。

話しは変わりますが、今『幕末・京大阪歴史の旅』という松浦玲著の本を読んでおります。湧くわく本心塾の講座がお休みの8月に本を読もうと7月の講座が終わって決意しましてこの本で5冊目です。僕にとっては近年まれにみる読書量ですので、決意は達成されたわけではありますが、本を読み始めると次々に興味が広がってしまいます。

今回のこの本は、八木さんの影響で読んだ『炎の陽明学―山田方谷伝―』から広がったもので、明治維新前後の時代に関しては、当時書かれたものが正確に数多く残っていることに気づき、もともとこの時代は好きではあったのですが、さらに興味が増したので選びました。

攘夷をできず和親条約、修好通商条約を結ばざるおえなくなった幕府に対し、薩英戦争の半年後、攘夷を幕府に突きつけていた朝廷が、イギリスと実際に交戦した薩摩の島津久光の主導で、幕府に攘夷を要求しない勅書を出したにもかかわらず、江戸から艦隊6艦を率いて海路大阪経由にて上洛した18歳の将軍家茂が、薩摩に主導権取られてなるものかと、朝廷に横浜鎖港交渉を引き受けることで、政治をこれまでどおり幕府に委任するという取決書を獲たという細かい流れがあったということです。攘夷は無理と身に染みてわかっていて、それを何とか朝廷に条約の承認もらいたい将軍及び幕閣が、それでも薩摩主導での朝廷の承認を得るくらいなら、攘夷を自ら提言してでも主導権は渡さないという18歳将軍及びその将軍を必死に守る幕閣の意思がある意味凄すぎて、益々興味津々となっております。

重陽は菊酒を飲むのが日本の古くからの習慣です。12月25日のクリスマスケーキと全く同じ使い方で、9月10日には菊花が投げ売りされるという諺があるくらいポピュラーな菊の節句。9が陽の数字で一番大きな数字、これを重ねるので重陽というおめでたい意味だということです。菊酒も暦も読書もじっくり味わうと。芳醇な味わいが拡がっていきます…

土曜担当…佐々木秀彦



2016年9月8日(木)
メンタル                        木曜担当…西端努斗夢

先日、メンタルトレーニングに関するセミナーを受講させていただきましたが、目から鱗の連続でした。
まず、メンタル(精神力)とよく言いますが、具体的には、忍耐力、闘争心、自己実現意欲、勝利意欲、自己コントロール能力、リラックス能力、集中力、自身、決断力、予測力、判断力、協調性の12に分類できるそうです。
そして、自分は12のうちどの部分が強くて、どの部分が弱いかを知ることも可能で、私は、自己コントロール能力、リラックス能力、集中力が高い半面、闘争心、自己実現意欲、勝利意欲が低いということがわかりました。

これからも、知識や技術を磨いていくと同時にメンタルを鍛えていきたいです。

木曜担当…西端努斗夢



2016年9月7日(水)
懐かしいそして新しい体験            水曜担当…冨樫功

今月の潜学講座は、愛知から川井信一先生を講師からお招きしての特別講座でした。

参加者全員に、材料を渡していただき、
実際に、書や彫刻の世界を体験させていただきました。

大体、毛筆で字を書くこと自体、
墨を使うこと自体が20年以上ぶりのことです。


昔はいやいや書いていたイメージしか残っていませんでしたが、
今やってみると思いのほか楽しいのです。


幼少のころの思い込みってあるなあと思いました。

食べ物の好き嫌いなどでも、小さいころから引きずっていることがたくさんありますよね。

まっさらな気持ちに なって体験してみると新しい発見があるのかもしれません。


今西最高顧問、池田塾長をはじめ、
塾生や参加者皆さんの作品も個性にあふれ、
ともすれば深層心理まで見透かされそうな思いも持ちました。


新しい趣味の世界が開けそうな気がしました。

川井先生ありがとうございました。
心より感謝申し上げます。


そして、来月は自分の講座があるんですよね。
これからしっかり準備をがんばりたいと思います。

水曜担当…冨樫功



2016年9月6日(火)
今日1日  怒らず  恐れず  悲しまず    火曜担当…柿原まゆみ

誓いの詞
今日一日
怒らず  恐れず  悲しまず
正直 親切 愉快に力と勇気と信念をもって 自己の人生に
対して責務を果たし、恒に平和と愛とは失わざる
立派な人間として活きることをおごそかに誓います

三勿(さんこつ)
・怒らず
・恐れず
・悲しまず

三行(さんぎょう)
・正直
・親切
・愉快

この三勿三行を実践することが積極的な心に保つ極意である
三勿とは感情を抑えなさいと言う教えではない。
感情が湧くのは自然の摂理だ。
ただ、感情に溺れるなということだ。

            働く君に贈る  中村天風45の言葉より
            書:川井信一先生


アドラー心理学では「怒り」は、「人と人を引き離す感情」であるため、持つべきではないものとしています。
更には、怒ることは、相手を自分の思い通りにコントロールしようとする愚かな行為だとしています。
また、古代ギリシャの数学者で哲学者のピタゴラスは
「怒りは無謀を持って始まり後悔を持って終わる」と話したそうです。

なかなかエレベーターが来ないとボタンを何度も連打し、怒ってもエレベーターは
早く到着しませんし、電車が遅延していると怒っても電車はすぐに到着しません。
怒っても結果は同じなのです。


自の力では変えられないのに、イライラしてストレスをためて、老化を早める原因となり
良いことはありません。

このような状況もそうですが、他人の事をコントロールすることも出来ません。
仕事が速い人は、仕事が遅い人に対してイライラします。
綺麗好きな人はだらしない人が気になります。
時間を守る人は遅刻する人に対してイライラします。このように価値観の違いから
怒りが生まれます。

天風先生は人間だから腹が立つときは腹が立つ。ただそれにこだわらないだけで
自分の感情をコントロールすることだとおっしゃっています。


子供の頃、お茶わんやお湯のみをうっかり落として割ってしまった際に
「形あるものは壊れる」と言われ怒られませんでした。
「ダメでしょ!なんで丁寧に扱わないの。」と怒られていたら
怒られたことに気持ちが集中し、物を大切に丁寧に扱うことに意識がいかず
同じことを繰り返していたように思います。

この“形あるものは壊れるよ”と言われて、出来るだけ長く使えるようにしようと
意識したことが、その後の物の破損を防いだと思います。


何か起こってもその伝え方で結果変わります。感情的に怒鳴ったりすることで関係が悪化するだけです。

お客様からのクレームが入った時にクレームの原因となった部下を怒ることより
お客様の困りごとを早く解決する方が先です。
解決した後に、今後同じことが起こらないようにアドバイスをした方が
部下のやる気に繋がり、信頼関係が強化します。

失敗しない人はいないいのですから
失敗や自分との価値観の違いを怒るより、対処法を考えて、上手く伝えた方が相手や自分の為になりますよね。

「今日1日 怒らず」毎日を穏やかにすごしたいと思います。

火曜担当…柿原まゆみ



2016年9月5日(月)
無題                          月曜担当…池田光

昨週はずっと外に出ておりました。
日頃は家にいることが多いためか、疲れが出ました。

僕より年配の方が、なんとお元気なのだろうと本当に感心しました。

イベントのトークで感じたこと。
話はうまいヘタではなく、その方が誠実に、そして正確に、一語一語をたぐり寄せるように表現しようとする努力のなかに、絶妙な表現が生まれ、深みが感じられました。
川井先生もそうですが、今西会長にも、これまで以上の深さを感じました。
言葉を常套文句で語ってはいけませんね。

それはそうと、この一週間まともな読書をしませんでした。
すると、心がざわついて、どうもいけません。
やはり、本を読んで聖賢の言葉にふれていないと、大事な何かが抜けてしまったような感じです。

同じ場所で三回食事をいただきましたが、歳のせいか油っぽさにやられ、昨日は胸やけで苦しんでおりました。
ちょうど貝原益軒の『養生訓』を読んでいたので、食についても考えさせられました。
自省しないといけません。

思考力が低下しており、今回は簡単ですが、このあたりで。
晴天に恵まれたことは有難いことでした。

月曜担当…池田光



2016年9月4日(日)
「潜学講座」                     日曜担当…八木正典

9月の潜学講座に参加してきました。
川井信一先生の「書と彫を楽しむ」の講義で非常に魅力的な内容でした。
木に自分の思いついた言葉を筆で書く、自分の描きたい文字を彫刻刀で掘る。
数十年ぶりに筆や彫刻刀を握り、それだけでも過去の記憶が思い出され懐かしい気持ちを味わうことが出来ました。また、一心に書いたり、彫ったりしていると集中し雑念がなくなり、参加する前とは違う新鮮な気分を感じられるのです。
終わった後、一緒に参加した方の作品を見て回ったのですが、「書は人なり」の言葉通りそれぞれの方の人柄や性格が溢れた作品に仕上がっており多くの刺激を受けました。
今回の初めて川井先生の素朴な温かみのある人柄にも触れることが出来、本当に楽しい会でした。今後の川井先生の活動に注目するとともに、芸術との触れる機会を少しでも増やしていきたいとの思いを抱いた一日でした。

日曜担当…八木正典



2016年9月3日(土)
気迫                          土曜担当…佐々木秀彦

木に書く川井信一108展記念イベント『木と書の魅力に迫る』に参加しました。
今回そこで川井さんより『墨を磨る』という重要な役を拝命しました。

僕は不思議と書道家との出会いが結構多くあります。不動産のお客様にも、数名いらっしゃって、展示会や個展へ足を運ぶ機会も何度もありました。今年の熊本地震で被災した時、このブログで登場した叔母も書道家です。そんな環境ですので『墨を磨る』という行為に関して僕にとって非常に崇高な作業であるという認識を持っております。

トークショーでも披露されておりましたとおり、日本酒を墨で磨りました。墨を磨りながら聞くトークショーは僕にとってとても素敵な時間となりました。懇親会で池田塾長が今西最高顧問を詩人であると形容されていらっしゃいましたが、まさに僕は詩を聞きながら墨を磨っている感覚でした。

僕と塾生の小林さんと安田さんとが代わる代わる磨った墨を筆に乗せて、川井さんが参加者の気持ちを題に色紙に、木に書かれます。そこに参加しているすべての人の気が筆先に凝縮されたような瞬間に筆が躍動して文字になります。

迫力の『迫』という文字は之繞に『白』と書きます。川井さんの筆が動いた瞬間を何度も何度も観させていただいて、その後の懇親会で安田さんの名刺刷られている『気迫』という文字を見て、空間の気を自分に集めることができる力を『迫力』と表現するのだと初めて気づきました。

餓鬼の境地に至って墨を磨れたかどうかは疑問ですが、心を込めて『墨を磨る』という作業ができたことが、僕にとって何より貴重な時間となりました。この空間を創造した湧くわく本心塾に感謝いたします。ありがとうございました。

土曜担当…佐々木秀彦



2016年9月1日(木)
「木と書の魅力に迫る」              木曜担当…西端努斗夢

8月30日から始まった「木に書く 川井信一108展」は、おかげさまで初日、2日目と多くの方にお越しいただき、盛況です。
本日は、「木に書く 川井信一108展」開催を記念したイベントとして「木と書の魅力に迫る」と題したイベントが開催されます。
そのメインが、川井信一先生と、湧くわく本心塾の今西恭晟最高顧問のトークショー。ともにそれぞれの世界で道を究められた方ですので、1+1が2でなく3にも4にもなるような中身の濃いお話が予想でき、どんな展開になるのか、今から楽しみです。
こちらの方も、おかげさまで定員を上回る予約をいただき、満席状態となっています。
本日も1日、楽しませていただきます。

木曜担当…西端努斗夢



2016年8月31日(水)
日本はじまりの場所へ                水曜担当…冨樫功

日本神話で、日本ではじめてできたとされる島に行ってきました。

淡路島の南端からフェリーで10分ほどのところにある沼島です。

もっとも、古事記や日本書紀ではオノゴロ島と書いてあり、
沼島がオノゴロ島であるかどうかの確証はありません。

しかし、そんな話があるのもわかるくらいに綺麗な場所でした。

神話の内容を少し書きます。

イザナギ(男神)とイザナミ(女神)が天の浮き橋に立って、
天の沼矛(ぬぼこ)をまだ何も出来ていない海原に下ろしました。

「こをろこをろ」とかき回し矛を持ち上げると、
滴り落ちた潮が積もり重なり、これがオノゴロ島と呼ばれる島になりました。

二柱は、そこに宮殿を立て、成婚し、淡路島、四国、九州、本州と国を生んでいきました。


この天の浮橋のモデルといわれるのが、
写真の上立神岩です。


とても綺麗でエネルギーがチャージできる場所でした。

また行きたいくらいです。
一度訪れてみるのをオススメ致します!

水曜担当…冨樫功



2016年8月30日(火)
プラスイメージを持てば心も体も健康になる  火曜担当…柿原まゆみ

心を積極的にしさえすれば、健康も立ち直るし、
運命も立ち直るようにできている
                     中村天風


友人であり、大東流合気柔術の師匠でもある(現在、大東流合気柔術を通信教育中!)
松村浩道先生のご著書「対人関係のイライラは医学的に9割解消できる」:マイナビ新書よりに興味深いことが書いていました。

ストレスが心身に及ぼす影響や生活習慣病の原因となりえると思っていましたが
先生のご著書によると
「ストレスをどう捉えるかによって心身に及ぼす影響は180度変わってくる可能性が
ある」とのことです。

1998年で約3万人を対象とした8年間の追跡調査が行われました。
この調査では
「昨年どれくらいストレスを感じましたか?」「ストレスは健康に害をなすと信じますか?」という質問に参加者に答えてもらいました。


前年より強いストレスを経験した人達の死亡リスクが43%も高かったのですが
これは「ストレスが健康に害をなす」と信じた人たちだけに認められたとこ事でした。

自分で「害をなす」と自己暗示をかけた人が病気になって、そのことが
死亡率を高めていたという実験結果だったのです。

同書にさらに面白いことが書いていました。
「強いストレスを経験したにも関わらず、ストレスが無害だと思う人たちの
死亡リスクは上がるどころか、ストレスをほとんどなかったグループに比べても
更に低い結果となったそうです。ストレスからではなく、ストレスは悪いものだと
信じたことによって死期を早めたと研究者たちは判断しました。

イライラをただ単に敵視するのでではなく、それは私たちの成長をもたらしてくれる
ものだというポジティブな捉え方をしたとき、心身に起こる反応は
マイナスからプラスに転じる可能性があるということです。」

まさに天風先生がおっしゃるようにプラスの暗示をかけることで健康になれるのですね。
しかし天風先生は

「元気を出すということは体を無理に我慢して、起きて働かせようとすることではない」と注意を促します。

病気のあとはきっちり療養することです。
もう大丈夫だとばかりに行動することを多くの人が積極的だと勘違いをしているようです。
元気を履き違えてはいけないと天風は念を押しています
                  中村天風打たれ強く生きる100の言葉より



暦の上では夏が終わり、秋を迎え、疲れがたまる時期です。
まだまだ残暑も厳しいとの予報。
自分の身体に向き合って気持ちは積極的にそして積極的に身体を休める事が大切ですね。

火曜担当…柿原まゆみ



2016年8月29日(月)
無題                           月曜担当…池田光

■五十年前の気温は?
熱い日が続きますね。
さて、必要があって、山室三良著『老子』(明徳出版社)を見ていたら、「あとがき」にこんな一文を見つけました。

「八月に入って仕事にかかったものの、連続三十二度を越える暑さ、それに時には三十五度にも昇るという有様で仕事は遅々として進まず……」

この本は昭和四十二年に出版されましたので、「あとがき」の八月とは、昭和四十一年八月です。
今から五十年前です。

半世紀前の八月は、「三十二度を越える暑さ」だったのですね。
現在は、「三十五度を越える暑さ」という感じなので、気温が三度上がっているような気がします。これは異変ですね。
『老子』とはまったく関係がないところで、気温について考えさせられ、ぼくが子どもだったころの夏を思い出しておりました。
昭和四十一年のぼくは、十一歳の少年でした。

■五、六年前のこと
資料を整理していたら、懐かしいものが出てきました。
「湧くわく本心塾」の発起資料です。
資料の題名は、「『人間づくりに関する勉強会』打ち合わせ」。
ぼくの思いをまとめたもので、日付は、2011年8月24日(水)。
この日、ぼくは腹心の二人に集まってもらって、相談しました。
その後、精力的に準備を進め、2012年2月に潜学講座がスタートしました。

あの頃は、ぼくの転換期でした。
2010年の7月に、一カ月にわたる入院をし、このチャンスに、日頃読みたくても読めなかった少々重厚な本を病室で読んでおりました。
朝から晩まで読んでいましたので、何度か注意を受けました。
読んだのは、日本の名著の『二宮尊徳』や四書五経の四書で、古典と言われているものを選び、三十冊近くを読みました。

その翌年に、東日本大震災が発生しました。
ちょうど、ぼくは須磨の事務所に泊まり込んで、渋沢栄一の本の執筆を始めた初日のことでした。
こうしたことが重なり合って、「涌くわく本心塾」を立ち上げたいという思いが高まったのでした。
発起してから五年、節目を迎えようとしているようにも思えます。

■近況
七月から、安岡正篤氏をテーマにした執筆を始めました。
出版社さんには、九月末に原稿を入れますという約束をしていました。
ところが、予定よりも一か月半ほど早く、原稿を書き上げることができました。
現在は、推敲中です。
(ちなみに、どんなに早く書き上げても、出版社さんの予定が決まっており、出版は来年一月です)

さて、なぜ、このように早く書き上げることができたのか。
種明かししますと、七月下旬に健康診断をしたところ、どうも思わしくなく、仮に入院という事態にでもなれば、執筆半ばで頓挫してしまいます。それだけは避けたいと、投入できる時間をすべて執筆に投入したからです。

このため、キーボードの叩き過ぎで、右腕と肩に痛みが発生。
右腕が動きにくく不便になっていますが、数日前、ついに坐骨神経痛の痛みが出始めました。

じつは、昨年九月に、ぼくは坐骨神経痛になりました。
そのときは、足が痺れ何とも言えない鈍い痛みが終日続いていました。寝ているときも、痛みを感じていました。
この一年ほどで、身長が一センチ縮んだことも関係しているかもしれません。
医者からは痛みの緩和しかないと言われて、体の動かし方をコントロールしているうちに、ありがたいことに、今年の二月あたりで痛みがなくなっておりました。
ほっとしたのですが、またも坐骨神経痛。

とにかく、痛みがあろうと、今年度の潜学講座は、きっちりやるつもりでおります。
それにありがたいことに、今は元気に作業できています。
現在、ぼくの出版社から出す本にとりかかっています。
二冊やっています。
とにかく、やれるうちに、やりあげてしまいたいという気持ちで取り組んでおります。


2016年8月28日(日)
「胆識」                         日曜担当…八木正典

いろいろの反対、妨害等を断々乎として排し実行する知識・見識を胆識と申します。
つまり決断力、実行力を持った知識あるいは見識が胆識であります
これがないと、せっかく良い見識を持っておっても優柔不断に終わります。(安岡正篤)

本心塾の池田塾長の解説された「安岡正篤 こころを磨く言葉」を読んでおります。
安岡先生は昭和の政財官界に影響力を持ち続けただけあって、知識・見識をしっかりとした行動につなげていくことを重視しており、その考えに強い意志と思いを感じます。池田塾長もいくら知識がたくさんあっても、人間が出来ていないとそれは雑識に終わってしまうと言っております。
「自ら反みて縮くんば、千万人と雖も吾往かん。」
自分が正しい道を歩んでいるのか自問し、持っている知識を少しでも実行につなげていくよう高い思いをもって進んでいきたいと思うのです。

已む可からざるの勢に動けば、則ち動いて括られず。
枉ぐ可からざるの途を履めば、則ち履んで危からず。(言志録)

日曜担当…八木正典



2016年8月27日(土)
徳政                         土曜担当…佐々木秀彦

1232年8月27日、御成敗式目が制定されました。鎌倉幕府は1192年成立ということとすれば、御成敗式目の制定はその40年後ということとなります。それまで公家には政治制度を明記した律令が存在していましたが、武家を対象とした明確な法令がなかったので、鎌倉幕府3代執権の北条泰時が中心になって制定し、その後江戸時代の1615年に2代将軍徳川秀忠が武家諸法度を発布するまで約380年間武士の基本法でありつづけ、武家諸法度発布後も法令としての有効性は変わりなく、現代の民法にも影響を与えているという説もあるということです。

倭国には女王卑弥呼が存在しました。592年に即位した推古天皇以来、日本の女性天皇は10代を数えます。そしてこの御成敗式目では女性が御家人となることを認めています。その規定に従って、安土桃山時代に大阪・京都の中間の最重要地域に淀君が城主として君臨したのは有名です。僕は淀君が日本の歴史上唯一の女性城主だと勝手に思い込んでいたのですが、戦国時代には他にも女性城主は存在していたということでした。日本は伝統的に男尊女卑であり、欧米は男女平等に関しては先進国だというイメージは何故出来上がってしまったのでしょうか???そもそも鎌倉時代の最初に制定された武家の基本法で女性城主を認めてるわけですから、男女平等の先進国ではないのでしょうか???

604年に聖徳太子が制定したと言われる、冠位12階制度の冠位は『大徳・小徳・大仁・小仁・大礼・小礼・大信・小信・大義・小義・大智・小智』の順の12階の冠位でした。仁義礼智信の5常の上に『徳』が位置します。公家の律令に準じて武家の御成敗式目でも『徳政』を目指し、『徳治主義』の実現を目指したところに、日本の武士階級に儒教が根付き、結果全世界で最も長い125代存続する天皇が出現する国家と成りえたのではないかと推測します。

孔子の『「仁」とは、思いやりの心で万人を愛し、利己的な欲望を抑えて礼儀をとりおこなうことである』という趣旨に沿った『仁政』のさらに上の階として『徳政』を目指すのが日本の為政者道徳の原点なのだと、中学校で御成敗式目という言葉を習った時に気が付いていれば、もっと違う大人になれたのかもしれません。

『いざ!鎌倉!』鎌倉時代の武士を表現するのによく遣われる言葉ですが、武士でありまがら『武力』ではなく『徳』で統治する執権者の一大事ならば、何はともあれ馳せ参じるのが『義・礼』というものです。鎌倉時代の僕のもっていたイメージが『御成敗式目』で完全に『成敗』されてしまいました。

土曜担当…佐々木秀彦



2016年8月25日(木)
忘年の友                       木曜担当…西端努斗夢

川井信一さんの作品展が、いよいよ来週の火曜日から大阪市のアイビーギャラリーで始まります。
お時間が許しましたら、ぜひ、川井さんの世界にふれていただきたいです。8月30日と9月1日の催しにも、まだ空席が少しございます。

http://honsinjuku.com/P.pdf

ところで、「忘年の友」という言葉があります。「年齢の差を忘れて親しく交わる友人」という意味がだそうです。
私にとって川井さんは、10歳以上年長にもかかわらず、年齢の差を忘れて、親しい友人といるような気分にさせてくれる、心優しい、懐の深い方で、それが作品からも感じていただけると思います。

私も、川井さんのように後輩たちに「忘年の友」と思ってもらえるような、優しい心と深い懐を持ちたいです。

木曜担当…西端努斗夢



2016年8月24日(水)
日本の底力                     水曜担当…冨樫功

リオオリンピックが終わりましたね。

家にはテレビを置いてないので、
ほとんど見ませんでしたが、
閉会式だけインターネットで観ました。


リオから、次回の東京オリンピックへと舞台が移ることを表現したセレモニーでしたが、
これがとても素晴らしかったです。


新進気鋭の30~40代のクリエーターを起用し、
現在の日本という国の魅力をリアルに映しだしていました。


これまで、お役人さんの考える日本像といえば、
歌舞伎、お相撲、着物、侍などの伝統文化でした。


しかし、それはあくまで過去の文化であり、
現代のほとんどの日本人にとっては縁遠いものです。


そんな過去の遺物より、
現在、リアルタイムで世界が羨望するコンテンツが日本にはたくさんあるのです。


それを表した極みが、安倍首相のマリオ姿でした。

国の首相がするには軽すぎるという意見もあるようですが、
世界中がほほえんだのではないでしょうか。

役所的な発想と、現実のイメージとのギャップを何百年分か縮めたアーティスト の力には本当頭が下がります。

いつのまに日本がこんなに風通しのいい国になっていたのか。

メダルの獲得数も史上最高だったとのことで、
2020年の東京オリンピックが俄然楽しみを増してきました。

水曜担当…冨樫功



2016年8月23日(火)
いいことがある、きっとよくなる、かならずよくなる  火曜担当…柿原まゆみ

自己向上を正しく意欲を持たないでいて、仕事なり、運命なりを向上させようとする
ことは、力足らずなのである。と天風は言う。

「いいことがある。ますますよくなる。きっと、よくなる。かならずよくなる。」と言うものだ。毎日がよくなり、日々最良の日を迎えるということは、言い換えれば、日々更新
である。プラス思考の信念が、自らを燃えるようなエネルギーを与えたのである。

          働く君に贈る中村天風45の言葉より


いいことがある。ますますよくなる。まさに言霊、アファメーションですね。アファメーションとは幸せを掴むための「自己暗示法」のこと。

イチロウ選手や本田選手など世界で活躍している選手の小学生の頃の作文はとても有名です。本田圭祐選手は「ぼくは大人になったら、世界一のサッカー選手になりたいというかなる」と書いています。
アファメーションはまず紙に書くこと、それを繰り返し声に出して言うことです。
ポイントは
1.一人称を入れること(私は・・・・)
2.現在形で表現すること( ~している)
3.出来るだけ具体的にすること
4.否定的な言葉をいれないこと
5.「なりたい」ではなく「なる」「します」で断定する。
例えば
・私は、新しい良い習慣を身につけて健康になっています
・私の肌はみずみずしくつやつやしています
・私は温かい人間関係を築き、充実した毎日を過ごしています。

1日の終わりに感謝で終えると翌日またいいことが起こるそうです。

寝る時には「今日〇〇が出来た。ありがとう」
「○○さんに会えてうれしかった」「今日も健康で過ごせてよかった」など
感謝でその日を終えると良いと教えて頂き、実践しています。

皆様にいいことが起こりますように・・・

火曜担当…柿原まゆみ



2016年8月22日(月)
無題                          月曜担当…池田光

あと一週間ほどで、瀬戸の石彫家・川井信一さんと会えます。
なんと、楽しみなことだろう。
「木に書く 川井信一108展」が、8月30日から一週間近く、大阪で開催されます。
ぼくは、このうち、三日間ほど参加したいと思っています。

今回の個展とイベントをプロデュースしてくれたのは、湧くわく本心塾事務局長の西端さんです。
きっと素晴らしい個展になるだろうと、楽しみにしております。

さて、ぼくが川井さんと出会ったのは、四十代の初めでした。
その頃は、川井さんは瀬戸市の余床町に住んでいらっしゃって、
初めてお宅に伺わせていただいたとき、
ぼくは、「石果(せきか)」という名前のついた石の彫刻にほれ込んで、
この作品を最初に買わせていただきました。
それからのお付き合いになります。

その後、ぼくは出版社として、数冊の本をつくらせて頂きました。
川井信一著『風の出会い ―春―』
川井信一、池田光共著『風よ 言葉よ あれがとう』
川井信一著『雲悠々』
川井信一、池田光編『論語 人間を磨く言葉』
村上信夫、川井信一共著『あの日あの時』



川井さんとの思い出は、
こうした本を作るのに、打合せと称して、名古屋でよく二人で酒を交わしたことです。
四十代から五十代の初めの頃は、東京出張が毎週のようにあったので、名古屋でよく下車しては打合せをしたものです。
また、川井さんには骨董屋さんによく連れて行っていただきました。

川井さんとの長い付き合いを振り返りますと、『論語』に「久敬」という言葉がありますが、その「久敬」という言葉がぴったりだなと思えてなりません。
「久しくして敬す」というその意味は、「長い付き合いになっても、馴れ合ったりせず、いつまでも相手に敬意を払い続ける」ということです。
川井さんは、そんな品位がある方です。
また、徳が具わった方です。

ぼくは、そこそこ長くなった半生のうちに、いろんな方とお会いしてきましたが、川井さんほど人格の素晴らしい方は少ないと思います。

川井さんとは壮年期に出会い、お互いに老年となりました。
しかも、ぼくは家からあまり出かけることがなくなっており、
瀬戸に住んでいる川井さんとは年に一度二度くらいしか会えなくなっております。

あと何回、川井さんとお酒を交わすことができるか、
そんなことを考えると、一回、一回がとても大切なものに思えます。

ただ、このたびの大阪での個展では懇親会などがあって、何度かご一緒できるので、嬉しく楽しみなことです。

この機会に、川井さんの人格にふれるような出会いを、みなさまにも是非していただけたらと思います。

■余滴
・蔵書はいつ処分すべきでしょうか。
まず、「月と指」の比喩を思い出していただきたい。
月(本質)の存在を教えるのに、「あそこに月が見えるよ」と指し示します。
この指の役割をするのが、書物です。
まだ、月が見えていないのに、月を見るのに必要な蔵書を処分するのは早計に過ぎます。
(※月とは無関係な本は、好きなときに処分してもいいのですが)
さて、月が見えたら、蔵書は不要です。
そのときが、処分してもいいときでしょう。
陽明学者の山田方谷が最も大切にしていたはずの『王陽明全集』を河井継之助に譲り、処分したのは、もはや「月」を自分のものにしたからです。
佐藤一斎も、本で学ぶのは低いこととし、天から学ぶことを最上としています。しかし、「天から学べる」段階に至るには、月が少しでも見えないとできません。それまでは、本が必要です。

