| 2014年3月31日(月) |
| YB君の形見分け 月曜担当…池田光 |
|
ドイツの哲学者フードリッヒ・シェリング(1775-1854)の対話編「ブルーノ」の翻訳原稿が送られてきました。
分厚い手書き原稿です。
200字詰め原稿で、約800枚弱。
一冊の単行本ができる量です。
訳者は、大阪大学名誉教授の茅野良男氏です。
この翻訳原稿は、『世界の名著 フィヒテ・シェリング』(中央公論社)に収められています。
僕は、自筆原稿が大好きで、著者がたんねんに綴った自筆の原稿を読むと、なんだか著者と直接的な交信をしているように思えるのです。
書き綴って、削除して、書き加えて……。
こうして出来た原稿には、頭が下がります。
この原稿の束を持っていたのは、一昨年前に亡くなった、僕の親友のYB君です。
彼は、この原稿を自室に置いていたそうです。
古本屋のYB君のことは、先週のブログにも触れましたし、何度か書かせていただきました。
この原稿は、「YB君を偲ぶ会」でお会いした古本屋さんから、「形見分け」として送られてきたのでした。
届いた原稿を手にしたとき、古本屋さんの温かさと、亡くなった友の意思のようなものが感じられ、しばし言葉を失いました。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2014年3月28日(金) |
| 二度とない人生 二度とない「いま」 金曜担当…小笹正洋 |
|
以前にご紹介しました、大阪市内の古本屋さん「青空書房」の店主
坂本健一さんからの学びです。
①助平は大切。色気は必要。
(卑猥な意味ではなく、魅力的な人でありたいですね。
そのためのエネルギーは必要ですよね。)
②プロのストリップの女性を見ていても、一生懸命にお客さんを喜ばせようとして
裸になっている踊子もいれば、お客さんを小馬鹿にしたような目をしている踊子もいる。
どんな稼業でもお客さんを喜ばす事を忘れたらあかん。
(仰るとおりで、生きていく上で人を喜ばせることが最上の使命ですよね。)
③嘘をつかない人はいない。ただ、自分に嘘をついてはいけない。
(自分の本心、心の声に素直になれる生き方をしたいですよね。)
④「過去論」という考え方があって、今この瞬間がすべて。
すべてが過去。今この瞬間も実はもう過去。
過去を悔やむより、いまを大事にする。
未来のためにいまをいきる。
(いま、ここ、自分に意識を集中させることを改めて自覚させて頂きました。
瞑想により、雑念妄念を取り除き、無念無想、三昧境への覚醒をしていきます。)
⑤偉い人や有名な人の書いた本より、波乱万丈の人生を経験している人の
小説を読んだ方が良い。
例えば、山本一力さん(山本さんと坂本さんは心友)のような。
自己啓発書なんて読まなくて良い。ビジネス書の内容も嘘が多い。
(確かに、ビジネス書やノウハウ本を読んでも、その場ではなるほどと思っても
心がワクワクしないんです。これは、著者が悪いわけじゃないんですけどね。)
そんなやりとりの中で、最初にご推薦頂いた書物は。。。
それは、次回にご紹介してみたいと思います。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2014年3月27日(木) |
| 幸せを実感する方法 木曜担当…西端努斗夢 |
|
「今、あなたは幸せですか?」という問いかけられた時、皆さんは何と答えますか?
私は、即座に「はい、幸せです」ときっぱり言い切ります。
なぜなら、いつでも幸せを実感することが可能だからです。
では、どうやって幸せを実感するのか?
私の方法をご紹介します。
1.まず息を止める
2.苦しくなるまで我慢する
3.これ以上我慢できないところまで来たら息をする
普段、無意識に呼吸していますが、空気を吸えることがどれだけ楽で幸せか実感できます。しかも、空気はタダなのです。こんなありがたいことはありません。
生きていることがラッキーであり幸せだと思います。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2014年3月25日(火) |
| 「育てることで、育てられる」 火曜担当…坂本欣也 |
|
先日、入社前の新入社員研修を実施してきました。
19歳の高卒者から29歳の途中入社の人まで、幅の広い約20名が集まっていました。
大きなテーマは、「理想の人財になる」
学生と社会人の意識の違い、社会人としての言葉づかい、社会人としての振舞い方・マナー。
畳の部屋で立ったり座ったり、立ち姿勢やお辞儀の練習、車座になってのディスカッション。
一日楽しく過ごすことができました。
学生と社会人の意識の違いのディスカッションの中で、
「社会人とは社会に影響力と責任を持つ人である。自分たちが立派で尊敬される人になること、立派な尊敬される人を育てることが社会に対する責任である。立派で尊敬される人ばかりになると、幸福で平和な社会が実現できる。それが社会人として生きる目的使命である」
と皆で話し合い、定義付けました。
若い人達を教えるとき、私自身にとっての学びがより大きいと感じます。
言葉を噛み砕いて、具体的な事例を以て話をする必要が増すので、より考えながら話をするから。
スポンジのように真剣に学び取ろうとする好奇心を持った眼差しに対し、より応えようとするから。
自分自身も基本に立ち戻れ、初志を思い出すことができるから。
初めは学生っぽい表情や振る舞いが多かった受講生でしたが、夕刻の終了時にはシャキッと背筋を伸ばした、精悍な大人っぽい顔つきに変わっていました。
そして、私自身もいつも以上にエネルギーをもらい、背筋を伸ばして帰宅することができました。
人は、育てることで、育てられる。
4月5月と若い人達への研修が続きます。
初志に戻れる、この時期が毎年楽しみです。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2014年3月24日(月) |
| 是ヨリ先ハ夢ノ中 月曜担当…池田光 |
|

先週の水曜日に、
親友のYB君を偲ぶ会がありました。
YB君は古本屋さんをやっていて、
一昨年の末に、仕事場でひっそりと亡くなったのでした。
まだ50代半ばでした。
彼の親友は僕しかいなかったし、
僕にとっても高校時代からの親友は彼だけでした。
この世に彼がいなくなったことが淋しく、
本ブログでも、昨年7月22日、8月5日のブログにそのことを書きました。
冒頭の「YB君を偲ぶ会」を主催したのは、
ある古本屋さんで、その夜は7名が集いました。
5名が古本屋さんの店主たち。
1名が神戸古書店組合でアルバイトをしていたうら若き女性。
そして、僕。
YB君の最後のまとまった本が大学に売れて、
多少の資金ができたらしく、
これをもとにして開催された会なのでした。
嬉しかったのは、
三時間余りの間、ずっとみなさんがYB君のことを話し、
彼を偲んでいたことでした。
僕の知らなかった側面が見えてきました。
彼は古本屋さん仲間のソサエティーで楽しくやっていたようだし、
未来に希望を持っていたことも知りました。
慰められました。
また、古本屋さんのみなさまの温かさみたいなものが伝わってきました。
ですが、まだ半分、彼が亡くなったという実感がありません。
いつでも会えるような気がして、
あの世とこの世の境界が曖昧なものに感じられるのです。
生と死の間に厳然たる境界線が引かれているように感じたのは、
青年期の頃でした。
今では、そんなにはっきりと線引きすることではなかろうと思えるし、
どうも、あの世とは地続きのような気がして、
この世の道を歩いていくうちに薄暗くなってきて、
淋しいところに出たら、
「是より先は黄泉の国」
という標識が立っているように感じられるのです。
……石彫家の川井信一さんの『風のであい』という本に、
「是ヨリ先ハ夢ノ中」
という作品がありました。
そのページと重なってきました。
川井さんの本では、前半部分はこの世の日常が描かれています。
そして、「是ヨリ先ハ夢ノ中」というページを堺にして、
後半部分に夢の世の世界が描かれているようで……
生と死の境界もそのようなものではなかろうか。
そんなふうに思えるのです。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2014年3月21日(金) |
| 読書・・・ 金曜担当…小笹正洋 |
|
湧くわく本心塾の潜学講座が、来期4月より大阪倶楽部で開催できる事となりました。
参加者の皆さんのセルフイメージが大いに高まるような予感がしています。
大正浪漫を彷彿させる華やかさと、威風堂々とした面持ちの建物は、
その存在だけで淀屋橋の景色とマッチしつつ、一帯の雰囲気を
引き締めています。
大阪倶楽部は、日本銀行大阪支店の跡地に、大正3年(1914)9月に竣工。
大正11年(1922)に出火焼失した後、焼失から僅か22カ月後の大正13年(1924)5月に
現在の姿の建物が竣工。
竣工から90年を迎える歴史ある建物です。
さて、大正時代といえば、自分にとって強烈なインパクトを与えてくれた小説があります。
「天切り松 闇がたり」浅田次郎(著)
天切り松と呼ばれる粋なお爺さんが、大正ピカレスクの香りを昭和の時代の刑務所内に
持ち込んで、その侠気と人情の語り部が、囚人や看守たちの心を揺さぶっていくという
お話しですが、何ともいえない人間模様がたまりません。
なぜ、「天切り松」なのかって?
それは、読んでのお楽しみ♪
浅田次郎ファンならずとも、ご一読の価値あり。
大阪倶楽部にご参加の前に、大正カラーに染まってお越し頂きたい次第です。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2014年3月20日(木) |
| 選抜大会 木曜担当…西端努斗夢 |
|
第86回選抜高等学校野球大会がいよいよ明日から甲子園球場で開幕します。
選抜大会といえば、野球だけがメディアに大きく取り上げられていますが、野球だけでなく様々な競技の選抜大会が各地で開催されています。
このうち、私が注目しているのは三重県熊野市で開催される第32回全国高等学校ソフトボール選抜大会です。
岐阜の多治見西、兵庫の須磨ノ浦女子、山形の上山明新館、岡山の創志学園など、これまでに取材させていただき、お世話になった高校が出場しているからです。
ソフトボールに限らず、どの競技も全国大会に出場するチームは、それなりの実力を備えています。まして、勝ち進んでいくチームに実力差はほとんどありません。そこで勝敗を分けるのは、どれだけ勝利の女神様に好かれているかだと思います。
挨拶や感謝の心、整理整頓など、女神様に好かれることを技術以上に厳しく指導しているのが好成績を収めるチームを率いる監督の共通点だと取材を通して感じました。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2014年3月18日(火) |
| 「言葉の力」 火曜担当…坂本欣也 |
|
この日曜日、10キロマラソンを走りました。
奈良県東部の宇陀という山あいの街です。
お天気も良く、美しい風景を見ながらの川沿いのランは、とっても気持ちよかったです。
途中までは・・・。
5キロを過ぎたあたりから、丘陵地帯の道を走ることになりました。
アップダウンが延々とつづく道です。
筋力不足の足が、段々重くなってきて、上がらなくなってきました。
そんな時、心も弱くなってきます。頭もモウロウとしてきました。
少し歩こうか。。。 ここで一回休もうか。。。
そこで、「がんばれ!がんばれ!」「いけるぞ!いけるぞ!」
自分で自分を励ましました。
すると、身体に力がぐんぐん入ったような感じがして、足が上がるようになりました。
なんとかアップダウンを抜け切った時はあと2キロ少し。
町の人たちが道沿いに立ち、大きな声援を送ってくれました。
「あともう少し。がんばって!」「ゴールは近いよ!」
これで最後のラストスパートへの力が、また湧いてきました。
最後の1キロは、一番観客が多いメインストリートです。
見知らぬランナーにも、手をたたいて、温かい声援を送ってくれます。
私は、「ありがとう!ありがとう!」と言い続けました。
すると、疲れは吹っ飛び、最後のラストスパート。
気持ちよくゴールインできました。
記録は48分50秒。
自己ベストは更新できませんでしたが、あのアップダウンを考えると満足の数字です。
それ以上に、改めて言葉の力、自己暗示の力、応援の力を、身体を以て実感できたことが良かったです。
「一隅を照らす」周囲への言葉がけ、日常の中でもっと意識してやっていきたいと思いました。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2014年3月17日(月) |
| 百年生きるとはどういうことか 月曜担当…池田光 |
|
先日、若宮幾馬先生とお会いしました。
南海電鉄・難波駅付近の喫茶店でお話し、
お昼ご飯をご一緒しました。
近く若宮先生の御著書『「詩経」と中国古典』を
湧くわく本心塾から発行するので、
その編集にまつわるお話をさせていただいたのでした。
この本には、序文に、若宮先生の師である、
伊與田覺先生のお言葉をいただくことになっています。
お昼ご飯をとる前に、携帯でお電話していただきました。
私も途中で代わり、
伊與田覺先生に、序文のお願いを再確認させていただきました。
かくしゃくとしたお声で、端的に要点を話される先生。
先生は背筋がピンとされているのですが、
そのお声にも真っ直ぐな「背骨」のようなものを感じました。
とても百歳(数え)とは思えないほどです。
その日の夜、
私は伊與田覺先生宛への手紙をしたためました。
そして、若宮先生の本のゲラとともにお送りしました。
それからしばし、百年生きることとはどういうことかを
考えておりました。
百年生きると、導いてくれる先輩はもうこの世にはいません。
「自分以外はすべて師」という言葉がありますが、
やはり自分より年上の尊敬できる先輩の存在というのは格別です。
もはや、そういう存在がいないとは、どういうことか。
なんとも言えない淋しさのようなものを想像してしまうのですが、
そうなのでしょうか。
伊與田覺先生の危機は、昭和58年の暮れ、
師の安岡正篤先生が亡くなったときに訪れたと思います。
先生は山に隠れ、『論語』を墨筆でお書きになりました。
これが『現代訳 仮名論語』です。
奥様にも一昨年前に先立たれました。
その哀しみは、自分とともに歩んできた親しい同世代がいなくなるということです。
先輩もなく、同世代もなく……。
ただ、後輩たちが慕うという世界とは、どういうものなのでしょうか。
「託す」
このお気持ちは大きいと思います。
現在も講演などで東京にも出かけられ、お忙しいとお聞きしています。
想像するに、一回一回のご講演に
「託す」という祈りがこもっているのではないでしょうか。
しかし、このような状況の中で生きる、
実存的な心境とはどのようなものなのか。
その日の翌朝、私は早く目覚めました。
午前3時過ぎ……。
亡くなった親友や、
今は会わなくなった親しい人のことが夢のような感じで思い出され、
真っ暗な部屋で息苦しくなったのです。
新しい出会いよりも、古い付き合いに親しみを覚える老いのようなものを感じました。
そして、伊與田先生の百年生きるということに、
私はまた、思いを馳せたのでした。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2014年3月15日(土) |
| 調べれば調べるほど…… 土曜担当…浜本美佐子 |
|
今月、日本語表現のセミナーを行うので、あらためて敬語について調べてみた。
いわゆる、「バイト敬語」が間違いだらけなので、その辺りも使って面白いネタづくりをしようと、敬語に関する本を読み漁り、インターネットも探った。
インターネットを検索すれば楽な反面、どこまでが正しいものか信憑性に欠けるため、10種類以上は調べるのだが、調べれば調べるほど、わからなくなることもある。
たとえば「おられる」。
1. 謙譲語「おる」に尊敬語の「られる」がつき、二重敬語で誤りとする説
2. 1で誤りとされていたが、使う人が増えて「市民権」を得たという説
3. 「おる」は尊敬語ではないので大丈夫とする説
インターネットだけでなく書籍も含め、資料によって書いてあることがバラバラで判断がつかない。
調べるにつれ、深みにはまっていく。「こんな説も、あんな説もある」と羅列した上で、個人的見解を述べるしかない。
私は、1と思って、使わないよう心掛けてきたのだか、どうも決め手に欠ける。個人的な意見を述べると、「いらっしゃる」を使うのが、尊敬度も高く無難なのだろう。うーん、敬語は難しい。
土曜担当…浜本美佐子
|
|
|
| 2014年3月14日(金) |
| 3月11日 金曜担当…小笹正洋 |
|
先日、3月11日を迎えました。
あの時から3年が経過しました。
早いもので、
という感覚にはなれない。
関西に住んでいる私達にとっては、
「あの時から3年」
ですが、
当事者の方たちにとっては、まだ心の傷が癒えない中で、
毎日が復興に向けての現在進行形の生活をされています。
そして、何よりも
明日も生きていたいと思いながら、
その日を迎えることが出来ずに命を落とされた
多くの犠牲者がおられること。
一人ひとりが被災地の方々に出来ることは僅かかもしれません。
「最も大切なボランティアは、自分自身が一生懸命生きること」
とは、アジア各国の貧困地域の撮影・調査・支援をされている
NPO法人アジアチャイルドサポート代表理事の池間哲郎氏の
活動の原点の言葉です。
たとえ大きなことが出来なくても、
一生懸命に生きることなら誰でも出来る。
そう心に誓いたい。
改めて、犠牲者の方々に哀悼の念を込めて
黙祷
http://www.youtube.com/watch?v=L75hoO-v9hc
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2014年3月13日(木) |
| お金の使い方 木曜担当…西端努斗夢 |
|
お金には入るのと出るのと2通りがあります。
私は、どうしたらお金が儲かるかについては一所懸命に考えるのですが、お金の使い方については、あまり考えずに無駄遣いをして反省することがあります。
貧乏人は、お金を稼ぐことばかり考えて使うことをあまり考えない。それに対して、本当のお金持ちは稼ぐこと以上にお金の効果的な使い方を考えるそうです。
以前、その例え話を聞いて私はとても感動しました。
かつて、新潟で飢饉が3年続いたことがあったそうです。その時、大地主であり豪商の当主は何を思ったのか、「庭に築山をつくりたい」と言い出し、「ただし、道具は一切使わず、手で土を運んでつくって欲しい」と周辺の農家の人に頼んだのです。
道具を使ったら早く築山ができるのになぜ手で運ぶことにこだわったのか不思議に思ったのですが、手で土を運ぶことはお年寄りも小さな子供も誰でもできます。当主は、土を運んでくれた一人ひとりに同じ賃金を払ったのでした。
3年半かけて築山が完成した時、農家の人たちは、「ご当主のお陰で私たちは飢え死にせずにすみました」と言って感謝し、この家ははさらに発展したそうです。
この話を聞いた時から、私はこんなお金の使い方ができる人間を目指してはいるのですが……
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2014年3月11日(火) |
| 「3.11、初志」 火曜担当…坂本欣也 |
|
池田塾長は、「湧くわく本心塾」の発足を考えた背景には、東日本大震災の時のリーダー達の姿にふがいなさを感じ、また危機感を持ち、それ故に、志高く、泰然自若とした未来のリーダーを育てたいという思いがあったと、お話しされます。
リーダーになるには、他人を治める前にまず己を修める、「修己治人」が必要とし、
そのために、儒教と天風哲学を軸に、私たちは学んできました。
正直、私自身、常に3.11を意識して行動してきたというと、嘘になります。
関西から見ると、関東は比較的東北に近く、被災地に実家がある人達、ボランティアで通っている人達と出会う機会が多くあり、その度に胸が詰まる思いがあります。
自分自身、何もできていない。
今日改めて3.11、「私に何ができるのだろうか?」を問い直したいと思います。
昨日の池田塾長のブログは、「継続」について書かれていました。
私は、改めて、「湧くわく本心塾」の目的と意義を思い返しました。
湧くわく本心塾は、互師互弟で、志を高め合おうとする集まりです。
儒教や天風哲学などの教えをベースに、さまざまな先哲の叡智に共通する真理を学び、また実生活で実践することで、塾生一人ひとりが自らの人間力を向上させていきます。
そして、各自がそれぞれの持ち場で「一隅を照らす人」となっていただき、また「一隅を照らす人づくり」を行うことを目的としています。
この2年間、私自身も多くのことを学ばせて頂き、高い志を持つ仲間との出逢いから、日常の活動へのエネルギーを戴いています。 それ以外にも、日常の生活や仕事を通して出会う人々、その存在と活動を支えてくれている森羅万象からのエネルギーもいただいています。
これらに恩返しするため、「報徳」(先日、二宮尊徳の第7代目子孫の中桐万里子さんの講演で学ばせて頂きました)の思いを以て、私自身大きなことはできませんが、私の持ち場で「一隅を照らす」活動を継続していきたいと思います。
それが巡り巡って間接的にも東北被災地の復興、また大きな意味での、未来の人と社会づくりの一助になればと思います。
その志の原点となる「3.11」。
今日一日、様々な事柄を問い直し、更なる一歩を踏み出す、次への原点となる日としたいと思います。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2014年3月10日(月) |
| 続けるということ 月曜担当…池田光 |
|
この3月15日の「潜学講座」で、第2期潜学講座が終了します。
これまでは第3土曜に開催していましたが、
新しく始まる第3期潜学講座から、第1土曜に変更します。
つまり、4月5日からスタート。
新期になりますので、この機会にご参加ください。
第3期は、
【第1講座】人物に学ぶ
【第2講座】古典に学ぶ
という構成で、1回当たり2講座から成っています。
その後は、希望者による懇親会。
「何事も続けていると人生は変わる」と、私は思うようになってきました。
講座なら、1回だけ参加するだけではなく、ずっと続けて参加するのです。
すると、きっと、何層にも積み重なってくるものがあり、
それが人生を変えさせます。
ここ何年間かの私の事例を掲げて見ましょう。
・『論語講座』(講師:京大教授)を50回強。
~論語を通読したので、この講座は終了しました。
・『論語の扉を開く』(講師:某大准教授)を17回。
・『漢文読解入門』(講師:某国立大教授)を34回。
~これは現在も受講しています。
4月からは講師が変わり、韓愈の版本で漢文読解の勉強をします。
・『長岡禅塾の坐禅会』を25回。
~これは現在も参加しています。
第1日曜の朝、8時頃から坐禅堂で坐り、10時半まで坐禅しております。
その後、老師の提唱などがあります。
こんなふうにずっと続けて参加していると、
たとえば漢文なら、
少しは漢文が読めるようになったというスキル以上に、
漢字文化の新しい世界観が開けてきました。
坐禅では、坐る感じが変わってきたようです。
座布団にしっくりとするのです。
坐禅をすることで意識が変わり、
平常心の世界が広がってくるような、
そんな実感があります。
「モノになる」「モノにする」ということの一つのやり方は、
続けることです。
何かを少しずつツツキ歩くのではなく、
じっと、ひとつに絞って続けるのです。
すると、4年経てば変わります。
人生は変わります。
肚を決めるのです。
忙しいのはわかっているし、
お金もかかります。
けれども、参加するのです。
続けるのです。
すると、スキルが身につくとか、
新しい知識が入るとかではなく、
精神がどこかで変わってきます。
それが、人生を変えさせてくれます。
なぜか……。
続けることは、違う世界に住むパスポートだからです。
違う世界の住人になるのです。
だから、新しい世界観が開けます。
新しい世界観の中で、
人生はおのずから変わってきます。
昨今は、知識やスキルに重点を置きすぎです。
そんなものを得るよりも、続けること。
そして、新しい世界への扉を開く。
続けるとは、そういうものだと思うのです。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2014年3月7日(金) |
| 小さな幸せ・・・ 金曜担当…小笹正洋 |
|
最近、始業前のコーヒーと一緒に
お饅頭一つを食べることが
至福のひと時となっています。
「吹雪饅頭」とも呼ばれているのでしょうか、
大量のあんこを白い薄皮で包み、中身のあんこが
透けて見えるものが特にお気に入りです。
場合によっては、
仕事後の一杯(これはお酒)よりも
活力になってくれます。
半年程日課のようになっていますが、
今のところ気になる体重増加もなく、
甘~いひと時を過ごさせて貰っています。
こうした小さな幸せのためにも、
日々の健康管理に努めていきたいと
振り返って思う次第です。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2014年3月6日(木) |
| サタンの手口 木曜担当…西端努斗夢 |
|
サタンは、ユダヤ教やキリスト教、イスラム教では悪魔として恐れられていますが、私たちに危害を加えたり、恐怖心を与えたりはしないそうです。
むしろ、世の中を良くしようという高い志を持ち、人々に強い影響力を持つ人に対して、最初は応援してくれることさえあります。
そして、その人が世に認められ、志を遂げるために影響力を発揮し始めるとこうささやいてくるのです。
「あなたはもう十分に偉くなったのだから・・・」
こう言われ続けると、その人はだんだんその気になって謙虚さを失っていきます。そして、最後は誰から相手にされなくなり、サタンはニンマリとほくそえむのです。
まだまだ、私はサタンにささやかれるまでに至っていませんが、仮に甘い言葉をかけられても、それに惑わされずいつまでも謙虚な気持ちを失わないでいたいと思います。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2014年3月4日(火) |
| 「シルクロードの東と西」 火曜担当…坂本欣也 |
|
今日は、名古屋大学で1日セミナーをしました。
参加者は、メキシコ、エクアドル、中国、ベナン、シリアからの留学生です。
その中の一人、シリアからの留学生。2年前から続く内戦。ご両親は混乱が続く首都で、今は無事に生存しているとのこと。しかし、先週木曜日から電話がつながらず、心配。この2年間、ずっとその状態が続いてきたとのこと。
彼の専門は航空工学で、自国に平和と人々の安寧、産業の発展、雇用の創出をもたらしたいと頑張っている若者です。とてもまじめで、日本語を学ぼうと懸命に頑張っていました。
化学兵器により、ある街では3000人以上の死者。
使用したのが、政府側か反政府側かも定かでないとのことでした。
こうした事象を生の当事者から聞いた私。
仮相世界の現象に対して、実相世界の実我でありたい私。
どのように知覚し、どのようにリアクションを取るべきか。
この場合、天風先生ならどのように考え行動されるでしょうか。
特にこの最近の世界情勢の中、考え続け、心が重たい私です。
授業が終わってから、彼に私の名刺を手渡しました。
奈良の飛鳥に来てほしいと。
彼は授業の中で言いました。シリアと日本は、古代シルクロードでつながっていたと。
その一番東の端が、私の住む飛鳥であったと彼が知り。
是非訪れたいと、彼が言ったので。
彼を我が家に招きたいと思います。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2014年3月3日(月) |
| 只今、校正中。 月曜担当…池田光 |
|
このところ、ずっと書籍の校訂・校正をしています。
校訂や校正をしていると、ほかのことが見えなくなることがあります。
意識は錐(きり)のようになっていて、そうなると視野は狭く、しかも研ぎ澄まされたようになっています。
実際、校正というのは、錐で原稿に「穴」をあけるような、そんな作業です。
あるいは、目標物をサーチライトで照らしだすような感じです。
ずうっと原稿を順番に照らし出していくのです。
こんな作業を続け、僕の場合は眠くなって意識がもうろうとするまで作業し、こういうことをして寝ると、たまに金縛りにあうことがあります。
そして、朝起きると、またノロノロと作業を開始するわけです。
……で、何が言いたいのかというと、校正に夢中でブログを書くのを忘れていました。
まだ、3月3日の22時。
なんとか、本日中には間に合いましたが……。
すみません。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2014年3月1日(土) |
| 憂鬱な「猫の日」 土曜担当…浜本美佐子 |
|
先週は「猫の日」について、ご紹介した。実は毎年、この辺りになると憂鬱である。ワクチンのため、兄猫・海澄(かいと)を病院に連れて行くからだ。
何度もお伝えしている通り、海澄は、病院が大、大、大嫌い。たかが、ワクチンを打つだけで「上を下への大騒ぎ」である。10秒程度で終わるワクチンが、下手をすると、10分以上かかったりもする。
キャリーケースに直接海澄を入れるのは危険なので、「寝込みを襲って」いったん洗濯ネットに入れ、保定しやすくしなければならない。入れたら入れたで、ウーッシャーッと唸り「戦闘モード」に入る。
動物病院にも「危険物持ち込み」の電話を入れ、院長の他に、最低1人は「保定係」を確保してもらう必要がある。洗濯ネットに入れていなければ、院長以下3人がかりでも困難なのだ。病院への道中は、ずっと低い唸り声を立てている。
診察室に入ると、低い唸り声が一転、甲高い声に変わる。野良猫が喧嘩する時のような声をあげ、洗濯ネットの中でもがくのだ。待合室からどよめきが聞こえてきた。
通常、ワクチンをはじめ注射の類は、首の後ろ辺りに打つのだが、海澄は噛みつく恐れがあり、上半身を押さえつけた上で、お尻に打つ。日頃のカワイイ海澄を知るだけに、保定するのがかわいそうで、私では甘くなってしまう。今回も動物看護師に登場いただいた。おかげで、海澄の病院中に響き渡る「ギャーーーーーッ」の叫び声と共に、流血事件もなく無事終了した。
帰宅し、洗濯ネットから出た瞬間、海澄は「シャーッ」の一声をあげ、私を睨み付けた。近づこうものなら、アウアウアウと威嚇する。弟猫も犠牲になりそうだった。
翌朝には何事もなかったかのようにケロッとしていた。何もなければ、1年間は安心に過ごせる。来年の猫の日が、また憂鬱である。
土曜担当…浜本美佐子
|
|
|
| 2014年2月28日(金) |
| 学びと気づき 金曜担当…小笹正洋 |
|
湧くわく本心塾で一緒に学ばせて頂いています、加藤健治さんの著書「温かく人と経営を見つめる82の視点」を拝読させて頂きました。
今までのライフワークを通じて得られた人生観、仕事観が詰まっていて、加藤さんの事をよりよく知る機会となりました。
著書の内容で、私の心を揺さぶられたのは、「『第二の敗戦』から復興しよう」というテーマです。
これは、今の世の中で一番必要とされる声ではないかと思ったからです。
このテーマの中での深い問いかけに、私自身も自問自答させて頂き、行き着いた答えは、立場はどうであれ、一人でも多くの人が「一隅を照らす人」になっていくことだと改めて思いました。
ありがとうございました。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2014年2月27日(木) |
| 毎日良い天気 木曜担当…西端努斗夢 |
|
近畿地方は朝から雨です。
私の好きな言葉に「降っても晴れても、毎日良い天気」というのがあります。
良い天気か悪い天気かは、自分が勝手に決めていること。
雨や雪が降ろうと、厳しい日差しが照りつけようと、天はいつでも私たちに元気の源となる気を降り注いでくれているのです。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2014年2月25日(火) |
| 「暗示の世界」 火曜担当…坂本欣也 |
|
「人間とは暗示の中で生活する生物なり」(『安定打坐考抄』中村天風著より)
私はこの一文で、私が存在する世界の本質を認識でき、目の前がスッキリと晴れ、解放された自由な心持ちになりました。
私たちは、暗示という世界に生きているんだなあと。
どのような暗示をし、その結果どのような世界で生活するのは、自分次第。
どのような人と出会い、どのような現象に遭遇するかも、自分次第。
そのための方法を手取り足取り教えてくれているのが、天風哲学であると再認識し、改めて感謝の念を強くしました。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2014年2月24日(月) |
| 好運気マネジメント 月曜担当…池田光 |
|
僕のテンションがいちばん高まる月は、
一年のうちで「4月」です。
その前後の月も力がみなぎっているのですが、問題は、
1 力がみなぎる感じがいつ始まり、
2 いつ終わるか、
ということです。
できれば、早く始まってほしいし、遅く終わってほしいのです。
そうすると、長い期間、良いテンションを享受できます。
今年は、どうも先週くらいから好運気が始まった感じがします。
やる気が高まってきた感じです。
良いことが起こりそうな気がして、幸福感がやってきます。
こんなときに、何か「良い仕事」があったり、
「良い出来事」が発生すると、
うまく善循環して、高い生産性を発揮できる時期となります。
昨年は、『中村天風 打たれ強く生きる100の言葉』の原稿を書いていました。
同時に、カードワークの認定制度をバージョンアップするというエネルギーのいる仕事をしていました。
こういうテンションが高まる時期でないと、なかなかできない仕事です。
今年は、「好運気マネジメント」がうまく運ぶでしょうか。
失敗すると、不完全燃焼のような、またとない好機を逸してもったいないことをしてしまった、という気持ちになります。
高校時代から、僕はこの時期のマネジメントを意識してきました。
今年もこの時期でしかできない何かを実現したいものだと思っています。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2014年2月22日(土) |
| 猫の日 土曜担当…浜本美佐子 |
|
今日は2月22日で、猫の日である。その「いわれ」等について、調べてみた。猫好きでない方もお付き合い頂きたい。
フリー百科事典「ウィキペディア」によると、愛猫家の学者・文化人が構成する猫の日実行委員会が一般社団法人ペットフード協会と協力して、「猫と一緒に暮らせる幸せに感謝し、猫とともにこの喜びをかみしめる記念日を」という趣旨で1987年に制定した。
2月22日が選ばれた理由は、猫の泣き声の「にゃん」「にゃん」「にゃん」と日本語の語呂合わせにちなんだもので、全国の愛猫家からの公募によって決定したという。
ちなみに、猫の日は世界各国で制定されており、イタリアでは2月17日。ラテン数字で17は、VIIXと書くため、並び替えるとVIXIになり、『私は死んでいる』の意味になる。『猫は7回生まれ変わる』、つまり、『不死身の動物』という俗説に準じて、この日に決まったらしい。
イタリアには「黒猫の日」もある。11月17日で、迷信により年間6万頭以上が虐殺されている為、動物愛護団体AIDAAが主体となり「黒猫の日」のイベントが開かれているそうだ。
個体差はあるが、黒猫は大人しい性格をしていることが多い。「うちの子」も、ご飯以外のことには控えめで大人しいのだ。黒猫好きの私としては「迷信で虐殺するなんて……」と、憤りを覚えた。
ところで、ソチオリンピックに湧くロシアの猫の日は3月1日らしい。調べてみたが、その理由は不明だった。ロシアでは、3家族に1家族が猫を飼っているからなのか、何かの記念日に由来するのか? ご存じの方、是非ともお教えいただきたい。
土曜担当…浜本美佐子
|
|
|
| 2014年2月21日(金) |
| いろは歌 金曜担当…小笹正洋 |
|
天風先生の教えの中で、「ことばの自己暗示」で誦句を唱えるのがありますが、
久しぶりに手にした書物の中に、「日新公いろは歌」というのがありまして、
そこに詠まれている一首一首が非常に心に響く内容でして、誦句として唱えるのも
良いのかなと思いました。
少しだけ紹介させて頂きます。
「子どもたちに…いにしへのいろはことば―島津日新公いろは歌」(ペンギン社)
という書物の中に、47首の「いろは歌」としての教えが紹介されています。
編者である島津日新公忠良(しまづじっしんこうただよし)(1492年~1568年)は
薩摩の戦国大名で近世島津家中興の祖です。
この「日新公いろは歌」は、薩摩藩の教育に取り入れられ、明治維新を支えた人々の
思想にもなっていきました。
儒教的な心構えも基礎となっているようです。
私の氏名は、
おざさまさひろ
ですので、それに因んだ歌(教え)を選んでみます。
お
思ほへず 違ふものなり 身の上の 欲をはなれて 義を守れひと
⇒人は思いもよらず、悪い道へと進んでしまうものです。
欲ばりな心をおさえて、正しいことを行うよう心がけましょう。
さ
酒も水 流れも酒と なるぞかし ただ情あれ 君がことの葉
⇒そそぐ人の心配りによって、お酒が水に、水がお酒になることもあります。
思いやりのある言葉や行動が相手のやる気をひきだすのです。
ま
万能も 一心とあり 事ふるに 身ばし頼むな 思案堪忍
⇒どんなにすぐれた能力があっても、それを使うのは人の心です。
思いやりの心がなければせっかくの才能も活かすことはできません。
ひ
ひとり身を あはれと思へ 物ごとに 民にはゆるす こころあるべし
⇒人をいたわる気持ちは大切なものです。とくに一人ぼっちでいる人には、
あなたのその手をさしのべてください。
ろ
楼の上も はにふの小屋も 住む人の 心にこそは たかきいやしき
⇒りっぱな家に住んでいても、そまつな家に住んでいても、
そこに住む人の心こそが、人間としての価値を決めるのです。
強く賢く生きることだけでなく、優しさと、正しさも必要です。
どれかだけが際立っていても、上手くいかないものですよね。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2014年2月20日(木) |
| 見栄を張る 木曜担当…西端努斗夢 |
|
湧くわく本心塾の塾生として一緒に学ばせていただいている加藤健治さんの著書『温かく人と経営を見つめる82の視点』を読ませていただきました。
とても読みやすく、面白い内容で、特に気に入ったのが、「見栄張り坂」のお話です。「根性のない奴」と言われるのが嫌で必死にペダルを踏んだ経験が私にもあります。
「見栄を張る」という言葉は、どちらかと言えばマイナスのイメージが強いのですが、見栄を張らなければいけないことが人生の中であると私は思います。
「問題は、どんなことに見栄を張っているのかだと思います」と加藤さんもおっしゃっていますが、その通りで何に見栄を張っているかでその人のスケールがわかります。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2014年2月18日(火) |
| 「『文明の衝突』を避ける方法は?」 火曜担当…坂本欣也 |
|
『文明の衝突』(サミュエル・ハンチントン著、1996年)では、世界を7つの文明圏に分けています。
中華文明、ヒンドゥー文明、イスラム文明、西欧文明、ロシア正教会文明、ラテンアメリカ文明、そして日本文明。日本だけが、一国で文明圏を形成しているというのも、世界から見た日本の独特さを表しています。
ベルリンの壁崩壊で冷戦が終焉し、政治的イデオロギー的な争いが少なくなり、その代わり文明間の争いが増えていくとしています。アメリカとイスラム諸国との対立、中国国内での少数民族の独立運動の激化など、その後の世界情勢を見てみるとこの本の予言が当たっていることも多いと感じます。
それでは、衝突を避けるための方法とは?
多民族国家シンガポールの例が挙げられています。
1990年代初めに、国家として次の「共通する価値観」を定義したそうです。
l 地域社会よりも国家を、自己よりも社会を重んじる
l 社会の基本単位として、家族を大切にする
l 個人を重んじ、社会的に支援する
l 論争ではなく、合意によって解決する
l 人種的および宗教的な調和をはかる
これぞ、儒教がベースになっていると思いました。
この価値観が、海外からの優秀な人材を大量に招へいすることでエネルギーに換え、シンガポールの近年の目覚ましい発展のひとつの要因になったのではないかと思いました。
そして、文明間にある違いを強調するのではなく、「多様性を受け入れ、共通性を追求していく」ことであるとし、そのためにも「たがいに学びあい、相手の歴史や理想や芸術や文化を研究し、たがいに各自の生活を豊かにしていくのだ」と結論付けています。
そこで私が思いだしたのが、先日から池田塾長から教えていただいている「ヘーゲルの弁証法」です。命題を「正」とし、命題に対しての「反」アンチテーゼをぶつけ、アウフヘーベン(止揚,揚棄)「否定の否定」を引き起こし、第3の「合」を生み出す。
異なる文明同士の衝突も、アウフヘーベンを引き起こし、高いレベルの関係性や新たなより良い文明が生み出されると理想だと思いました。 しかし、そのような建設的な衝突を引き起こすには、人間のレベルが高くなければなりません。
私自身も精進し、今の自分(合)に、違う考え方や困難(反)を意識的にぶつけ、新たな自分(合)に成長昇華できるような人間にならないといけないと思いました。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2014年2月17日(月) |
| プチ哲学体験 月曜担当…池田光 |
|
僕は学生の頃、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』を翻訳で読み、
大変な感動を得たことがあります。
この比較的小さな書物を、その頃の僕はどれほど理解できていたのか分かりませんが、
簡単な論理学の知識で読めたので、
一つずつ自分なりに理解しながら読み進めて行きました。
それは、厚い壁に錐で穴を開けるような作業でした。
読み終えた先に「何が見えるのか」分からないままに読み進め、
やがて読み終えた時には、
厚い壁に錐の穴があき、
その穴から向こうの世界が覗けたように思いました。
あちらの世界が開けたのです。
その体験は強烈で、
僕はその後もウィトゲンシュタインを読み続けました。
……最近、あの頃のことを思い出す体験がありました。
前々回の潜学講座において弁証法について少し触れました。
すると後で、小笹事務局長から「弁証法の参考書を教えてほしい」とメールが来ました。
さっそく、昔買っていた手元の蔵書をあたってみたのですが、
どれもピンときません。
そこで、最近書かれたものをいくつかあたっているうちに、
栗原隆『ヘーゲル 生きてゆく力としての弁証法』(NHK出版)
に行きあたりました。
この本は、百ページちょっとの小さな本です。
僕は二日をかけて読みました。
それは、「弁証法」を道具としてではなく、
生き方の技術、というより「生きること」としての読み方でした。
その読むプロセスは、僕にとっては久しぶりの感動的な哲学体験だったのでした。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2014年2月14日(金) |
| 小さな巨人・・・ 金曜担当…小笹正洋 |
|
1月末に元大相撲小結の舞の海秀平氏の講演を聴きに行ってきました。
舞の海関は、現役時代は小兵ながら、小錦や曙や武蔵丸といった
外国人の大力士を土俵上でキリキリ舞いさせ、幾度も勝利を引き寄せ
観客を沸かせていたものでした。
「猫だまし」、「八艘飛び」、「切り替えし」等の珍しい技の数々でも
有名で、「技のデパート」という愛称もついていたとか。
講演の内容は、大相撲入門時の苦労話し(当時は身長・体重制限が
非常に厳格だった)や相撲界のしきたり・風土、報酬、人間関係、
外国人力士の話しなど、バラエティに富んだ内容でした。
やはり勝負師なるところで、講演の最後で、
「ここ一番の大勝負で勝てる力士の共通点」
というところで、
「勝つときの型(かた)を持っている」
と話されていました。
必勝パターンと言い換えても良いのでしょうか。
他のスポーツでもおなじ事が当てはまるのかも知れません。
見方を変えると、バラエティ(サスペンス、お笑い 等)でも
同じなのかとも思います。
落ちが分かっているのに何度も見たり、笑えたりしてしまいます。
演ずる(仕掛ける)側は、勝ちパターンに入る自信で益々磨きをかけ、
受け手側も、この人にはこの手でやられるという暗示にかかっている
ようにも思われます。
時を得て勢いに乗ずるというところなのでしょうか。
日常の仕事(志事)の中で得意技を見つけるべく、コツコツと精進を
重ねていきたいところです。
お時間ある方は、舞の海関の現役時代のハイライトをどうぞ!
http://www.youtube.com/watch?v=ZcknTDbDT6w
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2014年2月13日(木) |
| 金メダル 木曜担当…西端努斗夢 |
|
ソチオリンピックが開催され、日本人選手の活躍が注目されていますが、1992年のバルセロナ五輪女子マラソンで銀、96年のアトランタ五輪で銅メダルを獲得した有森裕子さんがある対談の中で面白いことを言っていました。
銀メダルや銅メダルを獲る人は、金メダルを狙ってダメだった人とメダルが獲れるとは思っていなかったけれど、たまたま獲れた人の2タイプあるけれど、金メダルを獲る人は、金メダルを狙って挑んだ人だけだそうです。
その通りだと思います。金メダルだけを狙って、金メダルを獲った人はすごい人です。しかし、その人の力だけで獲れたのではないと思います。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2014年2月11日(火) |
| 「最近の楽しみ」 火曜担当…坂本欣也 |
|
私の最近の楽しみは、子供とのキャッチボールと将棋です。
子供たちも、私が仕事から帰ってくるなり、「ご飯食べたら、将棋しよ!」、「明日の朝、学校行く前にキャッチボールしよ!」。
私も子供のころ、父親がそうして遊んでくれました。
私が楽しかったことを、今子供たちが楽しんでくれている。それが私も楽しい。
一回一回やる度に、上手くなっている子供の成長を感じることができるのも、楽しみです。
そしていつか、私が受けられない位の速さの球を投げてくれる日が来るのが、楽しみです。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2014年2月10日(月) |
| 一冊入魂 月曜担当…池田光 |
|
僕が経営している株式会社プロセスコンサルティングには、経営コンサルティング事業と、編集事業の二部門があります。
後者の編集事業のポリシーは「一冊入魂」。
一冊入魂とは、「この一冊に魂を込める」という意味です。
書籍の一冊一冊に個性があります。
この個性を引き出し、最高の一冊をつくりあげることが、魂を込めるということです。
著者と話したり原稿を読むと、原稿が「こんな形に表現してほしい」という声を発しているのが、僕には聞こえてくるような気がします。
この最初に浮かんだ形を元型としながら、本づくりの過程で、著者の要望を否定することなく組み入れていくようにしています。
また、僕には本づくりの美学のようなものがあり、どう余白を残すかを意識しています。紙面をどんなに情報で満たしても、微妙な余白をつくるようにしています。
こうして一冊の本をつくりあげるわけですが、実際、一冊ができあがろうとする瞬間が、いちばん不安と期待が入り混じるときです。
2月12日に、一冊の本が誕生します。
加藤健治著『温かく人と経営を見つめる82の視点』(プロセスコンサルティング)です。
著者の加藤さんは多治見市にお住まいですが、大阪で開催される弊塾の「潜学講座」に毎月通っていらっしゃいます。
とても勉強心のある方です。
さて、先週末の2月7日に、印刷会社から、まだ書籍の形になる前の『温かく人と経営を見つめる82の視点』の印刷見本が届きました。
つまり、印刷の段階が終わり、次は製本の段階に入るという中間点で、印刷見本を一部送ってくれたわけです。
もし、この時点で修正点が見つかったとしても、どうしようもありません。
ただ誕生を見守るだけです。
僕がいちばんドキドキする瞬間でもあります。
(この時点で印刷見本を送ってくれたわけは、きっと、大量の製本された書籍を見て心臓麻痺を起されては困るので、その緩和のためでしょう……)
何よりも気になるのが、表紙です。
イメージ通りかどうか……。
思った色が出ているか……。
すでに簡易の色校正は終えているのですが、実際の紙に印刷した本番の印刷でないと、微妙なところは分からないのです。
また、実際の表紙イメージが決まるまでには、没になった無数のイメージがあります。
没になったとはいえ、甲乙を決め難いなかを一つに決めていくのですから、送られてきた見本を見た瞬間に、これらの没イメージが思い出されてきます。
あの没イメージだったら、どうだったのだろうか……。
そんな記憶が一気に押し寄せてきます。
そして、次に、本文をぱらぱらと拾い読みします。
最終章である「第8章 夢をえがく」は、静かなクライマックスだと、改めて実感しました。
この章については、僕は、すべての文章を読まずにいられませんでした。
なぜかというと、著者の人物像にふれることができるからです。
第8章は、著者の加藤さんの人格がもっとも現われている部分で、読み手の僕を感動させてくれました。
儒教は、万人に等しく愛を、とは言いません。
儒教が唱えるのは、まず両親、次に家族、一族と、親しいところから波紋のように愛を広げていくということです。
加藤さんの本にも、親しいところから愛を広げていっている感じがあります。
郷土愛に満ちていて、その思いは、故郷に思いを寄せる方々の胸を打つだろうと思いました。
また、きっと多治見の方々から、愛される本、大切にされる本になることでしょう。
……静かに、送られてきた印刷見本を閉じ、あとは、2月12日の納品を待つだけ。
すでに、ネット書店のアマゾンでは、予約を募っています。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2014年2月8日(土) |
| あれから8年 土曜担当…浜本美佐子 |
|
ソチオリンピックが始まった。オリンピックは4年に1度のことなので、時間が合えばテレビ観戦をしている。
今回は、団体戦が新しく加わったフィギュアスケートが、特に楽しみだ。男子SPで、羽生選手が1位を獲り、メダルの期待も大きい。彼は、オリンピック初出場の上、10人中10番目の演技だったので、プレッシャーは相当なものだったはずだ。女子SPの浅田選手の活躍が楽しみである。
ところで、その浅田選手が年齢制限で出られなかった8年前のトリノオリンピック。確か時差が8時間あり、フィギュアスケート女子決勝は日本時間の午前3時か4時頃で、すっかり眠りこけていた。
ハッと目覚めてテレビを点けたら、荒川静香選手(現プロフィギュアスケーター)の演技が始まったところだった。半分寝ぼけていたこともあり、前後の状況どころか、荒川選手が何番目の演技だったかもよくわからないまま観戦した。
青と水色の衣装に包まれた彼女は、初めこそ緊張していたのか表情も硬かったが、演技が進むにつれ和らいでいくのがわかる。眠気も吹き飛び、テレビに釘付けになった。後半のイナバウアーには涙が出そうな位感動した。ほとんどノーミスの演技を終えた彼女の表情は、達成感に満ち溢れていたように思う。同性の私が惚れぼれする位に美しく、今でも脳裏に焼き付いている。結果は、ご存じのとおり金メダルだった。
あれから早や8年。団体戦だけでなく、女子シングルでも浅田選手が表彰台の真ん中に立って欲しいと思うのは、日本中の願いだろう。トリプルアクセルに期待している。
土曜担当…浜本美佐子
|
|
|
| 2014年2月7日(金) |
| 挨拶はどちらから・・・ 金曜担当…小笹正洋 |
|
知った人や、初めて出会う方と挨拶をしますが、
「挨」は押す、「拶」は迫るという意味で、
挨拶(あいさつ)の語源は、元々は禅の世界にあり、
禅の師匠が弟子に「調子はどうですか」と声をかけ、
弟子の反応を見て、心の状態や悟りの深さを観察する
行為のようです。
そう考えると、日々の挨拶も社交辞令だけでするのではなく、
相手の状況を観察し、適切な対応をしていくことによって
人間関係を円滑にして、深めていける機会にもなります。
よく世間一般の常識(?)からすると、挨拶は目下の下から
目上の人にするもののように思われています。
私もずっとそう思ってきました。
学生時代に、百貨店でアルバイトをしていた時のことですが、
自分が一番年が若く、新参者でしたので、目が合うたびに
あちらこちらの人に、挨拶をして回ったものです。
大体の方は、気持ちよく挨拶を返して下さったものですが、
古株の社員さんや、売り場を仕切っている「エライ」人の
中には、大抵は無反応だったり、苦虫を噛み潰したような
顔をしてやり過ごす人も居られました。
当時は、何を気取っているのかな?と思っていたりしましたが、
今から考えると、いつも辛い思いをされてたのかも知れません。
自分の機嫌ぐらいは、自分で取っていきたいものですし、
周囲の人たちには気持ち良い挨拶をしていきたいですね。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2014年2月6日(木) |
| あぶさん 木曜担当…西端努斗夢 |
|
雑誌「ビッグコミックオリジナル」に1973年から連載されていた水島新司さんの野球漫画「あぶさん」が、今月で終了しました。
「あぶさん」はプロ野球・南海ホークス(当時)に在籍する酒豪の強打者、景浦安武(かげうら・やすたけ)、通称“あぶさん”を主人公に、プロ野球のチームや選手が実名で登場、実際の成績や出来事などをリアルタイムで描きながら、その中でお酒にまつわる様々な人間ドラマが展開されました。
私が今も、お酒をこよなく愛しているのは、間違いなく「あぶさん」の影響です。終わりは新たな始まり。今宵は、「あぶさん」の完結に乾杯したいと思います。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2014年2月4日(火) |
| 「『永遠のゼロ』を観て」 火曜担当…坂本欣也 |
|
娘に薦められ、『永遠のゼロ』を昨日観てきました。
まだ観られていない方もいらっしゃると思うので、内容には触れませんが、
深い感動と共に、様々な受け止め方ができる映画でした。
その一つとして、私は以前小笹事務局長に薦めていただいて読んだ『仕事の思想』(田坂広志著)の内容を思い出しました。 以下その本の最終章からのところどころの抜粋です。
たとえ自分が、その夢を実現できなくとも、
いつか誰かが、その夢を実現する。
もし、夢を描く私たちが恐れるべきものがあるとするならば、
それは「夢が破れる」ということではありません。
私たちが恐れるべきは、「力を尽くさぬ」ということなのです。
そして、力を尽くして歩んだあと、私たちがなすべきことは、ただひとつ。
未来に思いを馳せることです。
そして、力を尽くして歩み、未来に思いを馳せるとき、
私たちのなかには、祈りのごとき覚悟がやってくる。
我々は、後生を待ちて、今日の務めを果たすだろう。
人間の歴史とは、夢や思いのリレーでもあると感じます。
人と人は時空を超えて、夢や思いで繋がっている。
そのリレーする思いは、できれば真善美のものだけを継いでいきたいものです。
私自身も、「夢が破れる」ことを恐れず、「力を尽くして」、「未来に思いを馳せ」、「今日の務めをしっかり果たそう」と、改めて思いました。
私にこの映画を薦めてくれた娘も、私の夢や思いを受け継いでくれると信じて。
彼女は、今日から修学旅行に出かけました。 未来への夢を胸に。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2014年2月3日(月) |
| 日本型リーダーシップ 月曜担当…池田光 |
|
いつか、日本型リーダーシップ理論をまとめたいと考えています。
かつて僕は、『図解 きほんからわかる「リーダーシップ理論」』(イースト・プレス)をまとめたことがあります。
その本では、欧米から入ってきた、14のリーダーシップ理論を紹介しました。
……が、そのときに感じたのは、「リーダーシップを科学する」という面では大きな知見が見られて参考になるが、他方で、どことなく厚みというか、深みに欠けるというものでした。
このとき、僕が頭の中で思い浮かべていたのが、我が国の幕末維新、そして明治前期のリーダーたちです。
黒船来航の危機感の中、我が国の心あるリーダーたちは、この難局を乗り切りました。
そして、新しい国造りへと導いていきました。
彼らのリーダーシップとは、何だったのでしょうか。
直観で言うと、「高い精神性に裏打ちされたビジョン形成力と実行力」だったと思うのです。
単なる「ビジョン形成力と実行力」ではありません。
「高い精神性に裏打ちされた」というところが肝心です。
高い精神性がなくては、新たなビジョンを打ちたてることはできません。
そして、ビジョン実現のために一身を投じることはできません。
維新のリーダーとなった武士たちは、高い精神性を形成するために、
① 儒教
② 禅
の二つを源泉にしていたと思うのです。
儒教では人の在り方と高邁な理想を、禅では瞑想による肚づくりをしていたと思います。
また、儒教と禅を学ぶというのは、言い換えれば、哲学的な修行をすることでもあります。
真のリーダーには、哲学がありました。
その哲学のもとに、実学が方向づけられたのです。
が、現在は、実学を学んでも哲学的な修行をした人は稀です。
そんな状況下で、新たなリーダーが生まれるはずがありません。
実学しか学んでいないリーダーは、利を求め、欲を満たそうとして、やってはならないことに手をつけやすくなります。
お金儲けの方法だけを説く、つまらないリーダーが増えているのも、哲学を学んでいないからです。
お金儲けに成功した人が、のちに低次元な哲学(自分の考え)を説くことがありますが、それをありがたがっている人々もいて、目を覆いたくなります。
高い精神性は、哲学がつくる。
湧くわく本心塾では、儒教と天風哲学を二大柱にして、次代のリーダーづくりに少しでも貢献したいと思います。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2014年2月1日(土) |
| 認知症予防 土曜担当…浜本美佐子 |
|
認知症は、今や社会問題と言っても過言でないが、母と自分自身のためにも、認知症について学んでいる。
学んで初めて知ったことだが、認知症は発症する20年前から始まっているという。60代で発症する人は、既に40代から認知症が進んでいることになる。
寿命が伸びるのは良いことだが、心身が不健康な状態で長生きするよりも、「いかに健康年齢を伸ばすか」が大切だと思う。
認知症を治すことはできないというが、予防をしたり、進行を遅らせたりすることは可能という。野菜、豆類やゴマ類等を努めて摂取すること。毎日適度な運動を続ける。特に、ウォーキングは身体への負担が少なく効果的という。
食事や運動は、認知症だけでなく、健康そのものに直結している。改めて、日頃のナマケグセを直さなければ、と思った。
土曜担当…浜本美佐子
|
|
|
| 2014年1月31日(金) |
| 時の流れ・・・ 金曜担当…小笹正洋 |
|
「いやぁ~、1年間てあっという間やね」
と言って年を越してから、
1ヶ月が過ぎようとしています。
私達は歳を重ねる毎に、
時間の経ち方が早く感じるように
なるようです。
これは、
「ジャネーの法則」
と呼ばれています。
生涯のある時期における
時間の心理的長さは
年齢に反比例する。
例えば、50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1ですが、5歳の人間にとっては5分の1に相当する。50歳の人間にとっての10年間は5歳の人間にとっての1年間に当たることになる。
即ち、50歳になれば5歳時の時の10倍のスピードで時の流れを感じることに。。。
明日2月1日で、湧くわく本心塾も
満2歳となります。
私の年齢から振り返りますと、
あっという間の2年間でしたが、
ご参加頂いてます皆様の熱心な
お気持ちに支えて頂きながら、
日々成長を目指している最中です。
これからも、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2014年1月30日(木) |
| チームとグループ 木曜担当…西端努斗夢 |
|
毎月参加させていただいている勉強会で、「グループ(group)」と「チーム(team)」の違いが話題になりました。
どちらも人の集まりを意味する単語ですが、グループは共通項で分類された単なる人の集まりにすぎません。それに対して、チームは共通の目的や志を持った人の集まりで、それを成し遂げるために力を合わしていくものです。そういうチーム力の重要性をあらためてめて実感しました。
湧くわく本心塾は、グループかチームか?
私はもちろんチームだと思います。ですから、ただ集まって学び、親交を深めることで終わらせるのではなく、学んだことを日常生活の中での実践し、自分の持ち場で「一隅を照らす人」となることを目指したいです。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2014年1月28日(火) |
| 「先生、何が欲しい?」 火曜担当…坂本欣也 |
|
「先生、何が欲しい」と言われると困るんだよ。あなた方が、「何が欲しい」と聞くときは必ず物質を当てにしているものね。私の欲しいのはそうじゃないんだから。
あなた方一人一人に、本当に、このごろは、どんなことがあっても怒りもしなけりゃ、悲しみもしなきゃ、怖れもしないように、人生に生ずる出来事と自分の心とが、事柄に引きずられないで、心のほうで事柄をスーッ、スーッといつも手際よくさばいていくような人間になれたという、この状態を見るのが一番私の心に望んでいる念願だから。
(天風会、『志るべ』2013年12月号P14、『昭和37年真理瞑想補成行修会テープより)
天風先生の心の境地と目指していた理想を垣間見ることができ、私も少しでもそうなりたい、そこへ行きたいという思いがまた強くなりました。
本末で言うと、天風哲学の求める境地は、人々の「心の平和」を築くことが本であり、人生を成功に導くことは末の一つである。ということを自分なりに解釈しています。
そして、孔子や釈迦など、その他稀代の哲人・聖人たちも、究極的には同じ理想の境地、「人々の心の平和、社会の平和」を目指していたのではないかとも考えました。
しかし、優れた哲人・聖人の理想やその概念は崇高過ぎ、一般的には分かり難いので、例えば念願成就、商売繁盛、家内安全から縁結びまで、時代を経て現世利益的な表現にブレイクダウンされてきた。その結果、先哲が目指していた真の理想とその本質が逆に見えづらくなってしまったのではないかとも思いました。
私自身も現下の現世利益の方にまだまだ囚われていますし、未だその本質を理解できているとは到底思えません。
「古人の跡をもとめず、古人の求めたる所を求めよ」
松尾芭蕉『許六離別の詞』(柴門の辞)で紹介された、空海の『遍照発揮性霊集』からの御言葉
先哲が残した言葉や形のみに囚われず、その中から先哲が何を目指したのかの理想の本質を探究し、またそれを見抜く目~心眼~を養って行きたいと思いました。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2014年1月27日(月) |
| 船井幸雄氏の死を悼む 月曜担当…池田光 |
|
経営コンサルタントで、船井総合研究所創業者である船井幸雄さんが、1月20日朝、逝去されました。81歳でした。
僕は、船井さんと何度かお会いしたことがあります。
親しくお話させていただいたのは、40代初めの頃でした。
このとき僕は、
「船井先生の本を書きたいのですが……」
とお願いしました。
船井さんは、
「いいですよ」
とにっこり笑われ、あまりの簡単さにびっくりしたことを覚えています。
帰りには、ご著書を一冊戸棚から出され、「池田光さま」と献呈署名してくださいました。
今も大切に保管しています(写真の本)。
それから十年後に、僕は『船井幸雄 未来をつくる言葉』(イースト・プレス)を出版しました。
この原稿をご子息の船井勝仁さんに目を通していただいたとき、
勝仁さんは、
「父が興味をもっている霊界のことも書かれているのがありがたいです」
とおっしゃいました。
その後、弊塾最高顧問の今西恭晟氏のご本『魂に響く108の言葉』(プロセスコンサルティング)を出版させていただいた折も、
船井さんから推薦文をいただくために、
僕は何度か船井さんとファックスを交しました。
思えば、一昨年前のことで、それからまだ二年も経ちません。
話は、約二十年前にさかのぼります。
僕は、38歳で独立し、日本マネジメント協会にお世話になった時期があります。
この会社は、昔、船井さんが経営コンサルタントの新人時代に在籍した会社です。
その後、船井さんは独立し、日本マーケティングセンター(現在の船井総研)を設立されました。
さらに話は、約十年前にさかのぼります。
企業内の教育担当になった僕は、いろんな講師の方々から学びました。
そのお一人が船井さんでした。
その頃、船井さんの本を10数冊ほど集中的に読んだ時期があり、船井さんのセミナーにも熱心に出席し、直接お話しさせていただいたこともあります。
また、立花大敬先生の『しあわせ通信』を私の出版社(本心庵)から出すたびに、船井さんにお送りしました。
船井さんは、ご著者やセミナーなどでよくご紹介してくださいました。
あるとき、樹木を薄く削ったハガキに、達筆でお書きになられてお送りくださいました。
これも額に入れて大切にしています(写真の額)。
優しい方でした。
ご冥福をお祈りします。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2014年1月25日(土) |
| どれが良い? 土曜担当…浜本美佐子 |
|
お正月にお参りをした方は多いと思う。
ある本に、神社につきものの「鳥居」の由来が載っていた。
「神様の鳥」が止まるから、という説があるそうだ。ちなみに、「神様の鳥」は、天照大御神を天岩戸から誘うために鳴いたニワトリという。
ところで、お参りの際に、おみくじを引くことがあると思うが、その順位をご存じだろうか?
私自身、よくわかっておらず、「中吉と吉って、どちらが良いんだろう?」と疑問だった。大吉が最良で、大凶が最悪というのは察しがつく。では、吉・小吉・半吉・末吉・中吉では、どれが一番良いのか?
同じ本に、その辺りも載っていたので、来年のご参考に。
一般的な順 ― 神社によっては違うこともあるらしい
大凶 < 凶 < 末吉 < 半吉 < 吉 < 小吉 < 中吉 < 大吉
土曜担当…浜本美佐子
|
|
|
| 2014年1月24日(金) |
| 開眼・・・ 金曜担当…小笹正洋 |
|
先日の潜学講座では、秦香苗さんの「看護論」と池田塾長の「温故知新」というテーマで講義をして頂き、
どちらも、目からウロコの充実した学び多き時間を過ごさせて頂きました。
「看護論」の講義では、それまでは医療と看護が自分の中では境界を意識していなかったのですが、
どちらにも明確なミッションが存在すること。
「温故知新」の講義では、最後にヘーゲルの弁証法が登場し、正(テーゼ)、反(アンチテーゼ)、合(ジンテーゼ)の
段階を経て、思考・論理の質を高め、新たな果実を生み出していく手法が非常に印象的でした。
弁証法に対して個人的に非常に興味を持ちました(大袈裟にいえば、運命的出会いを感じました)ので、
手持ちを含め、弁証法の考え方が紐解ける書物を物色しましたら、田坂広志さんの「未来を予見する『5つの法則』」
という書物に出会いました(文字数が少ない割りに、内容は濃いと思います)。
かつては、自分の中で一つの考え方を正と決めると、それ以外は全て邪として受け入れなかったのですが、
全く違った考え方も、一旦は受け入れて深掘りをしていくと、既存の考え方に付加価値を付けてくれるものとなる
という新しい可能性が見えてきました。
休憩時間中に、坂本副事務局長と話しをしている中で、「『朱子学』があるからこそ『陽明学』が存在し得る」と
力説されたことも、自分の肚にストンと落ちました。
どんな学びも、それを深めていく中で、必ず自分に必要なものが見つかっていくのだと確信を覚えました。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2014年1月23日(木) |
| 自分で考える 木曜担当…西端努斗夢 |
|
日本人には役所やマスコミが言っていることを疑いもせず、そのまますべてを信じてしまう人が多いと思います。
「テレビや新聞で言っていたから間違いない」
「国が安全と言っているのだから安全だ」
よく耳にしますが、本当にそうなのでしょうか?
「それが事実なら、テレビや新聞でもっと報道され、大騒ぎになっているはずだ」
「そのことが本当なら警察が黙っているはずない」
悪意があるとは言いませんが、役所やマスコミにも諸々の事情があって、言えないことや言いたくないことがあるのではないでしょうか?
大切なのは、情報の出所がいくら権威があると思われているところからであっても、それを鵜呑みにするのではなく、本当かどうか自分で考えること。それと同時に一緒に考え、情報を共有できる仲間をつくることだと思います。
その時も、「故を温める」ことがとても重要になってきます。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2014年1月21日(火) |
| 「故を温める」 火曜担当…坂本欣也 |
|
1月潜学講座では、塾生の秦香苗さんと池田塾長から素晴らしい講義をいただきました。
池田塾長からは「温故知新」の意味を改めて教えていただきました。
「故」は「人類の知的財産」であり、「温」とは故を深く学び考えることである。
「温故」しなければ、新しきは生まれてこない。
過去から受け継がれた人類の知的財産、先哲の教えを、先ず真摯に学び(インプット)続けないと、
真に新しい考え方やものが生み出すことはできない。
新しいと自分では思ってみても、殆どの場合、それらは過去に既に誰かが考え出している。
人類の歴史をほんのちょっと進めるため、まず私たちは「故」を真摯に学び続けなければならない。
この教えに私は非常に感銘を受けました。
過去の人類の歴史の中で、有名無名の無数の人々の血の滲むような「温故知新」の努力のお蔭で、我々が今ここに立っているということを忘れず、常に感謝を以て学んでいかないといけないと思いました。
私もそのバトンをつなぐ一人になれるだろうか。
いや、少なくとも、それを担おうという志を持ち努力しなければならない。
これからの学びに向けて、欣びと感謝がますます湧いてきました。
ありがとうございました。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2014年1月20日(月) |
| 吉田松陰『講孟箚記』 月曜担当…池田光 |
|
昨年12月の潜学講座から、
参加人数が増えてきましたことを、
とても嬉しく思っています。
今月はどうかと思っていましたら、
前月と同様の参加人数であり、
しかも毎月、遠方からのご参加者がいらっしゃり、
ただただ感謝するばかりです。
講座のあとの懇親会も賑やかになってきました。
さて、今年4月からスタートする第三期の潜学講座では、
長年、関西師友協会で事務局長を務められた若宮幾馬先生にご登壇いただき、
次のようなテーマでご講義をいただきます。
★『史記』に学ぶ人間力を発揮した人々
① 4月5日……司馬遷の境遇
② 7月7日……伯夷・淑斉の生き方
③ 10月4日……宋の譲公の人間学
④ 1月10日……管仲と鮑叔の交わり
私のほうは、現在は『論語』をベースにしたお話をさせていただいていますが、
第三期は『孟子』を取り上げてみたいと思っています。
そして、『孟子』を取り上げようとすると、
どうしても気になるのが、吉田松陰です。
私は、まだ彼の『講孟箚記(こうもうさっき)』を読んでおりませんが、
これを読むことは『孟子』を取り上げるうえで必須だと感じております。
『講孟箚記』は、吉田松陰全集に収められるにあたって、
『講孟余話』と改題されていますが、
我が国における『孟子』の受容の問題を取り上げた、
野口武彦著『王道と革命の間』には、こんな記述があります。
「『講孟余話』とは何であろうか。
ひとくちにいうなら、
それは幕末という江戸時代未曽有の、
いや、日本の歴史上有数の危機的状況のさなかに生まれ合わせた一青年と孟子との間の、
激しい思想的格闘の書である」
と。
この言葉がずっと気になっておりましたので、
今年はじっくりと向き合うつもりでおります。
※第三期の潜学講座から、原則として、第一土曜日の午後に変更いたします。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2014年1月18日(土) |
| 連携プレー 土曜担当…浜本美佐子 |
|
久々に我が家のニャンコの話を。
うちには猫が2匹おり、不幸にも仲が良くない。血が繋がっていないからか、私と兄猫との母子家庭が1年以上続いてから弟猫がやってきたからか、兄猫は自分と私が人間で、弟猫を畜生とでも思っているようだ。弟猫が温厚な性格なので、何とかなっているのたが……。
ところで、猫はドアノブにぶら下がったりして扉を開けることが多い。うちの兄猫も扉を開ける。ピタリと閉まっている引き戸も、器用に下に爪を入れて見事に開ける。網戸は、端のゴムの部分に爪を立てて開けてくれるから、ゴムがボロボロになり、網戸の役目を果たしていない。
弟猫は、どこも開けられないのだが、彼には特技がある。
兄猫が開けた扉の角度が40度程度より狭ければ、「ニャニャニャ」と鳴きながら、二本脚立ちになり、扉を前脚で押す。なんと「扉を閉める」ことができるのだ。
「兄猫が開けた扉を、弟猫が閉める」。見事な連携プレーだと感心していたら、たまに兄猫が部屋の外に締め出されていることもある。弟猫なりの倍返しかもしれない。
土曜担当…浜本美佐子
|
|
|
| 2014年1月17日(金) |
| まがつくと・・・ 金曜担当…小笹正洋 |
|
天地を貫くのは
まごころ
地球を包むのも
まごころ
世界を平和にするのも
まごころ
救い難い人を救うのも
まごころ
こころは
ころころするが
まがつくと
もう万里一条鉄
びくともしない
どんなことでも
ふしぎによくなる
まごころは
差別を無くし
憎悪を消し
光のように
すべてを照らし
愛に満ち
熱い涙で
抱いてくれる
ああ
宇宙を美しくするのは
まごころ
まことのこころ
坂村真民さんの「まごころ」という詩です。
何度読んでも飽きないですし、
読むほどに味わい深いものになっていきます。
中国の四書五経の「中庸」の中の代表的な教えである
「誠は天の道なり。之れを誠にするは、人の道なり。」
と通ずるものを感じます。
湧くわく本心塾の潜学講座では、池田塾長から
そして、来期より関西師友会の若宮幾馬先生からも
中国古典を学ぶ機会に肖れます。
今まで以上に、儒教や中国古典の教えがより身近なものと
なっていくことに大きく胸を膨らませております。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2014年1月16日(木) |
| 放てば手に満てり 木曜担当…西端努斗夢 |
|
ホームページが一昨年の7月にスタートし、毎週木曜日のブログを担当させていただいています。
数えてみると、これまでに書いたブログは80話近くになります。
書き始めた当時は、そのうちにネタが尽きて書くことがなくなるのではないかと思っていましたが、出した分だけ新しいネタが入ってくるから不思議です。
道元禅師の『正法眼蔵』に「放てば手に満てり」という言葉があります。正しい意味は知りませんが、ブログのネタも書いて手放すことで新しいネタがどんどん入ってくるものだと実感しています。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2014年1月14日(火) |
| 「洗心と真心」 火曜担当…坂本欣也 |
|
先日、キリスト教信者のご夫婦と久しぶりにお会いしました。
ご夫婦ともに本当に気持ちの良い人たちで、常に神様の「愛」に満たされ、崇高な次元で生きておられるような方々です。
このご夫婦とは、お会いする度に私まで清められているような、温かく清々しい気持ちになります。
今回もお二人の美しい心で、私の心も洗っていただいたような心持ちになりました。
他にも、お会いする度に、そのような気持ちにしていただける方々がいらっしゃいます。
その方々とお会いすると、何故そんな気持ちになるのか?を思索してみました。
そして、それこそが、「洗心」ではないかと思い、
洗心とは「真心と真心が触れ合い融合しようとするプロセスで成立されるもの」
ではないかと考えました。
優れた古典や哲学から学ぶと、意識も明確になり、洗心されたような心持ちになるのは、
先哲の真心、「偉大なるもの」(表現の仕方はいろいろありますが)の真心に触れられるからではないかと思いました。
それでは、「真心」とは何なのか?
天風哲学では、全ての根源は「宇宙霊」で、私たちはその「直接分派」であるとしています。そして、「宇宙霊」は「真善美」で満たされているので、私たちの心を「真善美」にすることで、「宇宙霊」と一体化、「神人冥合」でき、心の平和、安心立命の状態になると、私は学び解釈しました。ということは、「真善美」で満たされている心の状態が、「真心」ではないだろうか?
儒教の朱子学では、心を「性」と「情」に分け、性を「五常:仁義礼智信」と表し、その中でも特に「仁」が根本土台であるとしています。そして、その心の中でも「本然の性」が天(宇宙)とつながる「理」であり、その状態が「性即理」であると、私は学び解釈しました。ということは、「仁」で満たされている心の状態が、「真心」ではないだろうか?
そこから、「仁」と「真善美」に満たされ、「偉大なるもの」と繋がれる力をもった心が「真心」ではないかと思いました。
そして、全ての人は「真心」を持っているのですが、他人の心を清々しく綺麗にしてくれる力、安心で満たしてくれる力、元気と勇気を持たせてくれる力を持つ人は、この「真心」が特別に大きく強い人なのだということに気づきました。
できれば、私もこんな「真心」を持てるように努力したいと思いました。
この思索のキッカケをいただいた上述のお二人、および思索の案内をいただいた優れた先哲とその哲学に改めて感謝いたします。
ありがとうございます。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2014年1月13日(月) |
| 横糸を通す 月曜担当…池田光 |
|
昨日1月12日は、長岡禅塾で早朝から坐禅(2時間)し、そして老師の提唱を受け、斎座(昼食)の後、解散。
……昨日はことのほか寒く、長岡禅塾の前の池には、氷が張っておりました。
禅塾での修行は、毎回、変わらない内容です。
が、季節は巡り、寒い日の厳しいこと……。
窓などを開け放した禅堂で、裸足になり、コートを脱いで坐禅するのは、つらいものです。
来月の2月は、一年でいちばん寒くなる月ですので、今から気合が入ってしまうほどです。
この修行を始めてから、今年で3年目に入ります。
帰途、「毎月、長岡禅塾に通っていることが、この一年に横糸を通しているんだなあ」と思いました。
誰にも、仕事に代表されるような、生産的な縦糸があるはずです。
この縦糸に対して、横糸を通すことが人間としての幅を広め、心に「余裕」を作るのだと思います。
僕の横糸は、長岡禅塾のほかに、「漢文解読の講座」があります。
こちらのほうは、月に2~3回通うのですが、おかげで、毎月漢文と向かい合えます。
講師は、奈良女子大の漢文の教授ですが、参加者は少しずつ増えて、現在10名ほど。
事前に出された漢文を読み下すのですが、順番に当たるので、予習していかないと恥をかきます。
そこで、否応なく予習しなければならず、もう3年になりますから、漢文と向き合う生活が当たり前のようになりました。
このように、「横糸を通す」ことが大切なのではないでしょうか。
横糸とは、「年間を通して定期的に参加する」ことです。
これを何年も続けるのです。
つらくても楽しくても、淡々と続けるのです。
僕は、本塾の「潜学講座」が、多くの方々に、横糸として受けとめられるものであってしいと願っております。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2014年1月11日(土) |
| とんだマジックフレーズ 土曜担当…浜本美佐子 |
|
12月の本欄で、通販化粧品を購入した際、オペレーターに「良いお年を」と言い、互いに気持ち良くなれたことについて触れた。
以降、調子に乗って、「今年会うのが最後」と思うたび、あちらこちらで「良いお年を」と言いまくった。ある店では、若い女性店員が、はにかんで顔を覆い、「あっ、ありがとうございます」など、いずれも反応が良かった。「お~。マジックフレーズかも」と気分を良くし、「良いお年を」の“大安売り”をしていた。
年末も押し迫った頃、とあるスーパーに行くと、人でごった返している。こういう時こそ「マジックフレーズ」をレジの若い女性に言ってみた。キョトンとしながら「あのー、お顔がわからないんですけど」と言う。そのスーパーは、日頃あまり利用していない。どうやら、顔見知りでないと、使ってはいけない場合もあると知る。何とかの一つ覚えで、とんだマジックフレーズになった。
ちなみに、通販化粧品の申し込みの際に問合せた件は、オペレーターと2人で共感し合ったことと、正反対の結果となった。自分で納得した結果なので、清々しい気さえした。
土曜担当…浜本美佐子
|
|
|
| 2014年1月10日(金) |
| 今年の目標・・・ 金曜担当…小笹正洋 |
|
年初に、今年のキーワードは、「温故知新」と「天性開眼」でいこう。
と決めました。
「温故知新」は、
「論語」の中の有名な教えですが、古(いにしえ)のことをよく温め(学び)、そこから
新しい知識や道理を得る。洋の東西を問わず、古典の叡智を今の世の中に活かしていく。
「天性開眼」は、
自分で言葉を繋げたのですが、生まれもって備わっている天与の性質に目覚め、真理を悟り窮めていく。
このように自分自身に課していこうと思い、気色ばんでおりました。
そんな折に、頂きました一通の年賀状を拝見しておりました。
洗心 易経
記憶や思いを放下すれば
心は自ずと新になる
(※実際は筆文字なので、活字よりも風合いがあります)
これを何度も読ませて頂き、
あれもこれもしないといけない・・・
と、思っていたところから、
気持ちが開放されたように感じました。
心に付着している「雑念・妄念」の垢が
捲れ落ちていくような気分になりました。
中村天風先生も以下のように説かれています。
雑念・妄念は、神人冥合を直接に妨害する一大障害物。
雑念・妄念さえなければ、特別なことをしなくても、
人間の心と宇宙霊とは結びつくようにできいる。
だから、悟りというものは何も考えないときに、
その心に生ずると教えてきました。これが悟りに対する秘訣です。
雑念・妄念の出ていないときには「霊性意識」が発現します。
霊性意識とは、「本心・良心」のことです。
人にすまないことをしたり、道にそむいたことを言ったりすると、
何となく気がとがめられたり、後ろめたさを感じるでしょう。
これが本心、良心の働きです。
目標の設定や叶えたい夢を持つことも大事ですが、
それ以前に、何のために生まれてきたのか。
今一度考える機会となりました。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2014年1月9日(木) |
| 誕生日 木曜担当…西端努斗夢 |
|
独特の語り口で人気を博した映画評論家の故・淀川長治さんが昔、誕生日について話されていました。
「誕生日はね、自分が生まれたことをお祝いする日じゃないの。誕生日はね、おなかを痛め、たいへんな思いをして産んでくれたお母さんに感謝する日なの。だから僕は、毎年誕生日にはお母さんを食事に招待してありがとうとお礼を言っているの」というような内容でした。
この話を聴いて私は感動し、淀川さんの真似をしようと思ったのですが、いざ母の顔を見ると照れくさくて言葉が出てきません。
結局、実行に移せないまま年齢だけを重ねてしまい、昨日の誕生日も、心の中でお礼の言葉を呟いただけでした。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2014年1月7日(火) |
| 「2013年の振り返りと2014年への抱負」 火曜担当…坂本欣也 |
|
私にとっては今年初めてのブログですので、皆さま改めまして、
明けましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。
昨年の1月1日のブログに、以下の目標を記しました。
2013年は、「本心=信念が更に明確になる年」を
一つ、日々、立腰瞑想道の実践
一つ、毎月、潜学講座での学び
一つ、毎朝、冷水を浴びる業「水垢離」(本日で262日目)と「六方拝」の実践
(宣言した以上は、実践しなければなりません。 あ~、プレッシャー!)
2014年のモットーは、「楽しく継続する」としたいと思います。
「習慣は第二の天性」と天風先生は仰いました。
天性とするには、相当な時間と努力が必要でしょう。
凡人である私は、あまり深く考えず楽しみながら淡々と継続することで、気がつけば呼吸するかの如く実践できている状態を実現できればと、都合のよいことを考えています。笑
本塾第3期(4月スタート)には、関西師友協会の若宮幾馬先生を4回お招きし、中国古典からの深い教えを戴けることとなりました。
天風哲学と儒教・古典思想の両面から真理を探究する。
2014年の湧くわく本心塾での学び、更にワクワクしてきました。
今年も有難うございます。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2014年1月6日(月) |
| 上り運 月曜担当…池田光 |
|
明けましておめでとうございます。
今年は、4日に大阪天満宮に初詣しました。
そして、おみくじ。
吉でした。
ところが、ご一緒に詣でたみなさんは、数人ですがみなさん大吉でした。
年初は大吉を増量しているのかもしれません。
「あの神社のおみくじは縁起がいい」
というのが、神社繁盛の秘訣かもしれません。
僕は子供のころ、祖母から、
「大吉は吉運の頂点だから、のぼりつめたあとは凶運へと落ちていくだけ…。だから、まだまだ上があり、のぼって行っている吉がいい」
と教えてもらい、それ以来、上り運にある「吉」を良しとしてきました。
今年も、「吉」からの上り運で一年を切り開いていきたいと思います。
本年も、どうぞ、よろしくお願いします。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2014年1月3日(金) |
| 今年はどんな一年に・・・ 金曜担当…小笹正洋 |
|
新年明けまして
おめでとうございます。
2014年の干支である甲午(きのえうま)の年は、
十干十二支の60年サイクルの31番目の干支です。
前回(60年前)の甲午の年である1954(昭和29)年は、
日本の高度経済成長の始まりの年の
ようでした。
(私はまだ生まれてませんでした)
戦後の復興期でもあり、国全体が経済成長へと向かっていったのですね。
木火土金水の五行では、「甲」は木で「午」は火。
木が火をおこす如く、午が甲のエネルギーで大きく発動していく年。
そういえば、
お日さまが一番高い位置にある
お昼の12時を正午と言いますね。
今年はそういった大きな力を背景に
それに報いることの出来る
働きをしていきたいですね。
本年もどうぞ
よろしくお願い申し上げます。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2014年1月2日(木) |
| おまかせ 木曜担当…西端努斗夢 |
|
あけましておめでとうございます。今年もありがとうございます。
昨年1月の最初のブログにも書かせていただきましたが、私はここ数年、あえて目標や計画を立てず、すべて天に“おまかせ”する生き方をしてきました。
そんな私のためにというわけではありませんが、昨年末、京都のあるお寺で住職をされている知人から送っていただいた文章に私が日頃から思い描いている生き方がわかりやすく記されていて、思わず膝を打ちました。
その文章には、「おまかせすると言うと他人任せにして自分の努力を放棄するように聞こえますが、そうではありません。目の前の現実をすべて受け入れるのです。それが、たとえ期待外れの事であっても不平不満を言わず、受け入れるだけです。そして、目の前の与えられた事に対して積極的に、一生懸命に取り組み、結果は仏さまにゆだねるのです。失敗も困難も病気でさえもいただきものと受け取って、今何ができるかを前向きに考えて行動するのみです」と。
自ら目標を立て、頑張ってそれを達成することで人生を切り拓いていく生き方もやりがいがあって面白いと思いますが、どんな展開になるか、ワクワクしながら生きる“おまかせ”の生き方が私は好きです。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年12月31日(火) |
| 「義から仁へ」 火曜担当…坂本欣也 |
|
本日で平成25年が終了します。
この締めの日に、本ブログで本年を振り返り、新年を迎えられること、感謝いたします。
湧くわく本心塾での学びは、常にひたむきで充実したものでした。
高い志を持つ同志との出会いと切磋琢磨でした。
皆様、本当に有難うございました。
ただ、12月26日の衝撃の出来事の後、胸の息苦しさが続いています。
人、または国家が其々の「義」を主張し、押し通そうとしています。
その人や国家の枠の中では正しいことでも、それ以外の枠では不義と映ってしまいます。
これは天風哲学で言うところの、理性意識のレベルでの思考・行動ではないかと考えます。
この状況を打開するには、義を越えた「仁」レベルの意識、さらに言えば、天風哲学での霊性意識レベルでの思考・行動が必要ではなないかと考えます。
明後日の1月2日で45歳を迎える私に、何ができるだろう。
と池田塾長のブログを拝読し考えました。
未熟な私は、「ひたむきに、人の世のために役だつ自己を完成することに努力」し続ける自分でありたいと思います。来年は更なる「修己」の年にしたいと思います。
平成26年、仮我世界がどうであろうと、真我ではこれまで通り、「欣びと感謝に満たされ進み行かん」という思でいおります。
今年9月23日に87歳でお亡くなりになられた酒井雄哉大阿闍梨が仰られていた「一日一生」を、積み重ねて生きたいと思います。
行く年平成25年、ありがとうございました。
来る年平成26年、ありがとうございます。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年12月30日(月) |
| 自分をどう使うか 月曜担当…池田光 |
|
どんな時代に生まれ、
どんな親のもとに生まれたか。
また、どんな経済状態の家庭に生まれ、
どんな容姿に恵まれ、
どんな才能を持って生まれるかというのは、
天与のもので、運命としか言いようがありません。
ということは、人が「自分」と呼んでいるものは、
天与のもの――天から与えられた側面があるわけです。
それを僕は、前半生において、自分のものだという側面だけで生きてきました。
が、いつの頃からか、
「与えられたもの」として、どう、まわりのために自分を使うかということを、
少しずつ考えるようになりました。
すると、意識が変わってきました。
「自分はどう生きるか」
ではなく、
「自分をどう使うか」
と。
これは、
与えられたものである「自分」をどう使えば、
もっとも自分を生かすことができるのか、
という意味が込められています。
人は、生かされ、生きています。
つまり、
生かされている側面と、
生きている側面
があるわけです。
同様に、
自分を自分のために使う側面と、
人と世のために自分を使う側面
があるはずです。
まもなく新しい年を迎えます。
来年の抱負を、上記の二つの側面から考えてみることが
少なくとも45歳を過ぎた人の責務だと思うのですが、
いかがでしょうか。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年12月27日(金) |
| いま思うこと・・・ 金曜担当…小笹正洋 |
|
はじめに、私は戦争については反対の立場ですので、誤解無きように。
先日、安部首相が靖国神社を参拝されたことについて、
一部の国からの批判の声があったようですが、
他国のやっている事に対する批判の声であって、
自国の英霊を尊敬する行為に対して、批判をするでしょうか?
自分の身体を張って、母国や子孫を護ろうとする精神は、
非常に崇高且つ尊い精神です。
「今の世の中は、特攻隊員達が望んだ世の中になっているか。
今の世の中は、『お陰様』ではなく、『俺様』の世の中に
なっているのではないでしょうか。
『徳を積む』ことを大切にしてほしい。
今の世の中は、損得の得になってはいないか。。。」
鹿児島県知覧にある、富屋旅館の3代目女将鳥濱初代さんからの教えです。
富屋旅館は、特攻隊員の母と呼ばれていた、鳥濱トメさんが昭和4年に開業。
http://www.tomiyaryokan-chiran.jp/tome.html
以来、特攻隊員の方々の憩いの場となっておりました。
靖国神社の問題を見聞きする度に、鳥濱トメさんと特攻隊員たちとの
やりとりを思い出さずにはいられません。
「ホタル帰る―特攻隊員と母トメと娘礼子」/赤羽礼子(著)
今年も一年間ありがとうございます。
来年も皆様方にとって、どうぞ良いお年をお迎え下さいませ。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年12月26日(木) |
| 反省 木曜担当…西端努斗夢 |
|
2013年も今日を入れてあと6日となりました。この1年を振り返ると、毎年のことながら反省すべきことの多い1年でした。
反省ということで思い出すのは、プロ野球・元西鉄ライオンズの大投手だった稲尾和久さんの「上手くいった時にこそ反省する」という言葉です。
私たちは、失敗した時や上手くいかなかった時に反省しますが、成功した時や上手くいったときは「良かった、良かった」で終わってしまいがちです。
ところが、稲尾さんは上手くいった時こそ反省することが大切だとおっしゃっていました。たまたま“いいボール”が投げられた時、なぜ投げることができたのか反省することによって偶然でなくいつでも自分の意志で“いいボール”を投げることができるようにしていったそうです。
凡人と一流の人、違いはほんのちょっとしたことなのですが…
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年12月24日(火) |
| 「修己」 火曜担当…坂本欣也 |
|
小笹事務局長、池田塾長にご講義いただいた、12月21日の潜学講座は素晴らしかったです。
あれから数日間たちましたが、自分の中では「修己」という言葉が強く残っています。
他人を教育し変えようとするのではなく、「修己」し続けることが、結果的に「治人」につながるのだと、改めて気づかせていただきました。
その意味で、私はまだまだです。
なので、日課だけでも続けていこうと思います。
「修証一等」の思いで、ゆったりと焦らず、心身の両面で続けていきたいと思います。
ありがとうございました。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年12月23日(月) |
| 非常識のススメ 月曜担当…池田光 |
|
若い頃から、常識を越えたいものだと思ってきました。
と同時に、良識的な人間でありたいと思っています。
常識を越えつつも、良識的に生きたいという人生テーマを抱いているわけです。
さて、常識を超えるというのは、常識が無いのではなく、刷り込まれた常識を突破するということです。
これを「非常識」と呼ぶと、いまだ常識が無い状態は「未常識」となるでしょう。
僕の頭のなかでは、
「未常識→常識→非常識」
という図式が描かれています。
「未常識→常識」というステップは、健全な社会生活を送るうえで、とても大切な過程です。
まず、この段階を、きっちりとクリアしなければなりません。
が、この段階を歩むうちに、自らのなかに壁というか、殻を作ってしまうことになります。常識というもので自分を縛ってしまうのです。そうなると、常識でしか物事を見られないようになります。
ここから解き放たれるステップが、「常識→非常識」です。
そのために大切なのが、3つの疑うことです。
① 【時代に制約されていないか】…時代によって常識は変わります。時代精神ではないかと疑うこと。
② 【エリアに制約されていないか】…「日本の常識は世界の非常識である」というように、特定地域だけに通用するものではないかと疑うこと。
③ 【民主主義に制約されていないか】…少数意見であっても正しいのではないか、多数意見であっても間違っているのではないかと疑うこと。
このためにも、古典と歴史の勉強は欠かせないと思うのです。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年12月21日(土) |
| こ、こんなところに! 土曜担当…浜本美佐子 |
|
11/30の本欄で、家の前を流れている「どぶ川」についてご紹介した。
先日、ある人(Mさん)と話をしていたら、この川の話になった。
Mさんは、この川の前を通って通勤される。いつものように、川沿いを歩いていると、その場にいるはずのない生き物がいたらしい。
「何がいたと思う」と訊ねられ、「アオサギでもいましたか?」と答えてみた。内心、アオサギなら見たことあるゾ、と思いながら。
川の位置を書き記し、Mさんは
「この辺で、エイが、ゆーっくりと泳いでたんや! 1メートルぐらいのエイやで」と仰る!!
あまりの驚きに、「えーっ、エイ」と、オヤジギャグのような反応をしてしまった。
エイが泳いでいたという位置は、河口から2~300メートルは離れているはずだ。
「淡水魚じゃないから、ゆらゆらしてたんは、苦しかったんやろうなぁ……」
ため息混じりに言うMさんの言葉が引っかかっていたが、確認しに行く時間的な余裕はなかった。
数日後、その川を見渡してみたが、エイの姿は見当たるはずもない。無事に海に戻れていますように、と心の中で何度も手を合わせた。
土曜担当…浜本美佐子
|
|
|
| 2013年12月20日(金) |
| あわてない、あわてない。。。 金曜担当…小笹正洋 |
|
最近では当たり前にあるファーストフードショップ、
インスタントやレトルトの食品。。。
大抵の食品は、お手軽に直ぐに食べられます。
非常に便利な世の中で生きています。
ファーストフードで、注文してから30分も待つのでは、
誰も購入しないでしょう。
インスタントやレトルト食品が調理時間に1時間かかるなら、
誰も作って食べないでしょう。
料理は、出てくるまでの間に、ワクワクしたり、会話をするのも
楽しみの一つのはず。
今では、たとえ待つことがあっても、携帯電話やポッケトゲームで
自分の世界に入って楽しむこともあるようですが。。。
現代のようなスピード至上主義がサービスの市民権を得ている
世の中では、待つということに対する忍耐や、一緒にいる人との
楽しみ方が損なわれてきているような気もします。
便利さの影で、育まれているものは。。。
時間を捻出るために、知らず知らずに手放しているものは。。。
持ち時間の長短よりも、
その時間の中での感じ方を大切にしたいものです。
今年も残すところあと僅か。
時間の使い方については、
反省の多い1年となりそうです。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年12月19日(木) |
| 人生はスポーツ 木曜担当…西端努斗夢 |
|
私はスポーツをするのも観るのも好きです。それは、私たちの人生と相通じるものがあるからかも知れません。
私が感じる人生とスポーツの共通点は次の4つです。
その1、どのスポーツにもルールがあること。私たちも社会のルールの中で生きています。
その2、ルールには、サッカーでは手を使ってはいけない、ラグビーではボールを前に投げてはいけないなどの制約があること。私たちも肉体的、物理的にたくさんの制約を受けています。
その3、プレイする空間がコートの中など制限されていること。私たちも限られた生活空間の中で生きています。
その4、プレイする期間が時間や回数によって限られていること。私たちも寿命という時間で生きる期間が制限されています。
オリンピックやプロリーグなど実力を競うチャンピオンスポーツにしても遊びの要素を持ったレクリエーションスポーツにしても、喜びや楽しみを味わいたければ、ルールや戦術を研究し、心身を鍛えて技術を向上させなければいけません。
日々の学びの中で“しんどい”と感じる時、私は、「人生はスポーツだ」と考えるようにしています。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年12月17日(火) |
| 「身を鍛える.」 火曜担当…坂本欣也 |
|
日曜日、友人と3人、飛鳥川のほとりを1時間50分かけて、ゆっくりと15キロ走りました。
心身統一、これまでは心が中心でしたが、最近は身を鍛える意味、そして爽快感を味わっています。
水垢離も気持ちの良い(笑)季節です。
自分の心身の中と間で起こる、変化を楽しんでいます。
ありがとうございました。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年12月16日(月) |
| コリン・ウィルソン氏の死を悼む 月曜担当…池田光 |
|
学生から社会人の初め頃にかけて、集中的に読んでいたのは、コリン・ウィルソンでした。
彼の作品『賢者の石』『至高体験』」『右脳の冒険』『フランケンシュタインの城』などを夢中で読むなかで、やがて僕のなかに「意識の拡大」というテーマが顕在化してきました。
そして、この「意識の拡大」というテーマが、その後の僕を決定づけました。
このテーマの延長線上に、一時期ケン・ウィルバーにのめり込んだり、天風哲学を学んだり、長岡禅塾に通っている今の僕があり、これからも細々と「意識の問題」に取り組み続けていくことでしょう。
…そんな、僕に影響を与えたコリン・ウィルソンが亡くなってしまったのです。
12月10日の夕刊を見ていたら、死去の報が掲載されていました。
記事によると、12月5日に、英南西部コーンウォール州の病院で亡くなられたらしい。
82歳でした。
すでに昨年、脳卒中を患い、会話能力を喪失されていました。
もう今では読むことがなくなったとはいえ、僕にもっとも影響を与えた一人でした…。
そうだ、書庫の一角には、コリン・ウィルソンの本が詰まっているはず…。
夜、薄暗く、寒い書庫に入って、ざっと数えてみたところ、60冊ほどありました。
今ではまったく取り出すことも読むこともありませんが、若い頃の僕の足跡が、そこには刻み込まれています。
淋しいという表現が近いのかも知れませんが、何とも言えない気持ちでいます。
これを表現するのは難しいけれど、
「みんな死んでいくんだなあ」という、確認作業をするような気持ちと、
「みんな死んでいってしまうんだなあ」という、取り残されていくような気持ちが入り混じった、どちらかといえば乾いた虚しさのような気持ちですね。
氏のご冥福を祈ります。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年12月14日(土) |
| 倍返し 土曜担当…浜本美佐子 |
|
ある通販化粧品を購入するため電話をかけた。社名に続いて個人名も名乗り、マニュアル通りと思しき丁寧な対応で注文を受けてくれた。
ふと、ある疑問が湧き、たずねてみると「責任は持てませんが、私はこう思います」というような返事だった。「○○さんと同じ思いです。責任を押し付けるようなことはしませんから」と、たまたま覚えていた相手の個人名と合わせて私自身の考えを述べる。「そうおっしゃっていただくと助かります」と、電話越しに安心している様子が伝わってきた。
この辺りのやり取りが、マニュアルに書かれているかどうかは不明だが、彼女は自分の思いを素直に伝えてくれた。ひょっとしたら、マニュアル外のことで、勇気の要ることだったかもしれない。
その後は確認作業をし、「ご注文ありがとうございました。○○(個人名)がお受けしました」と型通りに流れた。
今年もあと3週間程度だ。「多分、年内に注文をすることはないと思うので、○○さん、よいお年を」と言った。
「ありがとうございます。浜本様も良いお年を。来年もどうぞよろしくお願いします」。
声のトーンが上がり、頭を下げて心から仰っているような丁寧な言い方だった。
何気ない一言に、相手から何倍も心のこもった言葉が返ってきた。これぞ、十倍返し!
