2018年3月31日(土)
爛漫                       土曜担当…佐々木秀彦

『貌―愛敬の心をこめて和やかな顔つきで人と接しましょう
言―相手に気持ちよく受け入れられるような話し方をしましょう
視―愛敬の心をこめて暖かく人を見、物をみるようにしましょう
聴―話す人の気持ちに立って相手の話を聞くようにしましょう
思―愛敬の心をもって相手を理解し思いやりの心をかけましょう』


今さらではありますが、中江藤樹の『五事を正す』です。今年度最後の3月31日にふさわしい何かと考えてみまして思いついたのがこの言葉でした。今の僕に一番必要な言葉なのだなと感じます。

究極、人は一人で生きていくことはできません。他人と一緒に世間を形成していく以上、他人からどう見られるかも頗る重要な意味をもちます。個人の自由を声高らかに叫ぶことも正しい意見ではあるかと思いますが、大和民族の伝統の基本としまして、やはりこの『五事を正す』がすべてを言い表しているように感じます。

中江藤樹を地元では『近江聖人』と表現しております。近江といえば「三方よし」「利真於勤」「始末してきばる」の『近江商人』気質が有名ですが、どちらが先なのか知りませんが、「近江商人気質」と「中江藤樹の陽明学」とまったく同じ教えだなと感じます。

僕は「他人からどう見られるかなど意に関せず、我が道を突き進む」的なことがカッコイイと思って生きてきました。50才を過ぎてそれは大きな勘違いの上に成り立っていたのだなと気がついて、正している訳なのですが、まだまだその修正には遠く至りません。

近江の高島にも桜の名所は多々ありました。大阪城も桜が満開です。新年度へ移行するこの時期に桜が満開になるのは神様からの粋なご祝儀なのかもしれないなと今年の桜を観て感じました。お花見の風習は、桜の艶やかさにお神酒を捧げて歌と舞を奉じるという「御神事」なのかもしれません。

「五事を正す」ことで、お花見の宴席の本当の意味を感じるように、「五事を正す」ことで知ること、楽しめること、がたくさんあるのだろうと思います。毎日何かしら新しい楽しみが見つけられるように、毎日五事を正していきたいと思います。

土曜担当…佐々木秀彦



2018年3月29日(木)
「ピンキリ」                   木曜担当…西端努斗夢

「ピンからキリまで」という言葉があります。最初(価値としては最低)から最後(価値としては最高)までという意味だそうです。
略して「ピンキリ」、世の中にはいろんな人間がいます。
日本人と言っても「ピンキリ」、アメリカ人、中国人と言っても「ピンキリ」。
お役人様もお巡りさんも議員センセも「ピンキリ」です。
みんな「ピンキリ」だと思うとほんの少し気が楽になります。

木曜担当…西端努斗夢



2018年3月26日(月)
無題                       月曜担当…池田光

先週のことです。
アマゾンマーケットプレイスに、『目録学発微』(価格3456円、新品同様)が、送料込み1457円で出品されているのを発見。
『目録学発微』は、目録学の古典的権威の書で、前から注目していたのですぐに注文しました。

ちょっと話はずれますが、先月読んだ『はじめての漢籍』には、東大の漢籍目録学についてふれ、図書館という現場での悩みや問題点に及んでいて面白かった。京大のほうは、井波陵一『知の座標』に、京大図書館の目録学が記されています。
漢籍は、目録学と切り離せません。そんなこともあり、『目録学発微』が届くのを楽しみにしていました。

そしたら、送られてきたのは下の写真の通り。
つまり、函は『目録学発微』だけれど、中身の本は『明史選挙志1』というものでした。



『明史選挙志1』は二巻揃いで、第一巻の発売から四年くらい経ちますが、第二巻はまだ刊行されていません。
この本は、中国明代の人材登用が書かれたもので興味深く、そのまま購入することにしました。
すぐに、『明史選挙志1』のアマゾンマーケットプレイスを検索すると、同じ出品者が送料込み1257円という安価で、新品同様の本を出品されていました。この情報とあわせて、函と中身が違っていた旨を出品者に連絡しました。

「商品が届きましたが、函と中身の本が違っております。
もしかしたら、御店が出品されている『明史選挙志1』の中身に、『目録学発微』が入っているのではないでしょうか」
と。

すると、出品者から、こんな答えが返ってきました。
「商品はすでにアマゾンの倉庫に送っており、中身を確認するわけに参りません。
そこで、『目録学発微』の代金1457円を返金いますので、この代金で『明史選挙志1』を注文してください。
なお、間違ってお届けした本は返品不要で、そちらで処分してください」
と。

ぼくはさっそく、『明史選挙志1』を注文しました。
すると、送られてきた本には、なんと『明史選挙志1』の函のなかに、『論語集注1』が入っているというものでした。



とすると、『論語集注1』の函に『目録学発微』が入っているのではあるまいか、と推測して『論語集注1』のマーケットプレイスを見ましたが、そこには同じ出品者からの本はありませんでした。
ここで、ぷっつりと手がかりが途絶えました。

以上のような函と中身の入れ違いの連鎖が起った結果、1257円の代金で、ぼく手許には、『明史選挙志1』と、『目録学発微』の函と、『論語集注1』の中身が残りました。
目的の『目録学発微』の中身は入手できなかったことは、残念なことでした。
しかしこの珍事には楽しませていただきました。

月曜担当…池田光



2018年3月25日(日)
「放つ」                     日曜担当…八木正典

さまざまな教えがありますが、そのいずれかに執りつく人は、それに関して議論に巻き込まれます。執りつくことがない人に対しては、どのように議論をもちかけることができるでしょうか?
彼には、「これだ」と執りつくものもありませんし、また逆に「これはダメだ」と排斥するものもありません。彼は、まさにここで、すべての物の見方を放っているのです。(ブッダの言葉)


仕事で意見や利害が完全に対立することが出てきております。
それぞれの立場を考えると、どちらの主張もわかるのですが、どこかで収拾をつけなくてはなりません。
そこで行っているのが、すべての物の見方を放つ、ということです。
結論が簡単に導けなさそうな問題に関しては、頭を空っぽにして、自分の先入観や思考を一回すべて取り払ってしまうのです。
その結果かどうかまた最終的に納得感のある答えが導けているかどうかはわかりませんが、大きく混乱することはなくなっております。

日曜担当…八木正典



2018年3月24日(土)
悪戯                       土曜担当…佐々木秀彦

『…大抵の場合は善より悪の方が強いということです。悪人は積極的・攻撃的で、同時に必要の前には実によく団結する。すなわち党を組む性能を持っておる。これに対し善人の方はどうか。善なるが故に常に反省的である、内省的である。従ってどうかすると、引っ込み思案になり、傍観的になり、躊躇逡巡してお互いに顔を見合わせてなかなか団結しない。だから悪人は一人でも悪党と言うのであって、善党という言葉はありません。…』

安岡正篤著の『人生をひらく活学』からの引用です。図書館にチビスケの絵本を貸りに行ってカウンターへ歩いてる時偶然目に入ったのでついでに貸りた本なのですが、これがけっこう面白く楽しんで読んでおります。

師友会での講話が12編収録されているのですが、1970年代の講話で、僕が小学生だったころの話があまりにも適格に現代に通じています。安岡正篤師が師友会の活動に精力的に参画されていらっしゃった勢いを強く感じます。『活学』の意味なども頗る明快に解説してらっしゃいます。そして各講話の最後は必ず『一燈照隅・萬燈照國』で締めていらっしゃって、『随處に主となれば、立處皆眞』『六然』『中村敬宇』等々潜学講座で出てくるお話しも多々出てきます。

上記引用の悪党と善人のお話は電車の中で読んでいて僕独りで頭の中で種々様々に拡大させてしまった部分です。日本人気質は基本善人だと思いたいのですが、冷静に考えれば現代日本人は悪党側にしか見えないような気もします。社会問題の引きこもりは善の現れで、団体競技のスポーツ選手は悪党の典型なのかもしれません。人間は当然に善悪両面を具有している訳ですから、悪の部分をスポーツで発散させるという大義もあるでしょう。善党というものが存在しないものだとすれば、政党はどうやっても悪党であることは免れません。…こんな感じでいくらでも屁理屈が出てくるのも、深い文章なればこその真価なのかもしれません。

この本の中で『詩』を作る心の余裕の大切さも説いていらっしゃいます。明治維新、第1次世界大戦までは、戦の最中でも将校の書いた『詩』がいくつも残っているが、第2次世界大戦では末端の兵隊のものはあっても、将校クラスの人の詩はほとんど無いということです。あまりにも戦争の状況が悲惨すぎて心の余裕が無くなったから書けなかったのか、もともと心の余裕の無い人達が将校となってしまったから負け戦になってしまったのか、安岡正篤師は後者だったのではないかと示唆されておりました。
『詩』も作ってみたらおもしろいのかな…と初めて思った今日この頃です。

土曜担当…佐々木秀彦



2018年3月22日(木)
ホームページ                  木曜担当…西端努斗夢

今、ご覧いただいている湧くわく本心塾のホームページを4月からリニューアルするため、作業を行っています。
6年前にホームページを立ち上げ、ファイルの更新や変更を行ってきましたが、色々なしがらみが溜まって最近はちょっとしたファイルの更新にも時間がかかるようになってきたためです。
年度末のこの時期、やらなければいけないことがたくさんあるのですが、やるのならこの時期を逃して他にないと思い、腰を上げました。
知らず知らずのうちに色々なしがらみが溜まって動きが鈍くなるのは人間も同じ、長く生きていると時にはリニューアルも必要になってきます。

木曜担当…西端努斗夢



2018年3月19日(月)
無題                       月曜担当…池田光

ここ何年も考えていたことを、ほぼ書き終えました。
何年も考えていたこととは、天風哲学における理入と行入についてです。
ぼくにとって、最大の難問の一つが理入と行入でした。

数年前になりますが、一度このテーマで書こうし、悪戦苦闘しながら、かなり書き進めたのですが、論述に致命的な誤りがあることを発見し断念していました。
その後も、折にふれて集中的に考え、何度かそういうことを繰り返して、ようやく頭のなかで構想がまとまっていきました。

いよいよ書くと決めて、一週間前の日曜日から書き始めました。
毎日この作業に打ち込み、400字詰め原稿用紙にして50~60枚程度の小さな文章を書き終え、今は推敲中です。

これを公表したところで反響はないかもしれません。が、ぼく個人にすれば、
「ついに解き終えた」
という感じです。書き終えたというより、数年来の難問を解き終えたという安堵感があります。

一冊の本にするには、もう50枚ほど別のテーマで書かないといけません。まあ、3月中には、ある程度の目途が立つでしょう。

この仕事が終われば、天風先生の本をまた再読するつもりです。そして、全冊を再読し終えて、6月頃から次の本を書き進めます。
ここまでやれば、今年はまあ、頑張ったと言えるでしょう。

月曜担当…池田光



2018年3月18日(日)
「天地の道」                   日曜担当…八木正典

故に至誠は息(や)む無し。息まざれば則ち久しく、久しければ則ち徴あり。徴あれば則ち悠遠なり。悠遠なれば則ち博厚なり。博厚なれば則ち高明なり。<略>
天地の道は、一言にして盡くす可きなり。其の物たる貳(じ)ならざれば、其の物を生ずる測られず。天地の道は博なり、厚なり、高なり、明なり、悠なり、久なり。 (中庸)


瞑想を続けております。
毎日朝晩座っていると心が少しづつ明るくなり休まっていくのを感じます。
しかしながら日中慌ただしい日常を過ごしているとその流れに飲み込まれてしまい、なかなか冷静な判断が出来ないでいます。心の落着きが継続するまでは至らないのです。
王陽明も伝習録で事上磨錬ということを何度も何度も語っておりますが、自分をその境地で見られるところに行きつくにはもう少し修養と忍耐が必要なようです。
至誠は息むなし、休む間もなく誠の道を意識していくうちに、はるか遠くまでつながる道が現れるのを信じるのみです。

日曜担当…八木正典



2018年3月17日(土)
春風                      土曜担当…佐々木秀彦

『秋霜をもって自ら愼み、春風をもって人に接す』(佐藤一斎)

春気という天地創造の気が高まるからこそ、初めて花も開き、青葉する。この季節が春だそうです。今は春のお彼岸。日本には春と秋に「お彼岸」という名称の時期が存在するのはかなり深い意味があるのではないかと最近思うようになりました。

会社を立ち上げて4期目になりますが、僕独りだけの会社なので正直気持ちは「個人事業主」のままでした。これはここ数年の課題だった訳ですが、今新たな環境を作る作業を具体的に始めています。少し面倒なことも気合を入れて一気に動かしてしまうと、何故もっと早くこうしなかったのかと逆に不思議に感じることもあるので、自分という人間はホントに我儘で勝手な男だなと思ったりもします。春風をもって自らに接する典型的なタイプかもしれません。

佐藤一斎は岩村藩出身ということなので、現在でいうと中央アルプスの南側の麓辺りというエリアで幼少期を過ごしたのでは推測します。秋霜にしても春風にしても大阪の柔らかい気候の地域とは桁が違うという理解の上での、上記の言葉かと感じます。さらに「春気」という天地創造の「気」も佐藤一斎のことですから当然に含んで…というよりも「春気」のことを「春風」と考えるほうが正しいような気もします。

「春風」と人に感じてもらえるのは達人・聖人の領域なのかもしれません、それは人が「春」らしさを感じるのはお彼岸のこの時期になってからようやく感じるからです。しかし実際はお正月から「春」は始まっています、つまり「春風」とはそういうものなのです。人が簡単に感じない「春風」も「春気」に違いはありません。

春の次には夏が来ますが、人に接するのは年がら年中「春風をもって」なんですね。その「春風」をしっかり確認するためにも、4月7日の『適塾見学with桜花舞の宴』は意義深い催しとなるのかもしれません。

土曜担当…佐々木秀彦



2018年3月15日(木)
神様からのプレゼント             木曜担当…西端努斗夢

ここ数日、暖かい日が続き、心までホカホカしてきます。
そんな気分にさせてくれるのも、冬の寒さが厳しかったからこそ、ここ数日の暖かさが一層ありがたく思えるからだと思います。
もしかしたら、日常の辛さ、悲しさ、苦しさも、幸せ感を増幅させるための神様からのプレゼントかも知れません。

木曜担当…西端努斗夢



2018年3月12日(月)
無題                       月曜担当…池田光

中国古典を深く読むには、漢文の素養が欠かせません。
ぼくがその素養を身につけようとしたのは、2011年のことです。
それまでは、主に訓読文と現代語訳で読んでいたわけです。
ぼくの理想は、白文で読めるようになることでしたが、現在もまだ白文では読めません。

知り合いのある人が、白文で読めるようになるには文法を学ぶことだとして、文法中心に勉強していらっしゃいましたが、まったくものになっていません。
その方は、文法によって「白文→句読点→訓読(返り点&送り仮名)→口語訳」という順で読解できると考えていたようです。

私が四年間学ばせていただいた先生は、「とにかく文章(原文)をどれだけ沢山読むかです。文法をいくら学んでも白文を読めるようにはなりません」とおっしゃっていましたが、まことにその通りだと思います。

「白文→句読点→訓読(返り点&送り仮名)→口語訳」という進み方は幻想です。白文を見て、およその意味が分からないと句読点はつけられません。
では、どうしたらおよその意味が分かるかというと、これから読む白文にはどういうことが書かれているのか、おぼろげであっても事前知識が必要です。
それ以上に、原文をたくさん読んで、漢文に慣れることです。
つまり、漢文にある程度慣れた人が事前知識を前提にして「句読点を打つ。訓読(返り点&送り仮名)する。口語訳する」といった作業を同時進行で、あれこれ試行錯誤しながらやるのです。

弊塾では、四月から『大学章句』を読んでいくわけですが、『大学』にはどんなことが書かれているか、事前に分かっていると朱子の注釈は読解しやすいと思います。
さらに、冨山房の『大学章句』は白文ではなく、句読点や返り点が付いていますので、「訓読→口語訳」は比較的しやすいと思います。

さて、ぼくは2011年から四人の先生がたに漢文を教えていただきましたが、この3月23日で終了となります。
なかでも、四年間教えを授けてくださった先生には、韓愈と柳宗元の文章を何十本も読んでいただきました。
分かったのは、その道の専門家に直接学ばないと漢文はものにならないこと。また、多くの現代語訳の本に、多々誤訳が含まれていること。
これからは、みなさまとともに『大学章句』を読んでいくことが、ぼくが漢文を続けていくエンジンになりそうです。

月曜担当…池田光



2018年3月11日(日)
「梅林」                      日曜担当…八木正典

家の近くにある梅林に行ってきました。
十種類以上の二百本近い梅の木が並び、赤、白、ピンクの花がそれぞれに咲き誇っておりました。
寒い冬を超えての新しい春の訪れを感じていると心弾む気分になってきます。見ているだけで創造化育の素晴らしさを感じます。
創造化育の道に則って焦らず弛まずに自分の出来ることを着実になし、活動量をあげて自己強化に取り組んでいきたいと思います。

日曜担当…八木正典



2018年3月10日(土)
発憤                       土曜担当…佐々木秀彦

『心和し、氣平らかなる者は、百福自ら集まる』(菜根譚)

先日チビスケと喧嘩しました。夕食はチビスケの大好きなシチューだったのですが、自分の器に「入っている量が少ない」とグズグズ言い出しました。僕達大人と同じ器、同じ分量で、具は逆にチビスケが断トツに一番多い盛り付けです。僕は言いがかりをつけられたような気分になって、そのグズグズを嗜めたことが発端でした。結果僕は怒ります。チビスケも自分の話を理解しない僕に怒ります。この日はどちらも相手のことを考えないで、自分の考えに執着したため大喧嘩になって、チビスケは泣きながらそのまま眠ってしましました。

チビスケはシチューが大好きで、そのシチューはスープの部分が重要でした。しかしこの日は僕の親心の押し付けで食べる具材を多く盛り付けたため、チビスケ的には「スープの量が自分だけ少ない」と悲しくなったということを、翌日一緒お風呂に入った段階で初めて知りました。僕はチビスケの言葉を全く聴いていない状況だったことも初めて気がつきました。

僕は最近の平和主義には些か疑問を抱いております。もちろん男たるもの怒ってばかりではダメだとも認識しておりますが、本来『和』というものは、『吹く風』や『打ち寄せる波』に向かって自ら興す『波』や『風』を当てることで『中和させる』ことが『和』だと思うのです。方向、強さ、大きさをしっかり理解しなければ、『和』することはできません。しかし最近の平和主義というと「日和見的」「隠れる」「耐え忍ぶ」的なニュアンスに遣われてるような気もします。『発憤』することで初めて『和』が創造できるというのが僕の認識です。

チビスケの食事のマナーに対する『発憤』のつもりが、只の聞く耳持たない押し付けオヤジのレベルの低い怒りだったことが現実でした。家族は何があっても次の日やその次の日もありますのでこうやって反省もできますが、けっこう普通でもこういうことをやっているのだろうなと感じたりもします。

『心和し…』相手のエネルギー相応にこちらも精力をぶつけることは必要だと思いますが、その精力を出す以前にまず、自分自身が『和』に向けての『発憤』かどうかの判断をもっともっと精査しなければいけないと感じました。

土曜担当…佐々木秀彦



2018年3月8日(木)
人生に成功も失敗もない           木曜担当…西端努斗夢

成功法則を説いた書籍が数多く出版され、多くの人に読まれていますが、私は、人生に成功も失敗もないと思います。
地位と名声を得たから、自己実現ができたから、願望を達成したから、それで成功でしょうか?
この世に生を受け、寿命が来たらあの世に帰っていく。私はそれだけだと思います。
成功か失敗か、勝ったか負けたか、白黒つけたい人はつければ良いと思いますが、私は、ただただ寿命という天よりいただいた貴重な時間を無駄にせず、精一杯、人生を全うするだけです。

木曜担当…西端努斗夢



2018年3月5日(月)
無題                       月曜担当…池田光

先週、久しぶりにダイエットしました。そこで、今回は、ぼくのダイエット法について書いてみたいと思います。

■入院は最高のダイエット法
2010年、55歳のときに、ぼくは29日間の入院をしました。
最初の5日間は、完全な絶食で、微熱が続くなか栄養分を点滴によって補充されていました。
6日目から昼食がスタートしました。おかゆでした。
途中で病がぶり返し、4日間の絶食がありました。合計9日間の絶食などにより、ぼくは11キログラム痩せました。

退院した日に思ったのは、「入院でもしないと、11キロもダイエットできないな」と。そして、「この体重を維持しよう」と考えました。
手帳には、その後4か月間、毎日の体重を記録しました。
しかし、4か月後には2キロ太ってしまいました。つまり、入院前から「9キロ減」、退院後から「2キロ増」です。
(以降、退院後を基準として、「●キロ増」と表記します)

7年後の、2017年の年末の時点では、「4キロ増」でした。
(入院前から「7キロ減」ですね。)
これがギリギリ許せるラインで、これ以上は太らないようにしようと決めていました。

■食習慣を変える
さて、「4キロ増」の死守ラインを越えないためにぼくがやったのは、夕食を早めにとり、しかも軽くすることです。
ポイントは、食習慣を変えることです。入院前と同じ食生活をしたら、すぐに元に戻ってしまいます。
夜はたいてい、サラダ程度で済ますことにして、そのために夜のお付き合いをなるべく控えました。
ちなみに、夕食を減らすというのは、名著『養生訓』を著した貝原益軒が教えていることで、安岡正篤もこれに倣っています。

が、昨年末から年始にかけてのご馳走で微妙に体重が増え始め、2018年2月末の時点で、「6キロ増」まで急激に体重が増加しました。
わずか2か月で、2キロも太ってしまうと、いつも何となく空腹感があり、つい何か口にしてしまうのです。

■プチ絶食で現状を維持させる
そこで、ぼくのダイエット法ですが、1日から2日ほど「昼食と間食を抜く」ということをやっています。
先週の木・金曜日の2日間、これを実行しました。
朝食をふつうにとり、夕食は軽く小皿程度のサラダだけ。アルコールも抜きます。
途中で強い空腹感はあるのですが、たった2日ですから難なく耐えられます。
結果は、2キロ減って、「4キロ増」の死守ラインまで戻りました。
また、慢性的な空腹感もなくなりました。

世の中にダイエット法が蔓延していますが、基本は、
①食事の量を減らす
②運動をしてカロリーを消化する
の二点だと思います。
加えて、
③食事をとるタイミングを考慮する
ということを、ぼくはやっています。つまり、夕食は早めに、しかも軽く、ということです。

■根っこは空腹感
世の中のダイエット法で、気をつけたいのは、次のようなダイエット法です。
①栄養の偏りになるダイエット(ゆでたまごダイエットとか、バナナダイエットなどというのは危険で、適正量でバランスのよい食事をとることです。)
②カロリーの少ない食品を食べて空腹感を満たすダイエット(問題は慢性的な空腹感であり、空腹感がある限り、いずれ食べ過ぎます。)
ダイエットの自称・専門家が教える指導法を、鵜のみにしないことです。

たとえば、「カロリーが低いこの食品を摂れば、無理なくダイエットできますよ」といったうたい文句に踊らされて、高価な食品が売られているのも要注意です。
安易なダイエット法に飛びつくと、一時的なダイエットにはなりましょうが、根っこの空腹感に対処していないので、いずれリバンドして逆に太るだけです。

思うに、いちばんの敵は、慢性的な空腹感です。
この空腹感があると、つい、間食してしまうのです。
空腹感は、精神的な問題もありますが、基本的に胃袋が肥大化しているからです。大きくなった胃では、食べても食べても空腹感を発生させます。

逆に、胃袋を縮めれば、空腹感はなくなります。
胃袋を縮めるいちばんいい方法は、絶食です。ただ、素人が3食とも絶食すると危ないので、昼食と間食をやめます。そして、夕方はおかゆかサラダ程度に軽くとります。
翌朝は、空腹感がなくなっています。
この効果は絶大で、慢性的な空腹感がなくなるので、心身ともに健康的なダイエットができます。
つまり、最大の敵である「慢性的な空腹感」という根の部分を断ち切るのが、いちばんの早道だと思うのです。
(実際に胃が大きくなったり小さくなったりしているかは知りません。あくまで内的な感覚としてです。)

また、恐いのは、アルコールを飲み過ぎると、満腹中枢がおかしくなり、食べた直後でも空腹感があることです。過度のアルコール摂取は、ダイエットの敵なので、アルコールを入れるときは食べないと決めることでしょう。
しかし、これはなかなかできないので、アルコールを少し控えることです。
2018年3月5日(月)
無題                             月曜担当…池田光

先週、久しぶりにダイエットしました。そこで、今回は、ぼくのダイエット法について書いてみたいと思います。

■入院は最高のダイエット法
2010年、55歳のときに、ぼくは29日間の入院をしました。
最初の5日間は、完全な絶食で、微熱が続くなか栄養分を点滴によって補充されていました。
6日目から昼食がスタートしました。おかゆでした。
途中で病がぶり返し、4日間の絶食がありました。合計9日間の絶食などにより、ぼくは11キログラム痩せました。

退院した日に思ったのは、「入院でもしないと、11キロもダイエットできないな」と。そして、「この体重を維持しよう」と考えました。
手帳には、その後4か月間、毎日の体重を記録しました。
しかし、4か月後には2キロ太ってしまいました。つまり、入院前から「9キロ減」、退院後から「2キロ増」です。
(以降、退院後を基準として、「●キロ増」と表記します)

7年後の、2017年の年末の時点では、「4キロ増」でした。
(入院前から「7キロ減」ですね。)
これがギリギリ許せるラインで、これ以上は太らないようにしようと決めていました。

■食習慣を変える
さて、「4キロ増」の死守ラインを越えないためにぼくがやったのは、夕食を早めにとり、しかも軽くすることです。
ポイントは、食習慣を変えることです。入院前と同じ食生活をしたら、すぐに元に戻ってしまいます。
夜はたいてい、サラダ程度で済ますことにして、そのために夜のお付き合いをなるべく控えました。
ちなみに、夕食を減らすというのは、名著『養生訓』を著した貝原益軒が教えていることで、安岡正篤もこれに倣っています。

が、昨年末から年始にかけてのご馳走で微妙に体重が増え始め、2018年2月末の時点で、「6キロ増」まで急激に体重が増加しました。
わずか2か月で、2キロも太ってしまうと、いつも何となく空腹感があり、つい何か口にしてしまうのです。

■プチ絶食で現状を維持させる
そこで、ぼくのダイエット法ですが、1日から2日ほど「昼食と間食を抜く」ということをやっています。
先週の木・金曜日の2日間、これを実行しました。
朝食をふつうにとり、夕食は軽く小皿程度のサラダだけ。アルコールも抜きます。
途中で強い空腹感はあるのですが、たった2日ですから難なく耐えられます。
結果は、2キロ減って、「4キロ増」の死守ラインまで戻りました。
また、慢性的な空腹感もなくなりました。

世の中にダイエット法が蔓延していますが、基本は、
①食事の量を減らす
②運動をしてカロリーを消化する
の二点だと思います。
加えて、
③食事をとるタイミングを考慮する
ということを、ぼくはやっています。つまり、夕食は早めに、しかも軽く、ということです。

■根っこは空腹感
世の中のダイエット法で、気をつけたいのは、次のようなダイエット法です。
①栄養の偏りになるダイエット(ゆでたまごダイエットとか、バナナダイエットなどというのは危険で、適正量でバランスのよい食事をとることです。)
②カロリーの少ない食品を食べて空腹感を満たすダイエット(問題は慢性的な空腹感であり、空腹感がある限り、いずれ食べ過ぎます。)
ダイエットの自称・専門家が教える指導法を、鵜のみにしないことです。

たとえば、「カロリーが低いこの食品を摂れば、無理なくダイエットできますよ」といったうたい文句に踊らされて、高価な食品が売られているのも要注意です。
安易なダイエット法に飛びつくと、一時的なダイエットにはなりましょうが、根っこの空腹感に対処していないので、いずれリバンドして逆に太るだけです。

思うに、いちばんの敵は、慢性的な空腹感です。
この空腹感があると、つい、間食してしまうのです。
空腹感は、精神的な問題もありますが、基本的に胃袋が肥大化しているからです。大きくなった胃では、食べても食べても空腹感を発生させます。

逆に、胃袋を縮めれば、空腹感はなくなります。
胃袋を縮めるいちばんいい方法は、絶食です。ただ、素人が3食とも絶食すると危ないので、昼食と間食をやめます。そして、夕方はおかゆかサラダ程度に軽くとります。
翌朝は、空腹感がなくなっています。
この効果は絶大で、慢性的な空腹感がなくなるので、心身ともに健康的なダイエットができます。
つまり、最大の敵である「慢性的な空腹感」という根の部分を断ち切るのが、いちばんの早道だと思うのです。
(実際に胃が大きくなったり小さくなったりしているかは知りません。あくまで内的な感覚としてです。)

また、恐いのは、アルコールを飲み過ぎると、満腹中枢がおかしくなり、食べた直後でも空腹感があることです。過度のアルコール摂取は、ダイエットの敵なので、アルコールを入れるときは食べないと決めることでしょう。
しかし、これはなかなかできないので、アルコールを少し控えることです。

月曜担当…池田光



2018年3月4日(日)
「六然講座」                   日曜担当…八木正典

第六回の六然講座に参加してきました。
「西国立志編」「自助論」を3人の講師から解説いただくという贅沢なものでした。
佐々木先生からは、中村敬宇の略歴と合わせて当時の歴史背景や社会情勢をお話しいただきました。中村敬宇に対する熱い思いが溢れだしており、当時の歴史背景と相まって中村敬宇に対する興味が湧き起こる内容でした。
西端先生からは自助論の中から印象に残った言葉を紹介とともに、自助に関する問題提起による参をしていただきました。グループでの話し合いでの参加者の意見もあり自助に対する自分の考えをまとめることが出来ました。「常に最善を尽くし、前の仕事より一歩でも二歩でも前進する。」という考えはこれからの仕事の中で活かしていきたいと感じる内容でした。
池田田先生からは自助についての言葉の定義を説明いただき、その後本田静六、伝習録、中村天風の目線で見たセルフヘルプを解説いただきました。「自助とは、内なる力(自力)によって、自己救済し、自己実現すること。」という自助の定義は池田先生ならではの選定だと感動しました。
お三方の読み方、捉え方を通じて、自分にはない自助に関する考えを学び、また心に残る言葉をご紹介いただき非常に有難いことです。教えていただいたことをこれからの自分の新たな学びにつなげていきたいと感じております。

日曜担当…八木正典



2018年3月3日(土)
敬宇                       土曜担当…佐々木秀彦

この一週間は中村敬宇のことばかり考えていました…
『講師が一番勉強になるよー!』互師互弟の湧くわく本心塾に入塾して多くの人からこの言葉を聞きました。実際講師をやってみて、正しい言葉だと実感しました。でも少し冷静に考えると、当然前過ぎるぐらい当然のことです。

中村敬宇は知れば知るほど面白い人です。徹底しています。事情磨煉を徹底しています。勉強労苦を徹底しています。心太虚に帰すを徹底しています。

『情死論』を表しています。不倫は中村敬宇も認めておりません。しかし、不倫相手と心中するなら本物と認める訳です。『男女たまたま相愛す、愛すれば則ち穀きて室を同じくし、死して穴を同じくせんと思い、之を求めて得ざれば…』これがうまくいけば夫婦ということです。しかし何かしら障害が有れば、夫婦にはなれない、それなら鬼の世界へ一緒に行くという行動ならそれは本物と感じるという主旨です…

中村敬宇は昌平黌へ入ったころ、書物を読んだ勉強だけで何が理解できるのか?実生活に活かして初めて知識であると、昌平黌で勉強している仲間は机上だけの勉強をやっている人が多いことを嘆いております。また祈るだけで道が拓けるなどありえないと祈るだけで救われるというような教義の宗教の教えは完全に否定しております。

敬宇は英国留学の14名の中で、英語の習熟が一番遅いグループにいました。おそらく人生始まって初めての劣等生だったはずです。留学中でも英語の読書量はおそらく断トツに一番だったでしょう、しかし会話は劣等生でなかなか習熟できなかったのです。35歳の最高齢だったといえばそれまでですが、僕は思考回路が漢語日本語で張り巡らされた濃さが弊害になったような気がします。中村敬宇は直球勝負で生きてきたので、英語に英語で返す手抜きが難しかったのではないでしょうか…必ず日本語へ変換して、さらにその日本語を英語に返還して返事をすれば、会話としては相手にイライラされても言い訳できないということです。

今回の講義の準備をする中で、歴代徳川将軍の凄さを感じました。歴代老中の凄さを感じました。昌平黌の凄さを感じました。来期の潜学講座で『徳川慶喜』を講義する予定ですが、今回の六然講義の準備で、またまたさらに徳川慶喜の凄さを魅せつけられました…14代将軍徳川家茂、大久保一翁、老中阿部正弘、老中堀田正睦、林復斎、岩瀬忠震、佐久間象山、吉田松陰、勝海舟、榎本武揚、、、この西国立志編の講師をするからこそ興味が湧いた人物が多々います…次回が一番楽しみなのは間違いなく僕です。

土曜担当…佐々木秀彦



2018年3月1日(木)
自力と他力                    木曜担当…西端努斗夢

第6回六然講座が今週末に迫ってきました。今回は、私も『自助論』をテーマに発表させていただくことになっていて、ここ数日、その準備に追われています。
昔からテスト勉強は前夜、夏休みの宿題は残り1週間を切ってからと、追い詰められてお尻に火がついてやっと腰を上げる典型的な劣等生タイプの性格は今も全く変わっていないなと、自分でも呆れています。
当日は、講義というよりも私なりの考えや疑問を発表し、皆さんのご意見を聞きながら一緒に考えていくことができればと思っています。
それと、楽しみなのが池田塾長の講義です。天風哲学における「自助」ということで自力と他力についてどんなお話が聞けるか今からワクワクしています。
私も最近、自力と他力について勘違いをしていたことに気づき、その気づきも皆さんに聞いていただけたらと思っています。

木曜担当…西端努斗夢



2018年2月26日(月)
無題                           月曜担当…池田光

これから数か月ほどにかけて、中村天風先生に関する本を再読していきます。
そして、年内に2冊の本をまとめる予定です。

1冊は、天風先生の言葉集の決定版です。
昨年、ぼくは『安岡正篤 運命を思いどおりに変える言葉』(イースト・プレス)を出版しましたが、この姉妹編となる本をまとめます。
352ページで、紙面は充分にあるので、決定版にふさわしい内容にしたいと思います。

もう1冊は、「心の力」を天風哲学から説いた本です。
これは、ぼくの出版社である本心庵から出します。

さて、このように天風先生の本に絞っているのは、今年が天風先生の帰霊50年となる節目だからです。

手始めに再読したのは、『哲人中村天風』でした。
天風会の京都支部(現在は支部とは言わないようですが)から発行されています。
この本は、今でも入手できるのでしょうか? もし、できるのなら、みなさまもぜひ読まれたらいいです。



収録されているのは、国学院大学で経済学の教鞭をとった中村至道(1893~1960)の「哲人の足跡」「哲人の横顔」の二篇です。
中村至道というのは、ぼくの師である杉山彦一先生を、天風先生に引き合わせた人物でもあります。
この本は平成8年9月に復刊され、その際に取り寄せて読みました。
もう20年も前ですね。
その頃のぼくは40代のはじめで、三笠書房から天風先生に関する本を2冊出したばかりでした。

滋味あふれる中村至道の書を再読しつつ、天風先生に思いを馳せました。
原稿量は、400字詰め原稿用紙に換算して、わずか100枚くらい。だからすぐに読めますが、行間から、いきいきした天風先生の姿が浮びあがってきました。
この本のなかから、天風先生の言葉を2、3点拾おうと考えています。

次に読みたいのは、『真人生の探究』です。
この本は、なんと、23年ぶりの再読となります。
もちろん、本を書くたびに速読で『真人生の探究』には目を通していますが、速読というのは読んだうちに入りません。
執筆のための確認作業をしているだけで、思索するのには速読はむしろ有害です。

よく小説を速読する人がいますが、これはあらすじを知るだけの効果しかありません。
本を早く読める人が、400ページもの小説を一時間で読み切るのは、速読ではありません。その人なりの熟読なのです。
(ただし、ぼくにとっては、そのスピードは速読ですが。)

もっとも、ビジネス書や実用書などについては、速読は有効でしょう。が、天風先生の本を速読しても何も得るものはないでしょう。
さて、23年ぶりの再読では、じっくり思索しつつ読むつもりです。
「思索しつつ読む」というのは、数時間で読める本を、真正面からタテに読みつつも、ほかの本をとり出してヨコに読み、しばし思いを馳せつつ数日かけて読む読み方です。

月曜担当…池田光



2018年2月25日(日)
「無執着」                        日曜担当…八木正典

仕事の結果に全く執着しない人は 常に楽しく 自由自在である
あらゆる種類の活動をして しかも無活動 無業報である (バガヴァット・ギーター)

昨年の10月から仕事内容が変わったのですが、分からないことだらけで自分の行動や言動がどのような影響を及ぼすのかなかなか見えづらい状況です。
だからこそ、尊敬する名経営者である稲盛和夫さんの言われている「楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する」を念頭に置き、結果に捉われないよう自分が出来ることに全力を尽くすことに集中しております。
結果に対する執着がないことで、結果として多くの方に助けていただき楽しく柔軟な活動ができており有難いことです。

日曜担当…八木正典



2018年2月24日(土)
習慣                           土曜担当…佐々木秀彦

『みずから恭敬すること、みずから助くること、勤勉なること、信実なること、およそこれらみな習慣の善なるものなり。道理は習慣するものの称呼にして、習慣は道理の実事に行われるものなり。習慣はあるいは悪なるによりて、恩恵の主となるべく、暴虐の人ともなるべし。けだし人の年歯の長ずるにしたがい、おのおのその自由の行為、その習慣に掛かり、己が身を固める鏈鎍に綁縛せらるべし。ゆえに、はじめ善き習慣を長ずべきことを最要の務めとなすべきなり。

西国立志編第十三編十二「習慣は、はじめを慎むべし」からの引用です。

平昌五輪の女子フィギアスケートでは素晴らしい姿を魅せていただきました。メダリスト、日本人選手、さらに順位はそこまででは達していらっしゃらないにしても、世界各国代表選手はそれぞれとてつもなく凄いのだなと感じさせていただけました。

スポーツ選手は天性の身体能力に、習慣化した鍛錬の蓄積があって初めて結果を出すことができる判り易い職業なのかもしれません。成績の数値基準や順位が明確にされることは残酷な部分もありますが、理には適っております。一般社会人の場合、成績の数値基準が明確にし難い部分もありますのでそこが寛容な部分でもあるのですが、理不尽な評価も散見される反面性もあります。

女子フィギアスケート金メダルのザキトワは15才。日本代表6位入賞の坂本香織は17才。10数年の習慣の積み重ねで世界ランキングに達する人もいるのが現実です。僕も10数年良い習慣で鍛練すれば、どこまで行けるのでしょうか???これから楽しみです。

『習慣ははじめにおいてその力弱きこと、蜘蛛の糸に似たり。しかれども、ひとたび癖習を成せば、鉄鎖をもって束縛するよりも強し』西国立志編の同じ編に記載されている文言です。「日々是決戦」とか「油断大敵」とかいうよく遣われる言葉もありますが、挫けてしまいそうなニュアンスを感じます。しかし「力弱き蜘蛛の糸ぐらいの弱さの習慣」の遂行ならば肩に力を入れずにいつの間にかやり続けられそうです。『はじめを慎むべし!』良い言葉だと感じます。

土曜担当…佐々木秀彦



2018年2月22日(木)
「あとからくる者のために」              木曜担当…西端努斗夢

坂村真民先生の詩に「あとからくる者のために」という詩があります。


あとからくる者のために

苦労をするのだ

我慢をするのだ

田を耕し

種を用意しておくのだ

あとからくる者のために

しんみんよお前は

詩を書いておくのだ

あとからくる者のために

山を川を海を

きれいにしておくのだ

あとからくる者のために

みなそれぞれの力を傾けるのだ

あの可愛い者たちのために

未来を受け継ぐ者たちのために

みなそれぞれ自分でできる何かをしてゆくのだ




以前の私は、自分のあとに生まれてくる人たちのために、自分には何ができるのかなんて考えたこともなかったのですが、最近は、この詩がほんの少し心に響くようになってきました。
とは言うものの、まだまだ自分のためにやりたいことが山ほどあり、真民先生の境地には、とてもおよびません。

木曜担当…西端努斗夢



2018年2月19日(月)
無題                           月曜担当…池田光

整理の仕方でよく言われるのは、
「いつか使うだろう」
「一年以上使っていない」
といったものは、「思い切って捨てなさい」ということです。

ですが、ぼくは正反対のことをやっています。
「数年単位で見ると、捨てることは善ですが、数十年単位、数百年単位で見ると、捨てることは悪だ」という発想があるからです。

