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 湧くわく本心塾とは

湧くわく本心塾は、互師互弟で、志を高め合おうとする集まりです。
儒教や天風哲学などの教えをベースに、さまざまな先哲の叡智に共通する真理を学び、また実生活で実践することで、塾生一人ひとりが自らの人間力を向上させていきます。
そして、各自がそれぞれの持ち場で「一隅を照らす人」となっていただき、
また「一隅を照らす人づくり」を行うことを目的としています。


 トピックス

■湧くわく本心塾第6期休講と六然講座のご案内
■照隅ライブラリー第4弾『ブッダの言葉 ~最古の原始仏典「アッタカヴァッガ」を読む~』 発売
■湧くわく通信第3号発刊
■湧くわく本心塾in多治見 開催
■佐々木奘堂先生の「お話と坐禅会」開催
■若宮幾馬 著 「『詩経』と中国古典」発売!
 
■湧くわく通信 第1号発刊  テーマ「中村天風」
 
■照隅ライブラリー第2弾『論語 人間を磨く言葉』発売!
■湧くわく本心塾@名古屋開催
■『天風哲学の基本と実践 わが師中村天風に学んだ心身統一法』発売
■CD『中村天風から教わったお鈴・ブザーを使う瞑想法』発売


 わくわくブログ

【担当】 月曜…池田光、火曜…柿原まゆみ、水曜…冨樫功、木曜…西端努斗夢、土曜…佐々木秀彦、日曜…八木正典



2016年4月1日~2017年3月31日

2015年4月1日~2016年3月31日

2014年4月1日~2015年3月31日

2012年7月2日~2014年3月31日

    

2017年5月27日(土)
空感                          土曜担当…佐々木秀

僕達は呼吸をしています。
酸素を吸って2酸化炭素を吐いていると小学校の理科で習った記憶があります。
この空気には本当にさまざまな物質が存在しているようで、おそらく科学的には解明されているのは、ほんの1分でしかないことでしょう。

僕は不動産屋なので、街の雰囲気には意識を強くもって感じるようにしております。たしかに元気な雰囲気を感じる街とそうでない街とがあるような気がします。
そしてその街の歴史についても、出来る範囲で調べるようにしております。街のもつ歴史的な紆余曲折は現状の雰囲気に大きな影響を及ぼしているとも強く感じます。

大阪の街は、淡路島のすぐ近くにあります。国生み神話のおのころ島のすぐ横という立地です。江戸期以降の経済の都、明治維新前後の国際都市として役割、そして現在。どうやら500年スパンで考えると、今後も重要な役割を果たすであろう街だと推測できます。
京都も奈良も神戸も、福岡も神奈川も、そういう意味では永遠に大きな役割を果たす街なのでしょう。

山に登れば樹々の匂いがします、花の匂いがします、岩の匂いがします。鼻腔で生物学的に感じる香りではなく、樹々の放つパワーを感じる何かを今は匂いと表現しておきます。海へ行けば海の匂いがします。人間からもそれぞれ、その人の匂いがします。その山地水明の匂いとそこに生活する人々の匂いが混じりあって、さらに歴史の匂いもブレンドされて街の匂いが形成されるのだなと僕は感じます。

お風呂の中など水中で少し動けば、水流が起こるのを感じます。空気中を動けば同じように気流が起こっているはずです。中村天風師は、『神人瞑合』の中で神を『目に見えない気体』だと表現していらっしゃいました。風となれば空気を感じることはできますが、もっともっと細やかな気の流れを僕たちは常に作り続けていることを自覚することで、その空感を感じやすくなるのかもしれません。一燈照隅というのはそういうことだと、今、感じております。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年5月25日(木)
努力家と天才                     木曜担当…西端努斗夢

 山に登る時、頑張って坂道を進み、ようやく頂上にたどり着くのが努力家。
 途中の風景や仲間とのおしゃべりを楽しみながら坂道を進み、気がついたら頂上にたどり着いていたのが天才。
 誰もが努力家にも天才にもなれるのです。天才は天から才能を与えられた人ではありません。
 そして、努力家と天才のどちらを選ぶかも自分次第なのです。

木曜担当…西端努斗夢



2017年5月23日(火)
フランス人は年をとるほど美しい          火曜担当…柿原まゆみ

パリのマダムのセンスある着こなしを紹介する本やライススタイル、
生き方のお手本となる本がたくさん出ています。

Dora Tauzin著
「フランス人は年をとるほど美しい」は共感できること
真似したくなることが沢山書いています。


女はボルドーワインと同じ。
時間を経て美味しくなる。


年をとるほど美しい
年を散るほど楽しい
年をとるほど自由になる
年をとるほど経験が増える
年をとるほど可能性が増える
といいことしか起こらない。



人生を楽しむことは
・美味しいものを食べる
・旅をすること、恋をすること
・明日ではなく、今を大切にすること
・自分らしく生きること



自分らしく生きると言うことは年齢に関係なくやりたいことをやって
自由気ままに生きること。同時にNONと言えることも大切ね。
そうするとどんどん自身がついてきてオーラが出る。だから
若々しく美しくなる。


今まで年齢を気にし過ぎていました。
そして、年齢を重ねるごとに
「出来ません」「やれません」「無理です」を言わないように
してきました。

わがままも言ったことが無く、自分が折れれば
自分が我慢すればいいと
自己犠牲をすればすべてうまくいくと思い込んでいたように思います。

もう少しはわがままや出来ないといってもよいかなと
思っています。                                                                        

本の中に
花束を買って帰る と書いていたので


特別な日でないですが花を買いました。


眺めているだけで癒されます。
気分転換になり1輪でもお花を飾りめでることで
お部屋が華やぎ、豊かな気持ちになります。
おススメです。

火曜担当…柿原まゆみ



2017年5月22日(月)
無題                           月曜担当…池田光

昨日の日曜日に、古いノートを整理していました。
30代前半の頃のノートには、漠然としたぼくの目標が書かれていました。

■昭和63年2月某日(32歳)
ぼくの目標……三か条
① 自分の好きなことをやる。
② それで生活が成り立つ。
③ それが他人から高く評価される。

(注)この三か条を書いたときから、30年ほど経つ。
今のぼくは、好きなことをやれているだろうか?
それで生活は成り立っているか?
人から評価されているか?
少しは達成したように感じるが、そうでもないようにも思う。

ノートを繰っていくと、三か条を記してから約1年9か月後に、その頃の悩みが書かれていました。
この頃、ぼくは企業内企業のトップとして、4名の部下とともに経営コンサルティング会社を立ち上げ、経営初心者となっていたのです。

■平成元年11月某日(34歳)
東京に出張する。
副社長と合流。
予約していたホテルをキャンセルし、副社長宅で泊まる。
副社長と深夜まで、仕事から生き方に及ぶ話をした。
「この人の為なら~」という気になり、会社を辞められない。
副社長からも「池田が会社を辞めることほど悲しいことはない」と言われた。
また、立ち上げたばかりの経営コンサルティング会社には反対とのこと。
ぼくには、政策面に関した働きを望んでいるとのこと。
今後、どうすべきか?

(注)企業内企業の経営者に抜擢してくれたのは社長だったが、副社長はこれには反対の立場だったようだ。
当時、副社長は経営企画室を管轄しており、数年前のぼくは副社長の直属の部下で、中長期経営計画を策定するメンバーの一人だった。
この日、ぼくは会社を辞めるという選択肢について話したのだろうと思う。

■平成元年12月某日(34歳)
モヤモヤした気分。
ここに集中するという「一点」がない。

気がかりなこと。
① 独立
② コンサルティング事業
③ 副社長
④ もう一歩そなわっていない実力
⑤ これというものがない。焦点が絞れないこと。

こういう時は、自己の成長を図ることに努め、事を起こさぬが花だ。
読書せよ。
己のせっかちさ、気短さが、内なる原因である。

(注)それから4年後に、ぼくは38歳で独立した。
というのは、辞める半年前に、副社長から人事異動の話があり、ぼくにとっては願ってもない栄転であったが、この話を受けると永遠に会社を辞められないだろう、副社長を支え続けなければならないだろうとの判断が働いた。
そして辞めることに決めたが、副社長から「あと半年、俺の傍に居れ」と言われ、彼の執務室の横にデスクを置かれて、辞めてから出す原稿などを書いていた。
副社長は、執務室ではなく、ほとんど副社長室に居たので、気兼ねすることなく自由に原稿を書けたのだ。

ぼくの30代は、このように悶々とした毎日でした。というのも、独立しても社会で通用するのか自信がなかったからです。
しかし40代になると、次々と幸運が訪れて、みるみる霧が晴れていくようでした。
そして僕が50代になった頃、副社長は亡くなりました。

月曜担当…池田光



2017年5月21日(日)
「自分の目」                      日曜担当…八木正典

あなたは兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。(・・・)
まずは自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。 (マタイの福音書)


自分の目に映るものは自分の意識の反映であると言います。人は自分の見たいものしかみないし、周りに現れるものは自分の心をすべて映している。もし仮にそうであるのであれば、自分の意識を明瞭に澄んだものにしていけば、すべては真善美の意識として生み出されることになるはずなのです。
自分の意識を磨き続ける気持ちだけは常に持ち続けていきたいと思うのです。