マニュアル通りの対応でも、互いのちょっとした気遣いがあれば、気持ち良くなれる。注文して良かったと思った。
土曜担当…浜本美佐子
|
|
|
| 2013年12月13日(金) |
| 生涯現役 金曜担当…小笹正洋 |
|
大阪市内の中崎町商店街に「青空書房」という古本屋さんがあります。
http://nomarkukai.cocolog-nifty.com/
店主の坂本健一さんは90歳の現役です。
67年間続けてこられたそのお店も年内いっぱいで閉店し、
現在のお店の近くのご自宅でひっそりと商いをされるようです。
ご本人は、生涯現役を貫かれるおつもりです。
お近くに行かれることがございましたら、是非お立ち寄り頂き、
90歳現役店主の優しさとエネルギーに溢れる語りに耳を傾けて下さい。
神通力があるんじゃないかと思いました(笑)
ちなみに、致知という雑誌の今月発売号にも掲載されています。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年12月12日(木) |
| 神様の目線 木曜担当…西端努斗夢 |
|
広い視野でものごとを見ることが大切だと言われています。私は、広い視野だけでなく、高い視点からも見るように心がけています。
そこで、私が意識しているのは、「神様(=本心)の目線で見るとどうか?」ということです。
病気や怪我、トラブルなど、人間の目線で見ればありがたくないことも、神様の目線から見ると、もしかしたら自分にとって必要不可欠な、ありがたい体験なのかもしれません。
凡人の私にとって、神様の目線で見ることは簡単なことではありませんが、見ようとする姿勢だけは常に持ち続けたいと思っています。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年12月10日(火) |
| 「病を忘れる.」
火曜担当…坂本欣也 |
|
西端さんの仰った「神様の休暇」をいただき、私も今日は床の中を温めていました。
そして、枕元にあった『運命を拓く』をふと手に取り、久しぶりに読み直してみました。
「人間は、どこから来て、どこへ去っていくのか。
人間はこの地球上に、何をするために生まれてきたのか。
命とは一体何か。心とは何か。身の役割は。そして心と身の関係は。」
「まえがきに代えて」の中で、若かりし頃の天風先生の心の中のテーマが率直な言葉で描かれています。
その後、アメリカ、ヨーロッパ、インドへと旅をして、その偉大な悟りを持って日本に帰国するのです。
初めてこの本を手にした時の感動を思い出し、またその時とは違う次元での味わいを噛みしめ、そして時折「安定打坐」を挟みながら、読み進めています。
すると、集中して読み進める途中、いつしか自分が風邪であることを忘れていたことに気づきました。
そして、天風先生が仰っていた、「病でなくなるには、病であることを忘れること」という言葉を思い出しました。
心が執着していない無念無想の状態。
明日からは北海道に旅します。(仕事ですが。。。)
もちろん、この本も一緒です。遠足の前のように、ワクワクしています。
「神様の休暇」に感謝です。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年12月9日(月) |
| 目標発想から資源発想へ 月曜担当…池田光 |
|
今年の前半は、昨年の二倍の仕事量をこなしていました。
昼夜を分かたず、パソコンに向かって集中していました。
仕事盛りの四十代の頃の勢いが戻ってきたかのように。
そして、8月末に大きな仕事が片付き、ホッと一息つくと、そのまま、次の仕事に向かう気力がなくなりました。
9月からこのかた、来た仕事だけを最低限にこなすだけになっていました。
が、12月に入って、少しかずつ気力が充実してきたように思います。
今年の前半にちょっと無理して仕事したおかげで、これからどうペース配分したらいいかが分かったように思います。
若い頃は、自分の能力や体力をあまり考慮せず、やりたいと思う「目標」を先に立てて、これを実現するように動いてきました。
が、還暦が近づいた今の僕は、大まかな目標イメージを描いているけれども、それに捉われず、自分の能力と体力から何ができるかを考え、無理せずに、しかも最大効果を狙いたいと考えています。
また、同様に、読みたい本はたくさんあるけれども、残された時間でどれだけ読めるかを考え、読書計画を立てなければならないとも思います。
「目標から計画する」のではなく、「現有資源から計画する」という方向に転じて行くということです。
ちょっと大げさですが、「目標発想から資源発想へ」ということであろうと思います。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年12月7日(土) |
| 本当の親切 土曜担当…浜本美佐子 |
|
先日、ある公民館を訪れることになった。何となく、その近辺に土地勘はあるものの、初めて行く場所だ。予め公民館のホームページで場所を確認し、当日も早めに家を出た。
「神戸市営地下鉄某駅の1番出口から徒歩5分」と書いていたので、1番出口と思しきところと地図を突き合わせる。あともう少しで着くはずだと思ったが、目印にしていた会館が見当たらない。
迷っている場合ではない。掃除をしている男性に訊ねるが「知らない」と言う。すぐ近くで道路工事をしていたお兄さんが、親切にも「どこですか?」と加わってくれた。
お兄さんは、工事現場のすぐ南側にある学校を指さし、「ボク、この学校の出身なんです」と心強いことを言ってくれる。地元の人なら、と安心していると「こんな公民館、知らないなぁ」。ギョッとしていたら、お兄さんは懐から何かを取り出し「ちょっと待ってくださいね~」と言う。
お兄さんは、私が出していた案内チラシ(住所と電話番号だけ記載)を見て、公民館に電話をかけ、場所を確認してくれた。懐から取り出したのは、携帯電話だったのだ。「一旦、○○へ戻って、東側に進むと川があるから、そこを目印に」と、わかりやすく説明してくれた。
本来なら、自分で公民館に電話をかけるべきなのに、見ず知らずの私のために、お兄さんは、わざわざ電話をかけてくれた! 作業服から会社名はわかったので、「せめてお名前だけでも」とたずねたら、「名乗るほどのことでは」と、工事を始めた。これ以上お手を煩わせるのもどうかと思い、丁寧にお礼を言い、公民館へ向かった。少し迷ったものの、おかげで集合時間までに無事到着した。
どうやら、地下鉄の1番出口が複数あったようで、別の1番出口を拠点にしていたことがわかる。私がお兄さんの立場なら、同じことはできただろうか? お兄さんの清々しさと親切心に、その日一日気分が良かった。
土曜担当…浜本美佐子
|
|
|
| 2013年12月6日(金) |
| 価値の勝ち!? 金曜担当…小笹正洋 |
|
濃緑の厚いビロウドのような苔に包まれた井戸、
去年とおなじように、散りこぼれるうす紅色のはなびらが
溢れる水にくるくると舞いやがて井桁の口から流れ落ちてゆく。
向うにしんとして小暗い杉の樹立を配して、それはいかにも
美しく生き生きと春を描きだしているようにみえた。
(中略)
けれどもしあの水を使うとしたらどうでしょうか。
そばへいって覗いてごらんなさい。
あれは底が浅いし、あのように桃の枝がさしかかっているので、
落ちこむのは花ばかりではなく、病葉も腐った桃の果も、毛虫もある。
たいていは流れだしてゆくが沈んで底に溜るものも多い。・・・
あなたはその水を汲んで茶が点てられますか。
「日本婦道記」という山本周五郎さんの短編集の一節からです。
言語明瞭で、立て板に水のような話しぶりであっても、
それほど心に残らない話しもあれば、
訥々とした話しぶりでも、人の心を打つ話しもあります。
それは、歌を聴いていても同じ感覚ではないでしょうか。
名曲が全て心に響くとは限らない。
名も無い曲も心を打つ。
同じ歌でも、歌手によって違う曲のように感じる。
詩の内容も旋律も同じであっても。。。
美しい詞や旋律だけでは、人の心を打てない。
話し手、歌い手がどんな「手」を入れ、気持ちを込めるかによって
その詞や旋律に込められた思いを表現していく。
井戸にしても、どのような「手」が入れられているか、
すなわち、手入れが行き届いているか。
見た目に美しいものを高貴なものとするのか、
味わってみてその価値を感じるのか。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年12月5日(木) |
| 神様の休暇 木曜担当…西端努斗夢 |
|
先日、風邪をひいて2日間、ベッドの中で過ごしました。
最近は年に何度か寝込むことがあり、私はこれを「神様の休暇」と呼んでいます。
働き過ぎで休養が必要な時や無理な生き方に気づいてあらためなければいけない時、神様が怪我や病気という形で休暇を与えてくれたと考えるのです。
休暇をいただいた私は、ベッドの中で神様に感謝して身体を休めるとともに、これまでの生活を振り返って反省し、心身ともにリフレッシュして再び現場に復帰します。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年12月3日(火) |
| 「プレゼント.」 火曜担当…坂本欣也 |
|
英語のPresentには、「贈り物」と「現在」という意味があります。
Presenceになると、「存在」を意味します。
「現在」つまり「今ここ」は、「大いなるもの:Something Great」からの「贈り物」だと感じます。
今朝の瞑想の時間に、「今、ここに、存在するあらゆるもの」を大切に感謝しなければならないという念が、ふつふつと湧き起こってきました。
「今ここ」に存在するものが、今現在の最高の贈り物。
ふさわしいものが、ふさわしい分量、ふさわしい時に、ふさわしい場所で、いただける。
自己の心身、家族、同志、仕事で関わる人々、友人、地域で知り合う人々、優れた本との出会い、
幸運なこと、一見不幸だと思うことも含めた、あらゆる現象
自分自身に起こる感情、ひらめき、インスピレーション、アイデアも、そのプレゼントに含まれるとも思います。
プレゼントを受け取るため、感受するために、五感を研ぎ澄まさなければならない。
ゆえに、天風先生のおっしゃる、「官能の啓発」が必要なのでしょう。
仏教の「六根清浄」という教えと通じ合うとも思います。
このことに気づかせていただいた事に、感謝いたします。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年12月2日(月) |
| 見るだけか、買うのか 月曜担当…池田光 |
|
早いもので、12月に入り、今年も一か月足らずとなってきました。
寒さが増してきましたが、つい先ごろの紅葉の盛りの頃は、少し美術館・博物館などをまわってみました。
11/8 神戸市立博物館で「プーシキン美術館展」
11/13 大阪弁天町のカフェギャラリーで「河上知明さんの灯り展」
11/20 兵庫県立考古博物館で「動乱! 播磨の中世」
11/23 大山崎山荘美術館で「光と灯り」
11/29 住吉倶楽部で「矢野太昭展」
11/30 横尾忠則現代美術館「肖像図鑑」と、兵庫県立美術館で「絵画と文学」
それぞれについて、いろいろ思うところはあります。
が、そんな中で、「矢野太昭展」では、2点欲しい作品がありました。
買い求めようと、ため息をつきながら鑑賞し、寸前のところで購入を踏み止まって、住吉駅のあたりで昼食をとりました。
その際も、引き返して購入しようという衝動がありました。
今も、欲しかった作品が目に浮かんできます。
矢野太昭さんは、名古屋のお生まれで、岡山の大学を出られ、そのまま岡山大学の大学院で美術教育を専攻された方です。
古代ガラスに惹かれ、ハッと息をのむ、素晴らしい作品を発表し続けられています。
僕が、彼の作品に出会ったのは、もう十年以上も前になるでしょうか。
東京のアルデバランというギャラリーで、たまたま彼の作品展があり、そのガラスの美に魅せられたのです。
今では5点ほど彼の作品を所持していますが、じつは、矢野太昭さんご自身とお話したのは、先日の11/29が初めてです。
ちょうどこの日は作家の在廊日であり、ほとんど開店と同時に行きました。そして、入口に一番近いところにあった作品と出会った瞬間に、欲しくなったのでした。
悲しい歴史を背負った民族の末裔であろう、老女のトルソ。
その肩にとまった、ガラスでできた一羽の鳥。
この像が目に焼き付き、何度もギャラリー内を引き返しては見つめました…。
今回のブログで言いたかったことは、次のことです。
美術館や博物館を巡って作品を鑑賞するのと、ギャラリーで作品が欲しくなり、買い求めようとするのとでは、まったく鑑賞の質が変わってくるということです。
矢野さんのトルソが欲しくなり、息をのんで見つめた作品は、僕の頭の中では、自宅のあの場所、この場所に置かれ、その部屋の空気感が変わるところまで想像が高まっていました。
今回、買い求めはしませんでしたが、寸前までいった作品だけに、細かなところまで記憶していて、鮮明なイメージが浮かんできます。
と同時に、自分のものにならなかった、悔しさのような、憧れのような気持ちがよみがえってきて、その物理的な作品を、何重にも心理的な思いが取り巻いて浮かび上がってくるのです。
美術的な作品を「買う」というレベルは、このように、恐ろしい行為なのです。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年11月30日(土) |
| おめでたい? 土曜担当…浜本美佐子 |
|
家の前を小さな川が流れている。良く見れば水が澄んでいることもあるが、底に泥が溜まっているのか、川の水は濃い灰色や茶色にしか見えない。川幅5メートル程度でコンクリート三面張りという、どこにでもあるような「どぶ川」だ。
こんな「どぶ川」にも、いろいろな生き物が住んでいる。4.5センチの魚(何かは不明)や3~40センチ位のフナ(と思しき魚)をはじめ、カメが泳いでいることもある。川べりでハトが羽を休めていたりもする。
さらには、コサギやカモもいるのだ。多い時には、コサギは2.3羽、カモは14.5羽もいる。カモは、その形だけで愛らしいし、コサギは見るからに優雅だ。
「こんな汚いところにどうして?」と思いつつ、彼らを見かけるだけで、ホッコリと幸せな気分になれるから不思議だ。
時々、家の窓から電線にとまるコサギを見ることさえできる。猫たちと一緒にテンションを上げ、「何エエことあるんやろ~」と思っている私は、おめでたいだけなのだろうか。
土曜担当…浜本美佐子
|
|
|
| 2013年11月29日(金) |
| 最近感じる違和感・・・ 金曜担当…小笹正洋 |
|
毎日の通勤途中に見かける光景で、
パチンコ屋さんの前を通るときに
いつも、入場整理の60歳前後のガードマンの方が
立っておられ、挨拶をすると非常に元気よく気持ちよく
挨拶をして下さいます。
傍らでは、若者(20代位)がパチンコ屋さんの開店を待つ姿。
私自身はパチンコはやりません。
また、パチンコの良し悪しを論ずる必要はありませんが、
何度見ても、違和感を感じる光景です。
失業率が4%程度とか、大卒者の就職率67%程度というのも
求人倍率(求人数÷求職数)も0.8程度という中で、
先程の光景を再度思い返してみると、何とも腑に落ちない。
企業や行政の問題だけとは考えにくいとは思いませんか。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年11月28日(木) |
| 古代の日本人 木曜担当…西端努斗夢 |
|
特定秘密保護法案が昨日、衆院で可決し、通過しました。一方で、福島原発では復旧作業が遅々として進まず、事故の責任は今も曖昧なまま。
日本という国は、これからどうなっていくのでしょうか?
古代の日本人は、自然と溶け合い、人間同士が真実のヒビキで繋がりあって、豊かさを獲得していたそうです。
政治や行政がどうなろうと、私は、古代の日本人が生きた世界を自分のまわりに創り出していきたいと思います。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年11月26日(火) |
| 「犬山にて.」 火曜担当…坂本欣也 |
|
先ほど、犬山に到着しました。
今週は、犬山、神戸、東京です。
風の又三郎のような生活です。
求められるところに行き、求められることをする。
ありがたいことです。
席が空いたら座りましょう。
夢か幻か、良くわかりませんが。
一日一生。
楽しみたいと思います。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年11月25日(月) |
| 領収書の人生を生きる 月曜担当…池田光 |
|
このところ、同時並行で4冊の本の編集を進めています。
その1冊に、わが本心塾でもご熱心に参加いただいている、多治見の加藤健治さんの原稿があります。
僕は、加藤さんの原稿とじっくり取り組みながら、
「力みのない、素晴らしい原稿だなぁ」
と感心しました。
初めて本を出そうとすると、どうしても力みが入ります。
うまく書こうとか、読み手を感心させてやろうとか、えらい人物だと思われようとか…。
そして、この力みが読み手との間で「壁」を作ってしまうのですが。
加藤さんの原稿にはそれがなく、「普段着の感じで書こう、読み手にわかりやすく伝えよう、実際の自分を出そう」という感じです。
そこが非凡なところです。
加藤さんの原稿には、いろいろ教えられました。
その一つを紹介します。
「人の生き方には二通りあって、『請求書の人生』と『領収書の人生』があるとのことです。
『もっと、もっと』と際限なく求めて欲しがる『請求書の人生』と、今与えられていることに感謝できる『領収書の人生』があるということです。そして、鍵山さんは、『領収書の人生」を歩めということを示されています」
僕は、この考え方に「なるほど」と感じるところがあり、先日、同年代の人に話しました。
すると、彼の答え。
「まだ払てもろてない請求書が3枚あって、この入金がないと年を越せまへん。
そやから領収書も発行でけへん。とほほ…」
そのとき、僕は前に西端さんが「予祝」について書かれていたことを思い出し、
「請求書に、領収書の言葉を入れているはず…。
『いつも、ありがとうございます』と。
我が国には、予祝という習わしがあります。秋の豊作を春に祝って、先に感謝してしまうのです。
だから、請求書を出したら、どんどん領収書言葉を投げかけてしまいましょうよ」
と。
…それにしても、加藤さんの原稿は面白く、素晴らしいです。来年早々には出版したいと思います。
その際は、ぜひ、お手にお取りください。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年11月23日(土) |
| 初めての経験 土曜担当…浜本美佐子 |
|
シニアを対象にしたコミュニケーションセミナーの依頼があり、先日講師を務めた。受講生の中に70歳代・80歳代の方がいたことは何度もあるが、シニアだけを対象にしたのは初めての経験だった。
通常は、文字を並べたチェックシートを使うのだが、「よく見えない」とおっしゃる人もいるだろうと、内容も変えて準備をした。
会場に着くと、主催者のご担当が「今日はお天気が良いから人数が少ないみたい。ごめんなさいね~」。皆さん、紅葉狩りにでも行かれたようで……。
とはいえ、遅れて1人2人と増えていく。気付けば20人を超えており、やりやすく結果の出やすい人数となった。
コミュニケーションセミナーは、私自身が非常に楽しんでいる。幸い、いつも受講生に恵まれ、スムーズに運んでいる。今回も、グループワークで盛り上がってくださった。
実はこの日は、初めての会場だった。事前に、インターネットで電車の時刻もバッチリ調べていた。「最寄り駅」で降り、何となく違和感を覚えて駅員に会場の建物がどこかをたずねた。な、なんと駅そのものを間違っているという体たらく。何を勘違いしたのか、4つも手前の駅を会場の最寄り駅と思い込んでいたのだ。幸い10分前に会場に駆け込んだが、こんな大失敗も初めての経験だった。
12月、1月にも、一般の方を対象としたセミナーをさせていただける。また、元気をもらえると思うと、今からワクワクしている。
ちなみに、どちらの会場にも行ったことがあるので、間違った駅で降りることはない。はずだ。
土曜担当…浜本美佐子
|
|
|
| 2013年11月22日(金) |
| 表現と反応・・・ 金曜担当…小笹正洋 |
|
先日職場にて、職能責任者に対して注意指摘をした際に、改善の意思表示とは逆に、
言い訳や自己正当化の発言が返ってきました。
普段からルーズな振る舞いや、責任感の無い発言もあったことから、
それに対する警笛を鳴らす意味で、激しく怒りの表現をして注意をしました。
「表現をして」とあえて申し上げるのは、人憎しの感情をぶつけているのではなく、
行為や考え方に対しての注意指摘の意味で、強く思いをぶつけたつもりでした。
自分では理性を働かせているつもりでも、大きな声や、怒りの単語を発すると、
心もそれに靡いて動揺していくものなんだと体感しました。
直後に、ハサミで紙を切るときに、
ハサミを持つ手が細かく震えていたのです。
自分でも不思議な感覚でした。
頭の中では、憎悪の感情は無いつもりでも、身体は反応している。。。
心で思っていることが、言葉や態度に出るだけでなく、
言葉や態度に出したことに、心も反応しているのですね。
やっぱり、よい言葉、よい姿勢、よい考え方を習慣としていきたいですね。
人のためにも、自分のためにも。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年11月21日(木) |
| 友 木曜担当…西端努斗夢 |
|
池田塾長が亡くなった友人のことを以前、このブログで2回にわたって書かれていました。友人は高校時代から洋書をスラスラ読む秀才だったそうです。
自慢ではありませんが、私にも高校時代に洋書を読む友人がいました。
ただ、同じ洋書でも大きな違いがあります。池田塾長の友人が読んでいたのは、哲学の原書だそうですが、私の友人が読んでいたのは同じ洋書でも、悩ましいポーズで微笑んでいるお姉さんの写真が掲載された本でした。
もちろん、私もその本を借りて、一生懸命勉強したことは言うまでもありません。今となっては、懐かしい思い出です。
そんな友人と、今も時々一緒に遊びますが、昔と変わらない“よき友”です。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年11月19日(火) |
| 「ピンクの富士山.」 火曜担当…坂本欣也 |
|
今週は静岡・三島におります。
朝6時から、富士山を見ながら、日課のジョギングをしてきました。
富士山にはすでに雪が積もり、その上から綿のような雲が綿帽子のようにかぶさっていました。
そして、朝日の光がその雲と雪をピンク色に輝かせていました。
まるで、ピンク色の富士山を見ているようでした。
本当に幻想的な光景でした。
朝から感動的な素晴らしいプレゼントをいただきました。
It made my day!
ありがとうございました。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年11月18日(月) |
| 「ハイゲンキ」岩崎輝明氏の死を悼む 月曜担当…池田光 |
|
「ハイゲンキ」で知られる
株式会社玄米酵素の岩崎輝明会長が亡くなられ、
大阪では11月17日にお別れの会があったとのこと…。
昨日のことだったのですが、
僕は自宅で静かにご冥福をお祈りしました。
かつて、岩崎氏から東京の社屋にて記念講演を依頼され、
そのあと、カラオケをご一緒したことがあります。
大変素晴らしい方で、「ハイゲンキ」やサイン入りのご著書をいただき、
いずれは氏のことを書きたいと思っていました。
岩崎氏は北海道出身の方で、
お会いした翌年に北海道で素晴らしい本社社屋を建てられ、
梓みちよさんなどを呼ばれて、パーティーをされたとか。
…僕も招待されたのですが、
なにぶん飛行機が苦手なので、お許しいただいた次第。
こうして氏は、東京から北海道へ行かれたのですが、このたび、もっと遠いところへ行かれていまいました…。
重ねてご冥福をお祈りいたします。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年11月16日(土) |
| 間違いそうな表現 土曜担当…浜本美佐子 |
|
お馴染みの『問題な日本語 その3』(北原保雄編著)から、使い方を間違えそうな表現について、クイズ形式でご紹介を。
問い
1. 「間髪を容れず」の読み方は?
2. 「綺羅星のごとく」の読み方は?
3. 「顔色を失う」の読み方は?
答え
1. 「かん、はつをいれず」。間に髪の毛一本も入る隙間がない、意。
※「かんぱつをいれず」ではない
2. 「きら、ほしのごとく」。 綺羅星という星はない。華やかな存在・実力者が並ぶさま。
※「きらぼしの ごとく」ではない
3. 「がんしょくをうしなう」 なお、「顔色(かおいろ)を無くす」
日本語研究で有名な金田一秀穂氏(『Dr.金田一&柴田理恵のことば診療所』)によると、日本語は、発音がとても容易で、その音は105とか101(数え方による)と言われている。ちなみに、英語の音は3万以上あり、たいていの言語は日本語のように簡単ではないらしい。それにもかかわらず、諸外国の人が「日本語は難しい」というのは、漢字・カタカナ・ひらがながあり、「読み書き」が難しいからだそうだ。うーん、ナットク!
土曜担当…浜本美佐子
|
|
|
| 2013年11月15日(金) |
| やっているうちに・・・ 金曜担当…小笹正洋 |
|
かんちがいでも
いいだろ、
つよがりでも
いいだろ、
やってるうちに
かわることもあるだろ。
神岡学さんの言葉ですが、
ここに深い意味を感じます。
背伸びがやがて身の丈になると
以前に教わった事がありますが、
人は、自信ができてからやるのではなく、
やるから自信がついていくんでしょうね。
困難や新しいチャレンジに対して
逃げずに挑んでいく勇気が湧いてくる
言葉に出会いました。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年11月14日(木) |
| やり続ける 木曜担当…西端努斗夢 |
|
毎朝6時過ぎ、私の携帯電話に知人からメールマガジンが届きます。
内容はもちろん、それ以上にすごいと思うのは、1日も休むことなく何年も続いていることです。
派手な大きいことをやったからといって、私はそれだけでその人を信じることはしません。しかし、小さなことでもやり続けている人には大きな信頼を寄せます。
男として生まれた限り、何か目立つ大きなことをやりたいと思ったこともありましたが、今は、たとえ小さな目立たないことでも、当たり前のことをコツコツとやり続けられる人間を目指しています。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年11月12日(火) |
| 「どんなことにも意味がある.」 火曜担当…坂本欣也 |
|
最近は何かとトラブル続きです。
先日などは、ホテルの部屋の中で、朝の日課の天風心身統一体操をしていたら、勢いよく後ろに広げた右腕がペットボトルに当たり、コンピューターのキーボードに水が大量にこぼれてしまい、コンピューターが壊れてしまいました。
この時ばかりは、俺はなんてアホなんだと、情けなくなりました。
しかし、こんな時ほど、周囲の人々に助けられ支えられていることを実感します。
思い返せば、これまでの人生、それの連続でした。どの国でも、行く先々で。
トラブルや困難は、その事に気づかせてもらうためのメッセージなのでしょう。
本当は、普段からもっと有難く感謝して過ごさないといけないのでしょうね。
私にはまだまだそれが足りないようです。
どんなことにも意味がある。
絶対積極で進んでいこうと思います。
ありがとうございました。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年11月11日(月) |
| MIYAKO 月曜担当…池田光 |
|
この10月に、東京で立花大敬先生の講演会がありました。
僕はその前座を務めたり、サイン会をしていたのですが、そこにMIYAKOが小走りにやってきました。
「覚えてますか?」
「もちろん…。まだ、歌ってますよね」
と僕。
彼女は、にこにこしながら「アルバム送りますね」と。
僕が、バイリンガルのMIYAKOに出会ったのは、もう10年近く前のことになるのかも知れません。
それから数年後。
九州で再会したとき、彼女はシンガーソングライターになっていました。
彼女の生の歌を数曲聞いて、
「デビューできようができまいが、諦めないでほしい。
諦めなかったら、道は開けるから」
と言ったことを覚えています。
数日前に、彼女のアルバムが届きました。
3枚。
各9曲ずつ。
どれも彼女が作詞作曲し、彼女が歌っています。
数曲聞きました。彼女のサイトがあるらしい…。
http://www.miyakos.net/
このサイトで、彼女の曲を聞くことができます。
よかったら、覗いてあげてください。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年11月9日(土) |
| 命のリレー 土曜担当…浜本美佐子 |
|
先週、父の墓参りに行って捨て猫を保護したことをご紹介した。全体をわかりやすく書こうとしたため、かなりはしょって書いたが、猫の主治医と新しい飼い主の他にも、感謝の気持ちを忘れてはならない人たちがいる。
父の墓は自宅から徒歩数分に位置するため、一度墓の前を通り過ぎて実家を訪れた。実は通り過ぎた時に、茶トラの仔猫が必死になき叫んでおり、後ろ髪を引かれる思いで、いったんは「見なかったことに」したのだ。
実家の用事を済ませて墓に戻ると、鳴き声はしなくなっていた。
お線香を求めて墓の詰所に行くと、顔馴染みの墓石屋のお兄さん(私は、年齢に関わらず良識ある男性を「お兄さん」と呼ぶ)が、ご婦人と話をしていた。夫の墓の話をしていたようだったが、話も纏まり、ご婦人は立ち去ろうとしていた。
いつものように墓石屋のお兄さんに挨拶をし、仔猫の話をすると、「朝の5時か6時くらいから鳴いていたらしいから……」と顔を曇らせた。時計を見ると12時を回っている。「もうダメかも」と言いつつ、鳴き声のしていた辺りに向かおうとすると、そのご婦人も同行してくれた。
「現場」に着くと、汚い箱の中から弱々しい鳴き声が聞こえてきた。「とりあえず命はある」と安心して箱の中から取り出そうとしたら、鳴き声も出せないほど弱り切った仔猫が奥にいた。
2匹を動物病院に連れて行く際、墓石屋のお兄さんと、そのご婦人がカンパをしてくれたのだ。お兄さんは、ともかく、ご婦人は初対面で名前も知らない。まして、夫を亡くして間もないような方だ。迷ったが、せっかくの好意を有難く頂戴することにした。
幸い仔猫は2匹とも助かり、揃って引き取ってくれるという有難い飼い主が見つかったことは、先週書いた通りだ。
いろいろな場面で援助してくれた人たち―猫の主治医・墓石屋のお兄さん・あのご婦人、そして、新しい飼い主―のおかげで小さな命は助かり、私も救われた。
後日、墓石屋のお兄さんに諸々報告をすると、箱から少し離れたところに、仔猫の亡骸があったという。2匹には亡くなった兄弟の分まで幸せになって欲しい。
土曜担当…浜本美佐子
|
|
|
| 2013年11月8日(金) |
| 言葉から貰う力。。。 金曜担当…小笹正洋 |
|
好きな詩を繰り返し何度も読んでいると、
疲れを癒してくれ、元気が湧いてきます。
最近好きな詩は、坂村真民さんの詩です。
「本当の愛」
本当の愛は タンポポの根のように強く
タンポポの花のように美しい
そして タンポポの種のように四方に
幸せの輪を広げてゆく
「詩集 念ずれば花ひらく」/坂村真民(著)
強いものは美しい。美しいものは強い。
それは、本物だからだと思います。
しっかりとした根っこがあるからだと思います。
強くありたい。
美しくありたい。
そして、幸せでありたい。
そのためにしっかりとした根っこを育てたい。
タンポポのように。
観賞用のお花は、目を楽しませてくれます。
しかし、時折何か物足りないものを感じさせられます。
それは、タンポポには自らの力で生き抜こうとする力を感じ、
観賞用のお花からは、それを感じられないからなのだと思います。
踏まれても、踏まれても
また次の年に綺麗な花を咲かせる。
雑草は強い。
温室育ちとは違う。
ひまわりや、カサブランカも大好きだけれども・・・、
やっぱり野に咲く花。
タンポポが大好きです。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年11月7日(木) |
| 命を知る 木曜担当…西端努斗夢 |
|
16日の本心塾・潜学講座で急きょ講師として皆様の前でお話しさせていただくことになりました。
今回のテーマは、「命(めい)を知る」です。
人間は何のために生まれてきたのか?
自分の天命は何か?
私は、若い頃からその答えを追い求めてきました。
その結果は・・・
講座では、そんなお話もさせていただこうと思います。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年11月5日(火) |
| 「親子の決断.」 火曜担当…坂本欣也 |
|
双子の息子たちが、10月末でサッカークラブを退団しました。
最近問題視されている小学生が大人並みに疲れ切っている姿。
私の子供たちも、少しそのように見えたのです。
以前は、張り切ってやっていたサッカーや書き方などの習い事に対して、イヤイヤやっているようなそぶりが目立つようになってきました。ぼーっと集中力がないように見えることが多くなってきました。
夏の終わりごろからサッカーを辞めたいと口にするようになりました。
3年生の夏から1年強、平日は塾と習い事、水土日はサッカーで、彼らもくたくただったようです。
3年生後半になると、それに加え、水と金の夜にもナイター練習が追加されるそうなのです。
男親としてどう向き合うべきか?悩みました。
「一度やろうと思ったことは、最後まで続けろ!石の上にも3年だ!」
なのか、
「サッカーだけが全てではない。他の可能性を探ってみよう!」
なのか。
私が出した結論は、「退く勇気」も必要じゃないか。ということでした。
大人の社会でも、退くことができずに、前に進み過ぎてしまい大きな問題を犯してしまうことはよくある話です。
他に自分を活かせるかもしれない可能性があるのに、その場に執着してしまう。
「退く」「他の可能性も探る」経験をするのも、大事なことなのではないか。
ただ、進むのか、退くのかの判断は難しい。
そこで、「納得するまで、とことん話し合う」「決断したあとは、神さまにゆだねる」を実行しようと思いました。
そして、出した結論でした。
本人たちも、サッカークラブを辞めることには、相当悩んだようです。
しかし、最近の子供たちを見ると、以前のような、子供らしい笑顔が増えたような気がします。
好きだった読書や外遊びも、夢中になってするようになりました。
この決断と経験が、今後の人生にどう影響するのか。
それは、神さまにゆだねます。
子育ては親育て。良い経験をさせてもらっています。
ありがとうございます。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年11月4日(月) |
| 底にタッチする 月曜担当…池田光 |
|
ある女性が、彼女のブログで、
「なかなかのネガティブなので、すぐ良くない方向へ考えがいってしまいます」
という意味のことを書いていました。
これに対して、次のコメントが寄せられていたのですが、僕はその一文に目を見張りました。
「私は落ち込む時は、とことん奈落の底まで行くよ( ̄∀ ̄)
底にタッチしたら、あとは浮き上がってくるの。
ネガな考えに捕らわれている不自由さに、我慢できなくなるみたい。
これをノーテンキとも言うかも(≧∇≦)」
このコメントに、僕はえらく感心したのです。
「とことん奈落の底まで行く」という覚悟
「底にタッチする」という発想
「あとは浮き上がってくるの」という爽快さ
「ネガな考えに捕らわれている不自由さ」という価値観
なんと、短い文章のなかに、叡智が凝縮されていることか。
さっそく僕は、
「落ち込む時は、とことん奈落の底まで行き、底にタッチしたら、あとは浮き上がってくる」
と手帳に書き込みました。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年11月2日(土) |
| 金木犀が香るたびに 土曜担当…浜本美佐子 |
|
今から7、8年前の10月上旬、その日は天気も良く、「父の墓参りに行こう」と思った。
父の墓は自宅から徒歩数分のところにあり、休日に気が向くと訪れている。どこからともなく漂う金木犀の香りに気分を良くしながら歩いていると、なんと墓の一角で捨て猫に遭遇してしまった。かなり弱っているようで、鳴き声が弱々しかった。
1匹だけだと思っていたら、箱の中にもう1匹おり、鳴く元気もないほど弱り切っていた。助けたいが、飼う覚悟なしに助けるわけにはいかない。頭の中で、「どうしよう」が渦を巻いた。
当時は、兄猫1匹だけが同居家族だった。誰に似たのか気難しく、自分のことを猫と自覚していない兄猫は、とても仔猫2匹とうまくやっていけそうにない。
考えた末に、「まず、目の前の命を助け、新しく飼い主を探そう」と思った。もちろん、飼い主が見つからない時の覚悟はしていた。
猫の主治医に電話をかけると、時間外にもかかわらず「家に連れて帰らず、すぐに連れて来なさい」とのこと。慌てて病院に走った。2匹に下された診断は、「かなり弱っているから、助かるとは限らない」で、即入院だった。
正直、いつ回復するのかわからない猫2匹を、入院させる費用ってどれくらいかかるのだろうか、不安で仕方なかった。
仔猫は、1週間足らずで退院できるまでに回復した。受付で診療費を確認すると7000円足らずと言う。思わず、1ケタ間違っていないのかたずねたら、受付嬢が「いいえ。その代わり、また保護してあげてくださいね」と、笑窪を輝かせて微笑んだ。
幸い、仔猫は2匹揃って引き取ってくれるという、有難い飼い主が見つかった。
金木犀が香るたびに、捨て猫を保護したことが蘇る。猫の主治医の優しさと、新しい飼い主への感謝の気持ちをいつまでも忘れてはならない、という思いと共に。
土曜担当…浜本美佐子
|
|
|
| 2013年11月1日(金) |
| 桃から生まれた・・・ 金曜担当…小笹正洋 |
|
むか~し、むかしあるところに、お爺さんとお婆さんが住んでいました。
お爺さんは山へ柴刈りに、お婆さんは川へせんたくに行きました。
お婆さんが川でじゃぶじゃぶ洗濯をしていますと、
川の上流から大きな桃が、どんぶらこ、どんぶらこと流れてきます。。。。
桃から生まれた桃太郎さんのお話しは、こんな下りの始まりですね。
この桃太郎さんが立派に成長し、お婆さんから黍団子(きびだんご)を貰って、
イヌ、サル、キジを従えて、鬼ヶ島まで鬼を退治し宝物を持ち帰る物語ですね。
この桃太郎とイヌとサルとキジには組織運営を考える上で、絶妙の役割のバランスが
取られていたようです。
1.起業家である桃太郎
まず、創業期は、起業家のエネルギーが必要。
起業家は長期的なアイデアがどんどんと湧いてくる人で想像力が有り、
そのアイデアを実現するのにいけいけドンドンで突進していくタイプ
2.実務家であるイヌ
ところがアイデアだけではスタートできない。
それを具現化していく実務家が必要。
商品の仕入先を決めたり、配送システムを作り上げたり日常業務を効率的に
回せる人で、実務家は起業家に対しての『魔術師』。
創業者の語る夢を具現化させていく。
起業家と実務家のエネルギーが協力し合い会社や組織は成長期に向かって離陸する。
新たな事業や創業にはこのコンビが必須。
3.管理者であるサル
次に成長期になるとマネジメント能力を超えた仕事が発生し、様々な問題が起ってくる。
ここでは実務家と管理者が組んで日常業務をシステム化していかなければならない。
管理者はルール化・ルーチン化という効率を重視する役者の任を果たす。
4.調整役であるキジ
最後は、まとめ役として組織内ではお母さん的な存在。
組織がバラバラにならないようにする役目。
また、組織内で分裂が深刻になると『問題社員』という陰のまとめ役が出てくる。
この問題社員の悪口を言い合う事で組織が一つにまとまることもある。
いわゆるスケープゴート(問題の転換先、はけ口)の役割。
「桃太郎は、鬼が島に鬼退治に出かけようというアイデアを思いつく。
アイデアを思いつく桃太郎は、起業家。
桃太郎が歩いていくと、そこにイヌが鬼退治に加わる。
イヌは主人に忠実に尽くすので、実務家。
次にサルが加わる。サルは知恵の象徴。
システム化が重要な仕事である管理者の役割。
最後にキジ。キジは愛と勇気の象徴。
グループ全体をまとめ上げる、まとめ役。
このように、桃太郎の物語を組織運営に当てはめてみると、
起業家・桃太郎が鬼を退治するというミッションを持って、
実務家、管理者、まとめ役に出会い、
最終的に宝を持ち帰るということになるようです。
めでたしめでたし。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年10月31日(木) |
| 神様の気分次第 木曜担当…西端努斗夢 |
|
先日、陶芸家の知人が毎年行っている窯焚きのお手伝いさせていただきました。登り窯の中が決められた温度になるよう、薪を調整しながら火を燃やし続けのるは、少し緊張しますが、それでもやめられないのは、どんな作品ができるのかワクワクさせてくれるからです。
私が陶芸に魅かれるのは、人知を超えたところで作品が生まれるところにあります。
作家は、意図した作品を生み出すために土を選び、形をつくり、それを窯の最も適した場所に置き、窯の温度を徹底的に管理して焼き上げます。
しかし、長年の経験と日頃の精進による人知を尽くしても、意図したとおりの作品ができるかどうかは、火を落として窯を開けるまでわかりません。
思い通りの作品が生まれるかどうか? あるいはまた、思いもよらない素晴らしい作品が生まれるか? 最後は火の神様、窯の神様の気分次第なのです。
火の神様、窯の神様は、作家の生き方見ていて、作品の出来栄えをそれで決めているような気がします。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年10月29日(火) |
| 「研修で再確認したこと.」 火曜担当…坂本欣也 |
|
昨日は、埼玉県のある企業で研修をしていました。
受講者は、来年から1年間海外現地法人へOJT研修に行かれる方々です。
昨日は2日間ある中の1日目でした。
その1日目の最後の感想の中に、
「研修前は、現地の文化、人々、仕事の仕方などを学ぶために行くという考えしかなかったが、日本の文化、考え方、素晴らしい所を伝えるのも、今回の海外研修の目的であり、私達に与えられたミッションでもあるという自覚を持った」
といコメントがありました。このコメントは、私にヒットし、気づきを与えてくれました。
「グローバルスタンダードは何か?」「グローバルな場面で、どのような振る舞いをすればよいか?」
と、よく質問されることがありますが、
「自分のままでいいですよ。ただし、日本人であれば、日本人である振る舞いや態度が、外国人には誤解を与える場合もあるので、自らの振る舞いや態度を説明できる知識と能力をつけて行ってください」
と、私は答え、それができるようになるキッカケになる演習と講義を組み入れています。
日本人であれば、日本人の美しい心、強みを再確認し、それに基づいた振る舞いをする。またそれらはどういう背景で形成されてきたのかを知る。それを追求していけば、それがどの文化や国も関係のない人類の普遍的なレベルにつながっていく。これが「ひとついのち」のレベルに近づく。
そして、美しい振る舞いをすれば、それはその個人が尊敬されるだけでなく。その会社、そして日本が尊敬されるのです。そうすると反対に、相手のこと、相手の国、文化のことも尊敬できるようになると思うのです。
Be yourself but need to recognize and explain who you are.
More you know about yourself, more you will know there are no difference between yourself and others.
自分自身でいい。しかし、自分自身が誰なのかを認識し説明できなければならない。
自分自身を深く知ることは、自分自身と他者との間に違いがないことへの気づきにつながる。
これが、昨日の研修を通して、私が自分のメッセージとして再確認した言葉でした。
この再確認の気づきを与えてくださった受講者の方々に感謝いたします。
では、2日目も楽しんできます!
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年10月28日(月) |
| 一人カラオケ 月曜担当…池田光 |
|
先日、東京出張をして、三日目の夜に旧友と再会。
赤坂サカスで食事したあと、友は、
「近く舞台で歌うから、練習のためにカラオケを…」
と言った。
そして、ボックスではなく、舞台で歌うタイプのお店に行こうと提案した。
「カラオケなんか行かないよ。それに舞台で歌うのは絶対イヤだよ」
と、僕は断ったが許してくれず、問答の末、ちょっと高級なボックスタイプのカラオケのお店に落ち着いた。
一時間くらい交互に歌って、そして友が平原綾香の「おひさま」を歌ったとき、突然、音程が狂った。
見ると、友は、泣いていた。
そこまで、感情移入していた。
泣いたのは、その歌のときだけだった。
あとは完璧に歌い、まるで女優のような感情表現で僕は圧倒された。
一年半くらい前から、僕はカラオケをやりだしたけど、それは「なりきる」という修行のためだった。なのに、その人の圧倒的な表現力の前では萎縮してしまって、ぜんぜんダメだった。
僕は、いつもより下手にしか歌えなかった。
友は諭した。
「自分の世界に入るのよ。誰がいたって、いいじゃない」
その人は、誰がいたって、一人カラオケなのだ。
舞台のなかに一人いるのだ。
僕はこれまでは抵抗があって、一人でカラオケのお店に行けなかったが、勇気をふるって、今から出かけて一人でカラオケするつもり…。
僕の心に他を意識する何かがある。大げさに聞こえるかもしれないが、それを超克すべく、何かをつかみたい。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年10月26日(土) |
| 秋の風物詩 土曜担当…浜本美佐子 |
|
私は秋が嫌いだ。子供の頃の「楽しかった夏休みが終わってしまう」という思いを引きずっているようで、クソ暑くても夏が好きだ。
こんな秋嫌いの私でも、秋の楽しみがある。金木犀の香りだ。
甘くて爽やかで自己主張し過ぎず、どこか切ない、あの香りがどこからともなく漂ってくると、何とも言えない幸福感に包まれ、漸く「夏が終わった」と諦めがつく。
毎年10月上旬頃から、自宅近くの金木犀を植えている家の付近を通るたびに、犬のように鼻をクンクンさせているのだ。
今年は異常に暑かったせいか、10月中旬になっても金木犀の香りがしてこない。「いよいよ日本の春と秋がなくなるのか?」と思っていたら、昨日やっとあの香りに遭遇できた。
金木犀の木は、人がこぞって花見をする桜と違い、背も高くなく、花も小粒だ。ひっそりと薄いオレンジ色の花を咲かせ、「私の香る秋になりました」と、さり気なく香りでアピールしている。そんな秋の風物詩に、「台風27号に負けずに咲いていてね」とエールを送った。
土曜担当…浜本美佐子
|
|
|
| 2013年10月25日(金) |
| ブスの条件・・・? 金曜担当…小笹正洋 |
|
パソコンの中のデータを整理していましたら
こんなのが出てきました。
ご存知の方もおられるかも知れませんが、
【宝塚歌劇団・ブスの25箇条】
1.笑顔がない
2.お礼を言わない
3.おいしいと言わない
4.精気がない
5.目が輝いていない
6.いつも口がへの字の形をしている
7.自信がない
8.希望や信念がない
9.自分がブスであることを知らない
10. 声が小さくいじけている
11. 自分が正しいと信じ込んでいる
12. 愚痴をこぼす
13. 他人をうらむ
14. 責任転嫁がうまい
15. いつも周囲が悪いと思っている
16. 他人に嫉妬する
17. 他人につくさない
18. 他人を信じない
19. 謙虚さがなく傲慢である
20. 人のアドバイスや忠告を受け入れない
21. なんでもないことに傷つく
22. 悲観的に物事を考える
23. 問題意識を持っていない
24. 人生においても仕事においても意欲がない
25. 存在自体が周囲を暗くする
5つ程当てはまるかな・・・
と思いつつ。
気が付けば改善あるのみ。
意識して言動すれば、必ず良くなる。
継続すれば、自然に出来るようになる。
でも、逆をやれば良いってもんじゃありませんから。。。
念のため。
例)16.他人に嫉妬する ⇔ 自分に嫉妬する
こんな人はいませんよね(笑)↑
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年10月24日(木) |
| 音の不思議な力 木曜担当…西端努斗夢 |
|
坂本さんが先日のブログに書かれていましたが、今月20日に立花大敬さんの講演会が東京で開催され、私も参加させていただきました。
講演会は、『朗読CD版 立花大敬先生 しあわせ通信』の完成を記念したもので、参加された方から、「聴いていると心が温かくなってきた」という言葉を耳にしました。CDの制作を担当させていただいた私としては、とてもうれしい言葉です。
大敬さんは、文章を書かれる時も言葉の持つ「音」や「響き」を大切にされていて、それが聴く人の心を温かくさせるのだと思います。
音も光も物理的に言えば波動なのですが、音には光にはない不思議な力があるようです。例えば、耳の聞こえない人が名人の奏でる音楽を聴いて涙することがあるのもそのためではないでしょうか。だからこそ、言葉には言霊が宿るのかも知れません。
書籍で文章をじっくり味わうのも良いですが、朗読したものを耳で聴くのも読書とまた違った味わいがあり、私も今回のCDから新たな気付きや学びをいくつもいただきました。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年10月22日(火) |
| 「立花大敬先生、記念講演会」 火曜担当…坂本欣也 |
|
10月20日、「読書のすすめ」主催の「立花大敬記念講演会」に参加してきました。
これまで西端さんから、いろいろと情報をいただき拝読拝聴してきましたが、
生(なま)大敬先生ははじめてで、とても楽しみにして参加してきました。
ご自身が語られるが如くの方で、柔らかく穏やかで、壁がなくて、
しかし、内には大きな大きな無限に広がる心を持っていらっしゃるという印象が残りました。
テーマは「今、大敬先生が伝えたいこと」で、ご自身の人生に起こったことに照らし合わせ、
分かりやすく、そして楽しくお話しいただきました。
学んだことはたくさんありますが、
その中で今私の心に印象深くのこっている点を共有させていただきたいと思います。
私達は一人ひとりの「命のロウソク」に火を燃やしている。
その火が消えないようにと、壁をする。
その火が更に燃えるようにと、壁の中に蓄財をする。
その蓄財を取られないようにと、壁を高く厚くして、更に上にフタをする。
すると、新鮮な空気が入らなくなり、逆にその火は消えてしまいそうになる。
反対に、壁をなくすと、風通しが良くなり、火は更に強く燃えるようになる。
自分の壁がとれると、他人の壁も取れる。そして、遠くを見渡すことができる。
他人より、金持ちになる。偉くなる。強くなる。出世する。というのは、相対的自信。
自分が自分であり。宇宙が自分はここに必要だと言ってくれている。他と比べないことが、絶対的自信。
自分の壁=幻想の境界(シェル)がとれると、自分がより善く生きられる、自分にふさわしい場所を、宇宙(神さま)から与えてもらえるようになる。
勉強になったこと。その他、数限りなくあります。
「本当の世界が心で、その後に時空をともなってドラマとして展開される。心が先、形が後。心のゴムひものお話」
「指にケガをしたら、体全体から血液が助けようと流れてくる。全体作用のお話」
「個々がそれぞれの場所で精一杯生きることが、みんなのためになる。蓮の華、蓮根のお話」
「手放さないと、入ってこない。把住(はじゅう)と放行(ほうぎょう)のお話。観音様のお話」など
本当に素晴らしいお話で、先心されました。ありがとうございました。
講演会後、「逆さものさし塾」にも参加させていただき、塾長の清水克衛さんや塾生の皆さんともお話しさせていただきました。毎回違うゲストを招いての勉強会とその後の懇親会。懇親会では、ヒゲの店長こと清水塾長ともお話しさせていただき、本当に心に残る一日となりました。
最後になりましたが、このようなご縁を与えていただいた池田塾長、西端さん、本当に有難うございました。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年10月21日(月) |
| ウィン-ウィン 月曜担当…池田光 |
|
■それ仁者は、おのれ立たんと欲して人を立て、おのれ達せんと欲して人を達す。
〔訳〕仁者は、自分が立身したければ、他者を先に立てる。また、自分が到達したいと思えば、他者を先に行かせる。
(『論語 人間を磨く言葉』 53ページより)
僕は、ビジネスの現場で、この言葉をよく引用します。
というのも、この言葉は、ウィン-ウィンの要諦だと思うからです。
「お先にどうぞ」
という心を持っていないと、現実的には「ウィン-ウィン」はうまく行きません。
「まず、相手を勝利させる」
「まず、相手に利益を得てもらう」
このように、相手に一足先に行ってもらうくらいが、ちょうど良いのです。
それでも理解を得られないことが、現実なのですから。
実際にウィン-ウィンの企画であっても、
「お先にどうぞ」
の心がないと、理解はまったく得られません。
「自分が勝利して、そして、相手も勝利してもらう」
「自分が利益を得て、そして、相手も利益を得てもらう」
この場合は、自分が先行しているので、提案された側は、ウィン-ウィンとは感じないのではないでしょうか。
そういうことを『論語』から学ばせていただきました。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年10月19日(土) |
| 真のヒーローとは 土曜担当…浜本美佐子 |
|
「アンパンマン」でお馴染みのやなせたかしさんが、94歳で亡くなった。「アンパンマン」は奥が深く、大人になっても楽しめる漫画で、たまにテレビで観ることもあった。多才な方で、「手のひらを太陽に」の作詞をされていたことには驚いた。
「アンパンマン」の創作動機について、やなせさんは「正義とはなにか」を訴えたかったのだという。『正義とは実は簡単なことなのです。困っている人を助けること。ひもじい思いをしている人に、パンの一切れを差し出す行為を「正義」と呼ぶのです』と。
「アンパンマン」は40年前に絵本で登場した。お腹が空いている子供に、顔の一部を差し出して食べさせる姿は自己犠牲そのものだが、当時は評論家に「顔が無くなるなんて残酷だ、グロテスクだ」などと酷評された。しかし、子供たちには意味が理解でき、大人気だったそうだ。
やなせさんは、『自己犠牲なくして、人は救えない』と強く語っていた。戦地に赴いていたやなせさんだからこそ、重みのある言葉だ。ヒーローのあり方を、あらためて考えさせられた。
土曜担当…浜本美佐子
|
|
|
| 2013年10月18日(金) |
| 秋の夜長・・・ 金曜担当…小笹正洋 |
|
秋の夜長のこの季節、静かな空間で(といっても、いつもの寝室ですが・・・)
詩歌を読んで過ごすのは、非常に贅沢な時間となっています。
その中で、心に染み入った一首。
ちはやふる神のひらきし道をまたひらくは人のちからなりけり
明治天皇御集の中で、明治36年に詠まれた句です。
正確な意味は分かりませんが、
(あえて調べずにフィーリングに任せたいと思います)
神(先祖)が発見し、後世に託してきたことを、更に発展させ高度なものにし、
次の世代に繋いでいくのは自分たちの世代の力に依るし、それが役目である。
と解釈をします。
授かった命の使い方について、更けていく夜の中で
虚ろ虚ろ考えながら、睡魔に導かれてくのでした。。。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年10月17日(木) |
| ヒットラーの予言 木曜担当…西端努斗夢 |
|
ヒットラーが遺した予言の中に、「21世紀になると人類は、肉体は大人になっても、自分で全く思考できず、判断できないままの人間と、少年期から、豊かな感情に満ち、英邁な判断力を有する人間とに分かれる」という言葉があるそうです。
ヒットラーがやったことの善悪や予言の真偽は別として、福島原発の事故処理が遅々として進まない中、東京オリンピックの開催に浮かれている今、この言葉を目にして私は・・・
少年期はとっくに過ぎましたが、豊かな感情に満ち、英邁な判断力を有する人間に少しでも近づくとともに、一人でも多くの人がそんな人間になるよう、微力ながらお手伝いさせていただきたいというのが私の願いです。そのために、湧くわく本心塾があると思っています。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年10月15日(火) |
| 「集中と転換」 火曜担当…坂本欣也 |
|
秋は企業にとって研修シーズンで、研修講師にとっては非常に忙しい時期です。
研修とその合間の資料作成が続き、体力的にも精神的にも試練の時です。
今こそ、「集中と転換」であると、自分に言い聞かせています。
「集中と転換」は、天風会の夏季修練会の4日間でずっと言われ続けていた重要実践の一つです。
今、それが現実の場で実践できるかを、試されているのだと思います。
忙しい中、研修に来ていただいている受講者に対して、誠心誠意向き合い、自分が提供出来得る情報やエネルギーを、可能な限り最高のタイミングで最適な方法でお伝えする。そして、頭でなく、心でなく、本心レベルに落とし込んでもらえるよう、自分自身の氣を込める。
そんな研修と言う仕事を、私は「格闘技」とだと、考えています。
一瞬たりとも気を抜けない、受講者との真剣勝負。
しかし、実は自分自身との戦い。
その日の研修に「集中」し、次の研修に「転換」していく。
しかし結局は、「好き」なことだから、継続できるのでしょうね。
やはり、「喜神」が大事だと思います。
そんな私の研修を受けに来てくださる受講者の皆さまに、心から感謝です。
ありがとうございます。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年10月14日(月) |
| 山天大畜 月曜担当…池田光 |
|
僕が経営している会社が、来年10周年を迎えます。
新事業として「プロコンDVDブックス」を創刊するなど、
積極的にやって行きます。
ふと、若いころに占ってもらった四柱推命のことを思い出しました。
20代の終りから、僕はある先生について四柱推命を学んでおりました。
その先生に、人生全般を占ってもらったところ、
「50代後半から20年間、最高の運勢を迎えます」
と。
そのころは、
「晩年に、最高の運勢が来てもなあ」
とがっかりしておりました。
が、時は過ぎ、現在の僕はそのときを迎えようとしています。
運がいいとは、分岐点のところで、プラスに転ぶような感じです。
「ちょっと、無理っぽいな」
と思っていた仕事を受注できるとか。
逆に運が悪いと、
「この案件は確実だろう」
と思っていたものが没になる…。
ためしに、仕事面について易で占いました。
「山天大畜(さんてんたいちく)の上爻」
の卦がでました。
山天大畜…天下にその大山脈のような才能・学識を問え。「天」の後押しがある。大仕事をやって吉。
上爻…前後左右、すべて天。広漠とひろがる天にひとりで立つ。いままでとまっていたものも、天の道を行くように、どこへでも一直線にとどく。大吉。(以上、銭天牛『すぐに役立つ銭流易経』より)
これから数年間、「山天大畜」を経営方針にして、仲間の協力を得て、存在感のある会社を
創造していきます。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年10月12日(土) |
| 褒める 土曜担当…浜本美佐子 |
|
先日、ある講座にスタッフとして参加していたところ、ペアワークがあった。人数の関係で、ワークに参加することになり、1分間の自己紹介の直後に、「互いに褒め合う」という超難問になった。
受講者は、講座の特性上、ほとんどが初対面である。私は、初対面の人と気兼ねなく会話はできる方だが、「褒める」となると別問題だ。7月の潜学講座でも「では、1分間お互いに褒め合ってみましょう」と言われ、ある程度顔を合わせている人に対しても「面と向かって褒めること」の難しさを痛感していた。
日本人の特性なのか、面と向かって褒める・褒められるというのは、しらじらしく感じ、あまり好きではないし、得意でもない。褒める時は、なるべく直接本人には言わず、第三者(本人の上司や家族、親しい友人など)に言って、本人の良さが周りにも伝わるように工夫している。
増して、本人のことが、よくわからない状況では、服装や持ち物などを褒めるしかない。女性なら化粧や髪型も褒めればいいのだが、ペアワークの相手はかなり年上の男性だった。帽子と服装を思いつく限りの言葉で褒めたが、1分間は長かった。
土曜担当…浜本美佐子
|
|
|
| 2013年10月11日(金) |
| いざという時のために・・・ 金曜担当…小笹正洋 |
|
先日、救急救命訓練で心肺蘇生法を実習しました。
テレビや映画で見ているよりも、結構体力が必要です。
心肺蘇生法では、胸骨圧迫と人工呼吸を習いました。
そのうちの胸骨圧迫を少しご説明致します。
傷病者を見かけたら、
安全な場所を確保する。(必要に応じて傷病者を動かす)
傷病者の肩を軽くたたきながら声をかけ、意識の有無の確認。
意識が弱ければ、周囲の人に助けを求め、119番通報とAEDの
手配を依頼する(誰もいなければ自分で119番通報)。
(傷病者が横になったままで)アゴを軽く上げさせ気道を確保し、
呼吸が正常であるか確認。
異常がある場合には、胸骨圧迫(写真)
自分の手の甲の上にを片方の掌をしっかりと重ね(指を組んでも良い)
肘を真っ直ぐにして掌底の部分に体重をしっかり乗せて、
傷病者の胸骨(乳頭と乳頭を結ぶ線の真ん中が目安)を「強く、早く、絶え間なく」
押し続ける。
胸骨が4~5cm沈む位に強く、1分間に100回のテンポで、30回連続で
圧迫し続ける。疲れたら、他の人に後退して貰い、絶え間なく圧迫し続ける。
AEDが手配できれば、胸骨圧迫のあい間に使用。
※説明書はきちんと読む。電流を流す際には、傷病者から離れること。
こうして、救急車・救急救命士の来るまでの間、傷病者の蘇生処置を行うというものです。
未だ遭遇したことはありませんが、少しでも知っていれば心強いかな。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年10月10日(木) |
| 随喜功徳 木曜担当…西端努斗夢 |
|
他人の成功や幸せな姿を見た時、2種類の反応があります。1つは、嫉妬したり羨んだりすること。そしてもう1つは、それを自分のことのように喜ぶことです。
仏教の言葉に随喜功徳(ずいきくどく)というのがあり、他人の喜びを我が事のように喜ぶことで徳を積むことができると言われています。それならば、他人の成功や幸せを妬むより一緒になって喜んだ方が、損得を考えると得ではないでしょうか?
旧知の女性が結婚し、来月式を挙げます。美人で聡明で明るいこの女性を射止めた男性を羨ましいと思いますが、その気持ちをぐっと抑え、私も素敵な女性を射止めた気分になって随喜したいと思います。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年10月8日(火) |
| 「恵みの秋」 火曜担当…坂本欣也 |
|
最近もう一つ、日課を加えました。
まだ2週間ほど前から始めたばかりなので、日課と言うのは早すぎますが・・・。
その日課とは、「ジョギング」です。
しかし、これが予想以上にキツイのです。
身がキツイと心が折れそうになります。心が折れかけると、身がもっとキツクなります。
そもそも、朝走る前に走る気を起こすことがツライ。なので、ここでクンバハカ!
走り始めると、序盤は身が重くてキツク、終盤は太もも辺りが痛くなってキツイのです。
しかし、走り終えた時の爽快感は最高です。
が、次の日はまたこれの繰り返しです。笑
どこまで続くか分かりませんが、心身両方を鍛えるため、頑張ってみようと思います。
そして、最近のもう一つの楽しみは、空を観ることです。
秋晴れの朝焼け、夕焼け。
雲と太陽の光が奏でる美しさは、
真善美を、神さまがそのまま表現くださっているように思えます。
スポーツの秋、天高く澄み切った美景の秋、そして食欲の秋!
心身を洗い育んでくれる、「恵みの秋」に感謝です。
ありがとうございました。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年10月7日(月) |
| 経済界創業者・佐藤正忠氏の死を悼む 月曜担当…池田光 |
|
平成25年8月17日。
――雑誌『経済界』の主幹であった佐藤正忠(せいちゅう)氏が亡くなられました。享年85歳。
僕は、30代のころに、佐藤正忠氏のデビュー作『学生易者』(昭和26年、コスモポリタン社、絶版)を古本屋さんで購入しました。
この本を数年前にマーケットプレイスに出品していたところ、この8月29に、雑誌『経済界』の制作担当者が購入されました。
「おやっ、佐藤正忠氏の記念館でも作るのだろうか…。それとも、もしかして正忠氏の身に、何かあったのだろうか…」
と、胸騒ぎがしました。
そして、1000号記念となった『経済界』10月1日号には、こんな記事が掲載されていました。
「経済界創業者 人間・佐藤正忠の歩み 追悼特集」
と。
僕の胸騒ぎは当たっていたようです。
『経済界』の制作担当者が僕から購入された『学生易者』の写真が、雑誌の88ページに飾られていました。
何という、不思議な縁でしょうか…。
話は、13年前にさかのぼります…。
僕が45歳のころのことです。
正忠氏は、そのころ、72歳でした。
平成12年(2000年)8月14日。
――僕の事務所に、一通のハガキが舞い込みました。
経済界の佐藤正忠氏からでした。
面識はないが、著書は何冊か読んだことがありました。もちろん雑誌『経済界』と出版社を起こし、その主幹であることも知っていました。
いったい僕にどういう用件なのだろう…。
文面はいたって簡潔で、
「貴著『自分に奇跡を起こせ』を拝読。大いに共感しました」
とありました。
続けて、
「ご上京の折り、お訪ね下さい」
と締めくくっていました。
独特の達筆で味わいがある…。後で知ったのですが、年に一度、書道展をされていて根強いファンがいるのだそうです。
僕はさっそく連絡を入れ、一週間後に本社のある虎ノ門を訪ねました。
秘書に案内されて社長室に入ると、ステッキで身を起こしながら、
「佐藤正忠です」
と、名刺をテーブルから取られました。
正忠氏は、壮年の頃に脳卒中で倒れ、再起を期して苛烈なリハビリテーションをおこなっておられたのです。
一年後にはみごとに蘇ったものの、左半身はすこし不自由であるらしい…。
「暑いでしょう。上着をお取りなさいよ」
と、正忠氏は場を和らげるように声をかけてくれました。
しかし、その後の会話は濃密でした。
正忠氏の語り口はパッショネートなものですが、そんな言葉だけでは思いが届きにくいのか、僕の足元の床を何度もステッキでつつきながら短い言葉を語るのです。
そのうちに質問へと変わりました。
「経営とは何ですか?」
と、正忠氏が訊かれたので、
「人です」
と、僕は答えました。
事業が成功するのは、ほかでもない「この人」がいるからである。
他の人ではダメなのだ。
この人があってこそ、この戦略が打てるのだ。
だから経営とは人なのだ。
そんな思いを語りながら、僕は同じ質問を返しました。
「お尋ねしますが、経営とは何でしょうか?」
と。
すると正忠氏は、思いもよらない答えをしました。
「与えること」
と。
えっ、と僕は目を見開いたのか、どうか…。
次の瞬間に、正忠氏は全身で、
「与えて、与えて、与えまくることだ」
と、タタキ込むように、語気を強くして言いました。
いや、叫んだというほうが近いかもしれない。
濃密な三十分の面談のあとで、正忠氏は、社長室の真四角の大きなテーブルの下に設置されたブザーを押されました。
すると、まもなく出版部の部長が現われました。
「池田さんの本を出すように…」
そう、正忠氏は言われました。
このご縁で、僕は、経済界から本を出すことになったのです。
『自分の夢を実現できる人、できない人』
です。
その後も、経済界が主催する年始パーティーに何回か招待していただきました。
1000名くらいのパーティーで、各界の著名人が登場されていました。
僕が参加したときには、東京都知事の石原慎太郎さんがいらっしゃったり…。
そうそう、僕の本が出てから、正忠氏と昼食をしたことがあります。
ざるそばを、正忠氏はものすごい早さで食べられるのです。
というより、飲み込まれるのです。
僕が、そのスピードに合わそうとすると、あの有名店のおそばの味がまったく味わえないままでした。
驚嘆すべき、怪物のような方でした。
…13年前、用件が何も書かれていない一枚のハガキを放置していたら、僕は経済界から本を出すことはなかったでしょう。
「どんな形で、チャンスは訪れるかわからない」
「いや、チャンスとは、さりげない感じで、風のようにやってくるものだ…」
と、僕は悟りました。
結局、用件なんて、ないのです。
「来ませんか?」
それだけです。
「行きます」
そう言えば、チャンスは開けるのです。
「やりませんか?」
それだけです。
「やります」
そう言えば、チャンスは開けます。
僕はこれまで、いろんな方からチャンスを与えられ続けました。
「運がいい」
と、僕を知っている方からは、よく言われます。
何十年もプロのライターをやっている方から、
「単行本なんて、出せるもんじゃない。どうして、池田さんは簡単にデビューできたの?」
と、詰問するような感じで言われたことがあります。
その方は、有名雑誌に記事を書いても、単行本を出すことができないままでした。
なぜ、僕は出すことができたのか…。
よく分からないけど、
「行きます」
「やります」
「書きます」
「書かせてください」
と、壁を作らないで、スッ―と言っているからではないでしょうか。
すると、簡単にオッケーが出て、ドアが開くのじゃ、ぁ、…。
…うーん、よく分かりません。
ですが、正忠氏のハガキのように、無視してしまいそうな文面で、何気ない感じで、チャンスの網の目ははりめぐらされているように思います。
それにしても、ああ、佐藤正忠氏…。
僕を導いてくれた厳父のような存在が、また一つ消えました。
年齢を重ねるとは、こういうことなのでしょう…。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年10月5日(土) |
| 鳥肌が立つほどの感動? 土曜担当…浜本美佐子 |
|
先週に続き、『問題な日本語 その3』(北原保雄編著)からご紹介を。
以前に、「こだわる」について、本来は「小さなこと、人から見れば大事でないことにとらわれる」という意味だったが、CMに使われたこともあり「他人はそれほど気にしないが、自分にはきわめて大切。自負・意気込みを持って徹底的に追求する気持を表す」ようになったようだと紹介した。
紹介した途端「こだわりの○○」というCMをやたら目にするようになり、「私って、時代に逆らっている?」と思ったものだが……。
ところで、「こだわる」と同様、マイナス評価からプラス評価という、「意味の上昇」をした例が他にもあった。
「鳥肌が立つ」が、その例で、本来は「寒さや恐怖感、嫌悪感などのために立毛筋が収縮し、肌がぶつぶつになる現象」をさす。1980年代に、新聞で「ドキュメンタリー映画を観て、鳥肌が立つ感動を覚えた」と用いられたこともあり、「感動や感激の表現」としても使われるようになったらしい。
平成13年度の文化庁の世論調査で、「①あまりの素晴らしさに鳥肌がたった」「②あまりの恐ろしさに鳥肌がたった」のどちらを使うか、年代別にたずねたところ、高年層(何歳を基準にしているかは不明)では②を使うという回答が半分以上を占めていた。若年層(何歳を基準にしているかは不明)では、①②いずれも30%前後の使用率だったという。
「こだわる」同様に、どちらの使い方もしていた私は、まだまだ若輩者なのか、単なる無知なのか? いずれにせよ、使い方には気を付けなければならないと思った。日本語ってむずかしい。
土曜担当…浜本美佐子
|
|
|
| 2013年10月4日(金) |
| 一隅を照らす人 金曜担当…小笹正洋 |
|
オーストラリアのゴールドコーストのストリートで歌っていた頃、
訳知り風の年配の日本人観光男性から、
「若い人、ここに永住した方がいいよ。
日本に帰ってきても、いいことがないよ。
政治はダメだし、国民の質も落ちたものだ。」
そんなことを言われて、こんちくしょう!って思いが湧き上がってきて、
必ず、音楽で日本の国を、今いる子供たちのためにも素晴らしい国にしてやる!
と心に誓った、魂の弾き語り職人、ユウサミイさん。
日本人は、他国を侵略することなくして感化していく力を持っている。
日本人とは、国籍上の日本人だけでなく、日本語を話したり日本に生活し、
日本人の心を持つ人すべてが日本人です。
世界の国々で僕たちの旗を掲げよう。平和的に。
ライブでの歌と語りに聞き惚れてしまいました。
どの世界(業界)にも、一隅を照らす人はいる。
FLAG/ユウサミイ
http://www.youtube.com/watch?v=6YhAbzoHc4g&list=PL3B597A15402F1382
必ず、日本はよい国であることを思い出せる!
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年10月3日(木) |
| 天に任せる 木曜担当…西端努斗夢 |
|
「ファミリーコンピュータ」をはじめとする家庭用ゲーム機や「スーパーマリオブラザーズ」などの人気ゲームソフトを生み出し、任天堂を世界的な企業に育て上げた山内溥前社長が先月他界されました。
私は、ファミリーコンピュータ発売以来、ずっと任天堂のゲーム機を愛用し、ゲームを楽しませてもらってきましたが、ゲーム以上に気に入っていたのが任天堂という社名です。
山内前社長の他界は様々なメディアで取り上げられましたが、その中で以下のような山内前社長の言葉が紹介されていました。
人事を尽くして天命を待つというが、人事なんてなかなか尽くせるものではない。そのときは、やるだけやった、あとはどうなっても満足だと思うかもしれないが、しくじったら、そのとたんに、ああしておけばよかった、こうもすればよかったと、次から次に反省が生まれるものです。だから、どんなに人事を尽くしたつもりでも、人間は、所詮は天命を待つ心境にはなれない。
そういう意味でもわたしは、任天堂の名の由来のごとく、人事を尽くして天命を待つのではなく、単純に「運を天に任せる」という発想を積極的に取りたいと思っています。
天に任せるという発想、全く同感でした。
山内前社長とは、もうこの世ではお目にかかることができませんが、私があの世に帰ったら、ぜひ会いに行こうと思っています。
あの世での楽しみがまた一つ増えました。とは言っても、まだまだこの世でやり残していることがいっぱいあって、すぐに帰るわけにはいきませんが…
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年10月1日(火) |
| 「ちいさな哲学者たち」 火曜担当…坂本欣也 |
|
最近、うちの子供たちのサッカークラブのコーチから、『ちいさな哲学者たち』というフランス映画のDVDを貸してもらい、観ました。
3歳から5歳の幼稚園児が、先生と一緒に「哲学する」という内容です。
「考えるとは?」「子供と大人の違いとは?」「友達と恋人の違いとは?」「生とは?死とは?」「自由とは?」などの問いかけに、子供たちが考えて話し合うのです。
初めは考えることに行き詰まって沈黙していた子供たちが、卒園間近になると、「小学校に行って哲学ができないことが寂しい」と答えるくらい、考えること話し合うことが好きになり、上手になっていました。哲学している時の子供たちの顔が輝いていました。
友達から意見を言われ、答えられないで叩いてしまった子供に、先生が「叩く以外に、問題を解決する方法はないの?」と問われ、言葉で解決する方法を根気強く学んで行く姿が印象的でした。
家庭でも親子の会話が増えてきたという、親の報告もありました。
翻って、日本の教育方法、私の子育てを考えました。
「考える」練習、「発言する」練習、「聴く」練習をする機会を与えているだろうか?
企業教育の現場で、「議論に慣れていない大人が増えているなあ」と最近感じていたので、余計に響きました。
議論慣れしている組織とそうでない組織があるのです。議論して納得した解を導きだすことに長けている組織とそうでない組織では、成長性と持続性に大きな差が出てきます。「先行き不透明な、正解がない今の時代」では、更にそうだと思います。
考える、話す、聴く、考える、を続け、解を導き出す。というか、解を創造していく。
しかし、そもそもその前に、自分(たち)は何者なのか?どうしてここに居るのか?という自己を考える・哲学することが求められるような気がします。つまり、「治人」の前の「修己」ですね。
『ちいさな哲学者たち』に触発され、私も少し哲学しました。
ちいさな哲学者たち、ありがとう。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年9月30日(月) |
| 9月…休養 月曜担当…池田光 |
|
この9月は、ゆっくりしました。
ほとんど、自宅に居て、本などを読んで過ごしました。
読むと、すぐに眠くなり、読書時間がいつの間にか昼寝時間になったり…。
(ほかにやったことは、事務所などの整理くらい…)
さて、こんな機会にと、長編小説を読書計画に加えました。
かねて、『三国志』を読みたいと思っていたのですが、
正史である陳寿の『三国志』の翻訳はしんどそうだし、
羅貫中の『三国志演義』は通読本とはいえ、昔の通読本だし、
やはり現代作家の『三国志』を読もうと探しました。
どれも長編なので、どれを読むか、慎重に検討しました。
その結果、三好徹の『興亡三国志』(集英社文庫)全五巻にしました。
一冊当たり600ページを超えるので、読み応えがありました。
ほかの本を読んでいないので比べられませんが、僕は、正解だったと思っています。
そんななかで、参謀(軍師)の果たす役割の大きさに改めて思いを致しました。
「一を聞いて十を知る」とは、諸葛孔明のような軍師によく当てはまるのでしょう。
一とは部分。十とは全体。
つまり、「一を聞いて十を知る」とは、部分を見たり聞いたりして、全貌に思いが至るということです。
軍師で言えば、相手の兆候から、相手の作戦全体を察するだけでなく、さらには相手の思惑以上にその影響をも予測することです。
そして、裏をかくことです。
あと、印象深かったのは、曹操の漢詩です。これは、現代も残っています。
また、曹操は『孫子』に註釈をつけていて、それも残っています。
そんなことにも興味が湧いてきましたが、もう9月も終わり。
10月からは、仕事を中心に据えて頑張ります。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年9月28日(土) |
| かつを入れる 土曜担当…浜本美佐子 |
|
『問題な日本語』という本を以前に紹介したが、図書館でその3を見つけ、即借りた。
今回は、『問題な日本語 その3』(北原保雄編著)から、漢字表記を間違えそうな「かつを入れる」についてのご紹介を。
「かつを入れる」とは、「何かの刺激を与えて元気づける」という意味である。この「かつ」を漢字で書くと?
「活を入れる」が正しい。「喝」と思っている人が多いのではないだろうか。私自身、喝を書きそうになったのだ。
「活」には、生きること、生き返らせること、気絶した人を蘇らせる術、という意味があり、「活を入れる」は、そういう術を注ぎ込む、という意味。
「喝」は、仏教の禅宗で、誤った考えや迷いを叱り、或いは、励ます時に発する大きな声のこと、だという。
ちなみに、以下も間違えやすい表記という。ご参考まで
○あとには引けない 「後」
○息のねをとめる 「根」
○ごたぶんに漏れず 「多分」
土曜担当…浜本美佐子
|
|
|
| 2013年9月27日(金) |
| 人生って何色?? 金曜担当…小笹正洋 |
|
ねぇおかしいでしょ若いころ
ねぇ滑稽でしょ若いころ~♪
笑いばなしに涙がいっぱい
涙の中に若さがいっぱい~♪
人生いろいろ 男もいろいろ
女だっていろいろ 咲き乱れるの~♪
ご存知の方もたくさんいらっしゃるでしょう。
島倉千代子さんの「人生いろいろ」の歌詞の一部です。
昭和62年に発表された曲です。
当時は、私はまだ10代の後半でした。
あの時代、あの年齢だから許されたことが
いっぱいありました(笑)
あの頃はこの曲のメロディーを何となく覚えていただけで、
歌詞にはあまり興味が湧きませんでした。
たまたま、YouTubeで再会をした時に、
昭和62年の当時とは違った趣を感じました。
よきことがたくさん起こることは嬉しいですが、
それを嬉しいことと感じられる自分でいたい。
人生はバラ色よりも色々が良い。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年9月26日(木) |
| 喜神 木曜担当…西端努斗夢 |
|
先日、全国大会で優勝したチームを取材させていただきました。その時に気がついたのは、どの選手たちも喜神を抱いているということです。
喜神とは、「心のどこか奥に喜びをもつ」ことで、湧くわく本心塾の「わくわく」は、心に「喜神(きしん)」を含んだ状態を表わしています。
どんなに苦しいときでも、喜神を抱くと、余裕が生まれ、発想が明るくなり、学ぶ姿勢ができるのです。
強いチームの選手達は、過酷な練習の中でもとにかく明るく元気なのに対して、ここ一番で強さを発揮できないチームの選手たちは、全身に悲壮感を漂わせ、歯を食いしばって練習に耐えています。
頂点を極めるため、誰もが苦しい練習を積み重ねるのですが、喜神の有無が土壇場で勝敗を決する要因になると思います。
このことは、企業をはじめとした目的達成を目指す組織にもあてはまることで、いかにしてメンバーひとりひとりに喜神を抱かせるかが、リーダーにとって重要な能力のひとつではないでしょうか?
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年9月24日(火) |
| 「奈良学生ガイド」 火曜担当…坂本欣也 |
|
私は大学生時代に、「奈良学生ガイド」というクラブに4年間所属していました。
1964年の東京オリンピックを契機に、奈良にも外国人観光客が増えるだろうということで、その人たちに奈良を案内しようと発足された学生のボランティア団体です。
夏前に、65歳になる卒業生の方から連絡をいただき、「来年がクラブの50周年に当たるので、記念パーティーを開催したい。ついては、世話人の一人になってもらえないか?」と尋ねられ、引き受けることとなりました。
そこで、まずは古くなった会員名簿を新しくしようということで、古い名簿を頼りに電話で確認を取り始めました。
殆どの人たちが、20年ぶりに聴く声。しかし、一瞬にあの時にタイムスリップ。
一緒に英語を勉強していた姿。外国人にガイドをしていた姿。合宿で夜通し語り合っていた姿。飲み会で騒いでいた姿。恋の悩みを相談し合っていた姿。
声も、話し方も、口癖も、笑いのツボも、笑い方も、全然変わっていませんでした。
懐かしい気持ちで、心もワクワク。若返ったような感覚になりました。
20年間忘れていた記憶が一瞬にして甦り、心身ともにその頃に戻ったような感覚。
そんな感覚に浸りながら、これは、脳の機能、心身統一的にいうと、どんな意味や作用が働いているのかなあ?と考えてみました。
私の知識では、答えは思いつきませんが、プラスの効果があるということは確かだと思います。
プラス思考の実践法(積極観念の養成法)と似た効果があるのかなあ?とも思いました。
みんな童心に戻ったような感覚になる、同窓会。心身にとって、そんな効果があったとは。。。
50周年記念パーティーで、実際に皆に会うのは来年の3月1日。
声では全く変わってなかったけれど、姿形はみんなダルマさん体型になり、声を聴くまで誰か分からないかも?!と、今から楽しみです。
素晴らしい仲間と出逢い、そして再会させてくれる、「奈良学生ガイド」。
私の人生や仕事に大きく影響を及ぼしてくれている、このクラブと仲間に心より感謝です。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年9月23日(月) |
| 天風先生の名品 月曜担当…池田光 |
|
このあいだ、自宅の書庫を整理していたら、天風先生の色紙が10点ほど出てきました…。
僕が昔勤めていた企業では、2泊3日の天風会合宿修練会を導入していました。
その担当になってから、すでに30年あまりが経ちます。
天風先生にあこがれて、僕は自筆の軸や額や色紙などを集めていましたが、その一部が出てきたのです。
昭和30頃の作品です。
鑑賞しているうちに、天風先生の名品のことを思い出していました…。
昭和56年。
僕は企業内教育担当になり、セミナーハウスの3階に席ができました。
4階には道場があって、そこに、3点の天風先生の名品がありました。
100畳あまりの道場の正面に、「誠愛商道」の扁額が飾ってありました。
この横幅120センチくらいの扁額があるだけで、道場がキリッと引き締まった感じがしました。
僕は、気が弛むと、この雄渾な扁額を見ることにしていました。
相当な気合で一気に書かれたものでしょうが、これは天風先生に師事していた社長が特別に天風先生にお願いして書いていただいたものだそうです。
この道場の入り口の両脇には、「誓の詞」と「力の誦句」の2点の作品がありました。
高さ160センチ、幅120センチくらいの大きなもので、僕はこれほど見事な誦句の額を見たことがありません。
これは、当時の兵庫県の警察署長が、天風先生にこの最高の額を書いてもらうために大きな宴を設け、数十人の方々の前で、天風先生に書いていただいたものだと聞いています。
残念ながら、阪神大震災で、このセミナーハウスのビルは半壊になりました。
そのとき、「誠愛商道」の扁額は失われたものと思います。
「誓の詞」と「力の誦句」の2点は助かり、兵庫に移っていた天風会神戸支部に避難しましたが、数年後に所在を尋ねると、この支部から無くなっており、そのまま行方知れずになっています。
以後も僕は天風先生の作品を求め続けましたが、これら3点ほどの作品にはなかなかお目にかかれていません。
もう一度、再会したいものだと思います。
ちなみに、セミナーハウスの中2階には、天風会神戸支部が入っていました。
膨大な録音テープがあり、それを毎日、数名の天風会員のご婦人方が整理されていたのを思い出します。
このほとんどが震災で失われました。
あのとき、僕の前には天風先生にまつわる膨大な資料があったのですが、惜しいことをしたと思います。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年9月21日(土) |
| 60代の義務教育 土曜担当…浜本美佐子 |
|
私は自分自身のためになることもあり、認知症予防について学んでいる。
先日、介護予防体操の講義を受けた際、講師が「定年退職した人に、介護や認知症予防のために、義務教育を行ってほしいと思っている」というようなことをおっしゃっていた。
「目から鱗」だった。少子高齢化がますます進むからこそ、小中学校は空きスペースが出てくる。そこを使って教育すれば、介護予防になるし、健康になれば病院に行かなくてすむ。膨大と言われる健康保険も減らすことができる。
小中学生と触れ合う機会をつくれば、核家族化が進んで祖父母とさえ会う機会が少ない子供たちが、経験に基づいたさまざまな知恵を教わることもできる。シニア層の心のケアにもなるし、孤独死という最悪の事態も減らすことができるのではないだろうか。良い試みだと思った。
言うのは簡単だが実行は難しい。私にできることはないだろうか、いろいろ思案している。
土曜担当…浜本美佐子
|
|
|
| 2013年9月20日(金) |
| やっぱり、たのしみは・・・ 金曜担当…小笹正洋 |
|
たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の咲ける見る時
9月も中旬を過ぎ、季節としては秋ですが、まだまだ日中の暑さは堪えます。
それでも、朝電車への道を歩いていると、遠くからモズ(鵙)のような
鳥の鳴き声を耳にしたり、真っ赤な彼岸花が咲いていたりするのを見かけると、
やっぱり秋なんだなと、物思いに耽ってしまったりもします。
今更ながら、日本に住んでいると、暑さ寒さや、晴れ・曇り・雨・雪と
季節や天候の移ろいを感じながら年齢を重ねていくことができ、食事も
季節に応じた献立を楽しむ事もできるんですよね。
この国に生まれたことに感謝し、この国の素晴らしさを2020年の
東京オリンピックでは、大いに外国の方々に堪能して貰いたいと思います。
ところで、今回の「たのしみは~」は、クリントン米国元大統領が
平成6年6月13日に、天皇・皇后両陛下が訪米された際に歓迎のスピーチで
おもてなしをされる際に引用されました。
橘曙覧(たちばなのあけみ)という江戸時代の歌人の「独楽吟(どくらくぎん)」
の中の一首です。
良い言葉や、韻律は海や国境を越えても通じ、響き合えるものだと思います。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年9月19日(木) |
| 天気 木曜担当…西端努斗夢 |
|
「降っても晴れても、毎日が良い天気」という言葉を時々つぶやきます。
以前は、「晴れたら天気が良い、雨が降ったら天気が悪い」と思い込んでいました。けれど、天気は“天の気”ですから、悪いはずがありません。
とは言うものの、先日の台風による大雨で被害に遭われた方からは、「何を呑気なことを言っているのだ!」とお叱りを受けると思います。
幸い私の住んでいるところは無事でしたが、もし仮に自分が被害を受けたら、もし仮に大切な人を失っていたら、「降っても晴れても、毎日が良い天気」という言葉をつぶやけるかどうか、今の私には自信がありません。
しかし、たとえ痩せ我慢であっても、そう言える人間になりたいです。私が天風哲学や論語を学ぶのは、そのためです。
被害を受けられた方には、心よりお見舞い申し上げます。災害から復旧するだけではなく、災害をきっかけに物心ともにさらなる進化を遂げられることをお祈りしています。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年9月17日(火) |
| 「超能力」 火曜担当…坂本欣也 |
|
これまで超能力と聞くと、透視やスプーン曲げなどの超次元・超人的な能力を思い浮かべていましたが、
「全ての人が超能力を持っている」ことに、気づきました。
モノづくりが得意な人、営業が得意な人、ITが得意な人、接客が得意な人、整理整頓が得意な人、緻密な計算が得意な人、子育てが得意な人、人を笑わせるのが得意な人、文章を書くのが得意な人、料理が得意な人、家を建てるのが得意な人、介護が得意な人、サッカーが得意な人、居るだけで周囲を和ませてくれる人、などなど。
例えば上記の人々は、私から観ると、私には無いズバ抜けた能力をもっている「超能力者」です。
好き、楽しい、無我夢中になれる、自信がある、人の役に立っていると思える時は、自分の超能力を使っている時だと思います。また特に無念無想で集中力が極限に高まっている時は、自分の普段の能力以上の超・超能力が発揮しできている時だとも思います。
言い換えれば超能力とは、「この能力を使って、人の世のために役立ちなさいよ」と神さまから賜った「天命」とも言えるのではないでしょうか?神さまが後押ししてくれる能力。
そして、組織や社会は、その超能力者の集まりで、形作られ運営されている。お互い補い合い助け合って、生活や仕事をしている。体のどこかが傷んだとき、他の細胞や部位が傷んだ所を補おう助けようと活動してくれるのと同じだと思います。だからこれだけの高度な社会に進化向上してきた。
逆に言うと、バランスを欠いてはいけないとも思います。体のどこかの部位だけが肥大化しすぎると、全体のバランスを崩し活動できないばかりか、健康でなくなってしまいます。それは組織や社会も同じだと思います。
「全ての人は超能力を持っている」「それぞれの超能力でそれぞれを補い助け合っている」と思うと、感謝や尊敬の気持ちが前にも増して感じられるようになりました。
あの人の超能力ってなんだろう?
そして、自分がまだ気づいていない自分自身の超能力ってなんだろう?
そう考えると、ワクワクしてきますね。
私を支えてくださっている周囲の超能力者の皆さんに感謝です。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年9月16日(月) |
| 立花大敬先生の東京講演会 月曜担当…池田光 |
|
本塾の西端努斗夢さんの協力を得て、
『朗読CD版 立花大敬先生 しあわせ通信』(本心庵)
を発売することになりました。
発案者は、読書のすすめ店長の清水克衛さんです。
面白い企画なので、「やりましょう」と僕は言いました。
ちなみに、僕は、本心庵という出版社の庵主をやっております。
さて、この発売を記念して、読書のすすめさんの主宰で、
10月20日に、立花大敬先生の講演会が開催されます。
なかなか大敬先生のお話を聴く機会はありませんので、とても貴重です。
僕も、この講演会には参加します。
大敬先生にお会いするのは久しぶりなので、とても楽しみです。
ところで、10月19日は「潜学講座」がありますが、
講座が終わりましたら、その日のうちにびゅんと東京に移動したいと思っております。
では、講演会はどんな感じかというと、次のような感じです。
■日時:10月20日(日)13:30~16:00
■会場:東部区民館 ホール
※最寄りの駅:都営新宿線・瑞江駅より徒歩5分
■プログラム
13:30ー14:00 池田光&清水店長の大敬先生よもやま話
14:00ー15:30 立花大敬先生講演
15:30ー16:00 立花大敬先生サイン会 ※池田光のサイン会も同時開催!
ありがたいことに、新作の『中村天風 打たれ強く生きる100の言葉』を
会場で販売してくださるそうで、僕もサインさせていただくことになりました。
■参加申込み&詳細はコチラをご覧ください!!
https://pro.form-mailer.jp/fms/755aaa9747631
読書のすすめHP http://dokusume.com/
そんなこんなで、もし、東京でお会いしましたら、ぜひ、声をおかけください。
みなさまとの出会いを楽しみにしております。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年9月14日(土) |
| されどワクチン 土曜担当…浜本美佐子 |
|
猫が嫌いな人、苦手な人には申し訳ないと思いつつ、また今回も猫の話で。
先日、弟猫・トキのワクチンを受けに行こうと、キャリーバッグを用意した。気配を感じたようで、トキはどこかに隠れてしまった。リビング以外でお気に入りのベッドの横にはいない。次にお気に入りの納戸の籠の中で、涼んでもいない。他にも心当たりを探してみたが、狭い家なのですぐにお手上げになった。どこに隠れていたのか不明だが、時間切れで諦めた途端、どこからともなく現れた。
翌日、「騙し討ち」をして、さっとキャリーバッグに入れて外に出ると、いつもの拒否反応が……。
トキは、日頃は「ニャン」や「アン」という鳴き声なのだが、玄関を出た瞬間「イヤーッイヤーッ」とマンション中に響き渡る大声で「泣き喚く」のだ。悪いことにエレベーターでマンションの住人に遭遇してしまい、一瞬ギョッとした後「ネコちゃんでしたか」と苦笑いしていた。
うちは、2匹とも怖がりで病院が大嫌い。兄猫は、目いっぱい抵抗して必ず血を流す犠牲者が出る。トキは、怖がり故に固まってくれるからラクでいいのだが、道中はずっと「イ゛ヤ゛ッイ゛ヤ゛ッ」(濁音になっている)と大声が続き、道行く人が振り返る。
主治医は猫専門で、猫の保護活動もしており、里親募集中の猫5.6匹が、常に院内をウロウロしている。病院に着くと、トキの「イヤーッ」に、一斉に「病院猫」たちの視線が突き刺さった。ワクチンは10秒程度で終わり、歯の中を診たり、聴診器を当てたりして無事終了。行きと同様に、大音声を振りまきながら帰宅した。
帰宅すると、トキが「怖かったよう」と言わんばかりに、スリスリ甘えてくれる。飼い主としては嬉しく、トキを撫でまくるのだが、いつも兄猫に「怒られる」。兄猫は、トキや私に病院の匂いを嗅ぎ取り、怒り心頭に発するのだ。「シャー」と威嚇し、どこかに消え去る。姿を見せても暫くは「ウーッ」と低い声でうなっている。
一難去ってまた一難。たかがワクチン1本で、我が家はいつも大騒動だ。
土曜担当…浜本美佐子
|
|
|
| 2013年9月13日(金) |
| もう一度、たのしみは・・・ 金曜担当…小笹正洋 |
|
たのしみは とぼしきままに 人集め 酒飲め物を 食へといふ時
これといったご馳走もなく、間に合わせの肴で、気の置けない仲間達と
車座になって酒を交わしながら語り合う時間。
最近ではそういったシチュエーションも少なくなってきました。
学生時代や、社会人になってからの独身の間は、お金が無いなりに工夫して、
三々五々集まっては即席の宴の場へと移行し、ワイワイと思い思いの話題に
花を咲かせたものです。
出来上がりの設えの場での宴の席もそれはそれで良いものですが、
近頃は、あの頃の乏しいなりの楽しさが遠い日の思い出とは思えず、
懐かしく思い出されます。
どこで食べるかよりも、誰と食べるか。
健康診断も終わり、いよいよ食欲の秋。。。
胃袋よりも、心を肥やす食欲の秋にしていきたいですね。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年9月12日(木) |
| 当たり前の奇跡 木曜担当…西端努斗夢 |
|
今朝もいつも通りに目覚め、いつも通りの生活をスタートさせました。
昨日も一昨日も、当たり前のように目覚め、当たり前のように生活しています。
しかし、これって、当たり前のことなのでしょうか?
平穏無事に毎日を過ごせることは、もしかしたら、奇跡なのかも知れません。
目が覚めて今日も生きている。目が見える。音が聴こえる。手足が動く。
当たり前と思える、平穏無事に感謝です!
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年9月10日(火) |
| 「真善美への決心」 火曜担当…坂本欣也 |
|
この大宇宙は「真善美」のみで出来ていて、片時も休まず永久に進化向上を続けている。
そして、大宇宙の精気の中には人間の生命エネルギーを力づける活力が隈なく遍満存在し、私たち人間はその活力を吸収することで生かされている。
自分の心の状態を、大宇宙と同じ「真善美」にすることで、宇宙霊とつながり(神人冥合)、更なる活力が怒涛のごとく注がれる。
と、天風哲学は説いています。
この根本的な考えを、私は自分の言葉に置き換え、こう捉えました。
そもそも、この世には「真善美」という言葉で表されるポジティブ=積極なものしか存在しない。
他人や世間、出来事へのマイナス感情(怒り、怖れ、悲しみ、焦燥、心配、煩悶など)やマイナス評価(西端さんが書かれていた『異常気象』など)は、そもそも存在しない。それらは、人の心がスクリーンに映し出した幻想のオバケのようなもの。
マイナス言葉は人間が勝手につくりだしたもの。人はその言葉に見合うマイナスな事柄を、無意識に自動的に探し発見し見つけようとしている。そして、見つけること、つまりマイナス感情を持つことで、「ほら、やっぱり」とある意味安心している。遊園地のお化け屋敷に入って、怖がって喜んでいるような感じ?
「人は自分たちがつくった言葉や情報に、反対に支配・コントロールされている」のかと思いました。
そこで私は、一つの実践を決心しました。
マイナス言葉・観念というものはそもそも存在しないと強くイメージし、心を白紙・無の状態にする。
心の中には、「真善美」という言葉だけが大きく強く残るようにする。
どんなものに遭遇しても、そのものが「真善美」のみで創られているとイメージする。
私はこの実践を徹底的に信じ、自分自身の信念化・習慣化に努めようと決心しました。
決心してからまだわずかな日数ですが、実は既に変化・効果が現れてきている気がします。
すべては、「心の置き所」です。
この先どんな効果がもたらさせるのかに、ワクワクしています。
正直、この非常に個人的・内面的なことを、このブログで今の段階で公表することには、大変気が引けました。
しかし、お知らせすることで決心を更に強固にし、皆さまのお力をも以て、継続するエネルギーに換えたいと思いました。
ある意味、これは自分自身の心身を活用した実験でもあります。
この実験の効果については、半年後くらいにその成果をお知らせさせていただきたいと思います。
私にこのインスピレーションを与えていただいた「真善美」に、あらためて感謝いたします。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年9月9日(月) |
| かたづけ 月曜担当…池田光 |
|
体力のあるうちに、かたづけをしようと、数年前から心しています。
今年は、大きく二つのことをしています。
■倉庫をなくしたこと。
倉庫に置いていた書籍在庫を、すべて事務所(神戸須磨)に移しました。
今年の2月から、月に4、5回程度荷物運びをして、7月までかかりました。
そうなると、事務所が在庫であふれ、物理的な量を緩和するために、蔵書を整理しています。
というか、数年前から蔵書を整理しているのですが、月に50冊程度処分している程度ですので、なくなっているという実感はありません。
今年中に在庫であふれている事務所を、なんとかしたいと思っています。
■リュックサックに変えたこと。
どうも僕は、カバンに荷物を詰め込むクセがあるようです。
若い頃は、読むかどうかわからないのに、その日の気分に合った本を5~10冊ほどカバンに入れていました。
昔、母から誕生日にもらったカバンの底が、一週間くらいで抜けたことがありました。
革製品のしっかりしたカバンでしたが、底の部分がそっくりポコッと抜けたのです。
真新しいカバンの底が、縫い目の所から、長方形の形でなくなりました。
それ以来、いかに丈夫であるかを基準の一つにしています。
現在では、1~2冊しか本を入れていませんが、資料を入れることが多く、またどんなに晴れていても傘は常備しているし、パンパンになるまで、カバンに詰め込んでしまいます。
ある日、
「このカバンの在り方を整理しないと、生きている間に整理しようとしていることが実現しないのではないか」
と考えました。
計算すると、今のペースで本を整理すると、30年くらいかかります。
本以外にも、整理するものがあるので、絶望的にすらなります。
発想を転換して、「普段の持ち物から始めよ」で、リュックサックに変え、カバンの中身を二分の一程度にしました。
両手があくリュックサックにしたことが画期的でした。
服装もそれに合わせたし、何か「スタイルの整理」にもなったような感じがして、新しい気分でおります。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年9月7日(土) |
| ダダっ子 土曜担当…浜本美佐子 |
|
私は猫好きで、本ブログでもたびたび猫の話を書いている。道端で猫にあうと「チョッチョッ」と、舌を鳴らして呼ぶし、猫のモチーフのグッズを見つけると、つい買ってしまう。ペットショップをみかけると、よほど急いでいない限り入ってしまう。
昨年、うちの兄猫に出逢った神戸市内のペットショップに、久々に立ち寄った。大抵のペットショップは、ほとんどが犬で、猫は1~2匹程度しかいないことが多いが、そのショップは猫も常時5~6匹はいた。
うちには2匹いるので「冷やかし」だった。買うつもりはなくても、仔猫たちの可愛らしさに見とれていると、横に六十歳前後と思しき、上品な身なりのご婦人がいるのに気付いた。
どちらからともなく話し始めたら、そのご婦人の飼っていたラグドール(と仰っていたはず)という種の猫が1月半ほど前に、わずか4歳で突然死したという。ご夫婦でテレビを観ていて、飼い猫がいないことに気づいて探したら、冷蔵庫の上で冷たくなっていたらしい。獣医師から「ラグドールは心臓の弱い品種」と言われたとか。
正直「聞くんじゃなかった。話をさせるんじゃなかった」と申し訳ない気持でいっぱいになった。まだ「次の子」を飼う気にはならない様子だった。
ご婦人は、ご主人と30歳台位と思しき息子さんと3人で来店されており、「じゃあ」と一旦別れた。3人は、アメリカンショートヘアのケージ前で暫くやり取りをしていた。何気なくその様子を見ていると、ご夫婦が帰りかけているのに、息子さんは「この仔、売れてしまうで。ええん?」と何度もご夫婦に言っている。ご婦人は「自分が飼いたいだけでしょう? でも、横浜には連れて帰れないもんね」と苦笑いしていた。息子さんは、横浜在住だという。
その後も息子さんは、そのケージにへばりついて「ホンマに、ええん?」を繰り返していた。「買ってくれるまで、この場を離れない」というダダっ子のようで、ご主人が「子供みたいやな」とこぼしていた。亡くなった飼い猫の話の後には、相応しくない笑いが込み上げてきて、4人で暫く笑っていた。
あの息子さんがいれば、ご婦人は「ペットロス」にならなくてすみそうだ、と少しだけ安心した。
土曜担当…浜本美佐子
|
|
|
| 2013年9月6日(金) |
| 再びの、たのしみは・・・ 金曜担当…小笹正洋 |
|
たのしみは心をおかぬ友どちと笑ひかたりて腹をよるとき
時間管理、生産性向上、効率化・・・
こういう言葉が巷を凌駕しだしてから、
ずいぶんと経つのではないでしょうか。
勿論、やることやって、さっさと帰って、一杯やる。
それと、お気に入りの本を読んだり、趣味に没頭したり。
これも大いに結構。
そこに楽しみを見いだせれば。
何のために、働き、趣味を持つのか。
働くことは、憲法で定めた義務だから?
一生懸命に頑張ったご褒美として趣味が必要?
どちらも、考え方としては間違ってないと思います。
今は、DM用のチラシも機械折りや外部発注で「効率よく」
事が進んでいきますが、10年程前までは大勢でワイワイやりながら
手作業で袋詰めしていた頃もあった。
その時に、皆で同じ時間・空気を共有し、いろんな話題に花咲かせ
時には秘密の話題が出来上がったりと、それはそれで楽しかったものです。
それを機に、お互いに自己開示ができ、信頼関係やチームワークの
醸成に役立ち、全体の生産性効率にも寄与したようにも思えます。
表の非効率は、裏の効率を生む。
職場や全てのコミュニティの場での笑顔での語らいの場、
「効率」という言葉だけで軽く扱わないでいたいですね。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年9月5日(木) |
| 異常気象 木曜担当…西端努斗夢 |
|
気象庁の異常気象分析検討会が今年の夏は異常気象だったと位置付けたそうですが、私は、どうも納得できません。
地球が誕生して約45億年だそうです。数千年という長いスパンで見ると地球は生き物のようにどんどん変化してきました。
それなのに、僅か100年か200年の平均値と比較して気温や降雨量が少し違うというだけで異常と言えるのでしょうか?