・四連覇を目指して惜しくも銀になった女性アスリートがいました。
彼女はその重責のためか、負けた瞬間、あらぬ行動をし、あらぬことを口走りました。
正視に耐え難い妄挙でした。
彼女は、トップアスリートとしての強靭な精神力と、未成熟な自我意識を共存させた稀有な存在なのでしょう。
ただ、未成熟なものが一気に吹き出した瞬間が放映されてしまうとは、テレビとはなんと残酷なものでしょうか。

・七月の初めから本格的に執筆を始め、一日に十数時間ほどキーボードを叩いていました。
七月下旬から右肩と右腕の痛みが激しくなり、サロンシップのようなものを右上半身に十枚近く貼り付けています。
が、昨日、ようやく執筆が終了しました。
これで、痛みも和らぐことでしょう。
睡眠と、食事と、読書と、ティータイムと、減らすことができない作業のほかは、ほとんど執筆に没頭していたので、食事の際にしかテレビを見ていないのですが、オリンピックだったのですね。
ドラマや映画などは録画していて、ずいぶん溜まってしまいました。
東京オリンピックは四年後ですが、この時期がぼくにとっても、出版という使命を果たすゴールと考えております。
今年、ぼくが行った出版は、自分の本を二冊含めて、五冊程度になりそうです。
ゆっくりしたペースですが、大切にやっております。

月曜担当…池田光



2016年8月21日(日)
「引越し」                       日曜担当…八木正典

8/19に引越しをしました。
引越しといっても近くのマンションに移るだけなのですが、そのストレスや半端ないものがあります。
部屋が荷物だらけで全く片付くことがないので、近藤麻理恵さんの「人生がときめく片付けの魔法」を読んで、そのまま活用し、物を思い切って捨てております。
それでも、本だけは何段階かにわけて処分したのですが、一定水準に達すると絶対残したいものばかりでなかなか減らず、結局はやってはいけないと書いてある収納を増やすことで対応しようと思っております。
そして安岡先生の一日一言に記されている言葉を言い訳にしているのです。

士大夫三日書を読まざれば則ち理義胸中に交わらず、
便ち覚ゆ、面目憎むべく、語言味なきを。

日曜担当…八木正典



2016年8月20日(土)
霊長                          土曜担当…佐々木秀彦

開催中のリオデジャネイロオリンピックで吉田沙保里選手が決勝戦で負けました。「お父さんに怒られるー」とお母さんの胸に顔を埋めて泣きじゃくる姿が印象的でした。オリンピック3連覇で日本レスリング女子チームの主将として臨んだ今大会、チームは4つの金メダルに1つの銀メダル。吉田沙保里選手に勝ったアメリカのヘレン・マルーリス選手の吉田選手への対峙する姿勢を見ても、天国にいるお父さんが吉田沙保里さんを怒ることはないと思うのですが、霊長類最強女子という称号に相応しい彼女の中の心の価値観では、泣きじゃくるしかない結果だったということでしょう。その奥ゆかしさも含めて大和撫子の凄さを魅せていただけたことに感謝の気持ちでいっぱいです。

『万物の霊長』とい表現は中村天風師も頻繁に使われていらっしゃったようです。「サル類」と定義しても良いところに「霊長類」と定義した生物学の世界、またPrimate(霊長目)という直訳すれば最上級的な単語を「霊長」と訳した日本人に敬意を表したい気持ちです。

「裸のサル」という著書で有名なデズモンド・モリスという英国の動物学者は、『人間は動物である。私たちは自分のことを堕ちた天使と考えたがるが、実は舞い上がった猿なのである』と指摘しています。『万物の霊長』という表現も間違いなく堕ちた天使という意味ではないところが共通していて面白いです。
この英国学者は日本に来て大相撲を観戦して、十両の取り組みでは、力士の行動観察で8割方勝敗が分かったが、幕内になるとどちらも巧みに自分が勝つという信号を送っていたため、勝敗を読めなくなったということを旅行記で述べております。
動物学者で人間行動学の専門家であっても、力士の洗練された立ち居振る舞いには太刀打ちできなかったところに、日本人が『万物の霊長』と称するに値する何かを感じました。

試合の勝った負けたは、1/2の確率でどっちになっても大きな問題ではないと思います。その試合に臨むまでの気持ち、努力、精進。試合場での立ち居振る舞い。その後の歩む方向付け。吉田沙保里選手のように霊長類最強という次元ではなくても、普通に『万物の霊長』という言葉に相応しくがんばっていきたいと思いました。

土曜担当…佐々木秀彦



2016年8月18日(木)
歩く                          木曜担当…西端努斗夢

パソコンに向かって仕事をしていて、考えに行き詰った時、私は、家の外に出て周辺を歩くようにしています。
歩いていると、頭の中で縺れていた糸がほどけたり、突然に答えが閃くことがあります。

京都では、哲学者の西田幾多郎氏が散策、思索にふけったと言われる、「哲学の道」が観光名所の一つになっていますが、確かに考えを巡らすのには、歩くのが良いようです。

私は普段、真夏を除いて作務衣を着ています。真昼間に作務衣姿でウロウロしているのは、傍から見ていると異様な姿に映るようで、以前は「何してんの?」と近所の人から聞かれたこともありましたが、最近は近所の人も慣れたようで、不審者に見られることもなくなりました。

木曜担当…西端努斗夢



2016年8月16日(火)
悲しみは、微笑む人から逃げていく        火曜担当…柿原まゆみ

悲しみは、微笑む人から逃げていく
心は明朗に、一切の苦しみをも

微笑みに変えていくようにしてごらん。そうすると、悲しい事、辛いことのほうから
逃げていくから。

楽しいことを思うとどんどん楽しい思考が湧いてきて、そればかりか、実際に
楽しい出来事すら起こってきます。逆に不快なことを考えると、次々と不快な考えが
膨らんできます。そして不快な出来事が押し寄せるのです。


                中村天風中村天風
             打たれ強く生きる100の言葉より


アメリカの研究チームがメンタル面でホジティブな人とネガティブの人の健康状態について6つの地域、男女5100名の11年間のデーター分析をしました。
ホジティブな人はネガティブの人に比べて血圧、血糖値、コレステロール値
BMIなどが良好で心臓病など循環器系疾患のリスクが低いという結果が出たそうです。


病気になってしまった後に自己コントロールで、病気を治すことは難しいことですが、
病気になる前の気持ちの持ち方は自分でコントロールできます。
健康になれ、若さを保てるのであれば、プラス思考でとらえた方がいいですよね。

プラス思考が良いと知れば『プラス思考でなければならない』とか
『マイナス思考は良くない』と言う考えになりがちですが、
ある書にプラス思考の本質について書かれていました。

「前向きになろうと頑張ることでなく現在の自分を肯定することです」


考えや行動のポイントは
・前向きにならないといけないと思う気持ちはもたなくてもよい
・自分を責めない。他人を責めない
・人と自分を比べない。他人を評価しない
・他人の価値観で生きない
・自分を信じる
・一緒にいて明るい気持ちになれる人といる
・気分が上るものをそろえる(心から美しいと感じるもの・好きな物)
・「こうあるべき」「こうしなければならない」など『正しさ』にとらわれない


自分を貧弱な哀れな人間と思う考え方ほどおよそ値打ちがなく意味のない
人生はない

自分が自分をあきらめてしまったら、誰も自分を応援してくれません。
あきらめない そうすれば必ず道は開けます。
                中村天風
             打たれ強く生きる100の言葉より




他人の価値観である「こうあるべき」に苦しい想いをしたことがありましたが
自分を責めずに肯定することで気持ちが楽になりました。
「クヨクヨからワクワクに変えていこう!」と思える本や人とのご縁に感謝しています。

火曜担当…柿原まゆみ



2016年8月15日(月)
無題                          月曜担当…池田光

いまは六十五歳まで働ける社会になっているらしいですが、
二人の知人は、六十一、二歳で相次いで会社を辞めていかれました。

一人は、親会社で部長を務め、子会社の社長にまで進みました。
彼は大手企業に入社したのですが、
六十歳からは席で新聞を見るくらいしか仕事がなくなり、
社会貢献できないことを苦にして会社を辞められたのです。
現在は趣味を楽しんでいらっしゃいますが、
年金までは無収入なので大変だとおっしゃってました。
ご尊父が他界されたとき、
彼は二人の姉から「親に東大まで行かせてもらったんだから」と押し切られて、
相続を放棄させられました。
二人のお子さんはどちらも男の子で、父と同じ学校を出たあと、
一人は営業職、もう一人は技術者になって海外で研究されています。

もう一人は、サラリーマン時代は海外赴任の連続で、
あまり国内にいませんでした。
海外へは単身赴任でした。
六十歳からは、やはり事務所で新聞を読むくらいの仕事となり、
働くことに意義を見出せず、会社を辞められました。
もともと勉強好きだったようで、
現在は大学院に入学され、学生生活を謳歌されています。
三人のお子さんは、みんな幼稚園・小学校の先生になっていらっしゃいます。

ここに知り合いの事例をあげたように、
六十歳以降も働けるようになったとはいえ、
その環境は働き甲斐がないものではないかと思えます。
お金のためにだけ働くというのは、誰も苦痛なのです。

逆に、六十前後からの人生で、
やり甲斐のある仕事に就いていらっしゃる方もいます。
が、そんな方はかなりの専門性を持った少数です。
ぼくの知人では、大学で教えるようになった方が二人います。

しかし、ふつうに働いてきた方は、
時間つぶしの職場で働くよりほかないのでは……、
と思えてなりません。
事例のお二人とも、大企業でそこそこ出世された方なので、
ご褒美的に労少なくして給与がもらえる仕事に就けたのかもしれません。
このあたりの現状は、よくわかりません。

ただ、ぼくには六十代が特別な時間であるように思えます。
健康寿命を考えたとき、いつまで壮年期のように動けるか、
まじめに考え出す年代だと思うのです。

残された健康時間が、自分にとって重みを増すようになります。
この貴重な時期を、お金のために閑職に耐えるのは苦痛でしかありません。
六十五歳まで働けるように制度化されても、
経済面だけの施策に偏重しているのではないでしょうか。
誰も仕事で社会貢献したいのです。

ぼくは現在、ほとんど家から出かけませんし、
人と話すこともありませんので、事例に偏りがあるかもしれませんが、
ぼくと同じ六十代の方の生き方には大きな関心があります。

月曜担当…池田光



2016年8月14日(日)
「縁」                          日曜担当…八木正典

人の縁とは不思議なものです。
「人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に」と森信三先生がおっしゃっていますが、昨日、これまでずっとお会いしたいと思っていた方をこれまた尊敬する先輩にご紹介いただき、お会いする機会を得ること出来ました。
非常にうれしい機会をいただけました。ありがたいことです。
いろいろな方から評判を聞いていて、想像だけが大きく膨らんでいたのですが、お会いしてみると気さくに話しかけていただき、温かさと誠実さ、まっすぐな生き様が感じられる方でした。
このような貴重な機会をいただけたことに感謝しつつ、今回お会いさせていただいた縁、つながりを作ってくれた縁を大切に、より密なものにしていきたいと感じております。

日曜担当…八木正典



2016年8月13日(土)
義命                          土曜担当…佐々木秀彦

『…時運の趨く所堪え難きを堪え忍び難きを忍び以って万世の為に太平を開かむと欲す…』
第2次世界大戦終戦の詔勅の誰もが記憶している部分です。安岡正篤師が原型を起草したものではありますが、この『時運の趨く所』という部分は、どこかで変更されました文言で、『義命の存するところ』というのが安岡正篤師の起草した文言です。

終戦の詔勅起草に関して安岡正篤師は晩年までまったく語らなかったということですが、それは『時運の趨く所なんて風の吹き回しで調子が悪くなったらお辞儀をするってことだ。日本の天皇陛下、皇道哲学にはならん』とこの『義命』という言葉を捨てた詔勅を心の底から悔やんでいたということでした。

★戦に負けたから降参するんじゃない、勝とうが負けようがどっちしても真義に基づいてやめるんだ。これを道義の至上命令と言って『義命』という言葉がある。この『義命の存する所』これで戦をやめる。

★天地の為に心を立て、生民の為に、生きとし生ける民の為に命を立つ。そうして初めて『萬世の為に太平を開く』ことができる。戦に負けて実は降伏するのであるが、日本天皇には降伏と言わず『萬世の為に太平を開かんと欲す』という言葉を入れる。

上記★印2つの言葉だけは絶対に変更してはならんということは言明したにもかかわらず、閣議にて『義命』は削除されたということでした。

徳川慶喜の大政奉還上奏書は『臣慶喜謹テ皇国時運之沿革ヲ考候ニ…』という文言から始まります。幕府が鳥羽伏見の合戦で臣下を見捨てて敵前逃亡した将軍慶喜が、自己の保身のみに執着して朝廷に差し入れたとされているこの大政奉還上奏書で遣われている表現と同じ『時運の趨く所』とされてしまったというのですから、安岡正篤師の憤りは想像するに余りあるほど相当なものだったのでしょう。

この大政奉還上奏書は山田方谷が起草しております。坂本龍馬の船中八策を受けて倒幕に向かって動きはじめた薩摩長州軍に敏感に反応して、徳川慶喜が大政奉還上奏書を朝廷に差し出しました。陰にかくれてはおりますが、山田方谷は明治維新に坂本龍馬以上に大きな功績を残したと言えるのかもしれません。

徳川幕府最後の筆頭老中板倉勝静は自身の『義命』を将軍の補佐と認識して徹底的に遂行しました。その家臣の山田方谷は将軍がもはや『義』を見失っている滅亡すべき存在と早くから見抜いておりましたが、間違っているのが明白な主君板倉勝静に対しても『義命』の遂行はやはり徹頭徹尾凄いものでした。安岡正篤師は戦争を終結させることが『義命』と明確にすることで、戦後復興の指針にすべきと考えました。

今年もお盆となり、戦没者を追悼し平和を祈念する日がやってきます。靖国神社へ参拝するかどうは個人の完全な表現の自由の範疇だと思いますが、僕は自身の『義命』を確認することで平和を祈念する日にしたいなと思います。

土曜担当…佐々木秀彦



2016年8月11日(木)
書の魅力                       木曜担当…西端努斗夢

私が書に親しむようになったのは、中学3年生の夏でした。当時の私は、所属していた野球部が思いがけず地区予選で負けてしまい、時間を持て余していました。そんな時、同じように地区予選で負けて時間を持て余すようになったサッカー部とハンドボール部のクラスメートから休部状態に近かった書道部に誘われたのです。
ただ、この時の私は、いかに手本通りにきれいな文字を書いて書道展で入賞するかということにしか意識がありませんでした。

その後、年齢を重ねるごとに、少しずつ書いた人の人間性が作品から垣間見ることができるようになり、書の魅力に憑りつかれていったのです。

そんな時、出会ったのが、今月30日から湧くわく本心塾主催で開催する「木に書く 川井信一108展」の川井信一先生でした。
9月1日に大阪倶楽部で開催する「木と書の魅力に迫る」と題したイベントでは、川井信一先生と湧くわく本心塾の今西恭晟最高顧問による対談を行いますが、私も川井先生と初めて出会った時の驚きや感動について、少しだけお話しさせていただけたらと思っています。

書は、本当に奥が深いです。書には、それを使った人の人間性を映し出す不思議な力を持っていると私には思えてなりません。

木曜担当…西端努斗夢



2016年8月9日(火)
相手を喜ばせる                   火曜担当…柿原まゆみ

人を喜ばせて、自分がまた、その人と共に喜ぶことが
いちばん尊いことなんだ。

企業経営に置き換えると、お客の喜んでいる顔を見るのがうれしいことでしょう。
渋沢栄一は「仁義を根本にして産工業を営めば、あえて争うがごとき事をせずとも、
利は自ら懐に入ってくるものである」と言っています。


『仁義』仁とは、他人を思いやり、慈しむ心であり、義とは人として守り、 
行うべき正しい道のことです。


渋沢は仁義を据えた経営をすれば、結果として利益は上がると考えました。
現在の経営論ではあるCS(顧客満足)経営にも通じ合います。
CSを企業活動の根本に据えた経営をすれば結果として利益が上がるということです。

                中村天風『打たれ強く生きる100の言葉』より

 
おもてなしの語源は諸説あります。その中に“おもてなしとは表裏(おもてうら)が無い”
『表なし』という説を見た時にまさに、その通りだと思いました。
それは『おもてなしを受ける人もおもてなしをする側も相互に心地いい状態を
おもてなしと言う』と書かれていました。

美容院やエステサロンではお客様に綺麗なってもらい、喜んで頂いた時の
嬉しさがあります。住宅の販売は家族の夢の実現のお手伝いに。
病院であれば患者様を治療した時に心から感謝されます。
飲食店であれば美味しいお食事がお客様を幸せな気分にさせます。


おもてなしを受ける方が心から喜び、感謝して下さったら
『人のお役に立てた』という喜びがあふれてきます。

故事のことわざの『情けは人の為ならず』と同じことです。
人に情けをかけるのは、その人のためになるばかりでなく、やがてはめぐりめぐって自分に返ってくる。人には親切にせよという教えです。

お客様を大切にするとその人、会社、お店が大切にされます。
お客様に喜んで頂くためには、相手の事をよく知ることです。


お客様の事を知る為には会話をし、話しをよく聴き、本音を言って頂けるような
人間関係を築くことが大切です。

まずは信頼を得るために外見力を高め、話しやすい雰囲気を創ります。
洋服や持ち物、髪形はもちろん大切ですが、姿勢が悪ければ素敵な装いや
高価な物を身に付けていたとしても印象は良くありません。
姿勢を良くするだけで知的でさわやかな印象を与えることが出来ます。


姿勢を良くするための意識とアクションは
①頭の上から1本の糸でつるされているように意識しながら背筋を伸ばす
②お腹を胸まで上げるイメージ
③あごと床と平行にする
④お尻をキュとしめる


姿勢を良くすることは見た目だけでなく健康にも影響します。
姿勢を改善すると、胃腸などの臓器が正しい位置に収まるので機能が活発になり、
免疫力が高くなるのです。
また 姿勢を改善する事によって血流の流れも良くなります。


相手の人に喜んで頂こうと思ってしていることは自分に返ってくるのです。
お客様のことを知り、大切にし、言葉にされないニーズや願望を先読みして叶える。
「そこまでしてくれるのか」と期待を超えたサービスをすることで、生涯顧客になって下さいます。

そしてお客様のお喜びは従業員のモチベーションアップに繋がります。
渋沢先生がおっしゃる仁義を据えた経営をすれば、結果として利益は上がるということになるのです。

火曜担当…柿原まゆみ



2016年8月8日(月)
無題                          月曜担当…池田光

運よく、定価の四分の一ほどで、宮原信著『山田方谷の詩』(明徳出版社)を入手することができました。
これで、『山田方谷の文』とあわせて、現代語訳で詩と文が揃い、老後の楽しみが増えました。

『山田方谷の詩』は、千二百ページ弱の大部な本です。
索引は「第一句・第一字の画数順」という並べ方になっており、「一画」では「一」から始まる詩がずらっと並んでおります。
数えると45首ありました。
同じ一字から始まる一句目を、横串で眺めるだけでも面白い。

全体をパラパラ見ましたが、現代語訳と註釈をつけた宮原信さんは、非常にわかりやすい文章ですらすら読めます。
それにしても、山田方谷の発想は不思議です。
どうしてこんな詩を詠んだのか、不思議に思うものがあります。
一首を例示してみると、「亀を詠ず」というのがあり、どういう背景で詠んだのか頭をひねりました。

亀を詠ず(280~281ページ)
誤りて卜者(ぼくしゃ、占い師のこと)に遭い、奉ぜられて神となる
日に吉凶を説き、幾人かを瞞(だま)す
吉に就き凶を避くるに、他術なし
請う、蔵六(亀の異名)のこの身を保つを看よ

七言絶句というのでしょうか。
※注:上記はぼくの読み下しで、著者の読みとは一部違います。
山田方谷の文章もとてもユニークなのですが、詩もユニーク?で、山田方谷というのは、どういう人物だったのだろうと……。
八木正典さんに、また、第二弾のご講義を聞かせていただけたらと思います。
ちなみに、八木さんは前のご講義で、斎藤拙堂に興味をもったと話されていましたが、玄孫による現代語訳で『全釈 拙堂文話』(明徳出版社)が昨年出版され、思うに重厚な儒者の著作を、現代語訳とはいえ直接読むという需要が生れているのかもしれません。
こうした動きは、日本の近世文化の復興という大きな潮流のなかに位置づけられるかもしれません。
一昨日のブログでは、佐々木秀彦さんが矢吹邦彦著『炎の陽明学―山田方谷伝―』に心を鷲掴みされたようで、これもお話を伺うのを楽しみにしております。

月曜担当…池田光



2016年8月7日(日)
「士の道」                       日曜担当…八木正典

それ士の道を学ぶ者は、豈に一身の計の為にするのみならんや。蓋し往聖を継ぎ、来学を開き、上、国家の用に供し、下、丈夫の職に任ぜんと欲すればなり。その業たる、これより大なるはなし。(山田方谷)

先日池田塾長に教えていただいた「山田方谷の文」を入手し、少しずつ読んでおります。
方谷が綴った文章を読んでいると、その格調の高さと意識の崇高さに驚かされるばかりです。
上に記載した文章は方谷が支援をしようとする友人に対しての手紙の一部分ですが、一身の私にとらわれず天下の公儀に因るということを強く意識して書かれております。
儒学を学ぶものとして、私利私欲に捉われず、大局的な視点で物事を眺めるという先人の道を示してくれている気がします。
更に読み進め、方谷の意識に近づき、自分のものとして吸収していきたいと思うのです。

日曜担当…八木正典



2016年8月6日(土)
誠意                         土曜担当…佐々木秀彦

『…陽明学の真髄が致良知にあると人はいう。だが私の所見はちがいます。王陽明の学問は誠意です。致良知は誠意のなかでなされることです。致良知は明鏡にくもりをなくして善悪を判断する心境を作りだすことですが、そのくもりをなくするためには、誠意という実践努力(格物)が必要です。致良知によらなければ誠意の本体はわからず、格物によらなければ誠意の実践はできない…』
山田方谷が京都の寺島白鹿塾の後輩の春日潜庵に宛てた手紙の一部抜粋です。春日潜庵は学問上に生じた疑問や考え方の成否を何度となく山田方谷に問いあわせてきてるうちの復書に書かれていた内容です。

7月の潜学講座で八木講師の『山田方谷に学ぶ』という講座を受けまして、山田方谷という人物に興味を惹かれまして、矢吹邦彦著『炎の陽明学―山田方谷伝―』という本を今、読んでおります。まだまだ読みはじめたばかりなのですが、かなりおもしろく心を鷲掴みにされている印象です。

僕が昨年2月に初めて湧くわく本心塾の潜学講座で受講したのが小笹講師の『明治維新の胎動となった陽明学』でした。その時に中江藤樹の教えとして五事を正す(良知に致る大切な道)として頂いた資料の転記です。
・貌(顔つき)…愛敬の心をこめてやさしく和やかな顔つきで人と接しましょう。
・言(言葉づかい)…相手に気持ちよく受け入れられるような話し方をしましょう。
・視(まなざし)…愛敬の心をこめて暖かく人を見、物を見るようにしましょう。
・聴(よく聞く)…話す人の気持ち立って相手の話を聞くようにしましょう。
・思(思いやり)…愛敬の心をもって相手を理解し思いやりの心をかけましょう。

八木講師も『誠意』という言葉をキーワードとしてあげていらっしゃいました。小笹講師も山田方谷を中江藤樹と同等に取り上げ、炎の陽明学という本もご紹介されておりました。
さらにその僕の初回の小笹講師の後が池田塾長の『「孟子」を読む⑥■教育と良知について』という講座で、孟子の言う『良』とは『人間本来の』という意味で用いられる、『仁=万物一体』等々の解説、『伝習録』の漢文、書き下し文、現代語訳を併記しての解説をしていただいた下地があって、今はじめてこの『炎の陽明学』を楽しめるのだなと皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。本を読み進む端々で、講師の皆様が講座で教えていただいたことが思い出されることがあるというのが、僕にとってこの本が躍動感を発している一番の源ではないかと感じます。

9月以降の湧くわく本心塾の講座では、この本を読んだからこそ、講義の内容がさらに躍動感をもって僕に入ってくるのではないかと感じます。

『誠』の文字は、『言う』と『成る』。言を発してそれが成れば『誠』。つまり言行一致すれば『誠』言行一致しなければ虚偽。『知行合一』の真髄が『誠意』という山田方谷の到達を僕もゆっくり追いかけてみたいと思います。

土曜担当…佐々木秀彦



2016年8月4日(木)
ビッグ対談                       木曜担当…西端努斗夢

取材では、記者の人間性以上の話を取材相手から聞き出すことはできません。だからこそ記者は、日ごろから様々な勉強をし、心を磨いて人間性を高めるようにしています。
それに加えて、取材前に、できる限りの予習をし、予備知識を身につけてから取材するようにしています。
日頃の精進と、事前の準備によって、どれだけ面白い話を聞き出すことができるかが決まるのです。
数学を例にすると、記者が小学生レベルだと、相手は足し算、引き算レベルの話しかしてくれません。反対に、記者が学者レベルだと高度な数式の話題になるのです。

対談もそうです。双方のレベルが高いと、そこで語られるお話は、素晴らしいものになります。

今月30日から湧くわく本心塾主催で「木に書く 川井信一108展」を開催します。
そして、開催を記念した「木と書の魅力に迫る」と題したイベントでは、川井信一先生と湧くわく本心塾の今西恭晟最高顧問による対談を行います。

それぞれに一つの道を究めたお2人によるビッグ対談だけに、他では決して聞くことのできない、あっと驚くような,すごい話が飛び出すこと間違いありません。
これは必見だと思います。今からとても楽しみです。

木曜担当…西端努斗夢



2016年8月3日(水)
幸せのソフト                         水曜担当…冨樫功

先日の潜学講座で、今西最高顧問が幸せのソフトについて触れられました。

それをきっかけに改めて調べてみましたのでここに載せさせていただきたいと思います。


幸せのソフトは中川ムセンの創業者、
中川昌蔵さんが提唱されていたものです。


幸せのソフト

「今日一日 親切にしようと思う」
「今日一日 明るく朗らかにしようと思う」
「今日一日 謙虚にしようと思う」
「今日一日 素直になろうと思う」
「今日一日 感謝をしようと思う」

以上の言葉を書いた紙をいつも見るところに貼って、
毎日見て五分くらい強く思って心に刻み付けるそうです。


実行しようとせずに、ただ思うだけ、というのがミソです。


実行しなくても、毎日見て、強く思って、小声で口に出して読んでいると、
いつの間にか周りから「あの人変わったね」といわれるそうです。


それは、幸せのソフトが完成し、自動的に作用を始めたということ。


ソフトが作用し始めるまでには半年ほどはかかるそうですが、
実行せずに思うだけというのが逆に難しそうでもあります。



しかし、この自動達成するソフトを作るという考え方が、
他のことにも使えそうだなあとも思うのです。


とりあえず、家と仕事場のトイレに幸せのソフトを貼ってみました。
しばらく毎日実行してみようと思います。

水曜担当…冨樫功



2016年8月2日(火)
積極言葉は人生を驚くほど好転させる          火曜担当…柿原まゆみ

終始 楽観(物事の先行きをよいほうに考えて心配しないこと。心配するほどの事態でもないとして気楽に考えること)と歓喜(非常に喜ぶこと。また、心からの喜び)と
輝く希望とはつらつたる勇気と平和に満ちた言葉でのみ活きよう。
そして  宇宙霊の有する無限の力をわが生命に受け入れて、その無限の力で自分の
人生を建設しよう。
                
暑い時に「暑いな」と言うのはいい。客観的事実だからである。だがその後に
「やりきれないよ」と付け加えると、マイナス言葉になる。

こんな時こそ心を鼓舞するように
「暑いな、よけい元気が出るよ」とプラスの言葉を使ってみるのだ。
すると本当に元気が出る。周りが明るくなる。みんなの気分も生き生きと晴れる。

                  働く君に贈る中村天風45の言葉より


■マイナスイメージのある言葉を意識的に言い換えればプラスの言葉に変わります。
例えば

・細かいことを気にする→几帳面、慎重、
・八方美人→フレンドリーで誰とでも仲良くなれる
・おとなしい→協調性がある、穏やかな雰囲気
・理屈っぽい→論理的である、真剣に考えている
・気が小さい→謙虚な姿勢
・諦めが悪い→チャレンジ精神がある
・文句が多い→自分の意見を持っている

など言葉を変えるだけで印象がずいぶん変わります。

■ひと言で印象が変わる言葉

「コーヒーと紅茶のどちらになさいますか?」に対して「コーヒーでいいわ」と応えるより「コーヒーがいいわ」の方が相手に与える印象が良いです。
「で」だと仕方がなくコーヒーにすると聞こえます。

人を誉める際も「肌はキレイね」と言ってしまうと肌以外はたいしたことがないと感じてしまいます。
その場合は「肌もキレイね」がいいです。
沢山のいいところがあって肌もキレイと言う意味に伝わります。
一文字の差は大きいです。