日曜担当…八木正典



2017年5月20日(土)
理科                           土曜担当…佐々木秀彦

中村天風師は肺結核となり、治療法求めて世界中を駆け巡りました。そしてインドで治癒することが出来ました。

4月17日の池田塾長のブログを読んで、どうしても読みたくて、無理を言って購入させていただいた本心庵から出版された七田眞著「生きてきた道」に記載されていた本文のまま引用します。
『…その本には人類病死の原因は、蛋白質の余剰摂取にあるとしてあったのだ。人は食事をする。その余剰の蛋白質が血液内にあって、それが病菌を養う原因になっている。だから蛋白質を摂取するのを絶てばいいという理論なのである。この上なくシンプルなのが気に入った。つまり、断食して病菌を養う兵糧を絶てばよいということだ。ただ、この本の他の断食療法と違うのは、蛋白質が病菌を養うのだから、野菜類はとっていいという点である。それにプラスして免疫鉄を摂ることがすすめてあった…』

「生きてきた道」という題そのままに自叙伝です。七田眞氏は健康優良児で育ったのですが、20代で結核を患い医師からもう後1~2カ月だと余命宣告され、医学に見放されたと感じた頃の記述です。幼児教育で有名な七田チャイルドアカデミーの創始者の七田眞氏が結核を患った時、七田氏は本にその解決方法を求めました。読書家を豪語されていらっしゃる方です。とにかく凄まじい数の本を読まれてやっと気に入ったのが「その本」だったと推測できます。

『私の生き方は、まず疑問をもち、その解答を見つけたら素直に信じ、早速実行に移すことに原点がある。これに従った。』
…即日から病床から立ち、山歩きを始める、野草を摂って青汁にして飲む、五穀は良いから食べる、筋肉を鍛えるのが良いとあるので筋肉を鍛えはじめた…
この記述を見て、僕は中村天風師がインドでやった生活と同じだと感じました。瞑想はしませんが、自分が完治する姿を常に具体的にイメージしていたことも記述にあります。何より上記の記述は絶対積極の定義そのままです。

渡航許可が下りないため密航してまでアメリカへ渡り、英、仏、独、そしてインドと渡り歩いた中村天風師の海外渡航決意のきっかけも1冊の本だったはずです。七田氏も1冊の本から、結核治癒を成し遂げました。

『…私が死ぬ気がなく、大きな夢を持ち、生きる気力を持っていたことが、そのような夢が出てくる原因になったのであろうか…』病床に臥せって、『うつつの夢の中である時奇妙な体験をした』という記述で、見た夢が、七田氏の行動の大きな原動力になっていたこともしっかり提示されております。眠っているときにみる夢の啓示性、自分が意図的に描く夢、この両方の夢が心に大きな栄養になることも、本文の中いたるところで具体的なエピソードが記されておりました。

理科としての正しい理論を現実生活で実践するとき『夢』が必要不可欠であって、この『夢』を素直に信じ『理論』に従って実行すれば、人間が人間らしい生き方となるのだと感じさせていただけた本でした。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年5月18日(木)
魔法使いの杖                     木曜担当…西端努斗夢

 魔法使いは、手にした杖を振りかざして魔法をかけますが、杖を無くすと魔法も使えなくなります。
 ということは、杖に魔法をかける力があるのでしょうか?
 私は違うと思います。魔法使いがかける魔法ぐらいの力は誰の心にもあるのです。杖は、心が持つ力を引き出す道具にすぎません。

 皆さんは杖をお持ちでしょうか? 私は……

木曜担当…西端努斗夢



2017年5月17日(水)
人間の器の差                      水曜担当…冨樫功

先日、近隣の同業の方がうちの店に食べに来られました。

お互い同じくらいの時期に開業したのですが、
3年ほどの間、お互いの店を一度も行き来したことがありませんでした。

しかし、雑誌やテレビなどでも紹介されるはやりの店になっているため、
個人的に店主の顔は認識していたのです。

その方が、来られた瞬間にあの店の店主だと思いました。

でも、まったく普通のお客様として対応し、
特に特別な言葉はお互い交わさないままで終わってしまいました。

本当は、すぐに声をかければよかったんですね。

はじめに驚いた気持ちの方が勝ってしまって、
話すきっかけを失ってしまいました。


この話をフェイスブックに書いたら、
こんな話を教えてくれる人がおられました。


天ぷら職人の早乙女哲哉さんという方がテレビに出られたときの話です。


以下、少し引用します。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

30年来のシェフの友人がお店をたたんでしまって、
挨拶に来たところが映っていました。

ほとんど何も、二人とも話されていず、
早乙女哲哉さんは天ぷらを揚げるだけ、
友人は黙々と食べられているだけでした。

そのシーンを見て、早乙女哲哉さんという方は、
本当に心の優しい方なんだな~と痛感しました。

何も話されていませんでしたが、
そのお二人の間には、
言葉が飛び交ってるように私の目には映りました。


引用元:早乙女哲哉(天ぷら)のみかわ是山居の場所は?名言や本!

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

無言の会話。

同じ無言での会話でも、自分たちと、
早乙女さんたちでは内容が全く違いますね。

早乙女さんの話からは、
30年ごくろうさまの気持ちを料理に込めた心が伝わってきます。


それに比べて自分は、
変に構えて警戒してしまったのです。                                   

相変わらずの人間の小ささですが、
こんな自分もまあしょうがないかな、と思います。

水曜担当…冨樫功



2017年5月16日(火)
感動・感激が心を柔らかくする           火曜担当…柿原まゆみ

人間の進歩と言うものは感動から始まる。
偉大な発明発見でも、あるいは語りでもそうです。
みんな感動がないといけない。

感動したり感激したりするには心を柔らかくすることです。
問題意識の深さと感受性の高さが心を柔軟にします。

感動や感激によって人は生まれ変われる。

『安岡正篤 運命を思い通りに変える言葉』より



安岡先生の教えである
『感動』『感激』が心を柔らかくするは
さまざまなことがつながりました。                                                         
感受性・感性を磨けば気付く力や創造する力・
気配り、心配りができてくるので
成長につながるのだと思います。


毎日の生活の中で感動
出来きることもあれば、
映画や絵画鑑賞、音楽、読書、
旅行などは
大きな感動につながります。


映画も絵画・音楽・旅行も
「時間ができたら行こう」
「いつかいってみよう」と
思っていたら実現できません。


映画・・・公開終了
絵画・・・開催終了
音楽・・・行きたいコンサートのチケットが取れない
旅行・・・一緒に行ける人がいない。体力がないから無理!


などタイミングを逃してしまいます。
思い立ったら吉日。「観たい」「行きたい」と書くか
言葉にすると思っている以上に行けます。
昨年1年間やりたいことリスト100を書いて
65%達成できました。

やれる、やれないと考える前に書きました。

・イタリアの美術館に行きたい
・台湾の故宮博物院に行きたい
・ミュージカル「アラジン」が観たい 
 
など書いた時は実現するかなぁ~
と思っていましたが実現しました。


2017年も100個書き出しています。
感動感激の機会を増やして成長していきたいです。

火曜担当…柿原まゆみ



2017年5月15日(月)
無題                           月曜担当…池田光




ゴールデンウィーク中はどこにも出かけず、家族もいなくて、一人で過ごしていました。

そこで、この機会に書庫の整理をすることにしました。
関連書や全集をバラバラに置いていたので、なるべく一つにまとめました。
こうして数日かけて片付けたのですが、写真は整理を終えたアフターの状態です。
とはいえ、床には本がまだまだ雑然と置かれております。

以前は、通路が極度に狭くなっていて、ごみ屋敷のように完全に通路が潰れているコーナーもありました。
とにかく本を探索できない死蔵の状態だったので、何とかしないといけないと思いつつ、十年ほど放置していたのでした。

ちなみに書庫の本は、全体の半分ほどです。
書庫以外にも床に積みあげている本がどの部屋にもあるので、これらも何とかしたいと思っています。
ともあれ、書庫の整理によって、①仕事部屋、②書斎、③書庫と、家庭内活動エリアが広がりました。ずっと家にこもっているぼくにとっては、エリア拡大はありがたいことです。

月曜担当…池田光



2017年5月14日(日)
「意志」                          日曜担当…八木正典

人の心は気勢に発し、これより智識と感情を打出して意志に達するが、この「意志」こそ地物只然性の上に立てる人間意志性として人の人たる標徴となる。
気に発し智と情とを結んで出て来る意であり、意志こそ人の人たる特徴であり、人が生き行くと言うは意志が生きていくと言ってもよかろう。 (作田壮一)

最近紹介されたり、何かしらのタイミングで出会う書籍は、人の心の在り方を問うているものが多いです。池田光先生にご紹介いただいた中村春二の「心の力」も心の偉大な力が余すことなく伝えられておりますし、前述の作田壮一さんの書かれた「道の言葉」も意志の力が根本であると説明されており興味を持って読ませていただいております。
自分の目指すべき道に強い意志の力をもって進めているのか、「自ら省みて縮くんば千万人と雖も我行かん」の気持ちを持ち続けることが出来ているのか日々考えて行動していきたいと感じております。