たとえば、書籍ですと、20年くらい経つと少しずつ価値がでてきて、50年経つと思わぬ価値が出ることがあります。
そして、100年も経てば、価値は計り知れないと……。
そんなふうに思っているのですが、実際にそうなのです。

「市場価格」で、価値を計るとこうなります。
ぼくが10代や20代の頃に、数百円ほどで買った本が、今では何千円、何万円という価格で売れていきます。
というのも、かつては捨てるほどあって見向きもされなかった本が、もう無いのですね。
ベストセラーだった本は、発行部数が多過ぎて、何十年経ってもなかなか価値は出ませんが、初版で終わっている本や特定分野の本は高値がつきやすいのです。

ずいぶん前の話ですが、ある人がビジネス書を捨てようとしていましたので、試しに目立った本を代理販売したことがあります。
すると、数冊で五千円ほどになったので、その人はとても喜んでくれました。本来ならもっと利益があるのですが、一週間以内で売れるよう安価に設定したので、このような程度でした。
さて、ぼくが選んだのは古いビジネス書でした。5、6年前のビジネス書はほとんど売れませんが、数十年も経つと新たな価値が生まれることがあるのです。(ちなみに、数十年前のビジネス書は、新古本店での買値は「ゼロ円」です。)

次に「情報価値」という点でも、こういうことが言えます。
数十年前に買った本が、今頃になって役に立つという事例が多々あります。
新たなテーマを抱いて書棚を見渡すと、何十年も昔に買ってそのままにしていた本が、特別な意味を持ち始めたりします。
さらに執筆していると、書棚に詰め込んだままの本が、今になって必要になってきたりします。
これが意外にも宝の情報なのです。

いちばん価値を生んだのは、ぼくが20代の終り頃に教えていただいた経営コンサルタントの方の膨大な資料でした。(本ではありませんが……)
40代になってから、この資料をもとに経営コンサルティングの新技術を開発して、数億円の価値を再生産しました。
ふつうは、一過性のものとして、捨ててしまうことでしょう。しかしぼくは、いつか役に立つと信じて、寝かせていたのです。

「寝かせる」と書きましたが、ぼくがやっているのは、役に立つときまで「寝かせる」という整理術です。
「寝かせる」とは、何年後、何十年後かに必要となって「起こす」ときまで、いつでも取り出しやすくして保管しておくということです。
長い期間、使わないでいると、その資料の存在を忘れたり、整理が行き届かなくて取り出しにくくしてしまいます。すると、死蔵させてしまうので、これでは「寝かせる」ということにはなりません。
そこで必要となるのが、「起こす」ことを前提とした「寝かせる」技術なのです。

今年もこんなことがありました。
講演ライブラリーの企画が実現することになり、ぼくは20年前から寝かせていた講演ビデオやDVDを「起こした」のです。

もし、整理術の専門家の意見に踊らされて、「「いつか使うだろう」というものを捨て、「一年以上使っていない」といったものを捨てていたら、価値の再生産をすることはできなかったでしょう。

先週のこと、中村天風の資料で、30年以上使っていなかったものが、突然必要になりました。
「置いていてよかった」
と思いました。その資料は、すでに講談社から出ている『運命を拓く』に収録されているのですが、収録するにあたって修正が加わっていました。
やはり、初出の資料でないと、生の情報を得られません。書籍に収録されたからと処分していたら、細かな検討ができませんでした。

また、今年は、天風先生の没後50年を迎えますが、このタイミングである本を復刊します。
この本も、寝かせ続けていた本でした。
が、ようやく「起こす」ときがきたのです。起こすとは、価値の再生産にほかなりません。
そして、起こして役立たせる確率は、意外に高いのです。

だから、スペースがあるなら、なるべく処分しないほうがいい。もし、処分するなら、還暦を越えてからにしたほうがいいと、ぼくは思っています。
「処分は、存命期間との兼ね合いで考えるべきだ」というのが、ぼくの見解です。

昔話に、「三年寝太郎」というのがあります。
……三年間も大いびきをかいて寝てばかりいる男がいました。村人から「寝太郎」と綽名をつけられます。
ある日、寝太郎が突然起きだすと、村人の大きな役に立ったのです。しかし、寝太郎はそれをやり上げると、また眠りに入ります。
村人たちは、「今度、寝太郎が起きたら、何をするのだろう」と噂しあうのでした。

この昔話は、「寝かせる」ことの価値を説いた寓話でしょう。
たとえば酒でも、麹を寝かせて発酵させないと旨くなりません。寝かせるから、大きな価値が生まれるのです。

ところが、整理術の専門家は、わずか一年でも寝ていると「捨てろ」と言います。
「三年寝太郎」の昔話は、そんな短期的な視野しかもたない専門家に、ギューっとお灸をすえるために作られた物語なのでしょう。

月曜担当…池田光



2018年2月18日(日)
「台湾」                         日曜担当…八木正典

昨年、本心塾加藤先生から「台湾人と日本精神」での講義で日台の結びつきの強さの基になっている歴史的背景や台湾の歴史を通じて日本近代史が学べるということを教わりました。
そのため一度台湾に訪問したいと思っていたのですが、たまたま休暇が取れましたので、アドバイスもいただきながら台湾に行ってきました。
国立台湾大学の校史館や台北二二八和平紀念館、国立臺灣博物館等で戦前の日本の残した足跡等を見て回りながら、日台の歴史的な背景を全く知らなかった自分が恥ずかしくなるとともに、台湾で産業の近代化や教育に力を注いだ明治、大正、昭和初期の先人の活躍に胸を打たれること屡々でした。日本人としての意識を掘り下げるいい機会となりました。有難い機会でした。
日本近代史についての目を背けず、平静な目で見た学びをもう少し深めたいと感じております。

日曜担当…八木正典



2018年2月17日(土)
儀範                           土曜担当…佐々木秀彦

『人は宇宙の間にありて、独り立つものにあらず、互いに相依頼し関係するものの一分なり。…(中略)…ゆえに人死してその身体消散し、土と化し気に交わるといえども、その善悪の言行は死せず散せず、おのおのその種類に従いて、将来の果実を結び、無彊に伝わるべし。…』

西国立志編第十二編「儀範を論ず」五「人の言行、永く死せざること」からの引用です。西洋の翻訳本というイメージから「儀範」という言葉が出てくると、キリスト教的な価値感が出てくるのだろうなという僕の身構えは完全に間違いでした。第十二編は最初が「家裡」次が「父母」の儀範という流れになっております。僕は5歳児の父ですので、こういう表題を見るとすぐに食いついてしまうのですが、そこには『今生において、およそ人の行為は、後事相繁属する長久の鎖の端首とならざるものなし。その長久なる末梢の光景は、肉眼のよく達するところにあらず』という書き出しから始まるもので、いきなり宇宙的時間軸での「言霊」の理論でした。

「自助論」つまり「セルフヘルプ」に、今の言行が鎖の端首となって遠い未来の抹消の部分で繁営するというけっして「セルフヘルプ」ではない内容がこの第十二編です。ただ大きな意味で未来に生きる人類すべても自分自身の一部だと認識すれば間違いなく「セルフヘルプ」でもあります。僕はそういう宇宙的時間軸は大好きです。

今、韓国で冬季五輪が開催されていて、2連覇のかかるスケートの羽生結弦選手がSPの圧巻の演技の後「僕はオリンピックチャンピオンです」という言葉の後「ソチのリベンジを果たします」とコメントして、「あっ、チャンピオンでリベンジと言うのもナンなのですが、とにかくリベンジするのです」と再度決意表明していらっしゃいました。
世界王者というのは相対評価です。おそらく羽生結弦選手は自分自身の評価価値基準において平昌でリベンジすべき課題があるのでしょう。ご本人にはそんな意識は毛頭ないでしょうが「セルフヘルプ」を実践していらっしゃる見事なまでの具体例だと感じました。彼ならきっとこのリベンジを果たすことができるでしょう。

冒頭の引用文には「善悪の言行は死せず、散せず…」とあります。善行だけなら良いのですが、悪行までもが「無彊に伝わるべし」というのもなかなか厳しい表記となっております。僕の過去の悪行も死せず、散せず…なんですね…この場を借りて未来の人類すべてに深く陳謝いたします…

土曜担当…佐々木秀彦



2018年2月16日(金)
臨時休業                        木曜担当…西端努斗夢

誠に勝手ながら今週のブログはお休みさせていただきます。
最近は曜日感覚がなくなり、金曜日になって昨日が木曜日だったことに気づきます。
いつもなら、ブログを書かなければと思ったらすぐに書きたいことが浮かんでくるのですが、今週は何も浮かんできません。
根を詰めてやっていた作業が一段落して頭がぼーっとした状態です。
「たまにはぼーっとするのも良いか」と思う反面、「ぼーっとしすぎ!」という声も聞こえてきそうで……

木曜担当…西端努斗夢



2018年2月12日(月)
無題                           月曜担当…池田光

3月3日の六然講座では、『西国立志編(自助論)』がテーマとなります。ぼくも軽く準備をしているところです。
まず、書庫からスマイルズの著作と研究書をざっと集めてみました。(……十年ほど前から関心が薄れていたせいで、処分した本や、散逸した本がありますが……。)

■大正時代にスマイルズの全著作は翻訳されていた。
大正時代には、『博士スマイルズ大著書』として、『自助論』『品正論』『労働論』『勤倹論』『職分論』の5冊が翻訳されていました。
おそらく、この5冊がスマイルズの著作のすべてだと思います。わが国において、どれほどスマイルズが歓迎されていたかわかりますね。
そんな『博士スマイルズ大著書』全5巻も、古書店でまったく見かけなくなりました。



思い起こすと、ぼくがスマイルズに取り組もうとしたのは、PHP研究所から『成功哲学ノート』を刊行した頃でした。もう十年以上前のことになります。
さらに、もっと前から「成功哲学叢書」の企画を抱いていました。そんなこともあり、スマイルズの著作や研究書をはじめ、成功哲学関連の文献を精力的に集め出したのは、二十年も前にさかのぼります。

なかでも、スマイルズの『自助論』(『西国立志編』)は、わが国においていろんな版が出版されています。
くわしくは、『彷書月刊』という雑誌の、2002年4月号から2003年3月号まで一年間にわたって連載された、田中栞氏の「『西国立志編』探書録」をご覧ください。
といっても、この記事は単行本になっておらず、雑誌に掲載されただけで終わっているのが惜しいところですが。

まず、中村正直が『西国立志編』として自助論を翻訳し、出版したのは、明治3年のようで最初は和本でした。
章ごとに分冊で販売されていて、全冊の揃いとなると、現在の古書価格で10数万円するでしょう。ただ、ぼくは『西国立志編』の和本版を持っていませんので、明確なことはわかりません。

特筆すべきなのは、明治10年に、本格的な洋装版の『西国立志編』が刊行されたことです。この本は、わが国初となる純国産の洋装本です。この本のおかげで造本の技術が確立し、洋装本が主流となりました。
大日本印刷株式会社のサイトの沿革を見ると、「明治10年 『改正西国立志編』(日本初の純国産活版洋装本)完成」とあります。つまり、大日本印刷株式会社の前身となる会社が最初に手掛けたのが、『改正西国立志編』なのです。
ぼくが所蔵している一冊を、ご参考までに、六然講座に持参する予定です。
(ちなみに、写真の左から三番目の本が、今から140年前の日本初の純国産活版洋装本です。とてもしっかりした造りです。もちろん、稀覯本であり、あまり見かけることはありません。)



■わが国の研究
わが国では、中尾定太郎氏が『スマイルズの思想』『スマイルズの復活』『スマイルズの精神史』の著作を残しています。かつては、古書店でちょっとした価格がついていましたが、さきほどAmazonをのぞくと激安なので驚きました。
ちなみに、『日本における庶民的自立論の形成と展開』の著者・藤原暹氏は、その書のなかで中尾氏の『スマイルズの思想』を激賞しています。

また、鶴田賢次著『自助論の著者スマイルス翁の自伝』という珍しい本が、明治42年に出ています。レンガ色の表紙に、金文字が輝く瀟洒な一冊です。



さらに、「立身出世」という観点から『自助論』を考察している研究が多々あります。しかし『自助論』そのものを直球で研究した日本語の本は、中尾定太郎氏のもの以外にはないようです。

ぼくは前半生において、好んで成功哲学を学んできました。そして、これをダイジェスト的にまとめたのが、『成功哲学ノート』です。
この本の冒頭で、ぼくは近代の成功哲学のスタートとして『自助論』を掲げました。
この『自助論』を学んだマーデン(天風先生がアメリカで会った方)が、アメリカで多くの成功哲学の本を書いて流行作家になりました。
わが国では中村正直が『西国立志編』として翻訳し、日本での成功哲学を促進させたと考えています。
このあたりが、近代成功哲学の黎明期です。

■時代背景から考えてみると……
ところで、現在の日本において、『自助論』のようなことをネットで主張すれば、炎上するでしょうね。
一部の方々から、猛然とした批判を浴びることになると思います。

最後に、簡単に『自助論』が成立した背景を見ておきましょう。
1859年にイギリスで出版された『自助論』の成立背景には、中産階級からの熱烈な歓迎がありました。
そんな裏面には、イギリス版生活保護法のような「救貧法」が1834年に全面改訂され、「貧困は本人の責任」であり、「自助の精神」が強調されたという経緯があります。

貧困問題が深刻になったイギリスでは、1700年代の終り頃から「救貧法」を制度化しますが、これによって財政負担が重くなります。やがて全面改訂しようという動きが活発化し、1834年にイギリスの王立委員会は、
・「救貧法」によって人口が激増した。
・「救貧法」によって賃金カットや不道徳な行為が横行し、労働者階級が堕落した。
などといったマイナス点をあげて、「自助の精神」を奨励する方向に舵をきることになったのです。

他方では、蒸気機関の発明などによる産業革命があり、新たな成功の扉が開いたという時代転換があります。
さらに底辺には、16世紀後半の宗教革命によって生まれたピューリタニズムによって、「この世における仕事(世俗の職業)に勤勉に従事することは、神から与えられた天職を果すことだ」という精神がありました。
世俗の仕事に「天職」という意味づけを与えたのは、ピューリタニズムにほかなりません。
天職を「calling」と言いますが、「calling=神が呼ぶこと=天職」という図式が流れていました。
そんなピューリタニズムから「自助の精神」が生れたわけで、単なる勤勉・努力だけでなく、宗教的な意味合いがあり、人間性を高めることでもあったのです。
『自助論』を読むと、人間性の向上がテーマとして流れていることを読み取れると思いますが、この部分はあまり日本では取り上げられていないのではないかと思います。

では、日本ではどうだったのかというと、「立身出世」をテーマにした研究のなかで『自助論』が取り上げられているわけです。
しかし、現在においては、こういう時代背景は過去のものであり、自助ということに対して反発する勢力も大きいのではないでしょうか。
他方で、熱烈に歓迎する向きもあるでしょう。
現代の日本に置いては、『自助論』の位置づけは、たいへん微妙なところに置かれていると思います。それだけに、「自助」というものを時代背景のなかで再吟味し、現代における意味を見出すことが求められていると感じます。

月曜担当…池田光



2018年2月11日(日)
「量子論」                        日曜担当…八木正典

先日の六然講座で、富樫先生から宇宙エネルギーに関しての講義をいただきました。
宇宙エネルギーを量子論から見て説明するという非常に難解なテーマで刺激的でした。
その際に半死半生の猫である「シュレーディンガーの猫」についての話があり、なんとなく興味が湧いたので少し調べてみました。
外から見えない箱に一匹の猫が入っています。箱には放射性物質と放射線検出器、そして放射線検出器の作動に合わせて動く毒ガス発生器が入っています。放射性物質が観測までの間に放射線を出す確率は50%。観測した時に猫は50%の確率で死に、50%の確率で生きているというものです。
いつのタイミングで猫の生死が決まるのか様々な説があり、観測者が見た時に決まるという考えや生きている猫と死んでいる猫がいる世界に枝分かれしていくという多世界解釈など今後も議論の発展の余地がありそうです。
観測者が見た時に決まるというのは、王陽明の認識論での考え方と相通ずるものがあり、今後も量子論がどのように本問題を解き明かしていくのか関心を持って眺めていこうと思います。

日曜担当…八木正典



2018年2月10日(土)
妄用                           土曜担当…佐々木秀彦

『あるいは資質疎大にして、財を軽んじ倹省することを知らざるものは、ついにはなはだ卑陋なることをなすに至るべし。あるいは金銭を念慮に掛けずこれを費やし、また光陰の貴きを知らずしてこれを費やし、後来の贏利を希望して目前の活計をなすものは、ついに他人より借財を負うに至り、真正の自主自立の人なることを失うなり。』

西国立志編第十編は『金銭の当然の用、およびその妄用を論ず』という副題です。上記はその『八、節倹は端正老実の本質』からの引用ですが、150年後にクレジットカードが主流になる社会を想定して啓示しているのかと思うほど、現代に相応しい文章です。

お金に関する道徳観念は、各個人それぞれがそれぞれなりに学習して現在に至っているかと思います。僕の記憶では少なくても学校ではお金に関しての授業は無かったと思います。父が商売人だったので、機会があればそれなりに教えられたと断片的な記憶はありますが、残念ながら父の教えをしっかり僕のものにはまだ出来ておりません。

『こちとら江戸っ子でぇー!宵越しの銭は持たねぇんだよっ!!!!』
二十歳ぐらいの僕の金銭感覚はこの江戸っ子気質がカッコイイものでした。今でもまだそういう感覚は正直僕の心に活きています。

西国立志編を読み進めて、この第十編にきて、自分の心の奥底が見られているような恥ずかしさを感じ、何か暗い気持ちになりました。おそらくここが僕の最大の弱点なのでしょう…

子供の頃、「舌切り雀」「花咲爺さん」等で代表される日本の昔話で、真面目でコツコツ働く正直者にはやがてお宝がやってきて、嘘つきで卑怯な狡い者にはお宝ではなくバチが当たると繰り返し聞かされました。西国立志編の第十編はこれらの日本昔話と概要としては同じことが記載されています。明治維新時期の日本人にとって、この第十編などは十分に認識があって、そこは西洋でも同じなのだよという確認のような編だったのではないのかと推測するのは大和民族を美化しすぎでしょうか???

弱点に気がつけば、その修正は簡単です。気がつかないから、永遠に短所として活きる訳です。西国立志編を読んで、道徳の教科書には気づかす役割が大きいのかなと感じました。知らないことを教えてくれるのも読書の凄い役割なのは誰しも認識するところですが、お金との付き合い方などは、人から聞くと素直になれないことも往々にしてあるので、気づかせてくれるという役割も甚だ凄いものだと、今感じています。

土曜担当…佐々木秀彦



2018年2月8日(木)
自助                           木曜担当…西端努斗夢

スマイルズの『自助論』を読み始めています。最初の印象は、勤勉と努力の大切さが力説されてるということです。
日本人向けに翻訳されたためかどうかわかりませんが、いかにも日本人が好みそうな内容で、明治初期に中村正直の翻訳で『西国立志編』として出版され、福沢諭吉の『学問のすすめ』とともに大ベストセラーになったのも頷けます。
まだまだ読み始めたばかりで、これからさらに読み進み、「自助」について考えてみたいと思います。

木曜担当…西端努斗夢



2018年2月5日(月)
無題                          月曜担当…池田光

4月8日まで、大山崎山荘美術館で「濱田庄司展」をやっています。
この美術館はお薦めです。
数年前に行ったことがあるのですが、とても素敵な美術館でした。
また、濱田庄司の陶器が好きだということもあり、先週の水曜日に行く予定をしていました。



そんな予定をしていたところ、「ボストン美術館の至宝展」の招待券をいただきました。
こちらは2月4日までと期限が迫っていたので、急遽変更して、至宝展に行くことにしました。
すると、美術館のロビーで、あの人と遇ったのです。
その人はぼくとの縁が深い人で、その日のその人は美術館のスタッフをしていたのでした。

ぼくはマスクをしていたのに、その人はぼくをすぐに見つけたらしく、
「今は仕事中だから、話せませんよ」
と寄ってきて笑い、ぼくの目をのぞいて通り過ぎました。
もう二度と会えないと思っていただけに、幻と出会ったような気がして、今も不思議な感覚が続いています。

変化……という言葉が、二週間前からぼくの頭のなかで響いています。
小さなことから大きなことまで、思いもかけないようなことが起こっていて、それはそれで楽しくもあります。

そういえば二週間前のブログでは、講演ライブラリーの実現が難しくなったと書いたのですが、実現することになりました。
なぜ実現する方向に化したのかというと、この企画に以下の三つ要素が具わっていたからでしょう。
①ビジョン(大義)があること
②誰の権利も侵さないこと
③ステイクホルダーのすべてにメリットがあること
つまり、最初から無理なものがなく、すでにゴールに結ばれていたのでしょうが、人間社会においてはすんなり行かない摩擦の構造があるのでしょう。

雑談を続けます。
3月3日の六然講座では、佐々木さんと西端さんが『西国立志編(自助論)』を講義されるとのことで、ぼくも遅ればせながら冒頭の言葉を再読しました。

「天は自ら助くる者を助く」
"Heaven helps those who help themselves"
という最初の言葉を味わっておりました。

「天が助ける」
どんな人を助けるのかというと、「自らを助ける人」である。

では、「自らを助けない人」=投げてしまったり、諦めたり、他人にすがろうとしている人を、天は助けないのか……というと、助けることはないのでしょう。

親鸞の悪人正機説ではありませんが、
「天は自ら助けざる者を助く。いわんや、自ら助くる者をや」
あるいは、「天は他助の者を助く。いわんや、自助の者をや」
というわけにはいかないでしょう。
ここはすんなり、天は自助の人を助けるのであって、他助の人を助けるのではないという解釈でいいでしょう。

ところで、面白いのは、「天が助ける」という概念です。
天をどう捉えるかですが、「天=人格神」のように捉えると、頑張っている人を応援しようという感情みたいなものが天に介在しているように見えます。
そうではなく、ぼくは「天=宇宙や自然の摂理」と捉えて、合理的な法則性として、自助の人は天からの支援が受けられる構造になっているのだと解釈したいと思います。

「自助」というのは、新しい概念です。
わが国では、中村敬宇が「セルフ・ヘルプ」の訳語として「自助」という言葉を作ったのですが、そもそも「セルフ・ヘルプ」という概念は、近代に出来たものです。
おそらく、カーライル(1795~1881)が初めて用いた新語で、これをスマイルズ(1812~1904)が用いてヒットさせたのでしょう。

自助とは、自分の内なる力(自力)を信じて、この力で努力し続けることであり、その勤勉さによって、やがて周りにも応援者が現われるし、思いもよらぬ天からの力添えもあるのでしょう。

絶えず努力した勤勉者ほど、こう言って感謝します。
「私には何の天分もありません。周りが助けてくださったのです」
と。

実際、自助の人ほど、天に感謝の祈りをささげます。
その祈りは、「神様、~~してください」という他力の要請ではありません。
ただ、「ありがたい」と天に感謝するのです。
これが自助の人の姿であり、内なる力を信じて努力する自力の人のあり方だと思います。
『自助論』は、異国の事例がいっぱいだけれども、国境にかかわりなくそんな人を描いているのではないでしょうか。

さて、ぼくは竹内均氏をはじめとする数種の『自助論』の翻訳を読みましたが、あまりにもこなれた意訳なので、せめて冒頭の文だけでも直訳してみようと原書を購入しました。
(ちなみに、ぼくは原典主義で、漢文も原典を読まないと理解が行き届かないと考えています。なのに、能力不足なのが痛いところです。写真の『セルフ・ヘルプ』はペーパーバック版。もっとも安価で、送料込で1000円ほどでした。)
さて、その一部を記載します。



「天は自ら助くる者を助く」
とは、十分に検証された格言である。
この短い指針となる格言のなかには、
膨大なる人類の経験から導かれた結論が詰まっている。

"Heaven helps those who help themselves" 
is a well-tried maxim, 
embodying in a small compass 
the results of vast human experience.

こんな拙訳が正しいかどうかわかりませんが、『自助論』の冒頭の始まりを六然講座では少し披露したいと思います。
もっとも、ぼくは添え物であり、メインディッシュのお二方の講義を楽しみにしているところです。

月曜担当…池田光



2018年2月4日(日)
「リフレーミング」                 日曜担当…八木正典

問題解決の方法を学んでいると、リフレーミングという言葉に出会いました。
そもそも解決すべきなのは、本当にその問題なのかを振り返って本質的な解決策を志向するというものです。問題を一面から見るだけでなく、問題を再定義することによって創造的な解決策が導き出されるとの考えなのです。
例えで引用されていたのは、エレベーターが来なくて渋滞してしまい並んでいる人が不平不満を言っている状況をどう解決するか考えるというものです。通常であればエレベーターの速度を上げるとか、エレベーターの制御を効率的にするとか、エレベーターをどうにかしようという解決策が思いつくのですが、リフレーミングで考えてみると、エレベーターの横に鏡を置く、BGMを流してリラックスさせるという不平不満を起こさせないような解決の仕方もあるのだと示されていました。
問題からすぐに答えを導いてなるべく早く解決しようとしている私にとっては新たな気づきを得られるものでした。
「子曰く、人にして遠き慮無ければ、必ず近き憂有り。」
より遠くから、多面的に眺められるような思考を養っていきたいと感じさせられました。

日曜担当…八木正典



2018年2月3日(土)
慈信                           土曜担当…佐々木秀彦

『慈信の心に根ざさずして、嗜慾の私に出ず。故に弊害の極まるところ、身喪び国敗る。宣尼いわずや、?や欲なり。いずくんぞ剛を得ん、と。』

西国立志編の第八編自序からの引用です。『剛毅』の原質とはと尋ねられて、中村正直は『慈なり、信なり』と答えたということです。

『自信』という言葉は自己を信頼する徳目ということだそうですが、現在は自信が無いとか、自信過剰とかの場合に遣うことが多く、何かマイナスイメージのような印象すらします。自己を信頼する『自信』を得るのは難しくても、慈しみそして信頼するという『慈信』の心は今すぐからの意識で育てることができそうな気がします。

『頴敏の才ありといえども、心志剛ならざれば、あるいは失望のこと生じ来り、あるいは危険に逢い、これがために妨げられるべし。心志の力、剛毅なるものは、才気足らずといえども、中途失望のことなくして、ついに成就の地位に至るべきなり。しかるときは、心志の力は人の品行の中心力と称すべし。一言をもって約すれば、心志の力はすなわち、その人の人たるゆえんなり。』

『慈なり、信なり』が『剛毅』の原質となり、この『剛毅』が『心志』に力を持たせ、『心志剛毅』は『人の人たるゆえん』である。つまり『人の品行の中心力』の原質が『慈信』ということでしょうか。現代語解説すると逆に意味不明になりますから、やはり漢文調の日本語が意味を感じるためには素晴らしいのだと気づきます。

現代の整備が行き届いた道が当たり前の僕達ですが、明治維新時期の場合最も整備された東海道でも、険しい箱根の山路があったり、橋の架かっていない大井川があったりしました。中山道などは険しい山路ばかりだったはずです。平坦でアスファルト舗装された道など想像すら出来なかった時代ですから、成功成就の道も当然に現代感覚的には非常に険しいイメージだったことでしょう。その険しいイメージ以上の艱難辛苦を乗り越える気概と胆力としての『心志剛毅』です。

道といえばアスファルト舗装、川には橋が、山にはトンネルに慣れてしまっている僕たちが、成功成就の道に関しても同様な現代感覚を持っているのかもしれません。とりあえず『道』というものに関する現代感覚は間違いだという認識は人としての大前提なのかもしれません。自然に対する感謝と慈しみも含めて、心の『慈信』を育てていかなくてはいけません。

土曜担当…佐々木秀彦



2018年2月1日(木)
そこそこの病                      木曜担当…西端努斗夢

一昨年末、私はそこそこの病に倒れ、身体にそこそこの障害が残りました。
そのおかげで多くの気づきや体験ができました。
もし、私の病や障害がもう少し軽ければこんな気づきや体験はできなかったと思います。
また、私の病や障害がもう少し重ければこんな気づきや体験ができたとしても、何も行動できなかったと思います。
私は、どの宗教も信仰する気にはなれませんが、この世に偶然がないとすればこの絶妙な匙加減に直面して、人類が神と呼ぶ“偉大な存在”を信じずにはいられません。

木曜担当…西端努斗夢



2018年1月29日(月)
無題                          月曜担当…池田光

先週の木曜の夜に、ラミネーターが壊れて、すぐにAmazonで注文しました。
ちょうど、認定証を作成していたところで、土曜にはラミネーターが届きましたので、問題なく仕事が終わりました。

そしたら、土曜の深夜に、今度はマウスが壊れてしまい、パソコンの操作がしにくくなりました。

「二度あることは三度ある」と言いますが、用心しているところです。
先週のブログで、今年はぼくにとって変化の年かもしれないと書きましたが、こんなのも変化の一環だと受けとめています。

先が読みにくくて多少振り回されており、「波がたっているときは錨を降ろす」ことだと思って、心に重りをつけたイメージをして、静かにしています。
マウスがなくて書きづらいので、このへんで。

月曜担当…池田光



2018年1月28日(日)
「一所懸命」                       日曜担当…八木正典

一所懸命やっているのに、それでもうまくいかないと嘆いてはいないか。本当にそのことを成そうと考えるなら、その一所懸命をつき抜けるほどの努力をせねばならないのである。
(松下幸之助)

想定もしていなかった問題や対処しなければならない課題が発生して頭を悩ませています。
次から次へと新たな情報が入ってきて対処したものが新たな原因になっているのです。
自分としては出来る限りのことをやっているのにと思いながら、松下幸之助の本を読んでいると厳しい言葉に出会いました。厳しいながら励みになる言葉です。
自分に限界を設けてやっているつもりになっていないか、更に更に工夫できることはないのかと自分に言い聞かせて、一所懸命につき抜けることを目指していこうと思います。

日曜担当…八木正典



2018年1月27日(土)
根源                           土曜担当…佐々木秀彦

『今それ、木の大なる者、霄漢を凌ぎ、風雨に戦い、蒼皮黛色、千年なお新たなり。然るにそのはじめに溯れば、すなわち一粒の種子、根を地中に託する者のみ。川の洪なる者は、田野に漑ぎ、艨艟を汎かべ、百折絶えず、万古息まず。然るにその源を探れば、すなわち一道の活泉、坌湧して出づるのみ。
ここに知る、種子は、木の誠、活泉は、川の誠なることを。ただそれに誠あり、その大を成すゆえんなり。物なお然り。況や人においてをや。人いやしくも一片の誠、胸中に存するあれば、すなわちはなはだ微にて見るべかざるがごとしといえども、しかも実に万事の根源となる。もって芸事を修むべく、もって学識を植つべく、もって民人を治むべく、もって神明に交わるべし。』

西国立志編第五編叙からの抜粋です。この第五編では、ニュートン、ミケランジェロ、ガリレオ、コロンブス等々現代日本人にお馴染みの名前が続々と登場します。『運の神様は前髪がフサフサで後ろ髪がツルツルなので、後からは捕まえられない』という誰もが知っている例え話がローマの出典であり『ローマ神ジュピターといえども再び彼を擒獲することあたわざるべし』という表現になっているのが面白いと思います。

ニュートンのリンゴの木から落ちるのを見て、偶然引力を発見したと言われるが、そうではない。常日頃研究に研究を重ねて、考察に考察を重ねて、そのことばかりに集中していたからこそ、果実が落ちるという現象を見て閃いたというだけのことだと解説しております。コロンブスも乗組員がこれ以上航海を続けると燃料が尽きて皆が死ぬからと航海を断念すべき状況で、海面に浮かぶ藻に気づき、陸地が近いことを確信してアメリカ大陸を発見したという偶然ではない功績を明記しています。

木の誠は種子、川の誠は活泉、人の誠は心。嘘と誠の対比的な誠という意味では無く、こいう『誠』の遣い方がきっと本来なのだろうなと強く感じます。大和文化は言霊文化。ごんべんに成ると書いて『誠』。木は千年新たなり。川は百折絶えず万古息まず。人は胸中に存するあれば万事の根源となる。誠に興味深いお話しです。

土曜担当…佐々木秀彦



2018年1月25日(木)
『星の王子さま』                    木曜担当…西端努斗夢

先日、毎朝送ってもらっているメールマガジンに『星の王子さま』の話がありました。
それは、月の光を受けた砂漠の神秘的な光景を前に王子が口にした「砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているからだよ」という言葉です。
私も砂漠のように、汲んでも汲んでも涸れることのない「井戸」を心の奥深くに掘ろうと思いました。
そういえば、『星の王子さま』は若い頃、職場の後輩からプレゼントされて読んだことがあります。
今回のメールマガジンをきっかけに、もう一度、読み直してみたくなりました。

木曜担当…西端努斗夢



2018年1月22日(月)
無題                           月曜担当…池田光

今年は、ぼくにとって、変化が多い年になりそうです。

先週の金曜日のことでした。まる4年間教えていただいた漢文の先生が、4月から関東地方の某国立大の講師に就任することになったとのことでした。後任が見つからなければ、漢文読解は3月で終わることになります。

「変化の年かもしれない」と思いながら帰宅し、メールをチェックすると、講演ライブラリーの実現が難しくなったという話がきておりました。
これも「変化」でしょう。

変化は、宇宙から見れば、良いも悪いもありません。
ただ、動いているだけです。
しかし変化だと受けとめると、私たちはこの変化に対して、どう対応するかが大切になります。つまり、個の立場からすると、変化対応が求められるわけです。

たとえば変化に対して、いつもニコニコと流されていては、個の人生は翻弄されるだけです。時には、厳然たる態度で臨むことが必要でしょう。
講演ライブラリーの件については、ぼくは後者の態度で臨む道を選択しました。このたびの一件により、ぼくは一定の終止符を打つつもりです。

さあ、今年はまだ始まったばかりで、この一年でどれだけの変化が訪れるか未知数です。が、変化を恐れないで、変化を楽しめば、良い一年になることでしょう。
そう信じたいと思います。

月曜担当…池田光



2018年1月21日(日)
「神に祈りて」                      日曜担当…八木正典

自力救済と他力本願。
どちらもそれぞれの主張があり魅力はあるので、目指す姿としてどちらが理想なのか考えてみてもなかなかわかりません。
儒学を学び、陽明学に興味を持ち、仏教を読み解く。そうしていく中で知識は増えるものの自分の意識や行動にどう結びつき、それが正しい方向に進んでいるのかは未だ見えないのです。
わからないままに過ごしていく中で最近出会った言葉があります。
「神に祈りて全力を尽くし、全力を尽くして神に祈る」
わからないながらも、しばらくはこの言葉で自分に出来る最大限の力を尽くし進んでいきたいと思います。

日曜担当…八木正典



2018年1月20日(土)
淵博                           土曜担当…佐々木秀彦

『福なるかな、今日の西国の民や。古の帝王といえども、もって何ぞ及ばんや。昔は、方隅自ら封じ、知識狭隘なり。今や、四海交通し、学問淵博なり。昔は、教化明らかならず、風俗惨刻なり。今や、神明を崇敬し、志行虔誠なり。昔は、君上権を専らにし、民奴隷のごとし。今は、人自主を得て、共に公益を謀る。昔は、法教に禁あり、人心を強迫す。今は、民の自ら択ぶに任せ、王者問わず。昔は、俗勇悍を尚び、ややもすれば仇隙を生ず。今は、人道芸を嗜み、互いに友愛に篤し。』

中村正直訳、西国立志編・第二編序の冒頭部分です。漢字を4文字並べると説明不要で意味が明瞭に見えてくるから日本語は凄いなと感じます。おそらく現代語訳した渡部昇一は原文で使用されている文字を基本的には再現しているのではないかと推測できますので、どの文字を遣うかのセンスに長けていたことが中村正直の真髄なのかなと漠然と感じます。

僕の家の近所に「独立行政法人国立病院機構大阪医療センター」があります、「国立大阪病院」という呼称が平成16年に名称変更されたのですが、今でも「国立病院」という呼び方をしている人は僕を含め大部分です。先日自転車に乗った若婦人に老人が「国立医療センター」の道を尋ねたところ「国立がんセンター」か「国立病院」どちらだと若婦人が問い返しておりました。組織改編も大切ではあるでしょうが、行政機関の「OOセンター」という安易なネーミングがあまりに多いなと気になります。中国に行くと「OO中心」という看板がやたら目に付きますが、日本同様に機関、施設の英語「Center」の直訳だと思います。外来語も便利だとは思いますが、病院を「医療センター」、共通1次試験を「センター試験」、自動車免許試験場を「免許センター」等々変更する意図は理解しますが、何か釈然としません。

湧くわく本心塾塾則の3つの実践項目の一つに、「善い言葉を語る」というのがありますが、この「西国立志編」を読むと、「善い言葉」ばかりしか並んでいないと感じます。内容ももちろん大切なのでしょうが、まずこの「善い言葉」だけで構成された文章を読むというだけでも、僕にとっては十分に価値のあることだと思います。「淵博」という言葉も知りませんでしたが、こうやって少しづつでも深く、そして広く進んでいければ良いなと感じます。

土曜担当…佐々木秀彦



2018年1月18日(木)
自助論                          木曜担当…西端努斗夢

サミュエル・スマイルズの『自助論』を読み始めました。3月の六然講座でお話する機会をいただいたためです。このような機会を与えていただかなければ、おそらく一生この本を手にしていなかったと思います。本当にありがたいことです。
まず、全体のアウトラインを知りたくて漫画版の自助論にさっと目を通しましたが、努力の大切さなど、子供の頃から耳にしていたことが多いのは、明治初期に中村正直が翻訳し、『西国立志編』として発売され、福沢諭吉の『学問のすすめ』と肩を並べる大ベストセラーだったことが影響しているのでしょうか?
これから竹内均先生が翻訳したものをじっくり読み込む予定ですが、楽しみがまた一つ増えました。

木曜担当…西端努斗夢



2018年1月15日(月)
無題                           月曜担当…池田光

先週のブログの続きです。
2018~9年に、ライフワークを仕上げると書きました。
その後については、ノープランです。むしろ、ノープランであることを強く意識しています。

ぼくは、物心がついたときから、夢や空想を描くクセがあったようです。「いつか、~~したい」「大きくなったら、~~になりたい」などと思い続けてきました。
そんなクセが抜けないまま、社会人になると、自分の欲望を満たすような目標を立てるようになりました。

27歳のとき、8年後の35歳で①課長になる、②家が建つ、③著書が出る、という目標を立て、すべて叶いました。このことは、本にも書かせていただきました。

次の目標は、①池田事務所を設立する、②年収1000万円を超える、③10冊の本を出す、ということでしたが、早期に達成して、以後はこの種の目標を立てる気が失せてしまったようです。

それよりも、後世に影響を及ぼせるような仕事をしてみたいと思うようになりました。
最初にやったのが、立花大敬先生の『しあわせ通信』を本の形にして後世につなぐことでした。その延長線上で、現在、大敬先生の講演音声が百数十本ほどありますので、これを編集して後世につないでいくという事業に臨んでいます。

佐々木奘堂先生の『禅の言葉』『ブッダの言葉』を編集させていただいたのも、後世につなぐだけの価値がある作品だと思ったからですし、川井信一先生の本にもそんな意味を持たせています。

3つめに、中村天風です。あれだけの情熱で天風哲学を説き続けた、わが師・杉山彦一先生の意を受け継ぎ、天風哲学の奥義を文章化したいという思いが、2010年のあたりから湧き上がりました。これを、非力ながらも僕の手でやろうという思いが、ライフワークになっています。具体的内容については、先週のブログに書かせていただいた通りです。

「これをやり上げたら、あとは何もしなくていい。ノープランでいい。中高生のときに娯楽の読書をしたけど、あんな世界にもう一度ひたってもいいし、読まなくてもいいし、何もしなくてもいい」と。
先人から目標と計画を立てることの大切さを教えられてきましたが、その背景には「建設的であれ」という思想が流れているように思います。
「破壊」ですら、建設のためです。新たな建設のためには、既存のものを壊すことが必要だという発想があります。「建設―破壊」は、結局、大きな建設の流れのなかに収斂されていくのでしょう。
そんなことを思うとき、「ノープランだ」というのは、なんだか魅力的に思えます。頭を落として、やってきたことを淡々とやりこなす。
できるかどうか分かりませんが、ちょっと魅力的です。

月曜担当…池田光



2018年1月14日(日)
「無我」                          日曜担当…八木正典

新年になり、多くの出会いや懐かしい人との再会の機会が得られております。
本当に数十年ぶりのケースもあり非常に有難いことです。
「人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に」と森信三先生がおっしゃっているとおり、その出会いがその瞬間に来るべくして来るべきものだったのだと捉え、いかに一つ一つの出会いを大事にしていくかを意識したいと考えております。
いただいたご縁を何とか善いものにしていきたいと思うのです。
そこでいい縁につなげていくために思うのがいかに我のない心で人に接するかです。
昨日も尊敬する先輩とある会でご一緒させていただいたのですが、その方の自分を完全に後回しにし、無私の心で行っている周りへの心配りや配慮の徹底ぶりに感動し、改めて自分の至らなさを痛感し、多くの事を学ばせていただきました。
その方にも多くの名師良友がいらっしゃるとのことなのですが、その方の普段からの縁を大事にする意識の高さに、さもありなんと納得した次第なのです。
「直心是れ道場なり、虚仮なきが故に。」
私もその方に倣って素直で、柔軟な、我のない心を日々育てていこうと考えております。