地球上に異常気象はなく、すべては自然のまま。人間が勝手に異常気象だと言っているだけのような気がしてなりません。
夏の終わりを迎えた今、地球に対してこれまで以上に畏敬の念を抱いて生きていこうと、あらためて思います。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年9月3日(火) |
| 「エンパワーメント」 火曜担当…坂本欣也 |
|
先週の西端さんのブログで、「プラスの言動」について書かれていたので、私もそのことについて書いてみたいと思いました。
私の研修では、個人のビジョンを共有した後、ペアになって「エンパワーメント」をし合ってもらいます。
エンパワーメントは、「パワーを与える、勇気づける、元気づける」という意味があります。
エンパワーする側の人は、エンパワーされる側の人に向かって、
「あなたのビジョンは素晴らしい。あなたはその素晴らしい未来イメージを必ず実現する!なぜなら、あなたにはこんなに素晴らしい能力と人望と情熱があるから!(ここはできるだけ、具体的に相手の素晴らしい点を言ってあげる)」と言い続けるのです。
これを同じチームのメンバー全員と行うので、6人チームだと、5回エンパワーしてもらえます。
エンパワーしてもらった人は、
「ビジョンを発表した段階では、大丈夫かな?と思っていたが、今は自分のビジョンが必ず達成できると、自信が湧いてきた」という感想が多いです。
これは、天風哲学、心身統一法の「積極観念の養成法」の中の「暗示」に通じるところがあるのだと思います。
パートナーに暗示を連続してかけてもらうことで、本心が煥発され、信念が強くなるのでしょう。
それから、興味深いのは、エンパワーする側の人が
「相手を褒めて勇気づけていると、自分が気持ち良くなってきて、逆にパワーを貰って元気になった」
と感想を述べることが多いのです。
脳は素直で、自他を区別しないと言います。
他人の言葉であっても、自分の言葉であっても、素直な脳はポジティブ・積極的な言葉=エネルギーを吸収し、潜在意識に蓄えているのでしょう。
他者が喜ぶ言動をする、つまりお布施(和顔施、言辞施)をしていて、自分が徳を貰っていることになるのでしょうね。
こんなエンパワーが溢れている職場だと、脳が「快」の状態となり、一番能力が発揮しやすい状態となります。
コミュニケーションの活発化し、成果も出やすくなります。
チームでのエンパワーメント、お勧めです。
皆さま、私へのエンパワーメント、いつもありがとうございます。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年9月2日(月) |
| 2年ぶりの単著出版 月曜担当…池田光 |
|
2011年3月11日、東日本大震災の日から『渋沢栄一 逆境を生き抜く言葉』を書き始め、
この本が出版されてからは、
思うところがあって『論語』の学習に集中しました。
そして、今年の3月11日から執筆を再開し、
2年ぶりの単著として、
『中村天風 打たれ強く生きる100の言葉』(成美文庫)
が、9月5日に書店に並びます。
少し、紹介させていただきます。
■出版社による内容紹介
逆境の時に唱えたい天風哲学のエッセンス。
天風哲学とは観念の哲学であり、マイナスでいっぱいになっている潜在意識をプラスへ変え、積極精神で生きるとき、人生が好転する。
本書は、そんな天風の世界が、手軽に、どこからでも読める。
苦しいとき、腹が立つとき、悲しいとき、本を開くと答えが見つかる。
天風哲学のエッセンスが満載。
■もくじ
1章 くよくよしない。
2章 とらわれない。
3章 おそれない。
4章 あきらめない。
5章 ふりむかない。
6章 くすぶらない。
7章 おちこまない。
8章 くるしまない。
僕は、「わかりやすく書く」を念頭に、
猿でも読める本を目指しました。
だから、もくじもすべて平仮名です。
それは、自分の中の「理屈」を削ぎ落とす作業でした。
80%くらい理屈を削ぎました。
もっとも、理屈がないと本にならないので、
理屈らしきところは残ってますが、
理屈抜きにどこまで書けるか、
やってみたかったのです。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年8月31日(土) |
| 猫つながり 土曜担当…浜本美佐子 |
|
脚本家・作家・エッセイストの向田邦子さんは、1981年8月、台湾で取材中に飛行機事故で亡くなった。享年51歳という若さだった。
私が彼女の作品に出合ったのは、テレビドラマだった。子供過ぎて、その良し悪しもわからぬまま、テレビを観ており、最近まで小説すら読んだこともなかった。
2年位前だったと思う。テレビで向田さんの特集をしており、何気なく観ていていた。向田さんの幼いころの話に始まり、脚本家になった経緯をはじめ、そのファッションセンスや料理の腕前なども紹介しており、次第に引き込まれていった。
中でも、飼い猫・マミオの話に私の目はくぎ付けなった。うちの愛猫と同種と思しき猫が、そのモデルとして登場したのだ。向田さんは、芝生の上をころげ回って遊ぶ銀色の猫を見て一目ぼれしたという。エアメールの押しの一手で数多のアメリカ人ライバルを蹴落とし、十か月目に譲り受けたそうだ。
「この猫に一目ぼれした私って、向田さんと一緒!!!」と勝手に喜んでいたら、タイ王朝の血を引く「コラット」という別の種だった。
向田さんが亡くなった時から、マミオは引きこもった。確か49日の法要(だったと思う)後から、マミオは、ありとあらゆる場所を向田さんの姿を求めて狂ったように探し回り始めた。向田さんの妹・和子さんは、何度も何度も噛みつかれながら、暴れるマミオの両前脚をつかみ、「どんなに怒っても、お前の主人はもういない。あたしが新しい主人なのだから」と、説き伏せた。マミオは、漸く和子さんになついたという。
向田さんが、いかにマミオを愛したかがわかり、猫好きの私は、その作品に興味が湧いた。かつてテレビで観たドラマの原作本やエッセイを読むと、改めてその偉大さがわかり、惜しい人を若くして亡くしたという思いが募った。
マミオは向田さんの事故から3年後、胃癌で16歳の生涯を閉じたという。和子さんは『向田邦子の遺言』で、マミオの死について「母と私はありったけ泣いた。姉が亡くなったときには涙さえ出なかった二人だったが、このときは思い切り泣けた。それはマミオと姉の思い出がないまぜになった、やるせない涙だった」と綴っている。
土曜担当…浜本美佐子
|
|
|
| 2013年8月30日(金) |
| たのしみは・・・の続き 金曜担当…小笹正洋 |
|
たのしみは ふと見てほしく おもふ物 辛くはかりて 手にいれしとき
ひと目惚れ。
これは何も人(特に異性)に対してだけではない。
モノに対してもそういう経験があるのではないでしょうか。
運命的出会いとなったモノを買うのに持ち合わせが足りない間、
お金をコツコツと何とか工面し、ようやく手にいれたときの喜び。
何とも言いようのない感動が湧き上がってくる。
その間に贅沢を控え、節制・節約し続けて
ようやく手に入れたときの楽しい気分。
沢山持つことの幸せもありますが、
持っていないことによって、
その幸せが膨らむこともありますね。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年8月29日(木) |
| 倍返し 木曜担当…西端努斗夢 |
|
TBSのドラマ『半沢直樹』が高視聴率で、主人公が発する「やられたら倍返しだ!」というセリフは、流行語になっています。
この「倍返し」という言葉は、何もドラマの世界だけでなく、私たちが生きているこの世における普遍的な法則の一つなのです。というか、私はそう思うようにしています。
ですから私は、まわりの人に対して、できるだけプラスの言動を投げかけるように心がけています。それは、その人のためでもありますが、いつかまわりまわって2倍になって自分のところに返ってくるのを楽しみにして・・・
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年8月27日(火) |
| 「メタボ脱出!」 火曜担当…坂本欣也 |
|
5時起床。呼吸操練法、セルフマッサージ、天風式体操、水垢離、瞑想、誦句音読。
この一連を実行することが、いつしか私の毎朝の日課になりました。
気が練られて、身体の隅々に充満し、一日がスタートします。
7月9日のブログでこう記しました。今もこれを続けています。
先日、健康診断を受け、その効果が数値として現れました!
1.体重が更に3キロほど下がり、大学生の時の体重に戻りました。
(それまでにピークから比べると既に5キロほど落としていたので、私としては驚きの数字です)
2.ずっと悪かった肝機能を表す数値も、平常値になっていました。
(季節問わずビールをがぶ飲みしていたので、驚きです)
3.内臓脂肪の割合が、減少しました。
4.ずっと86cm以上あった胴回りも、82cmになりました。
(埋もれていた腹筋も、うっすら見えてきました)
ということで、メタボ脱出しました!
特に呼吸操練と天風式体操が効果的だったと感じています。気になる方、お勧めです!
しかし、メタボ脱出!と体の面だけで、喜んでいたらダメですね。笑
心身統一法は、宇宙からのエネルギーを受け入れる器(心身)づくりだと言われています。
心を練るためにも、これを継続して、継続力を強め、胆力と精力を強めていきたいと思います。
とは言え、座っていてもお腹がつっかえなくなったのが、嬉しいです。(って、また、そこ?!)
ありがとうございます。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年8月26日(月) |
| 私少欲、公大欲 月曜担当…池田光 |
|
仲間がいないと、たいしたことはできません。
私が一緒にやりたいのは、こんな条件を備えた人です。
① 人間性が良い。
② 専門性がある。
③ 私少欲、公大欲の人である。
まず、専門性よりも、人間性を重視しています。
三つめの「私少欲、公大欲」について説明します。
これは「わたくししょうよく、おおやけたいよく」と読みます。
私の造語です。
欲を持っていない人は無害であり、パワーを感じられません。
人は大いに欲を持っていいと思うのです。
が、それが「私欲」だと困ったことになってしまいます。
「この世をなんとかしたい」
という「公欲」に燃えている人こそが仲間です。
チームワークとか言いますが、
公欲に燃えて、志を同じくすると、
自然にチームワークはできるものです。
ありがたいことに、本塾にはそういう方が多数集まってくれました。
感謝しています。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年8月24日(土) |
| 自己チューのススメ 土曜担当…浜本美佐子 |
|
石原加受子著『自己主張が楽にできる本』を読んだ。
コミュニケーションをうまく取るには、「相手を思いやる」「相手の立場になって考える」ことなどに固執しがちだ。相手のことを考えることは大切だが、「自分の意志表示」とは別物である。
同書は
相手の顔色を窺うのは「嫌われたくない」という恐れ。相手を探り過ぎると、「言外のメッセージ」として敏感に伝わり、その心遣いが相手を息苦しくさせることもある。大切なのは、「人がどうした」や「人の出方を窺う」のではなく、「自分がどうするか、どうしたいか」である。
と言い切っている。
さらに、
「相手を傷つけたくないから我慢する」は、「相手に何かを言われると自分が傷つく」。それが怖いだけ。我慢は、主張することを恐れさせていく。さらに、我慢には「相手を思い通りにしたいけれどできない」という相手を操作しようとする意識が潜んでいる。
本来、自己表現・自己主張することは、争って自分の主張を通すことではない。自分の頭の中で考えていることを、言葉で表現すればよい。
とも述べている。「自分中心主義」を徹底しており、「目から鱗」だった。
まず、自分の思い・考えをきちんと相手に伝えることが、コミュニケーションの第一歩なのだ。コミュニケーションには、国語力と表現力が重要であることを改めて感じさせられた一冊だった。
土曜担当…浜本美佐子
|
|
|
| 2013年8月23日(金) |
| たのしみは・・・ 金曜担当…小笹正洋 |
|
たのしみは 人も訪ひこず 事もなく 心をいれて 書(ふみ)を見る時
今年のお盆休みは久しぶりに仕事も殆ど入らず、遠くにも行かず
家の中でゆっくりと過ごすことができました。
今年の夏より、遂にエアコンを取り付けました。
おかげで、愛用の団扇は出番がありませんでした(笑)
今まで積読をしていた書物に手を付けることができました。
普段の読書は、斜め読みをしていることが多いのですが、
かねてから読みたかった小説にも触れることができました。
そのうちの一冊が、「晏子」(宮城谷昌光:著)です。
古代中国の春秋時代が舞台として、斉の国の宰相となって、
知恵と度胸と礼を備えた晏弱とその子の晏嬰が強国と渡り合う様を、
人の心の動きなども細やかに描写されていて、物語としても面白く、
先史からの流れとの関連も時折解説が入ったりと、中国古代の歴史を
楽しむにも秀逸な書物だと思います。
以前に久しぶりに再会した人生の大先輩から、
「ビジネス書を読むよりも、小説を読むほうがずっと有益だ。
現役時代に、もっと小説を読みたかった。」
と語られ、その時には「史記」の新書版の書物を頂きました。
あの時に聞かせて頂いた話が、耳に残っていました。
本当にそう感じます。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年8月22日(木) |
| 甲子園 木曜担当…西端努斗夢 |
|
先日、久しぶりに甲子園に行き、高校野球を観戦してきました。
以前は毎年、仕事で甲子園に行っていたのですが、今回は13年ぶりで、甲子園球場が改装されてから初めてのことです。
仕事を離れての甲子園となると、学生の時以来で、懐かしさのあまり、最初は試合観戦どころではありませんでした。
本日はいよいよ決勝戦。勝利の女神様は、どちらに微笑もうかと迷っているのではないでしょうか?
真紅の優勝旗を手にするには、勝利の女神様に好かれないといけません。
しかし、その前に力がないと勝利の女神様に振り向いてすらもらえません。
私も先ずは、自分の実力を養おうと思います。
それにしても、甲子園で飲むビールは最高でした。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年8月20日(火) |
| 「天風会、夏期修練会への参加」 火曜担当…坂本欣也 |
|
8月10日~14日、天風会の夏期修練会に、初参加してきました。
会場は、奈良県桜井市多武峰。中大兄皇子と藤原鎌足が出逢い、大化の改新に向けて密談した場所と伝わる談山神社の目の前の多武峰観光ホテルです。多武峰会場は22回目だそうです。
私の家からは10分くらいの場所ですが、多くの参加者は遠方から来られており、北海道から沖縄まで、全国から約200名の参加者が集いました。うち、3分の1は初参加でした。
7:30から、戸外の朝礼で、誦句、呼吸操練と統一式体操、積極体操
その後、午前中は、安定打坐、「真理瞑想」の講義のセットが2回
昼食後は、身体を使った実験やワークショップ、戸外鍛錬(呼吸法、体操)
夕食後は、講義とディスカッション
という流れです。
印象的だったことは:
・天風哲学を長年愛し実践されている会員の方々と出会い、語り合ったこと
当初少しシャイな人が多いと感じましたが、話してみると皆さん朗らかで、個性的で味わい深く、普段の友人とはなかなか話せない哲学の話を忌憚なくできたことが、嬉しかったです。
?戸外で身体を動かすことで、自然のエネルギーを吸収した感じを味わえたこと
200人が整列して行う体操は圧巻で、掛け声が多武峰の山々にこだましていました。
多武峰の大自然と一体化して、そのエネルギーを吸収していると体で実感していました。
?書籍で読んだ内容を、実際の講義で教えてもらったこと
宇宙と私たちとの関係。心と体の関係。宇宙からの無限の力の意味とその受け取り方。受け取るために、日ごろから心がけ、実践すべきこと。などの深い解説をいただきました。
実在意識でなく潜在意識に入れるため、安定打坐の姿勢で目を閉じ、メモをとらない聴き方を実践しましたが、これが予想以上に難しかったです。
初日に、「修練会は一年の始まりの行(ぎょう)である。日々の垢を洗い落とし、新たな自分になる、あるいは本来の自分に戻る、甦るための行」である。と挨拶がありました。
4日間を終えて、その意味が良く分かりました。
講堂の正面檀上に掲げられていた写真の中の天風先生。学ぶ私たちを、やさしく見守り、叱咤激励していただいていました。今なお天風先生の強大なエネルギーが存在し、学ぶ私たちに降り注いでいるのを感じました。
皆さま、有意義な体験を、ありがとうございました。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年8月19日(月) |
| 願望 月曜担当…池田光 |
|
二十歳になる前に抱いた自分の願望をたまに思い出します。
それは、自分が納得いく、ゆるぎない思想を作りあげることでした。
なぜ、そんな願望を抱いたのかというと、この世に生まれてきて、ゆるぎない信念で生き、そして、この世におさらばするときも穏やかでありたかったからです。たぶん…
この願望は今も消えずに、心にくすぶっています。
それは現在、どうやら、二つに分化しています。
①信念を持ちたいという願望
僕の父は素朴な自然観を抱いていました。人は死んだら土に帰ると信じていました。そして、亡くなるまで土いじりをしていました。
それは幸せなことだったと思います。
しかし、疑い深い僕は素朴な信念を持ちえず、また他方で、なぜか孔子の信念が気になるのです。
孔子よ、あなたの信念は何だったのでしょうか。
やはり、
「天の未だ斯文を喪ぼさざるや、匡人其れ予を如何せん」
と語った、この言葉のうちにある、「斯文(先王の文化)」を継承するという信念だったのでしょうか。
そして、その文化とは、加地伸行が指摘するように「道徳的共同体」であり、これを維持する思想が『論語』なのでしょうか。
なのに、『論語』は孔子が敵対した「法的社会」のなかでも生き続け、普遍性を持ちました。そして、揺るぎない古典となりました。
つまり、ある文化を支持した思想が、別の文化でも生き続け、普遍性を持つ。これが古典の古典たるゆえんでしょうか。
②心から納得がいく一冊を書きたいという願望
書くことからでないと、なかなか考えというのはまとまらないものです。
これについては、ここくらいで…。
……ともかく、……願望というのは、形を変えても、生き続けるものです。
かつて発見した「願望の法則」を一つ書きます。
手近な願望を実現すればするほど、
昔の願望が呼び起こされ、
それは形を変えてでも実現されようとする。
この法則は、僕が45歳のときに発見したものです。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年8月17日(土) |
| 父からの伝言 土曜担当…浜本美佐子 |
|
先週金曜日の本欄で、小笹さんが原爆について書かれていた。広島では、被爆者が語り部として小中学校などで、原爆や戦争について話しているという。終戦から68年も経ち、語り部の方がかなりの高齢になったため、全く戦争を知らない人を後継者として育成していると聞いた。
戦争は天災ではなく、人災である。二度と戦争を起こさないために、その恐ろしさ、悲惨さ、愚かさを語り継ぐという姿勢は大切だと思う。
私は「戦争を知らない世代」だが、両親は戦前の生まれである。母は幼く、疎開していたので、戦争の記憶と言えば「食べるものがなく、ひもじい思いをした」ことだそうだ。
昭和7年生まれの父は疎開せず、浜に防空壕をつくり、潜んでいたという。両親ともに神戸生まれの神戸育ちで、その防空壕の場所は、私の実家(神戸市東灘区)から100mほどしか離れていない。
父は寡黙で、あまり多くを語らなかったが、私に強烈な印象を残す戦争体験を教えてくれた。
ある日、父が防空壕から外へ出ようとした時、背後から「アホッ、そっちへ行ったらアカン!!」
近所のおじさんの怒鳴り声が響いた。驚いて立ち止まった父の目の前に、焼夷弾がドドドドと落ちてきたという。父は「近所に新明和(現在の新明和工業・甲南工場)があって、飛行機をつくっとったから、狙われたんやろうなぁ」と淡々と語っていた。
「そのまま進んでいたら、父は?」 加えて、今の私は存在すらしていなかったはずだ。幼心にゾッとした。
防空壕のあった砂浜は、今は埋め立てられてしまった。父も17年前に亡くなった。もっと戦時中の話を聞けば良かったと後悔している。
モノだけが溢れ、心が通わなくなってしまった今だからこそ、我々二世世代が、語り継ぐべき時なのではないだろうか? 体験に勝る説得力はないが、自分にできることをやりたいと思い、周囲に伝えることにしている。
土曜担当…浜本美佐子
|
|
|
| 2013年8月16日(金) |
| 学びのお裾分け。。。 金曜担当…小笹正洋 |
|
業務の中で指示や確認の曖昧さから
ミスコミュニケーションが発生する事は
大事な局面であったり、度々起こったりすると
頭を抱えたくなります。
内部で済む話しならまだしも、
外部の関係先に影響を与えようものなら、
大変なことになります。
先日、営業研修のオブザーバーで
入っていた際に学んだ内容を
ちょっとだけお裾分けしたいと思います。
すごく簡単な言葉なので、
是非覚えておいて欲しいです、
①中身は何だよ何のため
(概論・目的)
②いつからいつまでどうやって
(開始・納期・方法)
③出来栄えナンボで何人で
(品質・コスト・業務ボリューム)
この語呂合わせを、メトロノームの
テンポ116(1分間で116カウントするテンポ)の
速さで声を出して唱えます。
人差し指を立てて左右に振りながら唱えると
より覚えやすくなります。
チーム内で発声練習を兼ねて
唱和してみるのも自然に入っていき
良いかもしれません。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年8月15日(木) |
| 日本病 木曜担当…西端努斗夢 |
|
国民の命や健康を損ない、経済的な損失をどれだけ出しても、「まず隠蔽し、次に先送りにし、そして、誰も責任を負わない」、そんな今の政治や社会の現状を『日本病』と呼ぶそうです。
いつから、どうして、日本はこんな病に侵されるようになったのでしょうか?
日本人として残念で仕方ありません。
しかし、人間に自然治癒力があるように日本にも治癒力があると思います。
たとえほんのわずかな力であっても、この治癒力の一部となれるよう、私は学び、行動し続けます。
終戦から68年。日本も世界も大きく変わりましたが、ただ単に「豊かになった、便利になった」と浮かれてばかりでは、戦争の犠牲となって亡くなられた方に申し訳が立ちません。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年8月13日(火) |
| 「最高の味方」 火曜担当…坂本欣也 |
|
「世界中の人々が敵になったとしても、最後まで自分自身の味方は自分自身なのである。ゆえに、そんな自分自身を決して自らが責めて苦しめてはいけない」という考え方です。
最近学んだ天風哲学の考え方の一つです。
この言葉を味わうと、こんなイメージがわいてきました。
自分には、世界最高の味方がいる。
どこでも、どんな状況でも、常に傍らで応援してくれる力強いサポーターである。
と同時に、彼は客観的に自分を観て支えてくれている有能なコーチでもある。
そして彼は、一生変わらず継続的に自分に付き添ってくれる、最も安心信頼できる親友でもある。
これまでの自分自身を振り返ると、特に消極的になると、どこか自分自身を責めたり、孤独を感じたりすることがあることを思いだしました。
この考え方を受け取り、私はなんだか安心感に包まれたような気になりました。
そして、言い知れぬ勇気が湧いてきました。
最高の味方とは、何があろうと絶対に見捨てない味方であるということです。
そして、その味方が一生懸命頑張って応援してくれるからこそ、神さまも、そして周囲も応援してくれるようになるのでしょう。これぞ無敵の状態です。
こんな積極的な気持ちさせていただき、本当に感謝です。
天風先生の優しく、大きな心が更に伝わってきました。
ありがとうございました。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年8月12日(月) |
| 『寸言論語』 月曜担当…池田光 |
|
ここ数か月ほど、『寸言論語』に取り組んでいます。
『論語』はもともと、孔子の短い言行を500条ほど集めたものですが、
私が取り組んでいる『寸言論語』とは、
『論語』から、20字以内で寸言を一つ取り出すというものです。
たとえば、「温故而知新」とかです。
これは、5字です。
このような寸言を250点ほど取り出し、
書き下し文と、現代語訳を付与しました。
この作業をやるために『論語』を通読いたしました。
2年間、ある京大教授に『論語』を読んでいただきましたが、
その復習になったと同時に、
改めて『論語』の現代語訳は、解釈、訳し方がさまざまに違うと驚きました。
ベースにしたのは、金谷治訳、吉田賢抗訳、平岡武夫訳、加地伸行訳です。
これに加えて、2年間の『論語』を学習したそのテキストを参考にいたしました。
また、たびたび、吉川幸次郎、木村英一郎訳をはじめとする諸訳を参考にいたしました。
この作業で、小説家であり社会教育家である下村湖人(1884-1955)の『現代訳 論語』が
とても言葉としてこなれていることを見出しました。
現在は、PHPから発行されています。
参考にするたびに、うまいなあ、と感嘆いたしました。
注釈書をきっちりと踏まえたうえで、みごとな現代語訳をされているのです。
さて、『寸言論語』の「寸言」への思いが醸成されたのは、私の40歳のころにさかのぼります。
安岡正篤『活眼 活学』の次の言葉に啓発されたのです。
■えらくできた人の言葉は単純です。
だらだらと、お前は一体何を言おうとするんだというような、つべこべ言う人間は、できておらん。
■元来世間の人々は、長編論文なんていうものによって人生を渡るものではない。大抵は片言隻句、即ちごく短い、しかし無限の味わいのある真理・教えによって、生きる力を得るのである。
私は、安岡の言葉に触発されて、偉人たちの言葉集を何冊か編集し、出版してきました。
そして、『論語』でもやってみたいと思っていたのでした。
阪大の湯浅邦弘教授も、次のように書いています。
■短くて覚えやすいもの。どんなにすばらしい内容でも、くどくどとした論文調の文章では、なかなか座右の銘とはならない。端的で、すっと心の中に入ってくることばこそ名言である。
また、覚えきれないような長文も格言とはなりにくい。抵抗なく耳に残り、ふと口を突いて出るような言葉、それをまず選んだ。(湯浅邦弘『中国古典に探す座右の銘』)
こうして、このたび、『寸言論語』をまとめ、今年の秋に発行する「湧くわく本心塾照隅ライブラリー」の第二弾である『論語 人間を磨く言葉』に、第二部として掲載したいと考えています。
今秋には、みなさまのもとへは『寸言論語』の初版をお届けできますが、いずれ、見直してどこかの出版社から出したいとも考えております。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年8月10日(土) |
| シネバイイノニ 土曜担当…浜本美佐子 |
|
強烈なタイトルで驚いた方もいらっしゃるだろう。3年ほど前に新聞広告で『死ねばいいのに』という文字を見た際は、校正ミスかと何度も見直したほどだ。
実は、京極夏彦氏の作品タイトルである。京極氏といえば、やたら分厚い漢字だらけの本を書くイメージがあり、手を出せていなかったが、『死ねばいいのに』は、タイトルの強烈さに驚く反面、どんな内容か気になっていた。
月日が経ち、存在を忘れかけた今年3月、病院の図書コーナーという最も相応しくない場所で、私はこの作品に遭遇した。
すぐに借りて読み始めた。いわゆる「チャラ男」キャラの主人公と、ある人物の会話形式で成り立っているのだが、二人の会話が噛み合わない。おもしろいほどに噛み合っておらず、とにかく笑える!
主人公は、何かにつけ「オレ馬鹿だから」「そんな難しいこと言われても、よくわかんね」みたいな感じで話し、最初は「推理小説じゃないの?」とも思った。確か、主人公は6人とやり取りをしたと思うのだが、3人目登場には、消灯後の病院のベッドの上ということも忘れ、「ヒイーッ」と声を上げて笑いそうになったほどだ。
最後は「やられた~」の一言。京極氏の展開のうまさに感服した。笑い転げながらも、考えさせられる作品だった。人それぞれ感性が異なり、読後感は違うかもしれないが、オススメの本である。
土曜担当…浜本美佐子
|
|
|
| 2013年8月9日(金) |
| 68年間を経て・・・ 金曜担当…小笹正洋 |
|
1945年8月9日。
広島に続き、二度目の原子力爆弾が長崎へ投下されました。
優秀な人たちが開発・製造し、偉い人たちによって戦争に関係の無い
罪の無い人たちの頭上に投下するように導かれていった愚かな結果。
目的のためには手段選ばず。という考えの成れの果てが、
二度と繰り返してはいけない過ちを起こさせた。
アメリカ海兵隊員の撮影した非公式の戦場記録資料が昨年に
公表されていました。
軍律・規則をくぐり抜けて生き残ってきた資料。
タブーの裏に真理あり。
戦時下の非常事態の中であっても、人の心を忘れなかった人はいた。
この映像を通して、間違って欲しくない事は、
戦争や大量殺戮兵器を使用する行為を憎む心は持っても、
他民族や考えの違う人々を憎む心を抱いてはいけない。
米軍カメラマンが見た長崎(48分50秒)
http://www.youtube.com/watch?v=wFvjKL-ObZQ
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年8月8日(木) |
| 高校野球開幕 木曜担当…西端努斗夢 |
|
第95回全国高校野球選手権大会が甲子園球場で開幕しました。この季節になると血が騒ぎます。
今年も、初出場の学校から伝統校、強豪校と言われる学校まで、地方大会を勝ち抜いた49校で優勝を争いますが、勝利の女神さまがどこに微笑むのか楽しみです。
私がまだ高校野球の取材に携わっていた頃のことです。その年、甲子園常連校のA高校は春の県大会でB高校に大差で敗れ、甲子園出場をかけた夏の県大会でもA高校の連覇は厳しいと言われていました。
そんなA高校の主将を取材すると、「B高校は確かに強いと思いますが、僕たちは甲子園に行くためにA高校に来たんです。B高校の選手たちとは意識が違うんです。夏は絶対に勝って甲子園に行きます」という言葉が返ってました。
そして、その言葉通り、大会前の予想を覆してA高校がB高校を決勝で破って甲子園出場を決めたのです。
後で考えると、A高校の選手とB高校の選手たちはどちらも甲子園を目指して高校に入学し、練習を続けてきたのですが、1つ違いがあったのです。A高校の選手たちは「甲子園に行く」と決めてA高校を選び、練習を続けてきました。それに対してB高校の選手たちは、「甲子園に行けたらいいな」と思って練習していたのです。
強豪校、名門校と言われる高校がなぜ大一番に強いのか? 理由の一つはそこにあるのかも知れません。
別の年、ある高校の監督が、選抜チームを率いて遠征することになり、それに向けての合同練習が行われた時のことです。
監督はまず、「最後に勝つのは、剛速球を投げる投手やホームランを何本も打つ強打者のいるチームではなく、ランナーを進めなければいけない時はきっちりと進め、アウトが取れる時は確実にアウトが取れる、当たり前のことを当たり前にできるチームだよ」と、選手たちを集めて話しました。
甲子園で優勝も経験している監督の言葉だけに説得力があり、今でも忘れることができません。
「当たり前のことを当たり前に」は、野球に限ったことではなく人生すべてにおいて大切なことですが、これを実践するのはなかなかたいへんです。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年8月6日(火) |
| 「洗心とエネルギー補給」 火曜担当…坂本欣也 |
|
仕事から疲れて帰ってきたとき、玄関まで子供が迎えに来てくれる。
彼らの顔を見ると、疲れが吹っ飛びます。
私は彼らからは色んなものを貰っていますが、その最大のものは、「生きるエネルギー」だと思います。
子供には、天風哲学で言う、純真無垢な魂(本然の自性、本心、真我、仏性)がまだ備わっているので、宇宙エネルギーを受け取りやすく、そのエネルギーに大人の私が触れることで、私が元気になるのでしょう。子供を介して、宇宙エネルギーを頂いているのです。
大人になればなるほど、魂の周りに垢・埃・泥がつきやすくなり、放っておくと、どこに魂があるのかもわからなくなってしまいます。だから、毎日「洗心」しなければなりません。
考えてみると、子供たちは、彼らのエネルギーで「洗心とエネルギー補給」をしてくれているのです。ありがたいです。
また、視野を広げると、自分に「洗心とエネルギー補給」をしてくれる存在は、自分の子供たちばかりではないと思います。近所の子供、教え子、活躍するスポーツ選手、尊敬する人物、可愛がっているペット、美しい芸術作品、心身を癒してくれる自然など無数にあります。
共通性は、姿かたちでなく、内にその「純真無垢な魂」があるかどうかだと思います。
そんな存在を周囲にたくさんもっている人は、常に元気で安定している人なのでしょう。
私も周囲に対して、「洗心とエネルギー供給」ができる存在になりたいと思います。
そして、子供たちが、社会の厳しさを体験し成長しながらも、その純真無垢な魂も維持できるよう見守っていきたいと思います。
有難うございました。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年8月5日(月) |
| 友の死 追記 月曜担当…池田光 |
|
親友のYB君が昨年末に亡くなっていたことを、7月22日のブログで書かせていただきました。
2週間後の8月2日に、僕は、三宮サンパルの古本屋さんを訪ねました。
さいわい、店主と奥様がいらっしゃいました。
立ち話で15分ほど話しました。
・心臓周辺の動脈瘤が破裂したらしい。
・パソコンをつけたまま、布団のうえに倒れているのを、12月30日に発見された。
・葬儀は悲惨なものであったらしい。
・自宅も床が破損しているところがあるなど、暮らしは大変であったらしい。
彼は、造船業の下請企業の経営者の長男として生まれ、阪神間のお坊ちゃん学校として知られる私立校に通いました。
裕福な家庭に育った彼のその頃からは想像しがたい末路でした。
僕がすこし慰められたのは、その古本屋さんが、平成25年3月の「古書目録」を彼の追悼号にあてていたことです。
表紙には、韓国で撮影された彼の写真を絵画風にアレンジしたものが飾られていました。
仕事がひと段落し、これから繁華街へ一杯やりにいくようにも見えます。
あるいは、この世とあの世の境目に、彼が「さよなら」を告げているように見える、妙に物悲しい表紙です。
巻末には、彼への追悼文が掲載されておりました。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年8月3日(土) |
| 無理っぽい? 土曜担当…浜本美佐子 |
|
前回『続弾 問題な日本語』(北原保雄編著)について、
「多分、第一弾もあったのだろうが、図書館で目に留まり、手にしたのが続弾だった」と前置きしてから紹介したのだが、ナントわが家にその第一弾・『問題な日本語』があった!!!!!
私は、神戸市東灘区で生まれ育っており、阪神大震災に遭遇した際、いろいろなものの下敷きになった。机の横に寝ていたこともあり、本も散乱していた。買い物好きで、つい何でも買ってしまうから、自戒も込め、無駄な物は極力買わないよう気をつけ、本はなるべく図書館で借りることにしていた。特に小説は、気に入って何度も読みたいと思った作品のみ買うことにしている。
ところが、仕事上で必要だからと、書店に立ち寄ったり、インターネットで本を検索したりしていると、気になる本のタイトルが目に飛び込んでくる。所謂、「目が合う」という状態で、購入してしまっていた。
スペースが足りなくなって新たに本棚を買うハメになった上、購入した本は「いつでも読める」と考えてしまい、先に借りた本を読む。気付けば、「この本、わが家にあった」という体たらくだ。
これは、本だけに限らず、洋服などにも共通している。衣替えの度に「あっ、こんな服があった!」と思うことしばしば……。「マジありえなーい」と嘆きたくなった。「無駄な物は買わない」よう努めることは、私には「無理っぽい」のだろうか?
土曜担当…浜本美佐子
|
|
|
| 2013年8月2日(金) |
| モチベーション 金曜担当…小笹正洋 |
|
先日、配属された新入社員を前に講義をした内容の一部ですが、
モチベーションを上げるには。
自分の役割を目一杯演じること。
企業人なら、目の前の仕事に没入すること。
好きな仕事に就くか、就いた仕事を好きになるかの
どちらかしかない。
そして、
感謝する気持ちを忘れないこと。
「おれ様」ではなく「おかげ様」の気持ちで生きること。
願わない出来事がおきた時でも、肯定的気持ちで受け入れること。
たとえば、人とぶつかったり足を踏まれた時でも、
「こんちくしょう」ではなく、「ケガしなくて良かった」と
有り難く受け入れる。
そうすると、
人は言葉に出した出来事がもう一度起こるようになっているもの。
次に有り難いことが起こるようになってる。
日常のどんな小さな事にもありがたみを感じられる感性を持って欲しい。
どうしても感謝できることが見つからなかった時は?
今、生きていることが奇跡です。
そこに気付いてほしい。
計算上では10代先祖を遡ると、1,024人の方々の存在が
必要となり(累計数は2,046人)、誰1人欠けていても
自分の存在は無い事になる。
だから、
今自分がいる。それだけで感謝すべき事なんだよ。と。。。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年8月1日(木) |
| 学習 木曜担当…西端努斗夢 |
|
今年春からパソコン教室に通い始めました。
パソコンはそれなりに使えるのですが、それでも教室に通い始めたのは、パソコン初心者の方にパソコンの使い方を教えて欲しいと頼まれたからです。
自分でパソコンは使えても、全くパソコンの知識のない人に使い方を教えるとなると、なかなか難しいです。
教室では、初心者の方にどう説明すればわかってもらえるのかを学ばせていただいています。
知っているのとそれを教えるのとはどうやら別のようです。学習は、ただ単に知識をに身につけるだけでなく、身につけてなおかつそれを他人にわかりやすく説明できる域まで極めることが大切だと思います。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年7月30日(火) |
| 「誰と仕事をするのか」 火曜担当…坂本欣也 |
|
今夜、私のクライアント企業の一つの方々と懇親会がありました。
とにかく、その方々はその会社のトップを敬愛されているのです。
叱られても、迷うことがあっても、とにかくそのトップを尊敬し愛されているのです。
やはり人は、「何を仕事とするのか?」も大切ですが、それ以上に「誰と仕事をするのか?」が大切であると改めて思いました。
そして、その飲み会の後、感じたことがあります。
私の心が、よりスッキリ、軽くなっているのです。
せっかくの楽しい飲み会の後、心が重たく感じる時があります。
一方、心が軽く伸びやかに感じる時があります。
トップを敬愛し、辛いことがあっても、会社と共に成長していこうとする人たちと接することで、私の心も洗われました。美しく磨かれた心を持つ人と接すると、こちらも洗心されます。
今夜も良い勉強をさせてもらいました。
ありがとうございました。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年7月29日(月) |
| こだわりについて 月曜担当…池田光 |
|
僕が18年前から関心を持っている人に、
江戸後期に淘宮術を創始した、横山丸三(1780~1854)がいます。
彼は、
「源気よく 滞らぬが 仏にて よきも悪しきも 凝りは鬼なり」
という道歌をつくりました。
この歌は、僕が愛唱しているものでもあります。
その意味は、こうです。
「元気良くて、いろんな思いが心に滞らない状態が仏の御心にかなっている。思いの善悪にかかわらず、ずっと何らかの思いが心に滞っていては迷いが生じる」
と。
さらに、「源気よく」とは、「元気良く」という意味のほかに、「みなもとが清く」というようにも読めます。
さて、何かが心に滞っていることを「こだわり」と言います。
これは、「凝り」です。
7/27のブログで、浜本さんが、
本来「こだわる」は、物がつかえる・なんくせをつける、という意味で使われていた
と指摘されていましたが、
まさに、こだわりとは、物がつかえている状態です。
世は周流しているにもかかわらず、こだわると、その場に淀みをつくることにつながります。
こだわりは、丸三の道歌にあるように「思いの善悪にかかわらず」、迷いなのです。
別の言葉を探すと、近い言葉に、「執着」というのがあります。
執着から離れることが、仏の御心にかなっているのでしょう。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年7月27日(土) |
| マジ、ヤバ~イ 土曜担当…浜本美佐子 |
|
「問題な日本語」と聞いて、違和感を覚える人はいるだろう。
「問題のある日本語」という意味なら、問題(名詞)が名詞を修飾する時は「の」をつけるのが普通なので、本来は「問題の日本語」と表記すべきである。
あえて、タイトルにつけたのが、『続弾 問題な日本語』(北原保雄編著)。多分、第一弾もあったのだろうが、図書館で目に留まり、手にしたのが「続弾」だった。今回は、この本のご紹介を!
言葉は、時代と共に、いろいろ進化や変化をするものだが、中には「これは……」という誤った表現もある。ただし、多くの人が使い「市民権」を得た表現もある。同書は、そんな、「問題のある表現」について解説している。
例えば、「味にこだわる」。
本来「こだわる」は、物がつかえる・なんくせをつける、という意味で使われていた。小さなこと、「人から見れば大事でないことにとらわれる」という意味で、「それに執着しすぎるとマイナス評価が伴う」もの。
あるCMに使われたこともあり、1980年代頃から、「他人はそれほど気にしないが、自分にはきわめて大切。自負・意気込みを持って徹底的に追求する気持を表す」ようになったようだ。本来の意味からすると、違和感を覚える人もいるだろう。マイナス評価からプラス評価という、「意味の上昇」の一例で珍しいという。
因みに、意味の下落例では、「お前」(貴人を指す→対等以下の相手を呼ぶ)、や「坊主」(寺の主の僧→僧を広く指す、さらに坊主頭の子や男子を指す)などがあるそうだ。
その他、若い人が良く使う「ありえない」や「ヤバイ」、「○○っぽい」なども、国語的に述べてある。アホな私が、この本を最後まで読めたのは、漫画による解説もあったからだ。
その中にもあったのだが、次の問題に答えられる人はいるだろうか?
問い 以下の「ある料理を食べての感想1~7」を、美味しい順に並べ替えると?
1. ビミョー
2. チョービミョー
3. マジありえなーい
4. コレヤバイ
5. チョーヤバイ
6. おいしいっぽい
7. フツーにおいしい
答え 無理っぽい
土曜担当…浜本美佐子
|
|
|
| 2013年7月26日(金) |
| 立腰 金曜担当…小笹正洋 |
|
7/20の潜学講座に北九州市からご参加頂きました中様と池田塾長とで
懇親会の席にて「立腰(りつよう)」(腰骨を立てる)についての話を
交わしました。
立腰は「 国民教育の師父」森信三先生(1896-1992)の中核となる教えで、
主体性の自覚とその確立を主眼とするものです。
(森先生の著書は、「修身教授録」、「人生二度なし」等多数あります)
なぜ、「立腰」なのか?
1.「腰骨を立てる」---これは性根のある人間になる極秘伝
2.「立腰」は二本足で立ち行動する人間の最基本姿勢
3.人間は、心身相即的存在(心と身体が表裏一体)。
心を確かなものにしようとすれば身体から押さえてかからねばならない。
「腰骨を立てる」には
1.お尻を思い切り後ろに引き
2.次に腰骨の中心を前へ突き出す
3.最後に下腹に力を入れて持続する(肩のキバリがスッととれる)
最後に、立腰の功徳を以下にご紹介したいと思います。
内臓の働きがよくなり、健康的になります。
それにともない精神や身体のバランス感覚が鋭くなります。
人の話を姿勢を正してじっと聞けるようになり、集中力がついてきます。
安定した姿勢を維持できるようになり、持続力がついてきます。
精神的にも強くなり、何事にもやる気がおこります。
また、姿勢が良くなることから、身のこなしや振る舞いも美しくなります。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年7月25日(木) |
| “ありがとう”の力 木曜担当…西端努斗夢 |
|
“ありがとう”という言葉の持つ力が何年か前に話題になりましたが、78歳になった今も関西でラジオパーソナリティーとして活躍されている浜村淳さんは、すでに30年以上前、そのことについて話していました。
「ありがとう浜村淳です」という、当時としては珍しい番組名について浜村さんが、「法然上人が“南無阿弥陀仏”と唱えたら極楽浄土に行けると説きましたが、“ありがとう”という言葉もそれに匹敵するくらいの力を持った言葉なんです。だから私は、世の中を“ありがとう”の言葉でいっぱいにしたいと思っています」と言っていたのです。この言葉だけが、なぜか私の記憶の中に今も強烈に残っています。
毎日放送ラジオの「ありがとう浜村淳です」は1974年4月8日に放送を開始して以来39年、今も人気で、浜村さんご自身もお元気なのは、もしかしたら“ありがとう”の言葉の力によるものかもしれません。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年7月24日(水) |
| サラ・ベルナール邸をさがす 水曜担当…沢井淳弘 |
|
サラ・ベルナールが住んでいた、ペレール通りというのは、パリの西端に、南北に10キロほど伸びる、長い並木道です。
青い屋根にマンサードのある、豪華なマンションが立ち並び、街路樹がつづき、路の真中を、さまざまな花のさく庭園がつらぬいています。(白と紫のペチュニア、黄色いガザニア、白いバーベナ、ピンクのコスモスなど)
私は、ムダと知りながらも、会う人ごとに
「ひょっとして、サラ・べルナールの邸宅のあったところを知りませんか」
と尋ねました。答えはきまって
「知りませんね」というものでした。
ある花屋さんで聞くと、意外なことに、その年配の女主人が
「その先にあると聞いたことがあります」
と、その方向を指さしました。私は希望の光をみました。ふたたび疲れた足をひきずって妻と、そのあたりを歩きまわりましたが、どこか分かりませんでした。
もう夕暮れでした。私たちはもう完全に諦めて、ホテルにもどるべく歩いていたときです。1台のタクシーが、目の前でとまり、中から中年の夫婦と、その娘さんらしき人が出てきました。私は「これが最後!」と心に決めて、そのお父さんとおぼしき紳士に、フランス語でたずねました。
「エクスクゼ・ムア・ドゥヴゥ・デランジェ・ムッシュウ・・・ジェ・アン・プロブレム」
これは「魔法の呪文」とよばれているものです。パリで道に迷った時、この呪文を使うと、どんな人でも、かならず親切に答えてくれます。この呪文を知らないと、パリでは、いきなり道をたずねようものなら、答えは「ノン」で終わりです。(つづきは、来週の水曜日)
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2013年7月23日(火) |
| 「サラリーマンとビジネスマンの違い」 火曜担当…坂本欣也 |
|
昨夜も楽しい夜でした。
20年来、お世話になっているある方と食事をいたしました。
その席で、「サラリーマンとビジネスマンの違いは何だろう?」という話になりました。
いつも考えている問いではないのですが、いつも研修内でお話ししていることを思い出しこう応えました。
「『経営理念、ビジョン』を持っているか、持っていないか、ではないでしょうか?」と。
研修の中でお話ししているのはこんな感じです。
「経営者たるもの、会社を経営する上で『経営理念、ビジョン』を持たないといけないというのは、誰しもわかっていますね。そして、先ほど皆さんは、『うちの会社、上司は私たちに明確なビジョンがないと』と、嘆いていましたね。
しかしながら、違う見方をしてみると、私たち一人ひとりも皆、経営者なのです。
では、何を経営しているのでしょうか?
『自分の人生』です。
自分の人生という時間、エネルギー、才能、人脈などの経営資源を駆使し、自分の人生の経営を行っている。それで家族を養っている。自己実現しようとしている。社会に貢献しようとしている。今勤めている会社は、自分の事業を進める上の大お得意さんであり、その会社で一緒に働いている上司、同僚、部下などは、皆お客さんなのです。
であるならば、経営者である皆さんは、経営哲学やビジョンをもっていなければなりませんね。
では、ここで出して見せてください。」 すると、殆どの方が、エッ!?という顔をされる。
そのことを思い出しながら、
サラリーマンは、人生の目的、ビジョンを持たず、サラリーのために仕事をしている人。
ビジネスマンは、人生の目的、ビジョンを持ち、世のため人のため、何かを成し遂げるために仕事をしている人。
という違いが観えてきました。
また大きな気づきをいただきました。
20年来の恩人には、いつも学びのプレゼントをいただきます。
ありがとうございます。
備考:サラリーマンとは、英語にはない、日本独特の造語です。また、男性のみを対象にした昭和時代の造語です。本来はビジネスパーソンと同じように、サラリーパーソンとすべきです。しかし、ここではあえて、サラリーマンと対比するために、ビジネスマンを使いました。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年7月22日(月) |
| 友の死 月曜担当…池田光 |
|
親友のYB君が、昨年末に亡くなっていたことを知りました。
突然のことだったようです。
7月19日のこと、僕はこの日、漢文読解の講義を受けたあとで、三宮のサンパルにある古本屋に寄りました。
閉店するということで、半額セールだったのです。
10冊ばかり買って、本を袋に入れるとき、そのお店の古書目録(閉店号)を渡されました。
目録には店主の挨拶があり、閉店する理由が掲載されていました。
閉店の理由の番外編として、
「他に、昨年末急死したB古書店の協力を得られなくなったこと」
という一文があり、それが親友YB君のお店だったのです……。
僕はこの一文を読んでも、にわかに信じられず、現実的な感覚がないままに、目録の古本屋に電話しました。
そして、YB君が亡くなった顛末を知ったのです。
……YB君との出会いは、高校時代にさかのぼります。
彼は哲学者になることを夢見ていました。
そして、西田幾多郎の伝統をひく、憧れの京都大学の哲学科で学ぶことだけを考えていました。
彼は合格の自信があったようですが、結果は不合格でした。
早稲田大学には合格したのですが、彼はあくまで京大の哲学科にこだわっていて、浪人の道を選びました。
ある日、彼の母は、県下の有名予備校から「最近、授業をさぼっておられます」という電話によって、彼が予備校に通っていないことを知りました。ちなみに、彼は優秀だったので、予備校では授業料を免除されていました。
では、彼は、予備校をさぼって何をしていたのかというと、僕と遊んでいたのでした。
たとえば二人で、兵庫県出身の哲学者である三木清の記念碑とか、和辻哲郎などの故郷を旅したりしていました。
京都の法然院では、九鬼周造の墓に参りました。
しかし旅をしながらも、彼は、受験勉強だと言って、原書で哲学書を読んでいました。すでに彼は、高校時代から洋書をすらすら読んでいるような秀才でした。
とはいえ、僕と毎日のように遊んでいたのですから、翌年もまた、京大の受験に失敗しました。
そのときも、滑り止めに受けた一流大学には合格したのですが、やはり京大哲学科への夢は捨て切れませんでした。
そして、二浪の道を歩んだのです。
ところが、そんな折、彼の父が亡くなり、彼はここで大学受験を断念することにしました。
彼の父の葬儀には、僕も参列したのですが、その夜、彼は電話をくれ、
「僕の喪服姿、どうだった。似合ってた?」
と訊きました。
やがて彼は、新刊本屋で店長までやり、古本屋で何年間か修行したあと、哲学書を専門にした古本屋を開店し、和書と洋書を取り扱いました。
品揃えの軸になったのは、彼が高校時代から読み続けてきた、数千冊におよぶ哲学関係の蔵書です。これを店に投入して、筋の良い本を並べていました。
ある日、我が家にやってきた彼は、ビールで少し酔うと、
「僕の本をみんなが買って行ってしまう……」
と子どものように言いました。
彼が高校時代にもっとも影響を受けたのは、京大文学部倫理学科教授であった森口美都男の著作でした。そんな愛読書である『森口美都男哲学論集1~3』の3冊セットまで、彼は店に並べていました。
「この本を売ってくれ」
と頼んだことがあるのですが、彼は唯一、この本だけは売ってくれませんでした。
どうやら、この三冊セットをどんなお客が買うのか、彼は静かに見届けるつもりでいたようです。
何年もその本は売れず棚にありました。
あるとき、彼から電話があり、
「『森口美都男哲学論集』が売れてしまった……」
とポツンと言い、二三話して電話を切りました。
彼は珍しいものを入手すると、僕に連絡してくれ、格安で譲ってくれました。
三木清『人生論』のサイン入り初版本。珍品です。
カール・ヤスパースの万年筆によるサイン本『Descartes und die Philosophie』。翻訳書である『デカルトと哲学』を付けて譲ってくれました。
西田幾多郎の軸2点と扁額1点。
九鬼周造の手紙。珍品です。
ほかにも、数えきれないくらいあります。
また、彼は、僕のために年に一度、東京の市に行き、そこで僕が指定したものをよく落札してくれました。たとえば、鈴木大拙の自筆原稿や、安岡正篤の墨筆による署名本7冊セットなど。
古本屋仲間からは、バックにどんな上客がいるんや、みたいな話があったようです。
最近は、彼は韓国語を覚えて、韓国の思想書などを仕入れていました。もちろん、韓国まで買付けに行くのです。
ところで、古本屋の仲間には、僕のことを固定客の一人として紹介していた程度でした。
僕もそのほうが動きやすく、高校時代からの親友であることは、彼の母以外にはあまり知られていませんでした。
その母上も彼より半年前に亡くなり、そして舞子の家に一人残された、未婚であった彼が亡くなった今、誰も彼の異変を知らせてくれる人がいなかったのです。
50歳を越えてからは、年に二三回しか会わなくなっていましたけれども、そろそろ家にでも呼ぼうかと思っていたところでした。
が、それも叶わなくなりました。
無言のままだったのが彼らしいとも思うのですが、こういう形で僕らの関係は終わることになっていたのかと、分かったような分からないような感じがしております。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年7月20日(土) |
| 「息子」とコミュニケーション 土曜担当…浜本美佐子 |
|
今日は、愛しき「息子」・海澄(かいと)の8回目の誕生日(人間にすると45~6歳)だ。一緒に暮らして約8年経つと、コミュニケーションが成り立つのがわかる!?
ところで、コミュニケーションとは? 『広辞苑』では、「社会生活を営む人間の間に行われる知覚・感情・思考の伝達。言語・文字その他視覚・聴覚に訴える各種のものを媒介とする」、『コミュニケーション力』(齋藤孝著・岩波新書)では、「意味や感情をやりとりする行為」と表している。
単なる情報の伝達ではなく、感情も入ってくる。意味だけのやり取りではコミュニケーションにならない。さらに、相手に何を伝えたか、その結果、相手がどう受け留めるかが重要である。
つまり、自分の言いたいことや思いが相手に伝わってなければ、コミュニケーションとは言えない。独りよがりでは、コミュニケーションは成り立たないのだ。
相手が愛しい猫だと、言葉が通じないので、表情や仕草などから何を言わんとしているのかを必死に読み取ろうと努力する。愛猫も、そんな私に応えようとしてくれる。結果、コミュニケーションは成り立つと思っている。
猫は「寝子」と言われるほど、よく眠っている。惰眠を貪っていても、何かの拍子に目が合って、「か~いと」と愛情タップリに呼ぶと、「ニャウワ~ン」と返事をし、尻尾をおったて、こちらに擦り寄って来てくれる。人間の仕草になおすと、微笑みながら「どうしたん?」と側に来てくれるような感じだ。
尤も、「コミュニケーションが成り立っている」と思っているのは私だけで、海澄は「オマエはアホか!」と言っているのかもしれないが……。
土曜担当…浜本美佐子
|
|
|
| 2013年7月19日(金) |
| 暇つぶし 金曜担当…小笹正洋 |
|
人生の目的は暇つぶし、
退屈せずに遊戯三昧に生きよう。
無能唱元さんの著書の中から見つけた言葉ですが、
この言葉を口ずさむと、日中の慌しさの中から
心が一歩外に出られる気持ちになります。
仕事も、遊びも、学びも、休息も、、、
全て暇つぶし。
あとは、そこに身を置いている時間を
どのように感じ、味わっていくのか。
与えられた時間は皆平等。
でもその感じ方は平等じゃないんですね。
だから、
いつも心穏やかに、顔朗らかに。
楽(らく)な生き方よりも、
どんな環境も楽しめる生き方を
求めていきたいですね♪
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年7月18日(木) |
| 当たり前の奇跡 木曜担当…西端努斗夢 |
|
今朝もいつも通りに目覚め、いつも通りの生活をスタートさせました。
昨日も一昨日も、当たり前のように目覚め、当たり前のように生活しています。
でも、これって、当たり前のことなのでしょうか?
毎日無事に過ごせることは、もしかしたら、奇跡なのかも知れません。
毎朝目が覚める。今日も生きている。目が見える。音が聴こえる。手足が動く。
当たり前と思えることに今朝は感謝しました。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年7月17日(水) |
| サラ・べルナールのパリ邸 水曜担当…沢井淳弘 |
|
サラ・べルナールが住んでいた、伝説的なパリの豪邸がどこにあるのか? これは、日本人には長い間ナゾでした。サラ・べルナール邸は、かって天風が、1909年に滞在した場所といわれています。
サラ・べルナール邸は、伝記によると、ペレール通り120番地となっていますが、そこへ行っても、どの建物が、サラ・べルナールの邸宅だったのか、特定することが難しいのです。
そのまえに、そもそもサラ・べルナールの邸宅が残っているのか、が一般的に不明なのです。
私は数年前、2006年の9月、パリに滞在したことがあります。
そのとき、幸運にもサラ・べルナールの邸宅をつきとめることができました。
そのころちょうど、2人の友人がパリにおりましたので、助けを求めました。友人の一人は、パリのアパルトマンに30年も住んでいて、フランス人に日本語を教えている人です。流暢なフランス語をしゃべり、パリのことにくわしい人です。
ところが・・・私がパリに到着したその日に、
「サラ・べルナールの邸宅については、いろいろ手を尽くして調べましたが・・・そのようなものは今ではないということです」
と、断言されました。
でも、私は諦めきれずに、とにかくサラ・べルナールが住んでいたという、ペレール通りを、端から端まで歩くことにしました。妻といっしょでしたが、約10数キロ歩いて、足が棒のようになりました。細かい雨のそぼ降る、初秋のパリの住宅街でした。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2013年7月16日(火) |
| 「北京での再会」 火曜担当…坂本欣也 |
|
7月2日のブログに、北京の家族に会いに行くと書きました。
そして、先週行ってきました。
変わらぬ笑顔。
会った瞬間、2年の月日が一瞬にして無くなりました。
言葉が上手く通じない分、本心で交流する。
だから、気持ちが余計に伝わりやすくなる。
なまじ、言葉で通じると、言葉に頼ろうとする。
言葉に頼りすぎると、本心が伝わりづらくなる。
しかし、言葉も大切。
言葉の使い方、言葉なき言葉の使い方、そのバランスが大切。
と、そんなことを考えました。
ある朝、家で楽しく会話をしていたら、
後ろにあったテレビのニュースで、「日本が防衛力を増強している。中国周辺の国々と提携をして、中国包囲網をつくっている」と報道していました。画面には、安倍首相の顔が恐ろしい顔に描かれていました。
それを見て、私たちは互いの顔を見合い、にっこり微笑みました。
両国のこんな報道が、両国の多くの人々の心を汚染している。
会ったこともない人たちへの、悪いイメージ、妄想を増幅させられている。
報道を裏で操る人々に、私たちが操られている。
そんな報道から、「心を離す術」、「真実を観る術」を持たないといけないとも思いました。
昨年8月の西端さんの講義、「本心に聴く」を思い出しました。
最後の晩餐は、圧巻でした。
美味しい食事に、美味しいお酒。
カラオケに、ダンス。
みんな、魂が踊っていました。
本心、魂レベルでは、国境も、年齢も、言葉も、なにも関係ないと思いました。
今回は、その家族の他にも、北京に住む日本人駐在員、中国企業の中国人経営者、中国の若者たちとも会い、いろんなことについて話し合い、情報をもらいました。
様々なことを想う機会、そして元気をもらえた旅でした。
北京の皆さん、本当に有難うございました。
大家、謝謝!
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年7月15日(月) |
| 待つこと 月曜担当…池田光 |
|
僕は、子供のころからよく、短気な子だと言われていました。
だから、待つことは、とくに苦手でした。
とにかく待てないのです。
30代のころは、人と待ち合わせをしていて、相手が15分くらい遅れると、僕は待たずにその場を立ち去っていたものです。
それが、40代では一時間でも二時間でも普通に待てるようになりました。
今では、次の用がないなら、半日くらい待って、それで相手が現われなくても別に何とも思わなくなりました。
「待つ」ということに、心が耐えられるようになってきたのです。
こうなると、持久戦という武器を入手したのと同じです。
戦国の武将などで、待つことに耐えられなくなって、勇み足で戦いに討って出て滅んだというようなエピソードを読むと、待つということは、ひとつの勇気なのだと思います。
待てないのは、怯えがあるからです。
僕の基本は、やはり押すことです。押して押して押しまくり、可能性を開くこと。同時に、戦術として、僕は持久戦に持ち込むことができるようになりました。
昨年、ひとつの問題が発生しました。解決を急いでは失敗すると思った僕は、持久戦に持ち込むことにしました。10か月ほどの持久戦のうちに、最近、問題のほうが音を上げて動き出しました。こうなると、こちらの有利なように運べるのですね。
持久戦というのは、かなり強力な武器だと思うのです。
戦いという側面だけで申し上げますが、人は、自分のスキルで戦っているのとは別の次元で、心理戦でも戦っているのだと思います。そう考えると、「待つ」ことの意味は大きいと思うのです。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年7月13日(土) |
| あのペンギンは? 土曜担当…浜本美佐子 |
|
先日、須磨海浜水族園に行った。一時ハマり、年に2~3回くらいのペースで行ったこともあったが、今回は7~8年ぶりだ。
私のお気に入りであり、毎回必ず見るのが、メインアトラクションの「イルカショー」。空中高くのジャンプや空中回転に感心し、客席前列への「水しぶきのプレゼント」に笑いを誘われる。久しぶりに訪れると内容も一新されており、イルカと一緒に泳いだトレーナーのお姉さんを、イルカが口先で押し上げてジャンプさせるという高度なものまで見せてくれた。
体操選手のような見事な技を見せてくれても、「高度」と思うよりも「癒された」と感じるのは、イルカの愛くるしい姿かたちのせいなのかもしれない。
ところで、かつて訪れた時に、この「イルカショー」にペンギンが登場したことがあった。ショーの中盤に、10羽くらいのペンギンがイルカプールの入口付近に現れたのだ。友人と「ペンギンは、どんなことをやってくれるのか?」とワクワクしていた。イルカはもちろん、ペンギンも気になる。プールと入口を交互に見ている間に「イルカショー」は終わってしまい、ペンギンは紹介されることもなかった。
ペンギンもイルカショーを見たかっただけ? 何故あの場にペンギンがいたのか、未だに謎である。
土曜担当…浜本美佐子
|
|
|
| 2013年7月12日(金) |
| タイトル:愛と怖れ・・・ 金曜担当…小笹正洋 |
|
私たちの思考が「原因」であり、私たちのみるものが「結果」である。
人を非難するとき、最初に傷つけられるのは自分自身である。
私たちは、この一瞬一瞬を生まれ変わって生きている。
幸福は自分の外側からはやってこない。
私たちの感情には「愛」と「怖れ」のふたつしか存在しない。
愛とは怖れがまったくない状態のことをいう。
愛は怖れを手放すことから始まる。
「やっぱり怖れていたことが現実になった」といってホッとする矛盾。
人は無意識に愛を怖れ、みずから遠ざけている。
五官を通して知覚されたものだけが「現実」ではない。
私たちの意識に境界線はなく、実はひとつにつながっている。
心のやすらぎを人生唯一の目的とすると、人生はがぜん力強くなる。
「許す」ことの力は、とてつもなく大きい。
私たちがやすらぎを感じるために他の人が変わる必要はない。
行動を起こすとき重要なのは、具体的な手段ではなく「決意」である。
これから出会う現実は、すべて自分で決められる。
人間は「思い込み」の生き物である。
思い込みは過去の体験から生まれる。
攻撃や非難は常に、怖れと罪悪感から始まる。
攻撃は常に防御を意味する。
過去は現在とはなんの関係もない。
なにげなく使っている「言葉遣い」が、実は現実を創っている。
・「愛と怖れ」/G.ジャンポルスキー(著)
以前に購入し、積読だった本の表紙に書かれた下りを見て、
そのまま読み耽ってました。
愛は人と人(または、モノ)をつなげるもの。
愛、合い、会い、逢い、相・・・
すべて「あい」です。
怖れは人と人(または、モノ)を引き離すもの。
悪阻(おそ)と書き、「つわり」とも読みます。
以前に受講した講演で、ペア実習のセッションがあり、
立っている相手を「ばかやろう」と言いながら手で押し、
相手はそれに負けないように踏ん張る。
次に、同様に「ありがとう」と言いながら手で押し、
相手はそれに負けないように踏ん張る。
「ばかやろう」と言いながら押して動かなかっても、
「ありがとう」と言いながら押したら動いたグループが
大半でした。
言葉に込められた思いと発現するパワー。
きっとどこかに秘められているのでしょう。
愛は人と人(または、モノ)をつなげるもの。
愛、合い、会い、逢い、相・・・
すべて「あい」という名のもとに一つになっていきます。
怖れは人と人(または、モノ)を引き離すもの。
悪阻(おそ)と書き、「つわり」とも読みます。
自分のなかにあるものを排除しようとします。
また、怖れは怒りや悲しみや様々なマイナス感情も
生み出していきます。
どんな時にも、和みの表情と愛ある言葉を心がけていき、
マイナス感情を駆逐していきたいですね。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年7月11日(木) |
| 信頼関係 木曜担当…西端努斗夢 |
|
ある方に進められて何年か前から、糠床を作るようになりました。この時期ですとナスやキュウリを漬けると、乳酸菌などの微生物さんが一晩でとてもおいしい漬物にしてくれます。今朝もナスの浅漬けをいただきました。
糠床は、放っておくと腐敗やカビの増殖などによる劣化が進むため、毎日かき混ぜて手入れをしなければいけませんが、その際、微生物さんに話しかけるようにしています。
すると、不思議なことに漬物が日を追ってどんどんおいしくなっていく気がするのです。微生物とはいえ命ある生き物、親しみを込めて接するとそれに応えてくれるのではないでしょうか?
EM菌を使った農業で効果を発揮することもあれば、それほど効果を発揮しないことがあるのも、使う人の心の持ち方による影響が大きい気がしてなりません。
お互いの信頼関係が大切なのは、何も人と人だけでなく、人と微生物、人と動物、人と植物はもちろん、人と道具などすべてのものに当てはまると思っています。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年7月10日(水) |
| 鏡の自己暗示法 水曜担当…沢井淳弘 |
|
先週に、このブログで、お話しした「鏡の自己暗示法」は、いろいろ応用ができます。
たとえば、数学の苦手な学生は、
鏡のなかの自分の眉間を見つめて、
「おまえは(もしくは、あなたは)数学が好きになる!」
と、暗示の言葉をかけます。そして、翌朝の自己暗示の言葉は
「よし!おれは(あるいは、わたしは)数学が好きになった!」
です。
「おれは数学が得意だ!」
ではありません。
好きになってはじめて、勉強する気になるから、結果その科目が得意になるからです。
健康になりたいという念願をもつ人は、
「おまえは(あるいは、あなたは)病を気にしなくなる!」
という言葉が効果的です。朝起きた時は
「おれは(あるいは、わたしは)病を気にしなくなった!」
です。
「健康になりますように」
などというお祈りのような言葉は、効果がありません。なぜなら、その言葉の裏に、
「健康になればいいんだけど・・・健康になれるかな?・・・やっぱりダメだろうな・・・」という、皮肉な心理がはいりこむからです。
人の心というものは、実にデリケートなものです。
天風自身が、この鏡の自己暗示法で、肺結核を克服したのです。しかも、天風は、この鏡の自己暗示法を、いろいろ応用し実行したようです。
たとえば、講演の演壇に立つ前には、小さな鏡をふところから取り出して、
「よし!おまえの信念は強いぞ!」
と暗示をかけ、ついでに、鏡に向かってにっこりと笑い、その印象を心にやきつけて、颯爽として演壇に向かった、と天風自身が言っております。
じっさい、天風という人は、演壇にたつとかならず、聴衆に向かってニッコリ微笑したものです。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2013年7月9日(火) |
| 「一日一生」 火曜担当…坂本欣也 |
|
5時起床。呼吸操練法、セルフマッサージ、天風式体操、水垢離、瞑想、誦句音読。
この一連を実行することが、いつしか私の毎朝の日課になりました。
気が練られて、身体の隅々に充満し、一日がスタートします。
しかし、一日生きるといろんな垢や埃が積もってきます。
目の前の現象に感情的になったり、怠惰な時間を過ごしたり。
自分の未熟さが嫌になります。
なので、夜にまた瞑想し洗心してから、眠りにつくようにします。
「鏡の自己暗示法」も、やるように心がけています。
ただ、まだこれは習慣化されておらず、3日に一回行う程度です。
そして、目が覚めると朝の日課を行います。
しかし、一日間でまた垢や埃がたまります。
その日々の繰り返しです。
私は進化向上しているのでしょうか?
良くわからなくなります。嫌になってくることもあります。
しかし、これを続けようと思います。
何かを一所懸命、継続すること自体に、意味を見出したいと思います。
比叡山延暦寺の大阿闍梨、酒井雄哉師の説く「一日一生」を、感じたいと思います。
足元にも及ばないレベルですが。
そして、心身健康で修行できることを、ただただ感謝したいと思います。
ありがとうございます。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年7月8日(月) |
| 「ビジネス名言集4部作」のオーディオブック 月曜担当…池田光 |
|

この7月に、4作揃ってオーディオブックが発売されます。
一本1050円と安価で、まとめ買いをされる方が多いだろうということで、一挙に発売されることになりました。
この4作は、2006年から2011年にかけて、順次、発売された単行本で、今年の上半期にはすでに電子ブックとしてご好評をいただいています。
僕にとっては、どれも思い出のあるものばかりです。
■本多静六の本……生誕の地に行き、そこで静六の自筆の原稿や日記などを拝読させていただき、偉大な魂に向き合えました。
■安岡正篤の本……安岡正篤記念館を訪ね、ご子息の安岡正泰氏と一時間余りお話をさせていただき、出版のご許可をいただきました。
■船井幸雄の本……船井本社を訪ね、ご子息の船井勝仁氏と楽しくお話をしました。そして、この本は良くかけていますと太鼓判を押していただけました。
■渋沢栄一の本……この本を書いていたときに、東日本大震災がありました。僕は衝撃を受けて、この本を書きあげると、湧くわく本心塾の設立に乗り出しました。
音声で、自分の原稿を聞けることを楽しみにしています。
こんな楽しみを味わえる時代に生まれて良かったと思っています。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年7月6日(土) |
| 理想の男性!? 土曜担当…浜本 美佐子 |
|
私が一番好きな小説は、隆慶一郎氏が著した歴史小説『一夢庵風流記』だ。著名でピンとこなくても、傾奇者(かぶきもの)・前田慶次郎といえば、ご存知の方も多いだろう。傾くとは、広辞苑に「異様な身なりをする。人の目に付く衣装を身につける」とあり、戦国時代から江戸時代初期にかけての社会的風潮だったらしい。傾奇者とは、派手な格好をして、命懸けで常識を逸脱した行動に走る者を指すようだ。
時は戦国時代。加賀藩主・前田利家の甥にあたるのが、主人公の前田慶次郎利益(利太・利大・利貞、諸説有)だ。当時の戦いに馬は欠かせず、場合によっては野生馬を飼いならすこともあった。役人たちが野生馬を追い詰めても、中に図抜けて賢い馬がおり、他の馬をうまく逃したり、人に挑んできたりして、いつも失敗し、「悪魔の馬」と恐れられていた。「悪魔の馬」退治を命じられた慶次郎は、「勿体無い。飼いならして手前の馬にします」と、単身出かける。何日もかけて、その馬に乗り、とうとう自分の馬にしてしまう。愛馬・松風との出遭いのシーンであり、私が最も好きなエピソードの一つだ。
身長百九十センチ以上もある大男の慶次が巨大馬・松風にまたがり、朱槍を振りかざして戦場を一騎駆けするシーンは、読んでいてスカッとする。慶次郎は、奇抜な格好こそしているものの、ハンサムで、逞しくて、強くて、優しくて、和歌や漢文にも精通しており、文武両道の男だ。いたずら心と茶目っ気もあり、女性だけでなく、男性からも惚れ込まれる。
そんな慶次郎に関白・秀吉が興味を持ち、「会ってみたい」と所望した。諸大名が見守る中、訪れた慶次郎は何と猿踊りをする。「猿面冠者」とも言われた秀吉の前で、命懸けで傾いて見せたのだ。凍りつく諸大名たちをよそに、傾奇者でもあった秀吉が「今後、どこででも傾いて良い」と、慶次郎に「傾奇御免状」を与える。実話を元にしたエピソードでもあるという。
直江兼続・上杉景勝との出会い有り、格好だけの傾奇者をからかうシーン有り、朝鮮見物有り……。長編なのだが、事あるごとに読んでは元気をもらっており、友人たちに勧めまくった本だ。
同書は漫画『花の慶次』の原作でもある。『北斗の拳』を描き、主人公・ケンシロウに惚れ込んだ漫画家・原哲夫氏は、その連載を終え、ケンシロウ以外誰も好きになれなかったという。その原氏が『一夢庵風流記』に出会い、慶次郎に魅了された。原氏が、隆氏が入院する病院に原作依頼に行った時、隆氏は「管だらけ」だったらしい。隆氏は原作を了承するも、漫画を見ることなく逝ってしまった。
土曜担当…浜本美佐子
|
|
|
| 2013年7月5日(金) |
| 晴れてよし、曇りてもよし・・・ 金曜担当…小笹正洋 |
|
7月に入り、各地で「山開き」・「海開き」・「川開き」が行われています。
その少し前の2013年6月22日に、富士山が世界遺産に登録されました。
「日本の富士山」から「世界の富士山」となりました。
今では優雅にそびえている富士山ですが、平安時代までは頻繁に噴火を
繰り返してきたようです。
その火を鎮めるために建てられたのが浅間(せんげん)神社で、
守り神は木花咲耶姫(このはなさくやひめ)。
昔話に登場する海幸彦(うみさちひこ)、山幸彦(やまさちひこ)の
お母さんでもあります。
富士山の噴火を鎮める守り神となった木花咲耶姫は、富士山の頂上から
花の種を蒔いて日本全国に花を咲かせました。その花が桜だったとか。
江戸時代に富士講がブームとなったようですが、今後は世界規模での
ブームとなるのではないでしょうか。
まだ富士山には登頂したことのない私は、ブームが済んでから
賑わいを避けて登ってみようかと。。。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年7月4日(木) |
| 日本人 木曜担当…西端努斗夢 |
|
参議院選挙が公示されました。今回の選挙で有権者はどんな審判を下すのが、注目しています。
というのは、阪神大震災や東日本大震災の後、被災された方々の秩序正しい行動は、日本民族の持つ優れた自己抑制力によるものだと思っていたのですが、最近、私の中に疑問符が湧いてきたからです。
これだけ放射能による汚染が進んでいるにもかかわらず、真実を知ろうともせず、何の行動も起こさない多くの日本人。秩序正しい行動は、優れた自己抑制力によるものではなく、「お上」の言うことを鵜呑みにして妄信し、自分で考えて行動することができないよう洗脳されてきた私たち日本民族の悲しい性によるものだったのではないかとさえ思えてきます。
そうだとは思いたくないし、日本人を信じているのですが…
とりあえず私は、これからも志を持って学び、行動し、「お上」ではなく、自分の本心に耳を傾けて生きる人間になろうと決意を新たにしています。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年7月3日(水) |
| 鏡の自己暗示法 水曜担当…沢井淳弘 |
|
天風は、サラ・べルナールから、「鏡の自己暗示法」を習ったのではないか、と私は考えています。なぜなら、天風がフランスの心理学者から「鏡の自己暗示法」を学んだとしていますが、そのリンドラー (Lindler) という心理学者を特定することができないからです。
それに、サラ・べルナールのような舞台女優が、鏡をつかって自己暗示を行うことは、きわめて効果的で、ありそうなことだからです。
ここで、「鏡の自己暗示法」について、説明しましょう。
鏡に自分の顔をうつして、その眉間にむかって、自己暗示のことばを唱える、という簡単なものです。
ただ、そのとき唱える自己暗示の言葉の表現には、細心の注意が必要です。
たとえば、「私は信念が強くなる!」などという表現は、ぜんぜんダメです。
「私は健康になる!」なども、効果がありません。
「おまえは(もしくは、あなたは)信念強くなる!」
「おまえは(もしくは、あなたは)病を気にしなくなる!」
が効果のある表現です。自分に命令するわけです。
夜眠るまえに、この「鏡の自己暗示法」をおこなうと、抜群の効果があります。そして、翌朝、目が覚めるとすぐに
「よし!おれの(もしく、わたしの)信念は強くなった!
と、自分にいいきかせます。朝起きた時は、鏡は必要ありません。鏡に映った自分のねぼけた顔は、あまりいい暗示(印象)をあたえないからです。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2013年7月2日(火) |
| 「我的家人在北京」 火曜担当…坂本欣也 |
|
2011年夏、私は知人の紹介で、北京のあるご家庭に2週間ホームステイさせてもらいました。
中国語が全く話せない私には、本当に苦しく、かつ豪快に楽しい2週間でした。
その家族から、2年間、週一回はメールが届きました。
一貫して、「お前は私たちの家族だ。次はいつ来るのか?早くまた来い!」とのお誘いでした。
それで、来週また北京に行くことにしました。
話は、変わりますが。
私は企業研修の中で儒教の話をよくしますが、多くの人は儒教のことを余り知りません。
日本の歴史と儒教の話を終えると、「やはり、日本人のルーツは儒教だなあ」という納得感と同時に、「ところで、今の中国は儒教を実践していないですね?」という断定的な質問が来ることが多いのです。
つまり、日本は儒教国。しかし、儒教を生み出した中国は、今儒教国ではない。というのが、私の多くの受講生の感覚です。みなさんは、いかがでしょうか?
私は、今の中国人の心にも、日本人の心にも、儒教は根付いていると思います。
ただ、自分たちの考えや行動の背景に、儒教があるということを知らないだけ。普段は気にしていないだけ。
もっと言えば、どの国の、どの宗教思想哲学の中にも、共通する真理が存在していると思います。
真理は、それだけ崇高で普遍で公平であると思うからです。
実践の仕方は、国の文化によって違います。
日本は日本流の。中国は中国流の。韓国は韓国流の。
そして、経てきた歴史で、その形態は変わります。
それは、仕方ないと思います。それで、良いと思います。
中国の文化大革命の時代、共産思想以外の宗教や思想は、徹底的に弾圧されました。表面的には一旦破壊されました。しかし、2500年以上の歴史を持つ思想です。もちろん、人々の根底、潜在意識には根付いています。消すことは不可能です。
今はグローバル化の時代。
実践の仕方の違いを受け入れながら、「和」を創造したいものです。
なぜなら、元は同じですから。
そうしたことを味わえる洞察と深みのある人が、グローバル化の時代に求められていると思います。
私もなりたいものです。
話は戻りますが。
思想や主義、国籍に関係なく、私の北京の家族は、ただただ素晴らしい人たちです。
ただただ、人情に厚い、優しい人たちです。
ただただ、純粋で陽気な人たちです。
ただただ、再会するのが楽しみです。
ただただ、このご縁に感謝です。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年7月1日(月) |
| 湧くわく本心塾@名古屋〔第2回〕 月曜担当…池田光 |
|
上半期が終わり、7月に入りました。
下半期のスタートとして、照隅ライブラリーの第二弾として出版する『論語 人間を磨く言葉』の本づくりから始めたいと思っています。
そのためもあって、6月26日~27日に、名古屋に行ってきました。
関西から名古屋に向かったのは、5名。
会場で名古屋のメンバーと合流し、「湧くわく本心塾@名古屋」を開催しました。
すでに西端さんが紹介してくれたように、テーマは、“川井信一さんと『論語』の旅に出よう”です。
このテーマは、『論語 人間を磨く言葉』の出版をみすえて設定したテーマであり、川井さんに『論語』からの好きな言葉を書いていただきました。
私が選んだのは、「発奮しては食を忘れ、楽しみをもって憂いを忘れる」(写真)です。
じつは、参加者の多くが、『論語』に親しみがなく、参加するのも少し抵抗感があった方が多かったみたいです。
ところが、事務局で用意した「論語名言集」をもとに、ご参加のみなさんに好きな言葉を選んでもらったところ、これが思いのほか楽しかったようでした。
それもそのはず、選んだ言葉を、川井さんが書にしてくれるのですから…。
参加された方から、こんな文面のお葉書をいただきました。
「漢文が苦手で避けてばかりいましたが、おかげさまで楽しく、親しみやすく論語入門をさせていただきました」
と。
今回の「湧くわく本心塾@名古屋」のおかけで、『論語 人間を磨く言葉』の編集方針が改めて明確になりました。
当初、この本を2部構成で考えていましたが、今回の件をふまえて3部構成とし、みなさまに『論語』に親しんでいただけるような資料を第3部に入れたいと思っています。
まことに収穫の多い旅となりました。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年6月29日(土) |
| 『日本人なら知っておきたい日本文学』2 土曜担当…浜本美佐子 |
|
前回ご紹介した『日本人なら知っておきたい日本文学』(蛇蔵&海野凪子著。平安文学を中心に、その作者の人となりを描いた「コミック新書」)より、簡単にご紹介する。
『源氏物語』でおなじみの紫式部は、父から「息子でないのは不幸」と言われるほど、賢かったようだ。しかし、平安当時の女性は、かなが書ければ充分とされており、女が賢いのはよくないことと思った式部は、アホのふりをしたという。夫に先立たれ、抑えていた知識を投入して書いたのが『源氏物語』。口コミで大ヒットし、未完成原稿の流出にも悩んだという。今や日本だけでなく海外でも評価されており、英文では式部を「Murasaki」「Lady Murasaki」と表現していることが多いそうだ。
『枕草子』を書いた清少納言は、自分に正直で、その思いのたけを同著にぶちまけている。「見苦しきもの」として昼間からイチャつくブサイクカップル。「にくきもの」として働く女を評価しない男。子供が騒いで物を壊しているのに、ニコニコ笑って「あらダメよ」と笑って言うだけの親をどうにかしてほしいと言い、説教する坊さんはイケメンが良い。顔を見ている間は話を聞くけど、ブサイクだと思わずよそ見して、内容が頭に入らないと言ったりもしている。将来に望みもなくただ夫にすがって偽りの幸せに安住している女は鬱陶しいし、バカなんじゃない、と言いたい放題である。
中宮・定子から寵愛を受け、才能を発揮して目立った故、悪口も言われたようだが、「悪口、仕方ないんじゃない? それより悪口を言うのを怒る人の方がワケわかんない。自分のことは棚に上げて、こんなじれったい物言いはない!」と、どこまでも清々しかったようだ。
本書を読むまでは、知識をひけらかしているイメージがあり、清少納言をあまり好きではなかったが、その目の付け所と潔さに好感を持った。何より、その嘆きが現代も変わっていないことに驚いた。
土曜担当…浜本美佐子
|
|
|
| 2013年6月28日(金) |
| ちょっとの違いで大きな違い・・・ 金曜担当…小笹正洋 |
|
普段何気なく使っている言葉で、
がんばってるね。
がんばってね。
これは、「る」という一文字があるかどうか。
同様に、
やってるね。
やってね。
これも、「る」という一文字があるかどうか。
どちらの言葉をかけられた方がやる気が出るかというと、
「がんばってるね」や「やってるね」ではないでしょうか。
人は足らないものを求められるよりも、
今の自分を肯定的に受け入れて貰う方が気分がよく、
モチベーションもアップすることでしょう。
自分に対しても、例えば、
「難しそうだから~」に続く言葉は、
否定的、マイナス言葉になってしまわないでしょうか。
しかし、
「難しそうだからこそ~」だと、
困難を打ち消し、乗り越えようとする
肯定的、プラス言葉になっていくでしょう。
普段使っている言葉に、ちょっとした言葉をはさみ込んで
意識して陽転的に発するようにして言葉の力を大いに
活用していきたいですね。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年6月27日(木) |
| 論語を楽しむ 木曜担当…西端努斗夢 |
|
昨日は、「湧くわく本心塾@名古屋」に参加させていただきました。
今回のテーマは、“川井信一さんと『論語』の旅に出よう”で、論語の中から、自分の好きな言葉を選んで、それを川井さんに書いていただくというものです。
論語といえば、堅苦しいイメージがあったのですが、自分の気に入った言葉を探すのが面白く、生まれて初めて論語を読むのが楽しいと感じました。
「吾道一以貫之(吾が道は一をもって之を貫く)」や「好之者、不如楽之者(之を好むものは、これを楽しむ者にしかず)」など、2000年の時を経ても輝きを失わない素晴らしい言葉で溢れかえっていることには驚きです。
その中で、私の選んだ言葉は写真にあるもの。なぜ、これを選んだかは、もうすぐ出版予定の湧くわく本心塾 照隅ライブラリー『論語 人間を磨く言葉』に書こうと思っているので、よろしければそちらをお読みください。
「学生時代、こんな授業があれば、もっと論語を好きになっていたのに…」と思うほど、昨日は楽しい会でした。
ありがとうございました。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年6月26日(水) |
| 今年の夏 水曜担当…沢井淳弘 |
|
私は、7月と8月は毎年信州の山荘に移住します。
それで、「湧くわく本心塾」には来れません。
今年の夏は、池田洋美さんがやっておられる「ヨーガ研究会」(正式の名称?)によばれて、話にいきます。
何回も天風哲学を、みんなで実習することになるでしょう。
私の本を(とくに『やさしい瞑想法』)愛読してくださる方々が、「ヨーガ研究会」にはお集まりのようで、楽しみにしております。
夏の信州は、よく晴れて冷涼なので、活発な行事がいろいろあります。京都にいるときより、忙しくなります。
池田洋美さんは、熱心な求道者で、瞑想の実践家です。
松本の近郊で豪農をしておられ、そこで特別に栽培しておられる「お米」は、超うまーい! です。
それに今年の夏は、プロの画家、野呂研次さんとあつかましくも絵の「二人展」を、信州の「鹿山村」で開きます。
私は風景画ばかりです。
去年はヨーロッパに旅したときにスケッチした風景画ばかりでしたが、今年は、すこし日本の国内を旅した時の風景もまぜようか、と迷っています。
牧広篤(まき・ひろあつ)氏の広壮な別邸で、「二人展」をやらせてもらいます。この別邸には、すばらしい図書館があります。
もはや入手不可能な全集ものもあり、高価な画集もたくさんあります。
映画のDVDや、クラッシックのCDのコレクションもすばらしい。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2013年6月25日(火) |
| 「子供たちの気迫」 火曜担当…坂本欣也 |
|
この週末、子供のサッカー練習試合の応援に行ってきました。
一番印象に残ったのは、私の子供のチームが強豪チームと2回試合をし、一試合目はボロボロに負けたのに対し、二試合目に快勝したことです。
一試合目と二試合目では、明らかに気迫が違っていました。
試合開始前から、雰囲気が違っていました。
試合中は、一人ひとりの気迫が、全体の気迫となり、強豪チームに襲いかかっていたのです。
一人ひとりのプレーでは相手チームの個人技が優るものの、こちらのチームは、一人が突進しそれがダメなら次の選手が後を引き継ぐ。転んでも直ぐに立ち上がり、泥まみれになり、また突進し次から次へとつなげて行くその姿に、感動し目頭が熱くなりました。
試合後、私は子供たちに駆け寄り、「よう頑張ったな!凄かった!感動した!」と声をかけました。
みんな、一皮むけて自信がついた、素晴らしい輝いた顔をしていました。
明らかに、個人として、チームとして成長していました。試練から学んだのです。
そして、「なんで一試合目と二試合目があんなに違ったん?一試合目の後で、皆で何を話し合ったん?」と質問しました。すると、「とにかく強気で行こう!と皆で決めてん」という返事でした。
二試合目、子供たちは「絶対積極」を実践していたのです。
心が絶対積極となり、それがプレーに表れていました。声や顔の表情にも出ていました。
誰一人、怖がるプレーをしていませんでした。
また、怒りのように感情を高ぶらせるのではなく、冷静でもありました。
彼らは「無念無想」「無心」「無我」だったと思います。
そして、チームで一つの「絶対積極の塊」になっていたのです。
そのチーム全体の絶対積極心から出る凄まじい波動が、強豪チームの選手をタジタジにさせ、応援している私たちを感動させたのだと思いました。
またもや、子供たちに教わりました。
みんな、ありがとう!
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年6月24日(月) |
| マインドフルネス瞑想法 月曜担当…池田光 |
|
アメリカで流行している瞑想法に、マインドフル瞑想法というのがあります。創始者は、カバット・ジンさんで、何冊か翻訳されています。
先月から、この瞑想をしている方と出会い、二人で期間限定的な勉強会を始めることにしました。
マインドアルネスとは、一言で言えば「気づき」です。
あるがままの物事に、
① 意図的に、
② 現在の瞬間に、
③ 非価値判断的に、
注意を払うことによって現われてくる気づきです。
それを感じるワークとして、「1粒のレーズンを食べる」というワークをしました。次の手順で、一粒のレーズンを食べます。
①持つ ~掌か指でつまむ
②見る ~目で表面を調べる
③触る ~指の間で回転
④匂いを嗅ぐ ~鼻の下にもっていく
⑤置く ~口の中に置く、転がす
⑥味わう ~噛む準備、一噛み、二噛み
⑦飲み込む ~飲み込む意図の感知
⑧追跡する ~胃に落ちていくのを感じる
このようにすることで、生きるモードが変わるのです。
ふだんは、我々は作業しているような「Doing mode」にいます。これを「Being modo」に切り替えるのです。この切り換える手段が瞑想なのです。
私は、マインドフル瞑想法は、ヴィパッサナー瞑想法(観の瞑想法)に相当すると思っています。
彼女からは宿題をたくさん出されて大変なのですが、月一回の勉強会を通して、僕なりに瞑想を体系化したいと考えています。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年6月22日(土) |
| 『日本人なら知っておきたい日本文学』 土曜担当…浜本美佐子 |
|
前回ご紹介した『日本人の知らない日本語(※)』(蛇蔵&海野凪子著)の続編らしき本を目にし、読んでみたら面白かったのでまたまたネタにさせてもらう。
(※)外国人留学生相手に日本語教師を務める海野凪子さんのこぼれ話―というよりも苦労話(!?)―に、イラストレーター蛇蔵さんが漫画を描いたコミックエッセイ。
海野先生は、日本語学校で文学史についても話すことがあるという。蛇蔵さんと古典文学の「あまり有名じゃないけど、ちょっとおもしろいこと」を話し合い、手軽に学ぶことを目的にした「コミック新書」にまとめたのが、今回ご紹介する『日本人なら知っておきたい日本文学』。
『枕草子』『大鏡』『紫式部日記』などの平安文学を中心に、その作者の人となりを描いている。
このほど世界記憶遺産に登録された『御堂関白記』は、平安時代に栄華を極めた藤原道長(966-1027 平安時代中期の延臣)の著書で、自筆本が現存する世界最古の日記といわれる。同書は、『御堂関白記』をベースに「男の夢コンプリート藤原道長」として以下のように紹介している。
紫式部の『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルという説(他に、源融・みなもとのとおる、という説も有)もある道長は、平安時代の男の夢―①公家のトップになる ②娘を天皇の后にする ③娘が男の子を産む ④その子をさっさと天皇にする ⑤後見人になる―を全て叶えた。
道長は、当時の権力者・藤原兼家の三男(異母兄弟を含めるともっといた)だったので、特に公家のトップになるのに苦労したという。継承の順番は、兼家の長男・道隆がトップ。「病気する姿も美しい」と歴史に残る色男だそうな(会ってみたい!!)。二番手は次男・道兼。特徴は髭が濃い(って、それだけかいっ)。三番手の道長について、父・兼家は「度胸は一番。日記書かせたら誤字脱字も多いが、細かなことを気にしない大らかさが魅力」と言ったとか。ちなみに、「崩給 ほうじたまふ」を「萌給」と間違ったらしい。海野先生もしっかり「萌えてどーすんだ」と突っ込んでいた。
さて、その出世レースだが、長男・道隆、次男・道兼が相次いで死ぬ。最後は、道隆の息子・伊周(これちか)と争い、一条天皇の判定へと持ち込まれた。天皇は、大好きな妻(『枕草子』でおなじみの中宮・定子)の兄・伊周と、母・詮子の弟・道長の間で迷い、「母が怖いので、道長に決めた」という。
波乱含みの出世レースを勝ち抜いた藤原道長の栄華は、孫を何人も天皇にして藤原家を磐石にした実績からも明らかである。世界遺産・平等院は、道長の別荘が元だそうだ。
ところで、道長の歌「この世をばわが世とぞ思ふ望月の 欠けたることもなしと思へば(この世は自分のためにあり、満月も欠けることはない)」は有名である。実は、道長が酔っ払って作ったため記録に残さなかったのに、仲の悪かった部下・藤原実資(さねすけ)が、日記に書いたため広まったらしい。
120ページ程度の「コミック新書」なので、すぐに読め、ギャハハハと笑えたが、主な参考文献だけで70冊以上というから、著者は、さぞかし苦労して纏めたのだと思う。
土曜担当…浜本美佐子
|
|
|
| 2013年6月21日(金) |
| 鬼の目にも・・・? 金曜担当…小笹正洋 |
|
心のやさしい赤鬼が、
村の人たちと仲良くしたいと思っていましたが、
なかなか上手くいきません。
何とかその願いを叶えてやろうと
青鬼は知恵を働かせて、
村の人たちに一芝居打つことになりました。
それが大当たりし、
赤鬼は村の人たちと仲良しになりましたが・・・
「ないたあかおに」(浜田廣介著)という絵本です。
美しくも切ないエンディングを迎えるのですが、
鬼たちの仲間のために尽力する熱い思いと、
それに感じ入る姿が、子供にでも分かるように
描かれています。
今のような世の中だからこそ、
余計に染み入るお話だなと思いました。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
|
| 2013年6月20日(木) |
| キザキザ 木曜担当…西端努斗夢 |
|
本心庵(http://www.honsinan.jp/index.html)から出版されている立花大敬さんの『しあわせ通信第一集 心はゴムひも』から『しあわせ通信第八集 法華経講義』までを読み返す機会があり、あらためて多くの気づきや感動がありました。
その中にある、「神様の壺」というお話しは、何度読んでも心が軽くなる、私のお気に入りの一つです。
神様が持っていた黄金の壺が地上に落ちて割れ、その破片が私たちで、人生を通して成長し、前よりも一回り大きく、より美しくなった黄金の壺に戻ろうとしているというお話です。(詳しいストーリーは、本をお読みください)
その中で、立花大敬さんは次のように言っています。
「私たちは、もと壷の一片、一片の破片なのですね。その一つ一つの破片が、地上での嬉しい事、腹立たしい事、哀しい事、楽しい事…、様々な体験を重ねつつ、次第に大きく成長してゆくのです。どんな形に成長すると思われますか。よく間違っている人がいるんですね。ギザギサを削って、円くなるのが成長だと思っている人がいます。それは間違いなんです。そのギザギザのまま、その形のまま大きくならなければなりません。そうしないと、破片と破片がピッタリはまって、ピシッとすき間のない壷が完成しないでしょう。『君には、コレコレの欠点がある』なんて、よく言いますが、欠点というのは実は個性であって、破片のギザギザなんですね。そのギザギザがあるから、他の破片とピッタリはまるんですから、それを無くそうなんて思ってはだめなんです」
ギザギザだらけの私は、この言葉に何度も救われています。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年6月19日(水) |
| 大八木明先生 水曜担当…沢井淳弘 |
|
5月のある土曜日に、私は、京都で「天風式の瞑想」についての
講義・実習をしました。
大八木明先生の主宰する「健康を語る会」の招請をうけて、
嵐山のほうへでかけました。
参集されました皆さん、とても熱心に私の話を聞いてくださり、
私はとても嬉しかった。
大八木先生という方は、京都では有名なお医者さん(開業医)で、
天風哲学のすぐれた実践者であり、しかも「健康を語る会」で
天風哲学のお話を、何年もされているのです。
大八木先生は、医学の立場から天風哲学の実践を語られるので、
説得力があります。
大八木先生は、京都大学で医学博士の資格を取られました。
すぐれた研究者でもあり、2冊の著書は日本図書館協会の選定図書
にえらばれています。
大八木先生は、天風式の瞑想を、毎日熱心に朝夕実行しておられます。
ですから、いつも意識は明澄で、なにかとても楽天家のようです。
私はこれから京都で、大八木先生とごいっしょに、いろんな行事を
したいと、期待に胸を膨らませております。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2013年6月18日(火) |
| 「6月潜学講座報告」 火曜担当…坂本欣也 |
|
6月15日の潜学講座の報告をいたします。
今回のテーマは、「心身の健康」でした。
第一部は、沢井学監の「健康を確保するための自然の法則」と題したレクチャーで、天風哲学の心身統一法を体系的に分かりやすく整理していただき、全体が明るく俯瞰できた気持ちになりました。このような体系的整理をされたのは、沢井学監が初めてだそうです。
心身統一の心と体の整理
① 心の持ち方:積極的、プラス思考、明朗快活な心の状態
② 心の使い方:集中、精神統一、意識が明瞭であること
③ 体の持ち方:自然法則に合った合理的、科学的な食事や運動などで身体を保つ
④ 体の使い方:段階的訓練をしながら、身体を使う
各種心身統一法の効能の整理(上の番号が関連するポイントです)
・潜在意識の改善法・・・・・・①
・プラス思考の実践法・・・・・①
・クンバハカ密法・・・・・・・・・①③
・プラナーヤーマ密法・・・・・・①③
・呼吸操練法・・・・・・・・・・・・③
・天風式ヨーガ体操・・・・・・・①③④
・セルフマッサージ・・・・・・・・③
・瞑想・・・・・・・・・・・・・・・・・①②③
・言葉の暗示・・・・・・・・・・・・①
食事のとり方、病気に対する積極的な心の持ち方などについての、沢井学監の体験談に基づくお話が、また味わい深く、いつもながら楽しくレクチャーを聴かせていただきました。
私が一番印象に残っているものの一つは、「現代文明は分化に向かっているが、それを統合し得る方法が瞑想である」という言葉です。最近私は瞑想を日々実践していますが、最近感じていた感覚を言葉にしていただき、ハッといたしました。
第二部は、池田塾長による「『論語』郷党第十を読む」と題したレクチャーでした。
まず、論語の成り立ちや構成のされ方についてのお話しがあり、沢井学監のお話しのように全体像を俯瞰できスッキリした気持ちになれました。論語全約500章=20篇×平均25章。竹簡の束でまとめられたが、長い年月の間に、解けてバラバラになったものもあり、章の順番は無秩序であるとされている一方、朱子学では全て体系立っていると考えている。
本題は、郷党第十からの5つの章の抜粋で、祭祀の際の食事のとり方が中心で、当時の祭祀の様子や食事に対する考え方や詳細な食べ方を学ぶことができました。
個人的には、最後のまとめが印象的でした。内面(心)と外面(身)の相互作用で、礼や健康という概念も成り立っていて、行動変容を起こすには意識変容、意識変容を起こすには行動変容の両方が必要であるということが、理論的に理解できました。なかなか変化できない、習慣化されないという問題の原因でもあると考えました。
私は企業や大学で教えていますが、今回のお話しも大変参考になりました。仕事や勉強を効果的にするには、心身の健康がまず大切です。しかし、実際には不健康な職場や学校も多く存在するように思います。仕事や勉強の生産性だけでなく、人間関係、コミュニケーション、人生そのものの幸福感に直結しています。是非、今回の学びを取り入れ、私のビジョンのテーマの一つである「人と組織と社会の元気づくり」に向けて、一隅を照らす活動を更に実行していきたいと思いました。
先生方、塾生の皆様、今回も貴重な学びを有難うございました。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年6月17日(月) |
| 上半期が終わり、下半期に向かって 月曜担当…池田光 |
|
2013年も上半期が終わろうとしています。
怒涛の半年でした。
私の場合は、誰に命じられることもなく、
自分の仕事を自分で作っているのですが、
この半年は詰め込めるだけ詰め込みました。
4月あたりがピークでしたが、
やがて5月末から上半期の仕事がどんどん片付いていき、
ようやく心に余裕のようなものができました。
反対に、頭の中は空っぽというか、
真っ白になっています。
どの仕事もそのプロセスにおいてはベストを尽くしたつもりですが、
出来栄えは決してベストではありません。
成果物を見ると、いくつも不満点があります。
この成果物がベストなものになったら、
私は自分を「プロ」と呼びたいと思いますが、
その日は来そうにありません。
つねに挑戦しているということでしょう。
7月からは、毎月一本ずつ、パングローリング社から、
私のビジネス名言シリーズがオーディオブックになって発売されます。
・本多静一 人生を豊かにする言葉
・安岡正篤 こころを磨く言葉
・船井幸雄 未来をつくる言葉
・渋沢栄一 逆境を生き抜く言葉
の4作品です。
これをBGMのようにしながら、
心に秘めている下半期の仕事をやりあげたいと思います。
まだ、手もつけていないのに、
できあがった成果物が頭に浮かんでいて、
これが半年後には実在のものになっているのかと思うと、
楽しみでしかたありません。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年6月15日(土) |
| 『日本人の知らない日本語』2 土曜担当…浜本美佐子 |
|
今回は、『日本人の知らない日本語(※)』(蛇蔵&海野凪子著)より、「まちがいだらけのバイト敬語」を。私も常に気になっていたので、ウンウンと頷きながら読んだ。
(※)外国人留学生相手に日本語教師を努める海野凪子さんのこぼれ話―というよりも苦労話(!?)―に、イラストレーター蛇蔵さんが漫画を描いたコミックエッセイ。読んで面白いだけでなく、あまり知らないことには、きちんと解説がある。
海野先生のもとに、歩み寄ってきた中国人留学生は、母国で日本語を学んでいたため、敬語を使えるが、常に丁寧さMAX。以下、2人のやりとり。
中国人留学生:「先生様、先生様、この度は私のレポートにお言葉をご記入くださり、ありがとうございます」
海野先生:「(私は王様か何かか)先生に、様はいらないから」
中国人留学生:「かしこまりました」
海野先生:「(ここは店か)そこは、わかりました。状況に合わせた敬語の使い方が課題ですね。日本人の会話を聞いて学ぶといいですよ」
中国人留学生:「ハイ!!」
―と言ったものの (喫茶店での日本人アルバイト店員とのやりとりに場面が変わり、一抹の不安を覚える海野先生)
日本人店員:「ご注文の方、以上でよろしかったでしょうか」
海野先生:(「ご注文は以上でよろしいですか」と言って欲しい……)
解説 「~の方」は、①比較 「AよりBの方が好き」 ②ぼかし 「東京の方から来ました」の時に使うもので、<何にでもつければ丁寧になる>魔法の言葉ではありません。
日本人店員:「こちらパスタになります」
海野先生:(これも学生に聞かせたら、「パスタに成るんですか!? じゃあ今は何」って突っ込まれるぞ)
日本人店員:「お会計 千円からお預かりします」
海野先生:(絶対言うと思った)
解説 この言い方だと、「千円から何かを預かる」という意味になります(店員が千円札から何かを預かっているイラスト付き)。“私”から千円を預かるんですよね
「ご注文の方、以上でよろしかったでしょうか」の件を読み、「消防署の方から来ました」と言って、消火器を高く売り付けるという詐欺が一時流行ったことを思い出した。この詐欺師は、②ぼかしの表現という、正しい日本語を使っていたのだと実感したのは、私だけだろうか?