日曜担当…八木正典



2017年5月13日(土)
藹然                           土曜担当…佐々木秀彦

『春風(しゅんぷう)を以て人に接し…』という解説にしているのは『言志四録』での佐藤一斎です。

今週はさまざまなことが心に入ってきた週でした。冨樫さんの六然講座の講義から始まり、池田塾長の発行された七田眞著「生きてきた道」第1集、第2集、池田光著「中村春二の心の力」、若宮幾馬著「宇和海の少年」、学研「神道の本」、子供の絵本3冊、小西幸雄著書2冊、をざっとではありますが読みました。その他先輩の直接のご指導や、フェイスブックの記事、仕事の業務関係での気づき等々、入ってくることが夥しく消化しきれているとは言い難いほどの内容の濃い1週間でした。

入ってくることが多い時、ふと気づくと人に対して誠意のある対応になっていない場合もあります。『忙しい』の文字は『心が亡くなっている』状態です。『忙しい』という言葉は絶対使ってはいけない言葉と常には思っておりますが、言葉に使わなくても、そんな状況になっていては意味は無いということだと思います。

たくさん入ってきても消化できないのはわかっているので、入ってくる量を意図的に制限したりはしているのですが、それでも今週のようにたくさんたくさん入ってくる時もあります。そこで気づきました『溺れなきゃかまわないか…』。僕が僕自身で勝手に枠を決めて制限かけていることがよくよく考えてみれば可笑しな行為です。入ってくるのは今必要だから入ってくるのだろうし、そこに制限かけることは自分に必要な養分を吸収してないことになるのではないかという気づきです。

そして、そのたくさん入ってきた時に唯一気をつけることが『藹然』なのかなと感じました。ついつい自分のことだけで視野が狭くなってしまいます。そういう状態の時こそ『處人藹然』ということなのでしょう。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年5月11日(木)
横綱相撲                        木曜担当…西端努斗夢

 大相撲五月場所が14日の日曜日から始まります。最近、話題にならなくなりましたが、八百長問題は、相撲の世界をほんの少し覗き見したところマスコミのやらせ問題と共通したところが多いと思います。やらせは、「あると言えばあり、ないと言えばない」と言うことができます。だから、八百長もあると言えばあり、ないと言えばないのでしょう。
 それはさておき、私は、「横綱相撲」に憧れています。相手の攻めをまず正面からしっかりと受け止め、それから勝負に出て平然と相手を倒すのが横綱。
 生き方もこうありたいものです。どんな出来事や人物に遭遇しても、まずはそれを正面からしっかりと受け止め、泰然自若でいることができたらカッコいいと思います。
 ところが、ついつい目先のことが気になって、策を弄したり、仕掛けを考えてしまう私は、せいぜい平幕か十両と言ったところです。

木曜担当…西端努斗夢



2017年5月9日(火)
挨拶                           火曜担当…柿原まゆみ

挨拶というのは禅の用語で『一挨一拶』ともいいます。
この言葉は禅僧が日々の挨拶から
相手の成長度合いを知るものであり
修行における大切な意味があります。

挨拶の瞬間に人物の位や器のほどが透けて見えます。
「よほど人間ができ、教養ができてこないと
よい挨拶よい辞令というものは
でてこない。

見事な挨拶とはたゆまぬ
修養のたまものなのです」

 『安岡正篤運命を思いどおりに変える言葉』より


ビジネスでもプライベートでも
人と人との出逢いと言うのは挨拶から始まります。
挨拶はその人を表します。
・育ち
・品格
・性格
・社交性
・体調
・精神状態
・教養 
  等

そして挨拶によってその人の気持ちがすべて
相手に伝わります。
挨拶を大切にしている人は
『人を大切にしている人』です。                                                                                

さらにその大切にしている
気持ちを伝えたいときは
相手のお名前を添えて挨拶をします。

相手のお名前を添えた挨拶をしようと思うと
その人の事を知っておかなければ
相手に届く挨拶はできません。


・名前を覚える
・その人とは最近あったのか、久しぶりなのか
・その人が心地よいと思う言葉や褒め言葉は何なのか
・その人の体調や精神状態を読みながらかける言葉を変える
・どのような場なのか
・タイミングや間等



挨拶は一瞬こと。
安岡先生のおっしゃっている見事な挨拶をする為には
気付く力、その場の空気を読む力、記憶力など様々な
ことができなければならないです。


池田先生のご著書の中に
「物事がぴったりすることを挨拶といいます。
相手の思っていることにぴたりと
的中する言葉が出なければならない」

あります。


ぴたりと的中させる努力を積み重ねるから
良い関係が築けるのだと思います。

         火曜担当…柿原まゆみ



2017年5月8日(月)
無題                           月曜担当…池田光

■小説・頼山陽



『もう頬づえはつかない』でデビューした見延典子は、北海道に生まれましたが、ご結婚されから広島に住んでいらっしゃるようです。
広島には、江戸時代の後期に頼山陽という偉人が育ちましたが、彼女は地の利を生かして、頼山陽を小説に描いて、新田次郎賞を受けました。

① 『頼山陽』上中下巻(徳間文庫)
頼山陽の生涯をしっかり描いています。ぼくは編集の仕事の合間に少しずつ読んでいましたが、下巻に入ると興味が増して、集中して読み耽りました。何点か儒学の捉え方に疑問がありましたが、心に残る作品でした。
その続編というべき本が、『敗れざる幕末』です。この本を続けて読んで、大きな感動を得ました。

② 『敗れざる幕末』(徳間書店)
上記の『頼山陽』を読んだなら、引き続き読むことをお勧めします。ぼくには『頼山陽』の第四巻と思えるくらいです。
この本の主人公は、関藤藤陰(せきとう とういん)です。
彼は、頼山陽の高弟で、頼山陽の未完の著作『日本政記』の完成をゆだねられるところから物語は始まります。その後、江戸末期の老中首座・阿部正弘の側用人を勤め上げ、その後も阿部家に仕えて、明治9年に亡くなります。
その人生は、中庸を得た人物としての確かさがあります。若い頃には中庸を破るようなこともあったようですが、とても尊敬できる人物です。
彼のことを描いた小説は、ほかに栗谷川虹(くりやがわこう)の「小説・関藤藤陰伝」の全三冊があるようですが、まだ読んでいません。

それはそれとして、見延典子の『敗れざる幕末』を読んで、三つの学びを得ました。
・関藤藤陰の生き様から、中庸を得た人物とはこのような生き方をするのかということ。
・師の頼山陽の後世(とくに幕末維新期)への影響。
・幕末維新期の政治史。

■頼山陽を書庫から集める



頼山陽については、いつかは読みたいと思っておりましたので、若い頃から古書店で安価な本を見つけるたびに買っておりました。
書庫にはバラバラに収めておりましたので、見延典子の小説に触発された、この機会に集めてみますと、写真のような本がありました。ほかにも解説書が何点かあります。
本格的に頼山陽を読むには、基本図書として『頼山陽全書』全8冊が必要なのですが、このような高価なものを持っていません。

『日本外史』『日本政記』『通議』の幾編かと、漢詩を少々読んでみたいと思っております。原文はどれも漢文ですが、これは敬遠して「読下し文+現代語訳」で読んでみます。

それにしても、頼山陽はなぜ日本の通史を描くという大望を抱いたのか――この問題意識を持って読むつもりです。
中国は歴史大国で、正史として、二十四史が完備されています。「言(天子や聖賢などの言葉)」と「事(出来事)」が記録され、あんなことがあった、こんなことがあったという歴史的な出来事だけでなく、その時に語った歴史的人物の言葉がいきいきと記録されているので、とても面白い。

頼山陽は、『日本外史』を描くのに、読者をわくわくさせるために「言」を創作しているふしがあるようで、たとえば『日本外史』に題材を採った詩集『日本楽府』には、
「敵は本能寺にあり」
という明智光秀の言葉が創作されています。
もっとも創作とは言え、その一言で歴史の輪郭がくっきりわかるような効果を狙ったのでしょう。
とにかく、頼山陽はスケールの大きな人物です。
当時の常識の枠には収まらないようなところがあり、楽しみなことです。

■付記
一昨日の5月6日から、六然講座がスタートしました。
トップバッターは富樫功氏で、彼から「六然」についての説明がありました。
人生のいろんな場面で、①超然、②藹然、③斬然、④澄然、⑤憺然、⑥泰然という態度でいることですが、すべてに言えるのは絶対積極の境地です。
絶対積極の境地が、そのときのシチュエーションのなかで、超然とさせたり、泰然とさせたりするのです。
このように六然とは、六つのシチュエーションにおける「~然」ということで、「~のさま」「~の状態」という意味の接尾語です。

続けて、富樫氏から神道についての講座がありました。
神道に独特の大和言葉は、漢語に慣れた私からは、どうも捉えどころがなく見えて、昔から国学の賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤らをまったく読みもせずに敬遠してきました。
が、ここに大きな欠落があることを自覚しておりましたので、常識程度には学んでおきたいという気持ちが起こりました。

次回は、7月1日の開催予定で、講師はいつも熱いブログを寄稿されている佐々木秀彦氏です。テーマは「発信」。
発信することに興味がある方は、ぜひともご参加ください。
今回はブログ王・富樫氏のおかげで大勢の参加者があり、景気づけにもなりましたので、このままの勢いで行けることを期待しております。