■日常の何気ない言葉もプラスの言葉に変えるといい気分になります。

暑いなぁ~。こんな日はビールが美味しい
雨が降ったお陰で植木が喜んでいる
ごみの分別は大変だけどお陰でごみを出さなくなった
友人から突然のキャンセルの電話。時間が出来た!!前から気になっていた本を読もう
給湯器が故障したからスーパー銭湯に行けてよかった。

天風先生のおっしゃる通り元気が出ます。状況は変わらないのですが
言葉で感じ方が変わります。積極言葉をどんどん使っていきたいですね。

火曜担当…柿原まゆみ



2016年8月1日(月)
無題                              月曜担当…池田光




ここ1か月ほど原稿を書いています。

まわりに参考文献を積んでいるのですが、
写真は、安岡正篤の本を寄せ集めてみたものです。

現在、安岡の本から、山田方谷、佐藤一斎、貝原益軒についての断章を集めて、
短文をいくつか書いています。
方谷については、「春日潜菴の書に復す」「信玄論」「豊公論」について。
一斎については、『言志四録』から抜粋して。
益軒については、『養生訓』から抜粋して。
以上のなかでは、方谷がいちばん面白い。視点がユニークですね。
濱久雄氏の現代語訳(『山田方谷の文』)があるので、ぜひ読んでみてください。
※『山田方谷の詩』を格安で見つけ、注文したところです。

執筆とはいいながら、楽しんでおります。

月曜担当…池田光



2016年7月31日(日)
「水垢離」                           日曜担当…八木正典

今月で水垢離が800日を超えました。
本心塾で教えていただき、毎日毎日実践し続けることでいつの間にか日数が増えてきております。今西最高顧問、坂本先生、富樫先生と水垢離の先輩方に続いて長く続けられるというのは幸せなことです。
昨年の富樫先生の「奇跡の水垢離」の講義で、「水はエネルギーである」ということと神道では「みそぎ」によって「ツミ」も「ケガレ」もすぐに洗い流せるということになっていると教えていただきましたが、水垢離の後は本当に大いなるエネルギーを浴びた感じであり、爽快感やすっきり感は何物にも代えがたいです。
多くの人に感謝しながら日課として一日、一日続けていきたいと思います。

日曜担当…八木正典



2016年7月30日(土)
叡智                              土曜担当…佐々木秀彦

7月30日は中村天風師のお誕生日です。1876年ですから今年で140才ということです。
出生地の東京の王子界隈は紀伊国熊野と同じ地名が並ぶ地域でおそらく強い因縁があると推測されております。平安末期に源頼朝が奥州合戦で陣を張ったということが義経紀に記載されていたり、名称そのままの荒川の氾濫により被害が頻発した地域ということもあって、現在でも東京の中では比較的硬派で気骨のあるイメージが残る地域です。3児の魂100までもとよく言いますが、そういう硬派な地域で生誕したこともやっぱりその後の人生に大きく影響があったのではないかと推測できます。

中村天風師は『お母さん生んでくれてありがとう!』という言葉を直接おっかさんに言ったと『神人冥合』の講話の中でおっしゃっております。まずは自分が様々なことを考えることのできる頭に生んでくれた親に感謝することからはじまるという一節だったと思います。

池田塾長の『働く君に贈る中村天風45の言葉』の第1章のサブタイトルが“今日から「積極人間」になれる!”ということで、甦えりの誦句から始まりますが、140年間毎朝甦りつづけたとすると51,135回も甦ったという計算になります。そして天風師のおかげで「今日目が覚めたことに感謝」する多くの人が140年たった今日も新しい朝を迎えたことをきっと悦んでいただけているのではないかと勝手に思ったりします。

神を「宇宙霊」という言葉で解説されていらっしゃる中村天風師の言葉が強く印象に残っております。水が上から下へ流れるのが宇宙法則、磁石に鉄がくっつくのが宇宙法則、朝太陽が出て夕方西に沈むのが宇宙法則、、、

磁石の磁力や地球の引力は誰もが認識しているのに、人間の人力(腕力ではない)を認識しようとしない人が多いことは寂しいことです。人間はすべて、万物の霊長というからにはそれに相応しい人力に満ち溢れているのが宇宙法則なのです。

140回目のお誕生日なのですから盛大な記念行事としまして、宇宙霊と結び付いている生命を自分がもっているということを教えていただいたことに強く感謝する今日にしたいと思います。

土曜担当…佐々木秀彦



2016年7月28日(木)
勝利の女神                          木曜担当…西端努斗夢

この夏は10数年ぶりに、高校野球地方大会のニュース番組づくりに関わらせていただきました。
連日の熱戦を見ていると、勝利の女神が存在すると信じざるを得ないような展開のゲームに時々、出くわすことがあります。
以前、このブログにも書きましたが、勝利の女神はいるとあらためて感じました。

もしかしたら、私たちは神様という観衆を前に、人生というゲームを必死でプレイしているだけかもしれません。

木曜担当…西端努斗夢



2016年7月26日(火)
たとえお茶一杯でも、栄養になると思って飲む      火曜担当…柿原まゆみ

このお茶の中にあることごとくの栄養を、いままさに自分の四肢の末端に至るまで
恵みとして受けるんだという感謝で飲む
すべてプラスの観念で、栄養を頂戴しているとか、おいしく飲むというものである。

すべての行動は観念が規定するという考えです。
歩いているとき、明るく楽しく歩くという観念を描けば積極的な動きになります。
反対に、つらいなと思って歩けば、消極的なだらしない動きになります。


確固とした信念を持って、ひとつの願望を思い続ければ、その観念は
現実のものとなります。

                「中村天風 打たれ強く生きる100の言葉」より



天風先生はこんなお話もされています。
「身体によいからおそばを注文して、出てくるのが遅いと怒りながら食べることは
口から入れる栄養物ばかり気にしているが、心への毒物を平気で入れている」

美味しい食事やお酒を頂く時も
「美味しいけど・・・カロリーが高いなぁ~。太るかも・・・」と思っていただくより
「美味しい~幸せ~嬉しい~」とプラスの観念で頂く方が何倍も身体にいいのだと解釈しました。

実は緑茶は医者いらずと言われるほど身体にいい飲み物なのです。


①免疫アップ・・・主要成分のカテキンが免疫力をアップ。風邪やウィルスの撃退・予防をしてくれます

②脂肪燃焼・コレステロールの改善効果・・・ポリフェノールがコレステロールの吸収を抑えてくれ、身体の脂肪燃焼効果を高めます。
                     

③虫歯予防・・・フッ素がお茶の中に含まれているので歯が強くなり
虫歯予防につながります。

④眠気覚まし・・・緑茶の中にカフェインが含まれていて、飲むことで眠気を覚まし、
脳を活性化してくれます。

⑤二日酔い予防・・・カテキンが胃の粘膜を保護。お酒を飲む前後に飲むと二日酔い予防になります。

その他 
食中毒防止、口臭予防、糖尿病予防、ストレス解消などの効果がのぞめるそうです。
                
食事をする時は笑顔でホジティブな会話をしながら、そのひと時に感謝する。
そして食べ物を美味しく頂くと身体にも良いです。このように積極的動きが
願望が叶いやすくするということを学ばせて頂きました。

火曜担当…柿原まゆみ



2016年7月25日(月)
無題                               月曜担当…池田光

100ページに満たないブックレットなので、気安く読めると思い、この時期に読んでおりました。
というのは、執筆に入ったので、執筆に関連するもの以外はなるべく読まないようにしているためです。

ところで、読んでみると、意外にも面白かったのです。
この本ならお勧めできると思い、紹介します。

著者は、早稲田大学文学学術院教授の土田健次郎氏。
ぼくは、氏の『儒教入門』をかつて読んだことがあります。
また、東洋文庫に収録されている土田健次郎氏訳注の『論語集注』全四巻を、発売されるごとに購入し、昨年完結したのですが、『論語』を読むのに重宝しています。
この四巻本は、朱子の新注をていねいに現代語訳しているだけでなく、仁斎の『論語古義』や、徂徠の『論語徴』を「補説」として掲載してくれていて、ありがたい本です。

さて、紹介したいブックレットは、
『「日常」の回復 ― 江戸儒学の「仁」の思想に学ぶ 』(早稲田大学ブックレット<「震災後」に考える>)
です。

「もくじ」を掲げておきましょう。
はじめに なぜ「日常」が問題なのか
第1章 日本集団主義論―「世間」「空気」「間人」「甘え」「恥の文化」
第2章 江戸時代の歴史意識―連続する現状と個人の生
第3章 江戸時代の社会意識―家職の世界と全体への献身
第4章 伊藤仁斎の達成―日本的日常の思想としての「仁」
第5章 仁斎思想の性格―戴震、荻生徂徠との比較から
おわりに 「ならぬもの」のありか―日常の中の不変なるもの

テーマは、
「非常時にも日常の倫理を喪わない、日本人の心性の源泉を近世の儒学思想に求め、明日への生き方を確かめる」
ということらしいのですが、読むと随所で気づきが得られます。
ぼくは、第4章で展開されている、日常の思想としての「仁」をどう捉えるかといったあたりから、それ以降の章においても面白く感じました。
ブックレットという性格から、くどくどした説明がなく、分かりやすい説明に終始していているのが新鮮でした。

月曜担当…池田光



2016年7月24日(日)
「目標達成」                          日曜担当…八木正典

ある経営者の方から、経営コンサルタントの一倉定さんのお名前をお聞きして、本を読ましていただいております。
そこでは目標達成のために必要なこととして、次のように述べられております。
『馬車で長旅をする時、目的地に予定通りにつくためには、「なぜ遅れたか」を考えても意味はない。遅れをどう取り戻すか、だけを考えればいい。』
目標達成に必要なのは、現状を確認する必要はあるが、なぜ現状が現状のような状況になっているのかという理由を考える必要はなく、「これからどうするか」だけを考えればいいというのです。
そのシンプルで直線的な考えは、すぐに理由を探して堂々巡りをしがちな自分に新鮮な驚きと納得感を与えてくれています。

日曜担当…八木正典



2016年7月23日(土)
尋常                               土曜担当…佐々木秀彦

尋常の意味を調べてみました。普通で特別でないことということですが、潔い、しとやか、素直、上品等々、すごく良い意味の普通というニュアンスを含んだ言葉だと理解しました。

尋常の語源として、尋は古来中国の長さの単位で両手いっぱいに広げた長さで、常はその倍の長さということで、特別ではない普通の長さということからという解説でした。

僕は人と人が対峙する適切な距離感ということではないかと感じました。語源どおり尋常が長さだとするなら、人が対峙するのに近づきすぎず遠すぎない適切な距離だと感じますし、その距離感を確保する立ち位置にいる人が、上品でしとやかでおくゆかしいという意味に相当することも理解できます。さらにその距離感は突き詰めると普通であり、特別でないということに繋がります。

いざ尋常に勝負だ!
…卑怯な手段でも勝てば良いという考えは無いということでしょう。

尋常小学校では修身・国語・算術・唱歌・体操の順で重きをおいて教育が始まったようです。修身学(道徳)は福沢諭吉の学問のすすめの中の「修身学とは身の行いを修め人に交わりこの世を渡るべき天然の道理を述べたるものなり」という部分の影響をうけているということですが、明治政府はこの修身科の指針には相当な論争があったようです。儒学・国学・欧米道徳それぞれにどれも間違ったことは絶対にないからこそ道徳なので、どれを主においてもそれはそれで成立するわけですから完全なる平行線の論議になったことでしょう。福沢諭吉が咸臨丸でアメリカに渡って強烈な影響を受けたからこそ成立した尋常小学校の修身教育が、第2次世界大戦終戦でそのアメリカによって完全否定されたことも何か因縁のようなものを感じます。
尋常小学校という意味はこのさい無視して、この尋常という意味の普通を、現代語の普通という意味でなく、自分自身の普通という言葉に相当させていこうかと思います。尋常な人物と評価されるように…

土曜担当…佐々木秀彦



2016年7月21日(木)
おもしろい仕事                        木曜担当…西端努斗夢

毎月参加させていただいている勉強会で、仕事そのものに「おもしろい仕事」や「おもしろくない仕事」というものがあるわけでなく、仕事は本来ニュートラルで、「おもしろい」か「おもしろくないか」は仕事をする人の気持ち次第だという話が出ました。

これまでの仕事を振り返って、ありがたいことに私は、おもしろい仕事しかした覚えがありません。

おもしろい仕事ができているのですから、収入はそんなに多くありませんが、まあ、良しとしようと思います。

木曜担当…西端努斗夢



2016年7月20日(水)
聖書の世界へ                        水曜担当…冨樫功

「2万人の人生を変えた23通の手紙」に、
著者の大敬さんの座右の書三冊が挙げられていました。 

それが、「論語」と「新約聖書」と「法華経」だそうです。

論語には、ここ数年親しんできて、
何冊も資料を持っています。

しかし、「新約聖書」「法華経」は全く読めていません。

本の中で大敬さんは、「註解新約聖書 ヨハネ傳」を音読されていると書かれていました。


書かれていると欲しくなるのが人情です。

しかし、初版が昭和5年という古いもので、
大阪市の図書館にも所蔵されていないようでした。


これは手に入らないかなあと思って、
WEBで検索してみると、なんとWEB版が存在していたのでした。

「黒崎幸吉著 註解新約聖書WEB版」

http://stonepillow.dee.cc/



もちろん閲覧は無料です。

黒崎氏による力強い文語の本文に続き、
4種類の現代語訳、英文に続き、註解、辞解という構成になっています。


いわゆる漢籍のような構成になっていて、
中国古典に親しんでいる人にはとてもしっくりきます。


字のフォントの大きさ、色が工夫されているので、
本文だけを読むこともできますし、
詳しく時間をかけて一語一語を味わって楽しむこともできます。


これからじっくり聖書も読んでいきたいと思います。

水曜担当…冨樫功



2016年7月19日(火)
運は伝染する                         火曜担当…柿原まゆみ

運命よりも心のほうの力がまさっているときには、
運命の力はいつも心の力の配下になってしまう。


仕事や人生でちょっとつまずいたくらいなのに
「これが運命だったんだ。どうしようもないよ」とあきらめてしまう人がいます。


天風に言わせれば
「そんな簡単に運命のせいにするな」「運命と片づけてはいかんよ」と言うことに
なります。

「運命というものは2種類ある。どうにも仕様のない運命を天命といい、人間の力
で打ち開くことのできるものを宿命というものである。」と分類しました。

「天命なんてもの、極めてわずかしかない」と天風は言い切ります。


人間の力で打ち開いていくことが出来る運命。
人は運命に負けることなく運命を乗り越えていけるということにほかなりません。
運命より心の力がまさることです。
                                     
運命を乗り越える方法は
①積極的な人生態度
②感謝と喜びの気持ちを持つこと
この2つでよい運命にコントロールするのです

                『中村天風 打たれ強く生きる100の言葉」より


積極的態度を心がけていても、落ち込んでいる時に無理やり笑ったり・明るく振る舞うことは長く続きません。

積極的な態度になるために、人の良いエネルギーを借りる方法があります。
それは、“運のいい人と一緒にいる”ということです。
『あげまん』とは上げ間(まん)と書き、間は巡り合わせや運という意味で
その運をあげることから『あげまん』になったそうです。

運のいい人は良い波動をだしています。
運の悪い人は悪い波動をだしているので一緒にいると伝染してうってしまいます。

いつも人の悪口を言う人、「だめ、無理できないよ~」とネガティブなことばかり言っている人は近づかないようにしています。

しかし、仕事上、人付き合いで致し方ない場合があります。
そんな時の対処法です

・人の悪口になった時→・さりげなく化粧室などに向かい席を外す
               ・「そういえば・・・」と話題を変える
               ・携帯電話を見て着信が合ったかのようにその場を離れる
               ・関心のないそぶりを見せる
               ・「私はそう思わない」と自分の意見を伝える

・ネガティブな内容の話 →・頻繁であれば、仕事やプライベートの用事があるといい
                  逢わないようにする


笑顔で明るい運のいい人と良い時間を過ごすと自分も笑顔になり、
良い言葉を使い、前向きな会話になります。
その時に時間を創って逢って下さった方に自然に感謝の気持ちが溢れ、天風先生が
おっしゃる「運命をコントロールできている」ことになります。

火曜担当…柿原まゆみ



2016年7月18日(月)
無題                              月曜担当…池田光

十年前に書いた旧著に手を入れています。
当初は、若干の手直しをし、
さらに新しい原稿を書き足して、1.5倍くらいのボリュームにし、
出版するつもりでいました。

が、やってみると、前に書いた内容が気に入らず、
全面的に修正しています。
前の原稿が気に入らないというのは、
十年の間に成長したためだとも言えますが、
以前の見識が低かったからだとも言えます。

昔、中国の衛という国に、
伯玉という優れた太夫がいました。
『淮南子』(原道訓)は、「行年五十にして四十九年の非を知る」と伯玉を評しています。伯玉は、五十歳になって、いままでの四十九年間の生活を振り返り、
非があった、誤りがあったことに気づいたということです。
人はふつう、年をとるとともに固定化していくものですが、
伯玉は何歳になろうとも、生きている限り自分を新たにするという人生態度を一貫させた人です。

伯玉の生き方を心の支えにして、
脱稿するまで、気合を入れていきたいと思っています。

月曜担当…池田光



2016年7月17日(日)
「善行をなす」                         日曜担当…八木正典

明の大儒である袁了凡は、雲谷禅師より立命の学を聞いて悟るところあり、善行の実践を行っております。
まず、三千の善行を行い求子の道場を起こしました。
更に三千の善行を行う願をたて、男子を授かり、三千の善行を満願した後に、更に一万の善行を行いながら善政に努めたのです。

その袁了凡の著した陰しつ録の中に、縁に随って衆生を救うところの善事の大綱はほぼ次の十箇条になると記されています。
1.人とともに善をなすこと。
2.愛敬心を存すること。
3.人の美を成すこと。
4.人に善をなすを勧めること。
5.人の危急を救うこと。
6.大利を興し建てること。
7.財を喜捨して幸福を得ること。
8.正法を護持すること。
9.尊長を敬い重んずること。
10.物の命を大切にすること。

中江藤樹、広瀬淡窓なども陰しつの思想に興味を持ち、実行したということです。
毎日、毎日どれか一つだけでも意識しながら自分の中に取込し実践していきたいものです。


2016年7月16日(土)
勝縁                              土曜担当…佐々木秀彦

佐藤一斎の『言志後録』の出典で、安岡正篤師が好んでよく用いていた言葉だということなので、以下『』内は安岡正篤師の言葉をそのまま引用します。

『平生からおよそ善い物・善い人・真理・善い教・善い書物、何でも善いもの・勝れているもの・尊いものには、できるだけ縁を結んでおくことです。これを勝縁といい、善縁といいます』…この場合の「勝」というのは勝負ではなく、ご健勝や景勝地という場合と同様に「すぐれた」という意味なのですね。縁を勝で修飾すると見事なまでに躍動感を感じます。

『とにかく、折角善い人に会い、善い書を見、善い話の席につらなりながら、キョトンとしたり、欠伸をしたり、そっぽを向いたりしている人間はだめであります。うつけ者です。
大体そういう人間なら、諸君は決して事を共にしてはいけない。そういう人間を友にしてはいけない』…欠伸とそっぽ向くのは当然に理解できますが、キョトンとするのも並列というところが新鮮です。たしかにキョトンとするのは何も考えてない場合が多いですから、これからはキョトンとしない人生を過ごすように気をつけます。

『むしろ何でもないようなことでも、耳を傾けたり、眼を光らせる人であったら、何か見どころのある人間なのです。もちろん形骸は眠っておるようでも魂が輝いておる人もおりまして、凡眼ではなかなか見わけがつきません』…なるほど!これは善いことを教えていただきました!もちろん勝縁を結ぶ努力も惜しみませんが、それよりも僕がしっかり耳を傾けたり、油断しないで目を光らせることをしていれば、何か見どころのある人間と感じていただけるということでしょう!僕は好奇心旺盛だとは思いますが、間違いなく凡眼でもあります。本来は自分の感性で勝縁かそうでないのかをしっかり判断すべきことなのでしょうが、そこは待ち受けて掴む手法でも良いのではないかとも思います。

前に人生は相棒をみつけるというブログを書きましたが、その時も、安岡正篤師は、相棒は人間でも書物でもよいという言葉を引用しました。さらに勝縁を結んでおくという今回の話でも、人を含めて「何でも善いもの」とおっしゃっております。大地に芽吹き太陽に向かって大空へ伸びる植物のようにすくすく育つ勝縁をできるだけ結んでいきたいと思います。

土曜担当…佐々木秀彦



2016年7月14日(木)
職場復帰                           木曜担当…西端努斗夢

昨日から、かつて勤務していたテレビ局に17年ぶりに復帰しました。と言っても、復職ではなく、外注依頼をいただいての番組制作の仕事です。

16年間のブランクに、少しは不安やとまどいもありましたが、生放送の刺激と緊張感に、かつての快感がよみがえりました。

私が現役当時、一緒に現場で働いていた先輩や後輩も年齢と経験を重ねてそれなりのポストに就いていて、時の流れを感じます。そんな先輩や後輩たちが、こんな私を忘れることなく、声をかけていただいたことに本当に感謝です!

木曜担当…西端努斗夢



2016年7月12日(火)
命名は創造                          火曜担当…柿原まゆみ

名というものは大切なものである。
複雑な内容を統合して、全体的に表現するものであり、直観に訴える。
キャッチフレーズやスローガンが喜ばれるのも同様の理による。
故に名は軽々しく付けるべきものではない。

命名はこの子にはこう生きてほしいという意味のこもったものでなくてはならないと安岡はいいます。

いったん命名されると名前はその名付けられたもののイメージをつくりあげ、名づけられたものに影響をおよぼし、方向づけていくのです。
命名とは創造にほかなりません。

             安岡正篤   こころを磨く言葉より



以下のランキングは実際に付けられている
最新キラキラネームです。
みなさんはこの名前の読み方分かりますか?

1位「苺愛」
2位「黄熊」
3位「七音」
4位「姫奈」
5位「希星」
6位「彪雅」
7位「愛羅」
8位「今鹿」
9位「姫星」
10位「琉絆空」

研修を受講頂いた私学の先生方が、最近は名前が難しくて読めないので受験生の名前確認に時間がかかるとなげいておられました。

では
答えです。

1位「苺愛」(主な読み:いちあ、べりーあ)
2位「黄熊」(ぷう)
3位「七音」(どれみ、おんぷ)
4位「姫奈」(ひな、ぴいな)
5位「希星」(きらら、きてぃ)
6位「彪雅」(ひゅうが、あやさ)
7位「愛羅」(あいら、てぃあら)
8位「今鹿」(なうしか)
9位「姫星」(きらら、きてぃ)
10位「琉絆空」(るきあ)


姫奈と愛羅は読めましたが
それ以外は読めませんでした。
黄熊でぷう?? ぷうさんが黄色熊だからでしょうか?
命名はこの子にはこう生きてほしいという意味のこもったものでなくてはならないと安岡先生がおっしゃっておられますが、上記の名前は響きがかわいいだけで
こう生きてほしいとの想いは残念ながら感じとることができません。


私は、コミュニケーションの研修をする際に
名前の由来を伺うことがあります。


子になってほしいイメージを名前として付けられている方や親の名前から一字取って付けてもらっている方が多いです。

中にはお坊さまや霊媒師に付けてもらったという方もいますし、兄や姉が勝手に赤ちゃんをよんでいる名前がついた人もいました。

私の名前は父が付けてくれました。ひらがなにしてくれたのは祖母です。漢字だと気が強そうな人のように感じるから、ひらがなにして優しい子になって欲しいと願ってくれたそうです。

名前の由来をご存知でない方は聞いてみられてはいかがでしょうか?

火曜担当…柿原まゆみ



2016年7月11日(月)
「有」をどう訳すか                      月曜担当…池田光

『論語』の冒頭に、
「有朋自遠方来」という有名な一文があります。

これを訓読すると、
「朋(とも)有り、遠方より来たる」
あるいは、
「朋(とも)遠方より来たる有り」
となるわけですが、どちらがより原文の意味を汲んだ訓読でしょうか。

ところで、「有」がなくても意味は通じます。「有」を取ると、
「朋自遠方来」
となり、
「朋(とも)遠方より来たる」
と訓読するだけで十分なように思えます。

では、なぜ「有」があるのでしょうか。
そもそも、「有」をどう訳せばいいのでしょうか。

もし、「有」を「在る」と存在の意味で訳すと、次のようになります。
「友がいて、その友が遠くからやってきた」
と。
しかし、これは正しくありません。

じつは、この一文の「有」は、「場合がある」という意味になります。
つまり、
「友が遠くからやってくる場合がある」
と訳するのが正解です。

そうすると、この意味をより正確に表すように訓読すると、
「朋(とも)遠方より来たる有り」
となります。
もっとも、「朋(とも)有り、遠方より来たる」と訓読してもまったくさしつかえありません。
専門家の現代語訳で間違っていることは、まずないでしょう。
しかし、漢文を専門に勉強していない別分野の学者を含めた素人訳は、ときどき変なものがあります。

月曜担当…池田光


 

2016年7月10日(日)
「其の心を尽くす」                      日曜担当…八木正典

孟子曰く、
其の心を尽くす者は、其の性を知るべし。
其の性を知らば、則ち天を知らん。
其の心を存し、其の性を養うは、天に事うる所以なり。
殀寿(ようじゅ)貳(うたが)はず、身を修めて以て之を俟つは命を立つる所以なり。


これまで、何度か読んできたはずの文章なのですが、今まではそれほど心にとどまる事無いものでした。しかしながら、先日からの山田方谷の「至誠惻怛(誠意を尽くして人を思いやる)」考えを学んだ後、改めて読んでみると何故か強く心に響くのです。
孟子の理想へ到達する道への想いの高さ、意識の純粋さに少しだけ触れられた気がします。
学び続ける喜びが感じられる瞬間でした。

日曜担当…八木正典



2016年7月9日(土)
参政                              土曜担当…佐々木秀彦

7月10日は参議院選挙の投票日です。英国のEU離脱の問題や、中国・韓国の領海侵犯、ロシアの北方領土に対する態度、ISの無差別テロの頻発、等々世界の動きを十分に検証しながらの日本の経済政策を推し進める国会議員を選ぶ機会のはずなのですが、選挙権を新たに行使できる18歳19歳に媚びるような報道や、視野の狭い理論を連呼する候補者ばかりを引き合いに出すテレビ番組の編集に、国民の興味を下げて投票率を下げる意図すら勘ぐってしまうくらいの投票前の雰囲気です。

大日本帝国憲法では、貴族院と衆議院の2院制でした。投票で選ばれるため、政党色の強い衆議院に対し、選挙無く主権者の天皇の立場に重きを置いた国会運営を遂行する貴族院。戦後国民主権の日本国憲法に変更する時、GHQの草案では貴族院を廃止して衆議員の1院制だったのを、両議院の定義を区別する条項をあえて無くすという画期的な手法でなんとか2院制を保持させた当時の経緯を確認するだけでも、参議院への深い期待を感じます。

政党政治から、主権者天皇を護る壁の役割を担うために存在した貴族院に大きな意味があったとすると、同様に政党の暴走が無いように主権者国民を護る壁の役割を担うのが本来の参議院の意義なのではないかなと僕は思うのですが、現在すでに参議院も政党政治に都合の良いような選挙制度になってしまっております。国会が2院制であるべき理由は多々あるのだろうと思いますが、現代の日本の参議院は、参議院たる存在感を放棄して、衆議院中心の党利党略にうなずくだけといった印象です。

僕も義務として税金を納付しておりますので、権利としての選挙では毎回必ず投票しますが、衆議院も参議院も知事も市長も地方議員もみんなそれぞれ選ぶ基準が違うからこそ意味があるはずだと思うのですが、現実には同様な基準で投票せざるをえないような雰囲気が結果的に日本経済の閉塞感の大きな一因に繋がっている気がします。

一燈照隅・万燈照國。そもそも貴族院なら投票をすることすらできなかったところを、ありがたいことに堂々選挙で選べる参議院選挙です。大阪選挙区はともかく、比例区では政党に属してないと立候補すらできない選挙制度ではありますが、それでもやっぱり今回は参議院の議員を選ぶ選挙だということを強く意識して投票してこようと思います。

土曜担当…佐々木秀彦



2016年7月7日(木)
七夕                              木曜担当…西端努斗夢

 7月7日といえば、七夕です。梅雨で曇り空の日の多いこの時期をなぜ選んだのか、長い間、疑問に思っていました。
 疑問は他にもありました。1月7日に七草粥を食べる習慣がありますが、この時期に七草はまだ芽を出していません。3月3日は「桃の節句」と言われるのに、桃の花は咲いていません。

 その謎を解くカギは旧暦にありました。
 現在の暦は、主に欧米で使われてきた太陽暦で、それに対して明治5年まで約1300年にわたって日本で使われてき暦が太陰太陽暦です。
 太陰太陽暦は、旧暦と呼ばれているため古くて時代遅れな暦のように思われがちですが、実は太陽暦よりも新しい、東アジアの自然に合った農業や狩猟をするのに大切な暦だったです。
 季節の移り変わりに合わせて行ってきた生活行事やお祭りが、新暦に切り替わっても旧暦の日付けで引き継がれたため、おかしなことになったのです。
 今年の旧暦の1月7日は、2月14日で、この時期なら七草も生えています。3月3日は、4月9日で、桃の花が満開の時期です。
 そして、今年の旧暦の7月7日は、8月9日で、この時期だと梅雨も明けて晴天の日が多く、天の川が見える確率も高くなります。