土曜担当…浜本美佐子
|
|
|
| 2013年6月14日(金) |
| つながり・・・ 金曜担当…小笹正洋 |
|
私の命は宇宙が始まったときから
ずっと進化しながら続いてきた
生命の一部だという事。
みんな同じ宇宙の進化の中で生まれた
かけがえの無い命だと考えたら、
誰の命が大事で誰のが大事じゃないとか、
そんな事は全く考えなくなります。
みんな一つにつながった
大きな宇宙の一部なんだと
私は思います。
映画「はやぶさ」のエンディングでの演説ですが、
すごくよい響きに感じたので、
このシーンを何度も繰り返し観ました。
この後にどんな言葉を続けるでしょうか?
これから先も、ずっと先も、
時間も場所も超越して、
つながりを保ち続けるでしょう。
こういうのも、よいかなって
感じました。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年6月13日(木) |
| 万年筆 木曜担当…西端努斗夢 |
|

10日のブログで池田塾長が愛用の万年筆を紹介されていましたので私も・・・
左端が「ペリカン1935」で、ドイツのペリカン社から1935年に「ペリカン101」という名前で売り出された万年筆の復刻モデル。
左より2番目が「モンブラン146」で、キャプに猫の蒔絵が施された世界に1つしかない万年筆。
3番目が「パーカー デュオフォールド」、右端が現代の名工・ペン先職人の長原宣義さんの作による竹製万年筆です。
それぞれに、手に持った感触や書き味が何とも言えず、その違いを楽しんでいます。
また、「ペリカン1935」にはブルー、「モンブラン146」には濃いグリーン、「パーカー デュオフォールド」にはパープル、長原宣義さん作の万年筆にはブラックのインクを使い、色の違いも楽しんでいます。
同じ筆記用具でも鉛筆やボールペンと万年筆や筆とでは大きな違いがあるようで、後者は、書いていると心地良くなってきて、どんどん筆が進むから不思議です。
このブログも万年筆で書いたら、もう少し長い文章が書けるかも?
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年6月12日(水) |
| 水村喜一郎さん 水曜日担当…沢井淳弘 |
|
水村喜一郎という絵描きさんがおられます。
水村さんは、私の兄弟弟子で、ともに天風の講話を
大阪や京都で聞きました。
当時、私は大学生で、水村さんは中学生でした。
水村さんは、腕白な小学生のころ、送電の高圧鉄塔にのぼって、
遊んでいて感電し、両腕を付け根から失った人です。
重度のハンディを背負って、人生をいきなければならなくなり、
子供の頃は、苦しい思いがあったことでしょう。
水村さんは、中学生のとき、直接天風に面会して話をされた。
そのときの感動を見事な文章で、書いておられます。
天風先生は、
「まるで紅顔の美少年が、そのまま齢をとったような人だった」
「元気溌剌として、眼の澄んだ人なので、ビックリ仰天した」
というようなことを書いておられます。
(今、手元に水村さんの本がないので、私は記憶をたどって書いている)
そして
天風は水村少年に
「おれに会ったんだから、もう心配するな」
と言われて、その人生を励まされたとか。
そして、水村喜一郎さんは、筆を口にくわえて、足で絵具のチューブから
絵具をしぼりだして、油絵をみごとに描きます。
しかも、水村さんは「障害をもつ画家」という暗いイメージとは
全く違う明朗快活な人です。
水村さんの作品は、画壇でも高く評価されています。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2013年6月11日(火) |
| 「住めば都」 火曜担当…坂本欣也 |
|
私の自宅は飛鳥村の近くです。
飛鳥の石舞台の横から隣の桜井市まで、数年前に素晴らしい道が開通しました。
その峠を越えたところに、談山神社があります。
大化の改新の中大兄皇子と中臣鎌足が、蹴鞠で出会った場所でも有名です。
この週末は久しぶりの休みで、一人車を走らせて談山神社までドライブに行きました。
新緑が美しく、山並みがくっきりと青空に映え、山の空気を吸っているだけで、心が洗われてくる思いでした。
気持ちよさそうな公園を見つけて、読書をしたり、瞑想をしたり。
そして、気が付けば気持ちよく眠っていました。
自宅からこんな近くに、歴史的にも、自然環境的にも、そして磁場的にも、こんなに素晴らしい場所がある。
この地に生まれたことを、つくづく幸運に思いました。
田舎ですが、住めば都です。
そういえば、飛鳥はかつて本当の都でしたが。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年6月10日(月) |
| 机のうえの小物⑤ 月曜担当…池田光 |
|

写真が悪くて見にくく、どれも同じように見えると思いますが、今回は、僕が気に入っている万年筆を少し。
■モンブラン カール大帝(上の写真)
モンブランでは、毎年、作家シリーズとパトロンシリーズを一本ずつ発表しています。
カール大帝は、2000年に発表されたパトロンシリーズの万年筆で、僕はこのねじれたようなボディーのフォルムに魅せられて、一時期、よく使っていました。でも、ちょっと重いんですよね。
■モンブラン149 螺鈿の細工入り(中の写真)
モンブランの代表格が、149ですが、僕はこの万年筆に、蒔絵の作家さんに螺鈿の細工を施していただきました。また、極太にするためにペン先を2枚重ねるという細工をしています。極太にしたのは、サインをするためですが、そんな機会はあまりなく、万年筆もいつの間にか眠ったままになっています。
■万年筆博士の万年筆(下の写真)
理想の万年筆を求める旅をして、最後にたどりついたのが、何の変哲もない鳥取の万年筆博士の万年筆です。平凡です。
あるとき、一流好きの社長さんが本にサインをされるという場面があり、筆記具がなかったので、僕はこの万年筆を差し出したことがあります。
すると、
「これは、あかん」
と、その社長は、その万年筆を見ておっしゃられました。
おもちゃのような万年筆に見えたのだろうと思います。
「万年筆はやはりモンブランでなければ…」
という社長の心の声が聞こえたように思いました。
それほど、平凡な万年筆です。
ところで、僕はいつもこの万年筆を持ち、この万年筆を使っています。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年6月8日(土) |
| 『日本人の知らない日本語』1 土曜担当…浜本美佐子 |
|
先日、読んでクククククと笑ってしまった本のご紹介を。
外国人留学生相手に日本語教師を努める海野凪子さんのこぼれ話―というよりも苦労話(!?)―に、イラストレーター蛇蔵さんが漫画を描いたコミックエッセイ『日本人の知らない日本語』。漫画の面白さが私の拙い文章で、伝われば良いのだが……。
日本語の助数詞などは、外国人だけでなく日本人もわかっていないことが多い。助数詞は英語やドイツ語にはなく、中国語・韓国語・タイ語にはあるという。海野先生が、
「りんごは1個、にんじんは1本。このようにものを数える単位のことを助数詞といいます。細くて長いものは、1本と覚えましょう」と説明すると、すかさず中国人留学生が、
「じゃあ、ヘビも1本ですね」と突っ込む。
「ヘビは1匹です。動物だから。日本人は生物か無生物かで数え方を分けるんです」
海野先生に教えられ、(中国では、川も蛇も同じ「条」で数えるのに……)と凹む留学生。
こんな感じで、漫画でわかり易く綴られている。留学生からは、日本人もわかっていないような質問が浴びせられ、後日調べたことを掲載していることも! ちなみに以下の数え方、実は私も知らなかった(回答は最後に)。
1. 船は大きさによって1隻(大きいもの)、1艘(小さいもの)とわけられている。
では、競艇のボートは、どう数える?
2. 便器は?
3. スキー板は?
以下の会話には、声を上げて笑いそうになった。実は私、この本を電車の中で、坂口憲二似のイケメンのお兄さんの視線を気にしつつ読んでいたのだ。
留学生:「キングギドラは頭が3つあっても、1頭ですか?」
海野先生:「見たことないから、わかりません(泣きっ)」
海野先生:「最後の質問です。人間は何と数えるでしょう?」
留学生:「匹!」 颯爽と手を挙げる時代劇大好きスウェーデン人女子留学生
ズドッとコケる海野先生に、
留学生:「だって辞書に書いてあります。『男一匹』って!」
答え 1. 艇(てい) 2. 据(すえ) 3. 2本で1台
土曜担当…浜本美佐子
|
|
|
| 2013年6月7日(金) |
| ものは言いよう・・・ 金曜担当…小笹正洋 |
|
先日、出張先での出来事です。
「ちょっとおたずねしたいのですが」
と声をかけられました。
野菜の入った籠を手にした、
露店商の青果売りの人でした。
帰りの道でも聞かれるのかと思い
立ち止まると、
「○○○という、お芋をご存知ですか?」
(お芋の名前は失念しました)
という問いかけから始まり、
産地、製法などの説明をし始めた。
そして、
「もう残りが僅かなので、
価格も大幅に値下げしますよ」
との事でした。
体の良い売り込みですが、
非常に上手いアプローチで、
不思議と不快さは感じませんでした。
逆に、
ここに商談のプロセスにおいての掟破り的なものを
感じ、非常に興味深く記憶に残りました。
消費者の購買心理のプロセスを示した略語で、
AIDMA(アイドマ)の法則というものがあります。
ある商品を知って、購入に至るまでに次のような段階で
意識が働き、行動に移行するようです。
1.Attention(注意)
2.Interest (関心)
3.Desire (欲求)
4.Memory (記憶)
5.Action (行動)
先記のやり取りでは、注意・関心までの第2段階までは
辿り着けそうですが、後はいかに欲求を掘り起こせるか。
「お願い」されると、身を引いてしまいますが、
「おたずね」されると、身を乗り出してしまう。
ほんの少しの言葉の選択の違い。
コミュニケーションの奥の深さというか、
可能性というものを振り返ってみました。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年6月6日(木) |
| 天からの声 木曜担当…西端努斗夢 |
|
仕事が思うようにいかず、愚痴を言いたい時
まわりの人の言動に腹が立って、文句を言いたい時
他人の境遇が羨ましくて、泣き言を言いたい時
妻と喧嘩をして、悪口を言いたい時
そんな時、天から声が聞こえてきて、出かかった言葉を飲み込んでしまいます。
「今のあなたにちょうどいい」
そう言われて自らの不徳を反省し、さらなる修行を繰り返す毎日です。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年6月5日(水) |
| 絶対積極 水曜担当…沢井淳弘 |
|
5月の吹田での潜学講座では、「絶対積極」ということが、
ふたたび話題になりました。
絶対積極というのは、天風式瞑想によって生れてくる境地です。
絶対積極の境地では、人は雑念なく、しかも楽しく、
眼前の物事に集中できます。
具体的に話をすすめましょう。
たとえば、ゴルフをやっている場合、
このショットをミスしたら恰好が悪いだろうな、
などという雑念なく、淡々と楽しんでショットが打てるとき、
これが「絶対積極」なんです。
「このショットは絶対にカッコよく打ってやるぞ。
あの人もジッと見ているし・・・」
などと雑念が入って、肩に力が入っているのは「相対積極」です。
どちらがいいかは、明白です。
絶対積極の方が、相対積極よりもいいに決まっています。
ただし、私たちの日常の現実は、どちらも体験しています。
なかなか、いつも絶対積極、とはいかないものです。
人の眼を気にしたり、いざという時ほど緊張してしまって、
事が終ったときは、疲れはてています。これは相対積極ですね。
加藤健治さんが、こんな話を、私にされました。
「先日、家の庭で雑草をむしっているとき、
なんともいえない無心なきもちになれました。
これって、瞑想と同じですか?」
そのとき、私は「よく似てますね。だけど・・・同じではないですね」
と答えました。今、もう少し詳しく言うならば・・・
「毎日瞑想を実行していらっしゃるので、
そのような無心で庭仕事が楽しめるという、
ステキな経験をされているのではありませんか」
無心になって楽しく集中して行動している境地を、
天風哲学では、「順動仮我」の境地と
よびます。難しい言葉ですね。ご存じですか。
これについては、またの機会に。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2013年6月4日(火) |
| 「親育て」 火曜担当…坂本欣也 |
|
このブログは6月2日の日曜日に書きました。
今日、息子を叱りました。
勉強をする彼の態度・成果物に対して、魂・真剣みが感じられなかったからです。
そして、実際に腹が立ったからです。
彼は、泣きました。
私は、辛くなりました。
心の葛藤でした。私も真剣でした。
彼はまた成果物を持って戻ってきました。
しかし、また叱りました。
彼は、また泣きました。
心が更に痛くなりました。
5回ほど、これを繰り返しました。
最後には、彼の真剣みが感じられました。
彼に怒りを見せたことを謝ると同時に、彼に伝えたかった思いを話しました。
そして、「よく頑張った!」と褒めました。
私も彼と一緒に泣きました。
その後、彼は家の前の道で蟻の行列を発見し、渋滞している車の列のように連なり一生懸命働く蟻たちの行列がどこまで続いているのか、夢中で追いかけていました。
私もそれに加わり、一緒になって蟻の巣がどこにあるのかを探しました。
その後も、ドッジボールをしたり、相撲をとったり。
そして今、私はまた東京に向かっています。
動くバー(私は夜の新幹線をそう呼んでいます)で、子供たちへの思いを味わいながら、缶ビールを飲んでいます。
子供に育てられています。
ありがとう。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年6月3日(月) |
| 机のうえの小物④ 月曜担当…池田光 |
|

机のうえにあって、僕をなぐさめてくれる小物たちを紹介しています。
その第四回目です。
■携帯仏像(韓国)
ちょっと古いものですが、時代はわかりません。掌に置くと、はなせない愛着が湧いてきます。この携帯仏像をじっと見ていると、一心になれます。
■携帯用の燭台
この燭台は一枚の薄っぺらい感じで閉じることができます。風が吹いても灯が消えにくくなり、なかなか趣きがあります。
■エジプトのペルシャ猫(サイス時代と呼ばれる二十六王朝、BC500年代のもの。レプリカ)
本物は、池袋サンシャインの「古代オリエント博物館」にあります。寄贈したのは、谷川俊太郎の父で、哲学者の谷川徹三です。このレプリカは、谷川徹三が博物館に寄贈するにあたって、その記念に作ったものだそうで、親しい人に配られたものの一つです。写真では二点あるように見えますが、上がブロンズ像です。下はこのブロンズ像などが掲載された、谷川徹三著『黄塵居清賞』(小学館)という本の紹介ページです。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年6月1日(土) |
| チンパンジーのチェリーちゃん 土曜担当…浜本美佐子 |
|
動物好きの私は、大人になっても動物園や水族館が好きで、よく利用している。特に、王子動物園は我が家から30分程で行ける上、日本に数えるほどしかいないパンダやコアラもいる。「明日を逃したら、暫くは天気のいい日がない」と、突如前夜に誘われて楽しんできた。
保育園児や幼稚園児の集団の中に、大人2人連れがポツン。甲高い声が響き渡る中、園児たちよりも必死になって動物を見た。「猛獣舎」では、猫科のトラ・ライオン・ジャガー・ユキヒョウ・アムールヒョウが、各檻の中で行ったり来たり。いずれも高低差がある構造になっており、2階部分にガラス窓が設けられている。運がよければ高いところにいる猛獣を、ガラス越しにドアップで見ることもできるのだ。トラ・ユキヒョウ・アムールヒョウが2階のガラス窓の前にいた。「ネコ好き」の私たちにはたまらない。園児を押しのけてカメラを構え、必死にシャッターを押し続けた。
「類人猿舎」にはゴリラやチンパンジー・オランウータンをはじめテナガザルなどもいる。チンパンジーの「ジョニーは日本最長寿の63歳」という表示を見た私たちは、早速ジョニー君を探した。アゴ付近の毛が白い、ジョニー君と思しきチンパンジーが近くにおり、こちらを見ながら何かを食べている。そんなジョニー君をしばらく見ていた友人がポツリ。
「そういえば、私の以前の勤務先の上司が、王子動物園の名物飼育員のご子息で、『育児放棄をされたチンパンジーの子どもと一緒に育った』って聞いたわ。年齢的に、ジョニー君ってことはないと思うけど、どの子かな?」
帰宅後ネットで調べて友人に確認したところ、日本初の人工保育チンパンジー・チェリーちゃん(ジョニーの娘で1963年6月生)と判明。友人の元上司のお父様は、チェリーちゃんを自宅に連れて帰り3年間育てた上、動物園に戻したというという。マスコミにもよく取り上げられ、『チンパンジーのチェリー』という絵本にもなっている。友人の元上司も、よくテレビに出ていたそうだ。
今でこそ、育児放棄をされた動物を飼育員が親代わりのように育てるという話を耳にするが、半世紀前の話である。苦労の耐えない日々だったということは、想像に難くない。そのチェリーちゃんは未熟児だったというが、名物飼育員(友人の元上司のお父様)が見事に育てあげ、50歳を迎えようとしている今も元気なようだ。
ちなみに写真は、別の友人宅のベランダに運ばれてきた仔ネコ(里親募集中)
土曜担当…浜本美佐子
|
|
|
| 2013年5月31日(金) |
| ハシゴ・・・ 金曜担当…小笹正洋 |
|
誰でも自分のハシゴを持っている。
そのハシゴの精一杯上の方で
生きている人もいれば、
ハシゴがある事も気付かずに、
地べたに寝転んでいる人もいる。
懐かしい映画「タンポポ」(1985年 伊丹十三監督)
の中で交わされた会話の一部です。
非常に興味深い台詞に思えたので、何度も聞き返しました。
人の持っているハシゴは、よく見えますが、
自分の持っているハシゴは、どんなハシゴなのか、
自分はハシゴのどの辺で生きているのか。
そんな事を考えながら、ゆっくりと夜を過ごす事も
一興かもしれません。
但し、健康のため寝不足には十分に注意しましょう。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年5月30日(木) |
| タイトル 木曜担当…西端努斗夢 |
|
25日の浜本美佐子さんのブログ、タイトルは『窓を開けますか?』でしたが、浜本さんがこのブログを書かれた時、このタイトルを最初から付けていたのか、最後まで書いてから決めたのか、気になりました。
若い頃、新聞記者の先輩に「僕は、最初に記事の見出しを考えてから原稿を書くようにしている。君も先にニュースのタイトルを考えてから原稿を書いた方が、書きたいことが頭の中で明確になってシャープな原稿が書けるよ」と言われたのを今でも覚えています。ところが、当時はその言葉の意味がわかりませんでした。
いつの頃から、先輩の言葉がなんとなくわかるようになり、タイトルを先に考えるか、後で考えるかは別として、何を伝えたいのか、そのテーマを明確にしてから原稿を書くことを心がけています。まだまだ修行の道半ばですが・・・
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年5月29日(水) |
| 安心立命ー天風の講話より 水曜担当…沢井淳弘 |
|
今日、古い書類を整理していましたら、私が書いた「天風先生の講話メモ」がでてきました。これは1966年10月、京都の黒谷における講話の記録でした。これは、天風哲学の奥義編ともいえるものです。その内容をここに、お伝えします。「安心立命」という題です。
まず、安心立命とは「事があろうとなかろうと、事がない時と同じ気持ちで生きる」ということです。あるいは「病になろうと、不幸に見舞われようと、悠々自若として生きること」です。
1.つねに万法は流転する。
物事はたえず変化しています。いいことはぜったいに続かない。わるいことも絶対に続かない。だから、雑念妄念を心からぬぐいさるために、瞑想をしなさい。
苦しいとき、それがいつまでも続くように思うから苦しい。時間がたてば、必ず苦しみは消えていく。
2.神、我とともにあり!
神は遍満存在しているものだから、私たちは神と一体であり、神の中に生きている。死ねば、神の懐に抱かれる。だから死は怖くない。
私たちは神の中にいるのだから、ひとりぼっちではない。「不孤」(孤ならず)とはそういうことだから、私たちは、ひとりでいても孤独ではない。
神は形あるものではないから、ひとつの人格のように考えてはならない。
神は自然法則を創りだしたものである。
神は、力のあらわれである。
神の恵みは求めなくとも、すでに与えられている。
The quality of mercy droppeth as the gentle rain from heaven.
「慈悲というものは、やさしい雨のように天から降ってくる」
(シェイクスピア「真夏の夜の夢」)
真、善、美の三つを心にもって生きれば、神と共にあり、ということを現実に生きることになる。
真とは、まごころ、誠心誠意で、生きるということ。
善とは、すべての人、すべての物に、愛をもって生きるということ。
美とは、すべての人、すべての物と、調和して生きること。
3、どんなことがあっても、決して恐れるな!
正義を実行し、本心良心をとがめないような生き方をすれば、なにも恐れることはないよ。それが「天命に安住する」ということです。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2013年5月28日(火) |
| 「働くとは」 火曜担当…坂本欣也 |
|
働くとは、「はたの人を楽にすること」と言われますが、そのプロセスを通して、究極は「働いていることで、自分を楽にしてもらっている」と思うことにし、それを自分の誦句の一つにして唱え続けています。
誦句を唱えることは、瞑想と共に、天風哲学の重要かつ有益な心身統一法の一つです。
天風先生の直弟子の沢井学監から教わった珠玉の教えです。
はたの人々~仕事の上で、私にとっては研修受講者の皆さんです~が、スッキリした顔で元気になり、未来への希望をもって頑張っていこうという気持ちになってもらうことが、一番嬉しいことです。
そのプラス成長を目の当たりにすることが、自分にとって一番のエネルギーになります。
その時間を毎日持てたのがこの5月でした。
その代わり、気力体力はヘトヘトになりました。
一方、魂は益々元気になりました。
皆さまのお蔭さまです。
元気とは、心身が宇宙霊とつながっている状態。
皆さんの元気から、私が元気を頂いているのです。
宇宙のエネルギーを頂いているのです。
高い次元のプラスのエネルギーの循環の流れの一部に自分が存在しているというイメージです。
そして、昨日は大好きな水泳(水になって泳ぐ)をして、水の神さまから心身の元気をもらいました。
5月最終週、昨日から東京入りし、今日明日と研修です。
さて、どんな至福の時間になるか、今からワクワクです。
「働いていることで、自分を楽にしてもらっている」
この誦句を毎日唱え続け、そして誦句が現実になって来ました。
誦句の自己暗示力の効果は凄いと、体験から実感しています。
全てに感謝です。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年5月27日(月) |
| 机のうえの小物③ 月曜担当…池田光 |
|

机のうえにあって、僕をなぐさめてくれる小物たちを紹介しています。
その第三回目です。
■万年筆型の文鎮
本を開いて、その両側にこの文鎮で固定するのに使っています。ちょうど置き心地がよくて、とても便利で手放せません。
だから、二個あります。が、微妙に形が違います。
■天使のペーパーナイフ
シャープな感じが気に入って使っています。
お菓子の袋を開けるのによく使っています。
ナイフの先を少し砥いでいますので、袋を破りやすいんですね。
■宋犬(中国宋代)
掌に乗るとてもかわいい犬です。宋の時代の焼物なので、宋犬と名付けています。
宋代は、儒教が「宋学」として復興した時期です。
朱子(1130~1200)が現われた時期ですね。
そんなことに思いをはせながら、この犬の焼物を掌でころがしています。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年5月25日(土) |
| 『窓を開けますか?』 浜本 美佐子 |
|
前回、寒川猫持氏『面目ないが』(新潮文庫)の解説を「おセイさん(田辺聖子氏)」が書かれたことをご紹介したので、今回は、そのおセイさんについて。
どこにでもいそうな女性を主人公に、関西弁で書かれている作品に親しみを感じ、若かりし頃はおセイさんの小説をよく読んだものです。エッセイも面白おかしく、そのお人柄を「大阪のオバちゃん?」と勝手に想像していました。
数年前、おセイさんを知る某作家先生が、「小説やエッセイからは、想像もつかないほどアカデミックな方」と仰っていたので、頭の中に数多の「?」が沸きだしていました。
暫くして幸運なことに、おセイさんと故・藤本義一氏のトークショーに参加する機会に恵まれました。おセイさんは表に出ることが苦手らしく、藤本氏たっての願いで「藤本さんと一緒になら」と渋々承諾されたとか。
藤本氏の、説得力があって切れ味鋭いトークは、「生」でも体験したことがありましたが、おセイさんは、その時が初めて。私は子どものように落ち着かない気持で、穴が開くほどおセイさんを見つめていました。お二人とも頭の回転がはやく、話の内容も面白いので、すっかり惹きこまれました。
声のトーン・話し方・身振り・表情からして、某作家先生が言うとおり、「アカデミックな方」でした。当然といえば当然! 1964年に『感傷旅行(センチメンタルジャーニー)』で芥川賞・1993年『ひねくれ一茶』で吉川英治文学賞をはじめ、1995年に紫綬褒章・2000年に文化功労者・2008年に文化勲章などの受賞暦があるお方ですから。
テレビドラマ化された作品も数多くあり、松坂慶子さん主演の『窓を開けますか?』は、毎週楽しみに観ていました。不思議なことに原作は読んでおらず、「どうして、こんなタイトルなんだろう」という疑問を持ちつつ。作品のラストシーンに触れるのは本来NGですが、恋人が吸ったタバコの煙のために、「窓を開けますか?」と、松坂さんが言ったように記憶しており、最後の最後で「目から鱗」でした。私の場合、ルポでもエッセイでも小説でも、タイトルがパッと浮かぶこともあれば、書き終わってもなかなか浮かばないことあります。タイトルは作品の「顔」でもあり、苦労しているのです。
トークショーにつきものの質問タイムの際、せっかくなので手を挙げました。
「『窓を開けますか?』は、最初からタイトルをつけていらしたのか、最後まで書かれて決められたのか、どちらですか?」
私のアホな問いに、おセイさんはニッコリして
「最初から」と答えてくださいました。
浜本美佐子
|
|
|
| 2013年5月24日(金) |
| 「教える」と「育てる」 金曜担当…小笹正洋 |
|
そこにいたのは、その施設で働いている、二十歳前後の
バラ色のほおをした保母さんたちでした。
彼女たちは円陣をつくり、協議をしていました。
心身障害者の子どもが、どうしたら一人でお手洗いに行けるだろうか、
ということを話していたのです。
(中略)
一人の保母さんが進み出ました。そして、
「私はこうやってお手洗いをします」
といいながら、、みんなの前で自分の着ているものを全部ぬぐのです。
「私はこうやってトイレットペーパーをとるけれど、
あの子は右手が全然動かないから、そのときは・・・」
そうすると、もう一人の保母さんが進み出て、
私なら、こうすると、その人もまた、自分の着ているものを脱ぐのです。
そばに男の私が立っているのも知らずに、
彼女たちは、夢中になって議論していました。
私ははじめて思い知ったのです。
私も自分なりに一所懸命、何とかしてこの子たちをいい子にしようと思って、
こうやれ、ああやれと教えてきました。
けれども保母さんたちは、何とかして、あの重度心身障害児の中に残されている
小さな才能の芽を育てようとしていたのです。
「教えること」と「育てること」、そこが私との大きなちがいだったのです。
“教える”ことは簡単なのです。1+1は2だと教えるのは、何秒もかかりません。
しかし、一つの才能を“育てる”ためには、どんなに長い時間を要することでしょうか。
・続 気くばりのすすめ/鈴木健二(著)より
30年前に発売された書物からの引用ですが、
時間を経ても、言葉に埃はかぶらないものです。
私自身も感じるところですが、
組織を預かる人や、人の育成に携わる人達にとって、
目の覚める内容ではないでしょうか。
30年、いやそれ以上前からの課題。
そして、
これからも永遠の課題として挑んでいくことになっていくでしょう。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年5月23日(木) |
| 退職 木曜担当…西端努斗夢 |
|
先日、知人が会社を辞めたと言ったので、「おめでとうございます」と祝福の言葉を贈りました。
後で、退職の理由を聞いてみると、悩んだ末に不本意ながらの退職だったそうですが…
私は、理由がどうであれ、会社を辞めた人には必ず祝福の言葉を贈り、予祝するようにしています。
今の時点では、「退職した」という事実が存在するだけで、それが良いことか悪いことか、判断することはできできません。
退職をきっかけに人生が大きく好転したのであれば、それは良かったことになり、結局は、これからの生き方で今回の退職の良し悪しは決まるものなのです。
仮にリストラに遭って会社を辞めさせられた人がいたとしても、それはもしかしたら、神様がその人に何か大きなお役を与えようとして退職に追いやったのかも知れません。
だから私は、未知の世界に旅立つ、いわば門出の時に、慰めや労いの言葉ではなく、希望と期待と願いを込めて「おめでとうございます」というお祝いの言葉を贈りたいです。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年5月22日(水) |
| 天風とサラ・べルナールーよく響く声 水曜担当…沢井淳弘 |
|
サラ・べルナールは、美しい声をもっていました。
そのうえ、彼女の声は力強く「黄金の声」とよばれました。文字通り巨万の富をかせいた声であったのです。舞台女優ですから、よく響く声でないと、聴衆を魅了できません。
天風の声も伝説的になっています。多くの人が、天風の声は、ふつうの声ではない、修行に徹底した人にしか出ない声だ、と言っています。
天風の声はよく透り、鐘のように鳴り響く、といったら言い過ぎだろうか。なんともいえない霊妙な声でした。
作家のフランソワーズ・サガンは、サラ・べルナールの声を、こう表現しています。
「聖堂の鐘のようになりひびき、水晶のように涼やかな音をかなでる・・・」
サラ・べルナールが、ロンドンでラシーヌの「フェードル」を初演したとき、彼女はまだ若く、ステージにたつ直前、緊張のあまり泣き叫んでしまいました。まわりの人々は、彼女が発狂したのかと思った。サラ・べルナールは、そのままの状態で舞台にたち、そのまま泣き叫びながら演技しました。それが、フェードルという悲劇の主人公にぴったりの声だったので、大好評を博したと、いわれています。
この公演に、オスカー・ワイルドがきていました。彼はたちまち彼女に恋をした。そして、彼女を心にえがいて、有名な『サロメ』を書いた、といわれています。
サラ・べルナールと恋におちた男性は、枚挙にいとまがない。文豪ヴィクトル・ユーゴー、
作家のデュマ父子、詩人ジャン・コクトー、小説家マルセル・プルースト・・・
プルーストの『失われた時を求めて』は、サラ・べルナールをモデルにしている、といわれています。
サラ・べルナールのことば・・・
「愛する妻をもっている男性が、いちばん魅力があります。なぜなら、その人のもつ最高の魅力が出ているから。私はそういう男性に魅かれ、なんども恋におちました」
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2013年5月21日(火) |
| 「異文化を知る前に」 火曜担当…坂本欣也 |
|
先ほど、日本を代表する総合化学メーカーさんでの2日研修を終えました。
テーマは、グローバルマインドセット。
6か月間の集中英語研修の動機づけのための研修です。
受講生の研修最後の感想で一番多かったのが、
「異文化を知り、異文化の人々とコミュニケーション・仕事をする前に、自文化~日本、自社、自分自身~を深く知ること、自己を研磨することの大切さ。それを成すためのビジョンを持ち、語ることの大切さ」でした。
私が一番伝えたかったメッセージをキャッチしていただいたと実感できた、講師冥利につきる感想でした。
そして、私が最後に送った言葉が、「修己治人」でした。
自己を認識し修めなければ、他者を治めることはできない。
それができない人からは、結局人は離れていく。
今一人その余韻に浸り、静岡限定樽生ビールで祝杯をあげています。
素晴らしい2日間をありがとうございました。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年5月20日(月) |
| 机のうえの小物② 月曜担当…池田光 |
|
机のうえにあって、僕をなぐさめてくれる小物たちを紹介しています。
その第二回目です。
■皮製のブロッターと写真立て
万年筆に一時凝っていた時期があります。
理想の万年筆を求めて、ペリカン、モンブランは当然のこと、パーカー、アウロラ、ウォーターマン、モンテグラッパ、その他日本メーカーのものも含めて10社以上の高級万年筆を求めました。
そして、最終的にしっくりときたのが、鳥取の万年筆博士でした。二本持っていて、一本を常用しています。
万年筆については、いずれの機会に書いてみたいと思います。
さて、万年筆に凝ると、その周辺のものも集めるわけです。ブロッターというのは、万年筆の余分なインクを吸い取る文房具です。
写真のものは、東京のユーロボックスで購入しました。皮が持っている温かみと手になじむ感じが気に入っています。
写真立てと対になっていて、この写真立てに入れているイラストは、ユーロボックスオーナーのお兄さんの作品です。
■ルーペ(18~9世紀頃の欧州での手作り)
凸レンズを厚手の皮で巻いた手作りのルーペ。使い込まれた一品です。
ガラスが古い時代のもので、何とも言えぬ味わいがあります。
このルーペを覗くと、世界が現在から過去に行き、時代がちょっと変わるような感じがして気に入っています。
東京銀座のアンティークショップで購入しました。
■ワインオープナー
ねじの部分が180度回転できるようになっています。
写真は、閉じている状態です。これを反対側に回すと、ワインオープナーとして使えます。
ワイン研究家の福田武氏 から譲っていただいたものです
僕は、何かにつけ、携帯用というのが好きなんですね。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年5月18日(土) |
| 「バカモノどもが……」 浜本 美佐子 |
|
前回ご紹介した寒川猫持氏『面目ないが』(新潮文庫)の解説は、なんとあの「おセイさん(田辺聖子氏)」で、以下のように語っています(解説抜粋)。
もみじ饅頭一個くわえて走ってる
あの縞縞がうちの猫です
こういう歌を知ると、人はおのずと、まるで自分の作品であるかの如く自慢げに、人をつかまえて聞かせたくなる。私もそうであった。飲み友達の中年男にこれを誦して聞かせると、彼はたちまち、相好を崩してげらげら笑った末、半分本気で
<そんなんが歌やったら、ワシでも作れそうやなあ>
と色気を出していた。
おーーーっと、私の感性はオセイさんと同じ!!
おまけに、「飲み友達の中年男」よろしく、つい一句。
松尾芭蕉が奥の細道の旅の途中、平泉(岩手県平泉町)で詠んだ句をもじっていますが、
壁紙や 猫(バカモノ)どもが 爪の跡
お粗末でしたっ。
浜本 美佐子
|
|
|
| 2013年5月17日(金) |
| 少し立ち止まって・・・ 金曜担当…小笹正洋 |
|
アメリカインディアンには、
人間は生まれてくるときに苦しくて大泣きするが、
周りの人たちは新しい命を大喜びで迎える。
正しい死に方とはその逆で、
本人は満ち足りた心で死ぬが、
周りの人はその人を惜しんで大泣きする。
という格言があります。
いかに生命の灯が消えていくかという事と同時に、
いかにして生きていくのか。
どんな生き方をしていくのか。
という事を考えさせられます。
いろんな意味で、文明という流れとは一線を画して
独自の文化を育み存続してきた人たちの言葉には
大いなる知恵と迫力を感じます。
便利さをいくら追求しても、得られる満足感は
どの位あって、どれ程続くのでしょう。
自然を克服していくのか。
それとも、
自然と共生していくのか。
そういう事を考えていかないといけない。
そんな気がして、少し述べさせて頂きました。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年5月16日(木) |
| アクセルとブレーキ 木曜担当…西端努斗夢 |
|
5月10日のブログで小笹事務局長は、“人間関係においても、いざという時に「ブレーキ」を踏んでくれる人は、真に信頼できる人”と“書かれていましたが、その通りだと思います。アクセルとブレーキの2つがそろってこそ安全な走行ができるのです。
ちなみに、我が家では、私がアクセル、妻がブレーキになっています。
スピードを上げて前に進もうとしているのに横で妻がブレーキを踏んでいて、イライラするときもありますが、それで我が家はバランスが取れ、おかげさまで何とか人並みの生活を送ることができているのだと思います。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年5月15日(水) |
| 天風とサラ・べルナールー笑い 水曜担当…沢井淳弘 |
|
サラ・べルナールは、天風に人生や哲学の問題で、助言しました。
サラ・べルナールは、ただ美しい女優ではなく、芸術家であり思想家であり文芸家でした。その舞台演技は、文学の原作にたいする深い造詣と理解からうまれたものでした。イギリスの作家たちは、サラ・べルナールの演技に感動し、恋におちた人たちがいます。その代表は、有名な作家オスカー・ワイルドです。
サラ・べルナールは、天風にカントをよむことをすすめ、当時ヨーロッパで最高の学者といわれた、生命科学者ハンス・ドリューシュ博士(ドイツ)を紹介しました。また、当時世界の先端をすすんでいた心理学者に、天風があえるように紹介状をかきました。
サラ・べルナールのイギリス公演には、王室の人々も観客として訪れ、そのあと、バッキンガム宮殿での晩餐会に、彼女は招かれ国賓として遇されました。ヴィクトリア女王の寵愛もうけました。そういう社交界に、イギリスの小説家や芸術家も招かれ、サラ・べルナールと彼らの間に恋愛関係がうまれ、巷間のうわさともなりました。
天風が、サラ・べルナールから学んだことの一つは、
「人生にとって、笑いが大切だ」
と、いうことがありました。
サラ・べルナールの邸宅で行われる社交サロンには、各界の名士や女優が集まり、とても華やかなものでした。
「いつも、笑いのさざめきが絶えなかった」
と、天風は当時を回顧しています。
天風は、講演のなかで、笑いや微笑の大切さを、よく語りました。
「ゲラゲラ笑うより、にっこり微笑する方がもっといいんだよ」
と、言われたこともあります。
サラ・べルナールの母は、ユダヤ人の高級娼婦でした。彼女の父がだれだったか、不明です。彼女の両親は正式の結婚をしていません。それで、サラ・べルナールは、幼児期を修道院の孤児院ですごしています。
サラ・べルナールの少女時代は、恵まれず、みじめで、暗かったようです。
サラ・べルナールはよく笑う女性でした。
サラ・べルナールは、人生のどん底で、発作的に笑い転げた、といわれます。死ぬ直前に大声で笑ったことが、よく知られています。臨死のベッドで、長い昏睡状態のあと、ふたたび意識が戻りました。家族がさいごの別れをつげるため、彼女のベッドをとりかみ、司祭が聖なる言葉を唱えはじめた時、サラ・べルナールはとつぜん笑いだしました。
ひとしきり笑ってから、彼女はさいごの息をひきとりました。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2013年5月14日(火) |
| 「寅さん」 火曜担当…坂本欣也 |
|
突然ですが、私は寅さんが大好きです。
この週末、東京出張の合間をぬって、寅さんの故郷、葛飾柴又に初めて行ってきました。
都心から約40分、東京の東の端、江戸川を「矢切の渡し」でわたるとそこは千葉県です。
柴又駅の改札からホームを見ると、毎回の映画の最後のシーン、失恋した寅さんが旅立つ背中を追って、妹のさくらが駆け込んでくるシーンが思い出されました。
駅から柴又帝釈天に続く参道には、両側に多くの団子屋やみやげもの屋が並び、映画に出てくる「とらや」のモチーフになった店もありました。
本当に映画の中にいるみたいで、寅さんがひょっこり顔を出すのではないかと思うくらいでした。いたるところに寅さんを懐かしむ、昭和の風情が残る場所ばかりで、大の寅さんファンとしては寅さんになった気分でブラブラ歩きを楽しんでいました。
満男(寅さんの甥っ子)「人間は何のために生きてんのかな」
寅さん 「難しいこと聞くなあ~お前は。 何と言うかな~・・・・、あ~生まれてきてよかった。そう思うことが何べんかあるだろう。そのために生きてんじゃねえか」
「俺はな、学問つうもんがないから、上手い事は言えねえけれども、博(さくらの夫)がいつか俺にこう言ってくれたぞ、自分を醜いと知った人間は、決してもう、醜くねえって・・・」
山田洋二監督がこれまで創り上げてきたキャラクターは、寅さんをはじめとして、人情と愛情たっぷりで、憎めない人たちでした。どちらかというと、経済的効率性が優先される現代の社会や組織において、追いやられ少なくなっていくタイプの人たちかと思います。
こうした人たちを冷遇する社会や組織は、結局はバランスを崩し長続きはしないと思います。
今必要なのは、こうしたタイプの人たちも自分の居場所があり共存できる包容力のある組織であり、リーダーではないかと思います。寅さんタイプの人たちは、場を和ませ、コミュニケーションを活性化してくれます。
柴又駅前の居酒屋で飲んでいると、多くの知り合いができました。柴又に来ると皆が寅さんみたいに人情愛情たっぷりで優しくなり、見知らぬ人に話しかけるようになるのかと可笑しくなりました。寅さんは、みんなの心の中に生きている。
心洗われる、晴天の日曜日でした。
寅さん、ありがとう。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年5月13日(月) |
| 机のうえの小物① 月曜担当…池田光 |
|

机のうえにあって、僕をなぐさめてくれる小物たちを紹介します。
第1回は、次の3点。
■ブリキの砂時計(19世紀後期の欧州製)
古いものですが、今でも使えます。
東京のアンティークショップで購入しました。
なんとも言えない味わいがあって、
砂が規則正しく落ちているのを見ながら、
いつのまにか「時」というものに思いを巡らせたり…
■江戸川乱歩の自筆はがき
小さくて見えにくいと思いますが、
すごい不思議な字なんです。
特に「翻訳」の「翻」の字が花のような感じで気に入っています。
僕は中学生時代に、好んで春陽文庫の江戸川乱歩の短編集を読んでました。
全7巻くらいかなあ。
「押絵と旅する男」とか。
僕が知らぬ、大正時代とか、昭和初期に誘ってくれます。
なんともいえない雰囲気があって、
乱歩の自筆がどうしても欲しくて、このハガキを入手したのは、
もう何年前になるんだろう…
■携帯の燭台(明治期)
写真に写っているのは、2つ。
左側が燭台にしたところ。
これを、右側のお団子のような感じにまとめることができます。
直径5センチくらいの小さなものです。
僕はこのタイプの燭台が好きで、三点所蔵しています。
昔、刀の鍔を作っていた職人が、明治期になって職がなくなり、
その技術を使ってこの精巧な燭台を作ったそうです。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年5月11日(土) |
| 『面目ないが』 浜本 美佐子 |
|
前回、わが「息子」たちについて書かせていただきました。あまり「息子自慢」ばかりしていても面白くないでしょうから、今回は影響を受けた本のご紹介をします。
寒川 猫持(さむかわ ねこもち)氏。
この方、名前からしてネコを飼っています。うた詠み・目医者。バリバリの関西人で、「売り」は、飼いネコとバツいち!
軽妙にして切ない歌や随筆に、大笑いし、ウンウンあるある~と頷き、しんみりとし、考えさせるのです。
ちなみに、歌にも詠まれているので、飼いネコについても触れておきます。初代は「にゃん吉」君。詠まれた当時に御歳20歳、人間にすれば90歳代半ばというご長寿でした。今は、2代目の「メイちま」です。
私ごときが、ちんたら評するよりは、歌を紹介すれば一目瞭然なので、『面目ないが』から何句か。
尻なめた舌でわが口なめる猫 好意謝するに余りあれども
結婚に求むるなかれ真実を
愛はそこにはいないいないバア
女抱く夢を見ていた横に寝るネコだきしめて鼻咬まれけり
にゃん吉よ見てみ小蠅がつるんどる
飛びながらやどキンチョ―ル貸せ
飼い主も面目ないがおまえかて
タマとミケ子にフラれたやんけ
寒川猫持氏のホームページより
平成十一年の二月二十日に、人生の二十年を共にした愛猫でもあり忠猫でもあったキジトラのにゃん吉に先立たれた。私は毎日を泣き暮らし、激しく鬱に陥ったが、出版社というところは阿漕なもので、小説新潮に「キチや」という一文を寄せざるを得なかった。「キチ」とはにゃん吉のことである。
赤い日が仏陀よ海に落ちましたわたしの猫が今死にました
貴君らにとりてはただの猫なりき吾にとりてはいのちなりけり
浜本美佐子
|
|
|
| 2013年5月10日(金) |
| 「ブレーキ」と「重し」 金曜担当…小笹正洋 |
|
高性能な車には、高性能なブレーキが必要。
自動車のF1レースを見ていても本当にそう思います。
時速300キロのスピードから、
一気に100キロ以下のスピードまで減速する。
その減速、すなわちブレーキの性能があるから、
フルスロットルでアクセルを踏める。
ブレーキは安全装置であり、
信頼できる命綱。
しかし、
「重し」は単なる負荷であり、
発進時だけでなく、
停止時にも負荷になる。
(慣性の法則)
人間関係においても、
いざという時に「ブレーキ」を踏んでくれる人は、
真に信頼できる人。
単なる「重し」は、発進時にも停止時にも
本来の持ち味を発揮する妨げになる。
和して同ぜず
協調はするものの、
主体性は失わず、
むやみに同調しない。
そういうバランスを保っていきたいものですね。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年5月9日(木) |
| 求める 木曜担当…西端努斗夢 |
|
私たちは莫大な情報の中で過ごしています。目にするもの、耳にするものはもちろん、五感に働きかけてくるものすべてに貴重な情報が隠されているのです。
ところが、求めるものがないと、それは情報になりません。また、テレビのチャンネルをどこに合わせるかによって観える番組が違うように、何を求めるかによって入ってくる情報も違ってきます。
それだけに、何を求めて日々を過ごしているかで人生が大きく違ってくるのではないでしょうか?
インターネットの検索エンジンにキーワードを打ち込んでいて、ふと思いました。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年5月8日(水) |
| 潜在意識の改善法ー初級、中級、上級 水曜担当…沢井淳弘 |
|
「潜在意識の改善法」は、はじめてやる人の場合、とにかく自分の心が明るく朗らかになることなら、なにを思っても考えてもいいのです。思えば思うほど、嬉しいこと、楽しいことを思ったり考えたりするといいでしょう。しかし、これは初級者の段階です。
この暗示がうまくいっている、と確信がもてるようになったら、中級者の段階に入ります。
中級者は、自己暗示の内容を、検討してみる必要があります。つまり自己暗示の内容が、積極的か、人格的に向上的なものかどうかを考えるのです。
いちばん注意を要するのは、
「自己の欲望をひきのばして、考えてはいないか?」
ということです。
たとえば、「もっとお金持だったら、いいだろうなぁー」といったような夢想、あるいは「○○さんとセックスしたら・・・」といったような、性的な妄想です。こういうセックスやお金に関する自己の欲望を、眠る前に過度に想像すると、そのような欲望には際限がないので、「欲望をひきのばす」ことになります。欲望は、ひきのばすと心を疲らせるものです。なぜなら、このような欲望は、自己中心的でマイナス要素だからです。
すべからく自己暗示の内容は、人格的にも向上的な、崇高なものでなければなりません。
自己暗示の内容は、「感謝」が一番です。これはもっともやりやすく、もっとも積極的な感情です。
いくらでも感謝することはあるものです。今日一日飢えずに死ななかったことでも感謝できます。自分の恵まれていることを思い、感謝の気持ちでいっぱいになって眠ることほど、清らかで尊いことはありません。しかも、前向きに生きる元気をあたえてくれます。
これが中級者のための方法です。
上級者は、言うまでもありません。瞑想の状態になること、無念無想になることです。しかし、これは瞑想を毎日実行していると、自然にそうなるもので、努力してなれるものではありません。
潜在意識の改善法については、拙著『天風哲学の基本と実践』のなかの第1部、p.12から数ページに、くわしい説明があります。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2013年5月7日(火) |
| 「仁の哲学」 火曜担当…坂本欣也 |
|
「すべての人には与えられたなすべき仕事があり、それを貫徹することが幸福への道である」
「瞑想はその職業や仕事を助けるものであり、瞑想や修行にすべての時間を捧げるような『出家』の考えを否定されました。人はあたえられた、あるいは選んだ仕事で創造的な生活を送ることが、ほんとうの幸せであると教えたのです」
「個人は万能ではありません。それぞれ得手、不得手があります。それを補いあって、自分の得意な分野で社会に貢献し、たがいに助け合うのが人間社会です。自分の職業や仕事を通じて、いろいろな人と知り合い、楽しい社会をつくっていくように人はつくられています。」
沢井学監著『中村天風から教わった やさしい瞑想法』の中で、私の数ある大好きな箇所の一部です。瞑想の目的、人間と社会の関係性の本質を明快に説明していただいている一節です。
これを読んで私は救われた気持ちになりました。気持ちが楽になりました。
天風先生、そして天風哲学の本質を引き継がれている沢井学監の言葉には、「愛」「思いやり」「やさしさ」が滲み出ていると、読めば読むほど感じます。
儒教で言えば、「仁」だと思います。
人は「仁」を慕い、集まってきます。
逆説的に言うと、それだけ普段、「仁」が乏しく枯渇しているからかもしれません。
天風哲学は、単に健康な心と身体をつくる方法ではなく、人への愛情と思いやりの「仁」の哲学だと、遅まきながらようやく理解できてきました。
まだまだ遥か遠いですが、私もそんな境地に少しでも近づきたいと思います。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年5月6日(月) |
| よく聞いているCD 月曜担当…池田光 |
|
先週のブログに、
自宅に専用の書斎をつくって、
気分転換していると書きました。
書斎に行くと、
いつとはなくグラスに一、二杯のお酒を呑むのですが、
そのときに、よく聞いているCDは、
自分でも意外でしたが、中島みゆきでした。
いろいろ聞いていたのですが、
いつの間にか、中島みゆきに偏っていました。
数えてみると、7枚のアルバムがありました。
二十代の頃にレコードで持っていて、
CDに買い替えたのも含まれていました。
中島みゆきの特別のファンでもないつもりでしたが、
彼女の楽曲が心にぴったりくるのを発見して、
自分でも驚いています。
どうしても中島みゆきの歌を求めないではいられない心を持った人が
この世にいるのだと思いますが、
もしかしたら僕もその一人に入ってしまうのではないかと…
女性ならわかるのですが、僕が…と。
…ふと、「歌姫」が聞きたくなりました。
7枚のCDには収録されていなくて、
最近、「歌姫」が入ったCDを求め、聞いているところです。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年5月4日(土) |
| 「土曜日のにゃんこ!?」 浜本美佐子 |
|
はじめまして。「新米」浜本です。
全くの初々しさが無い新米で、スミマセン。
ひょんなことから、本ブログの担当をすることになってしまいました。
根がズボラなもので、日記やブログなどの、規則的に更新するようなものは不得意です。
自分のブログ等(更新していないもので、ブログと呼んでいいものやら)はあるものの、
セミナーのお知らせ程度しか載せていません。
続けられるのかなぁ……?
「書き易いことを書けば~」と言われたのを良いことに、
息子たち(髭を生やした毛深い奴ら)と
読書(わがままなので、偏った作家の偏った作品しか読んでいませんが)
について書きなぐろうと思っています。
こんな私ですが、お付き合いいただければ幸いです。
で、早速わが息子たちについて―
ある日、ふらりとペットショップに立ち寄ると、
以前から興味のあった種の仔猫がおり、目が釘付けに!!
涎を垂らさんばかりの私の横に、すかさず店員がやってきて「抱っこしてみますか?」。
抱っこしたが最後、「うちの子になる?」と、その仔に訊ねていました。
別に「うん」「なってやっても良い」と答えたわけでもないのに、
気がつけばうちの子に―それが写真の海澄(かいと)です。
生後40日程度の当時は、300グラム程の手乗りサイズでした。
わがまま、気まぐれ、カワイ気がない、気に入らないことはしない、と好き勝手し放題……。
「誰に似たのか」と考えるまでもなく、私そっくりの海澄。
「母一人子一人」の生活が2年足らず続いたせいか、
後に迎えた弟分に「ケッ、ネコの分際で」というような接し方をしており、
自分のことを人間と思っているようです。
私がネコと暮らしていることを知った、口の悪い友人には
「独り暮らしでペット飼ったら、終わってるで!」と笑われました。
あれから約8年。わがままな私に、ネコはピッタリの家族です。
嫌なこと、つらいことがあっても、何とかやってこれたのは、「扶養家族」がいるから。
人はペットを選べても、ペットは人を選べません。
私と出逢わなければ、2匹はもっと裕福な家の子になっていたかもしれないのです。
息子たちのためにも、頑張らニャ~。
浜本美佐子
|
|
|
| 2013年5月3日(金) |
| 心に栄養を。。。 金曜担当…小笹正洋 |
|
4月まで6ヶ月間研修を受講し、経営理念や
顧客満足等について学ばせて頂きました。
目からウロコの内容も数多くあり、
まだまだ学ばないといけない事が
沢山あると感じました。
ただ、顧客満足というものについては、
自分の中では漠然としており、
中々腑に落ちず、消化不良気味でした。
そんなときに、
レンタル店で借りてきたDVD
「しあわせのかおり」
を見て、自分の中で一つ消化できました。
ジグソーパズルの最後の1ピースが
入った気分でした。
ふとした出会いがきっかけで、師弟の縁を
結ぶ事になった、昔気質の中国人料理人と
百貨店で営業職のシングルマザーが
繰り広げる心温まるストーリー。
料理を通じて、人に対する優しさや思いやりを
ストレートに表現しているのが分かり易い。
苦手であっても、下手であっても、
その事に一心に取り組むと
必ず道が拓け、人を感動させる事が出来る。
与えることによって、得られるものがある。
自分に与えられるものは何か。
有形無形を問わなくて良い。
何も無ければ、笑顔でも良いでしょう。
優しい言葉でも良いでしょう。
目の前の人を喜ばせよう。
喜ばせて貰った人は機嫌が良くなり、
別の人をまた喜ばせるでしょう。
まわりまわって、
自分も喜ばせて貰えるでしょう。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年5月1日(水) |
| 何レノ時カ一樽ノ酒 木曜担当…西端努斗夢 |
|
池田塾長が4月29日のブログで川井信一さんが名付けた「花間一壺の酒」というぐい呑みについて書かれていましたが、我が家には、“何レノ時カ一樽ノ酒(イズレのトキかイッソンのサケ)”という川井信一さんの書があります。
これは、杜甫が李白に「またいつか酒樽を前に杯を交わしながら文学論に興じたい」という思いを詠んだ「春日憶李白(シュンジツ、リハクをオモウ)」という詩の一節です。
李白と杜甫の出会いは744年、洛陽の酒場だったと言われています。二人はすぐに意気投合し、1年ほど交友が続きますが、やがて李白は江東に、杜甫は長安へ居を移し、それ以来二人が出会うことはなかったそうです。
しかし、李白と杜甫はお互いに尊敬しあい、その思いをいくつかの詩に詠んでいます。
そのひとつがこの「春日憶李白(シュンジツ、リハクをオモウ)」で、“何レノ時カ一樽ノ酒”という言葉も、川井さんの書も、とても気に入っています。
「旅はどこへ行くかより、誰と行くかが重要」と言いますが、この書を見て「お酒も何を飲むかより、誰と飲むかを大切にしたい」と思いながら、毎夜一人で安酒を呷っています。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年5月1日(水) |
| 潜在意識の改善法ーすぐに眠れる人 水曜担当…沢井淳弘 |
|
4月の塾のレクチャで、私は「潜在意識の改善」について、お話しました。その中で、言い足りなかったことがあります。
それは、夜ベッドに入ると、すぐに眠れる人のための「潜在意識の改善法」です。
すぐに眠れる人は、あたりが暗くなった夕方から、ベッドにいく間の時間帯に、瞑想をすること、そして瞑想のあと天風誦句をとなえるか、あるいは自分のもっている唱詩(自分の心を元気づける、自己暗示の言葉)をとなえることを、お勧めします。
あたりが暗くなる夕方、潜在意識が活発にうごきはじめ、実在意識は少しぼんやりしていますから、暗示の感受性はたかまっているのです。このとき唱える、ポジティブな積極的な言葉の暗示は、すっと潜在意識のなかにはいります。
すると、心の倉庫をプラスの要素で、いっぱいにすることになりますから、日ごろ物を感じたり考えたりするときに、そのプラスの要素がでてきて、たいした努力をしなくとも、積極的に物を考えられるようになります。
「潜在意識の改善法」を行うと、気持ちが明朗快活になります。心が豊かになり、人生は充実してきます。
「潜在意識の改善法」は自己改造の方法でもあります。昼間に積極的になろうと努力していても、なかなかうまくいかないものです。ところが、夜に潜在意識の改善をすれば、楽にポジティブに物を考えられるようになります。
瞑想をする時間がえられないときは、瞑想をせずに、誦句もしくは唱詩をとなえることをお勧めします。自己暗示は、すこしお酒に酔っていても、効果があります。
潜在意識の改善法については、拙著『天風哲学の基本と実践』のなかの第1部、p.12から数ページに、くわしい説明があります。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2013年4月30日(火) |
| 「小野妹子のお墓にて」 火曜担当…坂本欣也 |
|
昨日は、清々しい晴天と美しい新緑の中、車を走らせ、小野妹子のお墓を訪れました。
飛鳥から見ると二上山の裏側、大阪府南河内郡太子町の小高い丘の上に、小野妹子は眠っています。
小野妹子は、皆さんも良くご存じだと思いますが、飛鳥時代の高位の政治家で、聖徳太子により派遣された初めての「遣隋使」の大使であり、「日出処の天子、書を日没する 処の天子に致す、恙なきや」とする有名な書簡をたずさえて渡った人でした。
その丘で、古(いにしえ)のことを思い、そして現代のスマホで調べてみました。
記録には、聖徳太子が初めた600年~菅原道真が廃止した894年の約300年の間に、遣隋使が約5回、遣唐使が約20回とあるそうです。実際には半数近くが難破などで到着できなかったようです。第18回遣唐(804年)には、空海と最澄の名も記されています。長安には、日本からだけでなく、隋・唐と朝貢関係にあった中国周辺の多くの国々から使わされた人々が、長安に滞在していたそうです。
日本には、遣隋使・遣唐使により、様々な中国文化がもたらされました。
仏教の経典・儒教の書物、書物を書くための墨・筆・紙、漢字そのもの。
土木・建築の技法(長安を模した平城京や平安京)、風水、暦、易、(七夕や端午の節句などの)祭事など。
漢方薬や漢方医学、政治の仕方、法律、通貨など。
食べ物では、味噌、醤油、豆腐、麺なども中国から伝えられたという説もあります。
幼少期の日本の心身は中国に育ててもらったと言っても過言ではないと思いました。
小野妹子の後、多くの青年が、大阪住吉の港を離れ、荒れる東シナ海を命がけで渡り、約5か月かけて長安を訪れました。朝廷から任命されたとは言え、成功率50%の危険を冒して。
当時の日本の青年が、電話もテレビもインターネットも飛行機も無いなかで、想像もできない異国の地を、どのような気持ちで目指したのか?
日本という国をどのように思っていたのか?
自分の使命をどのように感じていたのか?
どんな気持ちで、現地や各国から訪れた人々と交流していたのか?
などと彼らの思いや気持ちを想像していました。
そんな時、沢井学監が、「本心と信念」について4月10日のブログで語られていたことを思い出しました。勇気をいただけた、素晴らしい内容でした。
「信念とは、自信と安心を感じている時の、気持ちです。天風が『信念とは、自己の念願するものを実現するための原動力である』というのは、そういうことです。原動力となったときの気持ちです。」・・・
「神戸の天風会講師、森本恵美子さんは、『信念とは、なんでもできる!という気持ち』と、私に言われたことがあります。とてもシンプルですが、名言です。」・・・・・
本心から湧き出てくる信念~夢・希望・自信~が、危険を冒して海を渡る青年たちを支えていたのではないかと思いました。
そうした当時の人々の思いを受けて、今ここに立つ私は、何を思い、何を為すべきか?
その信念を強くするためにも、まずは本心を研き強くする必要があると思いました。
まだまだ修己は続きます。
そのように古に思いを馳せながら、新緑の丘で瞑想をしていましたが、ハッと目覚め、いつの間にか眠っていたのかと気づきました。気持ちの良い春の一日でした。
ありがとうございました。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年4月29日(月) |
| 花間一壺の酒 月曜担当…池田光 |
|
この3月から、執筆を再開しました。
これまでは、須磨の事務所(マンションの一室)で執筆していて、そこで寝泊まりしながら、2か月ほどで一冊を書き上げるというパターンでした。
が、現在執筆している本からは、自宅でやることにしました。そして、3か月で一冊を書き上げるというスローペースにしました。
ところが自宅で原稿を書こうとすると、二階にある寝室兼用の仕事部屋は、参考文献に使う本であふれるようになりました。その結果、可視床率が極めて低くなり、家族は誰もこの部屋に入ってこなくなりました。
というより、自分でも息がつまり、一階のあまり使っていない部屋を私専用の書斎にすることにしました。
まず、部屋にあったテレビを捨てました。
その代りに、CDを聞けるようにしました。
また、白熱色のLED電球に付け替えた卓上のライトなどを4つ入れました。
そして、どこからでも読めるような、漢詩や絵画集などの手軽な本を並べました。
また、この部屋は、使っていないキッチンと繋がっているので、冷蔵庫にいろんな酒類を入れました。そして、サイドボードに気に入った酒器類を置くようにしました。
そのひとつが、川井信一さんの「花間一壺の酒」と名付けられたぐい呑みです。
これは、川井さんの友達である陶芸家の加藤正也さんの作品で、このぐい呑みに川井さんが「花間一壺の酒」と命名したのです。
その日は、川井さんの「花間一壺の酒」を取り出すと、その前に、川井さんが作った少女像のテラコッタを眺めながら一杯やることにしました。
石彫家の川井さんは、骨董とお酒と友との語らいが大好きな方で、私は川井さんが友であることを誇りに思っております。
川井さんと呑むと楽しいのです。まるでお酒を呑むことを詠んだ漢詩の世界に引き込まれたような感じになるのです。そんな雰囲気と味わいを持たれた方です。
ところで、「花間一壺の酒」というぐい呑みの名前ですが、これは李白の飲酒詩から取ったものです。
李白に、「月下独酌」という詩があるのですが、そこに出てきます。
「月下(げっか)の独酌(どくしゃく)」と訓読しても、「月の下に独り酌(く)む」と訓読してもいいのですが、趣きがちょっと変わるような気がします。
さて、「花間一壺の酒」とは、月下独酌の最初の一句なのです。
この詩の最初の部分を掲げておきましょう。
花間一壺酒 花間 一壺の酒
独酌無相親 独り酌みて相い親しむなし
花のもとで一つの酒壺をかかえ、友もいないので独り酒を呑む、という意味でしょう。
こうして30分くらい楽しむと、上の部屋に戻り、原稿に向かうわけです。
月曜担当…池田光
|
 |
|
|
| 2013年4月26日(金) |
| 楽・・・ 金曜担当…小笹正洋 |
|
チワワ(犬)を飼っています。
自宅に帰ると、いつも寝ています。
朝、洗面をしているときは
足元にしっぽを振って来てくれます。
そして、家を出発をするときも大抵は寝ています。
いつも寝ていて、いいなあと思う事が
しばしばあります。
が、
「怠惰は魅力的に見えるけど、
満足感を与えてくれるのは
働くこと。」
~アンネ・フランク
これを読むと、目が覚めます。
人として生を受けたからには、
やっぱり、生涯をかけて取り組む
仕事を持っていたいものです。
仕事を楽するんじゃなく、
楽しんでいく気概を
持っていたいですね。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年4月25日(木) |
| 言葉の力② 木曜担当…西端努斗夢 |
|
私たちが目にする光景も耳にする言葉や音楽も波動、つまり波です。ところが同じ波でも光と音では種類が違います。物理的に言えば、光は横波、音は縦波なのです。
私たちの身体は、横波をはね返すことができるようになっています。だから、見たくない光景は目を閉じればそれまでです。
しかし、縦波は、はね返すことができません。例えば、耳の不自由な人が太鼓の演奏会に行き、その響きを身体に感じて感動することができます。
ですから、聞きたくない言葉は耳をふさいでも、実は、波動が私たちの細胞を震わせて身体の中に入ってきているのです。
また、相手に向けて言葉を発したつもりでも、その波動を最も浴びているのは自分自身なのです。
だからこそ、言葉の力は偉大だと思います。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年4月24日(水) |
| サラ・べルナール 水曜担当…沢井淳弘 |
|
先週のブログで、フランスの女優サラ・べルナールにふれました。
思いがけないイーメールがブラジルから私のファイルに飛び込んできたことがあります。ロドルフォという、大学の博士課程で心理学を専攻する青年からでした。その英文のイーメールの一部を紹介します。
「あなたは、中村天風の心身統一法について、英語で説明できる人だと聞きました。アメリカで講演されたこともあるんですね。ぜひ、心身統一法を、私に教えてください。・・・ところで、中村天風は、あの世界的に有名な、スーパースターの大女優、フランスのサラ・べルナールのパリの邸宅に、滞在したことがあるんですね。サラ・ベルナールについては、ブラジルに公演に来たことがあり、いまでも、その魅力について、語り継がれて、伝説になっています」
たしかに、サラ・べルナールは、1905年、巡業の旅で、リオデジャネイロに寄り「トスカ」を演じています。ところが、公演中大道具の城壁の上から、飛び降りる場面で、右膝を強くうって、大けがをしました。それがもとで、彼女はのちに、右脚を切断することになります。
しかし、気の強いサラ・べルナールは、予定の興行を敢行し、アメリカ合衆国の各地を、7カ月巡回して、ステージに立ち、熱狂的な人気を博し、巨万の富を築いています。
中村天風が、サラ・べルナールのパリ邸を訪れたのは、その数年後の1910年のことでした。サラは65歳、天風は肺病やみの青年で、35歳だった。天風はサラ・べルナールを、かなり年配の女性と聞いていました。
パリ邸の玄関に現れた女性は、どうみても28歳くらいにしか見えませんでした。
「あなたがほんとうにサラ・べルナールさんですか? ずいぶん若く見えますが・・・」
と言うと、彼女は笑って、
「女優に齢はございません」と答えたという。
天風がサラ・べルナールの邸宅に、どれくらい滞在したかは分かりません。当時その邸宅には、召使が10人、馬車が3台あって、馬は6頭いたという。
サラ・べルナールは、イギリスとアメリカで絶大な人気があり、よく巡業にでかけた。行く先々で多くの有名な男性を恋のとりこにした。そして、莫大な収益をあげ、百万長者となりました。10数軒の家をたて、城のような別荘をノルマンディーに建てました。
サラ・べルナールはイギリスでとくに評判が高かった。それは、いつも、イギリスで人気のあったシェイクスピアを演じたからです。「マクベス」「オセロ」「ハムレット」をもっとも得意な演目としていました。「ハムレット」では、ハムレット自身の男役を演じました。そして、そのあと、王室の晩餐会にまねかれるのが常でした。
サラ・べルナールは、ことに病人にたいして優しかった、といわれる。肺を病んでいた天風に、たいへん親切だったことは想像されます。それも、ただの親切をこえた、恋愛的なものだった、といわれる。当時のヨーロパでは、金持ちの女性が、結核の男性を、情人にすることが流行していました。(ケッタイなことが、流行していたもんです!)
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2013年4月23日(火) |
| 「4月潜学講座報告」 火曜担当…坂本欣也 |
|
4月20日の潜学講座は、第二期スタートの講座でした。
初参加の方々も多数参加いただき、フレッシュな気持ちで第二期がスタートしたように感じました。
参加できない方にも少しでも内容を共有させていただきたいと思い、講座報告を書かせていただいているのですが、深くて濃い講義の内容を、限られた紙面の中で私の力では書ききれず、逆に薄くなってしまっていると心配しています。また私の視点からの偏った要約になってしまっていますこと、ご容赦ください。その辺りを差し引いて読んでいただければと思います。
全体のテーマ:「充実した人生」
第1部は、沢井学監による「『潜在意識の改善』の方法」
第2部は、池田塾長による「良き出会いが人生を充実させる」
第1部の沢井学監のお話(からの私なりの要約)
「充実した人生」を送るためには、実在意識の下に位置する「潜在意識(心の倉庫)をプラス」にしておく必要がある。ものごとに対する反応や感情は千差万別、なぜなら「潜在意識」に入っているもの、状態が人それぞれだから。潜在意識がマイナスな状態だと、実在意識で考えること行動することが、必然的にマイナスになる。逆に、潜在意識がプラスだと、実在意識でもプラスになる。
「充実した人生」を送るため、潜在意識を常にプラスの状態にしておく方法の中から、2つ紹介いただきました。
1)心にプラス感情・思考をいっぱいにする
楽しいこと、うれしいことを考え思い描く。深く考え込まず、連続的に。
特に、眠りに入る瞬間が効果的。
2)心に栄養をたっぷりにすること⇒認識力の養成
心に入ってくる栄養とは、外からの情報。この情報をプラスの状態で、プラスの情報を受け取る。そのために、五感を研く、綺麗にしておく必要がある。
特に、視覚と聴覚を研くこと。
いつもながらの楽しい語り口調と整理された具体的な内容で、とても勉強になりました。あれから、私は眠る前に楽しいことを連想する方法を試していますが、朝起きた時なんとなくスッキリしている感じがします。更に続けていきたいと思います。
第2部の池田塾長のお話(からの私なりの要約)
「良き出会いが人生を充実させる」というテーマの中で、ご自身の体験から「勝縁」(勝れたものとの縁)という言葉を用いてご説明いただきました。その縁は、人だけでなく、出来事などとの出逢いも含めるのだということです。また、勝縁とは神秘的因縁がないと出会えない。出会うためには、自分自身に出会う準備ができていないと出会えない。(自分のレベルに見合ったものとしか、ご縁はないし、続かない。と私は解釈しました)
人間は、感覚でキャッチしたもの対して、すぐに判断(観念をつくる)してしまっている。感覚「~する」⇒判断「~である」。またその判断と観念に囚われて、次の感覚に影響を及ぼしている。判断には、恐れ、怒り、悲しみなどのマイナス感情も起こる。感覚から判断にすぐにいかないために、また判断に囚われないために、感覚と判断の間に、気づき「~している」を入れて分離する必要がある。例えば、「見る」を意識し、「見ている」という状態にする。この状態を出すために、瞑想が有効である。
池田塾長のお話は、いつもながら奥深い内容でした。また、先の沢井学監の天風哲学との内容と関連付けながらお話しいただけたので、両方が更に深まりました。他にも多くの学びがありましたが、ここでは書ききれませんのでこの辺りにさせていただきます。後日談としては、私なりに「気づき」を意識しています。まだまだすぐに判断してしまうことが多く、修行が足りないと実感します。継続していこうと思います。
沢井学監、池田塾長、素晴らしいご講義、誠に有難うございました。
また、参加された塾生の皆さんのお蔭をもちまして、更に多くの学びと刺激をいただきました。
ありがとうございました。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年4月22日(月) |
| 春の園遊会 月曜担当…池田光 |
|
4月18日は、赤坂御苑で、天皇、皇后両陛下の主催で開かれる春の園遊会がありました。
ノーベル医学生理学賞を受賞した山中伸弥さんなど、各界から約2500人が招かれたそうです。
兵庫県からは10名の功労者が招かれましたが、そのお一人が、弊塾・最高顧問の今西恭晟氏でした。
弊塾にとりましても、とても嬉しいかぎりであります。
今西最高顧問と私との出会いは、もう十五年も前のことになります。
私が経営する「本心庵」から出版した『心はゴムひも?!』(しあわせ通信第一集)などをご購入くださって、たまに、お手紙などを頂くようになりました。
2001年に、今西最高顧問が主催されている「プレジデント懇話会」で講演するようにと仰せつかり、その後も、拙著をお送りさせていただくたびに、いろんな会で講演させていただきました。
昨年、私が編集させていただいて、今西恭晟著『魂に響く108の言葉』(プロセスコンサルティング)を出版させていただいたところ、非常な反響を得ました。
この本の推薦者も著名な方が多く、船井幸雄さん、渡部昇一さん、田辺昇一さん、渡邉五郎三郎さん、藤尾秀昭さん、眞島弘さんなど、今西最高顧問の広い人脈が垣間見られました。
とくに、致知出版社の社長である藤尾秀昭さんが、他社出版社であるにもかかわらず、この本に素晴らしい序文をお寄せくださったことは、望外の喜びでした。
今年1月に開催させていただいた「沢井淳弘出版記念講演会 わが師中村天風から教わった『ことばの自己暗示法』」では、参加者の多くを集めていただき、講演会の冒頭で開催のご挨拶を頂戴いたしました。
今西最高顧問とはこのようなお付き合いであり、毎月参禅している長岡禅塾をご紹介いただいたりと、私は多くのことを学ばせて頂きました。
………今西最高顧問から、春の園遊会に招かれたおすそ分けとして、明治天皇の時代から宮内庁御用達になっているお酒の「惣花(そうはな)」が宅配便で届きました。
私は、春の園遊会が開かれたちょうど4月18日のお昼に、冷やしたこのお酒をあけ、お気に入りのグラスに注いで頂きました。
こうして、このたびの慶事を一人静かに祝いました。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年4月18日(木) |
| 残ってほしいもの・・・ 金曜担当…小笹正洋 |
|
まだ昭和50年代の小学生だった頃、お小遣いを握りしめて、よく公園に紙芝居のおじさんを追いかけて足を運んだものです。
そこで、水あめを買ったり、型抜きや、ゲンコ(型抜き用のお菓子をゲンコツで割って決められた数に割れると景品を貰える)をして、紙芝居の始まるのを心待ちにしたものです。
今となっては、すっかり見聞きしなくなりました。
と思っていたら、杉浦さんという80歳の方が、この伝統芸を継承し、ご活躍されているようです。
日本唯一の街頭紙芝居師 杉浦貞さん
http://www.youtube.com/watch?v=jmCEmb_Sly0
私は、こういう方こそが「一隅を照らす人」だと思います。
自分の居場所をしっかりと照らし、触れ合う子供たちに夢と希望と勇気を与えてらっしゃる姿に、非常に尊いものを感じます。
それにしても、最近の技術の進歩は目を見張るもので、3Dプリンターが登場し、立体的に出力が可能になっています。
キーボードやマウス操作でこういう表現が可能になってくると、人間に本来備わっている表現力や想像力が損なわれていかないか危惧します。
アナログ情報に、情感や魂を込めて表現することで、人々の心を動かしていくということは忘れないでいたいものです。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年4月18日(木) |
| 人の寿命 木曜担当…西端努斗夢 |
|
先日といってももう1か月近く経ちますが、義父の7回忌法要がありました。
その時、あらためて思ったのは、人の寿命には2つあるんだなということです。
1つめの寿命は、この世でのやるべき事を終えてあの世に帰るとき。いわゆる一般的な死。
2つめの寿命は、あの世に帰った後も、その人を知り、その人を思い出し、その人のことを話題にする人がこの世にいなくなったとき。
そうだとすると、義父もまだ死んではいません。
坂本龍馬や織田信長など、歴史に名を遺した人は永遠に生き続けています。
私はいつまで生き続けることができるのか?
1つ目の寿命も大切ですが、それよりも2つ目の寿命を延ばす努力をしたいです。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年4月17日(水) |
| お春さん 水曜担当…沢井淳弘 |
|
天風は、若いころ(26歳頃)日露戦争に従軍しました。満州の奥地に潜入して、諜報活動(軍事探偵の仕事)を行っていました。
ハルピンの西方の奥地にある「宋屯」という村に滞在して、大豆を売る商人に化けていたことがあります。
ある日、三郎(天風の当時の名前)は、一望千里の銀白の原野を、2人の仲間と、馬に乗って走っていました。そのとき、前方に馬車が走っているのを認めました。近づくと、それは馬賊とよばれる山賊の一味でした。常に「馬」に乗って、略奪をはたらくので、「馬賊」と呼ばれる、凶暴な満州人の連中です。
三郎は、2人の仲間に「相手にするな!駆け抜けるのだ!」と指示し、馬にムチをあてました。そのとき、馬車の中から飛び出してきた女性がありました。農民のすがたでしたが、気品のある若い美しい女性でした。彼女は、
「私はハルピンのお春と申します」
と名のりました。なんと馬賊のなかに、日本女性がまじっていたのです。しかも、彼女は
「急ぐ旅でなかったら、私の村に来なさいよ。泊まるところもあるよ」
と言いました。3人はその夜、彼女の村に泊まることにしました。
三郎は、久しぶりにお春と日本語の会話を楽しみました。そして、お春の喋り方に、博多弁のなまりのあることに、気づきました。博多は、天風が子供の頃、頭山満に世話になっていた福岡から遠くありません。三郎は、お春を喜ばせようと、博多の思い出などを語りました。
お春は三郎の話をじっと聞いていました。そして、その眼に涙が浮かんでいました。なんと、このお春は200人ほどの馬賊の、女頭領だったのです。
天風は、このお春さんと恋仲になった、と言われています。天風はのちに、私たちに、
「私の生涯で、心から美人だとおもったのは、ハルピンのお春と、フランスの名女優サラ・ベルナールの二人だったね」
と、語りました。
お春と知り合って、まもなく、ご存知の方も多いと思いますが、天風は二人の中国人少女の命を助けます。そして、運悪くロシアのコサック騎兵につかまって、軍事裁判を受け、軍事探偵であることが発覚して、銃死刑の宣告を受けます。そしてまさに銃声一発死ぬべきところを、奇跡的に、さきの中国人少女と仲間に助けられて、九死に一生を得て、日本に帰還できたのでした。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2013年4月16日(火) |
| 「素振り」 火曜担当…坂本欣也 |
|
長嶋茂雄氏と松井秀樹氏が、国民栄誉賞を受賞することとなりました。
先日二人の秘話をテレビ番組でしていたのを、たまたま観ました。
(後、敬称略)
長嶋が引退した年に、松井が誕生し、
当時監督をしていた長嶋が、ドラフトのくじで松井を当てた。
二人には強い因縁があると紹介されていました。
入団した松井に、長嶋が毎日毎日つきっきりのマンツーマンで指導
これは、後にも先にも松井のみだったそうです。
特に、毎日の「素振り」は、傍目からも想像を絶するものだったそうです。
長嶋は目をつぶり、素振りの音で指導したとも伝えられていました。
長嶋が、その素振りで伝えたかったことは、技術も当然のことながら
精神力だったと言います。
スーパースターであり続けることのプレッシャーの中、
長嶋の選手時代を支えたのも、その素振りだったそうです。
自分無き後の巨人軍と球界を背負って立つスーパースターを育てなければならない。
普通の選手と違い、スーパースターはグランドに立ち続けなければならない。
それには、技術面だけでなく、精神面が強靭でなければならない。
その思いと努力が、日米通算の連続試合出場1768回という記録につながったのだそうです。
松井がニューヨーク・ヤンキースでスランプに陥ったとき
長嶋は松井をニューヨークに訪ね、真っ先に素振りをさせたといいます。
そうして二人三脚で球界を支え続け、受賞した名誉ある賞。
技術と精神を鍛えるために、私はどんな素振りを続けているのだろうか?
そして、何のために素振りを続けるのだろうか?
偉大なスーパースターの足元にも及ばないが、
一隅を照らす者になるための修己をし続けたいと、
改めて思いました。
ありがとうございました。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年4月15日(月) |
| 「徳」について 月曜担当…池田光 |
|
小南一郎「天命と徳」(1992年)という論文があります。
この論文をネットからダウンロードして、3月下旬に読んでおりました。そして、とても感動しました。
専門家を対象とした論文なので、内容はちょっと難しいかもしれませんが、いくつか感動した文章を掲載いたします。ちなみに、小南一郎氏は、京都大学名誉教授です。
■【徳の原意】徳の字の元来の意味は、その用法から見て、生命力というものであったと推定したい。その生命力は天上に源泉するものであったのである。
■【王と徳】この世界に活力を付与する徳は、元来、天上に存在するのであって、それを請い受けることができるのは、ただ天子たる王だけであった。その王が天から授かった徳が源泉となって、やがて万民にまで徳が及び、この地上の世界の生命力と調和とが保たれるのである。
■【王の宗教的職務】王の宗教的な職務の中心は、そうした天上の生命力を、天からわが身に受け、さらにそれを地上の世界に敷き広げることであった。
■【徳の変遷】天上に源泉する生命力であって、恩恵と懲罰との両側面を備えていた徳は、西周後半期に、すでに恩恵の方向ばかりを意味するものに変化しており、さらに時代を下るにつれて、天との関係も希薄になった。また、元来は、それぞれの家系の中で伝承される生命力であったものが、個人の自覚が進むとともに、諸子百家の議論の中では、専ら個人が自己の責任で修養すべき徳性を指すものとなっていった。
僕は、「徳」がいきいきとした概念に思えたんですね。原意は生命力だというのは、驚きだったし、天に源泉する生命力を王が受けて、それを地上世界に広げていくというのは、とても興味深い組織論でした。
さて、この論文を読んでみたい人は、アクセスしてみてください。
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/66736/1/jic064_001.pdf
なお、僕はまだ読んでおりませんが、この論文をふまえた単行本があります。小南一郎『古代中国 天命と青銅器』(京都大学学術出版会)です。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年4月12日(金) |
| 易 金曜担当…小笹正洋 |
|
「易経」の書物の中から、
「六龍に乗り、もって天を御す」
という言葉が目に入った。
中国では龍は縁起の良い生き物とされ、水の中に生息していた龍は、成長に伴って天に昇り雲を抱き、恵みの雨を降らせて、生きとし生けるすべてのものを生み、養い育み、大いなる循環をもたらします。
龍になぞらえて、志の達成までの変化の過程が次の六段階で記されています。
第一段階「潜流(せんりゅう)」
高い志を描き、実現のための力を蓄える段階。
第二段階「見龍(けんりゅう)」
基本を修養する段階。
第三段階「君子終日乾乾(くんししゅうじつけんけん)」
創意工夫し、独自性を生み出そうとする段階。
第四段階「躍龍(やくりゅう)」
独自の世界を創る手前の試みの段階。
第五段階「飛龍(ひりゅう)」
一つの志を達成し、隆盛を極めた段階。
第六段階「亢龍(こうりゅう)」
一つの達成に行き着き、窮まって衰退していく段階。
この六段階を「六龍(りくりゅう)」といい、朝昼晩、春夏秋冬の変化過程と同じで、大願成就の天の軌道とされている。
易経は、論語と並び四書五経の書物の一つとして、中国の古代君主が学んだ書物。
運を天に任せるための書物ではなく、自らが運命を切り拓いて行く上での知恵の宝庫となるでしょう。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年4月11日(木) |
| 言葉の力を増幅させるもの 木曜担当…西端努斗夢 |
|
沢井淳弘先生が著書にも書かれていますが、言葉の持つ力は強大です。
その力をさらに強めて増幅するものにリズムやテンポ、メロディ、それに身振りがあるように思います。
ヒット曲は、歌詞が素晴らしいだけでなく、歌詞の持つ言霊を増幅させるリズムとテンポ、メロディーがつけられているのではないでしょうか?
音楽と宗教が密接に関わっているのもそのためかもしれません。
仏教でも宗派によっては、木魚や鉦、太鼓を打ち鳴らし、中には踊りながら念仏を上げるのも、お経にある言葉の力をさらに増幅させるためだと考えれば納得がいきます。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年4月10日(水) |
| 信念と本心 水曜担当…沢井淳弘 |
|
自分のなかに「信念」を感じた時――
「本心」が出てくるのを感じた時――
そのとき、私たちは「自分の心がいちばん強くなっている時」です。
3月の池田塾長のレクチャは、少し表現はちがいますが、そのようなことを教えられました。塾長は、天風哲学の「気の思想」を儒教の深遠な哲学を援用して、見事に説明されました。名講義で、私は感動しました。
なぜなら、信念や本心が発動するとき、私たちは積極的な気持ちになっているからです。しかも相対的な積極ではなく、絶対的な積極です。
でも信念と本心は、ちがうものです。どうちがうのでしょうか?
■信念とは、気持ち、心もちです。
■本心とは、意識の一種です。
信念とは、自信と安心を感じている時の、気持ちです。天風が「信念とは、自己の念願するものを実現するための原動力である」というのは、そういうことです。原動力となったときの気持ちです。
神戸の天風会講師、森本恵美子さんは、
「信念とは、なんでもできる!という気持ち」
と、私に言われたことがあります。とてもシンプルですが、名言です。
これに対し、本心とは、霊性意識という、意識の一種です。
人間の意識には、3種類あります。
1.本能意識
2.理性意識
3.霊性意識
3.の意識、つまり霊性意識をもつとき、私たちは絶対積極の状態になります。もっと具体的にいえば、天風式瞑想の状態に入った時の意識が、そうです。
霊性意識は、信念を生みだします。
誦句もまた、信念を生みだします。
でも、最後にヘンなことを言うようですが、本心も信念も同じようなものだ、と考えていても、実践さえしっかりできている人は、頼もしい力を発揮するものです。これが人生の不思議な所です。あまり、言葉に拘泥しないほうがいいのでしょう。でも正しい言葉の語義を知っているにこしたことはありません。
ただし、物書きは、正しい語義を完全に習得する必要があります。しんどいこってす。ほんまに!
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2013年4月9日(火) |
| 「生きる意味」 火曜担当…坂本欣也 |
|
名著『夜と霧』の作者、ビクトール・フランクル(1905-1997)。
彼は、4歳の時に、「人は何故生きるのか?」と疑問に思ったそうです。
その後、彼は精神科医、心理学者になりました。
その後、ユダヤ人である彼は、ナチスにとらえられ、強制収容所に捕えられ、彼自身生死の狭間をさまよう中、無数の壮絶な生死を目の当たりに観てきました。彼の父母、まだ新婚だった妻も、収容所で亡くなったそうです。
壮絶な環境の中でも生き延びる人と、息絶える人がいる。
その違いは、「生きる意味を見つけるかどうか」だったと言います。
生きる意味には2種類あると言います。
私が、人生に求める意味
人生が、私に求める意味
「私たち人間は、人生から問われている存在」
「自分が人生に何かを求めているうちは、永遠の欲求不満になる」
と彼は語ったそうです。
私はその言葉を知り、「自分は人生や他者や環境に求めてしまっていることが多いなあ」と、反省しています。しかも、反省してもまた求めてしまう自分がいる。まだまだ修己が足りません。
宇宙霊、大いなる何かが、自分に与えてくれている、見えない「使命」に気付くこと。
これが、「本当の人生の始まり」であるのかもしれません。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年4月8日(月) |
| 還る準備について 月曜担当…池田光 |
|
私事ながら、父が亡くなったのは、5年前の4月11日です。
命日まで、あと3日…。
5年前、父は定期検診のために病院に行きました。狭心症が発見され、そのまま入院することになりました。
何度か私は父の病室を訪ね、死生観について話しました。
死に至るとは思っていなかったので、いろいろと聞きにくいことを訊いたのです。
父は、
「おやじの年齢を超えたから、今年の正月に身のまわりを整理した」
と語りました。
実際、多くのものを捨てて、写真などをきれいに整理していました。
また、大病が多かった父は「闘病記」をまとめていました。
4月2日。
予定時間を大幅に超えて手術が終わりましたが、思いのほか病は進行していたようで、父は9日後に他界しました。
父の遺志により、葬儀は親族だけの内々のものにし、お香典などを遠慮しました。
病室で聞いていたので、その通りにしたのです。
が、私の価値観も反映させました。
私は葬儀の準備をしながら、娘に、
「僕が死んだら、家族だけでいい。親戚にも連絡しなくていい。いちばんシンプルな葬儀でいい」
と伝えましたが、これは書面にしておかないと、あとに残ったものが迷惑するだろうと思っています。
葬儀の日、会場にはあまり見ぬ親族も足を運ばれて満席となりました。
あとで、父の友人たちからは、なぜ知らせなかったのかと叱られました。
近くに住む親友だった人は、父の眼鏡を形見にほしいと言い、レンズを入れ直して亡くなるまでかけていたそうです。
また、ある日、かつての部下が大勢来られて、池田学校(父の部下たち全員が、部署を超えて年に一度集まる会合や一泊旅行は、父の30代後半のころからこう呼ばれ、亡くなるまで続いていた)のエピソードを聞かされました。
父は、田畑と家を持参した娘をもらったので、給料のほとんどを飲み代に使っていました。毎晩のように部下を連れて飲み、おごるのです。母はやりくりに困って実家にお金を借りにいっていました。酒の強い父が何度か部下に介抱されて帰ってきたので、軽く一升は飲んでいたのでしょう。
私は、子供のころ、
「人は死んだらどうなるの?」
と父に尋ねたことがあります。
すると父は、
「人は死ぬと土に還る」
と言いました。
父は農学部の出身であり、土をさわるのが好きで、勤めのない土日はいつも庭にいて、何かをしていました。
退職後に転居したときは、
「小さくてもいいから庭がほしい」
と言い、以前の広い庭があった家を懐かしむことがありました。
新しい家では、猫の額ほどの庭になったので、ベランダに六畳ほどの温室を建てて、冬は暖房と湿度を調整して蘭を育て、展覧会に出品していました。
そんな父でしたから、
「人は死ぬと土に還る」
という答えは、いかにも父らしいと思っております。
天風先生は、
「人は死ぬと生命の大海に還る」
と教えました。
「還る」というのは、故郷に帰るようで、私はとても気にいっています。
少し私は蒐集癖があって、いろんなものを集めすぎました。
これではいかんと、数年前から整理しつつありますが、この調子で行くと死ぬまでに間に合いそうもありません。
計画的に還る準備をしないと、心穏やかに還れない気がします。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年4月5日(金) |
| 言葉のチカラ 金曜担当…小笹正洋 |
|
しきしまの大和心のをゝしさは
ことある時ぞあらはれにける
<意味>
日本国民の大和魂は雄々しいものだ。
たとえ平時には現れなくても、有事の時には自然と外に現れるものだ。
これは、明治天皇(第122代天皇:今の天皇の曽祖父)によって
詠まれた歌です。
明治37(1904)年に開戦した日露戦争の際の一首のようです。
当時の日露戦争という大国難に際して、国及び国民を鼓舞しようという
懸命な思いが伝わってきます。
リーダーとして、特に有事に際してどんな態度でいられるか、
また、どんな言葉を発するのか。
そこに真価が問われるのでしょう。
有事に備え、平時の際にしっかりと心を練っておきたい。
そして、自分を勇気付ける言葉を持っておきたいですね。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年4月4日(木) |
| 予祝 木曜担当…西端努斗夢 |
|
昨日のブログで沢井先生は、“天風は、「健康になりたけりゃ、自分が健康美を発揮している状態を、心の中で映像化しなさい」(『盛大な人生』)と、言っています。想像力を働かせて、くりかえし自分の念願を映像化することによって、それが可能になるということです”と書かれていました。
日本人は古くからこのことに気づいて実践してきました。その1つが「予祝(よしゅく)」で、願い事が成就することを前もって祝い、神様に感謝するというものです。
今、桜が満開となっていますが、お花見は本来、桜に宿った穀物の神様を前に秋の豊作を先にお祝いし、神様に感謝する予祝だったそうです。
人は心に思い描いたものは必ず実現する。そのために神様は、私たちに想像力を与えてくれたのかも知れません。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年4月3日(水) |
| 誦句 水曜担当…沢井淳弘 |
|
天風は、「誦句集」を2冊書いています。その初級編ともいうべきものは、拙著『天風哲学の基本と実践』に収めてあります。
天風は「誦句」について言う時、いつも「暗示の誦句」という言い方をしていました。これは、誦句というものが、つねに「自己暗示のための言葉」であることを、意味しています。
最近驚いたことがあります。それは、多くの人が、天風の誦句は、仏教でいえばお経のようなもので、天風の教えを短くまとめたものである、と考えていることです。
誦句は、天風の教え、そのものではありません。
誦句は、自己暗示によって、自分を元気づけるための言葉です。
誦句は、天風自身が、肺結核から立ち直るために、唱えた自己暗示の言葉です。健康を回復するためには、正しい人間の生き方を決定する必要があります。そのために編みだしたのが「天風誦句集」です。
誦句ほど、私たちの健康を回復、もしくは確保してくれる妙薬は、他にありません。ちょっとした病気なら、誦句によって健康を回復できます。あるいは、誦句によって病気の予防ができます。病気に打ち克つためには、正しい人生観、宇宙観、世界観を、自分の心に植え付ける必要もあります。ですから誦句はそのようなものも含んでいます。
天風は、「健康になりたけりゃ、自分が健康美を発揮している状態を、心の中で映像化しなさい」(『盛大な人生』)
と、言っています。想像力を働かせて、くりかえし自分の念願を映像化することによって、それが可能になるということです。
その具体的な方法が、私には長い間分からなかった。それが、誦句を唱えることだ、と気がついたのです。「天風誦句集」はすべてが、「自分が健康美を発揮している状態」を描きだしています。
たとえば
「私は喜びだ、感謝だ、笑いだ、小躍りだと、勇ましく溌剌と、人生の一切に勇往邁進しよう」
などという、誦句の言葉には、直接健康という言葉はないが、それは、まさに真に健康な人の発する言葉であり、健康美を発揮している心の状態そのものです。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2013年4月2日(火) |
| 「新入社員研修」 火曜担当…坂本欣也 |
|
時節柄、新入社員向けの研修を担当することが多いこの頃です。
先日は、ある大学で新入生に向けた講演もしてきました。
毎年思うのは、「教えている私が、教わり直していることが多い」ということです。
そして、若い人たちと接しているだけで、気持ちも引き締まり、新たになります。
社会人としての心得、言葉遣い、敬語、礼儀作法、電話対応の仕方、報連相、PDCA、チームワークの取り方など、社会人としての基本を、学び直しています。
これは、私にとって大いに意味のあることで、この機会を毎年頂けることを感謝しています。
しかしながら、新人が部署に配属されると、配属先の上司や先輩たちの挨拶もしない冷めた態度にショックを受け、モチベーションが下がってしまうというケースをよく耳にします。これを聞くのは、非常にツライことです。
「人材」には、実は4種類あるといいます。
縦軸に「能力」、横軸に「モチベーション」を置いた場合。
○能力もモチベーションも高い人は、「人財」。(本当の意味での宝の存在)
○モチベーションは高いが、能力はまだ低い人は、「人材」。(新入社員はこれに当たる)
○能力はあるが、モチベーションが下がっている人は、「人在」。(仕事はそこそここなせるが、マンネリな気分のベテラン社員)
○能力もモチベーションも低い人は、「人罪」。(周囲に害しか与えない人)
私たちが常に意識しないといけないのは、若い人たちの手本・ロールモデルになる「人財」だと強く思います。存在するだけで、若者たちに元気と希望を与えられる人になることが、大人の責任・仕事だともいえます。
常に自分を磨き、洗心する。まさに、修己し続ける姿勢が大切と三省し、本日もこれから新入社員研修に臨みます。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年4月1日(月) |
| 幸福と使命 月曜担当…池田光 |
|
湧くわく本心塾の会員ですが、
おかげさまで、
「1万人突破!」。
と、本日のエイプリルフールの特権で、ちょっと言ってみました…。(失礼)
弊塾は、決して耳ざわりが良いことを言いません。
なので、「誰でも、どんどん集まってくる」というわけには、いかないかもしれません。
ただ、素晴らしい人が多いので、これは誇ってよいでしょう。
数年前のことです。
あるお坊さんがちょっと怪しいセミナーをやっていました。
彼は、
「人は幸せになるために生まれてきたんだよ」
と囁きました。
そして、この言葉に引っ張られるようにして、
心にマイナスを抱えた人が、どんどんセミナーに吸い寄せられていきました。
この言葉は、とても耳ざわりが良いと思うんです。
「あなたがこの世に生まれてきたのは、幸福になるためなんだよ。だから、あなたは、幸福になっていいんだよ。幸福を求めていいんだよ」
という甘いメッセージだからです。
しかし僕は直観的に、この言葉には「甘い罠が潜んでいる」と思ったんです。
どこか、嘘が仕込まれていると。
そのすぐあとで、僕は、森信三の言葉に出会いました。
こんな言葉です。
幸福は求めるものでなく、
与えられるもの。
己(おのれ)の為(な)すべきことをした人に対し、
天からこの世において与えられるものである。
森信三のこちらの言葉は、耳に痛い言葉です。
ですが、僕は、ここには真理が含まれていると思いました。
森信三(1896年-1992)は、1953年、神戸大学教育学部教授に就任。「実践人の家」を建設した人です。
さて、この言葉のメッセージとは、次のようなことだと思います。
この世に生まれてきたあなたは、まず、自分が為すべきこと=使命を為すべきです。
人は幸福になるために生まれてきたと説くのは、エゴの擁護です。
そうではなく、為すべきこと=使命を遂行した、その結果として幸福は与えられるものです。
これは、経営でいう「先義後利」や「CS」と同じです。
「先義後利」とは、義(=為すべきこと)を先に立て、利(=幸福)を後にすることです。
CS(お客様満足)というのも、「お客様の満足(=為すべきこと)」を先にし、その結果して「利(=幸福)」が得られるということです。
もし利(幸福)を先に立てれば、事業がおかしくなるように、人生もおかしくなります。
ただ、急いで付け加えると、
「自分は幸せになってはいけなんだ」
という思い込みを抱いている人がいることは事実です。
その人には、
「あなたは、幸せになっていいんだよ」
と言って、思い込みを削除してあげることが有効です。
しかしそれは、あくまで個人的な事情を鑑みたうえでの言葉であるべきです。
これを単純に一般化し、拡大して、
「人は幸せになるために生まれてきたんだよ」
と、セミナー事業者が言うのは、裏に「良からぬこと」を考えているからではないでしょうか。
僕には、客寄せの甘い餌をまいているように思えるのですね。
ここでも、急いで付け加えますが、
僕の友人に、
「人は幸せになるために生まれてきた」
ということを信じている心理療法家がいます。
その方とは、少し議論をしたのですが、思いは変わりませんでした。
僕は議論をあきらめて、
「これからは、心理学ではなく、哲学がより人を救うだろう」
と感じて黙ったのでした。
ちなみに僕は、十代の終わりごろ、哲学を学ぼうとしたのに、自分の心の治療のために、心理学関連の本をずるずると三十歳まで読み続けて、ようやく心理的な危機を脱出できた人です。
心理学の有効性を実感したうえで、それでも、哲学だと言い切れます。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年3月29日(金) |
| 必死の作戦は、必勝の作戦にあらず。 金曜担当…小笹正洋 |
|
関西地方では、桜の花も見ごろになってきました。
桜の花と言えば、今年の年始にDVDで見た映画
「俺は、君のためにこそ死ににいく」
を思い出す。
神風特攻隊
自分の命と引き換えに、日本の勝利を信じて
また、決して勝てない戦争だと分かっていても、
一様に彼らは、後生に日本の国のことを託して
飛び立って行った。
謂わば軍神たちです。
そして、そんな青年たちを自分の息子のように
愛情を注ぎ、支えた鹿児島の知覧で富屋食堂を営む
女将、鳥濱トメさんから見た戦争というもの。
そして、日本という国。
戦争に是非は無い。
おこしてはならないこと。
腑に落ちないのは、
戦争をおこした人たちと、
戦場で戦う人たちは
違うということ。
母を慕ひて
母上 お元気ですか
永い間本當に有難うございました
我六歳の時より育てて下されし母
継母とは言へ世の此の種の女にある如き
不祥事は一度たりとてもなく
慈しみ育て下されし母
有難い母 尊い母
俺は幸福だった
遂に最後まで「お母さん」と
呼ばざりし俺 幾度か思ひ切つて呼ばんとしたが
何と意志薄弱な俺だつたらう
母上 お許し下さい
さぞ 寂しかつでせう
今こそ大聲で呼ばして頂きます
お母さん お母さん お母さん と。
知覧から沖縄に向けて飛び立った
18歳の青年から母へ宛てた手紙。
明日も生きたいと思いながら
生きられなかった人たちがいた。
時代は違っても、
今生きている自分たちは
しっかりと、命を使っていきたい。
「俺は、君のためにこそ死ににいく」
http://www.youtube.com/watch?v=poRnTAcGVM0
(2007年5月劇場公開作品)
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年3月28日(木) |
| ラッキーボーイ 木曜担当…西端努斗夢 |
|
センバツ高校野球大会が開幕しました。元高校球児の私にとっては血が騒ぐ季節です。
高校野球を見ていると、これまであまり目立たなかった控えの選手が大会に入って突然活躍し、それに刺激されてチームも快進撃を続けることがあります。このような選手は、ラッキーボーイと呼ばれます。
ラッキーボーイという呼び名から、幸運に恵まれて活躍するようなイメージがあり、私もそう思っていました。
もちろん運も必要ですが、それだけではなかったのです。以前、「ラッキーボーイはつくるものなんだよ」と、ある高校の監督に言われてハッとしたのを今でも忘れることができません。
その監督曰く、毎日、毎日、選手を観察していて、実力を付けてきた選手、調子を上げてきた選手がいたら思い切って抜擢し、それに応えて活躍する選手がラッキーボーイと呼ばれるそうです。
レギュラー選手を外し、それまで控えだった選手を試合に出すのですから勇気がいるけれど、期待通りの働きをしてくれて、それが勝利に結びついた時は監督冥利に尽きると話されていました。
職場の部下、教え子、子供など、私たちの周りにもラッキーボーイ予備軍がいっぱいいるのではないでしょうか?