また、西端努斗夢事務局長が半年ぶりに復帰しました。その快復力・不死身さは、看護師経験が深い秦香苗氏をして唖然とさせるものがありました。

さらに、弊塾顧問の若宮幾馬氏は、回想録『宇和海の少年』を参加者の全員にプレゼントされ、懇親会の席では嬉しいサイン攻めに遭っておられました。

最高顧問の今西恭晟氏はめずらしくカジュアルなブレザー姿で、ますますお元気なご様子で、我々をおおいに喜ばせました。

最後に、富樫氏の講座のときは女性比率がぐんと高くなり、ちょっと体調が悪くて懇親会を休もうかと考えていたぼくの気持ちを溶かすだけのフェロモンに満ちており、恥ずかし嬉しくもぼくは懇親会でおおいに騒いでいたことをここに記しておきます。

月曜担当…池田光



2017年5月7日(日)
「六然講座」                      日曜担当…八木正典

5月の六然講座に参加してきました。
今年から六然講座として2か月に1回となりスタートした本心塾の講座ですが、初回は冨樫先生の「神道と祝詞」というテーマで素晴らしいものでした。

冨樫先生から神道の定義、国家神道の歴史を丁寧に解説いただいた後、「神とは祈りの集合体である」との考えの元、神社や神様を集合意識の依り代との見方を説明いただきました。
これまで思ってもみなかった視点での考え方に目から鱗でした。
また、どれだけ大きな集合意識で物事を眺めることが出来るかを今後自身に問い続けていきたいと感じる講義でした。
また講義の最後に、大祓詞を全員で読み上げた後のシーンと静まった場の清々しい雰囲気が自分に入ってきて非常にここちよい気持ちを感じることが出来ました。ありがとうございました。

一時は休会となる恐れのあった本心塾の講義が続いていくことは非常にうれしく感じております。これもこの会が作り上げてきた集合意識のなせる業と感謝し、引き続きいただいた縁を大事にしながら新たな学びを続けていきたいと感じております。

日曜担当…八木正典



2017年5月6日(土)
宇宙                          土曜担当…佐々木秀彦

『宇』は「天地四方上下」「宙」は「往古来今」を意味した言葉だと紀元前の春秋戦国時代に中国の尸子が文章に残しているそうです。つまり『宇』が前後上下左右の三次元空間、『宙』が現在過去未来の時空間、これを『宇宙』ということだという定義付けです。

伊勢神宮にお参り行って来ました。内宮の宇治橋を渡ったら新緑の輝きがまるで違うように感じてしまうのが、事実なのか僕の思い込みなのかはどちらでも良いのですが、やはり空間が違うと感じてしまいます。
今回初めて、この宇治橋付近にあります、宇治神社にも参詣してきました。「足神さん」として最近注目されているということですが、ここにある石を撫でると足が強くなるという話を僕がすると、誰よりも早く走りたいという願望をもつ4歳のチビスケはこれでもかというほど石を撫でて、その後軽やかに石段を駆け下りました。自分の心に願を掛ける効果を瞬時に証明してくれるチビスケを追いかけながら、ここの『足神さんって凄いな…』と感じさせていただけました。

宇治橋、宇治神社。宇宙の『宇』です。政りごとを治めるのが政治なら、三次元空間を治めるのが『宇治』でしょうか???
世間の空間から「宇治橋」を渡ることで神域へ入ることができるという順序に理を感じてしまいます。
そういえば「うかんむり」の文字は確かに三次元的な奥行を感じる表記も多いようです。宇、宙、空、宵、安、完、実、宝、客、宮、富、宴、、、
宇治橋のすぐ脇に宇治神社があるのにも深い意味がありそうですが、そこは目をつぶって、足神さんに参ってとても良い時間をいただくことができました。

京都の宇治にも、宇治神社と宇治橋が存在します。伊勢と宇治の直接的な繋がりは確認できませんでしたが、江戸末期の「ええじゃないか」と表現されるお蔭参りを最初に挙行したのは京都の宇治からだったというのを何かで読んだことはあります。それぞれが長い歴史の中で何度も何度も関わってきたのは間違いないのでしょう…

宇宙=天体望遠鏡で眺める銀河星雲空間というふうに理科の授業では習いますが、宇宙=3次元空間+時空間と考えるほうが、宇宙の果てやら宇宙の始まりや、ブラックホールの研究なんかにも実は近道だったりするのかもしれません。
春秋戦国時代の夜空には現代日本では想像できないほど多くの星が瞬いていたことでしょう。ただそれは現代日本でも見えないだけで、同じ数の星が輝いていることも忘れてはいけないことだと思います。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年5月4日(木)
いい人ばかり                     木曜担当…西端努斗夢

世の中には、いい人も悪い人もいるそうですが、幸い私のまわりはいい人ばかりです。
私に被害を与えるなことをしたとしても、それは、善意からしたことが上手くいかなかったか、間違っていたからで悪い人ではありません。
私に傷つく言葉を吐いたとしても、それは、心身が疲れていたか、言葉の使い方を間違ったからで悪い人ではありません。
もちろん、置かれている立場や就いている仕事によっては、そんな甘いことを言ってられない方も多いと思います。
しかし、ありがたいことに私は、そんな甘いことを言っていられる立場や仕事なのです。だから私は、幸せなのかもしれません。

木曜担当…西端努斗夢



2017年5月1日(月)
直を沽る                        月曜担当…池田光




■直を沽(う)る

先週に引き続き、柳宗元(「韓愈に与えて史官を論ずる書」)を読みます。

【原文】「崔浩沽其直」

【訓読文】「崔浩(さいこう)は、其(そ)の直(ちょく)を沽(う)る」

【注釈】
・崔浩(さいこう)……?~450年没。後魏の歴史を、不正をはばからずに書き、石碑に刻んだので、太武帝や鮮卑貴族の反発を受けて誅殺された。
・直(ちょく)……たとえば『論語』に「直(ちょく)」の語がよく出てくる。「人の生くるや、直たれ(生きていくには、まっすぐであれ)」(雍也第六)の例のように、「まっすぐ」という意味。反対語は「枉(まがる、よこしま)」である。
・沽……「売る」「買う」などの意味がある。ここでは「売る」の意。

【現代語訳】「崔浩は、自らのまっすぐさ(正義感)を売り物にした」

原文には続きがあります。続きも含めて書くと、
【原文】「崔浩沽其直以闘暴虜皆非中道」

【訓読文】「崔浩(さいこう)は、其(そ)の直(ちょく)を沽(う)りて、以(も)って暴虜(ぼうりょ)と闘(たたか)う。皆(みな)中道(ちゅうどう)に非(あら)ず」

【現代語訳】「崔浩は、自らのまっすぐさ(正義感)を売り物にして、横暴な異民族と戦った。こうしたことはみな、中道=中庸を得ていない」

ここで問題にしたいのは、「直(まっすぐさ)」と「中庸」との関係です。

■直と中庸(中道)
上記の文章の三行後に、柳宗元は、韓愈にこんな忠告を与えています。

【原文】「是退之宜守中道不忘其直」

【訓読文】「是(こ)れ、退之(たいし)は、宜(よろ)しく中道(ちゅうどう)を守(まも)りて、其(そ)の直(ちょく)を忘(わす)れざるべし」

【現代語訳】「韓愈(退之は字)は、中道=中庸を守って、自分の職務でまっすぐであること(直)を忘れてはいけない」

柳宗元は、「中庸」と「直(まっすぐさ)」を両立させなさいと言っているわけです。

ここで、崔浩の文章に戻ると、崔浩は「直」と「中庸」とが両立できていません。「直」が過ぎて「中庸」を破っているからです。
このことを、柳宗元は「直を沽(う)る」と表現したのでしょう。

ところで私は、先に「崔浩は、自らのまっすぐさ(正義感)を売り物にした」と現代語訳しておきましたが、これは過度な訳し方かもしれません。
ふつうに訳すと、「崔浩は、自らのまっすぐさが過ぎた」くらいでいいでしょう。
あるいは、具体的には「崔浩は、自らのまっすぐさを、ことさらな行動に現わした」ということかもしれません。

■わが国の二人の事例
どんなことでも、過ぎると、中庸を破るものです。
直(まっすぐさ)が行き過ぎて、中庸を破った歴史的な人物がいます。

吉田松陰(享年29歳)
頼三樹(頼山陽の三男。享年34歳)

この二人をあげたのは、二人とも安政の大獄で斬首されたからです。
彼らは江戸で取り調べを受けますが、元々の罪状(井伊直弼側から見た罪状)だけなら、両者とも斬首にはならなかったでしょう。

彼らは、捕われの身になってすら、言わなくてもいい直言をし続けたのです。その正義感から、おかみに喧嘩を売りつけたようなものです。
これが「直を沽(う)る」ということだと思います。

ただし、彼らの斬首は、討幕や維新の力となりました。歴史的に見ると、その影響は大きく、単純に犬死とは言えません。

■孔子の優先順位
儒教の祖である孔子は、中庸を得た生き方を第一と考えていました。
ここまでは当然です。

面白いのは、その次です。
孔子は、「過ぎて中庸を破る」生き方を第二にあげて、高く評価しているのです。次のように言っています。

【訓読文】「中行を得て之(これ)に与(くみ)せずんば、必ずや狂狷(きょうけん)か。狂者(きょうしゃ)は進んで取り、狷者(けんしゃ)は為(な)さざる所有り」(子路第十三)