 また、旧暦を調べていくと、7日という日にも意味がありました。
 旧暦では、毎月1日が新月、8日と23日が半月、15日が満月と月齢と日が連動しているのです。7日ですと、早い時間に月が沈んで闇夜が広がり、天の川が見やすくなります。逆に、赤穂浪士が12月14日に討ち入りを行ったのは満月前日の月明かりを利用するためだと言われると、納得がいきます。

 今でも農作物の植え付けや、漁の時期、季節商戦のスタートなどを決めるのに旧暦を利用している人もかなりいるそうです。
 時代が進むにつれ、忘れ去られがちな旧暦ですが、先人の優れた知恵を受け継いでいきたいと思います。

木曜担当…西端努斗夢



2016年7月6日(水)
利は義の和                          水曜担当…冨樫功

先日の潜学講座で八木講師に山田方谷について教えていただきました

借金まみれだった備中松山藩。
方谷が元締役に就任して8年で10万両あった借金を10万両の資産へと変貌させました。


そして、その要諦を理財論という文章に要約しています。

その内容は藩の財政のみならず、現代の事業にも、個人の家計にも十分通用する内容なので、
少し取り上げたいと思います。


当時すでに理財のテクニックはそれまでかつてないほど綿密になっていました。
収入をできるだけ多くして、出費はできるだけ抑えてきました。
つまり、今にも通じるテクニック的なことはすべてやっていたのです。

しかし、藩の経済状況はますます困窮するばかり。
それはなぜなのか。

それを方谷が財の内に屈しているからだと喝破します。

「天下の人を上手に処理する人は、事の外に立っていて、事の内には屈しない」と方谷はいいます。

理財のテクニックの枝葉ばかりにとらわれて、金銭の増減のみにこだわる。
そのことを財の内に屈しているというのです。

たとえ話を引用します。


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ここに一人の人物がいます。

その人の生活は、赤貧洗うがごとくで、
居室にはたくわえなどなく、
かまどにはチリが積もるありさまです。

ところが、この人は、平然としているのです。

貧しさに屈しないで、独自の見識を堅持しているのです。
この人は財の外に立つ者である、といえます。
結局富貴というものは、
このような人物に与えられることになるのです。


これに反して、世間の普通の人というのは、
わずかな利益を得ることがその願いなのですが、
そのわりには年中あくせくして、
求めても手に入れることができないで、
そのうち飢えが迫ってきて、
とうとう死んでしまう者もいるのです。

これなどは、財の内に屈する者であるといえます。


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では、財の外に立つにはどうするか。

それは見識を持つこと。
そして、義と利の区別をつけることが重要とのこと。

藩の政治ならば、綱紀を整えて、政令を明らかにすることが義。
餓死を逃れようとするのは利。

君子は、【ただ義を明らかにして、利を図らない】ものだということです。


そして、義と利の区別がいったん明らかになりさえすれば、
守るべき道が定まり、
この自ら定めた決心は、
太陽や月よりも光り輝き、
雷や稲妻よりも威力があり、
山や牢屋よりも重く、
川や海よりも大きく、
天地を貫いて古今にわたってかわらないものになるとのことです。

飢えと死とは心配するには及びません。
まして、理財などはいうにたりません。

利は義の和(易経乾卦)なのです。


これは、大学の「徳は本なり、財は末なり」を体現せしめた実例として、
もっともっと知られるべきことだと思います。

水曜担当…冨樫功



2016年7月5日(火)
今西恭晟最高顧問のご著書『いのち いっぱい』より   火曜担当…柿原まゆみ

一流と掃除
一流とは何か。一流とは掃除である。
掃除をすることは、まわりを清めること、心を清めることだ。
神を祭る人たちが、祈る前にその場を掃き清め、塩を撒いた後、神様を招聘する。
掃除をすることで不浄を無くし、『無』という神聖な空間を創り出し、新しい出発とする。
掃除にはそんな意味がこめられている。
掃除のできる人は、気くばり良く、人間としても一流である。


「断捨離」という言葉は今では普通に使われ、書店に行くと
物を減らし、本当に大切なものだけを置き、不要なものを置かない「ミニマリスト」と呼ばれる方々の本が沢山でています。

風水でも掃除ができていないと運気が下がると言われています。
神様は汚れやけがれを嫌い、きれいな場所がお好きです。
家が職場を汚していると神様に守って頂けません。

年末に大掃除をするのは家内の安全と災難からお守りくださる大年神様を迎えする為です。
衣食住をはじめあらゆる産業は天照大神様がお守り下さっています。

台所など火を扱う場所の神様は三宝荒神様です。同じく火の神様は火之迦具土神様。
古事記の中でイザナキノミコトとイザナミノミコトの子として生まれますが出生時に
イザナミノキコトにやけどを負わせ死なしてしまったことで殺されてしまいます。
この神様は火災、盗難から家を守ってくださいます。

ウカノミタマノカミ様は食糧、冷蔵庫等を守って下さいます。
冷蔵庫の中の食材を小まめにチェックして賞味期限切れになる前に使い切り、
食材も新鮮なうちに調理しておきたいです。
この神様は商売繁盛の神様としても愛されています。

台所、洗面所、お風呂などの水まわりにいる水を司る神様は
ミヅハノメノカミ様。女性の神様で女性や子供に関するご利益があり安産、美や恋愛運、仕事運アップの神様です。水まわりは常に水けを残さないようにすれば
カビやぬめりの防止になります。

玄関は神様の通り道なので、不要なモノを置かない方がよいです。
使用しない靴は下駄箱に、できるだけ物を置かないことが家族を健康で穏やかな日々をおくれるようにお守りそうです。

掃除をすることは運気のアップだけでなく脳に良い、という説もあります。部屋が綺麗だと集中力があがります。逆に、汚くて余計なものが目に入ると、そのたびに脳が余計な情報を拾ってしまうので、ストレスになるそうです。ニューヨークの地下鉄の落書きを綺麗にしたことで犯罪率が低下したという話は大変有名です。綺麗にすることで精神的に安定するからです。
掃除をすることで神聖な空間がつくれ、精神的に安定し、一流の人になれるのであれば
遠くのパワースポットに行くより家や職場を綺麗にすれば最高のパワースポットになるということですね。

火曜担当…柿原まゆみ



2016年7月4日(月)
無題                              月曜担当…池田光

先日の土曜日(7月2日)は、潜学講座の日でした。
八木正典さんが「山田方谷に学ぶ」と題する講義をしてくださり、興が乗って、ぼくはその翌日、『山田方谷の文』という本を思いつくままに読んでおりました。
そのなかに、「王文成公全集の後に書し、河井生に贈る」という手紙があり、これがとても面白かったので、少し紹介します。

まず、手紙の「河井生」というのは、長岡藩の家老・河井継之助(1827-1868)のことです。
河井継之助は、山田方谷の押しかけ弟子となって、方谷の家に仮住まいしたとき、その蔵書に『王文成公全集』があるのを見つけました。
そして、譲ってほしいと度々願ったそうです。
ちなみに、王文成とは王陽明のことなので、以下『王陽明全集』と書くことにします。

さて、このあたりの文章を濱久雄氏の現代語訳で引いてみます。
「長岡の河井生がやって来て私の家に仮住いし、家にあった全集(『王陽明全集』)をみて喜び、しばしばお金を出して買いたいと申しでた。
思うに私は年をとって衰えてしまい、読書に努力することもできず、そのうえ去年より郷里に帰り、住居を移転するむだな費用のため家計も苦しくなった。
そこで河井生の申し出を幸いとし、原価の四両でこれを譲り渡し、これによって少しばかり家計の欠乏を補うことができた」(『山田方谷の文』337ページ)

上記のような経緯で、方谷は、河井継之助に『王陽明全集』を売ったわけですが、後々、この本を読むうえでの心配があったようで、この手紙をしたためたわけです。

当時は、まだわが国で版をおこした『王陽明全集』は発売されておらず、シナからの輸入に頼っていました。
しかしながら、どうも主なものは本邦で版をおこして売られていたようで、方谷は、こう書いています。

「陽明公の学問を講じ、公の文章を学ぼうと思ったならば、抜き書きした諸書が出版されて世間に広められている。
これについて読めば、公の奥義をきわめ、その素晴らしさを悟るのに十分である。
そして、これらの抄録した諸書を全部購入しても一、二両を費すに過ぎない」(『山田方谷の文』333ページ)

このように当時は、すでに手軽に王陽明の著作を入手できる環境が整っていたようです。そして、価格帯がある程度わかるのも面白いことです。

では、そのような環境があるにもかかわらず、『王陽明全集』を読むことのメリットはどこにあるのでしょうか。
そのことを、方谷は手紙のなかで明快に説いています。
が、同時に、メリットはそのままデメリットになることを指摘し、河井継之助にこのデメリットに陥るなと手紙を書いているわけです。
この論はとても意味深く、方谷の姿勢を知るのに欠かせない一文だとは思いますが、ここではふれません。
興味がある方は、『山田方谷の文』を直接読んでください。

ぼくが面白く感じたのは、当時の出版にまつわる状況です。
八木正典さんは講義のなかで、一両は現在の15~16万円に相当すると教えてくれました。
これを適用すると、方谷が河井継之助に売ったのは、四両=60~64万円だったわけです。
しかも、きっちりと「原価=方谷が購入した価格」だと記しているところは、方谷の配慮がみえて面白いところです。

方谷の文章から、当時の輸入状況をみておきましょう。
「『王陽明全集』はわが国ではまだ翻刻されず、船に乗せてくれば、本屋は利益を収めて価格は四、五両にもなる。
けれども人は争ってこれを求める。
私もまた以前に一部を求め、ふだん熟読していた」(『山田方谷の文』333ページ)

ここから次のことが分かります。
・当時の『王陽明全集』の価格は、現代の価格に換算すると、60~80万円だった。
・それでも人々は争うように『王陽明全集』を求めた。
・方谷は、四両という底値で『王陽明全集』を購入していた。
・方谷は、ふだんから『王陽明全集』を熟読していた。

現在、日本では、全10巻の立派な『王陽明全集』(明徳出版社)が発売されていますが、どうも人気がないようで、古本の価格は3万円程度です。
うまく探すと、一万円台でも見つかります。
ぼくも一部持っていますが、ずいぶん安くなったものです。


月曜担当…池田光



2016年7月3日(日)
「山田方谷」                          日曜担当…八木正典

第5期潜学講座で、「山田方谷に学ぶ」をテーマに講義をさせていただきました。
潜学講座はスタートしてから50回目とのことであり、西端先生の「中村天風と宇宙霊」の講義と共に記念すべき日程での講義でした。
山田方谷の生き方について書籍を通じて向かい合ってきましたが、知れば知るほど魅力ある人物であり出会えた喜びを感じざるを得ません。
備中松山藩の貧しい家に生まれながら、儒学を学び、その努力が認められ、藩の元締役までに取り立てられます。そして、事の外に立って事の内に屈しないとの考えの中で<利>よりも<義>を重んじて藩政改革に取り組み、大赤字で10万両の借金のある藩の財政を8年間で10万両の蓄財に変えるという奇跡的な立て直しを行ったのです。また、藩の軍備、教育にも力を注ぎ文武両面での改革を成し遂げています。
陽明学者としての実践主義、私利私欲にとらわれない利他主義、常に誠意を尽くして物事に当たる至誠惻怛(しせいそくだつ)の考え、長期的、大局的な視点での判断など自分の中に取り入れたいものばかりです。
改めて方谷先生と出会えた縁を大事にし、その思想を一つ一つ吸収し自分の成長に生かしたいと思います。

日曜担当…八木正典



2016年7月2日(土)
道理                              土曜担当…佐々木秀彦

『すべて存在するものにはみな理がある。物が存在し、それによって動いておる、或は生きておる、その本質的なものは物の理、即ち物理。同じように心には本質的な心の理である心理。生というものが存在し活動しておるという場合には生理。そしてこれらをわれわれが知性・知能というものによって解することを理解という。』(安岡正篤師の言葉より抜粋)

理について深く考えるとなるほど理解できた気になります。そして、理屈、理不尽、経理、推理、無理、等々の言葉がより鮮明に見えてきました。王陽明は「理は気の条理、気は理の運用」という「理気一体観」を表明しているということですが、これも「理」をしっかり確認しておくことで、きちんと理解できそうな気もします。

『知性の対象になる時は理になり、実践により条件づけられると道になる。それでこれを結んで道理、理は理であるが、人が実践出来るもの、実践と一つになっておるものが道理である。これに対して事実、事に含まっておる理を事理という。又われわれの思惟・思考つまり思う理、考える理、思惟を表現する理を論理と言う。』(同様に安岡正篤師の言葉より抜粋)

この後で論理、事理、道理と並べて、事理は本当の事実の理、道理はさらに難しく道を歩いて実践した理であるから、話を聞くことすら難しい、それに対して論理は人が思惟したこと、思考したことの理ですから、誰もが語ることができる危ういもの、いい加減なものとおっしゃっております。何かすごくスッと感覚に入ってくる解説だと感じました。

先日仕事をしていてフッと気づいたことがありました。ある商談がダメで、次の商談もダメでその次の商談もダメだったのですが、何故かそのダメの連続が通るべき正しい道のような気がしたのです。極端に言いますと目指せ契約率100%で、ダメな商談は時間の無駄、効率的な仕事というのはそういう無駄な交渉の準備や時間を減らすことというような感覚を僕も抱いていたのですが、今回このダメダメダメの連続だったにもかかわらずに何かが確実に積み上がっいてる感覚をしっかり感じたのです。

現代日本人の僕にとって日本列島どこへ行くにも車で走れる道があります。そんな時代に生きていると、道というものは常に真っ直ぐで平坦で、交差点は直角で標識が出ているものという感覚になってしまします。しかし本来道は先人達が一歩一歩切り拓いて踏み固めて歩きやすい道になっただけです。自分の人生という道は当然ながら誰も歩いたことのない道ですから、直線であろうはずは無く、凸凹だらけにきまっています。山道を地図で見ると尾根線・谷線に沿っていたり、標高線に沿っていたりしています。僕の道も自然の丘陵に沿うように、時間軸や体力や気力に沿って後ろを振り返れば道になっているのだろうと思います。

安岡正篤師がおっしゃる道理という言葉から、自分が実践した理という自身のもつ道理というものを、もう少しだけ大切に考えても良いのかなと、僕という人間の理を初めてですが少しは意識していこうと思いました。

土曜担当…佐々木秀彦



2016年6月30日(木)
民主主義                           木曜担当…西端努斗夢

 選挙で議員や首長を選び、多数の票を得た候補者や政党に政治を委ねるのが民主主義です。このシステムは、西欧の近代市民革命の中から生まれ、世界に広がっていきました。

 今では、民主主義が善で独裁政治が悪のように言われていますが、今の日本を見ていると、私は一概にそうとは言えないような気がします。
 「自分一人が投票に行っても何も変わらない」という雰囲気を作り出して投票する人を半分に減らす。その上で、組織と洗脳やごまかしで有権者の4分の1をコントロールする。そうすることによって政権を獲得し、この国を支配することが可能になるのです。

 参議院選挙が公示されていますが、はたしてどれだけの人が、私たちに与えられた貴重な1票の権利を放棄するのでしょうか?
 こんな民主主義ならいっその事、私利私欲や何のしがらみもない人の独裁政治に委ねた方が、良い国になるかもしれません。

木曜担当…西端努斗夢



2016年6月29日(水)
己の欲せざる所、人に施すことなかれ          水曜担当…冨樫功

人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。

聖書にある言葉です。
黄金律と言われます。

これが、アメリカやヨーロッパなど、キリスト教の基本的な考え方です。
人々の基本的な生活態度はもちろん、
国レベルの外交の姿勢などにも反映されます。

いわゆるグローバリゼーションというのは、
自分の都合の押し付けでもあります。

自分がよいと思ったことを、他の人にもしてあげる。

これが正義なのです。


それに対する論語の言葉は以下です。

己の欲せざる所、人に施すことなかれ。

嫌なことは人にしないでおこう、ということです。


聖書の黄金律と似ていますが、

正反対ともいえます。


一見、消極的にも感じられます。
聖書の黄金律に比べると、能動性がありません。


でも、これこそが絶対積極の立場だと思います。


自分の善を押し付けなくても、
お互いが嫌なことをしなければ、
必ずよくなる。


この世は良くなるに決まっている。


そういう、世界への信頼があると考えたいのです。


己の欲せざる所、人に施すことなかれ。


なかなか完全には難しいですが、
実践し続けたいと思います。

水曜担当…冨樫功



2016年6月27日(月)
無題                               月曜担当…池田光

幕末の儒者に、山田方谷(やまだ・ほうこく、1805~1877)がいます。明治10年まで生きました。

さて、方谷に「棋の喩」という一篇があります。
これは、読書法というか、勉強法として、とても参考になります。

あるとき、方谷は、囲碁の勝負を観察していたことがありました。
名人という人は、碁盤の一隅が囲まれて攻めることも守ることもできず、危ない形勢になると、これを放置しました。
そして、別の一隅に手を打っていきます。また、その一隅でも危ない形勢になると、ほかの一隅に移っていきます。

やがて、盤のうえが碁石でいっぱいになっていき、それぞれの隅が連なるようになると、いくつかの隅の囲みが自然に解消されて、たちまち形勢が逆転し、結果的に勝利を収めたというのです。

ところが下手な人は、名人とは違って一隅にこだわり、この一隅だけを見ると、形勢は有利に見えます。
しかし、有利に見えた一隅が、最終的には名人の手に落ちているのです。

方谷はこの観察から、読書法、勉強法の悟りを得ます。
難解な書物や、解けない意味に出くわすことは、よくあります。
そこで先生や学友に質問するのですが、それでも満足な答えが得られない場合は、囲碁の名人のように別の一隅に目を移すのです。
つまり、分からないところには、こだわらず、さらりとかわします。
たとえば、解けない一所に留まるのではなく、全篇に目を通します。
難解な書物を理解しようとするよりは、他の書物を広く読みます。
するといつか、以前、分からなかったところが氷解しているというのです。

方谷が読書の対象にしていたのは、シナの漢文です。当時の情報量は限られていたでしょうから、読書する困難を容易に想像できます。
そんなとき、一所にこだわらない読書法は、功を奏していたことでしょう。

「一所にこだわる」という方法では、名人にはなれません。
「全体に周流させる」という方法が、名人のやり方です。

よく「こだわりの料理」とか、「この料理のこだわりは」というような言い方をしますが、こだわるレベルでは、超一流にはなれません。
こだわった料理は、ある程度うまいのですが、そのレベル止まりです。
ある時期にはこだわることもいいでしょうが、最終的にはこだわらない姿勢でいくと、料理の腕は無限に広がっていくはずです。

読書や勉強でもそうで、ある時期には、解けない意味に何日も格闘することは必要でしょうが、いつまでもそんな方法をやっていると、ものになりません。


最後に情報を二つ。
■山田方谷の文章を読むなら……

お勧めできるのは、濱久雄『山田方谷の文――方谷遺文訳解』(明徳出版社)です。
この本は、三島中洲編『方谷遺稿』巻上、巻中を底本にして、「書下し文」「語釈」「大意(ほぼ現代語訳です)」「余説」で構成しています。(巻下は、詩)
403~620ページに原文が掲載されているのですが、ありがたいことに原文は明治23年に刊行された『方谷遺稿』の印影です。
ここまでやってくれるかというほど懇切な本です。ただし、分かりにくい訳があると、原文と対比されることをお勧めします。
定価は7500円+税ですが、うまく探せば、7掛程度で購入できます。方谷を読みたい方にはお得な本だと思います。

■山田方谷の講座……
7月2日(土)には、湧くわく本心塾の「潜学講座」(於:大阪倶楽部)にて、「山田方谷に学ぶ」と題した講座があります。
お見逃しなく。

月曜担当…池田光



2016年6月26日(日)
「困学」                             日曜担当…八木正典

聖人の知は、晴天の日の如く、
賢人は浮雲の天の日の如く、
愚人は陰霾の天の日の如し。
昏明の同じからざる有りと雖も、其の能く黒白を弁ずるは則ち一なり。
昏黒の夜裏と雖も、亦影影に黒白を見るは、就ち是れ日の余光の未だ尽きざる処なり。
困学の功夫は、亦只だこの点の明らかなる処より精察し去くのみ。(伝習録)

聖人の良知は晴天に輝く太陽のようであり、
賢人の良知は薄雲の空のようであり、
愚人の良知は空に塵が舞い、暗くなっているようである。
このように良知の発現には、その人の資質によって大きな差はあるが、光により白黒が分かる点は同一である。
真っ暗闇の中でもわずかでも黒と白が分かるのは太陽の余光が残っているからである。
わずかでも光がある限り、その光を手掛かりに修行していくことが必要なのである。


残念ながら学び続けてもよくわからないことだらけです。
それでも、それでも先人たちが残した足跡を、わずかな自分の光で照らしながら、困みながらでも進んでいきたいのです。少しでも自分の光が明るくなるように磨いていきたいと思うのです。


孔子曰わく、生れながらにして之を知る者は上なり。学びて之を知るものは次なり。困(くるし)みて之を学ぶは又其の次なり。困みて学ばざる、民之を下と為す。

日曜担当…八木正典



2016年6月25日(土)
英国                              土曜担当…佐々木秀彦

英国は国民投票で欧州連合離脱支持派が勝利しました。多数決というのは怖いシステムです、51.9%対48.1%でも負けは負けで、残留支持派の約半数の気持ちは否定されるわけです。

今更ではありますが、我が日本も議会制民主主義のシステムを採用している国です。有権者は自分の意見と近い議員を選挙で選んで、その選ばれた議員が国会に参加して立法に携わるシステムです。行政を担う内閣もこの議員中心に選出されますので、三権分立の司法以外の2権を委ねるので、国政選挙は相当慎重に吟味しなくてはならないのですが、今回の参議院選挙でもお任せするには若干不安な顔ぶれの印象が否めません。

明治維新の大日本帝国憲法で日本は議会制民主主義を採用しました。当時の欧米列強の憲法を研究して明治23年に施行されています。大政奉還から憲法が施行されるまで23年、その23年間の間にも版籍奉還や衆議院・貴族院議会設置等々、憲法に記載されるであろう実務は凄いスピードで実行していると同時に、アジア初の憲法制定の中身には23年の年月をかけてしっかり作ったというところが凄いと思います。例えばこの憲法には内閣総理大臣の規定はありません。しかし現実には明治18年に伊藤博文が内閣総理大臣に就任しております。内閣府令という形でその規定はされました。欽定憲法のため国民主権ではないのですが、基本的人権や言論の自由もしっかり記載されており、かなり先進的な内容だったことに日本人としての誇りすら感じます。

明治23年は今から126年前の話です。そして今、国民投票という手段が日本でも英国でも実施される時代に変化してきております。この直接民主主義というシステムを駆使してヒットラーは独裁政権を作りました。国民が直接投票にて決定した事柄には絶対的な力が存在します。今の日本でもマスコミの伝え方で結果が大きく左右されるように、情報操作によって結果を主導しやすく、反対意見を切り捨て易いのが直接民主主義の怖さだと思います。

昨年の大阪では変革より現状維持が勝ちました。そして英国では現状より変革が勝ちました。もちろん内容が全く違いますので比較はありえないのではありますが、経済的に破綻状態のまま指を咥えているだけなのか、何か変えてみようとチャレンジする覚悟を持つのか、という観点だけでみれば、大阪市解体とEU脱退ではリスクが大きいのは英国なのにもかかわらず、大阪では現状維持が過半数を超えたんだという寂しさを改めて感じました。

ただ英国がEU離脱という選択を実行しても、仏国や独国から武力で攻め込まれないということが現代の素晴らしいところです。第2次世界大戦から70年で世界が進化できている部分もしっかり感じることができました。

ところで、全然関係ない話なのではありますが、どうして日本語ではイギリスというのでしょうか?僕は小学校の頃から疑問でした。オランダもなぜオランダ?日本がジャパンと呼ばれていることも不思議です。

土曜担当…佐々木秀彦



2016年6月23日(木)
踊る阿呆                            木曜担当…西端努斗夢

私は、阿波踊りを生で見たことはもちろん、踊ったこともありません。
けれど、「踊る阿呆に 見る阿呆 同じ阿呆なら 踊らにゃ損々」という歌詞が大好きです。

人生も見るか踊るかのどちらかだと思います。
同じ人生を送るのなら、やはり私は、踊る阿呆の方を選びます。

木曜担当…西端努斗夢



2016年6月22日(水)
感謝の気持ちはいつ生まれたのか。           水曜担当…冨樫功

ある本を読んでたら書いてあったのですが、「ありがとう」を今のように使うようになったのは室町時代以降だとのことでした。

それまでは、「かたじけない」と言ってたとのことです。


かたじけないは今は時代劇でしか聞けないくらいの死語になっていますね。
言葉は言霊といわれますが、かたじけないは絶滅寸前なわけです。

言葉も生き物なんです。

新種であった「ありがとう」にかたじけないは駆逐されてしまったのです。

あたかも、外来種に在来種がやられてしまうように。

なぜ外来種というかというと、ありがとうはお経に語源があるそうなんです。

「有り難し」という用法があるそうです。
枕草子にも有り難しは出てくるのですが、そこでは感謝の意味はありません。

文字通り、あることが難しいという意味でつかわれています。


それが、いつの間にか感謝の意味を込めて使われるようになっていったのです。

感謝を表す日本語としては、他にすみません、もあります。
すみませんは「このままでは済ませません、恩を返します」というのが語源かと思われます。

それに対して、ありがとうは、有り難し、ありえないことが起こったことへの感謝です。


やはり、すみませんは、対人への言葉であり、ありがとうは「神」や見えないものに対しての言葉な気がします。


そして、その「ありがとう」は室町時代まではなかったというところが衝撃なんです。


かつて、論語に感謝という言葉も概念も存在しないことに気づきました。

2500年の中国には、感謝という概念は存在しなかったのです。
いや、仁や愛や恩という言葉はあったのですよ。

でも、感謝という概念はまだ発明されてなかった!

そして、日本にも室町時代まで「ありがとう」がなかったのです。


と、なると、感謝というのは、人類が言語化に成功したのはほんの数百年前なのです。


よく、人と動物の違いは、言葉が使えること、笑えること、感謝ができることと言われます。

その感謝の言語化に成功してから人類はまだ数百年。

そして、ここ数百年の人類の発展。


ありがとうは神への言葉といわれますが、
まだまだ新しい言葉なのですよ。


気持ちも新たにこの言葉を今日も使えることにありがたさを感じます。

水曜担当…冨樫功



2016年6月21日(火)
喜びの感情で「幸せへのスイッチ」を入れる       火曜担当…柿原まゆみ

自分の生きているあいだ、何ともいえない楽しさ、朗らかさ、おもしろさの絶えざる
連続だというような生き方をしなきゃあ。

人は宇宙エネルギーを受け入れれば受け入れるほど、運命が好転するし
病がよくなり、願いが叶い、人生がうまく運ぶようになります。

楽しさ、朗らかさ、おもしろさという喜びの感情が、宇宙エネルギーを受け入れる
秘訣だ。喜びの感情は幸せになるためのスイッチです。

中村天風「打たれ強く生きる100の言葉」より

安岡正篤先生はの3つの心がけ
①心中常に「喜神」含むこと
②心中絶えず感謝の念を含むこと
③常に陰徳を志すこと

喜神とは心のどこか奥のほうに喜びを持つことです。
どんなに苦しい時でも心に喜神を含むと余裕が生まれ、発想が明るくなります。
また学ぶ姿勢が出来ます。
「安岡正篤 心を磨く言葉」より




池田塾長の書かれたご著書で何度も精神的に救われました。
辛い時、悲しい時にこの本を開くと答えが書いています。
この2冊は池田先生の書籍だから購入しようと思って買った本ではありません。
天風先生のご著書は福岡空港で時間待ちをしている際に出逢い、
安岡先生のご著書は2007年の第一発行の年に購入しているので先生と出逢う前です。
現在、本心塾で池田先生から直接学ばせて頂いている事とご縁に感謝するばかりです。

安岡先生のおっしゃる陰徳とは『人知れず良いことをする。
小さなことでもよい。これを絶えずやっていくことを志す』との事です。

陰徳を積んでいくと喜神を養うことが出来きる

以前から席をゆずる・道を尋ねられたら近くまで案内するなどをしていました。
その時は「いいことをしてあげた」と思っていました。しかし
池田先生のご著書を読んでからは考え方が「徳を積ませてもらったので感謝。」に
変わりました。「良いことをさせてもらった」のです。

徳は幸せになる貯金のようなもの。コツコツ小さなことから積んでいくことが
喜神を養い、幸せになるスイッチが入るのだと教えて頂きました。

火曜担当…柿原まゆみ



2016年6月20日(月)
無題                              月曜担当…池田光




先日、『中村天風 心が安定する「坐禅法」入門』(パンローリング)が発売されました。
CD二枚組のオーディオブックです。

どうしてオーディオブックを作ったかというと、こんな経緯からです。
ぼくのオーディオブックの作品は、これまでに5点発売されています。これらは、書籍をCD化したものです。
つまり、もともと書籍として「読む文章」で書いているため、CD化して聞いて分かるためには、すこし辛い部分があると感じておりました。
そこで、常々「耳で聞いて分かる原稿にしたいものだ」と思っていたわけです。

昨年11月でしたが、オーディオブック専門出版社の担当者さんが大阪に出張して来られたので、お会いした際、こんな提案をしました。
「中村天風先生の坐禅法は、おりんやブザーを鳴らすので、オーディオブックに最適だと思います。
よろしければ、耳で聞いて分かる言葉で、イチから原稿を書きますので、こういうのを出版していただけませんか」
と。
すると、ありがたいことに、二つ返事でオッケーをいただきました。

さっそく弊塾の西端事務局長にもお手伝いをいただいて原稿作りを始めました。
最初から耳で聞くために書いた原稿ですから、プロのアナウンサーが朗読すると、すごく説得力があるんです。
思った以上の出来栄えで、たいへん満足な出版となりました。
しかも、ジャケットがテーマをより引き立ててくれるのですね。グリーンを基調にしていて、心に静けさが広がり、癒されるものになっています。
きっと、この坐禅法でストレスが大幅に減ることでしょう。

■おまけ
出版社のサイトで、「プロローグ」(3分程)を試聴できます。

http://www.digigi.jp/bin/showprod?c=2048436500006


月曜担当…池田光



2016年6月19日(日)
「感謝」                             日曜担当…八木正典

江戸時代の儒学者である丸川松陰は、一生の学問の精髄は「天地君親師」の五字にあると考え、この五字を壁にかけて毎朝礼拝していたそうです。
天の恩、地の恩、君主の恩、親の恩、師の恩を常に心にとどめ、感謝の気持ちを忘れずに日々の精進を行っていたのです。
これは、以前本心塾で富樫さんに教えていただいた釈迦の六方拝と非常に似ています。
六方拝は東西南北と上下に向かって感謝するというものです。
① 東に向かって、両親とご先祖様に感謝。
② 西に向かって、自分の家族に感謝。
③ 南に向かって、人生の師、メンターに感謝。
④ 北に向かって、友人、知人に感謝。
⑤ 上に向かって、天に感謝。
⑥ 下に向かって、地に感謝。
儒学を突き詰めた人と仏教の釈迦の教えが似通っているのも不思議な気がしますが、真理は結局同じものに通じているのかもしれません。

日曜担当…八木正典



2016年6月18日(土)
相棒                              土曜担当…佐々木秀彦

物事を研究する秘訣は、相棒をみつけることだ。相棒は人間でも書物でもよい。自分が真剣になりさえすれば必ず見つかる。…安岡正篤師の言葉


子供が愚図って歩かない時に棒(道端の小枝とか、棒状おもちゃとか、髪をとかす櫛とか、紙をまるめたものとか…なんでも良い)をもたせるとけっこう元気に歩きだす!!!