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年3月27日(水) |
| 宇野千代② 水曜担当…沢井淳弘 |
|
宇野千代は、『文芸春秋』という雑誌に、亡き天風をしのんで、「カントと天風先生」と題する随筆を発表しました。(昭和48年、1973年)
その一部を要約して、紹介します。
カントの自叙伝によると・・・
ドイツの偉大な哲学者、カントは、生まれながらに病弱で、せむしで、喘息やみでした。
カントが13,4歳のころ、巡回医師がカントの家をたずねてきて、幼いカントを診察した後、こう言いました。
「おまえの体は病気だが、心まで病んではいけないよ。今日からは、からだの苦しいことを、いっさい口に出さないようにしなさい。
心を強くもって、身体の苦しさを克服しなさい。おまえの助かる道は他にない。そして、おまえの健康な心の命ずることをしなさい」
カントは、この医者の助言にしたがって、好きな学問の道に入りました。そして、のちに偉大な哲学者になりました。
宇野千代はこの話を聞いたときのことを、次のように書いています。
「この話を天風先生がされたとき、先生は突然右手の拳(こぶし)を眼に当てて、はらはらと涙をこぼされた。これは「声涙倶に下る」(せいるいともにくだる)」というのだな、と思った」
宇野千代は、天風の話をきいたあと、カントの自叙伝を探したが、見つからなかった、とも書いています。
それは当然です。カントは自叙伝は書いていません。
天風はおそらく、だれかの書いた「伝記」を読んだのでしょう。カントの伝記はたくさんあります。
天風は、講演中一回くらいはかならず、感極まって、グッと涙ぐまれることがありました。しかし、次の瞬間、その涙をグッとのみこんで、すぐに朗々たる声にもどられるのが、常でした。(そのとき、クンバハカ密法をして、 気分を転換されるのが分かりました。)それは見ものでした。
普通の人が講演中などに涙ぐむと、話が中断されて、しばらく声が出なくなるものです。あるいは、しばらくは涙声で話がつづきます。
天風が「声涙ともにくだる」といった調子になるのは、話がいつもきまっていました。カイロで、ヨーガの聖者カリアッパ師と奇跡的な出会いをした時の話がそうでした。カリアッパ師が「おれについてこい」と言われた時、天風はなにも考えず「はい、分かりました」と即座に答えました。そのときの不思議な感動を話されるとき、必ず声涙ともにくだる、という状態になられました。
もうひとつは、天風がお母さまに感謝して、「おっかさん、おれを産んでくれて、ほんとうにありがとうございました」と、
両手を畳についてお礼を言ったことがある、という話のあとも、かならず声涙ともにくだるという状態になられました。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2013年3月26日(火) |
| 「宇宙から見た私」 火曜担当…坂本欣也 |
|
天風哲学では、「宇宙霊」が重要な概念なので、一般的な科学でいう「宇宙」を調べてみました。
その結果は、私の考える想定外に、天文学的に想像し得ない大きい存在でした。
唖然としました。
半径470億光年。光の速さで飛んだとしても、端まで到達するまでに470億年かかる距離だそうです。
しかも、宇宙は光のピードで、膨張し続けているそうです。
そんな宇宙の中で、地球はどんな存在なのか?そして、私は?
宇宙を自分が今いる部屋の大きさだと仮定した場合、地球は肉眼で見えるのか?
な~んにも、見えない。
では、私という存在は何なのか?
地球という場所は、宇宙にとって何なのか?
天風先生は、そんなことは分かった上で、宇宙を語り、私たちに何かを教えてくれようとしているのだと思うのです。
それを学びたい。感じたい。
考えるだけで、ワクワクします。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年3月25日(月) |
| 勝縁両忘 月曜担当…池田光 |
|
先週の土曜日(3月23日)に、『論語』の勉強会が終了しました。
この勉強会は、京大教授の指導で『論語』全文を読むというもので、2011年4月から通い始めて、ようやく全篇を読み終わったのです。
勉強会の方針は「漢文として正しく『論語』を読む」というもので、漢文に接するというのは、いろんな発見があって楽しかったです。
が、読んでいただくというのは受け身であり、やはり自分で読み直さなければと思っています。
先日、ある人生の先輩から、「勝縁両忘」という言葉をいただきました。
その方には、「勝縁」の色紙をお願いしていたのですが、「勝縁」だけでなく「勝縁両忘」と、わざわざ「両忘」の二文字を付け加えてくださいました。
池田には、「両忘」ということが必要だと配慮してくださったのでしょう。
『論語』に、こんな一文があります。
「発奮して食を忘れ、楽しみてもって憂いを忘れる」(述而第七)
と。
「両忘」とは、この一文にある、食を忘れることと、憂いを忘れることを指します。これら二つの「忘れる」ということを忘れてはならんぞ、と諭されたわけですね。
■食を忘れるとは、学ぶことに発奮せよ。「食事を忘れるくらいに」ということです。
■憂いを忘れるとは、志した道を歩むことに楽しめ。「楽しんで憂いを忘れよ」ということです。
僕はなかなか、食を忘れることはできず、憂いも忘れることができません。
「発奮して学べ」
「道を楽しめ」
僕の弱いところをピシッと指摘されました。
そして、この「両忘」ができないと、勝れた縁を生かす=勝縁には恵まれないぞと諭されたのです。
冒頭のように勉強会に通って、『論語』との縁ができましたが、これを勝れた縁にするには、両忘が欠かせないということでありましょう。
「勝縁両忘」は僕の心に深く残り、次の4月20日の潜学講座においても、この色紙を持参してお話するつもりでおります。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年3月22日(金) |
| 時の流れ。。。 金曜担当…小笹正洋 |
|
ようやく、お日様の出ている時間が長くなってきましたね。
そこで、時間について考えていましたら、
「シラー瞑想詩集」の引用から、以下の詩が目に入り、頭から離れなくなりました。
時間の歩みは三重です
ためらいがちに、未来はこちらにやってきます
矢のように早く、現在は飛び去り
永遠に静かに、過去は立ち止まっています
人間は、年をとるにつれて時間が早く過ぎて行くように感じます。
時間の長さは年齢に反比例する。
高齢者には時間が早く過ぎ去り、若年者にはゆっくりと過ぎる。
この現象を「ジャネの法則」と呼びます。
大切なのは、
未来でもなく、過去でもなく、
「いま」というこのひと時。
今日も、明日も、明後日も
「いま」を大切にする生き方をしていきたいですね。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年3月21日(木) |
| 勝利の女神 木曜担当…西端努斗夢 |
|
野球の世界一を決めるWBCで侍ジャパンは、残念ながらベスト4に終わりました。
スポーツの中で「勝利の女神が微笑む」と、よく言われますが、勝利の女神って本当にいるのでしょうか?
私はいると信じています。勝ち負けは、すべて女神さんが決めているのです。
どちらを勝者に選ぶか、女神さんが悩むことは滅多にありません。普通、何かよほどの理由がない限り、実力が上の方を勝者に選びます。
実力が拮抗していて、どちらが勝ってもおかしくない場合でも、双方のレベルが低い時は悩みません。
女神さんは気まぐれです。コインを投げて表が出るか裏が出るかといった程度の簡単な決め方で勝者を選んでいます。
女神さんが悩むのは、高いレベルで実力が拮抗した時です。悩んで悩んで悩み抜いた末、最後は女神さんの気に入った生き方、考え方をしている方を勝者に選ぶのです。
時々、私たち人間の目線から見たら納得のいかない、不思議な裁定を下すこともありますが、これも女神さんなりの意図があってのことのようです。
どちらにしても、日頃から高いレベルで戦える実力養うのはもちろん、それと同時に勝利の女神様に好かれる生き方を私は心がけています。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年3月20日(水) |
| 宇野千代 水曜担当…沢井淳弘 |
|
前に宇野千代のことをかきましたが・・・また、いろいろ思い出しました。
宇野千代が天風会に入った頃、宇野はすでに70歳近かった。会員のなかには「昔は美人だと言うが、なんだあんなお婆ちゃんか」と不見識なことを言う人もいましたが、なにしろ宇野千代は、そのころ齢をとって老眼がすすみ、大きな黒ぶちの眼鏡をかけていましたからね。
ところが若いころの宇野千代は、たいへんな美人だったそうです。
本郷のカフェで女給仕をしていたとき、多くの文士たちが、彼女を目当てにそのカフェに集まってきました。大正から昭和にかけての文壇で、それはにぎやかな話題となったそうです。
女流の作家までが、彼女の美貌をひと目見ようとカフェにやってきて、その感激を随筆に書いているくらいです。
本郷3丁目にあったというそのカフェは、「燕楽軒」といいました。宇野さんは「本郷のクイーン」というあだ名までつけられたそうです。
文芸評論家の河野亮は、
「じっと見つめずにはいられないような美人だった」
と書いています。
梶井基次郎は伊豆に逗留中、川端康成に宇野を紹介されて、彼女が好きになり死ぬまで憧れを抱いていたようです。当時馬込にあった宇野の自宅を、毎日のようの訪れたといいます。
今東光も例のカフェの常連で、彼女にデートを申し込んだことがあります。そのデートの話を聞いた芥川龍之介が「葱」という短編小説を書きました。その一節にはこう書かれています。
「(宇野さんは)色が白くて・・・美人で・・・忘れな草の簪(かんざし)をさして、白いエプロンをかけて・・・自動ピアノの前に立っている所は、とんと竹久夢二君の画中の人物が抜け出したようだ」
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2013年3月19日(火) |
| 「3月潜学講座報告」 火曜担当…坂本欣也 |
|
3月16日の潜学講座は、第一期最後の講座でした。
最後の締めとして、池田塾長、沢井学監からの講義をいただきました。
一年間を振り返りながら、感慨深い回となりました。
まずは、池田塾長からの「第一期潜学講座の卒業について」と「湧くわく本心塾 第二期の考え方」についてお話がありました。
卒業者は第一期の潜学講座全13日のうち7日以上の方々で、4名の該当者がいらっしゃいました。
その皆さんは、講座の最後に卒業証書を受け取られていました。
本郷さん、黒田さん、宇田さん、秦さん、おめでとうございました。
第二期の考え方については、1)第二期潜学講座の内容、2)照隅ライブラリーの第2弾の出版、3)リーダーシップ研修の準備、5)各地講座の実施、6)認定講師育成講座の実施、7)CD『中村天風から教わったお鈴・ブザーを使う瞑想法』のパンローリング社からの発売について、説明がありました。
続いての本講義では、「中村天風の言葉に見る、『気』の思想」と題し、湧くわく本心塾の二本柱である「天風哲学」と「儒教」について、その共通性の観点から教えていただきました。中村天風先生の講演からの言葉を著した書籍のみから抜粋した純粋な言葉を基に、儒教、特に朱子学との共通性を解説いただきました。この2つの側面から真理を説いていただいたので、以前にも増して理解が深まり、両哲学に対する更なる興味を持てました。
私が特に印象に残ったことは:
?「雑念も妄念も取り除けて、本然の心の殿堂をつくってやると、そこへフウッと霊魂が安住する状態になるという原理を応用してあの座禅ってものは始まった。」 『成功の実現』より
儒教では、この「本然の心」が、「本性=本心」にあたる。
?「心を汚すと、そのお力を頂戴する受け口をふさいだことになる。」 『成功の実現』より
儒教では、本心の周囲に気質が存在し、この気質が「欲」で濁らないよう清い状態にする必要性を説く。洗心。
仏教では、この「欲」すなわち「煩悩」を完全に取り除くことをすすめるが、両哲学は、「欲」を全否定せず、気質を限りなく清い状態にすることをすすめる。さらに、天風実践哲学では、瞑想法や体操など、濁を清にする実践方法も教えてくれるのである。
?「無念無想の境涯こそ、霊性意識の中から本当に強い力がでてくる。」 『心に成功の炎を』より
無念無想の境涯をつくるために、瞑想が有効
霊性意識=本心の中から、本当に強い力=信念が湧き出てくる
つまり、信念を持つには、心を無念無想の清い状態にしておかねばならない
これらは、今回ご紹介いただいた中のほんの一部です。この学びを通して、共通性が多いことを改めて学びました。そして、普遍的真理・法則であるからこそ、共通性も多いのだと自分なりに感じました。
また、沢井学監が、天風先生は武家の出身なので、幼少の頃に儒教を学んでいたであろうと仰いまいした。確かに、考え方に共通する部分は多く、さらにインド哲学・ヨーガを会得したことで、その二つが融合され、より深く大きなものに発展していったのではないかと、私は推測しました。
第二部は、沢井学監による、「セルフマッサージ」と「呼吸法」についての、実演練習をしていただきました。
参加者全員も立ち上がり、学監のマネをして練習しましたが、気が付けば体がポカポカと熱くなり、気の巡りが良くなっている感覚を覚えました。簡単で楽しく、これなら続けられると思えました。
特に、歯茎マッサージや耳マッサージは、鼻の上あたりにある蝶形骨を刺激することで、脳を刺激し、ウィルスに強いホルモンを分泌するそうで、簡単で効果的なマッサージであるとご紹介いただきました。
詳しくは、沢井学監著の『天風哲学の基本と実践 わが師中村天風から学んだ心身統一法』に記されてあります。
第二期潜学講座では、この本を基に、天風哲学の基本を沢井学監から直接学べる予定なので、今からとても楽しみです。
池田塾長、沢井学監、貴重なご講義を有難うございました。
最後にこの一年を振り返って、一人ひとりが感想を述べました。
共通部分としては、仲間・同志がいることで、人間としての成長と学びが更に深まり、そして継続できた大きな要因であったことです。
まさに、
儒教の説く:徳不孤、必有鄰(徳は孤ならず、必ず隣あり)
天風哲学の説く:不孤(孤ならず)
ですね。
皆様、一年間本当にありがとうございました。
また第二期も宜しくお願いいたします。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年3月18日(月) |
| カラオケ@広島 月曜担当…池田光 |
|
その夜、僕が修行したのは、広島でした…。
株式会社サクセスブロッサムの熊本すなおさんが「7周年感謝企画 未来開花セミナー」を開催されるというので、3月10日、僕は広島に駆けつけました。
なんと、定員を大幅に超えて、81名の参加者が集っておられました。
セミナーが終わると、30名以上が、懇親会に…。
そして、懇親会が終わった後で、僕の修行が始まりました。
じつは、広島に行くにあたって、熊本さんにこんなメールを入れていたのです。
「僕は、昨年よりカラオケを始めました。
カラオケは、僕にとって<なりきる>という修行です。
ぜひ、修行の場をセットしてください」
と。
まったく、こんなお願いをするとは、こん外道(非常識な人)ですが…。
すると、
「元ボーカルをされていた、○○社長にお伝えしましたら、
お待ちしてます、とのことですよ」
とのご連絡がありました。
元ボーカルという一言に、にわかに緊張が走るが、
「最高の修行の場だ」
と平静を装う。
道場は、
かつてピアノの先生をやっていたという美人ママが経営する「SONGS白川」。
名刺を改めて見直しても、
「スナック」ではなく、「SONGS」の文字が…。
(ママの写真はどれか、だいたい想像がつくでしょう)
僕は、4曲歌いました。
1曲目は、気持ちがうわずってしまい、曲より早く歌ってしまいがちに。
「落ち着け!」
と瞑想する。
元ボーカルの社長が、席から立って歌われる。
さすがに…。
誰かが、ママとデュエット。
倖田來未 & EXILEのご本人の映像が映し出され、「WON'T BE LONG」。
これがノリノリで、迫力満点で、かっこいい。
そんななか、2曲目を歌う。
数人が歌ったあと、
「もう、この人たちはいいから、どうぞ、歌って…」
と、ママがリモコンを差し出す。
ぼくが修行のためにカラオケしていることは、周知の事実になっているのです。
そんなとき、誰が入れたのか、美空ひばりの「愛燦燦」が流れる。
「ママ!」
と声がかかり、マイクがママのもとへ。
「もう」
と優しく睨みながら、ママが歌うと、そのうまさに聞き惚れてしまう。
そして、僕は3曲目に入る。
「立って歌ったら」
と促され、ここで僕は、ようやく<なりきる>ことに、なんとか成功したのでした。
深い学びをした…、と思いつつ、気を抜いていたとき、
僕にエンディングの歌をとの要請が。
「しめくくりにふさわしい歌にするか、別の歌にするか」
と一瞬迷ったが、別の暗い歌を選んでしまった。
その配慮を欠いた自分に、その夜は反省することになる。
思うこと、多々あるも、ただその日の己の至らなさに恥じ入るばかり。
広島のみなさま、本当にありがとうございました。
心から、感謝しております。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年3月15日(金) |
| 雨のち・・・ 金曜担当…小笹正洋 |
|
15年程前に、親知らずを抜いた。
痛くて痛くて我慢出来ず、歯医者さんに行って、親知らずを抜いて貰いました。
抜いた後の感覚は、抜く前と比べると、別人になったかのように、清々しい気持ちでした。
「虹が欲しけりゃ、雨は我慢しなきゃいけない」
とは、よく言ったものです。
今ある試練は、その次に来る
愉しみのためにある。
そんなところでしょうか。
今また、1本の歯が痛む。。。
また、虹を見るために、雨に打たれないといけないのか。。。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年3月14日(木) |
| 311から2年 木曜担当…西端努斗夢 |
|
今月11日は東日本大震災から丸2年ということで、マスコミは被災地の今を様々な角度から伝えていました。
それを見て、なぜか私は、やるせない複雑な気持ちだったのです。
マスコミは本当に伝えなければいけないことを私たちにどれだけ伝えてきたのでしょうか?
世の中はたくさんの情報で溢れていますが、私たちは本当に必要な情報をどれだけ得ているでしょうか?
この震災を契機に私たちは今まで以上に、学び、成長し、自立しなければいけないと思います。そうでなければ、震災で犠牲となった方々に申し訳が立ちません。
そう思うと、じっとしていられなくなります。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年3月13日(水) |
| 歌の暗示力 水曜担当…沢井淳弘 |
|
歌の好きな人、上手な人は、幸せなるかな! ただ歌を好きで楽しんでいるだけで、自然に「聞く力」が養われているからです。
「聞く力」それに「見る力」を研く人は、官能を啓発し、認識力を強くします。
現代人は、知識をつめこんだり、むつかしい学問をやることに、なにか至上の価値があるかのように、錯覚しています。それ以上に、認識力をたかめることに努力しないと、思考そのものが貧弱になり、そもそも人生において幸せになれない。
そこで、私は「聞く力」をのばすために、音楽を思いついたわけです。そして、とくに「歌」というものが「聞く力」を伸ばすうえで、たいへん効果的だと気づいたわけです。しかも「歌」というものは、なによりも楽しい。あるいは、それ以上に、「歌」を歌いたいというのは、人間の本能的なものではないかと、思います。ステキな歌を聞くと、それが歌いたくなるというのは、本能ではないでしょうか?
昔私は、歌というものは、歌手がどんどん歌っていって、伴奏者はその歌の景気づけに音をかなでているのだ、と思い込んでいました。なんというバカでしょう! ほんとうは、歌い手と伴奏者は協同して、音楽のハーモニーを創りだしているんですね。そのために両者は相手の出す「音」「声」を「聞かなければ」ならない。このことを私は、加藤ますえさんから教わりました。
今私が不思議だなあ!と思っていることがあります。それは、歌がものすごい暗示力をもっているという事実です。なぜだろう? だれか教えてください。
私は、子供の頃から70歳をすぎる今日まで、いわゆる流行歌というものを聞いたことがありません。信じてもらえないかもしれませんが・・・武士の血を引くわが家では、流行歌をきくことは御法度でした。ところが、子供の頃に街で聞いたり、人の家で聞いたりした流行歌とか歌謡曲が、いい齢をとった今になって、実に懐かしく心の中に甦ってくるのです。どこかで、いつのまにか、心の奥に染み込んでいるんです。その暗示力がどこかで私を支配していることは必然で、とにかく感じるんです。メロディーのついた肉声の歌の暗示力――これはどこから湧いてくるのかな?
ビートルズなんて、はじめから私は関心がなかった。ところが・・・Yesterdayという曲がいつのまにか、私の記憶に染み込んでいて、とてもいい曲だなあと、このごろ思うのです。ある人に、あの曲はビートルズの作曲したものだ、と教えられてビックリ! しかも歌詞を調べたら、この歌詞がまたとてもいいんです。Yesterdayの歌詞は、失恋の体験を、じつに軽快に明るく歌っています。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2013年3月12日(火) |
| 「安心の力」 火曜担当…坂本欣也 |
|
「やる気を出せ!」と上司が部下を叱る。
すると、部下は、「はい!」と言い、やる気を見せる。
しかし、そのやる気は、長く続かない。そして、また上司が部下を叱る。
なぜか?と、私は考えました。
やる気の前に必要なものは、何だろうか?
それは、「自信」だと思いました。
自分は、人や世の中の役に立っているんだ。
自分には、存在価値があるんだ。
と自分を信じる心、だと思いました。
そして、自信を持つには、何が必要か?
と、考えました。
それは、「安心」だと気づきました。
自分は、周囲の人々に守られている。
もし自分がミスをしても、誰かが助けにきてくれる。
斬新で画期的なアイデアを会議で発表しても、温かく受けとめてもらえる。
深い部分で、周囲の人々は私を理解してくれていて、つながっている。
もっと、天風哲学的に大きく言うと、宇宙霊に守られている。という感覚。
やる気の前に自信。自信の前に安心。
人は根底に安心感、そして大義を持った自信があると、
本気の継続的なやる気が本心から自然と湧いてくる。
「安心⇒自信⇒やる気」の法則
私は、研修の中で、この法則を説明したうえで、
「皆さんの職場には、安心がありますか?」
「お互い守りあい、理解し合い、つながり合っている、と思える職場ですか??」
「リーダーとして、メンバーとして、場に『安心』をつくり出す言動をとっていますか?」
と訊ね、考えてもらいます。
一方、私自身、「安心」を周囲に与えることができているか?と自戒します。
できていない時が多いことに、気づきます。だから、意識し、努力しなければなりません。
「安心⇒自信⇒やる気」の法則
には、続きがあります。
これは、また別の機会にお話しさせていただきたいと思います。
ありがとうございました。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年3月11日(月) |
| 3月11日 月曜担当…池田光 |
|
今日は、黙とうから始めたいと思います。
2年前のこの日、僕は須磨の事務所にこもって、本を書き始めました。
『渋沢栄一 逆境を生き抜く言葉』です。
この日がなければ、湧くわく本心塾を始めることもありませんでした。
本日の僕は、広島にいます。
この文章は、土曜日に書いて、西端さんにメールしました。
そして、日曜日から一泊二日で広島にでかけているのです。
広島には、僕が支援している方の7周年のセミナーがあるので、
その応援のために出かけたのですが、
その道々、僕はこれから書く本のことを考え準備するつもりでいます。
2年間、僕は単著を出していません。
この間は、「潜学」というと大げさですが、『論語』を開いたりしながら、少し内面にひたっていました。
今年から、執筆を再開しようと思います。
2年前に本を書き始めたのは、3月11日だったし、
これから本を書こうとしているのも、3月11日です。
動き出したいと思います。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年3月8日(金) |
| 言葉の香り。。。 金曜担当…小笹正洋 |
|
他人を幸福にするのは、
香水をふりかけるようなものだ。
ふりかけるとき、
自分にも数滴はかかる。
(ユダヤの格言)
シンプルな言葉ですが、
この言葉に目が釘付けになりました。
香水と同様に、暫しの時間、
この言葉の持つ香りが
頭の中を占拠していました。
普段自分たちが使っている
言葉も同じなんだろうな、
ふと、そう感じます。
他人に使う言葉も
自分にも数滴はかかる。
否、数滴どころか、
出るところ(口)は一つですが、
入ってくるところ(耳)は、二つある。
言葉も、その人の思いや魂を
音にして発するエネルギー。
正の言葉を発すれば、
自分にも正のエネルギーを浴びる。
負の言葉を発すれば、
自分にも負のエネルギーを浴びる。
災いがあっても、
難が有って、有り難う。
よい事があれば、
お陰さま。
こんな風に思いながら、
言葉を選べることが
実は一番の幸せ
なのかもしれませんね。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年3月7日(木) |
| 10年、偉大なり。20年、恐るべし。30年、歴史になる 木曜担当…西端努斗夢 |
|
湧くわく本心塾が発足して1年が経ちました。この1年間、いろいろな方にお世話になり、本当にありがとうございました。
イエローハットの創業者・鍵山秀三郎氏から「10年、偉大なり。20年、恐るべし。30年、歴史になる」という格言を聞いたことがあります。
湧くわく本心塾がこの格言の域まで達することができるかどうかは、2年目を迎えたこれから1年にかかっているような気がします。
特別なことや大きなことをするのではなく、当たり前のことを当たり前に、目の前の凡事を丹精込めてコツコツ積み重ねていくことが大切だと思います。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年3月6日(水) |
| 聞く力 水曜担当…沢井淳弘 |
|
先日のブログで、池田塾長が、歌について熱情をもって語られました。
それを受けて、最近歌について私が思ったこと、考えたことを、ここに記します。
私が歌をはじめたことについて、塾長は「鮮烈な体験」と表現されています。それは私への敬意をこめて選ばれた表現でしょう。
しかし、私がこの齢(74歳)で歌を始めたのは、「鮮烈」などというような、美しいものではありませんでした。でも、そのようなことは、個人的な瑣末なことだから、ここには、それ以上書きません。
最近、私はつぎのようなことに気づきました。
実は、この「歌う」ということが、天風哲学の主要な部分に関わってくる、ということです。
なぜなら、「歌う」ことは「聞く力」をみがくことだからです。天風哲学は、五感を研くことを重要視します。だから「聞く力」を養うことは大切なことです。
「歌う」と「聞く」はちがう、と思われますか? 同じことなんですね。
私たちは、なにかの歌をうたうときに、まず好きな歌を「聞く」ことからはじめるものです。そして何度か聞いた後、歌いたくなり、歌うのです。
そして、カラオケで歌う場合は、まずそのイントロを「聞き」ます。
次に、歌いながら伴奏を「聞き」ます。間奏を「聞き」ます。最後には、エンディングを「聞き」ます。
つまり、歌のはじめから終わりまで、ずっと「聞き」つづけているのです。
またカラオケでは他人の歌も「聞き」ます。(ときどき他人の歌を聞かない失礼な人もいますが・・・私は絶対に心をこめて聞きます!)
「五感をみがく」ということは、天風哲学のひとつの柱です。瞑想や「ことばの自己暗示」の次くらいに重要なものです。このことは『実践 中村天風 困ったことは起こらない』に書きましたので、ここでは詳しく述べませんが・・・
「聞く」というのは五感のひとつで、しかも大事なものです。
「見る」と「聞く」が五感のなかでも重要なものです。それは「見る」「聞く」ということができないと、どんなことが人生に起こるかを考えればすぐに分かることでしょう。人生は闇にとざされます。思考が成り立ちません。
見たり聞いたりすることによって、人はそれらを材料にして物を考えることができ、人生に活動できるのです。
天風は「見る力」「聞く力」を増大させることによって、悟りを完全なものにできると考えました。それで、戦前、人に教えるにあたって、「五感をみがく練習」というものを、修行に中心にすえられました。「聞く力」をみがくためには、かすかな時計のカチカチという音を聞く練習などをさせました。天風自身もかすかな音を聞く訓練を、自らに課していました。
しかし、この「五感をみがく練習」なるものは、なかなか面倒くさいものでもあります。第一、時計の音を聞いて、楽しいでしょうか? これを日常のなかで実行する人の少ないことを知って、天風はそのかわりに瞑想を修行の中心にすえるようになりました。
そこで、私は歌うことによって、人は「聞く」行為をつづけるのだから、歌うことは「聞く力」を養う上で、とてもいいものだと気づいたのです。歌はなんといっても楽しいから。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2013年3月5日(火) |
| 「バイキング」 火曜担当…坂本欣也 |
|
先日、家族でバイキングを食べに行きました。
しばらくすると、ある事に気づきました。
周囲のテーブルを見渡して観ると、他のお客さんの一人ひとりの顔が笑顔ではないのです。
家族や友人同士などでテーブルを囲んでいるのにも関わらず、
食事や会話を楽しむというよりも、目の前の料理に食らいつき、必死になって食べている。
そんな顔・姿ばかりに見えたのです。
そして、我に返り、自分自身を見て、何故そんな風に見えたのかの原因が分かりました。
私がそんな顔・姿をしていたのです!
その後は、食事や会話を楽しむようにしました。
すると、周囲の人たちも笑顔になり、楽しそうに見えました。
現象は、自己が映し出した姿。
そう見えるかどうかは、自分の心次第。
三省を忘れてはいけないと、また自戒しました。
ありがとうございました。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年3月4日(月) |
| 3月の気合 月曜担当…池田光 |
|
2月初旬から風邪ぎみだったのですが、中旬を過ぎると比較的良くなり、このままスッと治るだろうと思っていました。
下旬に、名古屋で沢井先生とおちあい、例によってカラオケしました。
その後、喉の痛みが残って、
「カラオケ性気管支炎にでもなったか」
と…(笑)。
こんなふうに、2月はいささか体調不良だったのですが、3月に入ったので復活するだろうと思っています。
僕の誕生月は4月で、このあたりの3~5月というのは、僕にとって一年でいちばん元気が湧いてくる期間です。
3月から徐々に調子が上向きになっていき、これと歩調をあわせて、例年、意欲が高まっていきます。
…まだ、僕はこの世から必要とされているようで、今年になって、いろんな方面から仕事のお話がありました。
やりたいことや、やらねばなせないことが、山のようになっています。
気合を入れないと、これらの課題を年内に消化できません。
いただいた課題をやり遂げることで、新しいステージに立てそうな気がいたします。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年3月1日(金) |
| 最悪の事態は・・・ 金曜担当…小笹正洋 |
|
2月に観賞した映画を見て感じたことです。
「ライフ・オブ・パイ」~トラと漂流した227日
という作品です。
動物園を営む家族が、動物たちと共にインドからカナダに向かう途中、舟が嵐で沈没し、奇跡的に少年と虎とが救命ボートで命拾いし、漂流の末に大陸にたどり着き、少年が無事生き延びた。
少年と虎との言葉が通じない中で、お互いが生き延びていくために心を通わせあう中で、いろんなことを感じさせられる。
それにしても、
何故、生き延びることが出来たのか。
こんなお話しを思い出しました。
観賞魚を大量に輸入する際に、輸送に使う船に沢山の観賞魚と一緒にピラニアも少し混ぜて入れるそうです。
ピラニアは、凶暴な肉食魚です。
そんな魚を鑑賞魚と一緒にして、鑑賞魚が食べられてしまわないかと心配になりますが、確かに食べられてしまいます。
じゃあ何故そんな無駄な事をするのか?
これが無駄ではないからなのです。
船で長い時間をかけて鑑賞魚を輸送すると、目的地に着くまでに病気や体力の低下で死んでしまう魚も少なくありません。
しかし、不思議な事にピラニアを一緒に水槽に混ぜると、その数が少なくなるのだそうです。
どうやらピラニアの存在の為に、鑑賞魚の方も緊張して必死に生きようと頑張るかららしいのです。
結果的に、ピラニアに食べられてしまう鑑賞魚の数よりも、ピラニアを混入する事によって何とか生き延びようとする鑑賞魚の生存率アップの方が大きいので、ピラニアを混ぜた方が売り物として残る観賞魚がより多く確保できるということのようです。
同様な事は、トラックで活魚を運送する時にも行われているようです。
生きていく中で、いろんなことが起こります。
その中でも、招かれざる出来事もあるでしょう。
それでも、そういうことも上記のお話を考えると、
決して無駄なことばかりじゃない。
生きていく上での力になる事にもなり得る。
そう、「困ったことは起こらない!」ですね。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年2月27日(水) |
| 本心と自分で相談して決めるもの 木曜担当…西端努斗夢 |
|
先日、ある重大な決断をしてしまいました。
決断し、行動に移した後で、「本当にこれでよかったのか? 相手はどう受け取ったのだろうか? 他の人にはどのように映っているのだろうか?」といった思いが次々と浮かんできたのですが、もうあとの祭り。どうしようもありません。
不安な気持ちでいると、ふと言葉が聞こえてきたような気がしたのです。
「OKかOKでないかは、法律で決めるのではない。世間の常識で決めるのでもない。ましてや、他人が決めるものではない。本心と自分で相談して決めるもの」
ほんの少しだけ気が軽くなった、不思議な体験でした。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年2月27日(水) |
| 天風と宇野千代 水曜担当…沢井淳弘 |
|
宇野千代は天風についての印象をエッセイに書き、文芸雑誌になんどか発表しています。天風の亡くなる前の年、昭和42年には『小説新潮』に「真の気力」と題して、
「天風先生は気力の親玉・・・」
と書いています。
実際、天風という人は、「ケンカをすればだれにも負けない」という印象をあたえる男でした。宇野千代の女中さんが、ある人に「私は何も怖くありません。私は天風という世界一強い人を知っていますからね」と話したことが、なぜか世間に広く知られたことがあります。その女中さんの単純な物言いが、天風という人間の本質をついていたからです。私はそれを聞いて、実に愉快を感じました。
宇野千代は、16歳で岩国の女学校を卒業して、小学校の代用教員になりました。
そこで、同僚の男性教師と恋に落ち、職を辞すのやむなきに至っております。
そのあとすぐに、当時三高生だった従兄と結婚しています。京都の知恩院の近くに下宿し、貧しい暮らしを体験しています。その従兄が東大に進学したので、一緒に東京に出ましたが、二人の生活は苦しく、宇野は生活費をかせぐために、いろいろな職業につきました。
一時期、東大の近くの本郷のカフェで、女給仕として働きました。夫が卒業して札幌に勤め口をえたとき、札幌へ行きました。札幌で彼女は『中央公論』の懸賞小説に応募します。その結果がなかなか分からず、彼女は上京します。
「東京で一泊したら、すぐに札幌に帰ってきますからね」
と、夫と固い約束をし、駅頭で涙の別れをしました。ところが・・・
東京に出て、中央公論社をたずねると、宇野千代はなんと懸賞小説に1等で入選していたのです。2等に入ったのは尾崎士郎でした。編集長からすぐに尾崎を紹介され、二人は知りあうや、たちまち恋におちます。その夜、尾崎が泊まっていた旅館に、宇野は泊まってしまい、二人は同棲生活をはじめます。札幌の夫は捨てられたことになります。宇野は夫になんの連絡もしなかったそうです。これはちょっとひどいですね。
宇野千代の恋愛は、しばしばそのように、突然の激情に身をゆだねてしまうことが多かったようです。
東京で宇野千代は作家活動にはいりました。やがて、尾崎との関係が破綻し、画家の東郷青児と恋におちます。数年を経て東郷とのあいだが決裂し、年下の若い作家、北原武夫と恋愛し結婚します。そして、何年かのちにまた離婚しています。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2013年2月26日(火) |
| 「運を運んでくる力」 火曜担当…坂本欣也 |
|
先日の日曜日「アスリートフォーラム『奈良発 スポーツの力』」という、奈良にゆかりのあるトップアスリートの5名が参加された講演会を観に行ってきました。
ロンドンオリンピック・ボクシングで金メダルを獲得した村田選手、サッカー元日本代表で今は指導者の柳本氏、シドニーパラリンピック・車いすバスケットボール元代表の根木氏などです。
私が一番印象に残ったのは、司会者の「自分は運がいいと思いますか?」の質問に、全員が手を挙げてからの話です。
全員が、その運とは「人との出会い」だと話されていました。
教えチャンスを与え、引き立ててくれた監督・コーチ、支えてくれたチームメイト、応援してくれた家族や友人たち、などとの出会いがあって自分たちはここまで来れたんだ、とそれぞれのストーリーを語られました。
私はその時、直接は関わりの無い人々とのつながりもあろうとも思いました。テレビの向こうで応援してくれているサポーター、社会全体。更には、宇宙霊やご先祖さまも。成功者とは、そんな他の力・エネルギーを自分の力・味方にすることが出来る人。
運とは自力に対して他力?
実力があっても、伸びていく人と行かない人の差はなんなのか?
自力を育て伸ばしてくれる、他力をどう運んでくるのか?
彼らはそのヒントを教えてくれました。集約するとこの3つ。
「毎日の努力」「素直な心」「楽しむ心」
私も、これまでの人生でも、湧くわく本心塾でも、たくさんの素晴らしい方々と出会わせていただき、学びとエネルギーをいただいています。今後はこの3つを更に意識し、「運を運んでくる力」を養い続けていきたいと思います。
忙しいスケジュールの中、集い、素晴らしい言葉で教えて下さったトップアスリートの皆さんに感謝し、益々のご活躍をお祈りしたいと思います。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年2月25日(月) |
| 孝について 月曜担当…池田光 |
|
■先祖の守護
先日、出かける直前のこと。
あるテレビ番組の録画予約をしようとしたら、誤って別の番組を予約してしまいました。
時間が切迫しているなかで、慌てて取り消そうとしていると、携帯電話にメールが…。
そのメールには、
「本日、14時より、○○○系にて、○○○というドキュメントが放送されます。
もし、お時間があればご覧ください。
報道記者として現場に密着する友人が、今回は渾身の思いを込めた取材であったことを語ってくれました…」
という文面。
メールの送り主は、東京に住む友人からのものでした。
じつは、僕が誤って予約した番組が、このドキュメント番組だったのです。
なので、予約を取り消すこともなく、無事に出かけることができました。
目的地に向かう途上で、ふと、「何日か前にも、似たような偶然があったな」と、思い出していました。こんなお話です。
一週間ほど前に、ある会合に出て、Aさんという方に会いました。
その会合の翌日のことです。
ふと気がついて見ると、僕の携帯電話に着信記録があるのです。
懇意にしているご年配の社長からのものでした。
すぐにかけ直しました。すると、社長から、
「間違えて電話してしまったんや。すまん」
というお返事。
その社長とは15年来のお付き合いですが、間違い電話は初めての経験です。そのまま、電話を切るのも素っ気ないので、
「昨日、Aさんとお会いしました」
と報告しましまた。
Aさんは、その社長とのつながりで知り合った方です。なので、お礼のような感じでご報告して電話を切ったわけです。
すると、数分後にその社長からお電話がかかり、
「Aさんとはあまり深く交流しないほうが良いですよ」
と、忠告がありました。
じつはその時、Aさんに一つの仕事をお願いしようとしていた矢先でした。
もちろん、忠告を受けて仕事の依頼をいったんやめました。それが、正解だったことは、あとでわかりました。
僕には、このようなことがよく起こります。
子供のころからそうなので、ことさら不思議なことだとは思っていません。
ただ、漠然と「守られている」と感じています。
人から、
「不思議な体験をされたことがありますか?」
「スピリチュアル体験はありますか?」
と訊かれても、
「そんな体験はないです」
と答えていました。
また、
「私にはよく不思議なことが起こるんです」
という話をしてくれる方が現れるのですが、中身を聞くと、それくらいの出来事は当たり前じゃないか、と思えることがしばしばです。
「私は高級な守護霊に守られている」
というような言い方をされた人がいたのですが、僕はそれを聞いて、
「なるほど、こういうのを守護霊と言うのか」
と感心したことがあります。
僕の実感としては、先祖が守ってくれているという感じでした。
祖母などから、
「光っちゃんは、ご先祖さんから守られている」
とよく言われていました。
近所の方からも、
「ご先祖さんが良いんやねえ」
と言われていたので、僕には、守護霊という観念はなく、先祖という観念で「守られていること」を受けとめていました。
そして、このことを当たり前だと思っていました。
というのは、子孫を守ることが、先祖の役割だと受けとめていたからです。
僕が死んだら、今度は僕が次の世代を守るのだけのことであって、「これは順送りなんだ」と思っていました。
だから、守られて当然だと思っていたのです。
いまはどうかというと、先祖の「守る力」を、僕の一代で使い果たしてはいけないと思っています。
そして、いろんな方々のことを聞き、知るなかで、先祖に感謝するようにもなりました。
先祖への感謝の気持ちは、具体的には、
① 実際に人間の形で出会った近い先祖である、祖父母と両親への「孝行」
② お墓の形で出会った何代も何十代も前の先祖への「祈り」
の二つになると思います。
これら、二つをまとめて、「孝」と呼んで良いようにも思います。
もちろん、儒教で言うところの「孝」のことです。
孝とは、近視眼的に見ると、親孝行という道徳的な観念になります。
しかし、過去を遠く眺めると、先祖への祈りという宗教的観念になるように思うのです。
■「孝」とは何か
近視眼的に見た「親孝行」という道徳的観念からだけでは、本当の「孝」の気持ちは湧き上がってくるものではありません。
「親孝行しろ」と押しつけてくる道徳というものを、僕はあまり好きではありません。
僕は、ふつうに親には敬意をいだいていますが、親を道徳の対象として孝行を押しつけられると、うるさく思えてきます。
また、どこか、ウソっぽい嫌悪感をいだくのです。
ところが、過去を遠く眺め、連綿として受け継がれてきた「いのちの連鎖」としての先祖を思うとき、そこには道徳的な観念を超えて、何か祈りたくなるような気持ちが僕に湧いてきます。
それは不思議なことに、これから先へと繋がっていく、「いのちの連鎖」としての子孫への祈りの気持ちと重なっています。
先祖を祈っていたはずなのに、いつの間にか、子孫をも祈っている…。いや、そうではなく、連綿とつながっている、いのちの連鎖そのものを祈っている…。
そう考えると、孝とは、
③ いのちの連鎖としての、現実に交流することのできる子供や孫、そしてまだ見ぬ子孫への「祈り」
でもあるのです。
つまり、孝とは、
① 祖父母、両親への孝行
② 先祖への祈り
③ 子孫への祈り
を含む概念であり、このようないのちの連鎖という、不思議なつながりへの畏敬の念にほかなりません。
僕は、
「親孝行しろ」
と押しつけてくる人を、「いのちへの畏敬の念をいだいた人」だとは思いません。
そうではなく、神社でご先祖や子供のことをひたすら祈っている姿を見ると、そこに「孝」の精神を見ます。
孝を、「子→親」という小さなベクトルだけでしか考えないとすると、表層的な観念に終わるのではないでしょうか。
孝とは、
・「子→親」だけでなく、
・「子→親→その親→そのその親→そのそのその親……」であり、
・「親→子」であり、
・「親→子→その子→そのその子→そのそのその子……」であるのです。
孝とは、「いのちの連鎖」への畏敬の念がベースにある、……これが僕の「孝」についての仮説です。
そして、いのちの連鎖を前提として、「親→自分」へのいのちの継承、「自分→子」へのいのちの継承という、「継承体験」こそが孝の原点である…。
そうだとすると、こんなことが言えます。
いのちが繋がっていく限り、常に「孝の原点」は、再発生し続けていると。
つまり、「原点」は、遠くにあるのではない。また、どこかにあるのではない。自分の体験として、あるのです。
だから、「孝」は過去の概念ではなく、常に新鮮な、自分に発生するところの、実存的な概念なのです。
まとめると、孝とは、過去→現在→未来へと続く、縦のいのちのつながりに対する概念です。
では、配偶者、兄弟姉妹、親友、知人、同朋、人類といった横のいのちの関係は、どういう概念で現わされるのでしょうか。
また、横のなかにも、トップや上司とか、部下といったヒエラルキーがあります。これらとの関係は、どういう概念で現わされるのでしょうか。
もちろん、儒教にその概念はありましょう。
また、我々の個々のいのちを支えてくれている、大いなるいのちとも言える「天」との関係はどうなのでしょう。
これにも概念はありましょうが、いずれの機会に論じることにしましょう。
しかし、そう考えると、飛躍しますが「いのちの観点から見た儒教」という見方が出来上がってきそうな気がいたします。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年2月22日(金) |
| 「流れる時間の中で・・・」 金曜担当…小笹正洋 |
|
「荘子」という中国の古典の中で、紀悄子という鶏を育てる名人が、王から預かった鶏を最強の軍鶏に育てていくエピソードです。
紀悄子に鶏を預けた王は、10日して仕上がり具合についてたずねた。
紀悄子は、『まだまだです。空威張りして、むやみにやる気だけ見せているだけですからいけません』と答えた。
さらに10日して再度王がたずねると 『まだいけません。他の軍鶏の声や姿にいきりたってしまいます』と答える。
また10日して王がたずねると、『まだです。目を怒らせて自分の強さを誇示しているから話になりません』と答える。
そして10日経過後王がたずねると 『もう良いでしょう。他の軍鶏が鳴いても、全く相手にしません。まるで木彫りの軍鶏(木鶏)のように泰然自若としています。その徳の前に、かなう軍鶏はいないでしょう』と答えた。
私はこの話しが好きで、
何度読んでも、その都度、
自分の発奮材料になります。
今の自分はどうなんだろう。
本当の勇気とは、
真の力とは、
それがどこから湧いてくるのだろうか。
周囲は目まぐるしく動いている中であっても、
ふと立ち止まって、そんなことを思索にふけれる時間が、
今の自分にとって非常に貴重なひと時です。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年2月21日(木) |
| 御飯を食べたら食器を洗え 木曜担当…西端努斗夢 |
|
私の楽しみの一つに、毎月送られてくる立花大敬さんの「しあわせ通信」を読むことがあります。もう10年以上続いていて、これまでの「しあわせ通信」をまとめた本(http://www.honsinan.jp/)も愛読しています。また、詩や書画も味わい深くて大好きです。
そんな立花大敬さんが書かれた色紙の中に「人生は流れ作業 御飯を食べたら食器を洗え」という言葉があります。私は長い間、その言葉の意味がわかりませんでした。
最近になって、どうしたら自分の天命を知ることができるかを考えた時のことです。
もしかしたら「御飯を食べたら食器を洗え」というのは、今、目の前のやらなければいけないことに対して、一つ一つ全力を尽くしていると、気がつけば天命が目の前に現れてくるということを言っているのではないかとの思いが浮かんできました。
これがはたして正解なのか?
私の思索はまだまだ続きそうです。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年2月20日(水) |
| 真人としての生き方 水曜担当…沢井淳弘 |
|
天風に心酔した作家、宇野千代は、その自伝的小説『生きて行く私』で、燃えるような恋愛の体験と、そのあとにくる別れの悲しみ、嫉妬の感情、について、正直に書いています。
嫉妬こそは、消極的な感情の最たるものです。宇野さんは恋多き女性であったがゆえに、なんども心を狂わせるような、嫉妬と対峙しなければなりませんでした。嫉妬の気持ちをどのようにうまく処理したかということを、いくらか誇らしげに何度も書いています。
『生きて行く私』の巻末には、こう書かれています。
「(私は)自分の幸福も、他人の幸福も、同じように念願することの出来る境地まで歩いて行くのである」
この境地こそ、天風が真の人間の生きて行く道標としたものでした。
天風哲学を、ただ健康法のようにとらえている人の多いのは、残念です。たしかに健康によい教えも含まれてはいますが、その一貫した教えは「真人としての生き方」です。
宇野千代がはじめて天風の講演を聞いたのは、1965年です。この年、宇野さんは68歳で、天風は88歳でした。天風はまだまだ元気で、老いを感じさせない男性的な魅力をもっていました。宇野さんは、男としての天風に惚れもし、とても熱心に瞑想や体操や呼吸法を実行されたそうです。
宇野千代には『天風先生座談』(昭和45年出版)という、評判の高い本があります。天風がなくなって2年後に出た本で、当時ベストセラーとなりました。天風が芦屋の集まりで話したことを、彼女が文字化して本にまとめたものです。天風の他の講演記録は、いろいろ表記の点で問題が(誤記が多い)ありますが、さすが一流の作家が作った、この本は正確で、美しい。当時、文壇でも話題になりました。
水上勉という作家が、この本を読んで、たいへん感動したようです。彼は仏教に深い造詣があり、小説以外に仏教に関する著作がいくつもあります。彼は『天風先生座談』について、こう書いています。
「ぼくは精神修養の本として、これを座右においている」
仏教的な求道者、水上勉のことばですから、この言葉には重みがあると思います。
つづけて、彼はこう書いています。
「ぼくの愛着きわまりない本に、人はあまりいわないが、『天風先生座談』がある。これは宇野さんの聞き書きだが、もっともっと評価されてよい本である。この本には今日の宇野さんの無心の文業の心構えといったものがのぞかれる」
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2013年2月19日(火) |
| 「2月潜学講座報告」 火曜担当…坂本欣也 |
|
2月16日の潜学講座も非常に有意義な学び・出逢いの場でした。
今回は初参加の方々5名をお迎えし、新鮮な雰囲気でスタートしました。
第1部は、1月19日に出版記念講演会をしてくださった沢井学監による「瞑想の練習」でした。いつもながら、直々に中村天風師から薫陶を受けられた先生ならではのお話は、時に真剣で、時に面白く、何度聴いても引き込まれる内容でした。以下は私の心に印象に残った学びの一部です。
・ 瞑想とは、「心の状態」。悟りとは、瞑想状態でつかんだシーンとする「深い静けさ」
・ 瞑想をしている時、雑念が浮かんでくるのは自然。しかし、それ以上雑念に囚われない、相手にしないことが瞑想。
・ 天風師は、常に瞑想状態であった。常に心が澄み切っている状態。時に怒ることもあったが、次の瞬間には優しい笑顔になっていた。霊感も鋭かった。
・ インドでの修行でつかんだ「悟り」を、一般の人々に分かり易く体験してもらうため、鈴とブザーを使う方法を編み出した。音と一体化し、止まった時の静けさと一体化することで、「深く静かな心の状態」を一瞬味わえる。
・ 瞑想を続けていると、「困ったこと」が起こらなくなる。厳密にいうと、「困ったこと」は日々起こっているが、それに囚われなくなる。そんな心の状態を創ることができる。
・ 逆に、負の感情や気持ちをふっと消すことができるようになり、常に生きていることがなんとも嬉しい楽しいと思えるようになる。
・ 「心をば、静かに澄ませ空の空」は、天風師が瞑想に入る際に使った暗示の言葉。この言葉を使う瞑想法を「マントラ瞑想」という。
第2部は、私坂本が担当しました。テーマは、「信念を創る」です。
・ 「信念」について、天風師が語った言葉をご紹介しました。
信念とは、自分を信ずる念、であり、絶対的な安心感であり、自分の夢や希望を実現する原動力となる。
信念は、生まれながら、だれの心の中にもあるのだから、煥発しなさい。信念は出よう出ようと、うずうずしているものだ。
信念を強くするためには、想像力を応用して、心にたえず念願することを映像化して描くこと
お互いに勇気づける言葉、喜びを与える言葉というような積極的な言葉を使う人が多くなれば、この世は期せずして、もっともっと美しい平和な世界になる。
・ 私は企業で「ビジョン」をテーマに研修をしていますが、天風哲学を学ぶことで、私が我流でやっていたことの裏付けになり、自信・確信を持つことができました。
ビジョンとは、1)理想の未来イメージ、2)目的、3)行動指針の三つで構成されており、それらを自分の言葉で明文化し、イメージ化するのです。
描いたビジョンを仲間と語り合い、お互いに褒め合うのです。
・ 今回の参加者の皆さんにも、このプロセスを実体験していただきました。すると、「自分自身の信念が更に明確になった」「他者との距離が縮まり信頼関係が築けた」という感想をいただきました。
・ 私は、「ビジョンにこだわり、ビジョンにこだわらない」ともお伝えします。ビジョンに邁進することも大切ですが、ビジョンに執着しすぎないことも大切です。後は、大いなるもの・宇宙霊・潜在意識・他力に、「信じてゆだねること」も必要です。この絶妙なバランスが楽しいのです。
沢井学監と二部構成で、天風哲学の「瞑想」と「信念」について講座ができたことは、私にとってとても良い学びの機会となりました。講師が一番学べる場でもあります。ご参加いただいた皆さま、本当に有難うございました。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年2月18日(月) |
| 大楽小楽 月曜担当…池田光 |
|
この2月7日の夕方に、株式会社ベストサイトの田中さんが主宰する「Boss Club」に参加しました。
交流会の前に「飛翔塾」があり、
「今でもアメリカが恐れる日本のすごさ」
と題して石黒一先生がご講演をされ、学生やビジネスマンが熱心に聴き入っていました。
石黒先生は、昭和5年のお生まれで、僕の父親のようなお年です。
(僕の父は昭和4年生まれで、80歳で没しました)
さて、石黒先生は日本ビジネス社を経て、日本ビジネスセンターを創業。以後、主として経営幹部教育、および経営相談に従事されています。
主な著作として、『新しい管理者』創元社(12万部のベストセラー)などがあります。
また、経営者には、次の4つを教えられているそうです。
① 社長は「自分の城は自分で守れ」と覚悟せよ。
② 社長は常に「この世に無くてはならない会社である」ように心がけよ。
③ 社長は常に「お客様目線」で考え、会社を変革せよ。
④ 会社は常に「倫理による経営」すなわち「縁・礼・尽・教・喜」の実践を心がけよ。
ところで、石黒先生は、「NPO法人大楽小楽」の理事長をされていて、僕は、この「大楽小楽」という言葉に、えらく感心したんです。
■小楽(しょうらく) … 一人で味わう楽しみのことで、最高の小楽とは「自分を磨く楽しみ」。
■大楽(だいらく) … みんなで味わう楽しみのことで、最高の大楽とは「みんなで世のため人のために尽くす楽しみ」。
そして、この言葉から「修己治人」を想起したんですね。
■小楽 → 自分を磨く楽しみ → 修己。
■大楽 → みんなで世のため人のために尽くす楽しみ → 治人。
同時に、もう一つの言葉を思い出しました。
「喜神を抱く」です。
小楽にも、大楽にも、「楽」の字が共通していて、心の奥に「楽しさ=喜び」を抱いているんですね。
つまり、自分を磨き、世のために尽くす原動力は、それが楽しいからなのです。
なんと、素晴らしい言葉なのだろう…。
交流会が盛り上がったとき、わざわざ、石黒先生は僕の席までお越しくださり、親しくお話してくださいました。
そして、ちょうど自己紹介の番が僕に回ってきたとき、石黒先生はマイクを手にとって立たれ、
「私は、池田さんの本を、15年も前から読んでいます。
『中村天風 自分に「奇跡」を起こせ!』という文庫本です。
そう何度も読み返す本はないのですが、池田さんの本は、何度も読み返した一冊です」
と言ってくださいました。
さらに、
「本で学ばせていただいた、いわば人生の師です」
とまとめられました。
息子の年代の僕に、辞を低くしてこのようなお言葉を言える方こそが、いちばん偉いのです。
そんな方がおっしゃられた「大楽小楽」という言葉は、言葉が浮ついているのではなく、内実が詰まっています。
「大楽小楽」… これからも味わっていきたいお言葉です。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年2月15日(金) |
| ものの見方、感じ方・・・ 金曜担当…小笹正洋 |
|
近年、マスク姿の方を見かけるのが珍しくなくなりました。
この時期だと、風邪やその予防、そして花粉対策の方もおられるようですね。
でも、不思議です。
ウィルスも花粉も目には見えないですが、カラダは、しっかりと反応してくれますね。
私自身は、ウィルスも花粉もあまり感じてくれないようですが・・・(笑)
さて、
「重要なのは、何を見るかではなく、何が見えてくるかである」
この言葉は、アメリカの詩人であり、ナチュラリストである、ヘンリー・デイヴィッド・ソローの言葉です。
「見る」と「見える」。
これは、近しい言葉ですが、その間には大きな違いがあります。
人は、とかく自分の見ようとしているものを、見えているものと思いがちです。
だから、主義主張の違いから、争いや駆け引きが出てくる。
とらわれの無い心で、物事のありのままの実相を見ようとすることを
松下幸之助翁は、「素直な心」と表現されてました。
虹の色をとっても、国によって見え方が違うようです。
大半の日本人には、赤・橙・黄・緑・青・藍・紫の7色に「見える」が、
アフリカのアル部族は、8色に「見える」。
また、イギリス、アメリカでは6色に「見える」。
フランス、ドイツ、中国(漢族)においては5色に「見える」。
そういう通説があります。
色を表現する言葉の問題や、気候や風土、生活様式が影響していることもあるでしょう。
日本でも、信号機の色で、緑色も「青信号」と呼びますね。
そういえば、
格闘家であり、カンフー映画俳優でもあった、ブルース・リーも
「考えるんじゃない、感じるんだ」
という名言を遺しています。
時には、子供頃のように、純粋無垢な気持ちを思い出し、直感や、真意に正直に感じたこと、すなわち本心の源泉に向き合う事やそういう時間を大切にしていきたいですね。
そして、目に見えないものを見ようとする眼を持つ事を意識していきたい。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年2月14日(木) |
| 言葉の力 木曜担当…西端努斗夢 |
|
湧くわく本心塾学監の沢井淳弘先生が『天風哲学の基本と実践』などの著書に記し、講演でもお話しされているように言葉の力は信じられないほどの大きな力を持っていると思います。
今、スポーツの世界で体罰問題が話題となっていますが、私の経験からすれば、拳や木刀で殴られるより、指導者の本心から絞り出された言葉の方が、どれだけ心の奥まで突き刺さったかわかりません。ほんの一言、二言で、時には猛省を促されたり、時には信じられないほどの元気が出たものでした。
クラブ顧問の体罰でバスケットボール部の主将が自殺するという悲しい事件がありましたが、自殺の本当の原因は、顧問の体罰ではなく、体罰の際に顧問が主将に浴びせた言葉のうような気がしてなりません。
湧くわく本心塾の実践項目のひとつに「善い言葉を語る」というのがありますが、最近の体罰問題を見ていて、あらためてこのことの大切さを実感しています。
真の優れた指導者や経営者、医師は、言葉遣いの達人なのではないでしょうか?
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年2月13日(水) |
| 思いやり 水曜担当…沢井淳弘 |
|
宇野千代という女流作家をご存知ですか?
川端康成と親交があり、その時代――つまり、太平洋戦争の前から戦後にかけての時代――に活躍した小説家です。1920年ころから文壇に登場し、99歳まで長生きし、晩年のころは、服飾のデザイナーとしても知られた人でした。
川端以外にも、多くの文学者と広い交友があり、若いころは、美貌の女流作家として、もてはやされました。
この宇野千代は、60歳代のなかばごろに、突然ペンがすすまなくなり、そのスランプから抜け出すことができず、悶々とした年月を過ごしています。幸い、ある人の勧めがあって、宇野は天風の公開講演を聞き、たちまちその実践的な哲学のとりこになってしまいます。そして、天風の驚くべき人間としての魅力に打たれました。
宇野千代は、多くの男性と奔放な恋愛を遍歴したことでも知られています。その宇野さんが、こう話したことがあります。
「なぜか、天風先生には話しかける勇気がでませんでした。自分にはとても届かないような境地に生きているような方でした。いつもニコニコ笑っておられましたが・・・」
しかし、宇野千代が小説が書けなくなって悩んでいるということを、だれかが天風に話したので、あるとき、先生が宇野さんを呼んで、忠告をして、二人は少し会話をしたようです。そのときの忠告とは、
「男と女を舞台の上にのせて、彼らがどのように行動していくか、想像力をはたらかせていけば、小説は書けるのではないですか?」
その晩、宇野さんは、家に帰ってから、机にむかってすわり、「1行だけ書いてみよう」と思います。そして、1行書くと、ふしぎなことに次々と連想がおこって、数行を書きました。そして、その後は、すらすらとペンがすすんだそうです。
これは天風の暗示力ですね。あるいは感化力です。この忠告の内容は、しろうとが思いつきそうな、とてもプロ作家に対するものではありません。しかし、宇野さんは甦ったのでした。
宇野千代の小説の中で、晩年の作品『生きて行く私』がいちばんの傑作でしょう。
彼女は自伝的な作品を多く残していますが、『生きて行く私』は彼女の生涯をぜんぶ通して描かれています。そして、そのスタンスは天風哲学の視点そのものです。彼女の波乱万丈の恋愛と性と、別れ、嫉妬などの体験が、正直に飾り気なく描かれています。とてもポジティブに女の一生が回顧されていて、しかも、とても面白い。
宇野千代の『生きて行く私』は、他者へのあたたかい思いやりが溢れていて、これは明らかに天風の影響だと、私は思います。
「人への思いやり」は、天風が晩年、熱っぽく人々に教えようとしたことでした。
孔子、孟子の「仁」や「恕」の精神に通じ、キリスト教の「愛」にも似ていますが、天風は、悟りのもっとも高い境地として「思いやり」を考えていました。それは、『盛大な人生』(講演記録)のなかの「十牛図」に関する講話にでてきます。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2013年2月12日(火) |
| 「グローバル・コミュニケーションの極意」 火曜担当…坂本欣也 |
|
グローバル・コミュニケーションというテーマは、「グローバルな人との対話」「英語での会話」という狭義なイメージで捉われることが多いですが、「本当に重要な本質はもっと奥深いところにある」と、最近私自身が確信を持って言えるようになってきたのです。
先に、結論を言いますと、「外」との対話の前に、「内」との対話が出来ていない人は、グローバル・コミュニケーションも上手く出来ないのです。つまり、出発点は、「自己との対話」であり、「自己力」なのです。
研修の中で、「異質」に遭遇した時に、人間がどのような心理・行動を起こすのかを体感してもらうために、私が創った「異文化遭遇シミュレーション」を、さまざまな国、企業、階層の人々に受けてもらっています。恐らく、これまで1000近いグループに受けていただいたでしょう。語弊がありますが、私にとっては、これは実験とも言えます。
振返りの結果はいつも同じで、「異質」な相手や物事に対して、肯定より否定的な感情が起こり、心に負の印象が残ります。「違和感⇒不安⇒苛立ち⇒否定⇒怒り」へとエスカレートしてくるのです。
グローバル・ビジネスでは、想定外の事が日々起こります。普段いくら頭の良い、優秀で冷静な人でも、異文化とのやり取りの中で、平常心を失い、心の余裕が無くなり、パニックになり、我を忘れることも多くあります。そして、「異質」な人や出来事に対して、否定的な感情と印象を抱くようになります。
否定的な感情の根本原因は、ずばり「恐怖心」です。「異質」は、自分がいつも慣れ親しんでいる考え方ややり方に、対抗し脅かしてくる存在なのです。大げさに言えば、自分のアイデンティティを否定してくる存在です。すると、無意識に自己を守ろうとする防衛本能が作動し、「異質」を排除しようと働きます。それが、ネガティブな感情が表れる、第一段階の反応です。
第二段階以降の反応は、人によって異なります。私は海外で多くのリーダーにお会いしてきましたが、素晴らしいリーダーとそうでないリーダーには根本的な違いがありました。
それが、先述した「自己力」であり、「自己との対話」がまずできるかです。
自分自身を良く知り客観視できる人、心に安心感と自己肯定感を持っている人は、否定的な感情が起こったとしても心を上手くコントロールし、負の感情を消化~昇華しやすいのです。人間としての根本的な逞しさ、優しさ、大らかさ、器の大きさが備わっていると言えます。
それでは、いかに「自己力」を養うのか?天風哲学と儒教に、その極意があると思います。一番肝心なことが、「本心」を明確化・強化していくことだと思います。「瞑想」を通しての、「自己との対話」、そして「自己認証」。そして、誦句など「善い言葉を語り」、潜在意識を肯定的な状態にし、大いなるものに護られているという安心感と肯定感で満たす、等々。本心の周りにある「気と質」を綺麗にしておく、日々の「洗心」が必要かと思います。儒教的に言うならば、「治人」の前の「修己」です。
私はグローバル教育に20年間携わってきましたが、英語やプレゼンテーション術などのテクニックに偏るものが多いので、ずっと違和感を抱いていました。しかし、本塾での学びを通して儒教や天風哲学を勉強してきて、グローバル・コミュニケーションの本質が少し分かってきたような気がします。ようやくその深い部分の入り口に立ったような爽快感を感じています。それは、無意識・潜在意識の働きの部分です。なので、更なる勉強と実践がとても湧くわく楽しみです。
ところで、私は「グローバル」という言葉を使ってきましたが、これを日本人同士のコミュニケーションに置き換えても同じことが言えます。日本人同士も、実は「異文化」なのです。社会でも、組織でも、家庭でも。更に言うと、新しい自分に変わろうとする時の「過去の自分」と「未来の自分」も、自分の中にある「内なる矛盾」であり、異文化同士です。つまり、儒教や天風哲学からの学びは、どのレベルの対人・対内関係にも応用できると思うのです。これは、また回を改めて記したいと思います。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年2月10日(日) |
| まゆけるさんの歌 月曜担当…池田光 |
|
殻を破ってみようと、人前で歌うようになったのは、昨年のことでした。
それまでは、滅多にカラオケボックスに行ったことがありません。
今では、2か月に1回くらいのペースで歌うようになりました。
よく、沢井淳弘先生をお誘いしますが、沢井先生の場合は、生まれて初めてカラオケに行かれたことと思います。
この体験は、僕の百倍くらい鮮烈なものであったろうと想像します。
さて、そんなきっかけから、You Tubeで歌の動画を見るようになりました。
ある日、今井美樹さんの「PIECE OF MY WISH」が聞きたくなり、サーフィンしているうちに、まゆけるさんという女性が歌う「PIECE OF MY WISH」に出会いました。
彼女の歌声は、僕の耳に何の障害もなく、スッと入ってきました。
心に入れたくなる歌声だなあと思いました。
それがきっかけで、まゆけるさんの歌がいっぱい詰まった「MAYU's KARAOKE ROOM」に入り、何曲も聞きました。
■MAYU's KARAOKE ROOM☆ Part 2
http://www.youtube.com/user/mayukeru51555
■MAYU's KARAOKE ROOM☆
http://www.youtube.com/user/mayukeru515
なんと、明け方まで聞き続けていました。
彼女には天性の才能があると思います。
リスナーからのコメントに、まゆけるさんのブログのことが書かれていたので、僕もブログに行き、そこで彼女のカラオケにかける姿勢を知りました。
■まゆけるさんのブログ「Enjoy the moment☆」
http://mayupurin.at.webry.info/profile.html
「歌う」という世界は、僕がこれまで生きてこなかった世界です。
歌うのが恥ずかしくて、歌えませんでした。
歌う自分を演じることに抵抗感があったのです。
僕はオンチなんですが、歌うときは「歌になりきりたい」と、これを目標にしています。
「なりきる」というのは、禅が教えるひとつの境地です。
歌は禅だと思います。
そして、まゆけるさんは、歌になりきりつつあるように思うのです。
「なりきる」ということについて、ひとつの記憶を書きます。
昨年、ある人とふとした偶然からカラオケをしました。
その人は何曲か歌った後、ある歌を文字通り熱唱してくれました。
その人は歌になりきっていました。
歌がその人に乗り移っていました。
歌と人生が混じり合って、その人の半生が語られるように歌われ、僕は戦慄しました。
その人は決して歌がうまいのではない。なりきっていたのです。
これほど感動することはあるのだろうか…。どんなにうまい人より、歌が心に訴えかけるのです。
その日の僕は、もう歌えなくなっていました。
歌詞のうわっつらをなぞってもしかたがないと思えたからです。
自分の歌うのが薄っぺらなものに見えました。
その人は、この歌を人前で歌ったことはなく、辛いときに、独りっきりになれる場所で大きな声で歌っていたんだと語りました。
叫びだったのですね。
たぶん、歌いながら涙していたんでしょうね。
まゆけるさんの歌の話に戻ります。
まゆけるさんはYou Tubeで歌をアップするようになってから、多くの応援の声に交じって、オリジナリティがないなどのコメントがくるようになり、この問題で悩んでいるようにも見えます。
僕も、書くことについては、オリジナリティの問題を意識しています。
しかし、書いて、読んで、修正して、また読んで、さらに修正する…、その繰り返しのうちに、自分の文章リズムになっていて、それでよいのだと思うのです。
要は、繰り返しのうちにスタイルが湧きあがってくるのです。
オリジナリティを追求しようと念頭に置くのではなく、何度も繰り返して、自分にしっくりしてくること=内面のリズムが湧いてくることに焦点を合わせればいいと思うのです。
オリジナリティを求めて技巧に走る必要はない。
なりきるのです。
内面のリズムを湧きあがらせると、その結果として、技巧的な表現になっているだけ。
焦点は、内なるものの煥発です。
それが結果的にオリジナリティの発見につながるということを、まゆけるさんにお伝えしたい気持ちがあるのですが、音楽のことはまったくの門外漢だということで、僕は臆病になっていて、言えない自分があります。
ここに、どうも、歌に対するコンプレックスがあるのですね。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年2月8日(金) |
| 鈍刀を磨く 金曜担当…小笹正洋 |
|
鈍刀をいくら磨いても
無駄なことだというが
何もそんなことばに
耳を貸す必要はない
せっせと磨くのだ
刀は光らないかも知れないが
磨く本人が変わってくる
つまり刀がすまぬすまぬと言いながら
磨く本人を
光るものにしてくれるのだ
そこが甚深微妙(じんじんみみょう)の世界だ
だからせっせと磨くのだ
坂村真民さんの「鈍刀を磨く」という詩です。
掃除は対象となるものを磨くだけではなく、
人の心も磨く。
以前に教わった、
「雑巾がけで、蔵が建つ(=『蔵金』:ぞうきん)」
なる話しをふと思い出した。
言葉も同じ。
良い言葉をかけてあげると、
相手だけでなく、自分自身もいい気持ちになる。
目の前の人(或いは、もの、事)を大切にする人は
自分自身も大切にしている。
そんな事を感じさせられます。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年2月7日(木) |
| 旧暦 木曜担当…西端努斗夢 |
|
2月4日は立春でした。そして、今月10日は旧暦の1月1日、お正月です。
旧暦では、1~3月が春、4~6月が夏、7~9月が秋、10月~12月が冬にあたります。お正月を初春と呼ぶのはそのためです。
旧暦は、旧という文字が使われているため古臭い暦の印象を持ってしまいますが、決してそうではありません。
地球が太陽の周りを回る周期を基にして作られた今の新暦・太陽暦に対して、月の動き基に太陽の動きを組み合わせてつくられたのが旧暦・太陰太陽暦です。
太陽暦に比べて太陰太陽暦の方が季節の変化を身近に感じることができるように工夫され、日本の風土に合っています。
今年は、2月10日が旧暦のお正月ですから、この日から旧暦の上では春です。私たちの感覚からすると、まだまだ冬で、春と言うには早いように思いますが、自然をよく観察していると、この頃から少しずつ春の“兆し”を見つけることができるようになるのです。私は、旧暦を参考に“兆し”を見つけ、感じることを楽しみにしています。
季節を先取りした味覚を今でも日本人が好むのは、旧暦の中で暮らし、移り変わる季節の兆しを感じて生活してきた名残かも知れません。
日本には、先人より受け継がれてきた世界に誇れる素晴らしい伝統や知恵、技術がたくさんあります。旧暦もそのひとつではないでしょうか。
失われつつあるこうした伝統や知恵、技術を少しでも受け継いでいくためにも、湧くわく本心塾での学びが役に立つと思っています。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年2月6日(水) |
| 出版記念講演会 水曜担当…沢井淳弘 |
|
去る1月19日の、小生の講演会(大阪倶楽部)に、ご出席いただいた方々に、厚く御礼申し上げます。また、講演会の人集めに奔走していただいた方々に、心より感謝の気持ちをささげます。それから、当日会場の設営や、受付、立ちん棒など、蔭でご尽力くださった塾生のみなさんに、お礼申し上げます。司会をしてくださった西端さん、ありがとうございました。
みなさんのお力で、講演会がなんとか盛会のうちにおわりましたのに、文字通り「花」をちょうだいいたしましたのは、私めでございました。すみません。
すでにこのブログで、講演会のことにつては、小笹さん、坂本さん、西端さんが書いてくださって、上手にほめてまでくださり、ありがたく思っています。
当日の講演の後の懇親会では、藤代勇人編集長、歌手の加藤ますえさんに、お話いただき、ありがとうございました。加藤ますえさんには、カンツオーネを歌っていただき、望外のしあわせでした。あの歌は「囚人の歌」と題されるイタリアの歌曲だそうです。とても美しい歌でした。ありがとうございました。
ちなみに、加藤ますえさんは、2月16日午後6時から、京都駅からそう遠くない「リーガロイヤル・ホテル」にて、コンサートを行われます。「加藤ますえ音楽事務所」と入れてYahooで検索すると、ホームページが出て、コンサートの案内がでております。(あるいは、http://masue-kato.com)
小生の講演会で話したかった演題の主旨について、私なりに要約して、お出でになれなかった方々のために、ご報告いたします。とても話の筋道はかんたんなことでした。
ことばの暗示を実行すると(天風誦句や唱詩をとなえると)なにが起こるか、と申しますと、「信念が煥発」するのです。信念とは、自分の念願を実現する力です。信念とは、「なんでも自分にはできる!」という気持ちです。信念がでてくると、たのもしい自分というもが感じられるのです。
ですから、ぜひとも天風誦句をとなえたり、自分の好きな言葉(自分の元気のでる言葉)を手帳にメモでもして、朝夕2回ぐらいでいいですから、毎日くりかえし唱えてみてください。
信念が煥発すると、2つのことが自分に起こります。
一つは、自分の苦手の克服です。それがわりと簡単に自然にできるようになります。
もう一つは、霊感がでてくることです。天風の霊感は、ちょっとマネのできない、凄いものでしたが、私どものレベルでは、
「自分の仕事を、他人に相談せずに、自分の判断で行って、うまくいく」
―――「それがりっぱに霊感がでている証拠なんだよ」と天風は教えてくれました。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2013年2月5日(火) |
| 「賜物(たまもの)」 火曜担当…坂本欣也 |
|
昨日、私の提携先の会社の営業マン(Aさん)と共に、我々の顧客である静岡県にある大手総合化学メーカーの研修センターを訪問しました。目的は2つあり、一つは来年度に新たにスタートする外国籍社員向けの研修の打合せ、もう一つはそのAさんが今月末で退職するので、そのご挨拶。
打合せ後、Aさんのために、お客さまが「壮行会」を用意くださっていました。
そして、私もその場に招待していただきました。
静岡の旬の、海の幸、山の幸がふんだんに用いられた豪勢な料理、各地の美味しいお酒をふるまっていただきました。最後には「感謝、門出、ドリーム」という花言葉を込めた美しい花束が用意されていました。別れの最後は、お互い涙を流して握手をされていました。
私も傍らに居て、胸が熱くなりました。
このような形で、お客さまから壮行会を行ってもらえる人も少ないと思います。しかしそれは、これまでのAさんの常に変わらぬ真摯な態度を省みれば理解できます。 いつも、にこやか穏やかで、ゆっくりと相手の言葉を噛み締めながら聴き、自分の言葉を噛み締めながら発する。担当者さんだけでなく、研修に参加される受講生の皆さんからも、とても慕われていました。 そして、研修講師として関わる私にも、その態度に変わりはありませんでした。
その接し方は、まさに「誠心誠意」でした。
退職理由は、Aさんはクリスチャンで、牧師になる夢があり、その実現のために神学校に通うためだそうです。卒業まで4~5年はかかるそうです。36歳にしての決断です。私には、彼がこれから更に素晴らしい人にどんどんなっていかれる姿、更に多くの人々の支えになっていかれる姿が目に浮かびます。
Aさんは、よく仰っていました、「何事も、神様にゆだね、信じます。何が起ころうと、それは神様からの賜物、プレゼントなのです。そのいただいた賜物を、私は他の人々にもお分けしたいのです」と。
一年ほど前、この言葉を聞いた時は、私には正直ピンと来ませんでした。しかし、今は少し理解できるようになった気がします。Aさんと接してきた経験、何度も深く話し込んだ経験が、その糧になったと思います。
と同時に、本塾の潜学講座での勉強、皆さんとの語り合いなどを通して、様々な観点から実践哲学を学んできたことが、その糧になっていると感じます。
Aさんの言葉を私に置き換えると、私には特定に信仰する神様?がまだ見つかりませんが、中村天風師が仰る「宇宙霊」、立花大敬氏が仰る「ひとつ命」、或いは村上和雄氏が仰る「Something Great大いなるもの」だと感じています。
言葉・信念通りの日々の実践と生き方をしているAさん、そしてAさんのご縁で導かれた皆さんとのつながり、その中に私も関わらせていただいたという経験も、神さまからの賜物・プレゼントだと感謝したいと思います。昨日は、そんな事を改めて考えさせていただいた素晴らしい一日でした。ありがとうございました。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年2月4日(月) |
| 現代日本に「義」はあるか 月曜担当…池田光 |
|
昨年2月、湧くわく本心塾設立。
翌月から「潜学講座」をスタート。
その後の一年で、塾の形ができました。
設立当初、
「塾生への推薦書を数冊あげてほしい」
と、事務局から要請がありました。
「『大学』はどうだろう」
この一冊をあげたにとどまりました。
今年のお正月に読んだ本で、
「お薦めしたいなあ…」
と思えた本が一冊あります。
冨谷至『中国義士伝』(中公新書)です。
三人の人物が取りあげられています。
蘇武(そぶ、BC140~BC60)
顔真卿(がんしんけい、709~785)
文天祥(ぶんてんしょう、1236~1283)
その生き様が、史実をふまえて、たんねんに描かれています。
時代も、社会環境も違っていた3人の男。
彼らに共通するのは、義に生きたことでした。
彼らの「義」とは、何だったのでしょうか。
それは、その時代の指導者やエリートが共有していた「義」であったと著者は言います。
具体的には、
・蘇武 … 任侠的信義(「士は己を知る者のために死ぬ」という義)
・顔真卿 … 血統が受けついできた士大夫の学知・理知とそれに基づく行動
・文天祥 … 進士及第状元(※注)の経歴とその経歴に期待される責任と誇り
この本のサブタイトルは、「節義に殉ず」です。
著者は、あとがきで、次のように言います。
「現代社会、今日の日本ではいったい何が現代の義をつくりあげるのだろうか。はっきりいって私には見つからない」
と。
わずか百数十年前の日本には、武士がいました。
彼らは、忠義の心を持っていました。
当時の日本社会には、「義」をいだかせる環境があったのです。
現代のこの日本に「義」はあるのでしょうか。
「はっきりいって私には見つからない」という著者の言葉は重いと思うのです。
※注:状元とは、中国の科挙制度において、最終試験で第一等の成績を修めた者に与えられる称号。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年2月1日(金) |
| 人は見た目。。。 金曜担当…小笹正洋 |
|
先日、久しぶりに参加した読書会にて、
80歳を過ぎられた女性の方が、
「容貌」と「人相」は似て非なるものですね。
と仰られてたことがずっと耳に残っております。
「容貌」は両親からの授かりもの。
そして、
「人相」は自分の生き方の表れ。
という意味のようです。
確かに、人相の良し悪しは生き方の違い。。。
そういえば、
アメリカ合衆国第16代大統領のエイブラハム・リンカーンも
「40歳を過ぎた人間は、自分の顔に責任を持たなくてはならない」
という名言を残されてましたよね。
人相は本心の表れ。
日頃から、
良い言葉、良い行動、良い考え。
心していきたいものです。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年1月31日(木) |
| いかにも君らしい 木曜担当…西端努斗夢 |
|
|
|
| 2013年1月30日(水) |
| 『鞍馬天狗』⑤ 水曜担当…沢井淳弘 |
|
大仏次郎の『鞍馬天狗』は天風をモデルにした、ということはすでに述べましたが、小学館文庫でかんたんに手に入る『新東京絵図』は、30数編のおよぶ『鞍馬天狗』シリーズの最後を飾る名作です。
この小説の舞台は、明治維新となった文明開化の東京で、もと浪人の鞍馬天狗が新しい生き方を模索しながら、活躍するのです。
それは、太平洋戦争の敗戦の焼け跡のなかで、新しい生き方を必死になって探した日本人の姿と重なりあいます。
解説を書いている鶴見俊輔は、そのことに感動して、
「鞍馬天狗は文明開化になっても生きていた。
敗戦後に、私は鞍馬天狗に出会って、まだ生きているのかと彼との再会をよろこんだ。」
と、記しています。
ふつう小説の続編は、だんだん面白くなくなっていくものです。ところが、『鞍馬天狗』は、シリーズの最後の方の3篇が、もっとも面白く、しかも内容的にも、文学的にもすぐれたものになっています。
たとえば、舞台が東京、あるいは江戸、そして横浜ということで、横浜出身の大仏次郎は、登場人物の台詞をたいへん魅力的にしています。初期の『鞍馬天狗』は京都が舞台でありながら、人物は標準語もしくは江戸ことばで話していて、とても変な感じで、興味は半減しています。
『鞍馬天狗』のシリーズの最後の方に書かれた『雁のたより』(小学館文庫)も、たいへん面白い小説で、天風がモデルになっていることが明らかです。その性格描写は、たとえば
鞍馬天狗は、
「いや味のない明るい人柄だった」
「頭の中は、からっぽだ」
「男前で、苦味走ってきりっとした、お前たち(=女たち)が好きそうな美男子である」
「取越し苦労という奴、これは、どう考えてもためにならぬから、いっさい、せぬことにしている」(鞍馬天狗のせりふ)
などと書かれています。
鞍馬天狗は坂本竜馬がモデルだ、という説がありますが、それは間違いです。竜馬は鞍馬天狗に似ていません。
そもそも、モデル論というのは、愚かなもので、作者はつねに主人公のなかに、自分の分身を見ているものです。鞍馬天狗のなかに、大仏次郎は生きているともいえるのです。
そして、一流の作家と言うものは、絶対に自分の小説のモデルについて語らないものです。自分の作品のモデルについて、もし語るとしたら、よほどの事情(世間の誤解や憶測を打ち消したい場合など)があってのことでしょう。自分の作品について、モデルに言及するような作家は、二流か三流と断定して、まちがいありません。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2013年1月29日(火) |
| 「善い言葉を語る」「言葉が人生を決める」 火曜担当…坂本欣也 |
|
昨日は愛知県のある自動車部品メーカーで研修をしていました。
テーマは、「グローバル・マインドセット」。
国内市場が縮小する中、海外生産を急ピッチで進めている。
しかし、海外拠点に赴任できる能力を持つ人材が足りない。人数が追いつかない。
そこで、グローバル要員を育成するための教育の一環として、私が講師として招かれました。
朝の初めの印象は、大人しめの技術者タイプの人たち。
業務の忙しい中出てきているので、研修に集中できていない、といった空気が漂っていました。
しかし最後には、スッキリ・ワクワクした表情で、明るく元気になり、「グローバルな異文化環境に飛び込んでいくことが楽しみになった」という多くの感想をもらう事ができました。
私の研修の目的の一つは、次の3点を明確にすることです。
「目的地」「現在地」「目的・意義」
目的地とは、未来の理想の姿(グローバルがテーマの時は、グローバルに活躍している理想の姿)
現在地とは、その理想の姿に対する自分自身の現状、強み・弱み
目的・意義とは、何のために目的地に行くのか?の自分なりの信念・理由・根拠
上記3つを明確にするために行うのが、次の3つのステップです。
1)言語化する:内省し自己と向き合い、上記3つをポジティブな言葉でビジョンマップに明文化する
2)語り聴く:ビジョンマップを、自らが他者に語る。と同時に自分の言葉を自分で聴いている
3)フィードバックをもらう:他者から自分がどう見えているのか?をポジティブな言葉で返してもらう
この3ステップを何度も繰り返すことで、自分軸(本心)が明確になり、前述の感想のように、自分の理想に対してスッキリ感とワクワク感が増幅し、モチベーションがアップします。
そんな研修を年100回ほど、繰り返してきている私ですが、実は、最近自覚していることがあります。
伝える側の私の意識と姿勢の変化です。
研修のこの流れ・カリキュラムは以前と全く変わりませんが、私の中で変化が起こっているのです。
本塾の3つの実践項目の一つに、「善い言葉を語る」があります。
まだまだ不十分ではありますが、私はこれを、この1年できるだけ心がけて実践してきました。
そして、お蔭さまで、その具体的効果を最近は実感できる場面が増えてきました。
それ故に、このことを研修の中で、自信と確信を持って伝えられるようになってきたと感じています。
それともう一つ、沢井学監が仰る、「言葉が人生を決める」という言葉があります。
私はこの言葉を、実感を持って、研修の中で今多くの人にお伝えしています。
そして、多くの人が、この言葉に共感を示してくださいます。
なぜなら、この言葉が真理を語っているからだと思います。
「善い言葉を語る」
「言葉が人生を決める」
私の人生の指針になる、素晴らしい「善い言葉」です。
さて、2月16日の潜学講座では、沢井学監の時間の後に、私も担当させていただき、上記の3つのステップを皆さんに体験していただこうと予定しています。是非お越しください!
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年1月28日(月) |
| 石の上にも三年 月曜担当…池田光 |
|
阪急京都線の長岡天神駅で下車。
十分ほど歩いた長岡天満宮の裏に、私が参禅している長岡禅塾(写真)があります。
昭和十四年に設立されたこの塾は、大学生対象の禅道場で、禅を通した人材育成および育英事業を目的としています。
塾生はここに寄宿し、大学に通いながら朝晩禅の実践を行うわけです。
私は、今西最高顧問が会長を務めている長岡禅塾擔雪会に属していて、毎月、第一日曜日の午前に参禅させていただいています。
まず、朝8時過ぎに禅堂で坐ります。
10時半頃まで、二時間半。
坐る形がいつか、しっくりとしてくればよい、と私は考えています。
次に、10時45分から12時まで、半頭大雅老師の提唱があります。
禅定(心を統一して瞑想し、真理を観察すること)に入った九識レベルでないと分からない内容が語られます。
私は、六識で聞いているので、難しすぎて、いつもちんぷんかんぷんです。
しかし、九識レベルでの話が語られる場に、自分の身を置いていることがありがたいのです。
「ちんぷんかんぷんだから」
と、その場を避けるのではなく、その場に身を置いて、呼吸をする。
つまり、難しい話もろとも、その場の空気を吸う。
「三年も、その分からん空気を吸っておれば、何か、少しは空気がうまいと思えるだろう」
と、そんなくらいの気持ちでおります。
「石の上にも三年」と言いますが、石は頑として石であり、崩れません。
仮に「石」を難しい話だとすると、それは難しいままで、なんともなりません。
その難しい石の上=話の上に、三年坐ってやれ、と思うわけです。
三年も坐れば、なんとなく坐わる形が様になっておるだろうと思います。
しかし、分からん話は分からんままであろうとも思います。
分からんでいいから、坐る。
「難しい」とか「分からん」と小理屈をつけるのではなく、気持ちを大きくもって坐っておればよい。そう自分に言い聞かせております。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年1月25日(金) |
| ありがとう。。。 金曜担当…小笹正洋 |
|
1月19日の沢井学監の講演会でのお話しで、「ありがとう」という言葉を沢山発しよう。という教えがありました。
これは、人間関係を良くしたり、自分の心の状態を良くしたり、多くの効果があると思います。
また一方で、「ありがとう」を言っていれば、「ありがとう」を言いたくなる出来事がやってくる。
そんな教えもありますし、それも真実だと思います。
難が有っても有り難し。
そして、
困ったことは起らない!
こんな心境で臨みたいものです。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年1月24日(木) |
| 求道三戒 木曜担当…西端努斗夢 |
|
19日に開催された沢井淳弘出版記念講演会では、たいへんお世話になり、ありがとうございました。
沢井先生のお話をうかがい、これからも「一隅を照らす人」を目指して知識を高め、品性を磨き、自己の人格形成につとめていこうと決意をあらたにしました。
修養を積む際、私は3つの戒めを自分自身に課しています。
1.己の中にある神性(本心)を信じ、頼るものを外に求めるな。
2.すべて互師互弟。常に謙虚で驕らず、さりとて卑下もせず。
3.自立が先、道を求めるのはそれから。
この3つの戒めは、自分自身の反省から出てきたもので、もちろん、他の人に押し付けるつもりは毛頭ありません。
道は、まだまだ遙か遠くまで続いています。たどり着く先はわかりませんが、歩き続けていきたいと思います。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年1月23日(水) |
| 『鞍馬天狗』④ 水曜担当…沢井淳弘 |
|
『鞍馬天狗』を読んでみようという人のためにお薦めしたいのは、小学館文庫に収められている、次の3つの小説です。これ以外の『鞍馬天狗』は入手がちょっと困難です。
その3つとは、
『地獄太平記』
『新東京絵図』
『雁(かり)のたより』
で、鶴見俊輔が選んだもので、巻末の解説を鶴見が書いていますが、解説もすばらしいものです。
上の3つの小説の中で特に推奨したいのは、『地獄太平記』です。ストーリーがいちばん面白いし、天風の面目が躍如としているからです。とくにネパールから帰国してからの天風です。この小説では、鞍馬天狗は、敵と対峙してもけっして剣で人を斬ることがありません。その人間力で相手を圧倒し、説得して問題の解決をみごとに図ります。数人の剣客とわたりあう場面では、あっさりと逃げてしまいます。
この3つの小説は、以前の活劇的な『鞍馬天狗』とはちがって、天狗の行動、身の処し方が、天風その人を彷彿とさせています。戦後の平和主義の世相を反映しているのかもしれません。
『地獄太平記』の中で、天狗は2度真剣勝負にいどみますが、いずれの場合も相手を斬らないで終わります。剣ではなく度胸と精神力で相手を屈服させます。それが剣戟いじょうにスリリングです。最後の大団円では、相手の本心に訴えることで、相手も救っています。これは大正8年に人々に人生を教えはじめた天風の姿に他なりません。
『地獄太平記』の冒頭は、幕末の江戸の牢屋から、一人の死刑囚が脱獄する場面からはじまります。明日にも死刑される身で、かろうじて牢屋やぶりに成功して、横浜に逃げ異人屋敷にひそみます。そのとき、江戸から会いに来た情婦を殺してしまう。それを鞍馬天狗が知り、正義感にかられて脱獄囚のあとを追う、という展開になります。舞台は神戸へ、京都へ、上海へと、国際的になってくる。背景には、幕府による長州討伐の時代が描かれ、幕末の有名な風雲児(志士たち)がでてくる。西郷隆盛も登場します。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2013年1月22日(火) |
| 「湧くわく本心塾主催、沢井淳弘学監、出版記念講演会のご報告」 火曜担当…坂本欣也 |
|
1月19日、我らが沢井淳弘学監の出版記念講演会「わが師中村天風から教わった『ことばの自己暗示力』」が開催されました。ご来賓を含めた参加者は合計41名でした。
講演会の中で、特にフォーカスされたテーマは、「信念と奇跡」でした。
私ごとで恐縮ですが、実は今回の著書「すべては良くなる、わが師中村天風から教わった『ことばの自己暗示力』」の中で、私が一番印象に残った箇所の一つが「信念と奇跡」だったので、それをホワイトボードに書かれたときは鳥肌が立ちました。まさに「奇跡」です。
私の本心に響いたたくさんの言葉の中の数例は以下の通りです。
・信念が無い状態とは、湖の薄い氷の上をビクビクと歩いている状態。
・自分で考えて行動し成功した経験。それが霊感(奇跡の一つ)だ!
・信念を強くする方法は、「想像力を働かせ、自分の念願を映像化し心にありありと描くこと。それを繰り返す」こと。
・中村天風は宗教家ではなく、哲学者であった。その証拠に、「自分の誦句」を唱えよとは言わなかった。
・自律の意味。自律神経は、とても素直で、現実と幻想の区別なし。また自分と他人の区別なし。だから、自らの言葉の力で自分の脳、意識、無意識を創りかえることができる。
・言葉にはエネルギーがあり、分子元素レベルからプラスにもマイナスにもできる。
・ノートに感動した言葉を書き残す。先哲の優れたレベルの言葉を心に刻む。
沢井学監は、「言葉が人生を決める」とよく仰います。
その言葉の意味が、このご講演で更に深く分かりました。
不思議な感覚ですが、私には、途中から、沢井学監に中村天風師が入ってお話されているように感じました。天風師とそのエネルギーは、師の愛弟子の沢井学監を通して、今も現実に生きておられると実感しました。まさしく、学監が仰られた、「言葉(エネルギー)は永久に消えない」です。
講演会から懇親会にかけて、沢井学監を知り慕うたくさんの方々が集われました。
皆さま、本当に素晴らしい方々ばかりで、「引き寄せの法則」は実際にあると思いました。
私もそのレベルの高い方々の輪の中に居るだけで、洗心される思いでした。
ご講演を拝聴し、「本心」が煥発され、以前にも増して、中村天風実践哲学への探求心が湧いてきました。
来月2月16日の潜学講座では、沢井学監が更に具体的に、瞑想法などの実演を交えたご講義をしていただける予定です。今から楽しみです。
皆さまも是非ご参加ください!
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年1月21日(月) |
| 潜学講座<第2期>の参加費のお話 月曜担当…池田光 |
|
1月19日に、100年の伝統がある素晴らしい建物の大阪倶楽部で開催した、沢井淳弘出版記念講演会。
テーマは、『わが師中村天風から教わった「ことばの自己暗示力」』。
40名を超える参加者で、大盛況でした。
この講演会のことについては、弊塾の誰かが、本ブログにて報告してくれることと思います。
さて、講演会では、湧くわく本心塾の新しいリーフレットや、潜学講座<第2期>の案内チラシを配布させていただきました。
そして、講演会のあと、隣の会場で開かれた懇親会でのことです。
テーブルで、潜学講座のことを話しているうちに、ある方からこんな指摘を受けました。
「潜学講座の参加費ですけど、一回が1万円で、年間11回で11万円の参加費だとみんな思ってますよ」
と。
「そうなんですか…」
と答えながら、私は少なからずショックを感じておりました。
潜学講座<第2期>の概要は、こうです。
・月1回の開催ペースで、年間11回の実施。
・講座時間が13:30~17:00の3時間30分。
・前半は、基調講座として、毎回、沢井先生と、私・池田光が務めさせていただく。
後半は互師互弟ワーク。
・参加費 全11回…1万円(税込)。
このように全11回で総額1万円なのですが、あまりに安価すぎて、誰もそう受けとめていらっしゃらないと、その方はおっしゃるのです。
つまり、「1回あたりの参加費が1万円」だと、受けとめられているらしいのです。
そうなると、「年間11回で、11万円の参加費」になってしまいます。
じつは、参加費は、1万円÷11回で、一回当たり909円というのが、正解です。
チラシの表現が悪かったのでしょうが、ショックでした。
確かに、毎月、3時間30分の講座が、909円というのは常識では考えられない価格です。
では、なぜ、こんな価格なのか。
湧くわく本心塾には理想があり、とにかく互師互弟で学び合いたいと考えていたのです。
そんななかで、本当の人間学を身につけていきたいと思っています。
学びの質を落とすことなく、常に気づきが得られる講座にしたいと。
そのような学びをすることで、一隅を照らし、さらにはこの日本が良くなるという理想があります。
この理想のために、誰かが主催するという感じではなく、参加したみんなで塾を作り上げていきたいと、なんとなく思っていました。
だから、講師となる人も、参加費を払います(※注)。
もちろん、講師費はありません。
すると、かかるコストは会場費が大半で、結果的にこの価格になっただけのことです。
講師も参加費を払って参加する…、すべての参加者が例外なく参加費を払うというのは、常識とは違うかもしれません。
私にとっては、このことは当たり前になっていて、初めてチラシを受け取られた方の「受けとめ方」にまで知恵が及びませんでした。
訂正できる機会があれば、正しいご理解を得るために、説明させていただきたいという気持ちでいっぱいです。
※注…「講師となる人も、参加費を払います」ということについて、少し説明します。
私は、「教える人こそ、いちばん学べる人である」と思っております。
教えさせていただくことで、もっとも深く学べるのだから、講師がいちばん得です。だから、講師こそ率先して参加費を支払うべしということです。
ただ、この考え方をすべてに適応してしまうと、講師稼業をする方の生活が成り立ちませんので、一応、この考えは「潜学講座」に限って適用しています。
また、他方で私は、講師は、教えることでいちばん深く学べるのだから、その講師に蓄積した知恵は宝物のような貴重なものであり、めちゃくちゃ高い講師費をいただいても良いと、正反対のことも真理だと思っております。
中止半端な講師料ではなく、ゼロ(参加費を支払う)か、目玉が飛び出すくらいに高価な講師費か。
…この両立のなかに、参加者全体の学びが高まる構造があると考えています。
中途半端な講師費しかもらえない講師は、すぐれた講師ではありません。
一講座100万円の講師費をとれる方が、潜学講座では、参加費を支払って講師をさせていただく…、そこが潜学講座の値打ちだと思っています。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年1月18日(金) |
| 集中力。。。 金曜担当…小笹正洋 |
|
今日はちょっとご紹介したい映像があります。
以下のYouTubeの映像をよくご覧下さい。
白い服と、黒い服を着た若者達が、バスケットボールを
パスし合っています。
そこで確認して頂きたいのですが、
「白い服の人同士」でパスをした回数は何回になるでしょうか?