【現代語訳】「中庸を得ている人物が第一だ。しかしそんな人物に出会わなければ、次善の人物は、狂者か狷者といった中庸を破った人物だろう。狂者(理想に走って実行が伴わない人)は進んでやり、狷者(義を守りすぎて心が狭い人)は悪いことをしないからだ」

吉田松陰も、頼三樹も、ともに狂者だと言えるでしょう。
最初の「直を沽る」という崔浩も、狂者の振る舞いです。
こういう、中庸を破る人物が歴史を変えるのかもしれません。

さらに言えば、孔子は凡人を問題にしていません。ほどほどに生きている凡人は、中庸以前です。
さしたる使命感もなく、八方美人的に生きている人などは、ここでは問題ではありません。
理想に燃えて、自らの使命に生き、一歩間違えると潰されるようなぎりぎりの道を、世のため人のためにバランスを取って使命を果たしていく生き方を中庸と言うのです。
柳宗元が教えているのは、「中庸を守って、あなたの使命において、まっすぐであることを忘れるな」ということでしょう。

吉田松陰や頼三樹は理想に燃えすぎ、一歩過ぎて狂者となりましたが、このような狂者も、狷者も、中庸を得た人物と同じ土俵にいます。
これに対して、凡人は土俵の外にいるのです。

■結論
「直(まっすぐさ)」と「中庸」との関係を考えてきました。

理想や使命感に向かってまっすぐに生きる。すると、出過ぎた杭のように、まわりは叩こうとします。あるいは、対抗勢力や、敵が現われます。そんな緊張関係のなかをうまくバランスを取りながら、理想や使命感に向かって進み、結果を出していく。
これが、直と中庸が両立した関係です。

直と中庸という関係は、理想や使命感に向かってまっすぐに生きる土俵での問題であり、
ぎりぎりの緊張感のなかで「中庸」というあり方が求められるのです。

凡たる生き方においては、対抗勢力も、敵も現われません。また、誰も「杭」だとは思っていないので、叩きません。

凡人は中庸以前です。もっとも、中庸以前というのは、ある意味では、精神的緊張を求められず、幸せなことかもしれません。

■蛇足
今回、私が読んだのは、二十四字です。
広く文献に当たるのではなく、たった二十四字から結論めいたものを出したので偏っているでしょうが、今回の読書から私は、中庸とは「まっすぐに生きる」姿勢において求められる精神的な規律であることが理解され、吉田松陰や頼三樹の生き方に思いを馳せることができました。

中庸を破った吉田松陰や頼三樹は、その劇的な生き方において、人々の記憶に残りました。しかし、中庸を得た人物はあまり人々からの人気はなく、歴史から忘れ去られることが多いのかもしれませんが、こういう人物こそが渋い人物と言えるでしょう。

たとえば、関藤藤陰(せきとう とういん)。
彼などは中庸を得た人物でしょうが、ほとんどの人が知らないのではないでしょうか。次のブログでは、関藤藤陰のことにも少し触れてみたいと思いま

月曜担当…池田光



2017年4月30日(日)
「海に泛(うか)ぶ」                   日曜担当…八木正典

険夷もと胸中に滞らず
何ぞ異ならん  浮雲の太空を過ぐるに
夜は静かなり  海濤(かいとう)三万里
月明(げつめい)に錫(しゃく)を飛ばして 天風を下る



私の好きな王陽明36歳の時の漢詩である。
陽明は時の宦官で実力者の劉瑾の怒りをかい、杖罰の上竜場に流されました。
しかも竜場に向かっている途中にしつこく命を狙われ、さすがの陽明も名を隠して世を逃れて生きたいという気持ちがわき起こります。
そんな中、久々に再開した道士に励まされ、竜場へ行く決心をした時に作ったものなのです。
逆境であろうが順境であろうが心の中にとどめずに、雄大な気持ちをもって自分の与えられた道を進んでいく。
そんな壮大で颯爽とした心持ちを少しでも真似ることが出来るように日々精進したいと思うのです。

日曜担当…八木正典



2017年4月29日(土)
超然                           土曜担当…佐々木秀彦

『自ら處すること超然。自分自身を取扱うのには、一向物に捕われないようにする』
安岡正篤師の六然の解説の文言で、これが出来れば真の自由人という六然の第1に登場するのが、この『自處超然』です。さらにこれはともすれば「自處紛然」となりがちと警鐘されてもいらっしゃいます。

まず『然』という文字ですが、これはかなり奥深いものと今更ながら気づきました。文字の成り立ちとしては、獣の肉を焼いているということらしいですが、これをどう解釈するかで『然』の位置づけが大きく変わってきます。僕は「生という躍動」が根本に備わった「しかり」とか「そのとおり」という意味だと感じました。

当然、同然、偶然、必然 、自然、天然、愕然、毅然、整然、漠然、等々こんなにもよく使う漢字も珍しいくらい日常会話に頻出する文字だからこそ、逆に深く考えたことが無かったのかもしれません。でもこの「然」という文字が躍動を示唆していると理解すれば、それぞれの熟語がより活き活きした感が出てきます。

そして『超然』です。第2代内閣総理大臣の黒田清隆が鹿鳴館にて超然主義演説の中で超然主義を主張したため、この内閣が超然内閣と呼ばれたということで、戦前の日本人なら「超然」という言葉はかなりポピュラーな言葉だったと推測します。
現代では超然主義と言ってもピンとはきませんが、真理や道理をしっかり見据えようとする時代なら、「超然」を意識に置き易くはなるのでしょう。ただ「超然主義」という「流行」があったというのもかなり面白い話だとは思います。

『自處超然』を現代語で簡単に表現すれば、「世間の流行やお節介に右往左往しないで、理に適った立ち居振る舞いを徹底する」というような感じだと思います。
そして安岡正篤師の警鐘されている「自處紛然」と併記されることで、意味が鮮明になって伝わってくるので、漢字はおもしろいなと感じました。

いよいよ来週5月6日に『六然講座』が開講します。だからこそここで『六然』について少し考察をしてみました。『自處超然』を目指す為にも、富樫さんの講座から多くを学んでみたいと楽しみにしております。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年4月27日(木)
出たら目人生                     木曜担当…西端努斗夢

 子供の頃から私を弟のようにかわいがってくれた従兄が先日他界しました。
 人生を双六に例えるなら、死は“あがり”だと私は思います。
 とは言うものの、別れは、辛いものです。


 サイコロの数によっては、「一回休み」や「ふりだしに戻る」といった、望まない升目に止まることもありますが、どんな数も“出たら目”。

 私の人生は、サイコロ任せの“デタラメ人生”ですが、そんな私でも、いつか“あがり”に行き着くことだけは間違いありません。

木曜担当…西端努斗夢



2017年4月25日(火)
心がこもった食事                    火曜担当…柿原まゆみ

暮らしの手帖の編集長 松浦弥太郎氏の
「今日もていねいに」は気忙しい生活の中
ちょっとした時間を豊かにして
くれるように感じます。


書籍の中に書かれていた
『心のこもった食事』を読んで
朝食をきちんととるように
しています。

コンビニのサンドイッチで朝ごはん、
お昼はカップラーメン、
夜はデパートのお惣菜という
生活が基本になったら
味覚はどんどん鈍くなります。
「心がこもっていないものを食べても満たさせない」


誰かのために、そして自分のためにも、まずは
簡単な朝ごはんをつくってみましょう。


「暮らしのなかの工夫と発見ノート
   今日もていねいに。」 松浦弥太郎より



わたしもそう思います。
コンビニやお惣菜・インスタント食品に
頼らない生活をしていると
たまにお惣菜を食べると辛く感じます。


辛い味に慣れるとどんどん塩分の量が増えて
健康を害しますよね。


朝食はパンでなく出来るだけごはんにしています。


時間がない時や美味しそうなパンの香りについ
つられて購入するときもありますが・・・


朝ごはんをお米にするためには
前もって準備をしています。

朝、お米をといて、
待っている時間をなくすために
前日にお米を研ぎ、
冷蔵庫の中に入れます。



お米マイスターの方が
お米を冷蔵庫に入れたり
冷水で炊くと
『もちもち』すると言われていました。

実践してみると時短になるだけでなく
冷えた時のお米が
とても美味しいです。


おかずも前日の夜に野菜などは
切って仕込みをして
おくとスピーディに朝食ができます。



凝ったものでなくても炊き立ての
ごはんがあれば美味しくいただけます。



私の工夫は茶碗やお皿やお箸おきを
気分の上がるものにしています。




中村天風先生のおっしゃっている
『喜びの感情で幸せスイッチを入れる』
楽しさ・朗らかさ・面白さと言う感情が
宇宙エネルギーを受け入れる秘訣。



幸せスイッチをオンにする
心のこもった朝食を続けていきたいです。

火曜担当…柿原まゆみ



2017年4月24日(月)
無題                           月曜担当…池田光




■「喜怒に触れる」
柳宗元の文章(「韓愈に与えて史官を論ずる書」)を読んでいて、次の一文にぶつかりました。

「司馬遷觸天子喜怒」

次のように簡単に訓読できます。

「司馬遷(しばせん)は、天子(てんし)の喜怒(きど)に触(ふ)れる」

少し注釈を加えておくと、「司馬遷」というのは『史記』を編纂した歴史家であり、「天子」というのは漢の武帝です。

さて、この一文を、どう現代語訳すればいいでしょうか。
ポイントは、「喜怒(きど)に触(ふ)れる」を、どう訳すかです。
ここをまじめに考えると、意外に難しいのです。