…こんな話を何かで読んで我が家の3歳児が愚図った時に試してみました…効果有!驚いたことに抱っこ抱っこと泣いていたのが笑顔で歩き出した…今でも歩いていて愚図った時にはまず近くに小枝を探すようになっております。

大人のウォーキングでも杖(…ウォーキングステッキというべきでしょうか?)を持つとリズムよく歩けるということで愛用されている人も多いです。

相棒の語源は駕籠かきの棒を担ぐ相方ということだというのが定説ではありますが、僕は歩く時に手に持つ『棒』の威力をまざまざと見せつけられているので、相棒は自分にとって歩く時に手に持ってしっくりいってどこまででも歩ける力を与えてくれる『愛する棒』ということで『愛棒』という言葉が、一緒に歩くパートナーとして人間がお互い愛棒と認め合う関係を表現する場合に『相棒』と変化した…と解説してみたいくらいです。

語源等の話はこのくらいにしまして、安岡正篤師は、研究の秘訣は相棒をみつけることと説いていらっしゃいます。たしかに独学と言えば恰好は善いのですが、効率的ではありません。人間でも書物でもよいと端的に仰っていらっしゃるところが凄いと感じます。
そして結びの真剣になりさえすれば必ずみつかるというセンテンス…探せば見つかるではなく、真剣になりさえすれば…なのです。わざわざ探す必要は無い!近くに必ずある、必ず傍にいる、ということなのではないでしょうか!だから人でも書物でも、自分が真剣なら必ず出会えるという必然の縁を教えていただいている気がしました。

不動産の仕事というのは縁という言葉で表現されることが多いです。売主と買主、貸主と借主、発注者と受注者、、、この世に同一の物が存在しないオンリーワンの物件を扱うので、縁と縁との複雑な繋がりも大きく膨らみます。そして毎回毎回様々な問題が出てきますが、それこそ一緒に力を合わせて解決してくれる仲間が現れた時その問題はクリアします。僕一人で問題を解決できたことなんて無いと言っても過言ではありません。

真剣になりさえすれば必ずみつかる相棒…
魔法使いも必ずステッキを持っていました。相棒の『棒』とはまさしく魔法の杖ということなのでしょう!

土曜担当…佐々木秀彦



2016年6月16日(木)
この静けさが怖い                       木曜担当…西端努斗夢

参院選の公示まで1週間を切りました。
今回の選挙で、与党と改憲を是とする政党で3分の2以上の議席を獲得すれば、憲法改定の可能性が出てきます。(もちろん、最終的には国民投票で決まりますが……)
改憲論者にとっては千載一遇のチャンス。一方、護憲論者にとっては最大のピンチです。

にもかかわらず、この静けさ。
改憲、護憲の是非は別として、もう少し考え、論議した方が良いと思うのですが、この静けさが怖いです。

テレビでは、連日、舛添東京都知事の問題を報じています。その前は、芸能人の不倫。そして歌舞伎役者の妻の闘病等々。
都知事の問題は確かに東京都に住む人にとっては大切なことかもしれませんが、憲法は、もっと大切なことではないでしょうか?

「気が付いたら、1941年の日本みたいだ」ではシャレになりません。
今回の選挙こそ、“民”にならず、しっかりと自分の目で見て、自分の頭で考え、“一人の人間”として、貴重な一票を行使したいです。

木曜担当…西端努斗夢



2016年6月14日(火)
1回限りの人生「今この瞬間」を生ききる         火曜日担当…柿原まゆみ

「オレの人生は失敗だった。もう一度、最初からやり直させてくれ」と荒立てても
人生に2ページ目はない。仮にその願いが叶えられたとしよう。
しかし、新しい人間の衣をまとったとき、その人はすでにあなたではない。
新しい個性なのだ。
だからこそ、与えられたこの1回限りの人生を生き切ることだ。

天風先生は
「完全な人生に生きようと思うならば先ず、現在の瞬間をあたう限り
価値高く生きるべし」と言う。

この瞬間を生きる連続が人生なのである。では具体的にどう生きればいいのか。

積極的に生きよ。この一言に尽きる。
常に喜びとして生きることが積極である。

「働く君に贈る 中村天風45の言葉」より


病院や介護施設のスタッフと話をした時に「亡くなる前にどんなことを後悔されているのですか?」と質問をしたことがありました。

「もっと色々な体験をしておけばよかった。」「行きたい場所があったけど行けなかった」と言われる方が多いですと話してくれました。

その時思ってももう遅い。やれる時はそんなに長くないのだと感じました。
医師が書かれた書籍に「亡くなる前に後悔すること」として下記のことをあげられていました。

1. 自分自身に忠実に生きれば良かった
2. あんなに一生懸命働かなくても良かった
3. もっと自分の気持ちを表す勇気を持てば良かった
4. 友人関係を続けていれば良かった
5. 自分をもっと幸せにしてあげればよかった

①~⑤から自分を大事にし、愛さないでいると後悔すると解釈しました。

長女で生まれた事が原因なのか
常に“相手の期待に応えよう”“私が我慢すればうまくいく“と思い込んでいました。
天風先生のお言葉を知り、入院をした時にもっと自分を大切にし、
考えや思いを口に出し、型にはまった考えから抜け出そうと思うようになりました。

以前は仕事に行くときはきっちり感を出さなければならないと思い
装いはスーツでバシッときめていきました。

しかし最近は明るめのワンピースを着てお客様のところに伺うこともあります。
その時は場の雰囲気も柔らかくなるのが早いように感じますし、「今日の装いいいですね。素敵です」とお客様から誉めて頂けるようになりました。
『講師はスーツを着なければならない』といけないという型にはまった考えを
外したほうが相手の方に喜ばれました。
そして
「2016年やりたい事リスト100」を「叶う」、「叶わない」を考えずに自由に書いてみました。
年末に100個書き出しましたが、今現在30%は達成しています。
今、この瞬間を大切にして価値高く生きようと思います。

火曜担当…柿原まゆみ



2016年6月13日(月)
無題                              月曜担当…池田光

十年前の旧著に手を入れています。
机のうえではなく、寝転んでやっています。
仰向きだと、ボールペンで書き込めないので、鉛筆を使っています。
ここ五年間は漢文を少しやったので、その観点からも修正を加えています。



ぼくが自分の本を読み返すことは、滅多にありません。
読み返すときは、たいてい改訂版を出すときで、今回も出版してから初めて読み変え返しているところです。

出版社さんのご厚情によって、ぼくにとって決定版となるように、書き下ろしのように時間をかけて増補版にさせていただけることになりました。
1.5倍の分量になる予定です。
構成も新しくして、今年末か、来年1月に発行できればと思っています。

弊塾の潜学講座では、互師互弟の理念のもと、交替で講師を務めています。講師を務めた方はもれなく、
「講師を務めることで、いちばん学べたのは自分です」
とおっしゃいます。
ぼくも同様で、書くことによっていちばん学べるのは自分です。
今回の改訂作業を通じて「人間学」「活学」「中国古典」の三つを学ぶつもりです。
旧著に容赦なく手を加えて、学びを深めていきたいと思います。

月曜担当…池田光



2016年6月12日(日)
「三つの目」                          日曜担当…八木正典

ジャパネットたかたの高田前社長は、経営者としての役割を果たしていくために、世阿弥の教えである「三つの目」を意識してきたとのことです。
「三つの目」とは、自分が顧客を見る目である「我見」、観客側から見た客観的な目である「離見」、観客が見ている自分の姿を自分が見る俯瞰した目である「離見の見」の三つの見方の事を言います。
世阿弥は能の世界での役者について語っていますが、ビジネスの世界にも十分通じると高田前社長は言われます。
高田前社長はいつも情熱的で、ハイテンションで商品の魅力を伝えておられますが、その根底にいかにお客に向き合い、いかにお客に魅力を伝え喜んでもらうのかという高い意識とそれを俯瞰した目で見つめている姿勢に非常に素晴らしさを感じます。
自分も多面的な視点を身につけるべく、「三つの目」を常に意識していきたいと思います。

日曜担当…八木正典



2016年6月11日(土)
入梅                               土曜担当…佐々木秀彦

今日から夏です!入梅で初夏、梅雨明けしたら盛夏になると学校で習った気がします。すでに気温は何度か真夏日を記録しているようですが、とりあえず暦的にも夏になったということでしょうか。

中国語でも、梅雨は『梅雨』と書くそうです。梅雨のことをカビという文字をあてて『黴雨』という表現も日本にはあるということですが、中国でも同様にカビという意味の文字を使った『?雨』という表現があるそうです。日本が先に『梅雨』という名称を用いたのか、やっぱり中国から伝来した名称なのかは定かではないのですが、『つゆ』と読むのは日本語だけです。

先日、宇治平等院近くの縣(あがた)神社へ行ってきました。『暗闇の奇祭』と言われる縣祭りが開催されるという日ではあったのですが、さすがに泊まって深夜の梵天渡御(梵天さんと言われるお神輿の巡行)を見物するには予定がつかず、雰囲気だけもと思い昼間に行ったのですが、この縣神社で樹齢500年以上と伝わる椋の樹や樹齢200年以上と伝わる銀杏の大きな大きな樹に出会えました。

200年?500年???明治維新や大正浪漫を実体験した樹々に直接当時の話を訊くことができたら楽しいだろうとは思いましたが、残念ながら僕には樹と会話する能力はありません。

樹が成長するには、太陽と水が適度に必要です。樹は歩けませんから、偶然発芽したその場所から動かずそのままで200年、500年と生き抜いくことができる凄さには驚嘆するしかないです。それに比べて人間は、都合の良い環境を探して動くことができるのに100年なかなか生きられないのも冷静に考えれば理不尽な話です。植物より動物のほうが高級な生命体だと学校では習ったのですが、寿命だけを基準にすると間違いなく退化したということになります。

樹々は陽光を葉をいっぱいに広げて受け止めますが、日本の最近の風潮では太陽光線は有害だからなるべく避けるようになっていることに僕個人的にはかなり違和感があります。ただそんな現代日本でも、水の摂取に関しては意識が高くなってきているようなので、なんとか大丈夫なのかもしれません。

『梅雨』…日本語では『露』とも同音です。動植物にとって美味しい水をたっぷり吸収するのは、暑い盛夏を迎える前の準備としては当然にしなければならない作業です。秋の収穫のためにも『梅雨』は大切な大切な時期です。長雨は短絡的には迷惑で鬱陶しい印象ですが、そんな憂鬱な気候に『梅雨』は『TO YOU!』つまり『大切な貴方への贈り物』という意味と同じ発音だということに、日本語の言霊の凄さを見た気がします。

土曜担当…佐々木秀彦



2016年6月9日(木)
シンセサイザーで日本の音楽を変えた男        木曜担当…西端努斗夢

シンセサイザー奏者で作曲家の冨田勲氏が先日、他界されました。
高校時代、友人に勧められ、アルバム「惑星」を聴いて衝撃を受けて以来、ファンでした。
「惑星」と「宇宙幻想」の2つのアルバムは、今でもiPhoneのミュージックライブラリに入れていて時々、聴いています。

アニメで初めてシンセサイザーによる効果音が使われたのが「鉄腕アトム」で、それを担当したのが冨田氏だったそうです。思い返せば、アトムが走る時の足音や敵キャラがアトムに倒された時の効果音は、当時としてはとても新鮮で、なぜか印象に残っています。
そのほか、作曲家として、NHK大河ドラマの第1作「花の生涯」や「新日本紀行」「きょうの料理」などのテーマ曲を手がける一方、「ジャングル大帝」といった手塚治虫アニメの音楽も担当しています。

今では、作曲から演奏までシンセサイザーが主流です。また、ボーカロイドソフトによって私たち素人でもパソコンがあれば簡単に音楽がつくれるようになりましたが、冨田氏がいなければ、電子音楽がここまで広がっていたか疑問です。
「シンセサイザーで日本の音楽を変えた男」とも言われる冨田氏、心よりご冥福をお祈りいたします。

木曜担当…西端努斗夢



2016年6月8日(水)
創造と想像と反応の密接な関係              水曜担当…冨樫功

英語で言うと、創造という意味のCREATIONと反応という意味のREACTIONはCの位置が違うだけで構成要素は同じ。

この意味の深さについて今日は考えてみたいと思います。


創造も反応も同じことであるということを示唆しているんですね。
クリエイションもリアクションも日本語になってるくらい普及しています。



リアクション王という言葉があるほどです。


タレントのリアクション王というのは、
オーバーなアクションで出来事に反応する人ですね。

熱いものに触ってひっくり返るくらいのアクションをする人です。

しかし、リアクションというのは実はもっと深いものです。
リアクションの仕方だけで本当に王様にもなれてしまうんですよ。


リアクション王として歴史的に有名な人に、豊臣秀吉という人がいます。
彼は百姓からはじめてわずかの間に日本の兵馬の権を手にするまでになりました。


それを可能にした源泉が、秀吉のリアクションにあったのです。


秀吉は目の前に来た仕事に常に一生懸命に、最大の力を注ぎこみました。
もともとの出自がいやしいというのもあったためか、
常に出し惜しみなく、命がけでことに当たっていきました。

文字通り命を投げ出して仕事に当たっていったのです。
それこそがまさに創造の生き方だったはずです。

そして、日本語では創造と想像は同音であります。
果たして秀吉がはじめから兵馬の権を取るところまで想像していたでしょうか。


たぶん、そんなことはないと思うのです。
いわゆる想像、イメージの力で初めから思っていたわけではないでしょう。


お侍さんになって、偉くなりたいとは思ったでしょうが、
あとは一つ一つ階段をのぼっていくように、
一歩一歩足を進めて行ったのです。

もう少し上をもう少し上をと努力するうちに、
ついに一番上まで到達していったのだと思います。


目の前のことに、最高のリアクションを取ることは、
まさに最高のクリエイションをしていることに他なりません。


人生って想像して創造して切り開いていかないというイメージがありますが、
目の前の状況にどうリアクションをとるかということが、
実は創造的な行為なのです。


これは般若心経の冒頭にもそんな感じのことが要約されています。

観自在菩薩 行深般若波羅密多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄

詳しい解説はまたの機会にさせていただくとして、
観自在菩薩というのは、観音様のことなのですが、
ここでは観自在とわざわざ書かれています。

観ることが自在。
自在に何事もみることができると、すべての苦厄を乗り越えることができる。
そう言っているんですね。


今、目の前にある状況も、
最大のチャンスと捉えて、最高に力を出し尽くすと、
なぜか次のステージに運ばれていくんです。


不平不満、愚痴タラタラでやるべきこともやらないのは、
まったく創造的じゃなく、リアクションとして最低です。


神様からみて、どんなリアクションをすれば合格点をもらえるか。

そう考えて、秀吉レベルでは無理でも、
町内一のリアクション王くらいは目指したいものです。

水曜担当…冨樫功



2016年6月7日(火)
無題                               火曜担当…柿原まゆみ

6月4日の第3回湧くわく本心塾で池田光塾長による『働く君に贈る中村天風45の言葉』の解説がありました。

テーマは「力の誦句」を味読する 

            「力の誦句」
私は力だ。
力の結晶だ。
何ものにも打ち克つ力の結晶だ。
だから何ものにも負けないのだ。
病にも  運命にも、
否、 あらゆるすべてのものに打ち克つ力だ。
そうだ!
強い 強い 力の結晶だ。


まずこの「味読」と言う言葉を私は平素使っていなかったので調べてみると
「内容や文章をよく味わいながら読むこと」とありました。
池田先生は味読することを一つの事をつきつめる「深める」とおっしゃっていました。
そして
「古典をどう読みこむか、老子や孔子は最新の情報が無くても立派なことを説いている。
平凡と思うことも深く読み解く事で味わうことが出来る」とお教え頂きました。


その日配布頂いた 今西最高顧問が書かれた「味わう」も大変深い言葉でした。

             「味わう」
私たちが地上にやってきたのは人生と言う料理を存分に味わうためなのです。
無限ともいえるほど豊かな味わいがある。
人生の体験もまた同じです。
喜びや感動、楽しみや興奮だけでなく無限ともいえるほど豊かな感情を味わい、体得して
成長することを選んでいるのです。
豊かで微妙な感情をひとつずつ味わって共鳴できる器の人になるのです。


先生からこの「私」とは誰かと言われるまで考えたことがありませんでした。
「私」を「人間」「生物」の力、「宇宙」そのものが力だと解釈すると
全体が違って見えます。池田先生のお言葉はとても心に響き、1つの事を深く読み解くことで新しい気付きや学びがあることを知りました。

沢山の情報が溢れていて、その情報を必死に取りこもうとしていました。
そして、それを知ることで成長できていると勘違いしていたように思います。
1つの事を何度も繰り返し読み、観て、聴いて深め、体験を通して成長し、器を大きくしていきたいです。

火曜担当…柿原まゆみ



2016年6月6日(月)
無題                              月曜担当…池田光

ある必要があって、
安岡正篤氏の著書を読み始めています。

いつもそうなのですが、安岡氏の本を読むと、小島毅氏の記述を思い出します。
「現在のところ、わたしもまだ安岡をどう評価すべきか定案はない」(小島毅『近代日本の陽明学』講談社)
という一文です。

この一文の前には、
「一方には、彼(安岡正篤)を聖人君子として仰ぎ奉る傾向がある。…中略…
しかし他方では、彼を軽侮する風潮である」(同書)
ということが書かれています。

そして小島毅氏は、定案はないとしながらも、現時点で次のようなまとめをしています。
「安岡の教説になんら新味はない。だが、彼が中国古典の豊富な知識を駆使して語る、わかりやすい人生哲学は、学術的な『煩瑣的』な思索を得意とはしない政治家や経営者の心をつかんだ」(同書)
と。

このあたりの捉え方は、安岡の本を読んでいて、私が感じるところに近いのです。
が、このことを肯定的に捉えております。
確かに、学問的には、新味はないかもしれません。
しかし、「中国古典を駆使した人生哲学」をどう読むのか、ここに安岡正篤氏の読み方があるように感じます。

いま、安岡氏の『論語に学ぶ』(PHP文庫)を読んでいるのですが、学問的な観点からは慎重になりながら、「中国古典を駆使した人生哲学」に焦点をあわせるようにして読んでおります。
安岡に真骨頂は、こんなところにあると思えます。

月曜担当…池田光



2016年6月5日(日)
「天且つ我を如何せん」                   日曜担当…八木正典

天、我に薄くするに福を以ってせば、吾、我が徳を厚くして以ってこれを?(むか)えん。
天、我を労するに形を以ってせば、吾、我が心を逸にして以ってこれを補わん。
天、我を扼(やく)するに遇を以ってせば、吾、我が道を亨らしめて以ってこれを通ぜしめん。
天且つ我を奈何せん。(菜根譚)

天が私に冷遇して幸福を与えようとしないのなら、
私は自分の人格を磨いてこれに対処しよう。
天が苦役を課して私の肉体を苦しめるのであれば、
私は心の平安をもってその苦痛をのがれるだろう。
天が、私に障害を与え妨げるのであれば、
私は真理の力によってそれを貫き通すようにしよう。
天といえども,私をどうすることもできまい。


なかなか仕事がうまくいかない時に、この言葉を読んで自分を叱咤しています。
自分の弱さを封じ込める強い言葉だと思うのです。自分の力を信じて、その信じる道を歩み続けるしかないと思うのです。そうすると意外と新たな手段が見えてきたり、自分に必要な情報が入ってきたりして、いつの間にか問題が解決に向かうことが多いのです。
壁に当たったら自分に足りないものを振り返り、私欲を放して新たな自分を構築する。
これからも確りと続けていきたいものです。

日曜担当…八木正典



2016年6月4日(土)
交響                               土曜担当…佐々木秀彦

海上自衛隊東京音楽隊の大阪演奏会へ行きました。今西最高顧問に無理を言いまして妻子を連れての鑑賞ができましたことに感謝の気持ちでいっぱいです。

『交響組曲宇宙戦艦ヤマト』これは当時小学生だった僕がお年玉で買ったLPレコードです。
他の惑星からの侵略を受けた地球の危機を救うべく、太平洋に沈んだ戦艦大和を改造した宇宙戦艦ヤマトが大宇宙へ出航して艱難辛苦を乗り越えていくストーリーに夢中になった僕が選んだレコードでした。そしてその中に収録されていて何度も何度も聞いた曲が40年ぶりに僕の前で奏でられたのは不思議な感覚すら覚えました。

海上自衛隊東京音楽隊です。戦艦大和が宇宙へ飛び出すストーリーの曲なら40年前からレパートリーに入っていたにしても至極当然な話です。軍艦マーチ、我は海の子と同様に、想いがこもった演奏でした。

生の演奏会では、打楽器の奏者をはじめ、けっこう演奏者は忙しいことに気づきました。いくつもの楽器を、一つの楽曲の中で、とっかえひっかえ淡々と演奏している姿には目を奪われてしまいました。オーケストラというのは各楽器の音を織り成して曲が完成します。『交響曲』という日本語は素晴らしい表現です。それぞれの楽器の音色が交わり響くと美しい空間が出来上ります。

宇宙戦艦ヤマトでも、主砲を撃つ担当が艦載機を操縦したり、レーダーの監視担当が看護士も兼任していたり、機関士や航海士等々多くの立場の人間が協力したり反発したりお互いをフォローしたりの人間模様が描かれておりました。

軍国主義を肯定する気は全くありませんが、日本という国は、日本人それぞれ個人の役割を忠実に遂行することで日本全体として強くなって、明治維新からあっという間に世界屈指の軍事力を誇ったり、第2次世界大戦の敗戦からあっという間に世界屈指の経済力を誇ったりできたのは、まさにオーケストラ的個人個人の役割遂行が交響できていたからなのではないかなと、音楽隊の演奏する姿を目の当たりにして感じたような気がしました。

一燈照隅、万燈照國…
公共の利益やなんかは、その道の専門家にまかせても良いのですが、交響の美しい調べを奏でる空間を創造できる一個人として存在していきたいなと改めて感じています。

土曜担当…佐々木秀彦



2016年6月2日(木)
民                                木曜担当…西端努斗夢

私は、自〇民〇党や民〇党といった政党、〇〇人民共和国といった国など、「民」という字を名称に使っている政党や国家は胡散臭いと思っています。それは、「民」という漢字の成り立ちを知ったからです。

「民」という漢字は、目を針で刺した象形からできています。古代の大陸では、征服した国の人々に対して、目をつぶしたり、手足を切って自由に行動できなくし、奴隷にしたそうです。そこから、「民」というのは、今の現実をわからない人々、今の現実に気が付かないまま、施政者の支配下におかれる人々を意味するようになりました。

「国民」、「都道府県民」、「市町村民」と、言い方は色々ありますが、私は、日本国民でも、和歌山県民でも、和歌山市民でもありません。和歌山県和歌山市に住む一人の人間です。

これからも、しっかり目を開けて、今の現実、社会の真実を自分のこの目で見て、考え、行動していきたいと思っています。

木曜担当…西端努斗夢



2016年5月31日(火)
「感情的にならない」が、健康長寿の素         火曜担当…柿原まゆみ

赤い血が黒くなるほど怒りは毒
感情が消極的になると、血液の色や味わいすら変化する。
心を積極的にし、血液を弱アルカリ性に保つことが、健康への秘訣である。


【怒りがもたらす身体への悪影響】
●疲労が増し、・代謝が落ちる
感情的になると呼吸が浅くなり、体に酸素が十分行き渡りにくくなります。そのことが原因で疲労感が増し、代謝が落ちるなど様々な悪影響がでてきます。

●免疫力が低下する

怒りの感情によって交感神経が活性化し過ぎると顆粒球という免疫細胞 が増えすぎ、がん細胞の発生や組織の変性、破壊に繋がるとも言われています。こうしたバランスが崩れることで免疫力自体が低下し、様々な病気のリスクが高まります

●活性酸素が増加し老化が進む

ストレスを感じて緊張状態にあると血管が収縮されて血流が悪くなります。血管が拡張して一気に血液が流れた際にも活性酸素が多く発生し、酸化します。細胞の酸化は老けの一因とされています

●血圧が上がりやすく、疾病のリスクが高くなる

怒ることで血圧も上昇しやすくなります。心臓への負担が大きくなり、不整脈や動悸を発症してしまうこともある。心臓病や脳卒中といった疾患のリスクも高まることになります。

天風先生の食事の心得

・植物性のもの
・粗食にすること
・刺激の激しいものは沢山食べぬこと
・午前はできるだけ淡泊なものを取ること
・病人には、たとえ滋養物でも本人の嗜好しないものは勧めぬこと
・時候外れのものはできるだけ避けること
                       『働く君に贈る中村天風45の言葉』より


時候外れのものは避けることと天風先生がおっしゃっているので
「旬の食材」についてご紹介します。

■ 旬の魚   
●クルマエビ
  初夏が旬で生でもゆでても美味しい素材でてんぷらにすると絶品です。

●きす
  味は淡泊で上品、脂肪が少ないため天ぷらや塩焼きで頂きます。

■ 旬の野菜
●しそ
  スーパーに行けば常備購入できるしそ。なんと今が旬です。
  しそには身体を温める働きがあるので、夏場の冷房などによる
  冷えの対策に沢山しそを使いたいですね。
  青じそにはイライラを押さえる効果もあるようです。

●さやいんげん
いんげんもしそ同様、いつでも手に入る食材と思いがちですが、こちらも
今が旬のお野菜です。

●そら豆・えんどう豆・新じゃが・らっきょなども旬の食材です。

いくら良い薬を用い、栄養を豊富に摂取し、その他の肉体的な方法を実行しても
心が消極的である限りは、健康一つでさえ思うように建設出来ず、いわんや
運命開拓の力などはおもいもよらない
                           『働く君に贈る中村天風45の言葉』より


天風先生は旬のものを取ること以上にプラスの癖をつけることが一番の薬であるとおっしゃっています。人や物や出来事に怒ることで身体に悪影響を及ぼし、自分にとって
よいことはありません。逆にプラスの考えを持つことで出来事が好転し、健康にも
なれるのです。

火曜担当…柿原まゆみ



2016年5月30日(月)
無題                              月曜担当…池田光

先週のブログに引き続き、和装本のことを話します。

その後、「康熙綴じ」と、その応用である「麻の葉綴じ」をやってみました。
でき上がりのイメージだけを頼りにやってみたら、簡単にできました。

次に、前にマスターした「亀甲綴じ」と、「麻の葉綴じ」を合体させて、
下左の写真……「亀甲麻の葉綴じ」
下右の写真……「変形 亀甲麻の葉綴じ」
というのをやってみました。
ちなみに、この名称はぼくが仮につけたものです。



とにかく、頭のなかに、でき上がりのイメージを描いて、
実際にやってみたら、想像した通りの綴じ方になりました。

ポイントは、一筆書きの要領でやることです。
糸を綴じるのに、二回同じところを通らずに、幾何学的な模様になるよう綴じます。
実際に、想像した通りに綴じることができると、嬉しいですね。