日曜担当…八木正典



2018年1月13日(土)
勉強                           土曜担当…佐々木秀彦

『労苦の職業を勉め做すことは、最も善き教養なり。…且つ人にはおのおのその職分ありて、力を尽くすべきことになるに、この正経の工事(仕事)を勉強労作することは、すなわち己の本分を尽くす道なり。これすなわち皇天の庇護を受け、福運を招く道なり。詩人の言に「神明の人を洞天福地(極楽)に導けるや、その道路に、勉強労苦の関隘(関所)を置けり」といえること宜なるかな。…けだし労苦はすなわち学校なり。この学校において教うるところのものは、人をして工事修錬の上よりして、心智を開き、考察を長ぜしむることなり。このゆえに、労事を勉め、工役を執りて、その生涯をなせるあいだに、心霊の修養もおのずからその中に具われることになり。』

「西国立志編」の第二編の二にある文章です。これは陽明学の『事情磨煉』の解説ではないかと強く感じる文章です。安岡正篤は著書「伝習録」の中で『陽明学が実質的であり、行動的な性格を持つのは、事情磨煉を説き、知行合一を説いて、生活そのものを修養の場とするところにあるということができる』と解説しております。

3月の第6回六然講座への序章として、今回からしばらくブログも「西国立志編」で書いていこうと思いつきました。

以前に新渡戸稲造著「武士道」を読んだ時にも、陽明学の意識が数多く反映されていたことを思い出しました。ただ「西国立志編」は翻訳本です。やはり原書にある程度同様の記載がなければこういう文章にはならないのではないかとも思います。

「西国立志編」の解説には100万部のベストセラーで明治期の「青年」に強く影響を与えたような記述が多いではありますが、僕は小学校の修身の教科書として使用され、文部省が翻訳本の教科書使用禁止と許可制にした経緯等から、この本を小学校で習った少年が青年になった段階において、新渡戸稲造の言う「武士道」の後継者である「書生」となったのだろうと思います。勿論青年も含めて老若男女隔たり無く読まれ、それぞれに強く影響は与えた本だと強く認識もしています。どの読み方も正解で、本を読むのにどう読んでも間違いなどあろうはずは無いとは思いますが、僕はやはり明治初期の小学校の道徳の教科書という事実を踏まえての読み方になっています。

『労苦は学校なり…』一生学生。『生涯をなせるあいだに心霊の修養もおのずからその中に具わる』勉強労苦が関所のように置かれている道が生涯続く意味は心霊の修養。20年で一人前の大人に成ることを義務付けられている現代は如何なものなのでしょうか。勉強労苦が生涯続くと小学校でキチンと習えば、「何故勉強しなきゃいけないの?」という質問は無くなるでしょう。「勉強しても社会に出て何の役にも立たない」という超近視的な断定も無くなるのかもしれません。また逆に30代、40代で完成された立派な大人としての立ち居振る舞いを強要されるという抑圧からも解放されます。

明治時代の近代国家へ向かう日本の大躍進は人類の歴史上極めて稀な大成功例です。この時代の修身の教科書を勉強することは実は凄いことなのではないかと感じています。

土曜担当…佐々木秀彦



2018年1月11日(木)
私らしい?                       木曜担当…西端努斗夢

 昨年末から新しいパソコンソフトを使って仕事を始めたのですが、そのソフトの操作に悪戦苦闘しています。
 悪戦苦闘にもかかわらずやり続けていられるのは、必要に駆られているからです。
 優等生タイプの人ですと、いずれこの知識、このスキルを身につけた方が自分のプラスになると思えば、日ごろからコツコツと努力を重ねるのですが、劣等生タイプの私は、わかっていてもやりません。お尻に火がついてようやく重い腰を上げるのです。今回のソフトもそうです。使った方が良いと思っていたのですが、ついついそのまま放置していました。
 いつものことながらドタバタの連続ですが、それも私らしくって悪くはないなと自分で勝手に思っています。

木曜担当…西端努斗夢



2018年1月8日(月)
無題                           月曜担当…池田光

一冊の著作をものにするまでの、本の書き方が変わってきました。
変わったのは、8年ほど前(2010年)からです。

39歳から中村天風に関する執筆を始めましたが、2010年にライフワークとして天風哲学をまとめようと明確に決意してから、一つずつ何を積み上げていかなければならないかを計画し、テーマを絞って執筆するようになりました。

仕上げの本丸は、『安定打坐考抄』を解釈することです。
中村天風に関する解説書を書いている誰ひとりとして、『安定打坐考抄』を深いレベルで探究できている人はいません。

ところで、ライフワークを完成させる時期的目標は、2018~9年の二年にわたってです。その頂点を、天風先生の没後50年となる12月1日に定めております。
この日に記念の会を実施し、そこで大きなエネルギーを得て、2019年において本丸の『安定打坐考抄』の解釈を完成させる予定でいます。

このようにライフワークの焦点を絞ってから、ぼくは臨済宗を中心に、曹洞宗などの坐禅道場に通いました。禅とは何か、悟りとは何か、を体得しようと思ったからです。
2011年には今西最高顧問にお願いして、4年近く長岡禅塾で坐禅をさせていただいたのも、この一貫です。
並行して、曹洞宗の坐禅会にも積極的に参加してきました。また、弊塾顧問の佐々木奘堂先生に出会えたのも大きな収穫でした。
こうして、2年前に天風式坐禅法に関する本と、オーディオブックを積み上げることができました。
(2012年から漢文読解の勉強を始めた動機はいくつかありますが、その一つは『安定打坐考抄』のような現代語訳が必要とされるような近代の本をきっちり読める力をつけるためです。)

しかしながら、ライフワークを完成するには、大きな課題として、「理入と行入」の問題、言い換えれば「頓悟と漸悟」の問題がありました。
これが分からないと、天風哲学を読み違えます。天風会で長年やってきた方を含めて、大半の解説者たちが、まちがった理解をしていることには随分と前から気づいてはいましたが、言わばこれほどまでに難しい課題なのです。
ライフワークを完成させるには、この課題に関する著作を積み上げないと叶いません。
ヒントを求めて柳田聖山、小川隆などの本を読んできました。が、たまたま中村春二の『心力歌』に出会って、ここに切り口があると感じるようになりました。

そこで、ぼくが選択した方法は、『心力歌』を天風哲学の観点から解釈するというものでした。
まずは、概論的に解釈の方針を示したのが、『天風哲学で読み解く中村春二の「心の力」』です。昨年2~3月は、この小さな一冊にかかりきりでした。
それから9か月後のある日、ふとしたことから「理入と行入」の問題、つまり「頓悟と漸悟」の問題のヒントが『心力歌』にあることに気づきました。
そして、ライフワークのための積み上げの一冊として、『中村天風 「心の力」瞑想録』(仮題)を執筆する決意をし、序章として「真理にどう達するか――理入と行入」という一章を設ける予定にしています。
この一冊によって、ぼくは「理入と行入」の問題=「頓悟と漸悟」の問題を解決する算段でおります。
この本では、『心力歌』は真理瞑想行として、天風哲学のなかで位置づけることになります。

そんな計画のもとに、『心力歌』の全篇を現代語訳することにし、昨年12月に終了しました。
そして、一昨日の六然講座において、みなさまに現代語訳を披露しました。
この一冊を仕上げることが、今年の大きな挑戦になります。

弊塾=湧くわく本心塾に集ってくださるみなさまは、いわば、共同執筆者でもあります。みなさまのおかげで、孤独な執筆作業に立ち向かっていけます。
とはいえ、塾の開催が毎月になると、ぼくの思考は切れ切れに中断されることになります。今年4月から、第6期の潜学講座が始まりますが、ぼくにはありがたいことに隔月開催となり、集中して取り組める環境が整いました。
さらに、昨年末には御幣島の事務所を売却しましたので、完全に自宅にこもれる環境が整いました。
申し分のない環境が整いましたので、これで頑張らねばバチが当たります。
一月一日のブログに引き続き、今年の抱負を具体的に書かせていただきました。どうぞ、昨年にも増して、一層のお付き合いのほどお願い申し上げます。

月曜担当…池田光



2018年1月7日(日)
「ディスラプション」                   日曜担当…八木正典

2018年となり初のブログとなります。
縁のある皆さま、今年もよろしくお願い申し上げます。

昨年の自身のテーマは、「絶対積極」でした。
何物にもとらわれず平常心を保ち、超然とした心を持つ。事あるも事なき時も、常にその心が泰然不動の状態であることを求めていたのです。年末のブログでも書かせていただいた通り、多くの方から学びの機会をいただき、まだまだ道のりは遠いものの、少しは心の妄念が取り去れたのではないかと考えております。

今年のテーマは、「ディスラプション(創造的破壊)」としております。
自分自身の改革のために今まで作り上げてきたものをゼロベースで見直し、取り去ってみたり、今までと違った動き、思考を積極的に取り入れたりしてみたいと思うのです。
淮南子に「?伯玉 行年五十にして四十九年の非を知り、六十にして六十化す」とあります。
更にいいものを求めて、新たなテーマでどれだけ自己革新が実現できるのかを楽しみながら取組していきたいと思います。

日曜担当…八木正典



2018年1月6日(土)
骨力                           土曜担当…佐々木秀彦

『世の中は複雑な矛盾から成り立っているということができる。人は鳥獣や魚を食って生きている。魚や鳥獣は人に食われるために生きているのではない。それがすでに矛盾である。宗教的精神の盛んな人はそういう生活に堪へずして、なるべく酒肉に遠ざかろうとする。さればといって我々があまりに矛盾に対する包容力がないと、すっかり感傷的になってしまって、無限の創造である所の宇宙に生活が出来ない。大に創造的生活を求めんとすれば、矛盾と感ぜらるることを包容して、これをば徐ろに処理していかなければならぬ。その包容力、その忍耐力・反省力・遂行力、そういうものを骨力というのである。骨力が大であると、我々の感情も深遠になる。骨力がないと、我々の感情が感傷的になる』(安岡正篤著「大和」より抜粋)

男子たるものの価値として『包容力』と表現されるモノが必要不可欠だと少年時代に教えられました。特に恋愛に関しては威力をもって形容される言葉でした。しかしその「矛盾に対する包容」が骨力に由来して、その骨力がないと「無限の創造の宇宙に生活ができない」という深遠な部分までは誰も教えてくれませんでした。『包容力』ばかりに執着するあまり、結果的に暴力的に覆いかぶさっていただけだったという過去の恋愛の失敗に気づいたりして赤面します。

今年の年明けは出雲でした。「サムハラ神社奥之院」、須佐之男自らが気に入って地名として残した須佐に鎮座する「須佐神社」、出雲大社摂社の「命主社」、事代主神の総本山の松江市「美保神社」へ参拝してきました。

僕が毎年初詣をする祇園八坂神社の御祭神は「素戔嗚尊」「櫛稲田姫命」、須佐神社では「須佐之男命」「稲田比売命」、骨力が全くない人は感傷的になります。美保神社は「事代主神」、そして有名な西宮神社は「蛭児大神」、どちらも「えびす様」の総本宮であることは、骨力が脆弱なら感傷的になりそうです。仏教伝来で神仏習合、信長時代の隠れキリシタン、明治維新の神仏判然令、太平洋戦争終結時の神道指令、そして現代に至るまで、日本の神様はすべてを包容されて、その呼び名にも全く拘る気配すらありません。神社の御祭神を確認するだけでも日本の伝統的骨力は感情を益々深遠にしてくれているような気がします。

恐竜は骨力が強かったから現代まで化石としてなってまで存在できているのでしょうか?少なくても肉体に付随する命に関してはたかだか100年程度の寿命ですが、恐竜のように数億年とまではいかなくても、我々もこれから先数1000年程度なら間違いなく骨として宇宙に存在できることは間違いありません。

土曜担当…佐々木秀彦



2018年1月4日(木)
本当の幸せ                      木曜担当…西端努斗夢

 明けましておめでとうございます。
 思うところがあってここ数年、年賀状を1枚も書いていません。この場をお借りして失礼をお詫び申し上げますとともに、新年のごあいさつに代えさせていただきます。

 思い返すと昨年の今頃は、まだ病院のベッドの上でした。今年はおかげさまで、新年早々から動き回ることができています。
 病に倒れていちばんありがたかったことは、本当の幸せはすでに身の周りにいっぱいあって、それに気づくことだと実感できたことです。これまでの人生を振り返り、目標を達成したり、思いの力で欲しいモノを引き寄せてもそれは、一時の幸せでしかないことにあらためて気づかせていただきました。
 かといって、目標を達成したり、思いの力で欲しいモノを引き寄せた喜びを経験しなければこのことに気づくこともないので、とりあえず頑張ってみることも悪くはないと思います。
 それと、本当の幸せはすでに身の周りにいっぱいあって、それに気づくことだと実感されていちばん困るのは……

木曜担当…西端努斗夢



2018年1月1日(月)
無題                           月曜担当…池田光

新しい年が明けました。
本年が素晴らしい年となり、
また、素晴らしい一年にするように、
最高のイメージを思い浮かべたいものです。

ぼくにとっては、なんといっても、中村天風先生の没後50年の節目になる年であるということが大きいです。
何年も前から、この節目に照準を合わせて企画してきました。
これらの企画を実現する年にしなければと思っています。
忙しい一年となりそうですが、気合を入れてがんばります。

付記
年末は、天風哲学に関する執筆をしておりました。
気づくと、12月31日。
ものを書いていると、どうも時間の感覚がおかしくなるようで、年内に読んでしまいたいと思っていた本も放ったまま。
自分の感覚では、まだ年内は数日あると思っていたのですが、もう紅白歌合戦が始まるのかと驚きました。
それではみなさま、本年も宜しくお願いいたします。

月曜担当…池田光



2017年12月31日(日)
「絶対積極」                       日曜担当…八木正典

初めて手を下して功を用うるに、如何ぞ腔子裏(こうしり)の便ち光明なるを得ん。譬えば奔流する濁水の、纔に貯えて缸裏(こうり)に在るが如し。初めは然く定まると雖も、亦只だ是れ昏濁的なり。須ず澄み定まること既に久しきを俟てば、自然に渣滓(さし)尽く去って、復た清むを得来たるなり。汝只だ良知上に在って功を用うるを要す。良知存すること久しければ、黒??(こくそつそつ)なるもの自ら能く光明ならん。今便ち効を責めんとせば、却って是れ助長にして功夫を成さず。(伝習録)

やっと修行をし始めたばかりで、どうして胸の中がすぐに光り輝くようになろう。ちょうど流れている濁り水をやっと汲んで来て甕に入れたばかりのようなもので、始めの間は少し落ち着いたからといって濁りは取れないが、暫くの間澄み落ち着くのを待っていれば自然に泥は沈んで水は澄んでくるのである。だから、君は何よりも良知の修業に努力すべきであって、良知を保持している時間が長くなれば胸の中の暗いものは自然に光り輝くようになってくる。もしそれをしないで早く効果を上げることだけを望むなら、それは無理に助け伸ばすことになり本当の修行にならないだろう。


今年のテーマは「絶対積極」でした。
何物にもとらわれず平常心を保つ。超然とした心を持つ。それが絶対積極。その境地にたどり着くことを目標としていたのです。
振り返ってみると、今年も本心塾の皆様にもご指導もいただき、心の在り方について多くの学びを得させていただいたと思います。また水垢離や瞑想により自分自身の意識や思考を日々見つめ続けることで、少しずつとらわれの心が無くなってきたように思います。
しかしながら、王陽明の弟子が「修行により妄念が起こらなくなったがまだ光り輝かない、どうしたらいいのか」と問いを投げかけた時に、陽明は上記の言葉を伝えております。
その言葉通り、来年も慌てず、焦らず一歩ずつ絶対積極の境地を体現できるよう妄念を取り除く努力を続けて行きたいと考えております。

2017年も本日が最終日です。
ご縁のある皆様、本年も大変お世話になりありがとうございました。
来年も皆さまにとって光り輝く素晴らしい年になりますようお祈りいたします。

日曜担当…八木正典



2017年12月30日(土)
萬象                           土曜担当…佐々木秀彦

『心の霊一たび輝けば向かうものみな照さる。
宇宙の廣きも廣しとせず、毛髪の微なるも微といはず。我を繞れる萬象は、色相もとより無限なり。形も無限。聲もまた無限、香も無限、味もまた無限。かく限り無き性をそなへ、かく限りなき時の中に。限りなき変化を示せる、萬象の中にわれ立てり。…』
上記は中村春二『心力歌』第六章心のはたらきの冒頭部分です。

『萬象の中にわれ立てり』
最近は森羅万象と一括りにしなければいけないような雰囲気さえありますが、森羅は付けても付けなくても意味は同じだと思います。僕的には森羅を付けないシンプルな「万象」を遣われると、ストレート勝負するよと宣言されたかのような緊張感が走ります。

色相、形ここまでは誰でもイメージできるでしょうが、声、香、さらに味と続けていることに親近感を感じるのは僕だけではないと思います。視覚、触覚、聴覚、嗅覚、味覚の五感を最初に分類したのはギリシャのアリストテレスと学校では習いますが、味覚を『味』と一文字で表現されますと肩の力が抜けてグッと身近に感じるのが日本語の魅力ではないでしょうか。さらに言霊文化ですので聴覚は『声』の一文字、心憎いと微笑んでしまします。

『心の霊一たび輝けば向かうものみな照さる』
「心」が一たび輝けばとこの章が始まるということは、「心」は当然に自発的に輝くものであるということです。つまり惑星ではなく恒星、太陽のように地球全体を照らすパワーを持つのが「心」なんだということなのでしょうか…

1月6日の六然講座で、池田塾長の講義を授かることで、さらに感じることが宇宙のごとくに拡がってゆくのだろうと思うと、こうやって自分なりの解釈をするのがさらに楽しくなるからおもしろいと思います。

萬象の中、今年も「湧くわく本心塾」でこういう刺激をたくさんいただけまして、本当に皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。
新年も引き続き、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。戌年の皆様のご活躍を祈念いたします。2017年は本当にありがとうございました。


『心の霊一たび輝けば向かうものみな照さる。
宇宙の廣きも廣しとせず、毛髪の微なるも微といはず。我を繞れる萬象は、色相もとより無限なり。形も無限。聲もまた無限、香も無限、味もまた無限。かく限り無き性をそなへ、かく限りなき時の中に。限りなき変化を示せる、萬象の中にわれ立てり。…』
上記は中村春二『心力歌』第六章心のはたらきの冒頭部分です。

『萬象の中にわれ立てり』
最近は森羅万象と一括りにしなければいけないような雰囲気さえありますが、森羅は付けても付けなくても意味は同じだと思います。僕的には森羅を付けないシンプルな「万象」を遣われると、ストレート勝負するよと宣言されたかのような緊張感が走ります。

色相、形ここまでは誰でもイメージできるでしょうが、声、香、さらに味と続けていることに親近感を感じるのは僕だけではないと思います。視覚、触覚、聴覚、嗅覚、味覚の五感を最初に分類したのはギリシャのアリストテレスと学校では習いますが、味覚を『味』と一文字で表現されますと肩の力が抜けてグッと身近に感じるのが日本語の魅力ではないでしょうか。さらに言霊文化ですので聴覚は『声』の一文字、心憎いと微笑んでしまします。

『心の霊一たび輝けば向かうものみな照さる』
「心」が一たび輝けばとこの章が始まるということは、「心」は当然に自発的に輝くものであるということです。つまり惑星ではなく恒星、太陽のように地球全体を照らすパワーを持つのが「心」なんだということなのでしょうか…

1月6日の六然講座で、池田塾長の講義を授かることで、さらに感じることが宇宙のごとくに拡がってゆくのだろうと思うと、こうやって自分なりの解釈をするのがさらに楽しくなるからおもしろいと思います。

萬象の中、今年も「湧くわく本心塾」でこういう刺激をたくさんいただけまして、本当に皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。
新年も引き続き、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。戌年の皆様のご活躍を祈念いたします。2017年は本当にありがとうございました。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年12月28日(木)
募金                           木曜担当…西端努斗夢

 今年のクリスマス、募金箱を持って街頭に立つ経験を初めてさせていただきました。
 短い時間でしたが、私が感じことは、硬貨ではなくお札を募金箱に入れてくれる人に一つの共通項があることです。
 子どもからお年寄りまで様々な人が募金してくれる中、たまたまかも知れませんが、お札を入れてくれた人はいずれも見るからにお金持ちだとわかる人ばかりでした。
 お金持ちだから高額の募金ができるのか? それとも高額の募金をするからお金持ちになるのか?
 答えは単純ではありませんが、托鉢に出る際、お釈迦様が弟子たちに「お金持ちの家ではなく、貧乏な家に托鉢に行きなさい」と話したことを思い出し、とりあえず私もこれからは、募金やお賽銭は必ずお札にしようと決めました。

木曜担当…西端努斗夢



2017年12月25日(月)
無題                           月曜担当…池田光

今年も、あと一週間足らずとなりました。
本年をふりかえってみて、何点だったか自己評価すると、10点満点で「7点」くらいだと思います。
この一年でやった主なことは、5つほど。
なにより、還暦以来、毎年7点くらいで推移しています。安定しているのが、実にありがたいと思います。

「7点」というのは、過ぎることもなく、足りないこともありません。ほどほどで、この「安定した7点」が毎年続くなら、幸せなことだと思います。

亡くなったぼくの祖母は、小学生のぼくがお御籤を引いて、「吉」だととても喜んでくれました。
が、「大吉」を引くと、「自重するように」といったような意味のことを忠告してくれたのを覚えています。
祖母は、大吉はプラスの極であり、行きつくところまで行っていて、一歩でも過ぎると「凶」に転換するという発想をもっていたようです。
7点というのは、「吉」に通じるところがあるのではないでしょうか。
では、みなさま、良いお年をお迎えください。

月曜担当…池田光



2017年12月23日(土)
心得                           土曜担当…佐々木秀彦

『知識と技術の進歩は人間の機械化を強めた。組織と大衆の社会はだんだん人間の個性と自由とを没却してゆく。かくして近代人は知らず識らず個人的内容と権威とを失ってゆくが、そのままでは人間社会は停止し解体してしまう外はない。結局人間が創造し、運営するのである。…』

昭和36年前後に安岡正篤師が書かれた文章からの引用です。東京オリンピックも大阪万博開催される以前の約60年前すでに『人間の機械化を強めた』との断言は当時の社会情勢を推測すればするほど、凄いなと驚嘆してしまいます。

最近…いえいえこれは昔からそうなのかもしれませんが、過去に関しての評論を偉そうに解説する人は多いかと思います。しかし、人間は未来に向かって生きているはずなので、未来を語ることは有意義かと感じますが、過去を語るのは自然の理に反していると言っても過言でないくらい不自然なことなのではないでしょうか…。過去を勉強して参考データや事象例としての統計としての活用が正しい使い方で、その過去も踏まえた上で、解説するのは未来であるべきかと思います。学者や識者が過去の捉え方を学会で発表するのは素晴らしいことだと思いますが、日常生活の中で普通の人々の会話は、常に未来方向への話題であるべきなのかなと考えたりします。

上記引用文は佐藤一斎の『重職心得箇条』の紹介の前に記されれている文章となります。幕末天保弘化の頃、佐藤一斎が出身地の松平藩の為に、聖徳太子の一七条憲法に比して作ったという重職者の十七条の心得が『重職心得箇条』です。興味ある方は全文でも17条ですのでぜひ原文をご確認いただきたいかと思いますが、僕なりに要旨をまとめますと、『小事のおたおたせず、大事に対してのみ力を注ぐ』『常に寛容で、ゆったり、大所からの判断を公平にする』というようなことが明記されております。今の新しい政治家の方が『心得』の教科書として何を採用されていらっしゃるのかは知りませんが、この『重職心得箇条』は端的で解り易いかと感じます。もちろん政治家、役人だけではなく、「国家」を「会社」や「家族」に置き換えれば普通の社会人としても十二分に心得ておくべき内容です。

何かに勤しむ時に、まずそこに向かう気持ちを作る作業、つまり『心得』を確認することは、輝く未来を形成するための第1歩として最も重要なことで、ここをしっかり心得ていくことが、大切なのかもしれません。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年12月21日(木)
刺激                           木曜担当…西端努斗夢

 ここ数日、久しぶりにお香を焚いて香りを楽しんでいます。
 仕事柄、視覚と聴覚は常に刺激を受けているのですが、嗅覚はせいぜい食事の時に刺激を受ける程度です。
 適度な刺激は、命を実感でき、生きていることに感謝したくなります。



木曜担当…西端努斗夢



2017年12月18日(月)
無題                           月曜担当…池田光

「ひり出せ!」
この言葉は、かつて自己啓発書やビジネス書を執筆していた頃に、もうこれ以上書くことがないにもかかわらず、書かねばならなかったときに使っていた言葉です。

240ページほどの本を書く場合、120ページくらいまでは準備していたもので、さくさく書けます。書くべき内容があるのです。

ところが、120ページを超えだした頃から180ページくらいまでは、書きながらコンテンツを見直したり、再創出することになります。
これは、比較的しんどい作業です。

が、本当の苦しみはここからです。
締切りが迫ってくるのに、すべてを書き尽くして、もう何も書くことがないというカスカスの状態に置かれることがよくあるのです。
心理的にも飽和状態で、一日中考え続けても、一行も書けない……。
風呂に入るとよくアイデアが湧くのですが、それも期待できない状況が訪れます。
なのに、刻々と時間ばかりが経っていきます。

こんな時、ぼくは食事などを執りながら家内に、
「ひり出す状況に入りました」
と告げます。
この一言だけで、ぼくがどのような状況に置かれているかを理解してくれます。
寝ても書くべきコンテンツを考え続け、寝ているのか覚醒しているのか分からない状態となり、散歩や付近をウロウロしては何かアイデアはないかと探し続け、書庫に入ってヒントになる本はないかと探したり……。
頭脳がすっかり疲れて、砂漠で水を探し求めてさまよう感じです。
あの頃のことを思い浮かべると、現在は楽してるなあ、と思います。

ただ、毎週のブログのほうは、もう5年も続けていて、たまにしんどいときがあります。とはいえ、一度も
「ひり出す」
という状態には至りませんが、たまたま今回は書くことが見つかりませんでした。

ぼくは、テーマ探しを、木曜日くらいからやり始めます。
しかし、木曜日は何も浮ばない、金曜日も何も浮ばない、土曜日も何も浮かばない、日曜日になったけど結局浮ばない……。

こうなると、書けないことをテーマにでもするか、と居直ることになります。
そして今回、40代、50代を通して、苦しかった執筆時代の合言葉、「ひり出す」について書いてみたわけです。

ただ、どんなに「ひり出す」ということをしても、読者にはラクそうに書いているなあという印象を持たれるように努めています。
ひり出し感を出してしまうと、プロとは言えません。
プロは、涼しい顔をしていなければ……。

月曜担当…池田光



2017年12月17日(日)
「二つの立場」                     日曜担当…八木正典

10月から業務が変わり、二つの立場で仕事を見ないといけなくなっております。そんな時、次の思考を意識するようにしております。
一つは、正反合(テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼ)です。2つの対立するものを自分の中で消化し、どうすればよりいいものを生み出すことが出来るのか常に考え続ける必要があり、慣れ親しんだ思考スタイルを必要に迫られて必死に変えております。
二つ目は、仁です。多くの立場や意見の人と接するにあたり、自分の意見をいかに冷静に一定のルールや規範に基づいて考え、相手の思いをいかにくみ取って対応することが出来るのかが問われております。そこで、これまで学んできた論語の「礼に非ざれば視ること勿れ、礼に非ざれば聴くこと勿れ、礼に非ざれば言うこと勿れ、礼に非ざれば動くこと勿れ」を自分の考えや動きの中に取り入れようと意識しております。
これまでの学びで頭では分かっている(つもりの)ものをいかに実践できるかまだまだ自分との格闘が続きそうです。

日曜担当…八木正典



2017年12月16日(土)
挨拶                           土曜担当…佐々木秀彦

『大きな声で!』こう書かれた紙を手に持った何人かの生徒が中学校の正門の脇に整列して登校する生徒を待ち受けて大きな声で『おはようございます!』と声を出し続けます…
先生達も同様に数名待ち受けています。

近所の中学校の毎朝の風景です。いつから続いているのか、誰が言い出したのか、生徒たちはどう感じているのか僕は知りませんが、生徒達の『おはようございますっ!』が響きわたる朝の空気は僕は良いものだなと感じています。小さな声ではありますが僕も一緒に『おはようございます』と声に出して言っています。

僕は少年時代野球部だったので大きな声で挨拶するのは慣れていました。挨拶は大きな声ですれば恥ずかしくありません。小さな声でするほうが恥ずかしいから不思議です。大きな声なら「おはようございます」を「オッス!」と言う言葉に省略しても大丈夫です。先輩だろうが監督だろうが校長だろうが誰相手にでも「オッス!」と平気で挨拶していた横柄さが今の僕の性格に繋がっているのかもしれませんが、大きな声で、帽子を取って頭を下げる仕草、さらにその頭が丸坊主だったわけですから、きっと大人からは好印象だったことでしょう。僕は野手だったので守備の時はひたすらギャーギャー叫んでいました。打者一人に守っている野手全員がギャーギャー言葉を浴びせかけるのですから、野球というスポーツはそういう意味では卑怯な競技なのかもしれません。そしてやはり強いチームは声もよく出ていたのは事実です。スマートで静かだけど強かったチームなんて僕は見たことがありません。

中村天風師の誦句も、中村春二の心力歌も、般若信教も、祝詞も…声に出すからこそ威力を発揮します。日本文化は言霊文化です。

『至真至誠 一心奉? 神通自在 神力深妙 感応速通 如意隋願 決定成就 無上霊法 神道加持 大元玄気 玄妙至深 至誠妙耐諦』アヂマリカム

上記『大神呪』は塾生の小林さんに教えていただきました。何を言うとか意味とか理屈とか全く関係なく何でもいいからとにかく言葉を発するのは野球の試合でその効果を実感してきました。「とにかく言うだけで良いんだから!」との小林さんの解説にも僕は素直に頷けます。

近所の中学生達が実践している大きな声で挨拶をするということが、宇宙エネルギーを引き寄せるコツではないかという気づきが正解かどうか、1月6日の六然講座の小林さんの講義で確認してみたいと思います。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年12月14日(木)
ただの人                        木曜担当…西端努斗夢

 「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」とは、福沢諭吉の『学問のすすめ』の冒頭にある言葉で、本来、人間はすべて平等ですから、貴人や英雄は存在せず、天から見れば誰もが“ただの人”なのです。
 ところが、いつの時代にも誰かを貴人や英雄に祭り上げたい人がいます。英雄に祭り上げるための手っ取り早い方法は、別の人間を賤人や悪人に扱下ろして対比させること。昔から時の支配者や宗教者はこの手口を使って民を騙してきたのです。
 私は、そんな手口に騙されることなく、誰とも“ただの人”として接し、自分も生涯“ただの人”として生きていきたいと思います。

木曜担当…西端努斗夢



2017年12月11日(月)
無題                           月曜担当…池田光

中村天風先生は、真理への達し方について「理入」と「行入」という二つの方法がある、と教えました。

多くの人は、①理入を「理論」から学ぶこと、②行入を「実践」から学ぶこと、と誤って理解しているようですが、そうではありません。
天風哲学についての本を書いている人までが、ほとんど理解していません。このような誤解をしている限り、天風哲学の奥義には達せません。
このことは、第5期潜学講座でお話した通りです。

さて、天風先生が原案を考え、これを小林一郎が名文にした『心力歌』をこのところずっと現代語訳していたのですが、ふと、これが理入だったのかと気づきました。
くわしいことは、いずれ本に書きます。

ようやく、ぼくの頭のなかで、すべてが繋がりました。
簡単にポイントを書くと、
・安定打坐法は、「行入」であった。
・真理瞑想行は、「理入」であった。
・つまり、天風先生は、理入も行入も教えていたのだ。
(ぼくはこれまで、天風哲学において「理入」に相当するものがわからず、天風哲学の体系を完全な形で理解し得ていなかった。)
・六祖慧能は、実際はどうであれ、字も読めない無学の人でなければならなかった。というより、字が読めない人物像こそが、「理入」するにふさわしい理想像であった。
(理論から真理に達するのが「理入」だとすると、字が読め、知識が豊かな人が理入にふさわしい人のように見えますが、そうではありません。理入の理想的タイプとは、字が読めない人なのです。ここに禅が説く頓悟の本質があります。)

これらのことを整理して原稿化し、来年の春に本の形にしたいと思っています。そして、この本が、「天風哲学」最先端の本になります。
最先端は、どこかで誰かが説いているのではなく、ぼくの歩みこそが常に最先端だという自負をもって書き続けていくつもりです。

月曜担当…池田光



2017年12月10日(日)
「本質」                         日曜担当…八木正典

金を熔かしてその真偽を確かめようとするとき、どのようにそれが熔けたか、全部が熔けたか、部分的に熔けたか、もとはどんな形だったかなどということが重要でしょうか?重要なのは、それが純金であるかどうかだけなのです。(ラマナ・マハルシ)

12月になって今年一年を振り返ってみますと、本塾も含めて多くの出会いや学びがあり非常に有難く充実していたと思う反面、いろいろなことに関心が向きすぎた結果、ないものねだりなのかもしれませんが自分の軸がぶれてしまっているような気がします。
王陽明も、凡人が聖人を目指して本質的でない努力をすることを純金に銅や錫を混ぜて重さのみを増やそうとしているようなものだと譬え、聖人の本質は純金の純度によると説いています。
「本質を選び取り、他から学んだ理論などは無駄なものとして捨て去りなさい。」、マハルシの言葉を噛みしめながら、年末に向けての自分の気持ちや意識を整理して次の行動に結び付けていこうと思います。

日曜担当…八木正典



2017年12月9日(土)
情熱                           土曜担当…佐々木秀彦

95才の瀬戸内寂聴さんがテレビの対談で話されていました。「出家している私が言ってはいけないのかもしれませんが、自分があの世に往っても、先に往っている人と会いたいなんて最近思わなくなってきたんです。極楽浄土なんて無ければいいなと…」

やはり言葉に引き込まれてしまいます。言葉の行間を、話言葉でも相手に読ませてしまうのは、大和言葉の最大の魅力だと思います。日常的に日本語を遣う僕もこういう言葉の遣い方を目指したいと憧れます。

瀬戸内寂聴さんの95年間を文字で表すと「和」だそうです。大事なのは「情熱」だそうです。

「和」という文字を選択されたのは僕の予想と同じでした。「情熱」は昭和期には頻繁に耳にしましたが、最近少し忘れかけていた言葉になっていたので、僕は少しハッとしました。どんなことにも冷静に心に波風立てずに対処するという静けさと、情熱は並立できます。冷静という文字を遣うのですが、冷たい湧き水が源泉の湖でも、適温の温泉でも、透明に澄んでいる静けさは同じように追及できる訳です。炭火は熱いですが静かです。「情熱」もきっと熱くなれば熱くなるほど静かになるものなのかもしれません…

僕が熱いと言ってすぐ思いつくのは太陽ですが、太陽もきっと静かに燃えているのでしょう…現実はどうなのかは知りませんが、無音であるほうがカッコイイような気がします。

熱はエネルギーを供給し続けないと、やがて冷めてしまうのが宇宙法則です。情熱にもしっかりエネルギーを配給するように心がけてさえいれば、永遠に熱く静かに燃やし続けることができるものだからこそ、「情熱」の為のエネルギーも時々は意識的に補給しなくてはいけないなと、和かい心で感じさせていただきました。瀬戸内寂聴さんの本も何か読んでみたいと思います。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年12月7日(木)
漢文読解                        木曜担当…西端努斗夢

 先日、池田塾長がブログに書かれていましたが、来年は、漢文読解に挑戦しようと思います。
 来期の潜学講座では、『漢文大系』の第一巻に収録されている朱子の『大学章句』(全16ページ)を希望者が毎回区切りの良いところまで訓読と解釈を順番に発表し、塾長に解説していただきます。
 高校時代、私はクラブ活動のために学校に行っているようなもので、授業は身体を休める時間、理系のクラスでしたから特に古典の授業は睡眠の時間と決めて毎回、熟睡していました。ですので漢文読解には全く自信がありませんが、それだけにやりがいもあると思っています。
 一緒にチャレンジしませんか?

木曜担当…西端努斗夢



2017年12月4日(月)
無題                           月曜担当…池田光

12月に入って、すでに4日。
そんななか、来期の潜学講座の計画をしようという事務局長の呼びかけで、12月2日の土曜日に有志が集まり、会議をしました。

事務局長から「通期で学べるような読書会をしたい」という要望があり、ぼくは朱子の『大学章句』を用意して行きました。

『漢文大系』の第一巻に、朱子章句が収録されています。わずか16ページです。もちろん、漢文です。ただ、返り点が付いているので、比較的読みやすくできています。
これを読めば、『大学』の本文と、朱子の注釈を読み切ることができます。

ぼくは、この16ページをコピーして持参して行ったわけです。ちなみにも、同じ本を二冊用意し、一冊はバラしてコピー用にしています。

さて、事務局長にコピーを見てもらいながら、
「有志を募って、センテンスの切りがいいところまで訓読と解釈をしてもらい、順番に発表してもらう形にしたい」
と申し上げたところ、事務局長は「自分も漢文解読に、ぜひとも挑戦してみたい」とおっしゃられたので、ほかのみなさまの支持をも得られれば、やってみたいと思っています。



ぼくも、朱子の注釈はまだ読んでいません。もし輪読することになれば、その機会にきっちり読んでみたいと思います。

なぜ『大学』なのか。
朱子は四書の読み方を教えていますが、まず『大学』を読みなさい、と。
ぼくは『大学』の朱子の注釈をまだ読んでいません。それは、ぼくだけではないと思います。そこで、この注釈もふくめてきっちり読むのが第一だと思うのです。

富樫さんは前回の六然講座の懇親会の際に、「『大学』を読んでくれませんか」と、ぼくに課題を与えてくれましたが、このような形でお応えしたいと思います。

コンセプトは「漢文読解」です。
漢文として、『大学章句』をきっちり読みたいのです。そうすることで、「中国古典」を学ぶという一般教養のような読み方では読めなかったものが、読めると思うのです。

こんなことを思いつつ、みなさまの支持があれば、やってみたいと考えております。

月曜担当…池田光



2017年12月3日(日)
「平生」                         日曜担当…八木正典

平日道を踏まざる人は、事に臨みて狼狽し、処分のできぬものなり。たとえば近隣に出火あらんに平生処分ある者は動揺せずして取始末も能くできるなり。平日処分なき者はただ狼狽して始末どころではこれ無きぞ。それも同じにて、平生道を踏み居る者にあらざれば、事に臨みて策はできぬものなり。(大西郷遺訓)

「1年365日練習が欠かせない。一日休むと自分に分かる、2日休むとパートナーに分かる、3日休むと観客に分かる。地道な努力を継続する以外に近道はない。」
有る音楽家の方の言葉ですが、常に努力を継続し、準備をしておくことの重要性を語っています。普段から練習をし、本番に備えて準備を進めるというのは大変なことなのですが、己の強い気持ちでそれを克服し練習を続けることに自分も人も認める価値があるのだろうと思います。一日一日平生の努力を続けながら正道を目指し、事に当たって動揺しない自分を目指したいと思うのです。

日曜担当…八木正典



2017年12月2日(土)
真実                           土曜担当…佐々木秀彦

『木枯し』という風のニックネームは素晴らしい言葉だなと思います。
黄金色に輝く銀杏の葉、春の桜色以上に存在感を放つ赤色の桜の葉、そして枯れ葉色の樹々の葉…おそらく再来週あたりにはすべての葉を落として春の新芽に備えるのを助太刀しているように北風は樹々から優しく葉を散らせていきます…この北風がなかったらおそらく樹にくっついたまま枯れ葉色になるのですから、銀杏も紅葉も現在ほどの好感度は得ることができなかったでしょう…北風は樹々にとって一番優しい風なのかもしれません…

先週ブログをサボりました。突然書きたくない衝動が湧いてきて、その気持ちに従ってみました。やはり何か胸の奥が気持ちの悪い症状が出ました。ブログを引き受けてから皆勤賞だったのをサボってみるのは意外と勇気のいるものだなと苦笑いしたりしました。

たかだかブログに対してもその時々で感情は変化します。少年時代に『本来の自分』とか『自分探し』とか真実の自分と向き合おうなんて一所懸命にやっていた時期は誰にでもあるかと思います。野球をしている時が正しい自分で、それ以外ではただフザけているだけとか、親の前と友人の前とどっちの自分が正しいのかとか…

水は通常液体です。100度以上は気体です。0度以下なら固体です。どれが正しい姿なのでしょうか???色鉛筆の水色、透明、海の色、沼の色、滝の色、どれが正しい水色なのでしょうか???僕は52年生きていますが、どの時期の僕を容姿的には基準に設定すべきでしょうか???