■A案
「喜怒」を何と訳せばいいのでしょうか。
ふつう、「怒りに触れる」という言い方をよくしますが、「喜びに触れる」という言い方はしません。
まして、「喜怒に触れる」という言い方はしません。
そこで、次のように訳すというのが、A案です。

A案……「司馬遷は、武帝の怒りに触れた」

この場合、「喜」は「怒」の添え字となります。
が、なんとなくしっくりしません。
「喜」は添え字だとは言え、消えてしまうからです。

■B案
そこで、次のように訳します。

B案……「司馬遷は、武帝の感情に触れた」

「喜」や「怒」という具体的な個々の感情を、上位概念の「感情」という表現に高めたのです。
すると、A案の「怒りに触れる」という一方的な感情とは違った、微妙な含みをもたせることができます。

■結論
A案も、B案も、どちらも正解です。
実際、「司馬遷は武帝の怒りに触れた」ことで宮刑に処せられたのですから、A案でいいのです。
が、あえて柳宗元が「喜怒」と表現したのは、単純な「怒り」ではなく、微妙なニュアンスを含めているからでしょう。
この微妙なニュアンスを訳そうとすると、B案のほうが近いでしょう。

そこで、この一文を、
「司馬遷は、武帝の感情に触れた」
と訳すことにしました。

月曜担当…池田光



2017年4月22日(土)
断煙                          土曜担当…佐々木秀彦

タバコを止めることにしました!
まあ断捨離の一環みたいな思い付きなのですが、取り敢えず断煙することは決意したのですが、断煙の場合は決めたからには挫折だけは絶対に嫌です。ここには戦略が必要と熟慮しました…

初めてタバコを吸ったのが17才…ちょうど35年のキャリアです。一日平均は1箱半ぐらいでしょうか…1日3箱の時代はけっこう長かったですが、最初の頃は3日で1箱ぐらいだったし、最近は1日1箱程度だったので、アバウト1日1.5箱として…35年で19,625箱、1箱180円から始まったような気がしますので、×300円でたばこ代合計5,748,750円…タバコは7割ぐらいが税金ということで僕は実質高額納税者と思い込んでおりましたが、年額換算114,975円程度の納税額だったとは…タバコ税は日本経済に全く貢献してないことに今初めて気づきました。

僕は愛煙歴35年ですが、禁煙をした経験はありません。したがって禁煙の辛さや難しさの経験もありません。世間では禁煙は難しく、意思の固い選ばれた一部勝者のみが燦然と輝く栄冠として禁煙を手にすることができるような風潮すら感じます。

禁煙外来という厚生労働省の推奨する方法もあるようです。国民皆保険制度が財政破たんしそうだと危惧されるこのご時世に、僕の自分勝手な趣味で吸い続けていたタバコを止めるからと保険制度の適用で大事な国保予算を浪費するのは何か違う気がしますので、この方法は却下です。未成年で法律を無視して吸い始めた喫煙習慣です、最後まで自力で決着しなければ男の浪漫までもが煙と消えます。

熟慮に熟慮を重ねた結果…今月いっぱいは1日5本以内なら禁煙の範疇とすることに決めました。日本人的イメージでは禁煙=1本でも吸えばアウトではありますが、そういう潔癖さは時に心に甚大な負荷を課す場合もあります。世界のスタンダードとして日の出から日没まで断食すれば、夜にどれだけ食事を摂っても立派な断食です。問題は課題を遂行し達成することが大切です。挫折することには何の意義もありません。決意は達成しなければならないのです。目標は達成し続けるからこそ楽しむことができ、楽しめるからこそ断煙からも多くの学びを得ることができるはずなのです。本日で3日、1日5本以内断煙は継続しております。来月も5本なのか、4本なのか3本なのかはまだ決めていませんが、秋風が吹く頃には煙は完全に消え去って、爽快な澄んだ青空を楽しめるだろうとワクワクしております。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年4月19日(水)
専門用語の弊害                   水曜担当…冨樫功

八木さんがヴィパッサナー瞑想について書かれてましたね。


僕も偶然最近ヴィパッサナー瞑想の本を読んでいました。

ミャンマー仏教徒の間で継承されてきた瞑想法の話です。


普通、仏教の話は、仏教用語で語られますよね。

例えば、般若心経には五蘊という言葉がでてきます。
これは、人間の認識のパターンを色・受・想・行・識という五つに分けて考えたものです。

五蘊を理解するには、色・受・想・行・識すべてを理解する必要があります。


さらに、色・受・想・行・識というのは、
現在の漢字から読み取れる意味とは異なっており、

本当に理解するには資料を読み込んでいかなければなりません。


しかし、その本は、ミャンマー経由で英語に訳されたため、
仏教用語からは自由な説明がなされていました。


これがわかりやすくて、
画期的だなあと思ったのです。


漢字という便利な文字を使っているがゆえに、
余計にややこしくなっている現状を思いました。                                                          


同じように、天風哲学も専門用語がありますよね。

観念要素の更改とか、安定打坐法とか、神経反射の調節とか。

なんか漢字が多くて、
見るからに難解なイメージがあると思うんです。


これをわかりやすい、やわらかい言葉に変換すれば、
それだけで面白いことができそうな気がしました。

水曜担当…冨樫功



2017年4月18日(火)
『笑い』は最強の夢実現ツールになる       火曜担当…柿原まゆみ

笑いは強壮剤であり開運剤です。
ユーモアひとつで勇気づけることもできます。
また行きづまった状況を切り開く事もできます。

            『中村天風 打たれ強く生きる100の言葉』より

私は母のおなかの中で大暴れしていたようで
へその尾が首に巻きつき、生まれてきたときは
顔が青白く、かなり危険な状態だったそうです。

その時、看護師さんが
「色がつくまで保育器の中に入ってもらいますね~」と言われました。
その時 母は「みかんみたい」とくっすと笑ったそうです。

不安そうにしていた母に対する看護師さんの心遣いでした。
母はこのユーモアある一言に救われたと言っておりました。



ユーモアある一言でその場の空気が一転します。
私は小さな失敗をした時は「ネタにしよう」と考えます。

自分の失敗をユーモアたっぷりに伝えることで
皆さんが笑顔になり、場の空気が柔らかくなります。


私の小さな失敗をご紹介します。


宇都宮出張があり、前日入りをしました。
せっかく餃子のまちにきたのだからと
餃子マップを片手に有名店3件をはしごしました。

翌日、仕事が終わると群馬の高崎市にいる
友人宅に向かうため、
東北新幹線のチケットを購入しました。


乗車まで時間があるので
お土産を見ていると
餃子屋さんを発見。


昨日3件はしごしたにもかかわらず
「今度いつ、宇都宮に来れるか わからない。
最後に食べておこうかなぁ~」と
餃子が抑えきれず、お店のお兄さんに
餃子お願いします」と言ってしましました。


美味しそうに焼きあがった餃子を
お店で食べている時間がなく
テイクアウトにしました。

「15時だから人もそんなに乗ってないだろう」と
思い込み餃子を持って新幹線に乗車。

乗った瞬間凍りつきました。

ガーン!!
満席!!


隣の方・通路横の方・前の方・後ろの方に
あやまりまくり、餃子を完食。
(今考えると食べなくてよかったのにと思います。)                                                       

最後に食べた餃子の味は覚えておりません。
新幹線に乗る時は餃子・豚まん(551)は持ちこんではいけないと
肝に銘じました。


中村天風先生のお写真からユーモアを
おっしゃる雰囲気ではありませんが
この言葉を残されてということは
ユーモアのある方だったのでしょうね。


ユーモアあふれる失敗談は
人間関係を良好にするのでおススメです。

火曜担当…柿原まゆみ



2017年4月17日(月)
無題                           月曜担当…池田光

七田眞先生のご子息であり、しちだ・教育研究所の社長を務めていらっしゃる七田厚さんから新刊が届きました。
お手紙に、「P201~のエピソードを是非お読みください」とあり、さっそく該当ページを開きました。

そこには懐かしい思い出が記されていました。
もう、20年近く前のことになります。
当時、七田眞先生は、69歳でした。
ぼくは本心庵という出版社を立ち上げ、七田眞先生に自伝をお願いしたのです。
掌に乗るほどの豆本を二巻出しました。(現在もまだ在庫があります)
この段階でぼくはへこたれてしまったのですが、その後も、しちだ・教育研究所から続刊を出し続けられ、全14巻となっています。
通しの題名は、『生きて来た道』です。
川井信一先生に題字を書いていただきました。

そんなエピソードが七田厚社長のご本には綴られており、懐かしくなって、ぼくは『生きて来た道』を取り出しました。

「出版に当たって」と題して、20年前のぼくは、こんなことを書いています。
「豆本のも魅力はヒソヒソ話にあります。
たくさんの人々を前にして講演するような商業出版とは違い、炉辺で聞き手の息遣いを確かめながら、とっておきのお話をじゅんじゅんと説いてくれるところに豆本の趣があります。
七田眞先生のお話が、このような形で愉しめる機会を、読者とともに分ちえることは、出版人としてのこの上ない喜びです」
と。
現在、この豆本などをもとにして、『七田眞ものがたり』という本が出版されています。