ほかにも、下の写真ような綴じ方をやってみました。
ただ、想像で描いた図案を実際に綴じられるのか、やってみるだけです。パズルをやっているようで時間を忘れてしまいます。



さて、今、制作している和装本は、『中村天風 心が安定する「坐禅法」入門』という本です。
一冊一冊、表紙の和紙を変えています。



実は、『中村天風 心が安定する「坐禅法」入門』というは、6月中旬にパンローリング社から、オーディオブックとして発売されます。
これは、解説編と実践編のCD二枚組で、耳で聞くために新たに原稿を書きました。
その原稿を、発売までに10冊ほど和装本として作ってみたいと思っています。

月曜担当…池田光



2016年5月29日(日)
「恩」                              日曜担当…八木正典

口-環境と、大-人の手足を伸ばした相と、心とより成るものが「恩」の字です。
何のおかげでこのように大きく存在しておるのかと思う心が恩を知ることです。
われわれは天地の恩、人間の恩、道の恩、教えの恩など、あらゆる「恩」の中にあります。
これに絶えず報いてゆくのが生活であります。(安岡正篤)



最近、周りの人にいろいろとサポートいただいたり、協力してもらったりして、思っても見なかった素晴らしい話が舞い込んできています。
それが、自らの思考や取り巻く環境を変化させるきっかけになっています。
そうして、自分だけの力ではどうにもならなかったことがスムーズに無理なく解決に向かっていき自分でも驚いています。本当に有難い話です。
縁が縁を呼んでいるような、そうしたいい流れに乗りながらも、与えられている恩をどうやって返していったらいいのか、どう報いたらいいのかを考えながら進んでいこうと思います。

日曜担当…八木正典



2016年5月28日(土)
謦咳                              土曜担当…佐々木秀彦

泉南メモリアルパークへお墓参りに行きました。関西国際空港を間近に含んだ大阪湾を望む丘陵で西洋風の墓石に統一されているので、ゆったりした明るい緑溢れる空間でした。


先月潜学講座の講師をさせていただきました。この講座の最初で自己紹介にけっこうな時間を割いたのですが、実はこの自己紹介が僕にとっては大きな大きな挑戦でした。51年生きていて自己の経歴を順序立てて人様に語ることを今までしたことが無かったのです。通常より多くの会社の入社試験を受けた経験を持っているとは思いますが、その履歴書でさえ、自己の経歴のほとんどを割愛して最低限必要な部分のみの記載でも履歴欄がいっぱいになるので、そう対応してきました。

今回、講師として皆様に自己の経歴を語る作業で、僕が何を大切にして考えて生きてきたのか少しだけ整理することができた気がします。そしてその中で、中途半端でやり残していることがいくつも見えてきたりもしました。

僕がある時期所属した、言葉で言い尽くせない大恩ある事務所の社長のことも、忘れたことはなかったのですが、目をつぶって自分に封印していた部分でもありました。しかし今回講師の体験後どうしても気になって調べましたら、この社長は2002年に本を1冊書かれていました。とにかく徹底したマネージャー気質で表には絶対に出ない方だったはずなのですが、早速購入して読んでみますと、個人的な遺書として書いたのだなと思われる内容でした。元々は大阪出身の方だったので大阪にお墓があると直感して、現在の事務所に問い合わせてみると、泉南メモリアルパークだったという経緯です。


講師を引き受けて、内容を作成した段階では、僕がこの方のお墓参りをするなんてことは想像にすらなかったことです。この方が書いた本に出合うこともできました。講師が一番勉強できるよと先輩方から何度も言葉を掛けていただきましたが、まさしくその通りだと実感しております。講師をした僕の方が、謦咳に触れることになるというところが湧くわく本心塾の粋なところなのかもしれません。

土曜担当…佐々木秀彦



2016年5月26日(木)
国畜                              木曜担当…西端努斗夢

社畜(しゃちく)という言葉を耳にするようになったのは、いつ頃からでしょうか?
社畜は、勤めている会社に飼い慣らされてしまい自分の意思と良心を放棄し、家畜化した日本のサラリーマンを揶揄したものです。

社畜よりもっと深刻なのは、国畜。国家や地方自治体に飼い慣らされてしまい、「お上に任せておけば大丈夫」と、自分の意思と良心を放棄し、家畜化した日本人です。
悪徳商人と悪代官が住民を苦しめても、水戸黄門が印籠を振りかざしてそれを糺してくれるというテレビドラマがありました。けれど、実際の水戸黄門は、そんなことをしていません。
ドラマに登場する水戸黄門のような人は、昔も今もいないのです。

自分たちの生活は、自分たちで守る。そのためには、自立・自律しなければいけません。
湧くわく本心塾での学びは、私にとって自立・自律するための一つでもあります。

木曜担当…西端努斗夢



2016年5月25日(水)
潜在意識は表に出ている。                 水曜担当…冨樫功

顕在意識と潜在意識。

普通は水中に沈んだ氷山の一角が顕在意識。
そこだけが見えていて、残りの90%は水中で見えない。
それが潜在意識だといわれます。

しかし、それは逆だと、あるセミナーで教えていただきました。

顕在意識こそ、頭の中だけで外からうかがうことはできない。
潜在意識はカラダ、外見に無意識のうちに表に現れている。

自分をどういう風に考えているか、
どのように見られたいと思っているか。


すべては外見、あるいはファッションから読み取ることはできる。
実は、自己イメージをなにより表しているのが外見であり、ファッションなのだという話は説得力の塊でした。

優れたセラピストや施術者は、相手の外見、ゼスチャー、抑揚等から潜在意識を読み取る。

それは見えない心の中を読み取っているわけではない。
あくまで経験則から、明らかに見えている事象から入っていく。

内側を見てほしい。
外見なんてどうでもいい。

そういってボロを切る行為は、
自分にもほかの人にも失礼なのかもしれません。

論語には「巧言令色鮮し仁」という言葉がありますが、

内面で判断してほしいなら、まず最低限の外見を整える必要もありそうです。


やはりすごい人は外見もきっちりしているような気がします。
気を付けていきたいと思います。

水曜担当…冨樫功



2016年5月24日(火)
人を喜ばせれば、欲求から解放される          火曜担当…柿原まゆみ

執着から離れようと思ったら、それを離れようと思わないで
霊性本位の生活のほうへと自分を振り向けるとしぜーんと離れちまう
                       中村天風先生より

天風によると、満足には5つの段階があります。
①本能満足
②感覚満足
③感情満足
④理性満足
⑤霊性満足
①~④は満足を得ようとする欲求が更なる欲求を生んで、これで良いという際限がなくなります。たとえば、お腹がいっぱいなのに「まだ食べたい」という人は本能満足の欲求に歯止めがきかなくなっているのです。
天風は際限のない欲求は、苦しい欲求へ変化していくと言います。

⑤の霊性満足だけが、いつまでも楽しい欲求なのです。
霊性満足とは他人を喜ばせることがうれしいという満足です。
まわりに喜んでもらおうと心をふりむけると、いつの間にか際限のない
欲求から解放されます。

喜ばせることを喜びとする

              「中村天風 うたれ強く生きる100の言葉」より


アンパンマンの作者である
やなせたかし先生も同じことをおっしゃっています。

「人間が一番うれしいことはなんだろう?長い間、僕は考えてきた。
そして結局、人が一番うれしいのは人をよろこばせることだということが分かりました。
実に単純なことです。

ひとはひとをよろこばれせることが一番うれしい
人生はよろこばせごっこ」

ひとに喜んでいただけることは沢山あります。

・人に逢ったら笑顔で挨拶をする
・何かしてもらったら当り前と思わずに「ありがとう」の感謝の気持ちを伝える
・元気に過ごす(元気にしていると自分も元気になると喜ばれました)
・手紙を書く
・名前が分かる方にお名前を添えて会話をする
・贈り物は定番より相手が喜ぶ物を選ぶ
・相手が喜んで話していることに共感する
・人の良いところを見つけて誉める
・相手の方の話に関心を持って聴く
・お手洗いを使ったら次に使う人が「ここのトイレきれい」と感じてもらえるように使う
・買い物に行ったら製品を丁寧に扱う。購入したら大事にしますと伝える。
・飲食店を利用した際、美味しかったら伝える
・使った物は元あったところに戻す
・約束の時間に遅れない
・手伝えることがあれば声を掛ける
・道や席を譲る        他

霊性満足を高めると欲求から解放されるということを私なりに解釈し実践しています。
【本能満足の際限のない苦しみの克服】
お腹がいっぱいだけどスイーツが食べたい→太る→ダイエット→辛い・苦しい

スイーツを食べたいときは分けることが出来るものを選択しています。
・あめやチョコレートは袋入りを購入し半分は配る
(大阪マダムのようにあめちゃんを配る)
・頂いたお菓子は配る
・雪●だいふくのように2個入りを選び、1個はあげるか、分けて食べる

そして、もっと喜んでもらえることは
相手の期待を超えたことをすることです。サプライズをすると感動して頂けますよね。
サプライズをするときは自分がわくわくドキドキします。
まさに霊性満足が高まる瞬間です。
ひとが笑っていると自分も笑い、幸せな気分になれますよね。

火曜担当…柿原まゆみ



2016年5月23日(月)
無題                              月曜担当…池田光

和装本作りを始めました。
始めたばかりなので、練習の段階です。

まず、湧くわく本心塾発行の『論語 人間を磨く言葉』から、『寸言論語』を和装本にしてみました。
写真では糸が見えにくいですが、綴じ方が違います。
下の写真の左が、四つ目綴じ。
右が、亀甲(きっこう)綴じです。
次は、康熙(こうき)綴じをやってみたいと思います。





ほかにも、牧野貞幹の『写生遺編』と、吉田松陰の『留魂録』を和装本にしました。
どんな表紙にするのか、いろいろと和紙を選ぶのが楽しいですね。




和装本を作るのに必要なのが、全体が金属でできた製本用の目打ちです。
これで本に綴じ穴を開けます。
目打ちの全体が金属なのは、目打ち自体をカナヅチで打つからです。

ぼくは道具が好きで、この目打ちの重みや質感、美しいフォルムに惹かれるものがあり、道具を手になじませるだけで嬉しくなります。
あと、竹べらが必需品です。
糸綴じをする針などは、どこの家庭にでもあるもので、和装本を作るにはさほど特別な道具を必要としません。

「道具の美」というか、道具にはなんとも言えない美しさがあります。
たとえば、読書の道具と言えば、辞書です。
ぼくの長い読書人生のうちに、知らぬ間に辞書が増えています。
数えたことはありませんが、百点以上はあるでしょう。
道具を手にその世界に斬り込んでいく楽しさは、無上のものです。

それはそれとして、和装本制作で何を目指しているのかというと、執筆、印刷、製本を自己完結でやることです。
これまでの本は、商業ベースに乗ったもので、何千冊や、何万冊という発行部数でやってたわけです。
が、これからは従来の商業出版と並行して、十冊ほどの小さな出版をしたいと思います。多くても数十冊止りの本を作って楽しみます。

■初心者レベルではありますが、あと何点が和装本を制作し、いずれ「潜学講座」に持参して、みなさまに見ていただきたいと思っています。

月曜担当…池田光



2016年5月22日(日)
「快」                              日曜担当…八木正典

尊敬する先輩から、メンタルトレーニングで有名な西田文郎さんのことを教えていただきました。
この2週間で書かれている本を5冊まとめ読みをして、その考えにはまっております。
いかに脳に快(ワクワク、ウキウキ)の気持ちを持たせるかで自分の思考が変わっていく、思考だけにとどまらず感情まで気持ちいい感覚をいだくことによって自分自身に対して持つイメージが変わっていくというのです。
100回マイナス思考になったら101回プラス思考になればいい、西田さんはそう言っています。
本心塾で学ばせていただいている天風哲学の観念要素の更改にもつながる話で非常に興味深い話です。
教えていただいた先輩に感謝です。新たな考えを取り入れながら自己向上に努めていきたいと思います。

日曜担当…八木正典



2016年5月21日(土)
主役                              土曜担当…佐々木秀彦

『主人公』と書かれた掛け軸が、佐々木奘堂顧問の天正寺の壁に掛っておりました。

映画や演劇の世界では、主役という表現があります。この主人公を演じる役者を主役というのです。僕は役者時代にこの主役に異常なまでに執着していた時期がありました。先輩方の中に、「主役じゃなきゃダメだよ!」「とにかく主役を演る役者にならなきゃ意味ないぞ!」なんて言う人が多かったので、それをそのまま真に受けてしまっただけのことでした。

この主人公を演じるのと、他の役を演じるのと、違いは多々ありますが、あえて一言で表現しますと、作品に対する責任感の違いだと思います。もちろん作品の責任は演出家やプロデューサーの権限ですので、たとえ主役であっても権限は1出演者というだけなのですが、ドラマの主役はそれ以上の責任感をもって臨みます。

主役は、他のすべての役者への気配り気遣いは絶対に必要です。他の演者は自分の出番・役回りに自身のすべてを賭けてぶつかってきます。この想いをしっかり受け止めて、さらにそれ以上の想いで応えなければいけません。セリフのない出演者、スタッフ全員への気配りも主役の重要な仕事になります。作品の主人公を演じる以上、そこに携わる人すべてに感謝をするのは必須であるのです。ここがキチンとできれば、極端に言えば芝居が下手でも主役として認められますが、ここがダメならもう一生主役は無いと言っても過言ではないのです。

以前に家の近所でドラマのロケがあって、スーパーの袋を抱えて通りかかった僕に、そのドラマの主役は「どうもすいません」と僕にキチンと頭を下げて挨拶をしました。木村拓哉という役者はロケの近隣一般住民にもそういう気遣いをできる役者なのです。


家の主人であれば、妻・子はもちろん、近隣や親戚すべてにそういう気遣いは必要でしょう。お店の主人であっても同様です。

佐々木奘堂顧問の「禅の言葉」のサブタイトルが「随所に主と作れ!」でありますが、この「主」となることに最も大切な気持ちが、主役の責任感に相当する廻りに対する「感謝」ではないかと思います。さらに「随所に」という言葉まで添えられているので、もっともっと僕はがんばらなくてはいけません。

土曜担当…佐々木秀彦



2016年5月19日(木)
神の子                             木曜担当…西端努斗夢

柿原さんのブログを読ませていただきました。台湾では神様に名前と生年月日、住所を告げてからお願い事をするそうで、不思議に思いました。

私は、住所も名前も告げず、神様にお願い事をします。なぜなら、私は神の子だからです。以前、神様に住所と名前を告げようとしたら、「わが子の名前や住まいを知らない親がどこにいる?」と一笑されました。

人間社会に置き換えると、わざわざ名前や住所を名乗らなければいけないような関係の人にお願いをするでしょうか?
また、そんな関係の人にお願いしたとしても親身になって願いを叶えようとしてもらえるでしょうか?
日頃から深い付き合いがある人だからこそ、お願いもできるし、お願いすれば力を貸してもらるのではないでしょうか?

日本でも、お願い事をする前に住所と名前を告げなさいとおっしゃる方がいます。しかし、親子とまではいかなくても、わざわざ名乗らなくてもお願いを聞いてもらえるような関係を神様との間で日頃から築いておくことが大切だと思います。
だから私は、時間を見つけてはできるだけ数多く、神様にご挨拶におうかがいしますし、おうかがいした際には、親孝行のつもりでお土産(お賽銭)を置いてくるようにしています。

木曜担当…西端努斗夢



2016年5月17日(火)
年齢に関係なく、若者の心を持ち続ける         火曜担当…柿原まゆみ

若返りの秘訣の第一はまず気分を若返らせること。
すなわち精神を青年にすることであります。

実年齢に関係なく、その人の精神が老人であるならば、その人は老人なのです。
肉体も精神も時の流れに比例して若さが失われていきます。しかしどちらも
若返られることが出来ます。

肉体を若返らせたければ、まず気分を若返られること。精神を青年にすること。
若いと言う観念を抱くことです。

                  中村天風打たれ強く生きる100の言葉より


松下幸之助先生の『青春』という座右の名は有名ですね。
「青春とは心の若さである。信念と希望にあふれ、勇気にみちて日に新たな
活動をつづけている限り、青春は永遠にその人のものである」

安岡正篤先生は「早く老いることの原因は、肉体より精神にあります。
物に感じなくなる、身辺の雑事、日常の俗務以外に感じなくなる、向上の大事に
感激性を持たなくなる、これが一番いけません。
無心無欲はそういう感激の生活から来るもので、低俗な雑駁(ざつぱく)から
解脱(げだつ)することにほかなりません。
                    安岡正篤 こころを磨く言葉より

そして具体的な行動としてマザー・テレサが
「遊ぶ時間を持ちなさい。愛し愛される時間を持ちなさい。与える時間を持ちなさい。
それは永遠に続く若さの秘密」と言っています。

調査会社の調べで年齢より若く見える方の行動を紹介していました。
●熱中できる趣味を持っている
●トレンドを取り入れたファッションをしている
●常に誰かに恋している(タレントやキャラクターなども含む)
●早寝早起きの習慣がある
●夢を持ってチャレンジをしている

確かによく遊び、おしゃれでイキイキして朝活している方は見た目に若いですよね。

私のわくわく感激する1つは旅行に行くこと。このGWに台湾に行ってきました。
驚いたことは
◆ウーロン茶のペットボトルに砂糖入りの甘いものがあった(微糖の紅茶みたいでした)
◆天井のある所での喫煙は出来ない(日本のそうしてほしいです)
◆お寺でのお参り方法が違う
①神様への感謝
②自分の名前と生年月日(名前だけだと神様が分からないようです)
③住所
④願い事
⑤神様への感謝
◆バナナの花が紫だった
◆日本植民地時代に造ったダムや水路等を今も使用している。
◆台湾の方は食事中にお酒を飲まない
◆故宮博物院にある宝物の美しさ。当時の中国皇帝の力の凄さ。

現地に行って初めて知ることがあると感動します。
また若返りの為に色んなことにチャレンジしたいと思います。

火曜担当…柿原まゆみ



2016年5月16日(月)
無題                              月曜担当…池田光

中国唐代の禅宗史研究において、不朽の功績を残した柳田聖山(1922~2006)。
彼は、70歳を目前にして『花園界隈』(大東出版社)という自伝的な随筆を上梓しました。
ぼくが持っている本には、見返しに「風は黙って」という識語と落款があり、この言葉の意味をいろいろ想像させられます。



それはそれとして、帯には、「禅仏教研究五十年の遍歴」とあり、この本の冒頭部はこんな一文から始まります。

有名な禅語の一つ、「洎んど己に迷わず」というのが、妙に骨身に沁みる今頃である。(柳田聖山著『花園界隈』2ページより)

「洎んど己に迷わず」――この言葉が、柳田聖山が50年間の禅仏教研究において坐すことができた境地だったのでしょう。
さらにこんな文章が続きます。

すんでのところ、自分を見失うところだった。辛うじて自分を守り抜いた、ゾッとするような、実存五十年。(同上2ページより)

辛うじて自分を守り抜いたという回顧が、「洎んど己に迷わず」という禅語に通底しています。

■「洎んど」とは
読み方は、「洎(ほと)んど己(おのれ)に迷(まよ)わず」です。
この禅語のポイントは、「洎(ほと)んど」というところにあると思います。
「洎(ほと)んど」は「殆(ほと)んど」と同じと受けとめていいでしょう。そこで、「ほとんど」を国語辞典で引くと、以下の通り。
1.全部とはいえないが、それに近い程度に。おおかた。大部分。→用例「病気はほとんど治った」
2.もう少しのところで。すんでのことに。→用例「ほとんど気を失うところだった」
3.切実であるさま。

■鏡清禅師の禅語
「洎んど己に迷わず」は、『碧巌録』の46則「鏡清雨滴声」に出てくる言葉です。
ある時、鏡清(きょうせい、868~937)禅師が修行者に質問をしました。

鏡清禅師「門外は何の声ぞ(現代語訳:門の外で音がしておるが、あれは何の音じゃな?)」
修行僧「雨滴声(うてきせい)なり(現代語訳:雨だれの音でございます)」
鏡清禅師「衆生、顛倒(てんどう)し、己に迷うて物を逐(お)う(現代語訳:みな、心が迷って、自分を忘れて物に捉われておるようじゃ)」

つまり、修行僧よ、おまえは「心が迷って、自分を忘れて物に捉われておるようじゃ」と指摘しているわけです。――つまり、まだまだ、おまえは対象に捉われている、と。
すると、修行僧も黙っていません。次のように質問を返します。

修行僧「それならば、和尚は何の音だと聞かれますか?」
ここで、鏡清禅師が答えたのが、「洎んど己に迷わず」という言葉です。

鏡清禅師は、このとき、「己に迷わず」ときっぱり断定した答えをしていません。
どこか、あいまいに「ほとんど」という一語を加えています。
ここに、修行僧が食いつきます。
「『ほとんど』とは、どういうことでしょうか?」
と。

鏡清禅師は、「ほとんど」としか言えなかったのでしょう。
きっぱりと「己に迷わず」と断言してしまうと、今度は、迷っていない己に捉われてしまうからです。

己が聞くから「雨だれの音」が存在するのであり、雨だれの音があるから「己にその音が聞こえる」のです。
雨だれと己とは、一如としてあるのです。

言葉では、「ほとんど」とあいまいに言うしかないのですが、鏡清禅師は、「雨だれ」と「己」との一如の関係を「ほとんど」と表現したのではないでしょうか。
このギリギリのところを、「ほとんど」と語ったのでしょう。

■柳田聖山の場合
柳田聖山は、
「すんでのところ、自分を見失うところだった。辛うじて自分を守り抜いた、ゾッとするような、実存五十年」
と書いていますが、何に自分を見失いそうだったのかというと、研究対象である「禅仏教」に対してでしょう。

柳田聖山にとっては、「禅仏教」が雨だれの音だったのです。
「禅仏教」に捉われてしまうと、前出の修行僧のようになってしまいます。

しかし柳田聖山は、すんでのところで、「禅仏教」に捉われて自分を見失ってしまう、ということがなかった――「ほとんど己に迷わなかった」のです。

■柳田聖山の場合
ぼくの場合は、どうでしょうか。
ぼくの対象は、「中村天風」であり、「天風哲学」です。
実現するかどうかは別にして、理想は、ぼくと天風先生が一如となることであり、ぼくと天風哲学が一如となることでなければなりません。
対象にどう向き合っていくかという坐りを、ぼくは、柳田聖山著『花園界隈』の冒頭のわずか数行に思いを馳せることができたのでした。


月曜担当…池田光



2016年5月15日(日)
「実践主義」                          日曜担当…八木正典

劉君亮、山中に在って静坐せんとす。
先生曰く、「汝もし外物を厭うの心を以って、去きてこれを静に求めば、これ反って一箇驕惰の気を養成せん。汝もし外物に厭わずんば、また静処に於いて涵養するも、却好し。」(伝習録)

君がもし世間の雑事から逃れようとして静かなところでの修行をするのであれば、それは傲慢で怠惰な心を養うだけであってよくない。そうでなくて雑事を厭わないのであれば静かなところで修行することもよいであろう。


集中して取り組もうとして、周りから逃れたい、一人静かなところでじっくりと考えたいと思うことがあります。周りと一定の距離を取ることで自分の内面を確り磨けるような気がするのです。
でも結局のところ自分のことしか考えないようであれば単なる現実逃避となります。
本当に自分を鍛えようと思えば、世事を軽んずることなく常に実践でどうするのかを考え続けなければならないのです。
蓮は汚泥の中で育ちながらその汚泥の汚れに染まること無く、清らかで美しい華を咲かせます。その清らかさからよく菩薩に譬えられると言われています。
内面と外面のバランスを取りながら菩薩の境地である上求菩提、下化衆生を目指して実践主義で過ごしていきたいものです。

日曜担当…八木正典



2016年5月14日(土)
英雄                              土曜担当…佐々木秀彦

皆さんの心に英雄はいますか???

僕の場合だと海のトリトンや仮面ライダーが最初の英雄なのでしょう。そして漫画家の水島新司さんとなって、大人になりました。


Wikipediaによりますと…
ヒーローとは、英雄のことと、神話や物語などの男性の主人公のこと。
ヒーローの多くは、普通の人を超える力・知識・技術を持ち、それらを用いて一般社会にとって有益とされる行為、いわゆる救世主としての行為を行う。多くの物語では、これを阻止しようとする悪役・敵役が共演することになる。また、突出した能力を持っていない場合でも、何らかの形で英雄的行為をすることがある。
…という説明がされております。
まあこれもヒーローではあるのですが、、、男の子にとってのヒーローというのはもっともっと自分を近いところにおいているという感じがします。自分の兄だったり、近所のおにいさんだったり、漫画の登場人物だったり、社長とか刑事とか野球選手という職業だったり、ライオンとかクジラという動物だったり…今回はその普通の男の子にとってのヒーローという意味です。


子供の頃誰しもが自分のヒーローが存在したと思います。そしてその思いはやがて叶うものです。シルバー仮面役の柴俊夫さんに酒を飲みながら真横で僕だけのために変身アクションをしてもらったときには感激しました。水島新司先生とは何度も一緒に野球をしました。そう夢は叶うのです!ヒーローに憧れさえすれば、必ずそのような主人公となることができるのです。

日本の場合、本来神話の主人公が子供達のヒーローだったのでしょう。スサノウノミコトやヤマトタケルに子供時代に憧れたなら、その子は普通に自然界の神羅万象とコンタクトできる大人となるに違いありません。夢が叶うというのはそういうことです。

今、大人になった自分にとってのヒーローは???
ここが大切です!いくつになってもヒーローを心に抱くからこそ進化できます。
少年の頃のまま純粋に英雄に憧れる心を持ち続ける…夢は叶います!!!

土曜担当…佐々木秀彦



2016年5月12日(木)
ダイアモンドは傷つかない                 木曜担当…西端努斗夢

元商社マンの知人から聞いた話ですが、三菱商事には、「ダイアモンドは傷つかない」と豪語していた商社マンがいたそうです。
確かに、旧財閥系の三菱グループは強大で、結束力も強く、少々のことでは傷つかないと思います。

けれど、その商社マンは、ダイアモンドが燃えることを知らなかったのでしょうか?
確かに硬度には優れていますが、熱にはそんなに強くありません。800度で燃えて気化し、消えてしまうそうです。

三菱自動車の度重なる不祥事、今回は日産の傘下に入って何とか生き延びることができそうですが、根本的な体質を改めない限り、いつか火がついて燃えてしまうかも……

木曜担当…西端努斗夢



2016年5月10日(火)
相手を変えるより先に、自分の心を変える        火曜担当…柿原まゆみ

「失望や落胆をしている気持ちのほうをかえりみようとはしないで、
失望・落胆をさせた出来事や事情を解決しようとする方を先にするから、
いつまでも物になりゃしない。」
                
天風が教えているのは、外側に起こった問題の解決を急ぐよりも、まず
先にやるべきことがあるだろう、それは「失望や落胆をしている気持ちのほうを
顧みなさい」ということだったのです。

問題が起こって困ったときは、気持ちを失望し、落胆してマイナスになっているものです。
このマイナスの気持ちのままで、いくら外側に起こった問題の解決を図ろうと
しても、うまくいくはずがありません。

              中村天風 打たれ強く生きる100の言葉より



「部下が自分の思うように仕事をしてほしい」「上司が優しくしてくれたら・・・」「あの人が、もう少し変わってくれたらよくなるのに」と考えてしまいます。
しかし人は決して自分の思うようには動いてくれません。
ではどうすれば相手が変わるのでしょうか?

それは『自分が変わること』です。

あるご夫婦の事例を紹介しましょう。
Aさんは50歳の会社員です。現在、子供は独立し、夫婦ふたりで過ごしていました。
ある時ご主人がリストラに合い、会社を辞めることになりました。
退職後すぐは熱心に職探しをしていましたが、なかなか希望する会社への就職はできません。そのうち就職活動をやめてしまい、家に籠り、テレビや新聞をみて過ごすようになってしましました。

Aさんはそんなご主人に対して苛立ち「私は遅くまで働いているのだから食事の用意くらいして下さい」と何もしないご主人に対してきつく怒鳴る毎日。

ある時ふとAさんは思い出したのです。

「相手を変える事はできませんよ。自分が変わりましょう」とアドバイスを受けたことを。「自分が変わる・・・」

出勤前に「お父さん、行ってきますね」帰宅すれば「お父さん、只今戻りました」
と黙々と家事をして明るく振る舞いました。

数日後、Aさんが家に戻るとなんと食事の用意と洗濯物が綺麗にたたまれていました。
ご主人は照れ臭そうに「お帰り。お疲れ様」と出迎えてくれました。
Aさんはこぼれる涙を拭いながら「ありがとう」と伝えました。
その日を境に夫婦の関係は良好になり、ご主人は就職活動を再開し、無事に再就職先が決まりました。

この事例のように一方通行の意思伝達は相手を無視しているのと同じことになります。
相手の立場に立って物事を見れば自然に気配り、心配りが生まれます。

同僚や部下の間違えを発見した時は、鬼の首を取ったように大騒ぎせず、
どうすれば改善・解決できるか協力し「誰にでもあることですよ。お互いさま」と慰める。

部下は上司が出来ない事に対して失望し、文句を言うのでなく
人は誰もが万能ではないと考え、上司の苦手な事をさりげなく手伝い補佐をする。

意見の違う人との話は素直に聴き、異論があるようなら「このような考えはいかがでしょうか?」とソフトにきいてみる。そうすることで良い関係が育まれます。そうすることで仕事が円滑に進みます。相手の気持ちを受け入れてどうすれば喜んでいただけるか相手軸で考えることはとても重要な事です。

火曜担当…柿原まゆみ



2016年5月9日(月)
無題                               月曜担当…池田光

真善美とは……。

認識上の真と、倫理上の善と、美学上の美。
人間の理想として目ざすべき普遍妥当的な価値観をいう。

これは『広辞苑』の説明なのですが、
みなさまは、真・善・美のどれに惹かれるでしょうか?