不動産で商売をしていますと、築年数で価値は変化することを見せ付けられることも多々あります。古くなるのと並行して価値が下がれば何のことはないのですが、街の発展や、道路や鉄道や流行で価値が上がることもあるので、不動産は油断できません。

樹々も、心も、身体も、常に変化しつづけます。宇宙は進化し続けているので、生命も進化し続けていて道理です。真実とは進化しつづけているということです。真実は固定された瞬間から、過去の遺産となり今の真実では無くなります。

せっかく『木枯し』に抱かれる季節なので、僕も葉を落として、春風の頃に新緑に輝く芽を突き出せる準備をしなくてはいけないと、黄金色の銀杏が教えてくれているような気がする今年の晩秋です。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年11月30日(木)
歴史書を読み解けば歴史がわかるか?      木曜担当…西端努斗夢

 現代は、情報化社会と言われ、私たちのまわりは様々な情報で溢れ返っています。パソコンやスマホがあれば短時間で膨大な情報を得ることができます。
 しかし、そんな情報化社会の中で生きていながら私たちはどれだけ真実を知ることができているのでしょうか?
 私は、まだまだ世の中には知らされていないことが多すぎると思います。
 大量の情報が入ってくるから世の中の真実を知った気になるのは、歴史書を読み解いて歴史を知った気になるのと同じで、危険なことだと思います。

木曜担当…西端努斗夢



2017年11月27日(月)
無題                           月曜担当…池田光

天風会の杉山彦一先生から、「心身統一法をおこなうと、副交感神経が優位になる」とよく聞かされていました。
ストレスの多い現代人は、交感神経ばかりが働き、疲労や不調をかかえてしまいます。
本来の健康を取りもどすには、自律神経を整えること=副交感神経を優位にすることがとても大切です。

日曜日に、なにげなく朝の健康番組を見ていたら、免疫力を高めるお風呂の温度のことを放映していました。

お風呂の湯の温度で、「41℃」と「42℃」というわずか一度の違いが、体にどのような影響を与えるかという実験でした。
この一度という温度の違いが、決定的な差をもたらすようです。

たとえば、血圧は、41℃の湯につかったあとは下がるのですが、42℃の湯につかると逆に上がっていました。

また、筋肉は、41℃の湯につかったあとは柔らかくなるのですが、42℃の湯につかると逆に固くなっていました。

さらに、免疫力も、41℃の湯につかったあとは高まるのですが、42℃の湯につかると逆に低くなってしまいます。

なぜでしょうか。
理由は、41℃以下のぬるま湯は、副交感神経が優位になる温度であり、42℃以上の熱い湯は、交感神経を優位にさせる温度であり、その分岐点が「41℃」と「42℃」だからだそうです。

41℃以下の少しぬるめのお湯が副交感神経を優位にするのに効果的で、体の回復が促進されます。血圧が下がり、筋肉が柔らかくなってリラックスでき、免疫力を高めるのです。

ぼくの家では、気持ちよくリラックスでき、のんびりとお風呂につかれる温度設定を無意識にしていたのですが、この温度設定を見ると41℃になっていました。
やはり、体も41℃を求めているのではないでしょうか。

月曜担当…池田光



2017年11月26日(日)
「水垢離」                        日曜担当…八木正典

また寒い季節がやってきました。今年は例年より早く初雪が観測されて早くも冬の到来を告げております。
本塾で教えていただき3年以上続けております水垢離も今週で1300日目ですが、またあの身を切るような寒さを体感するのかと考えるとなんとなく辛い気分がするものです。
ただ毎日続けているおかげで最近は朝一番、起きてすぐに水を浴びないとなんとなく一日がスタートしない、気持ち悪いという状態で、一日の中でなくてはならない大事な時間となっており、水垢離の効果をつくづく感じます。
同じ水垢離メンバーの佐々木さんがブログで「1000日を超えると次元転換が起こるのかも」と書いておられましたが、この一年で新たな素晴らしい出会いや懐かしい再会が相次いでおり直接水垢離効果かどうかは不明ながら、充実した毎日を過ごすことが出来ております。
次の目標となる2000日までまだまだ道のりは遠いですが、水垢離ができる心と体とこの世界に感謝をしつつ継続していきたいと思います。

日曜担当…八木正典



2017年11月23日(木)
竹の成長                         木曜担当…西端努斗夢

 竹の種子が地上から目を出すには長い年月が必要だそうです。
 最初の4年間で地下茎を張り巡らせ、5年目でようやく地上から芽を出すと、わずか6週間で高さ30メートルの頑丈な竹に成長すると言われています。

 芽を出すことも大事ですが、目には見えない地下茎を張り巡らせるのは、もっと大事なことなのですね。竹も人も……

木曜担当…西端努斗夢



2017年11月20日(月)
無題                           月曜担当…池田光

何度目かの身辺整理を始めました。
二年前に、会社を解散するという大きな整理をしたのを最後に、後は小さな身辺整理を続けています。
そして今年は、春に書庫を中心とした整理をした後、ちょっと休憩して、本を読むという生活をしていました。

さて、春の身辺整理から半年後の今、次の大きな整理を始めました。
うまく行けば、向こう三か月をめどに完了する予定です。
終わった頃には、早春ですね。

社会人になってから、いろんな物が増えていったのですが、今回の整理をやると、ぼくの40歳前後の地点に戻れる感じです。
あの頃はとてもハングリーで、中村天風についての処女作を書いたり、仲間とともに東京でコンサルタント会社を立ち上げたりと、社会的に認められようと必死の「上り坂」の時代でした。
そんななかで、いろんな物をせっせと溜め込んでいたのです。

身辺整理というのは、なんともエネルギーのいる作業です。
大きな整理をすると、へとへとになってしまいます。
これからの老後生活のなかで、もし大病にでもなれば、身辺整理をすることは無理ではないかと思い、やれるうちにやっておこうというのがモチベーションになっています。
そう考えると、社会的な働きをほぼ終え、まだ元気なうちの今が適齢期なのです。

ぼくの知り合いのお父さんのお話です。
知り合いは、同年代の方ですが、そのお父さんはかつて新聞記者をしていました。
本好きのお父さんは、自宅とは別に、一軒家を書庫にしていました。
とにかく本が好きで、老後はこの書庫(一軒家)に通って「本を楽しむ」という、何ともうらやましいユートピア計画を立てたのでした。
が、足が悪くなって、ずいぶん前から通わなくなり、書庫の本は整理もされず、そのまま放置されています。八十代後半ですから、もう身辺整理をする気力すらないようです。
もし、この方が亡くなられたら、家族は古本屋さんに頼んで膨大な本を引き取ってもらい、その後はこの一軒家を売却することにでもなるのでしょう。

もう一人は、90歳の老学者です。
彼は、古文書を集めて、これを集大成しようといているのですが、今ではただ古文書の蒐集だけに終始しています。
ぼくの別の知り合いは、この老学者のアルバイトをしていて、古文書の整理を手伝っています。
が、集め続けている古文書の山に埋もれて、知り合いは、集大成の本はとうていできないだろうと感じているようです。
古文書の蒐集をやめて、これらを読み込み、一冊のまとまった本にするだけで何年もかかるでしょう。90歳という年齢を考えるとき、時間はあまり残されていないように思います。
が、今もひたすら古文書を蒐集し続けているのは、彼の老化による想像力の欠如から来るものだと思えてなりません。
つねに、締切りがあるのが仕事です。
締切りがあるので、
「今回の仕事はここまでにしておこう。心残りはあるが、それは次の仕事で実現しよう」
と、きっぱり区切りをつけなければなりません。

さて、人生最後の締切りは、寿命であり、大病です。
しかもその締切りは、ふいに訪れます。

弊塾顧問の佐々木奘堂先生の『禅の言葉』(2015年)の出版を、弊塾でお手伝いしたときのことです。
奘堂先生は検診で胸に影が見つかりました。これが悪性かどうかの精密検査を受けていたのですが、悪性だと、もちろん癌ということです。
検査報告の前日だったでしょうか、
「もし悪性でも、『禅の言葉』はこの世に残せるわけですね」
と、奘堂先生はポツリとおっしゃいました。
ぼくは、締切り発想をして生きておられるんだなあと共感しました。
(幸いにして、悪性ではありませんでした)

すると、一緒に編集をお手伝いしていた女性が、
「先生、そんなこと言ったらダメです」
と即座に叱りつけました。
彼女の発言は、俗な言霊発想に支えられています。
言葉には霊がこもっていて、ダメだと口に出したら、ダメが実現する。
死ぬと口にしたら、死が実現する。
それは、縁起でもないことだ、というのが俗な言霊発想です。
この発想は根強く、ぼくのまわりでもいろんな人が言います。

が、この俗な言霊発想は、締切り発想を阻害します。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」
とは、締切り発想をすることです。
人は天寿を全うして死ぬのが幸せです。ですが、誇りを捨てて、不正義の中に生きることを武士は選びません。いつでも死ねるという締切りの覚悟を持つことが、正義の中で生きる事を保証するのです。この締切り発想が、武士の日常を充実させます。
良い仕事をしようとしたら、いつも締切り発想を持つことです。
いつ締切りが来ても、自分の人生が納得できるように、先延ばしにしないことが締切り発想です。

「~しようとしていた矢先だった」という言い方をよく聞きます。
例えば、「定年退職になり、これから奥さんとゆっくり温泉にでもつかって人生を楽しもうという矢先に大病となった」などです。
ここには、本当の意味での締切り発想はありません。
いつ締切りが来ても、それに対応できる生き方をするのが、締切り発想です。
「定年退職したら、奥さんとゆっくり温泉にでもつかろう」と50歳のときに思ったら、そう思った50歳のときに温泉に行けばいいのです。
定年退職後でなくても、それくらいの暇はあります。その時に、温泉に行っておけば、退職後の人生をもっと違った形で思い描くことができます。
「定年退職したら、奥さんとゆっくり温泉にでもつかろう」と思っていて、実際に定年退職したら、数回も温泉旅行するくらいで終わります。
そして、それくらいのことしか考えていないから、定年退職後の人生を見誤ってしまいます。
「定年退職したら、奥さんとゆっくり温泉にでもつかろう」というのは、50歳の忙しいときの心境なのです。

それはそれとして、ぼくは、「~しようとしていた矢先だった」という言葉を使わない人生を送りたいと、若い頃に決めました。
そして、なるべく先送りしないようにと心がけました。
こんなことがありました。
「50歳になったら、人生論のような本を書こう。それまでは、ビジネススキルの本を書こう」と、ぼくは思い描いていました。
ところが、39歳で阪神大震災に遭い、この計画を前倒しにして、中村天風の思想を借りて人生論をまとめようと思い立ちました。
前倒し発想です。
これは、締切り前に仕事を仕上げることです。
では、なぜ、締切り前に仕事を仕上げるのか。この背景にも、締切り発想があります。

締切りには、①計画上の締切りと、②人生の締切りがあるのです。
人生の締切りとは、「武士道とは死ぬことと見つけたり」という締切りです。
この人生の締切りを、ぼくは問題にしているのです。
言いえかれば、①の締切りは「計画の発想」であり、②の締切りは「生の発想」です。
この両者をみすえて、締切りを捉えたときに、前倒し発想が生まれてきます。

俗な言霊発想は、この辺りを曖昧にし、ぼやけさせてしまいます。
言葉に霊がこもっているかどうか、ぼくは知りません。
が、そんな呪いのような発想で、自分の一回限りの人生を制約することだけはしたくない、というのが根底にあります。
たとえ本当に、言葉に霊がこもっていて、死ぬといえば死ぬのだとしても、すでにぼくは子どものころから「死ぬ」ことを思い続け、言い続けてきました。
親からも、縁起でもない、と言われ続けて生きてきたわけです。
そして、この歳まで元気に生きています。
何の不足があるでしょうか。

話があらぬ方向に展開しましたが、身辺整理には、締切り発想があるということを話したかったのです。
さらに、老年期になると「計画の発想」よりも、「生の発想」としての締切り発想がより大きな意味を持ってくるということを言いたかったのです。

やってみると分かりますが、若い頃に欲望のまま拡大したいだけ拡大すると、後始末=身辺整理がたいへんです。
離婚にはエネルギーがいる、とよく言われますが、同じくらいたいへんです、きっと。
二年前に会社を解散したことを冒頭に書きましたが、この作業は半年かかり、解散と同時に新しい秩序を作るのにへとへとになりました。

山登りで、上り坂もたいへんだが、下り坂はさらにたいへんだということを聞いたことがあります。
どちらがたいへんか知りませんが、それぞれの景色は違うでしょう。まあ、たいへんさがないと、楽しさや喜びもないわけです。
下り坂では、生の発想としての「締切り発想」が大きな意味を持つわけで、人間が最後に試されるのは下り坂でしょう。

月曜担当…池田光



2017年11月19日(日)
「道を行なう者」                     日曜担当…八木正典

道を行なう者は、もとより困厄に遭うものなれば、いかなる艱難の地に立つとも、事の正否や身の死生などに、少しも関係せぬものなり。事には上手下手あり、物には出来る人、出来ざる人あり。おのずと心を動かす人あれども、人は道を行なうもの故、道を踏むには上手下手もなく、出来ざる人もなし。
故にひたすら道を行ない、道を楽しみ、もし艱難に遭ってこれを凌がんとならば、いよいよ道を行ない道を楽しむべし。(大西郷遺訓)


50歳に満たない人生を激動と艱難の中で過ごした西郷隆盛。その言葉にはその艱難を生き抜いてきただけの重みがあります。
事や物には人によって出来る出来ないがあるが、道を行なうことは誰にでも出来る。困難や災難に遭うのが当然と考えればどんな艱難に遭っても道を貫くことが出来るし、道を楽しむことが出来る。
聖賢も之を好む者は、之を楽しむ者に如かずと言っております。ただひたすらに道を楽しむ、そんな心境に到達したいと思いながら西郷隆盛のこの言葉を噛みしめております。

日曜担当…八木正典



2017年11月18日(土)
千代                           土曜担当…佐々木秀彦

水垢離3兄弟という呼び名もいただきまして、1000回達成のお祝いもすでに催していただいきましてありがとうございました。今週実数字も1000回を超えて3桁の百の代から4桁の千代に成りました。これも皆様のご指導ご鞭撻のお蔭と心より感謝する次第にございます。すでに宣言しました通り、今後二千代、三千代と続けていく所存です。引き続きよろしくお願い申し上げます。

1000日水垢離を続けてみて、僕は何か変わったのでしょうか???
僕には実感はありません。ただ確かに毎日水垢離ができる身体の状態だったので1000日健康だったというのは間違いありません。毎回『みんなが幸せになりますように!』と最低30回は唱えましたので、3万回以上声に出して言ったことになります。1人か2人ぐらいが幸せになった効果があったのかもしれません。

水垢離3兄弟の兄である八木さんはお仕事で重要な部署に変わったそうです。冨樫さんはギターや合気道等着実に次のステージへ進んでいらっしゃるような気がします。僕も年明けから仕事で新しい事業展開に運ぶ予定になっております。『石の上にも三年』という言葉がありますが、水垢離も3年超えると次元転換となるのかもしれません。

『転機がおとずれるというのは進化している証拠だよ!』北野武が元SMAP稲垣吾郎へ行った言葉だそうです。確かに3年と言えば桃栗なら実をつける歳月です。中学高校なら卒業します。3年と表現するからたいしたことない印象ですが、1000日と表現すれば凄く多くの日数という印象になります。3年は1095日なのですから、充分に千代と表現して良いかと思います。

僕が水垢離をしている影響かどうかは不明ですが、チビスケが水泳を習いに行くようになりました。水泳も水垢離もある意味同じではないかと僕は思います。毎日のお風呂もやっぱり共通の効果があるような気がします。地球は7割が海です、人の身体も7割が水分です。湧き水は真水です、海に到達すると何故か塩分が増えてしょっぱい水になります。お風呂もプールも水垢離も真水を使います。真水だからこそ身体の垢を離す力があると思います。日本人はお風呂に浸かります、これは水垢離を日常の生活の一部として当たり前に遂行している進化系なのではないのでしょうか…?
そんな風に考えてしまうくらい僕にとって水垢離は毎日の当たり前の行為となりました。

(注:1000回台、1000日台というような『台』という漢字の使用が現代語では正しいのかもしれませんが、僕は『代』を使いたいので使いました、変換間違いではありません)

土曜担当…佐々木秀彦



2017年11月16日(木)
恩送り                          木曜担当…西端努斗夢

 ここ数日、「恩送り」という言葉を目にします。誰かに恩を受けた時、その恩を直接にその人に返せないなら、誰か別の人に恩を送るということで、英語では「ペイ・フォワード」と言うそうです。
 思い返すと確かに私は、これまでに多くの方からたくさんの恩を受けてきました。ご恩をいただいた方の中には、恩返ししたくてもあまりに偉大過ぎて今の私ごときがどうあがいても恩返しできない方もいます。
 これから先、私にいただいたご恩を全てお返しできるかどうか自信はありませんが、「恩送り」で少しでもそのご恩に報いたいと思います。

木曜担当…西端努斗夢



2017年11月13日(月)
無題                           月曜担当…池田光

瀬戸の石彫家・川井信一さんからの便りは、いつもぼくを喜ばせてくれます。
そんなお便りから、情報を二つ。

■「鳥獣魚画展」開催中(かさぎ画廊/横須賀)
横須賀市で「鳥獣魚画展」が開催されています。
かさぎ画廊さんの主宰で、11月10日~19日まで。ホテルニューヨコスカの隣に、画廊があるそうです。

かさぎ画廊さんは鎌倉にも画廊をお持ちで、ぼくは40代前半の頃、川井さんの紹介で鎌倉を訪ねたことがあります。
オーナーの笠木和子さんはとても歓待してくださいました。以来、ご丁寧な賀状をもらい続けています。もう90歳におなりだそうです。

さて、パンフレットの題字を、川井さんが書かれました。
「魚」のところが絵になっていて、文字通り「ぎょ!」となります。
川井さんを含む8名の作品展です。



来年7月には、JR名古屋駅の高島屋の画廊で、川井さんの石彫の個展があるそうで、訪ねるつもりで今から楽しみにしています。
というのも、ぼくも川井さんも高齢となり、一回一回の個展がとても大切で、その思いは川井さんと共有しています。

■「称名寺」に書院庭園が開園(名古屋碧南)
川井さんの石彫を一堂に楽しめるのが、碧南にある由緒ある「称名寺」です。
称名寺では、精進料理をふるまってくれる「心源庵」が平成二十年に建てられました。その庭に、川井さんの石彫が約20点収まりました。
精進料理をいただいたときの感想を、ぼくは「おもてなしの石」という題名にして、一文を寄せたことがあります。今も庭園のご案内には、ぼくのこの拙い文章を使ってくださっています。



この度、称名寺に新しい庭が開園し、「書院庭園」と名付けられました。この庭には、川井さんの石彫が30点収まっています。

昨年末に今西最高顧問とともに称名寺を訪ね、心源庵でくつろぎながら、川井さんとの楽しいひとときを過ごしたことがありましたが、その時、庭はまったく出来ていませんでした。
「ここに、新しい庭ができる予定なんです」
と、川井さんや、お寺の御住職とその奥様にご案内いただいたのが、つい先日のように思い出されます。
この庭が百年愛されますように。
そしたら、次の何かに結びつくことでしょう。

月曜担当…池田光



2017年11月12日(日)
「平地の大なるに如かず」              日曜担当…八木正典

「先生は、譬えば泰山の前に在るが如し。仰ぐを知らざる者有らば是れ目無き人なるべし。」と。先生曰く、「泰山は平地の大なるに如かず。平地は何の見る可きもの有らんや。」と。
先生の一言は、終年外の為に高きを好むの病を翦裁剖破(せんさいぼうは)せり。(伝習録下)

王陽明を泰山にたとえ、それが分からない者は見る目がないとした弟子に対して、高き山は平地の広大さに及ばないと答えた王陽明。
よりよく見せよう、高く見せようという気持ちを一刀両断にした王陽明の潔さに清々しく気持ちいいものを感じます。この文章を読んで確りと地に足をつけて自分の実力を磨き高め続けることの必要性を改めて感じた次第です。

日曜担当…八木正典



2017年11月11日(土)
樹々                           土曜担当…佐々木秀彦

『「女の股から生まれたものはマクベスを倒せない」「森が進撃して来ないかぎり安泰だ」』シェークスピアの4大悲劇の一つ「マクベス」の第4幕で心の安定を得られないマクベスは魔女たちのもとへ赴き、予言を乞うと、魔女たちは様々な幻影や魔物を呼び出して上記の言葉を得たという有名なシーンです。「女の股から生まれてない人間はこの世にはいない!森が動くことなど絶対に無い!」マクベスはそう安堵しますが、第5幕では非常に大勢のマクダフ軍が進軍してくる様子がまるで森が動いて攻めてくるように見えたということと、何事も自分の力で切り拓くという性格で自分は母の腹を破って生まれてきた(実は帝王切開)というマクダフの剣にて、マクベスは殺されてしまいます。

先週のブログでも書きましたが、大坂城をランニングしておりますと、森と表現して良いくらい多くの樹々の中を走ります。樹が多ければ多いほど、こちらが少し動くだけで風景は劇的に変化し続けます。その様子はまるで樹々が動いているかのように錯覚します。この樹々が動く様子を眺めながら、このマクベスの第4幕を思い出して可笑しくなります。

『森って普通に動くやん…』

もちろん錯覚です。樹々はそこから動きませんが、僕が動けば視点が変わるのです。天動説と地動説の理屈ですが、僕を中心点とするなら樹々が動くという結論に至る訳です。
森と表現するほど大量の樹々です、その動きは速い速い…目が追い付けないほど目まぐるしく動きます。

最近この『樹』が気になってしかたありません。食料のある所へ動いていくことのできる爬虫類や鳥類、哺乳類より、その場からまったく動かず一生を終える植物の方が寿命が長いという事実。家の柱や廊下に加工されてもなお湿度に応じて呼吸をし続けるという現実。風に乗って種子が旅するという壮大な浪漫。美しい花。季節の移ろいで変化し続ける葉の色…僕は『佐々木』という苗字ですが、もしかしたら木を助けるのが本来の僕の使命なのかもしれないなどと考えてしまうほどです。気・嬉・貴・鬼そして祈・己。全部『き』なのは考えすぎでしょうが、文字通り「きりがない」感じです。

日本の神道でも仏教でも、シェークスピアの魔女や妖精も、樹々に対する尊厳は時間空間を超えて世界共通の認識だと思われます。『き』を大切にする…基本の『き』なのかもしれません。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年11月9日(木)
神様からの贈り物                   木曜担当…西端努斗夢

 今月7日は、二十四節気の一つ立冬でした。暦の上ではもう冬で、その気配を感じることができます。
 冬になると毎年、猛威を振るうのがインフルエンザ。感染すると高い熱が出て、対処法を誤ったり、体力が落ちていると場合によっては大変なことになるため注意は必要です。
 ただ、一説によると、免疫細胞は低体温より高体温の方が活発化することが確認されているそうです。
 また、がん細胞は、熱に弱く、高熱を出したがん患者さんの病状が改善したというケースもあるようです。
 そう考えると、インフルエンザウィルスを一概に悪者と決めつけられないような気がします。インフルエンザはもしかして、感染して高い熱を出すことでがんを予防してくれる神様からの贈り物かも?

木曜担当…西端努斗夢



2017年11月6日(月)
無題                           月曜担当…池田光

権威がある漢和辞典の『新字源』が大改訂されて、この10月末に発売されました。
予約していたので、Amazonから発売日に到着。
『新字源』の装幀は二種類あり、ぼくが購入したのは、写真の版です。



造本はかなり進化しています。
持った感じ、開いた感じは、抜群に素晴らしいです。
紙面は広くなり、さらに分厚くなっていますが、にもかかわらず、わずか180グラム増えただけ。総量一キログラムを切り、携帯にもさほどの苦になりません。
何より、旧版より識字効果が格段に高まっています。
紙面デザインは『漢字海』に似ていると思いました。

現在、柳宗元の有名な「永州八記」のうち「袁家渇記」を読んでいるのですが、さっそく旧版と新版の両方を引き比べしてみました。

「袁家渇記」に、植物の名前(下の写真参照)が出てきて、字義を見ると、「ゆずりは(旧版)→クスノキ科の常緑高木(新版)」と変更されていました。
つまり、従来の「ゆずりは(ユズリハ科の常緑高木)」は正しくなかったわけです。なのに、なぜ旧版で、「同 楠」と記されているのか分かりません。



ほかにも、新しく加わった語義が訳すのにぴったりしている、などといった感動が随所にありました。
ただ、残念なのは、付録から「助字解説」が外されたこと。

ですが、こういう辞書を引くと、テンションがあがりますね。
漢文を始めて6年目。良い刺激になりました。

月曜担当…池田光



2017年11月5日(日)
「六然講座」                       日曜担当…八木正典

「日に新たに日々に新たなり」というのが自然の相であるから、停滞固定は造化に反する。
我々は常に自己を新しくしてゆかねばならない。(安岡正篤 運命を思いどおりに変える言葉)

第4回六然講座に参加させていただきました。
安田先生の「理想を追い求める2」、「安岡正篤の思想哲学に学ぶ」の2本立ての講義に加え、池田塾長の安岡正篤先生の「天子論及官吏論」の解説と豪華で充実した内容でした。
安田先生の講義では、安田先生がこれまで触れてこられた自分を磨くための言葉を取り纏めて紹介いただき刺激を受けました。
紹介される言葉は公明正大や人格・品格、修養等に関する言葉が多く安田先生の人柄や思考をよく表されておられて、感動した言葉を自分のものとして高い理想を掲げながら確りと実践している姿が想像できました。安田先生は自分を高めるために自己訓を作っておられますが、早速真似してみようと思っております。
池田塾長は安岡先生に関する著書をいくつも書かれておられ、安岡先生の事を非常によく研究、理解されております。そのバックグラウンドを持ったうえで、安岡先生の戦前と戦後での表現の違い、戦前での名文である天子論と官吏論を分かりやすく説明いただき理解が進みました。
天子及政府の本質は、国民生活の安寧秩序の保持、福利の増進、道徳的向上にあるとの言葉は正に今の政治の在り方としても十分に通用する思想で、安岡先生の戦前の書をもっと学んでみたいとの気持ちがわき上がりました。
今回の講義や懇親会を通じてまたも貴重な縁やいい刺激を受けることができて本当に有難い話です。いい縁や刺激に対して何らかの形でお返しできるように自己を新しくしていきたいと思います。

日曜担当…八木正典



2017年11月4日(土)
和気                           土曜担当…佐々木秀彦

大阪城のランニングを再開しました。
春にヘルニアを発症して中止して、8月からリハビリを兼ねてウォーキングを続けていたのですが、11月になって速度はゆっくりではありますがランニングに切り替えました。

大阪城公園は、難波の宮、石山本願寺、豊臣秀吉の大坂城、徳川将軍時代の大坂城、陸軍第4師団司令部、そして現在の大阪府庁舎もここに存在する場所という歴史があります。
それぞれの時代のトップがそこに存在してきた謦咳なのか、森と表現しても良いくらい植物が繁っている樹々のパワーなのか、お堀を満たす水のマイナスイオンなのかは判りませんが、大坂城はとにかく気持ちの良くなる空間であることは間違いありません。

ランニングはそれはそれで良いのですが、毎朝のウォーキングというのはとても楽しいことを今回発見しました。走ると見えない花や枝葉や路傍の石がドンドン見えてきます。鳥の声、樹々の声もやっぱりよく聞こえます。

『樹々の声』と表現しました。鳥の声は鳥が喉に息を響かせて発声します。人間も喉の隙間を調整して息を加減して吹きつけて音声にしています。『風の音』と言う表現もありますが、共鳴しているのは樹々です。風が息で、樹々が喉なら、『樹々の声』というほうが正しいと僕は思います。

植物は自者と他者の区別が無い生命体だということです。接ぎ木するとそのまま受け入れて他者のはずの枝にも全力で養分を供給するのはその区別をしない生命体のわかり易い証明だそうです。植物は2酸化炭素を吸収して酸素を出します。徳川慶喜の吐いた息からできた酸素をウォーキング中の僕が吸っているのかもしれないのです。樹齢150年程度の樹々は大阪城にはたくさん現存しているはずなのです。

大坂城には現在豊国神社も鎮座されております。明治時代には中之島でサムハラ神社と一緒に鎮座されていたのが、昭和36年に市庁舎拡幅のためここへ移ったということです。神様はみんな繋がっているとは知識では理解していますが、中之島でサムハラ神社とご一緒だったと知ったとたん、豊国神社により一層の愛着を感じるようになるから不思議です。

ランニングに切り替えたので、僕は二酸化炭素をウォーキングよりもっとたくさん吐くと思います。大阪城公園の植物達にとって美味しい二酸化炭素だねと思ってもらえるような、和気に溢れた爽やかな二酸化炭素を放出するように毎朝汗をかいてがんばってみたいと思います。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年11月2日(木)
幸せになるために生まれてきた           木曜担当…西端努斗夢

 実は私、若い頃からさだまさしのファンでした。
 短編小説のような詩、落語を思わせるテンポの良いトーク、憧れました。けれど、どちらもマネできませんでした。

 先日、知人よりさだまさしの『いのちの理由』という歌を教えていただき、初めて耳にしました。

 歌詞に「幸せになるために生まれてきた」とありますが、どんなに辛くても、どんなに悲しくても、どんなに寂しくても、どんなに苦しくても、自分が幸せだと思ったら一瞬で幸せになれる。幸か不幸かを決めているのは自分で、私たちは、幸せになるために生まれてきたのですね。

木曜担当…西端努斗夢



2017年10月30日(月)
無題                           月曜担当…池田光

黒柳徹子さんを描いた「トットちゃん」(テレビ朝日)が好評だそうです。
……公立の小学校に入学したばかりの徹子さん(トットちゃん)は、その画一的な教育になじめずに退学になりました。

そんなトットちゃんを温かく受け入れてくれたのが、トモエ学園でした。今の黒柳徹子さんがあるのは、トモエ学園の校長先生のおかげです。
福山雅治の主題歌「トモエ学園」にも登場する校長先生が、小林宗作(1893~1963)です。
小林宗作は、もともとは成蹊学園の小学校の音楽教師でした。

成蹊学園と言えば、その創始者は、中村春二(1877~1924)です。小林宗作は、中村春二の教育方針に大きな影響を受けたのでした。

では、中村春二の教育方針とは、どんなものだったのでしょうか。
春二は、
「人はどんな状況におかれても、それを乗り越えるだけの<心の力>がもともと具わっている」
と教えました。
「そんな尊い<心の力>に気づくことで、強く主体的な精神力が養われる」
と。
これを歌にしたのが「心力歌(心の力)」です。

ぼくが半年前に出版した『天風哲学で読み解く 中村春二の「心の力」』。
これは、成蹊学園の創始者である中村春二の「心力歌(心の力)」を、天風哲学の観点から読み解いたものです。

弊塾の今西最高顧問は、「心力歌」をたいへん気に入っておられます。
多くの方々にその魅力を伝えられました。
あわせて、ぼくの本も紹介してくださいました。

そのおかげで、最近、大阪の有力者から『天風哲学で読み解く 中村春二の「心の力」』を大量にご注文をいただきました。
一冊一冊、サインを入れさせていただきました。
みなさまにお配りくださっているのだそうです。

そんなこともあって、ぼくは、出版してから初めてじっくりこの本を読んでみました。
巻末に「心力歌」の全文を収録しているのですが、改めて「心力歌」の素晴らしさに心を打たれました。



本書の詳細は、amazonでご覧ください。


ところで、『天風哲学で読み解く 中村春二の「心の力」』では、「心力歌」の約40%を現代語訳しました。
また、訳出した部分に、天風哲学の観点から解説を加えています。

改めて読み返してみて、当のぼくこそが、
「『心力歌』をすべて現代語訳で読んでみたい」
という感想を得ました。

同時に、
「それなら、『心力歌』をすべて現代語に訳してみよう」
と思うようになってきました。
これから少しずつ現代語訳の作業をやって行きたいと思います。

来年1月の六然講座では、富樫さんが「宇宙エネルギー」のお話をされるそうです。
「心の力」も宇宙エネルギーに関連します。なので、その講座の際に、全訳を披露してみたいと考えているところです。

月曜担当…池田光



2017年10月29日(日)
「善く戦う者」                      日曜担当…八木正典

孫子曰く、昔の善く戦う者は、先ず勝つ可からざるを為して、以て敵の勝つ可きを待つ。勝つ可からざるは己に在り。勝つ可きは敵に在り。故に善く戦う者は、勝つ可からざるを為し能うも、敵をして勝つ可からしむる能わず。故に曰く、勝は知る可くして、為す可からずと。

10月から仕事の内容が変わり慌ただしい毎日を過ごしています。
これまで経験をしたことのない業務であり、自らの組織への貢献を考えた時に、戸惑うことも多くまだまだ動き方が分からないことだらけです。
そのため、「勝つ可からざるは己に在り」という言葉を自分に言い聞かせています。
先ずは自分の意識、やり方の工夫次第で何とでもなることに力を注ぎ、一つ一つ自分が思う問題点を撲滅しながら、確りとした守勢の態勢を作り上げられるよう意識しております。

日曜担当…八木正典



2017年10月28日(土)
大和                           土曜担当…佐々木秀彦

『和を以て貴しとなす』
聖徳太子の十七条憲法冒頭の一語で、この言葉を聞いたことの無い日本人はいないだろうと思われるほど有名な言葉です。日本国は『大和』という表記も有ります。『ヤマト』という呼称は古代から為されていた文字どおり大和言葉ですが、『大和』という表記が主流になったのは孝謙天皇の750年辺りだということです。卑弥呼の『邪馬台国』を「ヤマタイ国」と読むのはきっと学説や何かややこしい理由が絡んでいるのではないかと推測しますが、単純に考えて「ヤマト国」と呼んでいたはずだと僕は思います。

『大和』これが日本の基本です。日本は『大和』なのです。『不和』であってはいけません。

何事もバランスが大事だとよく言われます。身体もホルモンのバランスが崩れると病気になります。組織も経済も個人も世界情勢も、すべてはバランスの均衡が保たれなければ破綻すると言って良いかと思います。『和』は、平和、調和の『和』で、均衡という意味もあります。

日本料理の素晴らしさに、気力に栄養を与える効果にまで意識が及んでいるというお話を聞いたことがあります。身体の栄養は極論『点滴』や『サプリ』の摂取で生命保持も可能ということらしいです。日本料理はその身体の栄養バランスも見事に計算されている上に、消化吸収の部分、さらに心の栄養に寄与するための盛り付け、色彩等、調べれば調べるほど優れた結果が証明されつづけているそうです。土でできた器に乗せて、木でできた箸を使って人間の口へ運ぶという順序を見るだけでも、自然の理に適っていて、そこが気力の栄養に繋がるというお話しでした。

音楽で言うなら唄があります。その主旋律に和音をつけて伴奏することで、曲が完成します。家族なら、お互いに場面に応じてきれいな和音になるようにハーモニーを奏でるような意識で、お互いの人生を共鳴させる感じでしょうか。会社でも、地域でも、そんな意識の集合体として出来上がった国家であるべきという理想が『大和』という名称に込められているはずと勝手に推測いたします。

『大和』を目指そうと考えると個人レベルでは難しく感じがちではありますが、『不和』を解消しようと考えれば個人レベルだからこそすぐ実行できるような印象です。そんな意識を別の言葉に言い換えると『一燈照隅、萬燈照国』とも表現できるのでしょう。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年10月26日(木)
人徳                           木曜担当…西端努斗夢

 「あの人は徳が高い」とか「あの人は人徳がない」と言われるように、「徳」というものがあるようです。「徳」とは何か、私の中できっちりと言葉に置き換えることはできていませんが、「徳」の存在は、はっきりと感じることができます。

 先日行われた衆院選挙で希望の党が失速したことについて、マスコミは様々な原因をあげていますが、私は党首の人徳も原因の一つのような気がします。小池さんのこれまでの政治家としての言動を見てそう思わずにいられません。

 かといって、他党の党首はもちろん、世の政治家がどれだけの人徳を備えているか甚だ疑問ですが……


 確かに小池さんは、これまで長年にわたって国会議員をつとめ、都知事にも選ばれるなど、誰もがその実力を認めていて、立派な方であることは間違いのないことです。それだけに残念でなりません。

 いずれにしても、どれだけ力があっても最後は人徳。日々、徳を積むことの大切さをあらためて痛感しています。

木曜担当…西端努斗夢



2017年10月23日(月)
安岡正篤の原点「天子論及官吏論」を読む    月曜担当…池田光

安岡正篤(1898~1983)に「天子論及官吏論」という論説があります。これが発表されたのは、大正12年、安岡26歳の青年期です。

このわずか30ページほどの冊子(「天子論及官吏論」)を入手したのは、埼玉県にある「郷学研修所」に、安岡正泰氏(安岡正篤の次男)を訪ねたときでした……。

……約10年強前のある日のこと。
ぼくは出版社の編集者とともに、安岡正泰氏を訪ねたのです。
約束の時間より一時間ばかり早く着くと、郷学研修所と同じ敷地内にある「安岡正篤記念館」を見学しました。
このとき、販売コーナーに「天子論及官吏論」が置かれているのを見つけたのです。
さっそく手に取りました。そして、女性スタッフの方に、
「これはぼくが探していたものです。ようやく読むことができます。」
と嬉しくて思わず語りかけてしまいました。

かねてより、この論説を読みたいと願っていたのです。が、ぼくの知るかぎりでは単行本に収録されておらず、入手できずにいました。

「天子論及官吏論」は、安岡正篤の思想をもっとも雄弁に語ったものの一つでしょう。安岡の思想を知るには、この論説をはじめとして、初期の作品が不可欠なのです。



内容はかなり難解です。というか、論旨を掴むのに骨が折れます。
ぼくは当時、一読して放ってしまいましたが、とても気になっておりました。
「いつか丹念に読もう。そして、きっちり理解しなければならない」と。

思うに、「天子論及官吏論」をはじめとする安岡の青年期の主張には、すでに「安岡学」が完成しています。ところが、戦後の安岡の言論からは、そのユニークさが失われているのではないでしょうか。

戦後の国家体制は大きく変わりました。
このため、「天子論及官吏論」は時代の産物となっている側面があります。ですが、今もこの論説は生きているし、生かしていけると思います。
失礼ながら、戦後の安岡は、政財界をはじめとした我が国のリーダー層への教育活動をしたり、精神的支柱となったに過ぎないのではないかと思います。
もし、青年期の論文を知らなければ、ぼくは安岡を取るに足りない、つまらない論述家だと誤解していたことでしょう。

話を転換します。
このたび、11月4日の六然講座で、メイン講師の安田憲生さんが「安岡正篤の思想哲学に学ぶ」というテーマで講義をされることになりました。

ぼくも少しお時間をいただいて補足のお話をしますが、その際、「天子論及官吏論」を取り上げたいと考えています。

そんな思いで、ここ数日かけて参考文献などを引っ張りながら、「天子論及官吏論」を丹念に読んでいくと、安岡正篤が言わんとしていることがよく分かりました。そして、やはり、この論説は安岡の原点であり、彼の思想の種子であると確信しました。

11月4日は、皆さまと共に、この論説を読みたいと思います。
ぼくの方で、コンパクトなサイズ(三分の一程度)に編集します。なにより、安岡正篤の原文をそのまま読もうと思います。原文こそが大切です。さらに、編集版にはぼくの注釈を書き込んでおります。味読していただければありがたいです。

■編集版のポイント
ポイントは、
・官、政府、天子の意味から「君主制と共和制」を考える
・「東洋王政思想」と「西洋君主制思想」を比較する
・「易世(易姓)革命」と「万世一系」の違いとは
・安岡が考える「天皇論」とは
・「起居郎(ききょろう)論」 ~なぜ天皇に起居郎が必要か
・官吏(政治家や役人)は、どうあらねばならないか
といったところです。

上記のポイントから興味本位に一例をあげると、たとえば「起居郎論」などは面白いです。
起居郎というのは、皇帝にピタリとつきそって、その言行を細かく記録していく役人のことです。中国の隋・唐のあたりにできた制度です。
皇帝が何を言ったか、何をしたか、逐一記録していきます。たとえば、官の誰と会ってどんな話をしたか、どんな食事を摂ったか、夜は後宮の誰とともに居たのか、なども記録されるわけです。

安岡はなんと、日本の天皇にも「起居郎をおしつけたい」と書いています。このあたり、「天皇」を「天子」と言い換えるなど微妙な書き方をしているのも面白い。
そして、天皇といえども「起居注(起居郎が書いた日記体の記録)」をご覧になることはできず、年々、伊勢大神宮の宝蔵に秘納し、後世に伝えるとしています。

ぼくは、以前から起居注の制度には興味がありましたので、すこし詳しいことを、藤善真澄著『安禄山』から引用してご紹介します。皇帝といえども、ある面、不自由なわけです。
しかしなぜ、安岡は天皇に「起居郎をおしつけたい」と書いたのか。その真意が分かれば、安岡の理想とする政治体制を紐解けると思います。