月曜担当…池田光



2017年4月16日(日)
「あるがまま」                     日曜担当…八木正典

先日ヴィパッサナー瞑想に関する本に出会いました
「ヴィパッサナー」とは「物事をあるがままにみる」という意味で、一瞬一瞬に行われる行動を事実として認識していくことにより心から妄想が取り除かれていくというものです。
事実と思考が混ざり合った状態が無明であり、思考によって得られた妄想ではなく自分の感覚として実感し確かめられたものを現実の出来事として自覚することがヴィパッサナー瞑想であり、事実に正しく反応していくことにより心が変わっていくというのです。
これまで本心塾の西端さんの講義で「ものの見方、考え方」を教わり、講義の中で自分の認識や考え方は一面的であることを気づくことが出来ております。
改めてありのまま、あるがままに観ることに意識を向けながら、起こっていく現象を大切にとらえて日々過ごしていきたいと感じております。

日曜担当…八木正典



2017年4月15日(土)
進化                          土曜担当…佐々木秀彦

テレビで東大の新入生をつかまえてインタビューしていたのを偶然に観ました。
『小学校へ入った時、図書室の本を全部読んでやろうと思って、6年かけて全部読んだ、2000冊ぐらいだった』思いつく、実行する、人生はその繰り返しだとは思いますが、小学校に入学した6才で漠然と思った図書館の本を全部読むという何気ない思い付きを、12歳まで崩さないでやり遂げる実行力に、僕ももっとがんばらなきゃと強く感じました。2000冊を6年で割ると年間333冊、低学年向け絵本的な本も含まれているでしょうが、6年間1日1冊読破する実行力は凄いなと敬服せざるをえません。1日1冊本を読んでいる子なら推測ですが、小学校のテスト程度の問題なら習う前でも満点が取れたでしょう。よくよく考えると学問の勉強方法としても理に適っております。これを実行できる子なら、東大入試もそんなに難しい課題だと思うことなく合格したと思います。

水垢離1000日のお祝いに、次の2000日その次の3000日目指して頑張れとの言葉をいただきました。2000日続ければ小学校卒業のレベルまで到達できるという感じなのかもしれません。ピカピカの1年生で入学した頃は6年生が遥か彼方の大人のように見えていたような記憶があります。

湧くわく本心塾に入って3年目です。6年が何かの重要な節目ならその半分までの距離となりました。4月の第1土曜日に大阪倶楽部へ行ってないので、何かしっくりこない違和感のようなものを感じております。

こういう違和感をしっかり認識するからこそ5月の六然講座をより一層楽しめるのかもしれません。記念すべき初回講座は富樫さんの企画です。僕は『八百万の神』を奉り、自然のすべてのものに神が宿るという神道の考え方に大きく心を寄せております。富樫さんの言霊を介してどのような空間を感じることができるのか、すごく楽しみになってきました。

図書室の本を全部読みたいという、ふとした思い付きで、東京大学に合格する道に繋がるように、僕の水垢離や湧くわく本心塾に通うことが、後から気づくとしっかりした道筋になっているのだろうと感じますので、5月の六然講座へしっかり臨めるよう、今日も『八百万の神様』に感謝して、最高の1日にします。


テレビで東大の新入生をつかまえてインタビューしていたのを偶然に観ました。
『小学校へ入った時、図書室の本を全部読んでやろうと思って、6年かけて全部読んだ、2000冊ぐらいだった』思いつく、実行する、人生はその繰り返しだとは思いますが、小学校に入学した6才で漠然と思った図書館の本を全部読むという何気ない思い付きを、12歳まで崩さないでやり遂げる実行力に、僕ももっとがんばらなきゃと強く感じました。2000冊を6年で割ると年間333冊、低学年向け絵本的な本も含まれているでしょうが、6年間1日1冊読破する実行力は凄いなと敬服せざるをえません。1日1冊本を読んでいる子なら推測ですが、小学校のテスト程度の問題なら習う前でも満点が取れたでしょう。よくよく考えると学問の勉強方法としても理に適っております。これを実行できる子なら、東大入試もそんなに難しい課題だと思うことなく合格したと思います。

水垢離1000日のお祝いに、次の2000日その次の3000日目指して頑張れとの言葉をいただきました。2000日続ければ小学校卒業のレベルまで到達できるという感じなのかもしれません。ピカピカの1年生で入学した頃は6年生が遥か彼方の大人のように見えていたような記憶があります。

湧くわく本心塾に入って3年目です。6年が何かの重要な節目ならその半分までの距離となりました。4月の第1土曜日に大阪倶楽部へ行ってないので、何かしっくりこない違和感のようなものを感じております。

こういう違和感をしっかり認識するからこそ5月の六然講座をより一層楽しめるのかもしれません。記念すべき初回講座は富樫さんの企画です。僕は『八百万の神』を奉り、自然のすべてのものに神が宿るという神道の考え方に大きく心を寄せております。富樫さんの言霊を介してどのような空間を感じることができるのか、すごく楽しみになってきました。

図書室の本を全部読みたいという、ふとした思い付きで、東京大学に合格する道に繋がるように、僕の水垢離や湧くわく本心塾に通うことが、後から気づくとしっかりした道筋になっているのだろうと感じますので、5月の六然講座へしっかり臨めるよう、今日も『八百万の神様』に感謝して、最高の1日にします。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年4月13日(木)
インターフェース その2               木曜担当…西端努斗夢

先週のブログで「TAハッピーカード」のことを書かせていただきましたが、昨日は、「TAハッピーカード5周年」のお祝い会と、TAハッピーカードから生まれた「OKカード」のお披露目会に参加させていただきました。
「OKカード」製作メンバーの皆さんと一緒に久しぶりに美味しいお酒と料理をいただくことができました。
神様と私たちを繋ぐ新たなインターフェースの誕生を一番喜んでくださっているのは神様かもしれません。

木曜担当…西端努斗夢



2017年4月12日(水)
沢天夬                          水曜担当…冨樫功

気がつけば、第一回目の六然講座の日にちが迫ってまいりました。


5月6日の講座に向けて、
まだ準備という準備ができていないという体たらく。


しかも、3時間!?
そんなに長い時間、大丈夫なんでしょうか。


どうしようかと思いながら無為に時間だけが過ぎていく日々です。

心配になってきました。



最近は関係のない易経の本を読んでいます。

はじめは易経って占いの本だし、
取っ掛かりがないしで読めるか不安でしたが、
だんだん面白くなってきました。

安岡正篤さんの本や
金谷治先生の「易の話」から、
徐々に広げていろんな本を読んでいます。


易経の本も、
いろんな本を読めば読むほど、
いろんな読み方ができるようになって、
楽しいのです。



そして、占いの方も楽しんでいます。
易経の世界を覚えるには、
占うのが一番の近道な気がします。


5月6日の講座を占ったところ、
沢天夬の五爻がでました。

決断のときとのことです。

そろそろ内容をはっきり決めなければなりませんね。                                                          
また中道を行けばよいとも。


どうなるかはわかりませんが、
上爻が兌(沢)なので、
みなさんには楽しんでいただけるとみました。

トップバッターですので、
なんとかいい講座になればと祈ります。

水曜担当…冨樫功



2017年4月10日(月)
無題                           月曜担当…池田光

この春、社会人になって5年目の息子が、ここ一か月ほど前から準備を始めて引っ越して行きました。
そして、大阪で一人暮らしを始めました。
娘は学生時代から一人暮らししていたため、独立心が高くて放ったらかしです。
三十年ほど子どもと共に暮す生活が続いていましたので、この新しい老後生活は新鮮です。                                                                             
生物界では、子世代と代替わりすると、親世代は死んでいきます。
が、人間はその後も生きているわけです。
「役割が終わった。余生をのんびり暮らそう」という生き方は、資源の無駄使いになるだけです。
まだ生きている老後の自分をどう使うかが、問われているように思います。

月曜担当…池田光



2017年4月9日(日)
「一己」                         日曜担当…八木正典

3月後半から4月に入ってと仕事でいくつかの予測もしない出来事があり、慌ただしい毎日を過ごしております。思ってもみなかったことが起こると、落ち着いてやれば大したことでもないのに心が動揺してしまいます。こんな時こそ、天風先生の「誦句」と王陽明先生の「事上磨錬」を心にとどめながら強い気持ちを持って乗り切って行こうと思います。また、起こった事象を前向きにとらえ自己の向上につなげていきたいと思います。

士は当に己れに在る者を恃むべし。動天驚地極大の事業も、亦都べて一己より締造す。

より高い次元に進んでいきたいものです。

日曜担当…八木正典



2017年4月8日(土)
社交                           土曜担当…佐々木秀彦

『…今までの教育はメンタリティすなわち知、モラリティすなわち徳、バイタリティすなわち体、この三つに重点を置いてきたが、それだけでは個としての人間しかできない。これに加えてソシアリティすなわち社交的概念がなくては、全体としての人間は完成しない。いかにすぐれた知徳体を有していても、実社会に適応するものでなければ、価値がない。口先のうまい人になれというのではない。実社会で円満な活動ができる人間になってもらいたいのである…』