しっかりと画面をご覧下さい。
解説は英語になっておりますが、
文字も記載されますので、凡その意味は
理解できるかと思います。
それでは、以下の映像をご覧下さい。
https://www.youtube.com/watch?v=vJG698U2Mvo
(所要時間は、1分程度です)
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年1月17日(木) |
| 自問自答 木曜担当…西端努斗夢 |
|
昨夜は、毎月1回参加させていただいている勉強会でした。その中で「自問自答」という先生の言葉が私の感性のアンテナに響きました。
先生は、「自分と向き合う時間を持つことで自分を深め、成長させる」とおっしゃっていました。
自問自答とは、自分の中にある本心に問いかけ、本心の声に耳を傾けること。
目の前のことに気をとられ、なかなか自分と向き合うことの少ない日頃の生き方を反省し、できるだけ本心の声に耳を傾ける時間をつくろうと思いました。
なぜなら、本心は素敵なメッセージを常に私たちに送り続けてくれているのですから・・・
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年1月16日(水) |
| 『鞍馬天狗』③ 水曜担当…沢井淳弘 |
|
大仏次郎は鞍馬天狗の性格をしばしば「快活」と表現していますが、そのモデルとなった天風は「明朗快活」そのものでした。また「明朗快活」をつねに目標として生きた人でした。
大仏次郎は鞍馬天狗を描くにあたって、その真剣勝負における強さを描いていますが、天風は、いわゆる道場での剣道よりも、真剣をとれば無双の強さ、と言われておりました。日露戦争の時、満蒙の奥地で馬族となんども真剣でわたりあい、負けたことがなかったとも言われています。
これは余談ですが、天風は学生時代剣道よりも柔道が強かったそうです。九州の修猷館中学のころは、柔道部のキャプテンをつとめていました。また、日露戦争のはじまるころ、軍事探偵の試験を志願して受けたとき、受験科目として剣道か柔道を選ぶことになっており、柔道を選んだそうです。天風は身長165センチで、当時そんなに背が低いというわけではありませんが、上背(うわぜい)のある相手には剣道ではかなわないという経験があったのかもしれません。
「人間はどこまでも生きるために努力しなければならない」
というのが鞍馬天狗の信条だ、と大仏次郎は描いていますが、天風は、
「死後、人間は霊となってから、かならず生前の行為に対する報復を受ける。とくに自殺すると、死後、霊となってから永劫の苦しみを受ける。だから、どこまでも人は生きる努力をしなければいけない」
と考えていました。
天風は、ふつうの講演では、
「死後のことは考えるな、生きている今を大事にせよ」と人々を指導していましたが、自分自身は、そのように感じていました。
天風は晩年になっても(80歳代のおわりごろ)よくヒマを見つけては、ドイツ語を勉強していました。最晩年、病の床をお見舞いに来たある年配の女性が、病床にドイツ語の会話の本があるのに気がついて、
「先生は、なぜそのお歳で、今でもドイツ語を勉強をなさるのですか」
と、尋ねられたとき、なかば冗談に、
「年齢(とし)をとってから外国語を勉強すると、この世にまたすぐ戻って来れるんだよ」
と、笑って答えたそうです。
なぜ天風はドイツ語が好きだったのか? はっきりとは分かりませんが、天風は心身統一法によって、あるドイツの大学から名誉博士号を受けています。また、天風は哲学者ではドイツのカントをもっとも愛読しました。実際、天風哲学はカントとひじょうに似たところがあります。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2013年1月15日(火) |
| 「韓国ソウルにて」 火曜担当…坂本欣也 |
|
近年過熱している独島・竹島問題で、私の友人たちが住む韓国との問題に心を痛めていた私に、本心が「実際に行って観ないと分からない。行きなさい」と進言してくれていました。
そしてついに、1月10日~13日、私は韓国ソウルへの旅を果たしました。
目的は、
1)反日感情で大騒ぎになっているようにマスコミが報道しているが、実際はどうなのかを自分の目と耳と肌で確かめること
2)韓国文化(人の振る舞い、考え方、外国との関わり方など)を歴史的・社会的背景を勉強することで、理解を深めること
1)に対しては、緊張していた自分が狐につままれたように、出会った人々はとても親切で友好的で反日感情を全く感じる事は一切ありませんでした。市場でも、屋台でも、道端でも、駅でも、私が日本人だと分かった時、多くの人々は日本語で「ありがとう」「こんにちは」と知っている日本語を使ったり、手助けしてくれたりしました。
地元料理店で、私たちの横でご飯を食べていた家族の小学生の子供が、私が日本人だと気づくと、片言の日本語で話しかけてきました。最近日本語を学び始めたというのです。外に出ると、母親から一緒に写真をとってもらえないか?と尋ねられ、一緒に記念写真を撮りました。日韓関係が緊張を高める中、日本語を勉強しようという意欲と興味がある小学生がいること、日本人と出会えたことを喜んでくれる家族がいることに、衝撃を受け心が救われました。
2)に対しては、今回3人の素晴らしい聡明な韓国人の友人と会話したこと、説明を受けたことで、期待以上に知識と理解が深まりました。
歴史的に見て、中国の歴代王朝の顔色を伺い、実際に中国王朝や元、更に豊臣秀吉などの外国から侵略を受け、近代の日本の植民地時代(現地では日本政治時代、略して「日政」と呼んでいた)、朝鮮戦争、北朝鮮からの脅威、軍事政権時代を経て、80年後半からようやく民主化を成し遂げた背景があることが、現代の韓国人の考え方や行動を形づくってきたことを丁寧に教えてもらいました。
長い間、外部からの圧力につねにさらされてきた環境が、自らのアイデンティティとその正当性を主張する、また環境にフレキシブルに迅速に対応する、という必要性と性質を生み出した背景であると説明を受けました。そして、自らのアイデンティティの正当性を主張する反動が、外国、特に日本に対する防御的態度を強めていること、また時にその姿勢が強すぎることを、実は多くの国民は客観的かつ冷静に理解しているということでした。
現在、韓国のGDPの75%以上を財閥系10社が占め、その内サムスングループが22%を占める。その結果、貧富の格差が著しく広がっており、特に大卒者の就職難が大問題になっているそうです。少子高齢化の問題も10年もすると深刻さは日本以上にもなるとのことでした。その他、国内の社会・政治・経済の観点からの問題点を語ってくれました。それらは、日本が抱える問題と共通性が多くありました。
今回、韓国ソウルに行き、友人に会い人々と接して、本当に良かったと思います。
文化的にも民族的にも、私たちは根底でつながっていることを実感できました。
心のモヤモヤが、全てではないものの、かなり晴れました。
と同時に、これからどうしていけば良いのか?と前向きに捉えることができました。
これは今後仕事で反映させていきたいと思います。
マスコミや噂に惑わされてはいけないとも、改めて思いました。
西端努斗夢さんの講義にあった、「情報に惑わされず、本心に聴く」という教えを思い出していました。
韓国行きを勧めてくれ、実現してくれた「本心」に感謝しています。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年1月14日(月) |
| 気質が清くなる体験 月曜担当…池田光 |
|
昨年の12月7日に、僕は阪急夙川駅の近くにある「ギャラリー雛」をめざした。
木彫家・野口益代さんの個展が開催されているためだ。
数日前に自宅のポストに舞い込んだ個展の案内ハガキ。その写真面に掲載された作品「空より…」に、僕は魅せられていた。
「空より…」という作品は、直接、空を題材にしているのではなく、なめらかな褐色の木肌の鳥が羽を休め、わずかに上空を見てあげている木彫であった。
おそらく褐色の鳥は、今、舞い降りてきて羽を休めたところなのだろう…。
ハガキの写真面には、「風雪に堪え 永い時を刻み続けてきた 木の中には 手に触れ 見ることのできる 確かな形が宿っている」という言葉が添えられていて、僕は、木からくりぬかれた木彫の形と、そのなめらかな木肌を見たい、実際に見ようと決めた。
ギャラリーでは、一点ずつ側面や裏まで覗き込むように鑑賞した。
すべての作品を見終わった頃に、
「野口先生のお知り合いの方ですか?」
とギャラリーの女性が口を開いた。
「お会いしたことはないのですが…」
と言いながら、ハガキを取り出すと、
「先生は、あと一時間ほどでお越しになります。近くに美味しい珈琲を出すお店があるので、もしお時間が許せばいかがでしょう」
と案内され、僕は、そこで漢文の予習をすることにした。この日は、漢文読解の勉強会に行く日だったから。
珈琲は、80代に見える小柄な着物の女性がサイフォンで入れてくれた。まず一口、その暖かい飲み物で体を温めると、案内ハガキを取り出した。
「野口益代 彫刻展 ―木に魅せられて―」
とあり、略歴が記されていた。
神戸大学教育学部美術科卒
東京藝術大学彫刻科大学院卒
平櫛木彫研究所研究生
神戸親和女子大学教授 -2007
2007年まで、大学で美術を教えられていたんだと推測した。
一時間ほどすると、茶房のドアが開いて、ギャラリーの女性が顔をのぞかせた。
「先生は、出かけるのが遅くなったご様子で…」
と詫びられ、僕は、勉強会の時間に間に合わないので、「先生によろしく」と伝言して立ち去った。
その翌日、ギャラリーの女性から携帯に電話がかかった。
「野口先生と代わります」
そして、とてもよく通る綺麗なお声が「野口です」と告げた後、会えなくて残念だということを伝えてくれた。
僕は、作品の素晴らしかったことを伝え、
「ギャラリーは何時までですか?よければ、その後お食事でも」
とお誘いした。
ギャラリーが閉まる30分前に訪ねると、10人くらいの女性客がいた。僕はソファに案内され、和菓子をいただいた。後で聞いたところでは、彼女たちは教え子だということだ。
東京藝術大学彫刻科大学院時代に、ともに学んでいたという陶芸家の女性が千葉からかけつけておられ、その方と、背の高い教え子の女性と、僕の四人で食事をすることになった。
「美味しいお蕎麦屋さんがあるの」
と野口さんは案内してくれ、
「きょうは、姉が来てくれて、ご祝儀をもらったの。だから、懐が温かいのよ」
と、ご馳走してくれた。
「木肌に見とれました。材料を作るのに、木を何年も乾燥させるのですか?」
熱燗をやりながら、僕は尋ねる。
「あの作品たちの木は、萩まで行って取り寄せたの。萩に古木があると聞いて、それを使ったけど、ほとんどは腐っていて、木彫に使えたのは、一部。トロのようなものよ」
と野口さん。
それから18日後の、12月26日のお昼頃、僕は野口さんのお宅を訪ねた。
京都駅で丹波線に乗り換え、終点の園部駅に着くと、福知山線で日吉駅へ。
日吉駅には、野口さんが車で待っていた。
「私のうちまで、15キロほど」
と運転しながら言った。
「園部駅までは晴れていたのに、日吉に着くと、少し雪が舞っているので驚きました」
と話した。
野口さんの住む美山町の山脈が分水嶺で、日本海側の気候なのだそうだ。

お宅に着いてしばらくすると、雪が積もり始めた。
すでに朝から暖炉で部屋を暖めてくれていたらしいが、天井が気持ちよいくらいに高く、いくら温めても15度なのだという。
2メートル四方の一枚板のテーブルには、畑で採れた野菜を使った料亭のようなお食事。
「見事なテーブルだ。大のおとなが四人くらいでかかえないと持ち上がらないでしょうね」
と僕は感嘆した。
「冷めないうちに」
と出されるお料理は、少し年代の入った器や、作家の器に盛られていた。
冷えすぎていない大吟醸酒がうまくて、僕は手酌で何杯もお代わりした。
締めくくりのお料理は、生湯葉の丼で、僕ははじめて食べたが、その朝に漬けたというお漬物と、三種の縮緬雑魚で、七色の味を楽しむことができた。
その後、庭の飛び石づたいに工房に移動した。
重い扉が開くと、十数体ほどの作りかけの作品が目に飛び込んできた。
工房は広く、鉄骨の梁に電動で木を運ぶチェーンがしかけられていた。
「これだと、重い木も簡単に運べるの」
と動かしてみせてくれた。
あまりにも気持ちよく時間が進んでいるので、僕は気づかなかったのだか、ふと目をやると、窓の外はすっかり暮れていた。
庭に仕掛けられたいくつかの電燈の光が、真っ白な雪に反射して、幻想的な夜を演出している。
「雪が降ると、外の音が消えるのよ。雪が音を吸い込むのかしらね」
と野口さんは教えた。
枯れた樹の枝に積もった白い雪…。
暗い夜に、樹々の姿が浮かんで見えた。
野口さんは、田舎で暮らすのが念願だったそうだ。
そして、阪神淡路大震災のあとで、こちらに移り住んだ。
ちょっと古いマイセンのカップにつがれた珈琲と、僕がお土産に持って行ったフーケの神戸プリンをデザートにしつつ、
「こんなにも空気が綺麗と、人の気も清くなりますね」
と言った。
この言葉は、湧くわく本心塾の「本心と気質」を念頭に置いたものだ。
なぜ、僕は、この文章を書いたのか。
それは、このような自然のなかの、逆らわない生活のなかでこそ、おのずから気が清くなると感じたから。
その日のことは、僕にとって清気が満ちてくるという貴重な体験だった。
僕は文章にすることで追体験したかった。
この日のことを想起するだけで、気が綺麗になるようだ。
|
|
|
| 2013年1月11日(金) |
| 「論語」より 金曜担当…小笹正洋 |
|
「論語」を開いてみると、必ず一番最初の、
「子曰く、学びて時に之を習う、また説ばしからずや。
朋有り、遠方より来る、また楽しからずや。
人知らずして愠みず、また君子ならずや。」
が目に入ります。
一行目が、「学」を得る。
二行目が、「学」を広める。
三行目が、「学」を成す。
と意味するようで、「学び」ということで一本筋が通っています。
この一章が、論語のトップバッターに君臨しているという事は大きな意味があるのだと思います。
一冊分の小論語としての意味を成すとも云われています。
私は、この一章を読む度に色々な解釈を致します。
今回は、三行目の「人知らずして愠みず」ということに注目しました。
自分の学問(学び)の完成を人に知って貰わなくても、泰然自若として、ただ勉強を重ねていけば良い。
というような解釈が一般的であるように思いますが、
私自身が今回感じたことは、
人は意識して見ようとするものや、経験や既存知識に関連するものでないとなかなか認識出来ないようです。
対象が物であっても、人であっても同じなのでしょうね。
三国志の中でも、曹操が「英雄は英雄を知る」と劉備のことを言ったそうですが、そこには、論理や五感を超えた「感じる力」の働きなのでしょうね。
まだまだ解明され尽くしていない人間の偉大なる能力の存在と可能性に大きな期待と尊敬の意を表したいと思いました。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年1月10日(木) |
| 安らかな心 木曜担当…西端努斗夢 |
|
このお正月、絵馬に願い事を書く羽目になりました。
何を書こうかといろいろと考えた結果、「一瞬でも長く、安らかな心でいられますように」と書きました。
人間は、仕事も健康管理も人間関係づくりも、さらには学びや修行も、すべては安らかな心でいるためにやっているではないでしょうか?
お金がないとなかなか安らかな心になれません。健康を害しても、人間関係に問題があっても、心が乱れて安らかな心にはなかなかなれません。
その半面、少々お金がなくても、健康や人間関係に多少の問題があっても、学びや修行を重ねれば安らかな心でいることができると思います。
心安らかに日々を過ごすことができれば、他に何もいりません。
湧くわく本心塾での学びは、私にとって一瞬でも長く安らかな心でいるためのものです。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年1月9日(水) |
| 『鞍馬天狗』② 水曜担当…沢井淳弘 |
|
『鞍馬天狗』のモデルは天風だった、という話は、去年しました。
じっさい、美貌で、頭がきれ、真剣勝負ではだれにも負けない男、そしていつも颯爽として正義の味方、これが『鞍馬天狗』のイメージですが、それが天風そのままなんです。
天風には社会正義の感覚が鋭かった。それは育ての親、頭山満に共通するものでした。天風は頭山満にたのまれて、なんども労働争議の仲裁役をして、うまく事態を収拾しています。そのときの天風の基本姿勢はいつも、どこの正義があるか、という感覚をぶらさないということだった、と天風自身が言っています。
そういう正義感が『鞍馬天狗』にも一貫して述べられているのです。
舞台は、幕末の京都ですから、とうぜん勤皇派と佐幕派の暗闘です。
勤皇派には、正規の藩士のグループと、浪人グループがいます。『鞍馬天狗』は浪人のグループにはいります。この2つのグループは、ときに互いを信用できず、佐幕派にたいしてうまく団結できないことがあります。
勤皇派のとくに過激な浪人グループは、幕府の守護職―会津の松平容保(かたもり)―を暗殺しようと企みます。しかし、鞍馬天狗は、時局の全体を見据えていて、この暗殺計画に反対します。それで同志たちに日和見のそしりを受けます。彼は自説をまげず、つぎのように言って同志たちを説得します。
「守護職を殺したとしても、すぐに別の守護職が来ますよ。公儀には人が多いのだ。ことに味方が暗殺のような手段を採って挑戦すれば、幕府の圧迫はいよいよ強硬になって、根こそぎ同志の者を倒そうとするだろう。すると、この暗殺になんの意味があったことになるのだ?・・・
隠忍(おんにん)したまえ、隠忍です、忍耐だ。時期をお待ちなさい!
不遇のときほど、落ち着き払って、物を静かに見ていることだ」
この口吻、口ぶり、言い方は、天風を彷彿とさせるものがあります。
天風が太平洋戦争のはじまるとき、「これは日本にとって正義の戦争ではない」と言って反対したときのことを、大仏次郎も覚えていたにちがいありません。そのようなことが、小説のこの鞍馬天狗の考え方に反映しているかもしれません。
『鞍馬天狗』の中でも特に有名なのは「角兵衛獅子」と題されるものです。
この中で鞍馬天狗は、つぎのような性格描写を与えられており、これらは天風その人を直接スケッチしたとしか思えないほど正確なものです。
①「鞍馬天狗の快活な気性にふさわしい陽気な空想が次々に湧いて来ます」
②「中肉にして白皙、鼻筋とおり、眼もと涼し。・・・剣道は一刀流皆伝。・・・慓悍(ひょうかん)・・・」(注、慓悍=敏捷で強い)
③「鞍馬天狗の信条として、人間はどこまでも生きるために努力しなければいけない」
④「鞍馬天狗の心持ちは、よく晴れた空と同じく飽くまで静かだった」
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2013年1月8日(火) |
| 「伯母のこと-2」 火曜担当…坂本欣也 |
|
伯母が、1月5日夜、永眠いたしました。
新年早々、私ごとの悲報をお伝えするのは憚られますが、12月11日のブログに私の伯母のことを書きましたので、今回は彼女の最後として書かせていただければと思いました。
元日から様子がおかしくなってきたので、(私の誕生日の)2日夜、私は伯母の横に布団を敷き、夜中彼女に付き添いました。
幻想と現実の狭間、幻想と幻想の狭間で、もがく伯母。
「誰かがそこにいる」「(実際にはない)鏡の向こうに何かある」「お花畑、綺麗」「痛い、痛い」「置いて行かれる」
怖がったり、安心したり。痛がったり。
私もその彼女しか見えない幻想に、付き合いました。
そして、この非日常的なこれまでに体験したことの無い経験を通して、自分の中に居る「自分がまだ出会ったことのない様々な自分」をも、その暗闇の中で体験しました。それは、本心なのか、気質なのか、分かりませんが、確かに居ました。泰然自若ではない、平常心を失ったどうしていいか分からない自分も居ました。
最近教わった「人は、生まれ変わる時だけでなく、一生、そして一日のうちに、六道輪廻を無限に繰り返す」ということを思い出していました。 (六道:天、人間、修羅、鬼畜、餓鬼、地獄の道)
また、自分はたまに来ての介護だからできるものの、毎日付きっ切りで介護している人たちのことを想うと、本当に頭が下がる思いをしました。この人たちを支えられる、個人、家庭、社会でなければいけないとも思いました。
そして、4年間の入院~施設入居~自宅介護のプロセスを通して、生老病死に対する考え方、それにまつわる医療や介護の在り方、社会の仕組み、政治のあり方などについて、いろいろと考えさせられました。
「死に様は生き様」。以前ある人に教えてもらった言葉ですが、どのように生きるかが、どのように死ぬかに大きくかかわっているということも、実感を以って考えさせられました。
身体が不自由だった伯母は、最後までたっぷりの愛情を以って、このように学びと学びの機会を私に与え続けてくれました。 そして、伯母の魂・エネルギーは私たちの中に宿り、これまでと変わらず、ずっと共に居てくれると信じています。
おばちゃん、ありがとう。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2013年1月7日(月) |
| 温めるということ 月曜担当…池田光 |
|
■温めることの意義
私たちはよく、次のように「温める」という言葉を使いますね――。
・アイデアを温める。
・企画を温める。
・構想を温める。
このように温めるというのは、まだ、そのアイデアや企画や構想が「卵」の状態だからです。
それは、親鳥が産んだばかりの卵を温めるのに似ています。
かたときも離れず、卵を温め続けていると、やがて卵はひな鳥へとかえっていきます。
温められたアイデアや企画や構想は、熟して、その開花の時を待っているわけです。
つまり、温めるとは、熟成させ、開花させることです。
ところで、卵から離れて冷えさせてしまうと、その卵は永遠にひなにかえることはありません。卵の死です。
温めるとは、温め続けること。
・アイデアを温め続ける。
・企画を温め続ける。
・構想を温め続ける。
「続ける」ことが大切です。
このように続けてこそ、アイデアや企画や構想は温まっていき、熟して、やがて開花するのです。
■ふたたび「温故知新」
昨年末、12月31日のブログに、「温故知新(おんこちしん)」を取りあげました。
そして、温故知新の「温」を、「たずねる」と読むのか、「あたためる」と読むのか、どちらが正確なのかをテーマにしました。
一応、
「故(ふる)きを温(たず)ねて、新しきを知る」というふうな、「たずねる」という読みではなく、
「故(ふる)きを温(あたた)めて、新しきを知る」
と訓読するのが正しいという説を掲載しました。
つまり、「温故知新」とは、これまで営々と蓄積された知識体系を学び、インプットした「知」の卵を温めて、その「知」をひな鳥へとかえすことにほかなりません。
■学習のステップ
『論語』の冒頭は、次の言葉で始まります。
子曰く、学びて時にこれを習う。また説(よろこ)ばしからずや。(学而第一)
この一文には、「学」と「習」とが含まれています。
ふだん私たちが使っている「学習」という言葉の語源は、ここにあります。
私は、この一文を次のように超訳しています。
先生は言われた。
学んで知識をインプットし、常におさらいして、アウトプットできるほどにまでに自分のものになるのは、どうだろう、身の内から湧き上がってくるような心嬉しさがあるではないか。
学……知識をインプットすることです。
習……常におさらいすることです。そして、アウトプットできるほどにまでに自分のものにすることです。
そもそも、「習」という字は、「羽+自(かさねるの意)」から成り、ひな鳥が繰り返しはばたいて飛ぶ練習をするというのが原意です。
私は、ここに「温故知新」を加えることで、学習とは、次のステップから成ると思うのです。
① まず「知」をインプットすること。
② そして、「知」の卵を温めて、「知」のひな鳥(=仮説)へとかえすこと。
③ ひな鳥が何度も羽ばたく練習をするように、仮説を何度も検証して、やがて大空へと飛び立つこと。
■曾子の覚悟
曾子(そうし、BC505-453)は、孔子より46歳若い晩年の弟子です。現代に伝わる孔子の教えは、主に彼の一門から伝わっていきました。
その曾子ですが、常に自分をふり返えるべく、3つの覚悟をしました。
・他人のために考えて、忠(=まごころ)であったかどうか。
・友と交際して、信(=誠実)を欠いてなかったか。
・習得していないことを教えていないか。
これを三省と呼んでいます。
3番目の「習得していないことを教えていないか」とは、温めきれず、熟していない「知」については語るまいという覚悟であり、常におさらいし、アウトプットできるまでに自分のものになっていないかぎりは、人に教えまいという覚悟です。
このように学び、温め、おさらいすることを、NPO法人論語普及会の村下好伴会長は、「潜学(せんがく)」と呼びました。
学に潜もうということです。
潜学した結果、「知」は熟して、器からあふれだすようになります。
その時、私たちは、真に一隅を照らすことができるのです。
弊塾の「潜学講座」では、この精神を大切にして、互師互弟で学びあい、その学びを温めようと、「潜学」の二文字を村下好伴会長からいただきました。
潜学講座の第1期(2012年3月~2013年3月)では、毎回、坂本欣也さんが「三省」の時間を設けてくれました。
4月からスタートする潜学講座の第2期においても、「温める」ということを大切にしたいと思っています。
どうぞ、本年もよろしくお願いいたします。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2013年1月4日(金) |
| みる・・・ 金曜担当…小笹正洋 |
|
新年あけましておめでとうございます。
お正月気分も何処へやら、というタイミングですが、今年最初のブログという事もあり、新年のご挨拶申し上げます。
新しい年を迎え、それぞれに念頭の決意を抱かれていると思います。
私自身の思うところを申し上げますと、縦糸、いわゆる軸にしたい部分では、「見えないものを見ようとする眼を持つ」ことを意識し続けたいと思います。
物事を刹那刹那に見るのではなく、「多面的・長期的・根本的」に見るということを意識し続けたいと思います。
つまり、場面が違えばどうか、過去からの経緯や将来的にどうなるのか、その真意は何処にあるかといったことに眼を向けたい。
そして、横糸いわゆる現在の自分に必要なものを補う習慣として、毎月一本は映画を観るということを、娯楽を兼ねて自分の学び、気付きの場として、課していきたいと思います。
大抵の方にとっては、それが目標? と思われるでしょうけれども、私にとっては2時間以上画面を観続ける事は、常に睡魔と退屈との闘いなのです。。。
そういう意味で、今まで眺めて来なかった景色を見る事で、心を湧くわくさせる映像との出会いに期待し、眠っている部分の本心の部分の発動のきっかけにもしていきたいと思います。
本年も皆様にとって、幸福と喜びに溢れた輝かしい一年となりますように。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2013年1月3日(木) |
| 1年の計は元旦にあり 木曜担当…西端努斗夢 |
|
あけましておめでとうございます。
「1年の計は元旦にあり」ということで、今年の目標や計画を立てられた方も多いかと思います。
私はここ数年、あえて目標や計画を立てず、目の前に現れたことは、自分の価値観による好き嫌いや善し悪しに関わらず、すべて受け入れ、流れのままに身を委ねて生きるようにしています。
この生き方が楽だと思って始めたのですが、実際は決して楽ではありません。時には思っても見なかった方向に流れていき、望んでいなかったことをやる羽目になることもあります。ある意味で目標や計画を立て、それを達成するのと同じくらいたいへんです。
ただ、ひとつわかったことは、私たちは小さい頃から、目標や計画を立てて、コツコツ努力していくことが大切だと教えられてきましたが、どちらの生き方もOKだということです。
身を委ねて生きるのも、毎日が面白いし、おかげさまで幸せです。
今年もありがとうございます。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2013年1月2日(水) |
| 幸せは弱きにある 水曜担当…沢井淳弘 |
|
あけまして、おめでとうございます。
今年の春には「湧くわく本心塾」は、設立1周年を迎えます。
昨年中は、池田塾長をはじめ、役員の方々――小笹さん、坂本さん、西端さん――には、たいへんお世話になりました。ありがとうございました。
また、塾生の皆さまには、その熱意とご努力に対して、感謝の気持ちを表したいと思います。ありがとうございました。
みなさん、今年も宜しくお願い申し上げます。
去年、『幸せは弱きにある』という題名の本が、よく売れました。
私は、「幸せは強きにある」ではないかと、反発の気持ちもありましたが、その本を買って読みました。そして、天風哲学においても、「幸せは弱きにある」んだなぁ、と思いを改めました。
実は、これは反語的表現というものです。
『幸せは弱きにある』という本は、キリスト教への入門、信仰をすすめる本でした。その本の中で、著者が言わんとしていることは、
「自分に弱さを感じている人こそ、熱烈に信仰をもとめ、敬虔なキリスト教徒となって、ほんとうの人生の幸せをつかむ」
ということだったのです。
ここで「自分に弱さがある」という意味は、とても広いものです。
自分は、経済的に弱い―つまり、貧しいと思っている人、
健康に問題があると感じている人、
なにか自分の能力に不足を感じている人、
なにか自分の性格に弱点があると感じている人、等々
――これらすべての人が、「自分には弱さがある」と思っている人です。
そういう人たちこそ、謙虚に人生の真実を求める人です。キリスト教では、結果的に信仰によって救われ、人生の幸せをつかむ人、だというわけです。天風哲学にもこれは当てはまります。
天風哲学は、宗教的な信仰をおすすめしませんが、代わりに、信念(つまり自主自律の精神)を説くものです。しかし、天風哲学によって救われ、真の幸福をつかむ人は、それ以前に「自分の弱さ」を感じていた人です。ですから、天風哲学においても、「幸せは弱きにある」と言えるんです。もっとも、いつまでも弱いままに、とどまっていては困りますね。自分の弱さを克服して、強くなってもらわないといけません。
天風はこう言ったことがあります。
「金もある、健康にも自信がある、と言う人は、どうしようもないね。他人に対する憐れみや、思いやりがないからね。他人の苦しみがわからない人はダメなんだよ」
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2013年1月1日(火) |
| 「2012年の振り返りと2013年への抱負」 火曜担当…坂本欣也 |
|
新年明けまして、おめでとうございます!
信念明けまして、おめでとうございます!
池田塾長が2012年の最後にふさわしく、「温故知新」の意味を改めて教えてくださいました。「あたためる」の意味、習熟を重ねてこそ新しいものの本質が見えてくる。だから、「根」を大切にしないといけない。また味わい深い勉強になりました。
2012年は湧くわく本心塾の元年でした。振り返ると、本当に多くの素晴らしい方々との出会い、学び、そして喜びを、塾から戴きました。本心より、感謝しております。
潜学講座(http://honsinjuku.com/sengaku.html)では、塾の基本である「儒教」「天風哲学」について毎回直接的に勉強したわけではないですが、その基本をベースに置いていたことで、テーマはバラバラでしたが、各回の塾生の皆さんによる素晴らしい講義内容が、更に一貫性と深みのあるものに醸成されていったのではないかと思っています。そして、その根本目的は、塾の名前の由来でもある「個々の中にある『本心』を湧き立たせ、知ること」だったのではないかと思います。
私は、人生の究極の目的の一つは、「自分は何者であるのか?」を知ること。言い換えれば、「自分の本心=魂」を知ることだと思っています。その意味で、毎月の潜学講座は、私にとって自分自身=本心を探求する素晴らしい機会であり、1か月間の変化や成長を確認する絶好の場でした。しかも、一人旅ではなく、素晴らしい師と同志との仲間旅であったことが、そのプロセスを促進させる最大の要素であり、また喜神を感じる至福の時空間でもありました。
結果、私の仕事、生活にも、善い影響が生まれ始め、以前に比べてバランスが取れてきたように感じています。本当にお蔭さまです。
本心は信念とも言い換えられると思います。本塾学監の沢井淳弘先生の著書『すべてはよくなる~わが師中村天風から教わったことばの自己暗示力~』には、次のような素晴らしい言葉が記されています。
「信念とは、自分を信ずる念、であり、絶対的な安心感であり、自分の夢や希望を実現する原動力となるものです。信念の強い人は、ゆるぎない安心感をもって、人生を歩いていくことができます」
「強い信念があれば、奇跡以上の良い現実が生命にあらわれる」
よって、2013年は、「本心=信念が更に明確になる年」にしていきたいと思います。
なので、「信念明けまして、おめでとうございます!」です。
そのために、本心の周りにある気質を常に洗い磨く「先心」を実践します。
具体的には次の3つを行いたいと思います。
一つ、日々、立腰瞑想道の実践
一つ、毎月、潜学講座での学び
一つ、毎朝、冷水を浴びる業「水垢離」(本日で262日目)と「六方拝」の実践
(宣言した以上は、実践しなければなりません。 あ~、プレッシャー!)
皆様にとりましても、本心が益々湧くわくする、喜神踊る一年となりますよう、お祈りしております。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2012年12月31日(月) |
| 温故知新 月曜担当…池田光 |
|
今年最後のブログとして何を書こうかと考えましたが、新しい年を迎えるにあたって、「温故知新(おんこちしん)」を取りあげてみたいと思うのであります。
「温故知新」の出典は、やっぱりというべきか、『論語』です。
『論語』の原文は、次のとおりです。
子曰、温故而知新、可以為師矣。(為政第二)
この漢文を、我々はふつう、次のように読んでいます。
「子曰く、故(ふる)きを温(たず)ねて、新しきを知る。以(も)って、師たるべし」
と。
■「而」で結ばれている。
以上の原文を見れば分かるように、「温故知新」という四字熟語は、原文では「温故而知新」と五字から成っています。
つまり、「温故」と「知新」の間に「而」が入っていて、これら二つの二字熟語を結んでいるわけです。
さて、「而」は、「而(しこう)して」と読む接続詞です。
ですから、温故知新とは、「故きを温ねる」、而して「新しきを知る」ということです。
新しいことを知る前提として、故きを温(たず)ねることが必要なのです。
だとすれば、「2013年」を真に新しい年として迎えるには、2012年を振り返ってみることが大切なのでしょう。
■「師」たる者の条件
もう一度、原文をご覧ください。
「以って、師たるべし」という一文で結ばれています。
ということは、『論語』のこの章は、「以って、師たるべし」がテーマとなっているということです。
つまり、この章で言わんとしているのは、「師というのは、故きを温ねて、新しきを知るという条件をクリアした人だ」ということです。
私は、「故きを温ねる」というところに、師たるものの深みと重みを感じます。
したがって、もし仮に、故きを温ねずして新しきを教える人がいたならば、その人は我流の人ではないでしょうか。
その人が教える新しいものは、根が張っておらず、ちょっと環境が変化すればすぐに倒れたり風化するような、学ぶに値しないものが多いではないでしょうか。
このような我流の人は、師の資格を欠いているのです。
人の師となるかどうかは別としても、「故き」に根を生やして、新しい芽を育てたいものであります。
■「温」は、なぜ「たずねる」なのか
改めて考えてみると、
「故(ふる)きを温(たず)ねて、新しきを知る」
というのは、不思議な読み方です。
なぜ、「温」を「たずねる」と読むのでしょうか。
「温」は、「あたためる」ではないでしょうか。
じつは、正しい読みは、我々がふだん読み習わしている「たずねる」ではなく、「あたためる」かも知れないのです。
たとえば、加地伸行の『論語』(講談社学術文庫)では、「あたためる」と読んでいて、「故(ふる)きを温(あたた)めて、新しきを知る」と訓読され、次のように現代語訳しています。
「古人の書物に習熟して、そこから現代に応用できるものを知る」と。
このように、「あたためる」とは「習熟する」という意味です。
すでにわが国では、江戸期の大儒である荻生徂徠が、その著『論語徴』において、「あたためる」が正しいと断じています。
また、冨谷至『四字熟語の中国史』(岩波新書)には、
「温故知新」――なぜ「温」が「たずねる」なのか
という一文があり、知的好奇心を満たしてくれます。
冨谷至は、「温」を「あたためる」と読むのが正しいとして、次のように「温故知新」を解釈しています。
「古いことを知ることが新しいことを知る方法」といった解釈ではなく、「古いことに習熟してこそ新しいことが理解できる」「新しい知識はそれまでの学習の間断なき積み重ねの上になりたち、できる者が師となれる」という意味とらねばならないのである。(冨谷至『四字熟語の中国史』岩波新書より)
このように「温故知新」という、手あかがついたように思える四字熟語も、故きを尋ね、これに習熟しようとすると、新しい理解へと至るものです。
それは、深い理解となり、しばしの思索へと誘います。
根のない人は、「温故知新」を早合点して使いかねません。
「根」というものを大切にしたいと、年の瀬に思うのであります。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2012年12月28日(金) |
| 継承力 金曜担当…小笹正洋 |
|
私の中学・高校生時代の憧れのプロレスラーであり、格闘家であった前田日明さんには、「どの格闘技が強いかどうかということが問題なのではなく、その個人がどうなのか」という発言が残っている。
つまり格闘技や武道の種類ではなく、その人間の強さだけが問題だということですが、このシンプルな発言の中にある種の真理を感じずにはおられない。
いくら立派な宗教や哲学であっても、その教えが続くのかどうかは、継承者の力や人格に大きく拠ってくるのだと思います。
当然、企業や各種団体についても同じ事だと思います。
そう考えると、企業の中でも明治時代以前から続いている老舗企業の力は本当に凄いと思います。
創業者の遺した技術や教えをしっかりと継承しつつ、時代の流れにもしっかりと乗って世の中の役に立ち続けている。
変えていくべきものと、変えるべからずものがしっかりと組織の中ですみ分けられている。
おそらく、その組織にはそういう事をしっかりと伝えていける「人財」が育つ土壌が出来ているのでしょう。
大阪の四天王寺を建立した、現株式会社金剛組は西暦578年創業という世界最古の企業と云われています。
四天王寺や法隆寺の工法は今でも金剛組「組み上げ工法」として継承されているようです。
日本という国は、こういう伝統技術や文化の継承がされてきている国であり、この時代に生きている私たちもしっかりと日本の中で育まれているよき教えを学び、次世代に繋げていきたいものです。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2012年12月27日(木) |
| 感謝の前払い 木曜担当…西端努斗夢 |
|
今年も今日を含めてあと5日となりました。3月に湧くわく本心塾がスタート、7月からホームページを立ち上げ、ブログを書かせていただいていますが、この1年、本当にありがとうございました。そして、少し早いですが、来年もありがとうございました。
あと5つ寝るとお正月。お正月には初詣に行かれる方も多いと思いますが、私は毎年、初詣では「今年1年ありがとうございました」と神様に感謝の前払いをしています。これを「予祝」と言うそうです。
何かを購入するとき代金を前払いすると喜んでもらえます。場合によっては、割引や特典を付けてくれることもあります。だから、神様も感謝を前払いすると喜んでくれて、何かオマケをしてくれるのではないでしょうか?
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2012年12月26日(水) |
| 『鞍馬天狗』① 水曜担当…沢井淳弘 |
|
中村天風は、大仏次郎の書いた小説『鞍馬天狗』のモデルとなっています。そのことについて、天風自身がおおいに自慢して、なんども講演で話しています。
大仏次郎の『鞍馬天狗』は30数編におよぶ連作シリーズで、なんども映画化され、嵐寛寿郎(あらし・かんじゅろう)などの有名な俳優が演じて、戦前戦後の大衆の血を湧かせました。今では、たぶん60歳以上の年配の人しか、思い出をもっていませんが・・・。
映画は何度も見たが、大仏次郎の原作は読んでない、と言う人が多いと思います。
『鞍馬天狗』は幕末の京都を舞台に活躍し、神出鬼没で正義の味方なのです。それが一般大衆に受けたと思われます。
しかし、たとえば鶴見俊輔のような天才的な哲学者にも愛されているのです。鶴見には『鞍馬天狗』に関するエッセイがいくつかあります。鶴見はわずか5歳の幼稚園児のころに『鞍馬天狗』に没頭し、後年太平洋戦争のあと、(30歳近いころ)ふたたび『鞍馬天狗』を大仏次郎が書きはじめ、それらの作品にも感動して、文庫本に解説を書いています。「鞍馬天狗はまだ生きていた!」と感動を書きとめています。
小説家大仏次郎が、中村天風の弟子になったのは、たぶん大仏次郎が25,26歳のころです。大正11年か12年です。(1922、1923)大仏次郎は東大法学部を卒業して外務省に入ったばかりのころです。
『鞍馬天狗』の第1作は『鬼面の老女』で、大正13年に出版されています。
その少し前に大仏次郎は天風をたずねて、
「先生をモデルにして、幕末の風雲を小説にしたい」
と申し出ています。もちろん、天風は
「やってごらん」
と、このまだ無名の若い作家志望の弟子を励ましたそうです。
『鞍馬天狗』の代表作『宗十郎頭巾』をとりあげ、その中で天風がどのように描かれているか、見てみます。実にありありと生前の天風の姿がここにあります。
原文からちょっと引用しますと・・・
「賀茂川に沿った淋しい道を、五条の方へ雪駄(せった)を鳴らして急ぎ足で来た侍。・・・首を頭巾で包んでいるが、着流しの着物のぴたりと身に合った敏捷で若々しい躯(からだ)のこなし方と、きびきびした動作です・・・」
この一節は明らかに若い頃の天風の身の敏捷さを描いており、
さらに
「頭巾を解くと、下から現れた顔は、色の白い上に鼻筋がとおって苦味走った、役者のような男前でした・・・」(ちくま文学全集「大仏次郎」)
と、天風の美丈夫ぶりを書いています。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2012年12月25日(火) |
| 「クリスマス」 火曜担当…坂本欣也 |
|
今宵は12月24日、クリスマス・イブです。イエス・キリストの誕生日の前夜祭。
世界中のキリスト教の信者でない人たちも、そもそもクリスマスの言葉の意味を知らない人たちも、クリスマス・パーティーで盛り上がっていることでしょう。
正直、そのことに対して、以前は抵抗感がありました。
しかし、最近少しずつ感じているのは、聖なること、善なることである限り、何でも自分の中に取り込んだら良いということ。何故なら、聖と善は宇宙の正のエネルギーだから。
それと、忘れてはならないのは、昨日は天皇の誕生日だったということ。
この偉大な誕生日に挟まれた今日の日を祝いたいと思います。
そして、静かに瞑想し、宇宙のエネルギーを感じ、戴きたいと思います。
東京に向かう、のぞみの中より
Merry Christmas!
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2012年12月24日(月) |
| 今年読んだ「論語」関連の本 月曜担当…池田光 |
|
他人の書棚を見るのは、結構、楽しいものです。
少し、頭のなかが透けて見える気さえいたします。
さて年末なので、他人の書棚ではありませんが、私がこの2012年に読んだ「論語」関連の本を列記します。
ご覧いただければ分かるとおり、あまり難しい本はありません。
そもそも私自身が入門者であり、入門レベルか、それより少し進んだ本ばかりです。その意味で、参考になるのでは…、と思います。
絶版書が多いのですが、古書市場で比較的容易に入手できます。
最後の2冊は、今年刊行された新刊です。
■酒見賢一『陋巷に在り』(新潮文庫、絶版)
酒見さんは『墨攻』などで知られる小説家です。この本は、全13巻の長編であり、面白いです。が、スイスイとは読めません。
■狩野直禎『「論語」の人間問答』(PHP文庫、絶版)
論語の人名事典的に活用しています。
■合山究『論語解釈の疑問と解明』(明徳出版社、絶版)
論語をどう解釈するか、論語約500章のうち57章についての解釈で面白いです。
■金谷治『論語の世界』(NHKブックス、絶版)
珠玉の一冊であり、論語の思想は心に沁みました。
■加地伸行『「論語」を読む』(講談社現代新書、絶版)
論語が作られた時代についての考察などから、違った論語像が見えてきました。
■冨谷至『四字熟語の中国史』(岩波新書)
詩のように美しい文章で繰り広げられる論語などからの四字熟語の世界。知の深さを教えられました。
■湯浅邦弘『論語』(中公新書)
近年発見された竹簡などの資料を駆使して、論語の見方が広がる一冊です。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2012年12月21日(金) |
| タンポポ 金曜担当…小笹正洋 |
|
踏みにじられても
食いちぎられても
死にもしない
枯れもしない
その根強さ
そしてつねに
太陽に向かって咲く
その明るさ
わたしはそれを
わたしの魂とする
坂村真民さんの「タンポポ魂」という詩です。
しっかりと自分の生命の根を生やし、一意専心でただひたすらに花咲かす。
そしてその生命力は、種が方々に飛んでいっても、その先々でしっかりと大地に根を張り、新たな命を育む。
タンポポは英語で「ダンディライオン」と言う。
フランス語のライオンの歯(ダン=ド=リオン)が由来とも言われる。
その名前の由来からして、力強さを感じる。
大自然の生命力に学ぼう!
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2012年12月20日(木) |
| 言葉の力 木曜担当…西端努斗夢 |
|
来年1月に開催される沢井先生の出版記念講演会は、『我が師・中村天風から教わった言葉の自己暗示力』がテーマ。言葉の持つ力についてどんなお話が聞けるか今から楽しみです。
私たちは、見たもの、感じたものを他の人に伝えるため、言葉に置き換えるという作業をしています。しかし、これが難しい作業で、自分の思いがうまく伝わらず、時として人間関係を複雑にさせる原因となります。
後世に名を残した宗教家や哲学者は、もしかしたら、思ったこと、感じたことを言葉に置き換える天才だったのではないでしょうか?
日頃、何気なく言葉を発していますが、もう少し言葉を大切にしたいと思います。なぜなら、言葉には言霊が宿っていて、たった一言で人を元気にすることも傷つけることもできる力を秘めているからです。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2012年12月19日(水) |
| 天風の揮毫 水曜担当…沢井淳弘 |
|
天風の筆墨は見事なもので、内から出てくる、ものすごい胆力のようなものが感じらます。とくべつに気合を入れて、雄渾に筆を走らせることもなく、気取りのない、ある種の淡々としたところもあります。筆がはねることはありません。
晩年期に天風は書画をとても愛されました。若い血気盛んなころは、あまりにも行動的で、書画など見向きもしない人だったのですが。
天風は草書よりも行書よりも、なぜか隷書や篆書(てんしょ)を好んで書きました。残念ながら、それらの書を私はほとんど読めません。だれか読んでくれる人はいませんか?
天風の揮毫を集録して、だれかがその書かれた言葉の意味を解釈して、一冊の本になれば面白いだろう、と思います。
天風の書画は集めれば、何百もあるでしょうが、所蔵している人の承諾がえられるかどうか、難しいところがあります。宝物のように大事にして公開しない人もいるかと思います。
私は天風の揮毫をいくつかもっていましたが、欲しいという人にぜんぶあげてしまいました。ただ、写真に撮ったものをいくつか所有しています。私にはそれで十分です。
天風が揮毫に選んだ言葉の多くは、日本と中国の儒家のものだと思います。あるいは、禅的なものです。自分の書いた自己暗示の誦句も、墨と筆でていねいに書いています。
今思い出しましたが、天風の肉筆を私は一つだけもっています。それは、先生の亡くなる少し前に、私あてにいただいたハガキです。そこには私への励ましの言葉が書かれています。
|
|
|
| 2012年12月18日(火) |
| 「第10回潜学講座報告」 火曜担当…坂本欣也 |
|
12月15日の潜学講座も非常に有意義な学びの場、喜びの場でした。
今回は、ロボライズ~ロボット・科学実験教室~(http://www.roborise.com/)の代表取締役、高木剛氏による「“創造”のプロセスを学ぶ」のご講義でした。
ロボライズは、小学校5年から中学生を対象にした塾および出張での教室を展開されています。ロボライズの教育の特徴は、自らの創造体験から「法則を自分で見つけ出す」ことを主眼に置いていることです。
今回の講義の中では、実際に私たち大人も、普段子供たちが使っているブロックを使って、「摩擦」についての授業を体験させてもらいました。与えられたブロックと資材を使って、「どんな時に摩擦や抵抗が強くなるのか?」の法則を自分で見つけ出すのです。理科が苦手だった私も、こんな先生、授業だったら、理科にもっと興味を持ち、自分の人生も変わっていたかもしれないと、本気で思いました。笑
授業体験も興味深かったですが、ちょこちょこと挟まれる、高木さんの生き方、人生観、教育観についてのお話、それについて皆で行ったディスカッションは、とても奥深いものでした。たくさんあり過ぎで書ききれませんが、その中で私が印象深かったことを少しご紹介したいと思います。
高木さんが仰った、「本当に伸びる子供は、『抽象思考』『国語力』が必要だ」ということ。自らが頭の中でストーリーを展開させ、法則を導きだし、法則と法則をつなげ全体を体系化させ、法則と現実の現象をつなげていく力だと私は解釈しました。
なぜ、私にとって印象深かったことかと言うと、企業研修の中で最近感じているのが、自分の気持ちや断片的情報という抽象概念を言葉として周囲に伝える力、つまり「概念化力」「言語化力」そして「コミュニケーション力」が低下してきていると感じていたからです。仕事をする上では、仮説を構想しそれに到達する道筋を創造し、それを周囲に伝達する必要がありますが、それらの力が低下してきており、全体的なコミュニケーション不足、組織力不足につながっていると感じられるからです。
「答えを与えられる教育」「答えを記憶する教育」をし続けられると、自らが「答えを見つけ出す」「それを周囲に共有する」力が低下するのだ、ということが再確認できました。先に見た大人の国語力・抽象思考力の低下が、子供の力の低下を招いているとも思いました。
もう一つは「事業創造は、自分との闘い、自分との対話」という言葉。考えや情報を消化~昇華し、体に落とし込み、実行する。1日目は一日考え続ける、2日目にひらめく、3日目に考えが整理されてくる、4日目に言語化していく。というプロセスを通して、事業の方向性やその仕組みを創造してこられたそうです。
私は、高木さんは企業家であり教育者である前に、哲学者だと思いました。まず哲学する~深く深く思考する、自己・本心と対話する~ことが、本心を練り、人物を創り、事業を創り、他人を育て、社会に影響力を及ぼしていく根本になるのだと、高木さんという人物から学ばせてもらいました。そして、その高木さんに大きな影響を及ぼしているのが、若いころに出会った「天風哲学」だそうです。
高木さん、あらためまして、素晴らしい講義と学びを有難うございました。
そして、全体を仕切り、ファシリテーションしていただいたのが、西端さんでした。西端さんの落ち着いた「大人の」ファシリテーションで、私たちの心も安定化され、安心してその場に居られた気がしました。素晴らしいファシリテーション、有難うございました。
今日はこれから、静岡県の三島で2日間の企業研修の講師・ファシリテーターを務めます。皆さんの国語力・抽象思考力・コミュニケーション力のアップに寄与できるよう、ワクワク頑張ってきます!
同志の皆さんとの次回の学びが楽しみです。
火曜日担当…坂本欣也
|
|
|
| 2012年12月17日(月) |
| 自民圧勝 月曜担当…池田光 |
|
■『論語』にこんな言葉があります。
「まだ下っ端のときに、出世できるかどうかと心配し、
地位を得ると、なんとかして失うまいと苦心する。
失うまいとするかぎり、そのためにはどんなことでもするのだ」(『論語』陽貨第十七、加地伸行訳)
この言葉の通りの心理が働いて、政党が乱立しました。
そして、身の保身を図ったドタバタ劇が終わってみると、自民党の圧勝に終わっていました。
ところで、上記の『論語』の言葉のなかで、孔子は、このように地位にしがみついて汲々とする人間のことを「つまらない輩」と呼んでいます。
■ある学者は、こんなことを書いています。
「史上、節約を叫んだ政治家は、最後には、たいてい国民からそっぽを向かれている」と。
逆に言えは、節約とは反対の方向を訴えると、人気が出るわけです。
景気が後退すると、
・節約するか
・経済対策をやるか
のどちらに軸足を置くかが問題となるわけですが、自民は経済対策を訴えました。
今回の選挙は、民主党政権に引導を渡す選挙であったわけですが、しかし、これほど自民党が圧勝したのは、経済対策を訴え、これを国民が歓迎したことが一因だと思うのです。
私は自民党が第一党になることに反対ではありません。が、
「やっぱり反対側に大きすぎる振れをしたか」
と溜息をつきました。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2012年12月14日(金) |
| 「No2」 金曜担当…小笹正洋 |
|
|
|
| 2012年12月13日(木) |
| 思いの力 その2 木曜担当…西端努斗夢 |
|
“プラシーボ(偽薬・プラセボ)効果”というのがあるのを聞かされたとき、さもありなんと思いました。
乳糖や澱粉、生理食塩水など、まったく有効成分が入っていないにもかかわらず、「よく効く薬だ」と医師から処方され、その言葉を信じて服用すると効果が出てしまうことがあるそうです。
この事実は、思いの力によって効果が出ているのだとしか考えられません。
よく考えてみると、世の中には、プラシーボ効果と似たようなものがたくさんあります。もしかしたら、お守りやおまじないも、思いの力を引き出すための触媒なのかも知れません。
本心に秘められた自分の力を信じ、学びや実践を通してその力をもっともっと引き出したいです。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2012年12月12日(水) |
| 修練会の思い出 水曜担当…沢井淳弘 |
|
天風が教える夏の修練会が2週間も続くのは、とてもきびしいものがありました。
その1日のスケデユールは前述しましたが、4,5日経つと全身のスジが痛み、おれは2週間の最後までやれるのかな、と思ったものです。でも1週間をこえると、ふしぎに体力が向上してくるのか、大丈夫いける、と思えました。
2週間の修練会が終わったときは、達成感と喜びがいっぱいでした。
さらに、修練会がおわって、疲労も回復してくると、体がとても軽快になったものです。
天風は年齢を重ねるに従って、すこし日数をへらし、最後のころは10日ぐらいだったかと思います。
しかし、その意気軒昂たるところは、少しも衰えず、口癖のようによくこう言われました。
「昔の偉い人が“倒れてのち已(や)む”と言ったが、おれは“倒れてのちも已(や)まず”だよ」
最近私はこの言葉を思い出して、本当にそうだな、と思います。
天風は倒れて後の現在も已まず、多くの人の心に影響を与え続けているからです。
80歳代のはじめごろの天風は、修練会で朝の体操から夕方のジョッギングまで、みんなの前に姿を見せ、動き回っていましたが、さすがに80歳代の後半は、午後にはあまり姿を見せられなかったと思います。
先生のいないときは、すぐれた弟子たちが瞑想やテレパシーを指導しました。とくにテレパシーでは、野崎郁子先生が優れていました。野崎さんは原敬(首相)の秘書でしたが、原敬が天風に心服して、天風に譲られたと聞いています。とても聡明な方でした。
天風先生が午後姿を見せられないとき、なにをしておられるのかな、と疑問に思い、先生のおられる奥の座敷の近くに用があると、そのあたりをちょっと覗いてみたものです。すると、先生はたいていタタミの上に白い紙をのべて揮毫をしておられました。
とても楽しそうな雰囲気でした。だれかが傍で手助けをしていました。
墨をつかった書画をかいておられましたが、絵にはときどき顔彩をほどこされました。
天風の揮毫は会員からの要望で、有料でした。それが寄付金として、会の運営に役だったのです。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2012年12月11日(火) |
| 「伯母のこと」 火曜担当…坂本欣也 |
|
94歳になる私の伯母が、先週退院し、私の近所にある両親の家に移りました。3年ぶりの帰宅です。
20歳の頃、脊椎が結核菌に侵されるカリエスという病気(正岡子規もかかった病気)にかかり、45歳まで寝たきりの生活。青春期の25年間、仕事も恋も結婚もできず、ずっと同じ畳の上で過ごしていた胸中は、どんなだったでしょうか。
医療技術が進歩して、手術をして歩けるようになったものの、その後もずっと杖が欠かせない生活でした。しかし、そんな大病をしてきた過去や不自由な身体を、周囲に全く感じさせない姿。常に明るく好奇心旺盛でおしゃべり好き。絵を描き、短歌を詠み、杖をつきながら畑仕事もする。足腰が弱い分、なんでも手でするので、腕や手には男並みの筋肉がついていました。
天真爛漫で、バイタリティーの塊のような人でした。
25年間の寝たきりの青春を、取り戻すんだ!という、本心が強く輝く姿だったと、今は思います。
前回書いた、草間彌生さん位のエネルギーがあったかもしれません。笑
5人姉妹の末っ子が私の母で、働いていた母の代わりに、よく私の面倒を見てくれたのが伯母でした。
常に明るく優しい伯母が、私は大好きで、幼いころから一人でしょっちゅう泊りに行ったりしていました。
ですから、伯母は私の第二の母のような存在です。
その伯母が、今はまた寝たきりの生活です。しばらく前までは、新聞を読み、TVを観て、大好きな巨人のお応援をしていましたが、今は意識が遠のいてきています。
しかし、か細い声で、「結婚もせず子供がなくても、家族に囲まれて、私は一番幸せや」と口ぐせのように言い、「ありがとう。ありがとう」と唱えます。また、すまなそうに、「ここで寝てたらええのん?」と何度も訊いてきます。
もう伯母は、自力では動けません。食事も、排泄も、寝起きも、他力が無くては動けません。しかし、両親や私たち家族、そして訪問の看護師さん達や介護ヘルパーさん達という社会が、伯母を支えています。
私の中では、幼いころから伯母からもらった愛情や想い出が本心の中でいっぱいになり、出張の合間をぬってでも、顔を見に行かずにはいられません。つまり、伯母の素直な本心が、自力で動けなくても、他力を自然に動かしているのでしょう。
私の子供たちも、私たちが知らない間にも、見舞いに行ったりしています。
身体が動かなくても、子供たちに、優しさを教えてくれているのでしょう。
この経験は、彼らにも大きな財産になると思います。
伯母の存在そのもの、彼女の数奇な人生そのものが、私に何かを教えてくれている気がします。
それは、「自力他力を超越した力」の事なのかもしれません。
さあ、これから顔を見に行ってきます。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2012年12月10日(月) |
| 「自力と他力」についての蛇足 月曜担当…池田光 |
|
昨週は、わがブログで「自力と他力」についての論が活発に展開されていました。
私は、自力に徹したことも、他力に徹したこともない凡たる者でありますが、蛇足とも言える考えを呈してみたいと思います。
■「他力とは、己を殺すことなり」と、私は思います。
殺すとは、なんとかしようという前向きな心も行動も殺すことです。
内なる「自力」を殺すことです。
■しかし、自分を殺し、なおかつ「諦めてしまう」と、本当の自死に至ってしまいます。
他力とは、自分を殺しながらも、諦めないことです。
ところが、ふつう、諦めない人は、自分を殺すことができません。
なんとかしようと悪あがきします。
「他力で行きます」と言いながらも、裏でチョロッと自力でやろうとします。
そんな中途半端な人が多いのではないでしょうか。
少なくとも、私はそうです。
■諦めないとは、自分を生かそうとすることです。
だから、「諦めない」ことと「自分を殺す」こととは矛盾します。
しかし、他力においては、「諦めない」ことと「自分を殺す」ことは両立するのです。
なぜか。
それは、諦めないことを「大いなるもの」に託すからです。
大いなるものとは、神であったり、仏であったりします。
つまり、託すとは、諦められない何かを大いなるものに願かけしながら、もはや自分ではどうすることもできないと、内なる「自力」を殺すことです。
■では、どこまで殺すことができるのか。
地の果てまでも、託すことができるのか。
もし、他力に徹することができる人がいたら、なぜその人は、大いなるものに託し、自分を殺すことができたのか。
それは、「信じる」からです。
大いなるものへの信仰心があるからです。
「信じる」行為だけを残し、自らは信じる主体となって、あとは殺すのです。
信じる一点において諦めない。それが他力です。
だから、他力の人は、ひたすら祈ります。
祈ることによって、逆説的ですが、殺した自分を生かすことができるのです。
■自力とは、諦めず、自らの力で掴もうとすることです。
大いなるものよりも、己を信じ、自分の力でなんとかしようとすることです。
■つまり、自力とは、生きようとする意志です。
どこまでも、自分を信じて、また、信じられる自分に育て上げて、自分を生かそうとすることです。
■しかし、人は迷います。
地の果てまでも自分を信じ切れる人はいるでしょうか。
「ダメかもしれない?」
そんな弱音を吐くことはないでしょうか。
少なくとも、私は挫けることがあります。
■もし、自力に徹することができる人がいたら、その人は、最後には自らの力で「それを掴む」ことができるのでしょうか。
残念ながら、だれも、保証することはできません。
「もはや、これまで…」
と、自らが諦めるのではなく、天が諦めさせる時が、いつかは来るはずです。
■そのぎりぎりの瞬間において、人はどうなるのでしょうか。
「他力=諦めない×自分を殺す」でした。この方程式を成立させるものは、「信心」でした。
「自力=諦めない×自分の力でなんとかする」であり、この方程式を成立させるものは、「自信」でした。
他力でも、自力でも、ともに徹した人が、「もはや、これまで……」と観念した時、その人はどんな行動をとるのでしょうか。
■私は、他力であっても、自力であっても、これらに徹した暁には、「安心立命」の境地に至ることができるのではないかと思います。
どこまでも諦めないで来たけれども、「もはや、ここまで……」と、諦めざるを得ない時、「安心立命」の境地に救われていることを願うものです。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2012年12月7日(金) |
| 「夢」 金曜担当…小笹正洋 |
|
坂本副事務局長からご紹介を頂き、DVDで「陽はまた昇る」(2002年上映:佐々部清監督)を見ました。
今となっては「ビデオテープ」という媒体は、すっかり影を潜めてきていますが、日本ビクター(現・JVCケンウッド)が1976年(昭和51年)に開発した家庭用ビデオ規格VHSと、ソニーが投入してきたベータマックスとのビデオ規格の統一を巡っての「ビデオ戦争」というストーリー。
超優良企業であるソニーを相手に、ビデオの統一規格の主導権を巡っての真っ向勝負を挑み、見事ソニーに競り勝ち、VHSを事実上の世界統一規格へと押し上げた情熱と執念と感動の実話。
会社名も実名で出てきており、松下幸之助翁以外は人物名は仮名となっております。
映画の主人公である事業部長の私心を超えた崇高な思いの下で結実した成果。
本当に魂が熱くなる内容でした。
私もオススメします。
私自身は、普段は家でテレビや映画を見ることをあまりしないのですが、久しぶりに見た映像に感動を隠すことが出来ず、目頭が熱くなりました。
本当に有り難い限りです。
この場をお借りして、御礼申し上げたいと思います。
TV放送でも200年4月に、プロジェクトXで「窓際族が世界規格を作った」というタイトルで取り上げられてました。
内容の中で、心に響く台詞を少し。。。
「桃栗3年、柿8年、人の夢は10年」
「VHSは、事業部241名の夢である」
「本当に必要なのは、たった一人の人間の強い思いや、激しい情熱、夢見る力」
私にとってこの作品のキーワードは、「夢」になるようです。
夢なくして、現実なし。
目が覚めている時に見る夢を、求め叶いたい。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2012年12月6日(木) |
| 真の他力に至る道 木曜担当…西端努斗夢 |
|
昨日のブログで沢井先生が私と坂本さんのブログを取り上げていただき、感謝・感激です。ありがとうございました。
沢井先生がブログで書かれていたように、真の他力に至る道は2つあるように思います。
ひとつは、自力をとことん極め、自力を突き抜けて真の他力に至る道です。
「人事を尽くして、天命に待つ」という言葉で現されています。どちらかといえば禅宗の考え方が近いのではないでしょうか。
それに対して、もうひとつの道は、自力を捨て、大きなもの(宇宙霊、神、本心)を信じ抜いて真の他力に至る道です。
どちらかといえば浄土宗、浄土真宗の考え方が近いのではないでしょうか。
どちらの道を進んでも真の他力に至ることができますが、私の経験では前者の方が気が楽で、後者の方は、途中で迷いが生じ、辛く苦しい道程のように感じました。
もちろん、人によって感じ方は違うと思います。皆さんならどちらの道を選ばれますか?
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2012年12月5日(水) |
| 自力と他力 水曜担当…沢井淳弘 |
|
最近のこのブログ欄で、本塾の坂本欣也氏が「水を信じ、ゆだねる」ということを書かれ、水泳体験を通して、その妙味を書かれたことは、興味深いものがありました。そして、その言葉を継いで、西端努斗夢氏が
「・・・本心を信じ、宇宙霊を信じ、すべてをゆだねることで、真の他力を手にする」
と書かれたのを読んで、わが意を得たり! と感激しました。
自力と他力について、私は
「人事を尽くして、天命に待つ」という言葉が、結論をあたえてくれると思います。
これは「人間としてできる限りの努力をして、そのあとは天命に任せて、心を労しない」という意味です。
昔から真宗などでは、他力本願をとなえ、
「自力によって悟るのではなく、ひたすら仏を信じることで救われるのだ。自力は傲慢だ」
と主張してきたのに対し、禅宗は
「自力で修行して救われるのだ。他力に頼るのは、弱者の発想ではないか。自分で努力をしないで、なんの報いがあるか」
と反論しました。
上の表現には正確でないものを含んでいますが・・・私は若いころそのように自力と他力の論争をとらえ、当然自力を本願すべきだ、と結論づけて、他力本願を信ずる人と、実りのない果てしない議論をしたことがありました。
しかし、しだいに自力と他力の議論は、それぞれに真実をふくむけれども、どちらか一方という考え方はおかしい、と思うようになりました。
一般には、禅宗や天風哲学など瞑想を修行の中心とするものは、自力に軸足をおいている、と思われているようです。
ところが・・・50歳をすぎたころ、瞑想のコツを会得し、瞑想を実践するようになってから、こう考えるようになりました。
「瞑想に入ったときの、あの深い静かな心持ちは、なにか大いなるものを信じて、ゆだねる気持ではないか。瞑想をしようとする気持ちは自力だが、あとは他力ではないか」と。
天風式瞑想は、一見自力一筋に見えて、実は他力でもあるのです。
つまり、天風自身こう言っています。
「自分でひとり生きていると思ったら、マチガイだよ。大きなものに生かされているという現実を思い、感謝しなけりゃダメだよ」と。
もちろん、天風のいう「大きなもの」とは、宇宙霊であり、神であり、仏です。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2012年12月4日(火) |
| 「永遠無限の水玉」 火曜担当…坂本欣也 |
|
昨夜、深夜ニュース番組のZEROを見ていたら、水玉模様をモチーフに活動を続けている芸術家の草間彌生さんが出演されていました。
芸術には無頓着で、草間さんのことをそれほど知らなかった私ですが、その描く姿、そして作品に、凄く引き込まれました。彼女の描く姿を見て、強烈に輝く本心を感じました。
草間彌生さんは今年83歳。1957年28歳でニューヨークに渡り活動をし、1960年には「前衛の女王」と異名を取る。現在も現役で、世界レベルの企業が彼女のデザインに注目し、彼女と提携しデザインを商品に採用している。ルイヴィトン、トヨタ(水玉プリウス)などなど。
彼女は今でも毎日アトリエにこもり、創作している。創作していないと、元気がなくなる。体の調子が悪くても仕事をすると元気になる。そうです。
「一心に描き、ふと気が付くと、いい作品ができたと自分で感心する」と言う。
時間も空間も忘れ、目の前の筆、筆から生まれる点に無我夢中になっている。
とにかく、凄い集中力、凄い迫力。
私の母は彼女よりも一歳年下の82歳。今でもスクーターに乗っています。その歳にしては信じられないくらい元気な人です。しかし、その母を上回る(比べるのがそもそも失礼ですが。笑)、世界的に現役活動する83歳の彼女の姿と作品に驚き、強烈に輝く本心を持つ人の永遠・無限の若さとエネルギーを感じました。
彼女のデザインは、10歳の時から描いてきた「水玉」。無限や平和を表現しているといいます。
「クサマ・ハプニング」のトレード・マークの水玉模様。赤や緑や黄の水玉模様は地球のマルでも太陽のマルでも月のマルでもいい。形式や意味づけはどうでもいいのである。人体に水玉模様をえがくことによって、その人は自己を消滅し、宇宙の自然にかえるのだ。 自伝「無限の網」(作品社)より
(草間彌生公式ホームページ:http://www.yayoi-kusama.jp/j/biography/index.html)
近々、実際に作品を見に行こうと思います。
宇宙からのエネルギーをたくさんもらえる気がします。
火曜日担当…坂本欣也
|
|
|
| 2012年12月3日(月) |
| 「助成愛」~湧くわく本心塾@名古屋 月曜担当…池田光 |
|
1700年頃に建立された、名古屋市内にある清浄寺(しょうじょうじ)。
その庭園には、石彫家・川井信一さんの作品が13点納まっていて、参拝される方を楽しませています。
詳しくは、西端さんのブログ(11月29日)をご覧ください。
この清浄寺の書院で開催された「湧くわく本心塾@名古屋」(11月28日)のテーマは、「川井信一さんとともに書を楽しみ、創造の心を訪ねよう」でした。
このテーマを二つにわけてみます。
①川井信一さんとともに書を楽しむ
……参加された全員が「好きな言葉」を持ちより、川井さんの筆で作品にしていただきました。
私が色紙にお願いした言葉は「助成愛」(写真)。
この言葉を選んだのは、私が代表を務めるプロセスコンサルティングの、経営コンサルティング部門のポリシーだからです。
「助成愛」を訓読すると、「成るを助ける愛」となります。
その意味するところは、企業が「あるべき姿に成る」というお手伝いや、人材が「なりたい像に成る」というお手伝いを、専門性と情熱をもって実行するということです。
②創造の心を訪ねる
……「湧くわく本心塾@名古屋」の翌日は、川井さんのお宅を訪問しました。
澄みわたった秋の景色のなか、その広いお庭には、川井さんの石彫の作品が100点以上も並んでいました。
山々の紅葉が見渡せるお部屋で、川井さんが蒐収された骨董品や美術品の数々を拝見していると、これらが川井さんの作品に昇華されていることがよく分かりました。
また、川井さんは漢字の原意を大切にされていて、甲骨文や金文の拓本を拝見しながら、漢字のもともとの意味を解説していただきました。
川井さんの作品には、こうした漢字に込められた古代人の創意が脈々と引き継がれています。
私たち(沢井先生、西端さん、本郷さん、大鷲さん、私)は、李朝の器に盛られた、蜜柑やピスタチオを頂きながら、川井さんが解説してくれた「豊」の文字の原意――「豊」の下半分の「豆」は祭器のことで、この祭器に供え物を盛ることが「豊か」なのだということを知り、異次元のような空間のなかでいつしか心は豊かになっていました。
文字通り「創造の心を訪ねる」旅となりました。それは、私の創造の心を刺激してくれる二日間でした。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2012年11月30日(金) |
| 「第一歩」 金曜担当…小笹正洋 |
|
十里の旅の第一歩
百里の旅の第一歩
同じ一歩でも覚悟がちがう
三笠山にのぼる第一歩
富士山にのぼる第一歩
同じ一歩でも覚悟がちがう
どこまで行くつもりか
どこまで登るつもりか
目標が
その日その日を支配する
私は、後藤静香さんのこの詩が大好きです。
非常に肚に響く力強い言葉です。
決めた目標に対してブレない強い気持ちを持って日々進んでいくという決意。
社内の方針説明の時にも語ります。
言葉には力が宿っています。
発する言葉によって、心も練られていきます。
言葉は心を支配する。
自分にとって大切な言葉を大切にしていきたいです。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2012年11月29日(木) |
| 神の子 木曜担当…西端努斗夢 |
|
28日は、湧くわく本心塾@名古屋に参加させていただきました。
この日のテーマは、「川井信一さんとともに書を楽しみ、創造の心を訪ねよう。」で、会場となった清浄寺の庭園に設置されている川井先生(経歴や著書はこちら。「川井信一著書」をクリックしてご覧ください)の作品を鑑賞した後、参加者が順番に好きな言葉とその言葉に対する思いを発表し、それを川井先生が色紙に書いてくださいました。
私が発表し、色紙にお願いした言葉は「神の子」。この言葉を選んだのは、「誰もが神の子であり、神から愛されている」と信じることが私の自信のよりどころになっているからです。
2枚の色紙を書いていただきましたが、どちらも深い味わいがあり、とても気に入っています。
川井先生、名古屋の皆様、素晴らしい時間をありがとうございました。
 
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2012年11月28日(水) |
| 夏の修練会 ② 水曜担当…沢井淳弘 |
|
天風が教える夏の修練会の昼食は、班ごとに分かれて食べました。
ふつう皆手作りの弁当を持参していました。コンビニなど弁当を売っているような時代ではありませんでした。当時コンビニも手軽な弁当屋さんなどありませんでした。
最初の数年は、私はたいてい伯母さんがつくってくれた弁当をもっていきました。弁当には、肉や魚や卵などの動物食の2倍以上の野菜が入っていなければなりませんでした。それほど厳密ではありませんが、天風は菜食主義、あるいは果物を食べるように教えました。後に結婚してからは、妻が弁当を作ってくれました。
班に分かれて昼ごはんを食べましたが・・・班は男女それぞれ10班ほどありました。一つの班が10数名でしたから、200人から300人の参加者がいたことになります。
昼食の後は、天風が裁判長をつとめる「ユーモア裁判」というものが行われました。
まず、だれかがだれかを告発します。たとえば、だれかがこんなヘマをしたとか、失敗したとかいう告発です。それに先生が判決を下します。
たとえば、ある会員が「幹部の人が今朝会ったとき、私の名前を間違えました。これは意識が不明瞭で、修行が足りないのではないでしょうか」などと告発する。すると先生は、「それは幹部ともあろうものが、けしからんね。歌をうたうか、かくし芸をしなさい」と判決を下します。
しかし、多くの場合先生の機智やユーモアが溢れていて、会場は爆笑につぐ爆笑で、会員の意外なかくし芸や歌も面白いものでした。先生はいつもニコニコと笑っておられました。
午後は養動法のあと、かなり長い瞑想をします。でも長くて1時間くらいのものでした。そのあと、テレパシーの練習をします。最初は、2人が1組になって、相手が「左右前後」のうちの一つを念ずるのを、言い当てます。これは2,3日もすると、ラクにできます。次の段階は、かなり長い課題をこなします。
たとえば、念を送る人が言葉に出さないで、
「右へ歩いていって、そこにある布団をとり、左の方にいるAさんの前に置き、Bさんをその上に坐らせる」
といった内容の念を送ります。念を受け取る人は、それを読み取って行動するのです。これも練習すると、1週間もすると、かなりの程度にできるようになります。最後に日に、各班から代表選手をだして競いあいます。
一日の最後は、みな運動場に出て、ランニングをし、呼吸法と体操の練習をして、4時ごろに終わります。しかし、若い青年男女だけはすこし残って「アサナ法」と呼ばれるものを先輩から指導されます。これは同じ姿勢を、バランスを保って、続けるものです。たとえば、片足で立ち、両手を左右に伸ばし、上半身を前傾させて、数分維持させる。なかなか難しいもので精神の集中も必要です。一日が終わると、全身の筋肉がクタクタになるほど疲れたものです。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2012年11月27日(火) |
| 「第9回潜学講座報告」 火曜担当…坂本欣也 |
|
11月24日の潜学講座も非常に有意義な学びの場でした。
急遽引き受けてくださった秦さん(ペガさん)のファシリテーションも、場全体を包みこむようなナースならではの柔らかさと優しさが溢れていました。有難うございました。
塾生の宇田正徳さんの講義「明治天皇と教育勅語ならびに現在の教育問題とその取組み」も講義構成が論理的で素晴らしく、現代と教育勅語つくられた当時の時代背景とをオーバーラップさせながら、とても深く考えさせられるものでした。
宇田さんの講義の中では、教育勅語が創られた背景を教えてもらいました。明治維新~文明開化の中で、西洋文明を日本に浸透させようとする運動が激しくおこる中、その一方日本の精神的アイデンティティのより所を取り戻し守ろうとする機運が起こったことが、教育勅語が草案された背景の一つであったということです。急速なグローバル化が進む現代の状況、そしてその中で明確な方向性を打ち出せない教育の現状は、当時ととても似ていると思いました。
そこで私が思い出したのが、福沢諭吉著『学問のすすめ』の「一身独立、一国独立」という言葉でした。なぜなら、明治維新以前から、福沢諭吉自身は開国派でありながら、軸と自信を失いつつある日本人とその国の行く末を憂いこの本を著していたからです。
私は、多くの企業でグローバル化についてお話することが多いですが、世界の中で、日本のプレゼンス=存在感が弱まっているという話を良く聞きます。その時に、思い出すのがこの「一身独立、一国独立」です。
その中には、このような言葉もあります。
「独立の気力なき者は、国を思うこと深切ならず」
「独立の気力なき者は、人に依頼して悪事をなすことあり」
国や世界を論ずる前に、まずは一身から考えたいと思います。
それは、本塾がテーマとする「修己治人」の精神です。
そして私自身、「独立の気力のある者か?」を問い続けたいと思いました。
「独立の気力のある大人」が増えること自体が、子供たちに対して一番の教育環境と明るい未来を提供する基礎になると思うからです。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2012年11月26日(月) |
| 伊與田学として『論語』を読む 月曜担当…池田光 |
|
現在、数えで97歳の伊與田覺先生(写真)が率いる論語普及会。
その論語普及会が主催する「秋季論語師道研修会」(11月17~18日)に、私は夏季の研修会に引き続いて参加しました。
初日の夕方のことです。伊與田先生の「論語と人間学」を拝講していて、小悟するところがありました。
私が『論語』を読むと決意したのは数年前。
――四つのことをしました。
①必要な書籍を買い集めた。
~その頃出版して得た印税の二倍くらいの費用がかかりました。
②漢文学者のもとに参じた。
~漢文として『論語』を正確に読解する某大教授のもとに二年。
主な弟子たちに孔子はそれぞれに何を語ったかという観点から『論語』を読み解く某大准教授のもとに二年。
そんななかで、漢文の基礎ができていないと痛切に感じ、某大教授から漢文を読む訓練を受けて一年。
現在も継続しています。
③論語普及会に入会した。
④「みてじま論語講座」を立ち上げ、勉強会を始めた。
以上から私が目指したものは、「漢文として正確に『論語』を読む」ことでした。
そして、冒頭に書いたように、「秋季論語師道研修会」に参加し、伊與田先生の講義から大きな学びを得たわけです。
それは、「人間学として『論語』を読む」ことでした。
その奥義というか、妙義を授かったように思います。
そして、論語を読もうと決意した私の最終地点は、「人間学として『論語』を読む」ことになりました。さらに言うなれば、「伊與田学として『論語』を読む」ことを目標とするものです。
「この意味で、伊與田先生の道統はやがて私が引き継ぐものであります」
と、論語普及会に提出した感想文で、このように勇気がいる宣言をいたしました。
あらためて、伊與田先生の学恩に心より感謝申し上げるものです。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2012年11月23日(金) |
| 「ブレーキ」と「重し」 金曜担当・・・小笹正洋 |
|
組織の中において、スタッフ、特に管理系の部門は、行き過ぎた活動や適法性を欠いた行為がある場合には、警告を発したり、場合によってはブレーキをかけなければならない。
それがしっかりと機能すれば、前線部隊も思い切って進む事が出来る。
車に例えてみても、高性能なエンジンを持つ車は、ブレーキの性能も高性能。
自動車のF1レースを見ていても本当にそう思う。
時速300キロのスピードから、一気に100キロ以下のスピードまで減速することも求められる。
その減速、すなわちブレーキの性能があるから、フルスロットルでアクセルを踏み込める。
ブレーキは安全装置であり、信頼できる命綱でもある。
しかし、「重し」は単なる負荷でしかなく、発進時だけでなく停止時にも「慣性の法則」が働き、負荷になる。
いざという時に「ブレーキ」を踏んでくれる人は、真に信頼できる人。
そんな人が近くにいれば心強い。
決して煙たがってはいけない。
単なる「重し」となる人は、発進時にも停止時にも本来の自分の性能を発揮する妨げになるだけ。
そのところをしっかりと見極めたい。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2012年11月22日(木) |
| 信じてゆだねる 木曜担当…西端努斗夢 |
|
今月12日のブログで池田塾長が書かれていた「鉛筆易占い」を私も何年か前に教えていただき、それ以来、迷った時、悩んだ時に活用しています。
私の場合、「こういうことで迷っています(こういうことで悩んでいます)。迷い(悩み)を解決するためのヒントをお願いします」と念じながら鉛筆を転がしています。
こうして得られた結果を『易経』で解読すると、毎回びっくりするほど的確な気づきを与えてくれるのです。本当によく当たります。
この「鉛筆易占い」が当たるか当たらないかのポイントも、やはり「信じてゆだねる」ことではないでしょうか?
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2012年11月21日(水) |
| 夏の修練会 ① 水曜担当…沢井淳弘 |
|
天風が主導した夏の修練会に、私は12回参加しています。
私が18歳のときから、29歳のときまでです。
天風の81歳から、なくなる92歳にあたります。
天風は、とても80歳をこえた老人とは思えないほど健康で、元気溌剌としていました。
天風自身、こう言い切りました。
「私は、20代の健康な男性にも負けないよ」
それを疑う人もいなかった、と思います。その精神力、人間力、にはだれも敵うものはいませんでした。学生の私さえその名を知っているような、大会社の社長が、天風の前に出ると、まるで虎のまえの猫のように見えたものです。毎年たくさんの社長さんが出席していました。京都では京都大学の教授が3名ほどいたものです。その一人は私の英語の恩師です。
夏の修練会は、全国の主要な都市――東京、名古屋、京都、大阪、神戸――で、真夏の暑い盛りに、2週間にわたって行われました。私はその年の都合で、京都、大阪、神戸に参加しました。会場はたいてい小学校の講堂が使われました。
参加費がいくらだったか、覚えていません。それくらい安かったのでしょう。貧乏学生の私が自分のポケットからお札を出して払ったのですから、タダ同然の金額だったと思います。
1日のスケデュールは、とても規律正しいもので、きっちり決まっていました。朝は運動場に出て、呼吸法、体操をしてから、講堂に入り、養動法を30分ほどしてから、瞑想をやはり30分ほどしてから、先生の講話を聞きます。講話の内容は毎年同じでした。
2週間の講話はすべて、講談社の『運命を拓く』に収録されているとおりです。先生の講話は、眼をつむって聞きます。私は時々眼を開けて、先生がどんなふうに話しているのか、こっそり見るのが常でした。先生は、講演会などでは決して原稿など見ない方でしたが、夏の講話のときは必ず原稿を見ながら話しておられました。
ある先輩の話では、その原稿にはたくさん修正の筆が入っていたそうです。しかし、先生が原稿を見ながら話しているような感じは全然ないのです。聞き手の魂に切り込んで話しかけるような、迫力がありました。全身全霊を傾けて、先生は話をされました。
とても真面目な話で、講演会のときのようなジョークはほとんどありませんでした。
講話のあとは、必ず「自己暗示のための誦句」を与えられます。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2012年11月20日(火) |
| 「水の中の不思議な感覚」 火曜担当…坂本欣也 |
|
前回の西端さんの「自力と他力」「信じてゆだねる」がテーマのブログの中に水泳のお話がありましたので、そこからヒントを得、私の「水を信じてゆだねる」水泳体験についてお話したいと思いました。
水泳は私の趣味の一つです。
体力づくり、シェイプアップ、ダイエット、いろいろな目的で週に1~2度、家の近所にあるプールに通っています。
毎回1時間かけて2000メートル一気に泳ぎます。
初めの500メートル、次の500メートル、その次の500メートル、そして最後の500メートルで、自分の心と体が変化していきます。
初めの500メートルは、まさに泳いでいるという感じ。まだ水に慣れておらず、自分の力で進もうとしている感じがあります。体がまだ重く、水が手につかない感じです。この最初の500メートルが一番しんどい段階です。
500~1000メートルは、体が水に慣れてきます。手に引っかかる水量が増すのが分かります。このころから、自分が水と同化していると意識するようにします。人間の体の80%は水分でできているのだから、体の内部と外部に差がないと、意識するのです。すると、800メートルあたりから、本当に同化しているような錯覚・不思議な感覚を覚えるのです。はじめの500メートルよりゆったり泳ぎますが、スピードは落ちなくなります。
1000~1500メートルは、自分が水と同化しようと意識していることも忘れ、ただただ泳ぎつづけます。体が一気に軽くなる。というか、重さを感じなくなる。本当に自分が水になり、前に進もうとする意志=本心だけが浮いて前に進んでいるだけという感覚になります。
最後の1500~2000メートルが私の一番好きな時間帯です。水が私を後押しして運んでくれているような感覚です。水が私を包み込み、守ってくれ、そして応援してくれているような。とても幸福な気分になります。
2000メートルを終えると、全身にエネルギーが充電されたように力がみなぎるような感覚と心の爽快感を感じます。そして、プールを上がる前に、水に向かって合掌し感謝を述べます。
天風先生が教えられている「心身統一」「宇宙のエネルギー」。おこがましいですが、その片鱗を、水泳という体験を通して教えていただいているのかなあ?と私なりに感じている今日この頃です。
「水となって泳ぐ」水泳は私の元気の源です。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2012年11月19日(月) |
| 本心煥発、照隅照国 月曜担当…池田光 |
|
湧くわく本心塾の理念……「本心煥発、照隅照国」(写真)。
「本心を煥発して、一隅を照らし、この国を照らそう」ということです。
「本心の煥発」とは、湧くわく本心塾での学びの目標です。
そのために互師互弟で学びつつ、立腰瞑想道を歩んでいます。
このとき、大切なのは「心に喜神を抱く」こと。
喜びの神がわが心に宿って、光りを放たねば……。
だから、ユーモアと余裕をもって、楽しくやっていけるのです。
一隅とは、一人ひとりが灯りとなって照らさねばならない範囲であり、一灯をともそうという志が集まって、この国が照らしだされます。
これが、湧くわく本心塾における「修己治人」です。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2012年11月16日(金) |
| 最も大切なボランティアは、、、 金曜担当…小笹正洋 |
|
先日、息子の高校にて、「懸命に生きる人々 ~日本人として学んで欲しい」というテーマで、池間哲郎氏(NPO法人アジアチャイルドサポート代表理事)の講演を聴講してきました。
http://www.okinawa-acs.jp/ikema.html
約2時間の講演でした。
アジア各国の貧困環境におかれている子供たちの懸命にそして、屈託無く生きている姿をVTRを交えて、独自の取材活動で得た体験を通じて、生きる勇気、感謝、愛情について、今日希薄になりつつある大事なことについての熱演でした。
その中の一部を紹介します。
雑誌「正論」の記事の中で、各国の青少年にアンケートした結果が載っていた。
教師を尊敬していますか?との問いに「ハイ(yes)」と答えたのは日本では21%、世界平均では90%
父母を尊敬していますか?との問いに「ハイ(yes)」と答えたのは日本では25%、世界平均では95%
自分はダメな人間ですか?との問いに「ハイ(yes)」と答えたのは日本では67%、世界平均では15%
アンケートなので、あくまでも参考データとは言うものの、驚愕の結果です。
しかし、日本が世界に良い影響を与えているランキングではNo.1になる。
この話しの時に、生徒たちの大半が「えっ?」という表情になったそうです。
(講演終了後に、池間先生からお聞きした話しです)
私たち大人は、生徒たちの後ろから聴講させてもらっておりましたが、講演開始前は、ふざけあってた生徒たちも、講演中は誰一人として私語をすることもなく、一生懸命に聴き入っていた様子が背中から感じました。
これからは、大人も子供も自国のことをもっと学び知る必要がある。
そして、正しい歴史認識の上に立って、他国に対しても正しい接し方をしていくことが必要だと、強く感じました。
講演の最後に、
「最も大切なボランティアは、自分自身が一生懸命に生きること」
この言葉を懸命に訴えられました。
心に響く言葉です。
今一度、日本古来の教え、先人の知恵である、「神道」、「教育勅語」、「修身教育」といったものについて理解を深めていきたい。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2012年11月15日(木) |
| 真の他力 木曜担当…西端努斗夢 |
|
6日の坂本さんのブログで「一番大切なのは、テクニックを越えた次元の、この「信じる」と「ゆだねる」だと思います」と書かれていましたが、全く同感です。
以前、ある先生から他力について勉強するようにと課題を与えていただきました。
私は元来怠け者で、なかなか勉強は進んでいないのですが、その中で私なりの仮説が浮かんできました。
1つは、一般的に自力と他力があり、他力は他人任せというイメージがあります。しかし、「一般的に言われている他力とは本当の他力ではなく、真の他力は自力を超越した向こう側にあるのではないか?」ということです。
そして、2つ目は、真の他力を手にするためのキーワードが「信じる」と「ゆだねる」で、「自分を信じ、内なる本心を信じ、宇宙霊を信じ、それらにすべてをゆだねることで真の他力を手にすることができるのではないか?」というものです。
「信じてゆだねる」というのは、泳ぎを覚える時の感覚に似ています。力を抜いて全身を水にゆだねてしまったら浮いて泳ぐことができるとわかっていて、他の人が泳いでいるのを目にしても、なかなか信じられず、第一歩が踏み出せないのですが、思い切って顔を漬けたら泳ぐことができたという、子どもの時の感覚です。
この仮説は、もしかしたら全然的外れかも知れません。もしかしたらすでに誰かが解き明かしていることかも知れません。これからさらに勉強と実践を重ね、検証していくべき私の課題であります。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2012年11月14日(水) |
| 祖父・鑑寛 水曜担当…沢井淳弘 |
|
天風の祖父、鑑寛(あきとも)のことを少し書いておきます。
鑑寛は、幕末に近い1846年、18歳で九州柳川藩の藩主(12代)を相続しています。
明治4年、廃藩置県のため、鑑寛は柳川を去り、東京の江戸屋敷に移住しました。私は、天風が祖父鑑寛に会ったのは、この江戸屋敷であったろう、と想像しています。
鑑寛の江戸屋敷の上屋敷は、今の台東区下谷御徒町にありました。(中屋敷、下屋敷も同じ台東区の浅草にあった)天風の父の王子の家から、そう遠くはありません。鑑寛にとっては、息子の佑興も、孫の天風(三郎が本名)も、遊びに来たら、愛(いと)しかったにちがいありません。佑興は、美しい側室の千代にうませた子供だったし、天風は孫だったからです。
天風は、
「私は大名の家に育った」とよく言いました。
それは正確な言い方ではありませんが、父の佑興は大名の子であり、名門中村から相当の財産を引きついだであろうし、大蔵省の高級官僚(局長)でもあり、裕福であったと思います。そして、時々大名であった祖父の家に出入りしていたとすれば、「大名の家に育った」という言葉は、ウソとは言えないでしょう。松原千枝は「大名の家に育った」という言葉に固執するあまり、天風の生い立ちを考える上で、推理を誤っているようです。
福岡県の最南端に、柳川市があります。ここが柳川藩のあった、天風ゆかりの地です。祖父鑑寛もときどき東京から、ふるさとの柳川に帰ってきたでしょう。柳川は北原白秋のふるさとでもあり、水郷とどじょう鍋で有名です。
福岡の頭山満の家にあずけられた天風は、柳川をいくどか訪れて、そこで、祖父鑑寛や、その子の寛治にも会ったでしょう。孫の鑑徳にも会ったかもしれません。成人になってからの親しい交際は、なかったようです。だから、天風は、祖父の名を従弟の鑑徳とまちがえているのです。
鑑寛はのちに伯爵となりました。若いころ、官軍にくみして戊辰戦争に参加し、功績があったようです。新政府のためにヨーロッパの銃を導入する仕事もしていました。
柳川には、立花伯爵別邸がありました。いまでは、高級旅館「御花(おはな)」となっていますが、泊まり客でなくとも入場でき、中を見学することができます。すばらしい大名屋敷です。
「御花」には西洋館と和風の書院があり、和風の書院には広くて豪宕な庭園があります。松の緑、さつきの緑が美しく、広い池をとりかこんでいます。京都の二条城のような庭です。屹立する岩々が、池を縁取っています。私が見学したときは、マガモが数羽泳いでいました。
「御花」の廊下に、立花家の人々の古い写真がたくさん飾ってあります。鑑寛の孫の鑑徳に、天風はいちばん似ています。細面の色白の美男子です。鑑徳が、当時珍しかった外国製のスポーツカーに乗っている写真もあります。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2012年11月13日(火) |
| 「心を澄ませる言葉」 火曜担当…坂本欣也 |
|
研修の中で、参加者に「日本人が大切にしている心や価値観とはなんでしょうか?」と訊ねると、「思いやりの心」という返答が多い。自分自身より他人や周囲のことを先ず考えることが日本人の美徳と思っている人が多いと、改めて実感します。
その「思いやりの心」を表す言葉の一つが、「すみません」ではないかと私は思います。
他人に何かをしてもらった時、他人に迷惑がかかってしまったと感じた時に発する、「すみません」。
私はこの「すみません」という言葉が好きです。
謙遜、尊敬、感謝、潔さという想いを包含し、日本人が大切にする他人を「思いやる心」が表れているからです。
「すみません」の語源を調べると、「それでは私の気持ちが済まない。おさまらない。心が澄まない」から来ているとありました。私にはこの最後の「心が澄まない」という意味が一番ピッタリきます。
以前、私の知り合いに、「すみません撲滅運動」をしていますという人がいました。
「すみません」は劣等感と緊張感を感じさせる後ろ向きな言葉なので、「すみません」は使わずに「ありがとう」という明るい前向きな言葉に変えましょうと言うのです。当時、言っている趣旨は頭では理解できるものの、私は何か釈然としないものを心で感じていました。
最近公共の場で、この「すみません」を聞く回数がめっきり減ってきたと感じています。
「すみません撲滅運動」が効果を発揮してきているのでしょうか?
「ありがとう」を聞く回数も減っていますから、「すみません撲滅運動」の趣旨にもあっていませんね。笑
電車や人ごみの中で肩がぶつかり合ったときなど、目もみず声も立てず、そのまま過ぎ行く人。
何か悪いことした?と逆ににらみかえす人。
目の前に居る人は眼中になく、スマホで100キロ先の誰かと交信することに夢中になっている人。
「思いやる」以前に、そもそも他人との関わりを遮断しているように感じます。
これは子供や若者に限ったことではなく、むしろ大人や年配の方に多く見られるのではないかと思っています。
子供は大人の鏡。今どきの若い奴は・・・は、自分のことなのです
偉そうなことを言っている私自身も、そんな態度になっていないかな?と自己反省しないといけません。
「善い言葉を語る」が本塾の3つの実践の一つです。
日本人が大切にする「思いやりの心」を絶やさず更に意識を高めるためにも、「心を澄ませる」言葉、「すみません」復活運動を展開せねばと思う、今日この頃です。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2012年11月12日(月) |
| 占いと私③ 月曜担当…池田光 |
|
30代前半のころ、Aさんと出会いました。
今となってはどんなふうに知り合ったか覚えてないのですが、Aさんは私より5~6歳年長で、占いに関してはどこか天才的なところがある人でした。
Aさんは、予備校で数学の講師をされていて、時間的にも余裕があり、平日の昼間からよく占いについて語ったりしていました。
Aさんはユング心理学などを援用して「占いの原理」を解説した長文の原稿を書いていて、一読して感心した私は、彼の承諾をとって数十冊もの著作がある有名占術家にコピー原稿を送りました。
その方から部厚い手紙が届き、
「出版したらどうか。私がすべての手配をしよう」
とまで言われたのですが、Aさんは辞退されました。
やがて経営コンサルタントとなって東京に拠点を移した私は、Aさんと会う時間が少なくなり、今ではまったく交流もなくなったのですが、一つだけ彼が開発したものを愛用しています。

それは一種の易占いで、まず無地の六角鉛筆を6本用意し、六角のうちの三面に「凹型」を彫って黒く塗りつぶします。
こうすると、陰陽にくっきりと分かれます。
そして、1本だけ、赤の帯を彫るのです。これが「爻(こう)」となります。
何か問題が発生すると、その問題を心に念じながら、6本の鉛筆を転がして占います。
こうして得られた結果を、『易経』を開いて解読するのです。
これを「鉛筆易占い」と名づけています。
ためしに、
「この鉛筆易占いとは、どんなものだろう?」
というアバウトな問いを念じながら、6本の鉛筆を転がしました…。
…と、「天沢履(てんたくり)」の4爻という答えがでました。(写真)
銭天牛著『すぐに役立つ銭流易経』の早見表を見ると、「天沢履」は「半吉」で、その4爻は「吉」となっています。
「良い」いうことがわかります。
次に、岩波文庫などの『易経』を開きます。
天沢履の「履(り)」とは何かというと、「人のつねに履(ふ)むべき道」とあります。
また、4爻の意味するところは、「強い力を持ちながらも、柔軟な態度である」ということで、吉でした。
その結果から、私は、次のように解釈しました。
…「履」から、鉛筆易占いは、困ったときにはつねにやるべき=踏むべき占いであること。
…「4爻」から、この占いは、強い力を持っているが、機微に応じた柔軟な答を出してくれるので、判断の良きヒントとなること。
もう、この鉛筆易占いとは、20数年間の付合いになるわけです。そして、これまでの人生で、何度も判断に迷ったときに示唆を与えてもらいました。
(「占いと私」了)
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2012年11月9日(金) |
| 背中 金曜担当…小笹正洋 |
|
先日、勤め先の事務所での出来事です。
いつものように出社後にコーヒーを入れに給湯室へ行った際、隣にある「男子トイレ」の入口のドアが少し開いており、その隙間から人影がチラリと見えました。
よく見ると、そこには女性らしき人の後姿がありました。
よく見ると、女性社員の方が男子トイレの掃除をして下さっている姿でした。
その姿を見て思わず声を失い、すぐさまお手伝いをさせて頂きました。
何の見返りを求めることなく、
人の目に付かない場所でも、
一途に一所を磨き上げる姿。
なんともいえない尊い姿を拝みました。
世間巷には、リーダーシップに関する書物は溢れるほど出版され、同種のセミナーもあちらこちらで玉石混交で開催されていますが、こんな身近なところで、リーダーシップのあり方を学べるとは思いもよりませんでした。
「リーダーは、背中で語れ!」とはよく言われることですが、「リーダーが背中で語らなくなったときに、真に人がついてくる」とも言われます。
そういう事を改めて感じた次第です。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2012年11月8日(木) |
| いい加減で適当に 木曜担当…西端努斗夢 |
|
今月4日、私の住む地区の文化祭が開催されました。私は数年前から実行委員をやらせていただいています。自分で言うのも何ですが、地区の皆さんそれぞれの持ち味を活かした素晴らしい催しです。
実行委員として走り回っていると、時々まわりの人から「たいへんですね」と言っていただくこともありますが、やっている本人は楽しいのです。楽しくなければ長く続けることはできません。
私の場合、楽しむ秘訣は“いい加減で適当に”ということ。頑張り過ぎないようにしてます。頑張り過ぎると楽しめなくなるからです。もちろん、仕事では許されないことですが・・・
正義感と責任感を振りかざして歯を食いしばり、眉間にしわを寄せながらボランティア活動をしている人を見かけることもありますが、何となく違和感を感じます。
まずは自分が楽しませていただき、まわりの人にも楽しんでいただく。“いい加減で適当に”は無責任と言われるかもかも知れませんが、それが私の身の丈に合った活動のようです。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2012年11月7日(水) |
| 理論と実践 水曜担当…沢井淳弘 |
|
9月のブログで、本塾の小笹正洋氏が、良い習慣をつけることの大切さを述べられました。まったく同感で、悪い習慣を断つには、良い習慣をつけることです。天風はこのことをよく戒めたものです。
亀鑑という禅の高僧に、次の言葉があります。
「悟に依りて習を断ぜる可からず」
これは「習断」の2字にちじめて、「悪い習慣をたちきれ」という意味で、昔のひとはよく言ったようです。
上の亀鑑の難しい言葉は、
「真理が分かったと思っても、今までの悪い習慣を断ち、良い習慣を身につけ、日常生活と言うものがほんとうに明朗快活で、人生を楽しめなかったらダメだ」
ということを説いているのです。
私たちは環境の悪い影響を受けやすく、私欲に迷いがちです。それにわりと順調に人生が進んでいると、横着で我儘になりやすい。せっかく瞑想を勉強して、分かっても、なかなか習慣化できない。
瞑想というものは毎日習慣化してやらなければ、ほとんど効果はありません。
京都の、今たいへん人気の出ている加藤ますえさん、という歌手(唱歌・カンツオーネ)の方は、毎朝と毎晩15分ずつ必ず瞑想を実行しておられる。だから、その歌はとても声量が豊かで、驚くべき歌唱力です。
私はまったく敬服しています。先日、湧くわく本心塾で制作した瞑想用のCDを加藤さんにあげたら、それを毎日使っていると言われ、とても嬉しく思いました。
圭峰宗密という人は
「設い実に頓悟すと雖も終に須らく漸行すべし」
と言っている。先の亀鑑の言わんとするところと同じだと思います。
10月だったか、やはり本塾の坂本欣也氏が、サッカーの監督に2種類あり、セオリーをきびしく教える監督と、体感でゲームの進行をおぼえるように指導する監督とがある、という話を、このブログでされました。これは実に印象に残る話で、面白いと思いました。
そのことからちょっと飛躍するかもしれませんが、私は昔、天風から教わった「理入と行入」という話を思い出しました。昔中国で、坐禅をやるのに、「理入か行入か」という激しい議論があったそうです。つまり、坐禅に入るのに、理論から入るか、行(ぎょう)そのものから入るのか、という議論ですね。どちらもその主張はよくわかります。
理入というのは、
「理論的に納得して坐禅をすべきだ。訳も分からず、ただ坐れと言われても困る」というもので、よく分かるし、
行入というのは、
「理屈を言っていたらダメだ、まず行ぜよ、ひたすらただ坐れ」というもので、これもよく分かる。ただ、人の性格によって、どちらかに分かれるかもしれない。
この議論に対して、天風はどちらも大事だと結論されました。この結論を私はたいへん気に入っています。なにをやるにも、理論も大事だし、実践も大事だ、どちらかに偏りがちなのは性格的に仕方ないとしても、どちらか一方という選択は誤っている(多くの場合)、と私は考えています。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2012年11月6日(火) |
| 「信じ、ゆだねる」 火曜担当…坂本欣也 |
|
昨日から、某大手総合電機メーカーの海外現地法人の幹部候補社員18名への2日間研修が始まりました。出身国は、アメリカ、中国、コロンビア、オーストラリア、ドイツ、インドネシア、シンガポール、インド、タイ、イギリスの10か国です。勤続年数は2年~22年までバラバラですが、平均すると15年くらいのベテラン中心です。
参加者はこの2日間を皮切りに、約10日間東京本社から全国の主要拠点、そして京都奈良を観光で巡り、自社と日本の文化と歴史に触れ学んで帰国します。
この2日間の私の役割は、1)日本のビジネス文化とその背景にある歴史や精神的ルーツを理解してもらい、日本本社・日本人とのコミュニケーションを向上できるようになる。2)初対面同士の18名の信頼関係の構築、グローバル・チームビルディングです。
確かにこれだけバラバラの文化・言語背景を持った人々を、一度にファシリテーションするのは、非常に大変です。 特に今回は、通常英語で一貫して実施するところを、英語と中国語の通訳を挟んでいるので、途中議論の行方を見失い頭が真っ白になる場面も何度かありました。実際、ファシリテーションの最中に議論が発散しすぎて、収拾がつかなくなったり、議論の行方が不透明になったりする場面はつきものです。
そんな困難な時に私が実践するのが、「自らの『本心』を信じ、『本心』にゆだねる。そして、参加者を信じ、参加者にゆだねる」です。以前のブログで、ファシリテーションのテクニック的なことをいくつか書きましたが、一番大切なのは、テクニックを越えた次元の、この「信じる」と「ゆだねる」だと思います。
すると、心が落ち着き、自然と進む道筋が見え始めます。参加者からの建設的な助け舟的発言が起こったりします。今回も参加者に、良いタイミングで何度も助けられました。私はゆだねた時の、この参加者との「不思議な一体感」が大好きです。道なき森を皆で切り抜けたという同志感が高まります。
ゆだねる時、心を空にする瞑想状態に一瞬入っているのかもしれません。
呼吸と同じで、空にすると、逆にいろんなものが入ってくるからかもしれません。
逆に、「自分一人で何とかしよう」と思うと、心が緊張委縮し、頭に血が上り、視野が狭まります。すると、周囲も逆に助けづらくなり、結局孤立してしまうことにつながります。
今これから2日目に出かけます。
今日も「信じて、ゆだねる」を実践し、世界各地から来た参加者との「不思議な一体感」を楽しんできたいと思います!