■「天子論及官吏論」で安岡が言いたかったこと
この論説で安岡正篤が言いたかったことは、何でしょうか。
①「西洋君主制思想」と比較して、「東洋王政=儒教による民本主義」の優位を説く。
②わが国も「東洋王政=儒教による民本主義」の枠組みのなかにあるが、さらに細かく「支那の天子」と「日本の天皇」を比較して、「天皇制民本主義」の優位を説く。
③そのうえで、「官吏のあり方」を提言する。
といったことではないでしょうか。

前に、弊塾事務局長から、
「民主主義の欠陥として、愚民政治に陥ることがあると思うんです。それよりも、賢君のもとでの独裁政権のほうがましではないかと思うのですが……。」
みたいなことを、ポツリとぼくに言われたことがあります。

確かに、古代ギリシアの哲人プラトンは、民主主義に減滅して「哲人王」の理想を説きました。
ぼくも民主主義をバラ色だと思っておりません。というのは、主権を国民(民衆)に置いたからといって、本当の意味で「人民のための政治をする」といった「民本」に徹し切れないと思うからです。
つまり、民主主義の裏側で利権などの問題が、本当の人民のための政治を阻害していると思うのです。
また、個々に欲望を持った民衆が主権者になることで、今の欲望を満たすことに目が向きやすく、将来のことを考えにくいという側面が民主主義にあります。実際、「自由」を履き違えたことから野放しになった「欲望」は、どれだけ利己主義を後押したことか……。

しかしながら、ぼくは、政治体制の安全弁を考慮すると、極端な方向に行き過ぎない「民主主義」がマシだと思っています。
どんな制度にも欠点があります。その欠点が、民主主義においては致命的ではない、と思うだけのことです。
ちなみに、ぼくは欲望肯定論者です。その肯定論は、天風哲学の範囲のなかでですが、ぼくは欲望についてはずっと問題意識を持っており、今回の編集版にも「欲望と良心 ~部分的欲求と全体的欲求」を組み入れております。

それはそれとして、安岡はどんな国家体制が良いと考えたのか……。
その答えが、「天子論及官吏論」にあります。
安岡の主張を集約すると、「儒教の智慧に裏打ちされた、天皇主権の民本主義体制」という理想にあると思うのです。
この理想が、どれだけ有効か。戦後の体制のなかで生きている我々が、天皇主権の時代に論じられた「天子論及官吏論」をどう評価するのか。それは、ぼくの話のあとで、個々に考えていただきたいと思います。

さて、どこまでお話できるか分かりませんが、六然講座では精一杯務めさせていただきます。時間のかぎり、読めるところまで皆さまと共に読み、逐次、解説を入れていきたいと思います。
どうぞ、11月4日をお楽しみに。

■蛇足
安岡学の根は、青年期の作品にあります。そこで、青年期のものを、今後も読んでいく予定です。
このたび、六然講座という機会を得て、安岡の最重要論説である「天子論及官吏論」を丹念に読むことができたのは僥倖でした。この論説をベースにして、下記の本を再読・初読していきたいと思います。



・『東洋思想と人物』(明徳出版社)
……大正10年、安岡が24歳のときに出版した『支那思想及人物講和』(玄黄社)の新版です。11篇を収録。いくつか重要な論文が含まれています。

・『儒教と老荘』(明徳出版社)
……大正から昭和の初めにかけて発表された18篇を収録。ぼくの近著『安岡正篤 運命を思いどおりに変える言葉』(イースト・プレス)でも、大いに参考にした本です。

・『安岡正篤 ~慎独の一燈行~』(拓殖大学)
……安岡は、大正15年、拓殖大学で「東洋民族心理研究」を担当し、東洋協会と拓殖大学関係の定期刊行物に、論文や随想を寄稿しました。
こうした47篇を収録して、「創立100年記念出版」の一冊として拓殖大学から刊行されたものです。大学の出版物であり、従来の単行本とはかなりイメージが違う一冊です。
また、表紙には「元教授・安岡正篤」とあり、安岡は拓殖大学教授だった一時期があったようです。
400ページを超えるもので、論文や随想の大半が大正時代に発表されています。解説もしっかりしています。
この本を見つけて購入したのは、つい先日です。雀躍しました。

月曜担当…池田光



2017年10月22日(日)
「自分を知る」                     日曜担当…八木正典

人間何が悩みかというと自分が自分を知らざることである。人を論じたり、世を論じたりすることはやさしいが、自分を論じ、自分を知るということは、実はこれが一番大事であるにかかわらず、なかなか難しいことである。
人間は、先ず自分を責むべきであって、世の中や時代を責むべきではない。世の中が悪い、時代が悪いというのならば、そういう時世に対して、一体自分はどれだけ役に立つのか、それをどう解釈し、それに対してどういう信念・情熱を持っているのか、よく自分を責めるがよい。(安岡正篤)

11月4日の六然講座は安田先生の「安岡正篤の思想哲学に学ぶ」です。
私も仕事に悩んだときや目指すべき方向に自信が持てない時には安岡先生の言葉に触れ、自己を反省し、又自分の気持ちを奮い立たせることが多くあります。
歴代首相の指南役と言われ、戦前戦後の多くの日本人に影響を与え今なおその思想は輝きを失っていない安岡先生についてお話いただけるということで今から講義がとても楽しみです。改めて安岡先生の思想を学ぶ機会を与えてくださることに感謝です。
なかなか自分では分からない自分の今のありようを整理したうえで講義に臨ましていただきたいと思います。

日曜担当…八木正典



2017年10月21日(土)
千差                           土曜担当…佐々木秀彦

「中国人は『性即理』なんです!
中国人の精神構造は主観と客観の違いが無い。自分の主観を客観として言う。嘘も嘘とは思わず、何でも自分の都合の良いように言う。自分の都合の良い解釈で何でも表現するのが普通。」

先日、北村稔氏の講演を聞く機会があったのですが、上記はその時印象に残った言葉です。北村稔氏は「南京大虐殺は無かった」という結論を発表している、中国近現代史を専攻している歴史学者です。
今回は南京大虐殺とは関係は全くないのですが、北村稔氏が現代中国人気質を『性即理』だと表現されたことが面白かったので、ブログのネタにしてみます。

性=主観、理=客観、という解釈で、「主観は即そのまま客観である」ということでした。中国人は自分が思ったことは、空想でも現実にあったこととして言葉に発する民族という解説でした。そしてさらにその空想の出来事が本当にあった出来事と思えるような証拠を次々と創作するのも普通のことというお話しでした。

中江藤樹、大塩中斎、山田方谷、西郷隆盛、安岡正篤等々、僕らが学んでいる陽明学。そして徳川幕府が奨励した、武士道に通じる朱子学の解釈とあまりの違いに、「中国人は『性即理』なんです!」と北村稔氏が仰ったとき、思わず転びそうになりました。

古典の解釈はその時代時代、その人人により変幻万化することも確かに学んできました。インド発祥の仏教も、インド・中国・日本ではまるで違う宗教のような気がします。戦争の多くは宗教戦争とも言えるという人がいるくらいですから、一つの発祥がどんどん進化して枝分かれするのは当然なのでしょう。現代中国人にも文化大革命はあったにせよ、古典が当然に脈々と息づいているはずなのに…と疑問をもったことは多々ありました。『心即理、性即理』がそういう解釈だとすれば、間違いなく現代中国人の根底として、孔子・孟子も諸葛孔明も朱子も生き続けているということは間違いのない事実のようです。

僕が風の噂的な情報から、「南京大虐殺」という言葉に忌まわしいイメージを勝手に抱いて、直視しない様にトコトン避けていたキーワードではあったのですが、講義に参加してみて本題とは別の部分にも予想外の刺激をたくさん受けて、新しい気づきも多々あったので、改めて何でも参加してみなくてはわからないと思いました。心は宇宙と同じ大きさなのです。まだまだ僕の心は拡がり続けなければいけません。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年10月19日(木)
薄味                           木曜担当…西端努斗夢

 料理は、濃い味付けで美味しいと感じさせることは比較的に簡単ですが、薄い味付けで美味しいと感じさせるのは、相当の腕がないと難しいと思います。
 また、それなりの舌を持った人でないと薄い味付けの美味しさに気づかないのかもしれません。

人間味もたぶん同じだと思います。
私は、薄味の人間を目指します。また、薄味の人間味がわかる人間になりたい。

木曜担当…西端努斗夢



2017年10月16日(月)
無題                           月曜担当…池田光

埴谷雄高(はにやゆたか、1909年~1997年)という評論家・小説家がいます。いまでは、あまり読まれることもないようです。
が、氏が没した日には有志によって「アンドロメダ忌」という記念会が催されているほど、一部に篤い支持を受けていた作家です。

ぼくは学生時代、氏の未完の大長篇小説『死靈』を読もうとして、あっという間に挫折した経験があります。
あるとき、古書店で売られていた氏の年賀状を見つけました。
この年賀状は、99歳の長寿を得た詩人・武田隆子(たけだたかこ、1909年~2008年)に宛てたもので、そのとき、埴谷も武田も72歳。

ぼくは埴谷雄高の賀状の文面に、つい笑ってしまったのです。
万年筆の文字で、
「どうやらボケつつあり
ます」
とあるのですが、改行といい、文字といい、なんとも面白い……。
(写真の住所は一部隠しております。)



70代前半の埴谷は、どんなボケぶりだったのだろうと想像させるではありませんか。しかし彼はその後90歳近くまで生きました。

こんな賀状を気に入って買ったのは、ぼくが四十代の頃でした。あれから二十年近く経ちましたが、まだこの状態には至りません。
いつか、こんなふうに書いてみたいとも思うのであります。


2017年10月15日(日)
「今を楽しみながら」                 日曜担当…八木正典

足もとばかり見てたら 行く先がわからなくなる。
遠くの夢ばかり見てたら 足もとの石ころにつまずく。
だから 休みながら のんびり のんびり 遠くを見たり 近くを見たり
ゆっくりゆっくり 今を楽しみながら  (御木幽石)



偶然入ったある店で目に入ってくる言葉がありました。御木幽石さんの言葉でした。
遠くの理想と足元の現実をバランスよく組み合わせ、渾然一体となったところが今この瞬間であり、それをそのままゆっくりと楽しむ。ほのぼのしていてなんとなく嬉しくなる言葉です。
自分が目指す姿もこんな思いの中にあるのかもしれません。

日曜担当…八木正典



2017年10月14日(土)
葆光                           土曜担当…佐々木秀彦

『真の道は概念で把握できない。真の認識は言葉で表現できない。真の愛には愛するという意識を伴わない。真の廉潔は廉潔であろうと努めない。真の勇気は他者と争わない。
 道は道であると判断されたとき、道で無くなる。ことば(概念)は成立したとき、事物の実相から離れる。愛は特定の対象に止まるとき、愛ではなくなる。廉潔は意識的に行なわれれば偽りになる。勇を頼んで人と争うとき、勇は勇でなくなる。以上、五つの例からも知られるように、本来円であるものを円ならしめようとするのが人間の知恵であり作為である。

 つまり、人間にとって最高の知とは、知の限界を悟ることだと言える。それにしても、この「不知の知」を体得することは、なんという至難の業であろうか。もしこれを体得できたとしたら、その知は無尽蔵な天府「天の庫」にたとえることができよう。いっさいを受容し、事物とともに推移して、しかもなぜそうなるのか意識しない、これこそ、「葆光」:無心の知なのである。』(斉物論篇第二の七「葆光」・岸陽子「荘子」徳間書店)


中村正直訳「西国立志編」の序を記述しているのが、「三田葆光」という人物でしたので少し調べてみたら、この人物本人以前にまず「葆光」という言葉に興味を感じてしまいました。その出典は荘子の「不知の知」の解説だろうと思われたので上記を抜粋いたしました。慶応大学病院の放射線科が、創設時に『葆光は荘子のうちにあって、慈悲ある光という意味であります、即ちラヂウム線・レントゲン線・紫外線・日光赤外線等は、すべて人類に幸福を齎すもの…』という由来から「葆光会」と現在も名乗っております。僕にとってこの『放射線』という感じが一番感覚的に解り易い気がしました、荘子の真意とも吃驚するくらい繋がる深い意味があるような気がしたのです。

話は西国立志編の「三田葆光」へ戻りますが、この序の文はとても素敵でした。「自助」とは決して自分を甘やかすことと早合点はするなと力強く釘を刺し、日本魂を大きく誇りつつ、神道に基づき理路整然と西洋人も日本人も同じ人間であることを端的に説明する文章は爽快感さを感じました。その詳細はまた別に機会ということで割愛しますが、この序の中にさりげなく、中村正直の「正直」という言葉も大きなキーワードとして引用している小粋さに、大和言葉の素晴らしさをまざまざと見せ付けられた印象がしました。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年10月12日(木)
時は命                          木曜担当…西端努斗夢

 「時間を大切にしなさい」と言われ続けて小さい頃から育ってきましたが、なぜ時間を大切にしなければいけないのか、恥ずかしながらこの歳になってやっとわかりました。

 「時は金なり」という言葉がありますが、「時は金」ではなく「時は命」だったのですね。

 私たちは、寿命と呼ばれる有限の時間を命として天からいただき、この世に生まれてきます。時間を無駄にするというのは、寿命=命を無駄にすることだったのです。
 まして、約束の時間に遅れて他人を待たせるということは、その人の命を奪うことに等しいことだと言えないこともありません。

 世の宗教家やその信者で、時間を大切さを意識しないで生きている人は、エセ宗教家、エセ信者で、そんな人に神仏の教えを偉そうに語ってほしくはありません。

 「何を今さら」と言われそうで恥ずかしいのですが、時間の大切さが今になってやっと気づかせていただきました。
 気がついたからと言って、元々時間にルーズでいい加減な私の性格がそう簡単に変わるとは思いませんが、「時は命」ということを意識して生きていくのとそうでないのとでは、これからの人生が多少は違ってくると確信しています。

木曜担当…西端努斗夢



2017年10月9日(月)
無題                           月曜担当…池田光

魏・蜀・呉の三国が覇権を争った物語が、よく知られている『三国志』です。
諸葛孔明が活躍するのも、この時代です。

この三国志の時代に、王弼(おうひつ、226~249、魏)という、24歳で夭折した鬼才がいました。
それから二千年近く経っていますが、王弼が注釈した『老子』や『易』は現存しています。
これはとても稀なことです。その注釈は、彼独自の思想によるオリジナリティに富んだもので、現代でも高く評価されています。

ぼくはかねてより、王弼の『老子』の注釈書を読みたいものだと思っていました。
探索していると、その注釈書に刺激を受けた、志賀一朗著『老子真解』(王弼の逐語訳が掲載されている)が出版されていることを知りました。
今回のブログは、この本のことを書きたいと思います。

その前に、余談ながら、王弼の同時代人の、何晏(かあん、?~249)に触れておきたいと思います。
何晏といえば、『論語』にふれた人なら誰でも知っているビッグネームです。
たとえ名前を憶えていない人でも、『論語集解(しっかい)』の編者だといえば、思い浮かぶでしょうか。あるいは、古注の代表だといえば分かるでしょう。
書店に並んでいる『論語』で、何晏の古注と、朱熹の新注を参考にしていないものはありません。『論語』を読んだ人なら、かならず何晏の恩恵をこうむっているわけです。
王弼と何晏は同時代人だと書きましたが、両者は同じ魏の学者で、ともに玄学を創始したといわれています。
つまり、王弼の『老子』注釈と、何晏の『論語』古注とは、同時代のものでした。この注釈書が現代にまで残るのはどれだけ稀なことか、分かっていただけたらありがたいです。

話を戻します。
ぼくは、王弼の『老子』注釈に刺激を受けた、『老子真解』(2000年、汲古書院)の古本を探していて、「書込み多数、難あり」として安く売られているのを見つけました。
そのもくじの書き込みを見た瞬間、「これは、著者の書き込みだ」と直観しました。

およそ著者が書込みするときは、改訂版を出すときです。
そこで、ぼくは志賀一朗氏が改訂版を出されたのかどうかを調べました。
すると、3年後に『老子の新解釈』(2003年、大修館書店)が出版されており、両書を照らし合せると、『老子真解』の書き込みのいくらかは、この本に反映されていることが分かりました。



もっとも、著者はたんねんに改訂を加えており、『老子の新解釈』に反映されていない改訂もあるようでした。
もしかしたら、前著の改訂版を目指していたのかもしれません。

いま、著者の書き込み本は、ぼくの手許にあります。この本を所有する意味は、著者と対話感覚で読書できることです。

この秋が過ぎ、冬本番になったら、ぼくは暖かくした部屋にこもって『老子』を読むつもりでおります。そのときに備えてテキストを集めているところです。

こうして、ぼくは、著者が書き込みした『老子真解』と、美本の『老子真解』を求めました。前者の書き込み本と対話しながら、何も書かれていない本にぼくのコメントを書き込んでいこうと思います。

一通り読書が終わったら、著者の書き込み本は必要がなくなるので、手放すことになるでしょう。
これまでも何度か、著者の書き込み本を求め、利用させていただきました。なかでも、岡田武彦氏の『坐禅と静坐』の書き込み本は、高価格で売れました。
(古本屋さんの「難あり」は、宝探しする感じで本当に面白いです。)

月曜担当…池田光



2017年10月7日(土)
国宝                           土曜担当…佐々木秀彦

『国宝とは何ぞ。宝とは道心なり。道心ある人を名づけて国宝となす。故に古人言う。経寸十枚、これ国宝に非らず。一隅を照らす。これ則ち国宝なり』

最澄の「山鹿学生式」にあるこの趣旨に共感されて、安岡正篤師は「一燈照隅・萬燈照国」を提唱されたという話は皆様ご存知のとおりです。

京都出身の僕には国宝第一号の広隆寺弥勒菩薩の美しさの強烈な印象から、僕の中では、国宝と文化遺産が等号で結ばれます。これは現代人の大多数の国宝という言葉の認識だと思います。その国宝という言葉を遣って「道心ある人を国宝となす」という時代の最先端の中国を実際に見てきた最澄の表現に平安時代に生きる人々の心にどれほど強烈に印象付けたのか、想像すれば天台宗の開祖であり、現代に至るまで、最澄・空海が双璧として日本国の伝説として活きている人物であることは大きく納得できます。

安岡正篤師は、この「一燈照隅・萬燈照国」を実践するする人物の内容として、
一、活力・気概・性命力を旺盛にすること。
一、真の元気は、理想精神を持った志気であること。
一、自ら義務を弁え、面識と胆識を要請すること。
一、自ら清廉・正直であり、不変の気節を操守すること。
一、自ら絶えず練磨して、器度や識量を大きくすること。
一、自ら性命を躍動させ、恩藉・風格を具備すること。
などを挙げられていらっしゃるということです。

お正月に毎年登場する「宝船」。通常、米俵や金貨等々の宝物と七福神が描かれております。僕は宝物で満載されているから宝船と思っていましたが、「宝」は七福神の方だったと認識を改めました。もちろん描かれているのは七福神ではありますが、これは「道心ある人」の擬神法で、本来は人であるのが正しいのでしょう。

『師恩友益』吉田松陰の「士規七則」の第六則「徳を成し、材を達するには、師の恩・友の益、多いに居る。…」とあるそうです。『互師互弟』にも通じる趣旨だと感じます。

現在の国宝の定義は、文化財保護法により「文部科学大臣は、重要文化財のうち『世界文化の見地から価値の高いもので、たぐいない国民の宝たるもの』(文化財保護法第27条)を国宝に指定することができる。」ということで、明治30年の古社寺保存法にて「特別保護建造物」を『国宝』と指定して保護したことの延長として現存しているということです。僕は最澄の『道心ある人を名づけて国宝となす』という定義が好きです。その意味でも『一燈照隅・萬燈照国』を実践していきたいと改めて思いました。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年10月5日(木)
バスのなかで                      木曜担当…西端努斗夢

 『ちょっといい話』と題して知人が毎朝、メールを送ってくれています。私は、目が覚めるとまずこのメールを読んで一日をスタートさせています。
 今朝のメールに坂村真民先生の詩がありました。
 この詩を読んで、昨日を悔やみ、明日を憂いたり、昨日にはしゃぎ、明日に浮かれて生きるのではなく、“今、目の前の人や事”を大切にして生きていこうとあらためて思いました。


『バスのなかで』

この地球は

一万年後

どうなるかわからない

いや明日

どうなるかわからない

そのような思いで

こみあうバスに乗っていると

一人の少女が

きれいな花を

自分よりも大事そうに

高々とさしあげて

乗り込んできた

その時

わたしは思った

ああこれでよいのだ

たとい明日

地球がどうなろうと

このような愛こそ

人の世の美しさなのだ

たとえ核戦争で

この地球が破壊されようと

そのぎりぎりの時まで

こうした愛を

失わずにゆこうと

涙ぐましいまで

清められるものを感じた

いい匂いを放つ

まっ白い花であった




 真民先生がご存命の頃は、先生が毎月出されていた詩集「詩国」を読ませていただき、「詩国」の感想をハガキに書いて送ると必ずご丁寧な返信をいただきました。
 また、時には愛媛県の砥部町まで先生をたずね、お話を聴かせていただいたこともありました。
 真民先生の詩を読ませていただくと、言葉の響き自体は決して洗練されたものではありませんが、命の奥底から湧いてくる熱のようなものを感じ、そこが他の詩人からは得ることのできない独特の魅力です。
 今も時々、先生の詩にふれることがあり、私の中では今も先生は生き続けておられる気がしてなりません。

木曜担当…西端努斗夢



2017年10月2日(月)
無題                           月曜担当…池田光

先週末に、宮下和大氏の『朱熹修養論の研究』(麗澤大学出版会)を読みました。この本は、三部から構成されています。

一部.朱熹における知の修養
二部.朱熹における心の修養
三部.修養論的視座からの朱熹思想再考

基礎的な知識がないので、二部は少々難しく感じました。さて、朱子(1130~1200)が教える「知の修養」を二つあげておきます。

■闕疑(けつぎ)……真偽がはっきりしないものは、しばらく棚上げしておく。
経書などを読んでいて、どう判断していいか分からないところは無理に解釈しないで棚上げします。そして、分かるところから読み進めるのです。すると全体を読み終えたとき、案外、棚上げしていた箇所が分かるかもしれません。

また、情報が錯そうしたり、必要な情報が足りないのに、無理に結論を導き出さないことです。暫定的な仮説を立てるのは良いとしても、静観して棚上げしておくのです。

このように、白黒つかないものを棚上げしておく方法を「闕疑」と言います。
訓読すると「疑を闕(のぞ)く」で、直訳すると、「真偽がはっきりしない疑わしいものを除く」ということです。逆に、疑を詮索して無理やり答えを出してしまうと、それは知ったつもりの「過信」になると注意を促しています。

■商量(しょうりょう)……相談したり議論したりする。
朱子は、「議論(商量)すべき疑問を持ってスクールに臨みなさい」と勧めています。あるとき、弟子に、
「君は、どんな疑問を持っているのだね?」
と尋ねました。
まだ、持っていませんという弟子に、
「日頃から質問すべき疑問を持っていてこそ、議論しあえ、学びが進むのだ。事前の勉強もしないで講義を聞くだけでは、どうして成長できるだろう」
と諭しました。
このように、議論(商量)すべき疑問を持つ……これが成長の秘訣です。

この本では、主張を論証するために、朱子や、朱子が影響を受けた程頤(ていい、1033~1107)の文献からたくさんの引用があります。そこでぼくは、引用文を利用して、次のようなゲームをしました。

前提として、朱子の弟子たちがまとめた語録『朱子語類』からの引用が多いようでした。そこで、『朱熹修養論の研究』を読みながら、『朱子語類』の引用箇所に付箋を貼っていったのです。

■ぼくがやったゲーム
『朱熹修養論の研究』で引用していた『朱子語類』は、中華書局から出版されている全8冊の本です。ちなみに、『朱子語類』には140巻が収録されています。

ぼくは『朱熹修養論の研究』を読みながら、
①引用されている文章が出てくると『朱子語類』から引用箇所を探し、該当箇所に付箋を貼りつける
②そして、『朱子語類』140巻のうち「どの巻からいちばん多く引用されていたか」という競争をする
③いちばん引用箇所が多かった『朱子語類』の巻を読む
というゲームです。



その結果、写真をご覧いただくと何となく分かるように、付箋がたくさん付いているのは『朱子語類』第一冊の後半部分でした。これがどの巻に当たるかを調べてみると、第一冊に収録されている第12巻「持守」で、16箇所あり、他を大きく引き離していました。
「持守」というのは、「人がその主体性の根拠となる本来の良き心をいかに『持ち守る』か、即ち『心』をいかに保持するかを論じたもの」(垣内景子訳注『「朱子語類」訳注 巻七・十二・十三』汲古書院)だそうです。

ゲームでは「いちばん引用箇所が多かった巻を読む」ということでしたが、ありがたくも第12巻「持守」は邦訳されていました。
わが国では、2007年から『朱子語類』全巻を訳出するというプロジェクトが発足しています。2017年夏現在で、15冊が刊行されています。
ぼくが持っているのはわずかですが、今回読むことになった第12巻「持守」を持っていました。
こうして、現代語訳で読めることになり、「運がよかった」と、ゲーム結果にも満足しております。
(このゲーム、やってみて意外に楽しかったです。)

月曜担当…池田光



2017年10月1日(日)
「志士仁人」                       日曜担当…八木正典

子曰わく、志士仁人は生を求めて以て仁を害すること無く、身を殺して以て仁を成すこと有り。(論語)
真の生命愛に生きる人々は、肉体の執着のゆえに生命の愛を犠牲にしたりすることはない。むしろ生命の愛のためにはおのれの肉体をも犠牲にして悔いないものである。

名訳と言われる五十沢次郎さんの中国聖賢のことばからの引用です。強い言葉です。
大好きな言葉の一つですが、この言葉が気にかかる時には自分の気持ちに正直に生きられていないことが結構あるので、改めて自分の思いと行動を再点検してみたいと思います。

日曜担当…八木正典



2017年9月30日(土)
源気                           土曜担当…佐々木秀彦

『源気よく滞らぬが仏にて よきも悪しきも 凝りは鬼なり』

横山丸三の言葉です。池田光塾長著『成功哲学ノート 実業家・理論家の巨星27人に学ぶ成功の秘訣』に登場する巨星が日本人では10名いらっしゃってその中にこの横山丸三も登場するのですが、僕はこの方を全く存じ上げませんでした。『淘宮術』の創始者ということですが、この淘宮術もその元となった古代中国伝来の天源術も僕にとっては初めて聞く言葉です。

知らなければすぐに調べられることが、インターネットの最大の利点です。横山丸三が1834年に公表した「天源淘宮学」を継承して今日にも正しく伝えている唯一の団体と堂々表記している一般社団法人日本淘道会のHPへすぐにたどり着きました。しかし、僕にとっては何も興味を感じることができない活動内容でした。

僕が前に勤めていた会社の社長が会議で「俺はそんな会社を創ったつもりはないぞ!」と激怒していたことがありました。僕自身も少年の頃に大切にしていた気持ちと今では違う方向へ行ってしまっていることも多々あるかと思います。松下幸之助なら絶対に承認しなかった戦略も今のパナソニックが主幹事業として遂行している場合もあるかもしれません。始祖の方は凄いが後継者がダメという話ではなく、人も組織も時代に呼応して変化しつづけなければ生き残れないというのは宇宙法則だということです。

横山丸三は1834年に発表した「天源淘宮学」を11年後の1845年に「開運淘宮術」とわざわざ改称しております。1840年にアヘン戦争が起こり、1853年にペリー来航を迎えるこの時期に「学問ではなく、実践のための術である」という名目のための改称の効果は1868年の神仏判然令の施行後に神道傘下の講社という立場での存続を可能にし、現代でも一般社団法人日本淘道会として存続している大きな根源となっているという意味では、「修養することによって開運できる」という『淘宮術』の極意は脈々と引き継がれていると言っても良いかと思います。

『元気良くて、いろんな思いが心に滞らない状態が仏の御心にかなっている。思いの善悪にかかわらず、ずっと何らかの思いが心に滞っていては迷いが生じる』(上記横山丸三の言葉の著者池田光塾長の解説)

天源術、淘宮術では、人の住む天地には十二の気がいろいろな周期で循環していて各人は受胎の頃に巡っていた気に感応しているので、生れた日から、その人が受けた運気を推定できるということらしいです。これが現在の星座占いに繋がっているのかもしれません。始祖者である横山丸三はこの「十二の気」を滞らぬよう、凝らせないことで、開運の道が拓くと達観されたようです。十二の気はまあそれとして、何より源気を滞らせないということを大事に説いた方という印象を得ました。源気は活発に躍動させつづけなければいけません。そして良い気となるようへどんどん磨いて育んでいかねばなりません。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年9月28日(木)
余韻                          木曜担当…西端努斗夢

 「芸術の世界では本物は余韻が違う」とある人から教えていただきました。作品にふれた時の感動はもちろん、帰り道や帰宅後、何日か経って思い出しても感動の蘇えってくるものが本物だと思います。
 テクニックや演出で一時的に感動を与えることはできても後に残る余韻は誤魔化すことができません。
 人間もそうだと思います。少しでも余韻の残せる人間を私も目指します。

木曜担当…西端努斗夢



2017年9月25日(月)
無題                            月曜担当…池田光

先週は台風直撃のなか、『陽明学の世界』を読み終えたのですが、この本にマイナーな陽明学者(「日本のおける陽明学の系譜(上)」)が取り上げられており興味を覚えました。

たとえば、北島雪山(1637~1697)。書家、陽明学者。
細川家に仕えて三百石の禄を食んでいた雪山は、34歳のときに、陽明学禁止令のために浪人となります。
彼はどうも奇人変人の類で、こんなエピソードがあります。
・書で大金を得ると、舟5、6艘ものシジミを買って川に逃がしてやり、「仁を行なった」と喜んでいた。
・身なりをかまわなかったようで、弟子が着物を渡しても、貧しい人に会うとすぐに脱いで着物を与え、裸同然でいたらしい。
どうも、子どもの頃に、ぼくはこれらのエピソードを聞いたことがあります。
読み物に、高野和人『北嶋雪山の生涯―肥後の書家・陽明学者』(青潮文庫)があり、さっそく注文しました。

そして、中根東里(1694~1765)。
この人は、驚くほどすぐれた頭脳の持主だったみたいです。
その学問の変遷は、禅→浄土教→古文辞学→程朱学→晩年に陽明学。しかも、あの時代にあって中国語がよく出来たそうです。
彼の暮らしぶりは、たとえば極貧生活のなか、数日分の銭を得ると戸を閉じて人に会わず、ひたすら読書に耽って励むというものでした。
読み物に、篠崎源三『中根東里』(知松庵跡宝竜寺)があるようです。欲しいのは『東里遺稿解』ですが入手しにくい気がします。

ところで、ぼくは、わが国の漢学者の名が出ると、竹林貫一『漢学者伝記集成』(関書院、昭和3年発行)で、ざっと調べるようにしています。この本には、漢学者381名の伝記が集められています。
ちなみに、長澤孝三『漢文學者總覽』(改訂増補版)には、漢学者が6711名(伝記はありません)掲載されておりますので、これに比べると『漢学者伝記集成』に取り上げられているのは、わずか5.7%弱でしかありません。
上記の二人の人物を調べてみると、北島雪山は載っていませんでした。また、中根東里は、363~366ページの4頁にわたって記述がありました。

ふと、磯田道史『無私の日本人』に、中根東里が取り上げられていることを思い出し、さっそくこの部分を読みました。



「中根東里」の一篇を読み終えて、『無私の日本人』は小説だと思いました。ところが裏表紙の紹介を見ると、どうやら評伝という位置づけのようです。
評伝にもかかわらず、敵役として登場する「荻生徂徠」をここまで私欲の愚物としてコケおろしていいものか、客観性を担保できているのだろうか、氏の姿勢に疑問が残りました。何やら含むところがあるのでしょう。
そもそも、『陽明学の世界』や『漢学者伝記集成』に掲載されている伝記とは、史実に対する意味づけが違っております。まともに評伝を書くならば、先行評伝との解釈の違いを論証しなければなりません。
逸脱した潤色が加わっているのではないか……そんな疑念が拭いきれません。最初から小説と銘打ってくれれば、凡作や駄作というだけのことで問題は発生しませんが、評伝となると相応の責任が発生するように思います。
(按ずるに、小説に値しない表現力のため、評伝と言うしかなかったのでしょう。人生で読むべき本が多々あるなか、つまらないものを読む暇はないでしょう。)

ほかにも、川田雄琴(1684~1760)。
彼は、三輪執斎の第一の弟子で、『伝習録筆記』などがあります。この筆記は、三輪執斎が講義した『伝習録』を記録して成ったもので、『漢籍国字解全書』(早大出版部)に収録されています。この本の数奇な経緯は、『陽明学の世界』486ページをご参照ください。
また、吉田公平・小山國三編『川田雄琴全集』(研文出版)にも、『伝習録筆記』は収録されています。しかし近年になって全集が出るというのは驚きです。

ところで、三輪執斎の『標註伝習録』は、世界初の『伝習録』の注釈本ですが、これを補う文献として弟子の筆記録が残っていたというのは、ありがたいですね。
さっそく、『標註伝習録』と『伝習録筆記』を照らし合せてみたところ、『伝習録筆記』は『標註伝習録』をそのまま含みながら、語註のような形で講義部分が加わり、使いやすそうです。なにより、語註はたいへん貴重ですので、これはありがたいと言うべきでしょう。
ちなみに、竹林貫一『漢学者伝記集成』には、川田雄琴の項目はありません。が、師の三輪執斎の項目に「門人に川田雄琴と云うものあり。」として、8行の説明があります。
読み物としては、景浦勉『川田雄琴先生伝』があり注文しました。

ぼくは先週のブログで、索引が完備している冨山房の『伝習録』(『標註伝習録』が底本)をベースに読むつもりだ、みたいなことを書きました。
その際、補助的に4冊の『伝習録』を使いたいと書き加えておりますが、『伝習録筆記』が執斎の標註を補っているので、この筆記も補助的に使うことにしました。
(あまり参考書が増えると読み進まなくなるので、以上の5冊で締めくくろうかと……。と思いつつ、あと何冊かとても気になっている参考書があります。老後の趣味として『伝習録』をじっくり楽しむのもいいですね。)

月曜担当…池田光



2017年9月24日(日)
「行動分析学」                     日曜担当…八木正典

杉山尚子さん、島宗理さんの行動分析学の本を読んでおります。
やめたいのにやってしまう行動、しなければならないのにやらない行動は思い当たるだけでも数多く有ります。行動分析学は人間や人間以外の動物の行動にそれをさせる原因があると考え、その原因を解明し、行動に関する法則を見出そうとするものです。
その行動が増えていく出来事や条件を「好子(こうし)」、その行動が減っていく出来事や条件を「嫌子(けんし)」と呼び、それが出現するか、消失するかの4つのパターンを基本形として法則を導きだしていくのです。
自分の行動、周りで起こる行動に当てはめられないかを読み進めていきますと、思い当たることが多く新たな発見が出来ております。
まずは長続きしない過てる自分の行動を変化させるために活用してみたいと考えております。

子曰く、過ちて改めざる、是を過と謂う。(衛霊公第15)

日曜担当…八木正典



2017年9月23日(土)
古典                           土曜担当…佐々木秀彦

『昼間は朝廷で官吏を、夜間は冥府において閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたという伝説を持つ男が平安時代の日本にいた!』
こんな話を聞いてしまったら興味津々になります。小野篁、小倉百人一首の参議篁がこの伝説の主です。『江談抄』、『今昔物語集』、『元亨釈書』といった平安時代末期から鎌倉時代にかけての書籍に紹介されているということです。絶世の美女と誉れ高い小野小町の祖父にあたるという説もある、平安時代に実在した人物です。

平野由紀子著『小野篁集全釈』を読んでいます。僕にとって初めて触れる日本の古典と言っても良いほど劇的な挑戦です。成立年月日、作者ともに不詳で、写本も「小野篁集」「篁物語」「篁日記」と1つの作品が別々の名前で残っているのは珍しい例とうことでした。つまり『小野篁集』という本そのものが10世紀~11世紀に誰かに創作された話で、それがさらに写本となることで、現存する本文そのものにも必然的に誤りがあるものとして解釈する必要があるのが大前提だというのがまず古典の面白いところと感じました。読む人の知識と想像力によって解釈は全く違うものなる、逆に言うと自分の想像力で大きく大きく膨らませる楽しみがあるということを初めて知りました。

成立は平安時代後期。この本の主人公が小野篁なので、物語は最澄、空海が活躍していた時期の設定です。本文からまず一番感じるのが、大和言葉の奥深さです。僕たちが日常使っている日本語が1200年経って微妙に変化している、つまり言葉も生き物と同様に時代即して進化するものという、当たり前の知識が躍動感をもって実感できます。「いとほし」は不憫だ、気の毒だの意。「あはれ」は愛する、好きだとおもうの意。「ためらひて」心を落ち着かせる、しずめるの意。それぞれ現在の意味とは違うのですが、僕にとって何か凄く腑に落ちる意となっているところが面白いです。

小野篁は地獄補佐官と宮廷官吏の2刀流、竹取物語は竹から生まれて月の世界へ帰って往く壮大なSF浪漫、源氏物語は文章を原作に絵巻物として絵画化までされた長編ラブストーリー、平安時代の古典の発想と拡がりは、時空列も生死も軽々飛び越えて展開されています。しかしその内容は男女の恋愛、親子愛、家族愛、社会との確執等々の微妙な心理描写の連続です。

『「魂」は身体から抜け出る霊。古代人は身体(カラ)を霊の容れ物と考えていた。魂は、身体よりあくがれ出たり、反対に、別れがたい恋人のもとに(身は別れて帰ってきても)とどまるものと考えられた。「身」が「現(うつつ)」(現実)の世界に属するのに対し、「魂」は「夢」の世界に属す。』著者平野由紀子さんの解説ですが、この解説から、「夢と現」は現代でも対として使用されていることに改めて気づきます。身体は「カラ」。大和言葉をもっともっと知りたいと今凄く感じております。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年9月21日(木)
道は極めた人だけのもの              木曜担当…西端努斗夢

 日本人は“道”というのが好きで、何でも◯◯道と、様々な世界で道を極める人がいます。
 道を極めた開祖や家元がそれを生業とするのは良いのですが、問題は、その取り巻きたちもが生業にすることです。そうなると、様々な矛盾が生まれ、どんな素晴らしい世界もだんだんおかしくなります。
 また、開祖や家元が他界すると、誰かが跡を継ぐ場合が多いのですが、神髄をどこまで継承できるのか疑問です。どちらかと言えば道は“think”より“feel”のウエイトが大きく、“think”は、言葉や数字にすることが比較的容易ですが“feel”を言葉や数字にすることは容易ではありません。
 私は、極めた道は極めた人だけのものだと思います。取り巻きたちが生業にしてはいけないし、弟子や肉親だからといってその道を継承してもいけないと思います。
 そういえば、世界中に無数の宗教があって、どれもありがたい教えを説きながら、今だにこの世から戦争がなくならないところを見ると、宗教の世界も同じかもしれません。

木曜担当…西端努斗夢



2017年9月18日(月)
無題                          月曜担当…池田光

先日の講座「陽明学に学ぶ」(9月2日)では、「四句教」という難問が取り上げられました。
頭をひねっていると、講師から岡田武彦編著『陽明学の世界』(明徳出版社)に収録されている論文(「王陽明の『四句教』の善悪思想」)を示されました。

そこで、お教えを受けた本を頭から順に読むことにしました。
ただ読むだけでは文意を掴めず、引用文を原典に当たり、漢和辞典を引きつつ読んだので、学生気分を味わえました。

ところで、引用文を原典に当たるには、索引が決め手になります。『伝習録』で索引が完備していたのは、冨山房の漢文大系に収録されている『伝習録』でした。
これは、三輪執斎の『標註伝習録』を底本にしています。
本自体にも丁寧な索引が付いているのですが、それだけでなく、九州大学が『伝習録索引』を整備され、この本と対応しているのです。ものすごくありがたかったです。



いずれ『伝習録』をきっちり読む際は、索引が完備している冨山房のものをベースに、写真の右の四冊を補助的に用いたいと思っています。
(『文集』や『年譜』も、明徳出版社の『王陽明全集』で簡単に引用箇所を探せました。)

昨日、ようやく『陽明学の世界』を読み終えました。
まだ本を読んでいたとき、台風がぼくの住んでいるあたりを直撃しました。少し風雨が大きくなり接近してきたと思ったら、突然雨がやみ、無風状態になりました。台風の目にいたのでしょう。
30分ほど、窓を開けて風を通しました。
その後もさほどの風雨を感じないまま、通り過ぎて行きました。
地形が単純で、風雨が増幅されることもなく、台風だけの勢いで通り過ぎてくれたからでしょう。
一夜明けた今朝は、からりと晴れ、強めの風が冷たい空気を運んでくれて、気持ちのいい朝になりました。