ぼくはどうも「美」に惹かれるようです。
次が、「真」。
パーセントで表現すると、
美……70%
真……20%
善……10%
くらいの配分かもしれません。

たとえば、「1+1=2」という数式は、視覚的に美しいなあと感じられます。

また、つくづく漢字の文化圏に生まれてよかったと思うのですが、それは、漢字が美しいからです。
美しい活字が並んでいる本を見ると惚れ惚れします。
それ以上に、美しい手書きの文字が並んでいるのを見ると、憧れと快さと嫉妬が混じった複雑な気持ちが湧いてきます。

今年の春から、美しい本を作ろうと、ぼくは和装本を習い始めました。
これについては、近いうちにブログに書きたいと思います。

服装の美には、特に惹かれます。
なんとも言えないフォルムで、見事な色の取り合わせをしているのをみると、見惚れてしまいます。
つい、「綺麗ですね」と口にすることがよくあります。
(なのに、自分はいいかげんな服装なのですが)

あと、器の美に惹かれます。
家庭をもってから12年間に集めた食器類が、阪神大震災ですべて壊れてしまったことがありました。
被災者を支援しようと、知人たちから「食器を送りましょうか」という連絡があったのですが、丁重にお断りしました。
そして、イチから集め出した食器類は前の数倍の量になりました。
今も少しずつ増やしていきながら、一品ずつ気に入った器に盛っては、目を楽しませつつ酒に舌鼓を打つのが毎日の楽しみですね。

月曜担当…池田光



2016年5月8日(日)
「潜学講座」                          日曜担当…八木正典

子貢、君子を問う。
子曰わく、先ず行う、其の言は而る後に之に従う。


5月の潜学講座に参加させていただきました。
第一講の佐々木先生の講義では、世界一のオリエンテーションを題材としてディズニーランドで採用されている考え方を教えていただきました。お客様(ゲスト)を迎えるための、SCSE(Safety、Courtesy、Show、Efficiency)の4つの鍵を楽しく学ぶことが出来ました。ディズニーの未完成のまま常に更なる進歩を目指していくという考え方を自分の生き方にも取り入れていきたいと思います。
第二講の田処先生からは、中村天風のクンバハカの考え方や位置付け、実際の方法や効果を丁寧に説明していただきました。天風哲学の実践面での理解が進む素晴らしい講義でした。今日からスタートし、「習慣は第二の天性」という領域まで進めてみたいと感じさせられました。
最後に、ショート講義で池田先生から「働く君に贈る中村天風45の言葉」の解説をいただきました。著者自らが自身の書の説明をしてくれるという他では考えられない贅沢な講義で天風哲学の理解が一層深まる内容でした。形から入ることを体現しながら絶対積極の大目的を忘れることなく過ごしていくことの必要性を学ばせていただきました。
今回の講座でも、多くの方の謦咳に触れ、その中で自分の考えに大きな変化が生じているのを感じます。講義を通じて多面的な視点を与えていただき本当にありがたいことです。引き続き更なる高みに向け、一つでも多くを自身の行動の中に取り入れて学びを深めていきたいと思います。

日曜担当…八木正典



2016年5月7日(土)
神楽                              土曜担当…佐々木秀彦

人生初の出雲大社参詣は快晴でした。
黄金週間だったこともあり、多くの参詣客で賑わっておりました。
僕は「美しい場所!」という印象を持ちました。
澄んだ青空と、新緑が爽やかなコントラストを描いていたという視覚的な印象ももちろん影響しているのでしょうが、美しい以外に表現が見つからないという感じです。

参道の途中の芝生に舞台を作って、神楽を演じておりました。
説明によりますと、お祭りの時は、夜通しやっていたそうです。僕らが通った時はヤマトタケルが鬼と戦っている演目をやっておりましたが、これに3歳の娘は注目してしまいました。其々が能面とはまた違う、白塗りのお面を被ってヤマトタケルと鬼が2人、計3人が演じているのですが、笛・太鼓のお囃子に合わせて刀を振り回し激しく舞い踊る様子を娘は固唾をのんで見つめていました。
興味がありそうなのでもっと近づいて観ようと言うと、怖いから嫌だと拒否します。しかし大人の都合で時間を気にしてもう行こうと言っても、頑としてその場から離れようとしません。結局演目終了まで小一時間、神楽舞台前に佇むことになりました。

帰りの車の中で感想を聞くと、「鬼がケンカごっこをしてた」と表現しました。
天照大神が岩屋戸から出たくなるくらいの面白そうな舞が神楽の起源です。3歳児の心を引き付けても至極当然という出来事ではあるのですが、僕にはとても新鮮なことでした。

京都出身の僕は、東京で京都観光の相談を受けると、必ず絶対に3箇所以上は寺社巡りをしないようにと言っていたことを思い出しました。僕も含めて旅行をするとついつい多くの場所へ行きたくなります。しかし神社仏閣に関しては、一日そこで時間を過ごすからこそ感じることがあります。これが大事です。写真を撮るだけが目的になっては逆に勿体ない時間の過ごし方になるよと、20歳ぐらいの僕が言っていたことです。娘のおかげで出雲大社ではゆっくり時間を過ごすことができました。

出雲って言葉、「いつも」と似ているけど、もしかしてそこに大きな意味がある???
青空に雲が湧く様子と、空から神様が現れるのと似ているから「出雲」???
3人の踊り手が刀を振り回しているのに誰にも当たらないのは相当練習したよね…
巫女さんが鈴を鳴らすお神楽もきっと起承転結の筋書きはあるんだろうな…

…ヤマトタケルの神楽を観ながら僕はそんなことを考えてはいたのですが、神楽のお囃子はそんな思いにも共鳴してくれるように僕の心に響いておりました。

土曜担当…佐々木秀彦



2016年5月5日(木)
真実は?                           木曜担当…西端努斗夢

世の中には情報が氾濫しています。何か知りたいことがあって調べてみると、相反する情報や多数の異なった情報に遭遇します。


例えば、邪馬台国は九州にあったのか、大和にあったのか? 原発事故の起きた福島は今、住んでも大丈夫なのか、危険なのか?

どれが真実か、自分で確認できるものは問題ないのですが、確認できることばかりではありません。
そんな時、私は本心の声を聴くようにしています。

ところが、自分の心が澄んでいないと声が聴こえなかったり、聴き間違えてしまうのです。


私にとって、湧くわく本心塾での学びは、本心の声を聴くためでもあります。

木曜担当…西端努斗夢



2016年5月4日(水)
ツイてる人になる                       水曜担当…冨樫功

ツイてる人になるコツってのがあって、
その最たるものがツイてる人に会うことだと思います。

「すぐれた人に親しんでいると、気がつかないうちに、自分もすぐれた人になれる。」
このことを仏教では、「熏習(くんじゅう)」といいます。


これが一番楽で簡単で一番得な方法なんです。


ノってる人に会いに行くと必ず元気が出る。

好きなアーティストのライブに行くのもそういう理由です。
会うとその人の波動が感じられて同化していくのです。


人は本能的にそれを知ってるんですよね。
だから有名人に会いたくなるわけです。


パワースポットもいいですけど、人間パワースポットに勝るものなしです。


湧くわく本心塾には、人間パワースポットがたくさんおられます。
毎月塾生のみなさんと会うことでたくさんの元気をいただいております。

水曜担当…冨樫功



2016年5月3日(火)
形がなくなるまで噛むという事を忘れちゃいけない   火曜担当…柿原まゆみ

スイーツ特集、グルメ番組の食レポーターの方の言葉を聴いていると“やわらか~い” “ふわふわ~” “溶ける~”と必ず言っています。

現代人の噛む回数は弥生時代の人に比べて6分の1程度。(?何で弥生人が現代人の6倍噛んでいたってわかったんでしょう?考古学者は凄い)

戦前の日本人と比べて半分以下だそうです。
噛む回数が多いと美容、健康だけでなく幸福度にまでも高まると言われています。

よく噛む事で顎の筋肉が発達し、フェイスラインがスッキリし小顔効果が出たり、唾液の分泌を増やすことで、虫歯や歯周病の予防効果が増します。
また、噛むことで副交感神経が優位に立ち、リンパ球が増え、免疫機能が向上します。
結果、健康な身体を維持することが出来ます。

そして驚くこんな効果も。

咀嚼することで幸せホルモンと言われている
セルトニンが分泌されるとの事。
セロトニンが十分に分泌されればストレス解消につながり幸せな気分が高まります。

一口30回と言われていますが
天風先生は、50回噛む事をおっしゃいます。

最初から50回噛む事を目標にせず
まずは今の回数にプラス10回を目標にしたいです。
噛む回数を管理してくれるアプリもあります。
設定回数以下なら音がなります。
ゲーム感覚で習慣化するのもいいかもしれませんね。

以下
中村天風『打たれ強く生きる100の言葉』より

胃の中には歯はない。口の中にある歯で
噛み砕き、食道から胃に送るまでの間に
完全な麦芽糖状態を作る。

噛むと口腔内にある唾液腺から唾が分泌される。この唾だけが、人間の食い物の中でいちばん分量の多いでんぷん質を完全に溶解し、消化してくれる。

唾は万病の薬であり、唾を飲み込むだけで
一服の薬となる

火曜担当…柿原まゆみ



2016年5月2日(月)
無題                              月曜担当…池田光

還暦祝いに、赤い包みを奥さんからもらったのは数日前。

ぼくの還暦は昨年のことだが、一年以上も遅れたのは、
「買い置きしてたら、すっかり忘れていた」
から。
ゴールデンウィーク前に整理していたら、出てきたと。

 

赤い包みのなかに入っていたのは、錫の小物。
老ねずみが本にうずもれたなかで、書にいそしんでいる姿である。
ぼくのイメージに近いそうだ。



十年も前のこと。
旅行会社の依頼でヨーロッパに出張した仕事の相棒から、お土産にもらったのも、同じシュバイツァー製の錫の壁掛けだった。
書庫のなかで、あれこれ本を探している紳士が、肱や脚に本を挟んでいる姿である。



同い年の奥さんに、ぼくから還暦のプレゼントをしたのは、「The Yamatepolitan Museum of Artの公式ガイドブック」を作る権利。
彼女は昔からグリコのおまけサイズのものを集めていて、このガラクタのコレクションを「ヤマテポリタン・ミュージアム」と名づけている。
ガイドブックは実現するかどうかわからないらしいが、とりあえず進行中とのこと。

月曜担当…池田光



2016年5月1日(日)
「人間の土地」                        日曜担当…八木正典

人間であるということは、とりもなおさず責任をもつことだ。
人間であるということは、自分には関係がないと思われるような不幸な出来事に対して忸怩たることだ。
人間であるということは、自分の僚友が勝ち得た勝利を誇りとすることだ。
人間であるということは、自分の石をそこに据えながら、世界の建設に加担していると感じることだ。


ある方に勧められてサン=テグジュペリの「人間の土地」を読みました。
まだ、安全が確立されてなかった飛行機を駆使して自然に挑んでいく姿が描かれています。
世界を広げていくことに対する使命感、死の直前の極限状況からの生還とそれに到る思い、新たな世界を一緒に切り開く仲間との友情を十分に堪能することが出来ました。

最後まであきらめず自分で道を切り開く勇気と粘り強さを持ち続ける。そして自分の目の前にある一つ一つの行動に責任をとり続けていく。
そんな思いを自分が常日頃からどれほど持てているのか、失わずにいられるのかを改めて感じさせられました。

日曜担当…八木正典



2016年4月30日(土)
後姿                              土曜担当…佐々木秀彦

僕の後姿はどんな印象を醸し出しているのでしょうか???

プロ野球中継を見ていると、その打者がヒットを打ちそうか、ダメなのか大体わかります。その打者がどんな意識で打席に立って、投手に対峙しているのか見ればだいたいわかるからです。プロ野球中継は打者、投手に限っては顔の表情をしっかり映してくれます。呼吸の一息一息、手の仕草、足の運び、首の角度、目線の動き等々、プロのカメラマンは見事に一挙手一投足を逃しません。

親の背中を見て子は育つという諺があります。出典は不明ですが、現代では有名な諺です。

僕は役者の頃、立ち姿を強く意識しました。渋谷の街頭に立って道行く人の職業を推測することを何時間も何時間もやっていたこともありました。背中にはたしかに表情があります。その表情を磨くために道端でただ行き交う人をチェックしつづけるわけです。

武道の達人は、技をかける時の後姿が美しく、無駄な動きが一切ないという話を聞いたことがあります。確かに他のスポーツでも、後ろから見ているほうが、その選手の力を量るには有効な気もします。

僕は不動産屋なのですが、街を歩いて不動産屋っぽいなと感じる人は、ほぼ不動産屋に間違いないです。どこが違うのか明確な基準はないのですが、とにかくわかるから不思議です。

役者のような作り込んだ後姿という意味ではなく。本来の僕が本来のままで美しい後姿で存在するためには、本心を磨くしか術はないと認識しています。後姿を美しく見せるための意識は無意味なので今更しませんが、日常の動作の後姿が美しい人間を目指して、本心を磨いていきたいと思います。

土曜担当…佐々木秀彦



2016年4月28日(木)
リンゴは落ちている                     木曜担当…西端努斗夢

ニュートンは、木からリンゴが落ちるのを見て万有引力を思いついたという逸話がありますが、その真偽の程は不明です。
ただ、この話から言えることは、日頃から課題や疑問、目標を持ち、答えを求め続けていれば、リンゴが落ちるという何でもないことからも、答えが閃くということではないでしょうか。逆に言えば、答えを求め続けていなければ、ただリンゴが落ちただけで終わってしまいます。

現代社会では、無数の電波が飛び交っていて、テレビでチャンネルを合わせれば、見たい番組が映し出されるように、宇宙空間には、あらゆる情報が飛び交っていて、心のチャンネルを合わせれば、何らかの現象を通して必要な情報が得られるようになっているような気がします。
もしかしたら、私の目の前で今もリンゴが落ちているのかもしれません。それに気づくために、学びと実践を通して心を磨き、感度をアップさせていきたいです。

木曜担当…西端努斗夢



2016年4月26日(火)
「人としてすべき三つのこと」                火曜担当…柿原まゆみ

不平不満を心に抱くと、その心は卑屈になり、委縮的になり、自爆的になる
感謝本位の生活を現実にするために、常に正直と親切とを心的生活のモットーとし、
また自己の心をいつも愉快な気持ちで持続するように努力することである。
これを三行の実践という。

誰だって喜怒哀楽があり、人間であるかぎり、この感情は湧いてきます。
天風が教えているのは、マイナス感情が浮かんだら、サッと心機転換することです。
「怒らず、怖れず、悲しまず」の「怒らず」の正しい読み方は「いからず」です。

人としてすべきことを「三行(さんぎょう)」としてまとめました。
正直、親切、愉快の実践をすすめています。

いつとはなく不平や不満をもたらしている人は、感謝の気持ちが乏しい人です。

                 中村天風 打たれ強く生きる100の言葉より


自分自身と聞いている相手も「愉快」と感じて頂ける1つに
「今だから笑って言える失敗談」がお勧めです。
管理職の方が部下に失敗談を話すことで、部下が親しみを感じ人間関係が良好になります。
わたくし、沢山の失敗を重ねていて今では話のネタにしています。

友人の結婚式でスピーチを頼まれ、「赤ちゃんを授かって良かったね~おめでとう!!」と話すと会場の空気が凍りつき、ざわざわとしだしました。
今では珍しくはない「授かり婚」ですが、当時は、「計算が合わない!!」と
言われた時代。あの瞬間は全身から冷汗が出ました。
打ち合わせで妊娠したことを話してくれたので親族は皆さん
ご存知を勘違いし、スピーチで言ってしまいました。友人は今では笑って許してくれていますが確認が必要でしたね。その後のスピーチを依頼された時は話す内容を確認しています。

子どもの頃にコップや茶碗を割ってしまったときに
母がいつも「形あるものは壊れる」といい、叱られることはありませんでした。
この言葉に何度も救われました。
人間は完璧ではないので失敗は起こします。人がミスをした時に「許すこと」「かける言葉に気をつける」ようにしています。
「なんで!」「どうして!」「信じられない」と言ったところで何の解決にもならないです。

「一流の人に学ぶ自分の磨き方」という書籍にこのように書かれていました
一流の人は失敗の達人である。二流の人は失敗を苦痛とみなし、プライドを守るために失敗を避けるべきと考える。
だからできるとわかっていることしかしようとしない
また失敗をしないことに集中して多くの時間を空費する。失敗から何も学ぼうとしない
「失敗のアマチュア」だ。

一流の人は失敗を成功の条件とみなし、失敗を教師として教訓を学ぼうとする。
彼らは「失敗のプロ」だ。一流の人は失敗を生かして成功に結びつけることを考える。

失敗を正直に受け止め改善し、愉快に対応する。そして失敗した方に対して親切にすることは天風先生が言われる三行になるのではないかと考えます。

火曜担当…柿原まゆみ



2016年4月25日(月)
無題                              月曜担当…池田光

20日間の休憩を取っています。
来月8日までです。

今月は、14日に立花大敬先生の『しあわせ通信』第十集を出版することができました。
また、18日にオーディオブックの原稿を納品し、昨年の冬から手掛けていた仕事に区切りがつきました。

今のペースでは、年に二回ほどこのような区切りが発生します。
昔のぼくは、ポートフォリオのように仕事を重ねて、「生産性」とか「効率」という行動律に突き動かされながら、スケジュール管理していました。
……もう、そんなことは、やめ、やめ。
今は、仕事が完了したら休憩を取り、その休憩を楽しむことを、無上の楽しみにしています。

この休憩のなんと豊かなこと。
プレッシャーのようなものから解放され、ゆっくり気楽に本を読めます。
外にはあまりでかけません。
義理のようなお誘いは、なるべくスルーしています。
それでも、この20日間のうちで外に出かける予定は、5日あります。
最近始めた「和装本づくり講座」の参加が1日。
5年前から学んでいる「漢文読解講座」が1日。
湧くわく本心塾の「潜学講座」が1日。
……そんな感じです。

家では、仕事部屋と、書斎や書庫への階段を往復しつつ、書斎では好きな音楽をかけて缶ツマを肴にお酒を飲んだり。

この休暇中に、和室に隔離している本の整理をしたいと思っています。
必要がなくなったけど、市場価値がある本を和室に置き始めて8年。
3千冊近くになりました。
床に積んでいるので、この8畳間には足を入れるだけのスペースしかありません。
ここをなんとかしたいと思っています。

あと、いらなくなった服を捨てたいと思います。
コンサルタントの仕事を退いてから、背広を着たりネクタイを締めることがなくなりました。
思い切って捨てたいと思います。

……ということで、ぼくは今、整理と楽しみの真っ最中です。

月曜担当…池田光



2016年4月24日(日)
「別れ」                             日曜担当…八木正典

4月の人事異動で部下が2名転勤となりました。
業種柄、常に転勤はつきものですが、親密に深い時間を過ごしてきただけに寂しく感じるものがあります。多くの案件を一緒に行ってきただけに振り返ると思い出深いものがあります。
出会いと別れは世の常です。
寂しい思いを胸に、またどこかでそれぞれの成長を感じられる再会を楽しみにしながら、笑って送り出したいと思います。


この世にはお前以外に誰も辿ることのできない唯一無二の道がある。
それはどこに通じているのだろう。
問うことをやめ、ただその道を歩いて行きたまえ。

日曜担当…八木正典



2016年4月23日(土)
神道                              土曜担当…佐々木秀彦

僕は無信仰です。信仰や宗教を尋ねられると日本人の7割がこう返答するそうです。そういう意味では僕も平均的日本人ということになります。

無信仰とは言っても、嫁と結婚式を挙げた京都の八坂神社に毎年お正月は初詣に行きます。子供の七五三詣りも八坂神社でした。節分は京都の吉田神社です。お彼岸、お盆、法事には浄土宗の住職が仏壇にお経をあげにきてくれます。旅行に行ったらその地方の神社仏閣を詣でることも多いです。

1868年に明治政府は神仏分離令を発したということですが、奈良時代前後から伝来した仏教と日本古来の神道が神仏習合の形で続いてきたことに対する、王政復古の大号令の理想実現のため神道国教化の方針だったということです。

僕は神道に最も共感するところが、「やおよろずのかみ」です。八百万の神ということはお米一粒に七人の神様がいることも、トイレの神様も、代打の神様も、みんなみんな肯定できます。フランスの教会のマリア像にも、インドネシアへ行って街の寺院でも、謙虚な気持ちで参拝ができます。

池田塾長に心の大きさは宇宙の大きさと教えていただきましたが、心の数は八百万あるということならさらに僕の気持ちと重なります。人間は同時に複数の本音を心に混在させます。男女交際の2股、3股を肯定するわけではありませんが、八百万の神様が心に存在するなら、八百万種類の魅力にそれぞれ反応する能力があるということでしょう。あるモノを見て、怖いという気持ちと面白いという気持ちが混在することも、苦いけど美味しいとか、悲しいけど清々しいとかいう気持ちも、心に八百万も神様がいれば必然のことです。

僕は日本神話の神様は大好きです。天の岩戸へ隠れて出てこないという神様を八百万の神々が楽しそうに笑っていることで岩戸を開けさせようと策略する神様だったり、思惑にまんまとひっかかって岩戸を開ける神様だったり。黄泉の国まで迎えに行ったのに地上近くになったからとうれしくなってついつい約束を破って振り返った神様だったり。乱暴して怒られたり、悲しんで籠ったり、面白くて笑ったりと見事に人間らしい喜怒哀楽に忠実な神様のオンパレードです。

僕の場合は単純に、自然への畏敬と感謝、先祖に感謝、というところではあるのですが、これからは無信仰と答えずに、神道ですと胸をはって答えるようにしたいと思います。

土曜担当…佐々木秀彦



2016年4月21日(木)
妄念・妄想                           木曜担当…西端努斗夢

池田塾長の著書『中村天風 心が強くなる坐禅法』を読み、付録CDを聞きながら坐禅をしているのですが、いつも妄念・妄想が湧き上がり、溺れそうになっています。
先日も、こんな妄想が湧き上がってきました。



もしかしたら、形がエネルギーを集めたりつくり出したりしているのではないだろうか?
ピラミッドのあの形、行者が結ぶ「印」、文字、紋章、シンボルマークも……
そういえば、我が家には六角形と五角形の32面体からなる「しあわせの珠」というのがあって癒されている。
もしかしたら坐禅も、座っているこの形に意味があるのかも?



妄想はどんどん広がり、いけないと思いながらも、その中に浸ってしまいます。
私にとって無我無念は、まだまだ遠い世界です。

木曜担当…西端努斗夢



2016年4月20日(水)
改めて感謝の意味                      水曜担当…冨樫功

五日市剛さんは、
いいことがあったら感謝します。
悪いことがあったらありがとう
と言うことを提唱されてました。


ずっと引っかかっていたのです。

同じじゃないの?
何か違うの?と思ってました。


国語辞典によると、感謝の意味は

ありがたく思って礼をいうこと。
心にありがたく感ずること。
ありがたいと思う気持ちを表すこと。また、その気持ち。


やっぱりありがとう入ってるし、
めっちゃ似ています。
微妙な違いはあるけど、どうもわからない。



でも、これはもともとイスラエルのおばあさんが
五日市さんに言ってたんですよね。

ということは、英語に直すことでみえてくるかもしれないと思って調べてみました。


英語で感謝しますはappiciate、
ありがとうはthank you。

ここにヒントがありそうです。


appiciateには感謝するの他に、評価する、という意味があります。

語源をたどると、ap(…に)preciate(priceから変化)ということで「値をつける」が原義とのこと。そこから、「(正当に)評価する、良さがわかる」→「(評価して)感謝する」と意味が広がっていったようです。


感謝はありがとうという気持ちを表すこと。

つまり肯定的な評価をするということと言い換えてもいいかと思います。



小林正観さんの話でこんな話があります。

お父さんに虐待を受けていた人の話です。
その方は何十年も父のことが許せなかった。

正観さんは聞きます。

「お父さんを愛することはできますか?」
「愛せません」

「許すことはできますか?」
「許せません」

「それでは、感謝することはできますか?」
その瞬間にこの方はひざを折って嗚咽しこういったそうです。
「・・・感謝ならできます・・。」



この話を見て、感動する人もいるでしょう。

でも自分は「感謝ってなんやねん」という気持ちが深まるばかりでした。

感謝ならできる?
どういうことなんだろうと。


今、肯定的な評価をするという考えで捉えると、
ある程度わかる気もします。


虐待をされてても、結局この世に生まれることができたのは父のおかげであり、
今日まで生きながらえたのも父のおかげ。


一定の評価、ありがたさを感じることはできたのでしょう。


ありがたい。
ありがとうの気持ちを評価して、表すとき。


そのときに感謝という言葉が使われるようですね。




これを踏まえると、五日市さんの言葉もまた意味を深めます。


いいことがあったら感謝する。

ありがたいという気持ちを具体的に認識します。
そのことを感謝するのです。
これがありがたい現象をさらに深めます。

人は認識したものをまた惹きつけるという性質がありますからね。
引き寄せと言ってもいいですけど。

ありがとうと言っていたらさらにありがとうと言ってしまうような現象が起きるのです。

ありがとうという気持ちを表現することを感謝と言うわけです。



悪いことがあったらありがとう。

悪いことにいいことは見つけられないかもしれません。
それでもまずありがとうと言ってしまう。
それでこれ以上の悪化を防ぐ。


この考え方もすばらしくて、
人生には起こって欲しくないことも起こってしまったりするんですよね。


でも、起こったものはしょうがないとして、
それを最小限にとどめる。

そうするための最強のおまじないが、ありがとうと言うことなんでしょう。




調べると論語には感謝という言葉はないのです。

感謝は2500年前の中国にはなかった意識のようです。



英語の自己啓発本にはよく感謝できることを書き留めるワークが載っています。

これはappiciateという言葉に起因しているんでしょうね。

あとappiciateにはお金が増える、値上がりするという意味もあるのが見逃せないところ。

感謝してる人が豊かになるというのにも関連してそうです。

水曜担当…冨樫功



2016年4月19日(火)
積極こそ、薬の中の薬                   火曜担当…柿原まゆみ

積極的に生きるとき、思いもよらなかった力が発揮できる。
もともと人間には強い生命力が具わっている。
前向きに生きることで、この力がむくむくと湧き上がってくる。
どんなに途中では挫折や失敗を繰り返そうと、
「いいことがある。ますますよくなる。きっとよくなる。かならず良くなる。」と念じ続け、信念を強固にすれば花が咲く。

その秘訣は「プラスの癖をつける」ことだ。
プラスの癖が人生において成功と幸せを保証する。

新しい癖は獲得するにはただ、ひたすら繰り返すことである。
繰り返せば第二の天性になる。
一番簡単な方法は、寝際に「お前はプラス人間になれ」と命令することだ。
そして目覚めた時に私はプラス人間になったと断定することである。

いくら良い薬を用い、栄養を豊富に摂取し、その他の
肉体的な方法を実行しても心が消極的である限りは健康一つでさえ思うように
建設できず、いわんや運命開拓の力などは思いもよらない。

                     働く君に贈る中村天風の言葉より


テレビ番組、通信販売、ネット、雑誌に至るまで健康に関する情報は多く
「〇〇を食べると痩せる」「〇〇を取ると血圧が下がる」「〇〇は●●病にいい」など
見ない日はありません。その情報の翌日にはスーパーの棚からその食材はなくなり
売り切れ状態です。私も「納豆を食べると腸の調子が整う」と聞き、苦手な納豆を食べています。積極的に食べると言うよりどちらかと言うと無理をして食べていたように思います。天風先生のお言葉から「積極的に思わなければいいものも効かない」との事。
だったら美味しいと思うように食べればいいのだと思いました。

■納豆の何が苦手なのか→ニオイがなじめない→ニオイ控えめを購入し、香りの強い薬味を入れる

■納豆の何が苦手なのか→ねばねばする→良くかき混ぜると粘りがなくなる。または
かき揚げにするとねばねばが取れる。工夫次第で積極的に取れます。
また肌の調子が良い時は「納豆を食べているから肌の調子がいい」と自己暗示をかけています。薬もサプリメントも苦手な食べ物も同様だと思います。
まずは「これは身体にいいもの」と思って積極的に摂取することがそれぞれも
持っている力を発揮し、自ら持っている生命力もアップするのだと学びました。
命を頂いて自分が今日を活かしていただいているのですから感謝して頂くことで
より健康に過ごせ、一層生命力が高まるのですね。

アルコールは、「酒は百薬の長」といわれ適量を守れば、血行を促進し緊張感を和らげ、体に良い働きをもたらします。
「節度ある適度な飲酒量」を調べたところ
1日平均アルコール量で20g程度。アルコール 度数はお酒の種類によって異なりますが、だいたいビール中瓶1本(500mL)1本、日本酒1合(180mL)、赤ワイングラス2杯(200mL)、焼酎半合 (90mL)くらいが適量とされているので、それ以上飲んでしまうと身体に害になるそうです。とほほ・・・お酒好きには辛いデータです。

火曜担当…柿原まゆみ



2016年4月18日(月)
無題                              月曜担当…池田光

江戸時代に、道歌というのが流行りました。
二宮尊徳、石田梅岩らの心学、横山丸三の淘宮術、黒住教などが、
道を説くのに「五七五七七」の形式でわかりやすく表現しました。
以下、読書についての道歌を3首かかげてみます。

■お道歌1
よのわざの  濁(にご)りそめたる  人心(ひとごころ)
文(ふみ)読むほどに  清く澄みけり

<解説>昔、書物というのは主に儒教をベースにした善書を指していました。
だから、世俗に汚れた心は、こうした善なる書を読むことで清くなりました。

■お道歌2
書(ふみ)読めば  昔の人は なかりけり
みな今(いま)もある  吾(わが)友として

<解説>『論語』や『孟子』などの書物を読むと、
孔子や孟子といった聖人・準聖人は、昔の人、過去の人なのではなくて、
みんな今に生きている人であり、我が友とすることができました。
いえ、友とするほどに読み込むことが大切です。

■お道歌3
古(いにしえ)の  道を聞きても  唱えても
我が行(おこな)いに  せずば甲斐なし

<解説>結局、善なる書を読んでも、
それが「我が行い」に反映されなければ、
読んだ甲斐がないのでした。

……ぼくは、41歳のときに、立花大敬先生に出会い、
大敬先生が発信していた『しあわせ通信』を書籍の形で発行するために、
「本心庵」という書店を42歳で創業しました。
来年で、20周年となります。

このたび、ようやく『しあわせ通信』第十集を発行することができました。
この第十集の発行をもって、『しあわせ通信』第一期の完結といたします。

これらの書物が、現世代の人たち、次世代の人たちへの善書となることを
ぼくは心から願っております。
たとえ、大敬先生に会ってなくても、『しあわせ通信』を読めば、
それは、大敬先生を「我が友」とすることです。



もう一つ、ぼくは中村天風先生のことも書き残しておきたいと思っています。
天風先生が逝去されたのは、ぼくの13歳のことであり、
天風先生にお会いしたことはありません。
ですが、天風先生の本を、何度も読み返しました。
それでも足りないと、近くすべての著作を精読するつもりでいます。
いつしか、天風先生が近く感じられるようになりました。

あと、4年。
あと4年間、天風哲学に関する本を書きます。
ほんとうに書きたいことを書くので、
出版社さんにご迷惑がかからないように、
ぼくが経営する「本心庵」から発行したいと思っています。

少部数の発行になるかもしれませんが、
ぼくが書く天風哲学の本が、現世代の人たちや次世代の人たちへの
良きメッセージになればと願っております。

月曜担当…池田光



2016年4月17日(日)
「乗り越える」                         日曜担当…八木正典

束縛があるからこそ、私は飛べるのだ。
悲しみがあるからこそ、私は高く舞い上がれるのだ。
逆境があるからこそ、私は走れるのだ。
涙があるからこそ、私は前に進めるのだ。


非暴力、不服従を貫き通し、インド独立を勝ち取ったガンジー。
政府の弾圧に対しても絶対に暴力は振るわず、かといって政府の意向に全く従うことなく徹底的に抵抗していく。その生涯の28年間は逮捕と投獄の連続だったのです。
また、仲間が間違って暴力をふるってしまった場合には、過ちを認識させるために自ら何日も断食を行ったということです。

ガンジーは、非暴力運動を行うにあたり自己の内から生じる弱い心や不安を乗り越えることが重要だと言います。自分の思いを貫く。そして周りのために自分を捧げる。
その思いに心打たれます。
そしてその思いを少しでも自分の中に取り入れたいと思うのです。

日曜担当…八木正典



2016年4月16日(土)
熊本                              土曜担当…佐々木秀彦

地震・雷・火事・親父…
ブログ担当が今日僕の順番というのも何か大きな縁を感じます。
熊本地震が発生しました。震度7というのは体験したことのない僕には想像の範疇を超えています。一体どんな状況なのでしょうか…???