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2012年11月5日(月) |
| 占いと私② 月曜担当…池田光 |
|
占いには、大きく分けて、
①相(そう)
②卜(ぼく)
③命(めい)
の三つがあります。
この分け方にそって、代表的な占いを分類してみましょう。
①相…手相、人相、印相、墓相、姓名判断など。
②卜…断易、亀甲占い、タロットなど。
③命…四柱推命、星占いなど。
では、これらは、どういう原理によって占っているのでしょうか。
①相…相というのは、その人の運命を映す鏡です。
たとえば、金運が良くなると、掌の金運線も良いほうへと変化しているものです。
また、名前の画数が良くないと、運命にも悪影響を及ぼします。
つまり、運命は「相」にフィードバックされるし、「相」も運命に影響を与えるのです。
②卜…これは、今の決断のために占う方法です。
右に進むか、左に進むか、どうするか。こんな岐路に立ったときに占います。そして、判断の参考にするのです。
原理はこうです。たとえば「胸騒ぎがする…」といったように、人間には何らかの予知能力があると考えられます。
つまり、人は、右に進むのがよいのか、左に進むのがよいのか、潜在的に予知しているのです。
「卜」という方法は、占いの道具を使って、その予知したものを客観的に表現しているのだと私は考えています。
言葉を変えれば、予知したものを「見える化」する技術が、「卜」です。
③命…宇宙と人間との呼応原理を活用して、その人の運命全体を占う方法です。
四柱推命とは、気の占いです。宇宙は気でできていると中国古代人たちは考え、気がその人にどのような現れ方をしているか(これを命式という)で占っています。
また、星占いは、宇宙の12の星座との関係で占います。
よく四柱推命は統計学だから当たるのだと言う占い師がいますが、それは、50%以下の真実でしかありません。
さて、私が学んだのは、「命」の占いです。
前回のブログにも書いたように、29歳のときから四柱推命を学びました。
その過程で、私は少しずつ、気の哲学に惹かれていきました。
やがて、30歳くらいのころのことです。
私が尊敬していた経営コンサルタントのE先生から、
「池田くん、君がやっているのは宿命観の占いだよ。立命観の占いをやったらどうだろう」
と指摘され、あわせて「経営と立命を結びつけたチャート図」のメモをいただきました。
これは、私のために図式化してくれたものです。
ちなみに、私が後年、経営コンサルタントになったのは、E先生に憧れたためです。
「宿命観から、立命観へ」
これが私のテーマとなりました。
宿命観とは、運命はすでに定まっているという立場です。
これに対して、立命観とは、人間の運命はその人の努力によって変えることができるという立場であり、立命観の占いとは、次のプロセスをたどります。
①【現状認識】まず、占って、現在の運命を知る。
②【運命転換の努力】さまざまな運命転換の技術で開運させます。
たとえば、中国明代の書に『陰?録(いんしつろく)』があります。この本に描かれている運命転換の方法は、「万善簿」という方法です。
わが国にも、江戸末期に、淘宮術という方法が開発され、「淘(よな)げる」という方法で運命の転換を図っています。
③【検証】しだいに、最初の占いは当たらなくなってきます。
では、どんな運命になっているのか。これを検証するのが「相」です。
運命が良くなったとき、人相も良くなっているはずです。
また、手相も変わっているはずです。
相は、運命の鏡です。そこには、新しい運命が映っているはずです。
こうして私は、運命転換の方法を勉強しはじめ、その延長線上に、「成功哲学」の探究があります。
私が40歳くらいから書いた本の多くが、この成功哲学の分野の本なのです。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2012年11月2日(金) |
| 睡眠学習??? 金曜担当・・・小笹正洋 |
|
毎晩、就寝時に論語普及協会学監の伊與田覺先生による「大学」の朗読を聴きながら寝入っております。
(書物「『大学』を素読する」に付属しているCDです)
この書物は、潜学講座の中で最初に大学の素読をする際に使用している教材です。
最後まで通しで聴けるときもあれば、開始後数秒で夢の中に導かれる事も少なくありません。。。
始めてから約2ヶ月経ったのですが、仮名大学(書籍「『大学』を素読する」)を読む際に、気のせいか、文字が目に入ってくるというより、少し大げさに言うと、文字が目に飛び込んでくるような感覚を覚えております。
あくまでも我流でのことで、一番効果的なやり方かどうかは分かりませんが、一定の効果は出てきているのではないかと思っております。
もう少し続けてみて、効果を確信できるようになれば、他の教材も実践していきたいと思います。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2012年10月31日(水) |
| 経糸と緯糸 木曜担当…西端努斗夢 |
|
経糸(たていと)と緯糸(よこいと)でさまざまな布地が織りなされていきます。
人生も同じだと思います。経糸は先哲の英知に共通する真理。緯糸はそれを学び、日々の生活の中で実践すること。
湧くわく本心塾も、この経糸と緯糸を織り上げていくことで、一隅を照らす人づくりを目指しています。
自分の人生がどんな模様になるのか楽しみにしながら、学びと実践を重ねていきたいです。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2012年10月31日(水) |
| 頭山満③ 水曜担当…沢井淳弘 |
|
太平洋戦争のさ中、天風は「この戦争は、日本にとって正義の戦争ではない」と言い続けたので、戦争に協力的だった頭山満の「勘当」を受けました。天風は頭山満に恩もあり、尊敬もしていたので、これが大変こたえたようです。
天風はよく
「私の仕事が、いちばん辛かったのは、あの太平洋戦争のころだったね」
と口癖のように言ったものです。
そして、
「なにしろ俺が戦争に反対するものだから、憲兵が俺の後をつけてね」
と、辛かった理由をそのように述べていますが、それは本心ではないと、私は思っています。天風が本当につらかったのは、頭山満に縁を切られたこと(勘当)です。
憲兵に捕まって留置場に入ったこともあるそうですが、天風は皇族方の講師もしている人ですから、すぐに釈放されたにちがいないからです。
戦後、幸い二人は和解しました。頭山満の方から、敗戦日本の悲惨な姿を見て、自分の非を認めたのです。
それ以降、天風は頭山満に対して、ほんとうの父親以上に尽くしました。
そばで見た人が、天風ほど偉い人が、そんなにまでしなくともいいのに、と思ったそうです。
食事のときは、そばで甲斐がいしく給仕のようなことをする。頭山満が疲れたといえば、横にならせて手足を揉む。それが人目もはばからず、といった「孝行ぶり」だったというのです。
この話をきいたとき、私は、さもありなん、とおもいました。そこに、天風と頭山満の真実の関係が表れているからです。
天風は、頭山満の政治結社「玄洋社」のメンバーにはなっていません。このことは、天風は政治的な活動では、かならずしも頭山満の命令下にはいなかった、ということを示していると思います。
天風は、頭山満からなによりも、「人間力」を学んだ、と思います。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2012年10月30日(火) |
| 「気持ちのいい痛み」 火曜担当…坂本欣也 |
|
昨日から足が筋肉痛です。
その訳は、前日の日曜日、私の住む橿原市で市民リレーマラソンがあり、それに参加してきたからです。
私の小3の双子の息子たちが所属するサッカーチームでも参加することになり、1チームを10名で構成、その中に父親が引率も兼ねて2人入ることとなりました。そして、その中の一人が私となったのです。
一周1.5キロのコースを28回まわり、駅伝方式で42.195キロを完走するのです。子供3回に対して、体力に自信のない私たち大人は2回で勘弁してもらいました。
仮装で走るチーム、サッカーボールの着ぐるみを着て走るチーム、家族親戚で構成されたチーム、一人で全てを走りきる人。素人から玄人に近い人たちまで、思い思いの姿で皆が参加していました。
あるチームでは、アンカーがゴールした時に、そのアンカーが皆の前で彼女に実際にプロポーズする感動シーンもありました。
爽やかな秋晴れではなく、小雨まじりの天気の中でしたが、笑いあり、涙ありの感動的な大会となりました。
私が、今回一番印象に残っている一つは、走りながら感じていた、「タスキの重さ」です。
駅伝をTVで観ていると、選手たちがよく言うあの言葉です。
私も、チームの皆の顔、応援してくれている人々の顔が思い出され、それが実際にエネルギーになることを体験しました。 心が折れそうになったとき、タスキをしっかり握りしめました。
また、沿道で応援してくださっている見知らぬ人たちからの「ガンバレー」の声。今まで、折れそうになっていた心やへたり込みそうになっていた体が、一瞬にしてシャキンと復活するのです。
人間は言葉であれだけ変化するものか、と改めて実感しました。
本塾の3つの実践項目の一つ「善い言葉を語る」を思い出します。
相手が元気になる幸せになる、そんな波動を生み出す言葉を、私ももっと使いたいと思いました。
お蔭で、日頃運動不足気味の私も、途中めまいを起こしながらなんとか2回走り切りました。
子供たちも、皆顔を真っ赤にさせながら、元気いっぱい走り切るのを観て、未来からの希望をもらいました。
最後の走者がゴールした時には、もう大人も子供も、誰の子供かも関係なく一緒に飛び跳ねて喜びました。
全員の「本心」が煥発している時は、無我夢中、無念無想になり、本当の意味での「本心の和」ができあがるのですね。
今回も子供たちと共に、多くの感動と学びをいただきました。
それから、筋肉痛も。 感動を思い出す、気持ちのいい?痛みです。笑
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2012年10月29日(月) |
| 占いと私① 月曜担当…池田光 |
|
ある占い師のもとに私が入門したのは、29歳のことでした。
その流派は、至命派四柱推命術と言い、現在は聖至会(せいしかい)と名称を改めています。
この派は、加藤晋品(ふぼん)氏の創始になり、藤原秀普氏に引き継がれ、私が師事した先生(女性)はその有力な高弟でした。
この師のもとで、私は命理学の勉強を始めたのです。
初めて私が師のもとを訪ねたのは、3年前の26歳のときでした。
そのときは師から、「あなたは若すぎる。もっと、やるべきことがあるでしょ」と入門を断られたのでした。
さて、29歳で入門を許されると、師に薦められて、安岡正篤の本などを読み始めました。
数年経つと、毎年発行される『暦』に、運命鑑定士として名前と写真が掲載されました。
また、その頃、有名化粧品会社のイベントで、占い師として何度かアルバイトしました。
これは、化粧品販売店のためにメーカーが開催するイベントで、表彰式や歌手のディナーショーのあと、立食パーティーや、占いコーナーに化粧品販売の美しい女性たちが立ち寄るのです。
私は、「四柱推命 池田光」というランプが灯ったコーナーに座りました。
ほかにも、10名強の占い師がいて、手相占いや、タロット占いや、姓名判断などをやっているわけです。
彼女たちは、占い師をはしごして、一人10分くらいで占ってもらうのですが、ちょっとした行列ができていました。
ちなみに、2時間のアルバイトで2万円ほどになったので、私はこの種のイベントには好んで参加しました。
松陰女子大学の大学祭に、占い師として呼ばれたこともあります。
何を勘違いしたのか、四柱推命なのに、手相とまちがえて手を差し出す人がいて、私は入門レベルの素人なのですが、相手に合わせて手相占いをしました。
すると、次に並んでいた人も手を差し出すので、いつの間にか手相に変わったりしていました。
私が初めて占いのアルバイト(?)をしたのは、20歳の学生の頃です。
三宮のお店でジャズピアノを弾くアルバイトをしていた友人がいて、彼が飲み代をタダにしてやるというので、店に行ったわけです。
席についてソルティードッグを飲んでいると、彼はマスターに、
「池田君は手相占いの達人なんですよ」
とウソを言っているんです。
そして、私は急きょ、そのお店で占いをすることになり、占いの対価として、飲み代がタダになったというわけです。
このとき占ったのは、若い女性か、カップルで、なんとなく占いって面白いなあと思いました。
やがて彼がジャズピアノのアルバイトを終えると、もう午前一時くらいなので、そのまま彼の家に泊まりました。
彼は、芦屋のボンボンで、お屋敷に住んでいるんです。
話は脱線しましたが、私は、29歳から数年間ほど、命理学にのめり込みました。
原書房という占いの専門店が神田の古書店街にあり、そこで高価な本を買い集めました。
中国書もよく買いました。
あるとき三宮の古書店で、徐子平(じょしへい)の『淵海子平』という中国書を見ていたら、大御所の阿部泰山の落款が押されていて、彼の蔵書だとわかったので、すぐさま購入しました。
その頃、一番勉強したのは、明代の劉伯温(りゅうはくうん)の『滴天髄』に注釈をほどこした、任鐵樵(にんてっしょう)の『滴天髓闡微(てきてんずいせんび)』です。
しかし、私の占い師としての腕は上がりませんでした。
理由の一つは、不吉なことをお客様に語りにくかったこと。
もう一つは、私の興味が「占いの原理」にあったからです。(以下、次回)
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2012年10月26日(金) |
| 論語に学ぶ 金曜担当…小笹正洋 |
|
10月21日(日)に、みてじま論語講座に参加致しました。
男女計5名の受講者の中で学ばせて頂きました。
学而第一
「子曰く、学びて時に之を習う。亦説ばしからずや。朋有り遠方より来たる。亦楽しからずや。人知らずして慍らず、亦君子ならずや。」
論語ではお馴染みの始まりですが、
まず、論語普及協会 村下会長の素読のCDに合わせて全員で音読。
そして、池田塾長による解説と、受講者からの気付きや感想についての意見交換。
最後に、もう一度素読。
そういう流れの中で、一言一句の解釈についても、多様な解釈の中から参加者全員での意見交換を経てベストアンサーを求め、受講者全員で言葉の解釈を味わいながら、腹に落とし込んで行けるような進め方で、改めて論語を味わいながら、自分なりの論語探しをする貴重な機会となりました。
時間外の授業では孔子の教えの系統についても学ばせて頂き、論語だけでなく、孔子の後に続く子夏(礼を説く:「荀子」や「韓非子」に続き、性悪説の方面へつながる)や曾子(仁を説く:「中庸」や「孟子」に続き、性善説の方面につながる)へのルートについても学ばせて頂きました。
また、朱子学と陽明学の類似点・相違点についての考察ポイントについても、学びの糸口を得ることが出来ました。
■性即理・・・朱子学の教え
■心即理・・・陽明学の教え
気質というオブラートに包まれた「本然の性」=本性・本心を顕すための修練という考えが朱子学。
良心の部分を育み伸ばすという考えが陽明学だと解釈しております。
何れが正しいとかではなく、ものの見方だと思います。
つまるところ、いかにして自分の「本心」と向き合えるか。
それが大事なんだと思いました。
「万物一体の仁」
人も物も万物は根元が同じであるという考えで、自他は一体とみなす思想。
この言葉にも非常に心ときめくものがありました。
これからも様々な学びの中で、「本心」と向き合い、時間や場所を超えて一体化していける境地を目指していきたいと思います。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2012年10月25日(木) |
| 神様からの贈り物 木曜担当…西端努斗夢 |
|
先月他界した祖母は晩年、孫はもちろん自分の娘や息子すら誰だかわからない状態でした。いわゆる認知症です。
何年か前から症状が徐々に進み、そのたびに家族は何とも言えない辛い、悲しい思いをしてきました。
ただ、今思えば、認知症は、長い間一所懸命生きてきたことに対する神様からの贈り物かも知れません。
なぜなら、まわりの人に先立たれる寂しさ、老いていく不安、迫り来る死に対する恐怖、そういったものをすべて忘れさせてくれるのですから・・・
生前の祖母を思い出すとそんな気がしてきます。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2012年10月24日(水) |
| 頭山満② 水曜担当…沢井淳弘 |
|
天風の養父であった、頭山満は、当時のいわゆる西洋諸国と結んだ「不平等条約」に反対の政治運動をモーレツにやっています。陸羯南(くが・かつなん)の「日本」という雑誌が一つの運動の場となりました。その場で、頭山満は当時の多くの政治家と知り合い、意気投合します。政治家の後藤新平、尾崎咢堂らです。いすれも諸大臣を歴任しています。
のちに天風が「天風会」を作ったとき、頭山満はこれらの政治家や、原敬(首相)や東郷平八郎(元帥)を連れてきて、天風の講話を聞かせました。
天風はこれらの自分より一世代上の年長者の尊敬をうけ、天風自身も彼らを尊敬しました。
いわば「天風会」というのは、そういう名士の集まるサロン(かクラブ)のようなものとして始まったのです。会員もわずかで、高い入会金をとり、高い年会費をとりました。そして、上記の名士たちもまた、演壇にあがって自分の意見を開陳したようです。そんな写真が何枚も残っています。
頭山満が中国の辛亥革命に肩入れしていたころ、
「頭山満は、いつもは眠っているような人だが、ひとたび眼を開けると誰かが死ぬ」
と恐れられました。
頭山満の主宰する「玄洋社」の中には、暴力的な、そして「頭山満のためなら、いつでも命を投げ出す」というような若者が、ゴロゴロしていたことは、たしかです。
そのころ、ある旅館の一室に数人の人が、頭山満を中心に談合していました。すると、そこへ中国人の暴漢が、ピストルをもって乱入してきました。そして、ピストルを頭山満の頭につきつけました。天風もその場にいて、これで頭山満も終わりか、と思ったそうです。
すると、頭山満は隣の男に、「タバコ!」と言いました。
ふだんは頭山満はタバコをのまない人です。
そして、タバコをうまそうに呑みはじめました。
すると、その暴漢はなぜか恐くなって、ブルブルと震えはじめました。
とうぜん、数人がスキをねらって、暴漢にとびかかり、とりおさえました。
天風はそのとき、つくずく「頭山満は度胸のある人だなぁ」と感服したそうです。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2012年10月23日(火) |
| 「第8回(10月)潜学講座報告」 火曜担当…坂本欣也 |
|
10月20日(土)、第8回潜学講座がありました。
今回も、学び、気づき、歓喜のたくさんある講座&懇親会でした。
前回の講座で山本邦子さんからカラー・色彩について教わった結果として、塾長をはじめ何人もの塾生がカラフルな(特にピンク系)色を、早速身に付けていることが目に入りました。さすが湧くわく本心塾塾生。素晴らしい「即今着手」「学びの実践」です。
それから、4月講座に続き2回目の木村さん、初参加の玉木さんにも、京都からご参加いただけたことも大変嬉しかったです。是非またお越しください!
今回のファシリテーターは宇田さん(マサさん)。 リラックスした雰囲気で、淀みなく流れるように、私たちを運んでくださったファシリテートぶりが印象的でした。いつものように、初めは各自の自己紹介、『大学』の素読、ブザーとお鈴による瞑想を行い、メインの講座に移りました。
第1部は、ゲストスピーカーの元宝塚市長の正司泰一郎氏による「天風先生との出会いと私の人生」。アメリカ留学の前に東洋精神を学ぶことを薦められ、天風会の修練会に参加し天風先生から直接に学ばれたお話から始まりました。その後、アメリカでのご経験、政治家を志してからの山あり谷ありのご経験、宝塚市長在任中に起こった阪神淡路大震災とその復興をされたご経験など。それらのご経験から得られた教訓を語っていただきました。
私の印象に残っている学びや言葉は:
・目を見れば心が分かる。鼻を見れば、富が分かる。声を聞けば、全人格が分かる。
・誰しも潜在的な意志力、第六感のような力を持っている。それらを開発向上することは可能である。
・人生はあざなえる縄のごとし。諦めず、チャンスが来るときのための準備をしていることが肝心。
・そのために、自らの意志を周囲に語り、表に出さないといけない。
・人生・成長にとって、楽はダメ。戦って勝ち取らないとダメ。
・政治(家)のレベル=国民のレベル。政治や社会が混迷するのは、国民の心がバラバラだから。
・だからこそ、今後は天風哲学の実践と普及につとめたい。
さすがにお話がお上手で、笑あり、感動あり、学びありの、あっと言う間の1時間でした。正司先生、素晴らしいご講義、誠に有難うございました。
第2部は、塾生の本郷恵久さんによる「二宮尊徳先生の生涯と今を生きる人へのメッセージ」でした。二宮尊徳翁の来歴~『二宮翁夜話』からの逸話~『報徳訓』の素読と、本当に丁寧に説明いただきました。池田塾長からのポイント解説もあり、全体を通して「観念的になりがちな儒教道徳を、人生・仕事の場で現実的な実践に落とし込んだ」ことが二宮尊徳の凄さであると、私は理解しました。
その事を表しているのが『二宮翁夜話』から本郷さんが選ばれた「第四夜 水車の回り方こそ人道」のお話で、特に私の心に残りました。「水車は適度に水に浸かっているから効果的に回ることができる。人の道もこれと同じで、人や社会から離れすぎても、逆にどっぷり浸かり過ぎても、社会の役に立たない」という旨が書かれてあり、あるべき姿~天道~を学んだ上で、それを社会で実践してこそ真の人道であり、真に世の中の役に立つということであると私は学びました。
「国民の心がバラバラだから社会・政治の混迷がある」という私の胸に突き刺さった正司先生の問題提起に対し、第2部で本郷さんから教わった二宮尊徳翁の実践哲学がその一つの答えであると思え、両講義を通して一つにつながった学びを得られた気がしました。天道なくして人道なし。人道なくして天道なし。
ご講義戴いた正司先生、本郷先生、そして塾生の皆さま、今回も素晴しい学び、歓喜の時間を有難うございました。 今回戴いた学びとエネルギーを踏まえた、11月講座で皆さまに再会するまでの1か月間の実践期間が楽しみです!
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2012年10月22日(月) |
| 大人になろう 月曜担当…池田光 |
|
「絆(きずな)」という言葉、よく見かけませんか?
これは昨今の現象かと…。
ここで質問…。
「絆」を否定的な面から見ると、どんな言葉になるでしょうか?
答えは、「しがらみ」です。
日本社会では、明治に入って、個の確立が始まりました。
それまでの社会では、自己の確立は許されず、個は埋没していました。
親が決めた仕事や結婚が当たり前でしたし、自己実現などはとんでもない話でした。
「分をわきまえろ」と言われましたが、分とは、その「家」が置かれた社会的地位に甘んじることでした。
「家」から抜け出して、個を確立しようとしたのが、明治以降の動きであったわけです。
そして、この「家」における家父長制の結びつきを「しがらみ」と言います。
戦後になって、核家族化が社会問題となりましたが、これは個の確立を始めた社会の、当然ではあるが行き過ぎた結末でした。
そして、もう「しがらみ」を問題にする必要がなくなりました。
では、日本人の個の確立は進んだのかと言うと、そうは言い切れません。
本来、日本社会は、もっとゆるやかに「しがらみ」から抜け出すはずでした。
「個の確立」と歩調を合わせながら進むはずであったのに、敗戦の結果、アメリカの戦後政策によって、モラル・ハザード社会になったと思うのです。
ふり返ると、「しがらみ」と感じていた過去の社会には、一定の道徳がありました。
モラル・ハザードが起ったのは、この旧来の道徳が崩壊したのに、新しい道徳が確立できなかったからです。
個の確立とは、新たなモラルの確立でもあります。
自由には、責任が伴います。
しかし、本当の意味での個の確立が出来ないまま、個の自由を謳歌した結果が、モラル・ハザードにつながったのではないでしょうか。
現在、新たな社会風潮のなかで、「絆」に向かい始めています。
が、個の確立ができないまま、「絆」に向かうのは危険であると思います。
せっかく、明治期以降の先人たちが「しがらみ」から抜け出そうと苦闘したのに、その歴史を踏みにじってしまうような気がします。
確かに、いくら「絆」の方向に向かったとしても、もう家父長制には戻らないと思いますが、求めるべきは、個の確立のあり方だと思うのです。
私は、個の確立を経た多様性社会が、大人の社会であり、理想とすべきだと思っています。
これに対して、現在の自我が膨張したエゴ社会は、幼児性の高い社会であり、ここに民主主義が加わると、エゴの多数決で決まる不健全さがあるように思えてなりません。
民主主義が正しく機能するためにも、大人になりたいと思うのです。
最後に、私個人は、「しがらみ」からの脱出に多少の努力をしてきた者であり、「絆」を口にすることに抵抗感があります。
絆ではなく、「つながり」くらいのところで留めてほしいというのが、私の中庸精神がもっている感性です。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2012年10月19日(金) |
| 永遠の美 金曜担当…小笹正洋 |
|
若さの美は
はかないけれど、
成熟の美は永遠。
葉祥明さんの「三行の智恵」という詩集で見つけた詩です。
真新しいものの美しさは、
珍しさにも助けられて、
より惹かれるものがあるが、
定着しているものの美しさは、
長年の風雪に耐えてきた強さにより
自ら輝く美しさがあるのだと思う。
だから、その美しさは永遠に続く。
そのように解釈するし、
そのあり方を理想としたい。
そんな思いが沸々と湧いてきました。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2012年10月18日(木) |
| 言霊の力 木曜担当…西端努斗夢 |
|
池田塾長が先週のブログで書かれていましたが、湧くわく本心塾学監・沢井淳弘先生の新刊『すべてはよくなる わが師中村天風から教わったことばの自己暗示力』(プレジデント社)を、私も読ませていただきました。
この本を読んで感激したのは、「自分に合った、自分だけの自己暗示のため唱詩をつくりましょう!」ということで、唱詩のつくり方をわかりやすく解説してくれていることです。
言霊や暗示力、アファーメーションについて書かれた本は、これまでに何冊か読んだことがありましたが、唱詩のつくり方を説いた本は初めてでした。
「自分の理想の人生って何だろう? 自分の唱詩にはどんな言葉が良いか?」などと考えながら読んでいると、それだけでワクワクしてきます。はやる気持ちを抑えながら一気に読み終え、さっそく自分の唱詩をつくりました。
毎朝、瞑想の後に唱詩を口にすると、それだけで心が弾んできて、人生が自分の思う方向に転がり始めたような気がします。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2012年10月17日(水) |
| 頭山満① 水曜担当…沢井淳弘 |
|
頭山満は、天風の生涯にとって、大きな存在でした。
まず、頭山満は天風の養父のような存在でした。
天風は三郎と呼ばれた子供のころ、ヤンチャで手のつけられないほど乱暴な子でした。天風自身
「私の子供のころというのは、乱暴で、まるで信長の幼少期と同じだった、とつくづく思うね」
と言っています。
天風のお母さんの「おちょう」さんは、弟が親しかった頭山満に、三郎をあづけました。頭山満は福岡に拠点をおく在野の政治家で、「玄洋社」という政治結社を経営していました。
天風は、東京の学習院を中退し、福岡の修猷館に入学しています。
頭山満は、天風を放任主義で育てたと思います。なせなら、三郎の乱暴ぶりは、あまり変わっていないからです。頭山のもとにきてからも、いろいろな事件を起こしています。
三郎は柔道部のキャプテンをしており、他の中学のキャプテンと喧嘩になり、相手を殺しています。もっとも相手の方が年上で、しかも包丁をもって三郎にかかってきたので、三郎は殺人罪には問われず、無罪放免になりました。
頭山満を戦後「右翼の元凶」のごとく批判した人々がいました。
しかし、頭山満は「右翼」の一言で、片づけられるような人物ではありません。
彼の政治家としての出発点は、高知の板垣退助の「自由民権運動」に呼応して、九州に自由と民権の旗をあげたことです。
その後、「玄洋社」を設立しますが、「玄洋社」の綱領の一、は「皇室への尊崇」です。綱領二は、「国民の幸福安寧に奉仕する」ということです。当時の言葉では「草莽(そうもう)の志」ということです。今の「草の根の民主主義」のさきがけと言えます。これが「右翼」でしょうか?
頭山満を有名にしたのは、中国の辛亥革命を応援し、インドの独立運動を支援した、国際的な活躍でした。天風はこの二つの運動で、頭山満を陰でサポートしています。つまり、用心棒ですね。
要するに、頭山満は、西洋列強によるアジアの植民地支配に、抵抗したのです。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2012年10月16日(火) |
| 「まだまだ元気な日本人」 火曜担当…坂本欣也 |
|
10月15日版の日経ビジネスという雑誌に、「世界に誇るニッポンの商品100」という特集が組まれていました。中には、世界シェア100%近くという商品もあり、意外な場所で意外なものが、売られているんだなあと驚きがたくさんありました。
例えば、熱帯の国々で命を救う「蚊取り線香」(ベープ)、真水生む魔法の膜「海水淡水化プラント用膜(東レ)、リンパ系フィラリア症という熱帯病治療薬を無料で提供する(エーザイ)、地雷除去機(山梨日立建機)、警備サービス(セコム)、使い捨てカイロと額用冷却シート(小林製薬)、ポッキー(江崎グリコ)、ヤクルト(ヤクルト)有料老人ホーム(ロングライフホールディングス)、その他、おもちゃ、ゲーム、ファッション、漫画などなど。
共通的特徴は、日本で成功した商品・技術を、商品だけでなく売り方~管理の仕方までを、現地文化に適応させながら移植していることが挙げられます。
元気がなくなった日本という報道が多いですが、私たちの知らないところで、多くの日本人・日本企業が経済・社会を支えてくれているのだと、改めて実感しました。私が実際に研修している各企業の皆さんも、その中の一部の人々で、大変な苦労をしながら異文化の壁や言葉の壁を乗り越え、家族・組織・社会・世界のために日夜頑張っているのだということを、更に強く想い、「がんばれニッポン」という気持ちを更に持って、私も仕事をさせてもらいたいと思いました。
一方、統計的に見ると、スイスの国際ビジネススクールのIMDが調査発表している世界競争力ランキングでは、最新の2011年調査で59カ国中26位(80年代後半~92年までは1位だった)と順位を下げているのも事実です。特に驚きは、「政府の効率性」は50位、「政府部門の債務比率」「法人税率」は59の国と地域の中で最下位です。
上記からも、昨今の国際外交含めて全体の足を引っ張っているのが「政治」です。まさに、池田塾長の仰る「為政者に論語を」という時代だと思います。そして、しっかりした政治をしてもらう政治家を選出し、ウォッチしていく側の私も、文句を言うだけでなく、しっかり修己しなければならないと思いました。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2012年10月15日(月) |
| 「みてじま論語講座」いよいよスタート! 月曜担当…池田光 |
|
「『論語』には、為政者の学が説かれていると思うんですけど、みてじま論語講座では、やはりリーダーを対象にするのですか?」
と、小笹事務局長から質問を受けました。
ご質問の通りで、『論語』は、政治をつかさどる為政者を対象にしています。
あるいは、為政者を輩出した知識人階級を対象にしているわけです。
ところで、知識人とは、教養がある人ということです。
逆に言えば、教養を身につけるために『論語』を学ぶことが有効なのです。
民主主義の現在においては、誰もが間接的に政治に関わり、教養人たることが求められています。もはや『論語』はみんなのものと言って良いのではないかと思います。
私は『論語』をご一緒に学ぶことで、
・人生をより良く生き、
・仕事にも活かしていただきたいと思っています。
・そして、その結果として一隅を照らしてほしいのです。
まあ、それほど大げさでなくても、『論語』をみんなで楽しく学びたいと思います。
講座では、三つの進め方をします。
①素読する。
②なるべく正確に現代語訳する。
③解釈を楽しむ。
ここで大切なのは、②と③をわけることです。
現代語訳と、主観的な解釈がまざってしまうと、まちがった受けとめ方になってしまいます。
たとえてみれば、事実と推論が混在しているようなものです。
そうではなく、事実としての現代語訳と、推論としての解釈をわけて考えたいと思います。
そして、解釈で大切なのは、「楽しむ」ということです。
解釈は自由です。
自由にいろんなことを話せたらと思います。
楽しんで、そのうえに、人生やビジネスに益するところがあれば、素晴らしいと思うのです。
『論語』は2500年の歴史を生き抜き、東アジアでの最高の指導書であったわけで、ここには確たるものがあります。
実は、この確たるものに触れることが、役立つとか、楽しむといった以上に、大切なことなのです。
そして、この確たるものを、きっちりと掴むためにも、②と③をわけて考えることが大切です。
『論語』を全編読み通した暁には、きっと世界や社会の見え方は違っているはずです。
■「みてじま論語講座」 いよいよ、スタート!
・日時…10月21日(日曜日)13時30分~16時30分。
・場所…御幣島(みてじま)の湧くわく本心塾の事務所。
・参加費…900円。
・予約をお願いします。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2012年10月12日(金) |
| Every thing is all right. 金曜担当…小笹正洋 |
|
|
|
| 2012年10月11日(木) |
| 過去は変えられる 木曜担当…西端努斗夢 |
|
誰が言ったのか忘れましたが、「過去は変えられる」という言葉を聞いて衝撃を受けたことがありました。
「過去は変えられないけれど、未来は変えられる」というのはよく言われていて、私もそう思っていました。だから、最初は、自分の耳を疑い、聞き間違いかと思ったほどです。
しかし、考えてみれば、確かに過去は変えられるようです。
例えば、過去に辛い、苦しい、嫌な体験をしたとします。その体験をずっと引きずってコンプレックスを持ったり、誰かを恨んで生きていたのでは、その体験は、辛くて、苦しくて、嫌な過去のままです。
ところが、辛い、苦しい、嫌な過去の体験をすべて受け入れ、それを糧にして今を幸せに生きることができたなら、その体験がありがたいものに変わり、結果的に過去は変わるのです。
「過去は変えられないけれど、未来は変えられる」という言葉も決して否定できませんが、「過去は変えられるけど、未来はわからない」という考え方もアリではないでしょうか?
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2012年10月9日(火) |
| 天風と儒教 ② 水曜担当…沢井淳弘 |
|
天風と儒教の「智」について考えてみます。
天風は「智」という言葉は使っていませんが、「知恵」がその意味に近いかと考えます。「知恵」をだすために、天風式瞑想(=坐禅、安定打坐密法)をするわけです。瞑想は、天風においては、儒教の「智」を実現する道なのです。
「信」について――
天風は「信念」という言葉をもっぱら使いました。その内容は儒教の「信」に該当すると思います。
天風は、信念の重要さを説く講話のなかで、必ず孔子の「信」を引用したものです。孔子は「信は万事のもと」と言っている、という引用です。
天風は自分の教えるすべての実践方法――つまり心身統一法――は、「信念」を強くするためにある、と言っています。
今までのべてきたように、儒教の「五徳」はすべて天風の教えのなかにあります。
そして、それらは、ヨーガの哲学から学んだものではなく、悟りを開いてから、日本に帰ってきて、教えを説くうちにしだいに形を成したものです。つまり天風の「本心」がそれらを考えついたわけです。私が思うに、そのとき天風が幼少の頃に学んだ、儒教の素地が、心の奥から出てきたのでしょう。
結局、私は「礼」については述べませんでした。
つまり、天風はとくに「礼」については、説いていないからです。
しかし、天風という人は、自分の生活の中では「礼」を重んじる人でした。
一例をいうと、天風は
「食事をするとき、一口で何十回もよく噛みなさい。咀嚼は健康のもとですからね」
と助言しましたが、そのあと
「人と一緒に食事をするときは、あんまりグチャグチャと噛むのは失礼だからね、慎みなさい」
と付け加えたものです。
「なにをするにも、まず他人の気持ちを考えなさい」というのも、天風の口癖でした。これは「礼」の徳に通じるものではないでしょうか?
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2012年10月9日(火) |
| 「子供たちのサッカーからの学び」 火曜担当…坂本欣也 |
|
私には小学校3年生になる双子の息子たちがいます。小学1年生から地元のサッカークラブに所属し、今も夢中に練習しています。そんな中、クラブチーム対抗の試合を何度か見ているうちに、面白いことに気づきました。
監督が試合中にずっと大きな声で怒鳴っているチームと監督は静かに見守っているチーム。大きく分けて2タイプのチームがあることを。
前者の監督がずっと大きな声で怒鳴っているチームは、小学校低学年からポジションをしっかり決め、教えたセオリー通りに動いているかどうかを外から一生懸命伝えている。 後者は、「頑張れ―」「声だせ―」「いいぞ!」とかの応援が中心。細かいセオリー的なことは殆ど口にしない。
うちの子供が所属するチームは後者にあります。そして、そのチームのコーチにその違いを訊ねたところ、こんな趣旨の答えが返ってきました。
「(前者のチームのように)ポジションを固定してセオリー通りに教える指導方法だと、低学年でも綺麗なサッカーに表面的に見せることはできるが、自分のポジションからの観方や行動しかとれなくなり、結果的に伸びなくなる。(後者のチームのように)子供の自主性に任せる指導は、今は滅茶苦茶に見えるけれど、いろんな位置を経験し、試合状況の全体を観て行動できるようになり、結果的に高学年くらいからぐんと伸び始める」と。
気が付くと最近の試合では、一人ひとりが全体の動きを観て動くことが少しずつできるようになってきているように感じます。また、メンバー同士が、お互いの特長を認識し合い協力しあっている。そして何よりも、統制されたチームより、荒っぽく元気がいい!(親バカが入っていますので、その辺は差し引いてください。笑)
・教えられた(或いは、教わっていない)セオリー・理論を、経験を通して自分で考え、体に沁みこませていく方法。
・悔しさと喜びを経験する中で、自発的な気持ちと行動が、本心から湧き出てくるプロセス。
・目先の勝利や成果より、将来への成長や成功のために、じっくり育てて行こうとするチームの監督・コーチの理想軸のある教育姿勢。
子供のサッカーから、人が成長していく過程を、人を育成していく方法を、感動と共に学ばせてもらっています。
スポーツの秋の気持ちよさ・爽快感を感じた週末でした。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2012年10月8日(月) |
| お薦め!沢井淳弘先生の新著 月曜担当…池田光 |
|
弊塾学監・沢井淳弘先生が待望の新刊を出されました!
『すべてはよくなる わが師中村天風から教わったことばの自己暗示力』(プレジデント社)です。
昨年、沢井先生に講師をお願いして、この本のテーマである「唱詩」という考え方や、その創作法の勉強会をしていただことがあります。
そのときから、「早く読みたい」と心待ちにしていました。
沢井先生は、ことばには力がある、と言われます。
その力とは「暗示力」です。
ポジティブな暗示をかけることで、人生はどんどん良くなります。
いえ、人類そのものがポジティブな方向に向かっていると沢井先生はおっしゃっています。
「ことばの自己暗示とは、
自分で自分を励ますこと。
自分で自分の心を喜ばすこと。
自分の人生を変えられるのは
この世でたった一人、
自分自身だけです」
この本の袖に記されていることばです。
このことば自体が、素晴らしい唱詩です。
――自己暗示のことばには、
・寸言(一文くらいの短いもの)
・唱詩(複数の文から成り立つ長いもの)
があるとされ、唱詩に絞ってわかりやすく説かれています。が、私は、このようなテーマで書かれた他書を知らず、独創的で、意欲的な本だと思います。
「おわりに」には、湧くわく本心塾にかかわる沢井先生の姿勢が語られていて、興味は尽きません。
■自分のために作る――
私が好きな『論語』という書物は、多くが弟子などに向かって語られた、孔子の話ことばを集めた語録体の本です。
つまり、特定個人に向けたことばですから、「個人的なことば――特殊なことば」が多く含まれているわけです。
たとえば、「仁とは、どういうことですか?」と尋ねた4人の弟子に対して、孔子はそれぞれに、違ったことばで説明しています。
これはまだ、仁という概念をいろんな角度から説明したことばとして納得がいきやすいのですが、次のような事例を読むと、うなってしまいます。
人から聞いた良いことを、孔子は、弟子Aには「すぐに実行しなさい」と励まし、弟子Bには「すぐに実行に移してはならない」と抑えるのです。
つまり、孔子は、正反対のことばを言うのですが、それは、弟子の性格が正反対だからです。
弟子Aはぐずぐずしているし、弟子Bは直情型です。だから、ことばの処方箋が変わるわけです。
このように、『論語』のことばは、程度の差はあれ、個人的で、特殊なことばの集積なのに、2500年を生き抜いた普遍的なことばとなっています。
いえ、むしろ、この特殊さが『論語』を輝かせているのです。
生命を宿らせているのだと思います。
特殊なことばが、普遍的なことばとして、時代を超えて生き続ける――そこに孔子という偉大な人格を見るのですが、元々、ことばにはこのような性格が備わっているのではないかとも思います。
ことばは対象を明確にして発するものであり、対象を絞れば絞るほど、そのことばには、生命が宿るのだと……。
したがって、唱詩は、徹底的に自分のために作ることばであっていいのだと思います。
そこに、生命が宿ります。
言霊とは、ことばそのものに命があるというものではなく、ことばが対象を選んだときに命を宿すものだと思います。
辞書のなかでは、ことばは死んでいます。
対象を見つけたときに、ことばは蘇えるのです。
だから、かっこいいことばを作ろうとすると、対象がぼやけて、そのことばには生命感が感じられないと……。
沢井先生の新著を読んで、誰に遠慮することなく、自分のために唱詩を作ってみませんか。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2012年10月5日(金) |
| 石田梅岩 金曜担当…小笹正洋 |
|
9月17日(月)の池田塾長のブログの内容を読み、改めて石田梅岩という人の教えに触れてみたいという強い気持ちが湧いてきました。

以前に購入した『商売はノウハウよりも「人情力」』/清水克衛(著)を再度読み返してみた。
石田梅岩や石門心学といっても、馴染みが薄いかもしれませんが、この本だと非常に敷居が低く、入門書には最適かと思います。
巻末にも、掘り下げていくための参考書籍が列記されており、更に学びを深めていくことも出来ます。
本文をチラッと紹介しましょう。
考えてみれば、人の心も煙管(キセル)のようなものです。
生まれたての赤ちゃんは、頭のてっぺんから、足の先まで、損得を打算する心なんてひとつもありません。無邪気満点です。
けれど、人間はいつまでも赤ん坊でいるわけにはいきません。
だんだんと成長して大きくなり、それにつれて世間を知り、人の心のウラオモテもわかるようになっていきます。
すると、だんだんと心に邪気が積み重なって、心にヤニがたまってくるというわけです。
人間の心も、煙管のように、まめにそうじをして、ときどきは赤ちゃんのような、まっさらな心に戻らなければなりません。
そのためにも、良い本を読んだり、心のからくりをよく知っている先輩のお話しを聞いたりして、よくよく、詰まった邪気を取り除いていく工夫を毎日の中に取り入れておくことですよ。
※( )の振り仮名は小笹挿入。
いかがでしょうか?
この他にも、全体的に面白いたとえ話によって、非常に身近に学んでいけます。
秋の夜長の読書タイムに、この本を手にとってもらい、邪気の取り払われた純粋な「本心」と向き合うためのヒントになればと思っております。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2012年10月4日(木) |
| 卒業 木曜担当…西端努斗夢 |
|
先日、祖母が他界しました。
「人は死んだらどうなるのか?」というのは人類永遠のテーマですが、この世に生きている限り誰もその謎を解くことはできません。
人として生まれ、この世で様々な経験をし、多くのことを学んで魂を成長させることは、もしかしたら、学校に入学し、そこで様々な経験をし、多くのことを学んで人間性を成長させることと同じかも知れません。
だとすれば、この世での寿命を終えて他界することは、今生からの卒業を意味するのではないでしょうか?
そう思い、私は祖母の卒業を祝い、新たな人生の門出を見送りました。
卒業・・・ そう思わなければ、大切な人との別れは寂しすぎます。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2012年10月3日(水) |
| 天風と儒教 ① 水曜担当…沢井淳弘 |
|
天風の教えの中には、儒教の教えと共通するものが多くみられます。
五徳について、考えてみましょう。
まず「仁」-――
「仁」を「思いやり」とか「万人に対する愛」と解釈すると・・・
天風は、悟りの最高の境地は「人に思いやりをもてる」ということだ、と考えていました。
禅に悟りの段階を比喩的にあらわす「十牛図」というものがあります。
その悟りののかでも最高の境地を説明するときに、天風は「思いやり」ということを熱っぽく語っています。(『盛大な人生』)
「思いやり」のある人は「仁」のある人であり、悟りの最高の境地にいる人だと、天風はいうのです。
天風は、「仁」という言葉は使っていませんが、天風の「善」というのが、儒教の「仁」と同じと考えてよい、と思います。
なぜなら、「善」の意味を説明するときに、天風は「偏頗(へんぱ)なき愛」と定義しているからです。「へんぱなき愛」とは「万人に対する愛」でしょう。
つまり「仁」にほかなりません。
天風は「真」「善」「美」の3つを、宇宙霊のもっている性質、としています。
そして、私たち人間が、この3つの気持ちをいだくとき、宇宙霊と一体になれる、というのです。天風は、「人が真善美の気持ちになるとき、神人は合一する」と言っているのです。つまり「仁」に通ずる「善」が真善美の中に入っています。
「義」について ――
「義」を「正義」と同じと考えるならば、天風は「正義の実行」ということを説きます。これは私たちが、日常のなかで実践すべき重要な項目の一つに数えています。
自分の利益を考えず、正義を実行する人は強い、と天風は言っています。これは儒教の「義」に通ずる考え方でしょう。義は利に対比されることばですから。
天風は義の人であり、正義の人でした。その例は、「平炭鉱の労使紛争」を解決したとき、正義を実行するために自分の命もかえりみなかった、果敢な行動の中に現れています。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2012年10月2日(火) |
| 「中秋の日の北京からのプレゼント」 火曜担当…坂本欣也 |
|
私は昨年夏に中国を1か月ほど取材旅行しました。
その際、縁が有って、北京の范さんというご家庭に2週間ホームステイをさせてもらいました。
お父さん・お母さん・息子(28歳)という一人っ子の典型的な家庭。
私の中国語は初級の中の初級レベル、向こうも英語も日本語も話せないという状況で、コミュニケーションはホントに大変でした。ミスコミュニケーションやハプニングもたくさん起こりました。
しかし、4人の忍耐力・知恵と工夫・明るさで、ハプニングを笑いに転化し、殆ど言葉が通じない大変な2週間を乗り越えました。
最後は、「兄さん、姉さん、甥」と呼んでくれと言われ、私は家族の一員とみなされました。
大変だった分、お互いを思いやる気持ちと結束力が高まって行ったのだと思います。
昨今の日中関係とその行方、その中での私の中国の友人たちとの交流もどうなるか?と私は最近気に病んでいました。そんな時、昨夜に届いたメールがこれです。
「叔叔?好,今天是中国的中秋?。在北京祝?家人生活幸福、?工作?利!旭?及?????迎?再来北京、再来我家做客。」
(おじさん、こんにちは。今日は中国の中秋節です。北京で貴方のご家族の幸福と貴方の仕事が順調なことをお祈りしています。旭東(彼の名前)と貴方の兄さん姉さんは、貴方がまた北京を訪問し私たちの家に来てくれることを願っています)
昨夜は台風で名月が見られませんでしたが、中秋の日に届いた北京からの便り・プレゼントで、私の心にかかった雲は晴れ、少し救われた気持ちになりました。
国家の枠を越えて、信じ合い交流し続ける。
それをするにも、「本心」をしっかり持ち、「本心」レベルで通じ合っていることが大切なんだと、改めて思いました。異文化コミュニケーションの原点です。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2012年10月1日(月) |
| 本心を働かせる② 「イエスかハイか」 月曜担当…池田光 |
|
■本心を働かせる言葉――
山口育子さんの出版パーティーでの帰り道。
山口さんを僕に紹介してくれた株式会社アウラ社長の松永巳知子さんから、こんなお話を聞きました。
うちの会では、
「イエスかハイか即答せよ」
という言葉が流行ってるんですよ、
と、松永さん。
うちの会というのは、盛和会(稲盛和夫)の大阪・第11経営委員会のことで、松永さんは副委員長を務められておられます。
さて、
「イエスかノーか」
ではありません。
「イエスかハイか」
ですから、つい笑ってしまいました。
しかしこの言葉には、本心を働かす力があるなと、即座に思ったのでした。
■直観を大切にする――
「イエスかノーか即答せよ」
とは、迅速な判断を迫ることです。
高速で考えを巡らさないと、即答できません。
しかし即答であっても、この時、理屈を働かせているのです。
これに対して、
「イエスかハイか即答せよ」
とは、判断以前です。
つまり、理屈を働かせる前に、本心を働かせることになります。
直観で答えるわけです。
私は、経営者には、
①直観力
②判断力
③実行力
の三つが大切だと思っています。
ここで求められるのは、一番目の直観力です。
直観を働かせようとするとき、私欲があると、正しい答えはでません。
そこで、ふだんから気質を清くすることです。
人は、欲は無くせませんが、私欲を清くすることはできます。
「イエスかハイか即答せよ」
とは、気質を清くしておきなさいということと、同義ではないでしょうか。
①ふだんから、気質を清くしておく。
②そのうえで、直観を働かせる。
③すると、その決定は天に通じる。
と思うのです。
■まとめ
経営者に大切な、
②判断力
③実行力
についても、一言加えておきます。
判断力に「見識=優れた物の見方」が備わっていれば、鬼に金棒であり、また、実行力に「信念」が備わっていれば、どんな逆境にも打ち克ちます。
①直観力(←本心)
②判断力(←見識)
③実行力(←信念)
とまとめることができます。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2012年9月28日(金) |
| 主座を保つ 金曜担当…小笹正洋 |
|
代々の天皇の中には、たとえば仏教なら仏教というものを非常に立派な教えであるとして、これを尊び、進んでみずから信仰帰依した天皇もありました。
(中略)
しかし、そのような場合でも、天皇自身が参詣するのではなく、いわゆる勅使を発して代参させておられたということです。天皇がひざまずいて祈るのは、建国の祖であり、日本国民の総祖先ともいうべき、皇祖皇宗の霊に対してだけであって、宮中の賢所に仏像などを安置して、それに祈るということはなかったようです。
ですから、たとえなんらかの宗教に帰依する場合でも、それは個人的な立場で信仰するのであって、天皇の位においてそれを信仰するようなことはなかったと
考えられます。天皇の位においては、つねに皇祖皇宗の霊をまつり、もろもろの宗教の教えはかたわらにおいて、これを尊んだということだと思います。
つまり、いっさいの神仏を尊びつつも、その僕になるということはなかったのだと思うのです。
(中略)
そのように天皇にみられる、つねに主座を保つという姿、いいかえれば自分を失わないで、自主性、主体性をもって教えをうけ入れ尊びつつ、これを生かしていくということが、一つの日本人の国民性であり、伝統の精神だと思います。
「日本と日本人について」(松下幸之助著)より。
前段が少し長くなりましたが、大切な教えだと思い、抜粋致しました。
人は独りでは生きておりません。
好むと好まざるにかかわらず、色んな組織に属しております。
家族、企業、地域、学び、趣味・・・
そこには、何らかの活動目的や意義或いは、拠りどころがあるはずです。
商家では「家訓」というものが存在し、企業では「経営理念」というものが存在したりと、世の中の情勢が変化しても変わることのない「縦糸」の教えがあります。
一個人として生きていくうえでも、「縦糸」の考えをしっかりと持ちたい。
外国の文化や考え方には優れたものがあり、非常に利便性の高いものもある。
しかし、自分たちの拠って立つところを見失わずに、取捨選択する「眼」をもっていきたい。
これは、先日の西端さんの講義で学び、感じたことです。
そして、
世のため、人のため。
小さな隅っこでもいい。
小さな灯でもいい。
今いるところを照らしていきたいですね。
そのためにも、絶えず五感を刺激(書を読み、人と会い、芸術に触れる)し、本心が表れ・発動し易い状況に自分自身を置いていきたいです。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2012年9月27日(木) |
| 下心(したごころ) 木曜担当…西端努斗夢 |
|
下心とは、何か魂胆や見返りを期待する思いのことです。
私は、まだまだ人間修行が足りないので、誰かに喜んでもらうことをする時、ついつい下心が湧いてきます。特に女性には・・・
人に喜んでもらえることをするのに下心を持っていては、本当の親切ではありません。
なので、親切にするより前に、まず下心が湧かないように修行を積むか、下心があってもとりあえず先に行動を起こして親切にするか、悩むところです。
皆さんは、どちらを選ぶでしょうか?
親切にする前に、下心が湧かないようにまず修行を積みますか?
それとも、下心があってもとりあえす親切にしますか?
私は、迷わず後者を選ぶようにしています。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2012年9月26日(水) |
| 思い出 13 水曜担当…沢井淳弘 |
|
天風の生涯についての、もう一つの誤りは、
天風がヨーガを学んだ場所の名前です。
天風は「インドのゴーグという村で、カリアッパ先生からヨーガを学んだ」
と、言っています。
正しくは「ネパールのゴーケ」という村です。
多くの人が調べた結果ですが、これも、だれかが当時誤って天風にその地名を教えたのでしょう。訂正する必要がありますが、多くの本でまちがったままになっています。ちょっと残念なことですが、天風の教えに関わることではありませんから、さほど重要なことではないかもしれません。
「ゴーケ」はGorkeとつづります。
発音は正しくは「ゴウルケ」とでも表せばいいでしょうか、しかし私は「ゴーケ」の方が分かりやすくていいと、考えています。
それはちょうど・・・
「ヨーガ」とか「ヨガ」というのは、どちらも間違いで、「ヨウガ」というのが、正しい発音なのと、同じです。
日本語には、長母音と二重母音の厳密な区別がないからです。
しかし、「インド」と「ネパール」は大きな違いですね。
「ゴーケ」は、天風が行ったとき、大英帝国の英国領でインドに属していたのではないか、と私は思い、ネパールの歴史を調べてみましたが、「ゴーケ」がインド領になったことはありませんでした。ゴーケの近くに、紅茶の産地で有名なダージリンという所があります。ここはかってネパールの領土でしたが、インドに占領されインド領となってしまいました。
天風がヨーガを学んだのはネパールでしたが、その内容はインド・ヨーガでした。
カリアッパという先生はインドでヨーガを学んだ人です。
カリアッパ先生はインド人ではありません。ネパール人です。日本人に似ていたそうです。
ついでながら、カリアッパという名前のインド・ヨーガの聖者は複数存在します。個人を特定できず、天風の恩師のカリアッパ先生が、どんな人であったかという文献がありません。それに無名に徹して生涯を終えた聖者です。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2012年9月25日(火) |
| 「ファシリテーション:絶対肯定」 火曜担当…坂本欣也 |
|
9月4日のブログで、ファシリテーターの使命・役割は、「自分がその場に所属している事への安心と自信、意見を共有し合うことで素晴らしいアイデアや学びが生まれるというワクワク感が持てる場」であると、一人ひとりが感じられる場をつくり出すことです。と申し上げました。
そして、その場づくりは、「初めにやること」であり、同時に「継続的に最後までやり続けること」でもあります。と9月11日で申し上げ、「初めにやる場づくり」の方法について記しました。
今回は「継続的に最後までやり続ける場づくり」について書きたいと思います。
それを一言で言うと、メンバーの発言、意見、アイデア、メンバーの存在そのものに対しての「絶対肯定」です。 逆にいうと、「絶対に否定はしない」です。
「なるほど、素晴らしい考え方ですね」「それは私も気づきませんでした。もっと詳しく教えてください」「それって、〇〇という意味でしょうか」などの「承認」と「確認」の肯定的働きかけが最重要です。
逆に、「それは無理なんじゃないの?」「それは、難しいね~」「そんなんで大丈夫?」などと、直ぐに否定的な反応する人が周りに居ませんか? この振る舞いは負のブレーキ効果しか生みません。
本人は否定している意図はなくても、このような負のエネルギー・波動を持った言葉を浴びせられると、負のエネルギー空間ができあがり、メンバーの「本心」は委縮し発言するパワー・意欲もなくなってきます。そして、「本心」同士の間に壁が生まれ、自己防衛的対立姿勢を取り合うようになります。すればするほど疲れて元気が奪われる会議や研修は、これが原因です。
それ故、ファシリテーターは、絶対肯定・絶対安全空間をつくるよう、意識的にメンバーの模範にならねばなりません。その人の意見やアイデアを承認し、更に確認するという反応を示していくと、本人も話していく過程で、潜在している本人も気づかなかった部分「本心」に気づき初め、結合し始め、考えが体系的にまとまってきます。そしてメンバーの「本心」同士が結合し始めます。
「絶対的肯定空間」づくりは、ファシリテーションの第一歩。しかし、言うは易し、行うは難し。会議や研修の場だけではなく、日常生活の中での習慣化が必要です。
それには、高い次元のエネルギーを持った「善い言葉・ボキャブラリー」を多く持ち、善い振る舞いと併せて、無意識に発することができるレベルになる必要があります。ファシリテーションも、まさに「修己」からですね。ですので、私も日々修行です。
皆さんも、是非お試しください。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2012年9月24日(月) |
| 本心を働かせる① 「心の手入れをする」 月曜担当…池田光 |
|
■幼稚園での出版パーティー
9月7日に、山口育子さんの出版パーティーがありました。
会場は、幼稚園でした。
じつは、山口さんは、滋賀県大津市で「チッチキンダーガーデン」という幼稚園を経営されていて、この幼稚園を会場にして、園児とお母さん方が手づくりのパーティーを開催してくれたのでした。
その山口さんが、5冊目となる本を、私が経営しているプロセスコンサルティングから出版されました。
『チッチ楽育のーと』という本です。
ピンクの表紙のとても可愛い本で、37のお話が掲載されているのですが、山口さんはパッと本を開かれ、偶然に開いたページについて講演をされました。
とても自然で、心に響くお話でした。
この本を出すのに、半年間かかりました。
出版をお手伝いしていたとき、湧くわく本心塾の精神と通じる原稿が多々あって、とても嬉しくなったのを覚えています。
『チッチ楽育のーと』の中から、12番目のお話をご紹介しましょう。
■心の手入れをする
12.悪い人にだって「神様(本心良心)はいます!」って考えてみよう。
子どもにも、大人にも、老人にも、いい人にも悪い人にも、どんな人にも心のなかには良心があります。鬼を出すか、笑顔を出すか、どちらを出すかはあなた次第です。
この世に生まれて来た時に、どんな子どもも神様からプレゼントをもらってきています。それが色々な親や社会の対応によって、だんだん曇ってきているのだと思います。どんな人の心のなかにも、神様はいます。悪い事をした時にドキドキしたり、後ろめたさを感じるのが、その証拠だと思います。
電車に疲れて乗っている時に、高齢者の方が来られたら、あなたはどうしますか? さっと席を代われる人は素敵ですね。なかにはタイミングがあわずに、寝たふりをした人もいると思います。でも、寝たふりをしたとしても、なにか居心地は悪くないですか? それが良心です。人間は元々良心を持って生まれてくるのです。しかしお肌と一緒で、いつも磨いていないと曇ってしまいます。ぜひとも、お顔のお手入れと一緒に、心の手入れもしましょうね。
(山口育子『チッチ楽育のーと』より)
このお話のポイントは、こうです。
人間はもともと、生まれながらに「本心」「良心」をもって生まれてくるのに、親や社会といった環境のなかで育っているうちに、その「本心」「良心」が曇ってしまう。
これはお肌と一緒。お肌をちゃんと手入れをするように、心も磨いてその曇りを取っておこう。そうすれば、「本心」「良心」が働く、ということです。
湧くわく本心塾では、「曇り」を濁った気質と言っています。
この気質を清くして、「本心」を働かせたいものです。
■帰途に――
山口育子さんと私を結びつけてくれたのは、株式会社アウラの社長の松永巳知子さんです。
彼女も出版パーティーに参加されていて、その帰途、松永さんはとても面白いお話を聞かせてくれました。
そのお話は、また、次週…。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2012年9月21日(金) |
| しょうじき 金曜担当…小笹正洋 |
|
ワシントンはにわへあそびに出て、父のだいじにしていたさくらの木を切りたおしました。
「これはだれが切った。」と父にたずねられた時、「私が切りました。」と、かくさずに答えてわびました。
父はワシントンのしょうじきなことをよろこびました。これはワシントンの六さいの時のことでありました。
(第二期<明治43年~>・巻3)第7
今回も「修身」の教科書について触れてみたいと思います。
アメリカ初代大統領ワシントンの幼少期のお話として、ご存知の方も多いでしょう。
明治時代の教えとして、自国の偉人だけでなく、外国の偉人の話も多々教えられていたようで、リンカーン、コロンブスなどの偉人のお話も入っております。
決して偏った日本人論ではなく、広く「尊敬すべき人格」、「優れた人格」の指標を示してくれています。
志を高め、視野も拡げてくれる、心の修養書であると思います。
日本国内では物質文化が飽和状態になり、それと相反するかの如く、「自分さえよければ」、「他人に対しての無関心」という悪しき個人主義や、「心の空洞化」ということも叫ばれています。
こんな時代だからこそ、知識偏重から少し離れて、背骨(バックボーン)を強くする教育も必要なんだと思います。
湧くわく本心塾の中で、そういう事をもっともっと語り合い、訴求していきたいと思っております。
そして、この歳になっても改めて、伝記を読んでみようという気になりました。
伝記は、「あきらめ」という言葉の出てこない、非常に心高ぶる書物だと思います。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2012年9月20日(木) |
| 心トレ 木曜担当…西端努斗夢 |
|
筋肉を強くするために「筋トレ」をしますが、心を強くするためには「心トレ」が必要なのをご存じでしょうか?
「筋トレ」は、筋肉に負荷をかけることで筋肉を鍛えることができます。それに対して「心トレ」は、心に負荷をかけることで心を鍛えることができるのです。
苦しいことや辛いこと、悲しいことを体験すると心に負荷がかかります。それを乗り越えた時に心は鍛えられ、強くなっているのです。
そう考えたら、生きていくのが少しは楽になりません?
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2012年9月19日(水) |
| 思い出 12 水曜担当…沢井淳弘 |
|
天風の生涯について、大きな誤りが2つあります。
それが訂正されずに今日に至っています。
その2つとは―
① 天風の出生に関すること
② 天風がヨーガを修行した場所
①について、結論的に言うと、
天風の祖父は、立花鑑徳ではなく、立花鑑寛(あきとも)です。
天風はいつも講演になかで、
「私の祖父は柳川藩藩主の立花鑑徳という人でした」
と誤って語っています。鑑徳は鑑寛の孫で、天風の従弟に当たります。交際はなかったのでしょう。
天風の思い違いというより、だれかが誤って祖父の名前を教えたのでしょう。
松原一枝という作家が、天風の出生について本を書いています。しかし彼女の推測はまちがっています。
天風の祖母は千代さんといって、たいへん美人だったそうです。
千代さんは、立花鑑寛にみそめられて、側室になりました。
その間に生まれたのが、佑興(すけおき)という男児で、この人が天風の父となります。
柳川藩の名跡である中村家には、跡取りがありませんでした。
千代さんは、佑興を連れ子にして、中村家(中村一甫)に嫁入りしました。
佑興は庶子でしたが、聡明な将来性のある子でしたから、父であり藩主である鑑賢に愛されたのでしょう。長崎に遊学をゆるされ、西洋の新知識をたくさん吸収したようです。
天風の父、佑興は、大蔵省にはいり、局長に栄進します。抄紙局といって、政府の発行する貨幣を印刷する局です。そこで、じょうぶな紙幣をつくるためにいろいろ研究し、和紙に絹を混合させる技術を開発しました。「中村紙」と呼ばれたそうです。
佑興はすぐれた科学者だったのでしょう。その血をひいた天風も、科学の好きな人でした。天風は「次に生れてくるときは、科学者になりたい。白衣を着て、試験管なんかをもって、なにかを研究して、発見とか発明なんかをしたいね」と、よく言ったものです。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2012年9月18日(火) |
| 「第7回潜学講座報告」 火曜担当…坂本欣也 |
|
9月15日(土)、第7回潜学講座がありました。
今回初の試みを2つ実施しました。一つ目は『大学』の素読、二つ目は瞑想です。
『大学』の素読は、論語普及会の伊與田覺先生著「『大学』を素読する」(伊與田先生の素読吹き込みCD付)を皆で合せて、5分間音読しました。
伊與田先生の味わいと深みのある素読に引き込まれる思いでしたが、ただ初めてなので、必死についていきました。読んでいる間は意味が良く分からずとも、その味わいを感じとり、後で意味を合わせて何度も読むことで、学ぶこと、生きることの本質を感じる事ができると思います。まさに、良書の素読により本心が洗われる思いがしました。
瞑想は、「中村天風から教わった、ひとりでできる瞑想法」(湧くわく本心塾・学監の沢井淳弘先生による監修・解説)に基づく、お鈴とブザーの音を収録したCDで、これも皆で5分間行いました。瞑想が素人の私でも、お鈴、ブザーの音が終わった時の空白とともに心が一瞬解けて消えていく、非常に心地よい感じを味わう事ができました。
この二つは、塾の3つの実践項目「腰骨を立てる」「瞑想する」「善い言葉を語る」をまさに実践することとなりますので、塾として継続していく予定です。
さて、今回講座のメイン講義は、山本邦子さんによる「色彩でパーソナルブランディング 表現方法と好感度アップ術」でした。自分が身に付ける色が周囲の人々や場に与える影響と共に、自分自身の心理にも与える影響が予想以上にあることを知り、また科学的に説明されていることを知り、目から鱗がとれる思いでした。
優しさや想いやりの心を出したい時。決断力と信頼性を出したい時。疲れている心を癒したい時。仕事や試験などで集中力を発揮したい時。試合や仕事でここ一番に勝ちたい時など、目的や状況に合わせて、色を使いこなすことで、自分を上手く演出し、仕事や人間関係を更に効果的に実行することができることを学びました。 (参考:プロセスコンサルティング、カラータイプシリーズ)
普段は私も偏った色を着ています。そこで、今回学んだ色の力により、自分自身の普段とは別の潜在力と本心を引き出せるよう、違った色にもトライしてきたいと思いました。それは、この講座に参加した皆さんも同様だと思います。今後の講座で、皆がどんな色の服を着てくるのかが、お互い楽しみになってきました。笑
山本さん、笑いと驚きの絶えない、素晴らしい講義を有難うございました。
そして最後にもう一つ。今回は事務局長の小笹さんが全体を通してファシリテーターを務められました。非常に落ち着いたファシリテーションで、時間がゆっくりと流れていたのが印象的でした。本心が徐々に醸成され、現れてくる空間を創っていただきました。小笹さんのファシリテーションから、ファシリテーターを仕事とする私も、多くの学びをさせていただきました。有難うございました。
毎回、講師もファシリテーターも持ち回り、互師互弟で学び合って行く潜学講座。今回も多くの学びと親交を有難うございました。更なる学びを今後も期待していきたいと思います。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2012年9月17日(月) |
| 「本心」を唱えた石門心学の手島堵庵 月曜担当…池田光 |
|
■本心が働く生き方
「本心が働く生き方をしよう」
と、わずかながら心掛けています。
濁った気質に覆われていると、本心は働きません。
川の水が濁っていると、わずか数十センチ下の底でも見えないように…。
川底(本心)が見えるように清い川にしようというのが、湧くわく本心塾での学びです。
濁った気質とは、何でしょうか。
私欲です。
もし、私欲の強い企業経営者がいたら、その企業は誤まった道を歩み、利益のために人の道を踏み外すことになるでしょう。
そんな企業は、一時的に儲かっても、存続し続けることはありません。
湧くわく本心塾では、気質を清らかなものにするために、立腰瞑想道を唱えております。
すなわち、
①腰骨を立てる
②瞑想する
③善い言葉を語る
という3つの実践です。
ところで、人欲は、無くすることができません。
でも、無くならないまでも「清く」することは可能です。
この清い気質で生きているときに、本心は働きます。
また、誰でも、一瞬ですが「無」の境地に入ることも可能です。
たとえば、天風式の瞑想法では、ブザーやお鈴の音が消えた瞬間に、その境地に入ることができます。
この瞬間は、欲の有無を超えた「無」の境地にあり、本心が露わとなります。
この一瞬を味わうことが肝要なのです。
■手島堵庵と「本心」
わが国において、「本心」を唱えた思想はあったのでしょうか。
歴史に残っているものに、石門心学があります。
石門心学とは、江戸時代の思想家である石田梅岩(いしだばいがん、1685~1744)が開いた心学です。
その後継者に、手島堵庵(てしまとあん、1718~1786)がいます。
手島堵庵は、師の梅岩が唱えた「性理の学」を、誰が聞いても直接的に響く、分かりやすい言葉にしようとして「本心の学」に置き換えました。
この分かりやすさによって、石門心学は日本の隅々にまで浸透していきました。
そして、現在も石門心学は続いています。
清水雅洋『本心 ~小説「石門心学」~』(文芸社)という小説があります。
この本はとても真面目で、石門心学をよく研究していて、楽しく読めます。
この本を参考に、手島堵庵が「本心」を唱えたあたりのことを少し書いてみます。
18歳で梅岩に師事した手島堵庵は、20歳の若さで開悟したという逸材です。梅岩が60歳で急逝したときは、堵庵は27歳の若さでした。
堵庵は師の急逝を歎き、その後は、家業の商売に打ちこみます。
そして、正直と倹約の精神で商いをすれば商家は繁栄する、と唱えた梅岩の教えをひたむきに実践していきます。
それから16年。
43歳になった堵庵は、家業にゆとりができたので、門人たちのために講義を始めます。
やがて、石田梅岩の高弟たちが次々に亡くなるなかで、堵庵は次世代のリーダーとして、師・梅岩の教えを広げるべく、組織的な展開を図っていきます。
その一つが、「本心の学」という、梅岩の教えを分かりやすい言葉に置き換えることでした。
このあたりの状況を『本心 ~小説「石門心学」~』から抜粋してみます。
堵庵と弟子の一窓(いっそう)との会話です。
「ほんしん、でございますか」
「そうじゃ、『本心』じゃ。梅岩先生の『性理』は大元を尋ねれば心の源というところに行き着くじゃろう。心の源ならば『本心』であろう。
つまり『性理』と『本心』はその意味内容に寸分違うまい。
しかもこの言葉ならば大衆にも分かりやすい易しい言葉じゃと思うのじゃ」(『本心 ~小説「石門心学」~』163ページ)
著者の清水雅洋氏は、本心について次のように解説しています。
「本心」は生まれつきの心であり、それは梅岩の説いた「赤子の心」と同じであり、従ってそれは「善心」としたのである。
まったく平易な教えであり、「本心」のままに生きること、すなわち勤労によって邪心を消すことこそ人間本来の生き方だと強調したのである。
「本心」こそが心学思想の核心なのである。(『本心 ~小説「石門心学」~』172ページ)
■手島堵庵を学ぶために
湧くわく本心塾でも、「本心」とは何かを探究し、本心が働く生き方を実践して行きたいと思います。
その意味で、手島堵庵を学ぶことは大切だと思います。
どなたか、手島堵庵を研究してみませんか。
我々が何気なく「本心」と言って分かったような気になるのは、わが国の前史に石門心学の存在があったからかもしれません。
もっとも、私が「本心」という言葉を意識的に用いるようになったのは、儒教と天風哲学によってです。
が、あるとき手島堵庵の著作で「本心」という言葉に出会ったときに、日本人として、なんとなく懐かしい気持ちになったことを覚えています。
月曜担当…池田 光
|
|
|
| 2012年9月14日(金) |
| 習慣 金曜担当…小笹正洋 |
|
今回も修身の教えからです。
りっぱなる行(おこない)をなせば、人にたっとばれ、あしき行をなせば、人にいやしまる。
これ、よき習慣をつくると、つくらざるとによる。
されば、つねに、心を用いて、よき習慣をつくることをつとむべし。
世には、酒のために、健康をそこない、身をほろぼすにいたるものあり。
これ、多くは、はじめより、酒をたしなむにあらざれども、知らず知らず、飲み習いて、ついには、やむることあたわざるにいたれるなり。
規律をやぶり、怠惰に流るるも、多くは、この類なり。
されば、平生より、あしき習慣をつくらざるように心がくべし。
少年のときには、その性質、よきにも、あしきにも、動かされやすきものなれば、ことに、よき習慣をつくり、あしき習慣をさくべし。
格言: 習慣ハ第二ノ天性
(第1期<明治37年~>・高等小学第1学年)第16課
「習慣は第二の天性なり」
私の好きな言葉の一つです。
はじめは苦しい・辛いと思うことでも、毎日毎日それを続けているうちに、いつの間にか習慣となって、それをやらないと忘れものでもしたような気分になってしまう。
朝の体操、座禅、冷水浴び・・・のようなものでも、習慣になってしまえば、やることが当たり前になってしまう。
傍から見れば辛いだろうと思われることでも、習慣にしてしまえば辛くも何ともない。
習慣とは切り替える間の一定期間だけが苦痛なのであって、それが過ぎれば、こんどはそれが当たり前となり、苦痛はなくなってしまう。
習慣には、悪しきものと好ましいものがある。
悪い習慣は勇気を持って断ち切り、正しき行いは意識して習慣づけていくことが大切ですね。
最後に、人を指導する立場の方も、仕える立場の方も、何かの折に触れて思い出して頂きたい言葉。
「やかましく怒られて仕方なくやってきたことが習い性になり、やがてその人の立派な習性になり、それが生活になる」
松下幸之助翁(パナソニック創業者)の遺した言葉です。
組織や社会の文化とはこのようにして形成されていくのでしょうね。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2012年9月13日(木) |
| 幸か不幸かは自分が決める 木曜担当…西端努斗夢 |
|
先日、映画『HAPPY-しあわせを探すあなたへ』の上映会が大阪で開催され、私もスタッフとしてお手伝いをさせていただきました。
映画は、世界16ヶ国の様々な人を取材する中で、幸福度を高める鍵はどこにあるのかを探っていくドキュメンタリー映画でした。アメリカで話題になり、日本でも各地で上映会が開催されて、静かなブームを呼んでいるようです。
映画を観て感じたことは、まわりの人から見てどんなに悲惨な境遇、環境であっても、その中にいる人が幸か不幸かは、まわりの人が決めるのではなく、その中にいる人によって決まるということです。
そして、ものの見方や考え方など、「自分は幸せだ」と思えるための技術やテクニックがあり、これをマスターすれば誰でも幸せになれるということです。
もちろん私は幸せです。今もこれからも・・・
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2012年9月12日(水) |
| 思い出 11 水曜担当…沢井淳弘 |
|
禅もまた一種のリアリズムです。池田塾長が、禅、儒教、天風哲学の三つに強い関心を寄せているのは、そのすべてが現実主義的で、彼がリアリストだから、と思います。私もまた、リアリストを自負するものです。
禅はヨーガを淵源とするものです。
ヨーガも一種のリアリズムで、宗教ではありません。ヨーガは、仏教とかヒンズー教などの、宗教を生み出す母体とはなりましたが。
ヨーガは、人の可能性を徹底的に追求する、なにかインド的なものとしか言いようがありません。ヨーガは、自分の肉体の可能性を追求するあまり、いろいろな神秘的な行(ぎょう)をする派があります。一度死んで埋められて、もう一度生き返るというようなことをします。文学ヨーガと称するものもあります。文学ヨーガでは、言語のあらゆる可能性をさぐり、文学的な悩みに徹底して、どこまで自分が耐えうるかを試したりするそうです。
しかし、ヨーガはけっして何かの偶像を信仰することはありません。もし、ヨーガを自称して、なにか特定の神様を信仰しなさい、と説く人があれば、それはニセモノです。そういうニセのヨーガもたくさんあるようです。
儒教と仏教は敵だと言っている偉い学者がいるのですが・・・
これは正確な評価のしかたではありません。
なぜなら禅宗は仏教の一宗派ですが、禅宗と儒教は対立せずに共立できます。
いずれも現実主義的なものの見方をするからです。
禅宗以外の仏教の宗派は、フィクションを信じなければ信仰にならない性格をもっていますから、儒教と相いれないでしょう。
禅宗だけは、ほかの仏教諸派とちがって、ウソでも信じなさい、と主張しません。禅宗は、事実を直視し、観察する、自主自立の精神を求めるもので、科学とも両立します。
禅は自力本願で、ほかの仏教は他力本願である、という議論がありますが、このような単純な区分はまちがっています。なぜなら、禅でもヨーガでも、瞑想なり座禅をするときの気持ちは、なにも考えずに大自然の力に、自分をお任せするという、「信」がなければならないからです。自分の力だけでなく、大きなものに生かされている、という気持ちは大切です。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2012年9月11日(火) |
| 「ファシリテーション:場づくり」 火曜担当…坂本欣也 |
|
前回に引き続き、ファシリテーションについて書きたいと思います。
ファシリテーターの最重要な目的・役割は、「場づくり」です。
「自分がその場に所属している事への安心と自信、意見を共有し合うことで素晴らしいアイデアや学びが生まれるというワクワク感が持てる場」であると、一人ひとりが感じられる場をつくり出すことです。
いきなり本題に入ると、参加者はその場・雰囲気に慣れず緊張していたり、その場以外の心配事を考えていたりしていて、「今ここ」に心が入らない、意識が集中できない状態になっている可能性が高い。
そんな時は、どんな情報を共有しても、話し合っても、心の奥深くまで入ることができないし、腹落ちしない。職場の会議や勉強会などでも、終始硬い雰囲気や緊張感では、本音や本心、良い意見が出てこない。思考が拡がらない。結局、何も決まらず、何も学べず、お互いのことが分からず、消化不良で終わってしまう。また、お互いの固定観念や立場からの観方を崩せず、対立も起こしてしまう。
そこで「場づくり」です。
場づくりは、「初めにやること」であり、同時に「継続的に最後までやり続けること」でもあります。
「初めにやる『場づくり』」の方法にも、いろいろありますが、一番簡単なのは自己紹介や近況報告でしょう。
ファシリテーションでは、これを「チェックイン」と呼んでいます。(ホテルのチェックインではありません)
その際に、「最近のマイブーム」「最近のプチ幸せ」「今の気持ちを表す漢字一文字」「ニックネームとその由来」「感謝していること」などを共有し合い、お決まりの自己紹介や堅い近況報告にならないように工夫します。時間があれば、簡単なゲームなどで盛り上げることもあります。
ファシリテーションのポイントは、参加者の普段見せない意外な一面を引き出すことです。
忙しい日々や仕事の中、本人も自分の「本心」に気づかないことが多いので、それに気づかせてあげることもできます。そして、お互いの意外な一面や本心を知り合うことで、チームビルディング、信頼関係構築にもつながります。言い換えれば、早い段階で、「本心」レベルになり、参加者同士がつながれる状態を創ることとも言えますね。
「何も話さず、やる気なく座っているだけの人が多い」「参加者から自主的なアイデアが出てこない」「一方的に誰かが話しているだけ」の会議や研修でお困りの方、一度お試しください。
お偉方の訓示やスピーチから始めるより、数段効果的です。その後の議論や学びの質や深みが変わってきます。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2012年9月10日(月) |
| お薦め本 月曜担当…池田光 |
|
以前から読みたいと思いつつ、読んでいない本があちらこちらに積読になっています。
そのうち、2冊をこの8月に読みました。
どちらも新書版であり、普通の読書人を対象としたもの。明晰な文体ながら、なかなか読み応えのある本です。
出版されたのは、40年ほど前であり、着実に版を重ねているロングセラーです。
やっぱり定評がある本は、読んでおかないといかんなという感想をいだきました。
■島田虎次『朱子学と陽明学』(初版1967年、岩波新書)
朱子学とは、宋学とも言われ、宋の時代に体系化した儒教の進化形態です。体系化したのが朱子なので、朱子学と呼ばれています。
儒教は、宋代に至って、形而上学的な理論となりました。
著者の立場は、朱子学から陽明学への純化は必然であったというものです。
その移行過程が説かれ、基礎知識を学ぶことができます。
■源了圓『徳川思想小史』(初版1973年、中公新書)
労作だと思いました。
徳川時代の思想を俯瞰的に紹介した書物は、今もないんじゃないでしょうか。
著者もあとがきに書いているように、著者自身が徳川思想史についての全体的イメージが得られる本がなくて困ったから、この本を書いたということです。
この本を読んでいて、いかに徳川思想史に無知であったか、思い知りました。
ということで、これら2冊はお薦めできます。
良質な基礎知識を獲得できる本です。
『論語』に、
「吾れかつて終日食(くら)わず、終夜寝(い)ねず、もって思う。益無し。学ぶにしかざるなり」(衛霊公第十五)
という言葉があります。
こんな意味です。
孔子は、ある時、食べず、また寝ずにずっと思索したことがあるが、まったく思索には効果がなかったということです。なぜかというと、思索するには、その材料となる知識が必要だからです。
いくら思索しても、基本的な知識がなくては、益するところがありません。
だから、孔子の結論は、
「学ぶにしかざるなり」
で、知識を得るためにまず学ぼうと言っているのです。
そして、学んで知識を蓄積したのちに、ようやく思索することが益をもたらすことになるのです。
孔子が教えるように、良質な思索するには、まず前提となる知識を得ることです。その意味でも、この2冊はお薦めです。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2012年9月7日(金) |
| おんを忘れるな 金曜担当・・・小笹正洋 |
|
はちは、かわいい犬です。生まれて間もなくよその人にひき取られ、その家の子のようにしてかわいがられました。そのために、よわったからだも大そうじょうぶになりました。
そうして、かいぬしが毎朝つとめに出る時は、でんしゃのえきまでおくって行き、夕がたかえるころには、またえきまでむかえに出ました。
やがてかいぬしがなくなりました。
はちは、それを知らないのか、毎日かいぬしをさがしました。
いつものえきに行っては、でんしゃのつくたびに、出て来る大ぜいの人の中に、かいぬしはいないかとさがしました。
1年たち、2年たち、3年たち、10年たっても、しかし、まだかいぬしをさがしている年をとったはちのすがたが、毎日、そのえきの前に見られました。
(第4期<昭和9年~>・巻2)26
映画「ハチ公物語」の「忠犬ハチ公」でも有名なハチという犬のお話し。
東京の渋谷駅前にはハチの銅像が設置されており、渋谷のシンボルにもなっています。
飼い主が死去してから10年程経った後に、路上でハチの死んだ姿が発見された。
ハチの死後、渋谷駅ではハチの告別式が盛大に行われ、飼い主の妻や駅や町内の人々が多数参列した。また妙祐寺の僧侶による読経も行われる等、人間さながらの葬儀により見送られた。
ハチは飼い主と同じ青山霊園に葬られ、亡骸は剥製にされ、東京・上野の国立科学博物館に所蔵されています。
一匹の犬の生涯を通して、忠誠心や恩義を感じる大切さを、等身大のスケールで丁寧に教えられています。
言葉での会話が出来ない犬であっても、ここまでやる。
ちゃんと分かり、通じているんでしょうね。
本当にこのような姿には心打たれるものです。
このハチ公のお話しは、大東亜戦争(太平洋戦争)敗戦後に、GHQの政策によって封印された「修身」の授業の教科書に出て来るお話しです。
修身は、1950年に「道徳」と名を変えて教育の現場に復活しました。
「修身」は今ではご存じない方も沢山おられ、知っておられても、「戦前教育」とか、「昔の古くさい教育」といって食わず嫌いや、敬遠され、誤解を受けているようにも思われます。
内容は、立派な人物としてありたい姿を洋の東西を問わず、偉人達の残した言行を引用して具体的な姿を示し、良き人間形成の為の必要な教えが沢山記載されています。
私もお盆に改めて「精撰尋常小學修身書」 /八木 秀次 (監修)を読んでおりましたら、本当に心洗われる思いでした。
修身の教科書は幾度か改訂され、5期に分かれています。
・第1期(明治37:1904年~)
・第2期(明治43:1910年~)
・第3期(大正 7:1918年~)
・第4期(昭和 9:1934年~)
・第5期(昭和16:1941年~)
勝手ながら、私自身の感覚を申しますと、
修身は、「凛とした格好いい大人になるための先人の教え」
道徳は、「人としての正しい行いと公共性についての教え」
と捉えるところです。
今こそ、先人の貴重な教え「修身」について、老若男女を問わず、より多くの方々に関心を持って頂きたいものです。
金曜担当・・・小笹正洋
|
|
|
| 2012年9月6日(木) |
| 思いの力 木曜担当…西端努斗夢 |
|
近年、食の安全が注目されています。薬品漬けにされた野菜や化学物質が過剰に添加された加工食品、それに最近は原発の事故に伴う放射能を浴びた肉や野菜も出回るようになり、食材の安全性に気を配ることは大切なことだと思います。
何年か前、食の安全が話題になったとき、立花大敬さん(立花大敬さんについては本心庵書店をご覧ください)が言った「私は、食材についてはあまり気にしていません。神様からいただいたものは、どんな食材を使ったものでも感謝していただきます。神様とは“かみさん”、つまり妻のことで、妻が愛情を込めてつくってくれた料理を感謝していただくのが、最も身体に良いと思います」という言葉が印象に残っています。
いくら無農薬有機栽培の高級食材を使っても、イライラしていたり腹を立てている人が調理したものは身体に良くないし、美味しくない。逆に、多少農薬がかかっている野菜や添加物の入った加工食品、腐りかけた食材を使っても、おだやかで優しい気持ちを持った人が愛情を込めて調理したものは、その人の思いによってマイナスの要因が消去され、身体に良い、美味しい料理ができると私は思います。
安全な食材に気を配ることはもちろん大切ですが、それ以上に大切なのは調理する人の思いなのではないでしょうか?
人間の持つ“思いの力”は侮れません!
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2012年9月5日(水) |
| 思い出 10 水曜担当…沢井淳弘 |
|
天風は、儒教を素地として育った人でした。なぜなら、武士の系譜をひく家庭に育ったからです。
天風の実父は、九州の柳川藩の立花家という大名の血をひいた人でした。
また天風は、中学生のころから福岡の頭山満を養父にして育ちました。頭山満は西郷隆盛の「敬天愛人」の精神を継いだと言われています。ですから、武士道精神に富んだ人でした。とうぜん儒教を素養としてもっていました。
天風は、日本が生んだ最後の武士といった感じの人でもありました。
天風の講話には、儒家の中江藤樹、熊沢蕃山のエピソードがよくでてきます。
また、天風は朱子を読んで尊敬していました。とくに宇宙の成り立ちという面で、朱子の考えを支持しました。
天風は「宇宙の根本的な実在は、宗教的には「神仏」だが、中国では“霊気”とよび、日本の儒学者は“正気”とよび、中国の宋の時代の哲学では、“先天の一気”」
と言っています。
この「中国の宋の時代の哲学」というのは、朱子のことを指しています。
天風は「神仏」のことを、しばしば「気」という一語で言い換えました。
この「気」というのは、儒教の長い伝統の中で考えられてきた概念ではないでしょうか?
世界の主要な都市には、かならず「気の研究会」というものがあります。その「気」というものは、中村天風が教えた言葉として知られています。
アメリカの天風研究家として知られる、ヒュー・デイヴィ氏(湧くわく本心塾・講師)は、天風を尊重して、宇宙の根本的な実在について英語で書くとき、かならずki(=気)という単語を使用しています。
儒教は一種のリアリズム(現実主義)で、宗教に共通するフィクションや神などについては語りません。天風の学んだヨーガ哲学も、一種のリアリズムであって、特別な神さまを拝むなどという信仰とは無縁です。
ですから、儒教とヨーガは融合できます。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2012年9月4日(火) |
| 「ファシリテーションと湧くわく本心塾」 火曜担当…坂本欣也 |
|
私は企業研修の講師をしていますが、お会いする受講生に「研修嫌いの人」が、意外に少なくありません。何故かと訊ねると、実際には「一方的な講義で眠たくなる」「理想論ばかりで役に立たない」講義が多いという訳です。
学校や職場に入ってからの勉強で場での、ネガティブな体験がそのような固定観念を作り上げているのです。実は、私もその一人でした。笑
ファシリテーションという言葉をご存じでしょうか?
アメリカから入ってきた言葉で、Facilitateファシリテート(意味:物事や仕事が進むことを、容易にする、促進する)から来ています。 最近、日本の企業でも、職場の会議やコミュニケーションの活性化の観点から、注目されています。
私は、研修の中では、講師ではなく、ファシリテーター(学びの促進役)という立場を心がけています。
人は皆自分の中に凄いエネルギー、能力を秘めている。そして答えも持っている。つまり「本心」ですね。
ただ普段はその本心に気づいていない。それを引き出すことで、人は何倍にも能力が発揮され輝ける。
また、そんな人の本心と本心を結び付け、素晴らしい組織に成長していける。組織の秘めた力も引き出せる。そのお手伝いをするのが私のファシリテーターとしての目的・信条・役割です。
研修ですから、当然「教える」という部分もありますが、そんな時、私は「参考までの情報提供です」と言ってお伝えします。情報はキッカケに過ぎません。どんな情報をもらっても、「情報を知識に、知識を智慧に、智慧を叡智に、叡智を行動に」変換していけるかは、本人次第です。受け身では成しえません。それをファシリテート(学びを促進)できるかが、私のファシリテーターとしての腕の見せ所です。
ファシリテーションには様々な手法・手順がありますが、長くなりますので、それは別の機会にお話したいと思います。
湧くわく本心塾の潜学講座では、このファシリテーションにも重きを置いています。
一人ひとりが、自分の「本心」に気づき、「本心」レベルで学び、異業種・多世代の塾生同士が語り合い、同志感を高める。そんな「互師互弟」で学び合う場であるためには、このファシリテーションが不可欠だからです。
職場や身近な場でのコミュニケーションでお困りの方、ファシリテーションに興味のある方、学びたい方、是非、湧くわく本心塾にお越しください。各回の講座テーマと共に、このファシリテーションやコミュニケーションについても、お互いに学び合えれば幸いです。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2012年9月3日(月) |
| 「みてじま論語講座」10月開講! その2 月曜担当…池田光 |
|
■「みてじま論語講座」の方針
みてじま論語講座では、次の4つのことを方針にして、読み進めていきます。
①素読する。
②正確に読む。
③諸注釈を参考にする。
④論点を決めて解釈する。
以下、解説します。
■【方針①】素読する。
素読のテキストとして、伊與田覺先生の『仮名論語』(論語普及会)を使わせていただきます。
『論語』には、二十篇がありますが、毎回一篇ずつ素読します。
やり方は、NPO法人論語普及会の村下会長の『論語』素読のCDを流して、これに合わせて音読していきます。
口と耳を使った音読の効果をお楽しみください。
■【方針②】正確に読む。
「正確に読む」とは、『論語』を正確に現代語訳しようということです。
が、これは不可能です。
しかし、少しでも正確に読もうと指向することはできます。
そこで本講座では、正確に読むための試みとして、「言葉」を大切に読んでいきたいと思います。
言葉を大切に読んでいくとは、次の二点に留意することです。
【テーゼ①】『論語』内では、言葉の意味・使い方に揺れはない。
<解説>『論語』で、同じような意味ながら使い分けしている言葉があります。
たとえば「友」と「朋」。どちらも「とも」ですが、どう違うのでしょうか。使い分けされているのは偶然ではないはずです。
そこで、『論語』を一条ずつ切り離して読むのではなく、キーワードについては500条という全条項を横断的に読んで、『論語』における言葉の定義をほどこしていきながら、読み進めていきます。
また、『論語』でよく使われている言葉があります。これなども、きっちり定義していきたいと思います。
しかしながら、「仁」などのように、この用語を横断的に読んでも、定義しがたいものがあります。その際は、「仁」に関する代表的な条項を取りあげて比較検討する、というだけで講座が終わるかもしれません。
こんな読み方をしていくのは、「『論語』内では、言葉の意味・使い方に揺れはない」と信じているからです。
ところで、キーワードで読むためには、索引が充実しているテキストが必要になります。お薦めしたいのは、加地伸行『論語 増補版』(講談社学術文庫)です。増補版では、「手がかり索引」が付加され、より索引が充実しています。
このように読んでいくと、最初はなかなか進まないかもしれませんが、急がば回れで、やがて加速すると思っています。
【テーゼ②】言葉は変遷していくものであり、現在の意味で『論語』を解釈してはならない。
<解説>たとえば『論語』に「賢なるかな回や」(雍也第六)という言葉があります。回とは、すぐれた弟子である顔回(がんかい)のことです。
現代の感覚で訳すと、「賢いなあ、顔回は」となります。
が、孔子の時代において「賢」というのは、「賢い」という意味はありません。「立派」という意味です。
したがって、「立派だなあ、顔回は」と訳すのが、より正確です。
このように、現在使われている言葉の意味や感覚で『論語』を解釈しないということに留意したいと思います。
そのためには、言葉の原義を知り、その時代における用例を知ることですが、これもなかなか困難が伴います。
■【方針③】諸訳注を参考にする。
諸訳注を参考にするというのは、方針②の「正確に読む」ことに繋がってきます。
まず『論語』の注釈書ですが、古来から多くの注釈書が書かれ、現存しているものも無数にあります。が、基本的に、これらを活用することはしません。
その能力がないからです。
その代わりに、優れた現代語訳をいくつか使って、比較していきながら読み進めたいと思います。
基本に据える本は、まだ決まっていませんが、最初は以下の候補群をあげておき、それらを参考にしながら読み進め、読んでいくなかから、次第に絞り込んでいきたいと思っています。
①吹野安、石本道明『論語』(『孔子全書』1~10巻)
②荻生徂徠『論語徴』(小川環樹訳注)
③伊藤仁斎『論語古義』(貝塚茂樹訳注)
④吉川幸次郎『論語』
⑤金谷治『論語』
⑥加地伸行『論語』
⑦宇野哲人『論語新釈』
⑧吉田賢抗『論語』
⑨諸橋轍次『論語の講義』
⑩宮崎市定『論語の新研究』
⑪武内義雄『論語』
⑫貝塚茂樹『論語』
⑬簡野道明『論語解義』
⑭桑原武夫『論語』
⑮渋沢栄一『論語講義』
⑯加地伸行・宇佐美一博・湯浅邦弘『論語』
⑰木村英一『論語』
⑱子安宣邦『思想史家が読む論語』
⑲合田究『論語解釈と解明』
⑳穂積重遠『新釈論語』。
ほかにも、小澤正明『朱熹集註論語全訳』や『朱子学大系』に収められた四書集注など、約30点ほどをピックアップしています。
■【方針④】論点を決めて解釈する。
『論語』500条の全条項について、論点を明確にする、と言いたいところですが、いくつかはお手上げで、パスするかもしれません。
しかし、できる限り論点を決めてかかりたいと思っています。
そして、その観点から解釈して、人生やビジネスに役立つような学びをしていきたいと考えています。
「論点を決めて解釈する」というのは主観的ですが、学者ではなく、人生やビジネスに役立てたいと考える我々にとっては、やはり最後は主観的に読むことが必要でしょう。
以上の4つの方針に沿いつつ、私のほうで準備して、勉強会の当日を迎えたいと思っています。ご参加のみなさまには、楽しく勉強会にお越しいただければと思います。
『論語』を読みあげたら、世界観は変わるはずです。
どうぞ、お楽しみに。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2012年8月31日(金) |
| 話の内容よりも。。。 金曜担当…小笹正洋 |
|
「メラビアンの法則」というのがあります。
「話の内容よりも話し方や見た目が重要」という解釈でも有名になっています。
人は相手が話しをしている時に、どんな情報を得ているか。
・話の内容などの言語情報は7%
・口調や話の早さなどの聴覚情報が38%
・見た目などの視覚情報が55%
という割合になるようです。
研修で実際に経験し、改めて納得しているところです。
人前で話す時には、何を話すかを事前に紙に書き出したりして纏めておくことはよく聞きますが、鏡に向かって表情の確認をしたり、発声練習をして声の出し方の練習は日常ではあまりしないかもしれませんが、緊張を解くうえでも、非常に効果的です。
コミュニケーションの最大の武器である「笑顔」を豊かにするための表情筋を鍛えるには、割り箸などの棒を横向けに口にくわえ、口角を上げて、上の歯全てを見せる様に意識する。
発声のポイントで、声の出し方は、喉ではなく腹から声を出す。
「あ」の音は、人差し指から薬指の3本が口に入る位に口を開ける
「い」の音は、人差し指が口に入る位に口を開ける
「う」の音は、「い」の音の状態から口をすぼめる
「え」の音は、人差し指と中指の2本が口に入る位に口を開ける
「お」の音は、人差し指から薬指の3本が口に入る位に口を開ける
滑舌をよくする方法としては、
・あいうえお
・いうえおあ
・うえおあい
・えおあいう
・おあいうえ
以上を連続で早口で繰り返す。
実際にやってみると、なかなか面白いトレーニングです。
営業職の方も、そうでない方であっても、見た目、第一印象で聞き手を引き付ける事も非常に重要ですよね。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2012年8月30日(木) |
| この世に生まれてきた意味 木曜担当…西端努斗夢 |
|
生、老、病、死と愛別離苦(愛する人と別れる苦しみ)、怨憎会苦(恨み憎む人と出会う苦しみ)、求不得苦(求めるものが得られない苦しみ)、五陰盛苦(ものごとに執着する苦しみ)がお釈迦様の説く四苦八苦。
これは、あの世では体験できないもの。だから人はこの世に生まれてきた。
何不自由なく、悩みも苦しみもないのなら、この世に生まれてきた意味がない。
そう思うと、ほんのちょっと生きるのが楽になります。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2012年8月29日(水) |
| 思い出 9 水曜担当…沢井淳弘 |
|
天風は文章を書くのは得意ではなく、それよりはるかに能弁家、弁論家でした。生まれつき弁舌のたつ人で、頭山満のかわりに、演壇に立ったことがしばしばありました。
頭山満は、天風の生涯を語るとき、もっとも重要な人物かもしれません。
なぜなら、幼い時から天風は頭山満の福岡の家で成長したからです。いわば、頭山満は天風にとって「育ての親」です。
子供の頃の天風は、腕白で、気性がはげしく、手のつけられない子供でした。天風の母、おチョウさんは、天風をちゃんと育てる自信がなかったのでしょう。当時商工大臣をしていた前田某という親戚の人にたのみ、頭山満のもとに天風を預けることにしたのです。
頭山満という人は在野の政治家であり、いわば大衆政治の側に立つ草莽の志をもつ、政治の黒幕的存在であり、一般の人々には恐れられている反面、ひじょうに優しいところもあった人物です。
「頭山満はいつも眠っているような、静かなひとだが、眼をあけると誰かが死ぬ」と批評した人もいます。それは当時有名だった政治結社「玄洋社」を頭山満は主宰しており、政治的な暗殺を企てている、という噂があったからです。玄洋社にはヤクザのような行動をする血気盛んな男たちもいました。
国会議員に頭山満を推挙する人々も多かったのですが、頭山満は表舞台に立つことを好まず、草の根として活動することを好みました。自分が育てた政治家、たとえば、のちに首相となった中野正剛などを政界に送り込み、自分の考えを政治的に表現する傾きもありました。
天風は東京の両親の家をはなれて、福岡の頭山満の家に住み込みました。学習院を中退し、修猷館に入学し、柔道部のキャプテンをしました。
たぶんその頃、福岡に近い祖父の家に遊びに行ったのでしょう。
天風の祖父というのは、もと柳川藩藩主、立花鑑寛(あきひろ)です。
鑑寛は、立花家12代になります。天風の祖母は、お千代さんという美しい方だったそうで、鑑寛の側室となりました。そして、お千代さんは天風の父、佑興を生みます。佑興を連れ子にして、跡継ぎのなかった名跡、中村家(中村一甫)にとついだのです。
天風は、しばしば講演で、「私の祖父は鑑徳(かんとく)だ」と言っていますが、これは天風の思い違いです。鑑徳は14代目の嫡流で、天風の従弟(いとこ)になります。この従弟と天風は、交際はなかったようです。
天風は子供の頃、祖父に会って、優しくしてもらった思い出が濃厚にあるのでしょうが、その名前を正確に記憶しなかったのでしょう。また、天風に出自のことを親切に教える人もいなかったのでしょう。天風が嫡流ではなかったことが、そういう記憶ちがいにつながったと、考えられます。
松原千枝という作家がいます。天風の弟子で、天風の出自を調べあげて本を書いていますが、その推理には誤りがあります。天風は「私は子供の頃、大名の家にそだった」という言い方をしていますので、東京に当時在住した立花家の人を天風の祖父と、松原氏は推理していますが、それが間違いです。そうではありません。父佑興は大名の子ですから、天風の育った家庭は、大名みたいな感じだったのでしょう。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2012年8月28日(火) |
| 「第6回潜学講座からの学び」 火曜担当…坂本欣也 |
|
8月25日、第6回潜学講座がありました。今回も多くの気づき、学びのある講座となりました。
講座後の韓国料理店での懇親会も盛り上がりました!