月曜担当…池田光



2017年9月17日(日)
「修養」                         日曜担当…八木正典

子曰く、吾嘗て終日食わず、終夜寝ねず、以て思う。益なし。学ぶに如かざるなり。
子曰く、学びて思わざれば則ち罔く、思うて学ばざれば則ち殆し。(論語)


最近陽明学に関する読書ばかりでなかなか読めていなかった論語を久々に読みたいと思っていたところ、池田塾長のブログで加地伸行先生の無料の論語の講座をご紹介いただき、ぼつぼつと興味を持って見させていただいております。
その講義の中で出てきますが、道徳には3つの種類があり、どの地域にもどの時代にも通用する「絶対的道徳」、価値基準がその時の話で決まる「相対的道徳」、そして個人の問題として自分を鍛えていく、自分を深めていく、自分を落ち着かせていく「修養」の3つだそうです。
自分を高めるための学びの場があるのは幸せなことです。学びの機会を教えていただけることはありがたいことです。少しずつでも、ゆっくりでもたゆまず修養を続けて行こうと思います。

日曜担当…八木正典



2017年9月16日(土)
失敗                           土曜担当…佐々木秀彦

『五秒でいい、ちょっと思い浮かべてみてほしい。「成功」の反対語は何だろうか…。
失敗?
とんでもない。失敗とは、悔しい結果に終わったけれども、何かをやったという意味では勲章を与えてもいいものだ。成功も失敗も、どちらも挑戦したということでは同じ土俵に立つ。いわば失敗は、成功の裏側だ。失敗を表返して、成功につながったという事例は、歴史上にもたくさんある。
成功の対極にあるのは「何もやらなかった」ということだ。アクションを起こさなかったこと。「無行動」こそが反対語なのである。』


上記は池田光塾長が2007年に著されました『【図解】成功哲学ノート-実業家・理論家の巨星27人に学ぶ成功の秘訣』の冒頭部分です。創刊された10年前よりもさらに現在にこそ相応しい問い掛けのような気がします。

この文章を読んで、失敗と成功について改めて考えてみました。僕の好きな野球では盗塁や送りバントの時に成功・失敗と表現します。盗塁や送りバントに成功しても以降の打者が凡退して無得点なら、盗塁も送りバントも得点を奪う作戦という意味では失敗となります。僕は東京で15年ほど役者稼業をしておりましたが現在は大阪で不動産稼業です。プロの役者になることには成功したとも言えますし、現在は廃業していますので失敗したとも言えます。大学受験で入試には合格しても主席合格を目指していた人が主席に届かなければこの人の受験は失敗だったとなるでしょう。池田塾長が本文で示された「失敗と成功は、表裏の関係」ということが理解できました。

「切り替えが大事」失敗した時によく言われる言葉です。僕は失敗しても次に成功できるように気持ちを切り替えて再度挑戦というような認識だったのですが、これは違うと気がつきました。卵焼きを上手に巻くのに失敗したならそのままオムレツとして完成させれば、おかずを作る作業としては成功です。送りバントを失敗したらその後すぐ盗塁すれば、結果的には送りバント成功と同じ状況となります。失敗も視点を変えると成功だったりするので、その成功を認識する視点に表裏を変えてみるということが「切り替えが大事」という本来の意味ではないかと初めて気がついた訳です。

人生の中で、切り替えしようのない大失敗というのは非常に稀な出来事だと思っても良いのではないでしょうか。逆にいうと普通に成功の裏側には絶対に失敗もあったことをしっかり認識さえすれば、成功成功大成功の連続の人生も意外と普通に送ることができるものなのかもしれません。

池田塾長から「絶対積極」という言葉はしばしばお聞きいたしますが、この「五秒でいい、ちょっと思い浮かべてみてほしい…」から始まるこの文章から、五秒で「絶対積極」まで導かれてしまったことに心地よさを感じました。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年9月14日(木)
出会いと別れ                      木曜担当…西端努斗夢

 先日、引っ越しをし、それを機会に断捨離を行いました。
 最後まで手放すのを迷ったのが一眼レフカメラや中判カメラ、交換レンズなどの撮影機材と倉庫代わりに使っている実家には持っていかず手元に残していた百数十冊の本です。
 どちらも捨てるのは忍び難く、誰かいい人と出会って引き取られていくことを願って業者に引き取ってもらいました。
 今回の断捨離で実感したのは、出会いと別れは人と人だけでなく人とモノにもあるということ。
 出会いについては、自分のレベルに合った人としか出会うことがないと言われていますが、本や機材もそうだと思います。これからも素晴らしい人やモノと出会うことができるよう、自分をレベルアップしていきたいです。

木曜担当…西端努斗夢



2017年9月11日(月)
無題                           月曜担当…池田光

■お得「講座」情報
暑い夏が過ぎ、頭が冴える学びの季節がやってきました。
そこで、忙しい方でもマイペースで学べるお得な講座をご紹介します。

加地伸行氏(大阪大学名誉教授)が講師を務める『論語』の講座が無料で学べます。
全24回。
ネットなので、気が向いたときに、お茶でも飲みながら気楽な姿勢で受講できます。
ぼくも何本か受講しましたが、密度の高い講座でした。
しかも「講座テキスト」をダウンロードできて、深く学べます。

⇒「論語指導士」養成講座
http://p-kies.net/rongo/#r1

さらに意欲がある方は、「論語指導士」の資格を取得することができます。
指導士として誰を指導するのかというと、子どもです。
この講座では、子ども達に教えるための『論語』の基礎を学べるのです。

意欲のある方は、年一回の資格試験を受けて「論語指導士」にもなれます。また、認定されたら、重厚感がある記章(バッジ)を購入することもできるそうです。
バッジの説明にはこうあります。
「金と銀のコンビカラー。中心の銀の中に、孔子が最も重要視した徳『仁』を、孔子の時代に使われたと言われる書体『篆書体』で施しました。桐の小箱入りです。」
と。

一念発起して、挑戦されてみてはいかがでしょう。
(どなたか、もし論語指導士になられたら、湧くわく本心塾で『論語』講座を開催してくださいね。)

■良知によって生きることが、究極の自力
現代の陽明学の第一人者である吉田公平氏(東洋大学名誉教授)は、こう言い切っています。
「『伝習録』を平心に読むかぎり、そこで王陽明がくりかえしのべているのは、ただ一つのことである。(中略)自力による自己実現・自己救済に外ならない。」(吉田公平『伝習録』タチバナ教養文庫)
と。
吉田氏のこの言葉に感銘を受け、少し考えてみました。まず、この言葉の「一つのこと」をあえて分けると、次の二つになります。
A.自力による自己実現
B.自力による自己救済
ここ何か月間か陽明学を学び続けていて、ぼくは、陽明学こそ自力の最たるものだと思うようになりました。

王陽明にとっての最後のよりどころは、「良知」でした。
良知とは、自己が本来所有している本質です。
どんなに苦しく困難な状況に置かれても、どんなに世の中から非難されても、外の何かに頼るのではなく、ただ、内なる良知を信じつつけたのが、王陽明です。
自らに具わった良知によって生き抜く、つまり「内なる本質」を信じ切る、これこそが、究極の自力の姿です。
(良知を「本心・良心」に置き換えると、天風哲学になります。天風哲学が説くのも究極の自力です。)

弊塾では、「本心の声を聞く」とか「本心で判断する」ということを標榜しています。
これは、内なる「本心(良知)」を信じることが前提です。
そして、その信じ切った「本心(良知)」の声を聞いて進路を決め、「本心(良知)」で生きるという決意は、「自力による自己実現・自己救済」を行うことにほかなりません。

では、他力とはどういうことでしょうか。
他力とは、「弥陀にすがる」ということです。広げて言えば「神にすがる」ということです。
あるときは他力、あるときは自力という中途半端な行動ではなく、徹底的に「すがる」ことをやり続け、信じ切るのが他力です。
たとえ、その結果、自分にマイナス(悲運や、病や、死に至る出来事など)が押し寄せてきたとしても、そんなことに動じることなく「すがる」ことを徹底するのです。
極端な話をすれば、たとえば、殺意を秘めた誰かが包丁を握って突進してきても、ただひたすら「南無阿弥陀仏」を唱え続けることです。
この「すがる」意思、「すがる」信念だけは、自分の内にある厳然たるものです。この内なる「信仰する力」を、他力と言います。
(一般的に「弥陀の本願力」を他力と言いますが、ぼくは、弥陀の本願力を信じ切る自らの信仰力が他力であると考えます。こう受けとめると、他力とは、ぼくなどには出来そうにもない尊い行為に思えます。)

さて、自力も、他力も、究極においては、その信念が問われます。ところで、あなたはどちらの力で生きるか?と問われたら、
「他力で生きることは、凡たるぼくには到底できそうにない(死ぬ気で覚悟してもできそうにない……)」
と答えるしかありません。
でも、「陽明学や天風哲学の方向で生きることは、これも逆境を想像すると大変なことですが、まだなんとか、できる可能性があるかもしれない」と答えられそうです。

では、どうして、ぼくは「自力」なのかというと、幼少期から「自己実現したい」という欲求が高かったからです。
そもそも、「他力による自己実現」というのは、その性格上ありえません。もし、あるとしたら、それは自己欺瞞です。だからぼくには、他力は無理なのです。
他力とは、「自己実現」の思想ではなく、本質的に「自己救済」の思想だと思います。

それはそれとして、何事も「徹底する」というのは、大変なことです。
たからこそ、陽明学が「自力による自己実現・自己救済」を徹底して、良知による生き方を教えていることに強い感銘を覚えるのです。
まことに、徹底することが「信念で生きる」ということであり、「自らの思想を確立する」ということでしょう。

月曜担当…池田光



2017年9月9日(土)
飲食                           土曜担当…佐々木秀彦

『およそ飲食はわが身体を養うことを目的とするもので、食べたらよく消化せねばならぬ。もし食べたものを何時までも腹の中に溜めておくなら、病気になってしまう。それではどうして身体を養うことができよう。後世の学者はこれと同じで、彼らの博聞多識が胸中に溜まっているので、食あたりの病気をしている。』

安岡正篤著『伝習録』をやっと読了しました、途中数冊別の本を読んだりしたのもあって、半年以上かけての読了です。僕は意地っ張りのところがあって、本を1冊読み始めると読了するまで他の本には絶対手をつけませんでした。それが本に対する礼儀のような気持ちでいたのでした。しかしこの『伝習録』を読み始めて、六然講座の講義の予定があったため、どうしても別の本を読まなければいけない必要が出てきたので、他の本を読みました。そのまま次々と別の本を読んだりしながら、この『伝習録』も少しづつ読み進めるということをしたので、読了に半年以上もかかってしまったという経緯です。

僕の頃は小学校の授業は9教科ありました。つまり教科書9冊を並行して進めていたということです。日常生活も仕事・家族・趣味等々同時並行するのが普通です。何故僕の中には本を読む時その1冊以外は手を出さないルールが出来上ってしまったのか、今となっては不思議です。

上記は読了した『伝習録』の飲食の項の現代語訳です。学者の博聞多識が胸中に溜まって食あたりをおこしているというのがとても面白いと思います。拡大解釈すれば知識も学問も栄養のバランス良く、過少食無く、一日3回規則正しく摂取するのが理想ということになります。バランス良くということはけっこう意識しなければいけないのかなと感じたりします。食べ物も油断するとついつい偏食になりがちです。肥満も拒食もいけません。消化と排出のための運動も必要不可欠です。

この項で、王陽明師に、僕が『伝習録』を半年以上かけて読了したのを肯定していただいた気がしました。難しい印象の『伝習録』を身近に感じられた項でした。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年9月7日(木)
幸せは全て相対的                  木曜担当…西端努斗夢

 必ず幸せになれるという絶対的な条件はありません。求めていたものが手に入ったら幸せになれると思っていても、それが手に入ると一時的に幸せかもしれませんが、また別のものを手に入れたくなり、幸せでなくなってしまうことがよくあるのではないでしょうか。
 また、お粥を食べているAさんが不幸で、黒毛和牛のステーキを食べているBさんが幸せとは限りません。Aさんは何も食べられずにお腹をすかせていた時に比べれば温かいお粥を食べることができて幸せだと思っているかもしれません。それに対してBさんは、本当は松坂牛のステーキが食べたいのに黒毛和牛のステーキしか食べられず不幸だと思っているかもしれないのです。
 つまり、幸せというものは所詮、絶対的なものではありません。その人の心の持ち方やものの見方次第の相対的なものなのです。
 だから、誰でも今すぐその場で一瞬にして幸せになることができます。心の持ち方やものの見方を変えるだけで……

木曜担当…西端努斗夢



2017年9月4日(月)
無題                           月曜担当…池田光

「六十の手習い」といいますか、漢文を始めて6年目です。
学び始めた当初は、T先生に2年間教えていただきました。文法+例題(江戸期の諸版本の一部をコピーしたもの)で学びました。が、T先生は東大の教授となって関西を離れたため、その後は、後任のI先生(T先生の後輩)に教えていただいています。

I先生は、「とにかく沢山の文章を読むことが読解力を高める」という方針で、テキストに『和刻本 漢詩集成 唐詩』を選ばれ、これを読み進めて4年目になります。

まず、「唐韓昌黎集」(第7~8輯)から、2年半かけて数十作品を読みました。現在は、「唐柳河東集」(第5~6輯)を読み進めています。
影印本なので、判読しにくいところが多々あります。また、現代では使われていない字が多くて骨が折れます。

ちなみに、テキストの『和刻本 漢詩集成 唐詩』は全10冊です。
このうち、ぼくが持っているのは第3~10輯の8冊だけ。必要に応じて購入して行ったため、1~2輯を持っていません。
⇒どなたか、1~2輯を格安でお譲り頂けたら嬉しいのですが。
(今となっては、最初から全集で買っておけばよかったと反省しています。)
⇒そのほか、『和刻本 漢詩集成 宋詩』や『和刻本 漢詩集成 総集編』『和刻本 漢詩集成 補編』をお譲りくださる方もいらっしゃれば、嬉しいのですが。

 

さて、これらを読むにあたって、辞書に『新字源』か『漢辞海』を薦められました。
ほかに、ぼくがよく使っているのが『広漢和辞典』です。(大部な『大漢和辞典』を基に、使いやすくした中辞典)。
この辞典の評判はあまり聞かないのですが、索引巻を使って熟語で引けるので、とても便利で手放せません。
一海知義氏は、『詩魔―二十世紀の人間と漢詩』のなかで、どんな漢和辞典を買うか、ある程度お金を出すなら『広漢和辞典』がいいみたいなことを書いておられたように思います。
(それはともかく、原文で読もうという方にはお薦めです。)

また、I先生は中文の『漢語大詞典』(12冊+索引1冊)と『王力古漢語字典』を紹介され、「後者がコンパクトですよ」と。
日本語ではない『王力古漢語字典』は、ぼくには使いづらい点があるものの、小さな漢和辞典に載っていない古い漢字を調べられます。
なにより、この字典の特徴は、字義のポイントを絞って豊富な用例で説明されていることでしょう。

実際、『王力古漢語字典』の序で、『辞源』という字典と比較しているのですが、字義がかなり絞られ豊富な文例が収録されていることが分かります。(まだ使い始めたばかりですが、良さがちょっと分かってきました。)
また、後記から、王力(1900~1986)は理想的字典をつくろうと本字典作りに着手しますが、完成できずに他界。その後、ほぼ10年をかけて後継者たちの手で完成させたことが分かります。

ぼくらのようなド素人に対して、研究初心者に対するような水準で話してくださるI先生の分け隔ての無さには感謝しています。

さて、10月末には、いよいよ改訂新版の『新字源』が発売されます。
23年ぶりの完全改訂で、価格は税込3240円と安価です。
I先生の話では、これまでの『新字源』の誤りを抜本的に正した改訂版で、とても良いようです。
すでに、アマゾンでは予約ページができています。宣伝みたいになってしまいましたが、楽しみにしているところです。

月曜担当…池田光



2017年9月3日(日)
「学ぶ」                         日曜担当…八木正典

昨日の六然講座で「陽明学に学ぶ」をテーマに講師を務めさせていただきました。
陽明学にあこがれと興味を抱いているだけの状態から、少しでも陽明学の素晴らしさが伝えられればとの思いからここ2か月ほどどっぷりと陽明学に浸からせてもらいました。
学べば学ぶほど新たな疑問がわき上がり、それを理解するために更に学んでいく。又、理解が不足している内容を師にアドバイスいただきまた学んでいく。
本当に贅沢ないい機会をあたえていただき有難いことです。
講師を務めることにより自分の理解が不足していることが見えてきて、そこから新たな学びができることにワクワクしております。

少にして学べば、則ち壮にして為すことあり。壮にして学べば、則ち老いて衰えず。老いて学べば、則ち死して朽ちず。(佐藤一斎)

日曜担当…八木正典



2017年9月2日(土)
思索                           土曜担当…佐々木秀彦

『新しい分譲地が良いのよ!最低でも10件以上、多ければ多いほどOK、スーパーや駅が新たにできるくらい大規模開発される住宅地が理想なんだけど…』
僕が京都の不動産屋の営業に従事してすぐの頃にお会いしたお客様の要望でした。すでにバブルは崩壊して郊外にどんどん広がった昭和の新興住宅街の空家問題も発生していて、都心回帰現象が始まった時期です。じっくりお話を伺ってみると、すでに出来上った町なら当然ご近所さんが先輩となる、そんなのは絶対に嫌、新しい住宅地ならみんなが同時にスタートだから変な気は遣う必要が無い、主婦は基本的に家にいる、長期のローンを払ってまで家を買うのにわざわざあえて新人になる環境なんて考えられない、これは最も優先的重要な部分であるということでした。

ブログにて池田塾長ご推薦の小島毅著『朱子学と陽明学』を読んで、上記のお客様を思い出しました。青年期の僕にとって、高級な地域、中間層エリア、下町的地域は誰しも明快に線引きできる京都の街では、誰しも少しでもランクの上の地域に住みたいのが当然と思っておりました。職場や駅が近いという利便性も重要です。しかし上記の奥様はパート先まで自転車で片道1時間、山を切り開いたばかりの新興住宅地が気に入ったと購入しました。僕の常識をこの仕事に持ち込んではいけないのだと痛切に感じさせていただけたお客様でした。

性即理も心即理もアナログな人間の教えです。マークシート式試験や、レトルト食品の作り方ようにいつでもどこでも誰がやっても同じ答えが導き出されるものではありません。
明日太陽燦燦の晴れがいいのか、曇りがいいのかもそれぞれの個人の都合で変わってきます。人が100人いれば100通りの個人の事情があるわけです。1つの言葉もそれを聞く人の数だけ受け取り方はあるはずです。

最近、正解・不正解の2者択一であったり、多数決が乱用されていたり、人気ランキングがすべてのような雰囲気だったりを目にすることが多いような気がします。現代社会に限らず人間として生活する上で、他者の都合に合わせる必要は当然に多くあります。多くの情報が簡単に入手できる現代だからこそ、自分だけの事情をしっかり確認しながら歩を進めなくては、自己の事情に反していることにすら気づかないまま意思決定する危険性が多々あるなと強く感じました。

不動産の営業に限らず、顧客の個の事情をどこまで推し量れるかは重要だと思います。臨済宗の禅の世界で学ばれていた朱子学が、神儒一致の立場から垂加神道を創唱し仏教排撃した山崎闇斎によって神道と結びついてしまうという日本における朱子学の受容の記述を読んで、孔子、孟子、朱熹、王陽明という先哲の意を学ぶところは只のスタートで、それを今の自分に意味付け、自分に活かしていくことがすべてと思っても良いなのだなと感じました。顧客の言葉も、明日の天気も、孔子の言葉も、僕の事情も、万物一体の理であるわけです。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年8月31日(木)
思い通りの人生                    木曜担当…西端努斗夢

 最近、「引き寄せの法則」という言葉をよく耳にします。
 詳しいことはわからないのですが、その人の思いによってお金や健康、恋人などを手に入れることでしょうか?
 そうだとしたら、私たち人間の“思いの力”はとんでもないパワーを秘めていますから、その気になれば引き寄せるのは難しいことではありません。どんどん引き寄せて思い通りの人生を歩めば良いと思います。
 ただ、思い通りの人生は、今世だけを考えれば良いことかもしれませんが、天から見れば、本来、貧乏や病気、孤独を通して学ぶことで魂を進化させるはずだったのが、その機会を失っているのかもしれません。
 だとしたら、結局は、来世でやり直さなければいけないことになるだけかも?

 実は私、これまで秘密にしてきましたが、ありがたいことに子供の頃から思い通りの人生を歩むことができました。思い通りの人生を歩むことはそんなに難しいことではありません。
 クラブ活動でのポジション争いという些細なことから、就職や結婚という人生を左右する大きなことまですべて思い通りにしてきました。

 思い通りにならなかったのは高校時代に甲子園の土を踏むことぐらいでしょうか?
 それも社会人になってから全然違う形ですが結果的に甲子園の土を踏むことができ、おまけに土まで持って帰ることができました(笑)。

 そんな私ですが10年ほど前から、思い通りの人生を歩むのをやめました。何も望まず、ただ向こうからやってくることをすべて受け入れる“積極的受け身”の人生を歩むことにしたのです。

 “積極的受け身”の人生は、一見、楽に見えますが、そうでもありません。思い通りの人生を歩む方がずっと楽です。

 思い通りの人生を歩むことは、確かに悪くは無いのですが、ネタバレの小説を読んでいるようで面白くありません。それよりも、「この先どんな展開になるのか?」「今の苦境はこの先、何のための布石なのか?」といった、ハラハラワクワクしながらの人生の方がはるかに面白いです。

 そう思っていたら昨年、思いもかけない病魔に襲われた私。だからこの生き方が面白くてやめられません。

木曜担当…西端努斗夢



2017年8月30日(水)
典座教訓を読む                    水曜担当…冨樫功

今、道元禅師の「典座教訓」を読んでいます。


典座(てんぞ)とは、
寺で食事を担当する職務のことです。

日本では、
食事を作るような仕事は低い仕事とみられ、
寺の使用人のような人が担当していました。


道元禅師は宋に学んだ時に、
老僧が誇りを持って典座に打ち込んでいる姿を見て感銘を受け、
この典座教訓という本を書きました。

仏典を読んだり、
座禅を組んだり、
托鉢をしたりするだけが仏の道ではない。

すべてのことが仏に通じている。

一つ一つ、目の前の仕事にどれだけ真心が込められるかを問う
典座教訓は、料理人や主婦といった料理を良く作る人だけでなく、
現代人全員に通じる話です。


毎日の仕事の際に、
こんな気持ちをもって取り組みたいと思います。

水曜担当…冨樫功



2017年8月28日(月)
無題                           月曜担当…池田光

六然講座「陽明学を学ぶ」(9月2日)まで、あと5日。
まだ時間があるので、ぎりぎりまで陽明学関連の本を読んでいます。

■山下龍二『王陽明 百死千難に生きる』(集英社)。
読んで高揚感があり、とても面白かったです。
素晴らしいのは、中高生から読める文章レベルだということです。
では、それなりの初心者止りの本かというと、そうとは言えません。



山下龍二(1924~2011)は、『陽明学の研究』(成立編、展開編の全2冊)、『陽明学の終焉』などがある研究者で、名古屋大学名誉教授。

『王陽明 百死千難に生きる』は氏が60歳のときに出された本で、「中国の人と思想」全10巻の一冊として発売されました。
アマゾン・マーケットプレイスをご覧になると分かりますが、このシリーズは、どの本も超低価格で販売されています。

こんなに分かりやすく、情念にも訴える本を書けるのは、徹底した研究のおかげでしょう。
ずいぶん前から書庫に置いたままにしていて、損をしました。

■『陽明学便覧』(明徳出版社)
「陽明学大系」(全13巻)というシリーズの、第12巻が『陽明学便覧』です。ページの大半を「陽明学年表」が占めています。
年表は、中国篇と日本篇に分かれているのですが、「年表+要点メモ」という感じで、読み物としても面白かったです。
惜しむらくは、陽明学の歴史がわかるためには社会的背景があまり書かれていないことでしょう。



ところで、このシリーズには『傳習録諸註集成』(別巻)があるのですが、この巻をぱらぱらと見ていて、十年ほど前の苦い記憶が蘇ってきました。

……当時ぼくは、大西晴隆『王陽明』(人類の知的遺産25、講談社)を読んで感動し、その勢いで、芝豪『小説王陽明』(上下巻、明徳出版社)などを読み進めました。
そして、いよいよ『伝習録』を精読しようと志を立てました。

テキストに選んだのは、近藤康信が訳註をほどこした『伝習録』(新釈漢文大系13)でした。
633ページの大著なのですが、ぼくは326ページまで読んで、そのページに栞を挟んで中断してしまいました。そして、そのまま読書を再開することなく、現在に至っています。

『伝習録』は、巻上、巻中、巻下の三つに分かれており、巻中で終わってしまったわけです。
「後期の王陽明の思想が展開される『巻下』を読むことができなかった……」
という思いが、ずっと心にひっかかっていました。

そんな失敗体験が、『傳習録諸註集成』を見て蘇ったわけです。そして、『伝習録』に対する、リベンジのような思いが湧いてきました。
今度読むときは、三輪執齊の註釈書で読むか、佐藤一齊の註釈書で読むか、『傳習録諸註集成』にも原文があるのでこの本で読むか、あるいはほかの本で読むか、今から検討しておきたいと思います。

また、頭から読むと、前のように途中で中断しないとも限りません。きっちり読もうとすると、数年はかかりそうです。
なので、巻下から読み進めようと思っています。というより、巻下だけで終わっていいと思っています。
ありがたいことに、「陽明学大系」の第2巻『王陽明(上)』には、『伝習録』が収録されており、この頭註がとても参考になりそうです。

……ちょっと、気合いが入ったようなことを書いてしまいましたが、この7~8月は陽明学に絞った読書ができて、楽しませていただきました。
よい機会をいただき、感謝しています。

月曜担当…池田光



2017年8月27日(日)
「名師良友」                      日曜担当…八木正典

人間はとかく労を避けて逸に就きやすいように、学問も独りでは往々そういう邪路に陥りやすい。
そのためにも欲しいものは名師良友である。名師良友は得がたくとも、古人を友とし、古典を繙くことによって、或いはより以上の感化を蒙ることができる。(安岡正篤)


自分なりにバランス良く理解をしたつもりでも独善に陥り、多面的な見方が出来ていないことがあります。特に気に入ったもの、好んでいるものについてはなかなか冷静に眺められていないことが起こるのです。
そんな中、客観的な視点でアドバイスいただける師や友人を持てるのはありがたいことです。本心塾での縁を大事にして更に学びを深め、自身を鍛錬陶冶していきたいと思うのです。

日曜担当…八木正典



2017年8月26日(土)
学文                           土曜担当…佐々木秀彦

『世の中に蚊ほどうるさきものはなし ぶんぶ(文武)というて夜もねられず』
寛政の改革で有名な松平定信が、武士は『武』だけでなく『文』も必要と、教育改革の標語として『文武』を唱えたことに対する、教科書にも載っている狂歌だそうです。
今年の甲子園出場校にも偏差値の高い滋賀県代表彦根東高校が流石に頭が良いチームと感心するプレーを随所に見せてくれましたが、文武両道を日本で最初に奨励したのは松平定信だろうということです。

江戸幕府が成立しておよそ200年、戦争の無い時代に武芸に秀でているだけの武士は無用の長物という認識だったのでしょう、松平定信は『学文』を奨励します。学文は文を学ぶという意味の漢語、文字そのままに中国と日本の古典を学ぶことの奨励で、昌平黌を設立し朱子学を幕府の教学機関としました。日本史の授業では『寛政異学の禁』として習うところです。昌平黌を『昌平坂学問所』と教科書では習うのですが、この『学問所』という表記に違和感を覚えます。もともと『学文』であった時代に『学問』で良いのか???僕は『学問』という言葉の普及は福沢諭吉からではないのかとイメージしているので、そんなことが気になったりします。

松平定信という人はかなり興味深い人です。僕の中で今後勉強してみたい人物の一人なのですが、公私の表裏をはっきり使い分けていた人物という気がします。筆頭老中として寛政の改革を成し遂げた『公』の冷徹な立ち居振る舞いと、絵画、武芸、詩歌等々のアーティストと表現するべきと思われるほどに魅力的な『私』の部分の興味の追及を並立させていた人物なのではないかと感じるのです。自叙伝の『宇下人言』は定信の文字を分解したネーミングと教科書にも出ていますが、僕には『定』を『宇下』と分解したという説より、素直に『宇宙に存在する1人の人間』として8代将軍吉宗の孫とか武士とか身分も関係ない一個人として書いた自叙伝を書きそうな人物という印象なのです。

8代将軍吉宗は荻生徂徠を信任していました。荻生徂徠は朱子学を「憶測にもとづく虚妄の説にすぎない」と喝破し、古代中国の古典を読み解く方法論としての古文辞学(?園学派)を確立した人物です。祖父に憧れ祖父の享保の改革に倣って寛政の改革を成し遂げた松平定信が最初の『学文』として武士たちに荻生徂徠に喝破された朱子学を奨励したことが、僕には山田方谷が陽明学を教える場合にまず朱子学から始めさせたというお話しと全く同じ意図を感じます。そういう意味で非常に松平定信が興味深い人物となる訳です。『学文』そして『学問』。その違いをキチンと認識することは意外と大切なことなのかもしれません。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年8月24日(木)
歯の食いしばり方                   木曜担当…西端努斗夢

 甲子園を舞台に熱戦を繰り広げてきた第99回全国高校野球選手権大会は花咲徳栄の優勝で幕を閉じましたが、高校野球で美徳とされてきたのが「特訓」、いわゆる歯をくいしばって耐える理不尽な練習です。
 そんな理不尽な練習についてロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)を経てメジャーリーグでもプレーした小宮山悟氏が高校、大学時代を振り返って、面白いことを言っています。
 小宮山氏は、「合理的な練習だけでは、どうしても身に付かないものがある。理不尽なことに直面して、歯を食いしばった経験はその選手の力になるはずです」と言っているのです。
 また、「能力のある選手がいい指導者に教えられれば、ある程度のところまではいきます。若くして頂点に立つこともタイトルをつかむことも。しかし、その先にもうひと伸びするためには『歯の食いしばり方』を知っていることが大事なのです。せっかく才能を認められてプロの世界に入っても消えてしまう選手には、それが欠けているのかもしれません」とも言っています。
 私の高校時代を振り返っても本当に理不尽だらけでした。わけもわからずただ走らされ、わけもわからずただ殴られる等々、あんな経験をもう一度やれと言われたてもたぶんできないでしょう。
 しかし、私にとっては、小宮山氏の言うように歯を食いしばった経験がこれまで活かされてきたかと言えば、そんな実感はありません。
 せいぜい、共に理不尽を味わった仲間と会った時、当時の理不尽を酒の肴にして酒席を盛り上げるくらいのものです。
 まぁ、私の野球人生はその程度のものだったということでしょう。それも人生、それもアリかな……

木曜担当…西端努斗夢



2017年8月21日(月)
無題                            月曜担当…池田光

暑い日が続くなか、部屋を涼しくして寝そべって本を読んでいます。
横になっていると、読む時間より、昼寝ほうが長くなる傾向にあります。

さて、9月2日の六然講座「陽明学を学ぶ」の予習と称して、小島毅氏の『朱子学と陽明学』→『儒教の歴史』と読み進め、さらに同氏の『近代日本の陽明学』(講談社)を読み終えたところです。
この本には、安岡正篤氏のこともふれているので、以前にその部分だけを読んで放置していたのですが、この機会にきっちり読むことにしました。
読んでみると、面白い。特に、76~92ページに展開されている「内村鑑三」についてのお話には興味をそそられました。

ぼくはキリスト教関連の本をあまり読む気にならず、内村鑑三については、岩波文庫の薄っぺらい本を2冊読んだだけです。
が、『代表的日本人』については、大きな刺激を受けていました。
『近代日本の陽明学』に展開されているのは、まさに『代表的日本人』の西郷隆盛の章をめぐってのお話なのです。

小島毅氏はなんと、内村鑑三を「陽明学的キリスト教徒」(91ページ)と位置づけ、
「彼(内村鑑三)の『回心』とは、儒教からキリスト教へのものではなく、朱子学から陽明学へのものだったと言ってよい」(90ページ)
と結論づけています。
この記述には、思わず傍線を引きました。
(全編このような素直な感じで書いてくれたらいいのですが、嫌らしい表現や持って回った表現があって、どうも好きにはなりきれない……)



とは言え、引続いて現在、小島毅『増補 靖国史観』(ちくま学芸文庫)を読んでいるのは、『近代日本の陽明学』と同じ問題意識が底流に流れているからです。

そんなことを言いながらも、あと何冊か小島毅氏の本を読んでみるつもりで、すでに手許には、次に読む候補として、以下のような氏の本を並べています。



もっとも、小島毅『宋学の形成と展開』といった学術書は読むのに骨が折れそうなので、それらは書棚に収納したままです。

夏は寝そべって読むのが気持ちよく、どうもぼくを底なしの娯楽に誘っていくようです。
いやいや、このように趣味や娯楽で本を読むのは怠け者がやる行為なので、そろそろ怠惰な生活に活を入れて、涼しくなったら体を動かそうと思っています。

月曜担当…池田光



2017年8月20日(日)
「良知」                          日曜担当…八木正典

心の良知、これを聖と謂う。聖人の学はただこれこの良知を致すのみ。(中略)これ良知、聖愚に同じく具りて、人みなもって堯舜となるべしとなすゆえんのものは、これをもってなり。この故に良知を致すの外に学なし。(伝習録下)


陽明学についての学びを再点検しております。
来月9月2日の潜学講座にて「陽明学」に関する講義をさせていただくことになり、陽明学に触れた時の感動を再度自分で味わうと共に理解に齟齬がないか確認している状態です。
明代儒学での朱子学の停滞を新たな考えで再点火し、良知は万人に備わる、それに気づき実践すればだれでも聖人となり得るという思想で多くの人に大きなエネルギーを与え続けた教えを少しでもお伝えすることが出来ればありがたいと感じております。

日曜担当…八木正典



2017年8月19日(土)
予習                           土曜担当…佐々木秀彦

第3回六然講座の八木正典講師の『陽明学に学ぶ』に臨むにあたって、池田塾長が陽明学を予習されていらっしゃるという内容を7月24日及び31日のブログで披露されていらっしゃいました。これに刺激を受けまして、陽明学のスタートとして池田塾長がご推薦されました小島毅著『朱子学と陽明学』を僕も読み始めました。

本を読む場合、多種多様な印象があるものですが、この本は何か講義を受けているような感覚です。けっこう大きな教室で話が上手いと定評のある教授の授業を聴講しているような雰囲気でしょうか…難しい内容をサラッとお話しされるので、メモを取ったほうが良いかなと自主的にメモを取る生徒も意外と多く、人気もありそうな講座の雰囲気です。本文の内容とは全く関係が無い話ではありますが、そういう不思議な雰囲気の中で、内容を読み進めることになりそうです。9月2日までに読了しておこうと思っております。

今、甲子園球場で99回目の全国高校野球選手権大会が開催されておりますが、野球も他のスポーツ同様に基本が大切とすべての指導者が当然のように力説されます。この基本という言葉がけっこう不明瞭な言葉なので選手は自分で考え取捨選択しなければなりません。守備の場合、自軍の投手の球速、打者のスイング、アウトカウント、ランナーの有無、等々実は1球1球守備位置を変えるのが基本です。しかし具体的にどこまでの範囲で1球1球変えるのかは基本には明示されていません。本を読むのもスポーツと同じで基本は不明瞭なので、読者がそれぞれの状況に応じて自分のポジションを変化させて、結果作者の打った打球を身体の正面で受け止めて、投げるべき方向へ正確に素早く送球するかが読者の真価となるような気がします。野球の場合白球の軌道と勝負の綾は『気』と『理』の相関関係にあるようなところが日本で一世紀も高校野球選手権大会が続いている大きな要因だと僕は結論づけています。武士道と同じ使い方で『野球道』という言葉も存在します。事情磨煉の精神で臨まなくては到達できない境地です、さらに心太虚に帰す平静さで打席に立てる選手だからこそ、大観衆の甲子園で逆転本塁打も打つことができるのでしょう。

『予習』という言葉に僕はあまり粋なイメージをもってないので、今回のブログを機会に違う言葉を探してみましたが、粋な表現は見当たりませんでした。たしかに『予習』は地味な作業で、日の目をみないからこそ『予習』の本領となります。池田塾長ご推薦の本を読み、高校野球からの『伝習』を再確認して、『陽明学に学ぶ』の六然講座に臨んでみたいと思います。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年8月17日(木)
何をしたいのか                    木曜担当…西端努斗夢

 人間国宝の講談師・一龍斎貞水さんは、「教えてくれなきゃできないって言ってる人間は、教えたってできない」と言っています。その通りだと思います。
 本当にやりたいこと、やらなければいけないことであれば、自分でやり方を調べ、まず行動を起こします。その上でわからないことがあれば教えを請います。そうやって技術や知識が身に付いていくものです。
 最近、パソコンやスマートフォンが普及してきていますが、「教えてもらっても使い方を覚えられない」と言う人がいます。そう言う人は、パソコンやスマートフォンを使って何をやりたいのか、何をやらなければいけないのか明確でない人が多いように思います。
 勉強や読書も、それによって何をやりたいのかがどれだけ明確かによって得るものに大きな差が出るような気がします。

木曜担当…西端努斗夢



2017年8月16日(水)
終戦記念日に                     水曜担当…冨樫功

昨日、8月16日は終戦記念日でした。

戦争が終ってから、70年以上の月日が流れています。

戦争を体験した人たちは、
年々減少していっています。

最近の若者は、
日本がアメリカと戦争したことを知らないという人もいるとか。


僕は三重県で育ったのですが、
中学の修学旅行は広島、
高校の修学旅行は長崎と、
修学旅行は原爆めぐりでした。

平和記念館を訪れ、
戦争のおそろしさを存分に刷り込まされました。


そして、
僕が生まれた頃、
40年ほど前は、
戦争が終ってから、
まだ30年ほどしか経っていなかったのです。

戦争の話は、まだまだ生々しさがありました。


さらに、40年前には、
まだ明治生まれの方もたくさん生きていました。


明治の人は、
それこそたくさんの戦争を体験していたはずです。


戦争を体験した人が、
どんどん少なくなっている。


これは幸福なことだと思います。

しかし同時に、
自分を含めて平和ボケした人たちが増えているのも事実。


さらに30年後には、どうなっているのか。
戦後100年を見届けたいと思います。

水曜担当…冨樫功



2017年8月14日(月)
無題                           月曜担当…池田光

4年前に読んで、今も強い印象が残っている、冨谷至『中国義士伝』(中公新書)。
この本には、3人の人物が義士として描かれています。

①蘇武(そぶ)……前漢の人。匈奴に捕われ、二十年間服従を拒み続けた。蘇武の事跡に関しては、『漢書』蘇武伝がある。

②顔真卿(がんしんけい)……唐代の政治家。安禄山の乱に際して義兵を挙げた。書家として後世に大きな影響を与える。

③文天祥(ぶんてんしょう)……南宋の政治家。科挙を状元(首席)で合格した。その人物を買われ、敵国であるモンゴル(元)への帰順を強く促される。

そして、終章では、有名な文天祥の「正気の歌」を取り上げて、「命を賭して守るべき『義』(義務)とは何か」を問うています。
その義務とは、社会エリートとして選ばれし者の責務にほかならず、ノブレス・オブリージュのことです。

文天祥のことをもう少し知りたいと思って購入していた本が、3冊あります。
・長田偶得『文天祥・藤田東湖・吉田松陰 正氣歌評釋』(大學館)
・田中芳樹『海嘯(かいしょう)』(中公文庫)
・梅原郁『文天祥』(新人物往来社)
しかし、『海嘯』『文天祥』については、ながらく積読のままでした。



この夏、ずっと読もうと気になっていた『海嘯』を手に取りました。
読み出すと、面白くて一気に読み終えました。
小説ですが、巻末の参考資料を見ると、歴史をきっちり押さえて書かれていることがわかります。
力作です。文句なくお勧めできます。
ただ、この本を読むなら、併せて先述の『中国義士伝』の第三章と終章にも目を通していただければ、理解に深みが増すと思います。

作品では、いろんな人物が物語を織りなすのですが、そんななかで、首相である「陳宜中(ちんぎちゅう)」という人物の生き方がストーリーに厚みを与えています。
彼は優秀で、忠臣たちが出すいろんな戦略案の短所(リスク)がよく見えるのです。その結果、どんな案にも賛成しかねています。
「では、あなたの代替案を出せ」
と迫られると、何も出すことができないのです。現実には、リスクのない理想案などは机上の空論なのに、これを求めて国をジリ貧へと追いやっていきます。
要するに、陳宜中とは、平時における有能な政治家なのです。自らも、南宋が平安であった「百年前に生まれておれば……」と嘆く場面があります。