僕の母は熊本県の出身です。僕が水俣病であるのは生後約1年熊本で育ったことに起因します。祖父・祖母は他界しておりますが、熊本には現在も親戚はおります。

火の国熊本!…こんなキャッチフレーズを聞いたことのある方も多いのではないでしょうか。過去には肥前(佐賀・長崎)肥後は一つで、火国(肥国)と称されておりました。肥前は雲仙(普賢岳の火砕流の印象はまだ残っているかと思います)、肥後は阿蘇山が鎮座しており、火山があるから火国と称されたという説が一般的です。

火山の近くにある地域です。地震に関しての意識はやはり高いです。そういう意識の高さは、震度7の地震なのに行方不明者や倒壊家屋の数値が低いことで証明された結果となっております。
熊本市民の地震に対する意識にもう一つ、明治22年(1889年)の金峰山地震(熊本地震)があります。都市で起こった日本で一番最初の地震と言われています。この金峰山地震も今回と同じ直下型だということです。

地震が起こって今約26時間が経過した段階でこのブログを書いておりますが、今後まだまだ余震は続くでしょう。そして様々な検証がされていくことと思います。しかし結局、そこに暮らす人の意識で、地震は避けては通れないけれども、被害は少なくすることはできるという気がしました。何事も意識を留める心でいることが大切なんだと感じました。

「余震がまだまだ続いているので本棚その他まだ倒れたままにしておこうかな
 この際壊れ物と一緒に捨てまくろうと思っています」
…僕の熊本市在住の叔母、地震10時間後のメールから抜粋…

熊本の女性の肝っ玉には定評がありますが、日本列島は熊本同様に地震が頻発するのは国民全員の意識にあるところです。僕も日本に暮らしているからにはそういう覚悟をもっとしっかり持たなくてはと叔母とのメールのやりとりで気づかされたことです。

災害ボランティアも、義援金も、もちろん大切なことですが、まずその前に、自分が震度7に遭遇した時、何を守って何を思うかをイメージしてみること、そしてその時自分なら次にどう行動するかを意識してみること、そして現実には通常通り普通の暮らしができていることに感謝することをしてから、義援金なり災害ボランティアなり熊本産の商品を購入するなりの行動をするほうが、心がこもっていき易いかなと思います。

末筆になりましたが、意識はどんなに高くもっていたとしても、そことは関係なく被害はやはり起こります。今回被災されました方々に心よりお見舞い申し上げます。

土曜担当…佐々木秀彦



2016年4月14日(木)
しあわせ通信                         木曜担当…西端努斗夢

立花大敬さんのしあわせ通信第10集『私って最高! 自己否定の罠から抜け出すために』が本日、届きました。
さっそくページをめくってみましたが、毎月「しあわせ通信」を読むのとはまた違った味わいがあります。

その中で、感慨深いのは、岡田武史氏のお話です。
以前、精神的に行き詰って、大敬さんに長い手紙を書いたことがありました。数日後にいただいた返信には、「西端さんがもう一つ上に進まなければいけない時です」というような内容の短い叱咤激励の言葉とMSNニュースをプリントアウトした岡田氏の記事が入っていました。
そして、しばらくして送られてきた「しあわせ通信」に書かれていたのが、65ページ以降に掲載されている岡田氏のお話です。
手紙と岡田氏の記事を読んだだけでは、大敬さんの真意がもうひとつ理解できなかったのですが、しあわせ通信を読んで、叱咤激励の意味を理解することができました。
当時、この「しあわせ通信」を読んだことで、私の中の何かが少し変化しはじめたのです。それによって、今の私があるのだと思います。

それにしても、岡田氏のお話は、今、読み返してみても、大敬さんが私のために書いてくれたのだと信じて疑いません。

木曜担当…西端努斗夢



2016年4月13日(水)
水垢離二年継続                       水曜担当…冨樫功


これで730日継続中です!


水垢離(みずごり)。

初めて聞いたときは「なんて物好きな人がいるんだ」と
自分がやるとは夢にも思いませんでした。


それがその数日後には天啓を受けて、
今では2年継続。


人生何があるかわからないものです。


水垢離やって何が変わったんですか?
と、聞かれることがあります。


正直、わかりません。

ただ、はじめは死ぬかと思った水を浴びるという行為。
死の危険を感じるほどに感じた水。

これを何も感じずできるようになりました。


いや、冷たいですよ。
冷たいながらも、それを受け流せるようになった。


本当にそれだけです。
二年継続してできるようになったのは、

水をそれほど苦を感じずに浴びられるようになった。


これだけw。


でも、この微差が小さな行動力を上げるのに役だっているのかもしれません。


まあなんだっていんです。

毎日継続。

この事実が自尊心をどこまでも高めてくれます。


水垢離を始めたとき、これをいつか人前で話す時が来る予感がしました。

いつか。
1000日以降くらいに思ってました。


でも、実際には1年半くらいでその時はやってきました。


ゴールに向かって、
一歩を踏み出し、
行動を継続すると
なぜが当初の予定よりずっと早く目的地に着いてしまいます。


これを加速の法則といいます。


たとえば100万円貯めたい。
でも、月に5000円しか貯金できない。

そうすると、単純計算だと200ヶ月かかります。
200ヶ月というと16年半くらい。


おそろしいほど長い時間です。


でも、16年半かかるからやめるのか、
16年半かかってもやるのか。


結局やるかやらないかだけなんです。
今、どっちを選ぶかだけなんです。


月5000円でもやりはじめると、
なぜかうんと早く100万円が貯まってしまうのです。


今日ある方に、またこれを証明する
報告をいただきました。


その方は借金がたくさんありました。
仕事は好きだけど給料は安い。
昇給のあてもない。
借金を返すだけの生活で希望が見えない。

そんな愚痴を吐いてました。

なので、日本最高の福利厚生に守られて
お金が貯まる環境の仕事をオススメしました。


そこで仕事をすれば、とりあえず数年で借金は返せるはず。


その方は助言通り、転職しそこで働き始めました。


するとです。
急に臨時収入が百万単位で入ってくることになり、
借金返済のメドが立ち、もともとの好きだった仕事に戻るとのご報告。


グチグチ不平不満を言いながら、
借金に対して向き合わなかったらこうはならなかったと思うんです。


まずは向き合って、
早期返済しようと決めて、
仕事も変えた。
確実に一歩を踏み出した。


そうすると、その一歩に宇宙は応えて
加速の法則で思いを実現してくれます。


湧くわく本心塾のご縁で水垢離を知ることができたことに
感謝です。

水曜担当…冨樫功



2016年4月12日(火)
人間は「幸福に生きる」ようにつくられている      火曜担当…柿原まゆみ

人の生命の内奥(ないおく)深くに、潜勢力(せんせいりょく)という微妙にして
優秀な特殊な力が何人にも実在している

人には、誰の力の中にも自己を強くし、健康や運命を幸福に導いてくれる
巨人のごとき力がある。
不幸にも多くの人々は、自分自身を強い面から評価しないで、弱い面から評価する

       働く君に贈る中村天風45の言葉より


人を誉めると「そうでしょ」「そうなんです」「その通りです」とかえってくることは
ほとんどなく「いや~そんなことはないですよ」「まだまだですよ」「そうですか??」と
謙遜していらっしゃるのか誉めたことを違いますよと返ってきます。

以前は私もそうでした。誉めて頂いても素直に受け止めずにいました。
最近はそうでなく、誉めて頂いたら 「ありがとうございます」「嬉しいです」「励みになります」と応えています。

相手の方が良い面(強い面)を見てくれて、それを誉めてくれることは有り難いことです。
誉めてくれることを「NO」「違う」と言ってしますことは、弱い面を評価していることになると思いますし、相手を否定することによって良い人間関係を構築することができなくなります。

誉めてもらったときは、嬉しいことを表現すると相手の方も「誉めて良かった」と嬉しい気持ちになり、また誉めてくれます。このことはモチベーションアップに繋がり仕事がうまくいく、健康にも良い等「幸せに生きること」が出来るのです。


『自分の事を大切にしなければ、他人の事を大切に出来ない』とお教え頂きました。
「これいいよ」と教えてもらいやってみたことは100個、自分の好きなところを書いてみると言うことです。誰にも見せないのですから他人と評価が違っていいのです。

最初は人から誉めて頂いたことを書いてみました。
・姿勢がいい
・声が聴きとりやすい
・男前????(いい意味です)

その時100個でなくても大丈夫です。
気が付いた時に書く。照れずに。
そうすると100個の自分の好きところが完成します。

真面目なところ→真面目に育ててくれた両親に感謝
風邪をひかない→健康でいれて有り難い
好奇心がある→良い情報をくれた方に感謝

自分の良いところから感謝が生まれます。

まずは誉めてもらったら「ありがとうございます」と言う。
私たちは幸福に生きるようにつくられていますから。

火曜担当…柿原まゆみ



2016年4月11日(月)
続・こころの添え木                      月曜担当…池田光

越智さんが逝かれました。
この3月18日の午後7時だったそうです。

奥様からの知らせには、
「自然死にて逝き、天風先生のご本2冊と共に、今も読みながら笑顔でいると信じます」
とありました。
「天風先生のご本2冊」というのは、ぼくの本のことです。



2015年12月7日のブログに、越智さんのことを書きました。
ミニ月刊新聞「こころの添え木」を発行されている越智さんが、「筋萎縮性側索硬化症」という難病を発症したという記事でした。
それから約3か月ちょっと……。

筋肉が日々萎えて行き、今日できたことが明日にはできなくなるという状況のなかで、
弱音を吐かずにぎりぎりまで生きようとした越智さんは、
この病を受け入れて、家族にも文句ひとつ言いませんでした。

立派でした。

月曜担当…池田光



2016年4月10日(日)
「戒語」                             日曜担当…八木正典

言葉の多き 口のはやさ あわただしくものをいふ
ものいひのくどき さしで口 おれがかうした かうした
人のものいひきらぬうちにものいふ わがことを強いていひきかさんとする
人の話の邪魔をする 鼻であしらふ 酒に酔ひて理をいふ 
おのが意地をいひ通す あやまちを飾る ひきごとの多き
好んで唐言葉を使ふ 田舎者の江戸言葉 学者くさき話
風雅くさき話 語りくさき話 茶人くさき話
たやすく約束する 人にものくれぬ先に何々やらう くれて後そのことを人に語る
返らぬことをくどくど口説く 推し量りのことを夜来になしてゐる 
己が氏素性の高きを人に語る ものの講釈したがる をかしくなきことを笑ふ
子供をたらしすかしてなぐさむ 憎き心をもちて人を叱る。


伊藤肇さんの「人間的魅力の研究」を読んでおります。
二十数年前に購入し読んだものですが、それまで全く興味も関心もなかった古典の世界に私を導いてくれた大切な本です。
上の文章はその中にある良寛の戒語の引用です。昔読んだときそれほど深く感じてなかったのですが、今回読み返していると「人のものいひきらぬうちにものいふ」とか「酒に酔ひて理をいふ」「返らぬことをくどくど口説く」など最近の自分のことを言われているようで反省することしきりです。
ただ、好きな本を時間をおいて読み返していると、昔読んだ時に感動したところと全く違うところに感動したり、同じ言葉に改めて心捕らえられたりして、楽しさ倍増で読書の魅力を存分に感じております。

日曜担当…八木正典



2016年4月9日(土)
天命                               土曜担当…佐々木秀彦

不惑の四十…4月7日の富樫さんのブログを読ませていただいて、僕も50歳の『知命』をテーマにブログを書いたことを思い出しました。富樫さんの文章からご自身をしっかり検証されていらっしゃる真摯な姿勢に、やはり富樫さんは凄いなと感じました。その中に44歳天命説という法則のご紹介がありましたので、僕の場合はどうだったのか気になって確認してみました。

51歳の僕にとって44歳は2009年です。43歳で大阪にマンションを購入して京都から引っ越したのが44歳直前でした。大阪の中では比較的大手の不動産会社でサラリーマンをしておりましたが、マンションの建物管理業務の部署へ移動になり、それに従事しながら就職活動も展開しています。けっこう様々な会社を受けては、不採用だったり、採用されても断ったりしていました。全国展開している会社には若干心が動きかけた様子も確認できます。45歳で元同僚が会社を作るから一緒にやろうと誘ってくれたので、2人で会社の立ち上げから一緒に作りました。

面接を受けていた会社もほとんどは不動産会社でしたし、元同僚が創業した会社も不動産会社でした。振り返りますと不動産業という仕事を一生の仕事として受け入れて、会社従業員という視野ではなく、不動産業界人としての視野に確かに変化したのがこの時期だったように感じます。まだ自分の会社を持つという意識は希薄だったようですが、入社面接という手段を駆使して多様な不動産会社の社長と直接面談を繰り返していたことは、僕の心の不動産業を展開する意識を固めていた作業だったのかもしれません。「大阪」「不動産業」と確かに天命に出会ったという表現もできるかと思います。

また、営業マン気質が強かった僕が、建物管理部門に配属されて、マンションを購入した後、5年、10年、15年、20年、30年、と築年数に従って起こる諸問題を解決する職務を遂行したことは、何より今、不動産を提案する時の大きな経験値になっています。売買という一時期の価値ではなく、生活をすることで経過する年月に応じて状況は確実に変化しつづけ、さらにその対応策まで体験として僕にはあるということは、今の僕の大きな強みになっていると感じます。


富樫さんがきっかけで44歳前後の僕を振り返って見てみたのですが…
人間性としてはかなりの棘があり、サボテンのような印象でした。天然自然に宇宙の法で生きているというよりは、自然を人間が征服しているという西洋的な価値観で固まっていたような気がします。これは毎日の水垢離の時間を増やす必要すらあるかもしれません…

土曜担当…佐々木秀彦



2016年4月7日(木)
謙虚と傲慢                          木曜担当…西端努斗夢

先日、柿原さんがブログで以下のことを書かれていました。


私が実践していることは
「頼まれごとは試されごと」
ご依頼頂いたことはよほどのことが無い限りお引き受けしています。
私にご依頼されることは私に出来ることです。



まったく同感です。私は原則として、法に触れること、物理的に不可能なこと、思想・信条に反すること以外は、どんな依頼でも引き受けるようにしています。

頼まれごとは、神様が「これは君にできることだから、やったら良いよ。たとえ失敗しても学ぶことができるよ」と、私のためにお奨めしてくれていることです。
にもかかわらず、「そんな大役は私には無理です」と、お断りすることは、傲慢。「ありがとうございます」と言って、お受けすることが謙虚なのだと思います。

木曜担当…西端努斗夢



2016年4月7日(木)
人生の指針を一行で                         水曜担当…冨樫功

■孔子は四十にして惑わずと言いました。

十五才で学ぶことを志し、30才になって独立した。
そして40才になって惑うことがなくなった。

短い自叙伝と取れる一節で孔子はそう言っています。


明日、自分もついにその四十を迎えます。


しかし、最近惑わなくなるどころか、
惑いまくりのブレブレです。


しかも、近年まれに見るブレかたです。


これは、軸ができてないことが原因です。

信念体系。
価値観。

これが最近ブレブレ。

何を拠り所にして生きていくのか。
これがわからなくなってきました。

そんな中、こんな本を読みました。
臆病な僕でも勇者になれた七つの教え/サンマーク出版


冒険小説の中にスピ的な考えをわかえりやすく散りばめた本。

読みやすくて、自己啓発的には真理に迫ってる感じがします。
(でもアルケミストみたく魂に響くって感じではない・・)。


この中の教えに「なりたいような夢の物語、ライフストーリーを書け」という話が載っています。
それが、なりたい人生を送る第一歩だと。

そしてそれを書くにはまず『ライフログライン』を作れとあります。

ライフログラインとは、端的に自分の人生言いあらわす一行のこと。


他にも、自己啓発用語では、ライフクレドとか、
ミッションステートメントとか言われますね。


これを作らないといけません。
いや、いけないことはないんだけど、
揺れない軸が必要なわけです。


これまでの人生は、
「楽しそうで面白そうなことをやろう。
迷ったらやったことのない方へ行こう」
って感じで来ました。

今も、心は断然そっちのマインドなわけです。


でも最近の天の声は違うのかなーって感じです。


「肉まん屋を全うせよ」
そんな感じなんです。


以前は純粋に自分=肉まん屋で良かったんだけど、
今は微妙な違和感があって、そこが苦しい。


いや、開業以来ずっと肉まん屋なわけですけど、
それと自分がイコールかっていわれるとよくわからないわけです。


有名な一風堂の河原社長は、飲食店、ラーメン店を10年ほどしても、
天命に会えてる気がしなかったそうです。
あれも面白そう、これも面白そう。
オレの天命はどれかと決めきれてなかったそうです。


でも、テレビチャンピオンで優勝し、みんなが祝ってくれたとき、
心の底からありがとうという言葉が出て、
ラーメン、飲食業に天命があることを確信したとのこと。

その年齢が44才。

44才天命説が栢野克己さんが唱えている人生法則です。


歴史を見ても多くの人が44才前後で天命に出会っています。

中村天風さんも43才から辻説法をはじめ、立花大敬さんもそれくらいから著作活動をされたと思います。

この過去記事に詳しく書いてますね。

http://ameblo.jp/mizublog2/entry-11907014008.html


44まではまだ時間はありますが、
今河原さんみたいな感じなのかなと思いつつ、
惑う日々ではございます。


まあ、肉まん屋でも、ブログでも、ここでしか味わえないちょっとした感動とか気づきを与えたい。
それが根底にあるんですよね。


それが提供できてないとつまらない。
常に自分が何かを発見して気づいていたい。


さて。
ライフログラインですが。


夢をかなえる日々を発見する関西一の肉まん屋。

今のところはこんな一行かなー。
肉まん屋をちゃんといれとかないと怒られるからねw。
もうすこし掘り下げて考えてみたいところだけど。


自分を一言で表すキャッチコピーがあると、
潜在意識にも入りやすく、行動もそれに沿い
自然とそうなっていくそうです。


みなさんもぜひ考えてみてくださいね!

水曜担当…冨樫功



2016年4月5日(火)
君の「本当の力」はそんなものではないよ        火曜担当…柿原まゆみ

力の誦句

私は  力だ。
力の結晶だ。
何ものにも打ち克つ力の結晶だ。
だから何ものにも負けないのだ。
病にも  運命にも、
否  あらゆるすべてのものに打ち克つ力だ。
そうだ!!
強い 強い 力の結晶だ。


中村天風先生いわく
「自分の命の中に与えられた 力の法則と言うものを正しく理解して人生を生きる人は
限りない強さと、歓喜と沈着と平和とを、つくろうと思わなくても出来るようになっている」

    「働く君に贈る中村天風45の言葉」より

先日、湧くわく本心塾にて、池田 光先生からこの中村天風先生の誦句集についての解釈を直接伺う貴重な機会に恵まれました。

人間は「私には無理だ」「私には場違いだ」と萎縮し消極的に考えたり、言葉にすると
宇宙生命ときれてしまうのだ。積極的になった時に宇宙エネルギーが溢れだし、身の内に注ぎ込まれます。だから自分の力以上の力が出るのだとお教え頂きました。
人間の肉体の力は限りがある。しかし心の力があると肉体の力を超えた
力が発揮されます。


私が実践していることは
「頼まれごとは試されごと」
ご依頼頂いたことはよほどのことが無い限りお引き受けしています。
私にご依頼されることは私に出来ることです。
依頼する人は「この人にはできない、無理だ」と思っていたら
依頼はしません。依頼されることは私にはその力があると言って下さっているのだから
素直にお引き受けします。ですから出来なかったことは無いのです。
そして、致し方ない事情等でお引き受けできない時はとにかく早くお返事を
するようにしています。
時間が経ってから断ると依頼して下さった側に迷惑が掛かります。
しっかりと「今回は〇〇でお引き受けできませんが、また機会が
ございましたらどうぞ宜しくお願いします」と伝えています。
「今回はダメ」なのでチャンスが巡ってくればさせて頂くことが
あるかもしれません。伝え方にも工夫が必要です。


この日の第二講座では本心塾最高顧問である今西恭晟会長より
中村天風先生の哲学の実践についてのお話がありました。
今西会長は素晴らしい方で多くの方から尊敬させ慕われていらっしゃいます。
またさまざまな功績を残されています。
今西会長が講座の中で天風先生の哲学を実践されている事をご紹介下さいました。

一流の人、尊敬する人の謦咳(けいがい)に触れること。一流の本物に触れる、本物の人物に接する。尊敬、感動できる人の本を読む、「写真展示法」「墓参り」

              *謦咳に接する
               尊敬する人の話を直接聞く。直接,お会いするの意


一流に触れ、沢山の本を朝4時に起床され読まれています。
今西会長から頂く資料の中には必ず写真が入っています。
中村天風先生だけでなく安岡正篤先生、中村春二先生、山本玄峰先生のお墓にお参りに行かれます。1度でなく何度も行かれています。
このように実践し続け、80歳を超えてなお向上心を持たれている会長に尊敬の念を抱き、一層感謝の気持ちが溢れてきました。


講座の最後に池田先生から深いお言葉がありました。
「場に居る」
その場に行くからその場から求められる。

この言葉を聴き私が実践することは
・一流の方にお会いする。また会って頂ける努力をする
・少し敷居の高いところに行ってみる
・憧れているものの写真を見る
・本物に触れる、知る、読む、感じる

本を読み、考え方を学び、それをどのように活かすかで人生が変わる。
また知り得たことを実践し続けることで人柄が形成されることをお教え頂きました。

火曜担当…柿原まゆみ



2016年4月4日(月)
無題                               月曜担当…池田光

青年期に受けた傷は深い。
晩年まで尾を引き、またこれほどまで人を駆り立てるのかと、『加地伸行著作集Ⅱ 日本思想史研究』(研文出版)の跋(ばつ、後書きのこと)を読んで感じました。

加地伸行氏の著作集(全三巻)は、この書をもって完結となります。
本書は、著者79歳の出版で、「これをもって研究者としての任務を終える」(跋)と記されている最後の研究書です。
啓蒙書はこれからも出されると思いますが、研究生活を終えるにあたって、ついに著者は逐年の怨みを吐露されました。

これまでもぼやかして書かれてはいたのですが、ここまではっきり記載されたのを拝見して、その傷の大きさに驚くばかりでした。
606ページから始まるその記述は、608ページの「彼の学問的業績の評価はどうか」という箇所に至って最高潮となり、7行にわたる評価ほど徹底したものを、ぼくは見たことがありません。

具体的な内容は、本書をご覧ください。
引用する気が萎えるほどの徹底ぶりで、この7行で「彼の学問的業績」は完膚無きまでに剥奪されました。

「これをもって研究者としての任務を終える」という本書は、「これをもって逐年の怨みを終える」という書であるのかもしれません。
なにはともあれ、全巻の完結、おめでとうございます。

月曜担当…池田光



2016年4月3日(日)
「桜」                              日曜担当…八木正典

取引先の関係で行われた花見に参加しました。
満開の桜とおいしいお酒と料理を堪能し、素晴らしい会となりました。
初めてご一緒させていただいた方との新たな出会いもあり、人と人との縁のありがたさを感じています。
桜の結び付けてくれたこの縁を大事にしたいと思います。

敷島の大和心を人問わば、朝日に匂う山桜花

日本に生まれてよかった。
この世界に居られてよかった。

日曜担当…八木正典



2016年4月2日(土)
言霊                              土曜担当…佐々木秀彦

湧くわく本心塾塾則第3条記載の【立腰瞑想道3つの実践項目】に「善い言葉を語る」という項目があります。

万葉集にも山上憶良の「神代より 言ひ伝て来らく そらみつ 大和の国は 皇神(すめかみ)の 厳しき国 言霊の 幸(さき)はふ国と 語り継ぎ 言ひ継がひけり…」というような記載をはじめ、「言霊の幸はふ国」という認識は広く確認できるそうです。つまり「日本は言魂の力によって幸せがもたらせられる国」だという認識は平安以前にはすでに確立していたということです。

いろはにほへと…のいろは歌、僕は昭和40年生まれなのですが、実は最後までは正確に言えません。僕の小学校時代のクラスは1年い組、ろ組、は組と分けられていたにもかかわらず、同級生の半数以上は…ゑひもせす!までは言えないだろうと思います。

弥生時代や奈良時代の人々は、将来海外諸国と外交戦略が必要なことを気づいていたのでしょうか?言葉によって幸せがもたらせられる国という強い信念があったからこそ、高句麗や隋や唐や蒙古や明治維新の欧米列強とも対話を通じて一度も支配に下ることのない歴史を作り上げ、第2次世界大戦で2度の原爆を投下されてもなお、国家としての独立を維持したのもやはり対話であったはずです。まさしく言霊によって守られたという見方もできるのではないでしょうか…

娘が3歳になりました。そろそろ読み書きを指導していこうかなと感じています。そこで、僕はいろはにほへと…で娘には平仮名を伝えようと思っています。僕も伝えることで、涅槃経の四句の偈の意という解釈もあり、意味深な「いろは歌」を一緒に勉強してみたいのです。そしてさらに意味深な「ひふみ歌」も取り入れていこうと目論んでおります。

「善い言葉を語る」という実践の第一歩としてその日本語を学習するお手本ならば、やはり50音順のあいうえお…より意味深ないろはにほ…のほうが良さそうだと感じます。

神代よりの言い伝えで、魂を込めた言葉により幸せがもたらされるということを基本として生活していくべきということを万葉集にも書いてあるなら、僕も娘に伝えなければいけない義務があるというものです。言語という意味だけの言葉ではなく、日本語という言霊を遣えるようにと、まず親が意識することが大切なのではないかという気持ちになっております。

土曜担当…佐々木秀彦