メインの講座は、以前テレビ局で報道現場にいらっしゃった西端努斗夢さんによる「新聞を読むとき、テレビを観るときのヒント」でした。
役所や公的機関などにある「記者クラブ」の成り立ちと運営方法、その関係性やシガラミがある中での報道。「スポンサー」企業との経済的な関係性やシガラミの中での報道。
報道する側、報道される側の関係性やシガラミ、それぞれの立場間の葛藤が、私たちの知る範囲とレベルに大きくかかわっている。そのようなジレンマの中で報道側も必死に活動している。というお話は、「うすうすそうとは思っていたけど、やっぱりそんな裏の仕組みになっているのか?」と驚きの裏話でした。
つまり、私たちがテレビや新聞を通して受け取る情報は、「事実であって事実でない」ということを前提に受け取らなければならないという風に私は思いました。
また、今ではテレビ、新聞以外にも、インターネットをはじめあらゆる情報源があり、情報の洪水の中で私たちは生きています。そして、偏った情報が、国民感情を不安にさせ扇動し、危険な方向に導く可能性と影響力ももっています。
では、どうすべきか?
西端さんは、以下の3つの方法を提言されました。
① 日々自分にどんな情報が必要なのか?を常に意識する=アンテナを立てる
② 分野ごとに、その分野に精通している人の人脈をつくる
③ 本心に聴く
私も含め、多くの受講生の印象に特に残ったのが、「本心に聴く」という方法でした。
この講義の成果の一つとして、私の心に浮かんだ言葉
「情報を知識レベルに昇華し、知識を智慧レベルに昇華し、智慧を叡智レベルに昇華し、叡智に基づいた行動をする」です。
情報に踊らされていた自分を反省し、困難でも、これからはこの理想のプロセスを鑑み考動したいと思いました。
しかしながら、その肝心の「本心」に到達すること、「本心」を明らかにすること、自体が難しい。
そのために、私たちは各々勉強しているのだ、そして共に集い勉強しているのだ、と改めて思いました。
「内に向かう勉強」と「外に向かう勉強」の両方で。
西端さん、同志の皆さん、今回も貴重な学びと湧くわくするエネルギーを有難うございました!
「本心」に関する解説が当塾のホームページあります。(http://honsinjuku.com/gaiyo.html)
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2012年8月27日(月) |
| 「みてじま論語講座」10月開講! その1 月曜担当…池田光 |
|
先週の小笹事務局長のブログに、
「賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ」
という言葉がありました。
この一行には、ちょっとした刺激を与えられました。
どういう意図で、この言葉の作者が言われたのかわかりませんが、思いつきの感想を述べさせていただきます。
①個人の経験というのはたかだか数十年なのに対して、人間の歴史は数百年、数千年の長きに亘ります。
「賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ」とは、個人の経験という短い時間からではなく、歴史がかなでる悠久の時間から学びなさいということでしょうか。
例えば、大地震や大津波への備えは、数百年の一度といったような頻度で起こるようなものがあり、個人の経験では初めてであり、歴史から学ばないと万全なものになりません。
しかしこれは自然科学的な記録という範疇での真理です。
人や社会のことは、そう簡単ではないでしょう…。
②「時代精神」というものがあります。これは、その時代に特有の物の見方であり、その時代の常識です。
現代には、現代の時代精神があります。数百年、数千年前の出来事に現代の時代精神を投影してしまっては、本当に歴史から学んだことにはなりません。いわば時代精神とは、色眼鏡です。
例えば江戸時代から学ぶには、江戸期の「時代精神」があり、現代の色眼鏡をかけていては学びがないのではないかと思えます。
このことの難しさは、学びたい時代の別の色眼鏡と、現代の色眼鏡とを交互にかけ替える必要があるのではないかということです。
が、別の時代の色眼鏡をどう得るのか。
現代の色眼鏡を、自覚的に「色眼鏡」と認識することは難しいのではないか。
③そう考えると、歴史から学ぶとは、かなりの方法論が必要になってくるように思います。
色眼鏡の問題にかかわらず、歴史から学ぶという方法論を持っていなくては、ただ、歴史小説を読んで何かを得たくらいに終わるのではないでしょうか。
④ところで、私は「経験から学ぶ」ことに価値を置いている者です。
事故調などは、失敗の経験から学ぼうとするものでしょう。
私は経験から学ばないと、深さを知ることができないように思うのです。経験しても、その経験から学ばない人は、深さがない人ではないかと。
しかし、この段階をクリアしても、「愚者は経験から学ぶ」で終わるということです。
では、「賢者は歴史から学ぶ」とはどういうことか。
歴史から学ぶその基礎には、個人や現代の経験があると思うのです。歴史から学べる人とは、経験から深く学んだ人ではないでしょうか。
逆に、真に「経験から学ぶ」には、歴史という大きな流れのなかで、個人や現代の経験を布置してみることが必要だとも思います。
つまり、歴史から学ばずして、経験から学ぶことはできないということになります。
そんな感想をいだきましたが、これは枕です。
枕が長くなりましたので、短く本題に入ります。
■「みてじま論語講座」の目的について
『論語』には約500条の文章があります。
これらを一つひとつ丹念に読みながら、最初から最後まで読み通したいと思います。
みてじま論語講座では、丹念に500条を読もうということをやってみたいと思います。
読み終えるのに、どれくらいの年月がかかるかわかりません。まあ、先のことは考えず、読むプロセスを大切にして読み進めていきたいと思うのです。
読み通せば、きっと世界が違って見えるはずです。
また、生き方に芯ができ、深みが増すと思います。
最初から最後まで読み通すことをゴールにしながらも、そんなゴールにとらわれることなく、読むというプロセスを大切にして自分づくりをしていきたいものです。
毎回読むことを楽しむなかで、じわじわと自分の芯をつくる――そんな勉強会をやってみたいと思います。
■「みてじま論語講座」の方針
次の4つのことを方針にして、読み進めていくつもりです。
①素読する。
②正確に読む。
③諸訳注を参考にする。
④論点を決めて解釈する。
これら4つ方針は、どういうことか。くわしくは、次のブログに書きたいと思います。
■「みてじま論語講座」の概要
みてじま論語講座は、
①毎月 第3日曜日に開催。
②時間は、13時30分から、16時30分の3時間。
③場所は、御幣島(みてじま)の湧くわく本心塾の事務所にて。
④参加費は、一回900円。
⑤第1回は、10月21日。
第2回は、11月25日(イレギュラーで、第4日曜日)
どうぞ、よろしくお願いします。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2012年8月24日(金) |
| 人間学。。。 金曜担当…小笹正洋 |
|
「賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ」
という言葉があります。
私自身、経験と度胸と勘所に頼る日々の中で、ハッとさせられる言葉です。
歴史は人をつくってきた。
そんな歴史を学ぶということは、とりわけ人間関係を学ぶという意味では非常に貴重な機会であると最近特に思います。
とりわけ中国の正史の一つである「十八史略」には4,517人の登場人物がいると言われている。(「十八史略の人物学」より)
それだけの登場人物の織り成す人間模様、栄枯盛衰のドラマは非常に壮大なスケールで展開されています。
そこに自分の好きな人物や、共感を得る出来事を見つけていくのも味わい深いものだと思います。
人間学を学ぶにあたり、「人間楽」でありたいものです。
間違っても、「人間が苦」であってはいけません(笑)。
人間関係は、楽しいものでありたいですね。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2012年8月23日(木) |
| ひいき(贔屓) 木曜担当…西端努斗夢 |
|
学校の先生は授業をする際、建前としてどの生徒にも同じように接し、同じように教えなければいけないようです。
けれど、真剣に勉強したいと思っている熱心な生徒と、勉強する気のない生徒を授業の中で同等に扱うのはかえって不自然のような気がします。
真剣に勉強したいと思っている生徒にはより深く、より手厚く教えたくなるのが自然で、これこそが公平ではないでしょうか? (個人的なエゴによるえこひいきは論外です)
同じ商品を同じ価格で販売している2つのお店がある場合、お店の雰囲気やサービスの良い方で買うのは当たり前のことです。
ですから私は、どうしたらひいきしてもらえるかをいつも考え、特に、神様からひいきしてもらえるような生き方をするようにしています。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2012年8月22日(水) |
| 思い出 8 水曜担当…沢井淳弘 |
|
前回紹介した節子・K・ドローラさんは、天風の自慢の弟子でした。
節子さんは天風哲学を実践して、立派な女性に成長し、スイスに留学したときに、バルデユスという貴族と知り合い、結婚しました。節子さんは、子供の頃、美少女といわれた、きれいな人でした。バルデユスはスイスに城館を持つ、ポーランドの亡命貴族で、なによりも画家として世界的に有名な人です。
バルデユスは、節子さんから天風哲学の話をきき、天風を尊敬するようになり、のちに来日したとき、節子さんといっしょに挨拶するために、天風の自宅を訪れたそうです。
節子さんは夫の影響で、絵をまなび、文章もうまく、著書がたくさんあります。
夫のバルデユスさんは2001年に亡くなりました。節子さんは、のちにドローラという人と再婚したのでしょう、名前が「節子・バルデユス」から現在は「節子・K・ドローラ」に変わっています。
最近出版された『動物裁判』という子供向けの絵本には、節子さんの絵とストーリーがえがかれています。
この絵本を、節子さんは、かわいい孫(仙ちゃん)のために、制作しました。
この絵本について、節子さんは取材した記者に、こうコメントしています。
「美しい言霊(ことだま)となるような言葉を、私は子供には与えたいのです」
このコメントには、天風の影響があきらかに見られます。なぜなら、天風はよく次のような話をしたからです。
「ことばをうまく使うと、自己暗示の驚異的な力を引き出すことができます。それを昔の人は言霊(ことだま)と言ったのです。言葉には神秘的な霊力がある、と昔の人が考えたのは、言葉があまりにも強い影響力をもっていることに驚いたからです。これは現代では科学的に分析して考えられることです。言葉と潜在意識の関係を説明することで、科学的に、心理学的に、説明できます。
「とくに、子供を寝かせるまえに読んであげる童話などは、その言葉の暗示力に注意して、できるかぎり子供心を積極的に、明るくはげますような言葉を選ばねばなりません。とくに眠る前の暗示は、無条件的に子供の潜在意識に入るからです」
言霊に関して、あの太平洋戦争のころ、国家神道の人々が、日本語は他の国の言語にはない特殊な霊力をもつ、と主張したことがありました。それが戦後きびしく反省されて、不幸なことに、言霊ということを全否定する評論家がでました。
全否定は、あきらかに行き過ぎです。言霊を全否定することは誤りです。また、かって国家神道をとなえた人々が「日本語は他の言語にはない特殊な霊力をもつ」と主張したことは非科学的です。なぜなら、すべての言語は、言語であるかぎり、効果的に暗示に活用すれば、驚異的な暗示力をもつからです。英語でも中国語でも、とうぜん、言霊的な力、つまり暗示力、をもっています。ただし、なぜか英語にも中国語にも、言霊にぴったり該当する単語がありません。言霊というのは、きっと日本人の鋭敏な言語感覚から生まれた、日本語にしかないユニークな言葉でしょう。
ことばのもつ暗示力を「言霊」と表現する限りにおいては、言霊という言葉は正しいのです。節子さんのコメントは絵本作家として、すばらしいものです。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2012年8月21日(火) |
| 「根底にあるもの」 火曜担当…坂本欣也 |
|
中国との尖閣・魚釣、韓国との竹島・独島、の領土問題、心が痛みます。
思い出すのが、老子の思想です。
(一章)
人はなにかと名前をつけたがるが、
名前を付けると、あれがいい、これがいいと、区別し、差別が始まる。
差別があると欲が生じ、欲が生じると、あからさまな争いがはじまる。
だが考えてみれば、
対立するものは、もともとは一つであり、
名前のある世界だけに争いはあるんだ。
【新訳】老子 岬龍一郎 編訳 (PHP研究所)のP25~26より抜粋
従来、人々は自由に海を渡り交易をしていたのでしょう。
いつしか国家ができあがり、名前(境界線)をつけ、区別をし、ひどい場合は差別、支配をし、
更にもっと自分の領土を拡げたいと、争いをしていった。
本来はひとつ命なのに。
アメリカに住んでいたころ、多くの中国人・韓国人の友人がいました。
アメリカという西洋文化に住むと、時にその異文化のストレス(英語やコミュニケーションの仕方・スピード感の違いなど)から解放されたくなり、近しい人たちと交わりたくなりました。そうして、気がつくと、中国人、韓国人の友人たちと定期的に食事会や飲み会などを開いたりして交流していました。
東洋文化、特に儒教思想が根底にある文化の中国人韓国人とは心・考え方やリズムが通じ合い、一緒に居て精神的に落ち着き、心地良かったのです。
日本に戻ると、地理的には近いのに、日本と両国との距離感が遠く感じるようになりました。
社会や国家の考え方が人の考え方に影響し、人々の考え方が未来の社会や国家の考え方に影響していく。 異文化コミュニケーションの人の深層心理に影響することの一つです。
表面上の違いに囚われるのではなく、根底にある東洋思想・儒教を深く知ることが、共通性を再確認し中国・韓国との結びつきを強くし、そもそもの「道(タオ)」の状態に戻してくれる一つのカギになるのではないかと思います。時間がかかるでしょうが。
更に言うならば、東洋思想・哲学を勉強したうえで、西洋思想・哲学などを深く知ることが、更に深くある世界の人間の共通性を見出すキッカケになるのではないかと思います。
そんな気持ちで、この勉強を続けていきたいと思っています。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2012年8月20日(月) |
| 一隅を照らす ――田中良雄「私の願」 月曜担当…池田光 |
|
■一隅を照らしていきたい
まず、次の詩を読んでほしい。
私の願(ねがい)
一隅を照らすもので
私はありたい――
私のうけもつ一隅が
どんな小さいみじめな
はかないものであっても
わるびれず
ひるまず
いつもほのかに
照らして行きたい
これは、田中良雄(たなか よしお)という方の詩だそうです。
■田中良雄とはどういう人物か
この詩を教えられたとき、私は、作者の田中良雄のことを知らなかった。どういう人物か、さっそく調べてみた――。
明治23年(1890)、富山県射水郡浅井村(現在の射水市)に生まれる。四高を経て、東京帝国大学法学部を卒業し、大正4年(1915)、住友総本店(住友財閥)に入社。人事部人事課長、人事部長を経て、昭和12年(1937)住友電線(現住友電気工業)専務、昭和16年(1941)住友本社常務理事に就任。昭和22年(1947)に退職した後、住友工業高等学校理事長や住友病院理事長、大阪市教育委員長などを務めた。昭和39年(1964)、74歳で亡くなる。
著書に、『私の人生観』(四季社)、『人間育成』(四季社)などがある。
著書があるようなので、すぐに古書店から『私の人生観』を取り寄せた。――その本は、三部構成になっていた。
第1部 雑草苑
第2部 職業と人生
第3部 私の人生観
パラパラと読んでいたが、第3部の何篇かを読むと、胸に迫るものがあった。彼は、母の影響を受けた求道者でもあったのだ。
――ある晩、母と仏前の勧行をすました後で、たまりかねて、その苦衷(くちゅう)を母にぶちまけて詫び入った。母は驚いて
「そうか。自分で、自分のどうにもならないことが、わかったのか。そうか――」
といって、わっと泣きだした。
「そのどうにもならないところが殊更(ことさら)に可愛そうだと、そこへ限りない大慈悲を注いで下さるのが仏さまだ」
と母は泣き泣き語った。このことがあって以来、私はどうやら少し目が覚めて、素直に法を聞くようになっていた。(『私の人生観』より)
道心が芽生えたのである。
この本の終わりのほうに、「一隅を照らすもの」という一篇がある。冒頭の詩のくわしい説明ともいえる良くまとまった一篇だ。
心に響いたところを抜粋してみる。
●(一隅を照らすものとは、)道心をもって、自分に与えられた一隅を曇りなく照らして行く人のことであります。
●我々のお預かりしている一隅は極めてささやかな、人目につかない、はかない一隅であるかも知れない。しかしそれがために、徒らに卑下をしたり、悪びれたりしてはならないのであります。
●いかにささやかなる一隅であっても、もし私自身がそれを明るく照らしていなければ、その一隅が暗くなります。その一隅が暗くなれば、国家に曇りが生ずるわけです。
●たとえ、いかに小さな一隅でも、それを真に麗わしく照らし得ておれば、誰一人知る者がなくとも、それはそのまま「天下を照らすもの」であります。
■吾らの願
「私の願」という田中良雄の詩を、私が知ることになったのは、8月11日~12日の「論語師道研修会」においてであった。
研修会の閉講式で、「論語普及会」事務局長の岡野護氏がリードしくれて、この詩をみんなで読みあげたのだ。読み終えると、
「いい詩でしょ」
と一言、岡野氏は言った。
湧くわく本心塾では、「一隅を照らそう」「一隅を照らす人を育てよう」と提言しているのに、先人の田中良雄のことを知らなかった。
恥じ入るばかりの気持ちで、さっそく氏の著書を取り寄せたという経緯である。
古書店から届いた『私の人生観』を開いていくと、自序の次に、著者の直筆で「私の願」の詩が書かれていた。
この9行の詩を、私は数回続けて読んだ。
この詩は、吾らの願でもあると思った。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2012年8月17日(金) |
| 武士道とは。。。 金曜担当…小笹正洋 |
|
憂き事のなほこの上に積れかし
限りある身の力ためさん
(山中鹿之助)
敷島の大和心を人問はば
朝日に匂ふ山桜花
(本居宣長)
かくすればかくなるものと知りながら
やむにやまれぬ大和魂
(吉田松陰)
いずれもが、私たちが大好きだった(笑)、旧五千円札の肖像画の新渡戸稲造先生の世界的名著「武士道」で紹介されている歌です。
それぞれの歌に所感を交えたいと思います。
まずは一首目。忍耐と正しき良心とをもってすべての災禍困難に抗し、かつこれに耐えよという教え。
関ヶ原の合戦で、徳川家康に敗れた石田三成は、刑場に連行される道中に、敵兵に柿を勧められても「腹をこわす」と言って食べなかった。
敵兵は嘲笑したが、処刑される直前まで、徳川家康の命を狙っていた。
まさに、最期まで武士であり続けたと思う。
次に二首目。桜の花は潔い。
桜によって春の訪れを知らせ、人々に新たな活気を与えてくれる。
強烈な香りを発して自己主張するでもなく、棘を持って自らを守るでもなく、ただ限られた期間に咲ききって、私たちを楽しませてくれる。
全国各地に「一本桜」の名所がある。ただ一本の桜が人を集めて和ませる。
「咲き誇る」という表現は何故かしっくりとこない。
このあたりも、日本人本来の生き方と通じるものがあるのかと思う。
最後に三首目。桂小五郎、高杉晋作、伊藤博文ら多くの傑人を感化し、維新回天の原動力となった吉田松陰の句として有名ですが、わが身を省みずに国禁を犯し、黒船(アメリカ船)にてアメリカ渡航をしようとしたが、アメリカ人に断られ、それのみならず、幕府に自首をしたという。
損得や功名心というものを度外視した純粋で高邁な志。
私たちは、こういった先人たちの後世への思いによって生かされている。
そして、私たちは、先人たちの血を、DNAをしっかりと宿らせている。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2012年8月16日(木) |
| 一流と超一流 木曜担当…西端努斗夢 |
|
ありがたいことに私は、仕事で多くの人とお会いし、お話をうかがう機会に恵まれました。
世の中には本当に様々な方がおられます。その中で私が感じたのは、一流の人物に出会うのはそれほど難しいことではないけれど、超一流の人物に出会うのは難しいということです。
もちろん、一流の人物に比べて超一流の人物が数的に少ないというのが理由のひとつにあります。しかし、ただ単に人数が少ないという理由だけではなく、一流の人物は、その言動や雰囲気など、見るからに一流で、誰が見ても一流の人物であるとわかるのですが、超一流の人物は、一見するとどこにでもいるような、ごく普通の人にしか見えないからです。そのため、せっかくご縁をいただきながら、その人が超一流の人物と気づかないまま別れ、後になってその人のすごさがわかったというようなこともありました。
やはり、自分にもそれなりのものを持ち合わせていなければ、超一流の人物が目の前に現れても、その人が超一流であると見抜くことはできません。
そのためにも志を高め、真理を学ぶことが大切ですし、同じ目指すのなら一流でなく超一流の人物を目指したいです。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2012年8月15日(水) |
| 思い出 7 水曜担当…沢井淳弘 |
|
私を病から立ち直らせてくれたのは、天風の教える「潜在意識の内容を改善する方法」(観念要素の更改)でした。この話を聞いたとき、私は心のなかで、
「これだ! 私の求めていたのはこの方法だ!」
と叫びました。
夜ベッドに入って、眠る直前に、できるかぎりポジティブで、明るいこと、楽しいことを連想すると、潜在意識の中身が、どんどん積極的に変化していくという教えです。
この方法について、くわしく知りたい人は、私が2009年に出版した『心を空にする』(飛鳥新社)を読んでください。もしくは池田光『中村天風 怒らない、恐れない、悲しまない』(三笠書房)を読んでください。
この方法を天風から学んだ夜、私はひたすら明るいこと、楽しいことを思い続けました。翌朝、私の見る世界は変化していました。なんと、この世界は楽しいことがいっぱい詰まっているんです。
私はいわゆるプラス思考が、かんたんにできる人間となり、その結果心身ともに健康をとりもどし、大学に復籍しました。勉強なんかする気になれなかった私が、モーレツにやる気になりました。私の青春は、光にあふれた、希望に満ちたものになりました。それまで、どんなに暗い地の底を這いずり回っていたことでしょう。
今朝の朝日新聞に(7月17日)思いがけない記事をみつけました。
それは、節子・K・ドローラという人の出版した絵本の紹介記事でした。『動物裁判』という子供向けの絵本です。彼女は画家・随筆家です。
この節子さんという方は、しばしば天風の講話のなかに出てくるのです。天風の自慢の弟子です。節子さんは小学校6年のときに、はじめて天風の教える「潜在意識の内容を変える方法」を知り、熱心に実行した人です。
天風はこの方法を教えるときに、
「夜寝床に入ったら、真綿に「真珠」をくるんだような気持ちで、自分の心を大事にして、心になんでもいいから、思えば思うほど、楽しいこと、嬉しいことを思わせてやりなさいよ」
という比喩的な表現を使うことが、しばしばありました。それで、節子さんは、家に帰ってからお母様に、
「お母さん、真珠のネックレスを私にかしてよ」
と言いました。母親はびっくりして、
「あなたは、まだネックレスなんかする年齢(とし)じゃありませんよ」
と言いました。節子さんは、母親に天風先生の話をしました。そして、真珠をそばにおいて、夜ねむりにつきたいの、と説明しました。母親は納得して、節子さんに真珠のネックレスをあたえました。そして、母親は、娘の話を天風にしたそうです。
天風はその話がとても気に入ったらしく、講話のときにみんなに公開したのです。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2012年8月14日(火) |
| 「本当の金メダル」 火曜担当…坂本欣也 |
|
ロンドンオリンピック、幕を閉じましたね。
選手は競技で闘い。日本にいる私たちも、寝不足との闘いでした。笑
月並みな言い方ですが、選手、ご家族、スタッフの皆さんに、「感動、希望をありがとう!」と言いたいです。
ひとつの結果の観方ですが・・・
参加国204の中で日本は、
金メダルの獲得数は7個で、11位、
メダル獲得総数では38個で、堂々の6位でした。
メダル各国獲得数 http://london.yahoo.co.jp/medal
1位アメリカ(104個)、2位中国(87個)、3位ロシア(82個)、4位イギリス(65個)、5位ドイツ(44個)、6位日本(38個)、7位オーストラリア(35個)、8位フランス(34個)、9位イタリア・韓国(28個)
メダル獲得総数は、日本のオリンピック史の最高数です!
ここから言えることは、
「今の日本の若者は、世界の中でトップクラスの精神力と能力を持っている。」
ということです。
否定的な意味を込めて、「今どきの若者は・・・」との声をよく耳にする今、(実はいつの時代も大人たちの枕詞になっていますが)、「今どきの日本の若者は、素晴らしい。頑張っている。希望がある。」と私はいいたいです。
長年さまざまな企業で研修してきましたが、最近特に、元気な大人・姿勢の良い大人が少ない、と感じます。「今どきの若者は・・・」と言う前に、「今どきの大人は、どうなのか?」と自問自答する必要があるのではないでしょうか? もちろん、私自身の自戒を含めてです。
大人が「修己」し、学び・夢を持ち・元気になれば、子供・若者たちも同じようになっていくと思います。
その反対も、然り(しかり)です。
オリンピックで頑張った選手には、憧れと尊敬に値する「修己」してきた大人が周りにいたのでしょう。
「今どきの若者は、素晴らしい」「今どきの大人は、素晴らしい」と、お互い胸を張って言い合える、そんな世の中を、今どきの大人がリードして創っていきたいですね。
それが、今回日本選手団が頑張ってもたしてくれた本当の意味、「本当の金メダル」となるのではないでしょうか?
火曜担当…坂本欣也
参考データ
過去の日本のメダル獲得数の推移 http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3980.html
1位ロンドン38個(今回)、2位アテネ37個(04年)、3位ロサンゼルス32個(88年)、4位東京(64年)・ミュンヘン(72年)で29個とつづきます。
興味深いのは、日本の高度成長期60年代~80年代後半にメダル数は増え、失われた10年の90年代に激減していることです。 メダル数も世相と相関している証でしょうか。
|
|
|
| 2012年8月13日(月) |
| 『大学』の素読について その3 月曜担当…池田光 |
|
先週のこと。
西端努斗夢さんと会ったら、
「僕はiPhoneで素読をやっているんです」
と、伊與田覺先生の素読CDを聞きながら、画面では『大学』の訓読文をご覧になっているんですね。
いつでも、どこでも、素読ができるというのは素晴らしいことです。
ちなみに、伊與田覺先生の『読本「仮名大学」「大学」を素読する』(致知出版社)に付属の素読CDは、23分くらいです。
■『大学』は理想主義の書
島田虔次氏は、『朱子学と陽明学』(岩波新書)のなかで、儒教の復興とも言える「宋学」の特徴を三つにまとめています。
①正統主義
②理想主義
③思弁主義
です。
『大学』とは、もともと『礼記』のなかの一篇で、「大学篇」として収まっていたものです。それが、単行本として取りだされたのは、宋代(960年 ~ 1279年)になってからです。
島田虔次氏は、『大学』が単行本としてピックアップされた理由を「理想主義」に求めています。
「やがて宋代にはいって『礼記』の大学篇が特にとりだされて、いわゆる「四書」の一つとして重視されるようになってくるのは、要するにこの新しい理想主義の結論にほかならない」(島田虔次『朱子学と陽明学』)と。
理想主義というのは、「道徳と政治との一致」であり、これこそが修己治人にほかならず、己を修めて治国平天下を実現しようとすることです。
老子や道教のように、世から隠れるのではなく、堂々と、この世とこの世に生きる人々に立ち向かおうということです。
「吾、この人の徒と共にする」という気概です。
私は、『大学』を素読するということは、この理想主義を高らかに謳い上げることだと思うのです。
そして、理想主義に共感することだと思います。
■『大学』のテキスト紹介
現在、絶版となっている本も含めて、比較的手軽に読めるテキストをまとめてあげてみます。
①金谷治訳注『大学・中庸』(岩波文庫)
②宇野哲人全訳注『大学』(講談社学術文庫)
③赤塚忠『大学・中庸』(明治書院、新釈漢文大系)
④山下龍二『大学・中庸』(集英社、全釈漢文大系)
⑤俣野太郎『大学・中庸』(明徳出版、中国古典新書)
⑥諸橋轍次『現代に生きる「大学」』(大修館書店、諸橋轍次選書)
⑦島田虔次『大学・中庸』(朝日新聞社、中国古典選)
私が持っているのは、これらのほかには、あと数種のテキストを加えた程度です。
①と③は、『大学』の旧文と、朱子の『大学章句』とが、二つとも収録されていて便利です。
④には、「大学古本序」「大学問」(以上、王陽明)、「大学首章解義」(王龍渓)なども含まれております。ただ絶版書であり、比較的高値では入手できますが、もし安価で見つけられたら、迷わず「買い」だと思います。
ついでながら、一昨日、論語普及会の山本正進先生に『大学』のお薦め本をお尋ねすると、しばらく考えられた後、
「菅原兵治の『大学味講』(東北振興研究所)なんかが、いいんじゃないか」
とおっしゃいました。
■素読で滲み出る風韻・風格
最後に、伊與田覺先生の『読本「仮名大学」「大学」を素読する』(致知出版社)の「まえがき」に記された、「素読の必要性」について説かれた一文を掲載します。
味わうべき文章だと思います。
古典を学ぶ上に於て大切なことは「素読」です。
素読は天明に通ずる先覚の書を、
自分の目と口と耳とそして皮膚を同時に働かせて吸収するのです。
これを読書百遍で繰り返し繰り返し続けることによって、
自ら自分の血となり肉となるのです。
それが時あって外に滲み出ると風韻となり、
そういう人格を風格ともいうのです。(伊與田覺『読本「仮名大学」「大学」を素読する』)
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2012年8月10日(金) |
| 忘れてはならないこと 金曜担当…小笹正洋 |
|
久しぶりに、漫画の本を読んだ。
第二次世界大戦では、国民の殆どは日本は勝つと信じ(させられ)ていた。
また、その事に異を唱える事は許されない状況であった。
そんなご時世において、戦争に反対し、間違った精神論に抵抗し続けた一介の市民もいた。
そんな中で育った、中岡元という少年が主人公の「はだしのゲン」という漫画から感じた事を少し述べたい。
戦争や、核兵器の善悪は言うに及びませんが、
心しておきたいのは、世論や、常識というものを盲信する怖さである。
5億4000万年余り前の古世代カンブリア紀の初頭に、バクテリアやクラゲのような生物ばかりで進化が進まなかったのが、三葉虫などの多種多様な生物が出現しました。これは、何かの原因で地球上の光の量が増加して生物が反応し、「眼」を持つようになったことが、生物の進化に劇的な変化をもたらせた。と言われています。
現代の環境においても、ITの著しい進化により、新たな「眼」を持つに至ったのではないでしょうか。
今まで以上に、沢山の情報が不特定多数に一斉に行き渡ります。
そんな中でこそ、“泰然自若”とした肚の据わった状態で、真理を見極めていきたい。
そのための学びとして、天風哲学や儒教の教えが自分にとっての拠り所となる。
論語の中で
「子曰く、君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」
とある。
立派な志の人は、周囲との調和を図りながら、善悪をはっきりと出来る。
つまらない志の人は、成り行き任せの行動しかとらない。
こんな意味になる。
先哲の教えを大切にしていきたい。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2012年8月9日(木) |
| 無事是幸福 木曜担当…西端努斗夢 |
|
『臨済録』という禅の公案集に、「無事是貴人」という言葉があります。
貴人は、いたずらに心を煩わし、善だの悪だのと無駄な考えを巡らせるのではなく、その時その時の一事一事に全力を注いでいるというような意味だと思います。
この「無事是貴人」をもじって競馬ファンだった小説家の菊池寛が「無事是名馬」という言葉をつくったそうです。
競馬では、なんの故障もなく、長い間第一線で活躍できる馬こそが名馬であるという意味で、そこから一般に、華々しい手柄などなくても、大きな災禍(さいか)なく、長い間活躍するのが良いという意味で使われています。
さらにそこから、私がつくった言葉が「無事是幸福」。
望みが叶ったとき、予想もしていなかった嬉しいことが起きたとき、私は神様に感謝します。ところが、よく考えてみると、無事に日々を過ごせていることこそが神様から与えていただいた最高の贈り物ではないかと思うのです。そう思うと、無事こそが幸福で毎日が感謝です。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2012年8月8日(水) |
| 思い出 6 水曜担当…沢井淳弘 |
|
私は、当時の大学生の通例として、西洋哲学の有名な思想家をひととおり読みました。
カント、ヘーゲル、ショウペンハウエル、デカルト、サルトルといった哲学者の本を読みました。カントはチンプンカンプンでした。ヘーゲルは高邁にして深遠だと感服して、読みましたが、それが現実の自分の生き方とどう関わるのか、と考えると、まったく分からず、いわば自分とは異次元の世界の話だ、と思わざるをえませんでした。
デカルトとサルトルは、無味乾燥、まるで砂を噛むような味気のない世界で、ウンザリしました。ショウペンハウエルの否定の精神にいちばん共鳴しました。しかし、その結論はいっさいが無意味で、絶望しかありませんでした。そのときの私の精神状況にピッタリだったのです。そうなると、出口もなければ、人生の解決というものがありません。私は真っ暗な気持ちになってしまいました。
そんな時に私を救ってくれたのが、天風の講話だったのです。
京都の木屋町の高瀬川に沿った小学校の講堂で、天風の講話をはじめて聞きました。
当時(1958年)、天風は京都、大阪、神戸で、3日連続で、定期的に話を公開講座として一般の人に教えていました。1年に4回ありました。
小学校の講堂には、70~80名くらいの参加者があったでしょうか。
私は12年間、天風がなくなるまで、ほとんど欠かさずその講話を聞きました。
3日つづく話の内容は、12年間変わることはありませんでした。
第一日は、かならず「潜在意識の内容を改善する方法」(天風はこれを「観念要素の更改」とよんだ)でした。
第2日は、「日常において積極的な観念を養う方法」(積極観念の養成)
第3日は、「外部のストレスや刺激から精神を守る方法」(クンバハカ、神経反射の調節)
でした。
このカリキュラムと内容は、12年間なんら本質的な変更はありませんでした。
ただ、時々天風の思い出話がはいってくると、その部分が変わるだけです。
つまり、天風は、晩年のすくなくとも私の知る12年間(たぶん、ほんとうは30年位か?)、一貫して上記の3つの方法を説き続けました。しかし、これは天風哲学の入門にすぎません。その奥には、「天風式瞑想」(安定打坐法)と「自己暗示の言葉」(誦句)があります。これらは夏の修練会で教えられたものです。
私は12年間、毎年4回、上の3つの方法について、天風の話を聞いたのですが、すこしも飽きることはありませんでした。マンネリなんて思ったこともありません。毎回「面白いなぁー」と思って、わくわくした期待感で、話を聞いたものです。
とりわけ、天風の思い出話のなかで面白かったのは、日清・日露の戦争のときの天風の体験談で、これは痛快でドラマティックで、会場が感動でどっとどよめいたり、爆笑がたえませんでした。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2012年8月7日(火) |
| 「日本の強さ」 火曜担当…坂本欣也 |
|
ロンドンオリンピック、素晴らしい感動のプレーが続いていますね!寝不足が続いています。笑
特に、日本勢では、団体競技・種目での強さが目立っています。
サッカーでは男子も女子も決勝進出。卓球女子団体、体操男子団体、フェンシング団体、水泳400メートルメドレーでは男子が銀メダル、女子が銅メダル。アーチェリー女子団体でも初の銅メダル。などなど
これは、日本人が強みとして持つ「和の精神」の表れだと私は確信しています。
個人種目以上に、日本人選手は力を発揮し、組織力で世界の強豪を圧倒しているのです。
個人では体格・体力で劣っていても、集団での組織プレー・連携プレーの質の高さ、スピードで、相手を圧倒するその姿は、日本人だけでなく、観ている観客すべてを魅了し感嘆の声をあげさせています。
特に、「なでしこジャパン」は、平均身長で約10センチも違いのある欧米のチームと戦っているのです。因みに、アメリカのストライカーのワンバック選手は180センチ、日本のストライカーの大野選手は154センチです。
賢い堅いディフェンスで守備を固め、正確でスピードのあるパス回しで相手を翻弄していき、一瞬の隙をついた正確なパスでゴールを決めます。まさに、「阿吽の呼吸」「以心伝心」のチームプレイが、世界のどのチームよりも優れている証拠だと思います。これが日本の素晴らしさであり、強さであると思います。
国を代表するナショナルチームは、通常バラバラなチームで活躍する一流選手が集められるので、そのチームづくりがとても難しいと言われます。しかし、最近の全日本チームは、どの競技でも選手同士、監督、コーチ、周辺のサポート陣との連携が素晴らしく、一丸となって戦い歓喜する姿を見せてくれています。
私たちは、彼らから何を学べるのでしょうか?
私たちは、日常の生活の場や社会、職場の中で、日本人が得意としてきたチームワーク・和の精神を発揮できているでしょうか?
グローバルの中の日本。日本の強さを復活させるのは、やはりこの原点ではないでしょうか?
かつて「団体の方が、個人より10倍楽しい」と言った、卓球の福原愛選手のコメントが印象に残っています。 私たちもこんなコメントをもっと言いたいですね。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2012年8月6日(月) |
| 『大学』の素読について その2 月曜担当…池田光 |
|
『大学』素読に関して追記したいと思います。
■素読テキストについて
前回のブログで、素読しやすいテキストとして、伊與田覺先生の『読本「仮名大学」「大学」を素読する』(致知出版社)を推薦しました。
ところで、伊與田先生は「まえがき」で、
「本書は文章の配列は大学章句によりましたが、頭注は自由に致しました」
と記しておられます。
ここに、この本の立場があります。素読するうえで、おおよその立場を知っておくことは、大切なことです。
①朱子が改補・注釈を加えた『大学章句』の文章配列によっていること
②読み下しについては、朱子が改補を加える前のもともとの『大学』か、もしくは陽明学寄りのように思えること
を記しておきたいと思います。
■朱子『大学章句』を読むなら、この本――
『大学章句』を読みたい人にお勧めなのが、島田虔次『大学・中庸』(朝日新聞社)です。
その冒頭に置かれた解説に、
「できるだけ朱子その人の立場に立とうと試みての注釈――これが本書のめざしたところに他ならない」
とあります。
そして、本書では、『大学章句』における朱子の注釈をすべて取り入れながら、『朱子語類』『大学惑問』などから必要に応じて引用しています。
ところで、島田虔次氏は、王陽明のほうに親近感を感じている研究者ですが、この本では、中立の立場を貫いているということです。
■儒教で最初に読む本とは
儒教に入門するのに、何から読めばいいのでしょうか。
――朱子は、『大学』だと言い切っています。
まず、朱子(1130~1200年)は、『朱子語類』のなかで、四書五経における四書(『論語』『孟子』『大学』『中庸』)を読むことを勧めています。(ちなみに、四書五経という儒教の経典の取りまとめ方をしたのは、朱子です)
以下、三浦国雄氏の現代語訳で掲載します。
朱子は次のように言います。
「最初に『大学』を読んで枠組を決め、次に『論語』を読んで根本を立て、次に『孟子』を読んでその精神的昂揚の発露を見、次に『中庸』を読んで古人の奥深いところを究めるように私は望んでいる」(三浦国雄『「朱子語類」抄』)と。
文中の「枠組を決める」という言葉は、原文では「規模を定める」となっています。
「規模」とは、「ある不定形の存在の大きさを計量する時に発せられる言葉」と三浦国雄氏は定義し、「枠組」と訳しておられるのです。
続けて、朱子は次のように言っています。
「『大学』という書には順序・次第(原文は、等級次第)があって、それが一冊のなかに統一されていてわかり易いから、これを先に読むべきだ」(同書)と。
つまり、『大学』は、儒教を体系的に説いていて、その枠組をつかみやすいということから入門書としての位置づけにあるわけです。
さらに朱子は続けて、
「『論語』は具体的だが言葉が散在しているので、初心の者には難しい。『孟子』には人の心を鼓舞激励するところがある。『中庸』も読みにくいから、三書を読んでからそのうえで読むべきだ」(同書)
とあります。
ついでながら、本塾の坂本欣也さんが、私から教わったと言ってくれている「『大学』→『論語』→『孟子』→『中庸』という読み順」は、朱子の受け売りです。
■伊藤仁斎は『大学』の経典生を否定
最後に、相対化して見るために、『大学』のアンチテーゼを一つ紹介しておきます。
――伊藤仁斎(1627~1705年)です。
朱子は四書五経というまとめ方をして、これらを儒教の経典としました。なかでも四書を重要視し、注釈を残しています。(ちなみに、朱子の四書の注釈は、すべて翻訳されていて我々も読むことができます)
ところが仁斎は、緻密な検討を加えたうえで、『大学』の経典性を否定してしまうのです。
では、なぜ仁斎は『大学』を否定したかというと、『論語』をはじめとした経書と矛盾すると考えたからです。
例えば修身(身を修める)ということについて、『大学』では、誠意・正心が修身の工夫でした。しかし、仁斎は、もともとの儒教の精神に立ち返り、「身を修むるに道を以てし、道を修むるに仁を以てす」と言います。
修身は、端的に「仁」によると言うわけです。
仁斎は、『論語』を「宇宙第一の書」と位置づけ、孔子の説いたところに帰ろうとします。だから仁斎は、『大学』ではなく、『孟子』と『論語』を熟読することを勧めました。
私の感想ですが、『大学』はコンパクトに体系立ち、スッキリし過ぎていて、なんとなく窮屈感を抱いていたのですが、仁斎の教えでホッとしたところがあります。
とは言え、『大学』を最初に読むのは賛成です。
それは、
①儒教のおおよその概要・枠組を掴むことができるから
②儒教を体系的に考えるうえでの問題提起をしてくれるから
です。
なにはともあれ、素読して、儒教の枠組を感じとりたいと思います。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2012年8月3日(金) |
| 幸せ。。。 金曜担当・・・小笹正洋 |
|
「幸せ」とは、どんな状態のことなのでしょう?
お金がたくさんある
健康である
友人が大勢いる
家族の愛情がある
社会的な地位がある・・・
どれも大切な事だと思う。
その重要性は、人それぞれに違うでしょう。
それらを得る事だけが幸せなのでしょうか?
どれも、無いよりは良いと思う。
しかし、手に入れた瞬間に、より多くの、より良い状態を
求めていき続けるでしょう。
幸せや幸福感というのは、どんな状態かではなく、
どんな心のありようかという事ではないでしょうか。
即ち、「足るを知る」という心。
今あるもの、今持っているものに感謝し、満足する心。
ということでしょう。
「幸」という漢字の由来は?
あるところでは、「辛」という漢字の上の部分に「一」を加えて、
辛い状態の次の状態が幸せという解釈の方もいる。
なるほど。。。
しかし、
ここでは、
刑罰として手枷(てかせ)をはめられた人の姿の象形であった。
という解釈を採りたい。
戦乱の世が続き、人が自由を奪われて奴隷として労苦を課された古代中国では、
手枷のない自由ほど幸せなものはなかったのではないか。その苦しみと悲しみと
恐怖感のない自由ほど幸せなものはなかったのではないか。
その苦しみと悲しみと恐怖感のない状態こそが、「幸いなこと」「至福の時」だったのだ、と。
(「漢字の気持ち」/高橋正巳・伊東ひとみ著 より)
今、日本の国は物質面では非常に豊かであり、欲しいものはお金があれば、
直ぐに手に入り、非常に便利な生活が実現できる。
しかし、精神面においてはどうでしょう?
物質的豊かさの影で、我慢・辛抱・分かち合いといったところで、弱さを孕んできてないでしょうか。
1つしかないものを
分け合えることと、
奪い合うこと、
どちらが幸せでしょうか?
今の時代においては、心の手枷のない自由が「幸せ」ということになるのではないでしょうか。
金曜担当・・・小笹正洋
|
|
|
| 2012年8月2日(木) |
| 人生はロールプレイングゲーム 木曜担当…西端努斗夢 |
|
本日は、人気のロールプレイングゲーム(RPG)「ドラゴンクエストⅩ」の発売日だそうです。私はRPGが好きで、このドラゴンクエストもシリーズ第1作から挑戦し、楽しんできました。
RPGは、プレーヤーがゲーム中のキャラクターになってその家族や仲間と協力し、課題(冒険や難題、探索、戦闘など)をクリアしてゴールを目指すのが特徴です。
目の前に現れる課題をクリアすることで自分の経験値を上げ、スキルを身に付け、アイテムを手に入れ、一定のレベルを超えると次のステージへと進むことができます。
ゲームを進めていく中で遭遇した課題は、避けて通ることもできるのですが、それでは経験値を上げ、スキルを身につけ、アイテムを手に入れることはできません。面倒ですがひとつひとつ地道に課題をクリアしていかなければ、結局は今いるステージから次のステージに進むことはできないのです。
また、目の前に現れる課題はキャラクターのレベルに応じた難しさに設定されていて、どんなに難しいように見えても決して乗り越えられないものではありません。
ですから、ゲームの世界で自分が人生を送っているような気分になり、「人はなぜこの世に生まれてきたのか?」という人類永遠の問いに対して、「もしかしたら、人は人生というRPGを楽しむためにこの世に生まれてきたのではないか?」と思うことがあるのです。
そう思うと、生きていく中で難しい課題に遭遇したとき、「人生は所詮RPG、乗り越えられない課題なんて決して現れない。目の前に現れた課題は、自分のレベルを上げて次のステージに進むためのものだ」と考えることができ、ほんの少しは気が楽になります。
湧くわく本心塾で学ばせていただくのも、もしかしたら私にとって、自分のレベルを上げて次のステージに進むための大切な課題のひとつなのかもしれません。
いずれにしても、同じ生きていくのなら、ゲームのように人生も楽しみたいです。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2012年8月1日(水) |
| 思い出 5 水曜担当…沢井淳弘 |
|
私は、大学1年生のとき、重篤な病にかかりました。
数ヶ月広島の実家に帰省し、大学を中退しようか、と迷っていました。
人生になんの希望もありませんでした。絶望のどん底に陥っていたというべきでしょうか。病そのものは、医者の診断では癒えていたのですが、病後の心身の衰弱から立ち直ることができませんでした。ひじょうに過敏になっており、ちょっとした体の不調に対して病的に反応するのでした。
まったく学問など、やる気がありませんでした。英語やドイツ語の教科書をとりだしてみても、まるっきり勉強する気になりませんでした。単語など、なに一つ覚える気になりません。それが、天風先生の潜在意識を変える方法を学んでから、天地がひっくりかえるほどの変化を自分にもたらしたのです。
潜在意識の中味が、ポジティブに変わったばかりに、なにを行うのにも意欲がもりあがり、外国語の単語を覚えるのなんか、なんでもない易しいことに変わったのです。のちに、私は同時通訳の仕事を、アルバイトで、するようになりましたが、そのときは、一晩に100個以上の単語を記憶して、翌日の同時通訳の仕事を果たしました。
長引いた病の結果、精神的に消極的になってしまいました。それをいっそう深刻にしたのは、私の当時の人生観でした。
人類といえども、いずれはこの世からその存在の姿を消すことになる。これは物理的に絶対の真理ですね。形あるものは、有限であり、いつかはこの現象の世界から消えることになります。
だったら、この人類の営みに、なんの意味があるのだろう? と私は考えました。自分の人生そのものにも、なんの意味も見出すことができないと、思ったのです。
広島の家のすぐ隣に、図書館がありました。私はキリスト教、仏教の本をたくさん借り出して、人間の存在の意味をたずねましたが、答えを見出すことはできませんでした。キリスト教の教会へ行って、牧師から直接答えを引き出そうと、訪ねていったこともあります。また、真宗のお寺をたずねて、僧侶と大学教授をかねている博学な人に、教えを乞うたこともあります。その人は、
「あなたは暗い方面からばかり、人生を考えている。もっと明るい方面から人生を見なさい」
と、教えてくれました。そのときは分かったような気になって、お礼を言って帰ってきたのですが、さてどうすれば、明るい方面から人生を考えられるのか、分かりませんでした。私の潜在意識の中には、暗い消極的な想念がいっぱい詰まっているのですから、明るい考えなど出てくるはずがなかったのです。
それが、天風の講話を聞いて、潜在意識の中身を変える方法を会得して、今では人生を明るい方面からだけ見ています。暗い方面から物事を考えることはできません。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2012年7月31日(火) |
| 「大学」と「修己治人」 火曜担当…坂本欣也 |
|
前回に続き、少し堅い内容になりますが、湧くわく本心塾のメインテーマの一つ「修己治人」を理解する上で欠かせない内容だと思い、「大学」の続きを記したいと思います。
また、月曜日ブログで池田塾長が「大学」に関して、深い考察の投げかけと読み方・解き方のアドバイスをしていただいています。私のこのブログが、少しでもその一助になれば幸いです。
第一章 第二節より
古之欲明明徳於天下者、先治其国、欲治其国者、先斉其家、欲斉其家者、先修其身、欲修其身者、先正其心、欲正其心者、先誠其意、欲誠其意者、先致其知、致知在格物、物格而后知至、知至而后意誠、意誠而后心正、心正而后身修、身修而后家斉、家斉而后国治、国治而后天下平
今回も自分自身の勉学のため、私なりの解釈を記しました。
昔の良き時代に、優れた徳と本心を探求・精進し、世界を平和(平天下)にした者は、先ず自分の国を平和に治めた(治国)。自分の国を平和に治めた者は、自分の家庭を善くまとめた(斉家)。自分の家庭を善くまとめた者は、まず自分自身を磨き修めた(修身)。自分を修めた者は、まず自分の心を正しく持った(正心)。心を正しく持った者は、まず自分の意識・思いを正しくした(誠意)。自分の意識・思いを正した者は、知識や能力を高めた(致知)。自分の知識や能力を高めた者は、物事の本質・善悪を探求し究めた(格物)。
(逆に、)物事の本質・善悪が認識できてこそ、正しい知識や能力が身に付く。正しい知識や能力が身についてこそ、正しい意識・思いが見に付く。正しい意識・思いが見に付いてこそ、正しい心が宿る。正しい心を持ってこそ、自分自身を磨き修められる。自分自身を修めてこそ、自分の家庭を善くすることができる。自分の家庭を善くしてこそ、国が平和に治まる。国が平和になってこそ、世界が平和になる。
まとめると、この第二節は、平天下、治国、斉家、修身、正心、誠意、致知、格物という「八条目」の全体説明となります。そして、「修己治人」に照らし合わせると、格物~致知~誠意~正心~修身が「修己」、斉家~治国~平天下が「治人」となります。他を治める前に、己を修める。
為政者自身が正しければ、民衆も正される。逆に、民衆自身が正しければ、為政者も正される。という意味もあるように思います。
自分~他者~社会との関係性、儒教の本質を体系的に教えてくれている内容で、何度読んでも勉強になります。「論語の前に読みなさい」という意味が良く分かります。塾での素読が楽しみです。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2012年7月29日(日) |
| 『大学』の素読について 月曜担当…池田光 |
|
この前の合宿(7月21~22日)では、若宮幾馬先生から『大学』を素読することの大切さを教えていただきました。
■どのテキストで素読するか
『大学』を素読しようとすると、まず問題になるのが、どのテキストを選ぶかということです。
素読するには、素読しやすいテキストが必要です。
この観点から、素読を前面に据えた、伊與田覺先生の『読本「仮名大学」「大学」を素読する』(致知出版社)が良いかと思います。なにより若宮幾馬先生は、伊與田先生の直弟子であり、このテキストを本塾での素読に用いたいと思うのであります。
B5判の大型の本には、伊與田先生による素読のCDが付いているのも嬉しいことです。最近は、ポケット版も出ているようです。
『大学』を解釈するにあたって、援用したいのは、金谷治訳注『大学・中庸』(岩波文庫)や、宇野哲人全訳注『大学』(講談社学術文庫)です。
ちなみに、私が初めて『大学』を読んだのは、諸橋轍次選書5『現在に生きる「大学」』(大修館書店)で、この書には、『現在に生きる「大学」』と『大学新釈』の二篇が収録されています。
■『大学』の意義とは
現在の岩波文庫版の『大学』は、金谷治の訳注ですが、その以前は、金谷治の恩師である武内義雄による訳注本が流布していました。
武内義雄は、『学記・大学』(岩波文庫)の序で、
「中国二千五百年の儒学史を通じてこれほど聡明な述作は他にありますまい。実に『大学』は古代儒教の精華であり結論であるとともに、近代儒教の出発点である」
「将来儒教が更に新しく改造されることがあるとすれば、恐らくまたここから出発するであろう」
と記しています。
これは、次の3つに分解できます。
①『大学』は、古代儒教の精華であり結論であること。
②『大学』は、近代儒教の出発点であること。
③『大学』は、将来の儒教改造の出発点になるであろうこと。
武内義雄によるこの三つの指摘のうちに、『大学』の意義は要約されています。
②近代儒教の出発点であるとは、朱子学と陽明学を指します。
朱子学も陽明学も実に『大学』の解釈が出発点であり、両者はまったく正反対とも言える解釈をして、その体系を形成しています。
このことはまた、中国の近代儒教にとどまらず、わが国の江戸期の儒学思想においても同様で、どう『大学』を解釈するかは大きな問題でした。
■『大学』解釈のポイント
では、具体的に『大学』を解釈するには、どのような論点があるのでしょうか。
『徳川合理思想の系譜』などで著名な源了圓は、『江戸の儒学――「大学」受容の歴史』(思文閣出版)の序において、次のように指摘しています。
①三綱領のどれに最も重点を置いたか?
②新民と親民のいずれを選んだか?
③三綱領の構造関連をどう捉えていたか?
④「格物」をどう解釈するか?
~格の読み方は、「物ニイタル」「物ヲタダス」「物ヲキタス」「物ヲフセグ」などがある~
⑤「格物」が「致知」とどう結びつくか?
⑥「誠意」をどう解釈するか?
~意の発動以前に重点を置くか、あるいは以後に重点を置くか~
⑦「斉家・治国・平天下」をどう解釈して社会思想を考えるか?
本塾で素読しようとする伊與田覺『読本「仮名大学」「大学」を素読する』は、例えば、②について「親民」を選び、④の格物を「物ヲタダス」と読んでいます。
テキストの立場を理解したうえで、本塾では素読したいと思っています。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2012年7月27日(金) |
| 「鼓腹撃壌」 金曜担当・・・小笹正洋 |
|
尭帝が自分の政治が上手くいっているかどうか、
側近に聞いても誰も答えられないので、
お忍びで街の雑踏の中を視察された際、
「みんなの暮らしが楽なのは
わが尭さまのおかげです
頭を悩ますこともなく
おんみちびきのおんままに」
無心にうたう童たちのうたに、尭帝は安心した。
さらに、
「お日様沈めば帰りましょ
そこらに井戸掘りゃ水は湧く
黙って耕しゃ米がなる
天子様のお力なんぞ
わしらにゃ縁のないことさ」
老人が何か食べながら、太鼓腹をたたき、足で地面をたたいて拍子をとってうたっている姿に出くわした。
堯(ぎょう)帝とは、中国神話に登場する名君主。
中国古典の十八史略の「鼓腹撃壌」(こふくげきじょう)というお話しの一部です。
太平で安楽な世で、庶民が生活を喜び楽しむ様子が目に浮かびます。
善政が行われ、人々が平和な生活を送られていたのでしょう。
子供たちは夢を持ち、
老人は安心して暮らせる。
そんな世の中になる事を
瞑想後のひと時に、想念してみました。
金曜担当・・・小笹正洋
|
|
|
| 2012年7月26日(木) |
| 維新の志 木曜担当…西端努斗夢 |
|
21日と22日、京都市で潜学合宿が行われ、私にとって充実した2日間を過ごさせていただきました。
右の写真は、合宿終了後の史跡めぐりツアーで立ち寄った霊山歴史館で撮影したもの。気分は新撰組の隊士で、大いに盛り上がりました。
ツアーを企画していただいた本郷さん、写真を撮影していただいた戒田さん、ありがとうございました。
日本には明治維新という、国を大きく変えた歴史があります。それは、坂本龍馬や高杉晋作ら後世に名を残した人たちだけではなく、名もなき多くの人たちの志によって成し遂げられたものです。
汗を拭きながら坂道を歩いている時、「君たちも、現在の日本を憂い、嘆くのではなく、志を持って自らを修養し、仲間と力を合わせれば、再び維新を成し遂げることができるよ」という志士の声が聞こえたような・・・
木曜担当…西端努斗夢
|
 |
|
|
| 2012年7月25日(水) |
| 思い出 4 水曜担当…沢井淳弘 |
|
天風の誦句をとなえると、悟りの心境に心をひたすことになります。
ちょっと天風誦句の一節をきくと、とても自分ではそうは思えないような、あまりに積極的な言葉がありますね。「私は力だ!力の結晶だ!」というものからして、初めての人には自分の現在ではちがう、と思うでしょう。それだからこそ価値があり、効果があるのです。
くりかえし、その誦句を自分に向かって言っていると、そんな気持ちに自分が変革されてくるのに驚きます。
「くりかえし」がカギです。毎日となえて、くりかえさないと、効果はありません。
天風が誦句を大切な修養の項目としていたことは、明らかです。あるいは瞑想いじょうに、誦句を重要項目と考えていたかもしれません。
なぜなら、戦前などは、修練会のときは毎日誦句をひとつずつ与え、暗誦するまで家に帰さなかった、ということを私は先輩から聞いているからです。誦句をメモすることすら許されませんでした。天風の口から誦句を聞いて、即座に暗記しなければならなかった、ということです。
もっとも戦前は会員の数は少なく、京都、大阪、神戸でも修練会の時、会員の自宅に人を集めて行われていたものです。
戦後、会員がふえてからは、誦句のメモをとることを許されました。しかし、家に帰ってその誦句を覚えて、会場に行かなければなりませんでした。覚えていないと、きびしく叱られました。私が入会した時まで、そうでした。翌年から誦句集を買うことができました。昭和32年(1963年)に「誦句集」は出版されていますが、大阪の修練会の7月には間に合いませんでした。
ですから、誦句を私は一生懸命おぼえたものです。次の年の修練会でまたしぼられることは分かっていますから、ずっと平素から忘れないように、ヒマがあれば口ずさんでいました。それが、自分の心身の健康状態に、どんなに大きな良い効果を与えているか、ということの自覚が、私には足りませんでした。
誦句を唱えるたびに、自分が元気になっていくことは分かっていました。私はどんどん健康を回復していきました。
天風会に私を紹介してくれた伯母さんは、50歳の時、定年退職で阪急百貨店をしりぞき、心斎橋の「ミキヤ」という洋装店で働くことになりました。ミキヤの主人は天風会の名物男で、面白い人柄でした。その主人が伯母を天風会にすすめてくれたのです。
当時天風会は、会員の紹介者がないと入会できませんでした。それは救われた喜びで人を紹介することで、会の発展を天風が願ったからです。会のどんなPRもしませんでした。
先生が亡くなってから、紹介者なくても希望すれば入会できるようになりました。
戦前の天風会はもっともっとエクスクルーシブな排他的な、エリート集団だったでしょう。社長クラスの人々、高級官僚、政財界の人々が中心で、それらの人の紹介がなければ入れなかったし、入会金はふつうのサラリーマンにはとても払えないような金額でした。
なぜそんなに排他的だったかと言いますと、それは天風の出自や環境のせいもあるでしょう。天風はなんといっても九州柳川藩(立花家)の大名の血を引いた孫(嫡系ではないが)です。周囲にはブルジョワ階級のひとばかりでしたし、天風をとりまく人々や政財界の人々は特権意識もつよく、天風の教えを独占したいと思っていたでしょう。庶民は教えるべからず、という意識が(無意識的であったかもしれないが)あったはずです。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2012年7月24日(火) |
| 「学ぶことの根本」 火曜担当…坂本欣也 |
|
この週末、潜学合宿がありました。2日目朝に、論語普及会の若宮幾馬先生に「中国古典に学ぶ」というご講義を戴きました。堅い内容ではなく、素人である私にも本当に心に染入るように、優しくお話を戴きました。内容もさることながら、ご自身の本心からにじみ出るお人柄や風格に、私の心が洗われる思いがいたしました。
その若宮先生が、中国古典、特に儒教の入門として薦められたのが、「大学」でした。その後、論語、孟子、中庸と進まれよと。 以前、我らの池田塾長から教えていただいた順序と全く同じでした。
私も以前、金谷治氏著の「大学・中庸」(岩波文庫)を読み、深く感銘を受けたことを思い出しました。
「大学」には、「学ぶ」ことの根本目的。「人生を幸福にし、社会を平和に導く」ための方法順序が、体系的に記されてあります。現代人が学ぶべきエッセンスが、凝縮されています。まさに、湧くわく本心塾の目指すものにピッタリです。
第一章 第一節より
〇大学之道、在明明徳、在親民、在止於至善
(大学の道は、明徳を明らかにするに在り、民を親しましむるに在り、至善に止まるにあり)
勉学のため、以下私なりの解説を考えてみました。
学びの道とは、人生を通して、自分に備わる徳(五徳:仁義礼智信)と本心を探求・精進し、その実践力を身に着けていくことにある。自分とは何か、何ができるのか、どのように世のために立つことができるのかを考え続けていくことである。そして、その結果として、人々が仲睦ましい平和な世の中を築くことの一助となり、最高の善と幸福に到達し継続できるのである。
〇知止而后有定、定而后能静、静而后能安、安而后能慮、慮而后能得、物有本末、事有終始、知所先後則近道矣
(止まるを知りて后定まる有り、定まりて后能く静かに、静かにして后能く安く、安くして后能く慮り、慮りて后能く得。物に本末あり、事に終始あり、先後するところを知れば則ち道に近し。)
己(何をなすべきか、どうなすべきか)と物の道理を知って初めて落ち着くことができ、落ち着ついてこそ平常心であることができ、平常心があって心の安らぎと余裕がもたらされ、心の安らぎと余裕があってこそ物事を正しく物事を見、考えることができる。そして、正しく考えてこそ、正しい成果を出すことが出来るのである。
また、物事には本質と末端があり、物事には優先順位がある。 物事の本質を見極め、何を優先すべきかを知れば、道を成就できる。
「学ぶ」とは、知識を得て利を得ることではなく、己・本心を知り磨き、世の善と幸福に寄与できる自分を創ることあるという、この根本に再認識させていただいた若宮先生と潜学合宿に感謝いたします。若宮先生のような人間の深みと大きさを勉強させていただくため、私も中国古典に学ばせていただきたいと思いました。
上記の漢文と( )内の訓読みは、金谷治氏著の「大学・中庸」(岩波文庫)より
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2012年7月23日(月) |
| 【立腰瞑想道③】善語のすすめ 月曜担当…池田光 |
|
三つめは、善い言葉を語る――つまり、善語のすすめです。
善語とは、積極的な言葉です。
良心本心に違うことの少ない言葉です。
生命力を喚起し、自分を成長させる言葉です。
善い言葉を語ろう――
①善い言葉を語ると、真の友ができる。また、友が遠方より来(きた)る。
②善い言葉を語ると、そこが天国となる。
③善い言葉を語ると、心が積極的になり、泰然自若の境地に至る。
④善い言葉を語ると、本物が分かるようになり、審美眼ができあがる。
⑤善い言葉を語ると、人間関係が良くなり、人が生かされる。
⑥善い言葉を語ると、なぜか良いことが起こり続け、幸福感に満たされる。
⑦善い言葉を語ると、言霊に感応することができる。
⑧善い言葉を語ると、成功する。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2012年7月20日(金) |
| 「はきものをそろえる」
金曜担当…小笹正洋 |
|
書物「修身教授録」などでも有名な、教育者・覚者 森信三先生の遺された教えの中に
「しつけの三原則」
がある。
(1) 朝のあいさつをする子に。
それには先ず親の方からさそい水を出す。
(2) 「ハイ」とはっきり返事のできる子に。
それには母親が、主人に呼ばれたら必ず「ハイ」と返事をすること。
(3) 席を立ったら必ずイスを入れ、
ハキモノを脱いだら必ずそろえる子に。
という、誰にでも出来そうな易しい教えです。
これは、子供だけでなく、大人こそが率先して実践すべき事だと思う。
しかし、いざふり返ってみると、どの位実践出来ているか。
禅語にも、「脚下照顧」という言葉がある。
自分の足元を整える、わが身をふり返る。という意味のようですが、日常の生活のあらゆる場が、修行の機会となる。
難業・苦行をすることも尊いかもしれない。
まずは、自分の足元にしっかりと関心を持っていきたい。
「はきものをそろえる」
はきものをそろえると心もそろう
心がそろうとはきものもそろう
ぬぐときにそろえておくと
はくときに心がみだれない
だれかがみだしておいたら
だまってそろえておいてあげよう
そうすればきっと
世界中の人の心もそろうでしょう
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2012年7月19日(木) |
| 時が来れば花は咲く 木曜担当…西端努斗夢 |
|
私は時々、きれいに咲いた花を見て「植物は花を咲かせ、実を付けるために何か必死で努力しているのだろうか?」と思うことがあります。
必死に努力をしなくても、植物として生きていくための基本となる、土と水、光がそろっていたなら、時が来れば自然と芽が出て葉が茂り、やがて花が咲き、実を付けるような気がします。
人生も同じで、努力や頑張りも時には必要かも知れませんが、それよりも、もっと大切なのは、生きていく上での土づくりや水やりを地道に続けることと、天から降りそそがれる陽の光に感謝し、全身で受けとめることだと思います。
湧くわく本心塾での学びは、私にとって大切な土づくりのひとつです。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2012年7月18日(水) |
| 思い出 3 水曜担当…沢井淳弘 |
|
当時私は大学1年生でした。
世界の各地を旅するなんて、夢にはみても絶望的なほど不可能なことでした。
ですから、天風という人に会う前から、世界の3分の2を歩いたということで、一種の憧憬をもったことも事実です。
今のように、いつでも軽々と海外の旅に出られる時代に育った、若い人には想像もつかないくらい、当時(1963年)外国は遠かったのです。
私はその後、高校の教師の頃、大学教授になってから、数えられないくらい海外旅行をしましたが、当時は自分がそんなことができるようになろうとは、想像もできませんでした。私自身も、今では世界の3分の2を歩いたことになりました。
アメリカ、オーストラリア、NZ,カナダ、メキシコ、フランス、イタリア、アイルランドなどなど。英語の教師を46年勤めたのですから、当然かもしれません。ニュージーランドでは1年間、日本語を教えに訪問教授となって参りました。
当時の私には、天風の「運命の誦句」にあるような、「感謝と歓喜の感情」なんてものはひとかけらもありませんでした。感謝どころか、私は親の愛の薄い境涯に育ったと思って、むしろ恨んでいました。あるいは「母のない子のように」悲しい生い立ちが、誇りみたいになっていました。
歓喜などというものを味わったことなんかない、と思っていました。歓喜なんてものは、ベートーベンの「苦悩をつらぬいて歓喜にひたれ!」という言葉にでてくる抽象的ななにか、にすぎないと思っていました。その年、運よく!京都大学に現役で合格していながら、その恵まれた状況に対して感謝すらしていなかった。(バチあたりめ!)
その頃、私は体調を崩していました。それが大きな原因であったといえば、弁解になりますか?(ならないでしょう)
さらに天風の誦句には「小躍りだ!」「勇往邁進しよう!」などとありますが、私は
(バカな!)
と思いました。自分がバカ!とは気がつきませんでした。
しかし、実際の天風という人を見ると、まさに「小躍りする」ような足踏みで、かけ足をし、演壇に登るときは、「勇往邁進」という言葉のとおり、その風姿には溌剌颯爽たるものがありました。もう80歳を越えた老人の年齢なのに! それに、演壇に立つとかならずニッコリと頬笑まれるのがつねでした。ビックリです。
天風の誦句とは、自己暗示のためのものです。それらはいずれも、ポジティブな言葉でいっぱいです。
実は天風がネパールの奥地でヨーガの修行中、山のあちこちの石に刻まれている言葉に気がつき、導師の聖者カリアッパに尋ねると、それらはサンスクリット語で書かれており、英語に訳してくれたそうです。ヨーガの悟りを開いた人が、霊感的に捉えた自分の気持ちを表現したものです。たとえば、
「私は力だ!」と刻まれている。また、
「われは今、宇宙霊の中にいる!」
といったシンプルなものです。それらの言葉を、天風は記憶して帰国し、のちにそれらの言葉を核にして、自分の悟りの気持ちを表現して、自己暗示の誦句を書いたのです。ですから、天風の誦句はすべて、悟りを開いたときの心境を表現したものです。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2012年7月17日(火) |
| 「対極を知り、大局を観る」 火曜担当…坂本欣也 |
|
「対極を知り、大局を観る」は、私が心がけていることであり、「己を知り、己を語れる力が、グローバル環境で活躍できる必須条件である」と、初回のブログでお話しいたしました。
100年前の日本人で、飛び抜けた次元でそれを実践している人物がいました。「武士道」「BUSHIDO THE SOUL of JAPAN」(1900年)を著わし、国際連盟事務次長としても国際的に活躍した、新渡戸稲造氏(1862-1933年)です。
ご周知の通り、「武士道」は、日本文化や精神性を日本人以外の人々に紹介するために、英語で書かれた本です。開国後、ラフカディオ・カーンやアーネスト・サトウなど、日本に滞在した外国人が書いた日本紹介の本は多くありましたが、日本人では稀でした。もう一人有名な人では、「代表的日本人」の著者内村鑑三氏です。
不言不文であった「武士道」そのものを、氏が体系的(淵源、義、勇、仁、惻隠、礼、誠、名誉、忠義、教育訓練、克己など)に整理した内容は素晴らしいと思いました。しかしながら、私が思うこの本の最も凄い点は、日本的・東洋的概念を西洋的概念との比較から、その相違点だけでなく、むしろ共通性を探求し明らかにしたことです。
武士道の根本思想として存在する儒教思想が、日本人の元来の考え方と共通していた。故に、日本人に広く受け入れられたという説明。また、ギリシャ哲学から始まる西洋哲学の中、またキリスト教の中に、儒教との共通性を見出した説明は、とても興味深い説明です。
そうした内容と説明の仕方は、日本や東洋を知らない人々にはとても理解しやすく、共感を得、日本や東洋を身近なものに感じるようになったのだと思います。その結果、英語の他各国語にも訳されベストセラーとなりました。また当時のアメリカ大統領のルーズベルトも気に入り、友人の間にも配ったという逸話を新渡戸氏自身も語っています。
まさに、「対極を知り、大局を観る」ことを通して、「架け橋」になってくれたのだと思います。
何故それができたか?それは、氏が一つの思想哲学に偏らず、洋の東西を問わず古典や歴史に精通し、あらゆる分野において深い知識と探求心を持っていたからに他ないと思います。それは、巻末の人名索引の多さと広さを見れば明らかです。
そして、100年経った今、特にこのグローバル化時代、我々日本人が私たち自身の文化や精神を学ぶ必読書として見直されています。まさに、「修己治人」の「己」を知るための名著です。
研修の中で、私は自己を知り説明するための推薦図書を訊ねられた際に、儒教の四書:大学、論語、孟子、中庸(この順に読むのが良いと池田塾長から教えてもらいました)の他に、この「武士道」と内村鑑三の「代表的日本人」も含めお薦めしています。是非、皆さまのご参考にもなれば、幸いです。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2012年7月16日(月) |
| 【立腰瞑想道②】瞑想のすすめ 月曜担当…池田光 |
|
立腰瞑想道とは、①腰骨を立てる、②瞑想する、③善い言葉を語る、という3つのことを行うことで、本心を顕わそうとする道です。
今回は、二つめの「瞑想する」ということについて、見て行きましょう。
瞑想しよう――
①瞑想すると、三昧境を味わえる。
②瞑想すると、霊的な境地に入る。
③瞑想すると、宇宙意識となり、大いなるものと合一する。
④瞑想すると、日常の困ったことから開放される。
⑤瞑想すると、「万物一体の仁」が分かるようになり、「斯の人と与にする」の自覚ができあがる。
⑥瞑想すると、心身のなかの邪気、悪鬼、弱気を払い、積極的な精神が養成される。
⑦瞑想すると、奥から真なるものが湧き、信念が強化される。
⑧瞑想すると、命(めい)が自得され、天命を理解し、使命観が喚起される。
⑨瞑想すると、沢井淳弘先生が唱詩で述べられた、次の境地が味わえる。
「瞑想によって私は霊的な境地に入る。
私は一心の境地から三昧の境地に入る。
人間の本性は本来
宇宙の本体とひとつである。
霊的なものは、
この宇宙の中に
くまなく遍満存在している。
だから、心を空にすれば
その霊的なものといつでも結びつくのだ」
⑩お鈴やブザーを使って瞑想すると、「多心 → 一心 → 無心」へと誘われる。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2012年7月13日(金) |
| 出会いとご縁2 金曜担当…小笹正洋 |
|
「少にして学べば、則ち壮にして為すことあり。
壮にして学べば、則ち老いて衰えず。
老いて学べば、則ち死して朽ちず。」
この言葉に出会ったのが、社会人2年生位の時で、
異動してきて、私の上司になった方の机のガラスの
下に挿んであるのを見つけた。
その上司の事は今でも尊敬していますが、
そのときに、どこからの引用か聞けば良かったのに
聞きそびれ、自分で探すことにした。
「きっと、中国古典からの引用だ」
と、直感的に思った。
しかし、そう簡単には見つからない。
先ずは、論語。。。
次に、老子。。。。。
そして、菜根譚。。。。。。。
見つかりそうにない。
中国古典に関する名言集も数冊読んだ。
しかし、見つからない。
中国古典ではないのかな?
諦めきれない。
どうしても自分で探したい。
一時、そんな思いから遠ざかったある日、
見つけたぁっ!!!!
別の目的で、読書の幅を拡げようとしていた時に手に取った
「ビジネスマンが読んでおくべき101冊の本」(渡部昇一著:知的生きかた文庫)
の中で紹介されている本の中で引用されてました。
「言志四録」(佐藤一斎著:講談社学術文庫)
という本でした。
他にも、現在のような世情不安、政治経済に対する不安。
そんな中で、自らの拠って立つところについて示唆に富む内容が
沢山記載されている。
「一灯を掲げて暗夜を行く。
暗夜を憂うことなかれ。
ただ一灯を頼め。」
世の中の出来事や経済情勢等に一喜一憂することなく
自分の出来る事、やるべき事に集中することによって
世の中と関わっていく。
一人でも多くの方と、「希望」という一灯を下げて
歩んでいきたい。
金曜担当…小笹正洋
|
|
|
| 2012年7月12日(木) |
| やさしさにつつまれたなら 木曜担当…西端努斗夢 |
|
私は、昔からユーミンの歌が好きです。
特に好きなのが『やさしさに包まれたなら』という、よくCMでも使われている荒井由実時代の曲です。
やさしさに包まれたなら
小さい頃は神様がいて
不思議に夢をかなえてくれた
やさしい気持ちで目覚めた朝は
おとなになっても奇蹟はおこるよ
カーテンを開いて静かな木洩れ陽の
やさしさに包まれたならきっと
目にうつる全てのことはメッセージ
“塾の概要”にもあるように、人間には元々、本心=霊性意識が具わっていて、雑念や妄念を払えば、霊性意識の中からインスピレーションが湧いてきます。
そこで、私の推測。もしかしたらユーミンは、『やさしさに包まれたなら』で「雑念、妄念を払って霊性意識の中からインスピレーションを湧かせるためのキーワードが“やさしさに包まれる”ことで、そうするとインスピレーションをメッセージとして受け取ることができますよ」と伝えたかったのではないだろうか?
いつかユーミンと会って、このことを確認したいと思っています。
湧くわく本心塾の仲間に囲まれると、やさしさに包まれた気分になれるから不思議です。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2012年7月11日(水) |
| 思い出 2 水曜担当…沢井淳弘 |
|
天風先生の「自己暗示のための誦句」をはじめて見たのは、この伯母のマンションの一室でした。この伯母が大阪で服飾デザイナーをしていたことは、前に述べました。この誦句以外に、先生についての予備知識はほとんどゼロでした。
その誦句とは、
「運命の誦句」
と題されていて、伯母の自筆なのです。
およそ宇宙の神霊は
人間の感謝と歓喜という感情で
その通路を開かれると同時に、
人の生命の上に迸り出ようと、待ち構えている。
だから――
平素できるだけ感謝と歓喜の感情をより多くもてば、
宇宙霊の与え給う最高のものを
受け取ることができるのである。
かるが故に――
どんなことがあっても、私は喜びだ!
感謝だ!
笑いだ!
小躍りだ!
と、勇ましく溌剌と、人生の一切に勇往邁進しよう!
この詩らしきものを見て、私はショックを受けました。それまで薄暗い現代詩を読んできた私には、真逆の世界でした。萩原朔太郎、室生犀星、北原白秋など、受験の前に読んでいたわけですから、詩と言うものはなにか、淋しい、悲しい、暗い感情を表現するものと思いこんでいたわけです。それに対して、天風の誦句は、眩しいくらいに明るく、肯定的でした。
(こんな世界もあるもんだ)
と私がいぶかしげに見ていると、伯母は私の耳に囁きました。
「天風先生という人は、世界の3分の2を歩いたのよ」
そして、伯母はつけくわえて言いました。
「天風先生は、ほんとうに悟りを開いた、すごーい人」
(ウソ! 悟りを開いた人なんてこの現代にいるもんか)
と、私は思いました。そのウソをあばいてやろう、という意地悪な下心もすこしあって、次の日の朝、伯母のすすめる修練会にでかけたのです。夏の修練会は7月のおわりころの土用の夏のまっさかりで2週間続くのです。
朝から太陽がガンガン照りつけていました。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2012年7月10日(火) |
| 本心からのメッセージ 火曜担当…坂本欣也 |
|
前回のブログで、私は過去20年間、グローバル教育・異文化教育にたずさわってきましたと自己紹介しましたが、今回はそのキッカケとなった不思議な体験を少しさせていただきたいと思います。
私は奈良県橿原市、橿原神宮の近くに生まれ育ちました。明日香村にも近く、「飛鳥」は小さなころからの遊び場でした。飛鳥川で川遊びをし、れんげ畑で寝転がって遊び、冬の田んぼで凧揚げをしたりして育ちました。
小学校6年生の歴史の教科書で、飛鳥時代を勉強していた時、「渡来人」という言葉を見た時、電気が走ったような衝撃を受けました。渡来人とは、ご存じの通り、朝鮮半島から渡ってきた人々を指す言葉ですが、「何故、こんな内陸の田舎の地に、海外から人がやってきたのか!?」と私の小さな頭がパニック状態になりました。海外とこの内陸の田舎が全く結びつかなかったのです。
しかし、次の瞬間、私のイマジネーションは、飛鳥を飛び出し、奈良~京都を越え、中国山地を越え、島根県に渡り、海岸に出て日本海を渡り、朝鮮半島まで渡っていきました。それは、小型飛行機の下に搭載したカメラから見るような風景でした。
私の両親も飛鳥と天の香久山の麓で生まれ育ちました。私の先祖が渡来人だったかどうかは不明ですが。私は直感的にそんな気がしました。
今思うと、私の「本心」が、その「渡来人」という言葉に呼び覚まされ、内陸の田舎の、海外と全く無縁だった私を、一瞬にして海外と結び付けてくれたのだと思います。実際に初めて海外(カナダ)に行くまで、それから8年かかるわけですが、その本心は消えることなく私を進ませてくれ、最終的には今の私の仕事・ライフワークにつながってきたのです。異文化、海外、グローバル、というテーマはそれからいっさいブレませんでした。
このように、「本心」はいろんなことを私たちに教えてくれていると思います。子供の頃は、素直な状態で本心のメッセージが聞こえて来やすいのだと思います。
しかし、大人になってくると、心に埃や垢などいろんなものが積もってきて、本心からのメッセージが聞こえづらくなって来るのではないかと思います。なので、常に心を磨き、埃や垢をとり、~洗心~、ある意味子供のような素直な心、また泰然自若の状態におけるような自分を創る努力が必要だと思います。
私は、その学びを、この湧くわく本心塾で、同志の皆さんと続けて行ければと願っています。
火曜担当…坂本欣也
|
|
|
| 2012年7月9日(月) |
| 【立腰瞑想道①】立腰のすすめ 月曜担当…池田光 |
|
修己治人――自分を修養して徳を積み、世を治めていくことと一般的に定義されています。
この言葉を私が定義するならば、
「修己治人とは、自らを修養して本心を顕わし、一隅を照らすこと」
となります。
ポイントは、修己です。
修己とは、自分の気質を清くすることです。気質を清くすることで、生来的に備わっている本心を顕わすことです。
そのためには、①腰骨を立てる、②瞑想する、③善い言葉を語る、という3つのことが効果的です。
今回は、まず、腰骨を立てるということを見て行きましょう。
腰骨を立てよう――
①腰骨を立てると、礼の基礎ができあがる。
②腰骨を立てると、姿勢の基本ができ、立ち居振る舞いが美しくなる。
③腰骨を立てると、人生に真っ直ぐに通った腰骨ができる。
④腰骨を立てると、なにごとにも敏感に対応することができ、「はい」と返事を返すことができる。
⑤腰骨を立てると、次の十の功徳がある、と森信三氏は言っている。
やる気がおこる、集中力がでる、持続力がつく、頭脳(あたま)が冴える、勉強が楽しくなる、成績もよくなる、行動が俊敏になる、バランス感覚が鋭くなる、内臓の働きがよくなる、スタイルがよくなる
一週間後の次回は、「瞑想する」ことについて触れたいと思います。
月曜担当…池田光
|
|
|
| 2012年7月6日(金) |
| 出会いとご縁 金曜担当…小笹正洋 |
|
はじめまして、事務局の小笹正洋(おざさ まさひろ)です。
最初に、私と塾との関わりの経緯を語りたいと思います。
29歳の時に、ある事で意気消沈し、その発奮の為に自己啓発の書物を貪るように読んでいた時に、多くの先哲・偉人の方々の名前を知る機会となりましたが、その中に「中村天風」という名前も知る事が出来ました。
そのときの中村天風先生の印象は、積極的な思考の教えをされているという程度の事しか知らず、やんちゃで、かっこいい人だなあという印象しか無かったのですが、妙なもので、それ以来何かにつけて、「中村天風」という名前が目に入るようになり、「成功の実現」という書物を図書館で借りて読み、欲しくて欲しくてたまらなくなり、結局購入しました(結構高額な本です)。
33歳の頃、当時岡山で勤務していた際に、書店でたまたま、池田光先生(塾長)の著書である「中村天風 自分に「奇跡」を起こせ!」との出会いがあり、大いに感銘を受けました。
大阪に転勤となった後の41歳の時に、縁あって参加した読書会にて知り合った戒田さんから、池田光先生主催の本心庵大阪茶話会という勉強会の存在を知らされ、その場で参加の返事を致しました。
月日の経過で、肉体は新陳代謝でどんどん生まれ変わっていきますが、心というものは大したもので、しっかりと33歳当時の思いが残っておりました。
茶話会での勉強会の中で、中村天風先生の直弟子である沢井淳弘先生(学監)より、天風式の瞑想と誦句(唱詩)についてご教示頂く機会にも恵まれました。
茶話会には新旧のメンバーが入り混じって、楽しく学び語らい合わせて頂き、以降も継続して参加させて頂いておりました。
そういった最中に、多くの犠牲者を出した3.11の東日本大震災が発生。
その年のある夏の日に、池田光先生よりこの度の塾の発足にかける思いを聞かせて頂き、塾発足に向けての協力要請に、迷い無く承諾をさせて頂きました。
人生には上り坂もあれば、下り坂もありますが、今回のお申し出は私にとっては「まさか」の坂でした。
発足に際して、池田光先生より
「小笹さんの一番信頼できる人にも手伝って貰いたい」
との相談を受けた時に、即座に坂本欣也さん(副事務局長)の顔が浮かびました。
坂本さんとの出会いは、軌跡の出会いからのスタートでした。
このお話しは、また後日に致します。
こうした本との出会いや、人とのご縁を通じて、ここまでたどり着いたんだなあという感があります。
人は自分の見えているものしか認識していない。
しかし、見えないものも存在している。
昼間の空の星のように。
人と人の出会いの可能性も、そういうものかも知れませんね。
私自身は、テキパキよりも、コツコツが信条です。
湧くわく本心塾の活動は、上に花を咲かせるよりも、下にしっかりと根を張っていく。
そうしていく事が、設立の大義を全う出来るものだと確信しております。
年齢・性別・職業・国籍等を超えて、多様な方々にご参加頂き、「互師互弟」の精神で多くのことを学び合い、気付き合いたいと思っております。
そうする事で、各々が属する世の中の一角の活性化の一助になっていく。
そう望んでおります。
最後までご覧頂きまして、有り難うございました。
金曜担当…小笹 正洋
|
|
|
| 2012年7月5日(木) |
| 一隅を照らす 木曜担当…西端努斗夢 |
|
私の好きな詩のひとつに元住友本社常務理事・田中良雄さんの「私の願い」があります。
生き方に迷った時や自分の無力さに落ち込んだ時など、折りに触れてこの詩を読み返すと、不思議なことに元気が湧いてくるのです。
私の願い
一隅を照らすもので私はありたい
私の受け持つ一隅が
どんなに小さいみじめな
はなかいものであっても
悪びれず
ひるまず
いつもほのかに
照らしていきたい
湧くわく本心塾の活動のひとつに、「一隅を照らす人づくり」があります。自分の受け持った一隅をいつもほのかに照らしていける人間になりたくて、私は湧くわく本心塾の門を叩きました。
木曜担当…西端努斗夢
|
|
|
| 2012年7月4日(水) |
| 思い出 水曜担当…沢井淳弘 |
|
天風先生をはじめて見た時の印象は、その耳の大きさでした。異相ともいうべき、そして抜きんでた美男でした。当時東大の学生だった安武さんと言う人は、はじめて先生を見た時、
「なんという美男子だ!この人は俳優ではあるまいか」
と思った、とよく話をされました。私は同感でした。この安武さんは、天風の跡を継いだ人で、たいへんな秀才で、英文科に学び英米の文学を読んだひとですが、ヨーロッパの主要な哲学(カント、ヘーゲル、サルトル)を天風哲学の立場から論じた素晴らしい、ユニークなエッセイがあります。安武さんは二代目天風会会長です。
私が天風の教えを直接学ぶようになったのは、私が大学1年生の18歳の夏の修練会で、当時先生は80歳でした。天風は
「私は体力で、健康な20代の青年に負けないよ」
と平然と言われたのですが、それを疑う人はいませんでした。たしかに20代の青年より先生の方が元気で逞しく、老人とは思えぬ迫力があったからです。
大きな耳――それが先生を耳に聡い人という印象を与えていました。その自分の耳について、天風はつぎのような話をしました。
「私の耳はね、モンゴル耳といって、大きいんだけど、メガネをかけられないんだよ。メガネをかけると、パラッと耳が倒れてしまう。それで、私は鼻メガネをかけているんでね、伊達や気取ってやってるんじゃないよ」
それにしても、私は70年を越える年齢でも、天風先生のように大きな耳をして、鼻メガネをかけているひとなんて見たことがありません。異相というのはそういうことです。先生の鼻メガネは銀のフレームで、時々はずされていましたから、あれはたぶん老眼のめがねだと思います。メガネをかけた天風は日本人離れしていました。まるでヨーロッパのどこかの国の偉い学者のように見えました。
たしかに天風にはすぐれた学者の面がありましたが(博覧強記で)、それ以上に経歴(軍事探偵とか)が示すように武道家であり、侍であり、行動家で、血の気の多いひとでした。人々の健康と幸福を願って「天風会」という仕事をはじめられてから、健康法の本などは書かず、弟子の一人ひとりの健康を願い、強い愛情で思う事の方が多かったのでしょう。周囲の人が天風に本を書いてくれと、強い希望をよせつづけたので、しかたなく本を書きましたが、安武さんなんかが校正したりして、結果としては7冊もの本を書きました。しかし、ぜんぶ非売品でした。会員のためにだけ売っていたのです。ですから、天風はずっと世間には知られない人でした。
私に天風を勧めたのは、大阪の私の伯母さんでした。伯母さんは沢井サトという名前で、大阪の阪急百貨店で服飾デザイナーをしていました。職業柄か、とてもおしゃれな華やかな人で、私が大阪にいくと、
「アッちゃん(私の呼び名)、あんたはもっさいなー、その格好なんやねん?」
と溜息をつき、洋服屋に連れて行き、背広やシャツを買ってくれたものです。当時の私がもっと嬉しかったのは、おいしい料理屋へ連れて行ってくれることでした。それほど、着るものより、食い物のほうに意地がはっていたのです。そういう時代でした。宗右衛門町の高級料亭につれていってくれたこもあります。宗右衛門町は、今と違ってもっと落ち着いた老舗がならんでいるようなところでしたね。
そんな伯母も今はこの世にいません。それで去年1年間「カーネーション」というテレビの朝ドラをかならず見ました。主人公のデザイナーである小原糸子は、伯母の世代で、とても似ているんです。懐かしくて、かならず見ました。
この伯母のマンションが心斎橋の裏にあって、そこに泊まって私は天風会の修練会へ通ったものです。はじめて行ったときは大宝小学校でした。堂島小学校、曽根崎小学校でも修練会や講演会が行われました。それで、私は学生時代、大阪にでかけることは多かったようです。
水曜担当…沢井淳弘
|
|
|
| 2012年7月3日(火) |
| 「湧くわく本心塾」への想い
火曜担当…坂本欣也 |
|
まずは自己紹介を兼ねまして、私が本塾に関わらせていただくようになった背景とキッカケ、現在の想いをお話したいと思います。
私は、グローバル人材育成のための企業研修に、過去20年間一貫して取り組んでいます。途中7年間(97~04年)はアメリカに滞在。大学院で「多文化環境におけるマネジメント学」を研究し、卒業後はアメリカにてアメリカ人ビジネスマン向けに「日本人と効果的に仕事をする方法」を教えました。2004年末に日本に帰国、以降日本企業を中心に「グローバル人財として活躍する方法」を日本人・外国人に企業研修とコンサルティングを行っています。
結論から申し上げますと、グローバル人財の重要要素に、「自分を知る」を、私はまず挙げます。グローバル化というと、「郷に入れば郷に従え」で、活動する現地国の文化や言語を学び現地に適合していく事というイメージが強いですが、本塾の趣旨の一つである「修己治人」でいうところの「己」をまず知ることが最重要だと思っています。「己を知らない、己を語れない人は、グローバル環境では通用しない」が、私が経験から学んだ信念です。
「日本人とは何者なのか?」「日本人はどのようにしてできてきたのか?」「今後グローバル社会の中で日本人はどのようにすれば良いのか?」という命題は、母国を離れ海外で生活し仕事をしていくうえでの根本問題であり、自分軸を成す核心です。
元々歴史好きの私でしたが、アメリカに居る頃は、更に日本の歴史や宗教・思想を自分なりに勉強し、その中で培ったエッセンスを整理・体系化し、日系企業で働いている現地社員や日系企業を相手にビジネスをしている外国人ビジネスマンに研修を通して伝えました。
日本人の仕事の仕方、コミュニケーションの取り方、会議の進め方、意思決定の仕方などについて、疑問やフラストレーションを持っていた外国人は、日本人の言動の背景にある文化・歴史背景を理解することで、スッキリとした表情になり、建設的な議論ができるようになってくれました。
そして帰国後も、儒教、仏教、神道などを中心に、自分なりに勉強してきましたが、勉強すればするほど知らないことが見つかり、更に深く探求したいという興味は募るばかりでした。
そんな中、2011年秋に頂いたのが、「池田光先生と塾を発足するので、手伝って頂けないか?」という小笹さん(現事務局長)からのお誘いでした。それまで公私にわたり交流(盃)を重ね、その博識の幅と深さに敬服していた小笹さんからのお誘いに、魂がワクワク踊りました。
その後、直ぐに池田光先生とお会いし、塾の趣旨や構想をお聞きし、「これは単なる勉強会ではなく、社会に大きな意味をもたらす活動である」と、池田塾長の大志が肚に落ちました。そして、副事務局長という大役を戴き、微力ながら運営をお手伝いさせていただくこととなりました。
2月に数名で発足した塾ですが、中心講座である「潜学講座」が6月で4回目を終え、登録塾生数も30名を越えるようになりました。毎回、講座は和気藹々とした雰囲気の中にも真剣な議論が起こる素晴らしい学びの場で、知的好奇心が最大限に刺激されます。
様々な事柄を、様々な経験背景を持つ方々と共に学び合うことで、まずは自分自身に、生きる国に、生きる世界に対し、自信と誇りが持てるための精神的基盤を構築していけるこの学びの場を、これからも大切に同志と一緒に育てていきたいと思っています。
「対極を知り、大局を観る」
坂本欣也
|
|
|
| 2012年7月2日(月) |
| 「湧くわく本心塾」の設立にあたって 月曜担当…池田光 |
|
2011年3月――。私(池田)は、かねてから準備していた『渋沢栄一 逆境を生き抜く言葉』(イースト・プレス)を執筆するために、須磨の個人事務所に泊り込んでいました。
11日、テレビをつけた私の目に飛び込んできたのは、リアルタイムで押し寄せているつなみの脅威でした。14日あたりからは、原発事故の報道に目を奪われていました。
こうした報道を横目で見ながら、私は政界、財界のリーダーたちが社会正義のうえに立った行動をしていないと義憤を感じていました。なぜ、情報を隠蔽するのか。情報公開が人災を最小限にするのに、このような危機に際して、なおも保身に走っているのではないか。
書きかけの渋沢栄一の本に、私は社会正義の観点を盛り込み始めました。渋沢栄一は明治初期に活躍した民間経済人の指導者で、わが国に「株式会社」を導入しました。また、彼は企業道徳を説き、「論語」を経営の指針にすることを提言しました。
つまり、わが国の資本主義の起点において、渋沢栄一は「企業道徳」を説き、「社会正義」を訴えたのです。これは真に誇るべきことです。しかるに、現在の財界のリーダーたちは、自分たちの組織を守ることに汲々とし、社会正義の意識は見られません。
なぜ、このような道徳心の欠如したリーダーが、社会の公器たる企業を運営しているのか。結局、この日本を潰すのは、「社会正義を忘れた心」ではないか。
そう思うと、儒教が教える「修己治人――自分を修養して徳を積み、世を治めていく」というあり方が、今こそ必要だと切実に思い、昨年8月、事務局長の小笹さんにこの思いを告げました。
小笹さんは、「士は己を知る者のために死す」と短く答えると、献身的に「湧くわく本心塾」の準備活動を始めてくれました。こうして早々に現在の役員陣を固め、今年3月から「潜学講座」を開始しました。
湧くわく本心塾のリーフレットに、私は、次の言葉を寄せました。この言葉が私の思いの核にあります。
「今ほど修己治人の学が求められている時代はありません。終戦によって伝統的な文化は寸断され、己を修めんとする修養も忘れ去られました。ここに現在のリーダー不在の要因があります。およそ、人と世を良くしようと志すなら、まずは自らの修養に注力しなくてはなりません。次代を担う方々とともに切磋いたしたく本塾を始めることにしました。ともに歩みたく思います」(リーフレットより)と。
同時に私は、本塾最高顧問の今西氏にお願いして、自らの修養のために、長岡禅塾で坐禅を毎月させていただくようになりました。他方で、伊與田覺先生が率いるNPO法人論語普及会に入会し、修己治人の学を深めることにしました。
非才ではありますが、やむにやまれぬ思いで、「湧くわく本心塾」を立ち上げました。この思いを共有する同志と共に、一隅を照らして行きたいと思います。
月曜担当…池田光
|
|
|