しかし、時は有事です。
今や南宋が滅亡せんとするときに、義に奉じて多くの忠臣が命を落としたり、また敵国であるモンゴル(元)側へと裏切っていきます。つまり、忠なるもリスク、忠ならざるもリスクです。が、そんな渦中で、リスクの重みに耐えられない陳宜中はただオロオロするばかりです。
陳宜中はまるで、他人の案を批判するだけという今の野党やマスコミのような、情けない存在でしかありません。(とはいえ、陳宜中のほうが、まだ国を思う良き人物ですが……)

(横道にそれますが、安倍政権の支持が低くなっています。確かに権力側に奢りがあったにしても、また自業自得であったにしても、現状において現政権を潰そうとすることは亡国への応援につながるでしょう。今いちばん責めを負わなければならないのは、受け皿になることができない民主党のだらしなさでしょう。国を思うとき、現能力の分布図のなかでは、現政権を支持することが最善策のように思います。ほかにトップになる人材と、これを補佐する人材の厚みがある政党がないからです。……マスコミのように重箱の隅をつつくような小批判をするだけなら、この小説に描かれている陳宜中と同じです)

さらに陳宜中は、義に奉じることも国を裏切ることもできず、その中途半端な生き方は、気力が萎えた現代人を思わせます。
つまり陳宜中とは、現代人が宋代の滅亡期に紛れ込んだかのような存在です。そんな人間を布置することによって、現代社会に欠けているものを炙り出しているようにも思えます。
平和ボケとは、有事を想定できない思考回路のことです。平時においても、有事を思う精神が国民に旺盛であれば、つまらない指導者たちは淘汰されるはずです。

月曜担当…池田光



2017年8月13日(日)
先ず一事より                      日曜担当…八木正典

其の心を尽くす者は、其の性を知るなり。其の性を知れば、則ち天を知る。(孟子)
「其の心を尽くす」とは、心一杯の事を行い尽くすことなり。力を尽くすと云えば、十五貫目持つ力ある者は十五貫目を持ち、二十貫目持つ力ある者は二十貫目を持つことなり。是を以て考ふべし。(中略)一事より二事、三事より百事・千事と、事々類を推して是を行ひ、一日より二日、三日より百日・千日と、日々功を加へて是を積まば、豈遂に心を尽くすに至らざらんや。宜しく先ず一事より一日より始むべし。(講孟箚記)


どうしても性善説を再度理解したくて孟子/尽心章句を読んでおります。
儒学の世界で、聖人の学を伝え天下を治める道を説き続けたそのパワーとエネルギーが今でも伝わってきます。絶えることなく教えを伝え続けてくれた先人に感謝です。
教えを自分のものにしながら、どう伝えつないでいくことが出来るのかを考えながら、自分が出来ることを先ず一事より一日より始めていきたいと思うのです。

日曜担当…八木正典



2017年8月12日(土)
安居                           土曜担当…佐々木秀彦

車走っていて四天王寺前の交差点の赤信号で停まると真横に『安居天満宮』という神社がありました。何か強そうな雰囲気のある神社だなと思って注視すると、真田幸村終焉の地とも書いていました。僕は「愛って言うから意味わからなくなる、安居と書けば愛とは何かと悩む青少年も減るんじゃないか…」などと思いながらゆっくり車を走らせました。『あい天満宮』という素敵な名前の神社に一瞬で心を掴まれた瞬間でした。家に帰って興味津々で素敵な名前の由来を確認しますと『やすい天満宮』でした。『あい』という言葉とはどうやっても繋がらない由来の神社で、僕の『あい』は儚く散りました。

黄泉の国の『黄泉』は当て字だそうです。大和言葉の『よみ』を漢語の『黄泉』という文字を当て字で遣ったので、漢語での意味もそのままの印象に付随してしまい黄泉の国というのは地底深くに存在するイメージになったそうです。『ネノクニ』の『根』も同様に当て字らしいのですが、やはり『根』は地中深くのイメージなので、現代日本でも死後の世界はなんとなく地中深くに存在する印象が出来あがっています。その繋がりのまま地獄も閻魔大王も地中深くのイメージがあります。

伊勢神宮の内宮は皇大神宮で天照大御神をお祀りしております。別院の月読宮は月読尊を祀っており、この2つ併せてということでとても有名なので説明不要だと思うのですが、僕はこの『月読宮』の『ヨミ』は『ヨミノクニ』の『ヨミ』なのではないかと思っています。太陽に照らされているものは一目瞭然なので見たままですが、暗闇で見えないときには推察が必要となります。この推測推察が『読み』ということ、言葉にならないもの、形の見えないもの、人の心を『ヨミ』。だから僕は大和言葉の『ヨミの国』は絶対に地獄や魔界とは違うものと解釈しています。

安居天満宮は『あい天満宮』ではなかったのですが、僕の『愛』探しの旅はまだまだ続きます。ただ安居天満宮の住職に、もしお会いすることがありましたら、真田幸村と同様に、『あい』にもスポットを当てれば参詣者が喜ぶと思うのですと大きな声であいを叫んでみたいと思います。

読み違えができることも日本語の大きな魅力と感じます。『安易』な『ヨミ』間違いもこれはこれで楽しいものです。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年8月10日(木)
自分を見失わない                   木曜担当…西端努斗夢

やることなすこと上手くいき、まわりの人からもチヤホヤされると舞い上がってしまい、自分を見失ってしまうことがあります。
自分を見失わないで居続けることは簡単ではありません。それだけに今、絶頂期にある人が本物かどうかは10年経たないとわからないと思います。特に精神世界や宗教関係の世界で指導的立場にある人はそれが顕著のようです。
まぁ私は大丈夫! まだまだチヤホヤされて舞い上がる域にまで達していませんから……

木曜担当…西端努斗夢



2017年8月8日(火)
笑いから、楽しくなる。運もやってくる。       火曜担当…柿原まゆみ

笑いは無上の強壮剤である。また開運剤である。
どんな悲観的な状況でも笑える心の余裕をもつ。
笑えば病は吹き飛ぶ。運命が開ける。

「笑いから楽しくなる」という側面がある。嘘でもいい。無理にでも笑うと
心が明るく伸び伸びしてくる。良い笑いは人生に良い花を咲かせる

          『働く君に贈る中村天風45の言葉』より


笑顔でいると「元気をもらった!」「1日頑張れそう」
「あなたと話すと楽しい」「嬉しい気分になる」と喜んでいただけます。

笑顔は相手も自分にも幸せな気分にさせてくれます。
幸せな気分の方のところに幸せな方が集まります。


逆にネガティブな気分の方が集まる所に同じ気分の
人が集まります。


作家の松浦弥太郎氏は
「いつも幸せな自分でいることは難しいけれど、いつも
幸せな自分だと考えることは誰にでもできる」と
書籍の中で書かれています。


また心理カウンセラーの心屋仁之助氏は
「先になりたい自分になっておくと後でそうなる」と書かれています。


天風先生がおっしゃる「笑うから楽しくなる」はまさに
なりたい自分に先になっておくなのです。


無理やりでも笑う→楽しい気分になる→幸せ力アップ→幸せな方が集まる→
嬉しい気持ちになる→笑う→幸せな人が更に集まる→運気UP→人生に良い花が咲く

ニコニコは大切ですね。

気分が落ちている時は
明るい笑顔の素敵な人に合うのがいいのかもしれません。

火曜担当…柿原まゆみ



2017年8月7日(月)
無題                           月曜担当…池田光

先週の金曜日に、三宮で夜間の講演をしました。
ハプニング続きでしたが、なかなか楽しいひとときでした。

主催者が初めて講演会を開催したという不慣れもあって、定刻になっても参加者が集まらず、45分遅れでスタート。
しかも、主催者のご挨拶が20分もオーバーしました。

こうして65分遅れでぼくの講演となりました。
当初は60分の予定でしたが、大幅に割愛して20分だけ話しました。
参加者の多くが60代、70代の方だったので、天風会の杉山彦一先生がよく語られていた次の言葉でまとめました。

四十、五十は洟垂れ小僧、
六十、七十は働き盛り、
九十になってお迎え来たら、
百まで待てと追い返せ。

威勢のいい言葉です。
誰の言葉なのだろうと気になり、ネットで調べてみました。
「澁澤栄一」と出てきました。

何年か前に、澁澤栄一の言葉集を出版したことがあり、その関係で、『澁澤栄一全集』(全6巻、1930年)や『澁澤栄一訓言集』などには目を通しているのですが、載っていなかったと思います。
もっとも『澁澤栄一伝記資料集』という膨大な資料は未見なので、どうなのかわかりませんが。
どなたか、出典をご存じであれば、お教えいただきたく思います。
それはそれとして、この言葉からすると、ぼくはまだ働き盛りに入ったばかり。
これからですね。

月曜担当…池田光



2017年8月6日(日)
「一なり」                         日曜担当…八木正典

或いは生れながらにして之を知り、或いは学んで之を知り、或いは苦しんで之を知る。其の之を知るに及んでは一なり。或いは安んじて之を行い、或いは利して之を行い、或いは勉強して之を行う。其の功を成すに及んでは一なり。(中庸)


学びを進めていても、なかなか先に進まず停滞してしまうことがあります。
それでもよく分からないながら更に前に進める道はないかと悩みながらも継続的に取り組んでいくと、ある時ヒントになるものが目に入ってきたり、ひょんなことから有識者からアドバイスをいただいたりして道が開けるのです。
苦しんで之を知る、勉強して之を行う。そうだとしてもたどり着くことが出来ればそれは同じものであり、何ら変わりはないのです。たどり着く努力を続けたいものです。

日曜担当…八木正典



2017年8月5日(土)
豆腐                           土曜担当…佐々木秀彦

『信仰はお豆腐のようになることです。豆腐は煮られてもよし、焼かれてもよし、揚げられてもよし、生で冷奴でご飯の菓によし、湯豆腐で一杯酒のさかなによし。柔らかくて老人病人のお気に入り、子供や若い者からも好かれる。男によし、女によし、貧乏人によし、金持ちによし。平民的であって気品もあり、上流へも好かれる。行儀よく切って吸物となり、精進料理によし、握りつぶして味噌汁の身となり、家庭料理に向く。四時春夏秋冬いつでも使われ、安価であってご馳走の1つに数えられ、山間に都会に…ドコでも歓迎せられる。貴顕や外客の招宴にも迎えられ、簡単なる学生の自炊生活にも喜ばれる。女は特に豆腐のようでなければいかぬ。徹した人は豆腐の如く柔らかくてしかも形を崩さぬ。味がないようで味があり、平凡に見えて非凡。』

上記は京都化野念仏寺、賽の河原脇の小屋に何の謂れや根拠も示さず、出典や作者の記載もないまま突然と掲示されている文章です。化野念仏寺界隈の嵯峨野は平安時代は風葬地でした。美しく表記すれば風葬地ですが、現在は火葬、その前が土葬、そういう意味の風葬です。当時どんな状況だったのか…僕は想像するのは断固拒否します。

平安京には西の嵯峨野、東の烏辺野、北の蓮台寺という風葬地が存在しました。この嵯峨野に地獄からの出口があり、烏辺野に地獄への入口があったとされ、昼間は参議として宮仕えをし、夜は地獄で閻魔大王の補佐官をしていたという元祖二刀流の伝説の歌人が、小倉百人一首の11番、参議篁、小野妹子の孫で、小野小町の祖父とも言われる『小野篁』です。京都市右京区嵯峨大覚寺門前六道町という地名は今でも正しい住所として存在します。京都市東山区には六道珍皇寺というお寺があり六道さんと親しまれています。この『六道』はもちろん仏教の六道輪廻のことですが、元々の風葬地にその地名が残るところも京都の魅力なのでしょう。どこまでが伝説で、どこまでは事実なのかを追求するなんて野暮なことは必要ないと思いますが、化野念仏寺は現実に観光客の人気エリアとなっております。

潔癖症で有名な作家の『泉鏡花』は豆腐が大好きなのに豆腐という文字が許せず、生涯『豆府』と表現し続けたという話。考えてみれば食べ物なのに頑なに『腐』という文字を伝統的に執着されている『豆腐』という食べ物は不思議です。

『豆腐の角に頭ぶつけて死んじまえ!』という言葉もありますが、信仰に限らなく、豆腐は何につけてもお手本として良い万能な凄いモノだなと感じた次第です。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年8月3日(木)
ほのかな灯り                      木曜担当…西端努斗夢

湧くわく本心塾の目的は、“各自がそれぞれの持ち場で「一隅を照らす人」となっていただき、また「一隅を照らす人づくり」を行うこと”となっています。。
私が照らす灯りは、スポットライトに比べると豆電球のような小さな光です。けれど、そんなほのかな灯りでも、それさえあればどんな暗闇もかき消すことができます。
強烈な光を発し、一瞬にして周りを明るくする人に憧れる時もありますが、私は私、ほのかな灯りでまわりを照らし続けたいです。

木曜担当…西端努斗夢



2017年8月2日(水)
自分の人生から離れる経験            水曜担当…冨樫功

久々に司馬遼太郎の『項羽と劉邦』を読みました。

上・中・下巻の三冊です。

僕の場合、一冊読了するのに4時間くらいかかりますので、
合計12時間くらいは本を読んでいたことになります。

続けて読むと、
目も疲れるし、
日常生活にも支障をきたします。

それでも読んでしまう。


読んでる間中、今の自分の人生とは隔絶して、
気持ちは紀元前の世界に入っていきます。


その時間が、とても幸せなのです。


小説を読んでる間は、
何も生み出すことはできません。


他の何にも代えがたいすばらしい時間です。


今生を台無しにしかねないので、
普段あまり読まないようにしているのですが、
壮大な歴史小説を読むと、
大きな視点から世界がみえるような気がします。


自分を透明な存在として、
俯瞰してみえるような気もします。


これからは、制限を少なくして、
好きなものに浸る時間を増やそうかなと思いました。

水曜担当…冨樫功



2017年7月31日(月)
無題                           月曜担当…池田光

先週の続きです。
小島毅『朱子学と陽明学』(ちくま学術文庫)を読了しました。
とても刺激的でした。
入門書でありながら、最新の学問的水準をふまえた、歯切れのいい一冊です。

著者自ら、こう記しています。
「各章ごと、朱子学と陽明学とを対比しながら解説するというかたちをとった。このねらいは、われながらうまく達成することができたのではないかと思う」(11ページ)と。
実際に読んでみて、その通りでした。

文章も構成もわかりやすいだけでなく、これまでの先入観をくつがえすような知見が多々あり、小島毅『朱子学と陽明学』は得難い一冊だと思います。

初めて朱子学や陽明学にふれる方にも、懇切な用語解説があって入りやすく、豆知識も増えて、賢くなった気にさせてくれる一冊です。
第一冊目に何か読むとしたら、文句なく、小島毅『朱子学と陽明学』がお勧めです。

さらに解説書を読み進めていくなら、
・島田虔次『朱子学と陽明学』(岩波新書)でも、
・小倉紀蔵『入門 朱子学と陽明学』(ちくま新書)でも、
どちらに進んでもいいように思います。ただ、
①スタートは、小島毅『朱子学と陽明学』から入るのがよく、
②次に、島田虔次『朱子学と陽明学』(岩波新書)か、小倉紀蔵『入門 朱子学と陽明学』に進まれるとしても、どちらも捨てがたく両書とも読むのがいい、
③というか、読むなら島田虔次と小倉紀蔵の両氏のものを併せて読むのが良策であるように思います。

あるいは、方向を変えて、原典に進んでもいいかもしれません。
文庫本でも、原典を読むことができます。抄訳ながら、
①朱子学については、三浦國雄『「朱子語類」抄』(講談社学術文庫)、
②陽明学については、吉田公平『王陽明「伝習録」を読む』(講談社学術文庫)、
が手軽です。

実際、解説書だけで終わるのはよくありません。
やはり、原典を読むと肚の底のほうに落ちていきます。
ありがたいことに、上記の三冊の解説書は、なるべく原典から言葉を引くように心がけているようです。
以上をまとめると、写真のチャートのようになるでしょうか。



ところで、小島毅『朱子学と陽明学』は、各章ごとに朱子学と陽明学とを対比しながら解説するというかたちがとられているため、著者は、
「その一方で全体の大まかな筋書きが見えにくくなったきらいがないともいえない。」(11ページ)
と自書の足らざる所を指摘しています。
これを解消してくれるのが、小島毅『儒教の歴史』(山川出版社)です。



小島毅『儒教の歴史』(山川出版社)は、今年の5月に出たばかりの本で、目配りの効いた通史になっています。
また、巻末には58ページにわたる付録があり、用語解説、経書主要注解一覧表、年表、索引などが収録されていて、とても便利です。
ぼくは、今、この本を読んでいるところです。

月曜担当…池田光



2017年7月30日(日)
「道」                           日曜担当…八木正典

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。
自我の意識は個人から集団社会宇宙に次第に進化する。
この方向は古い聖者の踏みまた教えた道ではないか。
新たな時代は世界が一つの意識となり生物となる方向にある。
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じていくことである。
われらは世界のまことの幸福を索ねよう。求道すでに道である。(宮沢賢治)

最近読んだ本の中で気になった言葉です。
以前立花大敬さんの「ひとついのち」の話を伺いましたが、一人一人がそれぞれ別々だと思っているけれども根っこでつながっているという考え方や意識の次元が上がっていけばみんな身内になってくるという話に相通じるものがあります。
その時の自己制約、自己制限を一つづつはぎとっていくしかないとの教えは今も心の中に生きております。
求道すでに道である。あせらず、あきらめず一歩一歩確実に、まことの幸福に向けて歩を進めていきたいと思うのです。

日曜担当…八木正典



2017年7月29日(土)
秘鍵                            土曜担当…佐々木秀彦

『…今日に至っては、功利主義の害毒は、人の心臓骨髄にまで浸み渡り、その習慣が遂に本性のごとくになってしまったこと、殆ど千年にもなるのである。そのため、世の中は知識をほこり、勢力をきしり、利益を争い、技能を高ぶり、名声を取り合うものばかりである。…(略)…そこで経典を博く暗誦していることは彼らの威張る助けとなり、知識の多いことは悪事をはたらくに好都合であり、見聞が広く経験の多いことは演説に役立ち、文章力のあることはごまかしを飾るに便利となる…(略)…ああ、このような長年積み重ねてきた悪習と、このような下劣な精神の上に、更にこのような俗悪の学術である以上、私の言う聖人の教を聞いても、現代には無用のものであると考えるのは、無理ならぬことである。そして良知だけでは不十分だとか、聖人の学問は役にたたないとかいうのも、そうなるべき必然の勢であるとしなければならない。』

陽明学といえば『伝習録』という印象すらあるのですが、王陽明に徐愛が入門したのが1507年。上巻刊行が1518年。続録、南本併せて現行に整ったのが1556年ということです。この時期の日本を見ますと、室町幕府の足利氏の勢力が衰えた戦国時代と呼ばれる時期です、織田信長が桶狭間の合戦に勝利したのが1560年ですから、日本の戦国時代と完全に重なるという感じです。

日本の室町幕府の衰退に関しては功利主義の毒害も因果していたのかどうかは不明ではありますが、上記は『伝習録』の『抜本塞源論』からの抜粋です。中国、明の時代後半辺りでは殆ど1000年に及ぶ功利主義が心臓骨髄にまで浸み渡った人が、聖賢の学問は役にたたないのが必然の勢だったそうです。

僕にとってこの『伝習録』はかなり難しい本なのですが、その中でもこの『抜本塞源論』の項は特に難しい印象をうけます。しかし上記抜粋部分は、現代日本社会で書かれた文章なのかと錯覚しました。安岡正篤師の昭和48年著なので、意図的にそういう印象に仕上げていらっしゃるのかもしれないのですが、難しい印象の中で、例え1行2行でもなんとなく自分の心に入ってきやすい文章に出会うと何か意義深い秘鍵を得たような嬉しさがあります。

このブログを書くために、さらにこの『抜本塞源論』を違う視点から何度も確認読みしますと、視界が0mの濃さの霧が何か少しだけ薄くなってきたような気がしてきました。その分だけ次回の六然講座の八木さんの『陽明学に学ぶ』の講義の楽しみが増えました。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年7月27日(木)
言葉を紡ぐ                       木曜担当…西端努斗夢

見たこと感じたこと、突然浮かんだイメージを話したり、文章にするため、言葉に変換することはたいへんな作業です。

蚕の繭から絹糸を紡いでいくように細心の注意と熟練した技術が必要です。けれど、それだけに楽しく、やり甲斐もあります。


見たことや感じたこと、浮かんだイメージを100%リアルに相手に伝えることは不可能かも知れませんが、少しでも100%に近づけることができるよう、私は日々、言葉を紡いでいます。

木曜担当…西端努斗夢



2017年7月26日(水)
身命を賭す                       水曜担当…冨樫功

ひょんなことから、
勝海舟の氷川清話を読んでいます。

氷川清話は、勝海舟が新聞や雑誌などに話したことを編集してまとめたものです。

わかりやすい口語で小気味良い江戸弁でつづられて読みやすいです。

維新後も長く生き永らえた海舟は、
当時でも行ける伝説だったかと思います。


特に幕末は、たくさんの刺客が常に勝を狙っており、
生き延びれたのは本人も不思議なくらいだとのことです。

常に虚心平気の心を持てたのは、
もっぱら剣術と座禅の修行のおかげとのことです。


そして、勝は、危難に際会して逃れられぬ場合と見たら、
まず身命を捨ててかかったと言っています。


おそらく、死に際しても、
勝の心は狼狽するようなことはなかったのでしょう。


いつも、落ち着き、
覚悟を決め、
できることをしていった。

その成果として、
あの江戸の無血開城に至る大きな仕事をやりおおせたのだと思います。


少し前に、豊臣秀吉の小説を読んでいたのですが、
秀吉も、出世していく過程で命を捨ててかかるようなことが何度もあります。


それにすべて勝利して、
あの太閤秀吉があるわけですが、
それまでに、何度も死を覚悟してことに望んでいます。


現代では、
失敗して死ぬようなことはほとんどありません。

しかし、必要以上に失敗をおそれて、
大きな仕事がなかなか成されない。


そんなイメージを持ちました。       


有事の際には、自分も命を賭していけるような、
そんな心を養いたいと思いました。

水曜担当…冨樫功



2017年7月25日(火)
無題                           火曜担当…柿原まゆみ

今年は梅雨があける前から夏のような気温が続き、現在も猛暑日更新中です。
お店や電車の中は冷房が効き瞬間的には快適ですが
長時間過ごしていると身体が冷えてしまいます。


健康的な人の平熱は36.5~37.1度。
現在36度以下という「低体温」の人が増えています。

・手足が常に冷たい
・体温が36度以下
・入浴はシャワーのみ
・運動不足
・睡眠不足
・ストレスを感じることが多い
・冷暖房の効いた部屋に長時間いることが多い
・冷たい飲み物をよく飲む
書いている私も実は低体温。
測定すると35.2~35.8度しかありません。

体温が下がることによる免疫機能が低下します。

35.5度・・・排泄機能の低下
35.0度・・・ガン細胞がもっとも増加する体温
34.0度・・・水に溺れた人を救出後、生命の回復限界体温
33.0度・・・冬山遭難で投資前に幻覚が出てくる体温
33.0度・・・意識喪失
27.0度・・・死体の体温

35.5度から1度上げるだけで免疫力が上昇し、
37度まで上げると体内の酵素が活発化します。


低体温改善には運動すること。歩く、スクワット、腹筋など
筋力アップのトレーニングをすることで筋肉の量が増え、
体温を高まります。
また、入浴時に湯船につかること。10分程つかるだけで
体温が1度程度上がります。

その他
・白湯を飲む
・腹巻をする
・根菜類を食べる(身体を冷やす食材を食べない)
・睡眠をとる
・加工品を食べない
・ストレスをためない

暑い夏に冷たい食べ物・飲み物が欲しくなりますが
この時期に体温を上げることをしておくと免疫機能UPにつながります。

火曜担当…柿原まゆみ



2017年7月24日(月)
無題                           月曜担当…池田光

9月2日(土)に、六然講座の第三回が開催されます。
講師は、八木正典さん。
テーマは、「陽明学に学ぶ」です。

八木さんは、日曜日のブログを担当しておられます。毎週、『伝習録』や『言志四録』などの一節を引かれて、所感をつづられています。
前者の『伝習録』というのは、陽明学の祖・王陽明の言行録ですが、このように八木さんは自らを振り返るのに、陽明学を基準にされています。
そんな八木さんの講座が迫りつつあって、楽しみにしているところです。

ところで、ぼくは陽明学に不案内で、よく知りません。
なので、この機会に少しだけ予習することにしました。
手元にちょうど「朱子学と陽明学」という題名がついた三冊の本が積ドク状態になっていましたので、事前にこれらに目を通しておこうと思います。



①島田虔次『朱子学と陽明学』(岩波新書)
この本は、すでに読んでいたようです。2012年8月18日に読了したと記録されていました。が、記憶からまったく抜けておりますので、ざっと再読するつもりです。

②小倉紀蔵『入門 朱子学と陽明学』(ちくま新書)
現在、この本を読み終えたところです。
大きな収穫でした。今までにない斬新な切り口で面白く、儲けものをした感じがします。ぼくがこの本を買ったのは、2013年の初め頃です。が、その後、積ドクしていました。
読み終えた今、「積ドクとは、もったいないことをしていた」という思いでいっぱいです。4年半もこの本の良さに気づかず、読まずにいました。もし読んでいたら、もう少し目が開けていたでしょうに。

さっそく、同じ著者の本を5冊注文しました。『朱子学化する日本近代』『〈いのち〉は死なない』『韓国は一個の哲学である』『新しい論語』『創造する東アジア』(これらの内、4冊が届きました)。



さて、話を戻しましょう。『入門 朱子学と陽明学』は入門書として、『論語』の読み方なども指南してくれています。

■『論語』などの古典を読む際は、それに対する注や解釈こそが重要なのだということを、今の日本人はほとんど知らないような気がする。伝統的には、儒教を勉強する人は、本文を読むだけでなく、むしろ注釈を熱心に読んだのである。(178ページ)

■そもそも注や解釈を読まずに『論語』の本文だけ読んでいたって、無味乾燥でさっぱり面白くないではないか。『論語』の本文がおもしろいという人は、儒家の何たるかを知らない人びとなのである。(178~9ページ)

■「道徳主義だからおもしろくない」というのは、日本の戦後の悪しき傾向である。少なくとも東アジアの伝統というものを理解したいのだったら、朱子注で四書くらい読んでおかずにどうするのであろうか。(179ページ)

まったく同感です。
ずいぶん昔、ぼくが若かった頃、『論語』を読んでちっともおもしろく感じなかったのは、本文だけを現代語訳で読んでいたからです。
儒教とは、注釈の歴史です。言い換えれば、注釈という形をとった知の闘争の歴史です。東アジアの最高の頭脳が二千年にもわたって知の闘争をしているのです。『論語』をめぐって、どれほどの論争が繰り広げられてきたことか……。これがおもしろくないわけがない。

ところで、小倉紀蔵『入門 朱子学と陽明学』は入門書とは言え、速読はできません。何日もかけて丹念に読むと、朱子学や陽明学が「書籍」という形で対象化された文章群ではなく、生き物のような実態と実感をもって立ち現われてくることでしょう。まったく恐るべき本です。
(アマゾンの書評を見ると、評価にバラツキがあります。身体感覚として朱子学や陽明学を捉えるという視座に共感できないと、何が何だかわからないかもしれません。
多くの解説書では「理屈がわかる」というところに重きが置かれ、「朱子学を生きる」「陽明学を生きる」というところから遠く離れていると思うのです。これに対して、本書では、宋代や明代において、朱子学者が朱子学をどう生きたか、陽明学者が陽明学をどう生きたか、をえぐり出しています。
そして、現代において、朱子学を生きる、陽明学を生きる、というところにまで迫ろうとする本なのです。5章までで概説は終わります。6~8章に展開される3章には、新たな知見が満ちていて、ただただ読み惚れました。)

また、この本には、陽明学の花とも言える「四言教」(四句教)について少し書かれているのですが、ぼくにはよくわかりません。いずれ、ある時期に集中的に考えてみるつもりでいます。今は「四言教」についてはパスしています。

③小島毅『朱子学と陽明学』(ちくま学術文庫)
この本も買ったまま読んでおりません。
そもそも、小島毅の本はかなりたくさん積ドク状態になっています。せめて、この本は目を通しておきたいと思います。
また、もし余裕があれば、最近出された同じ著者の手になる入門書『儒教の歴史』(山川出版社)も買ったままですので、目を通しておきたいと思います。

そんなことをアレコレやっているうちに、アッという間に9月2日の講座がやってくることでしょう。どこまで準備できるかわかりませんが、予習をして臨むというのは、楽しいことです。

追記。小島毅氏の本を読む前に、ちょっと寄り道して、小倉紀蔵『〈いのち〉は死なない』をこっそり読んでいます。

月曜担当…池田光



2017年7月22日(土)
書生                           土曜担当…佐々木秀彦

『外客は日本を漫遊するにあたり、蓬髪弊衣、大なる杖または書物を手にし、世事関せず焉の態度をもって大道を闊歩する多くの青年を見たであろうか。これは「書生」(学生)であり、彼にとりては地球は小に過ぎ、諸天も高きに失しない。彼は宇宙および人生について彼独自の説をもつ。彼は空中楼閣に住み、幽玄なる智慧の言を食う。彼の眼は功名の火に輝き、彼の心は知識に渇く。貧窮は彼を前進せしむる刺激たるに過ぎず、この世の財宝は彼の品性に対する桎梏であると看做す。彼は忠君愛国の宝庫であり、国民的名誉の番人をもって自任する。その美徳ならびに欠点の一切を挙げて、彼は武士道最後の断片である。』

前回の六然講座の講義の中で紹介しました新渡戸稲造『武士道』の1節です。
講義では『発信』という題だったので、『武士道』の内容に関してはあまり深く取り上げませんでしたが、京都の祇園祭の後祭りということでもありますので、その本文の僕の印象深い1節を抜粋しました。この1節を読まれた印象はいかがでしょうか?英文の翻訳文らしく、どちらかというと直訳に近い文形式にして、逆にイメージし易いのを訳者は計算したような意図すら感じたりします。

外見的には昭和のバンカラまではこのイメージは残っていました。新人類世代の僕も見た目こそは小奇麗にしておりましたが、大まかな気質はこんな感じでもあったような気もします。ただただ大きく違うのは、『地球は小に過ぎ、諸天も高きに失しない』という部分で、地球どころか日本すらまだ得体のしれない広大さで、いくら背伸びをしても何も見えない学生でした。そして人生には僕独自の説をもってはいましたが、『宇宙』に関してはまったく何の考えももってはいませんでした。もちろん忠君愛国に関しては完全に干からびておりました。

この1節は全17章の第16章で出てきます。『武士道』に興味をもった外国人がこの本をもうすぐ読み終える段階で、この1節と出会います。出版されたのが明治33年、この頃の書生は当然ながら明治生まれ世代です。小学校が全国に現在同様に設置されたのが明治8年ということなので、間違いなく近代教育の小学校尋常科に通った世代です。武士道最後の断片を明治生まれの若者がしっかり引き継いでいると暗に全世界にアピールしているところに凄さを感じます。

ある意味、現代人にとっては興味ある異国の話として読む外国人の気持ちに近い『武士道』が教えてくれた『地球は小に過ぎ、諸天も高きに失しない』という基本を自分のものとしてしっかり受け継いでいきたいと思います。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年7月20日(木)
高校野球                        木曜担当…西端努斗夢

去年から高校野球地方大会の模様を伝える仕事に十数年ぶりに復帰しています。
以前、このブログに書きましたが、過度に高校野球や高校球児を美化するマスコミのやり方に私はは違和感どころか嫌悪感を覚えます。
しかし、野球には、他の競技にない面白さがありますし、高校野球には、プロ野球、社会人野球にはない、素晴らしさもあり、それを伝えるのが私の仕事かなと思っています。
本日は、ほとんどの公立高校で終業式が行われるため大会はお休みです。私も一休みして英気を養い、明日からに備えます。

木曜担当…西端努斗夢



2017年7月19日(水)
読書のタイミング                   水曜担当…冨樫功

本を読むことが好きですが、
本を手に入れること自体も好きです。


新しい本を手にすることが、
脳内で快に設定されているようです。


買うのは10分もいりませんが、
本を読むのには1時間以上はかかります。


すると、自然、読めていない積読(つんどく)の本が増えていきます。


一度積読になった本は、
なぜか買った時ほどの輝きを持っていません。


もちろん、時間をおいたことで、
ベストのタイミングで読めたと感じられることもありますが、
それはまれで、
大体旬を逃したような感じになってしまいます。


旬を逃した本は、
手に取ることも苦痛になっていたりします。

いや、手に取ることを忘れることが一番多いですね。



結局、一番いい方法は、
やはり手にしたタイミングで読み始めること。


面白かったらどれだけ時間がなくても読み進めるでしょうし、
読み始めて続きが気にならないなら、
もう読まなくてもいい本だと思えます。


買っても、
借りても、
もらっても、
その日のうちに軽くでも目を通してしまうこと。


はじめにだけでもいいし、
目次を読むだけでもいい。



これが、本のタイミングを逃さない最高の方法な気がします。



これで、死に本が減らせればいいなあと思います。

水曜担当…冨樫功



2017年7月17日(月)
無題                           月曜担当…池田光

■既存の現代語訳
柳宗元(773~819)に、「始めて西山(せいざん)を得て宴游(えんゆう)する記」という名篇があります。これは、有名な「永州八記」の最初をかざる文章としてよく知られているので、柳宗元の文章を集めた本にはかならず採用されるものです。

さて、この文章の終りの方に、
「心凝(こ)り、形釋(と)けて、萬化と冥合(めいごう)す」
原文「心凝形釋與萬化冥合」
という一文があります。

ぼくはこの一文の「心凝」「冥合」の語に反応し、これは「瞑想による心の深化プロセスを描いたもの」だと思いました。



さて、上記の「心の深化プロセス」の観点からぼくがどう現代語訳したか、については後で触れることにして、まず既存の現代語訳を掲げます。
調べた限りでは、ほぼすべての訳書が同様の現代語訳をしています。以下、既存訳をご覧ください。

①「心は凝り定まって動かず、身体は釈(と)けて何のこだわりもなくなり、現象の万化と深く一つになってしまった。」(星川清孝『新釈漢文大系』唐宋八大家読本二より)

②「精神が一つにかたまり肉体はなくなってしまって、いつのまにか万物の変化と一致している。」(横山伊勢雄『中国の古典』唐宋八家文上より)

③「精神だけが一つにかたまり、肉体はなくなってしまったごとく、万物の変化とおのずと一致してきた。」(清水茂『中国古典選』唐宋八家文上より)

④「心がひとつにこりかたまり、からだの方はばらばらになって、万化、流転してやまぬ万物の変化のなかに、冥合、いつのまにかとけこんでしまっていたのである。」(筧文生『中国詩文選』韓愈 柳宗元より)

⑤「心は凝結し身は解体して、万物の変化の中に溶けこんでいった。」(興膳宏『中国名文選』より)

⑥「まるで身も心もとろけて、万物の運行代謝に同化してしまったようだ。」(下定雅弘『柳宗元』より)

六つの現代語訳を掲げましたが、どの訳にも特徴的なのは、①~⑤のすべての訳が中国文の学者らしく同じ発想で訳されているということです。
それは、中国文は対句になっていることが多く、「心凝(こ)る」と「形釋(と)ける」を対句として訳しているということです。
つまり、対句として見ると、「心」に対して「形」は肉体や身体、と解釈することになります。
同様に「凝る(かたまる)」と「釋ける(なくなる)」も対比概念となります。
上記の五つの現代語訳はすべて、ここを踏まえて訳されています。
(⑥は意味をなんとか通そうとして意訳しているように見えます)

ところが、ぼくは、「心(精神)はかたまる」「肉体(身体)はとける」という対句で解釈すると、意味が通らないように感じるのです。試しに、「心がかたまって、肉体がとけて、万物の変化と一体となる」という状態を、どなたか説明できるでしょうか。

■池田訳
上記の既存訳では、「心」と「形」、さらに「凝る」と「釋ける」を対語として解釈していましたが、ぼくは、「心凝る」と「形釋ける」を対句とは見ません。

そうではなく、①「心が凝る」→②「形が釋ける」→③「萬化と冥合する」という順で精神状態が深まっていく過程、つまり精神が深化していく時間的経過を描写しているのだと読み解きます。

①「心が凝る」……そもそも、自ら精神を集中させようとすることを「心を凝らす」と言います。「心が凝る」とは、精神が集中すること。言い換えれば、瞑想状態に入ることと解釈します。(サマーディ=三昧を「息慮凝心」と訳す例があります。)

②「形が釋ける」……「心」「形」を対語とはみなさないので、「形」を肉体や身体と解釈する必要はありません。「形」とは、すべての形あるもの(肉体もそのまわりの自然も含めて)と解釈するのが自然だと思います。

③「萬化と冥合する」……「萬化と冥合する」の主語は何でしょうか。「私」ないしは「心(精神)」を主語だと考えます。

すると、次のような現代語訳ができます。

【池田訳】「精神はおのずと集中していって瞑想状態となり、そんな精神の深まりのなかであらゆる形あるものが溶けだし、私(精神)は万物の変化と冥合する。」

つまり、西山に登って宴游した柳宗元は、仲間とともに酒を楽しみ、そうした状況のなかで、おのずと瞑想状態になります。そして精神が深化するにつれて、肉体も自然もあらゆる形あるものが溶けだしていくという認識変化が起こり、やがて柳宗元は変転きわまりない万物の移ろいと一体となったのです。これはある意味で、天風先生の言う「神人冥合」とも近い状態です。
このように、「瞑想による心の深化プロセスを描いたもの」という解釈をすると、これは一種の覚醒体験だと言えるのではないでしょうか。ちなみに、宴游の「游ぶ(遊ぶ)」とは、心を解放するというような意味合いが含まれています。

■荘子的な覚醒体験
柳宗元は儒家でありながら、老荘思想や仏教にも親しんだ人です。「心凝」「萬化」「冥合」は老荘思想を想起させるように感じるのですが、どうなのでしょう。

永州に左遷させられた柳宗元は、元和四年にこの地で西山を発見します。それがこの「始めて西山を得て宴游する記」です。

では、柳宗元における「西山の発見」とは何だったのでしょうか。西山という自然の発見にとどまらず、「心が凝る」→「形が釋ける」→「萬化と冥合する」という精神的深化の覚醒体験をも含まれているのではないでしょうか。
この覚醒体験とは、「万物の変化」と一体になるという『荘子』的な覚醒体験だと思えます。覚醒的な体験だとすると、柳宗元のその後の人生に影響があると思うのですが、実際はどうなのでしょうか。

繰り返しますが、柳宗元における「西山の発見」とは、西山という山の奇異なる自然と、荘子的な覚醒体験とが一体となったものの獲得だったように思えます。そのような問題意識をもって、柳宗元の「永州八記」を始めとする詩文を読んでいきたいと思います。
(現在、「永州八記」の二番目の作品を読んでいるところで、本文はまったくの仮説です。)

月曜担当…池田光



2017年7月16日(日)
「実践する」                       日曜担当…八木正典

人須らく事上に在りて磨錬して功夫を做すべく、乃ち益有り。もしただ静を好むのみならば、事に遭えば便ち乱れ、終に長進無く、かの静時の功夫もまた差ふ。収斂に似て実は放溺なり。

先週、仕事であまりにも怒り心頭に達する出来事があり、その場で全く怒りが抑えられなかったばかりか翌日もそのことを引きずり続け、全く成果が上がらないという状況でした。
後から考えると対応の仕方はいくらでもあったのに、心を落ち着けて状況を判断すればいろいろと手の打ちようもあったのにその時は怒りに捉われて全く駄目でした。
学び続けているのにいざというときに使えず、学びを実践することの難しさを感じました。
また1からやり直しで、一つずつ意を誠にし行動を積み上げていくいかないと考えております。

日曜担当…八木正典



2017年7月15日(土)
絵本                            土曜担当…佐々木秀彦

僕は図書館カードを2枚持っています。大阪には24区それぞれに1館づつある大阪市立の図書館と中之島と東大阪にある大阪府立図書館があり、府と市と登録もカードも別になっています。こういうところにも府と市の2重行政が現れてはいるのですが、まあそういうものだということで制度に従って2枚の図書館カードを持っている訳です。

中之島図書館は僕のお気に入りの図書館で、建物の雰囲気が気に入っています。ここの図書館に入るだけで、何か気持ちが切り替わるのをいつも感じます。気分転換だけで中之島図書館に行くようになったのですが、今は常に3~4冊の本を借りています。返却期限のたびに中之島図書館に行くのが、返却の義務にかこつけた些細な楽しみになっています。