5千円札で肖像は現代社会に流通している新渡戸稲造が1906年第一高等学校の校長に就任した時講堂で学生へ語った言葉の一部です。
当時の新渡戸稲造は世界的には英文で書いた「武士道」という本の著者として有名でしたが、日本の学生は新渡戸稲造の名前はほとんど知らなかったということです。「武士道」が日本語に翻訳されて出版されるのは校長就任の2年後だということですから、作者が日本人でも英文で本を書くと、日本に流通するのは邦訳版という流れになるのも面白いところだと思いました。

心技体、実行力と発想力、仁義礼智信、等々人間にとって大事なモノを表現するのに様々な形容がありますが、「知、徳、体」を実践できる「社交的概念」を最も必要なモノだと考えていたことに感心させられます。陽明学の「事上磨煉」を明治時代の学生にもわかり易く話したという感じでしょうか…。

武士道や儒学において自己研磨や修行するというと、自身の心を磨き、何事にも動じない強い意思や、崇高な義命に基づいた行動という、どこか内向きで極端に言うと自己完結のような印象を感じる場合もあります。おそらく欧米列強諸国で実際に暮らしてみて、新渡戸稲造は欧米と日本の違いという意味で、「社交的概念」が大きな鍵だろうと感じたのだろうなと推測できます。

「社交的」というと天性の部分だと、僕は考えておりました。しかしよくよく考えると意識の問題だと気づきました。新渡戸稲造は学校長として日本の未来を担う若者に、社交性を磨くことを1番に望みました。この1906年といえば中村春二が池袋に「成蹊園」を開設した年でもあります。「社交的」を辞書で調べれば、「人との付き合いが積極的で上手なさま」という記載です。しかしおそらく新渡戸稲造のいう「社交的概念」には、人付き合いが好きとか上手という性格的なことは一切別として、自己の知・徳・体を如何にして社会へ役立てるかを考えることも同様に必要だという意図だと感じました。「社交的概念」で自己を発信していくことで、さらに「知、徳、体」を磨く必要があります。その原点回帰の必要性を感じての中村春二は塾の開設に繋がったのかもしれません。
僕はこれを機会に「社交的概念」をしっかり意識して、「社会」への働きかけと発信を堅実に行っていけるように、「事上磨煉」していきます。

土曜担当…佐々木秀彦



2017年4月6日(木)
インターフェース                   木曜担当…西端努斗夢

神様は、常に私たちにメッセージを送ってくれているようです。
しかし、ほとんどの人はそのメッセージに気づくことができません。
メッセージを受け取って、言葉やビジュアルに変換できる人はほんの一握りで、神様は、伝えたいことがいっぱいあるのに上手く伝えることができず、もどかしい思いをしているようです。
そこで、私たちの先人は、神様と私たちを結びつけるインターフェースを作り出し、神様からのメッセージを受け取ろうとしてきました。
神社のおみくじがその一つだと思います。易経やタロットカードも、もしかしたらそうかもしれません。
私がよく使うインターフェースは、TAハッピーカード。「○○についてヒントをください」とお願いしてからカードを引くと、そのメッセージから必ずヒントを見出すことができるのが不思議です。
カードは、ここから引くことができます。
   ↓
http://www.pro-con.jp/happy.html

木曜担当…西端努斗夢



2017年4月4日(火)
世のため、人のため、結局は、自分のため   火曜担当…柿原まゆみ

世のためになるように働きをしていれば
運命は必ずよい方へ開けてくる。

           『働く君に贈る 中村天風45の言葉』より



「てんびんの詩」をご存知ですか?
近江商人の主人公の青年期から大人になるまで
あきんどとして成長していく様を3部で構成されている教育映像です。
ご覧になった方もいらっしゃるかと存じます。

第一部 原点編 第二部 自立編 第三部 激動編
3部作です。1本『3万円』するので電話で問い合わせ後に
購入することにしました。

担当者から

「激動編 号泣。自立編 号泣。原点編 大号泣です。」と
教えて頂き、原点編を購入しました。

恥ずかしながら原点編は見るたびに大号泣です。


先日、
自立編を見る機会があり号泣でした。


自立編の映像の中で交わされる言葉に
商いの基本が凝縮されています。


「お客様のお役に立つことをする」

「自立していないとお客様のお役に立てない」

「自分の利益や都合を優先するのではなくお客様の為に・・・」の
利他の心がセリフの中で多くを占めていました。

お客様の都合や立場を考えないで商売をしていると
最初利益があっても長く続かない。

お客様と対話し、観察してお客様が求めるものを
提供しているとリピートして下さいます。
お客様を大切にしていると自分も大切にしてもらえます。
原点編も自立編も同じことを教えてくれました。                                                              
まさに天風先生のおっしゃる
世のためになるように働きをしていれば
運命は必ずよい方へ開けてくるということなのです。

火曜担当…柿原まゆみ



2017年4月3日(月)
無題                                             月曜担当…池田光




本日、4月3日に、版下のデータを印刷会社に入稿します。
編集を始めて、一か月半。
弊塾顧問の若宮幾馬先生の回想録『宇和海の少年』は、
一篇の長詩のように美しくてリズミカルで、
編集人のぼくの心を浄化してくれました。

この本は、4月25日の発売になります。
アマゾンでは予約ページができました。                                                         
少年時代の若宮先生は、故郷の宇和海で釣りなどの遊びに夢中でした。
魚が釣れるようにと、鯛を担いだ七福神の恵比寿さまに願をかけ、
「エベ~ス!」
と叫んで釣り針を投げるシーンが、この本には何度か出てきます。
そんな大自然のなかでの少年の営みが、ぼくをある種の郷愁に誘ってくれました。

月曜担当…池田光



2017年4月2日(日)
「出会い」                        日曜担当…八木正典

4月年度変わりとなり、多くの別れと共に新たな出会いが起こっております。
出会いと別れは常なるものながら、新たな出会いというのはうれしいものです。
森信三先生がおっしゃられている「人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に。」という言葉を噛みしめながら、偶然の出会いを大いなる流れの中での大切の縁としてとらえて大事に大事にしていきたいと思うのです。

我れより前なる者は、千古万古にして、我れより後なる者は、千世万世なり。
仮令我れ寿を保つこと百年なりとも、亦一呼吸の間のみ。
 今、幸に生まれて人なり。庶幾くは人たるを成して終わらん。斯れのみ。本願此に在り。(言志晩録)

日曜担当…八木正典



2017年4月1日(土)
空気                           土曜担当…佐々木秀彦

『勝れた古典の常として今日の時代と人間にも観応する所が多く、意外の示唆を得て、感動される読者も案外少なくないであろうことを思い…』
安岡正篤師『伝習録』のあとがきに記載されております文章です。まさにそのまま、著者の狙い通りにものの見事に「意外の示唆に感動」の連続でした。

さらにページを繰ると、明徳出版社の「中国古典新書全100巻」というシリーズに含まれて出版されていたのだと知りました。論語、老子、孫子から始まり69番目がこの『伝習録』、最初に記載されている論語は昭和42年発行が確認できるので、この本に記載されている昭和55年全巻完成予定まですでに13年越しのプロジェクトということに強靭な決意を感じます。

僕は不動産関連の仕事をしておりますので、不動産登記に関しても必要不可欠な知識となります。もちろんその実務は司法書士に遂行してもらうのですが、日本国の場合不動産登記に関しては共同申請主義という原則があります。わかり易く表現すると、「不動産の旧所有者本人と、新所有者本人が一緒にそろって法務局に申請に来てください」という原則です。税金の確定申告等は本人申請主義という原則なのに現実には税理士が動くことが主流であるように、不動産登記は司法書士が動くことがほとんどで、本人が申請に行くことは非常にレアなケースです。僕は自身の相続登記申請を僕自身が申請したのですが、登記官が僕の作成し提出した必要書類をチェック完了後の状態をチラッと覗き見たのですが、赤字で詳細にチェックされている様子は迫力すら感じました。

本を出版するということは、この登記官が様式の決まった必要書類のチェックとは比較にならないほど膨大で詳細なチェック、つまり校正作業が付随するものだという印象があるのですが、明徳出版社中国古典新書100巻という高尚な専門知識を要する校閲を13年間も続けている責任編集と太字で記載されている「宇野精一」と「鈴木由次郎」とはどんな人なのだろうとなんとなく思ったら100巻のうち「漢書芸文志」「太玄経」「周易参同契」の3巻は鈴木由次郎著で、「顔氏家訓」は宇野精一著でした。少し調べるとお二人とも儒学の権威と表現して相応しい人物ということだけは理解できました。

本を読んで『意外の示唆』や『今日の時代との感応』などは自己で発見したようなトキメキを感じるのですが、実は著者や編集者の周到な計算により導かれた結果に過ぎないと気が付くと若干悔しい気もしないではないですが、そこも含めて謦咳に接することだと思いますし、何より時間、空間を超えて歴史に名を残すような人物と同じ空気を共有できる『本』という媒体は何と凄いものなのだろうと感激したりもします。著者が強い意志を抱いて投げてくれたモノを、読者がどう受け取るかによって空気は当然に違ってきます。本人申請主義的な思いを著者に感じさせないよう、共同申請主義的に僕の心に著者が登記をしたような感覚をもってもらえるように、読者としての空気を作成していきたいと思います。

土曜担当…佐々木秀彦