そして大阪市立中央区島之内図書館へは、チビスケの絵本を借りに行っています。きっかけは紙芝居です。地域に密着している意識の証明なのか、子供向けの本が充実していて、紙芝居もかなりの蔵書があります。どこかのイベントで偶然やっていた紙芝居をかなり真剣に物語に入り込んでいたチビスケを見て、島之内図書館に紙芝居がたくさんあったことを思い出して借りにいくようになったことがきっかけでした。今は紙芝居より少し内容のある絵本が良いかという時期になってきたようなので、絵本に移行したばかりという状況です。そして気が付けば、この子供用の紙芝居や絵本を探す時間も、実は僕にとってとても希少な気分転換の時間になっています。2週間の返却期限で毎回7~8冊を借りるのですが、絵本にもいろいろ個性があります。押しつけがましい感じやら、主人公が悪者ををだまし討ちにして笑顔になるお話しやら、悲劇なだけのお話しやら、油断すると後味が悪くなる絵本がけっこうあるのです。もちろんそれ以上に素敵な絵本も沢山あるのでその選別に夢中になっていると言っても過言ではないくらい楽しんでいます。

今借りている絵本の一つは、動物園から突然『てんてん』と『まる』がどっかへ行ってしまって、『どうぶつえん』が『とうふつえん』になり、『コリラ・ソウ・ラクタ・ハンタ・カハ…』漫才コンビのような飼育員が吉本新喜劇的になんとか『てんてん・まる』を探し出して解決したら、お客が来なくなって困った園長が、『とうふつえん』の園長としての責任感で『とうふ』を作り始めたのが、無事『どうぶつえん』に戻った後も『とうふ』は動物園の名物になったというオチがついたお話しですが、僕はこの絵本のような壮大なスケールでの冒険活劇が大好きです。

いままで絵本と紙芝居を両方借りてきていたのですが、紙芝居を徐々に減らし、今回初めて絵本だけにしたのですが、紙芝居も1つだけ入れて欲しいとチビスケから要望がありました。僕はここぞとばかりに紙芝居は全力で演じるので、その紙芝居がなくなって実は少し寂しい僕の気持ちを、僕以上に知っていたのはチビスケだったのかもしれません。チビスケは紙芝居が楽しいのではなく、紙芝居を演じている僕をみるのが楽しかったということでしょう。絵本ももっと気合い入れて演じなくては…

土曜担当…佐々木秀彦



2017年7月13日(木)
フリースタイルが一番楽               木曜担当…西端努斗夢

この夏は、去年に続いて、かつて勤務していた会社で仕事をさせていただいています。
当時若かった私も年齢を重ね、久しぶりに古巣をたずねると、かつて一緒に仕事をしていた同僚や後輩たちがそれなりのポストに昇進していてなぜか嬉しくなります。

仏教では、「随喜功徳(ずいきくどく)」という「共に喜ぶことが功徳になる」といった教えがあるそうですが、そんなことに関係なく私にとって同僚や後輩の出世は、理屈抜きで嬉しいです。

「私も会社を辞めていなければ今頃は……」と思うこともありますが、やっぱり私は、どう考えても今のフリースタイルが一番楽で、会社勤めには向いていなかったと思います。

木曜担当…西端努斗夢



2017年7月10日(月)
無題                          月曜担当…池田光

レコードはあるが、プレーヤーがなくて、ここ何十年も聞けなかったアルバムがある。
ぼくが二十歳前後によく聞いた、中山ラビ。
ラビのレコードは、あの頃の思い出と結びついている。



東京生まれのラビは、関西でライブ活動を開始した。
ぼくが学生時代に入り浸っていた神戸元町のジャズ喫茶ソウルインでも、マスターが語るには、「あの舞台でよく歌ってたよ」と。
ソウルインは、五階建てのハイツの二階にあった薄暗い喫茶店で、丸太のような長いテーブルが二本。
奥に、ラビが歌ったという三畳ほどの小さな舞台があった。

ぼくは授業をさぼると、毎日のように、ソウルインで珈琲カップを片手に本を読んでいた。すると、仲間たちが一人、また一人と集まってくる。
(一杯の珈琲を二、三時間かけて飲むことをここで覚えた)

午後一番には、女子高を早退して高二のM子がやってくる。彼女は生徒会長だったが、不良っぽくて、メンソール入りの細いのをふかした。169センチの身体を小さくして、ぼくらの傍にいるのが日課になった。
詩を書いていて、どこかの文芸誌に採用されたという作品を清書して、ぼくにくれたことがあった。ペン習字のような字だった。
たまに、靴箱に入っていたという同級生や下級生からのラブレターをカバンから取り出して封を切っていた。「女子高ってこんななのよ」と見せてくれた。
あるとき、神戸港に上陸したばかりの船乗りの黒人がやってきた。M子は何やら話していたが、夜の八時頃に二人は連れ立って店を出て行った。
「マスター、どうしよう……」
と、ぼくは助けを求めた。マスターは冷静で、
「M子は自分から付いて行ったんだろ?」
「そうです」
「なら、問題はないよね」
と。ぼくは心配しつつも、うろたえたことを恥じた。
マスターは<意思の自由>とか<自己責任>という言葉を使わなかったけれど、ぼくはこの出来事からそんなことを考えるようになった。
彼女は高三になると本格的に受験勉強を始めた。(その甲斐あって、翌年にはちゃんとした女子大生になっていた)

もう一人の常連は、高校時代からの友人で、京大の哲学科しか行かないと宣言して浪人していたB君。彼は、有名予備校を特待生の待遇=授業料無料で通っていた秀才だった。
が、道を踏み外して、ソウルインに入り浸るようになった。それでも受験勉強が気になっていたらしく、英語の勉強だと言っては洋書を取り寄せて哲学を読んでいた。
(B君は五十代の半ばで亡くなり、ぼくの書斎には彼の遺品と小さな肖像画を祭っている)

ほかにも仲間が集まりだすと、ぼくは二杯目の珈琲を飲む。そして夜まで話すのだ。いつも哲学っぽいテーマで話していた……。
夕方になると、マスターが気をきかせて雑炊みたいなものを作ってくれた。これは無料。
一日に一度は、中山ラビの曲をリクエストした。

こうして、ぼくらのグループが一本のテーブルを占領していた。
もう一本のテーブルでは、白っぽいラフな服を着て、虚ろな目でふわふわと存在感がない感じで漂っている数人の細身の男女がいた。腰まで髪を伸ばしていた。ヒッピースタイルというのかもしれない。床には、彼らが齧ったクスリが散らばっている。ラリっているのだ。

やがて、こんな日常に終止符を打つときがやってきた。
マスターが芥子か何かを栽培していたらしく、お上に捕らえられて休業となったのだ。一度再開したと思うが、まもなく廃業した。
考えてみれば、朝から晩までぼくらがテーブルを占領していて、飲み物を二、三杯しかたのまず、しかも無料で食べさせてくれるのだから、喫茶店経営でやっていけるはずがなかった。

こんなささやかなエピソードを書いたのは、数日前に、CD版の『ラビ 女です』(これが一番気に入っている)を聞いたから。……四十年以上も前に聞いていた曲が、今のぼくにどう聞こえるのかと思い、『ラビひらひら』とともに買い求めた。



あの頃の記憶と結びついていている曲ばかりだった。その後のぼくにどんな影響を及ぼしているのか……。
あの頃は、世間的な意味で、堕落していた。が、あの頃の体験は、ぼくにとっては親やイエから解放されるプロセスだった。
ぼくにとってラビの歌は、二十歳前後のぼくが自立していく過程で、深く結びついたものだった……。

月曜担当…池田光



2017年7月9日(日)
「当下」                         日曜担当…八木正典

人あえて当下に休せば、すなわち当下に了せん。
もし個の歇(や)むところを尋ぬるを要せば、婚嫁(こんか)完しといえども、事また少なからず。僧道好しといえども、心また了せず。
前人云う、「如今、休し去らばすなわち休し去れ。もし了時を覓(もと)むれば、了時なからん」。これを見ること卓なり。 (菜根譚後15)


今この瞬間に悪しき習慣をやめようと思えば意志の力でやめることが出来る。今この瞬間に善きことを行おうとすれば意志の力で始めることが出来る。最近、心の力について尊敬する多くの方からアドバイスを頂き学ばせていただいておりますが、思いの力、心の力は素晴らしいものです。頭が勝手の色付けした、制限したものを取り払い、この一瞬、一瞬を大事に、今この瞬間を生きていたいと思うのです。

日曜担当…八木正典



2017年7月8日(土)
昼夢                           土曜担当…佐々木秀彦

「計画的に」という言葉はよく聞きます。今、僕の住んでいるマンションは大規模修繕工事の真最中なのですが、この修繕工事が進行しているのを肌で感じる状況で、この「計画的に」という言葉を再考してみたくなりました。
通常分譲マンションは、建築されてすぐ長期修繕計画を策定し、その計画に沿って改修工事を進めていくことになります。初期段階の長期修繕計画では通常35年ぐらいの計画を策定している場合が多いかと思います。
不動産業に携わる僕は、不動産購入時に、この35年の計画は遥か未来までの計画と認識される方が多いことを感じております。しかし、35年程度の計画は実は目先最低限の修繕計画であるのが本当のところなのです。

植物の種を蒔く時、まず土を整備します。相応しい季節に種を蒔き、適正な水分を補給し雑草や害虫に対処しながら、育てます。すると然るべき時になると花や実がなる。実に計画的な作業を遂行することとなります。建物も同様で、鉄やコンクリートの経年劣化は予め予測できることから計画的に修繕することが効率的なわけです。

仕事においても新規開拓をすることを「種を蒔く」と表現する営業マンは多くいます。営業は人間関係を形成することも重要なので、おそらくこんな表現となるのだとは思いますが、実は営業マンではなくても人間関係形成においてはやはり植物を育てるのと同様な時間や気配りは最低限必要な作業なのではないでしょうか。そしてそれはさらに自分の心を育てるのにも同様な作業が必要だと僕は考えます。

伝習録の死生の道という中に、「昼夜を知れば即ち死生を知らん」と先生が言ったので弟子が「昼夜の道」を問うと「昼を知れば即ち夜も知ることができる」との返答に対し「昼は当然知っている」と弟子が言ったところ、「一呼吸の間にも心を養い、一まばたきする間にも心を存するに努めて、この心が常に光明となり、天理一息の間断ない状態にあってこそ、やっと昼を知ったといえるものである」と先生は言い、弟子はまだまだぼんやりとして昼夢を見ているような生き様だから、死生を問うてみても理解できるわけないと話したというような要旨の項がありますが、この昼夢ではない状態にするには、計画と実行なのかなと感じるわけです。

小さな計画…今日の昼はパンにしよう、今夜は少しゆっくりお風呂につかろう、3時になったらコーヒーを飲もう、等々小さな小さな計画とその実行が、昼夢ではないことなのかなと思う訳です。これが5年後10年後35年後と広がれば「死」まで到達する。「死」が計画に入ったなら「生」が明確になってくるとここだけ書くと急にぼやけて見えたりもするのですが、小さな小さな計画の中にが住居の長期修繕計画や8年10年収穫まで年月を要する植物を植えたりして、長期的な小さな小さな計画に取り入れれば、昼夢解消に大きな助けになるのではないかと、修繕工事を眺めながら感じたりします。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年7月6日(木)
“あげる”と“もらう”                  木曜担当…西端努斗夢

「お手伝いをしてあげる」と「お手伝いをさせてもらう」など、「○○して“あげる”」と「○○させて“もらう”」という言い方があります。
どちらも同じことをするのですが、○○して“あげる”と、エネルギーを与えてだんだん元気がなくなっていくそうです。
反対に、○○させて“もらう”と、どんどんエネルギーをもらって元気になっていくと誰かが言っていました。
“あげる”と“もらう”、単なる言葉遊びだと考えられなくもありませんが、恐るべし言葉の力! 侮ることはできません。

木曜担当…西端努斗夢



2017年7月3日(月)
無題                           月曜担当…池田光

■1
藤井聡太四段の連勝がストップしました。都議選では小池さんの大勝となりました。昨日は歴史が動いた一日でした。

すっかり忘れていたのですが、「そういえば、息子も将棋少年だった時期があったね……」と家内と話しているうちに、すこし思い出したことがあります。

・幼稚園の頃の息子に将棋のルールを教えたのは、ぼくです。が、10局ほどの勝負で息子に勝てなくなりました。ぼくの代わりに息子は、将棋が強かった祖父と毎晩のように差すようになり、祖父(ぼくの父。アマチュア4段)は喜んでいたと思います。

・中学一年のとき、息子が商品券を持って帰りました。わけを聞くと、学校帰りに加古川の将棋倶楽部に何度か通っていたらしく、そこで優勝して商品券を副賞としてもらったのです。しかし学校帰りに寄ることは校則にも反していることから辞めることになりました。

・高校一年のとき、学校から送られてきた学園誌に息子の名前があり、記事を読むと高校生の兵庫県将棋大会で2位になり、表彰されたとありました。学園誌で初めて息子が学校の将棋クラブに入っていたことを知りました。
3位までが関西大会に出場できるのですが、息子は遠いところに出かけるのがイヤで辞退したと言っていました。4位が息子の友だち(将棋クラブの仲間)で、繰り上げで関西大会に出場できた、と喜んでいたそうです。
ちなみに、1位と3位は灘高の生徒で、息子が通っていた高校と灘校が上位を占めていたようです。どうも息子にとっては、将棋は遊びの一つに過ぎなかったようです。だから、このレベル(将棋の強い田舎のおっちゃんレベル)で終わったのでしょう。

■2
ぼくのオヤジは、将棋だけでなく、囲碁もアマチュア4段で、いろいろ勝負事が強かった人です。
(写真はオヤジが愛用していた脚付将棋盤です。戦後まもなく、物資が少ない頃、友人の職人が作ってくれたものだそうです。盤の目の線の引き方は、真剣の刃に漆を塗って一気に一本線を引くのだと聞きましたが、オヤジはその作業を見ていてハッと息をのんだと話していました。)



そのオヤジに、ぼくは小学生低学年だった頃、花札でコテンパンにやっつけられました。正月の三が日を徹夜のように勝負して負け続け、ぼくはこの日を境に、一切のバクチのような勝負事をしないと心に誓いました。
以来、パチンコも、麻雀も、競馬も、競輪も、宝くじもまったくしたことがありません。
(注:宝くじは、サラリーマン時代、職場のみんなで運だめしで買いましょうということになり、お付き合いで一回だけ買いました。)

その代りにぼくがやったことは、「自分が勝てるルールを作って一番になる」ことでした。

既存の土俵のなかで一番になるのは、ナンバーワン戦略です。
これに対して、自分が有利になる土俵そのものを自ら作って、そのなかで一番になるのはオンリーワン戦略です。
企業でも、ニッチなマーケット=土俵を自分で設定し、そのマーケットで一番になる戦略は、オンリーワン戦略だと言えます。

サラリーマン時代に、ぼくの上司だった副社長から、「池田はずるいな。自分で土俵を作って、そこでいつも一番になっている」と言われたことがあります。裏から見れば、これは褒め言葉でもあり、そんなやり方を買われて経営企画室に異動になったこともありました。

■3
オンリーワン戦略は、弱者の戦略だと思います。
ことわざに、「鶏口となるも牛後となるなかれ」というのがあります。
これは、大きな集団の中でビリでいるよりも、小さな集団であってもトップとなって生きようということです。

集団を「土俵」に置き換えると、大きな土俵の中でビリに甘んじるのではなく、小さくても自ら土俵を作ってトップとなることであり、これがオンリーワン戦略です。

しかし、昨日は歴史が動きました。
都議選では、ビリがトップになりました。既存の土俵の中では、トップが圧倒的に有利なのですが、そこを覆しました。弱者がナンバーワンになったのです。
藤井聡太四段の連勝は止まったものの、連勝記録のトップとなりました。

トップとなったのには、理由があると思います。
都議選にしても、藤井聡太四段にしても、いくつかの要因が思い浮かびますが、それはそれとして、弱者が確実に勝てるのがオンリーワン戦略です。
オンリーワン戦略では歴史は変わらないかもしれません。が、ぼくはオヤジからコテンパンにやっつけられてバクチをしないと誓ってから、確実な一手を差す生き方に楽しみを見出しています。

■蛇足
ぼくはカラオケを57歳から始めました。
それまでは大のカラオケ嫌いで、逃げ回ってばかりいたのですが、57歳が転機となりました。

ところで、カラオケには、点数を出したり、みんなで競い合ったりする機能があるようですが、ぼくはこれが大嫌いなのです。
たぶん勝負事を避ける上記のトラウマがあるためでしょう。

カラオケでは、ぼくは歌を楽しみたいのです。歌の気持ちを感じたいのです。
上手に歌うことよりも、気持ちよく歌い、音程を大きく外すことなんか恐れず、歌の気持ちを感じたいのです。

音痴でいい、自分のルールで楽しみたいという、そんな気持ちでいます。これも、ぼくにとってのオンリーワンのあり方です。
いろんなところに、自分が出るなあと思っています。

月曜担当…池田光



2017年7月2日(日)
「六然講座」                      日曜担当…八木正典

7月の第二回六然講座に参加してきました。
佐々木先生、富樫先生、池田塾長の「発信」をテーマにした講義で、多くの新たな気づきを得ることが出来ました。
佐々木先生からは、明治時代の有名な著者である新渡戸稲造、福沢諭吉、中村正直の紹介により「発信」に対する背景、取組を説明いただき、湧くわく本心塾塾則により発信する方向性の重要性を解説してもらいました。
最後に佐々木先生の出版に対する熱い思いともにミニブックをいただきました。佐々木先生の人柄が溢れる文章を楽しく、面白く読ませてもらいました。
冨樫先生からは、自身のブログ配信の経験を踏まえての「発信」の考え方を教えていただきました。15年間もブログ(当初はブログという名前すらなかった)を続けられているだけあって
深い経験に裏付けられた内容で見事な講義でした。「いい話は3日以内に5人にしゃべる」はすぐに取入れていきたいと思います。
池田塾長からはご自身で数多くの出版を通じて考えていること教えていただきました。
『受ける側が自身で内面に在るものに気づくための「鍵」を渡す』という考え方には非常に感動するものがありました。
お三方からの講義を通じて、自分が普段発信していることに関して何が不足しているのか振り返ることが出来ました。自分では気づけない思考を教えていただき本当にありがたいことです。これから自分が一体何を誰にどの方向性で発信するのかを改めて意識しながら活動していきたいと感じております。

日曜担当…八木正典



2017年7月1日(土)
藹然                           土曜担当…佐々木秀彦

六然訓の2つ目が『人處藹然』
安岡正篤師の解説では「人に處すること藹然。藹然は草木のよく延びるさま。それよりして人に対してなごやかにのびのび感じさせること。」とあります。
素直ややわらかという印象を相手に感じさせるように、人に対しては接していくべしという感じなのでしょうか。素直でいる、やわらかでいる、という自分基準・自分完結ならなんとか達成も目指せるでしょうが、自分完結ではなく、相手に感じさせる次元まで引上げてこそ初めて価値があるというのもなるほど、当然と言えば当然です。

今日が第2回六然講座の開催日で、テーマが「発信」です。個人が何かを誰かへ発信するという時も、この『藹然』は大きなポイントになります。発信する時、一番気をつけなくてはならないことは、相手にどう伝わるかです。「好きです!」と言って、相手がどう受け取るのか…?ロマンチックなムードになってから呟けば恋愛の意味と受け取るでしょう。お店で勧められた商品を買ったとき店員から言われれば、ありがとうございますの意味と受け取るでしょう。初対面でいきなり言われたら個性的な人と受け取るでしょう。そう同じ言葉でも受け取られ方は星の数ほどあるものです。

素直と感じさせることに偏重すると、経験が浅いという印象を与える可能性も大きくなります。やわらかに偏重すると日和見的と感じる人も出てくるでしょう。そんなふうに考えると『なごやかにのびのび』という言葉は、偏重し難い、噛めば噛むほど良い表現だなと感じます。

藹然を辞書で引くと①雲・霞?(かすみ)?などがたなびいたり、もやが立ちこめるさま。「―たる暁霞?(ぎょうか)?」②気分などが穏やかでやわらいださま。と出てきます。辞書の意味は解り難いですが、「和気藹々(わきあいあい)」という言葉や、草木がこんもりと茂った様を「藹藹(あいあい)」という使い方を並べたらなんとなく意味は見えてきます。辞書的にはきっとそんな感じなのでしょう。

湧くわく本心塾の塾則第3条の実践項目に『善い言葉を語る』という項目があります。これを実践するためにも『人處藹然』は強く意識したいものだと感じました。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年6月29日(木)
感受と求感                       木曜担当…西端努斗夢

何かを見聞きして感じる受動的な力と何かを求めて感じる能動的な力を比べたら、能動的な感じる力の方が強いです。
学問もそうだと思います。ただ、受け身で学ぶのと何かを求めて学ぶのでは、得るものに大きな差が生まれます。
子供の頃から学問は苦手で好きだとは言えない私ですが、これからも真理や真実は求め続けていきたいです。

木曜担当…西端努斗夢



2017年6月26日(月)
無題                           月曜担当…池田光

谷川徹三(1895~1989)という哲学者がいますが、若い頃の写真を見ると大変整ったお顔立ちをされています。
いまは、谷川徹三といっても知らない方が多いかもしれませんが、詩人の谷川俊太郎のお父さんです。

谷川徹三は通人でもあり、彼が絵付けした茶碗などを始め、幾点かを持っているなかの一つが、長いあいだ事務所の壁に掛けていた色紙(写真)です。



「人間とは常々人間になりつつある存在である」(谷川徹三)
と書かれています。
この色紙の一番目の「人間」と、二番目の「人間」とは、同じ文字ですが意味は違っています。

一番目の「人間」とは、いわば「生物として、この社会に生まれた人間」でしょう。
二番目の「人間」とは、「社会で認められた人間存在」、さらには「人間としてのあるべき姿=理想像」でしょう。

■思想を選択する
人間としてのあるべき姿は、思想によって変わってくると思います。
仏教なら、仏性を顕現した人。
儒教なら、聖人。
天風哲学なら、絶対積極の人。
といったように……。このように、あるべき人間像とは相対的なものです。

さしずめ、ぼくの場合は天風哲学における理想的人間になろうとしているわけです。
どんな思想を選ぶにしろ、その思想が描く理想像に向かって人は学びを深めていくことが大切だと思います。
つまり、
① いかなる思想を選ぶか……これを自らの責任において決定し、
② 選んだ思想のなかで自らを磨いていく
ということだと思うのです。

【注1】どんな思想に出会うかは、たぶんに偶然によるでしょうが、これを必然にするのが「自らの責任において決定する」という作業です。

【注2】「普遍的・絶対的な理想像としての人間」というものがあるのでしょうか。そんなのは幻想だと考えたほうがいい。最初からここを期待したら、何者にもなれないような気がします。

■内なる本来性の顕現
別の角度から、二番目の「人間」を考えてみましょう。

たとえば楡(にれ)の木に喩えると、一粒の楡の種が立派な楡に育つことが、「樹とは常々樹になりつつある存在である」ということでしょう。
ここには、思想などの介在する余地はありません。
自らの内に、本来性が具わっており、これを現実化させるだけです。

人間も同様に、本来持って生まれた「人間性」を現実化させることが、「人間は常々人間になりつつある存在である」ということかもしれません。

こう考えると、外部にある思想は、内なる人間性を開発するための触媒になるわけです。

若い頃に求めた「人間とは常々人間になりつつある存在である」の色紙は、もう充分にぼくを楽しませてくれました……、ので、そっと手放すほうの箱に入れることにしました。

月曜担当…池田光



2017年6月25日(日)
「直心」                         日曜担当…八木正典

宝積、まさに知るべし。直心はこれ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、諂(へつら)わざる衆生、その国に来生す。

松下幸之助の言葉に次のものがあります。
「素直な心とは、何物にもとらわれることなく物事の真実を見る心。
だから素直な心になれば、物事の実相に従って、何が正しいか、何をなすべきかということを、正しく把握できるようになる。
つまり、素直な心は人を強く正しく聡明にしてくれるのである。」

心の在り方についていろいろと書籍を読みながら学んでおりますが、気が付くといつの間にか見方が偏ってくるのを感じます。
長期的、多面的、根本的に物事を捉えるべきだと思いながら、なかなかそうはいかず一つの見方に執着してしまうのです。
そんな時には決まって素直に見るという原則に戻って、物事の捉え方を変化させようとしています。
複雑に見える事象をシンプルに、より平易に考えるという姿勢に立ち戻り、心が生みだしているものを丁寧にひも解ける様に日々工夫をつづけていきたいと思うのです。

日曜担当…八木正典



2017年6月25日(日)
祖先                           土曜担当…佐々木秀彦

僕の本籍は長崎県の五島列島にあります。さらに過去の戸籍まで遡ってみても、明治維新で現在の戸籍ができた当時から現在の僕の本籍地に祖先は在住していたことが確認できます。

長崎には壱岐古墳群という国の史跡があります。長崎県内に古墳の数は500以上、その約半分は壱岐・対馬・五島などの離島にあります。埋葬されているのは壱岐氏関連か、ヤマト朝廷が新羅交渉に重用した人物等の諸説がありますが、特定されていません。僕は大阪在住ですので、大阪の古墳の常識から見て、地方豪族の首領レベルなら古墳埋葬もあるでしょうが、250という数があることは、かなりロマンを感じます。研究したら面白い領域ではないかと思います。
さらに先史の遺跡も数多くみつかっており、古墳時代以降の遣隋使、遣唐使の航路として五島があったことは万葉集でも登場しています。
五島列島という名前なのではありますが、実は大中小合わせると数えきれないぐらいの多くの島がリアス式海岸に複雑に入り組んでいるという天然の要塞軍港のような地形です。
倭寇の基地であったという説もありますのも、五島の島を訪れれば納得できる海岸線を目の当たりにできます。

六方拝を僕も毎朝水垢離の時にしておりますが、東が祖先という認識です。実は五島は大阪の西方向にあるのですが、そこはまあ拘らないということで、まず祖先があります。祖先の数は凄い数になるということは皆様もご存知かとは思いますが、誰でも親が2人、祖父祖母で4人、曽祖父曾祖母が8人、その先代が16人、その先代が32人、ここまで5代だけで合計62人の直系祖先。20代前まで遡ると100万人以上の直系祖先がいるという現実は凄いことだと思います。5代でアバウトですが明治初期、20代先というと室町時代中期あたりの祖先という感じでしょうか。脈々と続いている人間の命の連鎖は感謝でしか表現できないことだと思います。仮に20代100万人の直系祖先誰一人欠けても、今の自分はこの世に存在しない訳ですから…

20代先の室町中期辺りの五島列島は宇久氏によって五島統一がなされたという時期だそうですが、その後も様々に所属に関しては紆余曲折があって、平成になっても一部が佐世保市に編入したという変化を起こしております。この変幻万化の時代の移り変わりの中での祖先の胎動が僕の遺伝子に組み込まれている訳です。

そしてこれは誰もが同様で、それぞれの20代100万人以上の祖先の遺伝子がそれぞれの身体に備わっているからこそ、今こうして出会ったり、話をしたり、恋愛したりできるというのが凄く面白いと感じる今日この頃です。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年6月22日(木)
ビジネスパートナー                  木曜担当…西端努斗夢

 アメリカメディアのFOXスポーツが、「イチローが怒り任せにバットを叩きつけない理由を説明」という見出しで、イチロー選手が道具を大切に扱うことを記事にしていたそうです。

 まるで生命が宿っているかのごとく道具を大切に扱うことについて、日本人ならわからないこともありませんが、欧米人から見れば不思議なことなのかもしれません。

 私は、生き物に限らず、物質はすべて意識と意志を持っていると思っています。

 こうしてブログを書いているパソコンも、仕事でお世話になっている機材も、私にとっては大切なビジネスパートナーです。

木曜担当…西端努斗夢



2017年6月21日(水)
夏至にて                        水曜担当…冨樫功

6月21日は夏至。

一番日が長い日です。
これから折り返して日が短くなっていきます。


空梅雨っぽかったのですが、
ようやくたくさん雨が降りました。


まさに恵みの雨なのかもしれません。


ところで、
日の長さ、短さのピークと、
暑さ、寒さのピークには二か月ほどのタイムラグがあるようですね。


この理由がすぐにイメージできない当たり、
理系が苦手なせいなのか、
天文学に疎いせいなのか。


朝4時過ぎには明るくなって、
20時頃まで明るいこの季節と、
7 時くらいまで暗くて、
17時には暗くなる12月では活動できる時間も変わってきます。


その中で、
おそらく人間だけが、
一年を通じて毎日同じ時間だけ働いたり、
勉強しているのだと思います。


人間の自然な、ありのままの生活。
本来の生活ってどんなものなんでしょうか。

水曜担当…冨樫功



2017年6月20日(火)
病や不運を「生き方を変えろ」という警報と考える  火曜担当…柿原まゆみ

病がでたり、不運が来たら
あっ、これが人間と生まれながら人間らしく生きていない第一警報だなと思え
 病だけでなく、運が悪い時にも、同様の問いかけをします。
すると、必ず、何らかの答えにたどりつくはずです。
生き方を変える機会にする
              中村天風打たれ強く生きる100の言葉より


病気をしたお陰でさまざまなことに感謝できるようになりました。

お水を飲めること
ごはんをおいしくいただける事
好きな場所に行ける事
美味しくお酒を頂けること
仕事ができること
睡眠がとれること

病気をする前は「当り前」だったことが病気をすると当り前が当り前でなくなる。
だから回復してきたらありがたいと感じます。

「病気で人生観が変わる」とよく言われましたがその通りです。

以前はお付き合いだから「行きたくないなぁ~」と思いながら
お誘いには、ほぼお断りをしないで参加をしていました。
しかし今は、「行きたい」と思わなかったらお断りをしています。

食事も一層気をつけるようになりましたし、頑張りすぎて無理をすることもこうあるべきだと考えるのもやめて楽になりました。
病気をしたおかげでスリムになりおしゃれを楽しむことができています。
「似合ってる~」と言われると嬉しい気持ちになります。


病気前より「嬉しい」「楽しい」「ありがたい」「幸せ」と思うことが増えました。
そして自分を大切にすることが増え、神様が教えてくれた警報に感謝しています。

火曜担当…柿原まゆみ



2017年6月19日(月)
無題                           月曜担当…池田光

明日、6月20日は、19時から梅田で講演をさせていただきます。
テーマは、「人生の節目で「中村天風」が教えてくれたこと」。
以下のような内容を話す予定です。

■1(講演内容)
37年も天風道を歩んでいると、①青年期、②中年期、③現在の老年期というライフステージに応じて、心に響いてくる天風先生の教えは違ってきます。

【第1の節目】青年期に響いた「目標達成法」
20~30代のときに、天風先生の教えでいちばん心に響いたのは、目標達成法でした。
青年期の課題は、社会における自分のポジションをつくることでしょう。
そのためには、なりたい自分を描き、これに向って努力することですが、ぼくは天風先生の方法を用いて、当時の目標をクリアすることができました。

【第2の節目】壮年期に響いた「問題解決法」
38歳で独立し、経営コンサルタントになったぼくは、順調な滑り出しをしました。
が、一年半後に阪神淡路大震災に遭い、神戸市で起業していたぼくは地元のクライアント企業とともに被災し、仕事の半分が無くなりました。
なんとかしなければと焦っていたときに、天風先生の言葉がよみがえってきました。
「失望や落胆をしている気持ちのほうを顧みようとはしないで、失望、落胆をさせられた出来事や事情を解決しようといるほうを先にするから、いつでも物になりゃしない」(中村天風『心に成功の炎を』)
この言葉が教える「まず、心の問題を解決する」という問題解決法で、ぼくは被災の危機を脱することができました。

【第3の節目】老年期で響いた「死生観」
還暦を迎えたとき、ぼくの課題は、納得できる死生観を持ちたいということでした。
人は、大海にも喩えられる「大生命」から分派(誕生)した一滴の水です。この水が大海に還元(帰霊)するまでの一生を、できるかぎり強く、長く、広く、深く生きようというのが天風先生の教えです。
そのためには、「生きる力」(六つの力の発揮)が大切です。
人は過度に怒ったり、恐れたり、悲しんで感情に振り回され、心が閉ざれることがあります。そうなると、生きる力は萎縮してしまいます。
そうではなく、明るく、溌剌颯爽とした日々を送っていると、人は天と通じて、天からまるで太陽の光がさすようにエネルギーが注がれるものです。

■2
以上のような話をする予定です。
明日の講演会を企画してくださったのは、湧くわく本心塾の平松悦子さんです。
平松さんには、3月にも、なにわロータリークラブでの講演会を企画していただき、感謝しています。
その際も、同じテーマで話しました。
というか、このテーマはいろんな年齢層に対応しやすいので、スポットの講演会のテーマは、ほぼこれ一本で行っています。

ふり返ると、ぼくが30代後半のときに、中村天風の大ブームがやってきたのでした。
このブームに乗って、ぼくは二冊の文庫本を出版するや、各所から講演依頼がありました。
若かったぼくは走り回りました。そして、ぼく自身がブームの火付け役の一人になっていました。

あれから20数年。
ブームの頃に解説書を書かれた方の多くは、かなりの老齢か鬼籍に入られ、今も天風先生のことを出版しつづけているのは、ぼくだけになりました。
これからは、静かに、ゆっくりと、天風哲学の総まとめをする予定でいます。

月曜担当…池田光



2017年6月18日(日)
「フロー」                        日曜担当…八木正典

ある方から「フロー」に関する話を聞き、興味を持って少し学んでおります。

「フロー」とは、自分自身の「心理的エネルギー」が完全に今取り組んでいる対象へと注がれ、他の事はどうでもよくなるほど、また時間を忘れて、ひたすらそのことに没頭し素晴らしい高揚感に包まれている状態のことをいいます。
目標が明確で、迅速なフィードバックがあり、そしてスキルとチャレンジのバランス取れたギリギリのところで行動している時に自分の意識が変わり始める。そして、その意識で行うことをなんでも楽しんでいる間にその人は絶えず成長し続けるのです。

没頭と集中をもって自分の人生と向き合う。
今の自分の目標と照らせ合わせながら、新たな取組みとして「フロー」の考え方を取り入れていきたいと思うのです。

日曜担当…八木正典



2017年6月17日(土)
余裕                           土曜担当…佐々木秀彦

初めて大坂城の天守閣へ昇りました。
山口県から知人が来阪し、行きたいと言うので案内しました、毎日見てる大坂城ではあるのですが、機会がなくて昇ったことがなかったのです。京都人の京都タワー、東京人の東京タワーと同様に大阪人も大坂城には、なかなか行く機会が無いのが面白いところです。

天守閣から眺めると、あらためて大坂城は敷地が広いなと感じました。徳川時代は現状より更に広く府庁、NHK、難波の宮、キューズモール辺りまでは間違いなく大坂城だったわけです、現実はそれ以上の敷地だったはずです。現代は自治体が所有する土地が実質目に見えて活用されていないと、無駄だ無駄だと世間からバッシングされますが、豊臣、徳川の時代、自動車も戦車も戦闘機もない時代にこんな敷地を確保している大坂城というのはあらゆる意味で難攻不落なお城だったと感じます。

車のブレーキにはアイドリングがあります。野球のバッテングでも力を抜いてタイミングを取りインパクトの瞬間から力を入れます。男女交際でも最初から全力で想いをぶつけると、ほとんどの場合相手は引きます。つまり外濠というか、沿岸というか、余裕というのはすべてにおいて必要だと思います。

天守閣から街を眺めている間、優しい南風が僕たちを包んでくれました。この南風は豊臣時代も、徳川時代も同じ風が吹いていたのだろうなと感じました。この南風に乗れば京都へ行きつくはずです。そんなことを秀吉もきっと思っただろうなどと考えながら、ゆったりした気持ちをもっともっと大切にしていこうと決意しました。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年6月15日(木)
わかっちゃいない                   木曜担当…西端努斗夢

人は何かを失ってはじめてそのありがたさに気づくと言われていますが、その通りだと思います。

元気な時は、駅や公共施設などもバリアフリーがずいぶん進んだものだと思っていました。しかし、まだまだバリアフリー化が十分でないところが多いことは自分が痛い目に遭わないとなかなかわからないものです。

わかったつもりでいるのは、自分だけ。バリアフリー化に限らず、天から見ればわかっちゃいないことがいっぱいあります。

木曜担当…西端努斗夢



2017年6月13日(火)
くよくよしたらプラスの自己暗示をかける。    火曜担当…柿原まゆみ

笑うから楽しくなる。嘘でもいいから笑って下さい。
人は自分にプラスの暗示をかけることで前向きで楽しい生き方を選ぶことができます。
くよくよしてきたらいつでも笑ってみましょう。
きっと楽しくなり、くよくよした気分を笑いが吹き飛ばしてくれるはずです。

       中村天風  打たれ強く生きる100の言葉より


人間だから落ち込むことはあります。辛いこと、悲しいことが無い人はいません。
「嘘でもいいから笑う」は
脳内に分泌されるホルモンが影響あると言われています。
笑うとエンドルフィンというホルモンが分泌されて
「幸せな気持ち」になれます。また笑うことでドーパミンも分泌されます。


ドーパミンは、やる気やプラス思考を高めてくれるホルモンです。
だから嘘でもいいから笑うとプラス思考になるのです。

「嘘笑い」が難しい時は本当に笑うことができることをしています。
ウルフルズさんの『笑えれば』はまさに天風先生のお言葉そのままです。

以下「笑えば」

とにかく笑えれば 最後に笑えれば
情けない帰り道 ハハハと笑えれば※

子供の頃から同じ 同じ夢ばかりを見て
だけど今になって 大人になって 立ち止まったりして
すべてがうまく行くはず そう信じているのに
なぜかあせって グラついて ジタバタするけど

とにかく笑えれば それでも笑えれば
今日一日の終わりに ハハハと笑えれば・・・

元気になる音楽を聴いたり、お笑いの方々の動画などを見て
笑う。また楽しい話をされる明るい方に逢うなどが、効果があるように思います。

火曜担当…柿原まゆみ



2017年6月12日(月)
無題                           月曜担当…池田光

池田亀鑑著『古典学入門』(岩波文庫)を読みましたが、とても勉強になりました。

私たちは、なぜ古典を読むのでしょうか。
また、古典から何を学ぼうとしているのでしょうか。
この本には、こうあります。
「古典から学びとろうとするものは、古典のもっている新しい生命であろう。」と。

はるか昔に書かれた古典には、現在も学ぶことができる「新しい生命」が宿っているというのです。
では、その新しい生命とは、何でしょうか。
「『近代』であろう。」
そう、書かれています。

書かれたのは大昔なのに、古典には「近代」が宿っている……、どういうことでしょうか。
どんな作品も時代の産物です。と同時に、時代を突き抜けた部分があります。
古典もやはりその時代において生まれました。ですが、その時代の表層に埋没しなかったのが、古典です。

どの時代であっても「近代」が読み取れるとは、普遍性があるということかもしれません。さまざまな時代環境のなかで読まれても、古典がもつ普遍性は「近代」として、いつもその時代の要請に答えて続けているのでしょう。

月曜担当…池田光



2017年6月10日(土)
音読                   土曜担当…佐々木秀彦

心力歌を音読するとすごく読み易いことに驚きます。
暗誦するために作られた文章なので至極当然と言えばそうなのですが、黙読した時の難しい印象とのあまりの違いに肩の力も抜けてしまします。

嫁の実家の法事に来ていただく住職は、お経の本を作ってその本を見ながら参列者も一緒にお経を唱えるという法事をされます。少し大きめの活字で印字されていて、文字の横に強弱と長さがわかるように符号をふってある住職オリジナルの本です。お経を一緒に唱えることで何かキチンと法事に参加した清々しさが残ります。

先日の冨樫講師の六然講座で祝詞の大祓詞をみんなで一緒に読んだ時も、みんなで一緒に声を出すからこそ感じる空気がありました。

4才のチビスケは絵本や紙芝居が大好きなので、僕もよく読まされます。それを聞いたチビスケはお人形を相手にその絵本や紙芝居を読んで聞かせます。けっこう僕の読んだ調子や間がそのままなので面白いなと感じます。同じ本を2回目読む時に前回と違う調子で読むと、「違うし!」とダメを出されることもあります。

小学校の頃、「歌詞」という文字をみて、なぜ「歌詩」じゃないのだろうと思った記憶があります。今解決しました。「うたことば」だから「歌詞」なんですね。詩に曲をつけて歌うのではなく、最初から唄うために創られた言葉であるなら「歌詞」となって当然です。

イメージですが日本の戦前の教育は教育勅語も論語も声に出して暗誦出来るところから、さらに声に出して身に着けていくという手法が基本だったのではないかなと思います。
今でも小学校の一年生ではあいうえおも九九も声に出して身に着けるということでかろうじて残っていますが、それ以降の授業は聴くことが中心となっているため、受験が終わると忘れてしまうのかと感じたりします。共通一次世代の次の新人類と呼ばれた僕の世代が社会に出たときに、諸先輩方から散々「今時の子は…」とご指摘をうけましたが、僕らの頃の諸先輩は戦前戦後の学校教育を受けた方々だったので、聴講中心の学校教育を受けた僕らにかなりもどかしさを感じたのだろうと、今頃になって気づいたりします。

日本語は言霊なのです。声に出して読むということを大切に心がけていきたいと思います。

土曜担当…佐々木秀彦